2009年07月

2009年07月29日

チベタンゲリラ / チュシ・ガントゥック

チュシ・ガントゥックの旗写真左はチベタンゲリラ、チュシ・ガントゥックの旗。

ポカラの北、アンナプルナ山塊を越えた向こうにムスタンと呼ばれる地域がある。
ここは今はネパール領だが、地図で見るとよく分かるがそこだけチベット領に飛び出した形の地域だ。つい最近までムスタン王国として栄えていた場所でもある。
この地形の戦略性と地域の住民もチベット系であるということで、ここにチュシ・ガントゥック(カンパ族を中心としたゲリラ組織)はゲリラ戦の拠点を置き、その後CIAの協力を得ながら1972年まで活動していた。
国境を越えラサから西に向かう戦略道路沿いに中国軍の輸送部隊などに待ち伏せ攻撃などしていた。
しかし、襲撃に成功するたびに中国軍はその報復として近くのチベット人の村を襲い村人全員を殺戮したりした。
ラサからも離れており大した効果は上がらなかった。

ボドナートの五仏話は戻るが、CIAは1956年からすでにチベットの抵抗運動を助け始めていた。
冷戦構造の中での話だ。
1956年チベットのカムに潜入した諜報部員は7人のチベット人を選んで密かに彼らをアメリカ、コロラドの訓練基地に送った。
彼らは約一年間訓練を受けた後、ラサの南に2名、カムに5名、夜間落下傘降下によりチベットに落とされた。
その後、その内の一人は法王がインドに逃れられるまで、アメリカと連絡を取り合っていた。
中国が知る前にアメリカは法王がノルブリンカを脱出されたことをいち早く知っていたのだ。

ボドナートその後もCIAは亡命してきたチベット人の中から志願兵を募り、数十人をアメリカに送った、サイパンや沖縄で訓練を受けた者もいる。
彼らがムスタンに帰り、他のチベット人たちに戦闘を教えた。
CIAは彼らに武器、資金援助も行っていた。

ではあるが、如何にも中途半端だった。
そして、ついに1972人ニクソン大統領が北京を訪問し、中国と握手した時から全ての援助は止まった。
アメリカはこの時チベットを裏切ったのだ。
法王はゲリラに武装解除を要請した。
ゲリラも法王のお言葉に逆らうことはできず、泣く泣く銃をネパール軍に引き渡した。
中には自殺する者も相当数いたという。

ボドナートの観音菩薩山を下り降りたところがポカラだ。
そのまま、ここのキャンプに住み付いた者も多い。
今は例えば最初の7人も全員亡くなり、元ゲリラで生き残るものは少ない。









rftibet at 21:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2009年07月28日

ポカラ


マチャプチャレ24日から二泊三日,ポカラに行っておりました。

車チャーターでしたが、最後運ちゃんがカギを車に入れたまま、ドアを閉め、カギなしで車をこじ開けることに、地元の専門家数グループ(ドロボー?)も失敗し、半日遅れて代車で帰るというハプニングがありました。

ポカラはネパール第二の町、ここからは8000m級のアンナプルナ山塊が間近に見えるというので近年急速に観光化を進んだ街です。
30年前に来た時にはただの寒村だったところがこんなに変わったかと驚くほどペワ湖の縁は一大観光地となっていました。
もっとも今はシーズンオフ、今時暑いポカラに来る変わり者はまずいない。
山が少しでも見えたのは着いた次の日の朝焼け時だけでした。
写真はその時の貴重なショットです。尖っているのは7000m弱のマチャプチャレ。
アンナプルナ・サウスもう一枚は7300mぐらいのアンナプルナサウス。
8000mを越えるアンナプルナ?の頂上は見ることができませんでした。



観光の中心地ペワ湖を見下ろす丘の上に最近例の日本山妙法寺さんが仏塔を建てられました。そこに登って取った写真にもあるべきヒマラヤは見えず黒い雨雲が映ってるだけ。

ポカラ、ペワ湖しかし、今回は物見遊山ではないので山は直接関係ないが、、、やはり私は山をゆっくり見たかった。

ところで、ここには四か所のチベッ難民キャンプがある。
ペルジョル・リン、チャンパ・リン、ヤンサにタシ・リン。
全部で約5000人のチベット難民がいるという。
タシ・リンには去年のチベ夏イベントでも何度も上映した岩佐監督の「モモチャンガ(満月ばあさん)」の主人公モモチェンガばあさんが住んでいらっしゃると思い会いに行きたいとも思ったのですが、今回はニアミスでした。

ペルジョル・リン写真に写っている羊たちはペルジョル・リンで飼われてる羊たちです。
これを見て同行のディレクターが「羊がなんでここにいるのでしょうかね?食べるのかな?」と言うので、現地コーディネーターのツェワン女史に訊ねると、
「とんでもない!これらの羊はみんなヒンズー教徒たちの祭りの生贄になるところを助けられた羊たちですよ。お金を払って助けてきた羊たちです」
との説明。

続いて自分の経験を話始めました「私がある時町を歩いていてふと横を見ると、ちょうどヒンズー教の寺院の中庭で足を括られた羊が殺されそうになっているところだった。
ペルジョルリンの老いた羊私は思わず大きな叫び声を上げて、すぐにそこに走って行った。まさにその哀れな羊は首を切られようとしていた。私はナイフを持つその男に、とにかく殺さないでくれ、お金は払うから、と言った。でもその男は金を払うのは他の羊にしろ、と言って承知しようとしなかった。私は普通の二倍のお金を払うといって、すぐに一緒にいた仲間たちからお金を借りて言われた額を払いその羊を連れて帰ったことがあった」
とチベット人ならではの話をされた。
キャンプの住人達はほとんどが老人だった。羊も相当年をとっているようだった。

130今回何故にこの辺をうろついているかと言うと、9月に日本で放映されるであろう一時間物のチベット関係ドキュメンタリーの制作につきあっているからです。
詳しいインタビューの話はまだ私がここに書くことはできませんが、周辺の解説ぐらいは許されるでしょう。
内容は歴史検証と言えるものです。
1949年10月1日毛沢東がチベット解放(侵略)を宣言して後、法王がインドに亡命される1959年3月までがターゲットです。
その中でも中心は1959年3月10日から法王がインド国境を越えられるまでです。
残り少ない生き証人たちのインタビューを取るのが仕事です。

3月10日、大勢のラサ市民が法王を守ろうとノルブリンカに集結した。
17日の夜、変装された法王がノルブリンカを秘密裏に脱出され、国境へと向かわれた。
20日から中国軍は一斉にノルブリンカを中心にポタラ宮殿、ジョカン寺に砲撃を開始した。
激しい砲撃と雨のように襲いかかってきた銃弾により、ノルブリンカはほぼ破壊されつくし、あたりはチベット人の死体で足の踏み場もないほどとなった。
その時の惨劇を経験した人々は一様に「この世の地獄だった」と話す。

それからの数日間だけでも数万人のチベット人が殺されたという。
まさに虐殺、ジェノサイドと呼んでいい状況と化した。
中国はこの時点で法王の脱出を知らなかった。
つまり中国は法王がいるであろうノルブリンカに徹底的に砲撃を加えたのだ。
殺しても良いとの指令は誰が出したのか?
法王は少人数の私的護衛官とカンパ・ゲリラに護られキチュ川、ツァンポ川を越え南に向かわれた。

043 (2)続く









012 (2)

rftibet at 19:17|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他 

2009年07月22日

皆既日食、再びカトマンドゥ、野田雅也

002 (2)写真/野田雅也
いよいよ日本も選挙が始まるそうですね。
チベットのために牧野さんには是非当選してもらいたい。
私は牧野さんとは古いお付き合いです。本当に誠実なチベットに対して熱い立派な人だと思います。みんなで出来る限り応援しましょう。

今朝の日食、日本では如何でしたでしょうか?
私は昨日の夕方カトマンドゥに着き、今日の朝ヨガの最中に何だか外が暗くなって寒くなったな、、、と思ったのでしたが、その時日食だったようです。
空は雲に覆われており日食自体はどうせ見えなかったようです。
あとから、人に聞いてそうだったのかと思ったのでした。
カトマンドゥでもほぼ皆既に近かったようです。
ネパールの人々は一般的には日食を見ると良くないことが起こると言われていることを信じて誰もわざわざ見ようとはしなかったようです。
そういえば、かつてスリランカで皆既日食を見たときも偶然そこに着いた日でしたが、このときははっきりコロナとかも見ることができました。
でも、本当に儚いあっという間のできごとですよね、、、
月が太陽の400分の一の大きさ(直径)で、地球と月の距離が太陽のそれの400分の一という偶然は考えてみれば不思議な事ではあります。

それにしても、この前ネパールを出たばかりなのにまた、ネパールです。
今回は一応仕事ですのでブログも途絶えがちになると思いますが、仕事といってもチベット関係なので、何かレポートできるかもしれません。

ところで、今年2月にヒマラヤ、ナンパラ峠までのレポートは詳しく何回にも分けて書きましたが、その時同行した、N2こと野田くんがその時の写真とレポートを雑誌に発表されました。

7月20日発売号の月刊紙「DAYS JAPAN」

DAYS JAPAN
http://www.daysjapan.net/about/index2.html

さらに野田くんは最近新しく7人の仲間とともに環境関係の新しい団体を立ち上げられました。
以下、野田くんからのお知らせです。

ーーー

EYEWITNESSメンバーの野田雅也です。
この度、地球環境を伝える写真家集団「Eyewitness 目撃者たち」の設立にあたり記者会見を催します。
プレスリリースを添付していますのでお知り合いの報道関係者の方々など、
告知にご協力いただければ幸いです。

