2010年04月

2010年04月30日

ダライ・ラマ法王、被災地への二度目のメッセージ

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk先の27日に行なわれた、テンシュク(長寿祈願会)の最後に、法王は地震被害者たちへ二度目のメッセージを発せられた。

以下、その聞き取り試訳。

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キグドで大きな地震があり、沢山の人たちが亡くなられた。それぞれ父母、子ども、兄弟、近所の人たちを亡くし、心に耐え難い悲しみを感じている人たちが大勢いるであろう。

心に留めるべきは、チュンジュック(入菩提行論/シャンティデェーヴァ・寂天著)にあるように「もしも、元に戻すことができるなら、何で嫌がる(心配する、苦しむ、悲しむ)必要があるのか? もしも、元に戻すことができないのなら、嫌がって何の利があるのか?」ということだ。

もうすでに起こってしまったこと、それは、それぞれの業の果として現れた過去の現象だ。元に戻すことはもうできない。しかし、将来はすべて業のせいというのではない。
「業・行」とは、よくこれを理解していないものは、業とその果というと、もうどうしようもないことのように思っている人がいる。
それは、例えば創造神を信じる人たちが「過去も未来も、神の思し召しのまま」というのと同じようなものだ。何でも「それはカルマだ」という態度だ。

仏教はそうではない。業(レ、行、カルマ)とは行為だ。行為というのは行為者が何かを為すという意味だ。すでに起こってしまったことは、各自の過去に行なった、正しくない行ないを因として、その結果として苦難が起こったのだ。未来は、行であれば、行為者がやろうとしていることだ、だから、業は各自が今から決めることができるものだ。

業という時に、必ずしも前世の話を持ち出さなくてもいい、今生に限っても、各自が仕事を頑張れってやれば、、、例えば、商売をするにしても一日頑張って働けば、利益も増えるというものだ。これが因果(行為とその結果)だ。商売を一生懸命やったという、その行為の結果が現れて、利益を得ることができる。その利益で衣食を賄うなり、時間を得て行をするなり、布施をするなりもできよう。

すべて、行為により現れた現象だ。だから、将来は、例えば、地震に対しても、「もしも元に戻すことができるなら、何で嫌がる必要があろう?」というこれだ。それぞれが元に戻す努力をするのだ。
家を建て直したり、学校を建て直したりするときには、将来また地震が起こるであろうことを予期して、その対策を講じ、頑丈に建て直すなら利があろう。
ただ、将来を心配して、心が内向きになり、悲しみの中でうつむいて過ごしてばかりいては、困難な状況から立ち直ることはできない。

心暗くならず、起こってしまったことはもう仕方がない、「もしも、元に戻すことができないなら」とはこのことだ、「もしも、元に戻すことができないなら、嫌がって何の利があるか?」、ここでミ・ガ(嫌う)とは苦しむということだが、苦しんでも何の役にも立たない。努力して、勇気を失わず、前向きに立ち向かうなら「元に戻すことができるなら、何で嫌がるのか?」だ。

みんな、亡くなった人たちのためにモンラム(祈願)を行なうこと。
苦しみの中にある人たちは挫けないでほしいと思う。みんなの幸福を願っている。慰めの言葉を掛けたい。挫けないでほしい。

チベット各地から寄付が被災地に送られていると聞く、また、地震の後すぐに近隣の僧院から僧侶たちが駆け付けて、一生懸命被災者たちを救った。私は本当にこのことを喜ぶ。

我々は仏教の教えを受け入れる者たちだ、因果律を受け入れる者たちだ。善と悪の分別を知る者たちだ。だから、1円(1ルピー、1元)のお金を寄付しようとも、これを正しい心とともに行なうならば、例えば寄付を行なう時に「文殊菩薩と同等の知性と普賢菩薩と同等な行為がいつかできるようになるために、この善業を回向する」というような回向と祈願とともに行なうならば、実際にそのお金が相手側に渡り利益があるというだけでなく、その善行により菩提心が増すこととなり、何生にも亘る利があろう。

そうでなくても、純粋な動機で何の世俗的見返りも求めず、相手の幸福を願う良き心で寄付し、回向するならば、その結果はよいものだ。このことを一言、言いたかった。

寄付は、同時に中国各地の一般の人々からも沢山寄せられているようだ。
昨日も新聞記者にこのことは話したが、この機会を借りて再度「ありがとう」と言いたい。

これだけだ、タシデレ!



rftibet at 19:00|PermalinkComments(10)TrackBack(0)ダライラマ法王関連 

2010年04月29日

弾圧されたチベット知識人リスト/「開き直り大国」の恐ろしさ

l-r, Wang Lixiong, Jamyang Kyi, Woeser, Lhamo Kyab写真中央の二人の女性が、現在もっとも活動的なチベット人知識人。
左手:ジャミヤン・キ。
右手:ウーセル

チベットでは最近、作家、歌手などが次々に逮捕されている。
これは、中国も批准している「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約・B規約)第19条」に規定されている、言論と表現の自由を明らかに侵害するものだ

チベット人、タシ・ツェリン氏が最近、拘留、逮捕、懲役刑を受けたチベット人知識人17人をリストアップしてくれた。
(もちろんこれで全てではない、一部だ)

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タシ・ツェリン

我々の社会が、アイデンティティー、歴史、文化、そしてより広い政治力学などの問題を批判的に考察することのできる独立した知識人・思索者を生むことは稀である。中国に侵略された後、その「教育」の下で、例えば1979〜89年にかけて作家活動を行なったパルデン・ギャルとドゥンドゥップ・ギャルのような「チベット人作家・知識人の第一世代」が生まれるまでに、数十年を要した。
1989〜2000年にかけその著作が発表され高い人気を得た、ショクドゥンとその仲間たちは、現在の第三世代の者たちから「第二世代の作家・知識人」と呼ばれる。
彼らはみんな、チベットの高校生や大学生の間で人気が高い。
チベットの将来について関心のある我々にとって、この世俗の知的遺産が継承されるという価値は軽視できないものだ。

作家:
チャド・リンチェン・サンポ/この作家は2009年夏、突然「行方不明」となった。彼は2008年「我が祖国と平和解放」及び「我が祖国と警聴」と題された本を出版している。
詳しくは(チ):http://www.khabdha.org/?p=3232

ツェリン・ドゥンドゥップ/「風びゅーびゅー」と題された本を自費出版した数カ月後、マロ資料館の公職を解かれる。
詳しくは(チ):http://www.khabdha.org/?p=4619#more-4619

ドルマ・キャップ/「平安なきヒマラヤ」の作者。この本は2005年、出版される前に差し押さえられ、本人は10年の刑を受けた。ICTがこの漢文草稿を入手し、チベット語に翻訳され、チベットPENにより公表された。
詳しくは:http://www.tibettimes.net/news.php?cat=14&&id=1849

ウーセル/隠されたチベットを追う作家、ブロガー。
ここ数年、彼女の自由は継続的に阻害されている。それでも彼女は書き続けている。
http://woeser.middle-way.net/

タシタシ・ラプテン(ペンネーム=トゥラン)/蘭州、北西民族学院生徒。
「血書」と題された本を出版した後2010年4月ドゥクロ(下段参照)とともに拘留・逮捕された。
本については(チ):http://www.khabdha.org/?p=3484)
逮捕については:(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-04.html?p=2#20100407

(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51258282.html

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=27066トゥランは2009年8月にも拘留されている。
http://www.shambalapost.com/international-news/988-2009-08-07-06-32-27

ドゥクロ(ペンネーム=ショクジャン)/蘭州、北西民族学院生徒。
2010年4月タシ・ラプテンとともに拘留・逮捕される。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=27066

クンガ・ツェヤン(ペンネーム=ガンニ)/ラプラン僧院僧侶。作家、写真家、環境活動家。
2009年3月、逮捕される。
http://www.highpeakspureearth.com/2009/04/remembering-honourable-gangnyi-la.html
http://www.internationalpen.org.uk/index.cfm?objectid=264A6A72-3048-676E-26881BFF062C1C43

目を覚ませゴ・シェラップ・ギャツォ/2007年に出版された「目を覚ませ」の作者。
2008年逮捕、収監され、翌年の2009年1月、釈放される。
http://www.highpeakspureearth.com/2009/01/to-go-sherab-gyatso-la-by-jamyang-kyi.html






クンチョック・ツェペル・ゴペ・ツァンクンチョック・ツェペル・ゴペ・ツァン/ネットライター、チベット語ウエブサイト「灯明」http://www.tibetcm.com .を創始し、そのエディターでもあった。
彼は2009年2月に逮捕され、同年11月、15年の刑を言い渡される。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51296302.html

http://www.internationalpen.org.uk/index.cfm?objectid=264A6A72-3048-676E-26881BFF062C1C43

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=25985

タゲル(ペンネーム=ショクドゥン)/「天地門」の作者。2010年4月23日逮捕。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-04.html#20100426
http://www.highpeakspureearth.com/2010/04/earthquake-in-tibet-leading-tibetan.html

音楽家
ジャミヤン・キ/作家、歌手。
2008年4月拘留。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/50974817.html

http://www.highpeakspureearth.com/2008/11/they-by-jamyang-kyi.html

ジャミヤン・キは解放された後、拘留、尋問中の経験をブログに発表した。
これは後、英語に翻訳され「Like gold that fears no fire」と題され出版された。
http://www.savetibet.org/media-center/ict-news-reports/gold-fears-no-fire-new-writing-tibet

タシ・ドゥンドゥップ/歌手。
2010年1月5日、15か月間の強制労働再教育の刑を受ける。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51384333.html

http://www.highpeakspureearth.com/2010/03/torture-without-trace-five-songs-by.html

映像作家
ドゥンドゥップ・ワンチェン/ドキュメンタリー・フィルム「ジクデル(恐怖を乗り越えて)」を制作したとして2008年3月に逮捕される。刑期6年を受け服役中。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51347986.html

(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-10.html

http://www.leavingfearbehind.com/node/17

ジグメ・ギャツォ/ドゥンドゥップ・ワンチェンのアシスタントとして「ジクデル」の制作に関わったとして、2009年逮捕。後解放。
http://www.ifex.org/china/tibet/2009/03/19/security_officials_re_arrest_tibetan/

教育関係者
チュキョン・ツェテン/マチュ中学校補助教員。
2010年3月、生徒たちが抗議デモを行なった後、懲戒免職。
彼はその後、公安職員に連れさられ、今も行方不明。
(日)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51431151.html

