2008年11月

2008年11月29日

国際チベット支援団体特別会議一日目

5f607af1.JPG会議一日目。
9時から始まり、夕方6時半まで満っちり。
慣れない英語の参加型会議に少々疲れ気味。

初めに、大臣でもあり、デリーオフィスの代表でもあるテンパ・ツェリン氏がこの会議に宛てた法王のメッセージを読み上げ、議会議長のカルマ・チュペル氏がダラムサラで行われた特別会議の報告をして、サンドゥ・リンポチェが長い演説。
その間にインドの重鎮たちのスピーチ。
休憩後にはギャリ・リンポチェが中国との会談の様子を報告し質疑応答。

昼食後には全体を三つの部会に分け、討論会。
議題はどこも一緒で、まず「チベットのための政治的支援」
次に「国連とEUへの働きかけ」でした。

私の加わった部会ではイギリス人とインド人が討論の中心でした。
「この場合の政治の定義は何か?」から始めるところがインドらしくもあり、イギリス人の実務的討論に感心し、ケニア人のインテリさにふとオバマ氏を思い出し、イタリア人の訛りの利いた英語を楽しみ、、、といったところで内容についてはあまりに多岐に渡ったので、ここですぐには報告不可能です。

牧野氏は意見を求められ発言。
「今回の会議の要点は、チベット人がこの前の特別会議で決定した要項をしっかり承認することにあると思う」
「チベット解放の前提条件は中国の民主化だ。この意味で中国の民主化組織と連帯することを第一と考える」
とおっしゃいました。
これに対しケニア人は大いなる賛同を表明しました。

このケニア人はこの前亡命政府と法王が中国に提出した「チベットの真の自治に関する覚書」の重要性を解説し、其々の政府に対し、中国の法律の枠内でチベット人はこの要求を出したにも関わらず、中国はこれを分裂主義者のたわごとと言った事実の重さを説明すべきだとおっしゃっていました。

中国の少数民族すべての状況にも当てはまる、この自治権要求の問題を否定することによって中国は自らの法律を否定したことになるわけです。

そこで日本事務所にお願いしたいことがあるのですが、、、以下に「覚書の要約」が翻訳掲載されていますが、
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/081116_autonomy_summary.html
できれば要約前の全文を翻訳して頂きたい。
重要な資料だからです。全体は要約では味わえない、素晴らしい内容と考えますし、初めて文書として「中道」の意味が規定されているからです。
これまで、無かったのも不思議ですが。

今日のところは簡単ですがこれで御勘弁を。













rftibet at 22:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2008年11月28日

国際チベット支援団体特別会議・前夜


明日9時から開かれる特別会議を前に、今夜続々と各国から参加者が、会場となるホテルに集まりつつあります。

会場はニューデリー空港の南26キロにある というホテルです。広い敷地には寒々と色んなプールが広がっています。
デリーもこの時期は少しも暑くなく、朝晩は相当冷えます。

参加30カ国、総勢105人。
国の内訳を多い順に並べると:
インド29人、アメリカ16人、フランス9人、日本5人、イギリス4人、ドイツ3人、ロシア3人、スイス3人、チリ3人、イタリア2人、オランダ2人、韓国2人、ノルウエー2人、南アフリカ2人、アイルランド2人、ビルマ2人、オーストリア2人、その他一人づつがコスタリカ、バングラデシュ、ギリシャ、ケニア、ネパール、リトアニア、台湾、ベルギー、エストニア、ウルグアイ、デンマーク、カナダ、スエーデンです。

今回の会議はインドの支援グループが金銭的支援も主に行っています。
参加者も最多です。次にアメリカ、フランスも目立っています。アジアでは日本も5人と最多。ビルマから二人はいいですね!

あいにく、リチャード・ギア氏は参加されていませんでした。
インド自体に、このところ来にくくなっていますしね。
残念でした。この噂某新聞社からだったのですがね。

日本から先ほど到着された、牧野さんとはさっき一緒に食事しました。
選挙前でお忙しいところ本当に御苦労さまです。
牧野さんいつもながら、やる気満々でした。

日本から他に九州の井本さんと本丸女史が参加されるはずですが、二人ともバンコク経由で予約されていたようでして、バンコク空港が閉鎖のため、明日の夕方到着されるとか?
もう一人はデリー在住の中村さんというお坊さんです。

ーーーーーーーーーーーーーーー

ダライラマ法王が世界のリーダーの内、もっとも尊敬されている、という調査が発表されました。
The new survey called “World Leaders," was conducted by Harris Interactive for the International Herald Tribune and the all-news channel France 24. The survey will be conducted every two months.

イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、イタリア、スペインでの調査です。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23301&article=Dalai+Lama+is+the+World%e2%80%99s+Most+Respected+Leader%3a+Poll

二位はローマ法王だそうで、下の下の方にはロシアのプーチン、キューバのカストロ、ヴェネズエラのウゴチャヴェス、そして中国のフーチンタオと世界の悪玉が勢揃いしています。

それにしても、当たり前と言えば当たり前ですが法王が一番!
観音菩薩が今、世界?で一番尊敬されているのです。
中国が嫉妬するわけです。
今回の会議ではこの中国の嫉妬問題も議題となるかも?












rftibet at 22:25|PermalinkComments(4)TrackBack(0)その他 

2008年11月27日

EUよりチベットが大事

1b4758b5.jpg写真はアフリカに到着された法王C/R phayul.com

ダライ・ラマ法王はナイジェリアのラゴスに飛ばれました。26、27日の両日
the Anyiam-Osigwe lecture series という会議に出席されるためです。
明日メッセージが発表されます。

その後ヨーロッパに向かわれます。

そのヨーロッパと中国の間で予定されていた、来週月曜日のサミット会談が突然中国側の意向でキャンセルになりました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23289&article=France%2c+EU+Blamed+by+China+for+Summit+Postponement

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23289&article=France%2c+EU+Blamed+by+China+for+Summit+Postponement

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23291&article=Angry+China+flexing+muscle+with+Europe+over+Tibet%3a+analysts
中国はサルコジ大統領が12月初めに法王に会うことに強い不快感を表していましたが、ここにきて、これを理由にまさかのEU会談中止。

「世界中の指導者は決して分離主義者のダライ・ラマに会ってはいけない!」と言ってます。

EUをはじめ世界の国がこの経済破綻の状況の中、中国から金を借りることを考えています。そのことを知っているが故に、金がほしけりゃチベットを売れ、ダライ・ラマに会うな、と強気に出たのです。

オリンピックも終わり、もう中国は世界に何も遠慮せず、力を見せつけようとしています。
EU内の分裂を引き出そうともしているのでしょう。

時期からいって、29日から始まるチベット支援会議を牽制する効果も狙っているのでしょう。

ところで、噂に、今度のデリーの会議にリチャード・ギア氏が出席するかも?というのがあります!
さてさて、はじめから判ってれば、日本はもとより世界中の女性サポーターが結集したでしょうに、、、?



rftibet at 16:15|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

23日ダライ・ラマ法王記者会見、校正版

e96229b1.JPG

インドは昨夜からボンベイの爆弾、銃撃テロのニュースで大騒ぎです。

さて、
重複のようでもありますが、この三日間でお伝えした法王の23日の記者会見の内容をまとめて掲載させて頂きます。

法王は会見を英語で行われました。
ですから、少し、、?、、、明快でダイナミックです?。

急いで起こした最初の文章を友人にチェックしてもらいました。

以下の文書は転載フリーです。
記者会見の場で話されたことですから、最初からできるだけ多くの人に
伝えるためのメッセージなわけです。

今夜の夜行電車でデリーに向かいます。
29日から三日間行われる、国際チベット支援者会議に出席するためです。
この時期にデリーとかに行きたくはないのですが、、、。

果たしてブログは更新できるでしょうか?。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

BBC,CNN,など世界中の主なメディアが注目して下さってありがとう。ローカル新聞もほぼ毎日報道してくれていることに感謝している。
チベットの問題は道徳的問題だ、正義の問題だ、だらかチベットを支援してくれる人たちはプロ・チベッタンではなくてプロ・ジャスティス(正義派)だと思っている。

私の言うことはこれだけだ。では質問を。


<いつかチベットにお帰りになるのか?>

みんなそのような信念を持っている。いつの日か、自分の故郷に帰るであろう。

個人的には仏教に従う者として、縁起を信じる。其々の個人は一人に見え、現象もバラバラに見える。しかしすべてはお互いに関連し合っているのだ。

広い視点、ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に、世界では多くの問題が起こっている。チベットの問題も同様に人間の作った問題だ。広い視点を持って他者の利害を尊重し、考慮すべきである。よって、チベットの将来は隣接するインド、中国、世界の状況に左右するであろう。


私のこの世での第一の義務、責任は、人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。つまり世界に温かい心を増やすことだ。そこから他の者の利害を尊重し、他の者の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれるのだ。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。

三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではない。
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。この文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベットの文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できる。
今の世界には正にこれが欠けている。

この思想をチベットはインドから学んだのだ。インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。インドに古くからある教え、アヒンサ(非暴力)とカル−ナ(慈愛)がその基となっているため、チベットの文化は世界で一番美しい文化だと私は思う。
だが、今この大切な文化が危険な状態に陥っている。この文化は滅亡の危機にあるのだ。

チベット問題はチベット人六百万人だけでなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体でヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアに住む3、4千万人の人々に直接的に関係する問題である。同様に、他の世界の人々にも関係するであろう。何故ならこのチベットの文化は世界平和に貢献できる。心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

チベット問題のもう一つの側面は、環境問題だ。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、こう言っていた、
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だと。チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。

温暖化についていえば、地球全体の気温が0,1度上昇するときチベット高原は0.3度上昇するという。
これは主に高度の影響によるものだそうだ。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だから、チベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することであるから大事な問題なのだ。

さらに他の側面もある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことは世界平和にとって大切なことだ。世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊がチベットに駐留し続ける。
このことはインドを刺激する。チベットの問題が解決されない限り、インドの国境線は落ち着かない。
膨大な軍事費を強いられる。チベットに真の自治が実現し、平和が訪れ、環境が守られれば、両国に取ってその利益は大きいはずだ。

――――

<引退について>

リンポチェが首相になってから私はもう半分引退しているようなものだ、定年退職しているのだ。

私は1992年から、もしチベットの問題が解決されれば引退すると言ってきた。
そしてもう73歳になる。十年後には83歳だ。いずれ政治的な中心的役割からは退くであろう。
20年後には93歳である、どうしろと言うのか?その頃にはもう年寄りすぎる。
私も一人の人間だ。人間の権利として引退してもいいだろう。

しかし、はじめに述べた二つの約束は死ぬまで引退はないと考えている。
外見は年を取れば変わるかもしれない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来た一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまでは道徳的義務を負い続ける、引退はない。

ーーー

<今回の会議について>

今度の会議には一切口を出さなかった。
私が口を出すと自由な討論の障害になるだろうと危惧してのことだ。
大方の参加者は中道を支持した。チベット青年会議その他、独立を主張した者ももちろんいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。今月の末には国際支援者会議が開かれ、
多くの国々から参加者が集まる。彼らの意見、感想、助言等も聞く責任がある。
だからまだ、今は何も言えない。一か月待ってくれ。

ーーー

<後継者について。カルマパは?>

私が死んだ後に、必ずしもダライラマ制度が存続する必要はないと思っている。今まで民主化につとめてきたことや、パンチェン・ラマの時に中国政府によってあまりにも政治化され過ぎたという経緯を考慮に入れてのことだ。

その時は次の転生者はいないということになる。もし人々が望むなら、選挙で選ぶことも考えられる。
長老からということもありえる。伝統的な方法で選び、女性もありえる。

原始時代には、すべての家族のものが責任を持っていた。人口が増えて指導者が必要となってきた。
昔は体の強さが一番の基準だった。教育は関係なかった。ほとんど動物と同じだ。頭は関係なかった。
だから男が社会を握るようになっていった。

次第に教育の方が体力より重要視され始めた。こうして社会では女性と男性のほぼ同等の役割を持つようになってきた。しかし、まだ指導者には男が多い。21世紀に入った今、我々の教育と技術は相当に進歩した。この進歩、発達も人々の紛争を解決することに失敗している。
究極的には紛争は心の中から解決されるべきだ。過度の競争心(少しの競争心は良いが)、異常な競争心、怒りや猜疑心、これらが究極的な紛争の源だ。紛争、衝突は心から解決されるべきだ。

しかし、現代の教育には問題があると思う。
頭ばかりを鍛えることしか知らず、同等に温かい心を育てることに関心をはらっていないからだ。

千年ほど前に組織的教育というものが始まったころは、西洋では教会が道徳教育の役割を担っていた。
もちろんある程度、家族もこの役割を負っていた。
しかし現代社会ではこの伝統は衰退した。今の教育者は頭のことしか考えていない。
この面での伝統的な教会や家族の役割が望めない今、教育機関は頭の正しい発展と同等に温かい心を育てるという大きな責任があることを自覚すべきだ。

温かい心と慈悲の心を育てるには三つの道がある。
第一の方法は、宗教の信の力を借りて、神の永遠の愛を通じて人間性と愛の心を育てるというもの。

第二の方法は神を立てないが縁起、因果律を信じる人々によって採用されているものだ。
現象は原因と条件により果を得る。
その果を因としてさらなる変化が起こる。
神を信じない仏教とジャイナ教の人々はこの原理より、愛と慈悲の心を育てる。

今、第三の方法があるべきだ。それは宗教に基づかない、世俗の常識と論理と共通の経験に基づき、温かい心と慈悲心を育てる方法だ。

この私も、ある程度の慈悲心を持っている。この心を私は最初に母親から学んだ。すべての人は母親の体内から生まれ、母親のミルクで生き延びた。これは大事な点だ。

常識と経験と、それに科学の最近の発見なども役に立つだろう。
ある科学者が私に、「怒りと憎悪は免疫力を減退させる。静かな心は免疫力を亢進させるのに大いに役立つ」と言っていた。

最近私は胆石の手術をした。
だからもうこの人には臓器が一つ欠けている。ハハハ!

