2008年05月

2008年05月31日

ラサ ラモチェ僧侶逮捕、S・ストーン、中国とは

0b2fc60f.JPGラサのラモチェ僧院と言えば、3月14日ラサ動乱の時デモ出発点の一つであり、この付近では武装部隊の無差別発砲により大勢のチベット人が亡くなった場所である
その後多数の僧侶が逮捕された。
今も残された僧侶に対する当局側の執拗ないじめは続いているようだ。


4月7日には多数の僧侶が逮捕されたという。そのうち5人を除いた僧侶たちは17日間の拘留の後一旦釈放された。
しかしまた、5月26日3名の僧侶が逮捕されたという。
逮捕された僧侶の名はプチュン、ダドゥルもう一人のメルド出身の僧侶の名は不明。
逮捕容疑は外国に通じて情報を流したことだという。
中国側は何度も僧院に押し掛けては残りの僧侶を逮捕しようとするが、常に僧侶側の激しい抵抗に遭っているという。
しかし双方の緊張は高まっており、不測の事態が起こらないことを祈る、
以上5月30日付委員会リリースより。


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日本から入ってくる最近のチベット関係のニュースはシャロン.ストーンが「地震はカルマよ」と言ったことを中国が激怒、一斉に激しくいつものヒステリー症状を露にして彼女を攻撃した、という話ばかり。(本当は三峡ダムのせいと言えばもっと違った効果を期待できたろうに!)
効果抜群で、とうとう彼女を謝らせることにも成功したとか。
中国は国内だけでは物足りず、海外にまで言論の自由廃止運動を広めようとしているらしい。実際、北朝鮮、ビルマ、アフリカではこれが受けている。
自分たちも我慢しているんだ、お前らも仲間になれ、と言いたくなるもの解るけど、その動物的反応だけはどうにかならないのかね。


昨日何気なしに、中国の四川放送(ダラムサラのケーブルテレビにはラサ放送だって入るのだ)を見ていたら、丁度地震関係の放送をやっていた。
次から次へとやらせ見え見えのシーンばかりが続く、軍隊がダム決壊を回避すべくせっせと働く様子、空を飛ぶヘリ、病人を政府要人が見舞う様子、緊急物資が届く様子、それを感謝する民衆。
間に入る市民へのインタビューではみんなオームのように中国政府の働きを讃える言葉を続ける。
見ていて本気に吐き気がして来た。
口をハイジャックされた人々。
めくらにされた人々。
こんな人たちが12億人もいるとは!
もっともきっと心はまだハイジャックされていない人も多いかも(期待)?
その場合は本当のところは数億人程度かな?

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中国はグーグル等のオンライン地図サービスに対して以下のごとくの通達を出したとか。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=31&id=502766

「グーグル」閉鎖の危機!オンライン地図の「機密漏えい」を徹底調査―中国
(Record China - 05月29日 21:23)

以下一部、
29日、オンライン地図サービス「グーグルアース」など20数サイトが中国の国家機密保持を脅かすとして、政府各部門から、年内に改善しなければ削除すると言い渡されている。写真はグーグルのロゴ。
2008年5月29日、新華社通信(電子版)によると、オンライン地図サービス「グーグルアース(Google Earth)」など20数サイトが中国の国家機密保持を脅かすとして、国家測絵局(測量地図機関)、外交部、公安部など8部門から、年末まで改善しなければ削除すると言い渡されている。


李部長はまた、オンライン地図の違法性2点を強調。1点は、「台湾を独立国家として表示する、南シナ海の南沙・西沙諸島、東シナ海の尖閣諸島(中国名:釣魚島)を中国領土として表示しない」問題。もう1点は、「国家機密に関わる重要な軍事基地や原子力潜水艦などが撮影される」問題としている。


そんなに隠していたいものだらけの中国なのですよね。
悪いことをしているとき人は誰でもそうしたがるもの。
もっともアメリカの衛星撃ち落とさない限り、いずれ全部見られていることはいっしょでしょうに。
でもやはり私たち達が見れるかどうかの違いは大きいが、もっともダラムサラじゃグーグルアースなんてシャレたもの使えないけど。

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最後にだめ押しの中国の記事をご紹介します。
http://www.people.ne.jp/a/1334b1ba68944a4583059163c59c84ff

以下を読むにつけ、本当にこんなの相手にまともな話など出来るのかいな!?と思ってしまう。
地震のために中国に寄付するために世界中のチベット人が募金活動をしてるというのにだ。


ダライが「中国の人権問題」を証言?(2)

ここ最近、ダライ(ダライ・ラマ14世)はドイツや英国など欧州各国を訪ね、いたるところで無責任な発言をしている。中国政府と中国の人民が震災救援に全力を注いでいる時に、ダライは目の前に発生している人権保護にはなんら実質的な貢献をせず、「人権」を、自らを粉飾し、中国政府にプレッシャーをかける武器としていることを忘れていない。

 その例として、ダライはドイツのメディアに対し、拉薩(ラサ)で起こった「3.14」暴力事件の中国政府の法的処置を「鎮圧」と呼び、英メディアに対しては「中国政府には『道徳的な権威』が欠けている」と発言。英ブランウン首相との会談では「西蔵(チベット)は『文化的大虐殺』に遭っている。これが『人権を破壊する』中国政府のやり方だ」と訴え、中国に対して「さらにプレッシャーをかける」よう要求した。

 「人権への関心」を幾度となく口にするダライは、かつて自分が統治していたあの政教一致、封建農奴制の上に立った旧西蔵が極めて残酷であり、人口の90%以上を占める農奴には最低限の生存権さえも保障されておらず、西蔵史上において誰もが認める人権の暗黒期だったことを忘れたのだろうか。ダライが画策・扇動した「3.14」暴力事件は各民族からなる住民の生存権・財産権・発展権を破壊し、vその人権を踏みにじった。

 人権問題について、悪名を歴史に記録され、いまでもデマ三昧のダライが、何の資格があっていわゆる「中国の人権問題」を「証言」するのか?また、どのような「道徳的権威」から中国の人権事業を非難するのか?

 ダライにとって(四川大地震が発生した)この時にこそ、もっと実際の行動で誠意を示すべきだ。真に祖国分裂の活動を止め、暴力活動の画策・扇動を止め、北京五輪を破壊する活動を止めること、そして中央政府との次の話し合いに向けてその条件を作り出すことこそが、彼にとって唯一の解決策だ。しかし、様々な事実が明らかにするように、ダライはなお分裂活動を停止していない。その上、「人権」は彼にとって分裂活動を行う隠れみのでしかないのだ。(編集KA)


 「人民網日本語版」 2008年05月29日


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それにしても何でどの新聞も、チベットの中でこんなにも毎日尼僧の決死の抗議とか、拷問死とか起こっているのに報道しないのか!?
現地からの電話は信じられなくて、北京の新華社伝なら信用して報道しても良いが日本の常識なのか?
やっぱ、人が大勢死なない限り扱えないという訳でしょう。


明日朝ダライラマ法王がダラムサラにお帰りになる!

6月5,6日ツクラカンで法王のティーチングがある





rftibet at 19:30|PermalinkComments(8)TrackBack(0)チベット内地情報 

2008年05月30日

ミラレパの詩を一つ

6dee4b3b.JPG朝方のブログの最後の方に少し触れた<ミラレパ>という音にすぐに反応したある人の要望に応えて、ちょっとだけミラレパの詩の一節をご紹介いたします。
相当昔に訳したものです。
チベット人の心を知るにも、人の心を知るにも、自分の心(人生)を知るにも少し役立つはずです。


ミラレパほどチベット人に親しまれている行者、詩人はいないでしょう。多くのチベット人が多くの詩歌を暗唱しています。

ダライラマ法王もここ数年に渡り、新年の長い法話の合間を縫って「ミラレパの十万歌」のルン(説明なしで、ある特定のお経等を全文読み聞かせることにより、教えを伝授すること)を今年終了されました。

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ミラレパ(1040〜1123)はその生涯を厳しい苦行と洞窟での瞑想に費やし、ついに完全な悟りに至ったと言われる
残された宗教詩は『ミラグルブム(ミラレパの十万歌)*1』として弟子達によりまとめられた。

その中から有名な『 キラレパとの出会い』の章の始まり、 『 鹿と狩人』と呼ばれる一節より;


 尊師*2に帰依いたす。
 ジェツン・ミラレパは、親しい弟子たちを各々の瞑想場に残し、独りネパールとチベットの境にある ニ・シャン・グル・タと呼ばれる遥かな山上の瞑想場に向かった。道は険しく、雲が湧き、深い霧に覆われ、絶えまなく雪や雨に打たれた。右手には険しい崖があり野獣の叫び声が響き、上空には禿鷹が舞っていた。
左手には厚く緑に覆われた美しい草原の丘があり、そこには鹿やゴワ(チベタン・ガゼル)やナワ(チベタン・ブルーシープ)等が互いに、優しく気持ちよさそうに遊ぶ姿が見られた。
行く手には心地よい森があり、様々な花が咲き乱れる中を、ラグーンや猿が軽快に飛び回り、孔雀や雷鳥等の様々な美しい鳥たちが例えばキュルルルーと鳴き交わしながら飛び交っていた。
 洞窟の辺りでは渓流の音、雪渓から滴る水の音などが重なりあい、優しく響きあっていた。