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=27072

キャプチェン・デドル/マチュ中学校校長。
2010年3月、生徒たちがデモを行なった後、懲戒免職。

ド・レ/マチュ中学校補助教員。
同上。


タシ・ツェリン氏はさらに「中国当局にとっては、これらの一握りの記するに値するチベット人を探し出し、逮捕し、黙らせることは簡単なことであろうが、チベット人社会にとっては、これがどれほどの打撃となるかを想像するば、事は重大であることが解る」と言ってる。


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石平さんの以下の記事を読み、最近このブログを賑わせてくれてる人たちのことが頭を過った。ので、全文張り付けさせて頂く。

【石平のChina Watch】「開き直り大国」の恐ろしさ
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100429/chn1004290754001-n3.htm

2010.4.29 07:52

上海万博PRソングの盗作疑惑の一件は、盗作されたとされる岡本真夜さんが楽曲の使用を許諾したことで一段落と思われたが、渦中の中国人作曲家の所属する音楽会社が公式声明を発表し、盗作であることを強く否定した上で、疑惑を指摘してきた人々を「下心のある人間」だと罵倒(ばとう)したのである。

 2つの楽曲が非常に類似していることは科学的方法によっても検証済みだし、上海万博事務局はPRソングの著作権にトラブルが発生していることを認めている。同事務局が岡本さんの所属事務所に楽曲の使用許諾を申請したこと自体、問題の楽曲が盗作であることの何よりの証明であろう。

 つまり、誰の目から見てもそれが盗作であることは明らかだし、盗作という行為は当事者にとっても恥じるべきことであろう。にもかかわらず、当の疑惑者は露ほどの恥の意識も見せることなく、岡本さんの寛大さに感謝することもなく、むしろ「盗人たけだけしい」というべき態度で、「盗作でない」と堂々と開き直ったのである。

 その並ならぬ「神経の太さ」は大半の日本人の度肝を抜くものであろうが、実は今の中国では、悪事を働いた人が「悪」を悪とも思わず、「恥」を恥とも感じず、むしろ開き直って自らを正当化するのが「国民的流儀」となっている。

たとえば、今年の3月に「夫婦交換パーティー」を開いたことで起訴された南京市在住の大学助教授は「おれのやったことは不倫よりも高尚な行為だ」と自賛し、上海市内の13階マンションが倒壊した一件で被告となった責任者は「落雷が原因かも」と強弁した。

 汚職で捕まった政府の高官たちは「私より多く収賄したやつはいくらでもいるのに、私だけが捕まったのはどういうことだ」「私は二十数年間苦労してやっと市長のいすを手に入れた。多少収賄して何が悪いか」…。これらの“名セリフ”は中国ネット上の語り草ともなっている。

 それは別に個人に限られたことではない。中国の政府も同類だ。中国海軍のヘリコプターが沖縄本島南方海域で海上自衛隊の護衛艦と2度にわたって異常接近した問題で、中国外務省は「日本側の監視活動に対する必要な防衛措置だ」と開き直って正当化し、中国国営の国際放送局に至っては、中国海軍による接近行為を「紳士的風格を示した」とまで褒めたたえた。そういえば、「毒ギョーザ」事件では、一時「問題は日本側にあるのではないか」と開き直ったのも当の中国政府である。

とにかく、民間人から政府まで、今の中国では、「自分たちはちっとも悪くない。すべては相手が悪いのだ」といった「開き直りの精神」がいたるところで貫徹されている様子である。

 考えてみれば、昔の中国人はそれほど恥知らずの人間たちでもなかった。友人や親族を密告することや教師を殴り殺すことが「革命的英雄行為」だと褒めたたえられた毛沢東の時代から、中国人は徐々に善悪の分別を失っていった。

 さらに、トウ小平の時代、政府が天安門で行った自らの虐殺行為を「正しい措置」だと正当化して開き直って以来、自分の過ちを絶対認めないことが、この国と国民のスタイルとして定着してきた。

 このような国民と政府に対して、日本人はよほど慎重に対処していくべきだし、あまり深く付き合わない方がよいのではないかと思う。ましてや、中国を相手とする「東アジア共同体構想」うんぬんというのは幼稚極まりない妄想以外の何ものでもなかろう。


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追記:今日の青海テレビでは「近代的病院の中で、真っ赤なハート形の枕の上に長髪チベットみつあみ男(カンパ・地震被災者のつもり)が7.8人の白衣の天使たちに囲まれ、至れり尽くせりの介護を受けているというシーン」が繰り返し流されている。

何考えてんだか、CMも、もっと考えないとね。









rftibet at 18:40|PermalinkComments(17)TrackBack(0)チベット内地情報 

2010年04月28日

KYEGU, ON MY MIND; Jamyang Norbu

チベット人作家ジャミヤン・ノルブ(在米)が地震の被災地ケグド(ジェクンド)に関するエッセイを発表した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=27194&article=KYEGU%2c+ON+MY+MIND+%e2%80%93+Jamyang+Norbu


jyekundo






彼は自分が直接現場に駆け付けることができない無力感の中で、作家である自分にできることは図書室に行きケグドに関する資料を漁ることだったという。

以下はその抄訳。

前略

jyekundo私は、これら被災地で亡くなった人たちは、みんな顔のない犠牲者ではなく、実際に血と肉を備えた生身の個人であり、生活の物語に満ちていたのだということを、心の目で見たいと思うのだ。
そして、彼らの忍耐と彼らの家郷あるいは祖国が、現在進行形の、チベット人とその文明の物語に果たした役割を確立したいのだ。

地震に襲われた地域はゥガ・ケグドとして知られる。ゥガまたはゥガバ(アバ)はこの地方の民族名だ。
カムの人はケグドをジェクドとかジェグンドと発音する。「ケ(k)」という固い音を、よりソフトな音にするために「ジェ(j)」または「チェ(ch)」に変えるのだ。
ジェグンドはしばしば略されジェグ(Jyegu)と呼ばれる。最近では中国語訛りのジエグ(Jiegu)とい言う人が多い。「ケグ」の語源について私の聞いた一つの説は、「ケワ・グ」つまり「九生」の短縮形というものだ。
意味は、思うに、「かの地のごとくに美しく、祝福された草原で一生を送ることは、他の地で九回の人生を送るに等しい」ということであろう。もっともこれには他の説もある。

接尾語の「ド」はこの土地が二つの川の合流点であることを示している。チャムド、ダルツェド、その他に等しい。ケグドの場合、二つの川とはザ・チュとパルタン・チュ(チュは川)だ。より広くこの辺一帯はカム・トゥ(上カム)と呼ばれる。

jyekundoケグドを含む一帯は、今ではむしろユシュと呼ばれることが多い。
チベット人が言うには、この語源は「(リン・ケサル王叙事詩に)由来する土地」という意味の「ユル・シュ」または「ユル・キ・シュル」だという。ユルシュはケサル王の美しい王妃シンチャム・ドゥクモの故郷であり、彼女の父親ガ・テンパ・ギェルツェンの支配する地方であった。このケサルの王妃ドゥクモへの連想でユシュの女性は美しく、威厳があると評判が高い。

中略

ケグドは旧来、チベットの中で、もっとも重要な交易、商業センターの一つであった。沢山の主要幹線の十字路であった。一つの道は遊牧民のセンターであるナクチュを経由してラサに至る。他の道はチャムドとデルゲに通じる。北に向かう道はクンブンと西寧に至る。さらにそこからツァイダムやモンゴルへの道もある。
しかし、何といっても価値ある街道はケグドを出てザチュカ、カンゼを経由しダルツェドに至るルートだ。この街道はチャン・ラム(北の道)と呼ばれた。ダルツェドからラサに向かう、もっとも北寄りの道だからだ。この街道はチャ・ラム(茶の道)とも呼ばれた。チベットに輸入される茶のほとんどはこの街道を通じて、ダルツェドからキグドそして最後にラサへと運び込まれたからだ。

jyekundo私はかつてダルツェドからキグド、ラサへと向かうヤクのキャラバン隊に参加していたという、リタン出身者にインタビューしたことがある。彼が言うには年間ヤク10万頭に積まれた茶(タン茶)が運ばれたという。その内6万頭分はラサと中央チベットに向かい、残りはアムドやツァイダム、モンゴル方面へと届けられたという。

シルク、刺繍布、磁器、カタ、ダル(豆類)、金属加工品がデルゲから送られ、中央チベットからは薬草や高級ウール、インドから来る綿布、タバコその他の品物もこのケグドを経由していた。もっと高価な価値ある品々はラバの背に載せられて運ばれたという。たとえば、ある種の羊毛、なめす前の皮革とかだ。
茶は全てヤクの背に載せられた。

リタン出身者の話しによれば、ラバ・キャラバンはダルツェドからラサまでを3カ月で行くのに対し、ヤク・キャラバンは少なくとも10カ月を要したという。もっともこれは早くてという話で、雪に遭ったり、チャンタン高原で非常な寒さにあったり、稀に山賊にあったりで予定通りには行かないという。
彼の言うにはこのヤク・キャラバンは巨大で3000頭を軽く越えるものが多いという。宣教師のSusie Rijnhartは1897年に北の草原でこのようなキャラバンに遭遇した時の話を記している。
「我々はジェクンドから来たという、茶を積んだヤク・キャラバンに出会った。それぞれのキャラバンは1500〜2000頭のヤクを従えている。これを引き連れる商人たちは服装も整い、宝石類で着飾っている。
女性や若い娘も参加している。」

中略

フランスの民族学者Andre Migotは1946年、ケグドを訪れ「この地方の本当の富はその草原にある」と記した。彼はさらに、3700mという高度や短い夏にも関わらず、牧草地に居るヤクの群れのいかに巨大で、遊牧民たちが、いかに豊かであるか、大麦や豆類、様々な野菜が良く育つかについて書いている。

jyekundo旧市街の裏の丘にあるドゥンドゥップ・リン・サキャ僧院がケグドの中心僧院だ。この僧院はフビライ・カーンの導師であったドゴン・チュゲル・パクパにより開山された。町の外には有名なギャナック・マニがある。チベットで一番大きな、つまり世界で一番大きなメンダン(マニ石塚)だ。近くにはダンカルとタンギュ、二つのカルマ・カギュの僧院がある。

