2009年09月

2009年09月30日

ナンパラ峠襲撃事件三回忌・・・<雪紅雪白>

2006年ナンパラ峠襲撃事件三年前の今日、2006年9月30日、ナンパラ峠襲撃事件が起こりました。

ウーセルさんの今日のブログにこの事件に関する長いレポートと貴重な写真が掲載されています。生憎私は中国語を解せないので内容は今のところ想像するのみです。

“囊帕拉枪杀”三周年——《囊帕拉:雪红雪白
http://woeser.middle-way.net/

私のブログでもこの同じグループにいた数人の子供たちや、これを撮影した登山隊に助けられた当人にインタビューしたレポートを載せました。

http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-06.html?p=2#20080615



国境警備隊はこの日、国慶節を前に特別の手柄を立てるよう命令されていたのでしょうか?

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続「殺劫」/チベット人の顔は隠すべきか?

真実を暴く昨日紹介したウーセル女史の「殺劫(シャーチェ)」の話の続きです。
発音の話ばかりで恐縮ですが、<シャーチェ>について少し調べてみました。
作者の意図は嘗てこのブログで紹介したこともある福島さんのブログの表題にもなっている如く<シャーチェ>は中国語とチベット語の発音が偶然一致した?中国語の<殺劫>とチベット語の<革命>の掛け言葉のようです。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090327/chn0903270023001-n1.htm

<殺劫とはチベット語で文化大革命の意> 福島香織 (1/5ページ)

以下その一部
「■「殺劫」とは、そのまま訳せば殺し奪うこと。古典・封神演義では仙人に定期的に現れる「殺人衝動」という意味で使われている。しかし、「人類殺劫(レンレイシャージェ)」という中国語をチベット語の発音にあてはめると「文化(レンレイ)・革命(シャージェ)」となる。これは単なる偶然なのか。「四十年的記憶禁区、鏡頭下的西蔵文革、第一次公開(40年の記憶のタブー、ファインダーの中のチベット文革、初の公開)」と副題のついた同書は、チベットにおける300枚におよぶ文革写真に写っているチベット族を探しだし証言をあつめた渾身のノンフィクションだ。そして、解放軍幹部の娘であったオーセルさんの人生を大きく変えた運命の書でもある。」
2009.3.23 17:56


けち付けるわけじゃないが、これには少し無理があるように私には思える。北京方言では<殺劫>は<シャー・ジィエ>と発音され、チベット語の<革命>はラサ方言では<サルジェ>と発音されます(あくまで近似的にですが)。
ひょっとして、カム方言かもと思い、カム人に尋ねると<サルジェ>は<サルジ>となるそうです。ちなみに<ウーセル>は<ゲセル>と読むとか。
結局、この掛け言葉は私には無理があるように思えます。
大したことじゃないけど、みんながこれから<ウーセルさん>を<オーセルさん>と表記し、この掛け言葉の話もまことしやかに語られることでしょう。
一度ウーセルさんに直接きいてみたいですがね。
北京までいってインタビューするしかないですね。電話はかかるのかな?
何れ枝葉の話ではありますが。

ところで、チベット語に<革命>という単語が中国が来る前にあったとは思えません。
チベット語の<サル>の意味は<新しい>で<ジェ>は<変える>です。
文化大革命は<リクネ=文化>を<新しく変える>という意味です。つまり、チベットの文化を中国の文化に変えるという同化政策。これを急速に強制的にやるから<革命>と中国はよぶのでしょう。
もっともこの<革命>という中国語の単語も日本人が嘗てロシア語か英語からの訳語として作った言葉かもしれません。

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真実を暴くより話は変わって、26日のエントリーでチベットより新しく持ち出された証言ビデオ「真実を暴く(仮題)」を紹介しましたが、これに対し以下のコメントが入っていました。

「貴重な映像だと思います。しかし同時に、世界に配信された後の証言者のことが心配でなりません。彼らの身の安全と人権はどのように守られるのでしょうか?ダラムサーラはその責任を負えるのでしょうか?」

というものです。
実はこのビデオ発表の記者会見の席上においても、一人のチベット人が次のような質問をしました。
「このビデオには沢山のチベット人がはっきり顔を見せて語っているが、これを発表することでこの人たちは危険にさらされよう。これに対してどう思うのか?」
作者のリンチェン・サンポ氏はこれに対し「ここに顔を隠さずに話しをしている人たちはみんな、顔をだすことに同意した者たちだ。みんな<死んでもいいから外国に自分たちの言葉を伝えてくれ>とはっきり言った者たちだ。顔を出したくないという人はそのようにして撮った。この人たちは犠牲を覚悟しているのだ」と答えた。

ちなみに、(なぜかその場で)横にいた休暇中の日本の新聞記者さんは「そうは言っても、この人たちに危害は及ぶわけでしょうしね、、、」と不安そうな顔をした。

で、私の考えですが、まず、「日本語版」を作ることに対しては、先に「英語版」が出ていて、「日本語版」はほんのおまけなのでこの件を心配する意味は少ない。
先に同様な「ジクデル」が発表され、作者は逮捕されたが、今までのところ、インタビューに顔を出して応じたチベット人たちが逮捕されたというニュースは伝わっていない(この点は間違ってたら教えてください)。もちろん、逮捕されてなくても、相応の嫌がらせや、尋問中の暴力等は受けた可能性は高い。しかし、これらはインタビューに応じたチベット人なら覚悟の上だ。

私はこれらの映像が世界中に広まれば広まるほどに、その人たちの安全に役立つと思うのだ。もしも、その中の誰かを逮捕したことが分かれば、世界中が黙ってはいない、と中国に解らせることが彼らを守るために我々にできる大事な仕事だと思う。
例えば、ウーセルさん自身も「実際、有名になることが我々反体制作家たちにとっては自分を守ることに繋がるのだ」とおっしゃっていましたが、中国政府が少しでもまだ外の目を気にしているよ、というポーズを続ける限りは、これを利用させてもらうまでです。


もちろん、当事者たちの安全を気遣うということは、大事なことで、やさしさの表れだ。
ただ、一般的に心配性な現代日本人の気質が時に中国の誤解の種になることもあると思う。

かく言うわたくしも去年「ジクデル」が最初に同じようにこのダラムサラで発表された時、「これって、危ないよな、、、様子をみようか?」と思ったものです。
発表の結果は御存じのように今、現れつつあります。

もちろん、厳戒、極秘、緊張効果を狙うために、(故意に)顔をかくしたり、ぼかしを入れたりすることもありでしょう。
しかし、今回の場合は余命幾許もない法王を信じ、覚悟を決めた老人ばかりが映っているように感じました。
本気でチベットのために死んでもよい、と思っているのでしょう。

本土チベットではチベット人は中国人と今も戦っているのだ。
何らかの犠牲無くして、何かの自由が得られるとは決して思っていない。
デモを先導する者たちはみんなその前に死を覚悟して出かけるのだ。
僧侶たちが集団でデモに行く前に死の儀式をした、と言う話を私はたくさん聞いた。
覚悟しないで、どうして残忍この上ない、銃を構える、大勢の中国の武装警官隊の前で声を張り上げることができようか。
声を上げるだけで、その場で袋叩きに合い、その後の長い拷問に耐えなければならない。
ある意味、これを覚悟することは死を覚悟するより勇気がいることだ。
そんな捨て身の訴えがどれだけ行われてきたか。一人だけで、声を上げたものも多いのだ。
法王を思い、同胞を思う、チベット人の勇気には我々には想像もできない特別純粋で揺るぎないものがあるのだ。
だから、チベット人の正しい勇気を讃えるためにも、みんなしてできるだけ「真実のビデオ」を広報すべきだと私は思う。

ーーー

明日はいよいよ、世界史上稀に見るうそつき、残忍パーティー、中国共産党発生の日です。名前からして嘘ですし。

戦争被害調査機関ウォーレン・コミティの発表によれば、文革が終わるまでに毛沢東の政策の犠牲になった者の数は3500万人〜5500万人。
何を祝うつもりなのでしょうか?

ダラムサラの人々は、明日の朝9時よりツクラカン前に黒い服を着て集まり、この日を喪に服す日として表現する。


法王のバンクーバー・パーティー左の写真は法王の若者を集めてのバンクーバー・パーティー


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2009年09月29日

ウーセル女史著「殺劫」10月中旬発刊予定

殺劫











いよいよ、待ちに待ったウーセルさんの「チベットの文革」を暴いた著書の日本語訳が10月中旬出版予定だそうです。
6月には出るという話だったのですが、じっと10月の「国慶節」が過ぎるタイミングを見計らっていたのでしょうか!?
とにかく貴重な本です。この本の影響力はどれほどになるか、、、測りがたい。
ちょっと高いですがね。

細かいことですが、一つ気になるのは「ウーセル」さんを「オーセル」さんと表記してあることです。
カムのあたりでは「あ・なろう・お・た=ウー、さ・でんぼー・せ・ら=セル」を「オーセル」と発音するのでしょうか?
もっとも厳密に言えば、最初からチベット語の発音をカタカナだけで表記するには限界があるわけですが、これはそれ以前の問題か。今後「オーセル」さんが日本で定着しそうで気になります。
ちなみに「ウーセル」の意味は「光明」です。

「殺劫(シャーチェ)」のチベット語も思い浮かばない?「シャー」じゃなくて「セー」ならまだわかるが?というか、これはきっと中国読みでしょう?
又はチベット語の「サル・ジェ=革命」のカム方言か?
誰か教えてください。

ところで、表紙に使われているモダンアートのようなオブジェの写真は、文革時代に刑場で銃殺刑を受けるチベット人の後姿と思われます。
背中に書かれた読みにくいチベット語を無理に読んで仮訳すれば、「正真正銘の悪党カシュ(家か村の名?或いは役職名)チュゲル・ニマの息の根を完全に止めてやる」です。


以下集広舎の案内より・・・

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 殺 劫(シャーチェ) チベットの文化大革命
   ツェリン・オーセル著   ツェリン・ドルジェ写真
   藤野彰/劉燕子訳 A5判並製 412頁 定価 四八三〇円

        10月中旬出版予定

 チベット「封印された記憶」の真実――。
1966年から10年間、チベット高原を吹き荒れた文化大革命の嵐は、仏教王
国チベットの伝統文化と信仰生活を完膚なきまでに叩き壊した。現在も続くチベ
ット民族の抵抗は、この史上まれな暴挙が刻印した悲痛な記憶と底流でつながっ
ている。長らく秘められていた「赤いチベット」の真実が、いま本書によって4
0余年ぶりに甦る。