私は手術後一週間で完全に回復した。元気いっぱいになったのだ。その回復ぶりを見て担当の医者も相当驚いていた。私の心は一般の人々と比べると比較的静かだが、きっとこのことが回復に役立ったのではないかと感じた。

常識と経験と最新の科学的発見は、人々が静かな心とやさしい心を育てるための論理的根拠となるのだ。
この心を育てることは個人だけでなく、家族の幸せ、コミュニティーの幸せ、そして国際関係においても非常に大事なことだ。この方法を私は第三の「世俗の一般的な方法」と呼んでいる。

そして私は、この社会に温かい心をもたらすには、女性のほうが大きな可能性を持っていると固く信じる。
生理的に女性の方が他人に対する関心が高いからだ。科学者は女性の方が男性より痛みに対する反応が大きい、という。

ある時、確かヨーロッパから大西洋を越える際だったか?長時間のフライトの時だった。
同じ飛行機に、ある夫婦と二人の子供が乗っていた。小さい方の子供はずっと寝ていたが、上の子供の方は悪戯で、あっちこっち走り回っていた。
最初の頃は父親も子供の面倒をみていた。でも二、三時間後には父親は眠ってしまった。暴れん坊の子供の相手をして疲れてしまったのだ。しかし母親は夜通し、眠らずに子供の世話をしていた。だから次の朝、母親の目は真っ赤だった。

これが女性の方が愛情深く、その愛情の力が他人の面倒を良くみさせるのだという証拠だ。
だから、これからは女性がもっと、世界平和と優しい心を社会に広める役割を積極的に引き受けるべき時が必ず来るであろう。ダライラマの生まれ変わりは女性になるかもしれない。ハハハハハハハハ!

もうひとつの可能性として
死ぬ前に転生者を選択するというのもある。ある検証により認められればその者が転生者になる。
これを我々は「マデ・トゥルク」と呼ぶ。これはそんなに珍しくもない。少なくとも私の知る限り二人はいる。

おお、二番目の質問にカルマパのことがあったな?
カルマパはチベット仏教の伝統の中でも大事なラマの一人だ。
同様にカギュ派の中にも、サキャにも、ゲルックにも、それと何だったっけ?おおニンマにも、そうチョナン、ボン教の中においても第二世代の若い人たちの中に、できる僧侶がたくさん出てきている。
だから、私は心配なく死ねる。
きっと彼らが責任を持って、チベットの精神世界をしっかりと存続していってくれると確信している。

もちろんカルマパは若くてエネルギッシュだ。中国の中での経験もある。そしていまは自由な外の世界に出た。これから大事な役割を担うことははっきりしている。

ーーー


<中国とチベットの共闘の可能性について>中国人の中国語での長い質問。

一般の中国人の中にはチベット人に対する反感は有ると思う。
民主主義の促進を目指すという点において、我々と中国本土の人々の要求の大方は一致する。

以前より、私はアメリカやヨーロッパ、オーストラリアその他の外国に行った時に、その地に住むチベット人に対し、もし中国人に会うようなことがあれば、必ず友人になるようにと言い続けている。
天安門事件の前には中国の知識人たちもチベット人の事をあまり相手にしてくれなかった。
しかし、天安門事件の後、彼らの態度は一変した。

多くの民主化運動家の学生たちが、事件の直後外国に逃れたが、そんな彼らと私はアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで度々会っている。
私は彼らにいつも言っている。「あなた達は民主化のために、もっと社会が開けたものとなるように、法治国家になるために戦っている。
我々も同じだ、正義と民主主義のために戦っている。故に共通の基盤を持っているのだ」と。
そういえば昨日もそのような中国人と長い論議をしたな。

民主主義と言うか、個人の自由を求める気持ちは本質的なものだ。
生まれて死ぬまで、個人の自由は大変重要だ。
生来、人は自由であるべきなのだ。

20世紀の前半には、世界の多くの国では全体主義が社会を良い方向に変えると考えられていた。
しかし、世紀の後半にはソビエトのように、経済破綻によりこの考えが間違っていたことがほぼ証明されるに至った。

すべての人々の自由への希求は、如何なる力に依っても止めることができない。
現在中国においてもこの欲求は益々強くなってきている。

特に今の胡 錦濤が<調和ある社会>を提唱することに、まったく賛成する。
<ワンシャントゥーミー>ハハハ、私は完全に賛成する。
しかし、真の調和は心から来るべきものであり、信頼に基づくものだ。恐怖と弾圧の下でどうやって、信頼や真の友情、真の調和を育むことができるのか?不可能だ!リーダー達の中には「調和ある社会」を唱える者は多い。それは素晴らしいことだ。みんなそのことを支持するであろう。しかし、方法が間違っている。
弾圧は間違った方法だ。調和は銃口の下には築けない。調和は相互の信頼と尊敬、親近感からくるものだ。

ーーー

<将来の中国との対話について>

これはもっと後で決める。一か月待ってくれ。

ーーー

<中国政府への信頼が薄くなって行った経緯について>

3月10日のあと私は中国首脳部に「期待」したのだ。今度こそ現実を見てくれると。
デモはチベット自治区で始まり、それから多くは自治区以外の地区で起こった。
しかし、今回も私の期待は外れたようだ。でもノープロブレム。

一つ話をしよう。
私の初めて経験した中国のヒポクラシー(偽善、詐欺)は、1955年、北京と中国の各地で数が月を過ごした後、その帰り道トンシンでのことだ。
そのころ私は少しだが中国語が話せた。
その時宿の主人の中国人がこう言った「チベットからの初めての使節団が中国の首脳部と会えたのだ。チベット人達はさぞ嬉しかったことでしょう。特にあなたがラサを離れる時にはチベットの人々は大層喜んでいたと聞きますし、、、」

それを聞いて私は言った。
「実際見たものとして言うが、私がラサを離れるために河を越えるとき、その河には橋が掛っていなかったが、ラサの人々が大勢、最後の別れを言うために河岸に集まっていた。
多くの者たちは涙を流していた。ある者は河に飛び込もうとした」と。

事実をその若者に言うと、
「そうなのか?でも新聞にはチベット人は歓喜に溢れてダライラマを見送った、と書かれていたよ」と言った。
これが私の経験した初めての中国の「ヒポクラシー」だ。

いや初めてではなかったか、もっと前があった。
私は中国に行く前に第一次大戦、第二次大戦、広島、長崎の原爆の事などはニュースで知っていた。
アメリカの戦艦の上で、マッカーサーを前に日本人が降伏のために署名をするところも見ていた。

中国のトンベ地域に行った時、そのシーンを撮った写真が飾ってあったのを見つけた。
そこで、ガイドの中国人に「これはどこの船か?」と尋ねた。
するとガイドは「あ、それはソビエトの戦艦だ」と答えた。
中国は普通、「日本はソビエトから北方を攻められることにより降伏した」と言っている。
二つのアメリカの原爆によって降伏したなどとは決して言わない。
これも「ヒポクラシー」じゃないか?そうだろう?「ヒポクラシー」でいいのかな?

数か月前、ラサの近くの村に里帰りしたというチベット人から聞いた話だが、村の村長は歓迎の会合の席で「我々は本当に幸せだ。みんな共産党のお陰で新しい家に住み、本当にすべてが良い」と言っていた。
次の日に村長の家に遊びに行くと、彼の顔は暗い。
どうしたのか?本当のところはどうなのだ?と訊くと、「ひどいもんだ。政府は家を建てるための補助金だと言って金をくれるが、まったくその金では足りない。だから家はボロボロだし。ほとんどのものは借金して、家を建てなければいけない。みんな今じゃ借金だらけだ」
「じゃ何で、昨日あんなことを言ったのだ?」と訊くと
「私はあのように言うしかないのだ」と言ったという。

1980年には卓越した共産党指導者であった胡耀邦氏がチベットを訪問する。
私の聞いたところによると、確かではないかもしれないが、彼は自分が訪問する前に、若い学生を中心に30名ほどチベットに送ったという。チベットを秘密裏に調査するためだ。
彼らの報告を受け、胡耀邦氏はチベットを訪問する前にすでにチベットの現状についての正しい知識を得ていた。
チベットに行った時、現地の役人が「チベットは美しい、すべてが上手くいっている」と報告するのを聞いて彼は役人たちを叱ったという。
このように全体主義国家においては、下の役人は偽善的報告をするものだ。

3月10日以後、私は中国政府がチベットの現実に向き合う勇気を持ってくれると期待した。現実的なアプローチを期待したのだ。
もう一つ、5月4日に非公式の会談が行われたが、このとき中国政府は異例にも、この会談に先立ってある国の大使を呼んで、これからダライラマの特使と会談すると知らせた。
さらに、ある日本のレポーターから会談の有無について訊かれ、会談のあることを認めただけでなく「会談には誠実に望む」と答えたと聞いた。
そこで私の期待はさらに膨らんだ。

今、もし正しく現実を認識し、現実的アプローチを選択するならば、我々は100%協力する用意がある。
我々は独立を求めていないし、分裂も望んでいない。

また、友人の友人から「指導者の中で誰と誰が話し合いに前向きであり。誰と誰がそうではない」などの情報を聞いた。そして混ざり合った二通りのシグナルが送られてきた。
それにしても、その非公式の会談を受けて第7回の会談を7月4日に開くこととなったが、彼らの態度はさらに厳しかった。

何よりも、チベットの内地では平和的デモが、ただただ弾圧された。その状態が今も続いている。
この前、BBCにも「もうチベット民族は死刑宣告受けたようなものだ」といったが、この意味は、
今まさにチベットの精神、文化が一掃されようとしているということだ。民族の精神が失われるとは、それは民族の死を意味する。そうではないか?だから状況は非常に悲しいものだ。

私も馬鹿ではない。このようなことから信頼が薄らぐのも自然なことだろう。


3月10日のデモに関してだが、実際のデモは10日の午後に始まっていた。
3月10日には我々はいつもの行事として、ツクラカンに集まり、声明を発表したりする。
私はその日、体調が良くなかった。風邪をひいており、咳が出て、熱もあった。
そこで私は早めに会場を去った。

昼食の後、「今、ラサの街で、人々がデモを始めた」というニュースが入った。
実際、デモは10日に始まり、11日、12日、13日と続いた。しかし、中国政府は14日からデモは始まったと言い続けている。これはどう言うことか?

現地の人々からの情報によれば、10日以降の数日中に、数台のトラックに乗った不審な見知らぬ一団がラサに到着したという。そして14日には放火、略奪等が起こった。関連を疑う。

もっともこのことは100%確かなことではない、ちゃんと調査されるべきことだ。
だから、国際機関や中国が調査団を派遣すべきだと、私は最初から言い続けてきた。
チベットに行って普通の人々に会って、何が起こったのかを聴くことだ。
調査が必要だ。

中国の首脳は私がこの騒ぎを引き起こしたと言う。
だから私はいつも言っている、中国の役人、調査団をここによこして、何でも調べればいいと。
すべてのファイルを調べ、いろんな機会に私が話した内容を録音したテープ全部を聴けばいい、と。
私は新しい亡命者と会う時に、いろいろな話をする。それらを聞いてチェックすればいい。
私たちは何も隠さない。いつでも見せる用意がある。
しかし、中国からは何の反応もない。私は今でも呼び続けている。

そこで、、、
「この中に中国のレポーターはいるか?」(と記者団を見まわし)
「あなたは中国からではないか?、、顔が中国人のようだが?、、、日本人か?」(と前の方にいた人を指す)
「日本人です」(某新聞社記者)
「そうか。日本人か」ハハハ。
「中国人はいないのか」
誰も手を上げない。
「この中に11人居るはずです」(情報官)

最初のころ中国のレポーター、新華社が来ているという情報があったが、、、だから、今日はこの会見に来ていると思っていたが、、、私は彼らを一週間招待した。私のゲストとしてすべてをちゃんと調べてほしいといった。でも、もうみんな帰って、誰もいないみたいだな、、、ok ノープロブレム。

そうだ、キツイ冗談として、「おしっこも調べてくれ」と言ったが、これにはちゃんと理由があるのだ。
それは、中国の役人の中に私が「B型肝炎を罹っている」という者がいると聞くし、数年前にはチベットの中で「ダライラマは癌を患っている。数か月の命だ」という噂を、中国のエージェントが故意に広めたりしたからだ。
だから、ちゃんと私のおしっこも調べてほしい。ハハハハハ!

これらが私の「落胆し、中国首脳部に対する信頼が益々薄れてきた」と言った理由だ。

しかし、私の中国の民衆に対する信頼は決して揺らいだことがない。
昨日も中国の人たちと話をしたが、、、この中に来ているかな、、、本当に親密な会話をすることができた。

中国がもっと開けた社会となり、法によって統治され、民主化されるべきだ。

今年の3月10日前にも少しはあったが、特に3月以降には100を超えるチベットを支援する記事、論文が中国人の作家、教授、知識人によって書かれ、発表されている。
みんな、チベットの「意味ある自治」を得るための戦いを支持してくれている。

3月の危機の後、4月にはアメリカに、5月にはヨーロッパのドイツとイギリスを訪問した。
この二ヶ月間はどこにいっても中国人のデモ隊が私を追いかけてきた。彼らは怒りに駆られていた。
ハハハ。
アメリカの秘密エージェントのアレンジで、そんな中国人数人と会うこととなった。テーブルを挟み、前には若い中国人が7人いた。
私は「我々は反中国主義者ではない。我々は中国人を尊敬する。その文化を評価する」と説明した。
「初めからオリンピックを完全に支持している」とも言った。
そのあと、3月以降に私が中国、世界、チベット人に訴えてきたことを説明した。

7人の内、2人だけが私の説明を聞いていた。しかし、他の5人は私の説明さえまったく聞いていない。
非常に感情的で、怒りに支配されていた。テーブルを挟んでいたからよかったが、そうでもなかったら彼らは私に飛びかかり、殴りかかっていたかもしれない。それほどに感情的だったのだ。

だから、それからできるだけ、中国の新華社を含めたメディアに積極的に会うことにしている。
アメリカにある、そうした中国語メディアには積極的に接した。その後のヨーロッパにおいても同様に中国人に説明し続けた。そして、オーストラリアに行った頃には、もう中国人のデモ隊は追いかけて来なかった。今は、少しはまともな情報、良い教育を受けたといえよう。現実に近づいたとも言えよう。

だから、私の中国人に対する信頼は揺らいでいないと言いたいのだ。

対話と言うと、これは対象別に二つに分かれる。政府相手の交渉と人々との対話だ。
中国の人々はいつまでも変わらずそこにいる。しかし、政府は政策の変更があったり、政府自体が変わったりもする。そして、リーダーが変わったりもするのだ。

ーーー

<今回の会議にチベット人の意見は十分反映されたと思われるか?>

93年から中国との接触が途絶えていた。
そんな状況から1997年には国民投票のようなものも行われた。チベット人の感情、意見を聞くためだ。
困難はたくさんあったが、色んな意見を聞くことができ成功だったと思う。
今回はネットの発達もあって、以前より効率的に広く意見を聴き、集約することができた。

私は常に言っている。
「我々の本当のボスは中にいるチベット人だ」と。
私自身はチベット人に対する「フリー・スポークスマン」でしかない。
亡命チベット人のコミュニティーは小さいが、しかし我々はすべてのチベット人を代表している。
なぜか?
中にいるチベット人には「言論の自由」がないからだ。
もし、本心を口に出すならば、すぐにその場で非難され、分裂主義者の汚名を着させられる。
そうだろう。だから、我々は彼らのために働かねばならない。
もちろん、あらゆる機会を通じて中にいるチベット人の意見を聞く努力は続ける必要がある。

ーーー

<脱宗教について>

チベットの憲法を定めるときにも、最初からその性格は宗教を離れている。

選挙によって首相が選ばれてからは、私はもう半分引退している。
2001年の選挙では、幸運にも(不幸にもか?)人々はもう一人の僧侶を選出した。
年も取っているし、、、(傍にいたサンドゥ・リンポチェの方を向き)ハハハ、、、でも私よりは若いか,ハハハ。髪も全く白いし、私の方が(黒くて)若く見えるけどな、、、ヒヒヒヒ!

