2011年12月

2011年12月31日

ブッダガヤのカーラチャクラ法要 その2:インド人とカルマパ僧院編

_DSC8072ブッダガヤに来るのは30数年振り。もちろん驚くべき変化。ガヤからタンガ(馬/ラバ車)に揺られてのんびり到着した今から比べればほぼ空っぽの静かだった聖地、の面影はまるでない騒々しい町になっている。
それでもちょっと離れた場所にある宿の周りには昔ながらのビハールの田舎が広がっている。ブッダガヤもチベット人がこれほど頑張ってなければこれほど騒々しくはいなかったと思う。

最初の写真は宿の前の道を行く可愛い現地の女の子。

_DSC8092ビハールの典型的な風景。水牛の親子とおやじと牛糞乾燥中の壁。続きを読む

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ブッダガヤのカーラチャクラ法要 その1

_DSC8271ブッダガヤ大塔本尊ブッダ尊降魔成道像。1880年大塔修復の際にビシュヌ派のマハンタ教主の邸内にあった最大の仏像をここに安置したとされ、当初のものではないが、非常に美しい。

2日間ダラムサラから列車に乗り29日にブッダガヤに着いた。1日から始まるダライ・ラマ法王によるカーラチャクラ灌頂に参加するためだ。灌頂やその前行であるティーチングに付いてはおいおい報告することにして、今日は2日間、この当たりを歩いて撮った写真を紹介する。

_DSC7925カーラチャクラ灌頂の会場。
法王がインドでカーラチャクラ灌頂を行われる時には毎回大勢のチベット人が集まるが、特に今回は今までで最大の集会となるらしい。予測20万人!

テントが張ってある会場を見渡す限り、ここに20万人入るようには見えない。溢れて外で聞く人もいると思われる。それにしても20万人はすごい数である。インドに住むチベット難民は10万人しかいない。もちろん多くのチベット難民も集まるが、その他インドのアルナチャル・プラデッシュ州の仏教徒、シッキムの仏教徒、ブータンの仏教徒、ネパールの仏教徒が大勢集まる。もちろん外人も多い西洋人に日本人、中国人等のアジア人、モンゴル系ロシア人等。その上今回はいろんな困難にも関わらず本土チベットからの参加者が1万人近く集結している。

_DSC7936インドのアルナチャル・プラデッシュ州とブータン東部を主な居住地とするモン族の女性。チベット語ではモンパ。モン・タワンとも呼ばれる。
その特徴的な髪型というか元祖ドレッドへヤーのような鬘により特に目立つ。インドで行われるカーラチャクラにはとにかく普段あまりお目にかかれない民族に会えるというのもその魅力の一つ。

その中心の町タワンはチベットとの国境にあり、ダライ・ラマ法王が1959年に法王が中国に侵略されたチベットを逃れ、インドへ越境した国境の町でもある。

またこのタワンはそのユニークさで名高いダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャツォが生まれた場所でもある。
今回のカーラチャクラ灌頂は最近航空機事故で死亡した、熱心なチベット仏教徒でもあったアルナチャル・プラデッシュ州州知事の生前の意思を継ぎ、その遺族が主な施主を務めるというもの。そのせいもありアルナチャルの人が大勢参加している。続きを読む

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2011年12月26日

カルマパ「中国の軍人も同じ人間である」と



カルマパがミラレパの詩歌を唱える(歌う)というビデオ。残念ながらどの詩歌か同定できず、意味はお伝えできない。まずは、その声だけを味わってほしい。

以下、25日付けRFAチベット語版よりhttp://p.tl/dJiq

カルマパは中国の軍人も同じ人間であると述べられた。

17世カルマパ・ウゲン・ティンレー・ドルジェ師は先週土曜日(24日)、デリーでカルマ・カギュ派立宗900年祭を取り仕切られた。これは1世カルマパであるドゥスン・ケンパが1110年に宗派を創設して900年経った(実際には今年で901年)ということを記念する儀式であった。

