2009年05月

2009年05月31日

天安門/続・特使ケルサン・ギャルツェン氏の話

87a0f2d4.jpg以下、天安門関係日本の記事二本。
頑張って取材し、書いてくれてると思います。

写真は東京新聞より「片足切断の元塗装工」

東京新聞:天安門事件 20年 今も国から迫害:国際(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009053102000079.html

 中国で学生らの民主化要求運動が弾圧された一九八九年の天安門事件から六月四日で二十年を迎える。共産党政権は当時の運動を「反革命暴乱」と位置付け、「暴徒を鎮圧した」という認識を変えていない。急激な経済発展で国民の生活は豊かになり、事件への関心も薄れつつあるが、当時の被害者らは今も真相解明を求め続けている。 (北京・平岩勇司、写真も)

◆左脚切断の元塗装工『罪認めるまで闘う』

 雨の日は失った左脚の先が痛く感じる。まるで「あの日を忘れるな」と言うように。

 一九八九年春、塗装工をしていた斉志勇さん(53)は「腐敗反対」を訴える学生に共鳴し、運動に参加した。六月四日未明、天安門広場近くで左脚に二発の銃弾を受け、手当てが遅れたため切断した。

 少年期は国中が混乱した文化大革命の最中で、小学三年生までしか学校に通っていない。それでも「共産党は人民を守る」と教えられ、信じてきた。

 「熱愛する祖国の軍隊に撃たれ、信じていたすべてを失った」

 勤務先からは「仕事中の事故とすれば補償金がでる」と労災申請書を渡されたが、拒否した。「世界中に学生運動はあるが、中国だけが軍隊で人を殺した。共産党が罪を認めるまで闘う」

 斉さんはその後、昨年ノーベル平和賞候補となった胡佳氏らと民主化活動を続ける。何度も当局に拘束され、つえをけられて倒される屈辱も受けた。四年前には身元不明の男らが自宅に押し入り、斉さんは肋骨(ろっこつ)を折られた。昨夏の北京五輪中も北京から隔離された。

 パートをする妻の収入に頼る苦しい生活。心の支えは事件後に入信した、中国では非合法の地下キリスト教会。「慈愛の教えは私に新たな生命を与えてくれた」

 事件二十年となる今年の六月四日は「必ず北京にいる」と語っていたが、五月二十五日、警察に拘束され、北京郊外に軟禁された。持病の糖尿病の薬もなく、食事もできない状態だが、関係者に携帯メールを送った。

 「主の教えで私の心は平穏だ。私はくじけない」

◆死者数なお不明 当局、正確な情報公開せず

 天安門事件の死者数をめぐり、当初は数千−数万人の説が流れたが、最近は数百人から千人強との見方が強まっている。

 中国当局は「死者は三百十九人」と説明。当時の現場で取材した新華社通信の元幹部は今月、香港で出版した回顧録で「中国赤十字の幹部が七百二十七人の遺体を確認した」と明かしている。

 また、「天安門広場で死者は一人もいなかった」とする当局に対し、丁子霖さんは広場で殺害された市民がいたことを突き止めている。丁さんは「死者は千人以上」とみる。

 事件直後に北京中心部の病院を回った元学生指導者は「死者の合計は千五百人近かった」と証言。いずれにせよ、当局の情報公開がなければ正確な死者数は不明なままだ。


◆『政権転覆が目的』 党、見直し拒む

 天安門事件の背景にはさまざまな要因があった。最高実力者の〓小平氏が一九七八年に改革・開放政策を導入して十年余、西側の民主思想が一気に流入。学生、知識人に刺激を与えた。開放政策に伴い官僚の腐敗、経済格差も問題となり、市民の不満が高まっていた。改革派指導者の胡耀邦氏の急死が民主化要求運動の発火点となった。

 一方、運動は〓氏ら党長老にとって、大衆運動で無政府状態に陥った文化大革命時代の悪夢を想起させた。折から東欧の社会主義体制が不安定になっていた時期でもあり、〓氏らは「運動の目的は政権転覆」と決めつけ、人民解放軍が人民を殺害する惨劇を起こした。

 胡錦濤氏と温家宝氏が国家主席と首相に就任した七年前、「天安門事件は過ちだったと見直すのでは」という淡い期待があった。胡主席は胡耀邦氏を「師」と仰ぎ、温首相は学生運動に好意的だった胡耀邦、趙紫陽両氏の部下だったためだ。

 だが、見直しの動きはない。弾圧に関与した江沢民前国家主席は今も影響力を残す。胡主席自身も〓氏から指導者に指名された立場。〓氏批判につながる歴史の見直しは難しい。

 天安門事件で失脚した趙氏の軟禁中の発言をまとめた本が今月、米国や香港で出版された。「武力弾圧は誤り」「中国は多党制に変わるべきだ」。衝撃的な内容だが、現指導部に耳を傾ける余裕はない。官僚の腐敗や経済格差は二十年前より悪化し、民衆の抗議行動は年間十万件起きているといわれる。胡主席は天安門事件について「社会主義の正しい道筋を堅持した」との公式見解を維持している。

◆真相求め続ける

 もう何千回、涙を流したのだろう。中国人民大学元助教授の丁子霖さん(72)は、天安門事件で十七歳の息子を失った。彼女は悲しみを力に変え遺族会「天安門の母」を結成、犠牲者の実態を独自調査している。

 熱心な共産党員だった丁さん、夫の〓2培坤・元同大教授(75)は息子の〓2捷連君に「国を愛するように」と説いて育ててきた。

 一九八九年春、捷連君は民主化を求める大学生の支援デモに参加した。高校でトップの成績を収めていた彼は「来年は北京大学に進学したい。あそこは民主の揺りかごだからね」と話していた。

 軍が動き始めた六月三日夜、夫妻は「外出してはだめ」とドアに鍵をかけた。捷連君は「いま大事なのは参加することだよ!」と叫び、丁さんの顔にキスをすると、トイレの窓から抜け出した。自転車で天安門広場へ向かう途中、心臓を撃ち抜かれる。同級生に「当たっちゃったみたいだ」と言って崩れ落ちた。夫妻は二日後、遺体の彼と再会する。

 「息子が一体、何をしたというのか」

 丁さんの闘いはそれから始まる。当局が死傷者の名前も発表しない中、遺族を捜し歩き百九十五人の氏名や死亡時の状況を調べた。死者には九歳の少年もいる。国営新華社通信に雇われて広場の写真を撮影中、射殺された学生もいる。「暴徒」など一体、どこにいるのか。「誰一人として暴力行為をしていない。虐殺事件の罪なき犠牲者だ」

 夫妻は党を除名され大学も追われた。軟禁と監視を受け続けてきたが、他の遺族と連名で責任者を追及する公開書簡を毎年発表してきた。

 丁さんは今も同じ夢を見る。

 「息子がドアを開けて家に帰ってくるの。私は『ああ、やっと会えたわ』と抱きしめる。体の感触があるんですよ! 私が『天国の暮らしはどう?』と一生懸命話しかけると、息子はずっとうなずいてる。そこで目が覚めるんです…」

 涙が止まらなくなる丁さん。白髪が目立ち、病気がちの夫の世話も体力がいる。それでも気力を振り絞る。「私が生きている限り、真相を求め続ける。母の愛の力は、共産党などに負けない」

 自宅には、デモ隊の先頭に立つ鉢巻き姿の捷連君の絵が飾られている。祖国の将来を信じて、十七歳のまま笑顔を浮かべている。

※〓は登におおざと

※〓2は蒋の旧字体

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民主化弾圧事件から20年 「天安門」の真実 香港争鳴 回顧録、告発本…出版相次ぐ / 西日本新聞

http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6567/

(2009年5月31日掲載)

 1989年6月4日、中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から間もなく20年。中国政府は、その後の経済成長を根拠に「解決済みの問題」と位置付け、事件の再評価などを求める民主化運動に対し厳しい言論統制を敷いている。だが、一国二制度の下、香港では、当時の学生運動家らの回顧録や告発本の出版が相次いでいる。学生運動に理解を示し、失脚した故趙紫陽総書記の回顧録「改革の歴程(英語版・国家の囚人)」の出版に尽くした同総書記の元秘書、鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)(ほうとう)氏(76)を北京の自宅に訪ね、出版の狙いを聞いた。
 (北京・椛島滋)
 
 香港の週刊誌、亜州週刊の特集記事「六・四!六・四!」によると、天安門事件20周年を前に香港で出版された関連書籍は計6冊に上る。
 
 「改革の歴程」は、趙氏が約16年間の自宅軟禁中、事件をひそかに回顧した30本の録音テープを英文と中国語でまとめた。この中で、趙氏は「当時の最高実力者、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏に武力弾圧をやめるよう説得したが、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏は軍隊出動を決断した。悲劇は避けられなかった」と振り返っている。
 
 国営通信・新華社の元幹部の回顧録「歴史の大爆発」は、中国当局が319人とする同事件の死者数を727人だったと告発した。このほか当時の学生運動リーダーや元新聞記者たちが、中国当局の監視を逃れ、香港での出版に踏み切っている。
 
