2009年01月

2009年01月31日

ナムチェ2

ナムチェの目玉チュテン
まず始めに写真の説明をしておきます。
一枚目は、ナムチェの象徴ともいえる目玉チュテン
二枚目は、ナムチェのすぐ横に聳える名峰ガンテガ6685m
三枚目は、ナムチェで金曜ごとに開かれるバザールのようす
このために下から何日もかけて、一人80キロ!もの荷を担ぎ上げるのです。
四枚目、地図を描きながら説明してくれるS氏。
五枚目、ソロクンブ地域地図。ナンパラはチョー・オユーの左。CHINA(TIBET)の左側
六枚目、ナンパラ

ナムチェでのんびりしています。
高度順応には高さが足りないのですが、連れのN2氏は今、チベット関係で売れっ子のフォット・ジャーナリストということで、彼はこのナムチェでも日本の雑誌社との仕事をこなしつつあります。
(一人ぐらいはこの遠征?で飛行機代ぐらい稼いでほしいものです、、、)
それで彼の仕事の都合で、月曜まではここにいることになったのです。

時間もあるので、昨日も少し紹介した、このナムチェでナンパラを越えて亡命して来るチベット人を、既に20年間助け続けて来た、S氏にゆっくりと話を聞きくことにしました。

以下、私が聞き手で、N2氏がそれを起こしてくださいました。

亡命ルートのことなどが詳しく出てきます。実際欧米を中心に中国だってその筋の人たちにはずっと以前より知られていることなので、あえて隠さず発表しました。
ガンテガ
S氏の話

最近ナンパラを越える亡命チベット人が少なくなって来たのはなぜか?

向こうも(中国)本気なら完全にとめることはいつでもできる。
(地図を書きながらの説明)
まず道の説明をしよう、ディンリーからギャプルン(チョ・オユー・ベースキャンプ)までは道がある。ディンリーから最初の村がルンジャン。その次にダクマル(ダマ)そこには大きな軍の駐屯所がある。ティンリーからタクマルは歩いて二日かかる。車で行けば3時間。タクマルからギャプルンまでは車で1時間。ギャプルンにも駐屯所があって、そこに軍がいたら抜けるのは難しい。
タクは崖や岩山、マルは赤い、だから赤い岩。軍人が100人はいる。ギャプルンの手前のキャラックから分かれ道があってロンシャーに向かう道もある。
ギャプルンにも時々軍隊が駐留して、ここにいたら抜けるのは難しい。オリンピックの前には駐留していた。その上のザポガにもオリンピック前に軍隊が駐留していた。ここにいたら逃げ場はない。サボガからナンパラまでは雪
オリンピックの時には常にいたけど、いつもは時々しかいない。

夜、歩いて迂回できないかと尋ねたら、迂回路はダクマルは可能だが、その上はないとの答え。

ギャプルンからナンパラまで3、4時間、天候に恵まれ、道が良かったらだが、まあ近いと言える。

06年に、 ザポガ〜ナンパラの間で一人撃たれて死んだ。チョ・オユーのアドバンス・ベースキャンプのすぐ近くだ。

冬には軍はいない。水がないからだ。冬にはすべて凍って水がないし、とても寒いので、夏以外はいることができないのだ。時々、国境警備隊がダクマルからジープで回って巡回することがあるくらいだ。

なぜ今年は越えてくる人がこんなに少ないのか?
カムやアムドなど、内部での移動が難しいからじゃないのかな?

08年3月以降ナンパラを越えた難民は

3月31日に男1人 
9月10日 3人
10月27日 2人
11月4日 2人
12月3日 3人
1月10日 3人

合計14人になる。
もしかしたら自分の知らない者があと数人 いるかもしれない。

チベットの中と事前に連絡を取り合うのか?

全然ない。昔はグループのリーダーがナムチェまで来てラサまで電話したりしていた。自分はない。自分は政府に雇われているわけでもないしね。特別の情報はないよ。 今でこそネレンカン(一時収容所)と連絡し合って仕事をしているが最初は長い間自分だけでやっていた。最近では、お金がない人に収容所の立て替え金としてお金を貸してあげることができるようになったが、その前は自分でできるだけお金を上げていただけだ。凍傷の手当をし、逃げ道を教えた。

自分は59年に両親といっしょにディンリから逃げて来た。16歳だった。それからクンブ地方にそのまま2年間いた。61〜62年にはパブルの近くのチャルサ・キャンプに移った。それからインドの各地を転々とした。ダラムサラにいたこともある。72年まで学校に行った。チベットの軍隊にも入った。そして74年からクンブにまた帰ってきた。
ガンテガ
89年ころから難民を助けることを始めた。
2002年からネレンカンと連携をとっている。それまでは金がなければあげて、シェルパなんかにも助けてもらった。

ナムチェであなた以外に難民を助けている人はいるのか?

特別には、自分しかやってないだろう。
ナムチェには14世帯のチベット人が住んでいる。55人ぐらい。ナムチェ全部で112世帯、7〜800人。クンブ地方に全部で156人の難民チベット人がいる。

難民の多かった年はいつだったのか?

02、03、04年が一番多かったかな?
06、07年も多かった。
それ以前も多かったが、去年3月以降はほとんどいない。

平均では年間250人から300人が越えて来ていた。
11〜3月 が多い。一番多い月は2月で74人が来たことがある。大きなグループで来た。
S氏
06年 尼さん殺害事件
43人がこっちに来て、36人が向こう側で捕まったらしい。捕まった者はシガツェの刑務所に連れて行かれた。16歳のアマさんが殺された。ザポアからナンパラの間でやられた。以前にはそんなことはなかった。

なぜあの時だけ撃ったのか?

それは解らない。
大きなグループだったので目立ったからかな?

オリンピクの時はとても厳しかったことは確かだ。ラサからこっちまでもチェックが多くて厳しいんだろう。ラサの町にあれだけ軍隊が多いなら、ガイドと連絡をとるのも難しいんじゃないか。

以前はガイドをつけて大勢で来ていたけれど、今はグループを作ることができないんじゃないか。去年からはナンパラを越えて来るものは、ガイドなしでくる人ばかりだ。家族で来たとか少人数でしか来ていない。以前はガイド同士がラサやカム、アムドと連絡を取り合っていたが今はできないので難しいんじゃないか。今年もまだ
50周年もあるし難しいだろう。逃げたい者は沢山いるだろう。デモがあれだけあったのだから逃げないといけない者もいることだろう。
いつも子供が多い。

あちらでは、子どもの教育の場が少ないからね。

もう私がチベットに戻るのは難しい。過去に1度だけ親戚に会いに行ったことがある。
こっちに来て、戻るやつもいる。両親や家族にあうために、ちょっと1ヶ月だけ行く者もいる。

5741m ナンパラ(ナンパ峠)
亡命ルートとしてなぜナンパラが昔から特に選ばれているのか?

他に適当な道がないからだよ。

タクマルから別の車でいく道はある。プツェラ峠を越える。国境近くのタツァンまで車でいける。そこからタトパニに向かう道がある。この道の方が軍隊も少ないし、峠も低くて簡単だけど、ネパール側に着いてからが難しいと聞いている。警察も多い。
このルートを採る者はあまりいない。
クンブ地方
ナムチェからは
ルクラ→オゴドンカ→トクシャル川→ギメリ→カタリここからバスでカトマンズ。
ルクラから4日半でカタリに着く。

途中チャルサには チベッタン・キャンプがある。

ナムチェを降りたジョルサリに軍隊のキャンプがある。ここは大したチェックはしない。問題ない。

ナンパラからは ダサンパ、ルナック(岩屋がある)、 峠の向こうのギャプルンを朝早く立てばルナックまで1日で行ける。次の日にアーリアまで来る。ここにシェルパがいる。飯も食える。そこから1日でナムチェに行ける。登る方も1日で行ける。

ネパールの警察に捕まったりするのか?
ときどきあるけど、あったら自分が呼ばれる。あっちもどうしたらいいのか分からない、カトマンに行くか中国に戻すかどっちかしかない。その間の飯代はどうするのか?とポリスにいったら困った顔をする。あんたが払うのかと聞いたら、そっちで面倒みてくれと言う。だからナムチェの先のターメまで一旦、戻してそこから帰れと追い返すふりをするけど、夜になったらまた逃げればいい。だから心配するなと言っている。また夜中に逃げればいいんだ。

ネパールのポリスが難民を売り払ったりするような奴がいるらしいけど。

1回だけ知っている。16人のグループがダムまで運ばれて中国の公安に引き渡された。

こっちで捕まってもあまり大きな問題にはならない。
前はターメにポリスチェックがあったけど、手前のパモに移った。

毎年2、3のグループが捕まる。大きなグループだと目立ちすぎることがある。
ダムでは金で売られるという話もあるけど、この辺りではない。わざわざこの大変な道を追い返すだけでも大変だからだ。だれもナンパラまで行きたいやつはいない。

尼さん射殺事件のときは、事件をここから知らせた。
自分のその時のノートを見ながら、

2006年9月30日 
16歳のアマが殺された。足を撃たれた一人も向こうに捕まった。33人が捕まって1人が負傷、1人が死亡。遺体は向こう側に持って行かれて、それからガワン・ユンテンという医者がきて確認した。そのときのダクマル駐屯地のボスの名はツエリン。
最年少の子は10歳の女の子。最年長で30歳。16歳ぐらいが多い。
ナンパラ
去年のオリンピックの時の事。

オリンピックの時にネパール在住の中国大使がここまでヘリで来て、エベレストのベースキャンプまで行った。そのとき、私は引っ込んでろといわれ自宅待機だった。別に何も特別に抗議とかする気はなかったのにね。
ただ、訪れる登山家の外国人などに、チベットの国旗をたくさん渡した。ダライラマを祝福する旗も掲げた。他のチベット人みんなチベット国旗を渡していた。みんな隠して登って行った。
そのとき、1人のアメリカ人が捕まったがそれだけだ。
町でも登山家たちがチベットの国旗を至る所で広げて写真を撮ってたよ。
それでもベースキャンプでのチェックはかなり厳しかったと聞いた。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の話。