この洞窟はカタヤと呼ばれ、備えるべき瞑想場の条件をすべて満たした、人里離れた静かで喜ばしいところであった。
ここでミラレパは、善なる鬼神達の庇護を受け、<川の流れのサマーディ(三昧)>の日々を送っていた。

 ある日、遠くから犬の吠える声が聞こえ、続いて大きな音がした。
ミラレパは「今日まで、この場所は瞑想に相応しい所だったが、さて邪魔が入りそうだな」と思った。
そして洞窟から出て、近くの大きな岩の上に座し、<非無縁の慈悲*4>に溶けいった。
しばらくして、いくつもの矢を受け血を流す黒い鹿が、恐怖の様で目の前に現れた。これを見てミラレパの心には耐え難い、深い哀れみの情が込み上げてきた。

「前世の因果によりこのような動物の身に生まれ、今生ではいかなる罪深いことも犯してはいないのに、このような耐え難い苦しみを受けねばならぬとは、何と哀れなこと! いざ、この鹿に大乗の教えを説き、永遠の至福に導くべし」と思い、鹿に歌い掛けた。


ロ・ダク・マルパ尊師に頂礼す

生きとし生けるものの苦しみを救いたまえ!
鋭い角持つ鹿よ、私の歌に耳傾けよ!
お前は今、外に現れた何ものかから 逃れようとするばかりに
内なる無明と迷いから 己を解き放つ機会を得ない

悔やみ悲しまず お前の心と体を忘れよ!
今こそ内なる無明と迷いを 捨て去る時だ
熟した業の力は素早く強い 迷いの体のまま疾走し、いかに業果を逃れよう
逃れたくば 心の精髄の中に逃れよ
逃走したくば 悟りの場へと疾走せよ
他の逃げ場はすべてまやかしでしかない

まやかしの心をすべて破壊し 私とともにここで静かに暮らすがよい
今お前の心には、死が堪え難いものとして現れ
山を越えれば助かる、こちら側にいれば捕まってしまう
この恐れと期待の故に、お前は輪廻に彷徨う

されば今、お前に<ナローパの六ヨーガ*4>を教え
<マハームードラ*5>の瞑想を伝授しよう


この歌は凡天(ブラフマン)の調べのごとくに、心地良く、声のとどくいかなる有情の耳をも魅惑するような声で歌われた。
ミラレパの慈悲を受け、鹿は恐れと苦しみから解放された。
目から涙を流しながら、側にやってきて、衣をなめ、ミラレパの左側に座りくつろいだ。

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訳注 *1 日本語訳として『ミラレパの十万歌』おおえまさのり訳、めるくまーる社、1983年発行があるが現在絶版。これはGarma C.C. Changの英訳本1962年発行からの翻訳であるが、なかなかの名訳と思う。
今回の翻訳はルペー・ゲルツェン(1452〜1507)編、シェリック・パルカン1994年版のチベット原文を底本とした試訳である。

*2 ここで呼び掛けられている『尊師』とはマルパ(1012〜1097)のこと。マルパはインドから密教の教典を多く持ち帰り、翻訳し、多くの弟子を持った。チベットでのカーギュ派の祖師となった。
ミラレパは若い頃の悪行を悔い弟子となったが、マルパは初めその悪行の浄化のためにと、建設などの苦行を強いた。 

*3 チベットの仏教教学では『慈悲』を、
1『有情を見る慈悲』、
2『法を見る慈悲』、
3『非無縁の慈悲』と分ける。
2は無常の理解と共にある慈悲、3は空の理解と共にある慈悲、1はその他一般に対象を苦しみから救いたいとの思いである。

*4 ナローパはマルパのインドでの師であり、多くの密教の教えをマルパに与えた。
六ヨーガとは
1熱のヨーガ、
2夢のヨーガ、
3幻身のヨーガ、
4バルド(中有)のヨーガ、
5転移のヨーガ、
6光りのヨーガ、でありチャクラ(インドの伝統的生理学に基づいた神経叢)やプラーナ(気)を使った究境次第のヨーガである。

*5 「大印(大いなる印)」と訳される。チベット仏教では日本と比較して「空」の理解は「慈悲」と共に非常に大事とされ、行の中心とされる。カーギュ派に伝えられた止観双運による「空の瞑想」が「マハームードラ」とよばれる。同等のものとしてニンマ派に「ゾクチェン」、サキャ派に「ラムデ」、ゲルクに「ラクトン(時に同じくマハームドラーと呼ばれることも)」がある。

rftibet at 18:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)仏教 

再びカンゼ3人の尼僧デモ、マルカム爆破容疑で5人逮捕、ティングリでも

076e9178.JPGまず昨日も28日の出来事としてお伝えしたカンゼの女性一人デモの、そのつい一時間前にも尼僧3人によるデモがあったという。
例の女性は21歳だったのです。

以下TCHRDより、Y女史訳
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080529.html
TCHRD 2008年5月29日 リリース

中国当局、カンゼでの平和的抗議行動に発砲

TCHRD(チベット人権民主化センター)はここ2、3週間、特にカンゼ郡各地の尼僧院からの多くの尼僧達による抗議活動について、文書でお伝えしてきた。

TCHRDに寄せられた信頼できる情報筋からの最新報告では、ドカル尼僧院の尼僧三
名と女生徒一名
が平和的抗議活動を行った容疑で、昨日カンゼ郡公安省により逮
捕された。

三名の尼僧の氏名は次の通り。
サンギェ・ラモ尼 (26歳、カンゼ郡セルチュテン街区ドゥンガ村のキャキャ
テンツァン家出身)
ツェワン・カンド尼 (38歳、カンゼ郡セルチュテン街区ドゥンガ村出身)
イェシェ・ランドン尼 (24歳、カンゼ郡ツォジ村出身)

三名の現在の状況は現時点では不明。

この三名によるデモのおよそ一時間後、一人の女性によるデモが行われた。この
女性は、カンゼ郡ティンカ街区ラケイ村タポツェン家出身のリンチェン・ラモ、21
。郡中央役所で、禁じられたチベット国旗を振り回しながら、尼僧達と同じよ
うなスローガンを叫んだ。

その場に居合わせた証人によると、郡の治安部隊が発砲。リンチェン・ラモが撃
たれたか負傷したかについて、はっきりとした情報はない。しかしながら、彼女
の短い抗議の後、保安省職員が郡中央役所の前でリンチェンを拘束したことは確
認されている

別の証言によると、リンチェン・ラモは顔や体から流血していたが、それが治安部隊
による激しい殴打によるものか、あるいは発砲によるものかについては、確認で
きなかったという。リンチェンの現在の居所については不明。怪我を負っている
ことは確認されており、彼女は早急に医療措置を施される必要がある。

カンゼ郡では当局が政治的抗議者への弾圧をさらに強めようと治安部隊の配置を
増やしており、現在の状況はきわめて緊迫していることがわかっている。


TCHRDは、平和的なデモを行っているチベット人に残虐な武力弾圧を加えている中
国治安部隊に対して、最大限の抗議の意を表明する。TCHRDはまた、中国政府に対
して、世界人権宣言に謳われている基本的人権を行使したことにより逮捕・拘束
されているすべてのチベット人を釈放するよう、強く求める。この基本的人権は
中国憲法のみならず中国自身が署名・調印している多くの国際条約において、保
障されているものである。

(以上)


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さらに、カム、マルカムでは4月初めの大規模なデモの最中に4つの小さな爆発があったというが、その事件の嫌疑で多数の逮捕者がでているという。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21429&article=Tibetan+Monks+Linked+to+Blasts


このデモと爆発は4月6,7日に起こった。
しかし爆発は小規模でありけが人も出ていないという。
これに関連して
5月14日、マルカムのウーセル僧院から5人の僧侶
Tenphel, 19; Riyang, 21; Choegyal, 23; Lobsang, 19; and Tenzin Tsampa, 19.
ケンルン僧院から11人の僧侶
Lobdra, 15; Namgyal, 18; Butruk, 13; Jamyang Lodroe, 15; Tsepak Namgyal, 15; Kalsang Tashi, 17; Jamdrub, 21; Wangchuk, 22; Penpa Gyaltsen, 26; Pasang Tashi, 30; and Lhamo Tsang.
二人の俗人が逮捕された。
Dargye Garwatsang, 19, and Konchog Tenzin, 21.

さらに5月24日にはガンサル僧院の僧侶5人も逮捕された
Gonpo, 20; Choedrub, 25; Palden, 30; Ngawang Phuntsok, 17; and Kunga, 20.