 だが中国本土では、こうした回顧録の出版や趙氏の録音テープのネット上での公開を報じた香港紙「明報」が、その後、没収される事態が頻発。中国外務省は、週2回の定例会見の質疑応答を同省サイトで公開しているが、天安門事件に関する外国人記者との質疑応答は、会見録からもすべて削除している。
 
 中国本土のメディアは事件の関連報道を一切行っておらず、25日に北京であった1000人規模の人権擁護デモも報じていない。
   

 ●「歴史の暗部を忘れるな」 故趙紫陽総書記の元秘書鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)氏に聞く 中国の現状 批判
 
 −今回の回顧録出版の狙いは。
 
 「中国政府は隣国に対し『歴史を忘れるな』と言うが、私は中国政府に『自分たちの歴史を忘れるな』と言いたかった。日本は軍国主義の教訓を学んだが、中国では当時から共産党の1党独裁が続いている。腐敗による社会矛盾が激化している。そのことに警鐘を鳴らしたいと思った」
 
 −趙紫陽とは、どんな人物だったのか。
 
 「趙紫陽は共産党を分裂させようとしている、と〓(〓は「登」に「おおざと」)小平に批判された。だが、党への愛情は〓(〓は「登」に「おおざと」)に負けていなかった」
 
 「しかし彼は、党は民意に従うべきで、大衆を党の友人とみなし、その意見は党の助けになる、特に提案する人を大切に考えた。逆に〓(〓は「登」に「おおざと」)小平は、党は権力を持ち大衆はそれに従うもの、と考えた。だからあの抗議行動を危険分子、動乱と断定し軍で鎮圧すべきだと考えた。20年前の悲劇は避けられないものだった」
 
 −今の中国共産党をどう評価する。
 
 「20年前、学生たちは腐敗打倒と叫んだが、今は誰もできなくなった。当時は酒やたばこを渡すのが腐敗だったが、今は株券や別荘を贈るようになった。大衆が裁判所に訴えようとすると国家転覆罪だとされ、報道しようとしてもダメだ、と止められる。この20年で党の執政能力は大いに高まった。そういう意味で共産党は“改善された”といえるかもしれない。だが、腐敗の上に築かれた一部の権力者の自由、天安門事件によってもたらされた多数の悲しみの上に築かれた自由に、私は興味はない」
 
 −あなたは、中国政府に拘束される心配はないのか。
 
 「懸念はある。しかし怖くはない。回顧録は英語版、中国語版とも海外と香港で出版するだけだ。ただ、大陸でも出版できるなら歓迎するし、そうなれば中国の前途は明るいものになる。ぜひ江沢民元総書記の回顧録と読み比べてほしい」
 
 −今の中国の若者をどう評価するか。
 
 「彼らは中国の歴史の暗部を全く知らない。それが大きな欠点だ。だが利点もある。彼らは今、中国と外国を比較できる。欧米や日本など西洋の制度や観点を知っている。彼らも(今の政治制度について)いずれ選択を迫られる時が来るだろう」


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最後に昨日のケルサン・ギャルツェン氏の話には続きがありました。


【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(下) 15世決定は中国側の幻想 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n3.htm

2009.5.31 13:00

 −なぜ、中国側はこれほど強硬なのか。

 「これは50年前に中国人民解放軍がチベットを占領して以来の安全保障上の問題のほか、中国によるチベットへの理解の欠如が根底にあると思う。また地政学的な問題もあり、中国内の保守強硬派がチベット独自の宗教や文化、言語などの重要性をまったく理解していないことも大きな要因だろう。今後の対話について、われわれはいつ、いかなる場所でも、中国側との話し合いに応じる用意がある。ボールは中国側にあるのだ」

 −中国のメディアが伝えるところでは、ダライ・ラマ側はチベットがかつて統治していた地域、いわゆる「大チベット区」の復活や中国軍と漢民族(中国人)がチベット自治区から出て行くことを条件に挙げており、これについて中国指導部が警戒しているというが、これは事実か。

 「それは極めて重要な点だが、事実とは違う。大チベット区というのは歴史的なものであり、多分に考古学的なものであり、現状とは相いれない概念だ。これはチベットの独立を意味してしまう。ダライ・ラマが求めているものは、あくまでも自治であり、独立とは違う。よって、われわれが大チベット区を要求しているというのは当たらない。ただ、この概念については、対話の際に、中国側に説明したことはある。それから、軍の撤退だが、これはダライ・ラマがかつてストラスブールで宣言した際に、チベットの非武装化を提案したことがあったことが、条件といてとられているのではないか。これはあくまでも提案であり、条件ではない。3番目は漢族の移住の問題であり、例えば、内モンゴル自治区はモンゴル人の自治区のはずだが、居住しているモンゴル人は全人口のわずか18%にしか過ぎない。これでは、自治区の真の姿ではないのではないか。チベット自治区においても、漢族が多数移住しており、チベット人の自治区の本来の姿でなくなってしまうことも考えられる。しかし、われわれは現在住んでいる漢族を追い出そうという考えはまったくない。われわれは9回の話し合いで、中国各地を訪問した。中国の地方の官吏と話していると、極めてオープンで、寛容で親切な人が多い。しかし、それが徐々にチベット人居住区に近づくにつれて、地方政府の幹部らの態度が硬化するなど、極めて神経質な雰囲気になってきていた。これは明らかにわれわれを警戒しているようだった」


 −中国側はことあるごとにダライ・ラマを激しく批判しているが…。

 「これまでの対話で、中国側はダライ・ラマについて『チベット自治区などチベット内部の問題について口出しする権利はない』『ダライ・ラマはチベットの状況について論評する権利もない』などと激しく批判していた。さらに、中国側は『チベットの最大の問題点はダライ・ラマ14世にある』として、ダライ・ラマの特権や宗教的な立場、その肩書などは『一切認めない』と主張するなど、ダライ・ラマの宗教的な存在を一切否定しようとしている。このように、中国側の関心はダライ・ラマに集中しているようだ。しかし、ダライ・ラマは交渉に当たって、われわれ特使に対して『私(ダライ・ラマ)の個人的なことは一切交渉をしてはならない』『一切、私個人のことについて話に応じるべきではない』と命じていることから、私たちは対話の場で、ダライ・ラマ本陣が中国に帰還した際の処遇などについて話し合ったことはない。われわれは、あくまでもチベットの宗教や言語などチベット独自の文化の保護などについて話し合いを求めてきたが、中国側はわれわれの提案にまったく応じようとはしなかった。ダライ・ラマの個人のことについて、2002年以降の中国側との対話では話し合ったことはないが、1980年代初めに、当時の胡耀邦・党総書記がチベットの代表団に対して、ダライ・ラマの中国帰還に関して、『(ダライ・ラマが中国を逃亡し、インドに亡命した)1959年以前の肩書をすべて適用したい』と述べていた」

 −ダライ・ラマ14世の後継者について、中国側は自らが指名しようと動きがあるように伝えられているが…。

 「中国側はダライ・ラマ14世の後継者である15世を決めればすべての問題が解決すると思っているようだが、それは大きな幻想だ。そうなれば、チベット内外のチベット人による大きな抗議行動が展開されるのは火を見るよりも明らかだ。チベット内部では昨年3月以来、小規模なデモが継続的に起きており、チベット内部の反中感情はまったく収まっていない」



rftibet at 19:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

チベット美人コンテスト/法王デンマーク首相と会談/カシュガルの町が消える

d81790bb.bmpダラムサラでは毎年恒例となった<チベット・ビューティー・コンテスト>が始まりました。
2002年にロプサン・ワンゲル氏によって始められた、この社会ではユニークなイベントですが、毎年応募者が少なく、ある年は応募者なしとなったり、首相のサムドン・リンポチェから「チベット社会に似合わない」とかの批判を浴びたりと、多難続きでした。

今年は4人もの応募者があり、スポンサーもやっと付いたようです。
どうしても、詳しく動画でインタビューが見たいという人は以下へどうぞ。

http://media.phayul.com/?av_id=156

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法王デンマーク首相と<ダライ・ラマ法王は5月30日、デンマーク首相及び外務大臣と個別会談を行われました>

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24832&article=Dalai+Lama+meets+Danish+PM%2c+Foreign+Minister

ダラムサラ、パユル5月30日:
法王はデンマークに到着後、直ちに首相Lars Løkke Rasmussen 氏、及び外務大臣Per Stig Møller氏との個別会談に臨まれました。

Rasmussen首相は「デンマークには仏教徒は多くないが、多くのデンマーク人が法王のことを称賛し、尊敬している。デンマークはチベットの人権を擁護する」と述べた。
法王はデンマークでは仏教講義と「内なる平安から平和へ」と題された一般講演を行われる。

法王は「すべての私の外国訪問は精神的、教育的性格のものだ。私の二つの誓いである、同じ人間家族の一員として<温かい心>を促進すること、宗教化として<宗教間の調和>を促進することのためだ」
と述べられた。

法王と外務大臣との間の会談では主にチベット情勢について意見交換されたという。
法王は夕方記者会見を開かれる。滞在先のホテルではチベット人やデンマーク人が温かく法王をお迎えした。法王のスカンジナビア諸国ご訪問は今回で8回目。最初は1973年だったという。

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カシュガル旧市街次は新疆ウイグル、カシュガルの話です。
旧市街のほとんどが壊されるそうです。

私は20数年前、カシュガルに行ったことがあります。
その古い町並みは昔のシルクロードの面影を残し、味わい深い佇まいでした。
それがほとんど完全に消え去ろうとしているとは悲しいことです。
ただの味もそっけもない共産党様式中華ビルになり果てるとは!

