2011年06月

2011年06月29日

雲南省北部旅行その2:麗江編

DSC_0171写真は麗江(リージャン)の象徴ともなってる大水車。とにかく漢人観光客の多い町。中国人の特徴は写真を撮るときほぼ必ずポーズを取ること。写真に写ってるお姉ちゃんはスカートを広げてる。

まず旅行人ノートの麗江の説明「麗江ナシ族自治県の県府。独特の文字(トンバ文字)をもつナシ族が多いことで知られている。海抜2400mの高地にあり、夏でも涼しい。街の北側には玉龍雪山(5596m)がそびえ、天気の良い日には街からのはっきりとその雄姿をのぞむことができる。南側にある旧市街「麗江古城」は世界遺産に登録されている。」

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2011年06月28日

ウーセル・ブログ「白塔寺で傷ついた仏像を見た」

005写真左:24日付けウーセル・ブログより。文革時、ラサ、ジョカン(大昭寺)中庭に破壊され放り投げられた仏像等。

以下、6月22日付けウーセルさんのブログ。
原文:http://goo.gl/1jA3N
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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◎白塔寺で傷ついた仏像を見た/在北京白塔寺看见残缺的藏传佛像

文/ウーセル

 「北京の古い街並みは戦争と中国現代史の革命を生き延びてきたが、五輪が運命を決めてしまった。ブルドーザーと開発業者はすでに広い皇城を破壊した」。タイムズは3年前にこう書いていた。ある中国人建築家は発展を追い求める北京を「歴史的文脈を失った都市」だと考えている。しかし、今も残る旧跡では、チベット仏教の貴重な宝を至る所で見ることができる。私がこのまちで数年暮らし、少しずつ見つけたものだ。続きを読む

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2011年06月27日

北雲南省旅行:大理編

DSC_1152写真1:聖山カワカルポ(6740m)、5日目の夕方やっと頂上を拝む事ができた。

最近、久しぶりに中国を旅行。
バンコクから昆明に入り、北に向かった。もっとも、12日間だけだったので、チベットの南端をかすめただけで帰らざるを得なかった。今回はチベットの南の聖山カワカルポ(梅里雪山)内院までトレッキングすることで満足することが目的。
本当はもちろんリタン経由でカンゼ州をいろいろ回りたいと思っていたが、ちょうど出発前にその辺りはンガバ問題が故に外人入域不許可と聞いていて大人しく遠慮したのだ。もっともギェルタン(シャングリラ、香格里拉)で北のカンゼやリタンから下りて来た外人に出会った。白人が旅行できてたということだから黄色人種の私などは軽く行けた訳だと、少し悔しくもあった。もっとも今回は2週間のエントリービザだけだったので時間が無かったわけだけど。
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2011年06月25日

カンゼで抗議デモ頻発

1806aンガバ・キルティ僧院への当局による弾圧が続いている中、今月に入りカム、カンゼで僧侶・尼僧による中国政府に対する抗議デモが続いている。21日にはこれに連帯を示すためにラサのパルコルでも1人のカンゼ出身の若い僧侶による抗議デモも行われた。続きを読む

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2011年06月22日

続TCV創立記念日(2008年)

f2a9e024再掲:2008年10月26日分

法王はこの日「中国との対話」について重要な発言をされた。

「私は長らく中国に対し心から中道路線を貫き努力してきた。しかしこれに対し、今まで中国が肯定的な反応を示したことはない」と語り。
「個人的にはもう(この路線を)諦めている」とそっけなく言われた。

続けて、
「チベットの問題はチベット人600万人の問題だ。私だけの問題ではない。だから、私は政府に対し、真の民主主義を示すためにも、将来の行動計画を決定するために広く多くのチベット人を集めて話合うことを提案したのだ」と話された。

ーーー

今月終わりに「中国との第8回会談」が予定されている。
しかし、まだ実際に行われるかどうかはっきりしていないようだ。
その時期にこのような発言をされたのは、、、、
本当にもう「相手にされないのならもう会っても仕方ない」と諦められたのか?