この時のスピーチでカルマパは「愛と慈悲の心」を説く話の中、2000年初頭に中国(チベット)からインドへ亡命するために、秘密裏にネパール国境を越えたときの話をされた。

「馬に乗り国境を越えるとき、自分も従者も中国の軍隊に見つかるのではないかと非常に怖れ、彼らをまるでお化けか悪霊のように思っていた。しかし、その内、私は彼らも同じ人間に違いないと思う事ができるようになり、怖れを克服する事ができるようになった」と語られ、「我々がもしも仏教を行じることで、(害を及ぼす)他人を敵と思わず愛と慈悲を起こし、見方を変えるならば、自他ともに大きな利がある。人間同士の利害の対立も必ずや少なくすることができる」と話されたそうだ。




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2011年12月25日

ンガバで新たに判決

Donri-305写真は最近刑期を言い渡された僧ジャミヤン・ニマ(RFAより)

ダラムサラ・キルティ僧院の情報係り僧カニャック・ツェリンからアムド、ンガバの近況を知らせるメールが昨夜入った。1人の元キルティ僧院僧侶に刑が言い渡されたという。

11月29日、ンガバ県の中級人民法院はツェリン(26)に5年の刑を言い渡した。ツェリンはンガバ県チャ郷ラルワ村ロリ家の息子(གཅའ་ཞང་རྭ་རུ་བའི་བློ་རིས་ཚང་གི་བུ་ཚེ་རིང་)。父ロリ、母チュキョン・ツォ。

彼は幼い時にキルティ僧院で僧侶となったが、2007年に還俗。その後、家族の遊牧を手伝っていた。2008年3月にチャ郷で行われた抗議デモに参加。その後、逮捕を怖れ逃亡生活に入った。しかし、2010年4月頃ンガバのレストランで逮捕された。逮捕後、1年半以上そのまま拘置されていた。

彼が逃亡した後、警官は彼をデモの首謀者だとして、執拗に後を追っていたという。

メールの中にはさらに、今年3月以降拘束されているメウルメ郷のゲリックやキルティ僧院僧侶ジグメ等が判決を受けずそのまま拘留され続けていると付記されている。

その他。23日付けRFAチベット語版http://p.tl/NkQJによれば、2008年のデモに参加したとして、ドンリ・キルティ僧院の僧侶ジャミヤン・ニマ(གདོང་རི་ཀི་རྟི་དགོན་པའི་དགེ་འདུན་པ་འཇམ་དབྱངས་ཉི་མ་)ら4人に刑期が言い渡されたというが、あいにく私がアムド語放送分をよく聞き取れず、詳細を伝えることができない。

追記:以下@uralungtaさんが中国版より補足して下さったもの。

このほか「チベット・エクスプレス」の報道によれば、2008年にンガバ地区で抗議活動に加わったキルティ寺ディルゴ・ダツァン*1の僧侶ジャムヤン・ニマ(別名チェンガ*2)ら数十名が中国共産党当局により身柄拘束されていたが、ジャムヤン・ニマ1人がいわゆる組織的活動計画活動者や国旗侮辱罪などの罪名を被り、他の僧侶には重罰は下されなかったという。

ジャムヤン・ニマは正式な裁判を受けることなく懲役2年の実刑判決が言い渡され、四川省綿陽市にある刑務所で服役した。伝えられるところでは、ジャミヤン・ニマは昨年、刑期満了により既に釈放されたものの、依然として当局の厳密な監視下にあるという。

*1原文は「顶果院(扎仓)」。顶果は英字表記でDilgo、扎仓(ダツァン)は堂のことか
(ルンタ注:チベット語版ではドンリ・キルティ僧院(付属)ゲデン・ダムチュリン(<僧院名)གདོང་རི་ཀིརྟི་དགོན་དགེ་ལྡན་དམ་ཆོས་གླིང་ となってる)
*2原文「成戈Cheng Ge」、僧院に上がる前の俗名(中国の身分証上の戸籍名)なのか、中国名(漢人ふうにつけられた通称名)なのかちょっと不明。(成・戈という中国人名はありうる)
(ルンタ注:俗名かあだ名と思われるがチベット語からはティン・ゴའཕྲིན་ཁོ་)