戦争に勝ったら、敵を皆殺しにし、略奪し、強姦し、町ごと破壊するのが当たり前とまだ思っている国があるわけです。

ラサの旧市街がこうならないことを祈ります。


中国政府、ウイグル旧市街地の撤去強行(上)(下)
「文化破壊」と住民反発

朝鮮日報 2009年5月28日
http://www.chosunonline.com/news/20090528000041

http://www.chosunonline.com/news/20090528000042

中国政府が昨年2月から、中央アジアで最も保存状態が良いイスラム都市といわれる新疆ウイグル自治区の都市カシュガルの旧市街地でウイグル人の伝統家族を撤去し始めた。人口22万人のうち、カシュガル市街地に住んでいるのは約9万人。その多くが住む旧市街地の建物の85%を撤去し、現代式の建築物や商店街を建設する再開発を進める見通しだ。

ここに住むウイグル人は、政府が建てたアパートに借金をして移り住まなければならない。政府は「土と木で建てられた伝統家屋は地震や火災など災害に弱いため」と説明しているが、「ウイグルの歴史と文化を破壊することは別の意味で災難だ」という非難が絶えない。

カシュガルはウイグル人が繁栄と没落を繰り返し、2000年以上も暮らしてきた古代シルクロードの交易都市だ。ウイグルは20世紀初めに2回独立しているが、1949年に中国に併合され現在に至っている。中国のウイグル弾圧は悪名高い。人権団体のヒューマンライツウォッチが2005年にまとめた報告書によると、ウイグル人の大半はイスラム教徒だが、18歳になるまでモスク(礼拝所)への立ち入りが禁止されている。若者への布教やイスラム教育を阻むのが狙いだ。

教師はひげを伸ばすことができず、女性は公共の場所ではヒジャブ(スカーフ)をかぶることができない。漢族の人口は1949年当時は6.7%だったが、攻撃的な移住政策で現在は40%以上に増え、ウイグルの民族コミュニティーを脅かしている。分離独立運動は「テロリズム」と規定され、弾圧対象となっている。

ウイグル人の危機感は、カシュガルの旧市街地撤去でさらに深まっている。女性住民(48)は米ワシントン・ポストに対し、「政府はわたしたちが漢族のように暮らすことを望んでいるが、ウイグル人は決して妥協しない」と語った。また、別の住民(56)は「500年前に祖先が建てた家が突然災害に弱くなるものか」と問い返した。

住民らは狭い路地が迷路のように続く旧市街地のコミュニティーで暮らしており、年間150万人に達する観光客を相手に手工芸品や伝統料理などを売り、生計を立てている。家を捨てろというのは商売を捨てろというに等しい。

 中国の市民団体「北京文化保護センター」は「カシュガルの(旧市街地)撤去計画は文化的、歴史的な角度から見て愚かなことで、ウイグル人の立場から見れば残忍なことだ」と批判した。スイスのシンクタンク、国際関係・安全保障ネットワーク(ISN)は今年4月に発表した報告書で、「旧市街地はウイグル人にとって文化のゆりかごであり、自分たちの歴史が具現された存在だ。移転先のアパートを旧市街地から最低8−9キロも離れたところに建てたことは、ウイグル文化を希釈化し、政府の統制を強化する意図があると見るほかない」と指摘した。

 中国政府の主張にも一理ある。カシュガル市政府は「旧市街地は地震が起きれば、建物の崩壊で数千人が死亡する第一級の危険地域だ。政府が市民を災害の脅威から守るのは当然だ」と主張する。カシュガルでは1902年にマグニチュード8.0の地震が起き、住民667人が死亡した。昨年10月にはカシュガルから160キロ離れた地点でマグニチュード6.8の地震が起きている。

 27日付インターナショナル・ヘラルド・トリビューンによると、地元テレビでは毎晩、地震現場の惨状と新築アパートの前で喜ぶウイグル人の姿を繰り返し映し出す15分間の広報番組を流しているという。3年間にカシュガルで英語を教えていたという米国人のジョシュさんはブログで、「建物に『撤去対象』と書かれているのを見ると、刑執行を待つ死刑囚のようだ」と書いた。北京師範大の呉殿廷教授(地域開発学)はワシントン・ポストに対し、「ウイグル文化が宿る家々が破壊されれば、ウイグル民族の文化も同時に崩壊する」と警告した。






rftibet at 13:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2009年05月30日

二発の銃弾を受けたツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

91d40697.jpg昨日お知らせしたダラムサラに到着した4人の勇者の続きのようなものですが、
その中、二発の銃弾を受けたまま山に逃れたツェワン・ドゥンドゥップ氏の話が今日のパユルにより詳しく出ていました。

写真は銃弾の痕を記者団に見せるツェワン氏です。

昨日のレポートで訂正あり、彼の年齢を31歳と書いたのですが39歳(政府)か38歳(パユル)の間違いでした。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24824&article=From+Dharamsala+Tibet+protesters+recount+Chinese+atrocity

デモは昨年3月24日、カンゼ県ダンゴで起りました。
中国側の発砲により2人死亡、10数人負傷と言われていますが、彼らはもっと多いはずだと言っています。

以下ツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

「午後4時半ごろ行進はまずガゴン尼僧院の約150人の尼僧たちによって始められた。
すぐにぺルデン・ツォクリ僧院の僧侶が大勢合流した。
その後、農民を中心に数百人の一般人が行進に合流した。

300人以上の武装警官隊が押し寄せ、チベット人に鉄パイプや電気棒で襲いかかり、催涙弾を撃ち、そして銃で狙い撃ちし始めた。
彼らはチベット人に対し全く情け容赦なく兇暴に振る舞った。

撃たれて路上に倒れていた、グンガという僧侶を助けようとしていた時、自分も二発撃たれた。
一発は背中からへその上あたりに向けて貫通した。
もう一発は左肘に当たり、私は意識を失いかけた。(ここで彼は傷痕を見せる)

私が撃たれるのを見た弟のツプテンがバイクに乗って助けに来てくれた。
その時、助けようとしていた僧侶はすでに死んでいた。

それから、一年以上も警察に捕まることを恐れて、病院にも行けず、山の中で生死を彷徨った。
弟のツプテンがずっと一緒にいて助けてくれた。
警察に追われていつも走って逃げねばならなかった。

自分たち二人に15〜20000元の賞金がかけられ、指名手配されていた。
だから家には近づけなかったが、家族と山で6ヵ月過ごしたこともあった。
しかし、病院に行くことも出来ず、私の銃創は悪くなる一方だった。
傷は腐り、膿が溢れ、ウジが湧いた。その痛みは耐え難かった。
容態は悪化するばかりで、もう死の一歩手前までいった。

しかし、法王に必ずお会いし、また外の世界に、この中国弾圧下のチベット人たちの苦悩を知らせるために生き抜こうとの希望と決心が湧き、それが私の身体を強くした。

家族と特に弟の助けがなければ今生きていないであろう。感謝している


ーーー

アメリカの学生の質問「何をしてほしいか?」に答えて、

ツェワン氏:

「国際機関は一方的な中国側からの情報だけでなく、真実を見極め、真実に基づいてチベットを支持してほしい。

法王がチベットにお帰りになられるように、パンチェン・リンポチェを含めたすべての政治犯が解放されるように、助けてほしい。

メディアの人たちは中国の支配の下でチベット人が如何なる状況に置かれているのかを知るために、個人で勇気を持ってチベットの村々に深く入り込んで現実を調べてほしい。
必ず、中国によって巧妙に隠された、真実の言葉を聞くであろう。


去年中国政府によって示された、チベット人に対する暴力の激しさの程度を見るにつけ、政府はチベット人の生命や福祉に全く敬意も関心もないということをチベット人は理解した。

私は平和的に行進している集団に対し、あれほどの暴力を振るうということが考えられない。去年の出来事の後、チベット人の敵対心がどれほど高まったことであろう」


二人の兄弟は国境を「チベットにいるチベット人の苦しみを少しでも少なくするために必ず働く」との確信と希望と共に越えた、という。






















rftibet at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

特使ケルサン・ギャルツェン氏へのインタビュー

d81fda85.jpgインタビューに応じるケルサン・ギャルツェン氏(都内のホテルで、相馬勝撮影)

先に日本を訪問し講演を行われた法王特使ケルサン・ギェルツェン氏、産経新聞のインタビューに答えられました。

【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(上) ボールは中国側に (1/4ページ)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090530/chn0905301300000-n1.htm

