2008年06月

2008年06月21日

リチャード・ギアの快挙

99454dbc.jpgもう既にご覧になった方も多いかもしれませんが、
ルンタレストランにも来たことのある
例のリチャード・ギアがまたもチベットのために頑張ってくてました。
以下フィアット・ランチアのCMをyoutubeで見れます。

http://jp.youtube.com/watch?v=suQev028HAI&eurl=http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/

リチャード、チベットに行ったのか!?
ハリウッドの人たちはいつでもどこへでも行けて羨ましいですね。
the Power to be Different 変革の力>を訴えています。

早速中国からクレームが来てフィアットは謝った。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080621/chn0806211117002-n1.htm

日産はいったん決めていたリチャード起用を中国に遠慮して下ろした。

写真は今日のラサC/R phayul.com。

rftibet at 17:30|PermalinkComments(7)TrackBack(0)その他 

チベット圏地震被害情報、最近の内地からの電話より

83ac71b5.JPGオリンピックトーチャートーチは本日ラサを通過しました。
ノルブリンカで開会式の後、朝9時にトーチャーは出発し、2時間かけてポタラの前まで、両側に垣根のように並んだ軍隊の中を、面白おかしくジョギングして、閉会式。

もちろん厳密に選ばれた出演者達のみ、トーチに声援を送る隊としてカメラに映ってた。

後は異様にシーンと静まり返るラサの街。全ての商店のシャッターは下ろされ、沿道の全ての窓は閉じられている。

何と象徴的な光景だろう。
窓から顔を出しただけで、屋上に待機する狙撃隊により射殺されることだってあり得る。

当局は「トーチを妨害しようとする者は"severely punish" and "give no indulgence"何ら容赦されることなく 厳しく罰せられる」と言明しているのだから。

こんな状況の中、何のためにラサにトーチが来たのか、

世界に圧政国家の勝利を見せびらかすためにか!?

中国はほんとに残酷で不思議な国だ。

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今回の四川地震でチベット内の被害状況については、今だに全くと言っていいほど情報が入っていません。
先のブログでも部分的にお知らせした、震源地に近いタシリンの状況を、その他現地からの電話で確認された近隣の被害状況と合わせお伝えします。

続いてすでにお伝えした事件が多いのですが、
最近のチベット内の状況を伝える、現地よりの貴重な電話を紹介します。

以下はRFAリリースをY女史に翻訳して頂たものです。
http://www.rfa.org/english/news/latest_update_tibet-20080325.html-03312008133917.html


チベット域内に住む人々との通信がますます難しくなってきている中で、海外の
家族や友人との携帯電話での会話や人づてによる情報が唯一、内部の状況を伝えている。以下安全上の理由により、情報元の個人を特定するような名前は伏せてお伝えする。

四川省チベット自治州ンガバ(中国名アバ)タシリン郡(中国名、理県リシアン)からの電話: 2008年6月11日

「歴史的にこの地域はチベットと中国の境界にあって商業の街としてにぎわって
いた。〔地震によって〕大勢のチベット人の家が壊れてしまい、大勢の人々が今
はテント暮らしだ。タシリンのギャロン僧院も倒壊した。再建計画も持ち上がっているが、現時点では幾つかの障害に直面している。大勢のチベット人達が崩れた家の下敷きになった。タシリンだけでもかなり大勢が亡くなっている。私自身もタシリンの瓦礫のしたで大勢のチベット人が倒れて亡くなっているのを見た。」

「とても強い地震で、突然のことだった。この地域の家々を揺るがして、多くの
家屋が崩壊した。地震の後この地域全体を見たわけではないが、タシリンでは
100名ほど亡くなったと聞いている。そのうちほとんどがチベット人とチャン人だ。私もチベット人一人が亡くなったところを見た。
彼は孫を助けようとしていた時、石が家から落ちてきて頭にぶつかってしまった。
病院へつれていかれたが、亡くなったと言われている。彼の名前はアムツォ、47歳だ」

「地震の後に激しい雨が続き、雨の中で過ごさなければならないチベット人もい
たが、テントや即席のシェルターみたいな場所で過ごす者もいた。ほとんどの救
援活動は文(さんずいに文)川に集中していたため、タシリンまでは外からの救
援チームは来なかった。地元の郡役所の職員は、住民に家の中でなく屋外に留ま
るよう、警告していた。救援チームは5月13日か14日にやっと到着した

「現時点で、タシリンのチベット人は避難場所が不足しているため、厳しい問題
に直面している。人々は地震で家を失い、大勢のチベット人には家を建て直す資
金もない。食べ物はそれほど大きい問題ではない、というのもこの地域のチベッ
ト人はほとんどが農夫だからだ。中国政府は各家庭一人ずつに対して1キロの米
と10元のお金を支給している。今でも、震度4から5の余震が続いており、地震
学者達は今後2、3ヶ月にわたって、この程度の余震がさらに続く、と予測してい
る。そのため地元の人々は恐れていて、テント暮らしを続けている。誰も自分の
家に近づかない。政府は、〔建て直し費用の〕約30%を保障すると言っている
、つまりどの家も最低でも7割の費用は自己負担しなければならない、ということ
だ」

「〔ニュースでは〕亡命したチベット人から募金が寄せられている、と報じ
られている。チベットの外に住んでいるチベット人が、チベット域内の同朋のた
めに祈りを捧げてくれている、とも聞いている。チベットに住んでいるチベット
人は、これを聞いてとても喜んでいる――特に、タシリンに住むチベット
人は喜んでいる」


チベット域内から知らせを受けたという、インドにいるチベット人からの情報: 2008年6月11日

「地震によって、文(さんずいに文)川では5名ほどのチベット人が亡くなった。
ほとんどが学生だ。文(さんずいに文)川の小規模なチベット人グループは、農
夫達だ」

「甘粛省カンロ(中国名・甘南地区)テウォ郡(中国名・迭部県(Diebu))では
地震でチベット人約3名、マチュ(中国名Maqu)では6名が亡くなったと報告されているが、詳細はわからない。カンゼ自治州のロンタ(中国名Danba)ではチベット人3名が亡くなったことがわかっている」


四川省カンゼ・チベット自治州のチベット人男性より: 2008年6月12日

「カンゼでは6月10日、11日、12日に続けて抗議行動が起きた。12日には、チベッ
ト人の若者パルデン・ワンギャル(20歳)がカンゼの中心街で抗議を行った。彼
は頭に白いスカーフを巻き、チベット国旗を持っていた。抗議をしながら2キロほ
ど歩いたところで、警察に捕まって拘束された。3月18日以降、カンゼでは100名
以上のチベット人が逮捕されている。そのうち半分だけは〔まだ〕カンゼで拘留
されている。それ以外の人々は、ニャロン、ダルツェド等、他の郡・地域に送
られている」

四川省カンゼ・チベット自治州のチベット人男性より: 2008年6月11日

「6月11日午前10時頃、カンゼ街の交差点で、ラカ村出身の女性ナムセル・ラモ(30
歳)、男性テンジン・タギェル(32歳)ともう一人の男性(名前は不明)が抗
議行動を行った。同日、ロバ村出身の僧侶1名と少年1名も抗議を行っている。5名
とも激しく殴打され、拘束され連れ去られた。その後、地元の役人数名が
ナムセル・ラモの家を襲撃し、ダライ・ラマ法王の写真をとりあげて床に叩きつ
けた。それを見ていたナムセル・ラモの兄弟であるペマ・ギャツォは、刀を抜い
た。役人達は家から逃げ出したが、まもなく約200名の中国治安警察が彼を逮捕す
るためにやってきた。ペマ・ギャツォはその前に山間部へ逃げおおせている。中
国の役人達は、年老いた両親や小さな子供達を含む残された家族に、厳しくあた
っている」

ンガリ県(中国名・アリ(Ali))で仕事をしているチベット人男性: 2008年6
月3日
(カンリンポチェの西)

「中国のヘリコプターがほぼ毎日、ンガリ地域上空を飛んでおり、軍用トラック
の集団が県の主要な街々に展開している。地元のチベット人は、こうした活動を
自分達に見せつけて脅すためだろう、と考えている」
中国当局は、その地域にいるすべてのチベット人に対して、各家庭から一人を
地元の中国軍に服役させるよう命令を出している
。徴兵された人々はンガリのタ
シ・ガンという場所で訓練を受けさせられている。彼らは中国の制服を着るよう
強制されている」
警察は、地域の状況についての情報を外部に提供しないように、とチベット人
に警告している。伝えようとしているところを捉えられた者には厳しい刑罰が待
っている