これら僧院のほぼ全てが、共産軍に対し地域の部族が立ち上がった1956年のカム蜂起の後、破壊された。文化大革命の間に、その残滓も悉く消し去られた。ギャナック・マニの聖なる石は敷き石や中国軍や役人のトイレを作るのに使われた。

jyekundo夏の盛り、草原が赤、青、黄色の野花に覆われ「果てしなく続く虹のカーペット」と化す頃、遠くはナクチュやその他様々な地方から、遊牧民たちが年に一度の大きな祭りのためにここに集う。
このイベントを何と説明すればよいのか、、、色んなピクニックのハッピー・フュージョン、一週間続くパーティー、地域舞踏会、宗教行事、インフォーマル美人パレード、そして興奮の競馬祭といったところだ。
競馬祭では男たちは完ぺきに着飾った姿で、そのセンセーショナルな馬術を披露する。この素晴らしい集りは、ペルタン・チュ(川)とジ・チュ(川)の合流地、ケグドの南20キロほどのところにある、バルタンで行なわれる。されに南に下りこの川はディ・チュまたはヤンツェ川(揚子江)に合流する。

jyekundoAndre Migotは草原を埋め尽くす、豊かに装飾された、テントの海に圧倒されたという。テントの中は、広々としており、絨毯や長椅子、低いテーブル、さらに仏壇まで供えられ、非常に快適な空間だったと報告している。各テントにはキッチン・テントが別にあり、そこには御馳走を用意するためのあらゆるものが備えられていたという。

「世界中の如何なる祝日も、これほどまでに素晴らしく、壮観なものはないであろう」

終。

Note: Check out Michael Palin’s travel documentary, HIMALAYA (BBC) on disc 2 program 4, for wonderful scenes on nomadic life and the Horse Festival at Kyigudo. You can rent it from Netflix. Also Check out www.rangzen.net for a photo essay on the “Horsemen of Kyigu”.








rftibet at 19:40|PermalinkComments(7)TrackBack(0)その他 

2010年04月27日

今日は法王を導師と仰ぎ、ダラムサラ中の人が被災者のために祈った

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk今日は午前中「テンシュク(ダライ・ラマ法王の長寿を祈願する法要)」、午後「地震被災者へのモンラム(祈祷会)」がダラムサラのツクラカンで行われた。
今日は四十九日の内、第二週目に当たる。

法王は今日は、特別な話をされることもなく、(バンドエイドを張られた手を合せ)一日中祈っておられた。

今日は近年、これほどツクラカンに人が集まったことはなかっただろう、と思われるほど、沢山のチベット人が集っていた。
その数およそ4000人か? ダラムサラの全チベット人の半分は参加していたということだ。

次から次へと色んなお経が唱えられる。
みんなにも最初にちゃんとテキストが渡されていたので、今日はみんなの声も大きかった。
4000人の大合唱だ。

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk日本人はお経を渡されても、僧侶と一緒に唱えることのできる人は少ない。
チベット人でお経の読めない人はいない。
ちゃんと意味も、完全ではないが、解る。
お経は日本と違って、今も変わらぬチベット語で書いてあるからだ。
チベット人ほど経を読むのが好きな人種もいないであろう。

私も今日は、写真も撮ったが、沢山一緒に様々なお経を読んだ。
個人的には、祈願のお経の中では「サンチュ・モンラム(普賢行願讃)」が一番好きだ。
この短い祈願文はもともと「華厳経入法界品」に含まれるが、チベットではこれだけを取り出して唱えることが多い。

今は亡き、日本を代表する仏教学者の一人、山口益先生の訳で、このお経の始めの部分だけを以下に書き写す。


27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk十方のあらゆる世界の中の
三世の一切の人中の獅子なるもの
わたしは、清浄な身口意の業(行為)をもって
そのすべてを礼したてまつります。

”普賢の行と讃”の力によって
わたしは、そのすべての如来の御前において
国土の塵の数ほどの身を現わし
一々の身をもって、普く国土の塵の数ほどのみ仏を礼したてまつります。

一塵の頂にも塵の数ほどの数多のみ仏が
菩薩衆にかこまれておわします。
全法界もまたしかり。
諸仏はそこに充ち満ちてましますと、わたしは深く信じます。

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshukそのおのおののみ仏に、わたくしは一切の音声の海をもって
普く無尽の妙なる言葉を出し
未来の一切の劫をつくして
その甚深の海を讃嘆したてまつります。

わたくしは、業と煩悩と悪魔の世界と
世間の種々の迷いの境界から解脱しました。
どうか、蓮華が水に汚されないように
また、太陽や月が虚空に止らず、運行するように行じましょう。

あらゆる悪道の苦しみを除くことによって
すべての生あるものに等しく安楽を与え
そのようにして国土の塵の数ほどの劫を経て
十方の衆生を利益して尽きることがないようにしよう。

わたくしは、常に諸々の生ある者の行いに応じて行動し
未来永劫に尽きることなく
常に”普賢の広大なる行”を修し
この上なく勝れた菩提(さとり)を円満しましょう。

以下略


ーーーーーーーーーーーーー

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk今日は法王の写真を沢山載せる。
クリックすればさらに大きくなるぞ。



亡くなられた方々の冥福を祈ると共に、
被災者の方々の苦しみが少しでも軽減されることを、
心から祈る。

ヒマラヤを越え、みんなの祈りがジェクンドに届きますように。

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk





















27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk












27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk












27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshukそうそう、わたくし事で言う必要もないが、、、
今日は特別嬉しいことがあったのだよ。

法要が終わり法王が本堂からお出になったとき、自分は写真を撮ってたが、あまりに法王が目の前に来られたので、思わずカメラを下ろした。
法王と目があった。
法王は「トポ・ニンバ(old friend) ハハハ、、、」と声を掛けて下さり、(もう短くなってしまった)あごひげを引っ張られた。

みんなの笑いを取るためだ。

27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk
まったくここに集まっているみんな、首には法王から頂いた赤いお守りのひもを巻き、頭やひげを法王に、たたかれたり、引っ張られたりすると、大喜びするとは、まさに中国の言うところの「ダライの犬」そのものだわい。ヒヒヒ、、、



27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk











27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk






















27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk













27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk











27.4.2010 Dharamsala Tsuklhakan Tenshuk

rftibet at 18:30|PermalinkComments(9)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2010年04月26日

ジェクンドそのものが無くなる?/子供たちを強制移住

ジェクンド地震被災地、ダライ・ラマ法王のタンカ<町そのものを移転して、エコ観光都市にする/子どもたちを内地に教育のためだと言って強制的に移動させる>

大地震で町がまるごと破壊されたら、その後は死体が埋まったまま、片付けるのも面倒だからと、その町を放棄する、というやり方は、この前の四川地震の時にブン川などで実際に起こったことだ。

朝日新聞のネット版によれば、当局は「被災地の復興会議を初めて開いた。結古鎮は再び地震発生の恐れがあるため、町そのものを移転させることを検討している」という。
http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY201004220557.html

この「結古鎮(キグド/ジェクンド)は再び地震発生の恐れがあるため」というのは一体何を根拠に言ってるのであろうか?
一般には大地震の後は、地下に溜まっていたエネルギーが放出された後ということで、その地域は以前より安全と考えられるのが普通だ。
余程長期に渡る群発地震が予想されない限り、その土地を放棄することは考えられない。
関東大震災があったからと言って、東京は放棄されなかったし、阪神大震災があったからとて、神戸は放棄されなかった。
地震が多いからと言って居所を変える人はまれだ。
将来の強い地震に備えて、建物を強くするだけだ。
例え、真下に活断層があろうと、人は先祖代々住んできた土地を離れたいとは思わない。

第一、キグドはチベットの中でも特に地震が多いという場所ではない。

チベット高原地震マップ右の資料はチベット高原で1990年以降に発生した地震のプロットマップだ。
星印のある場所がジェクンド。
http://neic.usgs.gov/neis/eq_depot/2010/eq_100413_vacp/neic_vacp_h.html

これを見れば、チベットで地震が多いのは特にヤルツァンポの大曲部であることが解る。
ここには沢山のダムが建設中であったり、計画中である。
地震は北の西寧辺りのほうがよほど多いことも解る。
チベット・プレートの周辺部が地震の巣といえる。

キグド(ジェクンド)には300年ほど前に大きな地震があったと言い伝えられている。
それ以後は目立った大きな地震はなかったといわれる。

ではなぜ、中国政府はジェクンドをごっそり移動したいのか?
それは、このチベット人ばかりが住む、チベット文化の中心地の一つを、根こそぎにしたいからだと私は思う。

ジェクンド地震被災地この計画を知った現地のチベット人は次のように話していた(RFA)
「自分たちは誰も地震があったからといって他の土地に移る気なんか全くない。
中国は自分たちの土地を取り上げようとしてるだけだ。
新しい場所に新しい家を用意して、これがお前たちの家だという。
もうその時には自分たちの土地はなくなっているのさ。

それでなくても、文革のあとには町の名前も、町の通りも全部中国式の名前が付けられ、人民大路とか、革命路とか訳のわからん名前ばかりだ。町や村も名前を聞いても分からなくなってしまった。
建物も昔のようなチベット様式のものはほとんど無くなった。
中国が建てた長屋ばかりが目立っていた。
もうそれも消えたが、、、

俺たちはどこにも行くつもりはない。
新しい町は中国人を呼ぶために造られるだけだ」
と。

実際、震災後の町づくりには、被災者たちの意見を最優先するのがあたり前だ。
それを、勝手な金儲けと文化破壊の手段に利用すれば、チベット人被災者たちの強い反発を招くことは目に見えている。

もう一つ気になる動きは被災地のチベット人たちを、当局は勉強のためだと言って、内地に強制移動させていることだ。

例えば、青海省教育局のツェリン・ツァル副局長は「震源地玉樹にある第一民族中学校は、すでに授業を再開した。また玉樹について、当局は、中学生以上の子供たちを西寧など地震の被害がないところに移動させ、そこで勉強させることにしている。その第1陣が23日に出発する予定だ」と言ってる。
http://japanese.cri.cn/881/2010/04/22/144s157632.htm

その他、孤児となった子どもたちを、中国のどこかに連れていくという話も聞いた(今このソース見つからず。思い違いなら幸い)。

チベット人はこのような話を聞くと、かつて文革の間に多くのチベットの青年、子どもたちが中国内地に連れ去られたことを思いだすのだ。
その中で後に故郷に帰ることができたものはほんのわずかだったという。