2009.5.30 13:00

 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の特使で、2002年以来中国側との交渉役を務めているケルサン・ギャルツェン氏は都内で産経新聞と会見し、これまでの対話で中国側は、ダライ・ラマの中国訪問や中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問などの提案をすべて拒否したことを明らかにした。また、ダライ・ラマについて「チベット内部の問題に口出しする権利はない」などと激しく批判していたという。対話の具体的な内容が明らかになったのは初めて。(相馬勝)

 −まず、「ダライ・ラマ特使」という肩書について説明していただけますか。

 「特使は私のほかに、もう1人いて、全部で2人。もう1人の特使はロディ・ギャリ氏だ。2002年に、中国との対話が始まった際に、ダライ・ラマ14世によって任命された。われわれのチベット亡命政府は中国との対話に臨むに当たって、約20人の専門家などによるチベット問題に関する特別チームを結成した。このチームに特使の2人も加わり、対話が始まる前には、どのようなことについて中国側と話し合うかを検討し、そのテーマを決定する。これについて、2人の特使がチベット亡命政府の首相と協議し、その結果をダライ・ラマに報告して、最終的に何を話し合うかを決めることになる」

 「中国との対話は、2002年から昨年11月まで、1回の非公式協議(昨年7月)と8回の正式な対話の計9回にわたって行われた。02年と03年は北京の釣魚台迎賓館が会場となった。われわれ特使のカウンターパートは、中国共産党統一戦線部の常務副部長(閣僚級)で、われわれ側は4、5人が参加し、中国側は6人から8人の間だ。主に、統一戦線部のメンバーだ。北京での会場として、統一戦線部の本部も使われた。また、地方では南京市と深●(土ヘンに川)でも行われたが、いずれも立派な迎賓館で、一般市民は立ち入り禁止区域に建設されていた」
−次の対話の予定は決まっているのか。

 「われわれとしては、いつでも、いかなる場所でも話し合いに応じる用意はある。すでに、その旨は中国側に伝えてある。ボールは中国側にある。現段階では最後となった昨年11月の対話で、ダライ・ラマは対話のテーマとして、言語や文化、宗教、環境の保護、およびチベット教育の重要性、天然資源の使用、経済発展並びに商取引のルール、公衆衛生や治安の維持、地域における移民制限の条例の制定、諸外国との文化・教育・科学・宗教的な交流の許可−といった11項目を挙げたほか、ダライ・ラマ側が要求する自治の内容などについて文書にまとめて、中国側に提出した。しかし、悲しいかな、中国側はまったく関心を示さず、何の返答もなかった」

 「この文書を読めば明らかだが、われわれは中国憲法に基づいて、チベットの自治を達成しようというもので、独立を望んでいないことは明白だ。われわれはチベット独自の文化や宗教、言語などを残そうとしているだけであり、これは中国の憲法によっても保障されていることだ。しかし現実は、チベットは直接、中国共産党によって統治されており、これが最大の問題なのだ。いままでのところ、中国側は対話の扉は開け放されていると言っている。われわれはチベット内部の問題を話し合おうとしているのだが、中国側が関心を持っているのはダライ・ラマ14世の肩書である、特権であり、宗教的な立場だ」

−あなた方と中国側の決定的な意見の違いはどこにあるのだろうか。

 「中国側は『チベット内部には何ら問題はないし、すべては順調に進んでいる。チベットに住む人々はすべて幸福である』という立場だ。われわれは、この意見には賛同しない。なぜならば、毎年2000人も3000人も中国から、ダライ・ラマが住むインドに亡命する難民が押し寄せているからだ。彼らは農民であり、僧侶であり、学生であり、学者であり、一般市民もいる。これはチベット内部であらゆる階層に対して、さまざま抑圧が行われていることを物語っている。われわれはチベット内部からさまざまな情報を得ており、現在の状況を把握している。昨年3月にラサなどチベット人居住区で大規模なデモが起きたが、いまでもそれは小規模ながら継続的に発生している。チベット人の怒り、悲しみ、憤り、フラストレーションは限りなく大きいというのが現状だ」

 −中国側との対話では具体的にどのようなことが協議されていたのか。

 「これまで9回の対話が行われたが、主に相互の信頼醸成を目的に行われた。相互の信頼が形成されれば、中国内外のチベット人への親善のシグナルになるからだ。具体的には、まず現在禁じられている中国内でのダライ・ラマの写真を公開することを提案した。これが実施されれば、チベット人にとって、心理的な極めて重要なメッセージになるからだ。2番目に中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問の拡大だ。インドにいるチベット人が中国内の親類を訪ねていくほか、中国からインドなど世界各地のチベット人の親類を訪ねるというもので、中国のチベット人居住区の往来の拡大が目的だ。3番目にはチベット問題を話し合うために、ダライ・ラマ側と中国側の学者や有識者などによる専門家チームを結成し、宗教や文化について話し合うこと」

「4番目にはダライ・ラマが中国の宗教的な名所・旧跡を訪ねて、一般の人々と直接触れ合うことを提案した。5番目にこれらの問題について、共同声明を発表して、両者が話し合いに真剣に取り組んでいることを示すというもの。これにより、内外のチベット人のほか、中国の人々や国際社会においても重要なメッセージを発信できるからだ。しかし、残念なことに、中国側はすべての提案を拒絶した。われわれの対話はまったく進展がなく、にっちもさっちもいかない状況になっている」



rftibet at 18:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

野田雅也氏の写真展等

2d0396f1.jpg写真はもちろん野田雅也氏。

ダラムサラは今年は例年より二週間早くすでに雨季に入った見たいです。
毎日午後になると嵐。
毎日長い停電。

ポーランドの首都ワルシャワはダライ・ラマ法王に名誉市民賞を与えることを決定したそうです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24828&article=Polish+capital+to+honor+Dalai+Lama

先に欧米五カ国、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、オランダそれにアメリカで各国1000人以上を対象にした世界のリーダー人気投票の結果、オバマ氏が一位、二位にダライ・ラマ法王、三位にドイツのメルケル首相と出たそうです。
http://www.tibet.net/en/index.php?id=948&articletype=flash&rmenuid=morenews

以下、内輪な友人たちの行うイベント等を紹介します。

「祈りは武器より美しい」
〜チベット潜入 2人の写真展〜

日時 6月2日(火)〜21日(日)

場所 パクチーハウス東京(世界初のパクチー料理専門レストラン)

http://paxihouse.com/

世田谷区経堂1-25-18 2F

TEL:03-6310-0355

営業時間: 月曜定休

(火−金)18:00-23:00(LOは22:00)

(土)13:30-17:00, 18:00-23:00(LOは22:00)

(日) 13:30-17:00, 18:00-22:30(LOは21:30)


6月14日(土) トーク&パーティー

16:00〜 トーク 野田雅也×西条五郎

 中国軍による厳重な警備をくぐり抜け、閉ざされたチベットに潜入したジャーナリスト・西条五郎とフォトジャーナリスト・野田雅也。中国人に変装したり、身を隠して軍の検問所を迂回したり、それでも私服警官による尾行や密告により、強制退去させられることもある。

 それでもなぜチベットを撮るのか?カメラが捉えたのは、武器を向けられても一心に祈り続ける人びとの深遠な眼差しだった。

18:00〜 パーティー 

料理 3000円(ドリンク代別)

(※チベット人は料理代無料)

【野田雅也プロフィール】

1974年福岡県生まれ、フォトジャーナリスト。世界放浪中にチベットに出会い、人びとの祈りの姿に魅了される。以来、長期にわたってチベットを訪れ、08年3月に始まった騒乱後も、2度の潜入取材を行なう。09年2月にはチベット難民の亡命ルートであるヒマラヤ山脈のナンパ・ラ(峠)を踏破し、迫害を逃れる難民たちの実態に迫った。現在、失われたチベットの50年を描く映像プロジェクトを進行中。08年、上野彦馬賞の部門・毎日新聞社賞を受賞。日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA)会員。

【西条五郎プロフィール】

1974年東京生まれ、ジャーナリスト。2008年4月、中国人に“占拠”された長野市での北京オリンピック聖火リレー取材を契機にチベット問題に興味を持つ。北京五輪期間中には北京のほか、チベット難民が住むインドのダラムサラやチベットの首都ラサを取材。ラサ民衆蜂起とダライ・ラマ14世の亡命から50周年にあたる今年3月、事実上の戒厳令下にあった東チベットのリタンに潜入。

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題はきっと野田殿が考えたのだと思わせる、ちょっとクサイですね。
二人ともダラムサラに去年の春から何度も来たし、チベットにも潜入した。
いつまでも続いてほしいその情熱です。
それにしても、二人ともパーティーではしゃぎ過ぎないように、、、

ついでではないのですが。

6月3日発売号の「クーヨン」に

「南椌椌さんのダラムサラ探訪記」が掲載されるそうです。

http://www.crayonhouse.co.jp/home/cooyon/cooyon0907.htm

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次は新潟のイベントですが、ルンタ・プロジェクトでお世話してそれから毎年、TCVの子供たちを見てくださっている柿原先生のことは以前このブログでも紹介しました。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-04.html?p=2#20090415

