2008年03月

2008年03月31日

委員会発表、今後の行動計画。

 今日(3月31日)はまず、午前11時から情報省で「Tibet Solidarity Committee」(※)が記者会見。実はその時配られた資料を探しても見つからないので、覚えてるだけ報告します。主にこれからの行動計画についてでした。
 4月6日は祈祷日。
 ダラムサラでは法王自らを導師としてツクラカンで午前8時から午後4時まで様々な真言、祈願のお経(ターラ21尊、観音、タムディン、プルバなどなど、最後に普賢祈願経)を唱える。この日はその他のそれそれのキャンプ地や外国の都市毎に、地区の導師のもとで、できるだけ大勢が集まり同時に行う。
 4月7日は「頭、丸める日」。
 「頭丸める日」とは如何に? このところダラムサラでは頭を剃るのが流行ってるといいましたが、この流行は、どんどんここの男たちに広がっています。で、それにしてもその日にできるだけ多くのチベット人(この際サポーターの外国人も含めて)が頭を丸めるのだそうです。
 意味は服喪(インドの風習からの連想です)、抵抗の印でしょう。デモは僧侶が先導してることもあるのでしょう。会見した担当者は「チベット本土の人もこれをやるといい。さて、中国の法律に『頭を剃ってはいけない』というのがあったかな!?」と笑い飛ばしていました。
 4月10日から12日までの3日間は、デリー、ボンベイ、コルカタ、バンガロールのインド4都市、及び世界中の都市、地区にチベット人とそのサポーターが終結し、平和的デモを行う。
 10日には142人の犠牲者(この人数は増加する可能性あり)の葬式を行う(模す)。それぞれの地区で工夫して、棺桶142基とか、死体(本物!?)とかを担いで、喪の行進を行う。
 11日にはこれまで判明している1500人以上の連行、拘留、逮捕されている人たちが拷問や虐待を受けないようにと訴える、人権の日。それぞれが工夫して中国の監獄を演出し、行進する。
 12日は、負傷者が適切な治療を受けられるよう訴える日。現在もデモなどで負傷した多くのチベット人たちが病院に行けずに苦しんでいる。病院側が受け入れないとの情報もあり、また、病院に行って逮捕されることを恐れて行けない人も多いとか。この人たちが適切な手当てを受けられるように訴える日。それぞれが工夫して、包帯、トイレットペーパー等を巻くとかして、負傷者の姿で行進する。
 4月17日、デリーにオリンピック公式トーチが来る日。チベット人はデリーのジャンタールマンタールに集まり、トーチリレー自体の妨害はせず、その中に留まって訴える。法王はじめチベット人はオリンピックの開催そのものには反対しない。しかし中国が自ら五輪誘致時に公約している、人権状況を改善するという約束を守ってほしい、と訴える。委員会としては、トーチには一切近付かない。「他の誰かかがそうすることもありえるが……」とも。
 飛んで4月25日はパンチェン・ラマ11世(ゲンドゥン・チュキ・ニマ青年)の誕生日に当たる。この日も、各地にそれぞれ集まり、パンチェンラマの解放を訴える。
 次いで4月26、27、28日の3日間、そのうち28日は、3月10日から数えて四十九日に当たる。そこで、チベット仏教の習慣に従い四十九日法要を行う。

 以上、覚えてる範囲ですが、これがこれからのこの委員会の行動計画です。日本のダライラマ法王事務所からもおそらく発表があると思います。確かめて下さい。報告はまだあるのですが、今長い停電なのでバッテリーが切れそうです。
 いったんここまでを送ります。

 (※)チベット武力制圧後、チベット亡命政府が主導して立ち上げた、グチュスムやSFTなどのチベット人グループを横断的にまとめた組織。コミッティーのチベット語名称を日本語に直訳すると「チベット政府民間緊急行政委員会」といったところ。

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チベットでもやっぱり四十九日があるんですね。大阪の友人たちが「ちょうど四十九日前後に当たるから」と、お経を上げられる人を探してチベット問題アピール行動を計画してるのは、正しかったんだなあ。



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2008年03月30日

チェーンハンガーストライキに加わりました。

8764deec.JPG  今日午後2時から、日本人5人がチェーンハンガーストライキに加わりました。
 明日の2時までです。
 他の皆と、お経を唱え続けています。とりあえず現場から。

 プェーゲェールローー!(チベットに勝利を!) 日チベ連帯!
 31日午後2時(日本時間同午後5時半)までですね。応援の国際携帯電話を!
 直接の面識のない方だけど、北京五輪非公式チベット選手団「チーム・チベット」のユニフォームの黒ジャージがカッコイイです。もらった画像、特にモザイクとかかけなかったけど……いいよね、“民主主義の国”“言論の自由のある国”日本からのメンバーだし……?


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 過日、お世話になってるチベ界の大先輩から「大丈夫? やせてない?」と労っていただきました。
 今から1週間前くらい、半日ごとに事態が動いてわーっとなっていた数日間は、気付いたら昼食も夕食も食べ損ねて、眠れなくて結局朝までメールの応対に追われたなんて日もあって、あの日は自分でもびっくりしたけど一晩で体重が1kg減ってました。鏡見たら、目の周りがごっそり落ち窪んで目の下はどす黒く充血して、ちょっとした遺体みたいなかなりヤバイことになってましたが、
もしかしてこれがホントの「チベットでダイエット」……
とか一瞬思った(いやほら「チベット式体操で痩せる!」って流行ってたんではっはっはっ)わけですが、不謹慎で誰にも言えなかったり。
 んで飢餓状態にあるとリバウンドがくるわけで、翌日普通にご飯食べて一晩寝たら、すぐに1.5kg戻りました。人体の神秘。つーか増えてるし。
 てな感じで壊れつつ元気です……大先生、ご心配ありがとうございました。



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(4月1日追記)
 日本人ハンガーストライキの報告です。無事、終了したようです。ゴミ収集場の横だったんですか、あの写真。ううむ。犬も来るなあ……。お疲れ様でした。
 み……水も飲めなかったんですか! ゆっくり体を休めて下さい……。 