これからみなさまのご協力とご支援のほどどうぞよろしくお願い致します。

ーーー

2009年7月21日
プレスリリース
報道各位

記者会見のお知らせ

地球環境を伝える写真家集団
「EYEWITNESS 目撃者たち」が始動。

ある者はフォトジャーナリストとして、 ある者は自然写真家
として、 人間社会のありようや、 自然本来の姿を追い続けて
きました。 その中で、地球上の様々な光景を目撃しました。
環境を守り、自然本来の姿を次世代に伝えるために、 私たち
写真家は今、何ができるのか?
その答えとして、私たちは「EYEWITNESS
目撃者たち」というプロジェクトをスタートさせたのです。
「 EYEWITNESS 目撃者たち」は、 子どもたちと未来を担うす
べての人々に、 “未来への伝言”を伝えます。

【事業内容】
Eyewitness の写真家たちが、今の地球の情報を教育現場へ直
に届けます。学校、教育施設等への写真パネルの無償貸出し、
またはインターネットのテレビ電話・会議システムを用いてス
ライドトークショーを無償提供します。この次世代育成を目的
としたプロジェクトのために、一般向けの有償写真展や講演会
を催し、企業や団体または個人等から協賛金を募ります。

【記者会見】
日 時 2009 年7 月28 日(火) 15:00 〜 16:00
場 所 日本科学未来館7F 会議室(東京都江東区青海2-41)

問合せ e-mail info@eye-witness.jp    TEL 080-5208-6109(担当: 野田雅也)

※EYEWITNESS は日本科学未来館で開催中の「地球と宇宙の環
境科学展〜消えた生き物の謎と秘密〜」(主催: 日経BP 社、
日経ナショナル ジオグラフィック社) の特別会場(7F 会議
室)にてトークイベントを開催します。

【トークイベント スケジュール】
7月27日(月)
? 13:00 〜14:00 トーク:小原玲
? 15:00 〜16:00 トーク:桃井和馬+野田雅也
7月28日(火)
? 11:00 〜12:00 トーク:桃井和馬+前川貴行
? 13:00 〜14:00 トーク:小原玲+会田法行+倉沢栄
一(ネット中継)
? 15:00 〜16:00 記者会見:桃井和馬+小原玲+会田
法行+野田雅也+倉沢栄一(ネット中継)

「EYEWITNESS 目撃者たち」の写真家
【代表】桃井和馬(フォトジャーナリスト)/ 小原玲(動物写
真家)
【メンバー】倉沢栄一(自然写真家)/ 山下大明(自然写真家
)/ 前川貴行(動物写真家)/ 会田法行(ドキュメンタリー写
真家)/ 野田雅也(フォトジャーナリスト)



rftibet at 14:34|PermalinkComments(3)TrackBack(0)その他 

2009年07月20日

聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝展

2008年ラサ2008年ラサ:写真野田雅也

福岡での開催が終わり、続いて札幌、東京、大阪、仙台にて2010年5月30日まで開催されるという
「聖地チベット -ポタラ宮と天空の至宝-」展

嘗てのイギリス、フランス、スペイン等々も同じことをしたではないか、と言うならまだしも、その反対に中国の骨董品が海外でセリにかけられたことに大袈裟な抗議とかしたりする中国が、いつもの洒落のつもりか、日本で一級の盗品展を開くとは、それを見て「ほう中国はすごいなー」とか言わされる、なめられた日本人が増えているという。

日本にいないから大きなことは言えないが、これはまさにチベット問題を日本人に知らせるために中国が用意してくれてる企画に違いないと思う。
すでにそのためのサイトも立ち上がっている、
http://www.seichi-tibet.com/
120万人のチベット人を殺害して手に入れた品々だと多くの日本人に知らせてほしい。
強烈な宗教弾圧をやりながら、一方で商売のために盗品の仏像を目せびらかせて入場料をとるとは、流石中国人の知恵には脱帽です。

以下は「チベット我が祖国」の中で法王自身が語られるノルブリンカ脱出直前の状況だ。

「絶対必要なもの以外は、何も持って出る時間的余裕がなかった。私たちは夜明け前にラサから充分に遠ざかっていなければならなかったのである。閣僚たちは、私の役所の印璽と内閣の印鑑を、それから、たまたまノルブリンカ離宮にあった若干の文書類を持った。国家関係の公文書の大部分は、内閣の政庁、またはポタラ宮殿にあった。それらは放棄せねばならなかった。私たちのあらゆる個人的な持ち物もまた同様に放棄せねばならなかった。私が持参できたものと言えば、ラマ法衣の着替え一、二枚だけであった。私たちは、資金を持ち出すために国庫に行くことはできなかったし、また、私が継承した測り知れないほどの財産である宝石や財宝を持ち出すためポタラ宮殿に行くこともできなかった



rftibet at 16:45|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

2009年07月19日

オバマ・ダライラマ会談実現か? 広州でアフリカ人がデモ、その他

法王とオバマ氏今日付のPhayul によれば、オバマ大統領がダライ・ラマ法王と会談するらしい。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=25168&article=Obama+may+meet+Dalai+Lama+as+Beijing+seethes

この話は法王側から申し込んだのではなく、アメリカ側から法王事務所に接触があったとのこと。
記事を読む限り、かなり確かな話のようです。
時期は法王が今年9月末から10月初めにかけてアメリカを訪問される期間中、恐らくワシントンを訪れる10月8〜11日の間であろう、という。

中国はこれに強烈に反対するのは目に見えている。
このことを見越して4月には中国はオバマ氏に公式の脅しとして「ダライ・ラマと会わないように」と前もって釘をさしているくらいだ。

オバマ・ダライラマ会談が本当に実現したらこれは象徴として大きな大きなことだと思います。
もっとも経済との駆け引きで、、、今はまだどこまで本気なのか定かではありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下目立ったニュースをいくつか、

中国・広州でアフリカ人200人が集団デモ

中国南部の広東省広州市中心部で15日、不法滞在取り締まりに不満を抱いたアフリカ人約200人が集団デモを行った。アフリカ人が中国国内で集団デモに及んだのは今回が初めて。


16日付香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、デモ参加者は15日午後2時から広州市越秀区内の公安局派出所付近の道路を占拠し、約4時間にわたりデモを行った。


派出所付近にある「唐旗衣類センター」では同日、公安係官6人が外国人を対象に所持ビザの検査を行い、それを逃れようとしたナイジェリア人1人が地上18メートルの高さの店舗の2階部分から飛び降り、頭を強く打って死亡した。これに抗議する形で、同店舗周辺で働くナイジェリア、ウガンダ、カメルーン、マリなどのアフリカ人約200人が派出所に押し寄せ、抗議を行った。


アフリカ人らは「中国が建国60周年(今年10月1日)を前に意図的にビザ延長を認めず、不法滞在者を量産している」などと主張した。香港紙明報によると、広州市には約2万人のアフリカ人が住んでおり、このうち相当数は最近ビザ延長が認められず、不法滞在者となった。

朝鮮日報 2009年7月17日
http://www.chosunonline.com/

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

政治的報復? 中国当局が著名人権団体を取り締まり

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090718/chn0907182114004-n1.htm

2009.7.18 21:09

 18日付の香港各紙によると、中国の人権派弁護士らでつくる著名な人権団体「公盟」が、商業団体として登録しているのに他の活動をしているとして、北京市当局が17日、北京にある事務所を捜索し、パソコンや事務用品などを押収した。

 公盟は汚染粉ミルク事件の被害者訴訟の支援や、公費を使った会食の情報公開を政府に要求するなど、活発な活動で知られる。取り締まりは、建国60周年の重要行事を前に、当局への不満を助長しかねないこうした活動を抑える狙いがあるとみられる。

 14日には納税を規定通りに行っていなかったとして、税務当局が公盟に罰金など計約142万元(約1960万円)の納付を要求。メンバーらは香港紙に、社会団体としての登録を拒否してきたのは当局側だとした上で、一連の圧力は「政治的な報復だ」と話した。(共同)


ーーー

これに関連するICTレポートを瓜子さんが翻訳して下さいました。


映画‘Leaving Fear Behind’「恐怖を乗り越えて」のDhondup Wangchenの安否と、中国の弁護士に弾圧強化
2009年07月18日18:29

全文翻訳できる前に一部のみ、ポストさせていただきます。
日本の司法関係者の皆様に宛てた、中国大使館に送るアクションと、詳しい内容はこちらをご覧下さい。
http://www.freetibetjapan.com/news/news.hrl.html

ICTレポート
中国の弁護士に弾圧強化;司法シンクタンクが就業停止命令、映画‘Leaving Fear Behind’「恐怖を乗り越えて」のDhondup Wangchenの安否が気遣われる。

 ICT report,7月17日2009年

中国当局による弁護士弾圧が強化されたもようが報告されました。
今日、チベット問題に関して当局による政策を批判した活動家弁護士らによる司法リサーチセンターが就業停止命令を受けました。また、チベットでは昨年春の動乱後から拘束中のチベット人の弁護をする弁護士らが妨害を受けている報告が寄せられており、その結果
映画‘Leaving Fear Behind’「恐怖を乗り越えて」のDhondup Wangchen(昨年3月、同ドキュメンタリー映画の撮影終了後に、逮捕)の安否が気遣われています。

