2009年04月

2009年04月30日

焼身自殺を図った僧タペーの情報を海外に流した僧が逮捕後行方不明

98156de0.bmpPhayul,Dharamsala,4月30日:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24588&article=Residents+concerned+about+monk+who+smuggled+information
ダラムサラ、キルティ僧院のプレス・リリースによれば、
アバ地区のチベット人たちは、今年2月27日焼身自殺を図った僧侶に関する情報を外国に流したとして逮捕された僧侶の安否を気遣っているという。

アバの人々は僧ジャミヤン・プンツォック35歳の居所を知るために様々な役所に問い合わし探したが、今だ行方は判明しないという。
彼はすでに死んでいるとの噂も流れているという。

中国の警察は、僧タぺーが焼身自殺未遂をした数日後に、キルティ僧院の部屋から僧ジャミヤン・プンツォックを逮捕した。
新華社は3月5日、僧ジャミヤン・プンツォックがチベットに外国からの関心を引くために僧タペーの情報を流したことを認めた、と伝えた。

一方、中国は四川省の病院に隔離されているとされる僧タペーへの面会は誰にも許していない。
リリースの中で、中国当局が僧タペーの両足を切断しようとしたことは銃撃の証拠を隠すためであったとコメントされている。

リリースによれば、僧タペーの容態は回復しているにも拘らず当局は彼を解放しようとはしていないという。

TCHRDによれば、中国当局は先月僧タペーの母親に対し、「息子さんの命を救うために両足を切断しなければならない」と言った。しかし、これに対し本人は手術を拒否しているとも伝えられていた。



rftibet at 20:15|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

法王のボストンでの記者会見より

adc65538.jpg法王は昨日ボストン第一日目、昼食の後45分間、記者会見に応じられました。
以下は亡命政府リリースからの抜粋です。

http://www.tibet.net/en/index.php?id=882&articletype=flash&rmenuid=morenews

法王はハーバードには最初1979年に呼ばれたと話され、法王の二つの誓願「人間的価値と宗教間の調和促進」について語られた。

法王は「例えば(人間的価値促進の)その一つの例として、メディアの人たちはこの経済危機の中における人々の態度をよく観察してみるとよい。
常に、夢の中でさえお金のことばかり考えている人々はこの状況の中でさぞ心落ち着かないことであろう。
一方、お金の価値以外の他の価値、調和や人間家族や人間コミュニティーの価値により多くの関心を持っている人たちは比較的落ち着いていることであろう。

機械は幸せを作り出すことができない。

人はもっと自分たちの心と意識に対する深い洞察を必要としている。

この20年間、(人間的価値促進のために)慈悲の問題や慈悲と健康の関係などにつき科学者との対話を続けてきた」
等話された。

宗教間の調和の話の中で、
「西洋社会は概ねキリスト教と若干のイスラム教徒によって成り立っている。
だから、私は(西洋人が仏教徒に)改宗することを勧めないのだ。

友人の中にはヨーロッパやアメリカに仏教の僧院を建てようと思っている者もいるが、これには私は積極的に賛成しない。仏教的土壌のあるアジアなら賛成するのだが」ともコメントされた。

記者からの「チベットの自治を獲得する戦いには負けたのではないか?」
との質問に対し

法王は「狭い視点から見れば、確かにチベットの状況は絶望的にさえ見える。
しかし、視野を大きく持てば希望はある。

チベット人魂(Tibetan spirit)は非常に強い。

中国自体も変化して来ている。
今では中国共産党は共産党的思想の抜けた資本・全体主義体制となっている。
これは大きな変化だ」
と答えられた。

別の記者からの「チベットの地の上に再び立たれることがあるのか?」との質問には

法王「Oh. Yes, I feel.チベット人なら誰しもそう感じている。
チベットの中にいる人たちもその時を待っている。


1983年に初めて私はチベットを訪問したいと表明した。
1984年には翌年の訪問を準備するために中国に特使も送った。
(その前に送られた)事実調査団はチベット人に熱烈に受け入れられたので、自分も正式に行こうと思ったのだ。
しかしその後中国とはうまくいかず、訪問も実現されなかった」

「仏教徒として、私はチベットの諺にもあるように<何処であろうとも、幸せがあるところが自分の家。誰であろうと、親切にしてくれる人が父母だ>と思ってる」





rftibet at 18:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

法王の成田での記者会見

7539a081.JPG法王は先日4月22日、アメリカに行かれる途中に成田に寄られ、記者会見を開かれましたが
そのときのインタビューのレポートとして一番詳しいものを産経さんが掲載して下さいました。
全10部、以下URLのみの紹介です。

【グローバル・インタビュー】「中国は子どものよう」 国際社会にチベットの現状理解訴えるダライ・ラマ14世 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n4.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n5.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n6.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n7.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n8.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n9.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090429/asi0904291802000-n10.htm


rftibet at 15:47|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

チベット殉教者の日

b8e5c1a7.jpg<チベット殉教者の日>

4月29日付パユル:
https://www.phayul.com/news/article.aspx?id=21203&article=REMEMBERING+THUPTEN+NGODUP+%E2%80%93+Jamyang+Norbu&t=1&c=4

亡命チベット人たちは昨日29日、チベットとチベット人のために自らの命を犠牲にした殉教者たちに敬意を示すための第11回「チベット殉教者の日」を記念する式典を行った。

チベット青年会議が主催し、早朝ダラムサラのリンコルにあるラゲリにて式は行われた。
元青年会議議長をはじめ多くのチベット人が参加し、祈祷、焼香やツァンパ供養が行われた。
1998年、チベット独立キャンペーン中に焼身自殺したパオ(勇者)・トゥプテン・ゴドゥップ氏の記念像の前にカタとバターランプが供養された。

席上、主賓である元青年会議議長、前亡命議会議長のカルマ・チュペル氏は「殉教者トゥプテン・ゴドゥップ氏の11回忌でもある今日は、チベットの自由と独立のために犠牲になった全てのチベット人男女に敬意を示す記念日である」

「勇者トゥプテン・ゴドゥップ氏をはじめとする全てのチベットの殉教者を思い出すとき、それは己の精神と尊厳を、チベットの中にいる同胞たちの苦しみへの共感の中に見出し、それに捧げるという厳粛な思いに駆られる」

「独立への闘争は依然、自らの命を犠牲にした人々の真の希望であり、讃えるべき意志であった。我々はその目的を掲げ続け、彼らの至高の犠牲の本質を守らねばならない」
と語った。

青年会議は夕方からキャンドル・ライト・ビジルも行いました。
世界中の青年会議支部も同様の催しをおこなったということです。

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私もこの11年前4月27日に起こった、悲しい事件のことはよく覚えています。
このとき、チベット青年会議はデリーで「死のハンスト」を続けていました。
はっきり覚えていませんが、確か8人がほぼ50日間、水のみで生きるという正に奇跡の死の抗議を行っていました。

私はその中に知り合いのタンカ画師もいたので、デリーに見舞?に行ったこともありました。デリーはそのころ非常に暑かった。40度はある中、外のテントの中でハンストは行われていました。
しかし、数人が死の兆候を示し始めたことと、そのころ中国の誰だったか偉いさんがデリーに来ると言うので、インド警察は彼らを強制的に病院に運び込もうとした。

機動隊が強制排除を始めたその時、次のハンストのメンバーとして現場に待機していた、トゥプテン・ゴドゥップ氏は自らの体にガソリンをかけ、火を付けたのです。
その時の映像は世界中に流されました。
彼は大きな炎に包まれながらも、合唱し、前に駆け出しながら、法王への帰依とチベット独立への思いを倒れるまで叫び続けたのでした。
その姿は驚異的でした。

その後二日後に遺体はダラムサラまで運ばれ荼毘に付されました。
私も参加しましたが、大きな荼毘の炎が上がるすぐそばで若者を中心にこのときほど、過激に興奮していたチベット人を見たことがないというほどにみんな最後まで叫び続けていました。

私は炎に包まれた彼の写真をポスターにする仕事を頼まれたことも思いだします。



rftibet at 12:33|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

ラサの公務員は仕事もせず毎日愛国歌を練習強要

b173191a.jpg写真・野田雅也。

4月29日付RFAによれば、

<ラサのチベット人公務員達はこのところ毎日愛国歌を練習することを強要されている>

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/chinese-government-forced-tibetan-employee-to-practice-tibetan-song-during-office-hour-04292009165107.html

ラサの中国政府の役所では、チベット人たちは仕事をやめて毎日歌の練習をやらされているという。

RFAにラサからの情報として入ったところによれば、現役の公務員だけではなく引退組も駆り出され、歌を歌えない者も全員強制的に合唱や独唱の練習をさせられているという。

この歌の練習の目的は、来る5月1日のメーデーの日に役所対抗の歌のコンテストを催すためだ。
役所の長は必ず独唱を求められるという。
歌の内容はもちろん「共産党を讃え、愛国心を助長する」ものに限られる。


ダラムサラでも受信できるラサ・テレビとか四川テレビ、青海テレビを見ていると(吐き気がするので長くは見ておれないのですが)、それでなくとも「クンデータ〜〜ン・ヤポドゥ〜〜〜(共産党は素晴らしい)クンデータ〜〜ン・ヤポドゥ〜〜〜、クンデータ〜〜ン・ヤポドゥ〜〜〜、」とただただ何分も連呼する歌は嫌と言うほど流されています。
中国式洗脳・プロバガンダ・マニアルはまるで子供だましだが、それでも子供は引っかかるのでしょう。
中国は今も民衆は愚民のまま、盲目のままと思っているのでしょう。

「チントゥル・マクミ・ヤポドゥ〜〜〜〜(解放軍は素晴らしい)、チントゥル・マクミ・ヤポドゥ〜〜〜〜、チントゥル・マクミ・ヤポドゥ〜〜〜〜」

それにしても、式典で各省庁のボスが演説の代わりに一人ずつ共産党を讃える歌を高らかに歌うというのは、、、笑えるでしょう。
はっきりしてていいですね。
どうせ演説したって内容は一緒なんですから。

1998年5月1日にはダプチ刑務所内で大規模な抗議デモが起き、その後凄惨なシーンとなりました。













rftibet at 09:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2009年04月29日

サンフランシスコの法王/ナクチュで僧侶3人逮捕/リンポチェの判決延期

0729308a.jpgダライ・ラマ法王のアメリカ訪問の様子は逐一RFAその他のチベット語放送を通じて本土に伝えられています。

そんな中、今日はアメリカからの電話であるチベット人が
「とにかくとこに行ってもすごい人だ。
バークレーでの講演のチケットは2日で売り切れたという。
キャンセルを狙って前の日から会場の前で寝て待っている学生もいた。
アメリカには有名な人は多いが、法王ほど常にどこでもすぐに会場を一杯にできる人は少ないと思う。
アメリカ側の警備も素晴らしい。
常に数台のパトカーが法王のお車を先導する。
チベット人として、誇りに思えた。
本土の人々にこれを見せて上げたいと思って涙がでました