四川省カンゼ・チベット自治州ダゴ郡(中国名・ルフオ(Luhuo))のチベット
人女性(79歳)より: 2008年6月3日


「『愛国教育』運動はここ数日間、ダゴ地域のチベット人居住地域や僧院で激
しく推進されている。5月31日には中国当局がダゴのチョグリ僧院付近の街で集
会を開き、人々に対してダライ・ラマ法王を非難させようと無理強いした。大勢
の貧しいチベット人達は大金を示されて、ダライ・ラマを批判しチベット独立に
反対するようにと促された
。中国側は、こうしたダライ・ラマへの批判行為に重
きをおいているように見える」
私は79歳だが、ダライ・ラマを非難することへの報奨金だなんて、これまでに見たことも聞いたこともない。ダライ・ラマを批判しないチベット人は、地域から追放するぞ、と脅されている。中国の役人は、すべての土地は中国に所属していると主張し、愛国教育運動に従わなかったり〔ダライ・ラマを非難する文書に〕署名するのを拒んだ者は、インドにでもどこへでも好きに行くがいい、と言い放った
「貧しい家族の中には署名した者もいたらしいが、9割のチベット人は、土地や家
屋を没収すると脅迫されているにも関わらずダライ・ラマ法王の批判文書への署
名を拒否した、と聞いている」

チベット域内から聞いた話を伝えてきた、インド在住チベット人からの電話: 2008
年5月5日


「4月28日、ゴロ(中国名・グオルオ)・チベット自治州のホンコル僧院出身のチ
ェドゥブが中国治安部隊に撃たれた。彼は初期の抗議活動に関わっていて、隠れ
ていた。4月下旬頃、食料を求めて家に戻った時、中国警察が彼の家を囲んで殺し
た。5月4日には、チェドゥブの母親のワンドルも撃たれており二発の銃創を受け
ていることを知った。両親、一人の姉妹、三人の兄弟、そしてその家出身の転生
リンポチェ(高僧)も拘束されている」
彼の家族では、二人の小さい子供だけが残されている。チェドゥブの父親は手
枷足枷をはめられて拘束されたままで、息子の遺体を確認するよう連れていかれ
た。中国の役人は、この家族の全財産は政府が没収した、と宣言している


rftibet at 15:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

2008年06月20日

放送予告、チベット人のデモインド、ネパール、スイス、そしてチベット

6284a127.jpg写真はカトマンドゥの逮捕現場

ラサ騒乱の証言者ソナムのインタビューがNHKで放映される

先ほどNHKのデリー支局からメールが来て、いよいよ5月初めに撮った、ソナムのインタビューがオンエアされるそうです。
来週月曜日「おはよう日本」の中で放送される予定。
ただしまだ最終決定ではないとのこと。
ラサの3月14日のデモに自ら参加し、友人がすぐそばで中国兵の銃弾に倒れるのを目撃した。その他沢山の証言が生で聞けるはず、、本当は一時間以上話たからな、、、きっと超短いのかな?大事なとこは抜かさないでよね。

先の5月4日と7日のブログを参照ください。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-05.html?p=5#20080507

日本にいないので私は見れない!
誰か録画して送ってほしい、がそんなことできないか。

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各地のデモ

チベット人はオリンピックトーチがラサに明日到着をいうことで、各地でデモを行い逮捕されている。

19日にはヒマチャル州のシプキラ峠をチベット国旗を広げて国境を突破しようとした二人のチベット人青年が逮捕された。一人はチベット民主国民党代表のチメ・ユンドゥン33歳とTYCのクンチョック・ヨンペルそれにこれを撮影してたもう一人のチベット人も逮捕された。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21688&article=Exile+Tibetans+protest+at+Indo-Tibet+border+on+eve+of+torch+relayこの峠はシムラからスピティに入る道路に近い。
私も大昔行ったことがありますが、国道からちょっと入るだけですぐ中国国境に着きます。リンチェンサンポが11世紀にこのあたりの西チベットに仏教を広めたころから盛んに行き来されていた道なのです。

19日には同じルートでチベット入りを目指した21人のチベット人が手前の町で逮捕された。


昨日19日ネパールのカトマンドゥでは、
中国大使館前でオリンピックトーチがラサに来ることに抗議したチベット人約900人のうち650人が逮捕された。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21689&article=Hundreds+of+Tibetan+exiles+arrested+in+Nepal

3月のから始まったカトマンドゥのチベット人デモでこれほどまでの逮捕者が出たことはないという。

"They have been arrested for damaging the diplomatic relations between Nepal and China," said civilian security officer Jaya Mukunda Khanal.
ネパールの公安幹部ジャヤ・ムクンダ・カナルは「彼らはネパールと中国の外交関係を傷つけたから逮捕されたのさ」と言ったそうだ。

その他スイスのチューリッヒでも18日デモが行われた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21693&article=Protesters+in+Swiss+call+for+China+to+cancel+Tibet+leg+of+Olympic+torch+relay+and+allow+international+media+access+to+Tibet

RFAの中でアメリカにいるJ氏が、行進の力を、毛沢東やガンジーの例を出し力説した後、「いつの日か近いうちにダライラマ法王、サムドゥン・リンポチェを先頭にチベット帰還行進が始まることを期待する」という彼らしい過激な提案?がありました。
皆様はこの提案についてどうお考えでしょうか?

彼はアメリカでの黒人市民権運動の例を出し、民主主義の国アメリカでも大変な犠牲の上に今の黒人の地位の獲得があるのだ、まして中国相手に犠牲を覚悟しなければいけないことは自明だ、とも言ってます。

実際今のジンバブエの状況を見ても命を掛けても、それでも平和闘争で人権を得ることは至難と知れます。

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チベット内部の抗議活動

今のチベットで中国に対し声を上げることは間違いなく命をかけることだ。
素手の特攻隊、自爆抗議行動だ。
カンゼの尼僧院の中は日本の終戦まじかの特攻隊宿舎のごときだ。
誰が次に行くのか覚悟ができたものから行く。
チベットのデモを扇動するのがどうしていつも僧侶、尼僧なのか?
もちろん宗教弾圧がひどいせいもある、しかし本当には
僧侶、尼僧たちはいったん家族を捨て、世間を捨てた人たちだ。
その上、大乗仏教の真髄、利他心を徹底的に教えられている人たちだ。
家族のある者たちは逮捕されると大変だから声をあげられない、自分たちは一人身だ。皆の代わりに声を上げることは自分たちの義務だ。死ぬ覚悟を決めてデモに行った」と私に語った元政治犯の僧侶、尼僧は多い。

以下は19日付の委員会リリースより
http://www.stoptibetcrisis.net/pr190608.html

6月18日カム、カンゼで一団のチベット人が平和的抗議活動を行った。
彼らはその場で打ちのめされ逮捕された。詳細不明。

6月17日同じくカンゼ地区にあるヤツェ尼僧院の尼僧セトゥック・ラモ、イエロ、サントップの3人、及びゲマダック尼僧院の尼僧2名(氏名不詳)計5名は<ダライラマ法王に長寿を!法王がチベットに一日も早く帰って来られますように!全てのチベットの囚人を解放せよ!>と叫びながらカルゼ市内を行進した。
尼僧たちは全員、鉄パイプ等で激しく撲打の末逮捕された。
なおこのデモには一般市民も参加したという。彼らも同様に逮捕されたというが詳細は不明だ。

アバ、セー僧院
アムド、アバのセー僧院(チョナン派の大僧院1000人近い僧がいるはず)の僧侶が6月9日に巨大なチベット国旗を3本はためかせながら、チベット独立のパンフを配ったということで、セー僧院は次の日、軍隊に包囲された。
多量の軍人が僧院内に踏み込み、僧院を荒らしまくり、一人一人の部屋もくまなく荒らされ、多くの貴重品が盗み出されていったという

カンゼ地区当局はインドに親戚のいる家庭の電話線を切断し、チベット人全員に対しチベットの外に直接的にせよ間接的にせよ、いかなる情報も出してはならない、と厳しい命令を出しているという。

















rftibet at 16:25|PermalinkComments(6)TrackBack(0)チベット内地情報 

2008年06月19日

アムネスティ報告、カトマンドゥでチベット要人逮捕

c6659df0.JPGオリンピックトーチがラサに到着する日もせまり、アムネスティも控えめながらチベットの人権侵害状況を知らせ、世間に対しチベットへの注目を促してくれている。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=21673&article=Amnesty%3a+More+than+1%2c000+unaccounted+for+in+Tibet

Amnesty: More than 1,000 unaccounted for in Tibet
アムネスティ: 1000名以上のチベット人が行方不明

AP[Thursday, June 19, 2008 09:32]
By MEERA SELVA
AP通信 ミーラ・セルバ

【ロンドン】 3ヶ月前のチベットにおける騒乱の時期に、1000名以上の抗議者達
が行方不明になっている――人権団体のアムネスティ・インターナショナルが18
日(水曜)発表した。

アムネスティ・インターナショナルによると、3月のチベット騒乱時に警察によっ
て逮捕された4000名のうち、およそ4分の1が今だに行方不明という。その他の人
々は釈放されたか、正式に逮捕されている。

オリンピックの聖火リレーは今度の土曜日にチベットの首都ラサを通過するとみ
られている。アムネスティのアジア太平洋支部局長サム・ザリフィ氏は、このイ
ベントは行方不明の人々や収監されている人々への注目を集めるだろう、と述べ
ている。

「チベットから外に出てくる情報はきわめて少ない。だが私達の手元に寄せられ
ている情報によると、恣意的な逮捕や拘束者への虐待など、悲惨な実態が伺われ
る」と、ザリフィは言う。「聖火リレーがチベット域内に入ろうとしている今こ
そ、チベットでのこうした実情に光を当てる機会となるべきだ