Dhondup Wangchen, 37才は現在Xiningにて拘束されているが、健康状態が思わしくなく、B型肝炎を患っているという。彼の現在亡命中の妻の証言によると、病気に対する治療は一切与えられていません。
とくに、彼の裁判が近く行われる予定に際して、彼が希望する北京Gongxin弁護事務所の中国人弁護士Li Dunyongの弁護が受けられない可能性が高く なり、不安が寄せられています。
Dhondup Wangchenは昨年3月に、北京五輪に対するチベット人のインタビューとダライラマについてをまとめたドキュメンタリーの完成後、逮捕。


中国の画期的な司法シンクタンクGongmengに、就業停止命令

今朝(7月17日)、北京の民事局職員20人ほどが北京在住の弁護士による団体で司法リサーチセンターのGongmeng(公盟法律研究中心)を訪れ、コンピューター等の機材を押収しました。公盟法律研究中心の弁護士であるXu ZhiyongがAP通信に語った所によると
リサーチセンターはGongmeng(公盟法律研究中心)の部署であり、正式に登録されている。部長Tian QizhuangのコメントはAPの記事でも、紹介されていますが、
”我々は抵抗するつもりはありませんでしたが、彼等の行ったことは法律に違反することです。。。この部署(リサーチセンター)を停止させることはGongmeng(公盟法律研究中心)自体を停止させることと同じだからです”と語っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【ウイグル暴動】中国内の民主化勢力が政府批判

産経
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090716/chn0907162042005-n1.htm
2009.7.16 20:34

【北京=野口東秀】中国新疆ウイグル自治区のウルムチで起きた暴動に関し、中国国内で民間人が政権の対応を公然と批判する動きが相次いでいる。言論統制が敷かれる中で、民族問題に対する政府の対応がこれほど表立って批判されるのは異例といえ、当局は民主化勢力の動向に神経をとがらせている。

 中国の民主、人権状況の促進を目指す民間団体(北京)の代表、張輝氏(41)は15日、10項目の要求を連ねた声明を発表した。暴動の真相や犠牲者の死因を調査するため、当局の意向を受けない国際人権組織などによる「独立調査委員会」を設置することや、集会、デモの自由を求め、「(中国政府が非難する)民族分裂勢力の範囲を明確にせよ」と訴えている。

 「7・5事件の再評価を」と題した胡錦濤国家主席あての書簡をインターネット上で公開したのは、孫文広・元山東大学教授(74)だ。「現地での通信遮断」は「公民の通信の権利を侵す」と批判したうえで、ウイグル族が武器を携帯し、突然襲撃を始めた理由を明らかにすべきだとしている。

 少数民族問題に詳しい作家の王力雄氏(56)ら国内外の知識人158人は、北京の中央民族大学のウイグル族の副教授が拘束されたことを批判し、「少数民族に対する政策の過ちを認めるよう」要求する声明を発表した。

 ネット上では、このほかにも、暴動についての疑問点を突きつける民主活動家の文章が発表されている。





rftibet at 14:15|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年07月18日

内に遊びに来る子どもたち、その三

ダラムサラの鳥1写真は最近よく家に遊びにくる鳥たちです。


内に来る子の三人目。

もう21歳ぐらいの立派な娘ですが、12,3年前、彼女が小学校の低学年のころから知っているので本当の子供のようなものです。
彼女、ニマ・ドルマは小学校時代、私の本当の末娘デチェン・ニマの親友でした。
だから一緒によく家に遊びにきていました。
彼女の家は嘗てこのすぐ近くの林の中にありましたが、バラックでした。
彼女の家は貧しかったのです。
両親は一応ネパール人ですが、父親はタマン族、母親はランタン谷の入口シャプルベシ出身のチベット人です。
よくある話ですが、両親は村の貧しい生活を捨て、インドに出稼ぎにでました。
仕事といっても肉体労働しかありません。二人は建設現場で働いていました。
そのうち父親は仕事を覚え、左官クラスになっていました。
ニマ・ドルマが生まれる頃にはダラムサラに住み始めていました。
この辺にはチベット関係の大きめの現場が多く、ネパール人が沢山働いているのです。

ダラムサラの鳥2しかし、一つ良くないことがありました。
父親は酒飲みで、その上酔うと暴力を振るうのです。
働いた金も酒代に消え、家は貧しい上にも貧しかったのです。
それでも、TCVは比較的安いので、ニマと弟はそのころTCVのマクロード分校に通っていました。
内の子とは家の環境がちょっと違っていたと思うが、二人は仲が良かったのです。

でも、中学に上がったころから、もう家に来なくなり私も忘れていました。
でも、すっかり忘れていた訳ではなく、気になってはいました。
それが、去年の冬に突然家にそのニマ・ドルマが現れたのです。


最初ははっきり言って、見覚えがあるようだが誰なのか分かりませんでした。
でも、すぐに内のニマの友達だったニマと教えられ、その大きくなったさまに驚きました。
昔は背が高くすらっとしていたと思うのだが、今は小柄で子供の頃よりは少しふくよかになっていました。
何か話を切り出しにくそうにしていたので、こちらから「生活はどうしてるの?」と聞いた。
すると「実は助けてほしいと思いここに来た。母が一週間前に大やけどを負い病院に入院した。本当は生死もまだわからない。治療代が払えないの。助けてほしい」とのこと。
詳しく聞いてみると、母親はケロシンストーブという旧式の油圧式コンロに圧を掛けているとき、それが爆発した、、、火の油を全身に浴び大やけどを負った、、特に顔と足の火傷が酷いという。
同じ病室には同じように大やけどを負った人がたくさんいて、中には呻きながら死んでいく者もいると、ニマは恐ろしそうな病室の話をした。
最近はパランプールというここから2,3時間ほど離れた町にいたが、とにかく父親の酒グセは治らず、家にも帰らないことが多いという。

きっと病院でとても払えない請求書を渡され、途方にくれている時、ふと昔小遣いとかくれていた、日本のおじさんの顔を思い出したのであろうか、、、と思い出してくれたことを嬉しく思った。

隼学校はお金が続かなくて7クラス(中学一年)までしか行けなかったという。
私は「何でその時、私のところに来なかったのか、学校をやめさせることは決してなかったろうに」とその事が残念でならなかったので、もうしょうがないが口にした。
TCVはチベット難民の子供にはタダで教育を与えるが、同じチベット系であってもネパール人への援助はないのだ。

それから、あるニンマ派のリンポチェの奥さんと言う人の家で住み込み家政婦として働いていたという。わがままな老人で大変だったという。

その日は治療費を持ってすぐに病院に帰って行った。
それから一か月に一回ぐらいずつ金が足りなくなると家に来ていた。
結局半年近く母親は入院していた。
それでも死ぬことはまぬがれ家に帰って養生するというとこまで回復した。
でも、問題は父親が毎日酒を飲み暴れて、床に臥す母親にまで手を出そうとするし、家に金目の物がないかと家財をひっくり返したりすることだという。
普段は仕事で遠くに行っており家にいないが、時々帰って来ては暴れるという。

そこで、私は二人にこっそりそのパランプールの部屋を出て、ダラムサラに移ってくるようにと言った。
ここなら、みんなで監視できる。父親も好きにはできないであろう。
ここなら、何とか仕事も見つけられるから、と言った。

ダラムサラの鳥3しばらくして母親とニマは父親がラダックに行ったすきにダラムサラに移ってきた。
お母さんも昔から知っていた。顔を隠して家に入ってきた。
スカーフを取ると確かに顔から首にかけ、ひどいケロイドが残っておりまだピンク色のまま完治していない部分もあった。
しかし、まあ、まあだ、、、思ったよりましだ、と感じた。
なにより、長い間、歩けなかったといい、まだ足は確かでないが、きっと完治し、また働けるようにもなると期待が持てる状態だったのでひとまず安心した。

「もう大丈夫。ダラムサラで二人で安心して暮らすといい。何も心配しなくていい」と本当はどうなるないな?とも思ったが、大きなことを言って二人を返した。
最初はろくな仕事がなく、必ずしも必要でない家の仕事を手伝わせてそれをニマの仕事にしていた。そのうちルンタ・レストランで働かせればいいしと思いつつもレストランも誰かやめない限りは席がない。町の電話番とかもやっていた。
お金が足りないことは分かっていた。でもニマはいつも本当に困ってギリギリになるまで家には来なかった。
お金を頼むということは、いくら私が気楽な父親代わりの顔をしていても、この子には辛いことだったと思う。

ニマ・ドルマそんなニマも二か月前からやっとルンタ・レストランで働けるようになった。
すると、ニマが急に明るくなった。
ちゃんとした給料の貰える仕事に初めてつけたことがうれしいようだった。
レストランでも明るく一生懸命働いている。

日曜日ごとに家に来て何か掃除や洗濯、料理をしようとする。
何もしなくていいから「本を読め」と言ったりする。

それにしてもと、思うのだ。内の娘のニマは同じ学校に行っていたが、ただ保護者の状況が違っていただけで、親は大変ながら外国の大学に行け、このニマは教育の面でも中学一年までしか行けず、すでに逆に母親を背負って生きて行かないといけないとは、、、、何と言う違い。

でも大丈夫、将来の「幸せ」の可能性は貧しさを知り、耐えることを知っているこの子のほうがきっと大きいはずだからと思うのだった。








rftibet at 18:42|PermalinkComments(2)TrackBack(0)その他 

法王へ偽Eメール?