毎日快晴の上天気で、みんな広くて気持ちのいい会場の周りでくつろいでいた。
法王は快活でお元気そうだった」
と話されていました。

きっと中のチベット人もアメリカ人が法王を特別歓待してくれていることを知ってさぞ勇気付けられていることでしょう。

法王はお忙しくサンタバーバラで二度の講演、バークレーで一度の講演、ヒマラヤ・モンゴル・チベット地区出身者のための会でも講演、350人のお金持ちのパーティーに出席され
「お金持ちはどんどん困った人たちのために寄付すべきだ。
しかし、動機を正し、慈悲の心で、名前や見返りのために行ってはいけない」
と話された。
今度は貧しいホームレスのためのキッチンに行かれて、
「ああ、私のいちいちの言葉にぶら下がろうとする、お金持ちたちから解放されて本当に、ここは居心地がいい」とジョークを飛ばされた。

その他、世界中から集まった慈善活動家たちを前にお話をされ、27日の朝サンフランシスコを発たれた。

ボストンに向かわれる途中、ミネソタのロチェスターに立ち寄られ、ミネソタに在住する600人のチベット人を前に話をされた。
http://www.tibet.net/en/index.php?id=878&articletype=flash&rmenuid=morenews法王は当地のマヨ・クリニックにて一年ごとの定期検診を受けられるという。
今日29日、ボストンに発たれた。

ところで、アメリカのTIME誌は「世界でもっとも影響力のある人100選」の中に法王も
ノミネートされたという。
http://www.tibet.net/en/index.php?id=880&articletype=flash&rmenuid=morenews
ランクは61番
2006年TIME誌は、雑誌が創刊されて60年間の「アジアのヒーロー5人」の内の一人に法王を選んでいる。

気になってすべてのランキングを見てみると、
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1883644_1886141,00.htmlオバマ氏は37位でプーチンの二つ下。
オバマ氏の二つ下にシュワちゃんがいたりして、この番付は中々奥が深いです?
42番に日本人Shigeru Miyamoto
という任天堂のゲームソフトとか開発した人が日本人としては最高位として選ばれている。
一番はmoot氏 アメリカで4chan.orgという日に5百万ものアクセスのあるオンライン・コミュニティを始めた21歳の学生だそうです。

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ゲシェ・ツルティム・ギェルツェン28日付TCHRDプレス・リリースによれば、

http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090428.html

今月4月11日、チベット自治区ナクチュ県のナクチュ公安局は3人の僧侶を逮捕した。

シャプテン僧院の元僧院長ケンスル・ツプテン・タプケ47歳と経典指導師ゲシェ・ツルティム・ギェルツェン34歳は僧院からそのまま拘置所に連れて行かれたが、当局は二人はラサにゲシェ位の証書を受け取りに行っているだけだと家族たちに嘘を言っているという。

もう一人シャプテン僧院の民主管理委員会の長である僧ツンドゥ30歳も逮捕された。
逮捕理由など詳しいことはまだ分かっていないという。

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プルブ・ツェリン・リンポチェ裁判の行方が見守られているカンゼの高名なプルブ・ツェリン・リンポチェの判決は延期されることになったという。

http://woeser.middle-way.net/2009/04/blog-post_28.html

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24548&article=Justice+Denied+for+Tibetans裁判の場所もカンゼを避け、カンディンで行われているし、本当に珍しく中国人の弁護士がつけられているなど、当局がこのリンポチェの地区のチベット人に対する影響力を考慮に入れている様子はうかがえる。
そして、今度は判決を遅らせた。

このリンポチェはカンゼに養老院や尼寺など5つの福祉施設を設立し運営されているという。カンゼでもっとも影響力のあるリンポチェと言われている。

もしも彼に濡れ衣の長期の刑を言い渡すなら、地元のチベット人の反感を煽ることになるのはまちがいないであろう。

このリンポチェについてはウーセルさんが何度も詳しいレポートをブログに載せられています。

以下、英語のままですが、ウーセル氏がWall Street Journal Asiaに投稿された記事です。

OPINION ASIA
APRIL 26, 2009, 4:55 P.M. ET

Justice Denied for TibetansThe 'trial' of a monk highlights Beijing's repression.

By WOESER | From today's Wall Street Journal Asia

Before dawn on the morning of May 18, 2008, the authorities cut off all forms of communications in the small rural town -- telephones, mobile phones, the Internet and even roads in and around the area. At around 6 a.m., more than 1,000 members of the People's Liberation Army, People's Armed Police and local and special police units prepared to make their assault on a small house. Around the same time, more than 4,000 soldiers and police divided up to surround and take control of two nearby nunneries.

Their target? Buramna Rinpoche, a 52-year-old Living Buddha and head of Pangri and Yatseg nunneries in Kardze, a Tibetan county of Sichuan province. The story of this religious leader, who operated a home for the elderly and took care of orphans and handicapped children, is symptomatic of Beijing's heavy-handed treatment of Tibetans. It also explains why the so-called Tibet question is not going to disappear any time soon.

The joint military-police unit easily forced its way into the house, where authorities say they discovered a rifle, a pistol and more than 100 rounds of ammunition hidden under a bed in the living room. The monk was arrested under charges of possessing illegal firearms and ammunition. He was also later charged with the illegal occupation of state land.

The arrest more likely is connected to an incident that had occurred four days earlier, when 80 nuns from the Pangri and Yatseg nunneries took to the streets to carry out a peaceful protest against the Chinese government's "patriotic education" campaign, which pressured Tibetans to denounce the Dalai Lama, Tibet's spiritual leader who now lives in exile in India. These religious women peacefully handed out leaflets and shouted slogans criticizing the campaign, but according to an eyewitness with whom I've spoken several thousand military and police were mobilized to deal with the protest, in which many of the women were severely beaten and arrested.

The authorities apparently believed that the nuns had acted upon the instructions of Mr. Buramna, as he is responsible for both nunneries. So from that day on, his every movement was monitored.

Mr. Buramna was transferred after his arrest to the Luhuo County Detention Center. There, according to his lawyer, he was handcuffed to a railing for four days and kept awake day and night by two guards. During these four days, he says he was tortured and police threatened to arrest his wife and son if he did not sign a confession to possessing illegal weapons. Under such duress, Mr. Buramna signed and made a thumbprint on a confession admitting to the charges. He later recanted this "confession" in court.

Mr. Buramna's family hired two Chinese lawyers from Beijing to defend him. The two, Li Fangping and Jiang Tianyong, are well-known human rights defenders. Mr. Jiang was one of 21 Chinese lawyers who signed a public statement on April 1, 2008, offering to provide legal defense to Tibetans who were arrested in connection with protests that broke out in March 2008 in Tibetan areas throughout China. The government has threatened to close the law firms, or revoke individual lawyers' licenses, if these lawyers involve themselves in the Tibet issue, Human Rights Watch has reported.

On the morning of April 21, the trial opened in Kangding County, a one- to two-day drive away, rather than Kardze County, Mr. Buramna's hometown and scene of the alleged crime, apparently to prevent local Tibetan monks and lay people from protesting outside the courtroom. Mr. Buramna appeared in court wearing the bright yellow and crimson red robes of a Tibetan monk. Seven members of his family, including his wife and son, were in the court, some crying throughout the trial. Speaking in Chinese, Mr. Buramna denied the alleged crimes, arguing in particular that the weapons and ammunition found at his home had been planted there to frame him.

Mr. Buramna's lawyers say they were allowed only limited access to their client before trial and they were not allowed to access all the court documents related to the case, which limited their ability to cross-examine witnesses. Even so, they noted at trial that the court did not investigate the source of the firearms and ammunition, and even failed to check for fingerprints. They argued that the monk's living room was a public place that saw a large number of people coming and going, and that anyone could have hidden the weapons there. They stated further that an examination of documents related to the land used for the elderly people's home, which the government said was occupied illegally, showed the site was not state-owned.

The lawyers repeated the monk's assertion that he was tortured for four days and was forced to sign the confession under duress, which would make it invalid for use as a basis for conviction. No verdict was handed down at the end of the hearing, the court saying it would announce the sentence at another date. If convicted, Mr. Buramna will face a prison term of between five and 15 years.

Yet Beijing would be wrong to think that will be the end of the matter. The incident has led to widespread anger among Tibetans in the area. On the morning of Mr. Buramna's arrest, a number of monks and ordinary people in Kardze held a demonstration demanding his release; they were surrounded by the police and beaten, according to the same witness who saw the nuns' original protest. The elderly residents in his welfare institution also tried to protest, but according to the same source, their home was surrounded by the police. In June, there were more protests seeking his release, and several people were beaten and arrested.

Mr. Buramna's trial is the first of a major religious leader to be held since last year's disturbances in Tibetan areas. It's a sad commentary on the situation that one can say that at least this trial is being held in public. But such trials will not bring stability to the area. The nuns whose protest seems to have sparked this case acted spontaneously, and their protest had nothing to do with Mr. Buramna. They, and all Tibetans, want justice in their region. Putting Mr. Buramna in jail will only increase that thirst.

Ms. Woeser, a Tibetan poet, writer and blogger, lives in Beijing. This article was translated from the Chinese by Paul Mooney.



rftibet at 19:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年04月28日

ノルウェーは中国の圧力に屈せず

963f5652.JPGノルウェーはことチベットに関しては立派な国です。

ノルウェーは60年代から留学生を中心に亡命チベット人を受け入れ、亡命政府と法王を国家レベルで援助し続けています。

ノルウェー国会はEUの中でもチベット問題に関してこれまで安定した先導役を務めています。

この辺はこのところ手の裏を返したフランスとは違うのです。

以下そのノルウェーの話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

<ノルウェー国会は中国の使節団とのレセプションをキャンセルした>
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24555&article=Norwegian+Parliament+cancels+reception+for+Chinese+Delegation

phayul,Dharamsala,4月28日、
中国の使節団の訪問にあたりノルウェー国会が主催することになっていた昼食会がキャンセルされた。
これは中国側がこの日のノルウェー側の歓迎委員長が、ノルウェーのチベット委員会とチベット議員連盟の委員長でもあることに抗議したからだった。

ノルウェー・チベット・コミティーのプレス・リリースによれば、4月20日ノルウェー国会の議員であるOlav Gunnar Ballo氏は中国の使節団と歓迎の昼食会を開くことになっていたという。

しかし、olav氏は3月28日にノルウェー・チベット・コミティーの委員長に選出されていた。中国側は昼食会のホストを変えるようにノルウェー政府に要求し、さもなくば昼食会をキャンセルすると脅してきた。
これに対し、ノルウェー政府はホストを変えることはできないとして、昼食会を自らキャンセルしたという。
ノルウェー・チベット・コミティーは国会が「中国の圧力に屈っしなかった」としてこの決定を歓迎した。

Olav Gunnar Ballo氏は2008年11月の「ノルウェー国会議員チベット・中国調査隊」の隊長でもあった。




rftibet at 16:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)その他 

2009年04月27日

僧トゥプテン・ツェリン・83歳の証言

僧トゥプテン・ツェリン83歳今日の朝方、一人の老いた僧侶に話を伺いました。
83歳になられる僧トゥプテン・ツェリン氏はルンタ・ハウスに長年住まわれています。
物静かで敬謙で、みんなから<ゲンラ(先生、師)>と呼ばれ慕われています