社会においてはセキュラー(脱宗教・世俗)システムが一番だ。宗教を信じない人もいるし、他の宗教を信じる人もいるからだ。セキュラーと言うが、これは反宗教ということではない。
イスラム教のある友人はこのセキュラーシステムは宗教に反すると言って、これに反対する。
これは誤解だ。

インドにはこの伝統がある。
マハトマ・ガンジー師は深く宗教的人物であったが、一方で政治の分野では脱宗教を強く推し進めた。
インドの憲法もセキュラーなものだ。それがインドに合っているのだ。インド議会には沢山の党がある。
様々な宗教も政治に参加している。

世俗主義というのはすべての宗教を同等に尊重するということだ。この宗教、あの宗教と言わないことだ。
同様に宗教を信じない人々も尊重されるということが含まれる。これも大事な点だ。

しかし、個人レベルの話をすれば、何らかの道徳的信念を持つ方が良い。特にリーダーには大切な資質だ。
例えば、神を信じる人々は「神は見ている。こんなことをすると、神に罰せられよう」との思いから悪事を避ける。因果を信じる人々は「こんなことをすると、いつかこんな悪い果を受ける」と知って悪事を避ける。このようなことがあるからだ。
しかし、組織についていえば政治機関や教育機関は脱宗教であるべきだ。

ーーー

<会議の感想を>

この会議は、政府の者も、長老も若者も、真剣に自由に同等に議論を進めたと聞く。活発な討論が続き、熱くなる位だったという。何にも遠慮せずに、率直にそれぞれの思いを言い合ったことは非常に良いことだ。

ーーー

<中国民主化同盟系の中国人からの感想>の後に:

前にもいったが、89以降、中国の民主化、開けた社会を実現しようと努力している人々(中国のビジネスマン、学生、知識人、教授等)を全面的に支援している。彼らも私のことを「仲間」と呼んでくれている。ハハハハハハ!
私はいつも民主化と正義の実現のために働いている皆さんと共にある。これは道徳的支援だけではない、皆さんで会合を開かれるときがあれば私を招待してほしい、出席しよう。目的は一緒だ。

チベットの格言に「100の病に効く一つの薬」というのがあるが。
民主化された中国、開かれた社会、すべてが透明で、正義に基づき、道徳理念を備えた中国が実現されれば、すべての問題、日本との、台湾、アメリカ、インドとの関係、中国国内の問題、チベット問題、ウイグル、モンゴルの問題は簡単に解決される。

それにしても、その間には北京からひどいことをたくさんいわれることであろう。
これは覚悟しておかないとね、、ヒヒヒヒヒ。


rftibet at 09:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2008年11月26日

続・続23日の法王記者会見

575637dc.JPG昨日、一昨日からの続き、完結編です。
質問の部分はほとんど聞き取れず、はっきりしません。
御勘弁を。

ーーー

昨日の<信頼がなぜ薄れて行ったのか?>の質問への答えの続きから。


3月10日のことだが、実際のデモは10日の午後に始まっていた。
3月10日には我々はいつもの行事として、ツクラカンに集まり、声明を発表したりする。
私はその日、体調が良くなかった。風邪をひいており、咳が出て、熱もあった。
そこで私は早めに会場を去った。

昼食の後、「今、ラサの街で、人々がデモを始めた」というニュースが入ったのだ
だから、本当にはデモは10日に始まり、11日、12日、13日と続いたのだ。
しかし、中国政府は14日からデモは始まったと言い続けている。
これはどう言うことか?

現地の人々からの情報によれば、10日の後、数日中に数台のトラックに乗った不審な見知らぬ一団がラサに到着したという。
そして14日には放火、略奪等が起こった。
関連を疑う。

もっともこのことは100%確かなことではない、ちゃんと調査されるべきことだ。
だから、国際機関や中国が調査団を派遣すべきだと、私は最初から言い続けてきた。
チベットに行って普通の人々に会って、何が起こったのかを聴くことだ。
調査が必要だ。

中国の首脳は私がこの騒ぎを引き起こしたと言う。
だから、私はいつも言ってる、中国の役人、調査団をここによこして、何でもいいから調べればいいと。
すべてのファイルを調べ、いろんな機会に私の話した内容とかを録音したテープを全部聴けばいい。
私は新しい亡命者と会う時に、いろいろな話をする。
それらを聞いてチェックすればいい。
私たちは何も隠さない。いつでも見せる用意がある。
でも、何の反応もない。
今でも呼び続けている。

そこで、、、
「この中に中国のレポーターはいるか?」(と記者団を見まわし)
「あなたは中国からではないか?、、顔が中国人のようだが?、、、日本人か?」(と前の方にいた人を指す)
「日本人です」(某新聞社記者)
「そうか。日本人か」ハハハ。
「中国人はいないのか」
誰も手を上げない。
「この中に11人居るはずです」(情報官)

最初のころ中国のレポーター、新華社が来ているという情報があったが、、、だから、今日はこの会見に来ていると思っていたが、、、私は彼らを一週間招待した。
私のゲストとしてすべてをちゃんと調べてほしいといった。
でも、もうみんな帰って、誰もいないみたいだな、、、ok ノープロブレム。

そうだ、キツイ冗談として、「おしっこも調べてくれ」と言ってたが、これにはちゃんと理由があるのだ。
それは、中国の役人の中に私が「B型肝炎を罹っている」というものがいると聞くし、数年前にはチベットの中で「ダライラマは癌を患ってる。数か月の命だ」という噂を、中国のエージェントが故意に広めたりしたからだ。
だらか、ちゃんと私のおしっこも調べてほしい。ハハハ ハハ!

これらが私の「落胆し、中国首脳部に対する信頼が益々薄れてきた」と言った理由だ。

しかし、私の中国の民衆に対する信は決して揺らいだことがない。
昨日も中国の人たちと話をしたが、、、この中に来てるかな、、、本当に親密な会話をすることができた。

中国がもっと開けた社会となり、法によって統治され、民主化されるべきだ。

今年の3月10日前にも少しはあったが、特に3月以降には100を超えるチベットを支援する記事、論文が中国人の作家、教授、知識人によって書かれ、発表されている。
みんな、チベットの「意味ある自治」を得るための戦いを支持してくれている。

3月の危機の後、4月にはアメリカに、5月にはヨーロッパのドイツとイギリスを訪問した。
この二ヶ月間はどこにいっても中国人のデモ隊が私を追いかけてきた。
彼らは怒りに駆られていた。ハハハ。
アメリカの秘密エージェントのアレンジで、そんな中国人数人と会うこととなった。
テーブルを挟んでその時前には、若い中国人が7人いた。

私は「我々は反中国主義者ではない。我々は中国人を尊敬する。その文化を評価する」と説明した。
「初めからオリンピックを完全に支持している」ことも言った。
そのあと、3月以降に私が中国、世界、チベット人に訴えてきたことを説明した。

7人の内、2人だけが私の説明を聞いていた。
しかし、他の5人は私の説明さえまったく聞いていない。
非常に感情的で、怒りに支配されていた。
テーブルを挟んでいたからよかったが、そうでもなかったら彼らは私に飛びかかり、殴りかかっていたかもしれない。
それほで、感情的なのだ。

だから、それからできるだけ、中国の新華社を含めたメディアに積極的に会うことにしている。
アメリカにある、そうした中国語メディアには積極的に接した。
その後のヨーロッパにおいても同様に中国人に説明し続けた。
そして、オーストラリアに行ったころにはもう中国人のデモ隊は追いかけて来なかった。
今は少しはまともな情報、良い教育を受けたといえよう。
現実に近づいたとも言えよう。

だから、私の中国人に対する信頼は揺らいでいないと言いたいのだ。

対話と言うと、これは対象別に二つに分かれる。
政府相手の交渉と人々との対話だ。
中国の人々はいつまでも変わらすそこにいる。
政府は政策の変更があったり、政府自体が変わったりもする。
リーダーが変わったりもする。

ーーー

今度の会議にチベット人の意見は十分反映されたと思われるか?>

93年から中国との接触が途絶えていた。
そんな状況から1997年には国民投票のようなものも行われた。
チベット人の感情、意見を聞くためだ。
困難はたくさんあったが、色んな意見を聞くことができ成功だったと思う。
今回はネットの発達もあって、以前より効率的に広く意見を聴き、集約することができた。

私は常に言っている。
「我々の本当のボスは中にいるチベット人だ」と。
私自身はチベット人に対する「フリー・スポークスマン」でしかない。
亡命チベット人のコミニティーは小さいが、しかし我々はすべてのチベット人を代表している。
なぜか?
中にいるチベット人には「言論の自由」がないからだ。
もし、本心を口に出すならば、すぐにその場で非難され、分裂主義者の汚名を着せられる。
そうだろう。
だから、我々は彼らのために働かねばならない。
もちろん、あらゆる機会を通じて彼ら中にいるチベット人の意見を聞く努力は続ける必要がある。

ーーー

フランス人か?
フランス人ののアクセントだな、
脱宗教について

最初から、終わりまで大事だ、
チベットの憲法を定めるときにも、最初からその性格は宗教を離れている。

選挙によって首相が選ばれてからは、私はもう半分引退している。
2001年の選挙では、幸運にも、不幸にもか?
人々はもう一人の僧侶を選出した。
年も取ってるし、、、(傍にいたサンドゥ・リンポチェの方を向き)ハハハ、、、でも私よりは若いか,ハハハ。
髪も全く白いし、私の方が(黒くて)若く見えるけどな、、、ヒヒヒヒ!

社会においてはセキュラー(脱宗教・世俗)システムが一番だ。
宗教を信じない人もいるし、他の宗教を信じる人もいるからだ。
セキュラーと言うが、これは反宗教ということではない。
イスラム教のある友人はこのセキュラーシステムは宗教に反すると言って、これに反対する。
これは誤解だ。

インドにはこの伝統がある。
マハトマ・ガンジー師は深く宗教的人物であったが、一方で政治の分野では脱宗教を強く推し進めた。
インドの憲法もセキュラーなものだ。
それがインドに合っているのだ。
インド議会には沢山の党がある。
様々な宗教も政治に参加している。

世俗主義というのはすべての宗教を同等に尊重するということだ。
この宗教、あの宗教と言わないことだ。
同様に宗教を信じない人々も尊重されるということが含まれる。
これも大事な点だ。

しかし、個人レベルの話をすれば、
何らかの道徳的信念を持つ方が良い。
特にリーダーには大切な資質だ。
例えば、神を信じる人々は「神は見ている。こんなことをすると、神に罰せられよう」との思いから悪事を避ける。
因果を信じる人々は「こんなことをすると、いつかこんな悪い果を受ける」と知って悪事を避ける。
このようなことがあるからだ。
しかし、組織についていえば政治機関や教育機関は脱宗教であるべきだ。

ーーー

会議の感想を>の質問か?


この会議は、政府の者も、長老も若者も本気に自由に同等に議論を進めたと聞く。
活発な討論が続き、熱くなる位だったという。
何にも遠慮せずに、率直にそれぞれの思いを言い合ったことは非常に良いことだ。

ーーー

中国民主化同盟系の中国人からの感想>の後に:


89以降、前にもいったが、中国のビジネスマン、学生、知識人、教授等、中国の民主化、開けた社会を実現しようと努力している人々を全面的に支援している。
彼らも私のことを「仲間」と呼んでくれてる。ハハハハハハ!