孤児についてはカムのリンポチェが一括面倒を見るという申し出を行なったとも聞く。

チベットの子どもをチベットで(或いはインドで)、チベット人として育てたいとみんなは願っているのだ。















rftibet at 20:15|PermalinkComments(12)TrackBack(0)チベット内地情報 

地震後、中国政府の対応や募金活動を批判したチベット人作家逮捕

c9d18168.jpg主に、内地のチベット人の記事やブログなどを、英語で紹介するサイトHigh Peaks Pure Earthの4月26日付レポートによれば:

http://www.highpeakspureearth.com/2010/04/earthquake-in-tibet-leading-tibetan.html

ペンネーム<ショクドゥン>として有名なチベット人作家タゲルは「カムで起った地震の被災者たちに送る手紙」に連署した後、逮捕された。

彼は西寧のNationalities Publishing Houseのスタッフであると同時に作家として精力的に活動していた。
最近、2008年のチベット蜂起について論じた「ナムサゴ(天地門)」と題された本を出版している。

この公開の被災者に宛てた手紙の中では、被災者たちへの慰安が示されると同時に、中国政府の救助活動や募金活動への批判も書かれていた。
連署者の中には作家・歌手として有名なジャミヤン・キも含まれている。

レポートによれば:
「4月23日午後5時、西寧警察署の警官が5,6人、彼の職場であるQinghai Nationalities Publishing Houseに現れた。彼らはショクドゥンをまず自宅へと連行し、家宅捜査をした。
写真を幾つか押収した後、彼をどこかへ連行した。
夜10時に再び警官が彼の家に来て2台のパソコンを持って行った。
妻のラツォの話によれば、さらに、朝方3時に警官が来て逮捕令状を家族に渡し、彼の寝具を要求した。
早朝、彼の二人の娘は逮捕令状を持って地区の警察署に向かった。
しかし、彼女たちは父親に会うことはできなかった。
今も彼の行方は分かっていない」という。

地震後、3日経った時、彼は被災地に行こうと思ったが、許可証を得ることができなかった。
仕方なく西寧に留まりながらも、彼は逮捕の日まで救援活動と負傷者へのカウンセリングに忙しくしていた。

この当局によるチベット知識人の逮捕は驚くにあたらない。一カ月前にはゾゲ県でキルティ・キャップと他の先生たちが逮捕され、今も拘束されたままだ。
北西民族学院からはテラン(タシ・ラプテン)とショクジャン(ドゥクロ)が逮捕されている。
この先、我々の内誰が逮捕されるか分からない。
これが今の状況だ。
この先が思いやられる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

手紙には「自分たちは被災者を救援したいが、あたかも税金を払うがごとくに、何とか団体やグループに寄付するつもりはない。一番良い方法は、誰か信頼できる人に直接現地に行ってもらい、寄付を渡すことだ。
誰が、(この国には)汚職はないと言えようか?(役人が)自分の懐に入れないと言えようか?」
と書かれている。

それにしても、こんな時にまた中国当局による口封じの知識人逮捕とは。
こんなことを書いただけでも、中国では逮捕されるのだね。

教育が行きわたっていないので、チベットに知識人は生まれにくい。
第2,3世代と呼ばれる、これらの僅かなチベット人知識人が次々に逮捕されている。
これほど、あからさまな言論弾圧はない。







rftibet at 15:35|PermalinkComments(3)TrackBack(0)チベット内地情報 

2010年04月25日

ダライ・ラマ法王は地震で家族を失った子供たちを招き慰められた。

ジェクンド大地震 14.4.2010中国当局は24日、救助活動を終了すると発表した。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100424/chn1004242146007-n1.htm

地震から10日しかたっていない。
今も家族の誰かが、ガレキの下に埋もれていると分かってる人たちの気持ちを考えると早すぎはしないか?

昨日のRFAによれば、
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/stringer/emergency-aid-did-not-reach-in-some-area-in-kyegudo-04232010121526.html
ジェクンド市内をすこし離れた村の住人は電話で、「まだ1張りのテントも届けられず、みんな寒さと強風に苦しめられている」と話し「村人が200人ほど亡くなったが中国の役人はだれも調べにも来ない」と続けた。

また、「被災地に支援物資を運ぼうとしても幹線道路を行けば、途中の検問で当局に取り上げられるというので、
親戚などを助けに行こうとする人たちは、わざわざ山を徒歩で越えて行くというものが増えている」という報告もあった。

今日のRFAによれば、
http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/more-than-10000-people-died-due-to-earth-quake-in-tibet-04242010115715.html

「これまでこの街では、ダライ・ラマ法王の写真を飾っていても逮捕されるということはなかったが、この地震の後、当局は法王の写真を持つことを厳しく取り締まるようになった」という。

―――

ところで、亡命チベット人の中にはジェクンド出身者が意外と多い。
全体の数は分からないが、このダラムサラだけでも学生を除いても数百人はいるらしい。
例えば、ダラムサラから2時間ほど離れたビールという所にある、TCVスジャ・スクールだけでも生徒の内66人がジェクンド出身者という。

彼らの家族・親戚で亡くなった者の数はこれまで判っているだけでも196人に上るという。

RFAで彼らの内3人が話していた。
彼らは14日の朝、学校が始まって最初の授業が終わったころ、ジェクンドで大きな地震があったらしいということを知った。

みんな家族がジェクンドや周辺にいる者たちは、一斉に現地に電話をかけ始めた。
回線は繋がりにくく、繋がってもすぐに切れる。それでも、みんな何度も掛け続ける。

次々にみんな親や兄弟が亡くなったという知らせを受ける。
中には家族全員を失ったと知り、茫然とするもの、泣き崩れるものもいたという。
ほとんどの者が現地の者から最初に聞かされた言葉は「すべて終わったよ、、、(ツァンマ・ツァーソン)」という言葉だったという。

こうして、集計された数が、この学校だけで196人だ。

18.4.2010 法王は家族を失ったジェクンド出身の生徒たちを招く法王は19日、家族を今回の地震で失った学校の生徒たちをパレスに招いた。

写真はその時のもの(dalailama.comより)。

法王は、家族が亡くなっても、病院に収容されていても、帰ることもできない子どもたちを前に、再びカルマの話をされ、「これで今までの悪業の果が尽きたと思いなさい。
人の世の苦しみについて考え、黒い力を慈悲の心で白い力に変えなさい。勉強に集中しなさい」と話された。

ギャワ・カルマパもスジャ・スクールを訪れ生徒たちを慰められた。

法王様にお会いすることができたという話を、電話で子どもたちはすぐに現地に伝えたという。
それを聞いて現地の生き残った親戚は「なんてお前は幸運な子であることか。インドに逃げてて地震にも遭わずに済んだ。法王にもお会いできたんだから、それはすごい幸運だ。法王が自分たちのために祈っていて下さるということは聞いている。本当に有難いことだ。うれしいことだ。ここのみんなも法王にいらして頂きたいと思ってるけどね、、、」とある生徒に話したという。


















rftibet at 21:40|PermalinkComments(11)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

パンチェン・ラマ11世、21歳の誕生日/ニマ少年の今の顔は?

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday左の写真は、21歳になったパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(少年)の今の顔を想像して描かれたもの。

今日、ダラムサラでは朝からツクラカンに人々が集まり、ニマ少年の21歳の誕生日を祝うと共に、彼の一日も早い解放を願う、という集会が行われた。

ニマ少年は1989年4月25日、ナクチュのラリという小さな村で遊牧民の子として生まれた。

1995年5月14日、彼はダライ・ラマ法王により公式にパンチェン・ラマ11世として認められた。
その3日後の5月17日、ニマ少年は両親ともども共産党により拉致された。
その後、現在まで彼らは行方不明のままだ。

詳しくは以下へ、
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/gc_nyima.html

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday生きているのか、もうとっくに殺されてしまったのか、、、
生きているなら、どうしてこれほど全く情報が入らないのか?
生きていても、完全に隔離されていると考えられる。

最近、チベット自治区の誰だったかの役人は、ニマ少年の消息を尋ねた外人記者に対し
「ニマくんはチベットのどこかの大学で勉強している。本人はほっといてほしいと言ってる」と答えたという。

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthdayニマ少年を拉致したことは認めているわけだ。
その上で、このような「拉致して何が悪い」の開き直りで、しゃあしゃあと本人の意思を代弁しているとでも言わんばかりに、得意のでっち上げを披露する。
チベットの人たちはまずは彼の無事を知りたいのだ。
証拠を待っているのだ。

チベットではダライ・ラマとパンチェン・ラマは人々を日夜照らし出す、太陽と月に譬えられる。
沢山の歌の中で、この譬えが使われている。

人々の太陽を追い出し、月を拉致した中国共産党をどうやって好きになれと言うのか?
被災地に1000億円を投じても、感謝され、信頼されることはないであろう。


25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday今日は集会とともにチベット女性協会の主催で「21歳のパンチェン・リンポチェを
想像して絵を描き、詩を綴る」
というイベントが行われた。

ニマ少年の写真は、今までたった一枚あるだけだ。
それは彼が6歳の時の写真。拉致される前の顔写真だ。
それから、生死も知れず15年が立った。
もしも、今彼がみんなの前に現れたら、どんな顔になっているだろうか?