嘗て1987年に、この元政治犯の集まるルンタ・ハウスにおいて、特にゲンラを今も有名にしている事件がありました。
それはゲンラとトゥルク・ユーロ・ダワ・ツェリン・リンポチェと言う有名なゲシェでありガンデン僧院のリンポチェでもある人が、ラサでイタリアの放送局のインタビューに答えチベットの現状を訴えたことから始まります。
顔を出して放送されたのです。
これは二人とも承知のことだったといいます。
もちろん、その後7月に逮捕されます。

この事件が、次に起こった文化大革命以来初めてといわれる、大規模な市民蜂起の引き金の一つになったのです。
1987年9月27日デブン僧院の僧侶たちはもちろん、「チベット独立」「法王が御帰還されますように」と叫んだが、「ユーロ・リンポチェとトゥプテン・ツェリン氏を解放せよ!」とも叫んだのだ。
このデブンの僧侶たちのあとに従いラサ市民数千人がパルコルを一杯にして中国の圧政に対する抗議行進を行ったのだ。
それから一連の大デモが数年間続くのです。

ユーロ・リンポチェは他のことでも有名です。
皆さんもご存じの<チメ・グディ(不死九目紐)>別名<ランツェン・タクパ(自由ミサンガ)>と呼ばれる白黒に編まれたミサンガをダプチ刑務所で考案し、初めに作ったのはリンポチェだと言われているのです。
それほど、そのころ有名だったリンポチェなのです。2002年に亡くなられました。
最近RFAではリンポチェの書かれた自伝が連続的に紹介されています。

ーーー

ゲンラはチベット人としては高齢で病気がちですが、最近は比較的お元気で毎日コルラ(リンコル)しているそうです。

トゥプテン氏は拘留、労働改造所を含め21年間、獄に繋がれていたのです。

以下僧トゥプテン・ツェリン氏の証言です。
詳しいことはすでに「9−10−3の会」からチベット語の自伝が出版されているということで、短めに話して頂きました。

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僧トゥプテン・ツェリン83歳2私は1926年、ラサの北ダムシュンの遊牧民の家に生まれました。

7歳になったとき、ラサのセラ僧院に送られました。
59年に中国が来るまでずっとセラ僧院で勉強や仕事を続けていました。
中国が来た時には私はセラの一つの学堂(セラ・ツェ)の会計係り(チャンズー)をやっていました。

中国軍が攻めてきたので仕方なく我々は抵抗したのです。
もちろん、我々は僧侶であり、一般的には相手に害心を抱いてもいけないことは知っているが、あっちが仏教を破壊するために来たのだ、殺しに来たのだ、守ろうとしただけだった。
しかし、全く手に負えなかった。
法王がインドに逃れられた後、銃弾と砲弾が雨のようにセラ僧院に降ってきた。
逃げるしかなかった。

ラサの東、ペンボ・ルンドゥップまで来て中国軍に逮捕された。
高名なリンポチェも数人その時一緒に逮捕された。
毎日<教育>と言う名の精神的拷問と肉体的拷問が続いた。
2か月後に解放され、村に帰された。

ダムシュンに少しいたが、僧院のことが気になり間もなくしてラサに向かった。
セラ僧院は閉鎖され、私の僧房は無残に破壊されていた。
そのまま、ラサにいたが、自分は嘗てセラ僧院の会計係りであっと、ということで中国から目を付けられていた。
それでなくても、60年から数年の間は、どこにも食べるものが無く、多くのチベット人が餓えて死んでいった。
私もどうやって生きていたのか不思議なほどだが、みんなが助けてくれて生き延びたのだ。

67年、インドに逃れようとした。
しかし、ギャンツェの近くのタンというところで捕まってしまった。
グツァ刑務所に送られ尋問と拷問を受けた。
自分はセラ僧院の会計係りであっと、ということで7年の刑を言い渡された。
刑期が確定した後ウディドゥ刑務所に送られた。
ウディドゥ刑務所の第一監房という政治犯専用の監房だった。

ちょうど、文化大革命が始まったころだった。
毎日、朝は毛沢東語録を暗証させられる。間違えば殴られる。
その後、労働だ。冬と夏には石切場で働かされ、春と秋にはレンガ工場で働かされた。
常に厳しいノルマが課され達成されないときは、リンチされた。

夜は、今度は中国の新聞の勉強をさせられる。
いつも、アメリカ、日本、ロシア、インドの悪口ばかりだ。敵だ、粉砕せよ、ということばかりだった。

食事は全く足りなくて、みんな常に腹を空かせていた、春になり外に草が生えるようになると、みんな競って何でもいいから口に入れていた。

僧トゥプテン・ツェリン83歳3度々タムジン(文革中の集団批判集会)が刑務所内でも行われた。
ここの時はほぼ全員、死ぬほど殴られた。

グループごとに分かれ、仲間を一人一人吊るしあげるのだ。
何でもいいのだ、やらなければ自分がやられる。
逆らえば、死刑も有り得る。
実際私がその監舎にいた間に同じ監舎100人の囚人の内8人がタムジンの結果死刑にされたのだ。
理由というのも、仕事をさぼった、共産党を十分賞賛しない、ダライ・ラマ法王を非難しない、とかいうものだった。

私はほとんど観念していた。
生きて監獄から出れるとは思っていなかった。
ダライ・ラマ法王のお陰でここまで生き延びてきたが、これも私の前世からの因果の結果だ。
ただ、今は耐え。
死んでのち観音の浄土に生まれ変わりますようにと祈るばかりの日々だった。

7年後1972年に刑期は終わった。
しかし、その後もさらに7年間、シャモ(黒帽・反革命主義者の印)とされ、同じウディドゥ刑務所の下にある労働改造キャンプで同じように、石とレンガの仕事をさせられた。

79年に解放された。
毛沢東が死にそのころから、少しだけだがチベットには束の間の自由が戻ってきた。
農地と牧草地がもとの持ち主に返された。
僧院も再開され始めた。
しかし、表向きはそうだったが、実際にはチベット人にはほとんど何も権利が与えられていなかった。

そんな中1987年友人であった、ユーロ・ダワ・ツェリン・リンポチェとともにイタリアのテレビに出ることになったのだ。
それは、イタリアに逃げていた仲間のゲシェがイタリアから撮影班をラサまで連れて来ており、彼にインタビューに出るよう頼まれたからだった。

リンポチェと共に、チベットの現状、監獄の現状について話をした。
もちろん、逮捕されることは判っていた。
それでも顔を出したのだった。

数か月後の7月、逮捕された。
我々の解放をデブンの僧侶たちがデモで訴えたという事は、後にダプチ刑務所に送られ、仲間から聞いて初めて知った。

最初、シトゥ刑務所に留置され尋問、拷問をうけた。
12月にユーロ・リンポチェには刑期10年、私には6年の刑が言い渡された。
ダプチ刑務所に送られ、そこで6年を過ごした。
ダプチ刑務所がどんなところかという話は、他にこのルンタ・ハウスには沢山の経験者がいるから彼らから聞いて知っているだろうから、詳しくはもう話さない。
ひどいとこだった。

僧トゥプテン・ツェリン83歳493年に出所した。
僧院に帰りたかったが、それは許されなかった。
ラサにいたがまた、見張られる毎日だった。
生活にも窮し、97年インドに亡命することを決心した。

ダム経由で国境を越えた。私はその時すでに71歳だった。
険しい山道では度々地元のシェルパに背負ってもらった。
6日間歩いてその後バスでカトマンドゥまで今度は無事に逃げることができた。

ダラムサラに来て法王にお会いでき、もういつ死んでもいいと思っている。
今は静かにチベットに自由が戻ってくる日を願い、祈るばかりだ。

中国はチベットを解放した、進歩させたと言うことばかり言っている。
だが、我々は何かから解放してくれなどの頼んだこともないし、必要もなかった。
昔はもちろん、僧院に入るのも自由、商売をするのも自由だった。
どこに行くにもパスなど必要なかった。
誰であろうと、インドに巡礼にいくことも、ネパールに行くことも、中国に行くことも自由だった。
遊牧民はもちろんどこへでも行けた。
地震があっても家が壊れることもなかったしだ!
今はどうだ、遊牧民は牧草地を取り上げられ、道端で酒を飲んで暮らしている。

中国は、チベットは嘗て乞食ばかりだったという。
確かに乞食のような者もいた。
仕事が無く、食を乞う者はいた。
みんなそんな人にはツァンパを与えた。
しかし、乞食を特別下に見たり、汚れた者だなどとは思わなかった。
誰だって、そういう境遇に会うことはあるからだ。

しかし、今はどうだ、私がラサにいたころ毎年特に旧暦4月にはラサは乞食で溢れるほどだった。
パルコルには途切れることなく乞食が列を作って布施を待っていた。
本当にみじめで汚い乞食ばかりだった。中には中国人もいた。
中国が発展を自慢するなら、なぜこんなにも乞食が多いのか?

毎年こんなにも沢山のチベット人が今もヒマラヤを越えてインドに逃げてくるのはどうしてなのか?
満足で豊かな生活がチベットにあるならどうして、わざわざ危険な道を辿ってチベット人は逃げてくるのか?
中国ほどうそつきな国はないと思う。

監獄の話をしよう。
中国はかつてチベットの監獄ではひどい拷問が行われていたという。
だが、私は自分で見て知っているのだが、中国が来る前にはラサには二つの監獄しかなかった。セラ僧院の近くのナンツェ・シャとポタラの下のシュー・レグンだ。
しかし、この二か所を合わせても囚人は15〜20人ぐらいしかいなかった。
全員殺人犯とか窃盗犯だった。
監獄の監視は厳しくなく、囚人も結構自由に出入りしていた。
拷問道具を中国が見せるが、あれは中国から持って来られたものでチベットではただの見せものだったものだ。

私は毎日RFAのニュースを聞いている。
本当に悲しいニュースばかりだ。
チベットの若い者たちは本当に勇気があると思う。
この世は無常だ、私も老いた、今はもう法王を信じて時が来るのを待つしかない。























rftibet at 19:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

ダライ・ラマ法王サンフランシスコのホームレスに給仕される。

26.4.09 サンフランシスコ ホームレス施設にてC/R AP法王は昨日日曜日、サンフランシスコのもっとも貧困な人々も集まるという<マーチン・スープ・キッチン(カソリック系のホームレス用食堂>を訪れられ、最初にみんなに<パスタ>を給仕する係りをされたそうです。
http://www.tibet.net/en/index.php?id=872&articletype=flash&rmenuid=morenews


26.4.09 サンフランシスコ ホームレス施設にてC/R AP終始ジョークを飛ばされ、みんなをリラックスさせようとされていたとか。

スピーチの中で
「我々の生活は他の人々に依ってある。
私もそうだ。
私の生活は他の人々に依ってある。
あなた達はまだ、人間的社会、人間コミュニティーの中で暮らしているのだ。
どうか、それを幸せに思い、品位を失わないように」と語られた。