2529c12e.jpgウイグル組織からダライ・ラマ法王宛てに送られたというEメールは偽物

http://phayul.com/news/article.aspx?id=25165&article=Letter+from+exile+Uighur+organization+to+Dalai+Lama+fake

Phayul / Dharamsala,July 16:
世界ウイグル会議はダライ・ラマ法王宛てにウイグル人への支持を訴えるための如何なる手紙も送っていないとプレス・リリースで発表した。
ウイグル・アメリカ協会副代表Alim Seytoff氏と世界ウイグル会議のスポークスマンの名前で7月14日に法王あてに送られたとするEメールは偽物であり、Seytoff氏によって送られたものではないと言明した。
この偽Eメールは東トルキスタンのウイグル人を支持するために行われる世界的抗議キャンペーンにチベット人の参加を要請するものだったという。

(しかし、一方)法王の秘書官テンジン・タクラ氏はレポーターに対し、そのような手紙もメールも一切受け取っていない、と答えた。

世界ウイグル会議は「このメールはWUC(世界ウイグル会議)やUAA(ウイグル・アメリカ協会)とは全く関係がないものであり、単語のミスも多く、添付のリストも間違っているし、Seytoff氏の役職も間違っている」ともコメントした。

しかし、すでに複数のニュースメディアがこの偽のEメールを引用しているし、中国メディアも「専門家」の意見だとして、これをもって海外のウイグル組織もチベット亡命政府も同じ分離主義者だと評論しているという。

プレス・リリースはさらに「UAAとWUCはこれらの偽メールやウイルスは中国人ハッカーたちがウイグル人の人権擁護活動を妨害するために行っているものであり、目的は人権擁護を行っている活動家の信用を落とすためと世界のリーダーを混乱させることにある」

「中国政府の強硬な弾圧政策の下に置かれているウイグル人とチベット人の状況には多くの共通点がある。例えば、その宗教弾圧、文化抹殺、投獄、そして広く行われている拷問などだ。しかし、チベット亡命政府が分離主義者組織でないように、UAAもWUCも分離主義者組織ではない。両組織は共に東トルキスタンの人々の自治と人権を求めているだけだからだ」と続けられている。

多くのチベット支援者たちがネット上で、中国政府のウイグル人とチベット人の戦いを一絡げにしてテロリストと呼び、その弾圧を正当化しようとしている動きに懸念を示している。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

タクラ氏が「そんなものは受け取っていない」と言うメールを巡るお化けな話です。










rftibet at 12:32|PermalinkComments(1)TrackBack(0)その他 

2009年07月16日

内に遊びに来る子どもたち、その二

ダラムサラの虹2今日の写真は先日暮れかかった空に立ち昇った虹です。

ツェリン・ノルブの話の続きをもう少し。
家に泊まった次の日の朝早く、バイクに乗って二人でTCV病院に行った。
彼の寮仲間の一人が結核になってそこに入院したので見舞に行きたい、と家に来た時から言っていた。
町を通り過ぎようとしたとき、ノルブが「何か買っていったほうがいいんじゃない?」と言う。確かに、手ぶらで見舞に行くというのは日本でもよろしくないが、チベットでもそれは同じなのだ。それにしても、よく気が付く子だわい、と思った。
バナナとマンゴーを他の子供たちの分もと沢山買い込んだ。

TCV子供病院の中でも結核の子は一応中庭を隔てた病棟に隔離されていた。
そこは男の子ばかりで、高校生ぐらいの子が多かった。何部屋にも分かれていたが、およそ15人ぐらいいたと思う。
ノブルの友達はその中でも一人部屋に隔離されていた。
良くわからないが、彼は7か所結核菌に侵されているとかで、やせ細り、元気はなかった。
かなり重症と思われた。
それでも、ノルブが部屋に入って行くと、喜んだ顔になってベッドから起き上がった。
それから、しばらく二人で仲良く話をしていた。

ちょっとだけだが、みんなマスクもしていないしで、私は(経験者だから)まだしも、弱っちいノルブは大丈夫かな?と思った。
もっともスジャ・スクールには結核の子は沢山いるとか。
この辺では軽度の結核患者は隔離などしないものだ。
この友達とも彼がここに来るまではきっとノルブも一緒に寮で寝起きを共にしていたのだから、罹るものならもう罹ってるということでしょう。

彼が早くまた元気になることを願います。

ーーー

ダラムサラの虹次の子の話。

ペマ・デキ18歳。
子供という年齢ではないが、9歳ぐらいから知っているし、とにかく今も背が低いこともあって子供なのです。
この子は亡命してきた子ではなくインドで生まれたのです。南のキャンプで生まれたが、家があまりに貧しいので、ダラムサラの親戚のおばさんの家に預けられていました。
しかし、このおばさんには問題があったのです。
この子は近所でも有名でした。いつも、顔に殴られた跡があり、暗かったのです。
おばさんは犬狂でした。7,8匹の大きな犬を飼っていました。
この子は犬の世話係で、朝早くから犬にやるためのたくさんの内臓を買うために肉屋に行かされ、学校が終わってからもすぐにいろいろな仕事を言い付けられるのです。おばさんは犬は殴らないが、子供はすぐに殴る。犬には肉とかもやるが、その子には決して肉をやらない。
その殴り方がひどく、悲鳴が近所まで聞こえてきたという。
私はそれまで「チベット人はほんとうによくみんな子供を可愛がる」と思っていたので、この話には最初驚いた。

その子を見つけ、話をした。
確かに殴られた跡がある。なかなか話したがらない。ただ「犬の世話をしないといけない。料理や洗たく、買い物で忙しいよ。勉強の時間はない」と言っていた。
近所のチベット人たちは、「ほっておいたらあの子は死んじゃうよ、あのババアは普通じゃないよ」と大袈裟なこともいう。

それで、何とか出来るかなと思い、おばさんと話をした。
「ルンタがこの子のスポンサーを探してTCVの寮に入れてもらうというのはどうか?おばさんはもうこの子のために金を払わなくていいのですよ」と持ち出したが「犬の世話係がいなくなると困る」と強情でうまくいかなかった。
そこで、奥の手を使い、町の大物を介することにした。おばさんはその後了承した。
普通は保護者がいる子供はTCVの寮には入れないのだが、これもTCVに事情を話し、了解してもらった。
そして、それからいままで10年近く、日本の方にずっとスポンサーして頂いています。

ダラムサラの虹3毎月第二土曜日になると「チョーラ・タシデレ!」と元気いっぱいの声で家のドアを叩き、顔を出す。いつも、友達が待ってるからといって、長くはいない。
この子はあんなに暗かったのにと見違えるほどに明るくなった。というか、ほとんどどこかが切れてるんじゃないかと思うくらい、明るい。
まず、座らせ、さっそく最近発表されたはずの試験結果を聞く。
「この前の試験は何パーだった?」
「へへへ、、、今度は下がったよ」
「いくら?」
「52%だったよ、、、」
「何と!ぎりぎりじゃん」
悪びれもせず笑い続けている。
「そういえばもう来年は卒業じゃなかったっけ?」
「そうだよ、後半年ぐらいだよ」
「50を切ったら終わりだね、、、、で、卒業したらどうするの?この成績じゃ大学は難しそうだよね」
「きっとキャリアコースに行くよ」
「何そのキャリアコースって?」
「看護婦とか、ビジネスとか、コンピューターとかだよ」
「何か、それは専門学校のようなものだな。それにしてもその成績じゃTCVからお金でないよね、、、、は、先のことにして、ま、頑張ってまずは卒業してくれよな」
とここまで来ると、「じゃチョーラまた来るよ。友達が待ってるから」と風向きが悪いと感じたか、もう帰ろうとする。
いつものように急いでちょっと小遣いをやって見送った。

昔のこの子の姿を思うと、勉強少しできなくても、明るくて元気いっぱいだから、これで十分だ、と思うのでした。










rftibet at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年07月15日

パルデン・ギャツォさんに会った話

昨日どなたかGoogle Earthでノルブの家をご覧になった方はおられませんかね?
感想をコメント頂きたいですね。
地図を起こして3Dで眺めると、あたりの雪山の高さが良く解ります。

ーーー

15.7.09 パルデン・ギャツォ氏1ところで、今日はパルデン・ギャツォさんに会って、やっと日本で再刊された本人の本を渡すことができました。

送って下さったY女史には遅れて申し訳ないことでした。
何度か自宅を訪ねたことがあったのですが、いつも表に鍵がかけられていて、留守とおもったのでした。今日、本人からこの鍵についての秘密を聞くことができました。
パルデンさんは瞑想とかもされるので、なるべく静かに過ごしたいと、携帯も持たれないし、外にもあまり外出されないのです。
鍵をかけ、いないと思わせているのだそうです。
本当に会えるのは、鍵の掛け方の秘密を知る人だけと言うわけです。

長く本のことは一旦忘れていたのですが、昨日パルデンさんの映画を見て、ぜひ本人に会いたいということで、ここまで来られた御夫婦にレストランで会い、これはいい機会だと昨日と今日パルデンさんに会うことになったのでした。

15.7.09 パルデン・ギャツォ氏2パルデンさんは全く変わりなくお元気でいらっしゃいました。
「自伝の再刊のために努力して頂いた方々にお礼を言っといてくれ。日本語の本を又見て、今日は嬉しいよ。さあ、お茶を作ろう、ゆっくりして行ってくれ。」
と、いいというのに、お茶の支度。