この地域にも5月に入り<愛国再教育キャンペーン>が強化されているという。
これらの逮捕も愛国教育に絡んだものとの情報もあり、爆発との関連は定かではない。

ま、爆発自体も果たしてチベット人がやったのかは怪しいところと思う。


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さらにもう一つ、
http://www.stoptibetcrisis.net/pr290508.html

29日付の委員会リリースによれば、

あのチョモランマのチベット側ベースに程近く、ラサ〜カトマンドゥルート上にあることで、日本人の旅行者の間でもチョモランマを写真に撮ったり、昼食取ったりの場所として、有名な<ティングリ>からも逮捕者が出ました。

<愛国教育>中法王を誹謗中傷することを拒んだとして、ティングリ シェルカー僧院の僧侶12人が逮捕されたという。
内4人は現在ティングリ拘置所に収監されているが、残りの8人はすでにシガツェに移送されたという。












rftibet at 17:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

パルデン ギャツォ (著)『雪の下の炎』復刊運動

fc77d37e.jpg今、映画化されて、世界中から注目を浴びつつある名著があります。

と言って友人からのメール。
昨日ジェノサイド裁判の話でも紹介したバルデン ギャツォ氏の著書の話です。
復刊することを促すサイトが有るそうです。

元チベット政治犯の証言集と言えば、私たちルンタプレジェクトでも今度の<子供の会の展示会>に間に合うよう、獄中生活27年の「ジャンパ プンツォ氏の証言」(長いですが59年に向けてと、そののちチベットが経験しなければいけなかった悲劇の歴史が良く解るので、ぜひ読まれることを再度お勧めします9
http://www.lung-ta.org/testimony/jampa.htmlを中心に証言集を出版しようとしています。

写真は1988年3月3日 ジャンパ プンツォ氏が一人再び声を上げた時の貴重な写真です

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『雪の下の炎』
パルデン ギャツォ (著)

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アマゾンの紹介文:(「MARC」データベースより)
28歳のチベット僧は身に覚えのない容疑で中国政府に逮捕された。
そして33年間にわたる投獄。想像を絶する苛酷な獄中生活の末の釈放。
圧政者の前に決して屈することのなかった僧の、祈りと怒りの衝撃の自伝。
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映画公式サイト
http://www.fireunderthesnow.com/

予告編 (動画・迫力あります、ぜひご覧ください。)
http://www.fireunderthesnow.com/index.php?v=Trailer(監督はSasa Makoto さんという若き日本人女性。日本での公開予定は未定)

パルデン・ギャツォ師は先ごろ、チベット人ジェノサイド裁判の証人として
スペイン最高裁での法廷に立って証言されています。

しかしながら、この邦訳本、日本では現在、絶版になってしまっています。
皆さんの力で、復刊させませんか?!

http://www.fukkan.com/
↑「復刊ドットコム」では、絶版本の希望者を募ってある程度人数が集まったら
、出版社と復刊を交渉してくれるサービスです(無料)。

『雪の下の炎』も、すでに登録されています。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=41791

チベット人で拷問にあった人の体験談、といえば、商業出版では専門書を除けば

アデさんかパルデンさんの自伝ぐらいしか情報がありません。
インターネットから情報を得る人はまだ一部の層に限られており、
書籍という信頼ある形でチベット人の証言が世に出る意義は大きいと考えます。

復刊ドットコムへのメンバー登録は無料です。
趣旨にご賛同いただける皆様にはぜひメンバー登録をしていただき、
『雪の下の炎』に一票、投じていただけますと幸いです。

#また、口コミやブログでも広めていただけると、嬉しいです。
#よかったら、ブログやメールに転載して、宣伝してください。
#大勢からの反響がある方が、復刊ドットコムさんにも
#出版社への交渉を進めていただきやすい、と思われます。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

なお、「復刊ドットコム」にはチベット特集ページもあります。
http://www.fukkan.com/fk/GroupList?gno=1944

======(引用・転載ここまで)====================================

まるで余談だけど、
この最後のチベット特集ページを開くと、そこには
「ミラレパの十万歌」もあった。
いつかは、近いうちに、チベット語より翻訳しようと思ってる本なので、復刊には複雑な心境。



rftibet at 12:02|PermalinkComments(4)TrackBack(0)その他 

2008年05月29日

続チベッタンジェノサイド裁判

03991f52.JPG先の5月20日のブログでも紹介した。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-05.html?p=2#20080522

中国共産党によるチベット人に対するジェノサイド

の真偽を審理する、正式な裁判がスペインのマドリッドで開かれている。

このことについて、今回の裁判に証人として出廷し、すでにダラムサラに帰ってきたた、ジャンペル モンラム氏にちょっと話を聞いてみた。

ちょっとと言っても彼は早口でまくしたてる癖があるので、たくさん聞いたように思う。ノート取れない早さなので今はあまり内容を覚えてない、、、

「それでみんな英語できない者ばかりだったけど、通訳付いたの?」
「シェルパの一人が付いてやったよ」
「へーシェルパ!それにしても君の早口じゃ大変だったろうね」
「大丈夫さ、ちゃんとみんな録音してたからさ」

「パルデン ギャンツォは得意の入れ歯抜きを披露するし、バクドは泣くしで、
ほんまに笑ったよ、、、は冗談だよ。書くなよ!」ヒヒヒ、、、
二人をよく知る人のみに通じるダジャレ。

「それにしても今までは監獄に入って中国にむちゃくちゃやられても、言いに行くとこがなかったから、随分悔しい思いをし続けてきた。
もちろん今までにも国連の人権委員会とかにも訴え何度も何人もが証人として証言してきた。
でも国連じゃいつも中国の力に負けてしまう。
国連だって国際裁判機関に対しこのことについて審理するように勧告してきたのだ。
スペインにはこの国際裁判を行う権限が有るという。
これからもたくさんの元政治犯が証人として呼ばれるだろう。
我々は真実しか語らない。ほとんどは元僧侶化、尼僧だしね。
これはチベット問題の新しい展開だと思って期待してるよ」

この時のパルデン ギャンツォ氏の話を
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21272から引用する。
「50年に渡る同朋チベット人に対する中国のジェノサイド。
軍事侵略によりすでに100万人以上が殺された。
ここに至って遂に真理を裁く裁判所が我々の苦しみに耳を傾けて下さるという。
かつてチベットの監獄で日々拷問を受けていたころの私の夢は
数へ切れぬほどのチベットの兄弟だちが耐えねばならなかった恐怖をいつかある日
裁判所で証言することだった」


ところで誰を相手に訴えているかというと:
もちろんフーチンタオを含めて
seven former Chinese leaders are accused of genocide, torture, crimes against humanity and terrorism, including former President, Jiang Zemin, and former Prime Minister, Li Peng,
なのだそうです。全員の名前は記されていません。

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嘗て確か7,8年前、ダラムサラに資料館を新しく作る計画があった。私は設計を担当するだけではあったが、友人のイスラエル人が企画の中心だったので、企画にも少し関わった。その資料館は今完成してツクラカンの入口近くに<チベットミュージアム>と言う看板の下に開いてる。
この資料館の初めの名前は<チベット ジェノサイドミュージアム>だった。
それで私も仕事を引き受けたのだ。
しかし結局名前も内容もトーンを落とされてしまった。
誰が?政府がそのような方針だったから。
亡命政府はこれまで自分から<ジェノサイド>という言葉を使うことを避けてきたところがある。
でも今はもうダライラマ法王だって<カルチャージェノサイド>という言葉を使われている。
私は昔から<ジェノサイド>と考えてた。

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そのうちフーチンタオも死刑という日が来るかも!?
日本にはこんな真似できないよね、、、もちろん。

それにしても少し遅すぎる。
それまでチベットが持ってくれることを祈るよ。







rftibet at 17:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

中国の武装軍団に一人立ち向かうカモ(カムの女性)の勇気

746638a6.JPG昨日28日の出来事。

女一人で大勢の武装警官隊に立ち向かうにはどれほどの勇気が要るのか。
そのあと、どれほどの耐え難い拷問が待っているかを知っていながらに尚を声を上げないではいられない、、事情とは?、、、


http://www.stoptibetcrisis.net/pr280508.html
連帯委員会 2008年5月28日 リリース
Y女史訳

確認された情報によると、5月28日午前10時頃(現地時刻)、チベット人女
性リンチェン・ラモ・タポンツェンが、カンゼの街で一人中国に対して抗議行動を行った。
短い抗議の間、彼女は叫んだ。

チベット独立!」
「ダライ・ラマ法王様のチベットへのご帰還を!」
「中国国民は、元のお国へお帰りください!」


叫びながら、リンチェンはチベット国旗を掲げ、チラシを配った。
彼女は武装治安部隊によってたちまち逮捕され、凶暴な殴打にさらされ、口と鼻から血が流れ、その顔は血だらけだった
と目撃者は語った。
中国警察がリンチェン・ラモを連行していく時、周りにいたチベット人達から彼女の即時釈放を求める声が上がった、しかしその後すぐに銃声が響いたという。
武装治安部隊に実際撃たれた者が何名いるのかについては未だ不明である。

チベット全域は未だに厳しい軍の統制下に置かれており、特に僧院は厳戒下にある。「愛国教育」運動はチベット高原全域にて実施され続けている。
この(中国式)教育運動の一環として、チベットの人々は次のような極度に捏造されたプロパガンダに晒されている――過去のチベットは「暗黒の封建社会」で、寛大なる共産党がチベット人に「幸福」をもたらした、というものだ。
小学生でさえ、この「分離主義への対抗」と「ダライ・ラマ批判」を推し進めようとする運動から逃れることはできない。
子供達は共産党を賛美する作文を繰り返し書かされ続けている

ゾゲにあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院から逮捕された24名の僧侶のうち
、8名は釈放されたが、残り16名は拘束され続けている。

700名以上の僧侶が起居しているアバのキルティ僧院においては、3月28日以来続
く中国武装部隊による襲撃により、120万元(約1800万円)以上の価値のある品々が治安部隊によって略奪・没収されたという。
さらに、この僧院のチベット大蔵経典テンギュル(論書)/カンギュル(経典)を含めた貴重な経典類を始め、多くの歴史的芸術品も甚大な破損を被ったという。