本書は、チベットにおけるプロレタリア文化大革命(一九六六〜七六年)の写真
・証言集である。原著は、北京在住のチベット人女性作家、ツェリン・オーセル
(次仁唯色)氏が、父親のツェリン・ドルジェ(澤仁多吉)氏の撮影した写真を
基に執筆・編集したもので、本文は写真解説や関係者へのインタビューで構成さ
れている。
原著の題名「殺劫(シャーチエ)」の「劫」については、「奪う」、「脅す」、
「長い時間」などの意味があり、梵語では「劫波(劫簸)=kalpa」の略とされ、
仏教語では「万劫不復(永遠に回復できない)」や「劫数 (厄運、避けられない
運命)」という熟語がある。また、中国語には「劫灰(チエホイ)」という言葉が
あり、大きな災難の名残を指す。例えば、唐詩の中に「劫灰飛尽古今平(飛び尽
くして平らかなり)」(李賀「秦王飲酒」)という詩句があるが、全世界を焼き尽
くした劫火の後に灰が飛び散り、何事もないかのように平和な日々が続いている
といった意味である。(訳者記)

文革研究の空白を埋める――。

文革は共産党の一つの不都合な出来事であり、チベットはもう一つの不都合な問
題である。したがって、チベット文革は二重のタブーとなり、なおさら触れては
ならないものになっている。……オーセルの父親が撮影したチベット文革の写真
は極めて特別な意義を持っていると言える。……オーセルがこれらの写真をめぐ
って取り組んだ長期間の調査と執筆がようやく完了した。……これにより、文革
研究におけるチベットの部分も、もはや空白ではなくなった。
(王力雄「序」より)

オーセルさんの不屈の姿勢に対する共感――。

周知のように、中国における言論統制は相変わらず厳しい。しかし、困難な政治
環境にもめげず、ペンの力を信じて中国社会の様々な矛盾や不正と戦っている多くの知識人がいることを、私は長年の現地取材体験を通じてよく知っている。オーセルさんは疑いなく、そうした勇気と良識を備えた知識人の一人である。ジャーナリストもペンの力だけが頼りだ。オーセルさんの不屈の姿勢に対する共感こそが、何にも増して『殺劫』翻訳の推進力となったことを最後に記しておきたい。 
(訳者あとがきより)



目 次

序――ツェリン・オーセル
序――王力雄
写真について――ツェリン・オーセル
日本の読者へ――日本語版序

第一章 「古いチベット」を破壊せよ――文化大革命の衝撃

1 やがて革命が押し寄せてくる

2 ジョカン寺の破壊
「四旧」のシンボル/ラサ紅衛兵の第一次行動/ジョカン寺はいかに壊されたか/中国内地からチベット入りした紅衛兵/ジョカン寺はどれだけ破壊されたか/破壊後のジョカン寺

3 「牛鬼蛇神」のつるし上げ
    「遊闘」の隊列が進む/糾弾される転生僧/人倫の崩壊/チベットの「牛鬼蛇神」/様々な積極分子/恐るべき居民委員会

4 改名の嵐
    「封建的」とされたチベット名/パルコルは「立新大街」に/「人民公園」になったノルブ・リンカ/チャクポ・リ変じて「勝利峰」

第二章 造反者の内戦――「仲の良し悪しは派閥で決まる」

 二大造反派
    「造総」か「大連指」か/両派は実のところ似た者同士/血と炎の対決/事件の結末

第三章 「雪の国」の龍――解放軍とチベット

1 軍事管制
    社会秩序の回復/チベットにおける解放軍/軍隊内部の闘争/威風堂々たる「軍宣隊」

2 国民皆兵

第四章 毛沢東の新チベット――「革命」すなわち「殺劫」

1 革命委員会
2 人民公社
3 新たな神の創出

第五章 エピローグ――二〇年の輪廻
神界の輪廻

参考文献

解説  チベットの文化大革命――現在を照射する歴史の闇 

藤野彰、訳者あとがき

 
著者・訳者紹介
ツェリン・オーセル(次仁唯色 Tsering Woeser)
1966年、文化大革命下のラサに生まれる。原籍はチベット東部カムのデルゲ(徳
格)。1988年、四川省成都の西南民族学院(現・西南民族大学)漢語文(中国語・
中国文学)系を卒業し、ラサで雑誌『西蔵文学』の編集に携わる。主な作品に詩集
『西蔵在上』(青海人民出版社、1999年)、散文集『名為西蔵的詩』(2003年に
『西蔵筆記』の書名で花城出版社から出版後、発禁処分となり、2006年に台北の
大塊文化出版股処ヘ有限公司から再発行)、旅行記『西蔵:絳紅色的地図』(台亂僉・・兔佝納辧・003年)など。2006年、大塊文化出版股処ヘ有限公司から、本書↑愡・紂戮函▲船戰奪畔験彗慮骸圓離ぅ鵐織咼紂悉検慇沼・憶』を出版 χ創作
箸詫稽鬚任△蝓・・・任△蝓⊂攷佑任△襦廚鬟皀奪函爾箸垢襦が

藤野 彰(ふじの・あきら)
1955年、東京生まれ。78年、早稲田大学政治経済学部卒。同年、読売新聞社入社
。86〜87年、中国政府奨学金留学生として山東大学留学。上海特派員、北京特派
員、シンガポール支局長、国際部次長などを経て中国総局長(在北京)を2度務
める。中国駐在は通算11年。2006年から東京本社編集委員(中国問題担当)。主
な著書に『嘆きの中国報道――改革・開放を問う』(亜紀書房)、『現代中国の
苦悩』(日中出版)、『臨界点の中国――コラムで読む胡錦濤時代』(集広舎)
、『現代中国を知るための50章【第3版】』(明石書店、共編著)、『上海・長
江経済圏Q&A100』(亜紀書房、共編著)、『中国環境報告――苦悩する大
地は甦るか 増補改訂版』(日中出版、編著)など。訳書に『わが父・障ナ小平↑嵎験廖弸亰遏幣絏次法戞蔽羆検誠啓辧・μ・法◆惻謠梓陝宗獣羚颪鯤僂┐訝法
戞米中出版),

劉燕子(リュウ・イェンズ)
作家、現代中国文学者。中国北京生まれ。湖南省長沙で育つ。1991年、留学生と
して来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)
を経て、現在、関西の複数の大学で非常勤講師。邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(
思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録――インタビュー
どん底の世界』(集広舎)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア綜合研究所)、中
国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などがあり、中国語著書に『
這条河、流過誰的前生與後世?』など多数。


集広舍発行 中国書店発売
〒812-0035 福岡市博多区中呉服町5-23
092(271)3767 FAX092(272)2946 
http:shukousha.com


             プレスリリース
シャ−チェ 
 殺 劫    チベットの文化大革命
 ツェリン・オーセル著   ツェリン・ドルジェ写真
  藤野彰/劉燕子訳 A5判並製 412頁 定価 四八三〇円

   1976年に幕を閉じた騒乱十年の中国文化大革命については、様々な調査研
究と報告が乱れ咲いているが、チベットで行なわれた文革の大衆運動の実態は、
これまでほとんど報じられていない。そこには漢民族とチベット族、さらには各
民族間の歴史的な相克、およびチベット仏教を柱とする深刻な宗教問題などが複
雑にからみ合い、チベットの文革騒乱の実情報告は、現地で深く関与した人民解
放軍や、中国共産党中央のタブーとして、日の目を見ないでいるのであろう。
 ところが、その空白の一部を埋める驚異的な資料が、著述家であるチベット人
の女性の手元から明るみに持ち出された。それは文革当時、チベット駐屯の解放
軍の中級士官だった彼女の父ツェリン・ドルジェが、趣味のカメラを駆使して大
衆運動の現場をつぶさに撮影した、数百枚におよぶネガフィルムであった。
 事件や事象を説明するのに写真ほど雄弁な手段はない。
 1999年の春、文筆家の彼女ツェリン・オーセルは、八年前に亡くなった父が撮
り溜めた写真を公開し、チベット文革の真実を世に知らせるべきではないかと考
え、生存している画面上の主要人物や、当時の紅衛兵、行政幹部、とくに大衆か
ら手荒くつるし上げられている「反革命」人物本人など七十人以上の生存してい
る関係者を、六年にわたり探し回った。そして、直接彼らの詳細な証言や、四十
数年前の思い出話を聞き出し、かつ克明に記録し、談話を録音したのである。こ
れは、現在でも中国においては、ある種の危険を伴う行為である。2003年に彼女
が出版した散文集『西蔵筆記』は、その筋から発禁処分を受け、彼女自身は公職
を解かれたという。
 苦心して集め得たデータをもとに、彼女がまとめた二冊の本『殺劫』と『西蔵
筆記』は、中国では発表出来ず、2006年台湾で刊行され注目を浴びた。
 昨年チベットで大規模な抵抗運動が勃発したことは記憶に新しいが、長い間、
当局が沈黙を守ってきたチベットの文化大革命時代への民衆の鬱憤も、原因の一
端といえよう。強いられた忘却の替わりに登場する記憶こそが歴史であり、民族
の文化である。
 いまスポットライトが遠いチベットの闇を照らし始めようとしているのだ。
 かくして『殺劫』の日本語版が、藤野彰読売新聞編集委員と、日本在住の中国
人女性で新進気鋭の文筆家劉燕子の共訳により出版されることになった。初めて
公開された多量の貴重な記録写真を含む、四百ページを越す労作となっており、
当時チベットで吹き荒れた殺伐な大衆運動を、詳細かつ平明流暢な訳文で述べ、
中国少数民族の将来にわたる問題も提起している。
 原作者ツェリン・オーセルはいう。
「何千何万のチベット人が払った気高い犠牲が、北京五輪の見せかけの繁栄に呑
み込まれた。作家は発言しなければばらない。著述とは祈ることであり、証人に
なることである」と。