ラサの僧侶達は3月、中国の支配に対してデモを行った。抗議の波はチベット中に
広がり、抗議者達が警察と衝突する機会が増えるにつれて、暴力を伴うものとな
った。中国当局は治安を名目とした弾圧で対応し、外国人旅行者やほとんどの国
際メディアがチベットの各地域へ入ることを禁止している。

アムネスティ・インターナショナルによると、警察や治安部隊は人々と外の世界
との連絡を絶つため、チベットの僧院や尼僧院、個人の家から携帯電話やコンピ
ュータを没収しているという。

中国は数世紀もの間、チベットを支配してきた、と主張している。だが多くのチ
ベット人は、自分達の母国は中国の言う数世紀の間も、実質的に独立していた、と語っている。

(以上)

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上の記事も実はAPがアムネスティに質問して出来上がった記事のようでもある。
流石フランスのAPだけあって人権は頑張ってるみたいですね。
報道といえば、BBCが「オリンピック開催中にもしもカメラに何らかの抗議活動が捕らえられた場合には、必ず発表する」と言明しています。
最近通信社は自前の送信機を中国内に持ち込んでもよいことになったそうです。
もっともその代り取材人数を厳しく制限して一人一人監視できることが基本だそうです。
BBC頑張ってくれ!
誰か開会式のチケットを持ってる人も、頑張ってね!?。


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ネパールの主なチベット活動家、および亡命政府責任者たちが逮捕された

先ほどphayul.comに入った情報によれば、

本日午前8時ごろカトマンドゥの亡命チベット人一時収容所所長ケルサン・チュング、チベット女性連盟会長ガワン・サンモ及び同会副会長タシ・ドルマの三名が自宅より逮捕された。
当局はチベット青年会議地区長のダクパ・テンジン及びネパールダライラマ代表部代表ティンレイ・ガンツォをも逮捕するためそれぞれの自宅に現れたが、二人はその時自宅におらず未だ逮捕を免れているという。

自宅に私服警官が現れ逮捕状を示したという。
逮捕の理由は「3月からの連続的デモによりネパールと中国の友好関係を非常に傷つけた」からだという。
彼らは3か月間拘留されるという。

チベット人たちは今日もボスたちの逮捕にも関わらず中国大使館前での抗議デモを計画しているという。


ネパールはまだまだ民主国家にはほど遠いようです。
それだけ中国の圧力が強いということか。
それにしても、一時収容所の所長も逮捕するとは一体どういうことか!?





rftibet at 18:21|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

マチュ僧院略奪隊、NY,ローマデモ、キリスト教徒弾圧

アムド チェンドック僧院C/R RFA
6月10日付のRFAによれば
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/pla-raided-amdo-machu-tsandok-monastery-06102008111744.html(チベット語)

アムド、マチュ(マ曲)にあるチェンドック僧院に数百人に及ぶ軍隊が突然押しかけ、
銃で僧侶達を脅しながら、僧院内の貴重品をことごとく略奪し、さらに僧侶一人一人の宿舎を回りそれぞれの部屋から金目のものをすべて持ち去ったという

その時会い逮捕者が出たかどうかは不明。
この僧院には普段400〜500人の僧侶がいるという。
写真はこの僧院に軍隊が押し寄せる光景。
貴重な証拠写真だ(C/R RFA)

軍隊は独立採算制とは聞いているが、最後はただの集団武装強盗となんら違いはない。
マフィア軍団の実態だ。


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チベットへの帰還行進は何度も逮捕されながらも国境近くまでたどり着きとうとう全員逮捕された。
その様子を伝えるビデオが以下に行けば見れます。
http://www.rfa.org/english/tibetan/
彼らは本当に頑張ったと思う。
参加者は最近チベットから亡命してきた僧侶、尼僧が多かった。
その他年老いたチベット人も多かった。

熱い熱いインド平原を数か月も野宿しながら歩き続けることだけでももちろん大変な忍耐がいることだ。
山地に入ってからは雨が続いたはずだが、雨にぬれることなど全く意に介しない人たちだ。
巡礼に慣れたチベット人だからこそやれるのだとも思う。
その上何度も逮捕され中には一か月拘置所に入れられていたものもいる。
強い思いがなければできない行為だ。


土地は飛んで15日にはローマでチベット人と支援イタリア人2000人が「チベットにオリンピックトーチを持ち込むことに反対し、イタリア首相及びEU代表が北京オリンピックの開会式に出席しないことを要請する」デモを行った。

17日にはNYでも同様のデモが行われ数千人のチベット人及びサポーターが中国領事館前からUNビルまで行進した
NYでは毎日小規模のチベット支援デモが行われているという。

日本人は大人しい人種なのか?人権に無関心なのか?情報不足なのか?つまり島国なのでデモは少ないようです。(外野からすみません!ちゃんと日本だって忙しい中やってますよね)

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以下はこのところ連続で添付させて頂いてる共同通信の今日付けの記事です。
チベットのことでは無いのですが、同じ中国政府の弾圧に苦しむキリスト教徒の抵抗情報戦の話です。

 北京五輪企画「五輪の風―世界が見る中国」6回続きの(4)
信者守れ、米から弾圧告発 
 スカイプが中国を変える 


米南部テキサス州ミッドランドの民家を改造した中国人牧師ボブ・フー(中国名、傅希秋(ふ・きしゅう))の事務所には、約一万キロ離れた中国から驚くほど多くのキリスト教「地下教会」の摘発情報が寄せられていた。
 中国では個人の通信も検閲対象だが、監視の網をくぐり抜け、デジタルカメラで撮影された「拘留通知書」などの公文書が添付された情報も多い。それを可能にしているのが無料インターネット電話の「スカイプ」。「検閲にかかりにくいため有力な伝達手段だ」とボブは説明する。文書が手元にあるからこそ「わたしの告発は国際的に信用されている」と語った。
 十五畳ほどの事務室の壁側に設置された本棚には、中国語と英語の宗教専門書がびっしり。書斎机に置かれたパソコンのスカイプ画面をのぞくと、中国大陸にいる百人以上の情報提供者のコード名が登録されている。
 「北京五輪を前に当局が五月初めから本格的な地下教会摘発を開始している」。ボブは誰よりも早く中国当局の動きをつかみ、「弾圧の事実」を自らが主宰する特定非営利活動法人(NPO法人)「対中援助協会」のサイトに掲示、世界のメディア、宗教者らにも電子メールで発信した。
 「事実の発信こそが拘束された信者を拷問などから守る最大の手段だ」
 一九八〇年代後半、地元の中国山東省の大学で共産党公認の学生組織の副代表を務め、党幹部候補だったボブの人生を変えたのは八九年の天安門事件。ボブも参加した北京の天安門広場での民主化要求運動を指導部が戦車を動員して弾圧、多くの学生が犠牲となった。
 「失意のどん底に突き落とされた時に心の支えとなったのがキリスト教だった」。中国では党公認の宗教活動以外は違法とみなされ、取り締まり対象となる。党のイデオロギーと矛盾する聖書の解釈も認めない。これを嫌い、民家などを使った「地下教会」活動に身を投じたボブは九七年、妻とともに拘束されたが、米政府の圧力で釈放、米国に逃れた。
 「ひそかに米政府高官と情報交換をしている」。中国でのキリスト教信者数は現在九千万人ともいわれ、米政府は中国に宗教の自由の拡大を強く要求。ボブは米政府と連携し北京五輪に向け中国への圧力を強めている。
 ミッドランドから北東約三千キロのニュージャージー州ベルフォードでもスカイプを駆使する在米中国人に会った。
 天安門事件で拘束された活動家のうち、米政府の圧力で最初に釈放された王濤軍(おう・とうぐん)は、中国・桂林の反体制作家、荊楚(けい・そ)とスカイプのビデオ電話で情報交換している。
 四川大地震で中国政府が情報を積極的に公開しているとの評価が出ていることに話が及ぶと荊は、ビデオ電話を通じ笑みを浮かべて指摘した。
 「未曾有の震災で、極めて多くの情報がインターネット上を飛び交い、政府は一時的に管理できなくなった。積極公開ではなく、情報を隠しきれないと判断しただけだ」(敬称略)(共同)


rftibet at 13:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年06月18日

チベット内では今も様々な迫害が続く。

ダラムサラツクラカン千手観音像18.6.08サカダワの今日も夕方からキャンドルライトビジルが行われ、ツクラカンの前庭では集会がありました。
上の本堂の周りはコルラする人、五体投地でコルラする人達で一日中大勢の人がお参りにきていました。
参道には恒例のインド人乞食の長い列が続いていました。
チベット人がこの日には沢山布施をすることを知っていて、近隣の乞食たちもこの日にはダラムサラに集まるのです。