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2011年12月23日

チベット各地で独立を求めるチラシ タルタン僧院大火災 その他

_DSC753520日、ティーチング2日目の法王。

この数日間、チベット本土からはこれと言った大きなニュースは入らず、ブログもアップしなかった。だからと言って、もちろんチベット人が抵抗を諦めたという訳ではもちろんない。今回はツイッターには載せたがブログにはまだ書いてなかったチベット本土のニュースその他やガンデン・ンガムチュの写真等を紹介する。

まず、本土チベット人の抵抗運動の話。チベット独立を求めるチラシが撒かれたという話が3件入っている。19日付けTibet Express http://p.tl/Ci62によれば、16日、カム、(チベット自治区)ソクゾン(索県)ソクツェンデン僧院に愛国再教育チームが来て僧侶たちに教育資料を沢山手渡した。夕方、その紙の裏に「チベット独立」と書かれた紙が見つかった。今、大勢の役人と警官が僧院に詰めかけ、犯人を捜索中という。

_DSC758420日ティーチングが終った後ガンデン・ンガムチュということでジェ・ツォンカパを追慕するツォ(供養会)が行われた。この時、加持されたお菓子や果物が多量に参加者に配られる。写真はその特別の加持力を持つバナナにさっそく食らい付くチベットから最近来たおばあさん。

チラシ2件目:18日付けRFAによれば、アムド、ゴロでチベット独立と法王の帰還、チベット人の団結を求める多量のチラシが町の内外で発見され、警備が強化されたという。最近の話というが、詳細は不明。

チラシ3件目:23日付けTibet Express http://p.tl/Boy6 その他によれば、20日(RFAによれば19日)の夜、カム、デゲ(デルゲ)で街中や周辺に多量のチラシが撒かれた。チラシの中には「チベット独立、法王の長寿、法王帰還」を求めると書かれていた。次の日の朝、これに気付いた役人たちが総出でチラシを回収し始めたが、チラシは電柱や壁にも貼付けられており、数も多く、10数人の役人だけでは回収しきれなかったという。今のところ、犯人が見つかったとか、特に警備が強化されたという話は入っていない。続きを読む

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2011年12月20日

ウーセル・ブログ「ラサ?ラサ!」

ラサの厳戒態勢は益々強まる気配はあっても弱まる気配はない。昨日ツイッターでラサの1人のチベット人は「今、ジョカンの前に2000人ほどの武装した軍隊と警官隊が整列している。チベット人を怖れさせるためだ。私は寺の前で思わず涙が溢れてしまった」と書く。

最近亡命したチベット人の話によれば、「今、ラサにカムやアムドから巡礼に来たチベット人が次々に拘束され、ラサ近郊のラクツェル・グンタンの刑務所(ལྷག་ཚལ་གུང་ཐང་བཙོན་ཁང་)に送っている。すでに50人が捕まった」という。>http://p.tl/GDCZ

ラサはチベット全土の中でももっとも厳しい厳戒態勢が敷かれている場所だ。町には武装した軍人や警官が溢れている。ウーセルさんは10月22日のブログでチベット人たちがこのような厳しい環境のラサを捨て成都等に移動しつつあるという悲しい話を書かれている。

当局はラサを完全に中国人の町にすることを目論んでいるかのようだ。

原文:http://p.tl/GOZw
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

写真は全てウーセルさんのブログより。写真の説明は3枚目まで:セラ僧院の壁画に描かれた尊者ダライ・ラマ。工作グループの求めにより、信徒や旅行者にダライ・ラマだと気付かれないよう、ひげを描き加えられた。しかし、このお年寄りはダライ・ラマの壁画だと知っており、警察が監視していたが深々と拝んでいた……。2010年3月30日、ウーセル写す。
4枚目:2011年10月9日、ラサでウーセル写す

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002◎ラサ?ラサ!

