2010年03月

2010年03月31日

ダライ・ラマ法王の写真を持っていたとして逮捕され、、

法王のお写真は頭上へ3月29日付、RFAチベット語版より。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/a-tibetan-detained-for-possession-dalai-lama-photo-still%20traceless%20-03292010161058.html

ダライ・ラマ法王の写真を持っていたとして逮捕されたチベット人、タシ・ソナムの行方は今も分からないままだ。

2008年チベット人が大きな平和的抗議活動を行なった時、ラサのホテルを経営していたカム、カンゼ出身の商人タシ・ソナムは取り調べを受けた。
その時、彼はダライ・ラマ法王の写真を持っていた。
中国人の警官はそれを見つけ、取り上げ、路上に投げ捨てた。
そして、タシ・ソナムに向かいその法王の写真を足で踏みにじろと命令した。
彼はその命令に従わなかったので連行されていった。
その後彼の兄弟たちは相当な金も使い彼の行方を追ったが、何の情報も得られないままであった。

ところが、最近タシ・ソナムと監獄で一緒だったという一人の中国人が出所し、彼の知るところを兄弟たちに伝えた。
彼によれば、「タシ・ソナムは武装警官隊に袋叩きにされ、その後目が見えなくなった。病院に運び込まれたがその後帰って来なかった」。

今もタシ・ソナムの親戚の者たちは彼の行方を捜し続けているが、これ以上の情報は得られていないという。

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9−10−3の会が先のITSNの会議で発表した、2008年以後の行方不明者の数は980名。

その他、2008年以降の抵抗運動の犠牲者の数は、死者219人、負傷者1268人、逮捕者6860人、
さらに、これまでに刑が確定した者のうち、3年〜無期を受けた者の数は329人に昇ると報告した。


rftibet at 12:30|PermalinkComments(14)TrackBack(0)内地よりの電話 

2010年03月30日

ITSNアジア地区会議

26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting一昨日、三日間行われた「ITSN(The International Tibet Support Network 国際チベット支援ネットワーク)アジア地区会議」が終わった。
参加した国は11カ国。
このうちアジアからは日本、台湾、香港、韓国、バングラデッシュ、インド、オーストリアの7各国。
その他ケニア、アメリカ、イギリス、フランスからオブザーバー資格の参加があった。総勢52人。

会議の報告と言っても、この会議、プレスも入れない内輪の作戦会議なので、全部明かすという訳にはいかないところもある。もっとも仲間内には内容を周知させないといけないという面もあって、難しい。
このブログにも最近光栄にも中国側からのアクセスも認められるようになった、ということでブログでは概要報告のみ。
チベットサポートでは僻地である日本への、中国からのネット攻撃は稀であろうが、中心地アメリカやイギリス、フランスのサポートグループへの攻撃は日常茶飯事と化しているようだ。
会議ではネット攻撃を回避する方法という講義も行なわれたほどだった。

アジア会議というとこのダラムサラに本部を置く亡命チベット人のNGOも参加することになる。
例えば政府外5団体として有名なチベット青年会議、チベット女性協会、SFT,9−10−3の会、NDPT(チベット国民民主党)の内、大会を控えるNDPT以外の4団体が参加していた。
地元ではあるしで彼らは競ってその存在感をアピールしていた。特に女性協会と9−10−3は会長自ら乗り込んでロビングに励んでいた。

日本からは5人も参加していた。この前の世界会議の時には牧野議員を入れた4人だったので、今回は最大人数の参加ということになる。
26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting25人とは、SFT Japanから代表のツェリン・ドルジェさんとジョン・ウッドさん、KIKUから三好さん、スーパー・サンガから林さん、それにルンタから私という面々。

英語の会議はもちろん苦手の私などはほんのオブザーバー程度だったが、嬉しかったことは、昨日RFAカム語放送でこの会議のレポートが流され、その中で「台湾、日本など11カ国が参加した」と報告されたことだ。
これを聞いたチベットの中の人は「日本人も助けようとしてくれてる」と思うことができるであろう、それだけでも参加した意味はあったわけだ、と喜んだわけだ。
もっとも、日本は今まで「チベット問題に貢献してきた」などとはお世辞にも言えないほどこの分野では後進国だ。期待に応える責任も同時に感じた。

日本ははっきり言って世界のチベット支援の輪にはまるで加わってないに等しい。
まずは言語の問題もあるであろう。日本の支援団体間の連絡が良くないという問題もあるであろう。
内部事情は別にして、最近はロンドンの若松えりさんがボランティアでITSNの重要なキャンペーンのお知らせなどは翻訳してくださっている。
今まで、私を含めだれも翻訳の労を引き受けなかったのだから、これは有難いことだと私は思う。

28.3.2010 ITSN meetingITSNは加盟支援団体の話合いの上に様々なキャンペーンを行なう。
例えば、政治囚解放キャンペーン、チベット第三極キャンペーン、各国首相へのレターキャンペーンなどだ。
その他、イベントやデモ、議員へのロビングに使うための参考資料を供給したりする。
キャンペーンの多くはオンライン上でサインするだけのものだ。
オンライン上で例えば6年の刑を受けたドゥンドゥップ・ワンチェンさんの解放を訴える手紙にサインするということはチベットサポーターならあたり前のことだ。最低限の義務ともいえる。
知ればサインする人も多いと思う。

ルンタは11年前にできた時から元政治犯を援助することと、チベットの人権状況を伝えることを活動の中心にしてきたので、政治犯解放運動にも10年前頃から関わって来た。そのころはアムネスティと連携することが多かったが、外の世界から手紙を送ることは意味のないことではない。ちゃんとそれなりの成果を上げて来たのだ。

だから、これからも色々なキャンペーンが行なわれると思うが、出来るだけお知らせするので、それを日本側でなるべく多くの人に伝わるようにしてほしいと思う。
実際にサインするかどうかは各団体や個人の自由だ。

26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting3前書きが長くなった。会議の話に入る。
初めに首相のサムドン・リンポチェが来られスピーチされた。
「今ではチベットには第四番目の帰依所がある。それは外国の支援団体だ」という法王の言葉を引用して支援団体を持ち上げた後、政府の現在の中国に対するスタンスなどについて説明された。
最後には「しかし、政府の政策に支援団体が従う必要は全くない。自由に討論してください」と政府は民間団体に枠をはめたりはしないことを強調された。
この辺は中国に隙を見せないためと、中国との違いをはっきりさせたかったのであろう。
団体の中に独立支持派も少なからずいることを知っての発言とも思えた。

実際討論やワークショップが始まると何と騒々しいこと、みんな言いたいことが沢山ある人が多いのでマイクは時に取り合いになるほど。熱いといえば熱い。
台湾と香港から一人ずつ女性が参加していたが、さすが対中国戦の最前線に位置するだけあって二人とも特に熱い。
香港からの女性は若く派手な服装で人目を引いていた。彼女は根っからの独立派のようで、相手が首相であろうと議長であろうと、誰であれ中道論者にはお構いなく反論するのであった。

27.3.2010 ITSN meeting ,HH Audience最初の日には其々の会の自己紹介とか、状況分析とかメディアトレーニングとかがあった。
夕方には議会にも行き、副議長のギャリ・ドルマ初め5人ほどの議員と短い懇談会が行なわれた。
夕食の後には、噂のドキュメンタリー「Sun behind the clouds」の上映会。
私は実はその時初めて見たのだが、良かったですね。早く日本語にしたいと思った。
題の「Sun behind the clouds」は、かつてラサのダプチ刑務所で尼僧たちが歌っていた獄中歌の一節から取ったものだと初めて知った。それを最後に、このブログでも紹介したことのあるリンジン・チュキさんが歌うのだ。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-09.html#20080923