 さて、昨日(3月30日)はハンガーストライキでしたが……とにかく夜眠れなかった。
 チベット人たちは夜遅くまで、話したり、お経唱えたりでした。それが終わったころから、あたりの野犬たちが大勢集まり、お祭り騒ぎを始めました。場所はどこかはっきり判りますか? 寺(ツクラカン)の門の前下に向かう道との三叉路の上公衆トイレの上、塵収集場のすぐ横です。この野犬の喧嘩や遠吠えが朝まで続きました。
 そうそうあと一つ。仲間の日本人が水を飲もうとしたら「水はだめだよ」と言われました。「え! 水もだめなの! 飲むのもだめなの!」とその日本人は驚き、がっかりしたようでした。断食中は、体のためを思うなら水を沢山飲むべきと思うのですが……。まあ1日だし、いいかね。
 私は(午後2時の)終わりも近づいたころ、ダライラマ法王が来られるというので通信社の記者に付き合いその場を離れました。それがそのまま飲まず食わず午後4時まで。余計なハンスト延長でした。
 法王は、皆が集まって例の念誦会を続けてるところに自ら加わられ、1時間ほど、様々な祈願のお経を上げられました。道すがらに記者が話しかけましたが、その時は何も答えられませんでした。
 2日前、デリーから帰られた時は、大勢のチベット人が寺の前、ハンストをやってる場所で珍しく車から降りられ、ハンストをやってる人たちみんなを激励し、「これは抗議の仕方のうちいいやり方だ、金もかからないし ハハハ! 何より静かで平和的手段だ」とおっしゃいました。

 そりゃぁ盛り上がりますなハンストも。
 うん、やっぱり、ダラムサラにいるチベット人は、法王のもとで暮らしている、というだけで、本土チベタンより数段、なんというか言葉が見つからないけど、報われてる? 実感があるのかも知れないな、と思いました。
 アムドでチベット国旗を掲げていた青年や、ジョカンで涙を流していたお坊さんが、いつかギャワリンポチェから直接、一言でいい、「苦労したな、つらかったな」と言葉を掛けられる機会があってほしいな、とふと思います。
 ……ところで、「なにより静かだ」って。連日のデモのコールがパレスまで届いてて「またやってるなぁ」とか思ってたんでしょーか、法王は(笑)

 メールには、追伸も。

 そうだ、さっきのハンガーストライキの場所がひどかったことの話のついでに、眠れない夜に思い出したことの一つ。
 そういえばこの場所はかつて、リチャード・ギアに頼まれて“マクロード美化計画の一環”として私が図面を書いた場所だったな、と。このツクラカンに至る三叉路に「リチャードギア広場」(?)を作ろうと、測量して、楽しい広場を図面にまでしたのでした。が、結局、インドの営繕部がそれでは自分たちに入るはずのいつもの余剰金が無くなるというので、こんな汚らしい広場ができたのでした。

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 はははは(^^;;;



rftibet at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)うらルンタ プラス 

2008年03月29日

情報消耗戦

 昨日から、町の壁新聞に貼られた写真です。
 もしかして、もう見られているならすみません。
カナダ発です。中国兵がそれぞれ僧衣を抱えている写真です。これは<僧侶の暴動>を中国が演出した証拠だとしています。

 メールからするに、ダラムサラはこの写真の話でもちきりのよう。

 (3月31日追記して公開)
 この写真を引用した記事は、その後、日本でも話題になりました。

 チベット僧になりすまそうとする中国警官の写真がイギリスのメディアでさらされてました。
http://buddhism.kalachakranet.org/chinese-orchestrating-riots-tibet.htm
(3/30)

 buddhism.kalachakranet.org/の発信元はよく分からなかったけど、サイトを見ると、記事を発信しているのは「Canada Free Press」。ただ、ダラムサラのチラシと同じ写真には、こっちはキャプション(説明文)がついていて、

This is not an uncommon 'tactical move' from the Chinese government, as could be seen on the back-cover of the 2003 annual TCHRD Report This photo was apparently made when monks refused to play as actors in a movie, so soldiers were ordered to put on robes.
(これは中国政府の珍しい“戦略的移動”ではなく、2003年発行のTCHRD Report(チベット人権民主センター年次報告書)の裏表紙にあるもので、映画撮影の際に僧侶が役者として演じることを拒否した際に軍人が僧衣を身に着けるよう命令された)←ひどい和訳ですいません

 となってます。

 ダラムサラから送られてきたチラシの英文、ちゃんと読んでないんだけど、上の説明と食い違っているようで、なんとなく不安。まち全体が、ざわざわとした雰囲気の中、テレビやラジオだけでは情報が不足していて、壁新聞への張り出しや、友人知人からの口コミで情報が広がっているんだなあ、と思います。(写真は、一緒にもらったダラムサラの街中の様子。いつもは「ボランティア募集」とかレストランの宣伝、イベント案内なんかが貼られている道沿いが、壁新聞コーナーになってます。ついでにXXちゃんも^^)
 本当の出来事や真実が公的メディアに決して載らないチベット本土では(いや、中国では、と言い換えてもいいかもしれない)、新聞やテレビなんてものよりも、人から聞いた話のほうが数倍正しくて詳しくて、野火のように、風のように広まっていくものなんですが、今はやっぱり状況が状況で、ネットもあるから情報源が錯綜して、いろんなものが入ってくるんだろうなあ。
 中国側にコントロールされた情報ばかりが先行しているせいで「今ある情報は信じられない」という雰囲気があって、ある意味チベット寄りの情報に飛びつきやすくなってるのだろうけど、何もかもが中国政府(と漢民族)のせいで仕組まれたことで、チベット人は絶対的に正しい(人を殴ったり焼き討ちをしたり略奪したりしない)と思い込むのは危険じゃないかと思う。まぁ、中国側は逆に、国内向けに「欧米メディアは事実をねじまげて報道し、中国の国威を貶めている」というキャンペーンを張りはじめたようで、なんかね、もう。