私はいつも民主化と正義の実現のために働いている皆さんと共にある。

これは道徳的支援だけではない、皆さんで会合を開かれるときがあれば、私を招待してほしい、出席しよう。
目的は一緒だ。
チベットの格言に「100の病に効く一つの薬」というのがあるが。
民主化された中国、開かれた社会、すべてが透明で、正義に基づき、道徳理念を備えた中国が実現されれば、すべての問題、日本との、台湾、アメリカ、インドとの関係、中国国内の問題、チベット問題、ウイグル、モンゴルの問題は簡単に解決される。

それにしても、その間には北京からひどいことをたくさんいわれることであろう。
これは覚悟しとかないとね、、ヒヒヒヒヒ。


rftibet at 13:40|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2008年11月25日

続ダライ・ラマ法王の記者会見

4eff5b57.JPG昨日の続きです。

<いつかチベットにお帰りになるのか?>

みんな信念を持っている。いつの日か、自分の故郷に帰るであろう。

個人的には仏教に従う者として、縁起を信じる。
其々の個人は一人に見え、現象もバラバラに見える。
しかしすべてはお互いに関連し合っているのだ。

多くの問題は、チベットの問題も人間の作った問題だ。
広い視点ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に、多くの問題は起こっている。
だから、私も、チベットの問題もその将来は隣接するインド、中国、世界の状況によるであろう。

他者の利害を尊重し、考慮すべきだ。

私のこの世での第一の義務、責任は、
人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。
世界に温かい心を増やすことだ。
そこから他の人の利害を尊重し、
他の人の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれるのだ。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。
三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではない。
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。

チベット文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベット文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できる。
今の世界には正にこれが欠けている。

この思想をチベットはインドから学んだのだ。
インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。
インドに古くからある教え、アヒンサ(非暴力)とカル−ナ(慈愛)がその基となっている。
この意味でチベットの文化は世界で一番美しい文化だと思う。
今この大切な文化が危険な状態に陥っている。
この文化は滅亡の危機にある。

チベット問題は六百万チベット人だけの問題でなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体で3、4千万人のヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアのある地区に住む人々に直接的に関係する。

同様に、他の世界の人々にも関係する。
このチベットの文化は世界平和に貢献できる。
心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

チベット問題のもう一つの側面は、環境問題だ。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、言っていた、
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だと。チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。

温暖化についていえば、地球全体の気温が0,1度上昇するとき
チベット高原は0.3度上昇するという。
これは主に高度の影響によるものという。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だからチベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することなのだ。
だから大事な問題なのだ。

さらに他の側面もある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことは世界平和にとって大切なことだ。
世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊チベットに駐留し続ける。
このことはインドを刺激する。
チベットの問題が解決されない限り、インドの国境線は落ち着かない。
膨大な軍事費を強いられる。
チベットに真の自治が実現し、平和が訪れ、環境が守られれば、両国に取ってその利益は大きいはずだ。

――――

<引退について>



リンポチェが首相になってから私はもう半分引退したのだ。
定年退職しているのだ。

さっきも言った二つの約束は死ぬまで引退はないが。
1992年から、もしチベットの問題が解決されれば引退すると言ったきた。

もう私は73になる。十年後には83だ。いずれ引退の時は来る。
20年後には93だ。もうどうしろと言うのか?。そのころはもう年寄りすぎる。

私も一人の人間だ。人間の権利として引退してもいいだろう。

チベット社会の民主化に力を入れてきた。
私が最後のダライラマとなっても問題ない。
もしも私が亡くなった後、人々が「14世はダライラマの伝統を傷つけることもなく、中々悪くなかった」と言って貰えるようになればそれで満足だ。

民主主義に努めてきた。
もう政治的には中心的役割からは退くであろう。

外見は年を取れば変わるかも知れない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来たの一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまで道徳的義務は負い続ける、引退はない。

ーーー

<今回の会議について>

今度の会議には一切口を出さなかった。
私が口を出すとたぶん自由な討論の障害になると危惧してのことだ。、
大方の参加者は中道を支持した。
チベット青年会議その他、独立を主張した者ももちろんいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。今月の末には国際支援者会議が開かれる。
多くの国々から参加者が集まる。
彼らの意見、感想、助言等も聞く責任がある。
だからまだ、今は何も言えない。一か月待ってくれ。

ーーー

<後継者について。カルマパは?>

まず、当たり前だが、年を取ってきたことだし、将来については、特にパンチェン・ラマの時には中国政府によってあまりにも政治化され過ぎたという経緯もあることだし、もし私が死んだ後に、必ずしもダライラマ制度が存続する必要はないと思っている。

その時は次の転生者はいないということになる。
もし人々が望むなら、選挙で選ぶことも考えられる。
長老からということもありえる。
伝統的な方法で選び、女性もありえる。

原始時代には、すべての家族のものが責任を持っていた。
人口が増えて指導者が必要となってきた。
昔は体の強さが一番の基準だった。
教育は関係なかった。ほとんど動物と同じだ。頭は関係なかった。
だから男が社会を握るようになっていった。

次第に教育の方が体力より重要視され始めた。
こうして社会では女性と男性のほぼ同等の役割を持つようになってきた。
しかし、まだ指導者には男が多い。

21世紀に入った今、我々の教育と技術は相当に進歩した。
しかしこの進歩、発達も人々の紛争を解決することに失敗している。
究極的には紛争は心の中から解決されるべきだ。
過度の競争心、少しの競争心は良いが、異常な競争心、怒りや猜疑心、これらが究極的な紛争の源だ。
紛争、衝突は心から解決されるべきだ。

現代の教育には問題があると思う。
頭ばかりを鍛えることしか知らず、同等に温かい心を育てることに関心をはらっていないからだ。

千年ほど前に組織的教育というものが始まったころは、西洋では教会が道徳教育の役割を担っていた。
もちろんある程度、家族もこの役割を負っていた。
現代社会ではこの伝統は衰退した。
今の教育者は頭のことしか考えていない。
この面での伝統的な教会や家族の役割が望めない今、教育機関は頭の正しい発展と同等に温かい心を育てるという大きな責任があることを自覚すべきだ。

温かい心と慈悲の心を育てるには三つの道がある。
第一の方法は、宗教の信の力をかりて、神の永遠の愛を通じて人間性と愛の心を育てるというもの。

第二の方法は神を立てないが縁起、因果律を信じる人々によって採用されているものだ。
現象は原因と条件により果を得る。
その果を因としてさらなる変化が起こる。
神を信じない仏教とジャイナ教の人々はこの原理より、愛と慈悲の心を育てる。

今、第三の方法があるべきだ。それは宗教に基づかない、世俗の常識と論理と共通の経験に基づき、温かい心と慈悲心を育てる方法だ。。

この私もある程度の慈悲心を持っている。
この心を私は最初に母親から学んだ。
すべての人は母親の体内から生まれ、母親のミルクで生き延びた。
これは大事な点だ。

だらか、常識と経験と、それに科学の最近の発見とかも役に立つ。
ある科学者が私に
「怒りと憎悪は免疫力を減退させる。
静かな心は免疫力を亢進させるのに大いに役立つ」と言っていた。

最近私は胆石の手術をした。
だから今もうこの人には臓器が一つ欠けている。ハハハ!

私は手術後一週間で完全に回復した。
元気いっぱいになったのだ。
その回復ぶりを見て担当の医者も相当驚いていた。
私の心は一般の人々と比べると比較的静かだが、きっとこのことが回復に役立ったのではないかと感じた。

常識と経験と最新の科学的発見を、人々を静かな心とやさしい心を育てるための論理的根拠とするのだ。
この心を育てることは、個人だけでなく、家族の幸せ、コミニティーの幸せ、国際関係においても非常に大事なことだ。
この方法を私は第三の「世俗の一般的な方法」と呼ぶのだ。

私は、この社会に温かい心をもたらすには、女性のほうが大きな可能性を持っていると固く信じる。
生理的に女性の方が他人に対する関心が高いからだ。
科学者は女性の方が男性より痛みに対する反応が大きいという。

ある時、確かヨーロッパから大西洋を越える時だったか?長時間のフライトだった。
同じ飛行機にある夫婦と二人の子供が乗っていた。
小さい方の子供はずっと寝ていた。
でも上の子供の方は悪戯で、あっちこっちと走り回っていた。

最初の頃は父親も子供の面倒を看ていた。
でも二、三時間後には父親は眠ってしまった。
暴れん坊の子供の相手をして疲れてしまったのだ。
でも母親は夜中、眠らずに子供の世話をしていた。
だから、次の朝には母親の目は真っ赤だった。

これが女性の方が愛情深く、その愛情の力が他人の面倒を良くみさせるのだという証拠だ。
だから、女性がもっと世界平和とやさしい心を社会に広める役割を積極的に引き受けるべき時が必ず来るであろうと感じている。
であるからして、ダライラマの生まれ変わりは女性になるかも知れない。ハハハハハハハハ!

もうひとつの可能性として
死ぬ前に転生者を選択するというのもある。
ある検証により認められればその者が転生者になる。
これを我々は「マデ・トゥルク」と呼ぶ。

これはそんなに珍しくもない。
少なくとも私の知る限り二人はいる。

おお、二番目の質問にカルマパのことがあったな?
カルマパはチベット仏教の伝統の中でも大事なラマの一人だ。
同様にカギュ派の中にも、サキャにも、ゲルックにも、それと何だったっけ?おおニンマにも、そうチョナン、ボン教の中においても第二世代の若い人たちの中に、できる僧侶がたくさん出てきている。
だから、私は心配なく死ねる。
きっと彼らがチベットの精神世界を責任を持って、しっかりと存続していってくれると確信している。

もちろんカルマパは若くて、エネルギッシュだ。
中国の中での経験もある。そしていまは自由な外の世界に出た。
これから大事な役割を担うことははっきりしている。

ーーー

中国人の中国語での長い質問。
<中国とチベットの共闘の可能性について>

一般の中国人の中にはチベット人に対する反感は有ると思う。
民主主義の促進を目指すという点において我々と中国本土の人々の要求は大方は一致する。

以前より私はアメリカやヨーロッパ、オーストラリアその他の外国に行った時には、その地に住むチベット人に対し、もし中国人に会うようなことがあれば、必ず友人になるようにと言い続けている。
天安門事件の前には中国の知識人たちもチベット人の事をあまり相手にしてくれなかった。
しかし、天安門事件の後、彼らの態度は一変した。

多くの民主化運動家の学生たちが事件の直後、外国に逃れたが、そんな彼らと私はアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで度々会っている。
私は彼らにいつも言っている。「あなた達は民主化のために、もっと社会が開けたものとなるように、法治国家になるために戦っている。
我々も同じだ、正義と民主主義のために戦っている。故に共通の基盤を持のだ」と。
そういえば昨日もそのような中国人と長い論議をしたな。

民主主義と言うか、個人の自由を求める気持ちは本質的なものだ。
生まれて死ぬまで、個人の自由は大変重要だ。
これは生来のもので、人は自由であるべきなのだ。

20世紀の前半には、世界の多くの国では全体主義が社会を良い方向に変えると考えられていた。
しかし、世紀の後半にはソビエトのように経済破綻により、この考えが間違っていたことがほぼ証明されるに至った。

すべての人々の自由への希求は如何なる力に依っても止めることができない。
現在中国においてもこの欲求は益々強くなってきている。

特に今の胡 錦濤が<調和ある社会>を提唱することに、まったく賛成する。
<ワンシャントゥーミー>ハハハ、私は完全に賛成する。
しかし、真の調和は心から来るべきものだ。
信頼に基ずくものだ。
恐怖と弾圧の下でどうやって、信頼や真の友情、真の調和を育むことができるのか?不可能だ!
リーダー達の中には「調和ある社会」を唱える者は多い。
それは素晴らしいことだ。みんなそのことを支持するであろう。
しかし、方法が間違っている。
弾圧は間違った方法だ。
調和は銃口の下には築けない。
調和は相互の信頼と尊敬、親近感からくるのだ。

ーーー

<将来の中国との対話について>



これはもっと後で決める。一か月待ってくれ。

ーーー


<中国政府への信頼が薄くなって行った経緯について>


3月10日のあと私は中国首脳部に「期待」したのだ。
今度こそ現実を見てくれると。
デモはチベット自治区で始まり、それから多くは自治区以外の地区で起こった。
しかし、今回も私の期待は外れたようだ。でもノープロブレム。

一つ話をしよう。
私の初めて経験した中国のヒポクラシー(偽善、詐欺)は、1955年、北京と中国の各地で数が月を過ごした後、その帰り道トンシンでのことだ。
そのころ私は少しだが中国語が話せた。
その時宿の主人の中国人がこう言った「チベットからの初めての使節団が中国の首脳部と会えたのだ。チベット人達はさぞ嬉しかったことでしょう。特にあなたがラサを離れる時にはチベットの人々は大層喜んでいたと聞きますし、、、」

それを聞いて私は言った。
「実際見たしたものとして言うが、私がラサを離れるために河を越えるとき、その河には橋が掛っていなかったが、ラサの人々が大勢、最後の別れを言うために河岸に集まっていた。
多くの者たちは涙を流していた。ある者は河に飛び込もうとした」と。

事実をその若者に言うと、
「そうなのか?でも新聞にはチベット人は歓喜に溢れてダライラマを見送った、と書かれていたよ」と言った。
これが私の経験した初めての中国の「ヒポクラシー」だ。

いや初めてではなかったか、もっと前があった。
私は中国に行く前に第一次大戦、第二次大戦、広島、長崎の原爆の事などはニュースで知っていた。
アメリカの戦艦の上でマッカーサーを前に日本人が降伏のために署名をするところも見ていた。

中国のトンベ地域に行った時、そのシーンを撮った写真が飾ってあったのを見つけた。
そこで、ガイドの中国人に「これはどこの船か?」と尋ねた。
するとガイドは「あ、それはソビエトの戦艦だ」と答えた。
中国は普通、「日本はソビエトから北方を攻められることにより降伏した」と言ってる。
二つのアメリカの原爆によって降伏したなどとは決して言わない。
これも「ヒポクラシー」じゃないか?そうだろう?「ヒポクラシー」でいいのかな?