UNHCRはそんなに助けにならない。6、7人の人が逃げて来たとき、情報があっちにいっていたようで、ヘリで職員が4人こっちにきた。しかしネパール警察と上手く交渉することができず、何かカトマンで書類を整えるのに時間が懸かるから私にその間で責任をもって預かってくれと言ってきた。結局15日待っても書類は届かなかった。それで警察と交渉し、私がチベットに返すということにして、ターメまで連れて行って、その夜中に逃げろといって逃がした。

続く



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2009年01月30日

ナムチェ・バザール

エベレスト
昨日の昼過ぎ、エベレスト街道の入り口、ナムチェ・バザール3450mに到着した。カトマンドゥからルクラへのフライトではランタン、ゴリシャンカール,チョウオユウ、エベレスト等ヒマラヤの名峰を満喫した。

ルクラからナムチェまでは一日でも行けるが、ボーターくんに気を使って二日行程にした。
二日懸かると主張するボーターくんに「一日で行けるよな、、、」と大きなこと言ってた本人の私が何と、その日の午後には早くも足を引きずるはめに陥った。
右膝の裏の筋が痛み始め、次の日には右足を曲げることがほとんど不可能状態になった。それでも左右の杖をフルに使いナムチェまで何とか登り切りました。
先が思いやられます。腰からきたのか、かつて経験のない痛みです。
タンセルク
途中タンセルク6808mとかエベレスト8850(昔は8848mでしたが今は2m高くなった!)を望むことができました。

ナムチェは思ったより余程温かで快適。朝方−2、3度、昼間は20度ぐらい。空は抜けるように真っ青、車はもちろんないので一日中とても静か、夜は満点の星空です。
もうここはチベット、タルチョが至るとこに旗めきゴンパも数カ所あります。
夕方軽く頭痛がありましたがこれもチベットに入った証拠、何でもありません。
夕方、丘に登り懐かしい夕映えのカンテガ6685m、アマダブラム6856mの姿を長いこと眺めていました。
アマダブラム
思い出せば20数年前、5歳になる長女、エベレストベースで4歳の誕生日を迎えた長男、それに生後6ヶ月の二女を背負い、子どもたちの母親と共にエベレストやローツェ方面を歩いたことがあった。
特にローツェベースに近いチュクンが気に入り一週間以上いた、そこに住もうかとも思ったほど素晴らしいとこだった。
小さな子どもたちは少しの食事しかとらないが最後まで元気に歩き通した。
大人より子どもの方が余程効率がいいようだ。

今日は、20年間このナムチェでナンパラを越えてくる亡命チベット人たちを 
助け続けて来たS氏に会い、ゆっくりとこれまでの苦労話等を聞いた。
私たちのように、ナンパラを越えてくる亡命チベット人と出会うことを目的にこのルートを採る者はこれまでにも沢山いた。特にアメリカ人は私が知っているだけでも3グループが詳しいレポートを書いている。

S氏もアメリカ人に付き合い二度ナンパラまで行ったことがあると言う。
しかしそのうちの一グループは高山病に掛かり峠まで行けなかったとか。もう一つの方は首尾よく峠の近くで向こうから降りてくる難民に出会うことができたそうです。
そんな酔狂なことを思いつく日本人は我々がもちろん初めてだそうです。

2000年以降、毎年この峠を越えてくる難民は200〜300人いたそうです。二月にはいつも4、50人が越えて来た。
ところが、去年は3月以降今までにこのナンパラを越えて来た難民はたったの14人。最後は今年1月10日に3人が越えて来ただけだそうです。
その3人はカム、カンゼから父親と9歳と12歳の男の子がガイドなしで越えて来た。
去年からこのルートをかつてのようにガイド付きの大勢のグループが来ること
は全く無くなったとのこと。

つまり私たちも空振りの可能性が強いということです。
それでも、ここまで来たのだし、峠で少なくともチベット国旗を掲げ<プーゲロー!>を叫ぶとこまではやるでしょう。

彼から沢山興味深い話を聞きました。その話は明日にします。
何と、ここではネットに繋げるのに一時間900ルピー!(今、円は強いがそれでも1100円)里ではたったの80ルピーが相場なのにです。
ついでに充電は一時間100ルピーです。ホットシャワーが150ルピー。
泊まりはたったの150ルピーなのにです。







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2009年01月27日

明日からヒマラヤの中。 チャムドでデモの後拷問死。

ced26bab.JPG以下の文面は昨日書いたものです。
とうとう昨日は電気もネットもだめでした。

ーーー

昨夕、日本からN2氏が到着した。
夜はカトマンドゥ露天風呂!と川魚定食を堪能した。
ダラムサラでは夢にも見てはいけないものばかりです。

今日は朝からナンパラ行きのパーミット、UNHCR(難民高等弁務官事務所),ネレンカン(チベット難民一時収容所)と一周した。

ナンパラ行きのトレッキングパーミットは驚くほど簡単、かつたったの1000ネパール・ルピーだった。これには少し拍子抜け。
申請書にナンパラと書こうかどうか迷ったぐらいでしたが、係官は書面を見ることも無くあっと言う間にパーミットが渡されました。

収容所には20人弱のチベット人が今います。
例年に比べ、非常に少ない人数です。
去年まで、この時期には数百人の難民が収容されていたのです。

ナンパラについては、今年は特にこの峠を越えてくる人は少ないとのこと、判ってはいたことだが、、、行っても無駄足に終わる可能性が強いということです。

ただ、一つ、もしかして、、、の情報を得たので、やっぱり行くことにして、さっそく明後日の早朝のフライトを予約しました。

ドミには子供も7,8人いて、みんな元気にはしゃいでいました。

明日は朝から何も山道具を持ってきてない私は一式買うなり、借りるなりしないといけません。借りれるのは寝袋とジャケットぐらいです。ただ、他の山用品は、質もまあまあのものが非常に安く買えます。
アイゼンとか買ってもしょうがないのですがね。
今、N2氏とアイゼンは必要かどうかで議論中です。チベット人が本当に簡単な靴で越えてくる峠にアイゼン付けて行くべきかどうか!?
私は腰も痛い老人だから、峠までは行けないかなと思ってますが。

ーーー

さっきから電気が来るのを待っているのですが、今日は予定の夜8時になっても来ないもう9時になる、ネットもできないので、、、、
もう一つ別の話を、

昨日の午後と今日のネレンカンと、ガンデン・タシというちょっと有名な元政治犯と一緒でした。彼とは9−10−3の会を援助し始めた10年前からの友人です。
アムネスティーの助けを得て8年?ほど前にもう一人の尼さんと一緒に彼を日本に招き、全国九州から北海道まで20か所以上の町で「拷問証言会」を開催したことがあります。
私も多くの町に通訳として同行しました。
アムネスティー側でその時いっしょに働いてくれていたのが<ばなな猫>さんです。

大体二人を選んだのが自分たちでしたから、特に時に暴れん坊のタシの監督には気を使ったものです。

彼は1988年3月、ガンデン僧院僧侶の先頭に立ってデモを扇動したのだった。
新年モンラム祈祷祭の最後の日、式典に列席していた自治区幹部たちの胸ぐらをつかみ「チベットは独立だよな!!そうみんなに言え!!!」と真っ先に迫ったやつなのです。
それから一気にデモが大きくなっていった。

彼は最初3年の刑だった。しかしダプチ刑務所内で行われた大きな抗議デモの時にまた派手に立ちまわったが故に刑期がさらに9年延期された。
それだけではなく、それから何と17か月間、重い鉄の足枷をはめられたのだ。
24時間17か月はめられっぱなしだった。
足の肉はすり切れ、骨も見えんかというほどにそれはひどい仕打ちだったという。
その後、足枷は外されたが、身体の衰弱は激しく、ついに病院送りとなった。
その頃の車いすに乗って痩せこけた、本当に弱よわしい当時の写真が海外に流れた。
アムネスティーは彼を自由にするために特別のキャンペーンをおこなった。
其の功あって、彼は病院から2年後に解放されたのだ。

その後亡命しダラムサラの9−10−3の会に所属していた、彼は長年、監獄内での拷問の結果、脳に障害が残ったのか激しい頭痛を訴えていた。
それからTCHRCの職員として4年カトマンドゥで亡命してくるチベット人から情報を集める仕事を続けていた。
そして、イギリス女性と知り合いイギリスに渡り、カレッジに4年通い、去年からICT(インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット)に雇われてここで中国からの情報と亡命者からの情報を集める仕事をしている。
今日、お宅にちょっとだけお邪魔した。
2歳になる可愛い男の子がいて大きな家に住んでいた。
人生流転。
チベット人の人生はダイナミックです。

今日はもう電気は来ないようです。

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今日は一日中、山用品を買いあさりました。−30°用の寝袋も一万円です。
後で返せば半額帰るとか、すべて安いです。

明日の朝早くカトマンドゥを発ちルクラに飛びます。
ナムチェで、もしかしたら最後のブログを書くことができるかもしれません。
それにしても、当分このブログは休むしかありません。
残念だな、、、

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pema tsepak
1月20日にカム、チャムドのゾガン地区でデモを行った、3人のチベットの若者の内の一人ペマ・ツェパック、24歳は逮捕された後の暴行によりチャムド病院で死亡した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23683&article=China+beats+Tibetan+youth+to+death

このところまたカム地方で、チベット人の捨て身のデモが頻発しています。

rftibet at 20:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年01月25日

オバマ氏、チベット強烈弾圧キャンペーン、中国の武器輸出

79b1f9b2.JPG昨日カトマンドゥ、タメールの日本食レストランで目にした読売新聞にオバマ氏の大統領就任演説の全文が載っていました。

もちろん、日本の多くの人も読まれたことでしょう。
全体に日本語ではいまいち彼の、聴く人を魅了する独特のリズムは感じられないのが残念ですが、それにしても、自然に期待も膨らむ、すばらしい演説だったと思いました。