チベットでは、誰かが亡くなると残った家族は亡くなった者のため、必ず死後四十
九日
までの間、その死者がよき転生を遂げられるように祈りを続ける。
近所の僧院の僧侶が、こうした祈りの儀式を執り行う。
しかし、中国当局により僧侶達の自由な移動は制限されており、信者達も事実上、お互いのつながりを断たれている。
大昔から行われてきたチベット人にとってはとても大切な宗教的な儀式や社会的な慣習を自由に行う権利が、明らかに剥奪されているのだ


現在も続いているチベット域内における危機的な状況に鑑み、我々は国連および国際社会・国際機関に対して、以下の点を大至急要請する:

1. チベット域内に、独立した国際事実調査使節団を大至急派遣すること
2. 中華人民共和国政府に対して、自由な報道機関がチベット全域に無制限にアク
セスできる許可を出すよう、圧力をかけること
3. 中華人民共和国政府に、チベット全域における残虐な殺戮をやめるよう、圧力
をかけること
4. 逮捕・投獄されているすべてのチベット人を即刻釈放すること
5. 負傷したチベット人達に大至急、医療措置を施すこと
6. 人々の自由な移動を許可し、生活必需品が手に入るようにすること

チベット連帯委員会

(以上)

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悲しい話です。
<カンパ>に対して<カモ>と呼ばれるカムの女性は昔よりその勇気で名高い。
もちろんカンパも負けん気が強いから、自然に相手の女性も強くなった、、のかあるいは逆か?は知れませんがとにかくうちのレストランでもカモはめっぽう気が強い。

それにしても大勢の武装した警官に囲まれめった打ちにされ、、、哀れです。

その後の発砲は気になります。中国軍はすぐに簡単に発砲するようです。
相手を人とは思ってないふしがあります。

親族が亡くなってもまともな葬儀を行えず、49日も出せないとは!!  
チベット人にとってこれほど哀れなこともないでしょう。







rftibet at 13:05|PermalinkComments(1)TrackBack(0)チベット内地情報 

2008年05月28日

アンサンスーチンさん、TYC、放射能漏れ

0a5ed8ff.JPGビルマ(ミャンマーと呼ばない)のアンサンスーチンさんの自宅監禁がさらに一年延長されたという。

もしもこの大惨事のときに彼女が国のトップであったら、どれほどの人が、少なくとも数万人の人びとが死ななくても済んだはずだと確信する。
彼女もそのことは良く解っていることだろう。
かつての笑顔の映像を見るにつけ、今の彼女の心中を思うと哀れで仕方ない。

今年の冬ビルマに行った時、すぐにサンサンスーチンさんに会いに行こう!
と単純に考え、まずは止まったタクシーの運ちゃんに「アンサンスーチンさん知ってるよね?彼女の家まで行っとくれ」と軽く言った。
とたんに彼の顔がこわばり「No Possible!」と言って去って行かれた。
その後情報を集めるに解ったことは、地図所に彼女の自宅はプロットできるが、その周辺1キロ以内には軍隊の検問が厳しくまず近ずけないということだった。
塀越しにでも一目お姿を拝見したいと思っていたのに残念なことでありました。

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朝TYCチベット青年会議のことを少し書いたので、ついでに思い出したのは
ちょっと古い記事ですが。

チョモランマ聖火登山隊に亡命チベット人組織潜入?2人逮捕
 【北京=竹内誠一郎】世界最高峰チョモランマ(英名エベレスト、8848メ
ートル)登頂に成功した北京五輪の聖火登山隊のチベット族シェルパ2人が、亡
命チベット人団体「チベット青年会議」のメンバーとみなされ、中国当局に逮捕されていたことが23日、登山隊関係者の話で分かった。


 関係者によると、逮捕された2人は中国籍。登頂の約1か月前、インドから中
国に戻り、シェルパの仕事に就いていた。今月1日までに身元が発覚、逮捕され
たという。具体的な妨害の計画があったかは不明だ。

 今月3日には、チョモランマ山頂から直線距離で約1・3キロの章子峰(75
43メートル)で、複数の人間がライトを点灯して活動していたのも確認された
。この場所で、衛星電話による通話があったとされる。

(2008年5月24日03時04分 読売新聞)

何だか不思議な訳のわからない話です。
中国は最後にやっぱりシェルパの助けなしには登れないと判断して、身元も確かめずに彼らを雇ったのか?それとも何か彼らが中国批判を口にするなり、妨害行為を行うなりしたのか?
それにしても中国では「チベット青年会議のメンバー」と言うだけでれっきとした逮捕理由になることは確かのようです。

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次はまたまた中国の怖い核漏洩疑惑について、

大起元の記事を添付します。
何も認めない中国が認めたとは相当の出来事に違いない訳です。
大問題になる予感がします。
ま、中国も必死に隠そうとするでしょうが。

四川大地震で懸念される核施設の実態=元中国核開発関係者

文・黄慈萍(物理学者、米国在住)


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【大紀元日本5月28日】中国環境保護部長の周生賢は先日、「今回の四川大地震で32個の放射源が埋もれたが、現在そのうちの30個が回収され、残りの2個はその位置が特定され、周辺に安全措置を取ったため、問題ない」と発言したが、これを聞いてびっくりした。

 かつて核開発の仕事に携わっていた経験から、中共政権が被災地で設置された核兵器と放射源を適切に対処することができるとは思っていない。今日になって中共政権はまた、「埋もれた放射源は50個あり、そのうちの35個が既に回収された」との修正報道を流した。これを聞いて、疑問が深まると同時に、憤りも覚えた。被災地に設置された核施設について中共はよく知っているはずだが、この無責任な対応は被災地に絶滅的な災難をもたらすに違いない。

 インターネットからの情報によると、地震発生後数日経っても、軍事管制が敷かれた安県に自由に出入りすることができなかったという。地震直後、震源地から西と南方面の山に通ずる交通要路は特殊部隊によって厳戒態勢が敷かれた。さらに、山方面に走る軍の車の中に被爆防止作業着を着る兵士の姿が目撃された。

 また、中国核工業建設集団公司は地震後、施工現場で6人の作業員は死亡し、施設に被害はなかったと公表した。しかし実際、プルトニウムと核弾頭を生産する821工場は甚大な被害を受け、6人死亡、11人負傷した。中国マスコミの報道によると、救助隊は放射を恐れず821工場の核施設の強固工事を行い、被害の拡大と環境汚染の防止に大きく貢献したという。しかし、救助隊員は工事前に核施設の怖さを知らされたのだろうか。

 60年代、毛沢東は第三次世界大戦が核戦争になると断言し、西南部に山々が連なり、戦争時の絶好な銃後であると判断し、重要な軍事施設を中国西南部に移動させた。そのため、軍事工業都市と位置づけられた綿陽市に核研究施設(通称二機部)と宇宙開発企業(通称七機部)と兵器工業部の企業(通称五機部)がある。

 地震後、前国家核安全局長で、環境保護部副部長の李幹傑は幾つかの工場と施設を訪問したと報道された。その主な訪問先は以下である。

 核工業の中国核動力研究設計院(通称909所):夾江県に位置する。

 中国工程物理研究院(通称902所):中国核兵器研究基地。前身は西北核兵器研究設計院(国防第九研究院)であり、現在839核工業基地で研究開発を行っている。

 楽山核分裂研究院(通称585所):前身は長春503所であり、楽山県に位置する。

 821場:四川省広元県西北部にある。

 白龍江核基地:核弾頭を生産し、中国最大の核反応炉を製造し、プルトニウムの主要生産メーカでもある。従業員は3万人。

 221場:中国初めての核兵器研究基地である。1964年初めての原子爆弾を開発した。1968年、青海省から四川省錦陽の西南物理研究院に移動した。

 525場:峨眉機器製造工場

 814場:中国の三番目の原子力生産企業で、重水工場でもある。従業員は4万人。

 816場:ばい陵核燃料部品工場。原子弾頭を製造。

 857場:四川省江油市に位置する。中性子爆弾を製造。

 四川宇宙開発技術研究院:中国宇宙開発科学技術集団公司に属し、宇宙開発製品の生産基地、兵器開発生産基地である。

 総装備部中国空気動力発展と研究センター:本部は錦陽市に位置し、各研究所は安県の各地に分散している。

 周辺に甚大な被害を及ぼしかねないこれらの施設の被害状況と従業員の安否を公表してほしいものである。

 ※注:著者は魏京生基金会の事務局長。かつて中国で核開発の事業に携わっていた。


(翻訳/編集・高遠)




rftibet at 19:28|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他 

アムド アバ 逮捕 拷問死

2582dd42.JPGアムド・アバ(ガバ、ンガバ)と言えば、地震の震源地に近い地域であるが、
アバも広くて北のキルティゴンパのあたりでは地震被害は軽微だったようだ。

しかし、武装警察の締め付けは一向に緩む気配もないらしい。
愛国再教育に逆らったとして、逮捕されたり、デモの後の逮捕、指名手配、
そして拷問死が伝えられてきた。

今日のBBCで、アムネスティ インターナショナルが現在もっとも人権侵害の顕著な国と地域として、ビルマ、イラク、ガザ、ダルフォール、ジンバブエを上げていた。
なぜ、中国のチベット地区が入らないのか!?
何千人と言う<良心の囚人>が獄に繋がれ、日常的に拷問を受けているというのに。