数か月前、ラサの近くの村に里帰りしたというチベット人から聞いた話だが、村の村長は歓迎の会合の席で「我々は本当に幸せだ。みんな共産党のお陰で新しい家に住み、本当にすべてが良い」と言っていた。
次の日に村長の家に遊びに行くと、彼の顔は暗い。
どうしたのか?本当のところはどうなんだ?と訊くと、「ひどいもんだ。政府は家を建てるための補助金だと言って金をくれるが、まったくその金では足りない。だから家はボロボロだし。ほとんどのものは借金して、家を建てなければいけない。みんな今じゃ借金だらけだ」
「じゃ何で、昨日あんなことを言ったのだ?」と訊くと
「私はあのように言うしかないのだ」と言ったという。

1980年には卓越した共産党指導者であった胡耀邦氏がチベットを訪問する。
私の聞いたところによると、確かではないかもしれないが、彼は自分がチベットを訪問する前に、若い学生を中心に30名ほどをチベットを秘密裏に調査するために送ったという。
彼らの報告を受け、彼はチベットを訪問する前にすでにチベットの現状についての正しい知識を得ていた。
チベットに行った時、現地の役人が「チベットは美しい、すべてが上手くいっている」と報告するのを聞いて彼は彼らを叱ったという。
このように全体主義国家においては下の役人は偽善的報告をするものだ。

3月10日以後、私は中国政府がチベットの現実に向き合う勇気を持ってくれると期待した。現実的アプローチを期待した。
もう一つ、5月4日に非公式の会談が行われたが、このとき中国政府は異例にも、この会談に先立ち、ある国の大使を呼んで、これからダライラマの特使と会談すると知らせた。
さらに、ある日本のレポーターから会談の有無について訊かれ、会談の有ることを認めただけでなく「会談には誠実に望む」と答えたと聞いた。
そこで私の期待はさらに膨らんだ。

今もし正しく現実を認識し、現実的アプローチを選択するならば、我々は100%協力する用意がある。
我々は独立を求めていないし、分裂も望んでいない。
たぶん期待し過ぎたのであろう。

また、友人の友人から「指導者の中で誰と誰が話し合いに前向きであり。誰と誰がそうではない」とかの情報を聞いた。
混ざり合った二通りのシグナルが送られてきた。
それにしてもその非公式の会談を受けて、第7回の会談を7月4日に開くこととなった。
しかし、彼らの態度はさらに厳しかった。

何よりも、チベットの内地では平和的デモが、ただただ弾圧された。その状態が今も続いている。
この前、BBCにも「もう。チベット民族は死刑宣告受けたようなものだ」といったが、この意味は
今、まさにチベットの精神、文化が一掃されようとしている。
民族の精神が失われるとは、それは民族の死を意味する。
そうではないか?
だから状況は非常に悲しいものだ。

この故に、私も馬鹿ではない。
信頼が薄らぐのも自然なことだろう。

続く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日夜10時、NHK,BS1でこの前の会議やら、チュキさんの話とかをまじえた映像が流されたはずですが、、、
誰かご覧になった方は感想を教えてください。



rftibet at 20:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2008年11月24日

23日法王の記者会見より

4d8e91b6.JPG以下は昨日ツクラカンのカーラチャクラ堂で行われたダライラマ法王の記者会見の
前半の前半部分です。
質問ははっきり聞き取れなかったものが多かったので、簡潔な形で示すだけにします。

ーーーーーーーーーーーーーー

BBC,CNN,など世界中の沢山のメディアがこうしてチベットに注目して下さってありがとう。
ローカル新聞もほぼ毎日報道してくれていることに感謝している。

チベットの問題は道徳的問題だ。正義の問題だ。
だらか、チベットを支援してくれる人たちはプロ・チベッタンではなくてプロ・ジャスティス(正義派)だと常々思っている。

私の言いたいことはこれだけだ。では質問を。

ーーーーーー

<チベット帰還について>も質問だったのか?
答えはチベット問題の様々な側面についてが多い。

ーーー

みんな信念を持って、いつの日か、自分の故郷に帰ると思っている。

個人的には仏教に従う者として、現象の縁起性を完全に信じる。
其々の個人は一人に見え、現象も時にバラバラに見えるが、
すべてはお互いに関連し合っている。経済、環境とかは明らかだ。

多くの問題は、チベットの問題も人間の作った問題だ。
広い視点ホリスティックな視点、グローバルな視点が足りないが故に多くの問題は起こっている。
だから、私も、チベットの問題もその将来は隣接するインド、中国、世界の状況による。

私のこの世での第一の義務、責任は
人間の善き価値の増進だ(promote human value人間性の向上)。
世界に温かい心を増やすことだ。
そこから他の人の利害を尊重し、他の人の苦しみに同情し、これを考慮にいれる態度が生まれる。

二つ目には、世界の宗教間の調和を促進すること。

三つ目がチベット人を守ることだ。

私がチベットに自由の身となって帰れば、三つ目は終わる。
私が生きている限り、前の二つの責任は変わらず引き受け続ける。

世界の中でチベット問題は小さい事だが、これは人権と宗教だけの問題ではなく、
チベットの問題はその特異な文化遺産の消滅の問題だ。

チベット文化はあらゆる側面において仏教の影響を強く受けている。
チベット文化を定義するとすれば、それは<慈悲の文化>、<非暴力の文化>と定義できよう。
今の世界には正にこれが欠けている。
この思想をチベットはインドから学んだのだ。
インドは我々の師だ。われわれは弟子だ。
インドに古くからある教えアヒンサ(非暴力)とカル−ナ(慈愛)がその基となっている。

チベットの文化は世界で一番美しい文化だと思う。
今この大切な文化が危険な状態に陥っている。
この文化は滅亡の危機にある。

チベット問題は六百万チベット人だけの問題でなく、この文化を共有する、少なくとも中央アジア全体で3、4千万人のヒマラヤ地区のインド、ネパール、モンゴル、ロシアのある地区に住む人々に直接的に関係する。

さらにチベット問題は他の世界の人々にも関係する、
このチベットの文化は世界平和に貢献できる。心の静寂と慈悲の文化は必ず世界に貢献できるはずだからだ。

もう一つの側面として、環境問題がある。
あるアイスランドのエコロジー専門の学者が中国のエコロジストの論文を引用して、言っていた。
「地球には三つの極がある。北極、南極そしてチベット高原極だ。チベット高原は世界の環境に与える影響からいえば北極と同等の重要性がある」と。
温暖化については地球全体の気温が0,1度上昇するとき、チベット高原は0.3度上昇するという。
高度の影響によるという。
もしも現在のようなチベットの環境破壊が続けば、15―20年後にはインダス河は干上がり、ガンジス河、プラマプトラ河も危なくなるという。

ほとんどのアジアの大河はチベット高原をその源とする。
だからチベットの環境を守ることはチベット人六百万人だけの利害ではなく、これら大河の流域で生活する何億という人々の利害に直接影響することなのだ。
だから大事な問題なのだ。

チベット問題には第3の側面がある。
中国とインドは世界でもっとも人口の多い大国だ、故にこの二国が信頼に基づいた、真の友好関係を持つことが平和のために大切なことだ。
世界の人口の約三分の一、20億人以上に関わる。
しかしチベットがこのままの状況であるならば、大量の中国の軍隊チベットに駐留する、このこと自体長期にインドを心地悪くさせる。

チベット問題が解決され。チベットが正常になり、意味ある自治が許され、言語を含めたすべての文化保存の自由が実現するならば、インド国境の問題もなくなる。


――――

<引退についての質問>


選挙に依ってリンポチェが首相になってから私はもう半分引退したのだ。
定年退職しているのだ。政治的権限は彼の手にある。
私はシニア・アドバイザーでしかない。

さっきも言った二つの約束は死ぬまで引退はないが、
1992からもしチベットの問題が解決されれば完全に引退すると言ったきた。
亡命の身のまま、もう私は73になる、十年後には83だ、いずれ引退の時は来る。20年後には93だ、もうどうしろと言うのか?。
年寄りすぎる。

私も一人の人間だ。人間として引退の権利があるはずだ。

チベット社会の民主化に力を入れてきた。
早くは1969から私はダライラマ制度が存続すべきがどうかは、チベット人が決めることだと言っている。
私が最後のダライラマとなるかも知れないと言って来た。
何の問題もない。
半分冗談だが、もしも私が亡くなった後、人々が「14世はダライラマの伝統を傷つけることもなく、中々悪くなかった」と言って貰えるようになればそれでいい。
そのようにしてダライラマ制度が無くなってもいいじゃないか。

本気で民主主義に努めてきたのだ。
もうチベット問題については中心的役割からは退くであろう。
しかし、この身体が存続する限り私はチベット人だ
外見は変わるかも知れない、もっとも髪は僧侶だから伸ばせないが、そうだカナダから来たの一人のチベット人のようにモヒガンもできないが、、(頭の上でジェスチャー)、スタイルは変わっても、この身体が死ぬまでチベット人としての道徳的義務は負い続ける、引退はない。

ーーーー

<会議について>

この会議には口を出さなかった。
私が口を出すとたぶん自由な討論の障害になると危惧してのことだ。、
大方の参加者は中道のアプローチを支持したようだ。もちろんチベット青年会議その他、独立を主張したものもいた。

それにしてもこの議会だけで将来は結論できない。今月の末には国際支援者会議が開かれる、
多くの国々から参加者が集まる、彼らの意見、感想、助言等も聞くべきであろう。
だからまだ、今は何も言うことがない。


rftibet at 20:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2008年11月23日

法王の訓示

23,11,08ダラムサラ、ツクラカン
先ほどからBBC放送では、ダライ・ラマ法王の今日の会見の様子をトップニュースで伝えています。

このままでは近い将来チベット人は危険な状況にいたるであろう。
近い内に中国が良い方向への態度を示さない限り、独立への方針転換もあり得る

と言った。キャッチ内容でした。
もっともレポーターは「独立、強行路線といっても、平和闘争には変わりないので強行、過激という言葉は相応しくない
と言ったコメントをちゃんとしていました。

それにしても実際今日、会見に出席してすべてを聞いたものとしては、このキャッチは少しニュアンスが実際よりも過激すぎると思います。

今日の行事は二部に分かれていました。
まずは9時前からツクラカンの主堂に今回の会議出席者全員が集まりました。
法王は一時間ほど彼らに向かって話をされました。

そのあと10時頃から、隣のカーラチャクラ堂で記者会見が開かれました。
23,11,08ダラムサラ、ツクラカン
何しろ沢山のことを話されましたから、今どうしようかと迷っているところです、、、
要旨は何れ日本の各紙が既に今日の夕刊に載せたか?明日の朝刊に載せるでしょう?
ちょっとだけでしょうけど。

いずれにしても今回の会談の結論は解釈に幅をもたせ過ぎてるようにも感じます。
私は現時点で、中国に対しての、かなり強い精一杯の表現だと思います。

近い将来(soon)中国側が私の提案に前向きな態度が示されない場合には、
独立なり自治権なりの獲得へと舵を切らざるを得ない
」と法王もきっぱりおっしゃいました。

ーーー

ところで以下に私のノートと記憶を頼りに法王のお話の内容をレポートさせて頂きますが、正式?なものとして他に引用されないほうがいいでしょう。
プレスとして亡命政府から認められているので、発表には何の拘束もないのですが。

正式なレポートは日本の代表事務所のホームページに、何れ近々発表されることでしょう。

ーーー
23,11,08ダラムサラ、ツクラカン、珍しくメモを片手に話をされる法王
まず前半の会議参加者への訓示では、

「1959年3月16日の夜、ノルブリンカを後にしてインドへと亡命することとなった。
これは自分たちが好き好んで選んだ道ではない。
中国とどうにかうまくやっていこうと努力したにも関わらず、中国側の暴力により仕方なく、他に方法がなく、亡命することになったのだ。
いっしょに多くのチベット人もヒマラヤを越えなければならなかった。
あの時の問題は今も続いているのだ。
初心を忘れず勇気を失わず、この戦いは、世代を越えて子供へ、その子供へと伝えて行かねばならない。」

「最初の20年間は寺をつくることより、学校を作ることばかり考えていた。
20年経って、学校はまあまあ揃った。
それを土台に教育のレベルも相当良くなった。
しかし、まだまだだ、中国人を見ろ、華僑の中には沢山外国の大学の教授にもなっているが、チベット人はどうだ、数人だけだろう。もちろん人口の差はある。
それにしてもチベット人はもっともっと教育に力を入れ、一般人も知識を得ることにもっと関心を持たねばならない。

各セトルメント毎に活性化計画のようなものを作成するといいだろう。
チベット社会を全体に発展させる努力を真剣にこれから考えないと、後20年本気で頑張らないと、チベット人の前途は益々多難となろう。
10年後には私は83歳!、20年後には93歳!もうボロボロだろう」

会議について
「特別のコメントは今何もしないが、とにかく実り多い良い会議だったと数人から印象を聞いた。報告書も読んだ。毎年このような会議を開いたらどうか?
みんなが集まって情報を交換し合い、互いに近く感じることは大事なことだ」

(小平の言った話については)
「現在中道路線と言っている独立を下ろすという考えは、1974年からあったものなのだ。
その頃スイスで他の宗派の者たち及び政府関係者と会談中に「独立はもうほぼ無理であろう、ウ・ツァン、カム、アムド三区を統合した真のチベット自治区の実現を要求するのはどうか」という話が出ていた。
そこに1979年小平が「独立以外の話ならどんなことでも話し合おう」と言ってきたのだ。
その時こちら側はすでにその状況に対し準備ができていたとも言えるのだ。

これまでわれわれは人としての当然の権利を主張し続けているだけだ」

対話について
「対話は対象の違いにより二つに分けられる。
第一は中国政府に対してだが、政府に対しての私の信頼は、前にも言ったように、益々薄くなってなってきた。
しかし第二の中国の人々に対する私の信頼と尊敬は少しも損なわれていない。
長い歴史と文化を持つ、現実的対応のできる素晴らしい人々だと思っている。
だから、これからもチベット人は中国人の友人を積極的に増やし、交流を盛んにすべきだ。
今年の3月10日以降、多くの中国の知識人が私の中道路線への支持を表明してくれた。
89年の天安門以降、中国の知識人達の態度は一変した。
中国の民主運動家とは度々会っている。
これからも中国人とは仲良くしていくべきだ。
何れ、チベットはインドと中国を隣人として生きていくしかないのだ。
仲良くしていくしかないのだ」

といったことをお話になりました。

BBCの言う、
「このままでは近い将来チベット人は危険な状況にいたるであろう。
近い内に中国が良い方向への態度を示さない限り、独立への方針転換もあり得る」
については最初の一行目は主にチベット人にはっぱをかけるために言われた言葉であり。
次の一行は中国に対して言われた言葉です。いっしょにすると誤解も起るでしょう。


一旦ここまで。
















rftibet at 18:07|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2008年11月22日

特別会議終了

8182a2e4.JPG会議最終日は午後1時半よ休憩を挟み4時半ごろまで行われました。
その後議会議長カルマ・チュペル氏と副議長ギャリ・ドルマ女史が質問なしの記者会見を開きました。