26.4.09 サンフランシスコ ホームレス施設にてC/R AP最後に「知ってるか、、、、、私もホームレスなのだよ、、、(ヒヒヒヒヒ、、)」とおっしゃったとか。





rftibet at 14:35|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年04月26日

法王「足るを知ることが大事だ」/新たに青海省マンラで4人に刑期

法王は4月24日金曜日、アメリカに到着するなり記者会見を開かれました。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/the-dalai-lama-says-economic-crisis-teaches-moneys-limit-04252009224330.htmlその時、ある記者が「今の世界の経済危機についてどう思われるか?」と質問したのに答えられ、
「経済的危機にも利点が一つある。
財産・所有物はいくらでも増えていくわけではなくある時点から下降する、
人の欲望には限りがないが、金を稼ぐことには限界がある、と言う事を思い出させてくれる。
つまり、人は幸福を望むなら足るを知ることが大事だということだ」と答えられたそうです。

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830a6819.bmp<中国マンラ(貴南)の裁判所が4人のチベット人に2年の刑期を言い渡す>http://phayul.com/news/article.aspx?id=24544&article=Court+sentences+4+Tibetans+to+2+years+in+jail

phayul,Dharamsala 4月26日:
Voice of Tibetによれば、中国は新たに青海省マンラ(西寧の南西250km)、ルツァン僧院の僧侶4人に2年ずつの刑期を言い渡した。

南インド、デブン僧院の僧侶ケドゥップがVOAに伝えたところによれば、
今年4月10日ごろルツァン僧院から6人の僧侶が逮捕されたという。

判決はマンラ(貴南)県法院が下したものだという。
4人の氏名はケルサン・ギャツォ21歳、ソパ・ギャツォ24歳、ルントック・ギャツォ22歳、スパ・ギャツォ19歳。
あとの二人は解放されたという。

この4人は、今年ロサ(チベットの新年)第一日目にルツァン僧院の僧侶109人がラモ・ヤンジン・ポタンからマンラ県政府庁舎に向かって平和的抗議行進をおこなった時のメンバーである。

この109人は全員逮捕され、惨い愛国再教育を受けさせられたと人権団体は報告する。
3月20日にこの内103人が解放された。残った6人は今月初めに解放された。

(この6人が再び4月10日に逮捕されたということでしょうか?はっきりしません)

これとは別に、同じくルツァン僧院の僧侶タキャ・ギャツォとクンチョック・ギャツォが数日前に逮捕され、現在マンラに拘留されているという。


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関西での羨ましいイベントの紹介です。去年東京でもあったのですね。
全30本はすごいですね!
英語の紹介は昔見たことがあって、その時もヒマラヤ好きとしては非常に羨ましいと思いましたが、すべて日本語になっていたのですね。

ヒマラヤ国際映画祭:温暖化や地域紛争テーマ 京都・神戸で来月8日まで 

http://himalaya2009.jakou.com/

rftibet at 16:45|PermalinkComments(2)TrackBack(0)内地よりの電話 

ラプラン・タシキル僧院から僧侶一人が逮捕される/UCSBにおけるダライ・ラマ法王のお話

TCHRD24日付リリースによれば、
昨日、学生たちのデモが起きたと同じサンチュのラプランで、
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090424a.html

ラプラン・タキシル僧院のケルサン・ギャツォ36歳が4月13日、警察に逮捕されたという。ケルサンは昨年4月9日にラプラン僧院を訪れた外国人記者団の前で中国の弾圧を訴えた僧侶グループのうちの一人であった

逮捕後の行方は不明。昨年同じくその時訴えを行ったタプケとツゥンドゥの行方も解らないままだという。

昨年彼らが勇敢にも外国メディアの前にチベットの国旗を持って躍り出て、事実を訴えたシーンは世界中に流れました。僧侶たちの顔が恐怖と勇気で引きつっていたのを思い出します。

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8b27320d.jpgダライ・ラマ法王がUCSB(カルフォルニア州立大学サンタ・バーバラ校)で約5000人、満員の聴衆を前に話されたことをphayulより抜粋してお知らせします。
講演の題は「現代に向けた道徳」
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24533&article=Dalai+Lama+speaks+to+sold-out+UCSB+crowds

何よりも今回強調されたたことは「普遍的責任感・平等観a sense of global responsibility and equalityの必要性.」であり、
「<我々とか彼ら>という概念はもはや妥当ではない。我々は世界を一つの塊(one entity存在、統一体)、唯我々(just we)と見るべきなのだ」と語られたという。

まず、拍手の鳴り止まない満場の聴衆を座らせた後、
「親愛なる兄弟、姉妹たちよ、、、私が兄弟、姉妹と言うとき、私は本当にそのように感じる、、今、我々に必要なのはこの心だ」

「世界は、地球温暖化から宗教間紛争まで様々な不和に直面しているが、これらの問題は自分達のことしか考えない人々によって作り出されたのだ」

「あまりに多くの人々が物質主義に侵され、所有物や権力に執着する」

「我々の内的価値、心にはほとんど関心が払われない」と語られ、

法王は「人生の中で大事な時期には、常に私は普遍的価値と慈悲を自信と癒しの源として来た」と話された。

「自信が増加すればそれだけ怖れとストレスは減少する。
心が開かれ、他の人々と繋がりを持つことができる。こうして健康的な社会が築かれるのだ」

「一生の間に私はあまりに多くの暴力を見てきた。革命と言う名の暴力もあった」

「お金は彼に慰安をもたらさない。ペットも彼に内的平安をもたらさない。所有物も彼に安楽をもたらさない」

「己に内的平安をもたらすものは自分自身の内的価値、慈悲と寛容の精神のみなのだ」

「我々は社会を変え我々の考え方を変えるための長期的方策を考えなければならない」

等、語られたという。













rftibet at 11:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年04月25日

パンチェン・リンポチェ二十歳の悲しいお誕生日・夜のキャンドルライト・ビジル

25.4.09 パンチェン・ラマ 20歳のお誕生日に解放を願って4月25日、ゲンドゥン・チュキ・ニマ=パンチェン・ラマ11世の20歳の悲しいお誕生日の夜、ダラムサラで行われた、解放要求のキャンドルライト・ビジルの写真です。






議会議長 テンパ・ツェリン氏ツクラカンで集会が行われる前、議会議長と会ったので立ち話で「そういえば、議長、今日の朝、スピーチの中で日本の記者がパンチェン・リンポチェはもう亡くなられた、という話をされましたね。あの日本人の記者はJapan Timesの記者じゃなくて元編集長だそうです。



25.4.09 パンチェン・ラマ 20歳のお誕生日に解放を願ってそれにしても中国の大学の中で行われたパブリックディプロマシー(福島さんのブログで知った新しい単語をいかにも知ってるか?というようにさっそく使った)つまり中国の海外宣伝工作について話し合う会議の中で話したのだから、どうせ、中国側の人間に違いないだろう。証拠も出せないとか言ってるし、まあ、嘘でしょう。
日本人というのは恥ずかしいことだか、、、
中国が彼を使って反応を見るために言わせて見たとかも考えられないことはないですが、、、
反応には気をつけた方がいいということですがね、、、」

と話した。彼は「そうか中国側の人間か、、、」とそう思ってなかった風だった。



25.4.09 パンチェン・ラマ 20歳のお誕生日に解放を願ってところが、彼は再び夜のスピーカーでもあった。
話を聞いてると、パンチェン・ラマ死亡説についてのコメントに全くさっき私が話たことを繰り返したのには少し驚き、、これで良かったのかな、、、と少々不安になりました。





25.4.09 パンチェン・ラマ 20歳のお誕生日に解放を願ってそれにしても、ダライ・ラマ法王がダライ・ラマ法王になられたのは、その仏教的教育によるのだから、ニマ少年にも偽のノルブくんにもまともな仏教教育が与えられているとは到底思えないので(それどころか偽の共産主義教育ばかり受けているので)、結局すでに真のパンチェン・ラマ11世はどこにも存在しないとも言えるでしょう。



rftibet at 21:35|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

パンチェン・リンポチェ20歳の悲しいお誕生日会/ラプランで学生デモ

ウーセル女史のブログより、パンチェン・リンポチェ今日、デモに行かれた方はご苦労様でした。
ダラムサラでは、朝からデモと言うより、祈りの会が連続的に続いています。

その中、気になったのが、新しく3月からカルマ・チュペル氏に代わってチベット亡命議会議長になったテンパ・ツェリン氏がスピーチの中で、「数日前に日本人の島津氏というジャパン・タイム紙の記者が北京の会議において、<パンチェン・ラマはもう亡くなっている>という話をしたらしい。イタリアの新聞に出たようだ。ただ、この報道については今だ真偽が確認されていない。我々は依然パンチェン・リンポチェは囚われたままだと信じ、その解放を要求するのだ」と発言されたことだ。

25.4.09 パンチェン・ラマ 20歳のお誕生日に解放を願って私はこの話が出た時、思わず身体を小さくしてしまった。
事実周りのチベットメディア関係の友人たちが私の方を見て、目くばせしたりした。

恥ずかしいと思ったのだ。
「島津は記者だ」と訂正だけはしたかった。

このニュースは数日前から世界中を駆け巡った。
最初、調べて下さいと連絡を受けた時、「すでに随分前にガンか白血病で死亡している」と言ったと聞いて、それは嘘に決まってる、嘘をつくにももっとうまくつけばいいのに、、、と思いつつも一応知り合いの新聞記者に問い合わせたのですが、返答なしでした。



25.4.09 パンチェン・ラマ 街の張り紙そこは、流石福島様ということで彼女のブログに詳しい報告が載っています。
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/entry/1009115/

この会議が北京で開かれたということは、島津氏が中国側の人間であることは明らかです。
こんな発言を事前に断りなしに話たとは考えにくい。
考えられることは中国が時に使う手で、「内輪の外人記者の類を使って、ある発表をさせ、その反応を見る」という事だが、それにしてもこの人のステータスと信用が足りなかったのか、証拠は何も提示しないということで、イタリア以外のどの国の報道機関もチベット側も彼の発言を無視しています。

^^^^^^^^^^^^^^^

そんなことは別にして、本当にどこで何をされているのでしょう。
チベット人の年老いた知人などは、「これほど完全に一つの情報も出てこないのは、、きっともう亡くなられているということじゃないかな?」と悲しいことを言っていました。
神秘な制度から生まれた神秘な犠牲者二人です。

「ニマは四川省のチベット人地区で普通に暮らし、学校にも通っている」と2007年中国は発表した。

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4月24日早朝サンチュ県ラプランにある「サンチュ中等学校」のチベット人生徒たちが「チベット人として苦難を共にしよう」「平和と自由を」と書かれた横断幕を掲げ、平和的デモを行った。デモはキャンバスから始められ、市街まで行進したという。
http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/310409.html

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24527&article=Tibetan+students+protest+in+Labrang%3a+Update

しかし、間もなく保安部隊に包囲された、というが、逮捕者などの情報は今のところ入っていない。
なぜ、このデモを行ったかについては「学校の中国人枠を増やすことに反対して」というものと、「イドルという者の書いた<ダライラマを非難する>という文献を勉強するようにと、強要されたことへの反感」という説がある。

この学校はラプラン僧院のすぐ近くにあるという。

「中等学校」と言われていますが、英語ではカレッジとなっています。

ちょうど二十歳前後の若者達の姿が写真には写っています。

ひょっとしてストリート・チルドレンにされたパンチェン・リンポチェが誰かに拾われ、育てられ、自分が本物のパンチェン・リンポチェとも知らず、このデモに加わっているとか???
これは、全くの妄想ですが、そんな妄想も湧きそうな話ではあります。