何?証拠が少なすぎるって!?
それとも相手が悪すぎるって。

http://www.stoptibetcrisis.net/pr270508.html
連帯委員会 2008年5月27日 リリース

Y女史訳

2008年5月24日中国当局による極限までの拷問により、アムド県ガバ郡出身
58歳のチベット人、パルツェル・キャブが、獄中で死亡した

彼は中国政府に抗議行動を行った後、4月下旬に逮捕されていた。

同様に別の一例では、タクホという名のチベット人は拷問により両脚の骨を折られた後、病院へ運ばれたという。
さらに彼の兄弟チョーペの居所も不明のままである。
二人はガバ地区チャルパ村出身で中国警察に釈放された直後に死亡したという母親ネチュンの息子達だ

2008年5月23日、アムド県にあるアバ寺院の二人の僧侶ロブサン・ドルジェとク
ンガが、いわゆる「愛国教育」に従わなかったとして逮捕された。

タクツァン・ラモ・キルティ僧院では、中国当局が二ヶ月間「愛国教育」を続け、日々の仏教的活動が惨憺たる状態になり、ついに僧院の機能を維持できなくなった。中国当局は、平和的抗議行動にかかわった190名の僧侶を除いて、寺院内で祈
りの集会を執り行うことを承諾したが、残った僧侶達は、190名の僧侶がいないか
ぎり従うことはできないとして、拒否している。

同じくアムド県アパ地域のセ僧院では、中国当局が厳格な制限を課したことに
より、僧侶達は法要や講義を行えなくなったため、この僧院はもぬけの殻
となってしまった。

ユルキョン僧院の僧侶で、アムド、レブコンにあるキルティ僧院に学生として登
録していたジャミヤン・チュペルは、2008年3月に逮捕され、15ヶ月の拘留尋問を
宣告されたが、その申し立ての内容(逮捕された事由)は不明のままである。

また、アバ地域にある他のキルティ僧院の僧侶ルンドゥップは2008年3月に逮捕された
が、その後の彼の所在は知られていない。

別の事件では、中国当局は、三名のチベット人・リダク、メンキャブ、グソの
所在について情報をもたらした者に、一人当たり10万元(約150万円)の賞金を出す、と発表している。
このチベット人三名は2008年3月、カンゼのセルタ郡プグ・シャンで平和的なデモを行い、中国当局による逮捕から逃れている。
さらに、中国当局は彼らが投降しなかった場合は死刑に処す、としている。
5月16日、彼らの一人が中国当局に自首したという。それ以来彼は行方不明となっている。この三人のチベット人は地元のビジネスマンで、地域のチベット人にとって非常に頼れる存在だったという。

同様に、二人のチベット人、スンキャブとドゥクポ(30歳の妻がいると言われて
いる)は、セルタ郡で先ごろ平和的デモに参加したとして逮捕された。



rftibet at 17:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

チベット帰還行進これまでか!?独立派台頭?

8a1f5875.JPGRFA,Phayul.com等の伝えるところによれば、5月27日午後1:30、Pithoragarh, Uttarakhand State のBerinathにて、今度の行進を組織した、チベットのNGO5団体の代表5人が逮捕された

罪状はインド刑法151条「公衆の平安を乱すと見なされる5人以上の集会を開いた」だそうだ。
そんな法律インドにも有ったんですね!中国はもしかして2人以上とか?日本は?

これに先立ち一昨日にはダラムサラからずっとこの行進に参加し、一緒に歩き続けた5人の外人が一週間以内の国外退去を命じられた。
外人とはアメリカ3名、ノルウエー1人、ポーランド1人。
24日にはすでに解放されたというが19人逮捕されている。

ここにきて代表の5人が逮捕され、3台の車両も取り押さえられ、行く手は警官隊に阻まれている。
一時は2,300人の警官隊が押し寄せたという。
インド政府はこれ以上、この300人余りのチベット人を先に進めさせる気はないようだ。
チベット人参加者達は今相当興奮している様子なので、何か不測の事態が起こらないよう祈る。

以下このNGO 5団体の名称、団体名、逮捕された代表者とその携帯番号を記す。
1、Tibetan Youth Congress(チベット青年会議Tsewang Rigjin 0091-9805297259
2、Tibetan Woman's Association(チベット女性協会)B.Tsering 9418792810
3、Gu-Chu-Sum Association(9-10-3元政治犯の会)Ngawang Woebar 9418102483
4、National Democratic Party of Tibet(チベット国民民主党)Chime Youngdung
                               9418069179
5、Student for Free Tibet(自由チベット学生会 Tenzin Choeying 9816368335

直接話が聞きたい方は電話されるのも良いかも。もっとも今は拘束状態なので、連絡は当然むずかしでしょうが。

ことろでこの5団体のうち法王の唱える<中道路線>を採用するのは2番目の女性協会のみです。
他の4団体は所謂<独立派>に含まれます。
もちろん今の亡命チベット社会には政府外団体としてこの5団体以外にも、マイナーですが他に5団体あります。
しかし、何といってもこの中最大組織のTYCが断然の代表格オピニオンリーダーです。
亡命チベット人13万人の内2万人以上がTYCの会員です。
これは学生がほぼ自動的にこの組織に加わるからです。

3月10日以降じょじょにこの<独立派>への支持が内外のチベット人の間で増しているなと感じるのです

このことは昨日ノッチンガムでダライラマ法王自身が<懸念>として指摘されたことでもある。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21396&article=Tibetans+Losing+Faith+in+Talks%2c+says+Dalai+Lama法王は「中国がチベットの未来に対する対話に真剣な態度を示さないならば、対話に進展がない場合には、ますます私はチベット人からの信頼を失うであろう

多くのチベット人たちが(平和路線に対し)明らかな不満の兆候を示している。
平和的手段は効を奏しないではないか
」というのだ、
「もしもチベット人がこの私の主義を捨てるようなことがあれば私は法王の地位から引退するしかない」と語られた。

この辺の事情をもっと知りたい方は以下の今日付けのジャミヤン ノルブのエッセイとか読まれると良いでしょう。彼は元TYC議長でもありハッサン ツェリン氏とともに所謂<独立派>理論家の中心的存在です。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21401&article=KARMAPA+AND+THE+CRANES+%e2%80%93+Jamyang+Norbu
例えば、今度の地震についても「中国はこれはチベットから世界の目をそらすのにちょうどよい出来事とばかり、世界中に報道規制を掛け、うまく最後は募金活動にもっていった。チベット人もこれに乗って世界中で中国のために金を集めてやっている。これを見た第三者的知識人のなかには、チベット問題というのも実態は大したことはないのではないか?チベット人は中国人を助けようというのだから、、、と言った意見も出てきてる。少なくとも中国に寄付する前に、まずはビルマに寄付する方が先ではないか?」と言ったところだ。

政府もこのところTYCへの態度を硬化させているようです。
例えば今までTYCにだけ特権的に許されていた、法王がインドに帰還されるときの出迎えに、以後来てはいけないと最近お達しがあったとか。
この事実からも解るように、以前、発足当時においてはTYCとは政府の青年部のようなものだったのです。どちらももちろん<独立派>と言うより<他国に侵略された祖国を取り戻す>ということは、チベット人全員の自明の目的であったのだ。

それが、80年の胡耀邦の「独立以外の話なら何でも話し合おう」という言葉に乗って、「では独立は諦めよう」と結論した(実際にはその数年前から現実路線に入りつつあったのでした)政府と法王こそ、チベットを捨てたと青年部から非難され始めたのだ。
このとき政府と法王に対し明らかな反旗を示したのが、その時TYC議長だったハッサン ツェリン氏だ。
ちなみにこの二人は後に保守派から賞金を懸けられの張り紙が町中に貼られてたことがありました。

さてこれからどうなるのでしょうか?もっと先の話では法王が、、、、の後、武装闘争の可能性はあるのか?
その時は中国の思うつぼか?
そうなった時は、いよいよ<ちべっと>が<チベット>でなくなる時かも?
あくまで昨今のチベットサポーターのいう<ちべっと>がと言う意味です。

私がダラムサラに来た時ハッサンが計画担当者だったこともあり、この二人とは昔から親交が深かった。集まって話がチベットのことになると「今の世の中、人が死ななきゃニュースにならないのだ。チベット人で死ぬ用意のあるものは沢山いるのだ」
とよく言ってました。
それから私があまりに仏教に凝ったので「チベットは仏教に殉教した国となろう」
と信じる彼ら二人には白い目で見られ始めた。
さらに9−10−3(元政治犯の会)と関わり始めたことでなぜかさらに二人とは疎遠になった。
この二人は若き日、ムスタンゲリラに合流するも間もなく強制解散され、不完全燃焼のままここに至っている、とみるのは単純すぎるかな?
それにしても、二人ともこの社会では、頭は飛びぬけて良いし、演説がうまいのだ。



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韓国の<統一日報>の記事に
この胡耀邦の話が載っていました。
胡耀邦があのまま失脚しないで政権に留まっていれば確かにチベットの運命は大きく変わっていたかも知れないと思わせるところは有ります。
以下転載します。
もう読まれた方はパス。

「党幹部はチベットを去れ」 胡耀邦
少数民族問題直視したただ一人の総書記

 少数民族政策の過酷な現実に立ち向かった人がいる。胡耀邦だった。
 1980年2月、党総書記に就いた胡耀邦は、その3カ月後にはチベットに入った。現地を目の当たりにした彼は、その惨状に呆然としたという。漢族入植政策によるチベット文化の破壊と、チベット人の貧窮する姿が眼前にあった。胡耀邦は、その日夜、宿所の窓からポタラ宮の方を眺め瞑目したという。