結論はさて置き、会議の前後、休憩時間中のメディアのインタビュー合戦はちょっとした観物でした。
とにかくメディアが多い100人以上います。
誰かが誰かにインタビューを始めるとすぐにそのそばに他のメディアがたかる、人の質問を借りてちゃっかりみんな答えを録音したり、撮影したり、ノート取ったりするのです。
中でも目立ってたかられていたのはジャミヤン・ノルブ氏とハーバード研修員のロプサン・センゲ氏、それにロディ・ギャリ・リンポチェです。
英語の巧さが基準ですかね??
そういえば英語のできる僧侶を日本のメディアも探していました。
私もそんな人のインタビューを聞き過ぎ、誰が誰の意見かもう判らなくなりました。

写真一枚目:
会議の始まる前、人だかりの中で特に一目を引いていた集団がありました。
二人の特使と一緒に元首相ソナム・トプギェル氏、元宮内庁長官テンジン・ゲチェ氏
、元外務大臣T.C.テトン氏といったそうそうたる長老集団が楽しげに歓談していました。
メディアも注目し写真を撮ったりしていました。
ギャリ・リンポチェと目が合った次の瞬間、手まねきで呼ばれてしまいました。
仲間に入れということのようです。

内心「俺はこんな爺集団とは訳が違うんだけど」と思ったが、何を話ているのかと興味もあったので加わった。
と、そこにちょうどジャミヤンが現れた。
彼はリンポチェの肩を押しながら「あんたたちは一度でいいから後ろに下がっていてもらいたい!俺の席は後ろ過ぎて良く解かんない。一度でいいから俺達を前に座らせてほしいもんだ!」と冗談にしてもかなりはっきりと真顔で言ってました。
二人とも意見は違えど実は古い友人同士なのです。

ギャリ・リンポチェへのインタビューの聞きかじりでは、
「チベット人が集まるといつも暗い自信のない話が多い。
チベット人は全く暗くなることはない、正しいことをしているのだから自信をもって明るく振る舞うべきだ。
中道路線がすべて失敗した訳ではない。
法王はどこへ行っても最高の尊敬心をもって迎え入れられる。
もちろんこれは法王の仏教を体現されたお人柄によるところが大きいが、法王の非暴力・中道路線が評価されているからでもあろう。
チベット人はあの中国を相手に良く戦っていると思う。知識人も増えた。
もっと自身を持つべきだ」
というのがあった。
22,11,08 TCV ホール 特別会議閉幕式
写真二枚目は全員起立で閉会式のチベット国家斉唱中。

三枚目はロプサン・センゲ氏。
このときのインタビューで質問者の「法王の後継者の話は出たのか?」に対し、
以下のような話をされていました。

マデ・トゥルク(生前活仏、先代が死ぬ前の転生者!、分身?)の話が私の部会でも出されたし、議論の結果、部会提案の一項目として盛り込まれた。多くの他の部会でも同様の議決がなされたというのを聞いて少し驚いている。

4,5年前ならこんな話をするのは全くのタブーだったはずだ。
もちろん今でもこんな議論をすること自体に反対する人も多いはずだ。
中国はとにかく今の法王さえ存在しなくなればチベット問題もなくなると考えている。その時は偽の15世を立てることもほぼ間違いない。

しかし、もしも法王が次の15世を生前に御指名されるならば、中国の期待するような事態を避けることができよう。
中国はさぞがっかりすることだろう。

カルマパを後継者にする案も出ていた。カルマパは若者に人気があることと、その中国脱出の経緯もあり、今もチベット内部のチベット人への影響力があるからであろう。
しかし、大きな声にはなってなかった。」
22,11,08 TCV ホール 前 ロプサン・センゲ
その他こんな気の利いた話も、
「第8回会談では、こちらの提出した<高度な自治についての覚書>に対し、中国は<これは独立を偽装した、分裂主義者の言い分だ>と非難し拒絶した。
<覚書>の内容はちゃんと中国の憲法に規定してある自治権の範囲内での提案だ。
それに対しそのような反応を為すならば、中国は自身の憲法の中に<独立>を認めていることになろう」

ーーー

雑談はこのぐらいにして、肝心の決議案の内容を紹介しないといけませんね。

英語版リリースが明日手渡されるそうですし、長いし、それはきっと日本事務所が正式に翻訳されるでしょうから、今日のところは要点のみとします。

肝心の「今後の政策について」の章では、

1、「、、、、大多数の参加者は中道路線を支持した。しかし、最近の中国政府の対応に鑑み、中国との話合いのために特使を派遣することは当分の間行わない。また、この先ある期間が経っても、この政策の確かな結果が見出されない時には、<独立>なり<自決権>の獲得への政策変更が考慮されるべきだ、との意見も強く(多く)出された」

2、中道、独立、自決権何れの道を進むにせよ、チベット人の戦いは完全なる非暴力・平和主義の闘争でなければならない。
ーーー

<独立>について言及されているのはおそらく、この箇所だけです。
全体の票決のようなものは結局取られませんでした。
ですから独立支持派の割合も不明です。
ほぼ2対1かな?
<ある期間が経っても>の表現に付き質問があったが、
<ある期間>とは<ある期間>だそうです?


全体には、とにかくダライラマ法王を全会一致でチベット人民の代表として再信任するという内容です。


-------------------------------------------------------

共同通信が取材して下さった、リンジン・チュキの証言が明日の朝刊に掲載される予定です。東京は東京新聞かな?
地方紙が多いと思います。


















rftibet at 21:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

続ダラムサラ会議

2af7e4b6.JPG昨日再び数十人のチベット人亡命者がダラムサラの一時収容所に到着しました。
彼らは今日早速、ダライラマ法王との謁見です。
写真はついさっきパレスに並んで入って行く新しい亡命者たちです。
訳60名いました。

ーーー

会議の結果が概ね明らかになりました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23262&article=MWA+Retains+Prominence+at+the+Special+Meeting

一言で言えば、「新(re-strategized)中道路線」とでも呼べる内容です。
対話については「中国政府がダライラマ法王への根拠のない非難のプロパガンダを続け、チベット内地における人権侵害を続ける限り、行うべきではない」という意見が多く出されたという。

その他の論点として、目立ったところでは、
「法王が亡くなられる前の転生の可能性について」!
「各国にチベット亡命政府承認を要請する」
「ダライラマ法王が内外チベット人すべての、正当な指導者であることの再確認」
「一般中国人との交流を盛んにし、中道路線に対する更なる理解を得るための努力を継続する」
等。

中には、「抗議活動は中国政府に向けたものであり、決して一般中国人の感情を害するような行為、例えば<中国国旗を燃やす>などをなしてはならない」というのもあります。

日本事務所代表のラクパ・ツォコ氏も「法王のこれまでのご方針を再度信任し、再充電して頂くための励ましの会議」となった、と話されていました。

中道優勢と判明し始めた昨日午前中、外に出たら地元チベットメディアの仲間達も退屈そうに日向ぼっこのために外にたむろしていました。
元気のいい若者ばかりです。
「やっぱり、中道が多いようだけど、どうなの?」と聞くと。
「当り前さ。年寄りばかりじゃん。年寄りはもう半分寝てる。もう何も変えたくない。もう死んじゃうし。後に残るのは俺達なのだぜ。もっと若者を入れるべきだった。」
とその場の大方の{大胆な}意見を代表してL氏が大きな声で演説してました。
取材してるばかりで討論には参加できない若いチベット人プレスのひがみですかね。

全体に最近アメリカで教育を受けたチベット人が目立ってた気がします。
チベット式とアメリカ式の激しいバトルがいたるところで行われていました。
チベット人は日本人と違って生来討論好きです。

後1時間後には最終結論発表が行われます。



rftibet at 12:20|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2008年11月21日

会議終了間近

f31b102b.JPG会議は明日最終日です。
今日は、15の部会に分かれて今日まで議論されて来たことの総括が、それぞれの部会長によって、順番に発表されています。

場所はTCVの大ホール、寒いですよ。
暖房設備のことなどもちろん、はじめからまったく考えられていない建物ですから、この時期は寒いのです。
標高2000メートル位の森の中ですし。
一人一人の話が長い、午前中に3人しか終わりませんでした。
3時までだそうですが、この調子では15人が終わるのは明日の朝でしょう。
ということで、外に出ました。
外は心地よい日差しで温かいのでした。
チベット語だけなので退屈し切った様子の、k通信社の方とTCVを一回りしました。
21,11,08TCV

写真の内一枚目は、会議の様子。
二枚目は、仲良く肩組みながらホームに向かう女の子たち。
三枚目は、校庭で会った男の子。
四枚目は、教室に残って左手の女の子が解かんない右の女の子に教えているところ。
五枚目は、久しぶりに訪ねた、<SHOGO HOME> 199?年だったかに、友人の浜田省吾君に<フリー・チベット・コンサート>を広島で開いてもらって、その寄付で建てたホーム(寮)です。
彼はそれからもう一度、ルンタを建てるためにもフリー・チベット・コンサートを行ってくれました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
21,11,08TCV2
会議に先立ち、内閣が独自に行ったという<チベット内地の意見調査の結果>について、実はいろんな違った数字が各紙に出ていました。

私は議長の記者会見での発表を基に、このブログで以下のようにお伝えしました。

総数17000人 内訳:
1、法王のおっしゃる通り 8000人
2、完全独立  5000人
3、中道    2000人
4、その他   2000人

ところが1、は一緒でも2、を6000とするものあり、3、を3000と発表する者ありの状態でした。
21,11,08TCV3
以下今回の参加者に配られた資料より、正確と思われる数字を再記載します。

1、法王のおっしゃる通り  8246人
2、完全独立    5209人  
3、中道      2950人

4、その他     ?

議長は中道を3000人というべきでしたね。

回答者を内訳した数字もあります。

21,11,08TCV4

一般市民(都市市民、農民、遊牧民)10761人
僧侶4299人
尼僧514人
中国政府公務員 465人
無職  414人
学生  386人
その他


ーーー

それにしても短期間にどうやってこれだけの回答を集めたのでしょうかね?
もちろんあくまで極秘ですから、、、

もっとも、この情報の信憑性を疑うチベット人は少ないようです。

この数字を解釈して、日本の某新聞は「法王の求心力が衰えた証拠だ」とコメントしたと噂に聞きましたが、本当ですか?誰か教えてください。
これは結局、故意にかどうか知りませんが、一番目の「法王のおっしゃるまま」を無視し、二番目の完全独立と次の中道の数字のみを比べてそう言っているのでしょう。

法王への求心力(依頼心)はご自身が望まないのに反比例して、特に内地では益々大きくなっていると感じます。
某新聞社の方は、普通にこの数字を見た人なら、これから法王への求心力の衰えを見るよりも、何も知らない人ならば、チベット人の盲目(従順)さの現れと見る方が普通と思いまが、、??。

法王の教えや政策について良く研究し、その上で「法王のおっしゃるまま」というなら、盲目どころか賢明な選択ということになるかも知れません。

しかし、今回は確か法王自身が「私を見ずに、自分たちで考えて決めよ」とおっしゃったはずなのだが、、、そういう意味では、法王の言うことを聞かない人が多くなった(求心力が衰えた)といえるのか!???
求心力の裏返しと見るのが正しいのかな?

ーーーーーーー

最初は<中道>だ<独立>だとかの文節的、世俗諦的票決などしないと言ってたはずなのに、部会ではちゃんとそのような票決を行っていました。

独自の出口調査によれば、全部会の内、一部会だけがイーブン・イーブン、それ以外は中道優勢という、今日の情勢でした。



















rftibet at 17:15|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年11月20日

続ギャロ・ドゥンドゥップ氏の証言

b3dc4670.JPG昨日の続きです。
いったん出来上り、アップする途中に消えてしまいました。
二度目は少なめになったかも?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

インドに帰って法王にご報告した。
法王は喜ばれ、関係を確実なものにするために努力しよう、といわれた。
それから三回に渡り、チベットに調査団を送ることができた。
20年間途絶えていた、内と外の交流が少しではあるが可能になったのだ。

私はそれから何度も中国に行き会談も行った。
しかし、私は一度も「独立」の話は出さなかった。
私は常に正当性、合法性(legitimacy)について話した。
チベット人が当然持つ正当な権利、合法的権利(legitimate rights)を要求した。
チベット人はその独自の文化、伝統、言語、宗教を守る権利がある。
言論の自由、宗教の自由、移動の自由、様々な独自のコミニティーをもつ自由が保障されるべきだ。
中国は近代では清の時代から始まり、49年後も続く軍人中心の悪い政策を変えるべきだ。
チベット人を同等の人間として扱うべきだ。

最近のラサなどの状況を知るにつけ、52年のラサを思い出す。
町は中国兵で溢れ、兵隊は銃を構えていた。
日本が戦争でアメリカに負けたあと、銃を構えたアメリカ兵が大勢日本に上陸したというが、同じような状況だ。

52年のころは我々は中国からあたかも王様のように扱われていた。
政府はあまりにも外国との関係をそれまでに作っておかなかった。
助けを呼ぶ手段が判らなかった。
インドに誰か行くべきだということになり、私が秘密裏にインドに行くこととなった。
私は避難民第一号になったというわけだ。

インドではネルー首相に会った。
本当にいろんなことがあった。
私に起こった出来事を話すときりがない。
中国と小平に関する話は今日はこれぐらいにしておこう。




(メディアに対し)
チベットは大国インドと中国に挟まれた地域だ。
これからもその地政学的重要性は益々大きくなっていくことであろう。
この辺のことに詳しくなっておくことは将来の仕事にきっと役立つよ。

そのあと質疑応答に入った。
まずRFAラジオ自由アジアの外人女性記者が質問。
「小平はそれほどオープンで好意的だったのに、その後関係は悪くなる一方だ。今回は最悪だった。
なぜ中国はこのような態度を取るようになったと思うか?」

G氏「私も今度の中国側の態度には正直驚いている。
二年前から、悪くなった。法王を個人攻撃し、約束も守らない。
今回は小平の言った言葉すら否定した。

私は長年チベット人の正当な権利獲得のために戦ってきた。
しかし、つまり、
中国の政府高官、将軍の中にはチベットをポケットの中にある自分の所有物と見做している者たちがいるのだ。
特に人民解放軍の北西部隊と南西部隊の将校たちがチベットを自分たちのものだと思っている。
49年から79年までの間にどれほどの富がチベットから持ち出されたことだろう。
チベットは略奪し尽くされ、破壊し尽くされたのだ。
その間に彼らは巨万の富を得た。
注意深くそのころの出来事を調査すれば、きっと彼らの事は表にでる。
その事を恐れているのだ。