先生が地元の新潟で講演をされるそうです。
近くの方はぜひお出かけください。


■ドキュメンタリー上映&現地報告会「素顔のチベット」■

チベットの「いま」をチベット人自身が伝えるドキュメンタリー
『Jigdrel(ジグデル)』(LEAVING FEAR BEHIND:恐怖を
乗り越えて)、『Undercover in Tibet(チベット潜入取材)』
を新潟初上映。
また、チベット難民学校(TCV:チベット子ども村)の診療所で
校医を務めた新潟市在住の柿原敏夫さんを迎え、
現地報告をうかがうと同時に、チベットの子どもたちに「希望」
を持ってもらおうと、いま新潟とチベットを繋いで進んでいる
支援プロジェクトについてもお話いただきます。

日時:2009年6月6日(土)午後3時半〜7時
会場:クロスパルにいがた 映像ホール
http://www.city.niigata.jp/info/crosspal/akusesu.html    (新潟市中央区礎町通3ノ町2086)

内容:
・『Jigdrel―LEAVING FEAR BEHIND:恐怖を乗り越えて』上映(25分)
・現地報告「TCV(チベット子供村)の子どもたち」:柿原敏夫さん
・『Undercover in Tibet(チベット潜入取材)』上映(45分)

参加費:資料代500円
主催:「素顔のチベット」実行委員会
協力:SFTJapan
参加自由(予約不要)
問い合わせ:メール masalapotato@gmail.com

新潟県初上映会。
そしてチベット子ども村で活動されている柿原さんが、
初めて報告会をお引き受けくださった機会になります。
広くチベット文化を知り、チベット問題の背景にあるものを学んでいこう
という思いをこめて企画致しました。

休憩をはさみながら行いますので、途中からのご参加も受け付けています。
告知時間がみじかいのですが、新潟県・近県からたくさんのご参加をお待ちしています。




rftibet at 18:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年05月29日

銃弾二発を受け、そのまま山に逃げた一人を含む、カンゼから逃れた4人/バイク・デモ隊

<カンゼより勇者4人越境に成功>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/May/510509.html

昨日再び、去年のデモを先導した後、山に逃れ、最近チベットから脱出できた4人のチベット人が情報局で記者会見に応じました。

4人は共にカム、カンゼ(カルゼ)出身です。

ツェリン・ギュルメ一人目、僧ツェリン・ギュルメ氏はカンゼ県ロパ地区プクユル村の出身24歳。
彼はカンゼで昨年3月18日に行われた大きなデモを先導した後、一年三か月の間、山に隠れ続け今年5月10日にネパールの一時収容所に到着することができた。










ゴンポ二人目、ゴンポ氏はカンゼ県セゴ地区カドォ村出身41歳。
彼はかねてより商売をしながら、地域の抵抗運動を先導し、機会あるごとに法王の長寿を祈る法要をスポンサーしたりしていた。そのせいで当局から睨まれ苦労が多かったという。
彼も上記の3月18日の平和的抗議デモを先導した夜、逮捕を恐れ、家族を捨てて、山に逃げ込み、一年三か月の間山々を転々としながら身を隠していた。
5月10日ネパールに抜けた。




ツェワン三人目、ツェワン・ドゥンドゥップ氏はカンゼ、ツォクリ・ゴロン村出身31歳。
彼は去年3月24日に、ペルデン・ツォクリ僧院の僧侶やガゴン尼僧院の尼僧その他一般市民大勢が行った平和抗議行進に参加した。

このとき軍隊と武装警官はデモ隊に襲いかかり、鉄パイプ、電気棒で殴りつけ、さらに逃げる者たちに向かって後ろから発砲した。

ツェワン氏は僧侶が一人撃たれて道に横たわっているのを見つけた。
すぐに駆けつけその僧侶を背負って逃げようとした。
しかし、すぐに自分も左脇腹を撃たれた。
さらに左肘にも銃弾が当たった。
彼はその場に倒れ意識を失ってしまった。
そこに弟ロサン・トゥプテンとその仲間が来て彼を助けだし、一軒の農家に匿った。

しかし、しばらくするとそこにも軍隊が捜査に来そうだということになり、彼は傷ついたまま山に逃げた。
それから、一年と三か月の間、山に籠っていた。何も治療を受けることができず、口では言い現わせないほどの苦しみを味わったという。
今年5月16日、やっとネパールの一時収容所に辿り着くことができた。


(彼は痛々しい銃創を見せた)


ロサン四人目、ロサン・トゥプテン氏30歳はツェワン氏の弟。
同じデモに参加した。兄のツェワン氏が倒れたのを見て、仲間とバイクを使って助けだした。
しかし、その間も軍隊は発砲を続けており、撃たれずに逃げることができたのは奇跡的だったと語った。
その後傷ついた兄と一緒に山に籠っていたという。









<チベット・バイク抗議デモ隊>

その他、RFA放送によれば、

昨日お知らせした、僧侶6人に12年〜15年の刑が言い渡されたという、チャムドのジョムダ地区では26日100台あまりのバイクに乗ったチベット人たちが当局に抗議に行くと言って、チャムド方面に向かったという。

その次の27日にはさらに多くのバイクが群れをなしチャムドに向かった。
しかし、その後彼らがどうなったかは不明。

(チベットではバイクは馬なのです)










rftibet at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年05月28日

ギャワ・リンポチェ、ヨーロッパ遠征にご出発

694e7995.JPGギャワ・リンポチェ(法王)は今日午後4時頃ヨーロッパ訪問のため、サラムサラを発たれました。
最初は30日、31日のデンマークです。





法王を見送るインド人たち写真二枚目は法王を見送っていたインド人クーリー家族です。
最近前の道を直すために道端に住み始めました。
何だか、子だくさんで楽しげです。

元インド的風景というか、、、インドの現実というか、、、
中国ではすでに許されない風景です。

以下中国のニュースばかりです。

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北京で陳情者数十人を拘束 ペロシ米議長に人権訴え
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090527/chn0905272034002-n1.htm

ペロシ米下院議長が訪中したのに合わせ、中国政府の対外宣伝部門を主管する国務院新聞弁公室庁舎前で27日、地方から集まった数十人の陳情者が「ペロシ、中国の人権に関心を持って」などと連呼したが、警官に拘束された。

6月4日に天安門事件から20年の節目となるのを前に、北京市内は警戒が高まっている。ペロシ氏は訪中前の記者会見で、中国の人権問題への言及を避けていた。

貴州省から来た陳橋員さん(31)は、炭鉱事故で死亡した妻の遺影を持ち「事故の責任は行政にある。責任を取らせたい」と強調。陳情者らは、真っ赤なスプレーで庁舎の門に「腐敗を打倒せよ」と書いた。警官は、現場を撮影する外国メディアのカメラを奪い取ろうとするなど、取材も妨害した。(共同)

ーーー
これに関してもう少し詳しく知りたい方は以下へ、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24808&article=China+protesters+see+red+over+Pelosi+visit

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天安門事件の再評価の声 過去最高61% 香港
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090528/chn0905280026000-n1.htm

香港大学が27日発表した世論調査の結果によると、1989年の天安門事件につながった学生運動を「暴乱」と規定した中国政府に対し、評価の見直しを求める香港市民が前年比約12ポイント増の約61%に達し、同様の設問を始めた1997年以来、最高を記録した。

6月4日に事件から20年となるのを前に、香港市民の関心が高まっていることが背景にあるとみられる。

事件当時の北京の大学生の行動が正しかったかどうかとの設問でも、約56%が正しかったと回答し、1995年以降では最高だった。

中国本土では、政府批判の高まりを警戒する当局が、事件をめぐる同様の調査を規制しているが、「一国二制度」下にある香港では同大が6月4日を前に毎年調査を実施。今年は5月19〜22日に約1000人に聞いた。

産経新聞 2009年5月28日

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中国で地下教会の民主活動家が監視下に
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090528/chn0905280151002-n1.htm
2009.5.28 01:50

 中国の民主活動家でキリスト教地下教会信者の余傑氏が27日、北京市内の自宅で公安当局による監視下に置かれたことが分かった。

 中国当局が民主化運動を武力鎮圧した天安門事件から6月4日で20年となるため、公安当局は民主活動家の動きを警戒しているとみられる。

 同氏によると、自宅前に公安関係者が見張りに立ち、友人との面会などができなくなったという。(共同)

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最後英語で長いのですが、、、

<天安門の母たちが89年の再評価を要求>

http://phayul.com/news/article.aspx?c=2&t=1&id=24810&article=statement+of+Tiananmen+mothers

rftibet at 20:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

チャムドで6人の僧侶に12年〜15年の刑

以下の情報は数日前からRFAで流されていたニュースですが、昨日TCHRD,Phayulもレポートしていました。

テンジン・ギェルツェン<チャムドで6人の僧侶に長期刑>

27日付、TCHRDリリース:
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090527.html

チベット自治区チャムド(昌都)地区ジョムダ(江達)県チュコル町において2009年1月5日爆発事件があったという。

それ以前からその地域では散発的なデモが繰り返されていた。
その数日後1月9日と10日、デモを行ったとしてデン・チュコル僧院の僧侶6人が逮捕された。

裁判所は5月22日、彼らに爆弾を爆発させ、抗議デモを行い、ダライラマは「分裂主義者、敵対勢力」であるという書類にサインしなかった等の罪状を押し付け、判決を言い渡した。