そんな平和なダラムサラですが、
闇に閉ざされたチベットの中で人々は密かに祈っていることでしょう。
サラダワの日にも悲しいニュースは届くのです。

http://www.stoptibetcrisis.net/pr160608.html

連帯委員会 2008年6月16日 リリースY女史訳

確認された情報によると、3月と4月に逮捕された(と複数の情報筋によって確認
されている)大勢のチベット人達の所在が、その家族が捜索し続けているにも関
わらず、不明のままである。たとえば、デプン僧院で学んでいたが正式には僧
院に登録していなかったペマ・ツェリン、ペマ、サムテンの僧侶三名がいる。
彼らはトゥルン・デチェン郡チュサン町の出身で、中国当局により3月10日、デプ
ン僧院で逮捕された。だが、家族や親族達がラサ周辺のあらゆる刑務所や拘置所
を探し回ったにも関わらず、行方は依然として判明していない。
同様に、ラサ出身の僧侶ロプサン・ワンチュク、ロカ出身のタシとその息子のプ
ンツォク・ツェワンは、4月中旬にデプン僧院で90名の僧侶とともに逮捕されて
いる。それ以来、彼らについての情報を耳にした者はいない。

ラサ当局は最近の一掃作戦において、ラサ出身の知識人チベット青年テンジン・
チョダク(通称テンチョ)を、3月の抗議行動に参加した容疑で逮捕した。彼は4
月に自宅で逮捕された。父親はケドゥプと呼ばれている。逮捕されたテンチョと
その他数名のチベット人は、まもなく判決を受けると言われている。
20歳のテンチョはラサの社会福祉団体に勤務していた。


3月14日の抗議活動に対する無差別銃撃で、ソナムという女性がラモチェ僧院付近
で中国側の発砲を首に受けた。彼女はラサ・チベット医学研究所病院に三日間入
院し、手当てを受けていた。
だがソナムは、中国本土で勉強していたという彼女の娘チュ・ラク(フルネームは不明)およびその他の負傷したチベット人とともに、中国治安部隊によって病院から連れ出され、尋問を受ける際に激しい拷問にさらされたという。
母娘は5月下旬に釈放されたが、二人とも身体に障害が残り、深刻な状態に陥っているという。


http://www.stoptibetcrisis.net/pr170608.html

連帯委員会 2008年6月17日 リリース
Y女史訳

確認された複数の情報筋によると、6月15日、チベット自治州カンゼ郡(県)カンゼにて、少なくとも一人のチベット人男性が、平和的なデモを行った後に逮捕されたと伝えられている。この男性の詳細については不明である。
その前日の14日には、カンゼ郡テホルにあるカンマ・ゲンデン・サムドゥリン僧院の僧侶イェシェ・パルデンが、公安省郡役所の前で抗議を行い、「ダライ・ラマ法王にご長寿を!」「法王はチベットにお戻りになるべきだ!」「すべてのチベット人政治囚を釈放せよ!」といったスローガンを叫んだ。
彼は治安部員に鉄棒で激しく殴られた後、逮捕された。

中国政府とチベット政府役人の間の民族問題をめぐる思想の対立によって、セル
タ郡ホーシュル地区のチベット人長官が5月、中国人の上級長官に撃たれて死亡し
た、
と伝えられている。犠牲者の名前はロヤで、中国人職員を怒らせた行動につ
いては詳細不明である。

別の事件では、ランドルという名のチベット人が5月16日セルタ郡ニイチュで中国の五星紅旗の代わりにチベット国旗を3旒(3枚)掲揚した容疑で逮捕された。
このチベット人はツェシュルの遊牧民の村出身で、中国の人々全体が大震災で
苦しんでいる時期に抗議活動を行ったという理由でその場で暴力的な激しい尋問を受けた、と伝えられている。


rftibet at 21:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)チベット内地情報 

サカダワ、続ジャミヤン少年の証言、続ダラムサラ発共同通信

a1698b2f.JPG今日はサカダワのサカダワ?満月の日。チベット歴によれば、今日は仏が生まれ、悟り、涅槃に入られた日です
熱心な人は午前0時から寺に集まり五体投地等を始めます。今日だけはコルラの道を五体投地で廻るTCVの学生とかが見られます。
私も後で寺に行ってみようと思っていますが、何せこのところダラムサラはまったく雲の中、雨も降っててコルラは大変でしょう。

それでもここには宗教行為をなす自由があります。
RFAの中でもチベットの中の人達がいかに宗教的行為を禁止され、つらい思いをしてるかについてよく報告があります

今日なで本来さらチベット人は総出で近くの僧院、寺院に集い様々な宗教行事が行われる日です。チベットの人達は今日は特別につらい日となってしまっていることでしょう。

RFAの中で、このような状況においていかに仏教を守るかについてある高僧が話されていました。
「仏教は本来心に行じるものだ。外に行けない、寺に行けない、香を焚きに行けない、コルラに行けない、オマニペメフーンと口にするのも憚れる。そんな状況を嘆いてはいけない。仏教は心とコントロールすることだ。心に行ずるものだ。コルラに行けないことを嘆いてはいけない。
何より中国人を恨んではいけない。ニンジェ(慈悲)を心に念じて、周りの人々を出来るだけ助けるように」と。

これと同様のことは法王も何度も話されています。

しかし、チベット人が一人もいない僧院、コルラをする人も、香を焚く人も、五体投地をする人も、真言を唱える人もいないチベットは、、、もうチベットでないような、、、気がするだけだ。

日本人と結婚し、ここでおいしい豆腐を毎日作ってくれているアムド出身のジャムチェが最近話すには、「この前、故郷と様子を成都の兄経由で聞いた。
60過ぎて尼になった母が、隣町にも行けない、僧院にもいけない、いたるところに中国兵がいる、まるで文化大革命がまた始まったみたいだ、と言っているそうだ」


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一昨日のヒマラヤ越えに失敗しシガツェの拘置所に2か月入れられていた17歳のジャミヤン少年の証言について、大事なことを書き忘れてたことに気づきましたので以下補足します。

彼は峠で逮捕され、タシゾンにある軍施設に連れて行かれたが、その時一人別に呼ばれてある部屋に連れて行かれたという。

それは死体確認のためだった。なぜ彼だったのか?
彼は「自分は数年学校に行ったことがあって中国語が話せたからじゃないか?」と言ってました。

「その部屋には布でぐるぐる巻きにされた死体が置いてあった。顔まで包帯のようなもので巻かれていた。これじゃ何も判らない、というと、すぐに全部の布を取った。
裸の真白い死体があった。
それは確かにグループの中にいた尼僧だった。
心臓近くの胸と背中に撃たれた跡があった。
弾が背中から胸に抜けた見たいだった。
その尼僧の出身地とか名前を聞いて来たが、知らないと答えた」

この子は本当にいろんな辛い経験をしたのだ。

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以下はダラムサラまで来てちゃんと取材してくださった。
共同通信配信、今日付けの記事です。

北京五輪企画「五輪の風―世界が見る中国」6回続きの(3)

 「チベット仏教の僧侶と治安部隊が衝突。僧侶側に負傷者。約六十人が拘束されている」。三月十日朝、中国チベット自治区からのインターネット経由の情報を受け、米ワシントン中心部にある米政府系、ラジオ自由アジア(RFA)のスタッフは直ちにニュース原稿を作成。後にチベット民族居住地区で頻発した反政府デモを初めて報じるスクープとなった。
 一方、チベット亡命政府の拠点、インド北部ダラムサラのキルティ僧院の分院。三月十六日朝、二十九歳の僧侶ツェリンは中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州にある同僧院本院から「今、デモをしている」という連絡を受け、直ちに高僧に報告。約三時間後に再びつながった電話では発砲音が聞こえた。
 世界各地で北京五輪の聖火リレー妨害という前代未聞の事態に発展した反中国デモ。「(中国)国内と国外が呼応し合う関係」(ツェリン)が出来上がる過程で大きな役割を演じたのがRFAとキルティ僧院だ。
 RFAは米政府機関「放送理事会」傘下の放送局として一九九六年に設立された。「報道の自由」が制限されているアジアの国にその国のニュースを提供することを任務とする。ニュースの素材はその国の住民がインターネット、国際電話などでもたらす生情報だ。
 ワシントンの本部スタジオからの放送をチベット自治区、新疆ウイグル自治区などで流しているが、中国政府は放送の妨害に余念がないという。
 「葬送行進曲を流され妨害されたこともあった。別の周波帯に変えるなど対策を講じるほか、インターネットでも放送が聴けるようにしている」とチベット語放送部長のジグミ・ナポは激しい米中攻防を説明した。
 チベット自治区ラサなど中国内で起きた一連のデモで、中国治安当局が僧侶らに対し銃器などの武力を使用したかどうかが大きな焦点となった。
 治安部隊の暴力を示す根拠とされた弾痕がある僧侶の遺体などの写真数十枚は四川省アバのキルティ僧院本院のパソコンから、ダラムサラの分院に送られ、インドに拠点を置く非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターなどを通じ世界を駆け巡った。
 四川省アバでの抗議活動はラサでのデモが引き金。三月十五日にデモが始まり、携帯電話による連絡で情報を得た本院の僧侶たちも加わった。デモで拘束された僧侶の解放を求めて警察署に向かい、抗議行動は市民も含め一万人規模に膨れ上がった。この時、警察側が発砲、計二十三人が死亡したという。
 「逮捕されれば拷問されるし、死も覚悟していた。しかし中国の弾圧を世界に知らせるには北京五輪が開かれる年しかないと僧侶たちは思っていた」とツェリン。
 RFA編集主幹のダニエル・サザーランドは「中国内外のチベット人同士が事前に連絡を取り合いデモの計画を練ったとは思わない」と述べ、「ダライ・ラマが扇動した暴動」との中国政府の見解を否定する。(敬称略)(共同)舟越美夏