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チベット亡命政府「ラサで数千人規模のデモ」
2008年03月29日23時31分
 インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府によると、中国チベット自治区ラサで29日、再び大規模なデモがあった。14日に騒乱が始まったラサはその後、当局の鎮圧で抗議行動は収まっていた。
 同政府によると、29日午後2時ごろ、チベット人らが市内中心部のラモチェ寺の前に集まってデモを始め、数千人規模になった。しかし、中国軍の車両によって中止させられたという。
http://www.asahi.com/international/update/
0329/TKY200803290275.html



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2008年03月27日

ネルレンカン(難民一時収容所)

bcc0234f.JPG 朝方、ネルレンカン(難民一時収容所)に行って来ました。屋上に小さな子供たちが集まって、みんな絵を描いていました。その後ろには獄中27年のあのアマアデさん(アデ・タポンツァン女史)が、じっと座って子供たちの様子を眺めていました。

 壁に貼られていた子供たちの絵があまりに衝撃的だったので、全部写真に撮りました。一部を送ります。いつか全部送って、日本で見せられるとといいと思います。
 楽しい絵は残念ながら全くなくて、チベットでチベットの僧侶が殺される絵、デモでつかまり連れて行かれるところ、家族が泣いているところ、雪山を越える途中で撃たれるチベット人とかです。
 そこには10人ぐらいの子供たちがいました。中の2人に話を聞きました。一番年長と思われるソナム・ノルブ君はナクチュ(アムド)の出身、14歳。5日前にダラムサラに着いたそうです。
 去年の9月、一度ナンパラ経由で越境を試みたが途中で捕まり、2度目の今年はXX(うらるんた注:具体的地名を伏せます)経由で無事成功したそうです。
 去年つかまった時の話を少し詳しく聞きました。
 ラサに集まった越境グループは65人。うち子供は25〜26人で、最年少は5歳、最年長は15歳だったそうです。ラサからティングリ(中国名定日)までは車で行き、そこから徒歩。歩くのは夜。暗がりで子供がはぐれたりしてなかなか進まない。5日目の昼、みんなで昼食をとっていた時、突然中国の警察隊が大勢現れ、全員逮捕されたそうです。
 ティングリの拘置所に5日入れられ、それからシガツェの監獄に送られた。そこに半月入れられたあと、子供たちはみんな解放された。でも大人たちはそのままだった。そのとき1000人ぐらいのチベット人が同じように捕まって監獄にいるのを見たそうです。その後村に返されたけど、何度も警察が来るし、嫌なことばかりされるので、両親はラサに移り、自分もまたインドに送られたのだ、と話していました。
 ラサの状況を知るすべはあまりないようで「今ラサが大変なことになっているとみんなが話してる。ラサにいる両親のことが心配だ」と話していました。

 もう一人はカム出身のテンジン君(仮名)10歳。彼だけは僧衣を着ています。これから南のセラ僧院に行って勉強するのだそうです。彼も2度目でやっとここにたどり着いたのだそうです。
 去年の夏、両親と3人、家族だけで、カイラス山の近くからネパールに越えようとしたのですが、何日か歩いた後、途中道で会った外人の旅行者から、この先にはたくさんの中国軍がいるから行かないほうがいいと言われ、諦めて引き返したそうです。
 今年は自分だけがインドに行って僧になり、勉強するように言われて、また国境を越えようとした。今度は国境の近くまで車で行き、そこからは夜歩いた。途中大きな川に丸太が2本掛けてあるだけのとこを渡るときは怖かった。もっと小さい子は大人の背中に負われて渡った。中国の警察が追いかけて来るような気がして怖かった。お腹がすいた。外で寝るのは寒かった。とも話していました。
 今はダラムサラに着けてうれしい、早くダライラマ法王に会いたいそうです。
 お母さんに会いたくないか? 帰りたいとは思わないか? と聞くと、今帰ったら殴られるから帰らない。ちゃんと勉強するまでは帰るなと言われてる、とのことでした。
 今現在も、国境を越えてくる難民は、子供だけでも毎年1000人近いのです。
 写真1枚目は、僧侶がダライラマを非難するよう強制されているという絵です。中国の警官が法王の写真を踏みつけています。実際、この「ダライ・ラマを誹謗しないと僧でいられない」という制度に対する怒りが、今度の騒動の大きな原因のひとつと考えます。
 もう1枚の絵は峠を越えるとき、チベット人が中国軍に打たれて倒れるという絵です。

 ダラムサラでは今日も今からデモが始まります。 ハンガーストライキや寺での夜通しの念誦会も続いています。

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 「顔分からないように」とモザイクかけたけれど、なんとも言えない気持ちです。やや眉をひそめて口元をかみ締め、何かに耐えるような表情でカメラの向こうを突き刺すように見ている視線とか、ほとんどが隠されてしまいます。10歳のあどけない子供にこんな表情をさせてはいけない、と涙が出てくるような写真なのです。モザイクかけてしまうとほとんど伝わらないと思うのですが、それだけ書き添えておきます。



rftibet at 19:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)子供の絵  

2008年03月26日

チベット・フリーダム・トーチ出発

7603f2e7.JPG  先ほど午後2時半にTibetan Youth Congress(チベット青年会議)主催の「チベット独立トーチリレー2008」が、ダラムサラのTYCの建物の前から始まりました。
 例の統一委員会(※亡命政府主導で立ち上げられた、武力弾圧に抗議するためのチベット人の共同組織)の了承はとってあるようですが、ほぼ独自の企画のようです。もちろんスローガンとしては、激しく「チベットに自由を!」「チベットに完全独立を!」でした。
 命名(チベット・フリーダム・トーチ)からしてそうなのです。
 今日から5大陸を走り抜け、8月8日にラサに到着の予定だそうです。詳しい日程はTYCのページに乗ってるはずです。
 日本は7月12日となっていますが……。ロプサン(ワンギャル氏)の「チベタン・オリンピック・トーチ」をこの前やってますよね……ま、先の話ですが。
 それにしてもこのグループのはロプサンのとは違って相当過激なことを計画してるかもしれませんね。また一つ話題が(ともしびが)増えたと思えば、いくらトーチがあってもいいのかな?
 これから、午後5時からはツクラカンの前庭で、中国製品を燃やす派手な催しがあるそうです。