ジャムダ県人民法院は、僧院長テンジン・ゲルツェン37歳、元会計ガワン・タシ51歳、ニ・チック50歳、タシ・ドルジェ30歳の四人に15年の刑。
声明導師ジャミヤン・シェラップ42歳に13年の刑。
ツェリン・パルデン36歳に12年の刑を言い渡した。


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ツルティム・ギャツォまた、別のTCHRDのリリースによれば、先に5月21日、カンロ中級人民法院から無期懲役の刑を受けたツルティム・ギャツォと15年の刑を受けたタプケ・ギャツォの家族たちは刑が確定したのちも面会が許されず、すでに一年以上も会うことができないと訴えているという。http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090527a.html

http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51202903.html

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ツルティム・ギャツォの裁判裁判の一シーンはテレビで流されたが、家族はその姿を見ることができただけだったという。
もちろん長い拷問、拘留中も会えないし、裁判も家族に知らされることもなく秘密裡に行われ、刑期が決まっても会わさない、、、

拷問、不正裁判の事実を隠すためとしか思えない訳です。

爆弾の話とか、過去に何回かありましたが、状況的にみてすべてやらせと疑えるものばかりです。




rftibet at 12:35|PermalinkComments(1)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年05月27日

<サカ・ダワ>始まる

26.5.09法王は昨日5月26日、ダラムサラのツクラカンにお出ましになり、前日の25日から始まった<サカ・ダワ(チベット歴の四月)>の法要を執り行われました。
僧、尼僧をはじめ数百人のチベット人が集まりました。

チベットでは、この<サカ・ダワ>の15日(満月)にブッダ・シャカムニが生誕し、成道し、涅槃されたとされ、従ってこの月は一年で一番大事な月であり、この月に行った徳・不徳は倍増されると信じられている。
その倍率は聞く人によって違っていて、2倍から10倍、100倍、十万倍と言われる。

チベット内地では、この月の前に地中の虫を殺す恐れのある農作業を終え、寺・僧院に行き布施をしたり、乞食に布施したり、巡礼に出たりする。

ダラムサラではとにかく最低、この月だけは肉を食べないと言う人が多いようです。

今月は特に意識的に悪いことをせずに、善いことをするようにお互い努めましょう。


rftibet at 21:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2009年05月26日

中国人権擁護弁護士の危機

2fcc23f7.jpgウーセルさんの本日5月26日付ブログより。
http://woeser.middle-way.net/2009/05/20.html

<人権を擁護した弁護士たちは今、資格剥奪の危機にある>

CHRD(Chinese Human Rights Defenders)の5月25日付リリースによれば、中国では今、著名な人権弁護士たちを雇う法律事務所は当局から年間評価が悪すぎて「落第」の可能性が強いと脅されているという。
評価基準の中には「当局への協力」も含まれるという。

この評価の最終発表は5月31日に行われるが、これに通らない場合には、以下の20人は少なくともその弁護士資格をはく奪されるであろうと言われている。

中には中国でもっとも著名な弁護士もいる。
Jiang Tianyong (江天勇), Li Heping (李和平), Li Xiongbing (黎雄兵), Li Chunfu (李春富), Wang Yajun (王雅军), Cheng Hai (程海), Tang Jitian (唐吉田), Yang Huimin (杨慧文), Xie Yanyi (谢燕益), Li Dunyong (李敦勇), Wen Haibo (温海波), Liu Wei (刘巍), Zhang Lihui (张立辉), Peng Jian (彭剑), Li Jinglin (李静林), Lan Zhixue (兰志学), Zhang Kai (张凯), Liu Xiaoyuan (刘晓原), Wei Liangyue (韦良玥) and Yang Zaixin (杨在新) . The law firms they work with are Beijing law firms Gaobo Longhua (高博隆华), An Hui (安汇), Gong Xin (共信), Shun He (舜和), Guo Gang (国纲), Jiu Rui (久瑞), Jie Fa (佳法), Yi Jia (亿嘉) and Qi Jian (旗鉴), Heilongjiang law firm Jiao Dian (焦点) and Guangxi law firm Bai Ju Ming (百举鸣).

中略

「これら人権弁護士たちは<微妙な>人権に関するケースを引き受けたり、「北京弁護士会」の役員を直接選挙により選出しようと提案した者たちで、直接制裁を受ける危険がある。
天安門事件20周年を前にして当局が反体制派弾圧を強めているからだ」
とCHRDのワン・ソンリャン氏は話している。

ブログには以下に具体的に人権弁護士たちが受けた制裁、リンチについて何件もの事例が載せてありますが、そのうち一つだけ紹介します。


5月13日北京の弁護士である、張凱氏と李春富氏はRTL(労働再教育キャンプ)で死亡した江锡清氏の遺族に会うために重慶にいた。
彼らが遺族の家にいるところに20人以上の保安部隊が押し寄せ、身分証明書を見せろという。
彼らは弁護士証明書とパスポートは持っていたが、個人証明書はその時持っていなかった。
それが分かると突然二人は殴り倒され、蹴られ、手錠をはめられた。
近くの警察署に連行され鉄格子の中に入れられた。その時張凱氏は後ろ手に手錠をはめられ、その手錠を高い鉄格子にひっかけられ、吊り下げられたという。
二人はさらに尋問と暴力を受け、このケースから手を引くように脅され、夜中過ぎに解放されたという。








rftibet at 16:43|PermalinkComments(5)TrackBack(0)その他 

続マルカム金山を巡る戦い

チベット カム、マルカムにおける鉱山を巡るチベット人の戦いについては先にもお知らせしました。
続報が入っています。聖山に眠っている鉱物とは「金」だそうです。
以下金泥棒の話です。

<金山を巡り対峙する、チベット人村人と中国武装警察隊の間の緊張が高まる>

本日5月26日付phayul、ダラムサラ:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24793&article=Face+off+between+Tibetans+and+Chinese+security+forces+over+gold+mine

RFAによれば、チャムド県マルカム(馬爾康)地区にある聖山セル・グー・ロ(金銀年)の金鉱を守ろうと数百人の現地チベット人が結集している。

中国の鉱山、材木を扱うゾンカイ社は当局からこの山の開発を許可されたというが、
その山は地元のチベット人たちによって毎年、「降雨祭」を行う聖なる山として崇められてきた。

抗議のチベット人たちはすでに数か月、約300人の武装警官隊とにらみ合いを続けている。
しかし、当局はチベット人たちへの補給路を断ち、固定電話、携帯電話も通じなくして、彼らを完全に孤立させ、兵糧攻めにしている。
軍隊は今では、いつでもデモ隊を蹴散らす準備ができているという。
しかし、チベット人たちは「死んでも抵抗を続ける」と宣言している。

ある村人は電話で「今日また新たに4台のトラックが30〜40人の軍人を乗せて現場に向かうのを見た。でも我々は全く彼らと連絡が取れなくて状況が判らない」と話していた。

約500人のチベット人が金山に続く道を閉鎖するために路上に寝起きしている。
当局は5月15日に武装警官隊を投入した。
あるチベット人は電話で「我々は<聖山を守るために死ぬ覚悟ができている>と宣言した」と述べた。

先にラプランから逃れてきた5人の僧侶はこれに関する興味深い話を伝えた。
彼らは一年間山に籠っている間に、中国の「資源探索隊」を見かけ、彼らの行動を観察したことがあるという。
探索隊は15人編成で至る所を調査しているという。
彼らの出身地サンチュ地区だけでも三か所の鉱山があるという。
ドギ・ナン鉱山は10年前から、セルダ・ナンとワルン・チョルマ鉱山は二年前から採掘が始められたばかりだという。









rftibet at 15:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

我(不)是述鯏人

ダライ・バッジ左の写真二枚はバッジです。去年あたりから北京で売られているそうです。
私はダライの人(犬、仲間、パシリ)ではありません」と書かれている。
身の潔白を証明しているというわけだ。




ダライ・バッジ2これにウーセルさんは悪さをして中から「不」の一字を消したのが二番目です。
こうなると「私はダライの人(犬)です」になって、デモの時使えるというわけです。





先日お知らせした、南インドの僧侶10人による「チベット帰還行進」は、残念ながら昨日全員国境警備隊に逮捕され、終わってしまいました。
ウッタラカンド州のスンドという国境を前にした最後の村で捕まったそうです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24788&article='Return+to+Tibet'+march+stopped+at+border+town+by+ITBP

ーーー

アメリカの下院議長ナンシ・ペロジ女史は今、中国を訪問中。
今日は確か胡錦涛に会うはずです。
人権問題を最重要視することで有名な彼女が中国に来たと言うので、北京の人たちは助けてもらおうとデモまで行っているそうです。

もっとも彼女は今回は「環境」中心に話し合うということになっており、期待しない方がよさそうです。
彼女は「人権も環境の内だ」といってるようですが。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24792&article=Speaker+Pelosi+visits+China%3b+protesters+seek+help