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そうだ、思い出した。昨日のVAの放送の中でワシントンに行ってる首相のサムドン・リンポチェが今回の死刑判決に関連して「中国は少なくとも3月14日に220人は殺した。これは氏名、出身地などのはっきりした者だけの数字だ。本当には300人、400人殺したと言われているが確かめられていないだけだ。
そのことには全く触れられず、チベット人を放火の罪で死刑にするとはどういうことであろうか?」
とおっしゃっていましたが、キッドナップをちゃんと認めている中国共産党が何の咎めも受けないように、ラサの虐殺も公然の秘密(特に日本のメディアとか)と化しているようです。
中国自体が公然の秘密テロリスト国家のようなものです。





















rftibet at 16:28|PermalinkComments(3)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年04月24日

プンツォク・ワンチュクの証言/中国の「国家人権行動計画」

ダラムサラ難民一時収容所・子供の絵まず、最初に一つの証言を報告します。

証言の主、プンツォク・ワンチュク氏は現在9−10−3Movement of Tibetの執行委員の一人で、ルンタハウスに住んでいます。

彼へのインタビューは2002年に行われ、ルンタの高橋さんが纏めて下さったものです。
1999年から2003年まで続いた、ルンタの会報・季刊「ルンタ通信」の2002年第7号に抜粋が載せられたことがあります。

少々長いですが、どうかお読みください。
すべて真実と信じます。
例えば1998年5月1日のダプチ刑務所内での受刑者たちの抗議については他にいくつもの同様の証言を何度も聞いているからです。

すべて真実です。
今も監獄の中の状況はまったく変わっていません。
今も拷問は日常的に行われています。

次に最近中国が発表した「国家人権行動計画」を資料として載せます。

中国の「発表」とか「目標」とかが如何に空疎で、ただ人を騙す目的で作られだ露骨なブラック・ジョークであることが解ることでしょう。

中国はもちろん「真実」も「正義」も十分に知っています。
知らないでその逆の「嘘」は付けないから。
嘘を隠す子供はいつも怯え、自信がないので、ちょっとした真実の指摘に対しても、感情的になり大袈裟に反応してしまう。
一回ついた嘘を守るためにはその先どもまでも、嘘をつき続けなければならなくなる。
罪は隠され続ける。

早く誰か、その子を楽にしてやってほしい。
でないと、これからも何億もの人々が苦しめられることになるから。


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ダラムサラ難民一時収容所・子供の絵2<プンツォク・ワンチュクの証言>

私は、1973年にチベットの首都ラサの南に位置するロカ地方の村で生まれました。両親は農業を営んでいます。家は決して裕福な方ではありませんでしたが、14年間も学校に通わせてもらいました。村のほとんどの子供たちが2年か3年しか学校に通えない状況の中、両親は教育の大切さを身に染みて知っていたのでしょう。私は村では珍しく、21才まで教育を受けることができました。大変ありがたく思っています。学費を工面してくれた両親のことを思うと今でも胸が痛みます。もう何年も会っていませんが、元気にしているでしょうか。

14年間も受けた教育ですが、チベットに何が起きたのか、という真実の歴史を教えてもらうことはありませんでした。ダライ・ラマ法王のことや仏教のすばらしさ、そして中国政府がチベットにどんな残虐なことをしたのか、そういったことには全く触れられないまま、私は随分と長い間学校生活を送りました。チベットに何が起きたのか、真実に初めて触れたのは、17才のときでした。ある教師が、自分の部屋に何人かの生徒を集め、チベットにこれまで何が起きたのかを自分の体験を通して語ってくれたのでした。当局に見つかると逮捕されるような行為でした。信頼のおける生徒だけが選ばれ、教師は中国の残虐行為について詳細に語ってくれました。その日を境に、私は変わっていきました。チベットの自由を再び手にするために、自分ができることを何かしなければという思いは年を重ねるごとに強くなっていきました。

1994年のことでした。仲間や教師たちと一緒に独立要求のポスターを500枚ほど刷り、村中に貼りました。数日後の6月25日、明け方3時頃、7人の警官が突如学生寮に押し入り、私を含めた4人の生徒と二人の教師を逮捕しました。あっという間の出来事でした。私たちは村の公安警察署に連行され、厳しい尋問と拷問を受けました。3人の生徒たちが2週間で釈放され、続いて2人の教師たちも2ヶ月で釈放されましたが、私は今回の「国家反逆罪」の首謀者として、村の留置所に6ヶ月拘留されたあと、5年の懲役刑を受けました。刑が確定すると、1994年12月1日にラサのダプチ刑務所へと移送されました。そこでは、政治囚が収監されている第5棟に入れられました。ダプチ刑務所には当時全体で1600人の囚人が服役していましたが、そのうち290人が政治囚でした。また、女性の囚人たちは第3棟に収監されていました。

◆ ダプチでの生活

ダプチ刑務所では、ビニールハウスでの野菜栽培の仕事が割り当てられました。それぞれ厳しいノルマが課せられ、達成できない場合は、拷問を受けたり、独房に入れられたり、また囚人たちが何よりも楽しみにしていた月に一度の家族との面会を禁止させられたりしました。ビニールハウスでの作業のほかにも、刑務所内の改装や建設工事の作業をしなければなりませんでしたが、そのなかでも政治囚の私たちは、一般の刑事囚よりも重労働があてがわれました。作業中は常に看守の厳しい監視の下におかれ、割り当てられたすべての仕事を終えるまで、食事を摂ることさえも許されませんでした。一日の終わりには、重たい石などを一時間以上休みなく運んだりするような重労働のため、背中の皮がすりむけ、赤く腫上がっていた囚人もいました。

1995年3月になると、こうした労働はなくなり、代わりに一日中軍事訓練が行われるようになりました。それは今までの看守に代わって、人民軍事警官の監視の下で行われました。訓練の内容はジョギングや行進が主でしたが、暑い日の照りつける中、一日中意味もなく立たされたり、50回以上ものスクワットを立て続けにやらされたりすることもありました。訓練の途中で休んだり倒れたりすると、人民軍事警官から棒やベルトで殴られるのです。時には罰として一日中食事を与えられないこともありました。極度の緊張状態が続くため、労働よりも何倍も辛いものでした。

1988年ラサ、デモ C/R 9−10−3◆ 友人たちの死 

1996年2月28日、すべての囚人と看守たちが集まる毎年恒例の集会がありました。この集会では、看守たちが一年を通してそれぞれの囚人がどのように働いてきたか、そして態度はどのように変わったかを報告することになっています。看守たちはここぞとばかりに政治囚たちを激しく非難し、責め立てるのが常でした。この日のミーティングでは、私を含め、プチュン、ティンレー・ガワン、サンゲ・テンペルの四人が日頃の態度が悪いとして槍玉に挙げられました。プチュンとティンレー・ガワンの二人はミーティングの最中に激しく殴られ、そのまま独房に入れられました。私とサンゲ・テンペルはミーティングの終わった午後三時に改めて呼ばれ、別々の尋問室に入るように言われました。尋問室では、看守からひどい剣幕で怒鳴りつけられました。
「お前の態度は何だ。このダプチ刑務所に入所してから、自分の態度がどのように変わったのかをここに書け」
もちろん書くことなどありません。「何も変わっていません」とだけ書きました。
「変わっていないというのか。だったら、なぜ変わっていないのか、その理由を言え」
看守はさらに声を荒げましたが、私は静かに返事をしました。
「私は何ら咎められるようなことはしていません。それなのに、自分はこうしていわれもない罪を償わなければなりません。中国政府が私や他のチベット人たちに対して人権侵害という罪を犯し続けているのではないですか。態度を改めるべきは私ではありません。中国政府の方だと思います」
すると直ちに看守が私の足を蹴りつけて、床に倒すと首の後ろを『ダユック』で激しく殴りつけました。ダユックはホースの中に砂を詰めたもので、拷問道具として刑務所で使われているものです。殴られて私は気を失いかけましたが、その間も看守は殴る手を止めませんでした。朦朧とする意識の中で、まわりの看守たちがサンゲ・テンペルのことについて話し合っているのを耳にしました。それは彼をどのように拷問するのが一番よいだろうか、というぞっとする内容でした。散々殴られた後、私は独房に入れられました。独房の中でもサンゲ・テンペルのことが心配でなりませんでした。

暗闇の中で10日を過ごした後に再び尋問室に呼ばれ、長時間、尋問と拷問を受けました。翌日、再度尋問室に連れ戻され、拷問を受けた後で刑務所長への手紙を書かされました。
「私はまともな教育を受けたことが無い者です。チベットが長い間独立国であったと信じています。どうか、チベットが中国の一部であったという真の姿を教えてくれる先生を派遣してくれないでしょうか。お願いします――囚人プンツォク・ワンチュクより」
屈辱的なことでしたが、私にはもう逆らう気力も残っていませんでした。独房の中で一人、わずかな食事に耐え、寒さに身を震わせながら、私はチベットの仏教修行者ミラレパのことを思い起こしていました。ミラレパは着の身着のままで、イラクサを食べ、人里離れた山中で何年も瞑想をした仏教行者です。彼が耐えた修行を思い、私はミラレパに対する強い信仰心を起こしました。

一ヵ月後にようやく独房から出ることができ、監房に戻ると仲間たちが暖かく迎えてくれました。けれども、変わり果てたサンゲ・テンペルの様子をみた途端、涙が溢れて止まりませんでした。温和な僧侶だった面影はどこにもなく、顔が紫に変色して腫上がり、誰だかわからないほどです。仲間からサンゲ・テンペルに何が起きたかを聞かされ、私は心が砕かれるような思いがしました。彼は何を聞かれても沈黙を通し、看守らに一切協力をしなかったらしいのです。するとダユックで顔を散々打ちつけられ、タバコの火を顔に押し当てられました。続けて看守が二人がかりでサンゲ・テンペルを押さえつけ、体のあちこちを殴り続けました。サンゲ・テンペルが耐え切れず床に倒れると、今度は足で背中を踏みつけ地面に体を押しつけて、ダユックで滅多打ちにしたのでした。監房に戻されたときには、サンゲ・テンペルは返事もできないような状態でした。同室のロプサン・ゲレックが看守にサンゲ・テンペルを病院に連れて行ってくれるよう懇願したのですが、逆に看守からダユックで激しく殴りつけられたとも聞きました。

二ヶ月経っても、サンゲ・テンペルの容体は回復しませんでした。何度も頼んでも、病院で治療を受けることは許されません。そして5月5日の夜中のことです。サンゲ・テンペルは昏睡状態に陥ってしまったのです。同室の者たちは大声をあげて、サンゲ・テンペルを病院に連れて行ってくれるよう、看守に懇願しました。看守たちはいよいよサンゲ・テンペルが死ぬかもしれないと、その状況の深刻さに気付いたのか、ようやく病院に連れて行くことに同意しました。それから数時間後、彼は満足な手当ても受けられないまま病院で亡くなってしまいました。死後の鳥葬の際に分かったことですが、サンゲ・テンペルの遺体は激しい拷問のために肋骨がいくつも折れていたそうです。