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2009年09月28日

ソガ・ロプタ/今年冬亡命を果たしたゴロ、テンパ・タルゲの話

ダラムサラ、ソガ・ロプタ昨日ダラムサラの下の方にあるソガ・スクールに行ってきた。
ソガ・スクール(ソガ・ロプタ)は亡命時18歳以上、勉学の意思のある者を全寮制無料で受け入れる成人学校だ。
最初3年制で始まったが、最近5年制に変わった。
主にチベット語、英語、数学を教える。
この学校最初10数年前にできたときには壁も天井もブリキ板作り、床は土間という、まさに難民キャンプを絵にかいたような空間が原野に広がっていた。
夏の暑さ、雨、冬の寒さで全員眠れぬ夜は当たり前の状態だったという。
その上、成人の若い男女が大勢近所に住み合うということにより自然に至る所に争いごとが起こり、その状況にカム、アムド、ウツァン男たちの郷土意識が重なりあい、複雑な状況の溢れる空間でもあったようだ。
しかし、今はそれも昔話。原野の中に今では簡素ではあるがちゃんとした教室や男女なるべく離された寮、職員宿舎が立ち並んでいる。

ここで学ぶチベット人の若者の多くは一度も本土で学校に通ったことがないという。
チベット語も英語も算数も生まれて初めて学ぶのだ、18歳過ぎて、40歳の者もいる。
「勉強」と言うものに触れたことが無い成人を教えるのは大変なことだと、先生方は言う。

このソガ・スクールに久しぶりにわざわざ来たにはわけがあって、ここにいるはずの最近亡命してきた数人から話を聞くためだった。
目指したのは、去年の5月だったかに、アムド、ラプラン・ゴンパで3月以来初めて外国メディアが来た時に、勇敢にも記者団の前にチベット国旗や横断幕を手に走り出て、チベットの本当の現実を訴えた僧侶たちだった。
今年の夏そのうちの6人が亡命を果たした。
二人がこのソガにいるはずだった。

しかし、人権センターから貰った名前が間違っていたらしく、名前を渡して呼び出してもらったが最初に現れたのはまるで人違いの学生だった。
でも、せっかくだからと話を聞き始めると、この人も相当の人と判った。

というわけで、まずその<Free Tibet>の鉢巻きを「チベットが自由になるまで取らない」と誓ったテンパ・タルゲ氏の話を紹介する。
彼は現在33歳、アムド、ゴロの出身。地元のツェナン僧院の僧侶だった。今も僧衣を着ることは学校内で禁止されているので、俗人の服を着ているが、実際は戒律を守り続ける僧侶であるという。

ーーー

テンパ・タルギェテンパ・タルゲ氏は2000年、一度ヒマラヤを越えダラムサラまで来たことがある。
しかし、彼はそのまま、亡命者としてインドに留まらず、もう一度チベットに帰ることにした。
それも多量の土産を背負って例のナンパラ峠を冬に越えたのだ。
土産の中身はダライ・ラマ法王の小冊子、CD、お写真だった。
それぞれ数百部(枚)を背負っていた。
だが、峠を越えたところで中国の国境警備隊に見つかり、もちろん逮捕された。
シガツェ刑務所で厳しい拷問付きの尋問を受け、結局6年の刑、プラス4年半の政治的権利剥奪を宣告された。
最初地獄のダプチ刑務所、次にチュシュル刑務所でその6年間を過ごした。

2006年3月1日、刑期を終えゴロに帰されたが、僧院にも帰れず、監視下に置かれ生活にも窮した。
2008年ラサに逃亡した。そして、3月14日のデモに出くわした。
ラモチェ僧院前での僧侶と警官隊の衝突から始まり、デモは一挙にラサの旧市街全域で自然発生した。
周辺部にいた者ほど武装警官隊の餌食となり負傷、死亡した者が多かったという。
彼はジョカン近くでデモしたのち同郷の友人の部屋に隠れていた。
しかし、18日警官隊に踏み込まれ逮捕された。
その時にはチベット人の青年は見つかれば一言の説明もなく、暴力的にその場で縛りあげられたという。
逮捕され、拘置所で尋問を受けたが、このときに受けた暴力は最初2001年に受けたものとは比較にならないすさまじいものだったともいう。

彼の入れられた拘置所の一部屋には26人のチベット人が押し込まれていた。
その中の二人は銃弾を受け出血が止まらない状態だった。
一人は胸と腹を撃たれており、瀕死の状態だった。
もう一人は足を撃たれていた。
それでも、そのまま他のチベット人と同じように監房に横たえられているだけで、何も特別な治療は受けていなかった。

数日して監視人が「部屋の中に撃たれた者は何人いるか?」と聞きながら各部屋を回った。
「二人いるぞ!」と答えると「これを飲ませろ」と言って錠剤を数粒ドアの近くの者に渡した。
彼は「風邪を引いたわけじゃなし、銃で撃たれたものに錠剤をやってどうするつもりだろう」と思ったという。
18日後、彼を含む160人のチベット人囚人がラサ駅から列車に乗せられ四川省のメヤン刑務所に送られた。
胸を撃たれていたチベット人は一週間ほどしてほぼ死んだ状態で、どこかに連れて行かれたという。
もう一人の足を撃たれたチベット人は彼がそこを離れるときまでそのままだった。

メヤン刑務所に着いて16日目、今度は同じゴロ出身の5人がカムのゾルゲ刑務所に送られることになった。ゾルゲに着くとすぐにアバまで送られそこで解放された。どこの刑務所も一杯になり、溢れたようだった。
そして、今年2009年の2月、再びヒマラヤを越えダラムサラまで来た。

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今はソガ・ロプタで勉強中だが、彼はこの学校の中でも<ゲルシェンパ=チベットを守る意思の強い人>として有名だということでした。

後二人のインタビューを終え、薄暗がりの中を帰る途中の道の隅々には、立ったままノートを広げて、声を出しながら英語を勉強する大勢の生徒たちがいた。










rftibet at 22:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年09月27日

ダラムサラの野鳥・その3

Egyptian Valture今日は日曜日ということで、先週はサボったが、またダラムサラの野鳥というか家の窓からの野鳥シリーズをお届けします。

最初の二枚は「白い禿鷹」Egyptian Valture 名前からするとエジプトで多く見られるのでしょうか?
この禿鷹は以前ダラムサラに沢山いました。なぜかこのところ稀にしか見かけなくなってしまいました。
普通の大きな禿鷹もめっきり少なくなった。
餌になる牛やその他家畜の死体が少なくなったということでしょうか?




Egyptian Valture











Black Bulbul 23cmBlack Bulbul 23cm
雨季には全く見かけなかったが、最近よく朝、けたたましい鳴き声を上げながら群でやって来るようになった中々スタイリッシュな鳥です。
真赤な嘴と足が特徴。











Rusty-tailed Flycacher 12cmしっぽがさび色のこの小さな鳥はこれでも渡り鳥だそうです。渡り鳥といっての裏の5000m級のダウラダール山脈を越えるだけだそうです。季節が移り、山の向こうが寒くなっていたということでしょう。
渡り鳥といえば、チベットで夏を過ごす白鳥が冬になると、このすぐ近くにある大きな人造湖のほとりの湿地帯に大挙して飛来するそうです。
このポン湖のほとりはその他珍しい大型の渡り鳥の宝庫だそうです。
冬が来るのが楽しみです。
今年は必ず出かけるつもりです。
と言って車で一時間半の近場ですが。






Jungle Owlet 20cmJungle Owlet 20cm
以前にも一度紹介したジャングルふくろうですが、この子は産毛が目立ち、幼い子供と思われます。















Bank Myna 20cmBank Myna 20cm
この鳥はインドの平野部ではカラスの次にポピュラーな鳥です。
群でうるさいぐらいにギャーギャーと鳴く鳥です。
なぜか私はこの鳥だけは可愛いと思えないのです。












unknown数日前にすぐ近くで初めて見た野鳥ですが、名前は未だ確認できません。













Bluethroated BarbetBluethroated Barbet 20cm
頭が赤、ほほと喉が鮮やかな水色、身体がグリーンという派手な鳥です。
もっとも毛が乱れている子が多いようですが、わざとでしょうか?














Black Drongo 31cmBlack Drongo 31cm
夜行性?の珍しい黒い鳥。









Black Drongo 31cm














27.9.09オマケの写真はルンタの内輪の鳥たち。
今日は1987年9月27日記念日ということで、9−10−3の会を助ける為にあるルンタレストランもランツェン集会を我が家で開いた。
写真に写ってない私を入れると、日本人が5人にチベット人が5人、ハーフが2人という集会。
中で、注目は双子の姉妹、アヤちゃんにユウちゃん。
一番上に写ってるアヤちゃんは数年前から何度かダラムサラに来てルンタのボランティアをして下さっています。レストランを手伝い、早朝6時半からチベット人中心にヨガを教えています。何と最近9−10−3の会会長ガワン・ウーパル氏も早朝ヨガに参加したりして。去年私がやってた時には来なかったのにね、、、

それで、最近その双子の妹、ユウちゃんがダラムサラを訪問。
まるで区別がつかず、みんなが姉妹違い。
笑を取ってます。

後の方▽窓の下には現在古巣ダラムサラを訪問中のチベット医学の小川先生がいらっしゃいます。

ルンタ内輪momo パーティー最後はもちろん特大モモ・パーティー






























rftibet at 19:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

1987年9月27日ラサ蜂起記念日

1987年9月27日ラサ抗議デモ22年前の今日1987年9月27日、ラサのジョカン寺の前に突如赤い僧衣をなびかせながら、二十数名のデブン僧院の僧侶たちが、チベット国旗を掲げ、チベットの自由を訴えた。これは文革以来中国で始めての政府に対する抗議デモであった。天安門事件の起こる二年前のことである。

初めは何事が起ったかと、あっけにとられていた周りのチベット人たちも、やがてその僧侶たちの決死の行動の意味を涙とともに理解し、一人一人その列に加わった。ジョカンを一周した頃にはその数は千人を越えていたという。

もちろんこのときデモを先導した僧侶たちは全員逮捕され、拷問を受け、長期の刑を受けダプチ刑務所に送られた。もっともパンチェン・ラマのお陰で早めに出所できたものも多かった。
彼らの多くはその後インドに亡命した。

このデモはチベットのみならず中国本土にもその後大きな影響を与えた。
ラサでは一週間後に、今度はセラ僧院の僧侶たちが先導する大きなデモがあった。
このとき当局はデモ隊に向かって容赦なく発砲した。今だ、正確な犠牲者の数は解っていない。
翌1988年3月にはガンデン僧院の僧侶たちがモンラム際の最後の日に決起した。
このときには一万人近いチベット人が声を上げた。発砲もあり、犠牲者もでた。