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以下イベントのお知らせです。
野田君のレポート第二部も大いに期待できるし、皆さんの中身の濃い話を沢山聴けることでしょう。


【名称】第5回「チベットの歴史と文化学習会」
【日時】2009年7月11日(土)13:00〜16:30(開場12:30)
【会場】文京区民センター 3-A会議室(東京都文京区本郷4-15-14)
【費用】参加費600円
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第5回「チベットの歴史と文化学習会」

■日時:2009年7月11日(土)18:00〜21:00(開場17:45)
■場所:文京区民センター 3-A会議室

    交通 営団丸ノ内線・南北線 後楽園駅徒歩3分
    都営三田線・大江戸線春日駅徒歩1分
    JR総武線水道橋駅 徒歩13分
    http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
■参加費:¥600

■参加のお申込み
 要予約。定員になり次第締め切らせていただきます。
 座席に余裕がある場合のみ当日参加も可能です。
 参加お申込みページはこちら(http://www.tibet.to/gaku5/

■プログラム(予定)

(1)講座「チベット仏教の潮流」
   第3回「現代チベット仏教思潮〜ダライ・ラマの時代を中心に〜」
講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

(2)チベット報告「今、チベットの人々は」
報告:渡辺一枝(作家)

(3)「国境線リポートII〜50年目の証言〜」
報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)

(4)質疑応答「Tibet2009 vol.3…チベット支援の現状」
報告:長田幸康(ライター、I love Tibet! ホームページ)

●主催:チベットの歴史と文化学習会
●お問い合わせ:e-mail: trb.gakusyuukai@gmail.com




rftibet at 14:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2009年05月25日

タウで強制移住に抗議の群衆に軍隊が発砲、女性ばかり6人撃たれたが生死不明

8302001カム、タウでダム建設に伴い強制移住を命令された村人たちが抗議デモを行った。これに対し軍隊が発砲し少なくとも女性ばかり6人が撃たれたが、当局が連れ去りその生死は不明。

5月25日付、チベット亡命政府プレスリリース:
http://www.tibet.net/tb/flash/2009/May/470509.html

5月24日午前11時頃、カム、カンゼチベット族自治州タウ地区ザパチュに強制移住を言い渡されたタウとナクチュの住民が集まり抗議デモを行った。
これに対し保安部隊と軍隊が発砲、少なくとも6人の女性が重傷を負った。

このダム建設計画は昨年公表され、この時からすでに住民は強制的に移住させられると発表されていた。
しかし、住民たちは一様に代々住み続けた土地を離れることは出来ないとして、そのまま住み続けていた。

これに対し当局は、今年に入り5月5日、武装した軍人を大挙動員し、アティ・ギャツォ家、ツェゴ・ビシ家その他、周辺の民家を取り壊した。
さらにバラマコと呼ばれる町に住民を集め集会を開き、工事開始の式典を行い、石碑を建てた。

しかし、集会の席上ラモと呼ばれる70歳を越える老婆を先頭に、多くの者たちが「土地は自分たちのものだ!どこへも移らない!」と声を上げ、石碑も倒してしまった。

このように地元の反対運動が高まる中、昨日5月24日早朝、再び地区に大勢の軍人が送り込まれた。
これに対抗するようにタウとナクチュのチベット人が大勢集まり抗議の平和行進を行った。

デモ隊に対し軍隊が発砲し、少なくとも女性6人が撃たれて倒れた。
6人の氏名はツェリン・ラモ、リクジン・ラモ、ドルマ、ケルサン、ドゥカル、ガイン。
倒れた6人は軍隊に連れ去られ、彼女たちの生死は不明のままだという。

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これには別バージョンがTCHRDから出されています。
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090525.html

こちらは「集会の最中に、騒ぎ始めたチベット人に向かい催涙弾が撃ち込まれ、負傷者が病院に運び込まれた」というものです。

どちらが真実に近いのか現時点では判断できません。

PhyulはTCHRDを基にレポートしています。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24789&article=China%e2%80%99s+forceful+relocation+plan+in+Tawu+County+sparks+protest






rftibet at 20:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)チベット内地情報 

2009年05月24日

ケルサン・ギャルツェン特使の講演内容全文

23bed5e4.bmp5月23日、護国寺において、「宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会」主催
の会合の席ケルサン・ゲルツェン特使が講演されましたが、その日本語全文を「ニュースチベット文化圏」さんが報告して下さっています。



<ケルサン・ギャルツェン特使「最近のチベット情勢について」語る(東京)>
http://blog.livedoor.jp/info_tibet/archives/51312832.html

以下、ケルサン・ギャルツェン特使の講演内容全文

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宗派を超えてチベットの平和を祈念する僧侶の会の皆様方、お集まりいただいた皆様方、このようにお話できる機会を与えていただいてありがとうございます。日本の兄弟姉妹の方々にチベットの実情についてお話できることは、大変重要なことだと思います。

今チベットは国際社会の支援を必要としており、アジアにおいて大国であり、また世界でも非常に重要な役割を果たす日本の支援は重要だと考えています。日本は美しい島国というだけでなく、深い文化と民主主義、法治国家である国だと考えます。また、道義を重んじている国だと認識しています。僧侶の方々のお話を聞き、長い仏教の歴史をもつ国であると認識しました。日本はチベットの平和的な解決に、重要で建設的な役割を果たすと思います。この機会を得ましたことを感謝しますと共に、僧侶の会の皆様に感謝し、皆様の支援に感謝いたします。

チベットの悲劇というのは、60年前に始まりました。中国の人民解放軍が「平和的なチベットの解放」を名目にチベットに侵攻しました。それ以降、チベットは長い歴史の中でも闇の時代を迎えることになりました。この60年間に、直接的なチベット人の被害者は100万人で、6000を超える僧院が破壊されました。

実際これらの崩壊された僧院は、単にチベット人のためのお寺というだけはなく、一般のチベット人にとって学習、学びの場でした。 文化大革命以来、「チベットの空には2つの太陽はいらない」というのが中国の言い分でした。つまり共産主義と仏教の二つはいらない。どちらかが消えるべきだというのが彼らの言い分でした。

チベット人は強制的に公衆トイレをつくらされました。「オーム・マニ・ペメ・フン」というマントラが書かれている、我々にとっては大切なマニ石使ってです。またチベット人に、道路に仏教の経典を埋めてその上を歩けと言われたこともありました。この60年間に何が起こったか。チベット人に対する単なる弾圧だけではなく、価値観、文化、宗教をも弾圧されました。

このような背景のもと、チベットの指導者であり、尊敬されているダライ・ラマ法王は、今のチベットの現状をどうするか、つまり苦しむチベット人に対して、チベットの国をどう守っていくか、すべてにおいて責任を負うことになりました。

法王の基本的な考えは、世の中は相互依存によって成り立っている。つまり私たちイコール彼らである。今日の社会は、国境は過去ほど意味をもたなくなっている。重きを置かなくなっている。大陸と大陸、国と国も依存しあっているではないか。こういう時代に力や武力を使い、問題を解決するのは、何を生みはしない。他を破壊するだけではなく、自我の崩壊である。ダライ・ラマ法王の信条というのは、こういった人間の問題を解決する道は、非暴力であり、対話であるとおっしゃっています。その観点からダライ・ラマ法王は、この問題解決に関しては中道の道を選ばれました。

この中道によるアプローチは、つまりチベットの問題をより平和的に解決し、双方に合意のできる対話による道です。そういった意味では、私どもが主張しているのは、中国から求めているのは分離独立ではない、私たちが求めているのは中国政府がチベット人に真の自治を与えてくれるということです。それはチベット人が持つ文化や宗教や祖国の土地を守ることであり、言語を維持することにもつながります。

2002年、チベット亡命政府は中国側との直接対話を再開。亡命政府側の特使の二名のうち一名に私が選ばれました。それ以降、8回の公式の対話と1回の非公式の対話を行った。これらの会談に於いて、我々はあらゆる努力を行いダライ・ラマ法王の意図を伝えようとしました。つまり、チベットのより平和的な解決へと、法王の意図を我々はマントラを繰り返すように唱えてきた。そして私どもは、両者が一歩踏み出し、イニシアティブを持つことによって、お互い自信をもてる環境を作り、それにより対話を進めようと申し出てきました。私たちは一方的な申し出や信頼、自信を得ることを求めたのではない。亡命政府の代表は、世界各地のチベット人社会について、また各地の支援団体に対して、決して中国代表部や大使館に対してデモを行わないようにと要請したのです。

ダライ・ラマ法王は台湾への訪問を延期したことを後悔されている。中国との微妙な関係を考慮してのことでした。そして我々の努力や提案に対し、中国政府からはイニシアティブや信頼を築く努力は一切なされなかった。我々は信頼を築くためにダライ・ラマ法王の写真を所持できるようにしてほしい。それができるなら各地のチベット人たちの大きな心の支えになるだろうと要請したこともある。

2008年チベット高原で大きなデモが行われました。その際我々は、北京に於いて、第七回目の対話を持った。我々は、ダライ・ラマ法王、チベット側の代表と中国政府との間で、共同声明を出したらどうかという提案をしました。それはとても短いシンプルなもので、「ダライ・ラマ法王と中国政府は共に相互に納得のいく解決策に向けて、これからも対話を持つということを決めた」というものです。