「日本ではゲンラ(先生、パルデンさん)の本は良く売れてるそうですよ!映画もまだ続けて上映されてるみたいだし、今日はこうしてわざわざ日本からゲンラの映画を見て感動したから、といって来られた方もいらっしゃる。すごいですね!」
ゲンラは少し耳が遠いので大きな声で話かけないといけない。

「おお、そうか、本当は今頃日本に行ってるはずだった。自分が行って本にサインすればもっと売れると言うではないか。でも、スケジュールの関係もあって、いろいろとうまくいかなかったのだ」とその時の事情を詳しく説明された。

「自分の手元にはこの本は無かったのだよ。前の日本語版は下のライブラリー(チベット図書館)に持っていった。そこには世界の25カ国語に翻訳された自分の本が全部そろっとるのじゃよ。フランス、ドイツ、イタリア、デンマーク、ポルトガル、韓国、、、、、」
と、よく覚えてるものだと思うくらい次々と世界の国名を上げていた。

最近は割りと暇にして、ダラムサラで朝、4時に起きて、五体投地の後、身体を洗って、仏壇を整え、そのあとは静かにお経を読んだり、瞑想したりして過ごされているそうです。

15.7.09 パルデン・ギャツォ氏3せっかくなので、一つだけ時事にちなんだ質問をしました。
「最近のウイグル情勢の急変についてコメントを」

「おお、ウイグル、シンジャンだが、基本的にはチベットと同じだよ。1949年に共産党ができてそのあとすぐにシンジャンは侵略された。モンゴルもチベットも同じだ。
その後一旦はチベットと同じでほぼ完全に鎮圧されていた。でも心が変わったわけじゃない。死に絶えていたのじゃない、今回もそんな溜まりに溜った怒りが爆発したのであろう。
でも、外国はみんな黙ってる。アメリカもヨーロッパも中国の悪さかげんは良く解っているのに、何も言わない。金で頬を撫でられてるようなものだ。

毛沢東の本を思い出す。それは毛沢東の5冊目の本で、死後に出版されたものだが、その中に<シンジャンに入る時には、決して武器を向けず、静かに笑顔で入るように。解放軍は現地の木一本でもみだりに切ってはいけない、と指示を与えた。
そして、シンジャンの人々は我々が彼らを助けに来たのではないかと思い、拍手で出迎えたのだ>というのがあるが、チベットも最初は似たようなものだった。毛沢東が如何に悪賢い奴かがわかるというものだ。

シンジャンの人たちはアメリカの政策を利用した中国によってテロリストにされてしまった。やってることはチベットと変わらない。平和的デモをしただけだ。
それに対し、中国が発砲した時、その時の反応も似ているが、あっちはもっと激しかったようだ。

どちらにせよ、嘗て独立国であったことはチベットと変わらない。侵略を嫌い独立を求めるのは当たり前のことだよ」


「チベットとの違いはあるか?」

「それは、チベットは仏教の国だし、法王の指導もあって非暴力が看板だが、あちらはそうでもないんじゃないか?確かに今は仕方なく非暴力でやってるが、機会があれば暴力、武力に訴えても独立したいんじゃないかと思う。そこが違う」

「中国は抑えつければそれで片付くと思ってるがそうはいかない。
例えばだ、去年日本に行った時、原爆が落とされた広島に行った。広島に原爆が落とされた時には私は17,8歳だったが、よくおぼえている。チベット政府は広島の犠牲者のために各僧院に金を出して供養の祈りをさせたものだった。その広島だが、すっかり立派な街になっていたのには驚いた。いくら、アメリカがやっつけたつもりでも、ちゃんと生き返るという証拠だ。例えばこの私だが、中国はあれほど長い間、自分を傷めつけたが、どうだ、私はこのようにまだ元気に生きている。心は全く変えられていない。人の信念は暴力では破壊し得ないという証拠だよ。中国の今のやり方でシンジャンの人たちの心を変えることは到底できないであろう」

とおっしゃっていました。

また、近いうちに日本に行きたいとも言っておられました。

別れ際に一人ずつカタと首から下げる法王の写真付きペンダントを頂きました。













rftibet at 16:10|PermalinkComments(4)TrackBack(0)その他 

2009年07月14日

内に遊びに来る子どもたち、その一

Tserin Norbu内の家に遊びにくる子供たちの話。

普段は山の中の静かな家だが、月に一度、第二土曜日と次の日曜日にかけて何人かの子供が家に顔を出しに来る。
そのうちの一人はツェリン・ノルブ。
彼は左の絵を描いた子として、このブログでも取り上げたことがあるし、NHKさんも彼の寄宿舎生活を取材し放映したことがある。
私が去年の冬にダラムサラのネレンカン(難民一時収容所)で見つけた、絵のうまい子供で、日本では少しは有名になってる?子だ。14歳の時、例のナンパラ峠越えの途中で中国兵に見つかりシガツェの監獄に二週間だけ入れられた経験を持つが、その時の様子を描くのが上手いのだった。

とにかく最初からなんとなくお互いに気に入り、一か月に一度しかない、学校を出てよい日になると、他に行くとこもないので泊まりがけでスジャからバスで内に来るようになった。
いつもの様に、バスにもまれて汗臭くなって家に入ってくるとすぐに、「今度の試験で順番が上がった。4番になった」と嬉しそうに話す
「前は何番だったの?」
「5番だよ」
「4番って、クラスでなの?全体でなの?」
「OC2(正規のクラスに入る前の準備クラス)全部でだよ。200人はいるよ」
「そうか、そうか、、、すごいね!すごい!すごい!」
と、喜んだ。
この子の笑顔がなんともいえないのだ。もう16歳になるだろうにまったく顔が子供だ。
それもそのはず、この子の生まれ育った場所はチベットの真ん中の山の奥の奥の、世界の果てのようなところだったのだ。
その「地の果てさ」をその日初めて肉眼で確認したのだった。

と、いうのもそれ以前からグーグルアースで彼の田舎を見せてやろうと、何回かトライしたが、あまりの田舎で、彼の知っている近くの町の名前さえ載っている地図がなく、山合いの彼の谷は見つけられなかった。しかし、ちょうど最近良い地図を一つ手に入れていた。
この地図はおそらくチベットに関する限り今だもって一番沢山村の名前まで詳しく載っている地図だ。本当はそのチベット語版が欲しかったが、もう売り切れになって数年経つが再販のめどなしとのことだった。実はこの地図をダラムサラでつくっていたスイス人も、その苦労の様子も良く知っているのだ。彼とはもう15年ぐらい前だろうが、そのころ町にまともなマックは彼と内にしかなかったというデザイン仲間だった。

その彼の地図をノルブと眺めると、はたして彼の村の名前が載っていたのだ。
Sene Gon と地図に書かれているが、Google Earthの中では******と呼ばれ、
チベット自治区ナクチュ地区、、、、とも表記される。

谷合いの川が二本合流する場所の左手の丘の上に集落が見えますが、これはこの辺唯一のゴンパ(僧院)です。彼の話だと文革前にはここには100人以上の僧侶がいたが、文革ですっかり壊され、僧侶は強制的に環俗させられ、廃れたという。
今は再建され老僧ばかり10人ほどが住んでいるはずだという。

彼はこのゴンパの風景をみてはじめて、「はああああ、おおおお、ここだ、このゴンパだ。
house of tserin家はここから近いよ!」と顔を紅潮させて目を輝かせた。
そこから彼の要領をえないガイドに従いやっと彼の家まで、見つけることができた。
そこを教えると、、、北西から下って来る川を遡り、その川に北(北)東から流れ込む3番目の小さな川の谷に入る。入って川沿いにおそらく500mぐらい登ったあたりの左手上の台地に4軒だけの村を見つけられるはずだ。この部分はグーグルの地図もはっきりしている部分で家まではっきり確認できる。
もちろん、彼は自分の生まれ育った家、今両親の住む家に空から一気に近づいて見えるということに、よだれをとばして驚き、喜んだ。
四世帯四軒しかない集落だが、今は一年を通してそこにいるのは一家族だけで、他は彼の家族を含め、冬はラサに住むという。でも夏になると、冬虫夏草が沢山とれるのでそのためにみんな帰ってくるのだという。
私は前から、きっと近いうちにチベットに行くから、必ずお前の村にいくぞといっていた。

谷には車は全くいなかったが、最近冬虫夏草で小金を得た若者がバイクを担いで来て、その谷を行ったり来りするという。
谷には電気はなく、だからテレビもない。電話もないそうだ。
辺鄙のお陰で中国人も一人もいないという。
高度が高過ぎて、中国人は頭が痛くなって長くいれないそうだ。
谷全体に標高が高過ぎ大麦もできず、全員農業を知らない、完全な遊牧民だという。
学校は嘗て一人先生がいて読み書きを教えていたが、その先生が死んで後は学校もないという。
彼は殊勝にも、しっかり勉強した後に、故郷に帰って学校を開く、といってる。

この四軒だけの集落にも、嘗て子供が沢山いたという。
自分のところに3人、隣に6人その隣に2人の子供がいたが、なぜか全員男ばかりだったという!一人も女の子がいなかったとか。
みんなでつるんで楽しく遊んでいたという。
みんな家の手伝いでヤーなどの家畜の面倒を見ていた。夏には谷の奥の牧草地にテントを張って生活したという。