そして、その後5年間ほどの間に数百回のデモが行われた。

その多くは数人のグループで僧侶、尼僧たちが拷問と死を覚悟し、次々とジョカンの前でチベットの自由と法王の帰還のために声を上げ、逮捕されていった。

今日は朝早く6時半からまずダラムサラのラギェリで朝のお経を唱えた後、9−10−3元良心の囚人の会主催の集会が開かれました。
夕方から再びキャンドルライト行進とツクラカン前での集会が行われます。

写真最初の一枚は1987年9月27日ジョカン前。
先頭に立つのがデブンの僧侶たち。

27.9.09 (1987)ダラムサラ、ラギェリ左の写真は今日の朝の読経会。
右端に9−10−3の会、現会長の僧ガワン・ウーパルが映っている。
彼もこのときのデモを先導したデブン僧侶の一人だ。
左端にラモ・ツォの姪ソナム・ワンモの姿も見える。





rftibet at 17:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年09月26日

新たな証言インタビュー集ビデオが内地より持ち出された。

リンチェン・サンポ新たにチベットからの証言インタビュー集が届いた。
昨日情報省で開かれた記者会見で撮影者のリンチェン・サンポ氏が紹介され、一時間半にまとめられたビデオ上映の後、彼の解説が行われた。

この証言集の題は、チベット語では「ゴニョン・デンパ・ラトゥ」、直訳すれば「自分の経験した真実を証言する」という意味。英語では「Unveiling the Truth」。直訳で「真実を暴く」と一応訳しておく。

39歳のリンチェン・サンポ氏はアムド・ゴロ、タンキャップ僧院の僧侶である。
彼は昨年10月中にゴロ各地のお年寄りを中心に21人のインタビューを収録した。
さらにインタビューを続けるつもりであったが、当局に気づかれ、逮捕の危険が迫ったのを知って、亡命を決意し、ヒマラヤを越え、12月末無事ダラムサラに到達した。

発表されたビデオは情報省が21人の中から15人を選び90分物に編集したもの。
以下にアクセスすれば現物を見ることができます。
http://media.phayul.com/?av_id=161&av_links_id=341

1958年(ゴロでは中国軍が本格的に殺戮を始めたのは1959年ではなく1958年)以前を知る老人たちに1958年以前の生活と以後の生活について語ってもらうというのが質問の中心だ。

15人すべての老人が、法王がいらっしゃったころの平和で幸せだった子供時代を語り、中国が来て以来、如何に苦しみのどん底に喘いだかを語った。
親兄弟が殺され、その死体の上で踊らされた者もいる。
黄河が死体でせき止められたのを見たという人もいる。
証言者の多くが両親が逮捕されるなり、殺されるなりして孤児になったという。

中国はチベット人は豊に幸せに暮らしていると言ってるが、自分たちの生活は今でも食うのがやっとだという。
全員、一生の願いは法王に一目でもお会いできることだと言った。

全員、殺されても悔いはないと顔を明かすことを承諾したという。

このような生き証人が消えていく前に危険を顧みず、記録に撮ったという意味は大きく、年老いたチベット人たち一人一人の偽りのない表情が心を打つ貴重なビデオだと思った。


この上映会のすぐ後、さっそく情報省にこのビデオの日本語版を作る許可をもらった。
少し短くして、出来るだけ早く日本語版を作りたいと思っています。

この前紹介した、ラモ・ツォのビデオの日本語版制作の許可も版元の女性協会からもらいました。これも早く日本語版を作ります。



以下、昨日の上映会のいくつかのシーンを写真に撮ったもの。
字幕をその前後とともに訳した。
(写真はいつものようにクリックすれば大きくなります)

アムド・ゴロ、村人の証言キェル・ケンギャル
中国政府は私の父と叔父その他の親戚をどこかに連れて行き、すべての持ち物を取り上げた。その長い年月チベット人の味わった苦しみは、例えば「死んだ者の死体をどこにも見つけることが出来なかったのだ。(生き残った者たちの)運命は押して知るべしだ」。だから、今はこうして笑うこともあるが、心は悲しみでいっぱいだ。


アムド・ゴロ、村人の証言カルツェ・ドゥギェル
1958年には多くの苦しみに堪えた。私は今、身体障害者だがこれもそのときの階級闘争にさらされた結果だ。食べるものが無かった。「そして、チベット人は文字どうり草と糞で生きぬいたのだ」。チベット人に振りかかった苦難とはそのようなものだった。




アムド・ゴロ、村人の証言2ジャンツァン・カルキャップ
1963年に監獄から解放されたが、頼るべき者もなく行くところもなかった。
両親と妻はすでに餓死していた。「さらに、私は嘗てディ(メスのヤク牛)を数頭所有していたことから資産階級とされ、「悪党」の象徴として「黒帽」を被らされた」。それ以来人間としてのすべての権利をはく奪された。移動の自由も無かった。



アムド・ゴロ、村人の証言4セルサ・ノルブ
11歳のころ生き抜くためにもがき苦しんだ。そして障害者になった。父は監獄で死んだ。ほとんどの叔父は逮捕され、その後死んだ。「両親が死んだ。私は孤児となり彷徨った」誰も気遣ってくれる者もなく、幼い6人の兄弟姉妹が残された。




アムド・ゴロ、村人の証言3ケル・ドゥモ
我々チベットの年老いた世代の者たちには「死ぬ前にダライ・ラマ法王に一目お会いし、亡命中の同胞たちに再会したい」という強い願いがある。国連や世界中の国々に、我々の真実の戦いを支援してくれることを、心の底からお願いする。

rftibet at 22:10|PermalinkComments(1)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2009年09月24日

ドゥンドゥップ・ワンチェン氏解放世界キャンペーンの日ダラムサラでは

23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campain昨日はドゥンドゥップ・ワンチェン氏解放世界キャンペーンの日でした。

ダラムサラでもまず、朝からマクロードのバス停で胡錦涛に送るはがきの署名活動が行われ、約1000名の署名はがきが集まりました。(以下関連パユル記事)
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25558&article=Dharamsala+joins+'Global+Day+of+Action+for+Dhondup+Wangchen'

夕方からはキャンドル・マーチが行われ、街を三週した後、ツクラカンに向かいそこで集会が開かれました。

23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campaign犠牲者への黙とうで始まり、チベット女性協会と9−10−3の会の代表が話をし、英語の説明の後、みんなで「ツェメー・ユンテン」を歌い、最後に‘Dispatches: Undercover in Tibet’.が上映されました。
このイギリス、チャンネル4のドキュメンタリーはとにかく素晴らしい。



23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campaign私は妻のラモ・ツォが檀上に上がるのを待っていたのですが、昨日はとうとうそのような場面は無く、残念でした。
以前に一度檀上で夫の解放を涙ながらに訴えられたことがあります。





ラモデモの前に町で夫解放を訴えるポスターの前でキャンドルを配るラモ・ツォ。
その横でいつもの姪のソナム・ワンモが黒いキャンペーン鉢巻を配っていた。
今日のラモ・ツォの顔は終始悲しげでした。
















23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campaignみんなと一緒に座って檀上の話を聞く二人









23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campaignツェメー・ユンテンを歌う(唱える)二人



















23.9.09 Dhondup Wanchen Release Campaignツクラカン前に集められた祈りのキャンドル











rftibet at 20:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年09月22日

ドンプップ・ワンチェン解放キャンドルナイト/残された家族

バス停で朝パンを売るラモ・ツォ主催者からのお知らせ:

9月23日(水・祭日)にトゥンドゥップ・ワンチェンさんの早期釈放を祈るキャンドルナイトが開催されます。

日時
  9/23(水・祭日)18:30 頃〜20:30 頃
  ※来られる時間に来て頂ければ結構です。
  ※ちょっとの時間でも結構です。
  ※出来ればキャンドルを持参して頂ければと思いますが、手ぶらでも結構です。
場所
  笄公園(東京都港区南麻布3-12)


注意
  東京23区の公園では原則として火気厳禁です。
  笄公園のキャンドルは細々とやっていますので黙認してもらっています。
  当日も周りの迷惑にならないよう静かに行いたいと思います。

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ということでしつこくドンドゥップ・ワンチェンさんが残した家族の人たちの話と写真を載せます。

ドンドゥップの家族先の日曜日にラモ・ツォの部屋を訪ねると、狭い部屋兼パン工房には子供たちが一杯。
ちょうどこの日は月の第二土曜日、日曜日に当たり、普段は寮生活の子供たちが、行くところのあるものは外に出て、外泊しても良い週末だったのです。
うちにもいつものツェリン・ノルブが泊まりに来ていました。
とても嬉しそうに「今度の試験で3番になったんだよ!」と会うなり叫んでいました。

ラモ・ツォがTCVに送っている三人の子供、二男のテンジン・ノルブ13歳、長女テンジン・ダド11歳、二女ラモ・ドルマ9歳と姪のソナム・サンモ19歳、それに近所のこどもが二三人遊びに来ていました。
テレビはついてるし、子供たちは騒ぐしで、そのうちラモが「うるさすぎて話しができない」と近所の子供たちを追い出しにかかった。

お父さん似の長女お父さん似の長女テンジン・ダドに「お父さんのこと思いだす?」と聞く。
ダド「もちろん、思い出す。お父さんはやさしかった、いつも遊んでくれてた。早くまた一緒に遊びたい」
ラモ「子どもたちはみんなお父さんの方が好きなんだよ。お父さんは遊ぶばかりで叱るのはいつも私だったから」
私「何か特に思い出すことないかな?」
ダド「わかんないな、、、」
ダドは遊びに忙しく、こっちにかまってる暇がないというようす。
彼女や姪はビデオの中で沢山話してるからもうあえて聞かないことにした。







ラモの姪ソナム・ワンモ色白でとても可愛い姪のソナム・サンモは4年ほど前に亡命してきた。
そのあとスジャ・スクールにいたが、2008年3月ドンドゥップ氏が逮捕されたことを知ったラモが倒れたため、彼女を助けるために学校をやめてダラムサラに一緒に住むようになったという。
ラモに「倒れたって、どんなだったの?」
ラモ「病気になったのだ。食事も取れず、眠れなくて、弱って仕事ができなくなった」
私「それは病気というか、心が壊れたんだね」

実際、チベットではよく息子、娘、夫が逮捕された後、その父親、母親、妻が病気になり死んでしまった、という話をよく聞く。チベット人には精神病は昔から立派な病気だ。
私など冷たい人間は「本当かな?」と疑いたくなることもあるが、愛情が命のチベット人の間では、実際よくあることなのです。
監獄で拷問されているであろう娘のことを思うと(チベット人の)親は気が狂うのです。