この上映会が終わったのは夜の11時。

二日目の午前中は主な4つのキャンペーン計画についての討論。
4つとは:
チベットにいるチベット人を最優先とする。
各国政府がチベット支援のために具体的行動を取るよう圧力をかける。
チベット政策に直接関わる中国政府指導者をターゲットとする。
選択された中国人に接触する。

27.3.2010 ITSN meeting men.で、この後全員ダライ・ラマ法王との謁見があるというので、急いでパレスに向かった。
法王との謁見は最初プログラムにはなかったが、ちょうど法王がダラムサラにいらっしゃるというので時間を割いて頂けたのであろう。
この謁見はいろんな意味でなかなか興味深かった。中にテンジン・ツンドゥといういつも赤鉢巻きをしている有名な独立論者がおり、彼が法王を刺激し、普通でない雰囲気の謁見となった。
長くなるので詳しくは何時かまた。


27.3.2010午後にはまず中国学が専門のネルー大学教授アルカ女史の講義。
専門家とし現状分析と将来の展望についてインドのスタンスを含めながら話された。

その後、先のコペンハーゲンで行なわれた環境会議cop15に「チベット第三極」のキャンペーンを掲げて参加した、チベット人団体の報告。中国の使節団に突撃接触しようとするも果たせなかったという話とか面白かった。
最後に、各国政府が中国の圧力に屈しつつある現状をいかに打開すべきか、政府にいかに働き掛けるべきかを中心に討論。

この日、夕食後に囚われの身であるドゥンドゥップ・ワンチェンの妻ラモ・ツォが招待され、みんなで夫の解放を訴える彼女の話を聞いた。その日はちょうどドゥンドゥップ・ワンチェンが逮捕されて二年目に当たっていた。
いつもだが、彼女は話始めると興奮し、止まらなくなる。涙をこらえながら話す彼女の姿に目を潤ませながら聞いている人が多かった。

三日目には「囚人解放キャンペーン」を中心に部会に分かれ議論が続いた。
ITSNはドゥンドゥップ・ワンチェン、テンジン・デレック・リンポチェに続きあと7名、計9名の政治囚の解放に焦点をあて、これからも彼らの解放キャンペーンを行なう。

Tsewan Dundup昼食後、今度は、二発の銃弾を受けそのまま治療も受けず、一年以上も山に逃げ隠れていたツェワン・ドゥンドゥップが証言者として呼ばれた。
彼の話は何度もブログで紹介したが、この日の彼の話はまた良かった。
その中で彼は、デモを知ってそれに加わりに行く時の様子を次のように描写していた。
「俺たちにとってはダライ・ラマとパンチェン・ラマは自分の命よりも大事な宝のような存在だ。同じように僧侶や尼僧も俺たちには大事な宝だ。その僧侶や尼僧がデモを始めたと聞いては駆け付けないわけには行かない。広い平原を叫び声が聞こえる方向へと、自ら走り、あるいはバイクや馬に乗って、みんなが全速力で向かっている様子はまるで、ご帰還されたダライ・ラマにでも会いに行くために急いでいるかのようだった」

ラモ・ツォとツェワン・ドゥンドゥップの二人には何れ世界ツアーをやってもらうことになるだろう。
現在二人ともパスポート(代わりになる証明書)の申請をしているが交付までにはまだ数カ月はかかる見通しだ。
パスポートができれば、日本にももちろん連れて行きます。

午後はまとめセッションがあって、終了。
連日連夜の英語の洪水から解放され私の頭はホットした。
でも、ま、いつもだかみんなの熱心さには感心する。
世界中の様々な人たちがチベットをサポートしている。
日本人も少しは世界と連帯してキャンペーン等に貢献したいものだ。

ITSNについて詳しく知りたい人は以下のホームページへ
rftibet at 16:35|PermalinkComments(8)TrackBack(0)ダラムサラニュース 

2010年03月28日

ジョンダで2人の僧侶逮捕/アムドの学生の追悼式/ラルン・ガルの僧侶に7年の刑

ダラムサラで今日まで3日間行なわれている「ITSN(国際チベット支援ネットワーク)アジア地区会議」に参加しているので、チベットからのニュースが入っているのを知っていたが、お知らせする時間がなかった。

とにかく、この会議、朝から夜遅くまで参加型の討論が連続するので、、、疲れるわ。
中には講演もある。まず、会議の初めには首相のサムドゥン・リンポチェのお話があった。
昨日はプログラムにはなかったが、突然法王との謁見があるというので、全員(約50名)急いでパレスに向かった。
法王は半時間ほど話された。
ま、詳しくは会議が終わってからということにして、まずチベットから入ったニュースを要訳でお知らせする。

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3月26日付パユルによれば、チベット自治区チャムド、ジョンダ県で二人の僧侶が逮捕された。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=26989&article=2+Tibetan+monks+arrested+in+Jomda+County
RFA:http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/two-monks-arrested-in-jodha-tibet-03252010221055.html 
容疑は「チベット蜂起51周年記念日」に当たる3月10日の夜、政府の車に火を放ったことだとされている。
この情報は亡命政府議員であるモンラム・タルチン氏による。

3月11日、ジョンダ県警はまず、カルマ・パルデン24歳及びジガル僧院の僧侶2人を逮捕し、県の拘置所に送った。
その後ジガル僧院の僧侶2人は解放されたが、今度はゲレックと呼ばれる20歳の僧侶が逮捕され、カルマ・パルデンと共に拘留されている。
二人は拘置所で激しい拷問を受けた後、地域のチベット人たちを脅すための見せしめに、通りをパレードさせられたという。

その他Voice of Tibet Radioによれば、同じ3月10日、青海省にある、先代のパンチェン・ラマ10世が1985年に創立した僧院学校の生徒約100人が、2008年3月に始まった抵抗運動に対する中国当局の弾圧の犠牲となった者たちを追悼するための儀式を行なったという。
今のところ逮捕者は出ていないが当局はリーダーの学生を探しているところだという。

Voice of Tibet はさらに、青海省のビド僧院の(おそらく僧院付属の学校の)学生たちが2008年以降の弾圧による犠牲者を弔うために千のバター灯明供養を行なったことを伝えている。

ラルン・ガル僧院3月25日付TCHRDリリースによれば、
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20100325.html

四川省中級人民法院はカム、カンゼ・チベット族自治州セルタの大僧院ラルン・ガルの僧ナチュン39歳に7年の懲役刑及び1年の政治的権利剥奪を求刑した。

彼は写真にある大僧院ラルン・ガルを創建した故ケンポ・ジグメ・プンツォックの甥にあたる。

裁判は家族にも知らされることもなく秘密裏に行なわれ、判決は1月中に決定されたと言われているが正確な日付も公表されていないという。












rftibet at 20:00|PermalinkComments(11)TrackBack(0)チベット内地情報 

2010年03月24日

ナクチュ県ディルで小学生が抗議デモ

3月24日付けphayul.comによれば、3月22日、チベット自治区ナクチュ県ディル(比如)で、20人以上の小学生による、中国政府に対する平和的抗議デモが行われた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26978&article=Primary+school+students+stage+protest+in+Kham+Driru