という企画だった。
20数人のチベットの若者たちが、一時間ほどの間にそれぞれ思い浮かべる、彼の今の顔を描いた。

すべての絵を見たい方は以下へ、撮影はわたしで掲載したのは女性協会。
http://picasaweb.google.com/106494767716125150093/PanchenLamaS21stBirthday#

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthdayもう一つのグループは21歳になられたパンチェン・ラマに贈る詩を書くという人たち。
尼僧が多かった。

考え込みながらも、みんな丁寧な字で綴っていた。
チベット人は詩を書くことが好きなのだ。
学校でも、僧院でもみんな詩を書く練習をさせられる。

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday

rftibet at 18:10|PermalinkComments(7)TrackBack(0)ダラムサラ町の出来事 

2010年04月24日

世界でもっとも人気のあるリーダーはオバマ大統領とダライ・ラマ法王

6b77c3fe.jpg<オバマ大統領とダライ・ラマ法王が世界でもっとも人気のあるリーダー:世論調査>

昨日のAFP伝:パリ
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5j9kooiGUZTQ8WYYPJmyMNL7MZ--Q

金曜日に発表された、6カ国で行われた世論調査の結果によれば、アメリカのオバマ大統領とダライ・ラマ法王が世界でもっとも人気のあるリーダーであるという。

オバマ大統領は77%の支持を得て、昨年11月に比べ1ポイント上げた。
この世論調査はHarris Interactive for France24 と Radio France-Internationaleによって行われたものだ。

チベットの精神的指導者ダライ・ラマが75%で第2位。
第3位はアメリカの国務長官ヒラリー・クリントン、62%。

ローマ教皇ベネディクト16世は第7位で、36%の支持を集めた。

この世論調査は3月31日から4月12日にかけ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン及びアメリカに住む16歳から64歳の成人6135人を対象に行われた。

ドイツ首相のアンゲラ・メルケルは54%で第4位。
彼女の下には、フランスの大統領ニコラス・サルコジと国連事務総長のバン・キムーンが37%で対の5位。

この世論調査によれば、もっとも人気のないリーダーはイラン大統領のマフムード・アフマディーネジャード、リビアのムアンマル・カダフィ大佐、そして中国の国家主席胡錦濤とのことだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パンチェン・ラマ ニマ少年明日はパンチェン・ラマ11世の21歳の誕生日です。

【パンチェン・ラマ11世の誕生日を祝う長寿祈祷 開催】
日時:2010年4月25日(日)午後2時〜3時まで

場所:大本山 護国寺 本堂

主催:在日チベット人コミュニティ(TCJ)

パンチェン・ラマ猊下の誕生日をお祝いすると共に、中国政府の拘束から早く自由になるためにお祈りします。
皆様のご参加をお待ちしております。

http://tibet-cj.org/index.html

ニマ少年を救うためのキャンペーンのお知らせは:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-04.html?p=2#20100409

rftibet at 11:50|PermalinkComments(27)TrackBack(0)その他 

2010年04月23日

地震はそんなに大きかったのか? ジェクンドの建築物の耐震性等について

ジェクンド色んな写真やビデオで被災地のガレキの山を見ていると、もちろんその下に今の埋もれたままになっているであろう犠牲者のことも思うが、自分が建築に関わる者なので、その壊れ方を観察することも多い。

今回は被災地の建築物の種類やその強度について気が付くことを書いてみたい。

丘の上から撮った写真を見ると、中心地のビル街の建物は形を残しているものが多く、南や特に西の住宅地は全滅に近いことが分かる。
最初のころは建物の9割程度が破壊されたと言われていたが、今では当局は61.7%が倒壊されただけだと発表している。

ジェクンド、14.4.2010まずは地震の規模と震度の話だが、私は結論的に言って、この地震はそれほど大きなものではなかった、震度でいえば、6弱であった可能性が高いと思う。

規模についてはアメリカの地震局が6.9と発表したのに対し、中国は7.1と主張する。
マグニチュード2は1の32倍ということはご存じと思う。
アメリカと中国の差はたったの0.2だが、この間には約2倍のエネルギーの差があるのだ。
違いは小さくない。中国はアメリカ発表の2倍の強さの地震だったというのだ。
震源地の深さをアメリカは33kmと発表した。それに対し中国は最初10kmだったが、後から33kmと言いだした。
震源地に一番近い地表とジェクンドの街の距離は30km。

ジェクンド、14.4.2010ちなみに、阪神大震災はM7.3、震源の深さ16km、震度は7の激震だった。

地震による建物の倒壊はマグニチュードではなく、もちろん現地の震度が基準となる。
中国はジェクンドの震度を9強と発表した。
http://j.peopledaily.com.cn/94475/6955989.htmlもちろん震度については国ごとに基準が違うので何とも言えないが、中国が9強というのはおそらく10段階方式に基づく話と思われる。
最大級の地震だったと言いたいのだろうが、日本人にはよく解らない数字だ。

とにかく、中国は今回の地震は学校も倒壊してあたり前の大地震だったと言いたいらしい。

ジェクンド大地震実際、学校の倒壊状況はどうだったのか?

サーチナの記事によると
http://www.excite.co.jp/News/china/20100415/Searchina_20100415093.html

「結古鎮には、学校・大学4カ所がある。他の写真と総合した結果、第二民族中学校では、主校舎前の平屋建物3棟が倒壊したことが分かった。
三完小学校では平屋建物4棟が倒壊、玉樹広播電視大学は平屋建物4棟が倒壊し、2階建て以上の建物も1棟が倒壊した。玉樹衛生職業中級専門学校は、すべての建物のうち4分の3以上が倒壊したことが分かった。」

また、その学生の犠牲者はというと、17日、同じくサーチナに掲載された記事によると
http://www.excite.co.jp/News/china/20100417/Recordchina_20100417004.html

「玉樹県の70%の学校が倒壊し、現在判明しているだけで少なくとも生徒66人、教師10人が死亡した。生徒数3000人余りの玉樹県第3完全小学校では建物の80%が倒壊し、救出された生徒61人のうち34人が現場で死亡。200人以上ががれきの下に生き埋めになったままだという」。
さらに、
「08年5月12日に発生した四川大地震では、大量の校舎が倒壊、多くの生徒や教師が犠牲となり、手抜き工事や建築資材のごまかしなどが指摘された。これを受けて中国政府は各地区の小中学校、特に辺鄙な地区の小中学校に対し、地震に対する強度検査と補強工事の徹底を求め、マグニチュード7の地震に耐えられるような校舎づくりを指示した。しかし、今回玉樹県で発生した地震はマグニチュード7.1で、中国政府が求めた耐震基準を超えており、当局がこれを校舎倒壊の理由にする可能性が懸念される。四川大地震による校舎倒壊の初期調査時、四川省教育庁は中国教育部に対し、倒壊原因の1つとして地震の震度が強すぎることを挙げていた」そうだ。

ジェクンド大地震しかし、現地の人の話によれば四川地震後に建て替えられた学校は一つもないという。
であるならば、地震が強すぎたわけではなく、設計耐震強度が最初から十分ではなかったという疑いが濃い。

私は今回の地震はそれほど大きくはなかった、日本の震度でいえば6弱ではなかったかと推測する。
実際には現地に行かないとすべて、はっきり言えないのだが、学校の建物がもともと震度6弱にも堪えられぬ、おから建物であったことは写真からも推測できる。

今、大事なことは、倒壊した学校の建物が証拠隠滅のためにすっかりかたずけられる前に、ちゃんとした外国の調査団が現場を見ることだ。
見れば、一目でわかる。写真を残しておくことも大事だ。
(倒壊した学校の写真はあるのだが、今ブログに載せられるものが手元にない)

ジェクンド私もインドの山奥で学校の設計などに長らく関わって来たので、他人事とも思えないところがあるのだ。
もしも、ダラムサラに大きな地震が来たらどうなるか?
自分が設計した校舎や寮、ホールの下敷きになって子どもが死んだらどうする?
おそらく自殺したくなることであろう。

この設計強度は最大の関心事ではあるが、じゃ自分が設計した学校が震度7に耐えられるかというと、それは無理と分かってる。
今の日本の世界最高の耐震基準を下回っていることは十分承知している。

低開発国の建物の予算の中では、鉄とセメント代がそのほとんどだ。
人件費はただのように安いが、鉄とセメントは高い。
どうしても予算を合わせるために、この両方をできるだけ削らないといけないという場合もある。
というか、日本級に設計すると施主も現場も驚いて冗談と思い作ってくれない可能性が高い。
私はこれを「難民仕様」と勝手に呼んで、自分を納得させている。
それでも、周りの建物よりはよほど強く作ってある。
いくら大きな地震が来ても真っ先に倒れることだけは避けたいからだ。

デラドゥンにある60mの仏塔とダラムサラTCVのホール、ツクラカンの拡張部分だけは日本基準に限りなく近い数値で設計されている。


ジェクンドここに来て、もう25年近くなるが、その頃にはまだ鉄筋を使わずに家を建てる人が周りにはいた。
しかし、それはまれで、こんなインドの田舎でも鉄筋を使わずに家を建てると地震の時危ないと人々は知っていて、だいたいは柱の中には鉄筋を入れていた。

10年ほど前からはインドでもやっと構造基準ができ、基準を満たさない建物は建てられないことになっている。
もっとも、これは建前で、多くの建物はこの基準を守っているとは思えない。
それにしても鉄筋を入れない建物が建てられることは、今では皆無にちかい。

インドの山奥のダラムサラの建築事情と中国の山奥のジェクンドの建築事情を比べるというのは簡単ではないが、
壊れ方を見れば、近代化を売り物にする中国の山奥はダラムサラより、余程ひどかったことは一目でわかる。
もっとも鉄筋の入った建物の強度についてはダラムサラと似たり寄ったりと見受けられる。

ジェクンドその仕様は3〜4階建では柱と梁に16〜20mm筋が4〜8本。柱の太さは30cmX30cmが標準といったところであろう。
平屋や二階までなら柱と梁に12〜16mm筋4〜6本、柱の太さ25cmX25cmほどか。
実際、この程度では震度6弱でも倒壊して不思議はない。
外壁や間仕切り壁に中空セメント・ブロックを使い、床にプレキャスト・コンクリート板を使っているのも強度を落とす元になっている。

6強ではそれぞれの耐震性に従い、半分程度は倒壊するであろう。
今回の地震はこの程度だったと思う。

ジェクンドもっとも、今回問題にしたいのは、お金がある人たちが作ったRCC造(鉄筋コンクリート)の建物ではない。
もちろん学校が倒壊し、多くの子どもたちが亡くなってしまったということは悲惨なことだ。当局は当然責任を取るべきと思う。

でも、さらに私は一般のチベット人たちが住まいとしていた家々の、今は見渡す限りのガレキの山を見て、悲しく思うのだ。
これらの家はバラックに毛が生えたほどに安普請だったことがわかる。
外壁は幅20〜30cmほどの中空セメント・ブロック、または幅30cmほどの日干しレンガが積み上げられているだけ。
ジェクンド多くは平屋で屋根は陸屋根か切妻。陸屋根の場合は丸太などの架構の上に小枝と泥が載せてある。切妻は中国式で木造トラスの上に瓦やトタンが載る。
柱と梁がなく、壁は繋ぎがなく脆い。これではちょっとした地震でも崩れる。
今回のような大きな地震にはひとたまりもなく、逃げる間もなく、一瞬にして倒壊したはずだ。
壁のブロックも日干しレンガも木材も瓦も崩れ落ちれば、下にいる人を強打する。
ガレキの堆積には隙間ができにくく、埃が充満し、窒息死し易い。
これに比べ、RCC造の方は倒壊した後、隙間ができ易く、助かる確率は比較的高いと言えよう。