すぐにでも病院で手当を受けていれば、命を落とさずに済んだかもしれないのにと私たちは大変悲しみました。このあまりにもひどい仕打ちに、サンゲ・テンペルの家族のためにも何かをしなければと、以下の内容をしたためた嘆願書を刑務所長に送りました。
「刑務所内のミーティングで全囚人に対してサンゲ・テンペルの死を公表し、その死因を明らかにし、そして政治囚の全員が葬儀に参加できるように取り計らって欲しい」

しかし、当局からは何の返事もないまま、5月8日に刑務所長のみが鳥葬に参列し、葬儀はひっそりと執り行われてしまいました。11時に、第5棟のみで行われた集会で、刑務所長はサンゲ・テンペルの死について冷たくこう言い放ちました。
「サンゲ・テンペルは脳内出血が原因で死亡した。慢性疾患であり、病院ではなす術がなかった。したがって中国政府は彼の死に対する一切の責任はなく、またこの決定に対して反論をしたものは厳しく罰せられるであろう」
こうして、私たちの要求は何一つ受け入れられることなく、サンゲ・テンペルの死は闇へと葬られてしまいました。あんなに辛い状況の中でも周りの人々への気遣いを忘れたことのない優しい僧侶だったのに、悔やんでも悔やみきれません。

こうして刑務所で亡くなってしまった友人は彼一人ではありません。激しい拷問の末、その次の日に亡くなったデプン寺の僧侶ケルサン・トゥトップ。そしてやはり拷問の結果、病に伏し、病院での手当てもろくにうけられないままなくなったデチェン・サンガック寺の僧侶パッサン・ダワ。二人とも、サンゲ・テンペルと同様、死因は明らかにされず、家族には自殺や病気で亡くなったと伝えられました。家族は一体どんな思いで遺体を引き取ったのでしょうか。

ダラムサラ難民一時収容所・子供の絵3ダプチ刑務所でのシュプレヒコール

1998年5月1日はメーデー(労働節)です。私たち囚人は全員刑務所内の広場に集められ、中国国旗の掲揚をせねばなりませんでした。中国国旗が揚げられるのに合わせて、中国国歌を斉唱するのです。メーデーは共産党にとって大切な日でした。静粛に執り行うために、看守たちも目を光らせていました。厳粛に国歌が歌われている中、突如としてカルマ・ダワとソナムが立ち上がり、独立要求のパンフレットを撒きながら、「チベットに自由を!」と叫び始めました。その声に共鳴するかのように、広場の人垣のあちこちから「チベットに自由を!」と叫ぶのが聞こえました。政治囚だけではなく、刑事囚も一緒に叫んでいました。誰も予期していなかったことでもあり、また大人数が一斉に叫んだため、看守たちもすぐに反応することができず、私たちはそのまま「チベットに自由を!」と叫び続けました。一時間近くも叫んでいたでしょうか。ようやく事態を収拾した看守たちにより、囚人たちのほとんどがそれぞれの監房へと戻されました。私たち第5棟の政治囚たちは、建物内に戻されたものの、監房ではなく入り口の床に座らせられました。そこで6人の囚人が殴られ、独房へと連れて行かれました。このときにシュプレヒコールを最初に叫んだ2人の囚人は、刑期を9年も延ばされました。

3日後の5月4日、国際ユースデイの朝、看守たちは再び国旗の掲揚と国歌斉唱をさせるために、60人の政治囚を含めた総勢400人の囚人を中庭に集めました。周りには人民軍事警官が配置されており、さらに門の外にはトラック4台分の武装兵士が待機していました。他にも、刑務医や清掃員といった者たちまでが金属棒や電気棒などを手にいました。午前10時になると国歌が流れ、国旗掲揚がはじまりました。そのとき、ナクチュのカマル寺の僧侶ロプサン・ゲレックが一歩前に出ると、右手を高くあげ、大きな声で堂々と叫びました。
「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王万歳!」
ほかの囚人たちも直ちにロプサン・ゲレックに加わり、再び大きなシュプレヒコールが起きました。人民軍事警官は空に向けて銃を放ち、それを合図にしていたかのように外で待機していた兵士たちが中庭に一斉に入ってきました。600人もの警官や兵士たちが声を上げた約100人の囚人たちを囲み、鉄パイプや電気棒で激しく殴りつけたのです。恐ろしい光景でした。

看守たちは15台ものビデオカメラで私たちの顔や行動をすべて記録していました。それを証拠として、その後、かなりの数の囚人が独房にいれられ、グツァ拘置所やサンイップ刑務所に輸送され、そこで尋問されました。シュプレヒコールが収まると、私たちはひとまずそれぞれの監房に戻され、外から鍵をかけられました。私たちは一様に興奮しており、気持ちをなかなか収めることができませんでした。その日の午後2時頃のことです。ロプサン・チョペルがトイレで首つり自殺を図りました。残された遺書には「私は600万のチベット人のために死ぬ。どんなことがあっても絶対に中国国旗に敬礼などはしたくないのだ」と書かれていました。そして、そこにはダプチ刑務所の仲間たちと来世で再び会いたい、という一文がありました。最初に遺体を発見したのは彼と同室だったロプサン・ダワでした。ロプサン・ダワの泣き叫ぶ声で仲間がトイレに駆けつけ、変わり果てた姿のロプサン・ダワを目にするや否や、第5棟は再び混乱に陥りました。私たちは
「ロプサン・チョペルは中国人に殺されたのだ!」
と叫びました。部屋から出ることができない者たちもドアの鉄格子から拳を出し、叫んでいました。看守たちは発砲して脅したが、それでもひるむことなく、看守に向かってシャツを脱ぎ捨て「打てるものなら俺の胸をうってみろ!」と叫ぶ者もいました。

私たちは一人づつ呼び出され、5人から6人の兵士たちによって袋叩きにされました。水を床にまき、その中に立たせられると、電気ショックが与えられました。中でもリンジン、ツェワン・ドンドップ、ガワン・ツォンドゥ、ドンドル、ロセルの5人がひどく殴られました。特にドンドルは二時間にわたって、歩くことができなくなるまで殴られました。またガワン・ツォンドゥとリンジンは鉄パイプでひどく殴られ、大怪我を負い、病院に運ばれました。

第5棟には、当時72歳だったタナク・ジグメ・サンポという政治囚がいました。小学校の教師だったジグメ・サンポ氏は、1960年から約30年もの月日を刑務所や労働キャンプで過ごした老人で、1983年から懲役28年の刑を受けてダプチ刑務所で服役していました。仲間たちから大変尊敬を受けていました。ジグメ・サンポ氏は、状況を説明し冷静な対応を看守に懇願したのですが、それを聞いて逆上した看守はジグメ・サンポ氏を殴り倒したのです。とっさにダワがジグメ・サンポ氏をかばおうしましたが、彼も殴りつけられました。

この騒動の最中にガワン・スンラップとジグメの二人が銃で撃たれました。そしてその日の夜から朝方にかけて、デモに参加した囚人たち全員を順番に呼んでは殴り続けたのでした。しかし翌日、もっとひどい仕打ちが私たちを待っていたのです。

拷問道具 C/R 9−10−3◆ 拷問、そして自殺未遂

翌日、私は再び呼び出されました。看守たちは、私を刑務所内の作業場に連れていくと、両足を縛りました。無意味な質問が繰り返され、その間私の首は声が出せないほどロープできつく縛られていきました。質問が終わり、ロープが緩められましたが、私はなにも答えませんでした。すると看守は私のズボンからベルトを抜き取り、それがちぎれるまで激しく殴り続けました。そして、考え直す時間を15分だけ与えるといって私を監房にもどしました。15分後、彼らは再び戻ってきて私を別の部屋につれていき、今度は動けないように全身を木の板にくくりつけました。そして薄暗い部屋にうつぶせに寝かされ、拷問が始まりました。この時点で、私はこの部屋から生きて帰れないのではないかと、死を覚悟していました。そして何を聞かれてもただ「チベットに自由を!」と繰り返し叫び続けました。看守たちは私が気を失うまで鉄パイプで何度も何度も殴りつけ、気を失ったところに水をぶちまけて、体中に電気棒を当てて電気ショックを加えました。口の中や鼻、ついには性器にまで電気棒を当てられ、苦しさのあまり声もでませんでした。それでも私は意識が回復するたび、必死に叫び続けました。そして拷問が終わると独房に入れられました。その夜、のどの渇きをおぼえ、コップに手を伸ばしたのですが、あまりの寒さと痛みで、水を飲む前に気を失ってしまいました。暫くして意識を取り戻すと、やっとの思いで水を飲むことができましたが、同時に胃の中のものを全部吐き出してしまい、その上に倒れこんで再び意識をうしなってしまいました。薄れていく意識の中で、看守が殴りつけながら吐きつけるように言っていた「今お前のおかれている状況は全部、お前のしたことに対する当然の報いなのだ」という言葉が再び聞こえました。チベットでは、自由を求めた報いとはこんなに残酷なものなのでしょうか。

次の日の朝、独房の小窓から薬が投げ込まれましたが、それを飲みこむことすらできないまま、独房の床に横たわっていました。ほとんど反応しない私をみて、さすがに看守たちも緊急を要すると判断したのか、私を独房から引きずり出すと、病院に移送しました。私の耳はまったく聞こえない状態で、4日間は目も見えませんでした。そのまま病院のベッドで一ヶ月間寝たきりの日々を過ごしました。

一ヵ月後、体はまだ完全に回復していなかったのですが、退院の手続きが取られ、再びダプチ刑務所へ移されました。看守たちは、再び私が政治的な活動を行わないようにと今までの第5棟の監房ではなく、刑事囚たちがいる棟の監房に移しました。そして囚人たちに私を見張るように命じました。体が完全に回復していないのに関わらず、何度も部屋から連れ出され、尋問室で拷問を受け続けました。その度に5月4日の抗議計画への関与を否定し続け、チベットの自由を叫び続けました。次はいつ呼び出されるかと看守の足音にも脅え、いっそ死んでしまったほうがどんなに楽だろうかと思うようになりました。来世にいかなる生き物に生まれようとも、これ以上の苦しみや地獄は味わうことはないはずです。

7月11日、私は自殺をはかりました。常に同室の囚人たちに監視されていたため首をつることはできず、また薬を入手することもできなかったため、こっそり手に入れた4本の針と、インクのビンを割って集めたガラス片を飲み込みました。その夜、一晩中、体が引き裂かれるような激しい苦痛に襲われ続け、朝が来ると大量の血を吐きました。それを見た囚人たちは直ちに看守たちを呼び、私は病院に運ばれました。死ぬことはできませでした。

ひどい拷問を受けたのは私だけではありません。この5月に起きたシュプレヒコールの後、2人の政治囚が拷問のため亡くなりました。ガンデン寺の僧侶ガワン・テンキョンは5月6日に病院で息を引き取りました。ガンデン寺の僧侶ケドップも亡くなりました。彼は後ろ手に縛られ吊るされたまま何時間も殴られ、両肩が折れるまで殴られました。病院に運ばれることもなく、そのまま刑務所で亡くなりました。そして21人の囚人が1年から5年の刑期延長を言い渡されたのでした。また、5人の尼僧も亡くなりました。尼僧の遺体を引き取りに来た家族には「自殺」したと伝えられたそうです。