1986年2月、貴州省黔西南(けんせいなん)布依族(プイぞく)・苗族(ミャオぞく)自治州を視察した胡耀邦総書記(当時)。写真中央は、胡錦濤現主席=胡耀邦史料情報ネット

 「人知れずチベットに謝罪したのでしょう。共産主義者としての矜持がそうさせたのか。胡耀邦自身の良心がそうさせたのか。おそらく両方でしょう」
 95年、吉林省で出会ったある放送局の記者が言った。彼女は、「胡耀邦は延辺に対してもそうだった」と語った。
 文革のさなか、江青から「民族主義者」と批判され非業の死を遂げた延辺朝鮮族自治州主席・朱徳海にまつわる話だった。文革後、朝鮮族が朱徳海の死を悼み、延辺市内の公園に記念碑を建てたときのことだ。
 「文革の嵐はやんでいたというのに、党は記念碑を取り壊しました。朱徳海の名誉を回復したのは胡耀邦でした。今でもはっきりと覚えています。84年5月12日でした。胡耀邦が延辺大学を視察した際、朱徳海記念館を建設せよと吉林省党幹部たちに命じたのです。彼は記念碑が破壊されたことを朝鮮族に謝罪し、現地党幹部らに対しては烈火のごとく怒ったと言います」
 チベットに赴いた胡耀邦が5月29日に共産党幹部らを集めて行った演説が残っている。
 「我々の党がチベットの人民の期待を裏切ったのだ」と始まるその演説は、並み居る幹部たちを青ざめさせたという。
 「チベット人民の生活に明らかな向上が見られないことに、我々は責任を負うべきだ。…まず、自治権の完全な行使が認められるべきだということだ。自治権とは自己決定の権利である。その自治権がなければ、現地の状況に合った政策を実施することはできない。生産工作隊が自己決定の権利を有していることを、我々は今しがた確認したではないか。われわれは皆、自己決定の権利を持っている。われわれは皆、個人的な趣味に耽る権利を有しているのだ」
 愕然とうなだれる党幹部たちに、胡耀邦はさらに、「多数の党幹部はチベットから引き上げよ」と促した。
 少数民族地域に「自治権の完全なる行使」を認める法は胡耀邦の手によって1984年5月に成立した。胡耀邦が真っ先に打った手は、チベット自治区書記に、チベット系のイ族(涼山彝)伍華精を任命したことだった。伍華精はチベットの宗教と自由を理解し重視した。「ラマ書記」と人々から呼ばれた。
 周知のように、胡耀邦は1987年1月、総書記を解任される。政治的致命傷を負ったことの一つに「少数民族政策の誤り」があったとされた。
 胡耀邦の失脚でチベットの時間の針は激しく逆回りした。胡耀邦解任に怒る僧侶たちの漢民族支配への抗議行動が波状的に起こる中、伍華精もまた更迭され、替わって書記に就いた胡錦濤が、89年の「ラサ暴動」へと発展する抗議行動を全力で鎮圧し、これを功績として総書記、国家主席の地位へと上りつめていく。
 チベットの人々に限らず、多くの少数民族は今も、事あるごとに胡耀邦を親しみと敬愛をこめ思い出す。「彼の言葉と涙にだけはうそはなかった」と。
 中国の指導者で少数民族問題を直視したのは胡耀邦をおいてほかにいない。
 今も、12億人の漢族の中で、チベットへの同情の声をあげる人はほとんどない。伝えられる限りで言えば、中国政府に抗議を表明したのは評論家の劉暁波や作家の王力ら30人ほどだけだ。
 89年のラサ暴動直後にチベットを取材したジャーナリストの竹内正右は次のように書いた。
 「ラサの寺院内を手をつないで見学する兵士たちはあの文革下、先輩の兵士たちがチベットの寺院や仏像を破壊したことなど微塵も知らぬ気である。文革後に生まれた若い人民軍兵士たちにとって、このチベットは生まれた時から自分たちのもの、としか映らないのかも知れない」
 竹内が毎日新聞(90年6月30日)に寄せたこの短いルポは、おそらくそれまでのどの記事より多くの人の目を惹いた。末文にはこう書かれた。
 「民主化運動を担ってきた中国人学生の口からは、チベット独立擁護の積極的な言葉は聴けなかった。中国の矛盾は衝けてもチベット人の痛みは分からない、と言うのだろうか。中国人青年に広い心を期待する私が悠長なのか」
 民主化を目指したはずの中国人学生の多くが、チベット騒乱のさなか、「民主化は愛国的行動で、チベット支持は祖国分裂行為」だと叫んだ。このことこそが中国の危機的状況なのかもしれない。問われているのはチベット人の「暴動」ではないことは確かだ。
 中国政府はダライ・ラマとの対話に応じるという。北京五輪を無事乗り切るための方便なのか。中国の意図は五輪閉幕後に分かるはずだ。(了)

(編集委員 梁基述)












rftibet at 13:18|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年05月27日

続くカンゼ尼僧たちの決死の抗議

429a844b.JPG以下26日付TCHRD発表分、(1)、(2)をY女史が翻訳して下さいました。
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080526.html
TCHRD 2008年5月26日リリース (1)

<中国、平和的抗議を行ったダルゲ・ハルデュ僧院の尼僧二名を逮捕、拷問

TCHRD(チベット人権民主化センター)に寄せられたチベット内の信頼できる情報
筋によると、中国治安部隊は2008年5月23日、ダルガイ・ハルデュ尼僧院の尼僧二
名をカンゼ郡役所前で平和的抗議行動を行った容疑で逮捕した。

このところ、特にカンゼ郡では様々な尼僧院からの尼僧達による平和的抗議活動が多数発生しており、同地域では尼僧の逮捕・拘束が続き、きわめて緊迫した状況となっている。

2008年5月23日には、ダルゲ・ハルデュ尼僧院の二名、
ジャンパ・ラモ尼僧 (30歳、カンゼ郡サドゥル村出身)
リンジン・ワンドン尼僧 (23歳、カンゼ郡ラリニャン村出身)

がカンゼ郡政府役所で平和的な抗議行動を行い、スローガンを叫んだ。

「ダライ・ラマ法王のチベットへの早急なご帰還を!」
「ダライ・ラマ法王にご長寿を!」
「チベットに自由を!」
「政治囚の即時釈放を!」

二人の尼僧が郡中央役所前でさらに平和的抗議を続けようとする前に、カンゼ郡
保安省の役人グループが彼女達を拘束した。
情報筋によると、二人はその場で保安省員によって激しく殴られ乱暴に扱われてから、カンゼ郡保安省拘束所へさらなる尋問のために連行されていった。
逮捕された二名の現状は不明。TCHRDは状況を見守り、この件についてさらなる情報がわかり次第、お伝えする。

以前より、カンゼ郡では、特に方々の尼僧院の尼僧達による同様な平和的抗議が多数伝えられている。
テホル・ニャゲ尼僧院、ダカル尼僧院、ガンデン・チュリン尼僧院、ゲセ尼僧院、パンリ・ナ尼僧院などである。

TCHRDは逮捕された尼僧達の今後に深い懸念を表明する。国際社会に対して中国政
府に圧力をかけ、彼女達やその他の収監・拘束されている人々が中国国内法およ
び国際人権法に基づいて即時に釈放されるよう、促すものである。
TCHRDはさらに、逮捕された尼僧達の基本的な人権を尊重するよう、中国政府に強
く要請する。尼僧達が拷問・虐待を受けることがあってはならない。囚人や拘束
者に対する拷問や虐待は、チベット域内にある国政府管理下の刑務所や拘束所に
おける特徴だからである。

(以上)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080526a.html
TCHRD 2008年5月26日リリース (2)

中国、カンゼ郡で抗議を行った尼僧4名を逮捕

TCHRD(チベット人権民主化センター)に寄せられた信頼できる情報によると、中
国当局はカンゼ郡で抗議活動を行ったチベット人尼僧4名を逮捕した。

2008年5月22日午後6時頃(北京標準時)、カンゼ郡テホルにあるニィモ・ゲセ尼僧院の4人の尼僧が、郡中央役所前で平和的抗議行動を行った。彼女達は、昨今
の平和的な抗議を行ったチベット人に対する弾圧や、チベット人が刑務所に
不法に拘束され続けていることに対して、抗議の声を上げた。

4名の尼僧達は郡中央役所に着いた後、中国当局に対してこぶしを上げて抗議した。
抗議の後まもなく、地域の保安省役人が現場に急行し、4名の尼僧を即座に逮捕した。
拘束された尼僧達はその後、中国治安警察による厳しい殴打と拷問に晒される可能性が高い。

尼僧達は郡中央役所の中や周りで、チベットの独立を求めるたくさんのパンフレ
ットを配り、スローガンを叫んだ。
「ダライ・ラマ法王のご長寿を!」
「ダライ・ラマ法王のチベットへのご帰還を!」
「チベットに独立を!」
「すべての政治囚を釈放せよ!」

拘束された尼僧達は次の4名である。
ブモ・テンガ (カンゼ郡ルナン村出身)
リンチェン・ジャマツァン (カンゼ郡ロパ地区出身)
ジャンガ・ドルマ (カンゼ郡ロパ地区出身)
ペマ (カンゼ郡ロパ地区出身)