ーーー

他、学生に対し、「チベットが生き残ることは、チベット人だけでなく世界の人々のためになるのだ。愛と慈悲を中心とするこの文化は世界に貢献できる。だから生き残らないといけない。と、このように思えるようにならないといけない。中国のように物質的繁栄ばかり求めて、その中で人々の心はどうなって行くのか?本当の幸せは決してやってこない。心の教えは彼らにも必ず役に立つ」

「我々の戦いは真理の裏付け、支えがある。だからその行動には正しい理があり、従って勇気をもって行える。これに対し、中国のように嘘つき者の行動には理が無い、従って勇気もない」

「非暴力の戦いには知がいる。仏教的知識だけではなく、特に世俗の知識が必要だ。心だけでは戦えない」


等々語られた。

ーーー

ところで、昨日はTCVまでバイクの後ろに14歳のツェリン・ノルブを乗せて行った。
ツェリン・ノルブは数か月前のNHKで放映された、「ヒマラヤを越える子供たち」の中でフィーチャーされていた子供だ。スジャスクールから許されて法王を見るためにダラムサラに来た。今年の冬に亡命してきたばかりの彼。まだまだ全くの遊牧民の子供だ。でも勉強は頑張っているようだ。今までの試験の用紙を私に見せながら、「最初の試験でクラスで二番、この前のは一番だったよ。もうすぐ最後の試験がある」と顔を紅潮させて話す。

「この前両親と電話で話ができた。二人とも元気だった。今はまたラサを引き払ってナクチュの田舎に帰ったという。自分が子供のころデブンで僧をしていた時、世話になったおじさん(28歳位)が逮捕された。今どこにいるかわからないという。噂で、もう殺されたと言われたこともあったらしい。それで彼のお父さんは心痛で死んでしまったと聞いた。自分もとても心配だ」と、いう。

私は「確かに三大寺の僧侶は1000人ぐらい捕まり、700人ほど解放された。まだ、帰っていないとしたらアムドにいる可能性が高い。でもまだ誰かが殺されたという話は聞いてない。だから大丈夫だもうすぐ帰ってくるよ」となだめた。

夕食のとき、兄弟の話になった。
「本当はもう一人下に女の子が生まれていたけど小さいとき死んだよ」
「病院とか近くに無いのかな?」
「田舎の家から医者がいるとこまでは馬で二時間走らないといけない。1人の医者がいろんなとこに往診に行くから、見つけるのは大変なんだ」
「医者はチベット人なの?中国人なの?」
「チベット人だよ」
「いい人かい?」
「とてもいい人だよ。でも薬はたくさんもってない。いろんなところに呼ばれていつも馬で走って行く」
「手術とかすることもあるの?」
「簡単なのはするけど。大変なのは大きな町に送るよ」

ーーー

田舎の草原を馬で駆けながら、患者を助けるために働いているチベット人医師がいるのだ。


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2011年06月21日

「チベットには自由も基本的人権もない」このように訴え一人の少年が自殺

36a549bf再掲:2008年10月31日分

October 28, 2008緊急委員会プレスリリースより http://www.stoptibetcrisis.net/pr281008.html
翻訳:K女史

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信頼できる情報筋によると、2008年10月18日午後4時ごろ、青海湖に近い、黄南チベット族自治州チェンツァ地区の中学校に通う一人の生徒が、チベットには自由も基本的人権もないことを訴えるため、自殺した。

タシ・ナムギャル・ツァン氏の子息である17歳のルンドゥブは、3階建ての学校の屋根から飛び降りて自殺した。ルンドゥブはチェンツァ地区に一年間住んでおり、二年後には高校へ進学する予定だった。非常に礼儀正しく、クラスの中でも最優秀グループに入っていた。


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2011年06月20日

ンガバ・キルティ僧院僧侶50人が撲打される(2008年9月)

11101574ンガバのキルティ僧院はかねてより当局の弾圧の対象となって来た。その理由として考えられるのは:
1、キルティ僧院はアムド地方で30近い支院を持ち、もっとも多くの僧侶を抱えるゲルク派の僧院。ンガバはその拠点。
2、全体のボスであるキルティ・リンポチェは亡命しダラムサラに居られる。ダライ・ラマ法王とも親しい関係にあり、嘗て亡命政府の宗教・文化大臣を歴任した。
3、ンガバは中国による侵略の後、凄惨な虐殺を繰り返し経験して来た。よって住民もキルティ僧院の僧侶たちも反中国の感情を強く持っている。ーーー等である。

以下、このキルティ僧院に関わる2008年9月に起こった事件。

再掲:<アバ、キルティ僧院僧侶50人が武装警官により暴行を受ける>

参照:http://p.tl/BLUe

フリー・チベット・キャンペーンが確かな筋からの情報として伝えるところによれば、
9月24日、アムド、アバにあるキルティ僧院の僧侶50人が武装警官隊により激しい暴行を受け、内4人は重傷を負い病院に運び込まれた。

アバは今年3月16日のデモ以来厳戒態勢の下に置かれている。
このときのデモでは、当局が群衆に向かって発砲し、目撃者の証言によれば少なくとも30人が死亡したという。
(たくさんの犠牲者の死体写真がダラムサラにもすぐに送られて来た)

事の起こりは、まず一人のキルティの僧侶が、外出許可を受けて外出し、夕方帰る途中警官に止められた、彼はその場でリンチにあった。
血まみれでやっと僧院にたどり着いた。