この情報は内地から連絡を受けた亡命中のガワン・タパ氏がパユルに伝えたもの。

タパ氏によれば生徒たちはデモの間「ダライ・ラマ法王に長寿を!」「チベットに自由を!」「中国はチベットから出ていけ!」「ダライ・ラマ法王のチベットへのご帰還を!」等のスローガンを叫んだという。

小学生たちはやがて保安部隊に取り囲まれ、彼らの親たちは公安に呼び出され尋問を受けているという。

しかし、生徒たちは逮捕されたのか、今拘置所いるのか等は不明。

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小学生のデモ!とは。
これが初めてかというと、確か2008年にはペンボだったかであったと思う、、、?
それにしても、これが本当なら世界でもまれな事件だ。
このところ、アムドでは中学生によるデモが連続して発生していた。
当局は学校の校長や県の教育課の責任者をクビにしたという。
もっとも教育課トップの中国人はクビになってないらしい。
学校の先生ほか責任者に圧力を掛けようというわけだ。

このディルでは2008年の夏、地元のいくつもの僧院が「愛国再教育キャンペーン」に抵抗し、逮捕者もでている。
http://tibetoffice.com.au/update-tibet-1-july/
http://www.tibetcustom.com/article.php/20080330120701589

私は偶然このディルの近くにある村出身の子供を知ってる。
その子の村から町の小学校までは峠を越え、歩いて二日かかるという。
それでも両親は沢山のお金を払いその子を町の寄宿舎に入れた。
学校には漢人の子もいたがチベット人の方が多かったという。
彼が言うには「漢人の子とチベット人の子が喧嘩するといつも先生はチベット人だけをなぐるんだよ。チベット人の子はいろいろ差別される。それが嫌だった。愛国教育というのも毎日あった」とか。
それで彼は4年生までで学校をやめた。
その後彼はラサのセラ寺に見習い坊主として入れてもらい数年をすごした。
そして、14歳のとき自分で決心しインドに亡命した。

小学生だって嘘や差別には敏感だ。
小学生でも町で何が起きているかはちゃんと知っており、チベット人としてやるべきことも知っているということか。
チベットの戦いは弾圧が続く限り100年経っても終らないであろう。





rftibet at 15:00|PermalinkComments(10)TrackBack(0)内地よりの電話 

世界の知識人100人が劉暁波氏の釈放を訴える

8f3cc488.jpg中国:全世界の著名な有識者や作家ら 劉暁波氏の釈放を訴える | Human Rights Watch
http://www.hrw.org/ja/news/2010/03/10-4

全人代開催にあたり、言論の力で政府を批判した著名知識人の釈放を
March 10, 2010

(ニューヨーク)世界中の著名な中国専門家や作家、人権活動家ら100人以上が、受刑中の中国の反体制活動家、劉暁波氏の即時無条件釈放を求める全国人民代表大会宛て書簡を本日発表した。
http://www.hrw.org/node/89009

恐れることなく中国政府への批判を続けてきた劉氏は、政治に関する論考を6本発表したこと、および、中国における法の支配と人権尊重を求める「08 憲章」を起草したことにより、2009年12月、懲役11年の刑に処せられた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア・アドボカシー・ディレクターであるソフィー・リチャードソンは、「政府批判を理由に劉暁波氏を懲役刑に処するのは、世界における中国の評判と名声を汚すものである」と述べる。「中国政府は、劉氏を罰して見せしめにするのではなく、『08憲章』で示された問題に取り組むべきだ。」

中国の立法府である全国人民代表大会(全人代)は、年次総会を開催中であり、3,000人以上の代表が出席している。全人代には「憲法の執行を監督する」権限が法律上与えられているが、その憲法は、中国国民に「言論の自由、報道の自由、集会の自由、結社の自由、行進の自由およびデモの自由」を正式に保障している。

劉氏は、2009年12月、「国家権力を転覆し、社会主義体制の転覆を扇動した」として、法廷で懲役11年の判決を受けたが、その判決前に作成された声明で、劉氏は、正義と民主主義という普遍的な理念への自らの信念について改めて述べていた。

同氏は、その声明で、「私は、これまでの自分の活動が正当なものであり、中国がいつか自由で民主的な国になると信じる。」と述べた。「我々の同胞は、恐怖から解放され、自由の光を浴びることとなるだろう。この方向へと進むために、今、私は代償を支払っているが、何も後悔するところはない。 独立した知識人が自由を求めて独裁的国家に立ち向かえば、しばしば刑務所に投獄されることは、ずっとわかっていたことである。しかし投獄は自由への一歩である。今、私はその道を選んだのである。真の自由は近づいている。」

2010年1月、ノーベル賞受賞者であるヴァーツラフ・ハベル氏、ダライ・ラマ氏、デズモンド・ツツ氏らなどの著名な個人からなるグループが、劉氏を同年のノーベル平和賞に推薦している。
http://www.hrw.org/ja/news/2010/03/10-4

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政府批判を理由に劉暁波氏を懲役刑に処するのは、世界における中国の評判と名声を汚すものである。中国政府は、劉氏を罰して見せしめにするのではなく、『08憲章』で示された問題に取り組むべきだ。

ソフィー・リチャードソン、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア・アドボカシー・ディレクター

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Related Materials:

Letter from the Consortium for Liu Xiaobo to NPC Chairman Wu Bangguo
http://www.hrw.org/ja/news/2010/03/09/letter-consortium-liu-xiaobo-npc-chairman-wu-bangguo

Letter from the Consortium for the Release of Liu Xiaobo to China's President Hu Jintao
http://www.hrw.org/ja/news/2008/12/22/letter-consortium-release-liu-xiaobo-chinas-president-hu-jintao

China: Nobel Laureates, China Scholars Call for Liu Xiaobo’s Release
http://www.hrw.org/ja/news/2008/12/23/china-nobel-laureates-china-scholars-call-liu-xiaobo-s-release

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英語原文には100人の知識人がすべてリストアップされている。
目立って多いのはスランスとアメリカの大学教授だ。
100人中、日本からはたったの三人、そのうち一人は中国人と思われるので日本人はお二人のみ。日本の学界の人権への関心度が知れるというものだ。
以下、その3人の学者さんを紹介します。

Willy Lam
Professor of Chinese Studies
Akita International University
Japan

Setsuo Miyazawa
Professor
Aoyama Gakuin University Law School
Japan

Satoru Shinomiya
Professor
Kokugakuin University Law School
Japan

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さっき、最近放映が始まったばかりのチベットテレビで法王が先週17日にインドのボパールで開かれた "Human Rights Through Universal Responsibility" と題された会議において基調演説をされたときの映像が流れていた。

これは以下のURLにアクセスすればすぐに見れるし、聞けるのです。
法王はゆっくりと簡単な英語で話されているので是非お聞きください。

http://dalailama.com/webcasts/post/92-human-rights-through-universal-responsibility/2498

法王は最後に:
態度を変えればーー>内に力が湧きーー>自信が持てるーー>正直で何も隠すことのない透明性を得るーー>それにより信頼が生まれーー>幸せな社会が築かれる。
金だけじゃない。