ダラムサラ難民一時収容所・子供の絵4◆  釈放

1999年6月16日の朝、ついに5年の刑期を終える日を迎えました。私は事務所に呼ばれ、刑務所長から3時間にわたって中国政府の方針や歴史観について聞かされました。
「お前もずいぶんこの刑務所で学んだだろう。最後に5年の刑期の間にいかに態度を改めたか、そしてチベット自治区についてどのように考えを変えたか言ってみろ」
刑務所長は自信満々のようでした。釈放の日であるわけですから、普通ならばチベットは中国の一部ですと答えるべきだったのかもしれません。でも私はそうは答えませんでした。
「私の考えは少しも変わりません。チベット自治区は中国の支配下にあるべきではありません。争いを通して自由を勝ち取るのではなく、ダライ・ラマ法王がおっしゃるように対話と非暴力を通してチベットの自由を勝ち取らねばならないと思っています」
刑務所長はそれを聞くと顔色を変えました。
「チベットの独立はあり得ない。そんなことよりも自分の人生のことを少しは考えろ。釈放されるのだから、今後は態度を改め、そして今後二度と刑務所に戻らないように行動するように。さもなければ次はここで死ぬことになるだろう」
そう警告すると、私を殴りつけました。そして監房に戻り、出所する準備をするようにといわれました。やっと釈放されるときがきたのです。監房をでて、第5棟の建物のドアから出て歩き、刑務所のゲートに近づいたとき、ゆっくりと後ろを振り返りました。すると仲間たちが第5棟の窓から大きく手を振っているのが見えました。それはあまりにも辛い光景で、私は溢れる涙を止めることができませんでした。

釈放された後の9ヶ月を故郷のロカ地方の自宅に戻って過ごしました。釈放されたといっても、静かな日が待っているわけではありませんでした。公安警察は毎週のように家に来ては、理由も言わず家宅捜査を始めたり、私だけでなく家族にまで尋問をしたりしました。家族に迷惑を掛かるのを避けるために、実家を離れてラサの友人宅に身を寄せていたのですが、再逮捕の危険を感じて、ついにチベットを離れる決心をしました。2000年10月30日、ラサを発ち、車でネパール国境まで向かい、国境からは歩いてネパールに入りました。ネパール人になりすまし、中国側の検問はなんとか通過できましたが、ネパール側の検問でつかまり、そこで5日間留置されました。幸運なことに国連難民高等弁務官の助けを得ることができ、留置所から釈放され、無事にインドのダライ・ラマ法王が住む町、ダラムサラまでたどり着くことができました。2000年12月4日のことでした。その3日後には、ダライ・ラマ法王にお会いすることができました。まるで夢のような出来事でした。

今はこうしてダプチ刑務所から出て、インドで自由に暮らしていますが、決してダプチ刑務所は過去のことになってしまったわけではありません。拷問の後遺症のために、右足首が曲がらず、杖がなければ歩くこともままなりません。腰痛もあります。大きな音には敏感に反応してしまいますし、そして、今でも毎晩のようにダプチ刑務所の夢をみるのです。



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Lhasa 1989 C/R 9-10-3中国が初の「国家人権行動計画」を発表…09−10年

2009/04/13(月) 18:32

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0413&f=politics_0413_010.shtml

  中国国務院は13日、同国初の「国家人権行動計画」を発表した。2009年から10年にかけて、社会の各分野における人権問題で、政策上の具体的な行動目標を定めた。原文は約2万2000文字の長大なもの。以下は、その要旨。

●前文
  人権の十分な実現は、人類が長期にわたり追い求める理想だ。中国人民と中国政府は、長期にわたり、この目標のために奮闘努力する。


■中国政府は、人権問題に関する仕事を不断に推進する。

・就業の権利
  2009年から10年にかけて、国家は国際的な金融危機の負の影響を除去するために努力する。就職促進法を実行し、都市部における高等教育機関の卒業者と農民工(※)の就業問題を重点的に解決する。(※:現金収入を得るため、都市部に出て臨時工や契約従業員として働く農民)

・基本的生活を営む権利
  全国の住民、特に低収入層の収入を徐々に向上させる。最低生活保障制度を完全なものにし、基本的水準の生活を営む住民の権利を守るべく努力する。

・平等に教育を受ける権利
  義務教育、農村部での義務教育事業を優先させた上で、職業教育や高等教育のレベルの向上に注力する。校外教育の推進に一層努め、国民が平等に教育を受ける権利を保障する。

・医療と衛生の権利
  全国で基本的医療衛生制度の枠組みを作る。中国を全住民の基本的医療衛生保険制度が確立した国家のひとつになる。

・震災から復興の権利
  中国は2008年に発生した四川大地震の被災地域の復旧を、3年間をかけて重点的に行う主要任務と決定した。2010年までに被災者住民の生活水準を復旧、あるいは地震発生前以上に引き上げる。全員が住居を持ち、仕事に就けることを保障する。

・環境に関する権利
  環境に係る法治主義を強化し、大衆の権利を保護する。違反企業の閉鎖を進め、大衆の健康を保障する。違法行為や事件は厳しく処罰する。

・農民の権利と古関
  都市と農村の戸籍の二重構造の打破に努める。「新農村」の建設を進め、農民の合法的権利を守る。戸籍制度の改革を進め、農村から中小都市への戸籍の移転の条件を緩和する。

■住民の権利と参政権の保障

・秩序ある政治参加の権利
  各階層、各分野における住民の政治参加を、秩序をもって拡大する。住民の参政権を保障する。

・意見発表の権利
  報道・出版事業で各種のパイプを整備する強力な措置を講じ、住民の意見発表の権利を保障する。

ダラムサラ難民一時収容所・子供の絵6・自白強要の厳禁と慎重な死刑執行
  刑事事件捜査での自白の強要、違法な身柄拘束を厳禁する。死刑執行は厳格に制限し、慎重に実施する。死刑判決までの、審査過程を順守し、再審査の手続きを完成させる。法執行と司法の監督のメカニズムを確立し完成させる。

・身柄拘束者の権利と人道的扱い
  身柄拘束者の取り扱いを監視する法を完成させ、その権利の人道的扱いを保障する。

・公正な裁判を受ける権利と国家補償の見直し
  裁判の合法性、速やかな進行、公正な審理について有効な措置を講じる。裁判でのはっきりとした事実の認定、疑いのない証拠の採用、審理進行の合法性を保証する。国家賠償法の改正を行い、賠償請求者と請求可能な事案、賠償義務を持つ公的機関の範囲を拡大する。賠償までの手続きや算出法も改正する。国民及び法人、その他の組織が国家賠償を請求できるようにする。

・国家機関・関係者を批判する権利
  国民が国家機関と関係者を批判、提案、告訴する権利を保障する。団体、社会組織、メディアに、国家機関と関係者を監督する機能を発揮させる。


■少数民族、女性、児童、高齢者、身体障害者の権利

・家庭内暴力の防止と女性の権利
  女性に対する一切の家庭内暴力を禁止する。予防、制止、保護が一体化した家庭内暴力に対抗するためのメカニズムの設立を探究する。

・国家公務員中の女性の割合
  市以上のレベルの地方政府で、女性公務員の比率を向上させる。5割以上の省・市レベルの行政区画で、トップを女性にする。

・少数民族の政治参加の権利
  少数民族の、民族自治地域の行政と国政への参加を拡大する。全人代の代表(議員)に、55の少数民族がすべて含まれるようにする。人口が特別に少ない民族でも、最低1人の代表を出すようにする。

・児童の権利、胎児の性別判定の厳禁
  「全国児童発展綱要(2001−2010年)」が定めた目標を完全実現させる。「児童の権利を最大に」との考えにもとづき、児童の生きる権利、成長する権利、社会参加の権利を保障するよう努力する。(遺伝病などに絡む)医学的な理由以外の胎児性別の判定と性別にもとづく人工中絶を禁止する。児童の養育放棄などの犯罪行為を厳重に取り締まる。(編集担当:如月隼人)




rftibet at 11:50|PermalinkComments(5)TrackBack(0)その他 

2009年04月23日

中国はオバマ氏に法王と会わないようにと警告

cd7eaaac.JPG昨日の成田での記者会見のとき、法王は「今年秋アメリカを再度訪問するとき、オバマ大統領と会えることを期待している。もちろん中国は二人の間のいかなる接触にも反対するであろうが」とおっしゃいましたが、(以下の最後の段落)
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24517&article=Dalai+Lama%3a+China+riot+ruling+political

今日は早速中国様が「会うな」とおっしゃいました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24524&article=Don't+meet+the+Dalai+Lama%2c+China+tells+Obama
定例記者会見の席上、中国の外務省報道官ジャン・ユは「我々は如何なる国の中であろうと、ダライが、如何なる規模であろうと、如何なる名目の下であろうと、行う分裂主義的活動に強く反対する」とコメントした。

彼女(ジャンは女性)はアメリカに対し「約束を守りなさい。そしてダライがアメリカの中で分裂主義的活動を行うことを許してはいけません」と中国は要請したと語った。

ーーー
この約束というのは、二月に国務長官ヒラリー・クリントン女史が北京に行った時「アメリカは人権問題を北京との協力関係の障害としない」と言ったことでしょう。

チベット亡命政府はすでにアメリカ政府に会談を申し入れているそうですが、結論はもちろんまだ出ていないようです。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/will-obama-meet-with-nemesis-of-china-the-dalai-lama-04212009221712.html

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以下、イベントの紹介です。ダラムサラから日本のイベント紹介するというのも何だかな、、、ですが、友人・知人が関わっているものばかりなので敢えてお知らせします。

まず、長野より。
あの貞兼さんのトークが聞けるというイベント。

「チベットウィーク2009春 in 長野実行委員会」スタッフの田中様からのお知らせ

【1.映画上映会】
  「雪の下の炎」
 上映日時:4月26日(日)17:00〜
 会場:長野市生涯学習センター TOiGO WEST 4F大学習室1(長野市大字鶴賀問御所  町1271番地3)
 入場料:¥1,000

こちら「雪の下の炎上映」後の、トークゲストが決まりました。
チベット民族学者の貞兼綾子さんがお越しくださいます。

みなさま、どうぞお誘い合わせのうえ、ご参加ください。

チベットウィーク2009春 in 長野実行委員会
tibetweekinfo@gmail.com

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次も長野、原田美由樹様より。

4月29日に長野市トイーゴで「Undercover in Tibet」の
上映会(主催 SFTJ TEAM TIBET Nagano)があります。


若里リンカ【4.26チベットデー】
期日 4月26日13:00〜16:30(小雨決行)
場所 長野市若里公園 芝生広場
主催 主催FreeTibet Nagano
http://tibet426.naganoblog.jp/e201146.html主なプログラム 
・チベットサポート写真展(あおぞらねこみみ写真展)
・チベット青空ミニ図書館
(展示物)

・ダライ・ラマ法王事務所「チベット希望の鏡」配布
・チベットの子ども達の書いた絵の絵本配布
・チベットステッカー配布
・缶バッジ製作
・ダライラマ14世の「NEVER GIVE UP(イラスト付き)」の配