その読売の、この演説に対する中国の反応という記事の中に、こんなことが指摘されていました。

ーーー

オバマ氏は世界に対し「言論の自由」の大事さを強調し、

異議を唱える者を黙らせることで権力にしがみつく者よ、
あなた方は歴史の誤った側にいる。
拳を下ろすなら、我々は手を差し伸べよう

というくだりがあります。
この部分が中国の新華社はじめ民間の大衆新聞、ネット上でさえごっそり削除されていたそうです。

あともう一か所、
先の世代はファシズムや共産主義に立ち向かった」と部分から、
<共産主義>を削除。


―――
誰か中国政府に<恥>の一字を教えてやってください。

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去年から始まったチベットネオ文化大革命の今年版の始まりを思わせる、おぞましいニュースが入っています。

<中国は「強烈弾圧Strike Hardキャンペーン」によりラサで5766人のチベット人を縛りあげた>
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090123.html

ラサ・イブニング・ニュースの1月23日放送分によれば、

今年1月18日から三日間に渡り、公安職員600人、160台の警察車両を動員して行使された「強烈弾圧・激しく打て?キャンペーン」により7か所のチベット人居住区、2922棟の借家、14のゲストハウス、18のバーそれに3箇所のインター・ネット・カフェが手入れ(急襲)を受けた。

この結果公安は5766人を容疑者として逮捕し、尋問を行ったと発表された
しかし、その後実際に拘置されたものが何人なのかは不明である。

このキャンペーン以外にも、チベット人締め付けの一環として当局は、ラサに3日以上一か月以内滞在する、他の地区から来たチベット人は全員、公安局から新たに発行される「ラサ滞在一時許可書」を携帯することが義務付けられることになった
違反したものは厳罰に処される旨が書かれた張り紙が、町に張り出されているという。

ーーー

この「冬のキャンペーン」は18日から42日間行われるということです。

結局3月に向けてこれから、去年のデモに参加したものとか、嘗てデモして逮捕されたことのある者とか、カム、アムドから来てる商人、巡礼者を徹底的に今のうちから、拘置所にぶち込んでおこうという作戦なのでしょう。

この襲撃・キャンペーン!?などはほとんど文革時代のそれを思わせます。
チベット人ならいつでも殴られ、尋問され、投獄される可能性が高いのです。
アフリカのどこかの国の村襲撃にも似ています。
こんなことを本気で続けるつもりでしょうか?
威張って広報してるところも怖いですね。

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次も中国側発表です。

レコードチャイナ:08年「国防白書」発表、戦車18両など10か国に輸出―中国
http://www.recordchina.co.jp/group/g27868.html

2009年1月21日、人民網によると、中国国務院新聞弁公室は20日「2008年中国国防白書」を発表し、07年の中国の兵器輸出状況が明らかになった。

白書の付録部分にある「2007年度中国の7大通常兵器輸出入情況」の一節によれば、07年に中国はパキスタン、タンザニア、ケニア、チャド、バングラデシュ、ルワンダ、ガーナ、イエメン、インドネシアなど10か国へ主力戦車18両、装甲戦闘車両44両、大口径火砲システム42門、戦闘航空機7 機、ミサイル及び発射システム9基を含む通常兵器を輸出。また、ロシアから984基のミサイル及び発射システムを輸入した。

中国は07年から、軍事費の透明性の向上を狙いとして、国連の軍事費支出報告制度に参加するとともに、通常兵器に関する軍備登録制度にも復帰している。(翻訳・編集/岡田)
2009-01-22 16:18:33 配信

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アフリカの中にジンバブエやスーダンが入っていないしで、ほとんど信じられる数字ではないのですが、それにしてもアフリカ中心に武器輸出を増やそうとしていることは確かでしょう。
闇で中国製カラシニコフ(AK−47)が世界中にばら撒かれていることはすでに公ですが。

いずれは武器輸出大国を目指しているのです。
世界が平和になると困る大国に成長することでしょう。

ロシアから984基のミサイルと発射システムを輸入していることは少し驚きですが、ロシアのミサイル在庫一掃に協力したのでしょうか?





rftibet at 11:30|PermalinkComments(1)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年01月24日

法王のチィナイでの発言について/チャムドの爆弾事件

9696b553.JPGカトマンドゥでブログ続けてるばなな猫様の御苦労が良くわかるような、ひどい電気事情です。
今日お宅にお邪魔してました。
その話は後にして、

まずは法王のチィナイでの発言について、日本に間違った情報として伝えられてる疑いがあるので、そのことについてご報告。

以下はボイス・オブ・インディアというインドの通信社が日本語で流した記事で、Mixiなどでも紹介されていました。

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ヴォイス・オブ・インディア - チベットの独立後、指導者の地位を降りる:ダライ・ラマ
http://www.voiceofindia.co.jp/content/view/2432/76/

2009/01/22 Thursday 15:59:59 JST

〈チェンナイ〉チェンナイのマドラス大学を訪問中のチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は21日、「チベットが中国から独立するのは時間の問題だ。独立が達成されたら、私は指導者としての地位を捨てる」と語った。

後援のためにマドラス大学を訪れていたダライ・ラマ14世は報道陣に「昔のチベット人より、現代の若い世代のチベット人は強い心と決意をもっている。世界の人々も、チベット問題に以前より理解を示し始めた。中国人の中からでさえも、我々に共感を示している人々が出てきた」と語った。

また「我々が2008年3月に行ったチベット独立を求めるデモを支持する記事が、中国の大学教授、学生などのインテリ層によって300本も書かれた。中国政府は、理性をもち、論理的に考え、現実を熟視しなければならない」と主張した。

また、自身について「チベットが独立したら、指導者としての特権を捨てる。新たな政府が、私よりもうまく国を導いてくれるだろう。私は、支配者ではない。単なるスポークスマンだ」と語った。

武力を行使してチベット人を弾圧しようとする中国の態度を非難し、「安定は武力によってではなく、信頼によって生まれるのだ。そして、信頼は相互理解によって生まれる。中国政府・市民は、現実を捉え、論理的に考えるべきだ」と呼びかけた。

また「チベットの近代化や発展を望むのなら、(チベットが)暴力に訴えるべきではない。これは、インドの独立運動から得た教訓だ」と語った。

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この元はダライ・ラマ法王公式サイトに掲載されている。
http://www.dalailama.com/news.338.htm
Will Surrender Privileges, If Tibet Becomes Free: Dalai Lama
Published: Wednesday, 21 January, 2009

Chennai, Tamil Nadu, 21 January 2009 (Indian Express) - Tibetan spiritual leader Dalai Lama on Wednesday asserted it was only a ‘matter of time’ before Tibet got ‘autonomy’ from China, and said that he would surrender the privileges attached with his spiritual leadership if Tibet becomes free.

"Yes.. I am sure we will achieve autonomy... it's only a matter of time before that will happen," the Dalai Lama, here on a visit to address the students of Madras University, told reporters in Chennai.

"While the spirit and determination of the present generation of Tibetans is stronger than the previous ones, there is more global awareness about our struggle," he said, adding that their movement had even struck a chord with a section of the people of China.

"Our March 2008 protests had 300 supportive articles from Chinese intelligentsia, such as students, teachers and other intellectuals... the Chinese government must look at our struggle logically and realistically," he said.

He said that in the event of Tibet becoming free, he would ‘surrender the privileges’ attached with his spiritual leadership.

"They (an elected government) know better than me... I cannot be a ruler," he said, adding that he was only a spokesperson of the Tibetans.

The Dalai Lama called for an immediate end to the use of force against the Tibetan people by China, saying stability cannot be created by force, but rather by trust.

"The trust should come out of mutual respect and therefore the people and government of China must deal with the issue realistically and logically," he said.

Stating that he wanted the modernisation and development of Tibet, he asserted that the people would seldom take to violent ways of struggle. This was the best lesson he drew from India (and its Independence struggle).

To a query, he said India's foreign policy towards Tibet and China was ‘over cautious’, but complemented it for offering the ‘best facilities’ to Tibetan refugees.

"No country in the world offers as good educational and other facilities like India does to Tibetan refugees," he said.

Responding to a question on the Sri Lankan issue, he said he was always against force. "It's sad to see so much of violence. I pray and hope for a peaceful resolution of the conflict," he said, adding that such issues could arise out of ‘political manipulation’ of ethnic or religious issues.

When asked for his response to the demand for international intervention in Sri Lanka to ensure peace, he said he did not want to comment on the internal affairs of another country.

"However, eminent persons, such as Nobel laureates can appeal (to Colombo to stop the offensive) in their personal capacity," he said.

Asked if he would do so, Dalai Lama said he would first like to discuss the situation in Sri Lanka with Foreign Secretary Shiv Shankar Menon following his trip to the island nation last week.

On the dispute between India and China over Arunachal Pradesh, he said that a Tripartite convention in Shimla in 1914, involving representatives from China, British-India and Tibet had decided that the state belonged to India.

"The Chinese should be realistic in approach as history cannot be changed to suit political necessities," he said.