ジェクンド、14.4.2010チベット人はいつから、こんなバラックのような建物に、あたり前のように住むようになったのだろうか?
一般に周辺の民族に比べてチベットの伝統的民家は大きく2,3階建てで、手が込んでいて、立派な家が多かった。




ジェクンド、14,4,2010壁厚も40〜60cmあり、日干しレンガではなく、現場で土を打ち固めたものが多かった。耐震性も悪くはなかったはずだ。

貧しくなったということか?
実際、この地方のチベット人の収入の半分以上は夏場の冬虫夏草採取によっているという。

牧草地を追われた遊牧民は、今ではこの冬虫夏草の採取のみを唯一の収入源とするものが多いと聞く。

結局、多くのチベット人には遊牧民から採集民に落ちるしか生きる道が無くなったということなのか、、、

ジェクンド大地震 C/R  EPSそして、今回、広々とした草原と大きなヤクテントを追われた者たちの多くが、街中でセメント・ブロックの家の下敷きとなり死んでしまった。


















rftibet at 18:45|PermalinkComments(29)TrackBack(0)その他 

被災地で、チベット独立を叫ぶ者に対しては、発砲してもよろしい

bc6f3448.jpg現地には一昨日から雪が降り始め、今日は積雪3cm。
まだ、数日この悪天候は続くとの予報。
寒い日が続く。


RFAチベット語版、4月22日:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibet-independence-activists-could-be-shot-in-earthquake-zone-04222010222934.html

<チベット独立の声に発砲許可>

被災地のジェクンドでは、兵士は、チベット独立を叫ぶチベット人と衝突した場合、上官の許可なしに発砲してもよい、と言い渡された。

14日に起こった大地震によりジェクンドとその周辺で数千人の人が亡くなり、一万人以上が負傷し、今も数百人が行方不明のままだ。
そんな中、20日にはチベットの各地から集まった僧侶数千人による、初七日の法要が行なわれた。

Epoch Times(大紀元)の記者に現地の兵士が話したところによれば、「もしも兵士が、チベットの独立を叫ぶ者達に突然鉢合せたり、彼らと衝突した時には、直属上官の許可を得ずに、即発砲し、銃殺してもよい」と言い渡されたそうだ。

さらに同紙によれば、現地のチベット人たちの間には、ダライ・ラマ法王が本当に現地に来るという噂が広がるにつれ、法王に会うことができるという期待が膨らんでいる、ということに対し、共産党の幹部たちは警戒心を高めているという。

このような状況の中で、今まで救援活動の中心的役割を担っていた僧侶たちに対し、当局は被災地から出て行くようにと命令を出した。
ロサンと呼ばれるジェクンド出身の僧侶によれば、「地震の後、周辺の僧院から総勢4万人の僧侶が救援のため駆け付けた。20日に当局の役人が2日以内にそれぞれの僧院に帰るようにと命令してきた。その日の午後4時前に出ていけと言われた僧侶もたくさんいる」という。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

jyekundこの僧侶たちを追い出す、という当局の決定に対し、現地のチベット人たちの間に怒りの声が上がっている。
ある現地の人は電話で「これは、自分たちに自由がないという象徴だ!悲しいことだ!中国こそ出て行ってくれ」と涙ながらに
訴えた。

ウーセルさんも「今まだ、ガレキの中に遺体は残っている。これからも葬儀を行なったり、人々を癒すために僧侶たちは被災地のみんなに必要とされている。今、僧侶たちを追い出すというのは間違った決定だ」とコメントしている。

このような状態では、中国が救援物資によりチベット人にありがたがられようとしても、期待通りにはいかないであろう。
チベット人がここで不満の声を上げれば、中国人は「この恩知らずめが」とののしり、最悪銃殺してもいいと言ってるのだから。
チベットのデモ隊に向かって発砲してもいいという命令は、今までの慣例通りであり、驚くにあたらないが、この悲劇の最中にあるチベット人に対してもこれを適用するというところが、恐ろしい。

これが、カンゼなら今頃大暴動が起こっていてもおかしくない。









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2010年04月22日

すべては党のために

被災地今回の写真はすべてウーセルさんのブログから。

法王の被災地訪問について、NHKによれば:

 中国外務省の姜瑜報道官は、定例記者会見で「被災地ではすでに救援のための人手は足りており、地元の宗教や習慣も十分尊重されている。被災者の心を慰める活動もきちんと行われている」と述べ、受け入れる考えはないことを明らかにしました。

という。
もっとも、中国政府もはっきりと拒否したわけではない。
それはさずがにまずいと知っているからだ。

「被害者の心を慰める活動もきちんと行われている」と言うところが、笑える。
胡錦濤主席がジェクンドを訪れた日には朝から葬儀後の大きなモンラム(祈祷会)が大勢の僧侶、遺族を集めて行われていた。
胡錦濤氏はこれを完全に無視した。

被災地のダライ・ラマ法王葬儀の場には誰も赴かない。(これで、どうやって犠牲者数を集計するのか?)

人々の心を支えている僧侶たちを追いだし、人々が観音菩薩と崇めるダライ・ラマ法王の訪問をお断りする。

偽パンチェン・ラマに寄付とモンラムをさせる。

これらが、被災者の心を慰める活動と中国では呼ばれる。

ある現地の人の話では、温家宝首相がジェクンドを訪問したとき、首相があるチベット人に対し「何でもいい、すべて、私はあなたの望みを叶えてあげます」と言ったのに答え「私たちみんなの願いは一つだけだ。ダライ・ラマ法王にお会いできるようにしてほしい」とその人はっきり言ったという。

首相がこれに対し如何に反応したのかは伝わっていない。


ーーー

被災地4月20日にThe Asia Sentinelというウエブに発表された、中国で著名な評論家であるという、Willy Lam氏のレポートによれば、

http://www.asiasentinel.com/index.php?option=com_content&task=view&id=2411&Itemid=171

政府指導者たちの最大の関心事は「玉樹とその周辺の地域における政治的後退を避けることにある」という。

同レポートによれば、「国営放送は、地震の後、現場で救助活動を率先して行っている僧侶たちの活動を控えて放送するよう命令された」

その代わり「地震発生の次の日に各新聞社やウエブニュースは、報道は<肯定的進展>にフォーカスしたものでなければならず、特に、軍人、警官、武装警官、消防団員、その他北京政府が青海のために動員した者たちが、その低酸素、氷点下という厳しい状況の中で、いかに勇敢に仕事を成し遂げたかを中心にレポートしなければならない」と言い渡されたという。

このような、あからさまな、自分たちの悲劇を利用しようとする態度に、チベット人被災者たちは当然、不満、怒りを感じている。

ここにきて、僧侶たちを追い出し始めたことでこの不満、怒りはますます強まっているというのが現地からの報告だ。

「すべては党の権威と求心力のため」にある全体主義国家において、自然災害という人の悲劇が利用されたとて、それは全く驚くにあたらないというわけだ。

党は人ではない、実体のないお化けのようなものだ。


中国地震救援隊がチベッタン・マスティフを救助?する現場しつこいが、左の写真はチベタン・マスチフが救助される所を撮った証拠写真の続きだ。
続きと言うより、この前の車に収容するシーンに入る前のシーンだ。

何だか、これを見ていて、連想から、つい思い出したことがある。

中国がチベット侵略を開始した当初、非常におとなしく振舞い、有力者にはプレゼントを渡し、農作業を手伝い、子供に飴玉を配っていたということをだ。

純真で人を疑うことを(比較的)知らない、子犬のように扱われたというわけだ。
騙された、チベット人が悪いのか? 気が付いた時にはもう遅かった。

中国地震救援隊がチベッタン・マスティフを救助?する現場檻の中にはお母さんも捕まっていた。



当局が発表する犠牲者数に対しても不満が広がっている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27163&article=Questions+Over+Quake+Toll+in+Tibet

ホンコンのメディアのインタビューに答えたアンエン・ダンパ・レンキン高僧は
「自分の僧院だけでも日曜日に3400人の遺体を火葬にふした。他の僧院にはまだ4〜500体の遺体が収容されている」
「犠牲者の総数は8000〜9000人であろう」と語った。

その他、幾つかのホンコンの新聞やテレビ局が、少なくとも8000人が死亡したと報道し、中には一万人とレポートするところもあると言う。

現地やこのダラムサラでは、この犠牲者数一万人という数字を信じている人が多い。


ダラムサラで現地との連絡を担当している元政治犯の友人の話によれば「被災地には自殺一歩手前の人が大勢いる」という。

最愛の家族を亡くしたり、身寄りをすべて失った人たちが、その苦しみに耐え難く、実際に自殺した人もいたという。

彼は「チベット人たちは一般には仏教の教えもあり、自殺するというのは本当に稀だが、この度を越した悲しみの中で死にたくなる人がいるのは当たり前かもしれない」
とコメントした。

RFAなどでは、この被災者たちの心の問題を取り上げ、著明なラマなどが具体的なアドバイスをするという時間も作られている。

















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2010年04月21日

救助隊には時間がない/僧侶を追い出す/ジェクンド大地震被害者への募金活動

ジェクンド、瓦礫の下から救出されたチベット人昨日のRFAで何度か流された、現地からの電話報告を三つ紹介する。
http://www.rfa.org/tibetan/yushu-kyigudo-earthquake-related-stories/quake-victims-not-getting-enough-help-from-chinese-govt-04202010100713.html

全て電話の主が、直接自分の目で見たことだと、最初に明言している。

最初の二つは中国の救助隊がチベット人を救助してくれない、という話。

一つ目
「ガレキの下に父親と子供二人が埋まっていた。中から<俺たちは死んでない! 助けてくれ!>と声が聞こえてくる。通りかかった中国の救助隊に<手伝ってくれ。下に人が埋まってる。死んでないんだ>と頼んだ。でも、彼らは<時間がない>と言ってそのまま通り過ぎて行った。仕方ないから、周りにいたチベット人だけでガレキを取り除いた。時間がかかった。でも、三人とも救い出せた。一人の子供は片手が潰れていた。子どもは無事だった。でも、お父さんの方は病院に運ばれる途中で死んでしまった」