しかし受け入れてもらうことはできませんでした。このような共同声明を出すことができれば、チベット内のチベット人たちの気持ちを静め、正常化でき、中国のチベットに対する抑圧への国際社会の懸念を抑えることができる。それにより、国際社会は、チベット問題は対話によるより融和的な解決をみるのではないか、という希望を持っていました。

そこで我々は中国に、ダライ・ラマ法王が中国の仏教聖地を巡礼することを許してほしい。つまり今、法王がチベットを訪問することは具合が悪いだろう。でも中国の聖地を法王が巡礼するというのであれば、問題ないのではないか。それができれば、中国の指導部と会うことができる。そうすることで今の状況を次の段階に進めることができるのでは、と考えました。

簡単に今までの中国との対話を振り返ってみると、チベット側が中国政府に対して提案をし、また率先して今の対話を進める努力をしてきた。今の状況を少しでも次の対話につなげる努力をしてきたが、中国側からはそれに対して一切何の積極的な提案もなく、次回の約束もなく対話は流れてきました。我々の提案、申し入れはひとつも受け入れられることがなく終わりました。

(2008年)11月の対話では、チベット側は細かい内容を提案書としてまとめ中国に提出しました。それはその前の8月の対話で「チベット側が言う真の自治とは一体何なのか細かく定義せよ」と言われたからです。そこで我々が考える真の自治とは何か「チベット民族が名実ともに自治を享受するための草案」というタイトルのもとに細かく私たちが自治といているものは何かと書いたものを提出しました。しかし、中国側はそれを完全に拒否したのです。

担当の上級副部長は、「この草案は中身のみならずタイトルすらも受け入れることはできない。真の自治とは認めようがない。だいたい我々は言っているではないか。ダライ・ラマにはチベットについて語ったり、あるいはチベット人の代表として語ったりする権利はない。何といえば君たちは分かるのか」と言った。
我々は「ではなぜ草案を我々に出せとおっしゃったのか」と、上級副部長に聞いた。彼は「あなた方がどのぐらい中国政府の方針、考えを理解しているか試すためだった。しかしあなたたちは無惨にもその試験に落ちたのだ」と言った。

このような背景をもとに言えば、現在のチベットの状況は公に宣言はされていないが、戒厳令下にあるようなものです。つまりチベット内においてのチベット人の状況は第二の軍事進攻を受けているようなものであり、強い抑圧下におかれている。文化大革命以来の抑圧のもとにあるということです。

このような背景を見ながら、我々はダライ・ラマ法王とともに中道のアプローチを行くことを決めました。チベット亡命政府の置かれている現在の立場は、北京政府が真剣にこのチベットの問題を取り上げてくれるなら、いつでもこの問題を対話する準備はできているということです。北京政府が明らかに対話の意向を明らかにするまでは、これ以上対話は難しいと思っています。

チベットの中のチベット人は非常に悲しい状況、抑圧のもとに、厳しい怒りの中におかれています。ダライ・ラマ法王は中国に対して様々な努力を行ってきました。しかしチベット人だけが声を上げても、中国政府はチベットに対する政策を変えるとは思えません。我々はさらに努力を強めて、一般の中国の人々に働きかけをしようと今は思っています。常に一般の中国人とチベット人がどうすれば接触ができるだろうか、理解が深まるだろうか、と考えています。

中国の学者や専門家、チベットの学者や専門家が、ある特定のテーマを決めて会合を持つ、会議を開く。若い中国人とチベット人の会議やキャンプを行う。中国人とチベット人の仏教徒の交流フォーラムを行う。他にもチベットの視点を知ってもらうため歴史文化宗教やチベットの状況についての書籍を中国語で出版。中国語のWebサイトを開くなど。

そうすることで一般の中国の人たちがチベットの情報を入手できるだけでなく、チベット人がどういうものの見方をしているのか、そういう視野を理解していただけるのではないか。こういう努力をとおしてチベット人と中国人の間の理解を深める努力をしていきたいと思います。そうすることでより多くの中国の兄弟姉妹に近づいていくことができるのではないかと思います。

同時に、若いチベット人には、もっとマンダリン(北京語)を勉強するように、中国文化を勉強するように、最近の中国の歴史について学ぶようにと語りかけています。そうすることで若いチベット人が、若い中国人と接触することが増え、相互理解が増えると思います。

最後に、既に今までの流れの中で、チベット人だけが声を上げても中国指導部に影響力がないことが分かりました。だからこそ今の私たちの選択肢は、国際社会に訴えることだと思います。我々が国際社会にお願いしているのは、中国に対する孤立化でも、ボイコットでも対立でもありません。政治的環境を作ってほしいということで。つまり、中国の指導部がこのチベット政策に関して、より真剣に、正直な姿勢で臨むように、そして双方に合意できるような解決策が導き出されるような政治的な環境をつくってほしい、というように皆様にご協力をお願いしています。

そしてダライ・ラマ法王が提案している中道のアプローチは、中国政府にとっても共にお互いの利益につながるもの、十分に説明がつくものと思っています。お互い平和的な解決は、中国政府、中国人にとっても、チベットの人々、チベット政府にとっても大きな利益につながると思います。

最後に、日本の兄弟姉妹の皆様の温かい支援、非暴力で自由を求める道に対しての皆様の理解と支援に対し、心より感謝申しあげます。それはチベットを助けるだけでなく、中国にとっても大きなメリットにつながると考えています。ありがとうございました。

以上

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ケルサン・ギャルツェン氏(ダライ・ラマ法王特使)
1951年チベット・カム地方に生まれる。83年以降チベット亡命政府の任務に就く。スイスのチベット事務所代表、駐欧州連合特使などを歴 任。現在、ダライ・ラマ法王により任命された2名のチベット代表団特使のひとりとして中国政府との交渉にあたり、2002年以降、中国指導部との8回の公 式協議と1回の非公式協議に臨むとともにチベット交渉対策本部のメンバーも務める。ダライ・ラマ法王の特使という立場から、チベットに関する講演やインタ ビューにも精力的に取り組み、チベットの人々の悲劇に光をあてるべく尽力している



rftibet at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

天安門The Tank Man /続「私の赤衛兵時代」

まずYou Tubeより。天安門事件記念日を前にしてThe Tank Man 1/8。
8まであります。私はネットが超遅いのでまだ最初のも見てませんが、良いはずです。


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チベットの文革次は、昨日の続きで陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」からもう少しだけ。

氏はこの中国社会の暴力の(伝統の)基因を「恐怖」だ、「人の群れから排除される恐怖」だと言っています。

P107
「磁石から落ちる」恐怖
暴力沙汰は、公的には戦争と言い、隠れてやる場合には謀殺という。支配者は、他に手段が残されている限り、軽々しく戦争を口にしないし、謀殺にしても、他に選択の余地が残っているなら、簡単に殺人を犯すはずはない。それが世間一般の理論だ。しかし、文革時の暴力沙汰は、まったく違っていた。それは戦争ではなかった。何故なら、相手は身に寸鉄も帯びてなかったからだ。また、謀殺でもない。公然と行われたからだ。他のまだ残っていたし、選択の余地も残っていた。しかし、人々はバタバタと倒されていった。

人間の肉体に対するこのような直接攻撃、拷問、侮蔑、虐待、そして殺害は、二十年後の今日でもやはり理解できないことだ。もちろん「暴力は新しい社会の助産婦だ」というマルクスの理論に、答えを求めることはできる。また、「善人が善人を殴るのは誤解だが、善人が悪人を殴るのは当然だ」といった毛夫人紅青らの扇動に、その答えを求めることもできよう。遠くは、憎悪を植え付けてきた長年の教育に応えを求めることも可能だし、近くは目の前の風潮も答えになるだろう。しかし、いずれも満足な回答にならない、なぜなら、何かをやらせようとしても、やるかやらないかは、また別の問題だからだ。

もしも正直に答えてくれるならば、恐らく多くの人が認めるはずだ、他人に暴力をふるうときには、動物的な衝動があったし、その場の雰囲気も影響していたろう。しかし、本物の憎悪が原因となったことはまずないはずだ。また、政治宣伝の扇動も決定的な要因ではない。まして仕方なく手を下したなどというのはありえない。

では、何が彼らを駆りたてたのだろう。それは恐怖だ。

人が人であるかぎり、集団から完全に抜け出すことはできない。文明の発展とは、社会における個体の配列と組み合わせを、より理想に近づけることにすぎない。人間の群れから排除される恐怖は、人類の根源的な恐怖だ。いまだにこのような恐怖が深刻だからこそ、中国ではそれがもっとも根源的な恐怖となってしまう。

一人一人の利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩威としか見なされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚に至るまでのすべてに、国家が決定権を持っている。そのような社会で恩威を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのだ。

選択肢が一つしかないとなれば、これはもはや選択ではない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、初めて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂にすぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらに揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質ならそれは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。

文革とは、恐怖を前提とした愚かな大衆の運動だった。





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