改革開放の時代、ラサはチベット人エリートの誰もが憧れる場所だった。大学卒業後、北京や上海などの大都市に残れるにもかかわらず、にぎやかさとは程遠かった当時のラサで働き、暮らすことを選んだ若いチベット人を何人も知っている。私が1990年の春にカムから生まれ故郷のラサに戻ると、チベット文学芸術界連合会の同僚にもアムドのチベット人がいた。

その頃のラサは磁石のように各地のチベット人を引き寄せた。アムドとカムの商人は次々とラサにやって来たし、僧侶もラサを巡礼し、伝統に則って3大僧院で修行した。ラサは各地のチベット人に中心地と見なされ、家を買って定住し、戸籍を取りたいと思われていた。当時も様々な問題はあり、鎮圧に遭った抗議運動が3年続けて起こっていたが、今に比べればまだ多くの居場所と可能性があり、相対的に見れば自由でゆとりのある街だった。

今は違う。ラサ人に嫁いだ娘を訪ねたカムのある父母は、娘が銃口の下の都市に暮らしていたため、別れ際に深く悲しんだ。街頭には兵士があふれ、仏法僧は冒涜され、聖地だったラサは人々が無意味に過ごし、堕落するだけの汚れた暴虐の地に変わった。

001ラサ市民ではない僧侶がラサに行くには証明書が必要で、持っていなければ街道の検問所を通過できない。各地のリンポチェたちもラサを避け、漢人の土地に行くようになった。ラサの地元僧侶は注意深く振る舞い、街に出る時はなるべく私服を着る。ジョカンを中心とする旧市街では、銃を持った特殊警察が袈裟の僧侶や民族衣装の青年を好き勝手に遮って尋問し、名前を記録する。ラサに住むリンポチェたちは参篭するかのように出来る限り外出しない。チベット人同士であってもお互いに注意が必要で、親戚にも腹を割って話そうとはせず、誰かが警察のスパイか密告者だろうと恐れている。外国人はかつてないほど減っている。旅行者は多くの制限を受け、大多数の外国の基金やNGOは追放された。

003チベット人の企業家たちは事業を縮小したり、他省のチベット地域や中国の都市に移ったりしている。たとえ漢人地域の気候や言葉、暮らしに適応できないとしても、少なくとも恐怖感は減らすことができるからだ。2008年以降、多くのチベット人の成功者が刑罰を受けて牢獄に入り、チベットの商人や企業家はみな恐怖心を抱いている。明日のことは誰にも分からず、何十年も頑張って貯めた財産がでっち上げの罪名によって一夜で消えるかもしれない。ある企業家は仏教の無常思想を使って話した。「人間はアリのように少しずつ運び、蓄える。ようやく蓄えた財産は熊の腕の一振りで台無しになる。自分の財産だけではない。民族が数百年、数千年をかけて積み上げてきた財産も、共産党が来てすっかり無くなったではないか!」

004ほかの土地に比べて各方面で大きな困難があるため、ラサの求心力は弱まりつつあるようだ。例えば大多数のチベット人にとって、パスポート取得は夢のように難しい話になっている。聖山カン・リンポチェを巡礼するにしても、辺境通行証の手続きは容易ではない。ラサでは少なからぬマンションや住宅が建てられたが、入居者がいないまま放置されている例も多い。以前はアムドやカムのチベット人がラサで家を買ったが、現在ではラサなどウーツァンのチベット人は成都で家を買う。成都で家を買ったチベット人は20万人いると言われている。彼らの一部は元々ラサに不動産を持っていたようだが、恐怖の影の下で暮らすのを拒んだという。

もちろん、ほかの省もチベット人を弾圧しているが、ラサに比べればまだ規制は緩い。それは小さな事柄からも分かる。7月末から8月初めにかけて青海省や四川省のチベット地区を訪ねた時、僧院や一般家庭で堂々とダライ・ラマの写真を飾っているのを見た。取り締まる能力も無く、より大きな反抗をひき起こすのを恐れているため、地元政府はかつての厳禁から見て見ぬふりへと態度を変えている。しかし、こうした妥協はラサでは見られない。一部の僧院の壁画に尊者ダライ・ラマの姿が描かれていたが、工作グループの要求でひげを描き加えられた。信徒や旅行者にダライ・ラマだと気付かせないようにするためだ。