ラモの部屋の前でラモに唐突に「ドンドゥップ氏とは(正式に)結婚しているのか?」
ラモ「してない。田舎なら両親、親戚を呼んで結婚式を挙げるということもあるだろうが、ラサだし、私には両親はいないしでそのまま一緒に住んでた」
私「じゃ、子供の戸籍はどうなってるの?」
ラモ「上のこども二人には戸籍がある。二人までは認められているから」
私「結婚してなくても、子供は戸籍がつくれるの?」
ラモ「今はダメみたいだけど、昔は問題なかった。田舎にいれば、3人目の子供が生まれればすぐに見つかって、強制避妊手術をうけさせられ、たくさん罰金を払わないといけない。
私の知り合いでお中の子が6ヵ月になって警察に見つかった。
すぐに病院に連れて行かれ、子供を下ろされた。そんな手術で死ぬ女の人もいる。
大体は二人目が生まれるとすぐに強制的に病院に連れて行かれ、避妊手術を受けさせられる。
子供については監視が特にきびしい」
私「中国はむちゃくちゃだね」

私「9月23日には世界中が旦那さんの解放のためにデモとかやるよ。日本でもやるしね。
大丈夫、必ず近いうちに解放される」
ラモ「そうならいいけどね、、、みんなが応援してくれて私は本当に恵まれてると思う。これも法王のお陰と思う」




















rftibet at 12:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

北京支局/ニュー・デリー支局

最近久しぶりに日本人記者グループにラサ取材許可が下りた。
もちろん政府のコントロール・ツアーであったが、それぞれの記者はできる限り現状を伝えようと努力して下さっているようだ。

以下読売(訂正・産経)と毎日です。

暴動から1年半 チベット自治区はいま - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090921/chn0909212047003-n3.htm

 ライトアップされ闇夜に浮かび上がるチベット自治区ラサの象徴「ポタラ宮」。観光客や市民でにぎわう宮殿前の広場には中国国旗の「五星紅旗」がたなびき、広場中央に塔が鎮座する構図が北京の天安門広場を彷彿(ほうふつ)させる。今回で27回目を数える日中記者交流計画の一環として、昨年3月にチベット仏教の僧侶らによる大規模暴動で揺れたラサを訪れた。ダライ・ラマ14世を最高指導者とするチベット仏教の聖地は表向き平穏を取り戻していたが、暴動を誘因したチベット族と漢族との格差は、いまなお市民生活の端々に根強く残っていた。

 12日午後5時31分、ラサ行きの青蔵鉄道K917は定刻通り、静かに蘭州駅を離れた。ラサまで2188キロ、約28時間の列車の旅の始まりだ。

 中国政府が推し進める西部大開発の代表的プロジェクト青蔵鉄道は2006年7月、当初の予定より1年早く営業が開始された。建設費は日本円にして4500億円とも伝えられる。

 標高4千メートル以上の高原をひた走る。唐古拉峠で最高地点5072メートルに達した。車内には酸素が送り込まれているものの、高山病の前兆だろう。徐々に頭が重くなってきた。

 酸素チューブを鼻に差し込み、4人部屋のコンパートメントに横たわる。車窓の風景が刻一刻と変わっていく。陰鬱(いんうつ)な泥炭地から緑鮮やかな放牧地へ、そして太陽が沈みかけたころ、山頂付近に雪をかぶった山並みが現れた。
  
■環境保護の犠牲者

 青蔵鉄道はモノと漢族の流入、開発を促した。沿線の環境破壊に対する危惧(きぐ)は、チベットが抱えていた環境問題への関心を高めた。

 その一つが気温上昇による氷河の減少である。エベレスト(中国名チョモランマ)の中国側では過去40年で氷河の境界が170メートル上がった。凍土の面積も減った。自治区内の降水量が減少し、砂漠化が進んでいる。

 中国は06年、二酸化炭素(CO2)排出量で米国を抜き世界1位に躍り出た。だが、チベット自治区環境保護局の張天華副局長は1人当たりの排出量は多くないことを理由に「気温上昇の責任はチベットにはない。温暖化の原因は先進国の工業化のためだ」といってはばからない。

 地元政府はこれまで、セメント工場9カ所、製鉄工場7カ所、紙工場4カ所を閉鎖した。チベット自治区の08年のGDP(国内総生産)は395億元。50年前の98倍というが、漢族主導の第3次産業によるところが大きい。農産物加工場を転職先に挙げた張副局長は、チベット族を多く含むとみられる失業者全員を救済できたかについては言葉を濁した。

■今年は黒い年

 10月1日に建国60年を迎える中国政府が、今もっとも重視しているのが国内の安定である。昨年暴動が発生した自治区は、記念式典が行われる北京市内と並ぶ重点警戒地区である。

 「警備の厳しさは感じない。武装警官の姿も以前ほど多くない」。運転手の男性(35)はいう。しかし、公安当局や武装警察は一部の重点地域で警戒を強めている。暴動の発端となった抗議行動が起きたジョカン寺(大昭寺)周辺など市民が集まる場所には、監視カメラが設置されている。念頭にあるのはダライ・ラマ14世の動きだ。

 崔玉英自治区共産党常務委員は「ダライ勢力がチベット各地で反政府活動を展開している」と述べた。自治区新聞弁公室の索林主任は「ダライはデマを飛ばして人々を扇動しようとしている」と主張。しぶしぶ明かしたデマの内容は「今年は黒い(悪い)年なのでチベットで新年を過ごしてはいけない」「今年は農作業に向いていない年だ」というもの。人々の不安をあおり、暴動の下地を作っているというのが自治区政府の言い分だ。

■徹底した“教育”

 チベット族にとって宗教は生活と密着している。寺院では信者が地面に伏して「五体投地」を繰り返す光景が日常的だ。

 各戸には小さな祭壇が備え付けられている。ラサの東12キロに位置する村で農牧業を営む平措礼西さん(58)は1973年に共産党に入党、規定に従い信仰を捨てた。客間に毛沢東や江沢民の肖像を飾る平措礼西さんの家でさえ祭壇は残されている。

 宗教指導者として庶民の心にとどまり続けるダライ・ラマ。国務院新聞弁公室の銭小芋副主任は「ダライ・ラマの本当の姿を分かってもらうこと」が暴動再発の防止策だという。

 文化保護をアピールするため自治区内の小学校ではチベット語教育が盛んだが、児童や親が望むのは漢族との収入格差を縮めるための高等教育だ。平措礼西さんも、ひざに抱いた孫娘の大学進学が願いだと漏らした。

 チベット族の子弟が通う城美区第2小学校に、農奴解放前の圧政や昨年3月の暴動を批判するパネルが飾られていた。これが、政府が喧伝(けんでん)する“教育”の実態である。(中国チベット自治区ラサ 川越一)


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チベット:監視と警戒、祈りのラサ 暴動後初、日本取材団を許可

http://mainichi.jp/select/world/news/20090919dde007030011000c.html
 中国政府が実施した日本の報道陣向けの取材ツアーでチベット自治区ラサに入った。昨年3月に大規模暴動が起きた自治区への日本からの取材団を中国側が認めるのは初めて。区都ラサは観光客であふれる一方、10月1日の建国60周年を控え、厳戒態勢が敷かれていた。【ラサで宮川裕章】

 ◇多数の武装警官
 午前6時。夜明け前の暗がりの中、ラサ中心部のジョカン寺(大昭寺)前の広場で、約50人の巡礼者が地をはうようにして祈る「五体投地」を繰り返していた。

 寺は自治区内各地から巡礼者が訪れるチベット仏教の聖地。昼には観光客と巡礼者でごった返す。自治区東部チャムドから5カ月かけて来たというチベット族のシュンツィンチャンツォさん(32)は「家族の幸せと人類全体の平穏無事を祈りに来た」と話した。

 だが約30メートル先のテントには、ヘルメット姿の武装警察5人が待機し、巡礼者と観光客をにらむ。約1キロ離れたもう一つの代表的寺院ラモチェ寺(小昭寺)につながる小昭寺路にも、武装警察が多数配置され、周囲を警戒していた。昨年の暴動は、この地区で起きた僧侶の抗議行動がきっかけになったとされる。

 ◇「再発あり得る」
 自治区政府の幹部は会見で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世を名指しし、「(暴動は)外部の分裂勢力が僧侶らを扇動した。我々はこれを阻止し、今は社会は安定している」と主張した。一方で「また暴動が起きるかもしれない」と不安ものぞかせた。

 ラサ市中心部から東へ12キロの農村。中国政府が取材先に指定したチベット族の農家、プンツォクタシさん(58)宅を訪ねた。ステレオセットのある応接室の壁には毛沢東の肖像画がかかる。73年に共産党に入党したプンツォクタシさんは「中国政府の少数民族優遇政策の恩恵で自分は豊かになった」と繰り返した。政府関係者が同席する前で「ダライ・ラマ14世を尊敬するか」と記者が問うと、「(歴代)すべてのダライ・ラマを宗教的指導者として尊敬してきた」と答え、一瞬緊張した空気が流れたが、「彼はやるべきでないことをやっている」と付け足した。

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 ■ことば

 ◇チベット暴動
 北京五輪を前にした昨年3月14日、ラサで独立を求めるチベット仏教の僧侶や市民による大規模デモが警官隊と衝突。デモには約400人が参加し、中国政府によると市民18人と警官1人の計19人が死亡、負傷者は300人以上に上った。

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この記事などホントに頑張って書いてくれてると感じるのですが、だから余計残念なのは最後の「ことば」です。デモの参加者がたったの400人で内300人負傷、、、、と、中国が発表しているのでしょう。数字自体、ふざけています。

外国メディアならこの後に必ず「しかし(一方)チベット亡命政府側はデモ参加者数万人、死亡者220人、、、、と常識的に書くであろう。でないとこれが毎日新聞の公式見解と取られることでしょう。チベット人のデモを「暴動」と定義してるし、ラサだけで起ったデモと読んだ人は思うでしょう。

このあたり、意地悪に言えば、昨今上野で「チベット人は存在しない、チベット族のみがいる」といった日本人のように、中国の見解のみを採用するという、属国化現象のあらわれと取られないこともないわけです。
きっとデスクが後から要らないことを付け加えたということでしょうかね。

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次は、読売インド支局から。インド・中国国境問題について。
読売(訂正・産経)さんは今年から(いや去年からだったか?)インド支局を新設されました。
女性の田北さんが一人で奮闘されています。