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チベットはヒマラヤの奥の単なる美しい国ではない、法王はただの指導者ではない。
人類全体で守るべき貴重な霊的、教えの宝庫、心の故郷なのだ。
己の心を守るがごとく、チベットを守らなければいけない。
貴重な宝物が今中国により消滅させられようとしている。
一度なくなれば二度とその利を味わうことはできない。
世界は灯火を失い、暗くなる。

サカダワにこの貴重な宝物を守ることを誓うべし。





rftibet at 12:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2008年06月17日

子供たち、共同通信、チベット帰還行進、オリンピックトーチ、法王その他

18c3e34a.jpg昨日、一昨日にお伝えした子供達へのインタビューは実のところ、
某国のX放送局が一緒に付きまとっておりました。
というか私はガイド兼通訳で雇われてたようでもありましたが、、
何しろカメラマンと私だけでしたので、知らない人が見れば私が作ってるみたいにも見えたかも?誰も見てないって、、、

どうもチベットのことを撮ってくださってありがとうございますです、が
これがいつどのような形ではたしてオンエアーされるかどうかはまだ解りません。
だから草々に勝手に発表してしまったというわけです。

もっとも私はインタビューの最中には話し相手をしてるか、通訳してるので、内容をノートできたのは名前と日付ぐらいです。
つまり記憶だけで書いたので、間違いもあるかも知れません。
詳しい翻訳が上がった時、もしもそれを見ることができるならもっと詳しい話をお伝えします。
X放送局はその他学校の様子、一時収容所で子供の絵の管理人となっているアマアデさんにもインタビューしています。
X放送局は5月初めにも、ラサで3・14日のデモに参加して、ここに逃れてきたソナムにも長いインタビューをしています。
でもまだ出ない!

やはり中国の壁は厚いのか?
でも実際撮ってくれた本人たちは「必ず出します」と言ってくれてます。
頑張ってくださいN放送。

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ついでにこちらは新聞社ですが、こちらに二度に渡り、のべ10日も取材して帰られた共同通信の記事の一つが今日出たはずです。
共同通信は昨日から6回シリーズで

北京五輪企画「五輪の風―世界が見る中国」
という力を入れた取材レポを発表しています。
その中、本日分はラッサン・ツェリン氏の話しでした。


中国チベット自治区などで三月に相次いだ暴動や抗議活動。「抑圧の停止」「自由の拡大」を求める動きは連鎖的に広がった。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世による「暴力犯罪」と決め付ける中国政府に対し、亡命チベット人のカリスマ指導者は「今こそ行動を起こす時だ」と独立要求を掲げ活動を再開。インドなどでの抗議行動を組織した若者たちにも大きな影響力を発揮している。
 監獄に響く拘束者の叫び声、軍人らによる激しい殴打、拷問で骨折した僧侶たち―。非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは中国当局による弾圧を生々しい体験談で伝えている。
 「中国政府は話し合いを必要としていない。(中国の枠組みの中で解決を図る)中道路線は全く非現実的だ」
 チベット亡命政府の拠点、インド北部ダラムサラ。中国政府が敵視する「チベット青年会議」の元議長ラッサン・ツェリン(55)は自営の小さい書店で怒っていた。
 一九七九年、最高実力者の/トウ/小平が「独立要求さえ取り下げればどんな話し合いもできる」と述べたのを機に、ダライ・ラマは自治権拡大を求める中道路線に転換した。だが、当時議長だったラッサンは独立要求を堅持。率直かつ情熱的な語り口で若いチベット人の心をつかみ、カリスマ的存在になった。
 「(中国の)チベット人は、チベット文化存続とダライ・ラマのために死を覚悟で立ち上がった。しかし、ダライ・ラマがそれを暴力と呼べば人々はどうしていいのか分からなくなってしまう」
 ラッサンは数年前、亡命政府が「中道路線は達成可能だ」という声明を発表したのを機に「障害になりたくない」として表舞台から遠ざかった。しかし三月以降、各国のチベット人を対象にした講演を積極的に受けるなど活動を再開。「世界の注目を集めるには北京五輪の今年しかない」。亡命僧侶らと共有する、切羽詰まった思いからだ。
 一方で実際の行動は慎重だ。チベット青年会議は「中国内のチベット人との直接的な接触の禁止」というラッサンの方針を貫く。「五輪後、中国による報復が行われる可能性が高い」と警戒、弾圧下にいる人々をさらなる危険にさらしてしまうことを避けるためだ。
 では、中国内との連携はどうやって築くのか。有効なのが「中国政府による非難」という。「中国政府がわれわれを非難すると、チベット人は真実がその逆にあることを直ちに理解する。中国のチベット人は何をすべきかが分かっており、われわれはそれを支えていく」。国境を超えたチベット人のきずなの深さに対する自信は強い。
 「チベット独立は、インドが中国国境警備などに投入している莫大(ばくだい)な軍事費削減を可能にする」。ラッサンはインド政界との接触にも乗り出し、活動を一段と強化している。(敬称略)(共同)



この記事を書かれた、共同のMさんはすでに子供の絵の話とかも記事にされています。
明日も彼女の取材されたチベットの記事が共同配信各社の新聞に載るはずです。
ダラムサラについては新聞では共同、テレビではX放送が一番詳しく取材してくれてます。


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次は、チベットへの<帰還行進>の話。
3月10日にここダラムサラを出発し、丁度100日目にあたる今日、とうとう国境警備隊に全員逮捕されました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21654&article=50+marchers+arrested+close+to+Indo-Tibet+border+as+China+changes+Tibet+Olympic+torch+relay+routehttp://tibetanuprising.org/2008/06/17/press-release-marchers-arrested-in-border-area/#more-480
昨日のニュースでは
このチベットの行進組を地元のマハラジャが宮殿に招き、「59年以前にはこのチベットへのルートを使って多くのチベット人たちが塩を運び来たったものだった。チベットが一日も早く解放されることを願うよ」とか励まされ、なかなかいい雰囲気だったのでした。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21637&article=Marchers+to+reach+Tibet+border+area+tomorrowしかし今日朝9時半国境の検問を突破しようとした、チベット人50人に対し、200人の警官隊が動員され全員逮捕されました。

TYC代表のツェワン・リクジンは「100日間我々は今も中国の暴力的弾圧のもとで苦しみ続けるチベットの兄弟姉妹との連帯を示すために歩き続けた。チベット国民は今中国に囚われの身だ。中国は今また、我が国の神聖なる首都ラサにオリンピックトーチを持ってこようとしている。傷口に塩を塗るような行為だ。我々は今また新たに、チベットの完全独立を勝ち取る非暴力の闘争を継続する堅い決心をする」
と語りました。

これに先立ち彼を含め、5団体の代表は12日間拘置所に入れられてました。

このマーチについてはジャミヤン・ノルブが何時ものように興味深い記事を寄せています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21648&article=THE+LONG+MARCH+HOME+%e2%80%93+Jamyang+Norbu

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その他デモと言えば今日は朝からこのダラムサラでも久しぶりにしたの町までの長いデモを行いました。<3・10日から100日>と言うことで戦いの心新たにするためです。

ネパールは毎日デモして毎日大勢のチベット人が逮捕されています。
今も外国としては一番はげしいデモ場です。

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オリンピックトーチと言えば今日ウルムチにトーチが来ました。
これに先立ちウイグル人1000人ほどが逮捕されととか。
愛国教育もチベットと同じようにシルクロード全域で行われているようです。
http://phayul.com/news/article.aspx?article=China+clampdown+for+Olympic+torch+in+Xinjiang%3a+residents%2c+exiles&id=21626
今日も民衆はトーチを見に来ることは禁止され、家でテレビをみてろ!窓から顔を出してもいけない!と言われたそうです。これBBCです。
もちろん念いりに選ばれた応援団だけは中国の国旗振り回していますがね。


ラサにトーチが来る日については中国は変更を繰り返し、今も予定は未定のままです。
しかしおそらく今度の土曜日に来るだろうと予測されています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21653&article=Lhasa+Torch+Relay+Tarnishes+Olympic+Movement


最後に法王が台湾メディアのインタビューに応える形で中国人に対するメッセージを伝えている記事を紹介だけ。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21640&article=INTERVIEW%3a+People+of+Taiwan+still+in+thoughts+of+the+Dalai+Lama法王はオーストラリアでは中国人ジャーナリストグループや、民主化を求める中国人グループ、一般の中国人グループと積極的に話し合ったりされました。
今はヨルダンに飛ばれて<ノーベル平和賞受賞者会議>に参加されています。










rftibet at 17:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年06月16日

峠で中国兵に逮捕されたジャミヤン少年の証言

0cbde4ae.JPG昨日の続きです。

その学校で会った同じヒマラヤ越えをした6人の学生のうち、
ジャミヤン・サムテン当時17歳は寝過し道に迷ってしまったグループにいた
絵はジャミヤンに書いてもらった拘置所と拷問道具、涙を流す彼です。

訂正:日本のガイドブックにはナンパラの標高は5741m(昨日5710mと書いた)となっていました。

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以下彼の証言:

33人はガイドもいなくなり、道も定かでなくどうすれば良いのか判らなかった。
そのままそこに寄り添ってガイドが帰ってくるのをあてにして3日留まった。
3日後現れたのはガイドではなく、中国兵だった。
彼らは威嚇のためか廻りに銃を発射した。

全員捕まった。
山を下され、タシゾンの軍の駐屯地に連れていかれた。
そこで、中国兵たちの食事のあまりが与えられた。

次の日ディンリ(定日)の拘置所に移された。
ここに4日間いたが、毎日尋問があった。
ツァンパ(チベット麦焦がし)が1日に一回出たが、ネズミのフンが沢山混じってた。
最初の日には名前とか出身地とかの質問だけで何もなかった。
しかし次の日には、「ダライラマを知っているか?ダライラマはどこで生まれたのか?年齢は?」
「知らない、ダライラマのことなど何も知らないよ」
「嘘をいうな!」
と言って、殴ってきた、倒れると足で頭を踏みつけたり蹴ったりした


「父親や母親の名前は?」
「二人とも死んでいない、自分一人でラサで暮らしてたんだ」
「嘘言うな!」
と言ってまた殴る。
それからの三日間は同じような質問ばかりだった。
最後まで何も知らないといい続けた。

彼らは鉄のバックルのついたベルト、棍棒、電気棒を使って殴り続けた。
彼「この傷はベルトで殴られるのをよけようとしてできたものだよ。何度も続けてベルトで殴る」
彼の左手の肘のまわりには何本となく傷痕が残っていた。
私「電気棒でやられるとどんなになるの?」
彼「だいたい首の後ろに押し当てるよ。すぐにすごいショックが全身に走り、体中が燃えるように感じる。すぐに気絶することがほとんどだった。前に倒れたりする。
気が付いてもなかなかちゃんと立てないよ。フラフラになってる


そのあと、今度はシガツェの拘置所に送られた。
そこに2か月入れられてた。
食事は日に一度だけだった。

最初の1か月は大変だったよ。
毎日朝6時から夜の9時まで、
両手を前に上げその上に木の椅子を載せられ、そのまま腰を落として中腰にさせられ、頭の上にガラス瓶を載せられる。
頭からビンが下に落ちると、すぐに監視が来て殴られる。
またやらされる。その繰り返し


最初は5分とそうしてられない、震えが来る、冷汗がでてくる。
そのうちだんだん長く我慢できるようになるよ。
でも死ぬほど辛かった。
外で陽に当たりながらながらだったので喉もカラカラに乾いて辛かった。

後の1か月はそれが無くてまあまあだった。

2か月してラサまで送られ解放された。
金を工面して再び国境行きのトラックにのった。

私「どうしてまたやろうと思ったの?捕まると大変なのは判っていたのに」
彼「自分より小さい子供たちだってちゃんと亡命に成功している。
自分はもう大きいのだから、できないはずはないと思ったからだよ。
でも監獄の中国人は、今度またやったら銃殺だぞ!といってたよ」

「お金は国にいたとき<冬虫夏草>をたくさん採って自分で貯めてたのがまだ有ったし、少しは知り合いに助けてもらったりしたよ」

今回はダムの近くまでトラックで行って手前から山に入って、河を越えてネパールに抜けられた。
2006年の12月13日のことだったという。


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年少であろうと、女性であろうと拷問するのが中国の特徴だ。
恐怖が統治のテーマだから。









rftibet at 16:36|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年06月15日

続ヒマラヤ死の逃避行

dcc3fced.JPG添付の絵は銃殺を目撃したガンツォが画いたナンパラ(ナンパは「仏教徒」ラはチベット語で「峠」)への道。絵の説明は最後の方です。

ナンパラは標高5710m!。
もちろん夏でも一面雪と氷の世界です。
多くの亡命者はここを冬に越えてきます。

冬は、時として行手の大きな障害となる川が氷り渡り易くなること、
峠の警備が薄いこと、
越えたあと法王の新年好例の長い法会に加わることができること、
春から始まる新学期にちょうど良く間に合うこと、
等の理由によるのです。
もっとも冬に5710mの峠を越えることは、いくらチベット人でも大変な危険を伴うことです。
実際多くの死体が峠で凍ったまま野ざらしとなっているそうです。
私も写真だけは見たことがあります。
また、子供たちは十分手足の防寒に気を付けることができず、手足の指先から凍傷になり、酷い場合は切断ということももちろんあります。

彼女達の峠越えは9月初めであったが、雪が胸までの高さまで積っていたという。

以下はガンツォの証言による。

グループの総勢は亡命者74人にガイド2人。
そのうち10歳ぐらいまでの本当の子供が15人ぐらいいた。
ラサからの車を離れ山に入り12日目、やっと峠の前までたどり着いた。
峠を越える前の日、手前で雪の上に、何時ものように、皆寄り添い何も下に敷くものもなく、上に懸けるものもなくしばし眠りに付いた。
しかしその夜は夜半より行進を始めて一気に朝には峠を越えるという計画だった。
それはガイドが峠には中国の兵隊がいるらしいので、闇にまぎれて突破しようと言ったからだった。

夜半に出発したが、実はこのときこの大きなグループのうち33人は寝過してしまい、ガイドを伴った先発隊とはぐれてしまったのだ。
遅れたグループはそれでも峠と思える方向に向かって登って行ったが、道は定かでなく、迷い続けた。
結局このグループの33人は全員その後中国兵に逮捕されることになった。

その中の一人ジャミヤン・サムテンは撃たれた尼僧の遺体確認やら、シガツェの拘置所に2か月入れられ、拷問を受けたりの経験をすることとなった。解放後再び亡命を試み成功した。
彼の詳しい話は後ほど。



14/6/08 tcv suja 峠を越えた6人
先行隊は夜中峠を目指して登り続けた。
しかし峠が近づくころにはもう夜はすっかり明けていた。

ここでガンツォの絵を見て頂きたい。
まず彼らは外国人登山隊(彼らが貴重な映像を撮って世界に流した人たちだ)のテントを見つけ、そこに寄ってビスケットとかお茶を貰ったという。
彼らはもう二日前から食糧も尽きはて、ただ氷を食べながら進んでいたという。

そこから少し行ったところで、上の方から外人の登山者たちが降りて来て
この先には中国兵がいるぞ!危ないから行かない方がいいぞ!」
と教えてくれた。
しかしみんなそのまま先に進んだ、しばらくすると上のほうに中国兵が現れこちらに向かって「ここまで登って来い!来ないと撃つぞ!」と叫んだ。

みんなその時は極限状態だった。
この二日間何も食べておらず、高地の登りは胸を裂き何も考えられなかった。
ただそのまま一歩一歩前に進んだ。
多くのもの者たちはその時逃げるために身軽になろうと背負っていたリュックや上着を脱ぎ棄てた。自分のそうした。

そのうちグループの誰かが
撃つなら打て!もう何時死んでもいいんだ!もう何も怖くない。撃つなら打て!」と言った。
グループの先頭には尼僧たちが数人いた。
自分たちは数人でその後ろ5,60mのところを歩いていた。

突然バンバンという銃声が聞こえたと同時に頭の上をヒューヒューと銃弾が走る音が聞こえた。
前を歩いていた尼僧のグループのうちの一人に弾が当ったらしく、「キャー!」という叫び声が聞こえた。
私は全身鳥肌が立ち、怖くて身体が震えた


他の尼僧が倒れた尼僧を抱えたが、しばらくして死んだと思ったのか、皆そのまま歩きはじめた。

中国兵は下に降りて来ているようだった。
また後ろから来ていた男の子が足を撃たれ、倒れた。

自分たち3人は近くの山影に隠れ、急いでそこの雪に穴を掘って身を隠した。
朝9時ごろから昼の2時ごろまで5時間はそこにじっとしていた。
死ぬほど寒かった。

もう大丈夫であろうと思い外に出た。
そのまま尼僧たちの歩いた道を行った。
死んだ尼僧の顔は真白だった。
目も白くなってた。
胸から出血していた。

それからじょじょに下って行った。
でも道が良く判らず大変だった。
みんな目が雪でやられほとんどよく前が見えなかった。
また雪の上で寝た。

以上

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絵の説明:
ナンパラ手前の状況。
右端のナンパラに向かって左手から登って来た。
テントはもちろん外国登山隊のもの。
テント右手で上の方からリュックを背負って降りてくる5人が途中であった登山家たち。
右手先頭居るのが尼僧グループ。このうち二番目の尼僧に最初の銃弾が当った赤い色は血の色。
彼女はその後ろの二番手。上の方に一人少し離れている。
さらに後ろに緑色に塗られているのが銃を撃つ中国兵3人。
実際ははじめもっと上から撃ってきたという。
最初の中国兵のすぐ後ろの子供の足から赤い血が出ている(見え難い)。
足を撃たれたのだ。

私が一つ質問した。
「自分はこの時の映像を見たんだが、ひとつ疑問に思ったことがあるよ。
何でみんな撃たれて倒れた人がいるのに、ほとんどそのまま歩き続けて行ったのか?
普通なら、銃声を聞いたと同時に体を伏せるなり、逃げようとバラバラに急いで散ったり、倒れた者を助けようとしたりするんじゃないかな?」