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最初の方だけコピーしてもよかったのですが、、、

要するに日本語で<独立>と訳されている元の英語は<autonomy>なのです。
これは普通は<自治>と訳されます。法王も<独立>なら<indipendent>とはっきり使い分けされますから、この日本語訳はこの部分は誤訳です。

次の「法王は自治・自由がチベットに実現された時には自分は完全に引退したい」の部分も微妙な表現ですが、、、このことは前から何度もそう言っていらっしゃいますからいいでしょう。

今日ばなな猫様と近くに住むフべール博士?のお宅にお邪魔しました。
この人は30年前ごろよりアメリカの学生グループをダラムサラとネパール、チベットに送って其々に研究論文を書かせる仕事を続けて来られた。
弟子にはアメリカのそうそうたる大学の研究員が多い。

彼と様々話をしてるなかで、私が今の話を思い出し(まだその時は原文を見てなくて日本語だけ昨夜読んでた後だった)

「そう言えば最近法王はチィナイで、チベットは間もなく独立するであろう、とおっしゃったと聞いたが、これは初耳ではないか?これまでは数世代を掛けても自由への戦いは続けられなければならない、とかはおっしゃってたけど、、、独立、、、とはね、それも今世のダライ・ラマ法王の内にね、、、」

とそれを聴いたフべール氏は
「そうか!それは本当かもしれない。昔1986年だったか?法王はポーランドとユーゴを御訪問された。私もまだ若かった!

その時確かポーランドでの記者会見の場で<世界は変化している。私の計算ではベルリンの壁も近いうちになくなると思う>とおっしゃった。
自分はその場にいて確かにそう聞いた。

でもはっきりいってそうなるとは思っていなかった。
それが、何とそれから一年以内に本当にベルリンの壁は破壊されたのだ!
それから、法王の計算には特に信頼を置いてるのだよ。
つまり、間もなくチベットは独立するということだな、、、」

「、、、???」

そんな話をした後に夜8時からのネット時間に原文を見て、ただの誤訳と知り、
フべール博士との話もただの誤解、笑い話のタネになったのでした。


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もう一つ気になる記事は

<カム、チャムドで爆弾>

というものですが、

<チベットで地方政府庁舎で爆発 中国統治50周年への反発か>
- MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090123/chn0901232050001-n1.htm

2009.1.23 20:48

 米政府系放送局、ラジオ自由アジアは23日までに、中国チベット自治区のチャムド地区の地方政府庁舎で今月5日に爆発があったと伝えた。庁舎や周辺の車両が損傷したが、死者は出なかったという。

 中国がチベットの統治権確立を宣言してから50周年になる3月に合わせ、地元当局などが関連の式典を開こうと準備していたといい、同放送局は式典に反発する住民らが爆発を起こした可能性を指摘している。

 地元警察は、爆発があった事実を認めた上で「誰が仕掛けたのか、どうして爆発したのかは分からない」としている。

 また同放送局によると、チャムド地区では今月20日、チベット民族の若者ら3人が「チベット独立」と書かれた横断幕を掲げてデモを行い、当局に拘束された。(共同)

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これは確かにラジオ自由アジアに南インドの僧侶経由で伝えられた情報ではあります。phayul.comの以下の記事にも元が掲載されています。
ただ、phayulもこの記事は他の4人のチベット人が最近デモの後逮捕された記事を伝えた最後の、ちょっと控え目に載せていました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23664&article=4+Tibetans+detained+for+protesting%2c+explosion+reported+in+Chamdoそれはこれまでも数回この手の爆弾事件がカム、アムドでありましたが、いずれもチベット人がやったとは思えないケースばかりでしたから、今回もまだあまりにはっきりしない情報だと思い、私は二日前に無視していました。

それが、日本ではすぐに、いつもはいくらデモがあり逮捕者が出ても、拷問死する人がいても報道しない、大手がこれぞとばかり報道したのだ、不思議というかなんというか、、、いつもはラジオ自由アジアとかphyul.com,TCHRDなどのニュースは信頼できないから、とか言ってる新聞社がこのことでは、すぐにそこだけ報道するのは、、、
いかなるものか?

共同さん、読売さんすみません!








rftibet at 22:05|PermalinkComments(3)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年01月23日

カトマンドゥ、カンゼで新たに4人に刑期

4,5年ぶりのカトマンドゥだか、そんなに変わった風でもない。
政府がこんなだから発展も遅れがち、、、というか後退気味なこともあってか、
相変わらず中世風の街並みのままだ。

思ったよりツーリストも来ているようだ。何より目立つのが中国人観光客!
これは全く新しい傾向です。
日本人より断然多い。

それはさて置きネパールはインドからくると何だかほっとするのはなぜでしょう?
人のせいでしょうかね。

なぜネパールに来たのか?
タメールに気持ちの良い庭付きバンガローを1000円でゲットすると、電気もないし、ネットも時間制限厳しいしで、全くバカンス気分。


ではありますが、、、あるバカげた予定があるのです。
5741mのナンパ峠まで行って、亡命してくるチベット人を迎えて上げようというのです。

もっとも腰がまだ痛いので、不可能でしょう。

それでも、飛行機からヒマラヤが見えてくると一気に気分は山モードになっています。

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<カンゼにて尼僧2人、僧侶1人、若者1人に新たに刑期>
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23664&article=4+Tibetans+detained+for+protesting%2c+explosion+reported+in+ChamdoTCHRD(チベット人権民主センター)によるば、新たにカンゼ中級人民法廷は4人のチベット人に刑期を言い渡した。

尼僧tashi tso
カンゼ・ゲマ・ダゴ尼僧院の二人の尼僧タシ・ツォ26歳とドゥン・ツォ20歳に夫々二年と二年半の刑期が確定した。
二人は去年6月18日カンゼ市内で中国政府への平和的抗議デモを行った後逮捕されていた。

同じくカンゼで去年3月31日デモを行った、ジャンパ・デキ20歳、ティンカ地区ジョカンナン村出身、は二年の刑期を受けた。

この三人は州都、成都の刑務所に送られたという。

去年11月17日に、同じくカンゼ中級人民法廷によりカマン僧院僧侶イシェ・ドルジェ32歳は4年の刑期宣告を受けた。
彼は去年6月12日、カンゼにてビラを配りながらスローガンを叫んだのだった。




rftibet at 22:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年01月22日

法王はオバマ氏に対し、経済危機に対しコメント

fdfc278d.jpg時には私も忙しい人になることもある。
今、バンガロール発デリー行きのフライトの中でこれを書いている。
デカン高原上はほとんど雲もなく快晴。

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まずは、オバマ新大統領の就任にちなみ1月20日、法王はポンディチェリーのオーロビルにて,「オバマ氏を祝福し彼の成功を心から祈願する」と記者団に語られた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23655&article=Dalai+Lama+Congratulates+Obama

法王はオーロビルに新しく建設された<国際チベット文化パビリオン>の開館式のためポンディチェリーをご訪問されていた。

これに先立ち法王は11月オバマ氏に宛てた手紙の中で、、、(再掲)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-11.html?p=2#20081106
「アメリカ市民が、アメリカの多様性と誰でも最高の地位に昇り詰めることができるという基本理念を体現した人物を選んだことに、私は勇気付けられた」
「アメリカの大統領選挙はいつも、世界中の民主主義、自由そして機会均等の原則を信じる人々を勇気付ける大きな源泉である」と語り、

キャンペーン中に示した、彼の「決意と正義感に基ずく勇気」、チャレンジを受けた時の「優しさと冷静さ」を讃えた。

今年春の電話会談のことを思い出しながら、「これらのあなたの根本的特質はチベットの現状へのお心遣いにも現わされていた」とコメントし、

アメリカ合衆国の大統領として、あなたはもちろんこれから大きな責任と困難に立ち向かわなければならないことでしょう。しかし一方で、今もなお人間としての基本的最低の要求のために戦い続ける何百万人もの人生に変化を創り出すことのできるであろう、多くの機会を持つことでしょう。どこに居ようと、そのような人々のことを忘れず、そのような人々のために働かれますように」
と訓戒された。

法王とオバマ氏は2005年に出会っている。

キャンペーン真っ最中の7月にもオバマ氏は個人的手紙を法王に送り
私は引き続き法王とチベット人の権利を支持する。あらゆる宗教に所属する人々が法王の行動とその理念を称賛している」と語り、
法王に至上の敬愛を示し、チベット人たちの正義と自由の戦いを支持することを表明している。


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次に、法王サイトに載ってた法王の今回の経済危機に関するコメント。
http://www.dalailama.com/news.335.htm

<経済危機は際限のない強欲の結果だ、と法王>

1月16日法王はサルナートにて「世界経済の破綻の主原因は人々の際限のない強欲にある」と語られた。

記者会見の席上、法王は「私は経済専門家ではないが、、、市場というものは人間の作り出したものなのに今、それが人間の力でコントロールできない状態になっているということを普通の人は理解できないでいる。
私の思うに、経済危機は人間の際限のない強欲と隠蔽と嘘の結果だ。
これらの要因により経済はほぼ崩壊しかかっている。

精神世界は満足と誠実さ、真理と道徳性を説く。

こんような状況は世界がもっと寛容と精神性を備えていれば起こらないであろう。
このような時、メディアも大事な役割を担うと思う。
メディアはあたかも、もう希望は無いかの如くに大袈裟に書き立てるが、<YES>、希望はあるのだ、将来はあるのだ。
メディアはもっと世界を肯定的に形創る役割を担うべきだ」
と語られた。

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今、デリー空港の中、これからカトマンドゥに向かいます。


rftibet at 12:28|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年01月19日

Dalai Lama Institute for Higher Education/チベット百万農奴解放記念日

a4789004.JPG昨日午後4時ごろ、現場にアマ・ラ(ジェツン・ペマ女史・法王の妹さん)が長男さん(セー・クショ・ラ、バンガロールにお住まい)を伴い現れた。

現場は俄かに緊張。

来月17日にダライ・ラマ法王が現場視察・(半)開校式に訪れられるので、その準備のために来られたのだ。

法王のご訪問となると当地カルナタカの州知事を初め、インドのえらいさんがすべて揃う。その上、近くにいるチベット人がほとんどすべて集まるので、その数はすぐに数千人規模となる。車も100台は来る。どのようにすべて滞りなく捌くか?簡単ではない。