二つ目
「三人が埋まっている現場にいた。話によれば、中に埋まっている人から誰かに<自分たちは死んでない>と電話があったという。下から、携帯を掛けたようだ。僧侶たちが集まって救出しようとしていたが、人出が足りない。近くを救助隊が通ったので、助けてくれと頼んだ。でもここでも、彼らは<時間がない>と言って断った。
二人は救い出せたが、一人は死んでしまった」

<どうして、彼らはそんなことを言うのか?>とRFAが電話の人に聞くと、
「それは、下に埋まってるのがチベット人だからじゃないか?僧侶たちがすでに現場にいたから、それも気に入らなかったのかも知れない、、、」

三つ目は外国メディアが被災者に接触することを偽装公安が妨害している、という話。
「外人の男女がアムドの女性を通訳に連れて被災者にインタビューをしながら回っていた。自分も話を聞かれた。
話しをしてると、4人の明らかに公安と思われる私服の男たちが来て、自分と、そのアムドの女性に<いろんな話をすると、後でただじゃ済まなくなるぞ>と脅しを掛けた。
それから、沢山人が埋まっているという、近くの倒壊したホテルに外人たちは向かったが、この公安たちもずっと後を付けて行った」


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ジェクンド、働く人を見守る現場の軍隊<僧侶を追い出す。寄付は政府を通すべし>

RFAの20日付英語版によれば、
http://www.rfa.org/english/news/china/gohome-04202010144941.html

(以下、要訳)

中国当局は被災地で救助活動を行なう、僧侶たちに退去命令を出したという。
もしも命令に従わない時には各僧院は後で制裁されると言われた。
この命令に従い、明日には帰るという僧もいるが、そんな命令には従わないという僧もいるという。

住民たちは信頼できる助け人である僧侶たちが居なくなることを非常に悲しんでいる。

当局は個人や団体が直接現地入って寄付したり、救援物資を届けたりすることを禁止し、全て政府を通すことを強制されているという。

「カム、ディウックの商人は100万元(約1360万円)の義援金を集め、何台ものトラックに救急物資を満載して現地に向かった。しかし、現地の当局は彼を通さなかった」と現地からの報告。

「彼らは当局から、<援助の金や物はすべて政府を通さなければならない。団体や個人が勝手に、現地でそれらは渡すことは禁止されている>と言われた」そうだ。

同様に、近くにあるソグ僧院が集めた義援金も地方当局に渡すように命令された
という。

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20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金大会この義援金/寄付金/募金については色々話しがある。

昨日、中国のテレビでは一斉に北京で開かれたCCTV(中国中央電視台、国営テレビ)主催の大義援金大会の様子を放映していた。
まるで、それは日本の紅白歌合戦の舞台を見ているようだった。

写真はテレビの映像を撮ったもの。

このところ地震特集と言えばその大半は見世物と化した募金シーンを流しているので、またか、、、と思って無視しようとしたが、ふとその掲げられた赤い大きな表示板の中の額を見て、びっくり!

20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金。1,1億元なんと「1.1億元」と書いてある。
これを日本円にすると約13億6千万円だ!
こんな表示板を、みんな一人一人掲げ、一人一人前に出てマイクの前で演説する。
募金グループは二手に分かれていた。
どうも5000万元以上の者はステージの上に立つことができるらしい。
その数2〜30人。
後は客席の軍人や、えらいさんたちの後ろの方に座って、赤い表示板だけ掲げている。


20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金大会実に「1億元」と掲げる人が他にも沢山いるのだった。
大体は会社や何とか慈善団体だった。
その会場で表示された額をざっと合計しただけで2〜300億円の上がりだ。
画面の下には次々寄せられる募金の額と名前が、まるで株の速報のように流れ続けていた。

これってマジ?と誰しも思いたくなる。
これが、本当なら近々義援金総額は1000億円を越えること間違いなしだ。

もっとも四川地震の時には総額1兆600億円集めたというから、これぐらいで驚くにあたらないというわけか。

だが、問題はこの後だ。
精華大学の調査によると、四川地震の時の義援金の80%は政府の臨時収入となったという。
http://blog.auone.jp/hesomagari/?disp=entd_p&EP=34638158

政府に入った金は誰もチェックできないのだ。

大地震は共産党幹部のマスチフなのかも知れない。

この話を、さっきルンタレストランで、最近亡命してきたチベット人にした。

彼の言うには「あのテレビで見せる募金はみ〜んな嘘さ。たとえば会社や団体で働く人が列をくんで募金するだろう。あれは、全員やらされるんだ。でも大丈夫ちゃんとその額は記録されてて、月末には給料に上乗せされて帰ってくるのさ。

会社が大きな金を寄付するのは政府に金を貸すようなものさ。ちゃんと後から復旧の仕事で儲けさせて貰えるんだから。寄付するのはそんな企業ばかりさ。
あのショーを企画したのはCCTVだ。国営だよ。金は最初から共産党に行くに決まってる。

ま、中には、可哀そうに、チベットの学生や、村の人や、僧侶がちょっとづつ寄付してるのが映されるが、これは本当だろう。
貧乏人は本気で寄付する。金持ちは宣伝と投資と思って寄付するのさ」
だそうだ。

ほんとのところは、私には分からないが、ただこの募金の額を大きく書きだしたプレートを掲げ、その個人なり、団体が、如何にチベットの被災地の人々の事を思っているかを大声でテレビの前で発表するという、慣習というか文化には、感覚的に付いていけませんです。
すべての行動はその動機により善悪が決まるというが、この人たちの動機は大丈夫なのですよね?

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この義援金についても話されている、法王のメッセージビデオがyoutubeで見られる。これは東京のダライ・ラマ代表事務所が日本語訳を付けられたものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=mgoGPtESAU8&feature=player_embedded

現地を訪問したいという話もされている。
是非ご覧ください。



また、東京の代表部が募金活動を始められた。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100421_bokin.html

もうすでにどこかの団体を通じ寄付された方も多いかと思いますが、そんな人も、今からの人も、この代表部を通して寄付するということを特にお勧めする。

現地は数日前から天候が悪化し、ずいぶんと寒い日が続いているようだ。
峠には雪が積もり、物資の輸送も滞っているとか。
まだテントにも入れない人が沢山いるという。
特に周辺の村や僧院等にはまったくまだテントは届けられていないという。

テントと言っても、それは昔住んでた、中で火が焚ける暖かく快適なヤク・テントじゃない。
中で火も焚けない、ただの小さなビニールテントの中で被災者たちは寒さに震えている。
後何カ月、いや何年そんなテント暮らしをしなければならないのか。

一方では何百億円という寄付が寄せられている。
そんな金があるなら、被災者のみなさまを温かい平野部にお送りし。
プレハブどころか一級ホテルにお泊めすることだってできるんではないかな。


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追記:今、とてもいい日本人記者のチベットレポートを読んだ。

【チベット族の秘境を行く】(中)校長は読み書きできず 財産投じ「貧しい子の運命変えたい」

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n3.htm






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2010年04月20日

ダライ・ラマは私たちの太陽/チベッタン・マスチフを救助せよ

ダライ・ラマ法王を太陽と崇める、被災地のチベット人たちが、苦しみの中から法王の名を呼び、助けを請う。
一目でも実際にお目にかかりたいと祈る。

普通の国なら、人道的配慮により、地域国民の幸せを思い、この慰安の旅行はウエルカムということになる。
テントや食料を頂くことももちろんうれしいが、被災者にとってダライ・ラマという超級プレゼントに勝るものはないからだ。

ダライ・ラマ法王は、心身の苦しみを一瞬にして消し去ってしまう太陽だから。

この辺の事情を現地に入られた共同通信さんがレポートして下さってる。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010041901000581.html

jジェクンドの地震被災地に掲げられたダライ・ラマ法王の写真<ダライ・ラマ「被災地に来て」 募る住民の思い>

【玉樹共同】中国青海省地震の被災地、同省玉樹チベット族自治州玉樹県で、チベット族の住民らがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の被災地訪問を強く望んでいる。中国当局はダライ・ラマを祖国分裂勢力とみなしており、住民らも表だってダライ・ラマの訪問を要求することはないが、厳しい避難生活が続く中、心の中で精神的支柱への思いを強くしている。
 玉樹県結古鎮の避難所のテント内で薬草商の男性(55)がぼうぜんと座り込んでいた。住む家は倒壊し、義理の母(82)を失った。男性は「今は金も物も何もいらない。ダライ・ラマに来てもらいたい。それがみんなの願い。来なければ、何をもらったとしても心が満たされることはない」とこぼした。
 子どもも同じ思いだ。胡錦濤国家主席が被災地の激励に訪れた18日、避難所でチベット族の小学生らが胡主席の視察を話題にしていた。その中の1人は「でもうちらにはダライ・ラマがいる。ダライ・ラマは太陽だ。本当に(被災地に)来てほしいのは…」と話した。

東京新聞 2010年4月19日

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ジェクンドは実は遠い昔からちっとは栄えた街だのだ。
吐蕃/唐時代には平野部からラサに向かうメインルートはこのジェクンドを経由していたという。交易の中継点として栄えていたのだ。
街の人口3万というと、チベットでは大都市の部類に入る。
「ジェクンド」は現地発音で、ラサ辺りでは「ケグド」または「キグド」と呼ばれる。
「ユシュル」と呼ばれることもある。
中国名は「結古」(ジェグ)でその音写。

で、ジェクンドの住民の97%はチベット人ということになっている。
本当は90%ぐらいかも知れないがそれにしても、チベット人が大多数を占める。
そのせいで、ここではチベット人が中国人よりも強い。
自治のようなものも比較的認められていたという。
昔から僧院の力が強かったのだろう。
だから、たとえば2008年にも、ここでは何の抗議デモも起こらなかった。
弾圧がなければデモもないという実例だ。

だから、僧院も一般のチベット人もダライ・ラマ法王の写真を大ぴらに掲げていたという。
地震の後、ガレキの中に法王の写真を見つけ、拾い上げた中年の女性は、すぐに写真を頭上に掲げ、涙声で祈りの言葉を口づさんだ。
それを見た、周りのチベット人たちは次々とその写真を受け取り、同じように頭上に掲げ祈った。

これは、もうどの番組だったか忘れてしまったが地震後の映像の中で見たシーンだ。

RFAなどによれば、地震の後、街を走るタクシーのフロントガラスに大きな法王の写真が飾られていたりするそうで、それを見つけるとチベット人はみんなそのタクシーに向かって手を合わせるという。
商店のショーウインドーにも掲げられていたという話もある。
(そう言えば、、、この話を二日前のコメントに書いたら、それに対するドルマさんというチベット名を使われる中国の方と思われる方から、それは「インドのタクシーが、肉感的女優の写真とガネシュの写真を並べて貼っているのと同じです。」というコメントを頂いた)