と中国へのアドバイスをされました。


rftibet at 12:30|PermalinkComments(8)TrackBack(0)その他 

2010年03月23日

Google 中国より撤退

2008年6月のラサ 撮影・野田雅也他の企業と違い、Googleが中国の情報規制・監視にあくまでNoといったことは称賛に値する。
中国の中でももっともネットの検閲が厳しいのはチベットと新疆ウイグルだ。

チベット支援の世界的ネットワークであるITSNは、Google社が、中国政府に妥協せず、ホンコンをベースに従来の中国語検索サイトを継続すると決定したことに対し感謝の意を表明する手紙を送った。

その中、チベットではネットを使って外の世界に真実を伝えることがいかに危険な行為であるかを示す例として以下の3つのケースを報告している。

(若松訳)
1)Norzin Wangmo(チベット人共産党幹部)は2008年11月3日にチベットの状況を電話とインターネットを使って伝えたために5年の刑を受けました。
チベット人である彼の友人からは‘Walza’ (勇者)と呼ばれる彼は2008年4月に拘束され拷問を受けました。

2)Gonpo Tserangは外国の著名人のトレッキングや遠征、重要な山岳捜査に参加する経験豊かなガイドです。
2008年3月14日ラサで起きた抗議行動について携帯メールを送ったため2008年10月に ”国家分裂主義を煽動”した罪で3年の刑を受けました。
The Dui Hua Foundationが入手した起訴状と判決にはこうありました。
「被告人Gonpo Tseringはインターネットと携帯電話を使用して”3月14日事件”に関するチベット地区での社会的安定の状況に関して事実無根な誇張したメールを送信した」と。

3)Kunchok Tsephel、中国環境省で働く、影響力のあるチベット語サイトChodmeの創始者 ('Butter-Lamp,' www.tibetcm.com)は2009年11月に15年の刑を受けました。
罪状は彼のウェブサイトの内容に関するものと信じられています。
サイトは主にチベットの文化を守ることを目的としており、チベットで起きた2008年の抗議行動についての情報も含みます。

中国政府は情報共有などを犯罪とすることを強化しておりチベットの状況について外界と電話、メールを使って交信することはすなわち「国家転覆罪」とみなされます。
2008年12月のTibet Daily では北京政府が“偽作と煽動”を取り締まるための部隊を公安当局内に設置したことが報道されました。
ITSNメンバー団体であるInternational Campaign for Tibetによると,この新たな部署の出現によって多くの拘束者が出、抗議行動に参加した罪よりも、インターネットで重要な情報や意見を受け取ったり,または送ったりすることは、はるかに重い刑を受けることになります。

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電話やネットが常に監視されている国に住んでいると想像してみるといい。



rftibet at 20:10|PermalinkComments(8)TrackBack(0)その他 

2010年03月21日

ダラムサラの野鳥・その10

Kalij Pheasant(Lophura leucomelamos) 70cmKalij Pheasant(Lophura leucomelamos) 70cm
今日は日曜日ということで、久しぶりにダラムサラの野鳥シリーズをエントリーする。
(写真は是非クリックしてご覧ください)

久しぶりにダラムサラの家に帰って窓の外を眺めていると、まるでそこは大きな鳥かごの中にいるごとく、次から次へと色とりどりの野鳥が元気よく飛び交かっているののだった。
日本やネパールのどこよりもここが一番野鳥が集まる場所に思える。

すでに撮ってブログにも紹介したことのある鳥が多いのでもう撮ることもないのだか、それでも今回日本で明るいレンズ(ニコン70〜200mm,F2.8)を手に入れたので試し撮りを始めた。
確かにかつてのF5.6と比べると、シャープさに相当の差があるようだ。
でもプロ仕様にはまだまだだけど、、、

最初の写真に写ってる、大きな鳥はこの辺で比較的ポピュラーなキジ。
日本のキジとはしっぽや色合いが随分違うが、オスの眼の周りが真っ赤なハート形にできているのは一緒だ。

朝晩一家族が家の周りに現れる。

Plum-headed Parakeet (Psittacula cyunocephala) 33cmPlum-headed Parakeet (Psittacula cyunocephala) 33cm
オーム(インコ)もいろいろだが、この辺りまで登って来るのは少ない。
真っ赤な頭が特徴のこの小型のオームは群れをなして、緑色の弾丸のように素早く谷間を飛翔する。


写真は、一羽が庭の細い竹に停まって揺れながら若芽を食べているところ。


Great Barbet (Megalaima virens) 33cmGreat Barbet (Megalaima virens) 33cm
この派手な大型の鳥は一年中この辺に沢山いる。
大きな口で大きな鳴き声を上げて目立つ。
これが来ると他の小鳥たちは逃げていく。






Blue-throated Barbet (Megalaima asiatica) 24cmBlue-throated Barbet (Megalaima asiatica) 24cm
上のBarbetに比べるとこちらは小型でおとなしい。
窓の前にある桜の木には今、真っ赤なサクランボが沢山ぶら下がっている。
これがこの子の好物。
新緑の木の葉のような緑の身体、喉と頬が空色、おでこと頭頂はよく熟れたサクランボの赤、その周りには白黒の縁取り、というようにこの子はまるでこのサクランボを食べるために代々努力してきたかのようだ。

日本ではゴシキチョウと呼ばれている。






Verditer Flycatcher (Eumyias thalassina) 15cmVerditer Flycatcher (Eumyias thalassina) 15cm オス
秋から冬にかけて姿を見かけなくなっていたこの「青い鳥」。
この頃また沢山見かけるようになった。

春だからか、この鳥に限らずオス・メスで追いかけっこしている姿が目立つ。









Chestnut-bellied Rock Thrush (Monticola rufiventris) 23cmChestnut-bellied Rock Thrush (Monticola rufiventris) 23cm オス
日本のイソヒヨドリに似る、こちらも「青い鳥」。
上の「青い鳥」は家の巣箱に巣を作るぐらいこの辺ではポピュラーだが、こちらの「青い鳥」を見かけることは稀だ。
去年から三度見かけただけ。

こちらも深い青のグラデが美しい。












名称不詳名称不詳 18cm
上の6種はすでに紹介ずみのものばかり。
以下の4種は今回新発見されたもの!
もう200種以上をコレクションしたので、新発見は稀なことなのだ。

新発見のせいか名前が不明の子が多い。
これはツグミの一種と思われる。




名称不詳名称不詳 15cm 
ルリビタキのメスに似ているが、しっぽが青くない。
日本のシマゴマに似ている。

メスか幼鳥の可能性が高い。


















Yellow backed Sunbird/ Female (Aethopyga siparaja) 10cmYellow backed Sunbird/ Female (Aethopyga siparaja) 10cm
小さな小さなハチドリ。
これはメスでオスは鮮やかな赤色だ。

オスは一般にメスより派手な色や羽根を持つ種類が多い。
目的は同種のメスを引きつけるためだが、目立つことは他の天敵から狙われやすいということにもなって、一般にメスより短命なのだそうだ。

オス・メスの体色や体型の似通った種の番いは一生連れ添うケースが多いという。
これに比べ、一般的に、オスがメスに比べ明らかに派手なタイプの番いは長続きしないという。
この話、もうしたよな。