「道はヤクや人が踏み固めた一本の細い条のようで、周りは胸までの雪が積ってる。
横に逃げることは簡単にできない。それにもうみんなその時は疲れ切ってた、夜中から休むことなく歩き続け、食べてない。登れば登るほどに息は苦しくなる。
普通に考えることができなくなってた。一度止まるともう先に歩けなくなるような気がしていた。きっとそんなだったからだと思うよ」

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彼女はその時16歳。
大変な経験をすることとなった。
それでも彼女は中国兵に捕まらず5710mの囚われの国境を銃弾にも当たらず超えることができた。
運が良かったのだ。
捕まったこどもたちには更なる試練が待っていた。






















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ヒマラヤ死の逃避行

前回紹介したラサから来た女の子のいる、学校には他にも大事な証人が沢山いた。

皆さんの中にはヒマラヤを越えるチベット人の一団に中国兵が発砲し、チベット人が倒れるというシーンを捕らえた貴重な登山隊の撮影フィルムをご覧になった方のおられることでしょう。

そのグループにいた6人の子供たちに会ってその時の話しを聞いた。

子供と言ってもこの子たちはその時16,7歳現在18,9歳の子供たち?ばかりだった。
その他もちろんもっと小さな子供もグループのなかにはいたが、取りあえずこの学校に居る子は6人だった。

彼らは全員もういろんなとこに出ているので、本名を出しても良いとのことでした。
前回のガワンと違ってもうこちらにきて2年経ったからであろう、何でも話すよと言った風だった。
彼らは2006年の9月初めにチョウオユウの左肩にあたるナンパラ(ナンパ峠)を越えようとした74人の中にいた。
6人の氏名は:
1)ドルマ・ペキ  18歳 女 カム・チャムド出身
2)ソナム・チュンジェ 18歳 女 カム・チャムド出身
3)ジャミヤン・サムテン 19歳 男 カム・チャムド出身
4)テュラム・ロテュ  19歳 男 カム・チャムド出身
5)ガンツォ     18歳 女 カムチャムド出身
6)ダドゥン     18歳 女 ラサ近郊 ロカ出身

最初はみんな一緒になって話しを聞いていたのだが、状況が判った後には、
実際に目の前で尼僧が撃たれるのを目撃したガンツォともう一人逮捕されシガツェの拘置所に二か月間拘留され、拷問を経験したジャミヤン・サムテンに特に話を詳しく聞くことにした。

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ここで急用あり、いったん中断します。
失礼!。





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3/10のデモに参加し逃げ来った子供たち

ca5ecd09.JPG3月10日にラサで何があったのか
昨日私はこの日ラサにいて、かつケンブ(デモ、抗議活動)に自らの参加し、ダラムサラまで逃げて来た、三人の子供に会ってきた

彼らは今ダラムサラから数時間ところにある、TCVの学校で寄宿舎生活をしながら勉強に励んでいる。

以下本人の希望により仮名とする。
16歳の女の子ガワン、13歳の男の子ソナムそれに9歳の女の子ヤンチェンは同じカム、チャムドの出身だ。みんな親がインドに亡命し、法王に会い、勉強をすようにと送り出した子供たちだ。
三人はラサで出会い、ラサからダラムサラまで逃避行を供にした。

年長のガワンに話を聞いた。
「ネパールの一時収容所にいたときにはオフィスから、外の人にラサのことなど話してはいけないよ、と言われてた。だからネパールでは何も話さなかった。
でもここに来ると、みんなが、話さなければいけない、皆に知ってもらうために話さないといけない、という。」
と言って、恥ずかしさもあるのか始めはあまり話したがらなかった。
こちらにきて間もないからか、長い緊張の日々を経た痕跡が少し感じられる子供だった。
でも話始めると、だんだん大きな目をしっかりこちらに向け一気にしっかり話を聞かせてくれた。

数少ない貴重な証言である。

ーーー

ガワンは故郷から三月初めに送りだされ、ラサのラモチェにいる伯父さんのところに身を寄せながら、インド行きを待っていた。

3月10日、彼女は丁度その日、現像した写真を受け取るためにパルコルに行った。
写真を受けっとった後パルコルを廻っていた。
そのうちあたりの人々が騒ぎはじめた、「セラの僧侶二人が<チベット独立>を叫んで、捕まった!殺されるぞ!」
と誰かが叫んでた。
みんながその僧侶が連れて行かれたという派出所に向かった。
みんなが<チベットに独立を!><ダライラマ法王に長寿を!>と叫び始めた。
どんどんチベット人が集まってきた。
ものすごい人がいて、みんなが<チベット独立!(プーランツェン)>と叫んでた。

しばらくすると、30〜40台の軍隊のトラックがジョカンの前に現れて、大勢の軍隊がデモ隊に迫ってきた。
小競り合いはあったが、蹴散らされ、徐々にチベット人は減り始めた。
顔が血だらけになった女の人を見た。かなりの人たちが軍隊に殴られていた。

自分たちも2時ぐらいにはラモチェの家に帰った。でもその時にもまだ半分ぐらいのチベット人はそこで叫んでた。

その日も次の日も伯父さんから外に出ないようにと言われたので外のことは全く知らない。

12日の朝国境行きのトラックに乗った。
途中夜に山の中を何時間か歩かされた。
検問を抜けるためだと言われた。
14日、夜国境の手前で下ろされ、山を歩き、川にかけられたロープを伝ってネパール側に渡った。

カトマンドゥの一時収容所に着いた時には安心し嬉しかったという。

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彼女は話終わり、しばらくして、私の目を見ながら「本当にチベットは独立できるのですか?」と聞いてきた。

私は一瞬言葉を失った。

この子は本気に知りたがってる。

何と答えるべきか?

「大丈夫きっと時間がかかるかも知れないけど、自由になる日は来るよ。
本当には中国が変わらないとね。民主主義にならないとね、、、
でもダライラマ法王も世界を回って皆に助けてくれるように訴えてるし、EU アメリカ 日本も応援してる、、、」
とまで言って急に胸がつまってきて声が続かなくなってしまった。


その子の心からの望みに答えられない、、、
「本当はほんとに難しい話なんだよ、、、」とは言えない、、
絶望的状況。

何かを察して彼女も涙ぐんだ。


写真は3月10日に受け取った<ジョカン前に立つガワン>
この子はいったいいつ再びチベットに帰れるのだろう。


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昨日はさらに同じ学校にいる子供たちにも話を聞いた。
その中で、最近U-tubeにも流れた2006年9月、尼僧一人が銃殺されたナンパラ峠事件の当事者6人の子供に会った話を次回お伝えします。
















rftibet at 11:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年06月14日

「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達

3c7ede31.JPG以下はロイターが伝える、現在のアムド、アバのラプランとかツォェの様子です。
記者が入って実際に人々から話を聞いたようです。


http://phayul.com/news/article.aspx?id=21616&article=Tibetan+monks+forced+to+take+%22patriotic+tests%22
Tibetan monks forced to take "patriotic tests"
「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達

Reuters[Friday, June 13, 2008 12:55]By Lucy Hornby
ロイター通信 ルーシー・ホーンビー
翻訳Y女史

【甘南チベット族自治州】 中国域内に広がるチベット人街や僧院でデモが頻発するようになってから3ヶ月。僧侶達は僧侶であり続ける許可を得るために、おそ
らく9月には「愛国テスト」を受けなければならない、という。甘粛省の南に広が
る甘南自治州ではチベット系住民の割合が高く、3月14日のラサでの騒乱の後も緊
張が高まっている。武装警察隊が主要な僧院へのアクセスを監視する傍らで、僧
侶達は罰金の支払いや「愛国教育」の教材をマスターするよう強制されて苦闘し
ている。

僧院では当局の作業チームが、騒乱の首謀者と名指しているダライ・ラマへの忠
誠を破るための愛国教育を監督するため、駐留している。僧侶達によると、この
作業チームは8月の北京オリンピックが終わるまで僧院に留まると見られている。

愛国教育用の教科書は中国語とチベット語で書かれており、自治州の法律を含む
中国法や、チベットの独立とダライ・ラマを非難する章などから成る。「信じら
れない。どうして私達がこんなことをしなければならないのか?」と、あるチベ
ット人農夫は言う。「世界中が賞賛しているというのに、なぜ中国はダライ・ラ
マ法王様を非難するのか?」
『プロパガンダ教材』と題した別の教科書には、「暴動中にわが自治州で何が起
きたか」「チベットが中国の一部になった歴史」といった章から構成されている


ダライ・ラマ法王は1959年、中国支配下からの蜂起が失敗に終わった後、インド
へ亡命した。その間、甘南自治州の僧院からは貴重品が略奪され、僧侶達は排除
された。毛沢東の推進した大躍進政策の下、極端な工業化により人々は飢えに苦
しんだ、と地元民は言う。
「いまや中国は、私達をテロリスト呼ばわりし、あるいは『チベット分離主義者
』と呼んで、私達が国を愛さなければならない、と言い張る」と、ある若い僧侶
は述べて、そのフレーズを中国語で繰り返した。質問されたら何と答えるのか、
と尋ねられて、背の高い若い僧侶はため息をつきながら両手に顔をうずめた。
「彼らはテストを受けるしかない。これこそ『不・自由』そのものでしょう」と
、一般のチベット人は言う。「私達チベット人には、何も言う権利がないのです