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国境問題でインドメディアが「中国脅威論」 政府は火消しに躍起 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090921/asi0909212223006-n1.htm

 【ニューデリー=田北真樹子】インド政府が、中国との国境沿いの情勢をめぐる過熱報道を自制するよう、印メディアに求める事態になっている。政府にとって、スリランカやパキスタンなどインドの周辺国で存在感を高め、根強い不信がある中国は、いまや最大の貿易相手国でもある。それだけに対立は得策ではなく、メディアの“刺激”が続けば「誰かがどこかで冷静さを失い間違った方向に向かうかもしれない」(ナラヤナン国家安全保障顧問)と懸念を強めている。

 「インド・チベット国境警察の兵士2人が、2週間前に中国側からの発砲で負傷」。インド紙タイムズ・オブ・インディアは15日付の1面で、情報筋の話として報じた。外務省報道官は「報道は事実に反する」とすぐさま反論。その後、シン首相やカプール陸軍参謀長も「中国首脳とは連絡を取っている」「国境沿いで何ら深刻な事態はない」と、事態の沈静化を図った。同時に、内務省は発砲記事を書いた記者2人を刑事告発し、情報源を明らかにさせる方針だとの報道もある。

 今年に入ってインドでは(1)東北部アルナチャルプラデシュ州での水資源開発に対するアジア開発銀行(ADB)の融資を、中国がつぶそうとした(2)8月下旬にシッキム州ナトゥラ峠で両国軍が衝突した−などの報道が相次いだ。政府はいずれの報道も否定するか、沈黙を守っている。クリシュナ外相にいたっては「国境は平和だ」と明言し、メディアは「外務省は中国の“侵入”に目をつぶるのか?」とかみついた。

 政府がここまで火消しに躍起なのには、いくつか理由がある。

 印中両国の2008年の貿易額は、前年比34%増の520億ドルに達した。また、世界貿易機関(WTO)や地球温暖化をめぐる問題では、同じ新興国として先進国と対(たい)峙(じ)するために、中国との連携がインドには欠かせない。西側に緊迫した状況が続くパキスタンとの国境を抱えるだけに、東側の中国との国境問題で必要以上に波風を立てたくないとの思いも強い。

 「合意された国境がないこと」(クリシュナ外相)が問題の根源だが、05年以降、両政府による国境問題特別代表者会合が開催されており、インド側はこの場での協議を優先させたい考えだ。インド側による中国側への “国境侵入”もあり、中国側を過度に追及できない弱みもある。

 こうした中、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は、アルナチャルプラデシュ州を11月に訪問する計画だ。これまで中国に配慮し訪問を阻止した経緯もあるとされるインド政府は、今回は容認する方針を明確にしている。

 サブラマニアン・スワミー元法相は産経新聞に「最近の印中間の緊張はメディアがあおっている。両国間には相互不信があり関係は疎遠になっている。状況改善は可能だが、努力が必要だ」と語る。戦略専門家のP・Nケーラ氏は「両国間の戦争の可能性は低い。経済があらゆる方面に影響を及ぼしており、今以上の経済発展を遂げるには戦争をする余裕はないことを、両国とも痛いほどわかっている」と指摘する。



 インド・中国国境問題 インドの旧宗主国の英国が設定した境界線を国境とするかどうかをめぐり、認めないとする中国と、独立インドが対立。チベット問題もからみ、1962年に武力衝突に発展した。現在でも双方が合意、画定した国境線はなく、両国は共有する約3500キロにわたる国境線に沿った地域をめぐり対立している。主な係争地は西部カシミール地方のアクサイチン(中国実効支配)と、インド東部アルナチャルプラデシュ州(インド支配)。


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最後は、
レコードチャイナ 
http://www.recordchina.co.jp/
2009年09月22日

<中印>領土問題絡みの対インド融資を阻止、「日本も味方に」?―中国紙

2009年9月20日、中国紙・環球時報は、中国とインドが領有権を争っているアルナーチャル・プラデーシュ州への支援を含めた対インド融資をアジア開発銀行(ADB)が否決した問題について、「中国の抗議の成果が実った勝利」と報じた。

18日付インド紙インディアン・エクスプレスによれば、6月に行われたADB加盟国による投票では圧倒的多数でインドへの29億ドル(約2670億円)の貸付が認められたが、中国が猛反発。これにより、先月の表決ではインドは欧米諸国の大部分から支持を得たものの、日本やオーストラリア、東南アジア各国が反対したことで、勝利の女神は中国に微笑んだ。インドが3月末に提出した融資申請書には用途の一部に同州の水利プロジェクトが盛り込まれていたため、中国は6月の投票以降、同州がインド領であるとADBが暗に認めたとして、強く抗議していた。

環球時報は、融資が否決されたことは「中国の影響力が強まった証拠」と強調。インドは大きな打撃を被ったはずだがいまだに沈黙したままだとして、「勝利宣言」を行った。(翻訳・編集/NN)









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2009年09月21日

報道官サンペル氏との雑談

21.9.09本日、朝10時頃法王は3週間に及ぶアメリカ、カナダツアーにお出かけのためダラムサラを出発されました。ほんの一週間前に長期遠征からお帰りになられたばかりなのに、又昼が夜になるアメリカに行かれるとは本当に心より御苦労さまです。
沿道にはいつものように大勢のチベット人たちが思い思いにカタ、線香、野花を手に持ち法王を見送りました。
実際チベット人の命運はそのほとんどを法王のご活躍に負っているわけです。

北米でのスケジュールを知りたい方は以下へ。
http://www.dalailama.com/page.60.htm

さて、法王とオバマ大統領との会談について、今日情報省のスポークスマン、サンペル氏に訪ねてみました。

以下彼のコメント:
「もしも、法王とオバマ氏の会談がないとすれば、先日ホワイトハウスのオバマ氏の側近であるValerie Jarrett女史がダラムサラまで来られなかったとは思わないか?
ただ、オバマ氏の中国訪問の後にしてほしいということだ。
11月中に会うことになるだろう。
実際、それより、私は今回アメリカ政府の正式な特使がダラムサラに来られ、法王と会談したことの意味は大きいと思う。
実際今までは、例えば亡命政府の総理大臣や外務大臣がワシントンに行ってアメリカ政府の高官に会おうとしても、我々は政府の庁舎内に入ることも許されなかった。
アメリカはチベット亡命政府を公式には認めていないからだ。
会えても、それは外のレストランのようなところだったりした。
それが今回あちらからわざわざダラムサラまでホワイトハウスの高官が法王に会うために来たのだ。これは大きな姿勢の変化だと思う。

クリントン大統領もブッシュ大統領も法王に会っているしで、オバマ大統領が法王に会わないということはないだろう。
オバマ大統領は黒人であるし、少数派で虐げられている者に特別の配慮を示すであろうと期待はしている。
とにかく今度法王との会談が実現すれば、中国に対する大きな牽制にはなるだろう。アメリカはチベットの後見人であり続けるぞ、と中国に示すことになるからだ」

私「日本では最近、長年政権を取り続けていた、自民党が大敗し、民主党という新しい政権になり、鳩山と言う人が首相になった。彼は嘗て法王に会ったこともあるし、チベット議連のメンバーでもあった。一般的には期待したいところだ、しかし、一方民主党内には中国寄りの議員も多い。日本の新政権に特別期待することはないか?」

サンペル氏「日本にはそれほど期待してるわけではない。日本と中国の間には歴史的な問題もあるし、経済的に大きく日本が中国に依存していることも知っている。
中国に近すぎてこちらの情報も伝わりにくいのかも知れない。
しかし一方、政府がそうであっても、民間の人たちは自由のはずだ、例えば新聞、テレビ、その他NGOメディアは公平な立場でチベットのことを伝えてほしいと期待する」

これを聞いて、同席していた某新聞社の方が「確かに。では例えば一つの提案だが、代表部が定期的でも不定期でもいいからたまには記者会見とか開いて、我々を呼んでくれるというのはどうか?そうすれば、こちらも書きやすくなるのだが」

サンペル氏「そうか、それはいい考えだ。T氏が近いうちにダラムサラに来るので、その話をしてみよう」

ネレンカンの子供 1と、日本の話になったので、私は先進国中における日本の特殊事情、「普通の人は英語を解さない」ことを説明し、英語のチベット情報は今では溢れるほどあるが、日本語になるのはほんの耳くそほどで、それに引き換え日本人が漢字に強いせいか?「新華社伝」は丸ごと毎日大新聞社に伝えられ、、、情報戦にまるで負けている、もっと積極的に日本メディア戦略を考えてほしい、とか生意気なことをいったりした。
ついでに、例の上野で19日から始まった「チベット盗品展(一部は金を払ってサキャ寺とかから紳士的又は強制的に借りたとも聞くが)」の話をして、サポーターの多様な盛り上がり方と、一方主催者、後援企業などの倫理感のなさ、日本人一般の人権意識の低さ、臆病さ、、、右翼、左翼世代、等々、(日本の事をよく知らない私が)日本の特殊事情についても随分おしゃべりをしてしまいました。


二枚目の写真は、ネレンカン(難民一時収容所)に最近到着した子供二人。
最初のカメラを構えている子はギャンツェからお父さんに連れられて来た、6歳の男の子。お父さんは子供を置いてまたチベットに帰るという。

ネレンカンの子供 2三枚目はこの6歳の子が撮ったここで仲間になってる4歳の男の子。
カンゼから家族ごと亡命してきたという。








rftibet at 21:15|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年09月19日

続・囚われのドンドゥップ・ワンチェンとその妻ラモ・ツォ

ドンドゥップ・ワンチェン氏の釈放キャンペーンに関し、
まず、最初に最新情報としていつものように若松えり様が訳して下さったITSNのプレスリリースをアップします。

その下にあるビデオドキュメンタリーはドンドゥップの妻ラモ・ツォを中心に「残された家族」をテーマにWoman's Association が制作したものです。
中々よくできた、すばらしい短編だと思いました。
実はこの出来たてのビデオのことを知らずにルンタで一本と思い、準備はしたのですが、これを見て、まずはこれを日本語にして紹介し、短い3分ぐらいのを別に作ろうかな、、?と思案中です。
日本語にする許可を得るために来週早々WAに行くつもりです。

最後に先日ラモさんに話を聞いた時の続きを載せます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9月17/18日付け プレスリリース;
ドンドゥプ・ワンチェン最新情報