Spot-winged Tit /Crested Black Tit (Parus Melanolophus)11cmSpot-winged Tit /Crested Black Tit (Parus Melanolophus)11cm
これも非常に小さな鳥。
カラ(ガラ)のタイプはここにもいろいろいるがこの種は珍しく、昨日始めて出遭った。








rftibet at 15:00|PermalinkComments(6)TrackBack(0)その他 

2010年03月19日

アムド、バイェンカルで僧侶3人、ツォェで青少年20人が逮捕される。

2008年6月のラサ 撮影・野田雅也写真は2008年6月のラサ。撮影:野田雅也

3月19日付TCHRDプレスリリースによれば、青海省海東地区バイェンカル(化隆県)ディツァの公安は僧院周辺に政治的パンフレットを張り出したとして3人の僧侶を逮捕し、この僧院が経営する学校を閉鎖した。
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20100319.html

2008年の蜂起記念日である3月14日、ディツァ僧院の周辺で「ダライ・ラマ法王の早期帰還」「チベット弾圧終結」を訴える張り紙が多数発見された。
この事件の後バイェンカル県庁の職員が公安職員と人民武装警官を伴って僧院に現れ、この僧院を閉鎖した。
さらにトゥルク(転生ラマ)・ウーセル、イシェ20歳及びジャミヤン19歳を逮捕した。
情報によれば、トゥルク・ウーセルは二日後に解放されたが、残る二人は依然バイェンカルに拘置されているという。

これに先立つ3月8日、この僧院が経営するシェリク・リンチェン・ノルリン・スクールが突然当局により閉鎖されたが、その理由は不明だ。
この学校には幼い子供を中心に70人が通っていたという。

これとは別にロイター(北京)によれば、甘粛省甘南チベット族自治州の州都ツォェ(合作)で一群のチベット人がデモを決行し、少なくとも20人のティーンエイジャーが逮捕されたという。



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2010年03月18日

マチュでチベット人中学生が抗議デモ

マチュ、チベット人中学校写真はマチュ県チベット人中学校の正門

チベット人中学生が抗議デモ

「中国の厳重な警備態勢に抗議した青少年たちが逮捕される」
http://www.rfa.org/english/news/tibet/youths-03162010144451.html

<以下抄訳>
3月16日付RFA英語版によれば、3月14日、午前11時〜12時頃、マチュ県チベット人中学校の生徒約30人が市の中心に近い通りで中国に対する抗議のデモを行なった。
この日は二年前、地区でチベット人による大きな抗議デモが行なわれた記念日だった。

目撃者によれば、「このデモに500人〜600人のチベット人が加わり」
「彼らは自由がないと抗議し、チベットの独立を訴えた」
「チベット人たちは保安部隊に包囲され、少なくとも40人が逮捕された」という。

この逮捕は地域のチベット人の間に新たな中国に対する怒りを誘発した。
複数の現地情報によれば、「400人〜500人のチベット人が逮捕された者たちの解放を要求するため政府庁舎前に集結した」
「約3000人の保安部隊が地域に投入されている」
「何人かはダライ・ラマ法王の長寿を祈る叫びを上げ、中国・チベット会談の進展を求めた」という。

一方、ラサでは3月14日、チベット人がオーナーであるすべてのホテルやレストランは閉店した。
当局はこの日には平常通り営業するようにと命令を出していた。
「チベット人たちは店を開けないことにより3月14日への鎮魂を示したのだ」とラサの住民は言う。

カムのマルカムでは3月10日、何百人ものチベット人が抗議のデモを行なった。
住民の一人によれば「彼らは地区の鉱山開発によって引き起こされた、環境、動物、人間への損害賠償を要求している」という。

さらに「当局はリーダーの何人かを逮捕しようとしたが、その時数人のチベット人の若者がナイフで自分たちの身を斬り、もしもチベット人を逮捕するなら自分たちはこの場で自殺すると脅した」

「地区の役人たちはチベット人たちを解散させるために地元のリンポチェやラマの仲介を求めた」という。











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アムドのHip Hop 「New Generation」

アムドの<Hip Hop Music Video> 「New Generation」

アムドのヒップ・ホップ・グループ <Green Dragon>以下にアクセスして是非ご覧ください:
http://www.highpeakspureearth.com/2010/03/new-generation-hip-hop-music-video-from.html


グループの名は<ユドゥック/緑龍/Green Dragon>

繰り返されるテーマは:
The new generation has a resource called youth
The new generation has a pride called confidence
The new generation has an appearance called playfulness
The new generation has a temptation called freedom

この辺の若者に見せると大受けでした。


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2010年03月16日

2008年12月のラサ

2008年12月のラサ3月14日のエントリーについてお詫びと訂正、プラス撮影者のコメントを載せる。
写真は同じくこの撮影者が2008年12月に撮影したもの。

14日の「この記事へのコメント」欄にドルマさんという方から以下のコメントを頂きました。
「ラサに住んでいる、チベット人もしくは非チベット人の、誰が撮影したのでしょう。
このような写真を見て、アレコレ勝手に想像して決め付けて思い込みを強めないほうが、良いですね。」

これを読んで、私には話がよくわからなくて、こちらもこれに対しいい加減なコメントをしました。
その後、ドルマさんから、「撮影日時も説明も何も無い写真を見せられるときは、自分勝手に日付や説明をしてはいけないと言っているだけです。
写真を見た人が勝手に思い込みや妄想を膨らませることを、写真を提供した人は意図しているのです。
上の三枚の写真は、警官たちは写されていることに気がついています。」というコメントを頂きました。
これには私も参った。

実はこれらの写真を見つけ私のブログに写真を掲載した時には、自分が撮影の日付について誤解している、ということには気づいていませんでした。
これはよく調べなかった自分がいけないのであって、写真を提供した人が意図したことではありません。表記の仕方にあいまいで確かに早とちりで誤解した人は他にもいると思いますが。
次の日には撮影者本人からのコメントが届きました。それにより、これらの写真が3月14日に撮られたものではないことが解りました。
よくよく一枚一枚の撮影情報を調べてみればちゃんと撮影日時が明記されていました。
ですから、これは全く私の早とちりの誤解です。失礼しました。
判った時にすぐに訂正を入れればよかったのですが、時間がないというので、表題のみ変更しました。それも正確ではなかった。

では、ありますが、一言、言わせてもらいたい。
これらの写真の多くは2008年の12月ごろ、おそらく外人により撮影されたものと考えられる。
2008年中のことではあるが、そのころ外人旅行者の旅行が許されていたと思われる。
チベット人がジョカンの周りに大勢集まるということで厳重な警戒態勢が引かれていた。
それでもドルマさんが指摘されているように「警官たちは写されていることに気がついています」という程度の緊張感でしかなかった。
だから、隠し撮りも多いにせよ、そうでないような写真も撮れたのであろう。

さて、私が早とちりした先の3月14日と、この頃を比べて見てはどうか。
本物の3月14日の写真は、私が見てないだけかもしれないが、まだお目にかかれない。
もちろん、普通じゃ撮れない。すべての外人をはじめとするよそ者はラサから追い出されている。
隠されているのだ。
一言も泣き叫ぶ声が外に漏れないように厳重に見張られている。
なぜ、隠すのか?それは嘘がばれないようにするために人間が自然に取る行動だ。

2008年12月のラサ5写真が撮れたその頃と比べ、2010年の3月10日〜14日に掛けてのラサはその頃よりも警備は緩和されていただろうか?
そんなはずはないと思う。この写真に写っている武装警官や装甲車を倍にした数の警備が敷かれていたと想像できる。
その緊張感はこれらの写真から感じられるよりも強かったはずだ。
これが私の勝手な想像だ。