事情を知った仲間の僧侶50人ほどが直ちに近くの警察署に向かった。
僧侶たちは警察署で「なぜ僧侶を殴ったのか?」と聞きただした。
「それについては上司と話ができるように取り計ろう」と警官は答えた。

そうこうするうちにその場に武装警官隊を満載したトラックが2台到着した。
僧侶達は何も抵抗しなかったにも拘らず、警官隊は直ちに僧侶たちに襲い掛かり、全員を打倒した。
内4人は激しい暴行の末、重症を負い病院に運び込まれた。
その4人は僧院長を含む僧院の責任者たちである可能性が高いという。

アバには普段2000人の保安部隊が駐留しているが、3月以降にはそれが10000人増強されている。




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2011年06月19日

獄中で抵抗歌を歌い刑期延長、リンジン・チュキの証言

74ee99d2右がチュキ。左の女性はチュキと同じ時に収容されていたミチュリン僧院出身のフンドップ・サンモ。一緒に立会い、インタビューの補足をしてくださった。

再掲:2008年9月23日分

かつてダプチ刑務所で抵抗の歌を歌い刑期を延ばされた尼僧として、ガワン・サンドルさんは世界的に有名だ。その時歌ったのは14人だった。ガワン・サンドルさんは今アメリカに居られてダラムサラにはいない。14人のうちの2人がダラムサラにいる。その内の1人チュキは今9−10−3の学校に通う生徒だ。ルンタの中に住んでいる。

2人に話を聞く積りだったが、時間がなくてまずは1人チュキに話を聞いた。
以下は同席したT女史がまとめてくださったものだ。

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*リンジィン・チュキ 37歳の証言*

初めて私の前に現れたチュキラは、とても小柄で可愛らしい雰囲気の人だったので、彼女が過酷な拷問をされたことなど信じられなかった。けれども、片足を引きずる姿がその事実を物語っていた。

以下は、ガワン・サンドル(ひとつ前の日記を参照ください)と同じダプチ刑務所で歌を吹き込んだ尼僧の1人、リンズィン・チュキさんの証言です。続きを読む

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2011年06月18日

ナンパ・ラを越え吹雪に遭い凍傷で足先を失ったニマ・デキの話/4人の女の子が亡くなりました

60b40de0再掲:2009年3月29日分

昨日26日、N2と二人でナンパ・ラ(峠)を越え、足の指を凍傷で失った一人の女性を訪ね、話を聞きました。
彼女の他、もう一人同じく足の指を失った女性、両足を膝下から失った僧侶にも話しを聞きました。
近いうちに報告するつもりです。









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2011年06月17日

ヒマラヤ死の逃避行 その2/峠で中国兵に逮捕されたジャミヤン少年の証言

0cbde4ae再掲:2008年6月16日分

昨日の続き。

その学校で会った同じヒマラヤ越えをした6人の学生のうち、ジャミヤン・サムテン当時17歳は寝過し道に迷ってしまったグループにいた。絵はジャミヤンに書いてもらった拘置所と拷問道具、涙を流す彼。

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以下彼の証言:

33人はガイドもいなくなり、道も定かでなくどうすれば良いのか判らなかった。
そのままそこに寄り添ってガイドが帰ってくるのをあてにして3日留まった。
3日後現れたのはガイドではなく、中国兵だった。
彼らは威嚇のためか廻りに銃を発射した。

全員捕まった。
山を下され、タシゾンの軍の駐屯地に連れていかれた。
そこで、中国兵たちの食事のあまりが与えられた。続きを読む

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2011年06月16日

ヒマラヤ死の逃避行 その1



再掲:2008年6月15日分

皆さんの中にはヒマラヤを越えるチベット人の一団に中国兵が発砲し、チベット人が倒れるというシーンを捕らえた貴重な登山隊の撮影フィルムをご覧になった方のおられることでしょう。(上のyoutubeはその1バージョン)

そのグループにいた6人の子供たちに会ってその時の話しを聞いた。

子供と言ってもこの子たちはその時16,7歳現在18,9歳の子供たち?ばかりだった。
その他もちろんもっと小さな子供もグループのなかにはいたが、取りあえずこの学校に居る子は6人だった。

彼らは全員もういろんなとこに出ているので、本名を出しても良いとのことでした。
前回のガワンと違ってもうこちらにきて2年経ったからであろう、何でも話すよと言った風だった。
彼らは2006年の9月初めにチョウオユウの左肩にあたるナンパラ(ナンパ峠)を越えようとした74人の中にいた。
6人の氏名は:
1)ドルマ・ペキ  18歳 女 カム・チャムド出身
2)ソナム・チュンジェ 18歳 女 カム・チャムド出身
3)ジャミヤン・サムテン 19歳 男 カム・チャムド出身
4)テュラム・ロテュ  19歳 男 カム・チャムド出身
5)ガンツォ     18歳 女 カムチャムド出身
6)ダドゥン     18歳 女 ラサ近郊 ロカ出身