"DON'T GET INVOLVED WITH POLITICS"
<政治に関わるな>


甘南自治州では3月に2000人以上の人々が逮捕拘束されていたが、一ヶ月以内に釈
放されたのは200〜300名だけだった
。地元警察車両や政府のゲストハウスに火をつけたことにより「殺意あり」と見做され、いまだに拘束され続けている。
僧院に続く道では、武装警察が運転手を漢人かどうか確認し、車両を確認した後
に、ようやく通行が許可される。
甘南自治州の州府所在地であるツォェ(中国名・合作市)では、カモフラージ
ュした人民解放警察が僧院への入り口を閉鎖している。9階建て(実際は13階建)のミラレパの塔で知られる僧院に至る道では、普段なら僧侶達や巡礼者でにぎわう往来が途絶えている。

中国憲法では宗教の自由も定められているにも関わらず、仏教やそのほかの宗教
は政府の組織によって管理されている。愛国テストがどれほど広い範囲で実施さ
れるか、まだ明らかにされていない。「国から派遣されてきた作業チームは、僧
侶達は経典を読むだけで政治に関わっていはいけない、と私達に命令する」
ディエブ郡の外れにある小さな僧院の年老いた僧侶は語る。

甘粛省南の山間の町ゾニ近郊のある僧院では、僧侶達はジャーナリストに話す
前に、赤い僧服を着た少年達を遠くへ追いやった。11歳のその少年達は蜂起との
関わりを疑われて3日間拘束されたという。彼らの親戚は、少年達の釈放にあたっ
て一人あたり3000元ずつ罰金を支払わなければならなかった。

家族達もまた、10日〜2ヶ月間の拘束の後に僧侶達を釈放してもらうため、5000元
(725ドル)以上の罰金を徴収された。この金額は甘南自治州での平均年収を超え
ている。甘南自治州ではチベット人達の多くは街に住んでいるが、高原の遊牧民
もまだ残っている。
「恐ろしかった」と、地元警察に10日間拘留された一人の僧侶は、強い中国語訛
りで語った。「家族が支払えない時は他人から借金するのだ。私の家族はヤク(
チベット人の貴重な家畜)を売り払わなければならなかった」

(Editing by Nick Macfie and David Fogarty)
(ニック・マクフィー、デビッド・フォガティ 編集)


rftibet at 20:15|PermalinkComments(2)TrackBack(0)チベット内地情報 

2008年06月13日

チベット人は虫のように殺される。

c7f447b9.JPG本日6月13日付の委員会リリースによれば、
http://www.stoptibetcrisis.net/pr130608.html

5月20日ラサで一人の女性が検問に掛かりその場で射殺されたという

朝11時ごろ彼女はで従兄に会う為にツクラカン(ジョカン)に向かっていた。
服装はチベットのチュバ(チベット服)で頭にスカーフを巻いていた。
彼女は薪倉庫の前で中国の軍人たちに止められた。
何か言い争いがあったようだった。
軍人は彼女の胸目掛けサイレントガンを発射した。
その場で彼女は崩れ落ち、死亡した

目撃者によれば、その出来事に気付いたチベット人たちが集まって、目撃したのは胸から出血した死体だったという。
それを見た軍人たちは銃をを見せつけ群衆を蹴散らし、死体をどこかへ運び去った。彼女がロカ地区の出身ということ以外詳細は依然不明とのこと。

ーーー

チベット人はいつでもどこでも検問に掛かる。
そこは下手をすると銃殺される場所なのだ。
気にくわないチベット人と思われるだけで、、、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日のRFAから、少しだけ、

まず、デモの情報としては、新しく6月12日にカンゼで20歳の男性 パンデン ワンゲが一人でチベット国旗を掲げ行進したという。
そして逮捕された。


シドニーでダライラマ法王が記者会見で
「S・ストーンのカルマ発言についてどう思われるか?」
の質問に、
「S・ストーン女史はよく知っている。仏教ではすべては縁起すると説く、レーギュンデ(カルマ)を善悪の行動について説く。
今チベットで起こっていることも、ビルマで起こったことも、中国で起こっていることもすべてレーギュンデだ。
しかしその時、S.ストーン女史がどんな意味で<カルマ>と言ったのかについては判らない」
とお答になったという。

ダラムサラは今、派手な雷付きの嵐の最中。
停電になって長い、もう充電が切れるのでここまでで一旦切ります。
あしからず。












rftibet at 19:28|PermalinkComments(3)TrackBack(0)チベット内地情報 

聖火リレー、厳戒態勢下のチベットに到着

db0ed08e.JPG写真はTYCの<チベットフリーダムトーチ>こちらも現在世界を廻ってる。

天界にあるべき<シャングリラ>が最近下界世界の至る所に出現している。

6月11日、言葉の国、中国が主張するシャングリラにオリンピックトーチが到着し去って行ったらしい。

「シャングリラにオリンピックトーチ」とは、何も知らない人には二度目出たい話に聞こえることでしょう。
そこは、雲南省の中、デチェン・チベット族自治区の香格里拉(シアンゴーリーラー)、何だか中国読みだとアフリカのどこかの地名かな?とも思えたり。
嘗ては<中旬>、中国に侵略される前は(今でもチベット人にとっては)<ギェルタン>と呼ばれる町のことです。
マツタケの産地としても有名で日本にもたくさん輸出されています。


以下Phayul.comに転載された、ロイター通信のレポートです。
訳Y女史
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21601&article=Olympic+torch+arrives+in+Tibetan+areas+amid+tight+security

Olympic torch arrives in Tibetan areas amid tight security
聖火リレー、厳戒態勢下のチベットに到着
Reuters[Wednesday, June 11, 2008 17:09]
By John Ruwitch
ロイター通信 2008年6月11日 ジョン・ルウィッチ

6月11日(水)、中国は山あいの街シャングリラ(香格里拉)で聖火リレーを実施
した。シャングリラは、海外の人権団体からの抗議を意に介さない中国が聖火を
持ち込んだ、チベット地域では最初の地点である。きわめて厳格な警備態勢で、3
月以降チベット全域で相次いでいる抗議行動に当局が神経質になっている様子が
伺える。

シャングリラ郊外のある僧院では、僧侶達は聖火リレーが通過する間は外出を禁
じられていた、という。上師のアドバイスによって外出を控えた僧侶もいれば、
経典の読誦のクラスにあさ7時から午後3時まで強制的に詰め込まれていた僧侶もいた。
宿舎に留まるよう警察に命じられていた、と言う者もいる。
武装警察は通り沿いに警備を固めており、建物の屋上を監視したり、中継地点に
駐留している。

チベット地域における中国当局の弾圧を受けて、海外各国を巡っていた聖火は人
権活動家やチベット支援者達による抗議の的となっていた。聖火を消そうとする
等の抗議活動は、中国人の神経を逆なですることになった。

SHROUDED IN SECRECY
<秘密に覆われて>
以来、中国はチベット域内における聖火リレーの日程を3日間から1日へと短縮し
、正確な日程も公開していなかった。5月にはチベットの象徴であるエベレスト頂
上に聖火を持ち込み、亡命チベット人社会の怒りを買っている。

Students for a Free Tibet (SFT)
は国際オリンピック委員会(IOC)へのアピールを繰り返し、「これ以上の人権侵
害を回避」するべく、チベット域内への聖火リレーの中止を中国政府へ要請する
ように主張している。「IOCが何の発言もなく、聖火のチベットへの進入について
黙認するのであれば、中国当局による暴力まみれのプロパガンダを促しているよ
うなもの」と、SFT事務局長のランドン・テトンは述べている。

2002年までは中甸(ちゅうでん)という地名だったシャングリラでは、チベット
人を含む支援者達がリレーの経路沿いに集まり、通過していく聖火に声援を送っ
た。
チベット自治州は簡略してチベットと呼ばれるが、実際にチベット人の住む地域
は雲南省、四川省、甘粛省、青海省にも広がっている。

北京オリンピックの旗を持っていた25歳のスヌオ・キリンは、「チベットでオリ
ンピック聖火を見て、本当に感動した」と述べた。チベット域内への聖火の持ち
込みをめぐる議論については、中国語で「フェイフア(ばかばかしい)」と答えた。


もう一人のチベット人シラン・クゼンは、レストランでの仕事を休んで、聖火が
通過するのを何時間も待ったという。「他の地域ではトラブルがあったけれど、
雲南省では何もなかった。ここでは聖火が通ることは問題になっていないし、100
%何も起こらないと思う」
共産党もそれを許さないだろう。住民達によると、数千もの駐留軍がこの地域に
やってきているという

約800名の僧侶が生活しているスンツェリン僧院では、ある信者は、たとえ許され
ても聖火を見に行くことはなかっただろう、と語った。「聖火はここに来るべき
ではなかった。チベット人に対する、ちょっとした侮辱ですよ


(Editing by Jeremy Laurence)
(ジェレミー・ローレンス編集)

rftibet at 15:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報