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2008年12月のラサ2撮影者本人が写真発表後に「寄せられた質問に答える」という形でコメントを出している。
以下、その訳

1)これらの写真は、自由にダウンロードして、チベット人たちが経験している弾圧を広く知らせるための様々なプロジェクトやキャンペーンに利用したり、メディアに渡すことができる。

2)これらの写真を公開した目的は、ダライ・ラマ法王の3月10日の声明の中にある「チベットは圧倒的な中国軍の存在の下にあり、僧侶や尼僧は監獄の中のような生活を強いられている」という言葉を裏づけるためである。

2008年12月のラサ33)夜の写真は(2008年12月に行なわれた)ジェ・ツォンカパの命日に行なわれた灯明供養祭の二夜の間にジョカンの前で撮影したものだ。警官の服装に変装した千人以上のPAP(武装警官)とPLA(人民解放軍)がジョカン前の広場で住民を威嚇するかのように隊列を組んでいた。
パルコルからジョカンへの入り口は正面以外はすべて閉鎖されていた。この正面入り口から入ろうとするチベット人たちは何百人もの警官の隊列を苦労して潜り抜けなければならない。ジョカンの周りにはラウド・スピーカーが配置され、爆音を響かせていた。基本的に「騒動をおこさないように!」と怒鳴っていた。

4)満月に行なわれるラサの守護神パルデン・ラモ祭の日には人々がリンコル(ポタラ等を巡るラサ一周の右遶)に向かう頃、街には数百人の兵士が6〜12人の小隊に別れ自動小銃を持って巡回していた。それでもパルコルの中は人で溢れていた。ジョカンの中に入るには半日を要した。

5)これらのチベットの祭日の間、ラサ郊外のトゥルンには人民解放軍の装甲車(tanks)が有事に備えて待機していた。

2008年12月6)ラサ近郊にあるすべての僧院と尼僧院には警察の派出所があり、装甲車が配備され、保安部隊により厳重に監視されていた。写真に写っているテントは彼ら保安部隊のものだ。辺りには沢山の警察の車もいた。おもな僧院では彼らの宿舎はテントではなく恒久的施設として建てられていた。
全ての僧侶、尼僧は登録され、愛国教育や尋問は日常化している。ラサに出かけるときには特別の許可証を取らなければならない。何人かの僧侶や尼僧は公然と泣きながら、「自分たちは中にいて幸せではない。厳しく管理され、抑圧されている。自由は全くなく、囚人のように扱われている」と訴えた。

7)夜7時を過ぎ暗くなれば、街は空っぽになる。通りには稀にタクシーも通るが見かけるのは警察と軍隊の車両ばかりだ。
街で僧衣を着ている僧侶や尼僧に出会うことはまずない。最近は街で僧衣姿を見ることは稀である。

8)その意図や目的からしても、名付けられていないだけで、実際にはここは戒厳令下にあると見えた。

2008年12月のラサ49)このような状況にも関わらず、チベット人たちは、これらの写真からも窺えるように、チベット人としての大きなプライドを持って、一定の平常心を保ちながら、彼ら固有の生活を守り、これらの宗教的イベントにも大勢参加していた。毎週水曜日には、この曜日にダライ・ラマ法王がお生まれになったということで、いつにも増して、人々はリンコルを行ない、ジョカンやポタラにお参りし、香炉で香を焚く。このようなチベットの祝祭日は年に何度もあるが、そのとき街に住むチベット人とその他の漢人やウイグル人との差が浮き彫りとなる。「エコノミスト」の記事によれば、皮肉にも、パルコル周辺で巡礼者やツーリスト相手に商売をしている店のオーナーはそのほとんどがウイグル人であるという。

2010年3月14日 ケチョック記






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2010年03月14日

3月10日前後のラサ

14.3.2010 ラサ1写真は3月14日に送られてきた最近のラサ。厳重な警戒網を潜り抜け送られてきたものだ。

もっと見たい人は以下へアクセス。
http://picasaweb.google.com/100952616815513862976/Tibet2009?authkey=Gv1sRgCJaRnOTY3OXnMQ&feat=emailTo#



14.3.2010 ラサ32008年のこの日、ラサのラモチェやツクラカン前で始まった中国の圧政に対するチベット人の抗議デモは数千人規模に膨れ上がった。その後、ラサのいたるところで武装警官隊との衝突が起こった。デモの参加者に対し無差別発砲が繰り返され、数百人のチベット人市民が殺害された。
チベット人の放火等で十数名の中国人犠牲者も出た。




14.3.2010 ラサ2中国当局はラサをはじめチベット各地に3月10日〜14日を中心に厳戒態勢を敷いている。
3月に入り当局はチベット人に対する「厳打嵐暴」キャンペーンを実施し、ラサの滞在許可書を持っていなかったり、少しでも反抗的な態度を示すチベット人数百人を逮捕した。

今のところ、ラサで誰かが声を上げたという情報は入っていない。
恐ろしくて、さすがのチベット人も誰一人叫ぶ事ができないというわけであろう。

写真から、今のラサの緊張が伝わってくる。

14.3.2010 ラサ4写真はパルコルだが、左右にはずらっと武装警察が並んでコルラをするチベット人たちを見張っている。










14.3.2010 ラサ5装甲車の列











14.3.2010 ラサ6ジョカン前広場を埋める武警

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厳戒態勢の中、カム、カンゼで尼僧と若者が叫ぶ

tibet kham3月13日付RFA(自由アジア放送)
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-police-arrested-2-tibetan-in-kham-region-03132010150045.html

<チベットのカムで二人のチベット人が中国政府に抗議>

チベットのカム、カンゼ市内で一人の尼僧と一人の若者が「チベット独立」の声を上げた。

3月10日、中国政府はチベットの首都ラサをはじめ、各地に厳戒態勢を引いた。
特にカム、カンゼの市内には警官隊や保安部隊が溢れ、声を上げたり、デモをしようとするチベット人を厳重に見張っていた。
そのような状況にも関わらず、市内で尼僧一人と若者一人が「チベット独立!」、「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫びを上げた。
二人は直ちにその場で警官隊に取り押さえられた。

その他、カンゼのある学校では「チベットの自由」を訴える張り紙が見つかったという。

これらの情報はRFAのカム語放送担当ノルブ・ダドゥルの元にチベットから電話で伝えられたものである。

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2010年03月13日

女性蜂起記念日/アメリカ国務省「2009年人権報告書」

今日は東京で「在日チベット人コミュニティ主催
2010チベット・ピース・マーチ・イン・ジャパン」が行なわれたと思います。
参加された方々、ありがとう!ご苦労様でした!
夜の護国寺「キャンドルナイト」にも出かけて下さった方もおられるでしょう。
明日は大阪ですよね。大阪方面の方はぜひ参加してください。
お願いします。

12.3.2010 ダラムサラ、チベット女性蜂起記念日のデモダラムサラでは昨日、チベット女性協会主催により「女性蜂起記念日」の式典と下ダラムサラまでのデモが行われた。夜にはキャンドルライト・ビジルも行なわれた。
1959年のこの日、ラサのポタラパレスの前にチベット人女性数千人が中国の圧政に抗議するため集まった。これを阻止しようと共産党軍が出動し、女性数百人がその場で殺害され、1000人以上が逮捕されたという。
このような凄惨な日にチベット女性協会は設立されたのだ。
http://www.tibetanwomen.org/