私は最近特に高山植物に興味を持ち始めているので、さっそく、花の本を見せながら、この花を見たことがあるか、「これはブルー・ポピーだが、、、」と見せると「あるある、たくさんある。急な崖とかに生えてる。これもこれもある。夏にはあたり全て花だ」という。
ここで、今度は私のよだれが出そうになった。
「子どもたちは花で冠を作って遊んだよ」とのこと。
何と、この四軒だけの集落からインドに4人も子供が亡命して来ているという。
後はナクチュやラサの学校に送られる子供が多く、今はほとんど子供は村に残っていないはずだという。

それにしても、このノルブは感心するほど良く勉強するのだ。家に来ても、ほっとくと必ず教科書をだして勉強している。いつまでも勉強している。
とにかく一途だ。遊牧民の集中力かな?と思ったりする。
はっきりいってほんとうに見た目も中身も純粋田舎者で、少しとろくて、勉強出来そうには到底みえないのだが、頑張るのだ。
遅れて亡命してきたので、必死に遅れた分を取り返そうとしているのであろう。
来年から上手く行けば、小学校6年のクラスに行けて、そのあとも飛び級がある。

身体が、ひょろひょろなので運動をするようと、一緒にヨガをやっていて初めて気づいたのだが、彼の足は異常に細い、とくに左足が細い。「子供の時からこんななのか?」ときくと、「子どもの時はもっとひどくて足が曲がっていた。ラサの病院にいって良くなったのだ」という。
きっとこの子はポリオに罹っていたと思われた。
それで、早くは走れないので学校でも運動しないという。

とにかく、何の因果か、この子はこんな田舎から二度目の逃避行でやっとインドに逃れ、こうして勉強に生きがいを見出し、試験で4番になった。
本当にすごいことだと、思うのだった。

次の日、「両親がチベットからお金を送って来た。今からそれを受け取りに行く」と言いだした。
こちらにくる伝手を頼りに彼の両親は、初めて子供に<3000ルピー>を送ってよこしたのだ。
この日はそれから彼はすぐに本屋に行って英語の本を買い、バッグを買い、なぜか仏壇に供える水盤セットを買った。私が払おうとしても決して受け取らず、今日は自分だってお金を持ってるんだ、とばかりにいきよい良く、嬉しそうにお金を自分で払っていた。


後三人、子供がいるのですが、<続き>にします。











rftibet at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年07月11日

ウルムチ・ジェノサイド?

Rebiya Kadeerウルムチで最初の衝突はどのような状況のもとで起ったのか?
どう展開したのか?

当局は184人の死者の内、漢族が137人、約3/4と発表した。
ウイグル人がたったの46人というのは、ラサの時と同じく冗談としても、漢族がそれだけどうやっていつやられたのか?
それほどの反撃を加える前の状況はどうだったのか?
等の肝心な点は全く明らかになっていません。
これから徐々に(中国人がやられた状況だけは)明らかになるかも知れませんが、当局はデモ参加者、目撃者を徹底的に逮捕、拘束しているでしょうから、真相はなかなか見えてこないでしょう。

一見報道も自由に見せかけていますが、すべて監視のもとです。中央政府が許可したものの、地方当局はこの処置に反発しているそうです。

肝心な部分は闇のままです。

ーーー

そういえば昨日サーチナの、トルコが中国の今回の処置を歓迎している、というような趣旨の記事を紹介しましたが、今日BBCではトルコが「中国が今回ウイグル人に対してしたことはジェノサイドだ」との声明を出したことを伝えています。

10.7.09 ダラムサラダラムサラでは昨日夕方ウイグルの人々との連帯を示すためのキャンドル行進と集会が行われました。

日本でも明日デモがあるようですが、中国人も妨害のために召集を掛けているようです、まずは数で負けないように、チベットサポーターもできるだけ参加してしてほしいとおもいます。
あくまで非暴力で、中国人が近づいてきたら「フリー・チャイナ!!! フリー・チャイナ!!!」をお忘れなく。

以下、まずアムネスティ日本とITSNの声明文を紹介し、その他の目立ったニュースをコピペします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本支部声明 : 新疆ウイグル自治区:非暴力で抗議行動を行った者の即時釈放と透明性ある調査を求める

http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=681

駐日中華人民共和国大使館 特命全権大使 崔天凱 閣下

アムネスティ・インターナショナル日本は、新疆ウイグル自治区での武装警察と市民との衝突によって150人を超える死者と1000人以上の負傷者が出たことについて深く憂慮します。中国当局は、非暴力で抗議行動を行なって拘束されたすべての人びとを釈放すべきであり、また治安回復を理由に過剰な武力を行使してはなりません。

7月7日付けの報道によると、ウルムチにおける死者は当局の発表で156人、負傷者は1080人にのぼっています。さらに警察がウイグル人の各家庭をまわり、「尋問」のために若い男性を次々と連行しているとも伝えられ、拘束者は1400人以上に達しています。

抗議行動は、2名のウイグル人が死亡した広東省の玩具工場における暴力沙汰への警察の対応に抗議し、平和的なデモから始まったと伝えられています。一方、治安当局は、国外のウイグル人組織が暴動を扇動したと主張し、自治区内の「扇動者」の重要人物として10数名を逮捕、なおも約90人を捜索していると発表しました。

アムネスティ・インターナショナルは、中国当局には市民の生命と安全を守るための措置をとる義務があり、治安部隊であれデモ参加者であれ、暴力に訴え市民を死傷させた者はその責任を裁判によって問われるべきであると考えます。しかし一方で、中国政府は、平和的に抗議行動を行おうとするウイグル人の表現の自由を厳しく制限して弾圧し、抗議行動に参加した人々に過剰な武力を行使し、また恣意的な逮捕を続けています。

アムネスティ・インターナショナルは、拘束されたウイグル人が拘禁中に拷問や虐待を受けたり、騒乱の「扇動者」あるいは「分離主義者、テロリスト、宗教過激派」の容疑をかけられた者が公正な裁判を受けることもないまま極刑に処せられる危険があることについて、とりわけ強い懸念を抱いています。中国当局はこれまで、「反テロ」を理由に何万というウイグル人を拘禁しており、「分離主義者、テロリスト、宗教過激派」の容疑で拘禁されたウイグル人は、隔離拘禁、拷問、不公正な裁判に基づく投獄、さらには処刑という重大な人権侵害の危機に晒され続けています。

ウイグル人と漢民族との間での緊張は、長年にわたって蓄積されたものです。新疆ウイグル自治区では、ウイグル人の市民的、政治的、経済的、そして文化的な権利が侵害され続けており、ウイグル人としての権利を公に主張することは、「テロリスト」や「分離主義者」のレッテルを貼られることにつながります。政府は多くのイスラム寺院を閉鎖し、数万冊のウイグルの本が発禁・焚書にされ、新疆大学のほとんどの講義でウイグル語の使用が禁止されました。漢民族の不動産業者がウイグル人から土地を奪うという報告もあり、雇用においてもウイグル人が差別されています。このような差別や権利の侵害、自由の制限が今回の事件の根底にあることは明らかであり、中国政府は早急に、その政策を見直すべきです。

以上のことから、アムネスティ・インターナショナルは、新疆ウイグル自治区で起きた今回の人権の危機と拘束された人々の処遇などについて、以下の通り貴国に要請いたします。

1. 今回の騒乱に関連して拘束されている人々の名前と所在を明らかにし、自らの意見を平和的に表現し、表現、結社、集会の自由を行使したために拘束されたすべての人々を直ちに釈放すること。

2. 国内および海外のメディアが現地に入り、自由に取材することを制限しないよう保証すること。

3. 多数の死者と負傷者を出した今回の事件について、透明性のある調査を直ちに実施すること。

4. 被拘禁者の犯罪容疑を明らかにし、国際人権基準を尊重し、公正な裁判を実施すること。被拘禁者が弁護士や家族と面会することを認め、必要な医療措置が与えられることを保証すること。

5. 被拘禁者が拷問や虐待を受けないよう保証すること。

6. 固有の文化を享受し、自分の信仰を持ち、自分の言語を使用するというウイグル人の権利を尊重し保護すること。

以上

2009年7月8日
社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
理事長   藤田 真利子


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下、瓜子様訳

国際チベット支援団体ネットワーク the International Tibet Support Network (*注釈1参照)参加168団体は、現在東トルキスタンで起こっている事態の進展に付いて深い懸念を表明します。

私たちは中国政府に対して、平和的な抗議行動に参加したとして拘束された人々の釈放と、遮断されたウルムチ地区のインターネットと携帯電話等の情報手段を復旧し、報道陣の自由な立ち入りを許可し、動乱を悪化されいるプロパガンダを中止し、国連の独立調査を受け入れることを要求します。

ITSN参加団体は、この悲惨な状況について連帯の意を表明するメッセージをthe World Uyghur CongressのメンバーであるRebiya Kadeer女史に対して送りました。

2008年チベットで起きた抗議行動と同様に、中国は今回の事態について”管理”しようと以下の様な点が繰り返されています。

- 外国人記者の自由な取材を閉め出ししている。(現在ウルムチに入っている記者は、政府管理によるツアーの一員として参加している)

- 自治区内から、市民の声を外に出さないように、インターネットや携帯電話の回線を停止して情報を隔離している。

- 夜間の家宅捜査を実施し、何百という人々を逮捕している。

-ニュース報道で、繰り返し抗議行動を、暴動と位置づける画像や表現を流し、民族感情を悪化させている。(*注釈2参照)