このところ、カンゼ郡ではチベット人僧侶、尼僧、一般のチベット人達による平
和的抗議活動が多発している。
中国当局によるチベットの宗教施設に対する悪評高い弾圧、優れた宗教指導者達の拘束、「愛国教育」の実施、移動の制限等に対し抗議を行っているのだ。

逮捕された尼僧達の居所や状態について、情報は不明である。
TCHRDは、基本的人権の侵害が常態化しており、チベットの宗教施設への極度な制約が強められていることを深く憂慮する。
TCHRDは、国際社会と国連の主要機関に対し、チベットの人々の基本的な人権が守られるよう尽力を求めるものである。





rftibet at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

地震のことなど

58dc0bad.JPG26日にもM6.4の余震があったというチャン・アバ地震。

ルング(ぶん川)等の被害の大きかった町などはこれから瓦礫掃除に入るとか。
跡形もなく徹底的に掃除されるという。
もしかしてまだ、誰か生きているかもしれない!?とかはもちろんなく、
きっと遺体を選り分けることもなく、遺族の遺体確認等もなく、
消されようとしている。
チャン族、やチベット族の多く住む山間部だから。
このルングの町の隅には100人ほどの生存者が寄り添ってテントの下で救援を待ってるとか?確かBBCの前には数人だったけど、救援隊の振りする人は見えたはずだけど。

とうとう<チ>の字は、未だ持って中国の新華社経由は当たり前だが、BBCにもCNNにもNKHにも出てこないのは如何に!?
それほどの報道規制が<チの字>には掛かっているということか。

中国政府は未だ外国メディアに映像伝送用の伝送施設やアンテナなどの持ち込みを許可していない
ということは、独自の映像は最初から送れないということでして、すべて中国が見せたくないとこはカットして流すことだって、編集し直して出すことだってできるでしょうね?

それで、日本とかは今回は中国もオープンな態度を示してる、災害復旧にも十分努力してる、とかコメントして募金活動の話に入る。
募金活動と言えば
チベット人も中国の(罹災者の)為に世界中いたるところで、何と先のRFAの話では、先に死者もでる衝突のあった、カムのタオにおいても、僧院の僧侶たちが供養会を開き被害者のための募金活動を行っているという。
お金は誰に渡すのか気になりますが?

これなどは昔(1949年末から)、カムのこのあたりに侵攻して来た人民解放軍の様が余りに悲惨で、疲れ切りお腹を空かせているのを見たあたりのチベット人たちがこれらのラサを目指す中共軍の兵隊に食料を恵んだりしたという話を思い出させる。
え、話が違うって?
果たしてこのチベット人たちは中国人たちの行先を知っていたのであろうか!?
今回の募金のお金の行先はどこなんでしょうかね?

それにしてもどうしても気になるのは、まるで情報の入らない大きな被害を受けたに違いないチベット人地区の状況だ。
中国はこのまま、ちょうどいい機会だと多くの廃墟となった村々を残った住民ごと完全に消え去ることを待っているかの如し。
どうか、ツァンパのみで生き抜くことができるカムのチベット人たちよ、ミラレパのように生き抜き、誰か、日本人とか外人が来るまで生き抜き、必ず経験したことをいつかすべて話すことができますように、、、

このブログをご覧の方の中でこの地域のチャン、やチベットの町や村を訪問したことがあり、写真を持っていらっしゃる方は、必ず大事にその写真を保管し、できればもう一度その地に行かれることを。

助けようにもビルマより遠い今のチベットだ


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地震による核物質漏れの疑い
大紀元の記事ではありますが、一部のみ、
全文は
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/05/html/d60464.html

調べによると、中共政府は四川省(綿陽市)に研究用の原子炉、2つの核燃料生産設備と2カ所の核兵器設備を持つという。中国共産党の四川にある軍事核研究設備では今回の四川大地震で職員が死傷しているが、総作戦部の馬健副部長は、核施設は安全だとし、「部門では死者が出ただろう。しかし核施設が原因で死に至ったとは言えない」と述べた。

 これに対し、米国科学者連盟(FAS)の核兵器専門家ハンス・クリステンセン氏は、中共政府の「すべての核施設は安全」という大雑把な言い方に疑問を抱き、なぜ核兵器工場の情報を公表しないのか疑義を抱いている。また、「この地区周辺が受けた広範囲な被害から見て、核材料の軍事工場が地震による災害を回避できたとは考えにくい」と述べている。


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同じく大紀元の記事
四川大地震=4千年以上の歴史を持つ少数民族集落が廃墟
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/05/html/d36617.html
消えゆく民族の悲哀を感じます。

【大紀元日本5月23日】四川省汶川県鴈門郷にある4千年前、羌(チャン)族の都であった「萝卜寨(大根村)」は世界最大で最古の黄土を建築材料とする少数民族集落だった。しかし、四川大地震でこの古い集落は廃墟になってしまったという。

 「南方都市報」によると大根村は石造りの建物のない羌族の村で、密集する黄土建築物は鳳凰山にそって建てられ、入り組んだ路地はまるで迷路のようである。海抜1970mにあるため、「雲の上の街」と呼ばれる。

 四川省考古研究院専門家は2005年3月、大根村が4千500年前には、すでに人類が生活しており、当時この鳳凰山にそって建てられたことから鳳凰村という名前を得たということを確定した。その後村は富順村、老虎村と次々と名が変わり、大根村となった。

 四川大地震後、この村の建物はほとんどが廃墟となった。226戸の家屋は難を逃れることが出来ず、5千年近くの風雨を体験してきた黄土の壁は、倒れて地面の上でバラバラの黄土レンガとなってしまい廃墟に変わり果てた。

中略

大根村には「女は水を背負い、男は家で子供を抱く」という伝統があり、酒を飲み、山歌を歌い、週に3日は家で即興の踊りを踊る。彼らはこのように生活してきた。しかし今はトウモロコシ畑の中や新しく積まれた墓の前で女性たちの葬歌が聞こえるだけである。



















rftibet at 18:25|PermalinkComments(3)TrackBack(0)その他 

2008年05月26日

ノッチンガムのダライラマ法王

2a06c733.jpg写真は法王のジョークに笑いこけるチベット僧たち。ハハハ、、、ヒヒヒ、、、


ダライラマ法王はイギリスのノッチンガムを訪問中。

24日ノッティンガムアリーナに7000人の聴衆を集め話されたことの一部が以下に掲載されています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21378&article=Dalai+Lama+saddened+by+Chinese+portrayal

25日の出来事の記事は
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21385&article=His+Holiness+the+Dalai+Lama+expresses+concern+for+Tibet's+fragile+environment記事の一部を歌のゆかさんが訳してくださいました。


ダライラマ法王は24日土曜、中国政府によるプロパガンダ活動によって、中国の大衆が彼のことを “角の生えた悪魔” だと見なしていることを悲しんでいると話された。

イギリス中部、ノッティンガム市で行われてる5日間にわたる講演と仏教講話の初日、
亡命チベット人の精神的指導者は、
「中国政府による情報操作が多くの人々に彼を悪魔だと思わせている」と述べ、

「現代中国では、人間的な感情や情緒といったものの重要性に対する価値感が欠けている」ことにも言及されました。

「限られた情報しか得ることができず何も知らない中国の大衆は、政府のプロパガンダを受けとる以外にありません」

「もし多くの人々がダライラマは悪魔だと思うならそれは悲しいことです。それは何の問題の解決にもなりません」

「私をはじめチベットの仏教徒の精神力と心の平安は常に真実に基ずくことから来るものだ」

暴力的な手段を使っても真実を消すことはできない。 その暴力的抑圧によって真実はより一層強さを増すのだ」と、その72歳の老僧は語り、慈悲と愛情へ目を向け、それを世界に取り戻すことを、人々に呼びかけた。





rftibet at 21:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

医者がチベット人を助けると逮捕される。拷問の末

6824a937.JPG医者が患者を無差別平等に治療するのは、世界の常識。医者の良心。
しかしチベットでは(中国では?)この行為は相手によって逮捕にも相当する罪なのだ!
中国の人権基準は確かに他国とは違うようです。

http://www.stoptibetcrisis.net/pr240508.html
連帯委員会 2008年5月24日 リリース(Y女史訳)
Lady arrested for extending service to the injured
<負傷者を治療した女性、逮捕される


確認された情報によると、2008年5月7日午後10時頃、中国治安部隊はラサ市人民
病院のヤンゾン医師と、その夫シロク氏を逮捕した。ヤンゾン医師はすでに同病
院での医師としての職責からは退いているが、同病院で勤務を続けていた。彼女
の夫であるシロク氏も政府の役職から退職しており、ラサ近郊のキレで服を仕
立てながら生計を営んでいた。

ヤンゾン医師は、政府が武力弾圧した今年3月のラサ動乱の際に、チベット人
負傷者を秘かに手当てしたという容疑で逮捕された。一方、夫のシロク氏は外国に情報を流したという容疑で逮捕された

残忍な武力弾圧の後、そのまま数百人ものチベット人負傷者が当局より適切な治療を施されずに放置されていたことは、記憶に新しい。


<拷問の末>

中国当局は先ごろ、ペンポ・ルンドゥップとメトクンガで起こったデモで逮捕したチベット人囚人を部分的にを釈放した。しかし、監獄の中で晒されていた虐待と殴
打によって、釈放された人々はまさに見るかげもなく無残な状態になっているという。
情報筋が確認したところによると、クンガという老人が釈放から三日後、取り調べ中に受けた拷問により死亡した