12.3.2010 デリー、チベット女性蜂起記念日のデモデリーではこの日、チベット青年会議のメンバーたちにより中国大使館前で抗議デモが行なわれ、女性4人男性4人計8名のチベット人が逮捕された。
チベット青年会議は3月9日にも中国大使館前でデモを行なったが、この時には30人逮捕されている。




12.3.2010カトマンドゥ・ボドナートネパールでは12日中国大使館の前でデモを行なったチベット人16人が逮捕された。
今回は中国を喜ばすため、裁判抜きで最大90日投獄することを決定した。

写真はパユルより。写真はボドナートの仏塔のそばだが、ここでは逮捕者はでなかった。僧侶の一団が中国大使館に突入をはかり逮捕されたという。

ーーー

3月11日にはタイミング良く、今年の「人権報告書」をアメリカ国務省が発表した。
このニュースは日本各紙が取りあげている。
例えば;

ネット監視強化と中国を非難 米国務省が人権報告書 - 47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010031201000168.html

 【ワシントン共同】米国務省は11日、世界194カ国の人権状況に関する2009年版の年次報告書を公表、米インターネット検索大手グーグルへの検閲問題などで米国との関係が揺れる中国について「ネット監視や情報規制を強めている」と厳しく非難した。

 報告書は、中国が6月の天安門事件20年などで報道を規制したり、市民の抗議活動を厳しく取り締まったりして反体制派の声を力ずくで封じ込めていると指摘。チベット自治区や7月に暴動が起きた新疆ウイグル自治区では、法的手続きを踏まず人々を処刑、長期間にわたって身柄を拘束するなど弾圧を続けているとした。

 日本に関しては、児童虐待が疑われるケースが08年4月〜09年3月に計約4万2600件報告され、前年同期より約2千件増えたと問題視した。
2010/03/12 09:20 【共同通信】

とかだ。
これに対抗して中国は「、「2009年米国の人権記録」と題した報告書を発表した。

米は「ネットで覇権主義」 中国が米人権報告書に反論 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100312/amr1003121937012-n1.htm
2010.3.12 19:36


 中国国務院(政府)新聞弁公室は12日、「2009年米国の人権記録」と題した報告書を発表した。米国が「中国はインターネットの監視を強化している」とした人権報告書を公表したことに反論し、「米国は “ネットの自由”を旗印に、覇権主義を進めている」と非難した。新華社電が伝えた。

 中国側の報告書は、米報告書がチベットと新疆ウイグル両自治区の少数民族の人権問題に触れたことに対しても「人種差別は米国社会の持病だ。米中枢同時テロ以降、イスラム教徒への差別も激化した」と反論。

 さらに米国は世界最大の武器輸出国で、軍事費も世界一だと指摘し「米国は強大な軍事力で他国の主権を粗暴に侵犯し、人権も踏みにじっている」と強く批判した。中国は毎年、米国の人権報告書に対抗して報告書を発表している。(共同)

ーーーーー

以下、アメリカ国務省発表の「人権報告書」http://www.state.gov/g/drl/rls/hrrpt/2009/eap/135989.htm#tibet
の内、「チベットの章」の中からその「生命剥奪」の部分を紹介する。

中国政府あるいはその代理機関により任意で非合法な殺人が行なわれたという報告は沢山ある。
しかし、これらの報告を個別に検証することは不可能であった。これらの殺人に関わった政府責任者が取り調べを受けたとか罰せられたという報告はない。

1月23日(2009年)ペマ・ツェパックはチャムド県ゾガン地区で他の二人の若者と共に「チベット独立」と「チベットの新年を祝わない」ことを訴えるデモを行なった。彼はその時当局から受けた暴行により死亡した。

TCHRD(チベット人権民主センター)によれば、3月25日、四川省カンゼ、ダンゴ地区、ダンゴ僧院の僧侶プンツォック・ラプテン27歳は不就労デモを訴えるビラをまいたとして公安職員により殺害された。

3月、ホル・ダゴ僧院の僧侶パンチュ・レデは、耕作誓約書にサインすることを拒む農民と軍隊が衝突した際、殺害された。報告によれば、彼は農民による耕作拒否運動の組織者だったという。

8月、TCHRDの報告によれば、デブン僧院の僧侶カルデン32歳はラサの刑務所内での拷問により死亡した。
彼は2008年3月逮捕されていたが、家族は彼の居所を知らされていなかった。

以下略

英語の読める、関心のある方は是非全文お読みください。













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2010年03月11日

ダラムサラの3月10日

10.3.2010 チベット蜂起記念日1中国の侵略以後、抵抗運動の犠牲となった人々へ、慰霊の黙祷を捧げる法王。

今日もこれでもかと言うほど法王の写真を載せる。


昨日3月10日、ダラムサラで行なわれた「チベット民族平和蜂起51周年記念日」については、概要、日本の各メディアも当日すでに記事やら映像を送られたので、みなさんもご覧になったことでしょう。

日本メディアとしては、今年はN局とT局、K通信社にM新聞のみ。
全体でも去年この日に集まった世界中のメディアの数が約150だったのに比べ、今年はその半分以下だった。


10.3.2010 チベット蜂起記念日2今年もこんな田舎まで来てくださったメディアには感謝します。

N局は今回は短いニュース番組のみでしたが、バンコクからわざわざ来られたT局は時間もかけ、様々なインタビューも撮っておられる。きっとよい「チベット番組」ができることでしょう。

共同さんには、いつもチベットに対し特別の関心も持って頂いてると感じる。


10.3.2010 チベット蜂起記念日3式は黙祷、国家斉唱、「真実の祈り」斉唱の後、首相、議会議長のスピーチに続きダライ・ラマ法王が今年の「3月10日声明文」を読み上げられた。

この法王の声明とカシャックの声明は東京事務所が翻訳されたものが以下に載っている。
http://www.tibethouse.jp/home.html

その中で法王はチベット内の尼僧院の状況について「現在、中国指導部はチベット本土の多くの僧院において愛国再教育キャンペーンなどさまざまな政治キャンペーンを行なっています。中国指導部は、僧侶や尼僧から仏教を学び実践する機会を奪い取り、牢獄にいるような生活を強いています。そのような状況から、僧院は博物館のようになっています。チベット仏教を滅すべく意図的に行なわれていることなのです。」と、「牢獄」「博物館」という比喩を使い表現されている。

10.3.2010 チベット蜂起記念日9今回「東トルキスタン」という言葉を使ってウイグルの人々との連帯を表明したのは目立った部分だった。

このところを事務所訳は「苦難の末に弾圧が増した東トルキスタンの人々のこと、自由の拡大を求めて立ち上がり、懲役の実刑判決を受けた中国人有識者たちのことを思い起こしてください。私は、彼らと共に断固たる決意で立ち向かうことを表明したいと思います。」となっている。
最後の部分はちょっと誤解されかねない訳になってると感じた。
英語の原文は「I would like to express my solidarity and stand firmly with them.」
で、「stand with」を「立ち向かう」と訳したのであろうが、ここの「stand with 」
は「寄り添う。仲間となる」ぐらいの意味と思う。

この部分チベット語の原文は「ドゥンセム・ニャムケ」で、この意味は単に「苦しみを共有する/同情する」だ。この言葉に「断固たる決意で(中国に)立ち向かう」という意味は全くない。