最初はみんな一緒になって話しを聞いていたのだが、状況が判った後、実際に目の前で尼僧が撃たれるのを目撃したガンツォともう一人逮捕されシガツェの拘置所に二か月間拘留され、拷問を経験したジャミヤン・サムテンに特に話を詳しく聞くことにした。
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2011年06月15日

劉暁波氏の最後の陳述「私に敵はいない」、日本語全訳

595713972010年12月12日付け当ブログより再掲

12月10日のノーベル平和賞授賞式で代読された、劉暁波氏の最後の陳述、「私に敵はいない」の日本語全訳を掲載する。

@yuntaitai(雲南太郎)さんが私の依頼を快く受け入れ、原文より翻訳して下さった。

中国語原文は:http://p.tl/Tv4r

写真はウーセルさんのブログより。

彼はこの文章を書いた2日後に「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年の判決を言い渡された。

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「私に敵はいない 最後の陳述」

 50を過ぎた私の人生で、(天安門事件の起きた)1989年6月は大きな転機だった。

 文革後に復活した大学入試で私は最初の大学生(77年入学)になり、修士課程、博士課程まで学業は順風満帆だった。卒業後は北京師範大学に残って教員を務め、教壇ではとても学生に歓迎される教師だった。同時に公共の知識分子でもあり、大きな反響を呼んだ文章や著作を80年代に発表してきた。頻繁に各地の講演会に呼ばれ、欧米に招かれて客員研究員になった。
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2011年06月14日

ダライ・ラマの仏教講座/TCVホール(2010年)

c2af902eちょうど一年前のエントリーを再掲


できれば日曜版として昨日載せるつもりだった、仏教シリーズ?の一つ。

以下、6月2日TCVホールで行われた、ダライ・ラマ法王のチベット人学生を対象とした「仏教概論講座」の一部を訳したもの。

法王はこの日、二つの偈を基に仏教を要約して説かれた。

最初の一偈
སྡིག་པ་ཅི་ཡང་མི་བྱ་ཞིང།
དགེ་བ་ཕུན་སུམ་ཚོགས་པར་སྤྱད།
རང་གི་སེམས་ནི་ཡོངས་སུ་འདུལ།
འདི་ནི་སངས་རྒྱས་བསྟན་པ་ཡིན།

不徳な行ないを一つも為さず
徳を円満し
己の心を完全に統御する
これが仏の教え

このお経འདུལ་བ་ལུང་རྣམ་འབྱད།の一節を解説することで、修行の要点を要約された。
(この部分略)
次の一偈に入り、以下のように説かれた。

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ではどうやって心を制御すべきかと言えば。
「縁起の見解に依り、根本から心を制御すべき」と説く。
そこで、
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2011年06月13日

ンガバ・キルティ僧院僧侶トゥサムの自殺(2008年4月)

再掲:2008年4月23日分。

22日付委員会プレスリリースPress Release 22nd April 2008 http://www.stoptibetcrisis.net/pr220408.htmlより。

4月16日アムド、ンガバ・キルティ僧院の一僧侶トゥサム29歳は、今回の中国によるチベット人に対する弾圧からくる極度の緊張に、これ以上耐えられない、と言って自殺した。
彼は元々目が悪かった。死ぬ前に彼は親戚の一人に次のように語ったという。

「ちゃんと目の見えるチベット人でさえ、中国によって打ちのめされる今のチベットの状況に誰もが耐えがたい思いを抱いている。私は目が見えないけれど、目が見える人と同じか、それ以上に耐え難い思いを抱いているのだよ」と。

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私が今までに見聞きした情報だけで、自殺者の数は20人を超える。

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2011年06月12日

ダライ・ラマ法王<すべての中国人の精神的同胞へのアピール>(2008年)

DSC_4670再掲:2008年4月26日分。

発表:2008年4月24日
翻訳K女史

今日私は、中華人民共和国の内外のすべての中国人の精神的同胞の皆さん、特に釈尊の信奉者である方々に、個人的に呼びかけたいと思います。私は一介の仏教僧として、そして我々が心から尊崇する釈尊の教えを学ぶ者として、この訴えを行います。中国人の一般市民の皆さんへは、すでに呼びかけを行いました。今回私は、信仰を持つ同胞の皆さんに向けて、急を要する人道上の問題についてアピールしたいと思います。


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