こんなことに慣れていらっしゃるアマ・ラはテキパキと指示を与えられた。
私も仕事を沢山言いつけられた。

TCVの代表は数年前に降りられたのですが、大ボスは今でもアマ・ラに違いなく、この大学の計画に関しては全くアマ・ラがボスなのです。

アマ・ラは68歳。
数年前二女様が脳障害により亡くなられ、その後ぐっと老けられたように見受けられます。

これまでこの大学は<TCV College>と呼ばれていましたが、これからは新たに<Dalai Lama Institute for Higher Education>と名付けられると報告されました。

これを聞いて私は「それは素晴らしい。だって<TCV College>だと(日本語で)<チベット子供村大学>と言うことになり、何ちゃって子供の大学?ということになる。
必ずダライ・ラマの名を冠すべきだと最初から思ってた」と答えました。

アマ・ラも「私もそう思ってた」とおっしゃいました。

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以下はサーチナより「農奴解放記念日」関連ニュースです。

<チベット人民代表大会がチベット解放記念日を制定 >

2009/01/18(日) 15:52:01 [サーチナ]
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0118&f=entertainment_0118_001.shtml

チベット自治区第9回人民代表大会は16日、「チベット百万農奴解放記念日」制定に関する審議を始めた。同記念日は中国中央政府がチベット解放を宣言した3月28日に定められる可能性が高い。同法案は19日に採決が行われる。

チベット自治区人民大会常任委員会の〓伯永副秘書長は、「今年はチベット民主改革50周年にあたる。この50年来、チベットでは政治、経済、文化等各分野において天地を覆すほどの変化が起こった。人民は『憲法』、『民族区域自治法』が賦与する各権利を十分に行使できるようになり、昔日の農奴から社会主義新チベットの主人公となった。しかし、長きに渡ってダライ集団は国際社会が言うところの『チベット問題』において、民族区域自治制度を攻撃し、分裂破壊活動を画策するなど、あらゆる手段を講じてチベットの進歩発展を阻害しようとしてきた。これは、チベットが一貫して発展してきたという客観的事実に反するばかりでなく、多くのチベット人民の意志にも合致していない」と同記念日の設立意義を強調した。(〓はマダレに龍)。

一方、欧州議会チベット問題グループのトーマス・マン主席は同記念日の制定に関して、「これはチベット人に対する歴史上前例のない侮辱だ」と語り、「中国政府は長年、チベット亡命政府およびダライ・ラマの支持者を『ダライ集団』と呼び、邪悪な専制統治集団と描写することで、チベット民族を騙し、自分たちに服従させようとしてきた」との認識を示した。

記念日が制定される可能性が高い3月はチベットにとって非常に敏感な時期にあたる。トーマス・マン主席は、「同記念日が実施されれば、チベットに住むチベット族であろうと亡命チベット人であろうと、何らかの抗議行動に出るはずだ。暴動に発展するようなことがあれば、中国政府は武力によって鎮圧にあたるはずだ。そのとき、国際社会は中国政府に対して必ず強烈な抗議をしなければならない」と語った。(編集担当:古川則仁)

rftibet at 18:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他 

2009年01月18日

後継者の話を急ぐ必要はないと法王

c1f83c25.jpgこのバンガロールのTCV大学の敷地に隣接する小高い丘の上に、ダライ・ラマ法王の老後のパレスを作る、という計画がある。

もっともこれはまだ公式なものではなく、今のところ妹さんのアマラ(ジェツン・ペマ女史)の秘密の計画と言えるものだ。
アマラ曰く「法王様もお年を召された。ダラムサラには緊急医療体制がない。もしものこと(心臓、脳障害)が起こったときにはダラムサラでは危ない。このバンガロールなら近くに緊急医療を行える大病院が沢山ある。将来近いうちにこちらに移られる方が良い」と。

確かにその通りではある。
ではあるが、本当に法王がダラムサラを離れられるかどうかは疑問だ。

私はこの計画を任されてはいるが、まだ本気で図面を描く気にはなれず、スケッチ程度しかやってない。
このところ何度もその丘を歩きながら、そんな法王の老後のことなどあまり考えたくないとも思うのだ。
チベットになら、喜んですぐに図面に取りかかるであろうにと思う。

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そんな法王は、このところ毎日インドの中を移動され、活躍されている。

法王はサルナートで行われている「仏教と科学国際会議」の開会式に出席された後、デリーに戻られ17日にはthe Jamia Milia Islamia 大学というイスラム系の大学で行われた国際会議に出席された後、南インドのポンディチェリーに向かわれます。
ボンディチェリーに20日、チナイに21日、その後ダラムサラに戻られます。

これに先立ち、ヴェナレスで16日行われた記者会見の場で「チベットは死刑を宣告されたようなものだ。如何なる民族もその精神を失えば死んだも同然だ。中国は計画的にチベット人の精神とチベット文化を破壊しようとしている」と語られた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23633&article=Chinese+people%2c+not+govt%2c+gives+me+hope%3aDalai+Lama
後継者についての質問に答え
「私の健康状態は良好だ。だから後継者の話も急ぐ必要はない。
ダライ・ラマ制度の存続についてもチベット人の意思に従えば良い。
ある人たちはダライ・ラマ制度はチベット人民族にとって必要欠くべからざるものだと考えているが、それは本当ではない。
もちろんある時期においてはそれがチベットの文化と国家のシンボルのように重要なものとなっていたこともある。
しかし、今はそれも必衰のものではない。変えることもできる。
チベットの歴史は考古学的発見によれば一万年〜二万年前に遡ることができるという。
チベット仏教は少なくとも1500年の歴史がある。
それに比べてダライ・ラマ制度は数百年続いただけだ。
だから、論理的には将来消えてもおかしくない。
しかしチベット民族は存続し続けるのだ。」
と答えられた。

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こんなに誠実な法王に対し中国は又しても「チベットの発展を妨害している」と非難を浴びせています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23629&article=China+Blames+Dalai+Lama+of+'Sabotage'

最近の新華社ニュースの中でチベット共産党書記チャン・キンリは「今やチベットの民衆は改革解放の成果を享受し、自らがその地の主人であることを自覚しつつある」と主張した。

新華社によれば新たな計画として、来年にはラサから40キロに及ぶチベット初めての4車線の高速道路が完成させ、チベット全土に道路網を整備し、2015年までに全土に電力を供給するという。

それにも関われず、「ダライ・ラマとその一味は常に妨害活動を行い、あらゆる方法でチベットの発展を阻害しようとしている」
<僧衣を纏った狼>であるダライ・ラマは祖国を分断しようと試みている」と主張している。



rftibet at 13:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年01月17日

インドの建設現場/チベット百万農奴解放記念日

d25dd4d5.JPG建設現場の話。

インドの建設現場は日本とは相当違ったものです。
広い現場のあちこちにトタン作りのバラックが並んでいます。
これはクーリーと呼ばれる肉体労働者の住まいです。

それぞれ出身地ごとに別れて現場が終わるまでそこに家族ごと住みつきます。
きっとこの計画は5年は掛かりますから、その間に子供が生まれたりもします。
一つの現場が終われば、次の現場でまた小屋を建て住むのです。

インドの中でも貧しい州の出身者ばかりです。まずビハール州出身者が一番多い。
つぎにラジャスタン、西ベンガル、ネパール人もいます。全部で今200人ほどいます。

其々の国で農業をやっているが、それでは食うことができずに、こうしてインド中の建設現場に出稼ぎにでるのです。
給料は普通のクーリーで一日100ルピー(200円)、左官が150ルピー(300円)が相場です。

今は冬で涼しいのですが、夏の40度にもなる暑さの中での現場作業は本当に辛いと思います。
インドの現場は今も全く機械化されてなくて、すべて人が資材を頭の上に乗せ運ぶのです。コンクリートブロック一つの重さは35キロ!です。

ダラムサラの現場のクーリーはこちらが笑いかけるとあちらも答えてほほ笑んだりします。一緒にビディー(インドの安巻きタバコ)とか吸って話をしたりもします。でもここのクーリー達はこっちが笑い掛けてもまったく反応しません。笑う顔も見たことがありません。

でも昨日夕方、できたてのフットボールグランドに若いのが集まってゲームをたのしんでいるのを見ました。

夕方小屋の近くを通ると、家族で仲良く、拾い集めた薪で火を焚き、食事の用意をしています。小さな子供がいて、仲良さそうで、時に羨ましくなったりします。
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現場にも子供がたくさんいて、砂遊びとかしています。

このところの世界経済危機の煽りをこのバンガロールももろに受け、多くの現場がストップし、クーリー達も国に帰らざるを得ないものが多いと聴きました。金持ちはいくら損しても喪失感だけで大したことないけど、この人たちは可哀そうに本当に食えなくなるのです。

この現場を管理するために8人ほどのチベット人がTCVから送られて来ています。
彼らは自分たちはマーミ(兵隊)だと言ってます。安給料で現場小屋に何年も家族と離れて暮らさないといけないからです。それでもみんな男だけで食事を作り、本当に仲良くやってます。


そんな中の一人ニマくんの話。
ニマは5歳ごろにヒマラヤを越えて伯父さんと一緒に亡命してきたそうです。
TCVに預けられ、全くTCVの子供として育てられ、今もTCVで働いています。
17,1,09 Bangalore TCV constraction site
彼は大きな体に似合わず本当にやさしいのです。飼ってる二匹の犬の世話をして食事を与えます。今日朝、この犬が子供を3匹生みました!小さな母親(アプソーの雑種)に3匹の生まれたばかりのネズミのような子供がたかっています。

ニマは最近作った池に自然に住み始めたフナにも餌をあげてます。

ニマによると、現場には沢山の生き物がいるそうです。
まず蛇、現場は土地を掘り返すので蛇には度々出くわすそうです。
コブラもたくさん見たそうです。「インド人は蛇を見るとすぐに殺そうとする。いくら殺さないように言っても聞かない。この前は池にいた小さな蟹をインド人が沢山集めていたので、どうするのだ?と聞くと食べるのだ、薬だ、という。そんなことはしない方がいい。可哀そうだし、来生に良くない、というと<自分たちの来生なんかクーリーに決まってる。今生も一生クーリーだし、来生もそうなのだ。自分たちの子供たちもそうなのだ。>と悲しいことをいう。まったく言うことを聞かない。