で、最後は「真理が勝利する日が必ずやってくる。だから、今は忍を行じ、決して諦めるな!」
と結ばれた。

10.3.2010 チベット蜂起記念日5バルデン・ギャツォさん


昨日の式典では「日本、フランス、ドイツ、オランダ、中国,、、等々からの使節も参加されている」と首相、議長、法王ともにスピーチで言及された。

確かに壇上には日本の僧衣を召した人びとが10人ほどいた。

数日前、某新聞社に電話で「牧野議員が10日の式典に出席するという情報があるが、ほんとか?」と聞かれた。私は「聞いてません。そうならいいですね、、、」と答えた。
それでも、ひょっとしてこの日牧野議員が日本から現れるかも知れないと期待したが、残念ながら来られなかったようだ。

この使節団体のことは後ほど少し明らかになった。

10.3.2010 チベット蜂起記念日8この日の使節団の中で、特に目立っていたのは「中国民主化活動家」の団体だった。20人以上いた。アメリカ在住者が中心で、その多くは天安門事件に関わり投獄された経験のある人たちだという。

法王は声明文を読み上げた後、特にこの使節団を褒めたたえられた。



10.3.2010 チベット蜂起記念日7首相のサムドゥン・リンポチェ


式の後、いよいよこれからデモが始まるという時、近くに来た元外務大臣、現デリー代表、ジェツン・ペマ女史の旦那さんでもあるテンパ・ツェリン氏が、私の手を握って、パレスの方にひきつれて行こうとする。途中警備員に止められるが、強引に彼は私をパレスの中に連れていく。
「何事ですか?」と聞くと「今から法王の通訳をするんだ」
「はあ、突然それはないでしょう、、、怖いし、嫌ですよ、マリア(様)はいないのですか? 
私はこれからデモなんですがね」
「いない、お前がやれ」
と否応なしの雰囲気。

しかし、最後の関門であるインドの警備室は私がパスポートを持っていないというので、中に入れないという。
私も内心、「その通りだ。入れないのだ」とインド側の言い分が通ることを願ったが、テンパ氏も強引で、最後はこれも「後から持ってくる」ことにして突破した。

10.3.2010 チベット蜂起記念日10さて、その通訳すべき日本人グループというのは日本からの使節として会場で紹介されていた、僧侶たちだった。
10人ほどのそのグループは年配の高僧風な方々を中心に背広姿のアメリカ人、インド人などにより構成されていた。
どのような方々だったのか、正直今もよくわからない。
ただ、名刺によれば多くのメンバーは「世界連邦日本仏教徒協議会」という団体の方々だったようだ。

私一人がジーパンにジャージ姿で通訳とはいえ、パレス内では異様に見え、恥ずかしくて小さくなっていた。





10.3.2010 チベット蜂起記念日11以下、会談中の法王のお話の幾つかを紹介する。
(メモを取りながらではなかったので、内容は参考程度)

法王は初めに「かつて多くのチベット人が苦しみを味わった、今日という特別の日に、このダラムサラまでお越しいただいたことに深く感謝する」と挨拶された。

その後「日本とチベットは古より交流がある。先代13世のころから関係がある。
第二次大戦のころにも関係はあった。」
とかつてのチベット・日本関係についてひとしきり話された。






10.3.2010 チベット蜂起記念日12そして「日本社会は今、経済的な打撃を受け、少々暗く、自信を失っているかもしれない。それに比べ中国は益々発展してきている、とか考えるかも知れない。
でもそれは物質的、経済的発展のみを発展の基準にすればの話だ。
たとえばインドは中国に比べらればまだ経済的には進んでいないかもしれない、しかし、インドにはそれ以外の大事な価値が生きている。
民主主義と人権がある。
言論の自由がある。これらは誇るべき大事な価値だ。
この点から見ればインドは中国より余程先に進んでいる。

日本には発展した民主主義があり、言論の自由がある。このことを忘れないで大事にすべきだ。
G8とかG20とか言って、主要各国が集まるが、いつも議題は経済的なことばかりだ。
人権のことなど他の大事なこともあるだろうに。」
と続けられた。

ここで私は、きっと法王は私と同じで、この日本からの団体さんがどのような人たちなのかについてはほとんどご存じないに違いない、と思った。
次のようなことも話された。
「オバマ氏は核廃絶に向けて努力している。唯一の被爆国である日本は積極的にオバマ氏のこの政策を支持すべきだ」

10.3.2010 チベット蜂起記念日13で、だいぶ長く法王の日本人用メッセージが続いた後、やっとこのグループの代表者と思しき年配の方が「私たちは現在の国連を不公平な組織と認識し、新しく世界連邦という組織を作ろうと努力している、、、、、」と始められた。

私は「はあ、!、、、、訳すのかな?、」とその説明を聞きながら思ってた。

法王は私の簡単にした説明を聞くと、「そうか、私も今の国連がいいとは思っていない。国連には各国政府の代表が集まるが、中にはその政府が人民を代表していないという国もある。政府の代表はただその政府の利害のためだけに動く。本当にはその国の人民のためにならないことも多い。
だから、各国の普通の人々を代表する者たちを集めた会議を開くといいと思う」と返された。

その後は終わりのあいさつとなり、すぐに写真会が始まった。

聞けば、この方々は別にこの特別の日に来ることは意図してなかったとのこと。
つまり日本からの政治的使節団なんかじゃないことは解りました。
東京の事務所とも関係がないそうです。

でも、この団体さんたちは壇上で目立ったし、集会の間、首相、議長、法王からともに「日本からのデレゲーション・使節」として紹介されたので、チベット人に対してはアピール度抜群でした。

10.3.2010 チベット蜂起記念日14私としては、本当に久しぶりに特別の日に、法王のそばに座ることができ、法王は何度か手も握ってくださり、「トポ・ニンバ/古い友人」と話しかけて下さる、という実に楽しい時間が過ごせたので、終わった後は弾んでパレスを後にしました。

おしかったことはカメラを置いて入ったので、絶好の法王接写のチャンスを逃してしまったことだ。

法王は午後から最近新しく亡命してきたチベット人たちに謁見した。

この後も、デモなど見る暇もなく速攻で記事と映像を送るN局のお手伝いをしている間にデモには完全に遅れてしまった。
「今回のデモでは最後にどうしても見たい(撮りたい)特別なシーンがあるから」最後の集会にだけは参加したかった。
例の刑期6年を受けたドゥンドゥップ・ワンチェン氏の妻ラモ・ツォさんが最後にスピーチすることになっていたのだ。
これは実は、特別に日本のI撮影隊の発案・要請により実現されるはこびになったものだった。

ーーー

以下私が参加できなかった、3月10日のダラムサラのデモの写真を盟友の野田雅也氏のアルバムよりお借りして掲載する。
10.3.2010 チベット蜂起記念日16転載するときにはくれぐれもコピーライトは野田くんにあることを明記されるように。
なにせ、私と違って彼はプロだから、ただで使わせてもらえるということは普通ないのだよ。
彼の写真を見ると、やっぱ、全然違うねプロは、、、といつも思うよ。
特にデモを撮らしたら彼に勝てる者はインドにはいないね。


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10.3.2010 チベット蜂起記念日19 ラモツォの涙この日デモの最後に行われた集会で絶叫スピーチをした、ラモ・ツォは最後に泣き崩れたという。


rftibet at 20:30|PermalinkComments(11)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事