よく66年から76年にかけての文化大革命によってチベットの僧院は破壊されたとかいうが、そうではない。
すでに、66年までに僧院、尼僧院は空っぽの廃墟と化していたのだ。
文革の時、そのまま廃墟で建っていると目立し、文革では破壊がテーマだから、それを演出するにも丁度いいというので廃墟の壁を倒しただけだ。
金目のものはすべて没収された。女性が腰飾りやイヤリングをしていればすぐに取り上げられた。

もう酔っぱらいと話をしているようなものだけど、それでも話合いは続けるべきだ。
他に道はない

世界は変わる。黒人がアメリカの大統領になることを、かつて夢にでも見た者がいるだろうか?
私は楽天主義者なのだ。
対話は続けられるべきだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

独立派ジャミヤン・ノルブしの話は何度も紹介したが、
最近の彼のブログからの要約をY女史が自身のブログに載せられている。
独立派は時に過激派などと呼ばれることもあるのだが、実際には石一つ投げたこともない、いたって平和的活動家たちばかりだ。
彼らの実体、主張を知って誤解をなくすことも大事でしょう。

http://epea.exblog.jp/d2008-11-19

rftibet at 16:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2008年11月19日

チベット史の生き証人二人が記者会見

21d54130.JPG
小平が1979年に「独立以外の事なら、どんなことでも話合うことができる」と言ったことを受けて法王は対話のために、独立の旗を降ろされたのだ。

しかしそのことを今回の会談で中国側は否定した。「そんなことは言ってない」と言い始めたのだ。

そこで、このことに関し、今日(19日)午後3時より内閣府の一室で緊急記者会見が開かれた。
登場したのは、ダライラマ法王の貴兄ギャロ・ドゥンドゥップ氏と元首相ジュチェン・トゥプテン・ナムギェル氏。

ギャロ・ドゥンドゥップ氏こそ1979年の春、小平に呼ばれ、北京に行き、小平からその言葉を聞いた張本人だ。
ジュチェン・トゥプテン・ナムギェル氏は1982年の第一回チベット調査団の団長として北京を訪問したとき、そのことを確認している。

会見のほとんどはギャロ・ドゥンドゥップ氏の当時の詳しい経緯についての話だった。
ジュチェン・トゥプテン・ナムギェル氏は英語ができないので、質問にも全てギャロ・ドゥンドゥップ氏が答えておられた。
会見が開けた後、チベットメデイアだけがジュチェン・トゥプテン・ナムギェル氏に押し寄せ、質問を繰り返していた。

会場では、これまで1979年から1992年まで少なくとも6回、この言葉を中国側が使ったことを証明する資料が配られた。


以下は今日のギャロ・ドゥンドゥップ氏の話の前半部分です。
続きは明日か?

私のメモからですから、正確な内容は日本事務所からでも出るかもしれない報告を参照お願いします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は1952年から79年に掛け、香港にいることが多かった。
香港は中国に近く、中国からの情報を得やすかったからだ。
特に私は中国語を習うためにそこにいたのであり、特別の政治的使命を持っていた訳ではない。

79年、新華社のボス、リー・ズン・サンが私に会いたがっているという話を友人のアメリカ人を通じて知らされた。
はじめは断わり続けた。しかし、香港の友人たちがしきりに勧めるので会うことになった。
彼は小平が私を探しだし、北京に招待せよとの命令を出されたこと、私を探すのに苦労した話などをした。
しかし私は「自分には政治的権限は何もないし、香港にはただ中国語を学ぶためにいるだけだ」と言ったが、ひつこい。
そこで、最後には「私が北京に行くにしても、そのことをダライラマ法王にご報告し、許可を受けないで行くわけにはいかない。だからまずはインドに行かせてほしい」と答えた。
すると、相手は「そんな必要はない、北京に朝行って、夕方には帰って来れる」などと言っていたが、終わりには「早く行ってこい」ということになった。

法王とはインドのナクポというところでお会いした。
経緯を説明すると法王は「それは非常に良いことだ。行くべきだ。政治的代表としてではなく、私の許可を受けた、個人的特使として行けばよい。
行って、彼のいうことを良く聞いて帰ってくればよい
」とおっしゃられた。
こうして、新華社のリーに連れられ北京に行くことになった。

しかしその時、小平はベトナムとの戦争を指揮するために現地にいっており、なかなか帰って来なかった。
その代りに、その時の統一戦線議長ウーランフーが私を様々な政府高官と引き会わせた。
彼はモンゴル族の出身だった。
小平は戦争のことで忙しく、とうとう一か月待たされた。

彼が北京に到着するとすぐに呼び出された。
人民大会堂で統一戦線その他の高官も同席して会談は行われた。
小平ははじめに「いらして下さったことを、心より嬉しく思う。
中国とチベットの間には今までに沢山の出来事があった。
だがそれもすべて過去のことだ。
中国人もチベット人も大きな苦しみを味わった。
私も苦しみを味わわされた。ここにいるウーランは7年監獄にいた.
この人もあの人も監獄に捕らえられていた。
過去に何があったにせよ、我々は将来について考えることが大事だ。
だから、過去のことを根に持ち怒りの心を持ち続けることは良くないことだ。」

と話し、ダライラマ法王やチベット人の状況について尋ねられた。

その後、本題に入った。
小平は「独立の話以外はどんなことでも話し合える。
今日、すぐにでも、チベットの問題を解決するために話合いを始めようではないか

と言った。彼は小柄だが、率直て、興味深い人物だった。

これに対し私は、
「確かに法王の承認を得て来てはいるが、招待されたから来ただけで、何か交渉のために来たわけではない。法王は行って小平氏が言われることをよく聞いてくれば良いと言われた。そのために来ただけだ」と答えた。

しかし、小平はその時、法王の帰還を勧め「帰られたらその地位を保障する。すべての亡命チベット人はチベットに帰ることができよう。失った土地などの財産も取り返せるだろう」とか言って、交渉を開始することを急いでいた。
しかし、あくまで「法王に相談したのち答える」と言い通した。


「それでは、個人的な提案のようなものは無いか?」と訊かれた。
そこで、次の三つの点について要請した。

「59年以降20年間チベットの国境は閉鎖されたままだ。チベット人は内と外とに分断された。離ればなれになった人々はお互いにその家族、親戚の安否を気遣いつつも、まったく消息不明のままだ。
だから、まず第一のお願いとして、国境を開き離散家族の再会が実現するように努力してほしい」と要請した。

すると小平は「すぐに国境を開けるよう命令を出そう。家族が行き来できるようにしよう。移住も自由だ。巡礼もできるようになる。カム、アムドからの移動も許可されよう。
ダライラマに会いにインドに行くこともできる。
今日からすぐに開かせよう」
と答えた。

二番目に「中国政府はパンチェン・ラマに対し不当な扱いをしている。どうか小平氏にパンチェン・ラマを守って頂きたい」と要請した。

これに対し小平は「彼をすぐに政治協商会議の副主席に任命しよう」と答えた。

三番目に「チベットではチベット語を教える先生が少なすぎて、子供たちがチベット語を読み書きすることができなくなっている。亡命先のインドではネルー首相の理解と援助もあって、亡命チベット人の教育には成功している。チベット語を教えることのできる者は多い。だから、チベットの内地にチベット語の教師を送ることを許可してほしい」と要請した。

それに対し「素晴らしい考えだ。いったい何人ぐらい送れるのか?」と訊かれたので「毎年2〜30人位は送れると思う」と答えた。

すると小平は「1000人は送るべきだ。チベット各地に教師は必要だ。インドでチベット語だけではない、英語やヒンディー語も習ったはずだ。それらの知識も有用だ。だから、少なくとも1000人は要るだろう」と言った。
私は「できるだけ送れるよう努める」と答えた。

彼はすべてに対しストレートであり、その場で即決するタイプだった。


rftibet at 22:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

新華社がダラムサラに現れる / 京都新聞11月15日付・ラサレポート

4dd58b53.jpg一昨日の夕食をルンタで食べてた時のこと。

部会開けの日本代表タシ、小川くん、S記者、私が真ん中の大きな瓢箪形テーブルを囲んで話を弾ませていました。
同じテーブルの反対側に3人の東洋人が同席していました。

話の途中、時々タシが「このやろう何てこと言ってんだ」とか「バカじゃないか」とか訳のわかんないことを呟いていました。
でもその時は何事もなく終わりました。

次の日、S記者か「昨日、新華社が来ていましたね。同じ席に座ってましたよね」
「えええ!!!」
「タシさん中国語が解るから、かなりカッカしてましたよね」
「アッソー!」
何と知らなかったのは私と小川さんのみ。そんな事とは知らず(二人は知りながら日本語は解るはずないと知って)いろいろとあちらが聞いたら怒りそうなことを、大笑いしながら延々続けてた。

昨日夕方タシにそのことを正したら、「隣から中国語が聞こえてきて、その内容が頭に来ることばかりだったから。カッカしたよ」
「彼ら新華社の者たちって知ってた?」
「へー、知らなかったよ!」
「ぼこぼこにするべきだったね。少なくともこのレストランからは追い出すべきだった。ここをどこだか判ってて、元政治犯の作った飯を食いに来てたのかな?」

ーーー

彼ら3人(男二人、女一人)はデリー支局からの回し者だそうです。
私の知る限り、新華社がダラムサラに来たことはないような?
あるにしても非常にまれなことです。
法王は3月以降何度も新華社を招かれたが、来なかった。
地元のチベット人プレスグループが自分たちの会議に招待したが来なかった。

早くも、噂は「情報省でプレスのパスを作るとき、彼らは最初<個人>と言って申請しようとした。でも係官が、個人は認められない所属が要る、と拒否したので、そこで初めて<自分たちは新華社のものだ>と明かした」とか言ってます?

大丈夫ダラムサラは北京やラサじゃない、誰もスパイと判っててもぼこぼこにはしませんよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下、11月15日京都新聞に載せられた、最新ラサレポートです。

写真はすべて紹介できませんが、写真も内容も日本人による貴重な証言です。
勇気ある行動に感謝いたします。

ーーー

11月15日京都新聞
2008年11月15日 京都新聞 夕刊

■チベット・ラサ探訪 〜騒乱の影 色濃く〜

中国のチベット自治区で今年三月に起きた騒乱から半年あまりがすぎた。
国慶節(十月一日)の時期に区都ラサを訪ねた。
人々は、平穏な日常を取り戻したかに見えるが、町中に武装した治安部隊が闊歩。
監視カメラも張り巡らされて、平穏とはかけ離れた「監視社会」があった。
厳しい現実にあらがうようにチベット人たちはただ、祈っていた。

■厳戒の町 ささぐ祈り

七年ぶりのラサは変わり果てていた。
北京五輪に伴う経済発展や青蔵鉄道開通で、町には観光客が大挙押し寄せるようになった。
ビルが増え、最新型の外車が走り回る。

「寺で僧侶に話しかけないで」「街のレストランでの会話は、盗聴されている」。
到着後、ガイドからの最初の注意だった。

中国人観光客が増える一方で外国人観光客は激減している。
入域許可証発行が厳格化され、自由な旅行ができないためだ。

騒乱の痕跡は、街の中心部からは消えていた。
巡礼者が集まるジョカン寺周辺は、焼けた建物が改修され広場は花で彩られていた。
国内の団体旅行者が新型カメラで撮影に興じる。

平和な光景も、少し歩けば、いたるところで銃を持った迷彩服の武装警察と出遭う。
見上げると、辻々に監視カメラがあり、屋上からは歩哨が見下ろす。
部隊を撮った旅行者が画像を削除させられているのを見た。

騒乱のさなか、僧侶たちが外国人記者団に直訴したジョカン寺には私服警官がいた。
記者に付きまとい耳をそばだてる。
周囲に誰もいない時、一人の僧侶に話しかけた。
「日本が好き」と笑顔。
だが騒乱後の状況を尋ねると、「何もしらない」と口を閉ざした。

デモの中心寺院の一つデプン寺のは騒乱前に二千八百人の僧侶がいたというが、境内を歩いて見かけたのは二十人足らず。
がらんとした本堂で僧侶がさい銭を数えていた。

騒乱後、中国政府は寺院への締め付けを徹底しているようだ。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(東京)によると、寺院でもスパイによる監視が常態化した。
誰もが疑心暗鬼に陥り、外国の調査機関が入れないこともあって、僧侶の安否確認も難しいという。

別の小さな寺で話した女性は「デモで大勢の僧侶が捕まったが戻ってこない。漢民族が憎い」と打ち明けた。

十月一日、中国の建国記念日を祝う式典がポタラ宮前広場で行われた。
政府や軍関係者らが数千人規模で集う中、チベット人たちは広場に背を向け、黙々と祈っていた。
その光景は、苦難を強いられた人々が、祈りで「無言の抵抗」をしているかのようだった。

滞在最終日、現地に住む知人のチベット人女性に会った。
言葉が通じないので、二人で辞書を見ながら騒乱について聞いた。
彼女が何度も何度も、指で指した言葉は「悲しい」だった。

「チベットに平和が訪れますように」。
別れ際、同行者がチベット語で言うと女性は声を詰まらせて泣いた。
祈るようにつぶやく言葉は理解できない。
だが流れる涙はどんな言葉よりも胸を突いた。
五輪の影に埋もれてしまったチベットの現実がそこにあった。


(解説)

【メモ】
もとは独自の文化と宗教を持った自治国家だったが、国際的な承認はなかった。
建国後の一九五一年に、中国が民族解放を名目にしてラサに進駐。
五六―五九年のチベット動乱でダライ・ラマ十四世がインドに逃れ、ダラムサラに亡命政府を樹立した。
以後、信仰の自由を求めて十三万人以上のチベット人がインドやネパールなどに亡命している。
ことし三月の騒乱ではデモの民衆に多数の死者が出たとされる。
正確な数について中国当局は二十人、亡命政府は二百三人としており、大きな隔たりがある。
騒乱を機に、世界各地で北京五輪の聖火リレーに対する抗議行動が相次ぎ、国際社会の注目が集まった。

(写真)

【写真七点のキャプション】

●全身を地面に投げ出すようにして祈る「五体投地」を、ジョカン寺前で繰り返す僧侶

●僧侶がほとんどいなかったデプン寺の本堂

●中国の59回目の国慶節の日。
祝賀ムードの広場(奥)に背を向け、ポタラ宮に祈り続けるチベット人たち。
警備の部隊がその前を横切った

●ポタラ宮が見える建物の屋上には中国の五星紅旗が翻っていた

●ジョカン寺を取り巻くバルコルに設置された監視カメラ。屋上には歩哨がいた

●裏通りで銃を手に巡回する治安部隊に出くわした。至る所に監視の目が張り巡らされている


rftibet at 11:10|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他 

首相サムドゥ・リンポチェの記者会見・特別会議への内閣声明

4552b646.JPG以下、英文のみの資料です。
英語苦手の方はパス。
得意の方は翻訳して私のところに送ってくれるとか?