他にもいろんな動物がいる。こんな大きな(10センチぐらい)のサソリも見た。
孔雀やサギ、山鳥、奇麗な小鳥はたくさんいる。おおきなイグアナも見た。夏にはいろんな蝶々が飛んでくる」と楽しげに話していました。

彼は彼女が遠くのダラムサラの近くにいるそうで、いつもダラムサラの方へトランスファー(移転)のお願いを立てているが、可哀そうに今だ叶えられないそうです。

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チベット百万農奴解放記念日指定議案を審議 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/881/2009/01/16/1s133971.htm

2009-01-16 16:24:11 cri

 チベット自治区第9回人民代表大会第2回会議は16日、第2回全体会議を開き、チベット百万人の農奴解放記念日の指定に関する議案を審議しました。

 今年はチベット民主改革50周年に当たります。チベット自治区人民代表大会常務委員会のレチョー主任は15日、「『チベット百万農奴解放記念日』を指定することは大きな意義があり、チベット族を含む中華民族に、50年前に発生したチベット反乱平定と民主改革という歴史的事件を永遠に銘記させるものとなる」と語りました。(翻訳:周莉 チェック:吉田)

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「農奴解放日」を正式提案 中国チベット自治区 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090116/chn0901161433001-n1.htm

2009.1.16 14:31

 新華社電によると、中国チベット自治区の人民代表大会(議会)で16日、1959年に中国政府が同地域の統治権確立を宣言した3月28日を「農奴解放記念日」とする議案が提出された。大会最終日の19日に採択される見通しだ。

 当局者は提案理由について、「中国の国民が歴史を忘れないようにするとともに、チベット民族の愛国心を高める」と説明。しかし、昨年3月にラサで起きた大規模な暴動でチベット民族と漢民族の対立は深まっており、記念日制定が強い反発を招くのは必至だ。

 チベットでは1959年3月、中国による統治に反発して住民らによる動乱が発生。チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。中央政府は同月28日に地元政府を解散し、自治区設立準備委員会が地方行政を担当するよう命じた。(共同)

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本当は中国政府が侵略により、チベット人農奴化を始めた記念日な訳です。
チベット人の感情を逆なでする、屈辱的記念日となるでしょう。
3月28日デモが起こるかも知れません。



rftibet at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年01月16日

デブン僧院僧侶42人に実刑。

ca727c8e.JPG昨日の夜バンガロールの現場に到着しました。

TCVの大学計画に関わることになり、このところ数か月から半年に一度、現場視察のために遠く南インドのバンガロールまで足を運んでいるのです。

大学はすでに教育学部の一部が始まっています。学生は今80人、女性生徒60人、男性生徒20人だそうです。

もっとも建設の方はまだまだですが、できたとこから使ってじょじょに学生数を増やす積りでしょう。最終的には2,3千人の大学になる予定です。

TCVのみんながアマ・ラ(お母さん)と呼ぶ法王の妹ジェツン・ペマ女史が数日後に現場に来られます。
そして2月にはダライ・ラマ法王もこの現場に視察に来られるとのこと。
その準備もあって現場は少し緊張気味です。

法王はベナレスの後、ボンディチェリー、チナイ(マドラス)を訪問された
一旦ダラムサラに戻られます。
2月17日、ここを訪問された後南インドのチベット人セトルメントを巡回されセラ僧院でロサ(チベット新年)を祝われ、その後もセラで新しく僧侶、尼僧になる者たち(約千人)への受戒のためそこに3月中旬まで留まられる予定です。

仕事の合間に、ブログ更新です。

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42人のデブン僧院僧侶が刑期を言い渡され、残った者たちの多くも拷問の結果衰弱している。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23628&article=China+Reinforces+Patriotic+Education+in+Drepung+Monastery%3a+Report

亡命政府の発表によれば、昨年3月以降の抵抗運動弾圧により現在までに219人のチベット人が死亡し、1294人負傷、5600人が逮捕、拘束された。現在も1000人以上の者が行方不明のままだ。

中国政府中央統一戦線部副長官ズー・ウェイキンは、デブン僧院の宗教活動は円滑に続けられるべきたが、同時に愛国教育の強化により安定した管理体制を整えるべきことを1月8日に行われたデブン僧院管理委員会との会合の席で強調した。

実際、デブン僧院は3月10日以降閉鎖されており、通常の学習と宗教活動は停止されたままだ。

アムド、カム出身の僧侶は全員追放された。中心的教師であったクンチョック・ニマ氏もアムドに帰された。

ラサ出身のデブン僧侶ロプサン・ワンチュック氏は激しい暴行の末、ほぼ失明状態となったことは知られているが、今どの刑務所にいるのかは不明である。

拘束中のトゥルン出身ガワン・ドンダム氏は拷問の結果今ではお椀を手に持つことさえできない状態だという。

内地からの情報によれば、デブン僧院の僧侶42人が2年から15年の刑期を受けた。
ラサ出身の僧侶ガワン・チュニ氏が15年の刑を受け、その他41人の僧侶は名前が判明しているだけで、刑期の詳細は今だ不明。

ーーー

拘束者たちは激しい拷問の末解放される。

1月2日チベット自治区カルゼで昨年3月13日にデモを行った一人のチベット人が衰弱した状態で仮釈放された。

カム、カンゼで昨年3月28日、デモに参加したとして自宅よりグル・ドルジェ49歳は逮捕された。4人の子供を抱えた妻シェラップ・ヤンツォはその後精神不安定となり、死亡した。
グル・ドルジェは3年の刑期を受けたが、拷問により衰弱し、ダルツェドの病院に移された。その後病院からも出されることになったが、家には子供しかいないので、同郷の者を保証人として彼は家に帰された。今も病院に行くことができないほどに衰弱したままだという。

妻は何度も面会を乞うたが許されなかった。グル・ドルジェは解放され妻の死を知り深く苦悶の様を見せたという。


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以下中国関係ですが、

<08憲章第10次集計612人、累計7200人を超える >

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/19a2f46d643fcf64d73850b18d14750c

<08憲章>に続く共産党政権に対する第2弾の挑戦状。

<国営テレビ視聴ボイコット宣言 「中国政府の宣伝」と若手知識人>
- MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090113/chn0901132213004-n1.htm

2009.1.13 22:11

 【北京=矢板明夫】中国の若手学者、弁護士ら22人が12日、「うそを支持しない」などを理由に、国営中央テレビ(CCTV)の視聴をボイコットする宣言をインターネット上で発表した。国内の多くのサイトに転載され、影響力を拡大している。

 宣言はCCTVのニュースや教養番組の内容について「社会の矛盾の表れである暴動事件などを意図的に隠蔽(いんぺい)している」「歴史の真相を歪曲(わいきょく)している」など7つの理由を挙げ、CCTVの報道は「(政府の)宣伝に過ぎない」と結論づけ、視聴者としての感情が傷つけられたとし、これに抗議するため、「今後は一切CCTVを見ない」と宣言した。

 新浪など大手のポータルサイトに掲載された宣言はすでに削除されたが、個人のブログなどに少なくとも数万件転載されたため、13日夕になってもネットで全文を検索できる。中国ではすべてのメディアは共産党の宣伝部の厳しい管理下にあり、政府の「喉舌」(のどと舌。代弁者という意味)と位置付けられているが、国内でこのように正面から批判されることは珍しく、多くの人の共感を得ているようだ。ネットに「私もボイコットに参加する」などの書き込みが殺到している。

 今回の宣言は昨年末に発表された共産党一党独裁の終結を求める「08憲章」に続き、共産党政権に対する第2弾の挑戦状といえる。「08憲章」に最初に署名した303人は、劉暁波(りゅうぎょうは)氏など当局に監視されている反体制活動家が多かったが、これに対し、今回の22人はメディアなどで論客として活躍している現役の大学教員や弁護士が多く、反体制側の人間はほとんどいないのが特徴だ。批判の矛先も共産党政権ではなく、国営テレビ局のみに向けられているため、一般民衆の支持が得られやすく、ボイコットの動きは広がりそうな雲行きだ。

 発起人の一人、北京紙「信報」の元副編集長の凌滄洲(りょうそうしゅう)氏(41)は産経新聞の取材に対し、「報道の自由を求める中国の若手知識人の声をより多くの人に知ってもらいたい」と述べた。

 今年は民主化を求める大学生らが弾圧された天安門事件から20周年にあたる節目の年。中国当局は知識人のこうした動きに特に神経をとがらせている。凌氏はすでに北京の公安当局から事情聴取を受けたが、「私たちの行為は憲法で認められている言論の自由の枠を越えていない」と主張したという。







rftibet at 17:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年01月14日

ローマ市法王に名誉市民 / <中国は必ず変わる>と法王

ダライ・ラマ法王に名誉市民 ローマ、2月に招待
http://www.usfl.com/Daily/News/09/01/0113_019.asp?id=66825

 ANSA通信によると、ローマ市は13日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を同市に招待し、来月9日に名誉市民の称号を授与すると発表した。

 授与は当初、昨年10月のローマ映画祭の際に行われる予定だったが、ダライ・ラマが胆石の摘出手術を受けたため延期されていた。(共同)


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8b952d5e.jpg<中国は必ず変わる>と法王

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23600&article=China+will+definitely+change%2c+says+Dalai+Lama

ダライ・ラマ方法は1月12日の早朝、チベット人以外のヒマラヤ地域(ネパール、ブータン、インドの中のラダック、シッキム、アルナチャル・プラデッシュ、ラホール、スピティ )に住む人たち、約4千人に対する特別謁見の場で以下のような話をされた。