 3月10日にギリシャで採火しようとしてトラブルになった、ってニュースになってた聖火ね……って、へっ? 7月12日に日本!?
 念のためチベット青年会議のサイトやチベット・フリーダム・トーチの特設サイトなどをチェックするも、それらしい記述はなし。どうなるんだ、気になる……。



rftibet at 18:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年03月25日

ナンシー ペロジ女史ダラムサラ訪問

eaa1cc48.JPG  やっと写真が添付できました。
 12人の議員のうち、10人は民主党、2人は共和党だそうです。なかでもこのなかの1人でカリフォルニアのジョージ・ミラーとかいう人が特に人気があるとか。
 もう1枚は、手作りのプラカードを持って会場に来ていたTCV(難民学校:チベット子供村)の2人。

 昨日(22日)のアリ(「アリ」とはアメリカのことです。ここのチベット語です)から来たナンシー女史はアリでナンバー3、女性では最高の地位にある人だそうです。いっしょに12人もの議員が来たのです。ダラムサラの町中には、時ならぬアリの国旗が突然溢れました。

 実際アメリカの下院議員連盟が中国に対し何ができるか疑問ではありましょうが、まずはチベット人は大喜びした訳です。
 議員連のすぐ後ろにギャリ・リンポチェの姿がありました。この前のゴールデンメダルの授賞式の時も姿をお見かけしました。ロビイストとしては彼がチベット一でしょう。現在いるチベット人の中で一番頭の切れる、生まれつきの政治家だと思います。

 ナンシー関連の日本の報道をみていて、毎日新聞の記事はひとつ気になります。ダラムサラ発のようになっていますが、まだ毎日の人には会っていません。
 記事にナンシー女史の発言として 
「チベットの独立を信じる世界の人々が中国の鎮圧行動に対して声を上げなければ、(独立を達成する)力は失われる」と述べた。
 とありますが、これではまるで、ダライラマ法王が独立を主張していて、それを支持しようと呼びかけた、という意味になりますよね。私はその場にいましたが、ノートにはそんなことを言った箇所はどこにも見当たりません。「Free Tibetを」とも言ってません。不可解です。

 とにかく彼女は「チベット問題により、今世界の良心が試されているのだ」ということを強調してたようでした。
 チベット人の間では、彼女はこの後すぐに北京に行くそうだ、という噂が流れ、中国との対話のために具体的なことをしてくれるような期待が高まっていました。でも、実際は、「デリーに来たついでに、昔から一度来たいと思っていたので、今度来た」程度の話だったようです。

 また今デモが始まったようです。昨日(22日)は夕方まで静かで、暗くなってからキャンドルデモがありました。昨日今日とインドはホーリーです。それで今日もデモはないのかなと思っていました。毎回1000人ぐらいの参加者でしょうか。まだまだこちらは勢いを失ってはいないようです。
 ハンガーストライキには、昨日は40人ぐらいのまだ幼さの残るTCVの学生たちが加わっていました。夜になって冷え込んで、みんな毛布にくるまってくっついて寝ていました。

 記事はこれですね。
 チベット暴動:米下院議長、国際的な調査求める ダライ・ラマと会談

 チベット暴動:米下院議長、国際的な調査求める ダライ・ラマと会談
 【ダラムサラ(インド北部)栗XXX】米国のペロシ下院議長ら議員団が21日、インド・ダラムサラを訪れ、チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世らチベット亡命政府首脳と会談した。中国チベット自治区での暴動発生以降、外国要人がダライ・ラマと会談するのは初めて。会談後、共同会見に臨んだペロシ議長は、今回の暴動について国際的な調査を求める一方、中国と亡命政府の対話の必要性も訴えた。
 ペロシ議長は対中強硬派として知られ、チベット問題でも中国に厳しい態度を取っている。ペロシ議長がダライ・ラマと会談したことで、中国が米国への反発を強める可能性もある。
 ペロシ議長は会見で「国際調査では、ダライ・ラマと暴動との関連性がないことが分かるだろう」と亡命政府側を擁護した。
 さらに「中国は外国人ジャーナリストらがチベット自治区に入ることを認めるべきだ」と語った。議長のダラムサラ訪問は暴動発生前から計画されていたという。
 会談に先立ち、ペロシ議長は仏教寺院で亡命チベット人ら約5000人を前に演説し、「私たちはチベットの人々と悲しみを共有するためにここにいる」と強調。「チベットの独立を信じる世界の人々が中国の鎮圧行動に対して声を上げなければ、(独立を達成する)力は失われる」と述べた。 毎日新聞 2008年3月22日 東京朝刊

 「亡命チベット人ら5000人」のなかに日本人もいた訳すか。記事がなんでそうなったのかは私程度には分からないけど……とりあえずここで「違うってよ」って書いておこう。
 画像の手前にテレビカメラとかずらっと並んでいるのを見て、昨秋ジャーナリストとして日本に招かれて会ったプルブ君やダセル君やジグメさんたちはどうしているだろう、つらい仕事だろうな、と思い起こしました。



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2008年03月24日

街中の張り紙

7796a88a.JPG写真は2枚とも街の張り紙です。

 ダラムサラからは、街中に張られているいろんな張り紙から、2枚選んで撮ってくれたものがメールで。
 1枚目は、下の引用にもあるけど、西北民族大のデモだそうです。顔! 顔出てる!! と焦ったけど、印刷された張り紙を撮った写真だからさすがに拡大してもディテールわかんなくなってたのでほっとしてこのままアップ。
 西北民族大はチベ友の1人(日本人)がかつて留学していたところ。その友人からは「もう信じられない」と泣き出しそうなメール届きました。うん、私も、もし、西南民族大(←私が留学してたところ)でデモ、とか聞いたら絶対泣く。もう考えただけで泣く。