コンタクト;Ngawang Choephel,在米 元政治囚;+ 1 646
406 3075

チベット人映画制作者ドンドゥプ・ワンチェンが、新たに諜報活動の罪
に問われる;裁判差し迫る

9月23日、国際チベット支援団体は国連総会の席で演説予定の胡錦濤
(フー・チンタオ)に対し、ドンドゥプ・ワンチェン世界同時アクション


チベット支援者はチベット人映画制作者ドンドゥプ・ワンチェンが、新
たに諜報活動の罪に問われる可能性があるとの情報に対し、激しい怒り
を表明します。
今回入手された公式情報によるとドンドゥプ・ワンチェンは2008年
7月に”分裂主義を煽動した”罪と諜報活動の罪に問われ逮捕されたこ
とがわかりました。(1)
ドンドゥプ・ワンチェンはチベットで2008年3月26日に北京五輪
やダライラマ、チベットにおける中国政府の政策等について一般チベッ
ト人のインタビューを撮影し、拘束されてました。(2)
撮影されたインタビューは "Leaving Fear Behind"「ジグデル;
恐怖を乗り越えて」(3)と名付けられ、ドキュメンタリー映画
として、中国支配下にあるチベット人の生の声をかいま見ることのでき
るまれな映像となり、世界30カ国以上で上映されています。

「罪状となると思われる”分裂主義を煽動した”罪と諜報活動の罪に対
し激しい怒りを憶えます。」と(あなたの団体の代表者の名前を記入)
「ドンドゥプ・ワンチェンは単に表現の自由を平和的に行使したのみに
も関わらず、中国は彼をこのような深刻な犯罪の罪に問おうとしていま
す。この事件は、チベットで起きた2008年と2009年の平和的抗
議行動後、チベット人の声を沈黙させようとする残酷かつ、チベット人
の抵抗運動を継続的に取り締まる様子を象徴しています。」

ドンドゥプ・ワンチェンはー現在、西寧市第一拘置所に拘束されてお
り、裁判の開始が近づいていることが明らかにされており、チベット支
援者達は各国の大使館または外務省に対し、ドンドゥプ・ワンチェンの
裁判に傍聴してくれるよう要請する運動を展開しました。数件の傍聴を
希望する許可要請があったにも関わらず、the International Campaign
for Tibetの報告によると少なくとも一カ国の政府が裁判の傍聴要請を
拒否されたとしています。
この情報はドンドゥプ・ワンチェンの裁判が秘密裏に行われる可能性を
深刻に表しています。加えて、彼の家族が依頼した北京共信弁護士事務
所の李敦勇弁護士は接見を禁止されています。

チベットの伝統的な音楽と踊りを撮影後、自身も18年間の求刑のうち
の6年間を“諜報活動の罪”と”反政府主義活動の罪”に問われ刑務所
で過ごしたチベット人映画作家で、元政治囚である Ngawang
Choephelは、「ドンドゥプは家族や友人達と離ればなれになって、つら
い思いをしているに違いないが、同時にチベットの歴史を今この時期に
記録した勤勉で勇気あるチベット人の一人として自身を誇りに思ってい
るでしょう。彼の仕事は絶対に犯罪ではありえません。彼は人間として
与えられた自由を使って重要な問題を伝えようとしただけです。私はチ
ベットの音楽を記録したことで18年の求刑を受けましたが、国際的な
運動によって釈放されました。ドンドゥプを自由にするために世界中で
行動を起こしましょう。私は彼が私達に望みを託していることがわかり
ます。そして、私達を頼りにしているのです。私達に与えられた自由を
使ってドンドゥプを一刻も早く自由の身にするために、出来かぎりるこ
とをするのは、私達の責任なのです。

9月23日、チベット団体と支援者たちはドンドゥプ・ワンチェンに焦
点を当てるため、世界同時アクションを起こします。アクションは、胡
錦濤(フー・チンタオ)主席の国連総会の席で演説予定と同時に行われ
ます。
各団体では胡錦濤(フー・チンタオ)主席に対しドンドゥプ・ワンチェ
ンの釈放を求める絵はがきとメールを送り、同時に各国政府に対し、彼
についてのあらゆる司法手続きへのアクセスを要求するよう訴えます。

キャンペーンウェブサイトwww.freetibetanheroes.orgはthe
International Tibet Support Networkの政治囚キャンペーンワーキン
ググループによって作成されました。

8月21日、16人のドンドゥプ・ワンチェンの勇気あるチベットの友
人達は連名で青海の人民裁判所の議長に”私達はドンドゥプ・ワンチェ
ンが無罪になることを望みます。でなければ、少なくとも公平な裁判を
許可してください”と書いた署名をおくりました。

亡命中のドンドゥプ・ワンチェン の妻ラモ ツォと従兄弟
のGyaljong Tsetrinは彼の釈放を求めて、署名映画制作者に支援
を求める等の運動をしています。

ドンドゥプ・ワンチェンの写真が用意してありますので、必要な方は、
ご一報ください。

追記;
1。西側諸国の政府に提供された、政府の公式発表によるとドンドゥ
プ・ワンチェンは2008年7月に”分裂主義を煽動し、窃盗、秘密裏
に購買または入手した情報を不法に国外の組織、施設または人に対して
諜報活動を行った”疑いをかけられ、2009年6月に正式に逮捕され
ました。

2。ドンドゥプ・ワンチェンは2008年3月26日チベット東部の
(青海州)Tongdeで拘束されました。ドンドゥプ・ワンチェンは
青海州Hualong, Haidong出身、1974年10月17日生まれ。

3。"Leaving Fear Behind"「ジグデル;恐怖を乗り越えて」は
(www.leavingfearbehind.com)2008年3月にチベットから秘密に持
ち出されました。 ドンドゥプ・ワンチェンと、カメラマン
の ジグメ・ギャツォは正体を明らかにすることの危険を十分承
知の上でしたが、チベットの現状についてオープンに発言したいとしま
した。ラブラン僧院のチベット僧ジグメ・ギャツォは2008年3月2
3日に逮捕され連打や尋問用の椅子に何日間も縛り付けられる、足を縛
られて天井から逆さに吊るされるなどの残酷な拷問を受け、2008年
10月に仮釈放されました。
その後、彼は2009年3月に再び40日ほど、拘束されています。

4。 www.tibetnetwork.org/familyappealをご覧下さい。

5。. The International Tibet Support Network (ITSN)は
はチベット関連NGO間の国際協調により、チベット支援の効果を
最大限にするために、作られた総括ネットワークです。
ITSNメンバー団体は、各団体チベットの政治的な未来について独自の見
解を持ちますが、全団体は一貫してチベットを被占領国家と捉え、チ
ベット人の人権侵害に終止符を打つため、国際法のもとで守られたチ
ベットの人々の権利である政治、経済、社会、宗教や文化を決定する自
決権を取り戻すために活動しています。


Alison Reynolds;Executive Director, International Tibet Support
Network総局長
alison@tibetnetwork.org www.tibetnetwork.org
+44 7711 843884

ABC ニュース報道;ドンドゥプ・ワンチェンはYOU TUBE でもご
らんいただけけます 。リンク;http://www.youtube.com/watch?v=oXDz-dsuXks&feature=player_embedded

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ラモ・ツォビデオは張り付けかたがわからないので、各自以下にアクセスお願いします。

http://www.vimeo.com/657963

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先日のインタビューの続き。

私:どうして故郷を離れラサに行こうと思ったのか?

ラモ:自分はただの農民だった。故郷のラプランには20歳までいた。20歳の時にラサに行って、バターを売っていた。自分は農業しか知らなかった。ラサにいけば、教育が教育が受けられると思い行った。ラサに11年間いた。自分と同じようにラサでバターを売ってるアムドの女性は多かった。
ラプランは楽しいところだったが、田舎にいると考えまで小さくなってしまうと思った。あとお金がない。農業で苦労しても、お金にならない。それよりもラサに行って商売してお金を作って、それから勉強した方がいいと思ったのだ。

私:希望を持ちラサに出て、いろんなことがあって夫は今獄に繋がれ、あなたはこうしてダラムサラで一人で8人を養い暮らしている。後悔はないか?

ラモ:後悔はない。ここにいればいつも法王にお会いすることができる。もし、チベット人だったら、一生で一番徳のあることはダライラマ法王に会うことだ。向こうにいる人はほとんどダライラマの顔も見たことがない。いつお会いすることができるのだろう、と思っている人はたくさんいる。それでも会うことはできなくて、死んで行く人ばかりだ。チベット人の人生での一番の後悔はダライラマに会えないことだ。人生には色々なことがある。苦しいことはもちろんある。でも決して後悔などしない。ダライラマ法王に会うことができると思えば、自然に喜びと勇気が湧く。

私:ドンドゥップ・ワンチェン氏とはどうやって知り合ったのか?

ラモ:同郷の女友達が一人いたが、彼女のやっていた食堂で、彼女の親戚だったドンドゥップに会った。やさしい人だと思った。それから付き合い始め、結婚した。

私:チベットに帰りたいか?

ラモ:もちろんだ。夫はチベットにいる。夫だけでなくお父さんや兄弟たちもいる。でも夫は監獄の中にいる。今肝炎になっている。昔はそんな病気ではなかった。2008年に捕まってから中国の監獄で拷問を受けてそうなったに違いないと思う。自分は彼に会いたいと思っていろいろやっているが、会えない。親戚もだれも彼に会えてない。1年半誰も会えていない。自分の人生の伴侶は夫で、だからもちろんその人の元へ帰りたい。



私:今チベットに帰ったら捕まると思うか?

ラモ:もちろん、すぐに捕まるだろう。
もし、インドに行った者が、帰ってきたら、みんなすぐに見つかって逮捕される。自分が逮捕されるのは当然だ。インドから帰ったら次の日には家に警察が来る。すぐにわかる。見張り番はいろんなところにいる。数か月から一年ほど拘束され、その間尋問を受ける。何も非が無くても保釈金を払わないと外には出れない。一万、二万元と払わないといけない。

私:夫が釈放されたらダラムサラとチベットどっちに住みたいか?