・南モンゴル漫画配布
(配布物)上記はいずれも数に限りがあります。
 また若干の募金を申し受けています。よろしくお願いします


・PEMSI third album「My way」販売
・DVD「ヒマラヤを越える子ども達」販売
・本「受難と祈り」販売
・本「たぁくらたぁ」販売
・SFTグッズ販売
・カフェずくなしお弁当販売
(販売物)

などを予定しています。


 また4月29日には「Undercover in Tibet」の上映会をします

「Undercover in Tibet(チベット潜入取材)」
イギリスchanneel4の3ヶ月に及ぶチベット潜入取材によって
撮影された映像の日本語字幕版です。
期日 4月29日(日)14:00〜
会場 トイーゴ 第2学習室
参加費 500円
事前申込み不要

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次も長野の飯島俊哲様より。

> ‖腑船戰奪蛤>
> 5月7日(木)〜5月11日(月)>
>
>
> 西方寺> 所在地:長野県長野市西町1019
> TEL:026-237-2707
> URL:http://www.saihouji-nagano.com/index.html
>
>
>
> http://www3.ocn.ne.jp/~kaizenji/tibet-fes.html
>
> http://www.saihouji-nagano.com/
>
>
>
> 【HPアドレス】
>
> http://www3.ocn.ne.jp/~kaizenji/tibet-fes.html
>
> http://www.saihouji-nagano.com/
>
> 【イベント趣旨説明文 タイトル】
> 『大チベット祭』
> 〜ダライ・ラマ法王猊下、金銅釈迦牟尼仏、善光寺ご奉納記念〜
>
> 今、チベットの文化から学ぶ、人間のやさしさ、心の平和
>
> ダライラマ法王より善光寺に奉納された金銅釈迦如来像。
> その輝きは、仏教の絆で結ばれるチベットと日本の深い友情の証。
> この度、私たちの深い絆を一層確かなものにする願いを込めて、
> 長年チベット仏教との交流を深める善光寺大門の西方寺において、大チベット
祭が開催される運びとなりました。
> 期間中、チベット仏教屈指の名刹タシルンポ寺より、多数の僧侶が西方寺を訪
れ、チベット仏教の奥義である砂曼荼羅の建立、
> チベット式の護摩法要、愛と平和の瞑想指導、そして圧巻のチベット僧院仮面
舞踏「チャム」の公演を実施。
> 同時にチベット文化に触れる様々な文物の展示、写真の紹介、映画の上映、そ
して興味深い関西発「チベット落語」の公演など、充実の企画が盛りだくさん。
> 皆さまのご来場を、心よりお待ちしています。
>
> 【日時】
> 5月7日(木)〜5月11日(月)
> ※詳細日程はこちらをご参照ください。
> URL:http://www3.ocn.ne.jp/~kaizenji/tibet-fes.html
>
> 【会場】
> 西方寺
> 所在地:長野県長野市西町1019
> TEL:026-237-2707
> URL:http://www.saihouji-nagano.com/index.html
>
> 【費用】
> 入山無料(チベット護摩・砂曼荼羅・チャムへは無料でご参拝いただけます。

> ※護摩祈祷礼、西方寺特別法要、写経奉納、瞑想にご参加希望の方は御寄進を
お願いいたします。
> ※有料企画として、映画鑑賞500円、チベット落語観覧2000円となりま
す。こちらをご参照ください。
> URL:http://www3.ocn.ne.jp/~kaizenji/tibet-fes-cost.html
>
> 【内容】
> イベント内容詳細はこちらをご参照ください。
> URL:http://www3.ocn.ne.jp/~kaizenji/tibet-fes-detail.html
>
> 【主催】
> 西方寺
> URL:http://www.saihouji-nagano.com/
>
> 【後援】
> 善光寺
> URL:http://www.zenkoji.jp/
>
> ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス)
> URL:http://www.tibethouse.jp/home.html
>
> 【協力】
> チベットの風
> URL:http://www.geocities.jp/windoftibet/
>
> 「チベット大好き」の会
> URL:http://tibet-daisuki.at.webry.info/
>
> 【募集】
> 大チベット祭でのボランティアスタッフを募集しています。
> 是非ご協力ください。
> 〔問い合わせ:チベットの風〕
> 090−4951−0018
>
> 【問い合わせ先】
> 大チベット祭実行委員会
> 事務局:西方寺
> TEL:026-237-2707

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キャンドルナイト@TERRAの梅野嬢より

タイトル:
ニチャン・リンポチェ師によるチベット瞑想伝授会

 慈悲のエッセンス・「トンレン」の瞑想
開催日:5月16日(土)午後6時30分〜8時30分
会場:ほびっと村学校
    住所:杉並区西荻南3−15−3
    http://www.nabra.co.jp/hobbit/

会費;3000円


問い合わせ、予約先:電話03−3332−1187
     メ−ルhobbit@ea.mbn.or.jp (16日予約の件名で、お名前、連絡先
明記の上お申し込み下さい)
必ず、予約して下さい。

内容:
フリ−チベットを願う皆さん、慈悲のエッセンスを学び、慈悲の光をチベット、
中国、に届けましょう!
「トンレン」とは何でしょう?それは、引き受け、与える、という意味です。他
者の苦しみを自分が引き受け、慈悲を送る、という瞑想法です。ダライ・ラマ法
王をはじめ、偉大なラマたちはみな「トンレン」の実践者です。ダライ・ラマ法
王は昨年の「ニュ−ヨ−クタイムズ」誌で、眠る前にトンレンの瞑想をしておら
れる、と答えていらっしゃいました。
33年もの間、収容所で過酷な時を強いられたパルデンさんも、チベット人すべ
ての苦しみを自分が引き受けるのだ、という心で過ごされ、苦しみを乗り切られ
た、と聞いています。
「トンレン」は心に強力に作用し、自らの内に平安をもたらし、慈悲の心で生き
ていく力を養います。
リンポチェによる特別伝授会です。
梅野が聞き役となり、リンポチェが分かりやすく伝えて下さいます。瞑想が初め
ての方も歓迎です。
ぜひ、体験しにいらしてください。

ニチャン・リンポチェからのメッセ−ジ:
いまこそ、身も心もやすらかにする方法を学び実践するときです。母に抱かれう
ように釈尊の教えに自らをゆだね、真のやすらぎをみつけるときです。

内容詳細:http://www.nabra.co.jp/hobbit/

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再び長野の飯島俊哲様からのお知らせですが、
イベントは東京の護国寺です。
これはもう知れ渡ってるのかもしれませんが。


―’匹鯆兇┐謄船戰奪箸諒刃造魑念する僧侶の会 
第2回結集 聞・思・修 〜学び、考える、行動する〜


平成21年5月23日(土)


東京 護国寺 【桂昌殿】
http://www.gokokuji.or.jp/index.html

東京都文京区大塚5丁目40ー1

http://www.supersamgha.jp/

ァ擅硲丱▲疋譽后http://www.supersamgha.jp/

【イベント要旨説明文】

チベットのこと、知っていますか?-学び、考え、行動する日本仏教へー

ダライ・ラマ法王がインドに亡命して半世紀、チベット問題は今なお混迷の度を深め、解決の糸口を見出せずにいます。
今こそ、私たちは「聞・思・修」というサンガの基本に立ち返り、チベット問題の本質とその普遍性を学ぶとともに、宗派を超えて叡智と行動を結集し、希望の道を探る時ではないでしょうか。
そこで、当会結成1年を迎えるに当たり、宗派を超えてチベットの平和を祈念する私たち日本の仏教者が、再びその思いを寄せ合う結集を開催いたします。
当会設立の意義を見つめなおし、未来に向けて、私たち日本の仏教者が果たすべき役割を見出す集いにしましょう。皆さまのご参加を心よりお待ちしています。

(※→第2回結集チラシ.pdf)

「聞・思・修」とは、全宗派に共通する仏道修行における重要な基本姿勢です。これを三慧とも言い、すなわち、学び、論理的に考えて、繰り返す瞑想実修により「正しい理解」を身につけること。
私たちは、この三慧のプロセスから生じる仏陀の叡智が、慈悲(共感共苦)による「行動」へ、そして「社会参加する仏教」へとつながっていくことを願っています。
宗派を超える思いが、今、一歩踏み出します。

〔第2回結集特別講師〕

ケルサン・ギャルツェン氏(ダライ・ラマ法王特使)
1951年チベット・カム地方に生まれる。83年以降チベット亡命政府の任務に就く。スイスのチベット事務所代表、駐欧州連合特使などを歴任。現在、ダライ・ラマ法王により任命された2名のチベット代表団特使のひとりとして中国政府との交渉にあたり、2002年以降、中国指導部との8回の公式協議と1回の非公式協議に臨むとともにチベット交渉対策本部のメンバーも務める。ダライ・ラマ法王の特使という立場から、チベットに関する講演やインタビューにも精力的に取り組み、チベットの人々の悲劇に光をあてるべく尽力している。


石濱裕美子氏(早稲田大学教育・総合科学学術院教授)
文学博士。早稲田大学大学院博士課程修了。同大学教育学部専任講師、准教授を経て現職。
編著書に「チベット仏教世界の歴史的研究」(東方書店、2001)、「チベットを知るための50章」(明石書店、2004)、「図説 チベット歴史紀行」(河出書房新社、1999)、訳書に「聖ツォンカパ伝」(大東出版社、2008)、「ダライ・ラマの仏教入門」(光文社、2000)、「ダライ・ラマの密教入門」(光文社、2001)など。現在、日本国内におけるチベット史研究の第一人者。

<内容>
 《第1部》

開会宣言

本尊法楽(導師は護国寺ご貫主、岡本猊下)

当会代表

当会特別顧問挨拶

チベット代表団特使、ケルサン・ギャルツェン氏のお話し

 《第2部》

石濱裕美子先生のお話し
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所、代表ラクパ・ツォコ氏挨拶

質疑応答(ケルサン特使・石濱先生)
法要
閉会宣言

※ 更に詳しい内容については当会ホームページに随時アップいたしますので、ご確認ください。
http://www.supersamgha.jp/

【日時】平成21年5月23日(土) 午後15時〜18時

【会場】東京 護国寺 【桂昌殿】

http://www.gokokuji.or.jp/index.html

東京都文京区大塚5丁目40ー1

【参加費】 無料

※事前のお申込みをお願いします。 
 
お申込み方法は下記3つのいずれかに、必要事項明記の上お願いいたします。

・当会HP「お問い合わせ」へ http://www.supersamgha.jp/contact.html 

・FAX045-431-2241 観音寺宛 

・info@supersamgha.jp

〈お申込み 必要事項〉
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【参加資格】なし(どなたでもご参加いただけます

【主催】 宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会 

 URL:http://www.supersamgha.jp/

【協力】 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所(チベットハウス)

URL:http://www.tibethouse.jp/home.html

【募集】当日のボランティアスタッフを募集しています。(僧俗問わず)

是非ご協力ください。

【問い合わせ先】

‥会HP「お問い合わせ」へ http://www.supersamgha.jp/contact.html 

FAX045-431-2241 観音寺宛 

info@supersamgha.jp

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最後に昨日のブログ、法王の成田での記者会見の話ですが、
初めから5行目、<以下に>とあるのは<如何に>の変換ミスでした。
失礼しました。






rftibet at 21:45|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他