 そんで、張り紙の写真みてまた涙。
 デモ、って、ただ並んで歩いてるだけじゃん。チベット国旗も、フリーチベットのなんかの意匠も、彼らには手に入れるすべさえなくて、Tシャツに手形で何か表現したりしてみたんだ、きっと。こんなのが「組織的国家反逆罪」?で逮捕されちゃう国って、どうよ、もう。

 もう1枚は日本語。
 チベット語か英語で張られた張り紙を、訳すことのできる日本人Yさんが、日本人に読めるように、打ち直して張り出したんだそうです。
 ああ、もったいない、ダラムサラの日本人にももちろん読んでほしいけど、データごと原本の張り紙と一緒に日本に送ってくれー、TSNJのサイトでもどこでも、上げて皆に読んでもらうから……。

  1枚は3月16日夕方、蘭州にある西北民族大学の1000人以上の学生がデモした時のものです。チベット語で彼らの叫んだスローガンが書かれています。
 <チベットに自由を!><チベットに民主主義を!>
 そしてもうひとつは<チェソクニラプチェンイン>とあります。
 訳せば、<この身一つが武器なのだ!>となりましょうか。つまり素手で命をかけて訴える、ということでしょう。
 彼らが今どうなっているかは考えるのも恐ろしいことなのです。
 多くのチベット人が命をかけて叫んでいます。まずは世界はこの声に耳を傾けるべきです。
 22日にも、カムやアムドの町や村で数百人規模のデモが起きているというニュースが入っています。アムドのマルクルタンでのデモでは、デモ隊と武装して待ち構える警備隊が衝突する直前、地元で尊敬を集める高僧が間に入り、衝突は免れた、というニュースも入っています。

 もう一枚はアムド5区の報告です。Y....さんが日本語にしたようです。転記するのが面倒なのでこのまま読んでみてください。自殺者の名簿とかね、、、


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 一方で。
 自由の国であるはずの日本にいてさえ、表だって声を上げられず、ただ涙を流しているチベット人も多いのです。
 「家族に電話したら○○○と言っていた」――そう言うだけで、本土の家族は、外国の“反革命分裂主義者”に情報を提供したとして「国家分裂罪」に問われかねない、そもそも海外からの着信記録はすべてマークされ、通話はすべて録音される、という。
 先日会ったチベット人の友人たちも、「○○さんが『もう掛けてくるな』と言われたそうだ」「○○さんも『電話は危ない』と言われ、電話はすぐ切れたらしい」と不安そうに情報交換していました。
 友人から届いたメールに涙。

 チベット人が望む、そしてダライラマ法王のおっしゃる中道の道を貫き通し、一番いい形で終結することを心から願ってやみません。
 今日、故郷に連絡をしたところ、寺院と学校は軍に包囲されているということでした。
 そして、学校のチベット人の先生が急に亡くなったとの知らせもありました。
 昨日の夜まではとっても元気だったとのこと、心臓病(心不全?)だということですが、信じられません。
 そしてチベット人はどこへ行っても白い目で見られる、とも言っていたようです。
 チベット本土にいるチベット人が、これから先、かなりつらい状況に置かれることは、目に見えています。それを日本で活動している人にも伝えてください。
 ルンタの名のごとく、風の馬がチベットに本当に平和を運んでくれることを心から祈っています。

(うらるんた一部削除及び補足追記)

 どこにいっても白い目でみられる、というのは、差別や偏見を受けている、という意味ではなく、どこにいても何をしていても暴動を計画しているのではないかという疑いの目でみられ、何かそれらしいことがあったら通報して抑え込もうと考える漢人や当局側の人たちがいて、チベット人同士の会話に隣の人が耳をすませていたり、海外からの情報を集めているのではないか、法王の写真を持っていないか、監視されている状態にある――ということかもしれないと思う。
 海外に家族がいるチベット人や、海外に行った経験のあるチベット人は特に監視が厳しい、とか、自宅に家宅捜索が入った、とも聞きます。

 もうひとり、表立って声を上げられない――本土出身のチベット人男性と結婚した友人からも。

 旦那は「チベット人は死ぬ事を全く怖がってないから、これからも死者は増えると思う」と言ってます。目に涙いっぱいうかべて黙ってご飯食べてる旦那にかけてあげる言葉もみつからず、つらいです。

 いてもたってもいられない、何もしないと他のチベット人から「なんでだ」って言われるかもしれない、と言ってましたけど、出身とか境遇とか家族の仕事とか国籍とか日本のビザとか……状況は一人ひとり違うのだから、耐えること、待つことも「抵抗する」手段の一つだから。できる人ができることをします。SFTのツェリンドルジェ君とかはそういう気持ちで自分が名前と顔を公表したんだと思います。



rftibet at 18:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年03月23日

ハンガーストライキと念誦会

fe3d3064.JPG9日目に入ったハンガーストライキの写真。
 今日は尼さんのグループとソガロプタ(transit School)のグループに分かれていました。

 写真には「チベットの雰囲気あるいい男だね」と添え書きつき。くっ、私の好みのタイプを見透かされているか……(と本音冗談はは置いといて)。
 ソガ・ロプタは、新しく整備された、義務教育年齢を超えて亡命してきた難民が3年間、英語とチベット語とヒンディー語を学ぶことができる学校。高等教育の機会というより、異郷インドで生活していくための最低限の知識と語学力を身につけることが最優先されている。「トランジット・スクール」という英語名なのはそのため。
 チベット人がチベット語を学ばなくてはならないのは、地方ごとの言葉(方言)の差異が強いのも一つの理由だけど、きちんとチベット語教育を受けられず、チベット文字の読み書きが苦手なチベット人も多いことが悲しい。
 チベット難民社会は「教育」整備を最優先政策にしてきたけれど、それはやはり15歳以下の義務教育年齢の子供たちが基礎教育を受ける機会を保障することが優先で、16歳以上の青年たちは長いこと、独学するか、授業料を払って私塾に通うか、とにかく自分でなんとかしなければならなかった。その点はソガ・ロプタができてかなりマシにはなったけど、この学校の環境が悪いことで有名で、宿舎が足りなくて1つのベッドで3人が寝てたり、夏には病気が蔓延したり。3年間通えるんだけど、1年とかそのへんで脱落して自分からやめてしまう青年も多い。あと、亡命してきたばかりの難民だから、行動も厳しく制限されて、自由に外出や外泊ができなかったり。
 とにかく、つまり、写真の、座り込みをしている青年たちは、ごくごく最近までチベット本土にいて、チベット本来の勉強をしたいとかダライラマ法王に会いたいとか外国にあこがれたとか、とにかく何らかの理由でチベットを逃れてきた人たちばかりなわけで。
 いま故郷はどうなっているのか、家族は無事か、自分が亡命したことが理由で取調べを受けたりしていないか――さまざまな心配が脳裏をよぎってのハンガーストライキ参加なんだ、と、彼らの心中を思うと切ない。