「20世紀に入って共産党一党支配システムが始まった。その20世紀中に多くの共産圏の国々は様々な原因により自ら瓦解した」

「中国にも変化は必ず来る。変わらないということはあり得ないからだ」

「だから、もしも我々の意思が生き続けるならば、チベット問題も最終的にはいつか解決されるであろう」

「千年以上に渡り、ヒマラヤ地域の人々はチベット人の隣人として暮らし、また同じ宗教と文化を共有し続けてきた」

「今、チベットの状況はとても厳しく、民族と文化のアイデンティティーは消滅の危機に曝されている」

「しかし、変化のシナリオが世界の至る所で起こっているように、中国の中でも変化はすでに始まっている」

「そして、チベット人の間には不屈の勇気と連帯がある。チベット人の平和と真理に基付く戦いに対する連帯の輪は益々、世界中の平和を愛する人々の間に、非暴力を擁護する人々の間に広まりつつある」

「また、中国人の間にもチベットの状況を新たに知ることにより、チベット人に対する真摯な連帯を示す人々が多く現れてきた。
特に去年3月の事件以降には、多くの中国の知識人が公に書面やインターネット上にてチベットへの連帯を表明した」

「我々は希望と勇気を失うことなくあらゆる必要な努力を続けなければならない。
もしも最悪の事態に陥ろうとも、明確な計画と展望を持って必要とあればこれから数世代をかけようとも、必ず我々の戦いは続けられなければならない」

「1959年に亡命して後、当初の計画の多くは実現されたが、まだまだ改善されるべき点も多い。

それにしても、この亡命50年間の長きに渡る持続的戦いの歴史は、何れ伝説的なものとなるであろう


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法王はこれからボンディチェリ、チィナイ(マドラス)と南に行かれます。

付いて行く訳じゃありませんが、私もダラムサラを今夕離れます。
夜行でデリー、それから南インドのバンガロールに仕事のために出かけます。

その後、ネパール、そして日本に2月22日到着予定。
ダラムサラには3月9日にまた帰ってきます。

これから移動が多いし、ネット状況が悪いところが多いのでこのブログも途絶え気味になるかと思われます。

それでもできるだけ続けますので、忘れないでくださいね!






rftibet at 15:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年01月13日

続T.P氏の証言。パルデン・ギャツォ氏へのインタビュー

13,1,09 ネレンカン
今日もネレンカンに寄って見ました。
ドミトリーに入ると、子どもたちが集まって来て、写真を撮ってくれ大会になりました。元気で無邪気な子供たちばかりでした。
逃げて来れてバンザイ!といった雰囲気です。

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昨日話を聞いたツェテン・プンツォック氏に廊下で会ってそのまま、またお部屋にお邪魔して話の続きを聴かせて頂きました。
13,1,09 カンゼ地区指名手配状
左の書状は彼の指名手配状の一つ2008年5月7日付のものだそうです。
総勢35人。
これに先立ってデモの数日後に4人だけのものが張り出されたそうです。
彼は最上段、矢印が付けてある右から4人目です。
最上段左の3人が一緒に18日のデモを先導し、逃走した者。
後の者たちはセタとダンゴのデモを主導した者たちだそうです。

「これらの者どもの居場所を電話等で知らせたものには15万元。現場逮捕に協力したものには25万元の報奨金が与えられる。匿ったものには厳罰が加えられる」と書かれています。

昨日の補足に少し聞きたいことがあったので、質問しました。

「最初は3月6日にデモをしようと計画していたと聞いたが、どうして延期したのか?」

T.P.氏
「6日にはまだデモの間に配るビラが十分用意できなかったのだ。千枚刷った。6日から夜になると、家々の戸口にそっとビラを差し込んで回って。
デモの前にすでに沢山のビラを配った。ルンタ風にして風に吹かせて屋上から撒いたのもある。」

「そこにはどんなことを書いたのか?」

すると、ノートの上にきっちりとしたチベット文字でその時書いたというスローガンを書き始めた。
13,1,09 独立ビラを書くTP氏
(写真はビラを作るTP氏)

「人権を守れ!
チベットに自由を!
ダライ・ラマ法王をチベットにお迎えせよ!
パンチェン・リンポチェを解放せよ!」


と綴った。


「デモの最中貴方は足を撃たれたわけだが、他に銃で撃たれる者を目撃したのか?」

T.P氏
「他に10人以上が撃たれたと聞いている。私は自分のまわりで4人撃たれるのを見た。一人は逃げようとしたとき後ろから撃たれ、脇腹をぬけて弾が壁にあたりはじけるのを見た。
一人は足の腿を撃たれた。
一人は頭を近くから撃たれ即死した。
もう一人は撃たれた後で、口から血を沢山吐き倒れていた。
路上は至る所血だらけだった。

自分たちは石一つも投げていない。
ただ声を上げ自由と正義を訴えただけだ。

中国人はチベット人を全く人と思っていない。
動物と思ってる。
平気で鉄棒で殴り、銃で殺すのだ」

自分はもうチベットには帰れない。
帰ればすぐに殺されるだろう」


と言ってました。

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パルデンさんとリチャード・ギア
次、頼まれていた質問を抱えて、昨日パルデン・ギャツォさんのお部屋にお邪魔しました。

復刊のために奔走して下さったY女史からの質問です。
以下Y女史からのメールとその答えです。

■お願い■■■■■■
> 本を渡すときに、パルデンさんの近況など、手短に聞いていただけませんか?
> 宣伝サイト(www.palden.info)に掲載したいと思います。
>
> ・去年、海外ではどの国にどれくらいの期間滞在して、どういう活動をなさったか
> (おもに映画の宣伝かと思いますが、、、講演会とか、ファンドレイズのパーティとかでしょうか?)


日本に行った後、アメリカに渡って、マサチューセッツからシカゴまで歩いた。
6日間で歩いた。他に15人のチベット人が参加した。
数人のアメリカ人も一緒だった。
初めと終わり、途中でトークやイベントもあった。

それから、ダラムサラに帰り一週間いた。
スペインで進んでいる<チベット・ジェノサイド裁判>のために準備する書類が沢山あったからだ。

その後、再びアメリカに行った。
最初に持病がある肺の具合を病院で見てもらった。

私の映画はオスカー賞を狙っているようで、そのための試写会がまず、NYで6日間、次にロサンゼルスで6日間あった。
大勢の人の前で、何度も話をしたが、反応は非常に良かったと思う。

ダラムサラに帰り。
今度はイタリアに行った。
私が解放されたのは、このイタリアのアムネスティーが中心になって運動してくれたからなのだ。
だから、友人も多くてイタリアにはよく行く。
それから、オランダに試写会のために行った。監督も来ていた。
そのあと、スペインに裁判のために行った。

そして、ガンデン・ナムチェの日にダラムサラに帰って来た。

3月にはイギリス、5月にはノルウエーに行くことが決まっているそうです。

(法王並みの人気ですね!78歳元気一杯)


> ・そのうち、どんな活動が有効だとお感じになったか

どれが有効ということは解らない。大体トークが多いが、全部一緒になってたりするからね。

手段として、常に平和主義と真理を前面に出すべきだ。
暴力的手段では決して戦いに勝つことはでいない。

中国は私に様々な試練を与えたが、私は今もこうして生きていて、自分の考えは全く変えられることなく存在している。
力で人を変えることはできないということだよ。

> ・日本では本が復刊されたが、日本の読者にお願いしたいことがあれば、それもぜひ。

私の本を出版して下さる出版社の方々と復刊のために働きかけて下さった、チベットの友人たちに心より感謝いたします。
日本もチベットと同じように仏教の国です。

この本には何でもない、ただのチベットの一僧侶の半生の話が書かれている。
中国が来て。多くのチベット人が殺されて行った。
私も33年間監獄に繋がれていた。
でも私は今も死ぬこともなくこうして生きている。

仏教徒の僧侶として、中国を恨む気持ちはない。
人に害心を持てば、その果は苦であるからだ。
しかし、自分の信念は一度も曲げなかった。
仏教は勇気を与えてくれる。
日本人もそれで勇気があるのだろう。

日本と言えは、広島に行ったことがある。
私は45年に原爆が広島に落とされたということを、チベットで聞いて知っていた。
その時は何だか、大きな爆弾が日本に落とされて大勢の人々が死んだというので、チベット政府が主催してその犠牲者を追悼するための「モンラム」を大々的に行ったのだよ

自分はそれで覚えていた。

広島に行ってみると、驚いたことにすっかりビルが立ち並んでいる。
草も生えないと聞いていたのにだ、、、
つまり、アメリカが力で日本を負かした訳じゃないのだ、こうしてちゃんと日本は復興してる。
負けなかったのだ、と思ったよ。

そうだ、この前の日本はちょっと忙し過ぎたよ。
今度もう一度行く機会があれば、もっとゆっくり日本を見てみたいと思う。

ーーー

以上















rftibet at 19:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年01月12日

3月18日カンゼ大デモ先導者の証言

b452e927.JPG写真は、去年3月カンゼに集合した軍隊。
話の本人が持っていた。
ーーー
今日、日本から来られたH女史と共に、ネレンカン(難民一時収容所)に寄って見ました。
そこで、偶然が重なり、思わぬ貴重な証言を聞くことができました。

昨日、新しく40人ほどの難民がダラムサラに到着したとのこと。
しかし到着したばかりで事務所の人たちも、どんな人が、どこから、どのようにして来たのかについての情報はまだはっきりしないと言ってました。

仕方ないので、子供たちが絵でも描いていないかなと屋上に行きました。
子どもたちもいませんでした。
H女史にそこに張り出されてる、去年の夏のイベントにも使わせてもらった絵を見せたりしていました。
すると、そこにちょうどアマ・アデさんの部屋から旦那さんが出て来られました。

彼は私の顔を見るなり「おお、ちょうど良いところに来た。昨日一人カンゼから逃げて来た者がいる。彼はデモで足を撃たれたりした。必ず話を聞くといい、、、、でも、今はノルブリンカに行ったな、、、電話もないし、、、