火葬が行なわれた丘のそばには仏壇がある。
大きなテントが張られ、その中では僧侶と遺族が集まり、昼夜死者を弔う儀式が行なわれている。
その仏壇の一番上には大きなダライ・ラマ法王の写真が掲げられているという。

本当に法王がジェクンドを訪問されるということになれば、、、、
チベット中の全てのチベット人がジェクンドを目指すということになる。
これは間違いないことだ。

RFAを通じて法王のメッセージなどは全て現地に伝えられている。

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ジェクンド地震、チベタン・マスチフ救助?話題を変える。

ジェクンドはチベッタン・マスチフと呼ばれる、現在世界で一番高値が付く犬の産地としても有名だ。
このお犬様、もともとチベットの遊牧民が狼よけ等のために飼っていた牧用犬だ。
犬の古い原種の血を引くとかで、図体が大きく、まっくろ、首のまわりにはライオンのたてがみのようなふさふさが生える。
(でも、一般に性格は獰猛で、私は好きになれない)

地震このチベット犬が最近、中国の金持ちの間で、そのステータスシンボルの一つとして流行るようになったのだとか。
何とこのお犬様に彼らは数千万円払うという。
で、話は写真の説明だが、これらの証拠写真はウーセルさんの昨日付けのブログに載せられていたものだ。
http://woeser.middle-way.net/2010/04/blog-post_9700.html

地震写真はただ、、、ジェクンドの救援隊が人でなく、飼い主を失くした子犬を可哀そうに思い、家に持って帰って飼おうと思ったのか、、、、とにかく救助しているという場面を撮った(撮られた)ものだ。
ただ、問題は、この緊急時に人でなく、犬を救助して笑い合っているという所にあるというより、この子犬がまさにチベタン・マスチフだということだ。

被災地に送られた救援隊や軍隊の、数ある拾いものの内でのこの子犬は金塊を見つけたぐらい嬉しいことなのであろう。
チベット人は食う物がないので商店から食糧を借りたり、弾みで食糧を配る列を乱したりすると殴られ、中には逮捕され市内引き回しの刑にされる。
いつの時代になれば、中国で、このような人たちが罰せられるのでしょうか?

助けようとする僧侶を近づけない救助隊現場に真っ先に駆け付けたのは僧侶たちだった、という話はもう、世界中に写真や映像で広まっているが、ほとんどの中国人はそんなことは知らない。
中国のメディアには最初から、ちゃんとチベットの僧侶たちが働いているところを撮影しないようにと御達しが出ているからだ。

記録に無いものは無いというのが中国式だ。

今日のRFAの報告では、現地には「中国側の救援隊や軍隊、武装警官隊合わせて一万人強。
これに対し、カムを中心に集まった僧侶の数一万人弱」という。
ほぼ、互角なのかというと、一方は装備万端だが高山病で頭が痛い、動くと息切れがする、こんな寒いところに送られたことを恨んでいる。どうせチベット人と話しをしても通じないから関心もない。チベット族を不潔で遅れた民族だと思ってる。目的は宣伝だから、ビデオを撮ったらさっさと引き上げる。

僧侶たちは信頼され、頼みにされていることを知っているので、ただ命を救おう、苦しみを癒そうと一生懸命働く。
高山病なんて全くない。彼らにとっては平地だ。

そういえば、軍人たちの服装は最初から目立たないように迷彩色で、僧侶たちはもともと目立つように考えられた赤い僧衣を着る。
現場では自然に僧衣の方が目立つわけだ。

そうれにしても3万人の街に合わせて2万人の救助隊がやって来たと聞くと、今度は飢餓が起こらないかと心配になるほどだ。

それに戦場の瓦礫の上に立つ兵士たちではないが、実際何かの衝突が起こらなければいいがと思う。今のところ、僧侶たちはいくら嫌がらせを受けても黙って忍の行を実践しているようだ。

ジェクンド日曜日に胡錦涛主席が現地訪問を行なったが、この前の日ぐらいからやっと食糧やテントの配給が始まった。一気にドット来たようだ。
その前には僧侶たちの炊き出しが食うもののない人たちを主に助けていた。

外にはもちろん報道されていないが、RFAに入った電話によると、胡錦涛が現地に入る前の日に一団のチベット人たちが食糧や水を寄こせと叫びながら行進するという事件があったのだ。
武装警官隊に囲まれた後、衝突ではなく話合いが行なわれ、その後解散したという。

胡錦涛主席が実際に現地を視察した時には、沿道から何度か「食いものをよこせ!」「水をよこせ!」とか「お前に来てほしいわけじゃない」とかいうヤジが飛んだとか。
さらに、あるチベット人は胡錦涛主席が握手を求めて手を出したのにそれに応えなかったとか。
私が青海テレビで見た、胡錦涛氏がある学校を訪れた時、一緒にカメラの前に並んでポーズをとる子どもたちの表情が如何にもうっとうしそうだった、ということなどがあったようだ。

まだ人が埋まっているガレキの上には至る所に中国国旗が突き立てられた。

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ジェクンド 18.4.2010一つ不思議なのは、中国は現地がチベットの奥地で、高地で、言葉が分からないので、救援活動が遅れるし、効果的に行なえないと口実ともとれる話を繰り返すことだ。

まず、私に言わせれば、3700mはちっとも高くない。
ジェクンドはチベットの中では高い所にある町の内には入らない、むしろ低いぐらいだ。3700mで倒れるようなやわな隊員を連れていくなといいたい。

だめと判っているなら最初から酸素ボンベを多量に持って行けばいい。

ジェクンドには地震j発生時に700人の軍人がいたが、最初の日の夕方まで一切彼らは動かなかったという。
その後もなぜ、周辺のカンゼ、セルタ、ダンゴ等にいくらでも溢れている、高度順応ばっちりで言葉にも少しは慣れた武装警官隊、軍隊をすぐに救助に向かわせなかったのか?
手薄になると危ない、心配だというなら、順次新しいのを抜けたところに送ればいいしだ。

どうしても、省都の西寧から全てを送る出すところを撮影したかったとしかおもえない。
派手に大型輸送機が飛んで行く姿も流せるしだ。
被災地のすぐ近くには大型ジェット機が発着できる玉樹空港がある。
それでもジェクンドはチベットの山奥の僻地なのか?

確かに遠い西寧まで車で搬送される前に亡くなった重傷チベット人も多かったときくが。


以下、BBCの現地映像です。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8627206.stm






















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2010年04月19日

セルタで小学生30人が抗議の後、拘留される

TCHRD(チベット人権民主センター)の4月15日付プレスリリースによれば、
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20100415.html

(以下要訳)

カム、カンゼ・チベット族自治州セルタ(セタ・色達)ではここ数カ月の間に8件の個人やグループによる中国政府に対する抗議活動が行なわれ、逮捕者も出ている。

当センターに寄せられた情報によれば、4月8日、中国の公安は先に抗議活動により逮捕されていた二人の僧侶をトラックに乗せ、セルタ市内を引き回しにした。
この引き回しは、この地方では市民を怖がらせるために度々行なわれている。

報告によれば、公安は僧侶を引き回す間に、みんなが見ている前で二人に酷い暴力を加えたという。
引き回しのパレードがカル小学校にさしかかったとき、生徒たちは公安の僧侶に対する侮辱と暴力に抗議の声を上げた。
小学生たちは公安の車に石を投げ、スローガンを叫んだ。
公安の車のガラスが割れ、もみ合いの最中数人の公安がけがをしたという。
その後、小学生たちは学校の塀や先生の机の上にチベットの独立を求めるポスターを張った。

この騒動の後、カル小学校の30人の生徒が拘留された。
その多くは間もなく解放されたが、その内の10人は今もなお拘置されたままだという。
この10人については、親が「もう二度と子どもにこのようなことをさせない」という誓約書と、2000元の罰金を払わない限り解放しないと発表された。
子どもたちは今、セルタの公安拘置所に入れられている。

生徒の中でドンユと呼ばれる16歳になる小学5年生だけは学校を退学させられ、しつけが悪かったとして親には一万元の罰金が科されたという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

再び小学生が声を上げたという事件だ。
しかし、チベットの小学生(と言っても15歳ぐらいまで)は勇気があるね。
目の前にいる公安隊を恐れず?に石を投げるとわ!

小学生に石を投げられてもあたり前のようなことをやっているからだと思う。

市中引き回しと言えば、このジェクンド地震の後にもこの引き回しが行なわれたという。
引き回されたのは壊れた商店から食糧を盗み出したチベット人数人だ。
これを、現地に入った外人記者が報告しているのだが、彼はこれを見て、「まるで文化大革命の時代にいるようだ。こんな緊急時にそんなことをしている中国当局の気が知れない」と思ったそうだ。

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ジェクンドの地震犠牲者の火葬前回のブログの初めに紹介した写真サイトについて:
http://picasaweb.google.com.au/aenpokyabgon/AllKyegu2010EarthquakePhotos?feat=directlink#
一つだけ説明を加える。
写真の中には火葬にされる前の遺体が沢山写っている。
これらの遺体のほとんどが裸であることについて、違和感や非難の感覚を持たれる方もあるのではないかと危惧して一言。

遺体を回収した僧侶たちは最初、遺体を鳥葬にするつもりだった。
しかし、結局禿鷹の数に対し死体の数があまりに多すぎるということで、鳥葬を諦め火葬にした。

鳥葬場に持って行く前に遺体は裸にされ、布にくるまれる。
だから遺体は裸なのだ。

それにしてもこの仕事を引き受けた僧侶たちはすごいと思う。

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追記

犠牲者の数1944人と発表された。

123時間後、奇跡的に4歳の女の子と年配の女性が救出された!

まだ、瓦礫の中には生き続けている人たちが必ずいる。

中国当局は明日の20日までに被害調査を終了すると言う。


青海省当局は今日、今回の被災地ジェクンド全体を移動させ"plateau ecological tourist centre"に変えるという計画を発表した。
http://jp.f301.mail.yahoo.co.jp/ym/ShowLetter?MsgId=4013_32034228_4398938_4707_1711_0_173909_3311_1612280786&Idx=2&YY=90625&inc=25&order=down&sort=date&pos=0&view=a&head=b&box=Inbox
















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