昨日朝9時より情報省で首相のサムドゥ・リンポチェの記者会見が開かれました。
私はnk局とk新聞に朝早くから付き合わされ、この会見には出席していません。

付きあわされたというより、このブログの9月23日分で紹介している、尼僧のリンジン・チュキを取材して頂いたのです。監獄で「監獄ソング」を歌ったとして刑期を延ばされた14人の尼僧の一人です。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-09.html#20080923

本当は会議の始めにも挨拶されたし、議会議長が既に会見を開いているので、何の必要があってまた?と思って最初から行く気もなかったのです。

しかし、内容を後からみて、自分なりにがてんしたことは。

これまで、なぜかひつこいぐらい政府というより、リンポチェが「亡命政府の政策は会議の結果に拘束されない」と明言されていたのです。例えば
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23238&article=Policy+shift+not+a+focus+of+exile+Tibetans%e2%80%99+Meetingの中に、
“Any change in policy need not come from this meeting,” Prof. Rinpoche said.
という発言が載っています。


それが、昨日は「会議の結果は、議会の審議にかけられた後、必ず政策に反映される」
と明言されています。

批判があまりに大きかったのか?

もっともすべてはまず、この会議を招集されたダライラマ法王に報告が上がって、それに対し法王が如何なる判断をされるか、にかかっているのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

http://www.tibet.net/en/index.php?id=542&articletype=flash&rmenuid=morenews

<Kalon Tripa says committed to reflect Tibetan people’s opinion on Tibet’s future>
Tuesday, 18 November 2008, 1:26 p.m.


Dharamshala: Kalon Tripa Prof. Samdhong Rinpoche on Tuesday said the Central Tibetan Administration is "sincerely committed to a genuine democratic system in reflecting the Tibetan people’s opinion on the future of Tibet".

Kalon Tripa met with a group of reporters and documentary filmmakers at his office who have gathered in Dharamsala to cover the historic special meeting on Tibet.

Speaking on the special meeting on Tibet currently under way in Dharamsala, Kalon Tripa said the atmosphere is powerful and emotionally charged as delegates are having open discussions on a wide range of matters, particularly concentrating their focus on fundamental issues of Tibet.

Some 581 representatives from the official and non-governmental organizations from the Tibetan community around the world have gathered for a landmark meeting to deliberate on determining future course of action on Tibet. The meeting has begun on Monday, 17 November and go on till 22 November.

Kalon Tripa said the delegates have mixed feeling of hopes and frustrations in finding a best way forward to resolve the issue of Tibet and over the lack of positive response from Chinese leadership and increased repressive policies being carried out in Tibet.

He said the recommendations made during the special meeting would be submitted to the Tibetan parliament, which has the supreme authority to make a final decision.

"We are sincerely committed to a genuine democratic system to reflect public opinion," Kalon Tripa added.

Responding to a question on the present situation in Tibet, Kalon Tripa expressed concern that people are living under constant fear as heavy repressive measures continue to prevail in Tibet. He referred to reports by Australian journalist who visited Tibet that the Chinese government has imposed a heavy armed security around Tibet’s capital Lhasa.

He said he is awaiting reports from the Norwegian Parliamentary delegations over their visit to different parts of Tibet from 9 – 17 November.

Answering a question on opinions collected from the Tibetan people in Tibet, Kalon Tripa said 99 per cent of Tibetan people in Tibet, including communist party cadres and government officials, have unshakable faith in His Holiness the Dalai Lama.

On the future contacts with the Chinese government, Kalon Tripa said we are always open to continue the dialogue process with the Chinese leadership and bear no intentions to block it.

The ball is now in China’s court to reciprocate to the memorandum on the ‘genuine autonomy for Tibet’ that we have submitted to them, Kalon added.


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

次は会議開会式で首相が読み上げられた「特別会議に向けての内閣声明」です。

http://www.tibet.net/en/index.php?id=534&articletype=flash&rmenuid=morenews

<The Statement of the Kashag on the Special Meeting>

Honorable Speaker and Deputy Speaker,

The Kashag extends warm greetings to all the participants who have come to this Special Meeting, as well as members of the press.

At the outset, the Kashag on behalf of all the Tibetans would like to pay our sincere reverence to His Holiness the Dalai Lama and express our gratitude for convening this first Special Meeting, after giving due consideration to number of things. The Kashag would also like to thank all the participants, who represent various sections of exile Tibetans, for making it convenient to attend this meeting. And more importantly, many Tibetans from Tibet have sent in their opinions for this Special Meeting for which the Kashag expresses its heartfelt gratitude.

The Kashag appreciates the opportunity for making this statement.

We need not further explain the seriousness of the situations in Tibet and the unspeakable sufferings of Tibetans in Tibet since March this year. Everyone is aware of the various challenges and obstacles before the Central Tibetan Administration (CTA) in its effort to find solution to the issue of Tibet. Under such critical stage, it is inevitable that we must contribute and come together to closely discuss about the views of the Tibetan masses on what future action needs to be taken on Tibet. Therefore to convene this meeting today is very timely and is the need of the hour. We believe this meeting will be considered an important event in our history. For such important event as this meeting, there have been many speculations and misconceptions. I will not try to clarify all of them. But I will clarify a few, which were told to me in person or through letters.


Some people say this Special Meeting is a political strategy and tactic to pressure the PRC before the eighth round of talks to extract some results. Some says this Meeting is convened so that the Central Tibetan Administration to shirk the responsibility of the failed talks or pass the blame to others. It is also said that this meeting is called because the Central Tibetan Administration had decided to change its current policy, or at least, one mentions that the CTA hopes that this meeting could bring about a change in the CTA's current stance. And some says the CTA had convened this meeting to seek popular backing from Tibetan people for its current policy, and because of this reason, many of the participants at the meeting are CTA officials or those who are under the CTA's influence. Those who made such speculations are not aware of real facts. I think they are oblivious to the decision of His Holiness the Dalai Lama in convening this Special Meeting in accordance with democratic norms. Under the leadership of His Holiness the Dalai Lama, the CTA has always followed the principle of truth and has always remained transparent in all our dealings, without indulging in any double standards. The CTA has never adopted the policy of pressurizing others, nor will we do so in the future. We have briefed the media, the Parliament-in-Exile and the Tibetan public on the unsatisfactory outcome of the talks whenever necessary. We have been very transparent about the process and status of the talks and take full responsibility for the outcome, or lack thereof. Therefore, we don't have to look for somebody else to blame. Regarding the question of changing the basic policy, this will be decided by the Tibetan people based on their collective aspiration. It is not the case of the CTA coming to decision, beforehand, and then later going to the people for consultation. This has not happened in the past and the CTA will never think of doing something like this in the future. A change in policy need not come from this meeting. The Parliament-in-Exile, through a unanimous resolution adopted on 18 September 1997, offered His Holiness the Dalai Lama full mandate to decide on the policy and direction of the Tibetan struggle, from time to time, keeping the global trend and other factors into consideration. Therefore if a change in basic policy is considered necessary, there is a way that is democratic and which has the mandate of Tibetan people. Likewise, the present policy has public mandate and therefore there is no reason to seek further public support for it. The participants for this meeting are constituted through a resolution of the parliament and the Administration has no comments on this. Customarily in the past annual meetings, the CTA officials were included. Other than that, there is no plan to overwhelm this conference with the position of the CTA. In fact, the Kashag has clearly instructed the CTA officials attending this meeting to freely raise their concerns and express their views, irrespective of the CTA's standpoint and policy. As such this meeting is an opportunity for the Kalons to listen rather than voice its thoughts. The Kalons requested that they be excused from attending the group discussions. However, permission was not granted and the Kalons will join the group discussions but will not speak out the Kashag's view and its policies at the group discussions. Based on these reasons, we would like to say that all the speculations mentioned above are not true.


Also few good-intentioned people have pointed out that today, the beginning of this Special Meeting, is an ominous day according to Tibetan calendar and that we should have been little more careful about finding the suitability of the day by consulting our own system of astrology. There are, however, remedies to reduce or reverse any adverse effects, especially when, on certain occasions, you need to perform important tasks within stipulated timeframe, with no time to find out whether a particular day is auspicious or not. Today is not particularly a bad and ominous day, except that you should avoid work related to water and to keep livestock indoor. Other than that, today is pretty good day with no obstacles as such. Nonetheless, the Tibetan Parliament has taken all corrective measures.
The reasons why this Special Meeting was called are as follows. Since March this year, in most parts of Tibet, Tibetans, irrespective of whether they were young or old, monks, nuns or lay people, male or female, spontaneously and courageously came together to demonstrate, with full knowledge of imminent dangers to their lives, expressing their anguish and dissatisfaction at the oppressive and brutal ultra-leftist policies of the PRC and to protest the total lack of freedom of speech and thought. This resentment has been building up for the last sixty years. However the peaceful and lawful manner in which the Tibetans demonstrated their long pent-up sentiments were crushed with brute force and merciless killings, torture, detentions and injury. Under such dire circumstances, Tibetans in Tibet pinned all their hopes on fellow Tibetans in the free world. It is needless for us to mention that, at such times, we cannot be insensitive to their cries. We must show solidarity with our brethrens and we must do whatever in our means to improve their situation. In this regard, His Holiness the Dalai Lama has made tremendous efforts in this direction, including appealing to important world leaders and the international community, and specifically appealing to Tibetans, Chinese, and Chinese Buddhists. His Holiness the Dalai Lama has also written directly to President Hu Jintao and has send his envoys for an informal meeting in Shenzhen on 4 May and for the seventh round of talks in Beijing in July. However it is difficult to conclude if such tremendous efforts by His Holiness have brought any positive results. But the PRC's repression and hardline policies towards Tibet and Tibetans have worsened and there is no sign of positive change. During the eighth round of talks in Beijing on 4th and 5th of this month, our act of submitting a memorandum about implementation of national regional autonomy provisions for all the Tibetans to enjoy autonomous status in accordance with law for national regional autonomy as enshrined in the constitution of People's Republic of China was considered a 'splittist' act. We were accused of seeking independence in disguise. There was no positive response. Now the time has come for all the Tibetans to discuss their concerns and share opinions.


Generally, the members of parliament represent the masses and it is well known practice that any policy that has been passed in the parliament by resolution is assumed to have the mandate of the people, unless it is revised or changed by the parliament itself. This is most appropriate for a free country but this is not so for the exile Tibetan community. In a democratic country with a multi-party political system, the party with majority forms the government and it will use all its influence to safeguard the party's interests. But we are a party-less democratic system in which the members of Parliament are elected from different religious schools and traditions and from Tibet's traditional region rather than being elected from a specified constituency and representing people of that constituency. As a result, our Parliament members have limited contacts with the general public on a daily basis. For this reason, we have in our charter, unlike other democratic countries, a provision to call Special Meetings at times of emergency and for matters of great importance on which the general public opinion is needed.


The process of directly voting for the post of Kalon Tripa by Tibetan exiles is not so old. While voting for the Kalon Tripa, one should vote for his political stand and policy rather than voting for the candidate as a person. I have been told that it is a sign of failure on the part of an elected leader if he, enjoying the mandate of the people, consults the general public from time to time, instead of leading and giving political guidance to the people during his tenure. As mentioned above, our situation is not only urgent and pressing which cannot be compared with situation of other free countries, but also, under occupied situation, many day-to-day changes might possibly take place. So consulting the general public for their support on matter of special importance is exercising key democratic feature which should be followed not only by us but other elected leadership as well. For these reasons, this Special Meeting is not out of place with our charter and it conforms to the democratic process.
At this Meeting, by taking into account the urgent situation in Tibet, the current world situation and the behavior of the PRC's leadership, we should able to understand the views and aspiration of the common Tibetans on what would be the best course of future actions beneficial to the Tibetan cause. The Kashag appeals to all the participants to use their intelligence and come together to contribute to an open and frank discussion. This meeting should not turn into a debate between political organizations and rigid political ideologies. And this must be stressed that the CTA has no hidden agenda and plan behind this Meeting. The Kashag will not make a statement about the works and programmes of the CTA thus far. The Kashag will neither say a single word about what is right or wrong on the agendas of this meeting. We do this because it may be viewed as influencing the views of participants. The Kashag has full faith in the wisdom of the public.

The statistic of opinions gathered from Tibetans in Tibet, concerning this Special Meeting, has been submitted to the Honorable Speakers.

The main objectives of this Special Meetings are;

1. To have open and frank discussion on the issue of Tibet by the general Tibetan masses at this critical point in time.


2. To invite views and comments on the CTA's policies and strategies that are being expressed in media and on forums, and specially to provide official platform to receive the critical views and opinions regarding the CTA's policies.


3. Whatever stand may be decided for the future of Tibet, it should have clear mandate of the people. The united efforts of Tibetans should be visible on the international stage.

Lastly, our prayers for the long life of His Holiness the Dalai Lama and may His wishes be fulfilled. May the truth prevail on the issue of Tibet.



The Kashag
17 November 2008



NB: This is translated from Tibetan. If there are any discrepancies, consider the Tibetan version as original and authoritative.




rftibet at 08:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事