ツクラカンの念誦会
 もう一枚は昨日から始まったツクラカンのマニサガ(念誦会)の様子。
 法王と政府のイニシアティブではじめられた今回のマニサガ。一般の人は観音の真言であるオムマニペメフンを1億回、僧尼はターラ菩薩の長いバージョン、ドルマネルティックを同じく1億回。
 オムマニペメフンはまだしも、ドルマネルティックの方は1回がお経4枚分はあるのです。何人でやるか、何日でやるのかによる訳ですが、3週間の予定とか。もちろん夜寝てては時間が足りないので、夜中も交代制で24時間途切れなく唱え続けるのだそうです。
 プルブという降魔タイプのこわいのも唱えられています。般若心経のグループもいるとか。
 全員で唱える様は怒涛の如し、迫力がありますよ。よく見れば一般の参加者はほとんど年寄りです。デモに行けないお年寄りも参加できる抗議念誦会とも言えますかね。
 雪山の向こうのチベットには今、デモに参加し、連れて行かれた息子や親戚の安否を気遣う年寄りたちの祈りの声が満ちていることでしょう。
 心清いこの人たちの真実の祈りが世界中に届きますように。
 おやすみなさい。

 い、1億回! チベットの祈りは想像を絶するものがあるけれど、けど。
 あと、メールでは、ダラムサラ日本人決起集会と名付けて日本人会が開かれたというちょっとほのぼの報告も。長期滞在者、在住者、旅行者含めたら20人もいるんですか! うは。

 20人集まった。日本人グループのハンガーストライキ参加は来週日曜日の予定! 志願者は私入れてたった3人!(その日になればもっと増えるかも?)ついでに頭も剃るかも。
 最近、この抵抗坊主頭ファッションが流行ってます。みんな競って頭を丸めています。TCHRDの男全員が剃ったのが始まりでした。特にうけるのは国旗を顔と頭全体に描くことです!
 それとツクラカンのマニサガに行くと言っている日本人も数人いました。



rftibet at 18:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年03月22日

関西テレビ

昨日の話だけど、昼過ぎ、ダラムサラから突然国際電話。うわっ。
 「さっき関西テレビからインタビュー受けた。午後5時からのニュースで流れるって。どれくらいか分からないけど、20分くらいしゃべったから」
 ええぇぇ……ここ、仙台です。
 「東北地方はたぶん関西テレビ映らない」と言うと、すごく残念そうだった。私も残念! 誰か録画していないかなあ? といっても、ドキュメンタリーやドラマじゃなく、ニュースワイドみたいな番組を録ってる人はいないわなぁ。

 で、もっと驚いたのはその後。
 17時20分くらいに、Web公開している裏ルンタのアドレスにメールが。
 「読売テレビ『ウェークアップ!ぷらす』だが、関西テレビのニュースをみてメールした。インタビューをお願いしたい。明日朝8時の番組なので早急に連絡を」
 速攻か!! ……で、ほぉー確かに放映されたんだ、と妙なところに感心。
 しかし、ニュースでインタビュー流れてものの数分で検索でたどりついた人からメールが来るなんて、どんな話をしたんだろう? 了承取って電話番号伝える。

 今日朝8時からの番組だそう。
 自分はそのころ新幹線で東京に向かってるので見られませんが、「まだ家にいる」という人、「関西だから東京の集会は関係ない」という人、誰かDVDに撮ってほしいなあ、と。


 フライデーに、2月に新宿で会ったフォトジャーナリスト野田さんのクレジット。おー、無事掲載されてよかった。野田さんからは「26日発売のSAPIOに載ります」という連絡も。



rftibet at 15:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)うらルンタ プラス 

2008年03月21日

また今、デモ隊が下の町まで

a033f1b5.JPGまた今、デモ隊が下の町まで降りて行きました。
 とにかく一日中歩きながら叫び続けていないと、じっとしてると心をコントロールできないのでしょう。
 実際出身の僧院や地方が立ち上がり、家族が逮捕されたり犠牲者となった人がいるわけですから、じっとしてられないはずです。

 余談に思うに、チベット人は元来叫ぶことに慣れてるし、それが無意識のトラスト快感になっているが如きにも思える。広大な土地で叫び合ったり歌い合ったりしてた人たちだから。
 だっていくらなんでも一日中叫び続けるのは、もう普通じゃない。何人も失神してる。ドーパミン過剰状態です。
 例えばうちのレストランでもだいたいマチェンは大声で歌い続けるじゃないですか。
 
 ところで、今日もレストランは閉店です。開けると石が飛んでくるとか。
 いつまで続くのかな? この稼ぎ時にね。朝は閉めるかどうか判らず、開ける頃になって、閉めろーーー!!! とさながら愚連隊状態の旗振り隊が街中を走り回ったりする。
 そのたびに朝用意したパンや食材がだいなしになるので、レストランのマネージャーやスタッフも困った顔になってます。普段温厚な1人でさえ、チベット人は馬鹿だ!ともいっております。