ペンポ・ルンドゥップ郡では、政府は「分離主義への対抗」と「安定の保護」と
称した一連の運動を開始している。このドア・ツー・ドアの運動には、郡区役所から派遣されたその地区に詳しい特別委員が携わっている。委員会メンバーらは地域の各家庭を訪問し、各住民に政府への忠義・忠誠を誓う文書への署名を強制して
いる。


委員会メンバーは、各家庭から僧侶や尼僧になっている家族や海外にいる家族の人
数を聞きだそうとしている
。その数は日付とともに注意深く記録される。また、
それぞれの街区では引退したかつての幹部が疑わしい人々を探り出すよう求めら
れ、それ以後、大勢が逮捕されている、という報告もある。

現在も続いているチベット域内における危機的な状況を鑑み、我々は国連および
国際社会・国際機関に対して、以下の点を大至急要請する:

1. チベット域内に、独立した国際事実調査使節団を大至急派遣すること
2. 中華人民共和国政府に対して、自由な報道機関がチベット全域に無制限にアク
セスできる許可を出すよう、圧力をかけること
3. 中華人民共和国政府に、チベット全域における残虐な殺戮をやめるよう、圧力
をかけること
4. 逮捕・投獄されているすべてのチベット人を即刻釈放すること
5. 怪我をしたチベット人達に大至急、医療措置を施すこと
6. 人々の自由な移動を許可し、生活必需品が手に入るようにすること

チベット連帯委員会

(以上)



rftibet at 13:18|PermalinkComments(4)TrackBack(0)チベット内地情報 

屈辱の<17条協定>を振り返りながら

4bd2cf58.JPG少し遅れましたが23日付委員会リリースをいつものY女史の翻訳で以下に掲載します。
その場しのぎのうまい嘘条約を強要しておき、挙句平気で約束事を無視する。
こんな悪い人が近所に居たとして、どうしたらいいのでしょうかね?


http://www.stoptibetcrisis.net/pr230508.html
連帯委員会 2008年5月23日 リリース

17-Point Agreement in retrospect
<17条協定>を振り返る


本日は、かの悪名高き「17条協定」が中国によってチベットに強制的に押し付
けられてから、57年目にあたる。
チベット人は1959年以来この条約の正当性を否定し続けてきた、しかしその展
開につながる要因を省察するのは、意味のあることである。


1951年まで、チベットは事実上の独立国家を標榜するにふさわしい必要な属性を
備えていると、国際的にも認められていた。チベット独自の司法制度、統治機構(政府)、通貨、軍隊、自国領土をもち 他国と外交関係を結ぶ権限をも保持していた。
1949年の中華人民共和国成立の後、新生共産党政府は直ちに、チベット カム地方のチャムドまで侵入・占領し、その時チベットはまさに「解放」される寸前であった。チベット政府がその要求に同意しない限り、さらなる軍事攻撃を加えるという脅迫に晒されていた。チベット人側代表団は1951年5月23日、いわゆる「チベットの平和的解放に関する17条協定」(中国側の正式名は「中央人民政府と西藏地方政府の西藏平和解放に関する協議」)に署名するよう、共産党政府に無理やり強制されたのだった。

協定の中には、チベット人自身による要望でない限り、いかなる社会的な変革も行
わない、といったことに加えて、当時のチベット政府やダライ・ラマ法王の権限
と権威を変えないことについても、明言されていた。ところが中華人民共和国政
府は、それどころか協定における約束事を完全に無視し、ダライ・ラマ法王によ
る社会改革の試みを妨害する一方で、中国政府自身による東チベットでの共産改
革を一方的に力づくで開始した。その結果としてそのころ、カムにおいて数千人ものチベット人が殺戮され、数百もの寺院が破壊された。

中国政府はまた、その政治システムをチベット人に対して強制的に適用し始めた
。著名で献身的だったチベット人の大臣2名を除名して、代わりにチベット自治区
準備委員会を設けることで、チベットの政治権力を侵害しようと企てた。
こうした実質的条約無視の現実にチベット人民衆の中には中国共産党への不信と敵対心の波が起こり、遂にチベット人は蜂起せずにはいられなくなっていった。

結果として1959年、ダライ・ラマ法王とチベット政府は、チベットの三つの地域
すべてからやってきた人々に付き従われて母国を離れ、他国に亡命先を求めることとなった。

中国によるチベット侵攻とそれに続く残虐な弾圧政策の結果、1949-79年の30年間に実に120万人以上ものチベット人が命を落とした。6千以上もの僧院が破壊され、信仰の地が塵芥に帰し、教養のある重要なチベット人達が数万人も逮捕・投獄された。こうした政策によってチベット人の伝統芸術や日常の生活習慣が犠牲となっただけでなく、チベット伝統の歌や踊り、子供達の遊び方さえもが否定され、禁止されることとなった。
数世紀もかけて先祖代々受け継がれ、大切に集められていたダイヤや金、銀、ズ
ィ(Zi)などの高価で稀な宝石や装飾品は、中国政府によって没収された。

後年(80年代半ば)、中国が政策を緩めてチベットを外界に開放するようになったと自慢していた頃でさえ、実際の政治権力は、分割されたチベットのすべての地域にお
いてあらゆるレベルで僅かな変化もないまま、常に中国人に奪い取られたままだ
った。
チベット人生来の望みや必要条件をまったく無視するという誤った政策こそが、
絶え間なく終わりのない反政府抗議行動へとつながっているのだ。文化大革命の
暗黒の時代であれ、80年代半ばのチベット統治が比較的緩やかだった時代であれ
、あるいは経済発展と政治的抑圧の強い今日であれ、(反政府行動は)貴重な命
を失うことへの躊躇もなく、続けられてきている。

これらすべてのチベット人達の命掛けの抗議活動の根本的な理由と唯一の原因は、中華人民共和国政府の欠陥だらけの恐怖政策にある。その政策は、古代から受け継がれてきた豊かな文化的遺産やライフスタイルを持っている歴史ある国を、分割統治するという明らかな意図のものに行われてきた。チベット文化は西のンガリ地方、中央のウ・ツァン地方、東のアムドとカム地方の人々すべてを含む広大なチベットの地によって
等しく享受され、分かち合われてきた。
こうした政策が反省され、見直されない限り、チベット人はチベットの大義のための闘いを続けるために、立ち上がらざるを得ないであろう。

(以上)



rftibet at 11:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年05月25日

チベッタンオリンピック最終日

bc305470.JPG今日の日曜日は久しぶりに終日よい天気に恵まれました。

今日はチベッタンオリンピック最終日ということでダラムサラの人々はTCV(チベット子供村)グランドに大挙集合しました

入場式の先頭をきってチベッタンオリンピックの大旗を手にし行進するのは、歴代のミスチベット!(ロプサンのもう一つの大事なイベントだから許してください)
続いてTCV鼓笛隊、女子選手に男子選手。
それにしてもフィールドには選手の数よりプレスの数の方が断然多い(約50名)とは、これもさすがロプサン。

最終日の競技は、まず男女80メートルハードル(この校庭では斜めにコースを取っても最長80mが一杯なのです)、次に男女80メートル走、両方とも男子のA氏が断トツ一番でした。
彼はすごかったね。結局総合でも彼が男子では優勝しました。

とそのころ「最後の方でやるリレーにプレスグループから一組作って出てくれ」との話が聞こえたと思いきや、「Nお前出るよな!」と結われるままに「OK!」と言ってしまったのでした。と、言うか、最初から出たがっていたのかもしれないが、、出来ればハイジャンプが得意なんだけど、、
でも最初は一人200mと聞き、ううん、もうそんな30年は走ってないな!?と急に練習に入ったりして。
25.5.08チベッタンオリンピック


走り幅跳びに、走り高跳び、午後に入り、危険なあらゆる方向に飛ぶやり投げに400m、
そしていよいよリレーが始まった。
400mと判りひと安心。一つ文句言わせてもらうと、とにかくすべての競技が中々始まらない、間延びする(そんなこと考えるのは日本人だけか?)、リレーの時にもその時になって一周(200m)したあとにはコースは無視し内側に入っていいかどうかで長い間言い合ってた。
他の選手を見るとまずはオリンピックチームがいる、他の4チームはTCVの各学校の代表のよう、それに比べ我ら速成のプレスチームは一番アメリカ人、二番RFA(ラジオ自由アジア)のチベット人、3番えせ日本人(今回のオリンピック参加選手中最長老)、アンカードイツ人。

やっと始まると勝負はあっという間、われは3番手だったのだが、自分の番が来た時には遙かなるドンケツだった。
まあ、100m痙攣しないで走れてよかったよ。

25.5.08チベッタンオリンピック RFAからバトン

それより何より偶然だけどRFAからバトン受けるとは象徴的で私は本気にそれがうれしかったよ。


25.5.08チベッタンオリンピック  ミスチベット



途中、JJバンドの歌あり、ミスチベットの歌ありで最後までみんな楽しそうにこの可愛くて小さい自分たちのオリンピックを観戦しておりました。


25.5.08チベッタンオリンピック表彰式


優勝した選手たちは全員「この自分たちのささやかなオリンピックが、チベットで今中国の弾圧に苦しむ同朋達のことを、知ってもらう何かの契機になれば、と思って精一杯頑張った」と最後に檀上にて話していました。




rftibet at 19:28|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事