-確かな確証もないまま、”敵対的な異分子勢力”とみなし、彼等の合法的な不満の表現を批判している。
(東トルキスタンの場合はthe World Uyghur CongressのRebiya Kadeer、チベットはダライラマと、その一派といったように)

チベットで平和的な抗議行動がチベット高原一帯で起こってから16ヶ月が去った今でも、チベットは実際に戒厳令下の状況にあります。動乱期間中に行方不明となった1000人もの状況は未だわからず、動乱中に死亡したチベット人の数は200人以上にも上ります。

何百という数の逮捕者を出し、判決が出されました。その中には2008年3月14日ラサでの動乱に参加したとして、4人の男性と一人の女性が死刑宣告を受けています(3人は2年の執行猶予付き)死刑囚となったLobsang Gyaltsenと Loyakに対する刑の施行はいつ起きてもおかしくありません。

半世紀にも及ぶチベットと東トルキスタンに於ける中国の占領にも関わらず、チベット人とウイグル人は中国の支配を認めておらず、現在まで絶え間なく、基本的な権利と人権についての要求を訴えています。
チベット人とウイグル人の主権を認めない中国政府の政策はチベットと、東トルキスタンでの安定を生み出すどころか、破壊しています。

the International Tibet Support Network参加団体は、チベットと同様に中国政府による東トルキスタンに対する刑罰の厳罰化、強制失踪や暴行行為などの弾圧が強化されることに、懸念を共有します。

私達はチベットと同様に、中国政府に対して60年に及ぶ東トルキスタン占領に対する誠意ある解決を求めるために、国際社会に協力を求める意向です。
私たちは、Rebiya Kadeer女史が緊急声明で、東トルキスタン全土に渡る非道ななウイグル弾圧の停止を中国政府に対して求め、平和と正義、そして、あらゆる暴力の即時停止の訴えに深く同調します。

*注釈1;The International Tibet Support Networkはチベット支援の国際協調を最大化するために作られた168のチベットに関するNGOを繋ぐ国際ネットワークです。ITSN参加メンバー団体は、チベットの将来に対する政治的見解について、個々の意見を持ちますが、一環してチベットを占領国家としてとらえ、チベットの人権侵害を停止するために献身的に活動し、チベットに人々が国際法によって自身の政治、経済、社会、宗教そして文化に対する権利を取り戻すよう働きかけています。

*注釈2;中国、北京公盟法律研究中心の発表した報告では、2008年3月14日のチベットでの抗議行動にたいする中国政府による悪性のプロパガンダが中国人とチベット人の間に亀裂を作っていることを指摘しています。
報告書には”3.14事件を「暴動」として誇大プロパガンダの一環として事件を誇張する政府のやり方は、ある種のチベット人の民族感情を生んだ。この種のプロパガンダは長い目で見ると、民族の共存にとって大変有害であるだけでなく、漢族がチベットの文化に対してもった興味や魅力は、チベット民衆に対する恐怖と憎しみに変わって行った。”とあります。

参照リンクhttp://tibetnetwork.org/chinesevoice

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

暴動死者数は184人に 大半は漢族 中国当局者

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/china/276758/
2009/07/11 08:22更新

 新華社電によると、中国新疆ウイグル自治区の当局者は、区都ウルムチ市で発生した暴動の死者数が10日深夜までに184人に上ったことを明らかにした。これまでの当局発表の死者数は156人だった。

 死者の民族別内訳は、漢族が137人(男性111人、女性26人)に上ったほか、ウイグル族が46人(男性45人、女性1人)、イスラム教徒の少数民族、回族の男性が1人。

 暴動の死者数をめぐっては、世界の亡命ウイグル人を束ねる「世界ウイグル会議」(本部ドイツ)が「1000人以上」との見方を示している。(共同)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「死者最大3000人」 ウイグル会議議長7月11日7時56分配信 産経新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090711-00000096-san-int
【ワシントン=古森義久】中国の新疆ウイグル自治区での暴動について、「世界ウイグル会議」のラビア・カーディル議長は10日、米連邦議会の構内で記者会見し、「中国当局はウイグル人の死者数を150余人と発表しているが、われわれが現地から得た情報では1千から3千人に達する」と言明した。

 カーディル議長は「中国当局の武力弾圧や漢族の攻撃により殺されたウイグル人は各地からの未確認情報を総合すると、5日から現在までで、最大3千人にも及ぶと私たちはみている」と述べた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【ウイグル暴動】暴動に関わるな 人権弁護士に中国当局警告

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090711/chn0907110135002-n1.htm
国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は10日、中国国内からの情報として、司法当局が多くの人権派弁護士に対し、雇用主の法律事務所を通じて新疆ウイグル自治区での大規模暴動関連の弁護を引き受けてはならないと「厳しい警告」を発していると批判した。

同団体のアジア太平洋担当幹部ロジーン・ライフ氏は「弁護士への脅迫は、公正な裁判や法手続きを損ねる」と述べた。

また、暴動を扇動した嫌疑で、中央民族大学副教授でウイグル族のイリハム・トフティ氏が8日朝から公安当局に拘束され行方不明だとした上で、当局に居場所の即時公表を要請、「平和的に自説を述べただけで拘束しないと保証する」ことを求めた。(共同)



rftibet at 16:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年07月10日

シルクロード

高昌古城私もかつて一度だけだが、シルクロードあたりを旅行したことがある。
確か1985年のことで、話は相当古い。

チベットに行くつもりが入域許可を得ることが出来ず、カシュガルまで行きつき、そこでも貰えなかったので、仕方なくカイラス経由でラサ潜入を企てたが途中で見つかり、カシュガルまで連行され、遠く蘭州まで追い返された。
この話は前したからもうしないが、とにかく敦煌から始まり、、ハミ、トルファン、ウルムチ、天山山脈、クチャ、カシュガルと遺跡巡りを中心に楽しく旅行した。

このころ楽しく旅行できるのは中国の中ではウイグルとチベットだけだった。
というのも、他の中国では(そのころ)人が笑うのを一度も見なかったからだ。
その時は香港でビザを取り、広州、雲南、成都、西安、蘭州と辿って行ったが、人々はほぼ全員上下ともに人民服だった。私もまぎれるために一着の人民服と人民帽を普段着とした。

服装が同じになると考え方や反応も同じになる傾向がある。
特に感じたのは女性が女性でなくなり、、、男化する。バスの運ちゃんも女性が多かった。
どこでもかな切り声を上げて口げんかばかりしていた。
男は男で本気の殴り合いの喧嘩をどこの街角でも見かけることができた。
まず、男ばかりか女性も全く笑顔をみせない。
人らしい親切さを要求するのは無理にしても、宿や店の女性も愛想笑いも決して見せなかった。
それが中国の当たり前と慣れたころ、、ウイグル人地区に入って女性に目が行く自分に気づいて、そうかここにはちゃんと女性がいるのだな、、、と変に感心したものだった。単に美人が多いので自然にこちらの顔がゆるんでいただけかも知れないが。

まず、ウイグルの女性は頭に派手なスカーフを巻きスカートをはいている。
人民服を着る女性は漢族と決まっていた。宿や店の女性はちゃんと愛想笑いをする。
ただ、それだけで私はずいぶん社会全体が違って見えたものだ。
中国人の家に誘われておじゃまするなどと言うことは考えられなかったが、ウイグル人の家庭には何軒か遊びに行った。
それまでの中国内地旅行中無意識に緊張し続けていたことが、心がほぐれて始めて気がついた。
天山山脈の中でパオで暮らすカザフ族の遊牧民と知り合い、数日パオに泊まって寒さで眠れなかったが、山と星だけは格別素晴らしかったことを思い出す。
カザフ人もみんなやさしく感じた。

カシュガルの宿では毎日夕方、屋外でウイグル人の歌と踊りのショーがあった。
一般的には私はローカルショーを楽しまない方だか、このときの連夜のショーのことは良く覚えている。
外の街には人民解放軍のトラックが銃を構えた兵隊を満載して、一日中住民を威嚇するように走りまわっている。
モスクは荒廃し明らかに民族、宗教弾圧を受けていた。
宿も経営者は中国人だ。
その庭で10人ほどの踊り子と5人ほどの楽隊が明るい顔をして、精一杯きらびやかに踊り、歌っていた。
その光景は私のシルクロード旅情のエッセンスのように今も鮮やかに思い出される。

そこは中国ではなかった。
ウイグル人たちは強く、開放的で明るい人々だと感じ、それからずっとウイグル人びいきなのだ。

BBCでは先ほども新しく数十人のウイグル人がデモを行ったところに武装警官隊が駆けつけ、蹴ったり、殴ったりするところを映していました。
「あ、今後ろから足でけられました。今度は、見てください、後の方で棍棒で思いっきり殴りつけています、、、」とスポットの当てられた映像とともに実況中継されていました。しばらくすると、「あ、ここまでです。見つかってしまいました」との解説とともに映像は切れました。
これは、チベットでは期待できない映像でした。

ダライ・ラマ法王 ウーセル女史のブログよりウイグル人にはダライ・ラマ法王のようなリーダーが居ないので、例えば今度のG8でも話さえ出なかったように、チベットのようには国際的支援が得にくいのが可哀そうです。
非暴力の運動を続ける限り、少なくとも法王は必ずチベット人と同じようにウイグル人を見守っていらっしゃると確信します。

-------------------------------------------

以下、サーチナより。

ウルムチ暴動:武装警察って?権限決めた法律なし

2009/07/10(金) 01:47

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0710&f=national_0710_002.shtml