 マチェンって厨房の男性スタッフだっけ? そんな歌ってたか。はは。
 メールには、レストランは情報交換の場でもあるから、せっかく世界中からいろんな人が集まってきている時に、レストランが開いているだけで様々な情報を持った人が集まってくるのに、閉めていては出会いもないし情報も得られないし、もったいないなあ、とも書かれていました。ふむ。
 日本のメディアもずいぶん来ているようです。私もこっちで新聞広げて、【ダラムサラ(インド北部)=○○○○】なんてクレジットを見ると、あー記者が行ってるんだな、ルンタ・レストランやってたら間違いなく和定食を食べに来てくれたかもなー、などと思ってますもん。

 あと、こちらは、18日にいただいたまま、ちょうどその時の私が忙しすぎて、そのままになってしまった、ダラムサラからのもう1通のメール。
 チベット人が、「チベット人だ」ってことを再確認しているんだなあ、と思わされたり、そういうことができない「中の人」はいまどんな気持ちで日々いるんだろうか……と思ったり。

 昨日、図書館の私の先生の仏教クラスに行った時。
 珍しく先生も本気の顔して、クラスのみんなに紙を一枚配りました。
 それは亡命政府が「チベット人のアピール」として配っているものでした。
 以下に訳します。

 中国政府はダライラマ法王に対し以下の批判をしている。
 1.法王はチベットの真の自治を求めているにもかかわらず、中国はダライラマを分裂主義者と非難する。
 2.法王は民主主義を標榜するにもかかわらず、中国は法王が古い封建制度を復活しようとしていると非難する。
 3.法王は北京オリンピックを支持しているにもかかわらず、中国は法王がオリンピックに反対していると非難する。
 我々は国連、各人権擁護団体、ならびに世界中の自由を愛する国々に対し、真正な証人として行動することを、これらの中国政府の非難は根拠のない、嘘偽りであることを自ら確認することを要請する。
 チベット人の真理と正義のための戦いは、チベットと中国が相互平和条約を結ぶまで終わらないであろう。我々は非暴力のデモ、平和的行進を続ける。
 我々は世界中の国々に対し、我々の正義を支持し、平和的キャンペーンを妨害しないことを要請する。
 以上。
 ……つまり、やめる気は全くないということですかね? 
 法王はインタビューのなかで、「止めるなと中から電話が入ってる」「私に従わないのは民主主義が生きている証拠だ」とかおっしゃり、「止めることは私にはできない」ともおっしゃっていました。
 尤も他の質問の中では「沈静化することを望む」ともおっしゃっていましたけど。

 またデモの声が聞こえ始めたよ。



rftibet at 18:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年03月20日

カンパ、草原を疾るデモ

37869623.JPGテンパラ!! パサンラ!
 ……ダラムサラから届いた写真に、うぉぅ、と変な声出る。知り合いが、まったく見たことのない表情で映ってた。
 普段はルンタ・レストランで働いている、グチュスム(9-10-3Movement of Tibet)のメンバーが、ダラムサラでのデモを先導した写真。グチュスムのオフィスの人たちももちろんいる。
 手首を手錠でつながれ、血の色に染まったぼろぼろのシャツを着るパフォーマンスで、武力行使への抗議を叫ぶテンパ君たちの表情は、興奮するとか、怒るとか、憤るとかいうよりも、悲しみや切なさに満ちているように見えるのは、彼ら自身が中国政府に投獄されて、拷問を受けて、故郷を離れざるを得なかった人たちだから、……かと。
 ラサ郊外に生まれた彼は、幼い頃に出家して、日本人にもなじみ深い地元の寺院で修行していて、1987年と1989年の反政府デモ――そう、今回、もののニュースとかで「89年以来20年ぶりの大きな暴動」とか言われる、あの当時のこと――に参加。まだ若くて、いったん逮捕されたら将来どうなるかとかまで考えず、正義感のままにデモに加わり、逮捕。糞尿の中で暮らすような、人間のプライドをずたずたにされる3年間の投獄生活を送り、釈放後、寺院に戻ることが許されず、1992年、ヒマラヤを越えたんだそう。
 彼自身は命は助かったけれど、尊敬する親戚のおじさんを失った。
 学校の教科書に漢字しかなかった当時(※今はもうちょっとマシではあるらしい)、チベット文字の読み書きや物語、歌や歴史など、チベットとは何か、を教えてくれた、周囲からも尊敬されている僧侶だったという。その人は89年、チベットの旗を持って隊列の先頭に立ち、逮捕され、自分で歩くこともできない状態で村に帰ってきて、そのまま苦しんで亡くなったんだという。
 そして、インドでの亡命生活だって、楽園というわけじゃない。先は見えないし、困った人を互いに助け合うチベットの良さは(故郷にに比べれば)薄れ、皆他人を出し抜いておいしい思いをすることにきゅうきゅうとしているし、どこかに出て行くことばかり考えてざわついているし……。
 「デモに、参加しなければよかった?」
 「いや、そうは……わからない」

 ……去年12月、ダラムサラでそんな会話をした時は、きっと私も彼も、本土で再び、チベットが銃火で蹂躙されるときが来るなんて想像していなかった。
 彼の脳裏には、自分の受けたつらい体験と、ニュース映像に映る、チベット国旗を掲げて僧衣をひるがえし、晴れやかな表情で大通りを突っ切る若いお坊さんたちの姿が重ね合わされているに違いない、と思うんだ。
 なんてつらいんだろう。

 ルンタ・レストランからのメールも切なく。

 ルンタも既に一週間、店を閉めています。
 地元、インドの人は無反応。
 チベット人のお店が閉まっているので、稼いでいるという様子。

 日中のデモ行進。夜の灯明行列。町中にあふれる惨殺されたお坊さん達の写真。
 さすがにドライで仕事を神聖視する日本人の私も、レストランの営業はできない感じです。何よりも、チベット人のスタッフにとって、この数日、仕事に時間を割かせるのは間違っている、そういう空気の毎日です。