と、ちょうどそこに、その話の本人が現れたのです。帰ってきて部屋の鍵を取りにきたところでした。

さっそく、部屋で話を聞くことになりました。

話始めて、彼のカンゼ訛りがうまく聞き取れず、何度も聴き直したりしました。
「H女史は中国語が解るよ」というと、それではと私は通訳失格・交替ということになりました。
以下、H女史の中国語よりの通訳を私がノートしたことから、報告いたします。

ーーー
<ツェテン・プンツォック氏の証言>

2008年3月18日、カム、カンゼで初めての大規模デモを先導した15人のチベット人の内の一人が脱出に成功し、昨日ダラムサラに到着した

ツェテン・プンツォック氏は40歳の僧侶だ。
その時のデモの様子、デモに至った経緯などについて話を聞くことができた。

ーーー

デモは3月18日午後1時過ぎ、カンゼ市内の大きな交差点で始められた。
同じ村の出身15人がパンフレットを配りながら、スローガンを叫び始めた。

間もなく武装警官隊に囲まれた。しかし、その周りには我々を救おうとチベット人が大勢集まり始め、たちまち数千人の規模になった。
我々は政府庁舎に向かって歩き始め、群衆も警官隊も一緒に移動した。

しかし、政府庁舎を前にした交差点に来た時、四方から新たに攻め寄せてきた大勢の武装警官隊に全員包囲された。
警官隊は鉄の棍棒ですべての人たちを滅多打ちにし始めた。
我々15人も打たれて、逮捕されていった。
私はその時、拳銃で足を撃たれた。

ツェテン・プンツォック氏 12,1,09ダラムサラこれが其の跡だ、、、と言って、傷痕を見せてくれた。
(写真はその時)
2〜3千人はいたがそのうちその場で4〜500人が逮捕されたと思う。
後ろの方で倒れ動けなくなったチベット人を警官がトラックに載せていくのを見た。
15人のうち11人は逮捕された。
後で聞いたがこのうちの一人は8年の刑を受けたという。他の仲間の消息は今も分からないという。

私は何とか逃げることができた4人の内の一人だ。

その日の夜中には、蘭州と成都から大きなヘリコプターが7台、兵隊を乗せて空港に降りたと聞いた。

そして、その数日後、町中に写真付きの指名手配の張り紙が張り出された。
その中に私の顔があった。自分でそれを見たのだ。

それから私は数か月、山に隠れた。傷は少し深かったが病院に行けば捕まるので、家から薬を持ってきてそれで治した。
その後も家や僧院に帰ることもできず、カム、アムドの各地を転々と身を隠しながら逃亡生活を続けた。

ダライ・ラマ法王の御生誕地にも行った。
そこには、家を守るチベット人以外一人のチベット人にも逢わなかった。
その人の話では、3月11日に大勢の軍隊が来て周りは包囲されたという。

その後亡命を決心し、ラサでガイドを雇い国境に向かった。
国境付近で10日間歩いたが脱出に成功した。



「デモを行う前にラサのデモの事は知っていたのか?

3月18日のデモはカンゼで3月初めてのデモだったのか?」の質問に答え:


ラサのデモのことは全く知らなかった。かなり後になって、アメリカのラジオだったかを聞いて知ったのだ。

18日がカンゼでの初めての大きなデモだった。

もちろんカンゼでは1990年ごろから何度も小さなデモはあった。
もう50人位は逮捕されている。自分もカンゼではないが近くのタウの町で1992年に<独立>の張り紙を張ったことがある。
その時、逮捕はされなかった。



「じゃ去年、最後まで続き今年もデモが起こっているカンゼのデモのまさに仕掛け人の一人ということになるね。すごい、良くやった!!!

で、どうしてデモを決行したのか?いつ僧になったのか?」の質問に答え:

私は6人兄弟の末っ子だ。家は農家だ。
小学校に二年ほど通ったが、チベット人が学校で差別されるのが嫌になりやめた。
それから僧院付属の学校に通っていた。
16歳の時カンゼ僧院の僧になった。

1994年頃から中国のチベット人に対するいじめが目立ってきた。
例えば、病院にいってもチベット人は追い返されることが多くなった。

その他、材木を多量に切り出し、近くの美しい山を崩し、穴をあけ金銀やその他の鉱物を掘り出し、中国に運び去る。
益々ひどくなる。
そんなこともあり地元のチベット人たちは中国政府に対し反感を強めていた。

でも、3月にデモしたのは、その前2月から中国は僧院、尼僧院を回りながら、ダライ・ラマ法王を非難する証書にサインするようにと迫ってきた。
銃を押し付けられ脅迫されるのだ。(ここで彼は銃を喉元に突き付けられるマネをした)
でも、誰一人、根本のラマ、ダライ・ラマ法王を裏切る者などいなかった。
みんな死んでもそんなことはできないと答えた。

そんなことが続いたからだ。
だから、デモを決心したのだ。
自分たちから仕掛けたのじゃない。
ダライ・ラマ法王を捨てることを迫られることに耐えられなくなったからだ。

とくに3月10日を意識してたわけでもない。
本当は最初は3月6日に決行する予定だった。


以上

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もしも、そのデモが6日に本当に行われていたら、ラサ蜂起ではなくカンゼ蜂起が去年の発火点となっていたことでしょう。

カム カンゼ 
写真はカンゼ市内。手前左スミに軍隊のトラックが並んでいるのが見える。
正面の雪を被った山に大きな鉱山があるという。







rftibet at 18:30|PermalinkComments(5)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2009年01月11日

ルンタの里親、リチャード・ギア、井本住職

今日お昼ごろ、日本よりサンタクロースとお正月・お姉さんが一度に来たような、、、<うらルンタ>のH女史が到着されました。

超過7キロの荷物のほとんどは現地の日本人とチベット人へのプレゼント。
<どら焼き>付き!

本当に御苦労さまです。
せっかくの一年に一度の一週間の休暇を毎年、みんなのためにダラムサラまで来ることに費やされています。
特にルンタを通じて、今もスポンサーしてる20人余りの子供の里親の面倒を直子さんと一緒に見てもらっています。

このルンタの里親募集は6年前に始まりました。
特に9−10−3の会(元政治犯・拷問被害者の会)のメンバー関係の子供の学費を日本の有志の方々から援助を頂き支援してきました。

元政治犯であろうと、経済的に苦しいと言えど、親或いは近い親戚が亡命して来ている場合には、その子ども学費は基本的にその親が負担するのかここのルールです。
しかし、もちろん新しく亡命してきたばかりの人々や、こちらで子供が生まれた人達のなかにはTCVへの学費も払えない人は多いいのです。
この辺は新しく亡命してくる子供には間違いなくスポンサーがいようがいまいが、学費が免除され、寮生活が約束されているのとは事情が異なり、より厳しいこともあるのです。

そんな子供(親)の里親を募集して50人ほどの子供をスポンサーしてきました。
今は親が自立できるようになったケースとか、新規募集をかけないので、里親さんを降りられる人もいたりで20人ほどになっています。

今も、里親を引き受けてくださってる方々にはこの場をお借りして、チベットの子供たちに代わって感謝の意を表したいと思います。
ありがとうございます。

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0acf085d.jpg
次に、(特に女性のために)ルンタレストランにも来られたことのある、リチャード・ギア氏のお話。
最近はインドビザが、ある問題以降降りないようで、、、ダラムサラには来られませんね。
嘗ては毎年のようにロサのティーチングに来られていたものです。

その<リチャード・ギア氏がある名誉ある賞を獲得されました>
この記事は数日前のphayulに出てたのですが、パスしてました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23579&article=Richard+Gere+to+be+Honored+for+Humanitarian+Acts
今日は日本語になってるのが出たので迷わずお知らせします。

http://www.varietyjapan.com/news/movie/2k1u7d00000hl7pp.html

 放送映画批評家協会が選ぶ「Critics' Choice Awards」が8日(木)、サンタモニカ・シビック・オーディトリアムで発表され、『スラムドッグ$ミリオネア』が作品、監督、脚本、作曲、若手俳優の5部門を制した。



また、「セレブリティの本当の価値を認識し、人々に影響を及ぼし続けるフィルムメイカー」におくられるジョエル・シーゲル・アワードは、中国やチベットで人権活動を続けているリチャード・ギアが受賞。昨年、『最後の初恋』で共演し、長年の“スクリーン・カップル”としても知られるダイアン・レインの紹介とともにステージにあがったギアは、「会場やテレビの前にいるすべての人々が、チベットや中国の現状に目を向けることを約束してくださるのなら、この賞をありがたく受け取ります」と熱いメッセージをおくった。


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11月末の「チベット支援国際会議」で始めてお会いした井本住職さん。
本当に心清い、いい方だと感じました。
その井本住職の記事が出ていました。
井本住職の活動を応援したいと思います。

http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/090110/tky0901102221013-n1.htm

チベット問題「解決へ政府、国際社会へ働きかけを」

2009.1.10 22:21

 亡命チベット政府を支援する各国NGOが参加して昨年11月末にインド・ニューデリーで開かれた「国際チベットサポート会議」に出席した、報恩寺(福岡県)の井本勝幸副住職が10日、中央区築地の築地本願寺第2伝道会館で講演し、「チベット問題は、人権、環境にかかわる人類普遍の問題。(解決に向け)日本政府、国際社会に働きかけていくべきだ」と訴えた。

 講演会は、長野・善光寺の聖火リレー出発地辞退を機に発足し、井本副住職が幹事を務める「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」が主催した。

 井本副住職は「中国に(チベット問題の)責任を取るよう求めていく」ため、台湾や韓国の支援者らを招く東アジア版サポート会議の日本開催を提唱。海外での人道支援活動の経験を踏まえ、アジアの貧困問題解決に向けて「無利子銀行」の構想も提案した。








rftibet at 17:45|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事