  ウルムチ暴動に武装警察官の部隊が出動したことが伝えられている。現地の高官が敵対心をあおるような言動を行った一方で武警の権限と職責を定めた明確な法律が存在しないことが分かった。市民への不当な拘留や暴力的な取り調べを排して武警の暴走を防ぐためにも早急な法整備が望まれる。

■権限決めた法律なし

  中国国営の新華社通信によると、武警は人民解放軍と同様に中国共産党の指導を受ける国家武装力。国務院と中央軍事委員会の2重支配を受けている。同社は「武警の基本的任務は国家の安全と社会的安定を維持すること、国家の重要な目標を守ること、人民の生命・財産を保護すること、戦時には人民解放軍と協調して防衛作戦を展開すること」と説明。また反乱や騒乱といった社会秩序を揺るがす事案への対応も担当することになっている。

  ただし武警の権限と職責を定めた明確な法律が存在しないことが分かった。武警の王建平参謀長が今年1月に中国系雑誌の取材に応じて「『法治国家』でありながら法律による裏づけがないなんて先進的な武器を保有していないことよりも遥かに恐ろしい」と語った。このため王氏は「人民武装警察法」の立法作業を進めていく強い意向を示した。

■ウルムチ暴動 武警に注目集まる

  これを受けて4月に行われた全国人民代表大会常務委員会では「人民武装警察法」草案への審議が始まり武警の呉双戦司令員が説明を行った。同草案では現場指揮官の同意を経て犯罪の容疑者に対して職務質問を行った上で身分証明書の提示を求めることができることなどが盛り込まれた。呉氏はさかのぼること3月に新華社通信の取材に応じて「人民武装警察法」を今年中に制定・施行できるとの見通しを示していた。

  はからずもウルムチ暴動で全世界から武警に大きな注目が集まった。現地の高官が敵対心をあおるような言動を行った一方で武警の明確な権限と職責が定められていない状態では市民への不当な拘留や暴力的な取り調べに歯止めが利かないことになる。武警の暴走を食い止めるべく早急な法整備が望まれる。写真は新疆ウイグル自治区ウルムチ市の人民広場に集まる武警。7月8日撮影。(編集担当:麻田雄二)



rftibet at 17:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年07月09日

ウルムチを巡って

7.7.09 ウルムチトルコがウイグル支援のために今回のウルムチ事件について国連が審議するよう要請するというニュースはReuters伝としてパユルも伝えています。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=25127&article=Turkey+wants+U.N.+to+discuss+Xinjiang+violence

同じ内容をおこちゃ様が伝えておられます。

2009年7月8日、英BBC放送の中国語サイトによると、トルコのアブドゥッラー・ギュル大統領が、中国の新疆ウイグル自治区で発生している暴動の平和的な早期解決を中国政府に呼びかけるとともに、事件について国連安保理に提出することを明らかにした。

また、ダーブトオール外相も「トルコ人にとってウイグル族は民族的に兄弟のような存在だ」とし、「彼らの今後に注目している」と事件についてコメントしたほか、中国の警察当局が国際的な人権保護のガイドラインを尊重した行動をとるように求め、住民の安全を最優先するべきだと話したという。

トルコの駐アンカラ中国大使館前では、暴動に対する中国政府の対応を批判するデモ活動が連日行われているほか、一部のトルコメディアはウイグル族団体を擁護する声明を発表、このほどのウルムチの暴動で殺害された人はウイグル族ばかりだと報じているという。現在、トルコには中国から逃れてきたウイグル族が多数在留している。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これが中国側の日本語オンラインサイトによると、驚くべきことに、話が真反対になっています。「話は取りよう」の範囲を越えてると思えますが。

http://japanese.cri.cn/881/2009/07/08/1s143249.htm

新疆ウィグル自治区のウルムチで5日、暴動が発生した後、中国はそれに対応する適切な措置を講じています。これに対して、トルコやベトナムなどの国は支持の意を示しました。また、フィリピンなどの国のメディアは世界ウィグル会議が画策した残忍な暴動を非難しました。

 トルコのダヴトゥオール外相は7日、イスタンブールで中国のウルムチで発生した暴動に対して、痛みと配慮を示しており、「中国政府はできるだけ早く犯罪者を取り締まり、現地の平和と安定を回復させることを希望する」と述べました。

 ベトナム外務省の報道官はこの日、「ベトナムは中国の新疆ウィグル自治区のウルムチで発生した暴動事件に注目している。新疆の社会秩序を回復させるために、中国政府はすでに適切で効果のある措置を講じた」と語りました。

 フィリピンの新聞紙「世界日報」は8日論説を発表し、「世界ウィグル会議は今回の暴力事件を画策して、民族の団結を破壊しろうと企んでいる。これらの不法分子は法律の処罰を受けるべきだ」としています。(Katsu/金井)


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

中国、治安部隊を大動員…ウイグル族は脱出の動き

(2009年7月9日03時07分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090709-OYT1T00018.htm

 【ウルムチ(中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区)=牧野田亨】ウイグル族と漢族の対立が続く中国新疆ウイグル自治区の区都ウルムチで8日、ウイグル族住民がウルムチからの脱出を始めた。


 区都の人口で圧倒的多数を占める漢族住民が7日にウイグル族の商店を襲撃し、情勢が一層悪化する懸念が高まったためだ。中国公安当局は武装警察部隊などを大量動員し徹底した鎮圧に乗り出しており、現地は緊迫した状況が続いている。

 複数のウイグル族住民によると、ウルムチ脱出の動きは8日朝から始まった。ウイグル族居住区に近い市中心部南端の長距離バスターミナルは、大型トランクなど多くの荷物を抱えたウイグル族住民でごった返した。ウルムチ駅に向かう住民もいるという。主な避難先は出身地や親類がいるカシュガル、アクスなど同自治区南西部の都市。あるウイグル族男性は「不安でたまらない」と話した。

 公安当局は8日早朝から、漢族が多い市中心部北側と、ウイグル族居住区との境界である人民路を中心に大量の治安部隊を配置した。中央政府幹部として初めて孟建柱・国務委員兼公安相が8日、ウルムチに入り、陣頭指揮をとった。香港メディアによると、人民解放軍も動員された。

ーーーー

ラサの時は事件後すぐにデモに参加したチベット人を逃がさないようにと、チベット人の移動は遮断されたものだが、今回は「出て行くなら出ていけ」なのでしょうか?



rftibet at 19:40|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

東トルキスタンの状況に対するダライ・ラマ法王声明

6bb34cee.JPG2009年7月8日付 ダライ・ラマ法王声明

http://www.dalailama.com/news.394.htm

東トルキスタン(新疆)の状況が悪化し、多くの犠牲者が出たことを深く悲しみ、憂慮する。

中国政府に対し、この状況に対処するに当たり、理解の精神と長期的視点に立った抑制的行動を取るよう真摯に要請する。

私はこの悲しい展開により亡くなられた方々、その家族と他の被害者に対し、心からの祈りを捧げる。

ダライ・ラマ


rftibet at 10:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2009年07月08日

ジャミヤン・ノルブと街で立ち話

7.7.09 ウルムチ中国はウルムチに何万人もの軍隊、警官隊、武装警官隊、デモ鎮圧隊を投入して、街を戦争時のように占拠しています。

四川放送などでは、わざとらしく大軍の行列を見せつけた後、ウルムチ大学の学生や先生、町のウイグル人たちから「中国政府は素晴らしい。中国に逆らうのは意味がない」と言うような意味のインタビューを取って流しています。
病院で手当を受ける幼い中国人の女の子を取材したりして、中国人の被害を強調する内容が中心です。

7.7.09 ウルムチ 中国人武装団ラサではデモの直後に逮捕されたチベット人の数は数千人に達したといわれる。
それにしては今回逮捕1400人というのは少ない方です。
もっともすべて新華社発表ですし、この二日間死者数も更新されず、まるで信用できませんが。

デモに参加した者を見つけ出すためもあるでしょうが、結局、尋問中に拷問を加え、恐怖に訴えて以後の反抗を抑えようという政策です。
これまでも、今も、これから先も多くのウイグル人たちがチベット人たちのように拷問を受けることでしょう。
中国人は恐怖政治、洗脳政策しか思いつかないのでしょうか?
もちろん少数のまともな人もいらっしゃいますが。

7.7.09 ウルムチ2街角でジャミヤン・ノルブ氏に偶然遭遇。アメリカから一か月の予定でダラムサラに来ているとのこと。
特に、今回は二人の娘をTCVとユンリン幼稚園に一か月だけ、体験入学させることが目的とか。
アメリカの話とか、お互いの家族の消息とかについて話した後、「ところで、今回のウルムチの蜂起についてのコメントは?」と聞いた。

おお、すばらしいことだ!Revolutionだ!チベットもレボルーションだ。みんな本当に勇気がある。まともな人はみんな支持すべきだ。チベット人はもっと連帯すべきだ。北朝鮮を見ろ、ビルマもそうだ。中国はこれらの国を使って特に日本や韓国の政治的力を落とそうとしている。
アメリカだって、日本だって中国の人権状況は良く知ってる、ただ中国は今強いから、遠慮して、怖がって何も言わないだけだ。その意味では法王もサンドン・リンポチェも一緒だ。
もっとはっきり言うべきだ。スピリットが大切だ。胸を張って生きていくべきだ」
とおっしゃっていました。

写真二枚はパユルから、三枚目はウーセルさんのブログからです。

最後に日本での抗議デモのお知らせです。



rftibet at 18:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事