ラモ:夫がこちらに来た方がいいが、すぐに来ることはできないだろう。まず監獄から釈放されることが大事だ。とにかく一緒にいたいと思う。夫とは一生連れ添い一緒にいろんなことをやるものだ。夫がいないと、自分が家族の責任を全部持たないといけない。外で稼ぐのも全部やらなければならない。一番悲しいことは、自分が一番な好きな人と一緒にいれないこと。
彼は仕事で外に出ることがあっても、一か月が限界で自分や子供のことを思い、帰ってくる。夫はそんなに家族思いの人だった。その心を広くして今はチベット人のために働いたのだろう。自分の命を捨てて、人のために仕事をした。彼の思いは、チベット人の幸福だ。それはとてもいいことだ。チベット人が中国に押しつぶされているときに、少しでも、何かすることが大事だ。ダライラマと同じで彼も中道だ。他の世界だったら一日も拘束されることはないといわれている。法律があってもチベット人には及んでない。中国人はやりたい放題だ。2008年チベット人はたくさん死んだ。今もみんな苦しい思いをしている。夫が殺されたり、妻が殺されて残された人たちがたくさんいる。世界中が助けてくれている。チベットの本当の現状を知らせるために来てくれているんだろう。真実をしらせるために夫は働いたのだ。世界中に知らせるために夫は働いたのだ。多くの人が現状を知れば知るほど、夫をチベット人を助けるだろう。中国に対しても影響を及ぼしていると思う。これからもチベット人を世界中が応援してほしい。夫のように今も苦しんでいる人たちはたくさんいる。人知れず、今監獄で苦しんでいる人たちは、国のために仕事をした人たちだ。
チベット人が立ち上がればすぐ殺される。アムド、アバの女性でナチュンという人のことを知っている。2人子供がいた。夫は中国に3月に捕まった。妻がその解放を求めに警察署に行った。妻はその場で捕まり17日間拘置所で拷問を受け、そのあと解放されたが、一言も発することもできず、4日後に死んだ。彼女のような拷問を受けて死んだ人はたくさんいる。自分がこうして話しをするのは、訴える相手もなく苦しんでいる人がたくさんいるからだ。自分は今話せるし、こうして聞いてくれる人がいる。だから話したい。家族や残された者たちの話も聞いてほしい。私は教育を受けて無いので、人に話しをすることを知らない。でも今はそういう他の人たちのためにも話すことが大事だと思っている。自分よりひどい状況の人がたくさんいる。私はいつか夫と会えるかもしれない。陽は沈んでも、またいつか登るように。でも、もうすでに伴侶が死んでしまった人がたくさんいる。世界中の人に知ってもらうことが大事だ。夫のような状況の人が何千人もいる。そういう人たちのことを知らせてほしい。苦しみの中にいる人たちのことを。

私:夫を思い出すか?

ラモ:夫には兄弟が10人いるが兄弟の中で彼が一番しっかりしている。彼がいたらみな心強い。一番苦しいのは彼がいないこと。いれば家族の責任を全部彼が引き受けてくれるが、彼がいないので、全部自分が引き受けないといけない。一番の心配は彼の病気だ。夫のことを思ってない時間はない。みんなも夫がいる人ならわかるだろう。いつも思い出す。パンを作ってるときでも、一人で作っている時いつも思ってる。
今、パンを売っているのはバスステーションだが、デリーからバスが着くたびに家族や友人同士が再会し、喜び合っているのを見る。自分の夫といつ、そういうときが来るんだろうって思いながら見てる。昔のようにまた家族一緒に暮らせる日が早く来てほしい。







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2009年09月18日

法王のティーチング・9月15〜17日

色んな話が重なって、頭がぐちゃぐちゃです。早く出して空っぽにしないと。

ダライ・ラマ/オバマ会談については、オバマ氏が中国を訪問する前に会うことは(もちろん?)無理だが、そのあと11月にでも会いたい、と法王がリクエストされたということです。ITSNが「古参秘書官」の話として「実現される」、と報じたのを見て、私はこの「古参秘書官」はテンジン・ゲチェ氏のことかも?と思い、ティーチングが終わり、法王の後を歩く彼を捕まえ、会談の見込みについて聞いたところ、
「う〜〜ん、おそらく無理だろう、、、」との答えでした。
彼ではなかったようです。

15.9.09法王は昨日12時前に今回のティーチングを終わられました。
最後は「発菩提心(セムケ)」の儀式で、参加者全員(強制じゃない)に「菩薩になるぞ」という誓いを立てさせられました。
ティーチングも終わりダラムサラには菩薩が溢れ、やがて世界中にこの菩薩たちが散らばっていくという、誠に喜ばしい光景が目に浮かびます。

もっとも、日本人の中には「あの、、、今日膝をついて何か唱えたようですが、あれは何だったのでしょうかね、、、?」と聞いてくる人ももちろんいる。
「あれで、君は菩薩になる、菩薩の戒律を守るぞ、と誓ったのだよ。だから、君は今日から半分菩薩というわけだ。嬉しいかな、、?  もっとも意味が分かってない人は受けたことにはならないから、大丈夫だよ、戒律とかもないし、破ったといって地獄にいくこともないしね。まあ、それでいいんじゃない。君が特に何かに苦を認識しているようにも見えないしね」と私は良くそんな人に答える。

内容は空の見解を中心に相当濃いものでした。
いつものように外道、説一切有部、経量部、唯識派、中観派の其々の哲学学派の空に対する見解の差を中程度(各派の細分まで)に詳しく説かれ、されにタントラの空観について説明されました。
四諦により空意を説明され、四仏身により大乗の悟りの内実について説明され、最後に慈悲を説かれ、空・悲不二の行が大乗の行だと宣言されました。


15.9.09以下テキストのほんの一部だけ翻訳します。(マリア様訳参照)
中観派(帰謬論証派)が唯識派の見解を否定した後の偈。

菩提心釈論
第43偈 
要するに仏たちは
(自性を)見られたこともないし、見られることもない
自性を持たないという自性をもつものを
一体どうやって見られるというのか

第44偈 
事物とは概念であり、妄想である
妄想が無いことが空である
妄想が現れるところ
そこにどうして空がありえよう

第45偈
認識されるもの(客体)と認識する者(主体)という(二元の)の現れを持つ心を
如来たちは見ない
主客の存在するところに
菩提(ジャンチュップ・さとり)はない

第46偈
相が無いので、生じることもない
存在するようになるのでもなく、言葉の道を離れている
虚空と菩提心は
不二菩提(空)の相を持つ

第47偈
さとりの精髄に住する
偉大なる仏と
愛情深い者たちは皆、常に
空は虚空のごときものと御存じだ

第48偈
故に、すべての現象の土台である
寂静にして幻に等しい
底の無い輪廻の底を打ち砕く
この空を常に瞑想せよ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「宝の山に入っても、そこを宝の山とも知らず、何が宝とも知らない者は空手のままそこから降りてくる」、と確か似たようなことが仏典にも書いてあったと思うが、
ダラムサラには確かにいろいろな宝がある、善良なチベット人の心に触れることも宝に触れたことになろう、山や野鳥や花も?チベット問題も、しかし、何と言ってのこのダラムサラを宝(心の病気を癒し、完全な解放を得るための薬)の山にしているのは驟雨の如く降ってくる法王のティーチング(教え)の甘露だと思う。
皆様もできれば法王のティーチングのあるときにダラムサラに来られることを勧めます。今じゃ大抵マリア様の日本語通訳があるし、何と言っても登録代20円だけで参加できるのがいい。










rftibet at 14:00|PermalinkComments(2)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2009年09月16日

ダライラマ・オバマ会談はまだ未定でした

前回の「法王とオバマ大統領の会談が実現!」は、本当は「?」のようです。

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/obama-middle-way-on-tibet-under-scrutiny-09152009212627.html
上はおそらく無理であろうとのRFAの記事。

今、時間ないのくわしくはまた。ティーチングに遅れそう!




rftibet at 08:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)その他 

2009年09月15日

ダライラマ/オバマ会談が11月に!

6fa1c375.jpg<オバマ大統領、インド ダラムサラのダライラマに、使節団を送る>

ICT 発表声明、2009年9月14日

ダラマラマ法王事務所は9月13日と14日に、米国政府高官との会談
が北インド ダラムサラで行われたことを発表しました。使節団
はオバマ大統領の政府間関係と公式実務の上級顧問、兼、大統領補佐官
であるValerie Jarrettが代表し、民主主義と国際問題を取り扱
う国務次官Maria Oteroを含む米国政府高官によるもの。
(Valerie Jarrettはチベット問題の調整官を兼任する)

ダライラマ法王のウェブサイトに発表された声明によると
http://www.dalailama.com/news/432/news.htm
(http://www.dalailama.com/news/432/htm), Jarrett大統領補佐官はオ
バマ大統領の誓約である「チベットの独自な宗教、言語と文化的な伝統
を守ろうとしているチベット人への支援と、彼等の人権と自由の権利が
守られるようする」旨を伝えるとともに、合衆国大統領として、チベッ
ト人のために中国の中にあって、意味のある自治を求めるその一環した
中道のアプローチを称えました。

法王事務所の古参秘書官はJarrett大統領補佐官が、オバマ大統
領とダライラマとの揺るぎない友好の存続を示し、加えて中国ー米国間
外交を強める意向を示しました。これによって、米国は両国間の対話の
進展、人権改善その他のチベット人にとって改善されるべき事情に対す
るより強い立場になるためとしています。

声明では、11月に開かれる米ー中サミットの直後、オバマ大統領とダ
ライラマがワシントンDCで会見する旨も、発表しています。


先出の法王事務所、古参秘書官は、国境問題も含めて、協議するために
オバマ大統領が北京での協議後、大統領とダライラマ法王が会見するこ
とが望ましいと決まったと語る。

ダライラマ特使のロディギャリ氏は、”法王様は(使節団と)大統領が
どのように具体的にチベット人の状況を改善できるかという意見を共有
され、北京サミットでチベットに関して、どのような展開になったかを
大統領から直接伺える機会を大変有り難く思います。と述べられ、今後
年末に向けての法王様のスケジュールはホワイトハウスからの打診を
待って会見の調整をする予定です”と話しました。

中央チベット行政府のサムドン・リンポチェ主席大臣は米国使節団の訪
問を受けて”オバマ大統領のダライラマ法王のリーダーシップとアプ
ローチに対する賞賛と、チベット仏教文化に対する尊敬を示された、今
回の訪問はチベットにとって、重要な訪問です。わざわざ遠路をお越し
いただいて、直に法王様とチベット人にメッセージをお伝え頂き感謝し
ます。”とのべました。

Press contact:
Kate Saunders (in Washington, DC)
Communications Director, ICT
Tel: +1-202-731-3148 or +44 7947 138612
email: press@savetibet.org

訳文責;若松えり






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