 チベット本土で、今、そしてこれから流される血、苦痛を思うといてもたってもいられません。

 2枚目の画像、ダラムサラの人々が歩いているのは、ふだんは旅行者ばかりが目立つテンプルロード。後方に映っているカフェは、SFT日本のツェリンさんが以前、日本食レストラン「エミエミカフェ」を開いていた辺りですよ。
 見慣れた、見覚えのある風景に、撃ち殺された僧侶の写真を掲げて歩く人たち。
 もうなんといえばいいんだろう。
 ただ、死なないでほしい、としか考えられません。それが感傷的だとか情緒的でしかないと言われようとも。


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 もう1通、ダラムサラから。
 いただいたメール、皆で読んでます、と報告したら、プレスカードを申請して、ダライ・ラマ法王のプレスカンファレンス(記者会見)にも入れる準備を整えたとのこと。うらやましい……とか思っている場合じゃない。
 日本でも、何もなくても官房長官は1日1回記者会見してるし、何か(例えば誘拐事件とか)起きたら捜査本部長はのべつ記者会見するものだけど、ダライ・ラマ法王も、そういう「責任者の責任」として、連日メディアの前に姿をさらしているわけで。
 法王からは、“中国政府のチベット批判に対するチベット亡命政府としての見解”なんか聞くより、人間の生きる意味について、とか、なぜ憎しみは生まれるのか、なんていう根本的な問いについて話してほしい、と思っちゃう私。

 4時からは亡命政府のプレコン。
 亡命政府は<Tibetan Solidarity Committee>と名付ける新しい緊急委員会のようなものを作るとか。これからのすべてのチベット人の政治活動はこの委員会の方針に従う、のだそうです。で、青年会議(TYC:チベタン・ユース・コングレス)とか、9-10-3(グチュスム)とかの団体は1日猶予を置いて政府に回答するとのことでした。分裂せず、一致団結してこの難治を乗り越えようとの提案ですが。さて明日どうなるでしょうか。
 記者から民主的でない。中国の法王批判のターゲットをつくるようなものじゃないのか?といろいろ質問がありました。
 要するに平和主義、中道路線に統一するということでしょう。
 デモのスローガンも変えるとか言ってました。
 明日は米下院の民主党の議長が来るのでまた1日中大変でしょう。彼女はこのあと北京に飛ぶとか? ダラムサラ中がアリの国旗で溢れることでしょう。話し合いの機会を作ろうというのでしょうかね?

 なんとなく、ざわついているダラムサラが思い浮かびます。
 ところで「アリの国旗」ってなんだろう。アメリカのことかな? ※ちなみチベット語でアメリカは「ユーエス」(英語由来)でも「メイゴー」(漢語由来)でもなく「アメリカ」で日本語と同じ^^)


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カムの騎馬デモ隊 ところで夜、NHKつけっぱなしの職場のテレビで、「暴動 さらに広がり」というニュースの時に、ちらっと、チュバ姿の男たちが馬で草原を疾走する姿が! 
 思わず「うわぁー?」と変な声出た。何、あれ、「暴動」? なにそのチベット人。めちゃくちゃ格好イイよ!
 と思ったら、ダラムサラでも言ってた。

 それにしても今日BBCで見た、カムの男たちが馬で疾走するデモは最高でしたね! まさにこれぞチベットの男の戦い。
 ……ではありますが、素手で突撃する決死隊のようにも見えました。

 ……うん。
 しかしとにかくもう1回見たくて、ダラムサラで流れたというBBC映像が上がっていないかと、夜中、ホントはそれどころじゃないのにクソ忙しいのにYouTube検索して、出てこず。
 どこかにないのかなぁカンパデモ。(はっ、私、もしかしてカンパ萌え属性が……!? この非常時に萌えてる場合じゃないんだが……)

 でも、ダラムサラでも、気持ちは同じだったみたい。ははは。

 夜の集会のビデオで、カムでの馬でのデモの様子やチベット国旗が挙げられたシーンが映しだされると、会場全員が、雄たけびを上げて喜んでいました


rftibet at 18:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)うらルンタ プラス 

2008年03月12日

アプライジング・デーinダラムサラ

9924d5d9.JPGダラムサラの知人から、3月10日の現地の様子の写真をいただいたのでご紹介。
 あ、熱いー……。
 左の画像はたぶん、ダウン・ダラムサラに向かってジョギバラよりさらに坂を下ったあたりでしょうか(コルラ道にしては道幅が広いし)。巨大なチベット国旗のほかに「チベタン・オリンピック」の大プラカードも見えます。あれ、白いドレスシャツに長髪をポニーテールにしている兄さんはチベ五輪プロデューサーのロプサン・ワンギャル本人だったりして? ははは。 
 右の画像はそのアップ。「チベタン・オリンピック」目立つなあ。そういえば、ダラムサラの3・10マーチは、チベタン・オリンピックのトーチリレーも兼ねていたのでした。どっかにトーチ持ったランナーもいるのではないかと思いますが、この熱気で埋もれているのでしょうか……。

メールによると、

昨日の夜も今日の朝もデモしていました。

とのこと。在住10年以上の知人が「これまでになく大きな規模のデモでした」と言うのですから、相当に大勢の人が集まったのだろうなあと思います。

 右の画像は、よく分からないけど、すっかりダウン・ダラムサラに下りて、乗り合いバスが止まっていたりするあたり……でしょうか。普段はチベット人の姿の目立たない、インド人の街がこんな風になるとは……。
 右の写真、印象的なのは、全身にペイントして雄叫びを上げる若いチベタンももちろんですが、その横で、やや暑そうにチベット国旗を日よけがわりにしてたり、男性の後ろで、ほんとに普通の普段着姿で歩きながら声を上げているふつーのおばさん・おねぇちゃんの姿です。
 難民の町は、およそ“政治活動”なんてものとは縁のなさそうな、できるならそんなことには関わりたくないよ、という市井の人たちが行進に加わらざるをえないほどの閉塞感に覆われているんだ、と思ったりするのです。
 ……そして、たぶん、それは本土も同じ状況なのかもしれない、と思ったりもするのでした。



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