2011年10月13日 ラサにて

(RFA特約評論)

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AhHhczwCAAEfg2t追加写真:今夜のラサ、ジョカン前。
「大昭寺燃灯。人山人海。特警也多。公安也多。警察也多。百姓更多。」とのこと。









AhHnfNMCEAAFRRLウーセルさんがツイッターに上げられた写真。ガンデン・ンガムチュ(ジェ・ツォンカパ命日、灯明祭/万灯会)、ジョカン前。

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ロシア人リクエストによるダライ・ラマ仏教講義

_DSC7367今日(19日)から3日間、ダラムサラのツクラカンではロシアグループのリクエストによる法王のティーチングが行われる。

今回はロシア人1600人が大挙して小さな町に押し掛け、町がロシア人だらけになってる。ロシア人と言っても、中心はモンゴル系のブリアート共和国、カルミック共和国、トゥバ共和国の人々。一様にずんぐり体系で丸顔、色白。これに加え最近ブッダガヤのカーラチャクラ目当てもあってチベット本土から来た人が1500人あまり参加。ツクラカンとその前庭を合わせ、ほぼ収容能力一杯の総勢約7000人がぎゅう詰め状態で座っていた。

_DSC7314朝9時半、法王がパレスからツクラカンにお出まし。最初ブリヤート語で般若心経が唱えられた。

法王、初めにチベット本土から来た人々に対し以下ような話をされた。
「今日は、チベットからのサンジョル(最近来た人たち)が1000人以上も参加されている。あなた方が今日の教えの主な対象者だ。なぜかというと、皆さんは自分の土地に住んでいるのに自由がない。自由がないだけではなく、チベットの仏教と文化を信仰し喜ぶことは、少々まずいような雰囲気があるようだ。中国側のものでなくチベット側のものを好むとまずいようなところがある。そうじゃないかな?」

_DSC7264「それだけではなく、1959年以前にはチベットの3地域に沢山の知識と善行双方を備えた宗教者が沢山いたが、ほとんど亡くなってしまった。少しは残っていたがこの人たちも亡命したりして、今ちゃんと経典を解説できる人は本当に少なくなってしまっている。解説しようとしてもその機会を当局に禁止されたりする。地域によってはまだ大丈夫なところもあるようだが、ほとんどの地域で仏教を説くことが困難な状況下にある。
こうしてインドに来て、あなた方は今、仏教とはいかなるものかを理解する機会を得たのだ。だから、心して耳傾けしっかり聞いてほしい」と。

_DSC7257また、ロシアから来た人々とその他の外人に対しては「仏教の教えは単に信仰したり、祈ったりするばかりのものではない。自分自身の心を良き方向に変えて、善き人となり、自分もより幸福に、周りの人々、住んでいる地域の人々も愛と慈悲に満ちた幸せな社会にすること、これが主な目的だ。さらに、自分の心をさらに高め、最終的には、今不知の下にある心を全知の心に変えて行くこと、これが仏教の目的だ。だから、みなさん祈るばかりでなく、今回の教えを聞いた後に自分の考えが少しは良くなるように努力してほしい」と。続きを読む

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2011年12月18日

チベット本土で最初の焼身抗議者僧タペーの生存が確認された

111217045434GG参照17日付けphayul http://p.tl/XQF4

本土最初の焼身抗議者であるキルティ僧院僧侶タペーは、焼身中銃撃を受けそのまま保安部隊に連れ去られたまま3年間近く行方不明となっていた。一時は死亡したのではないかともお思われていたが、今週ウーセルさんが彼の消息を伝えた。

ウーセルさんによれば、僧タペーは現在カンゼチベット族自治州バルカム地区の軍病院に収容されているという。「足には銃弾の跡がはっきり残り、両足共に麻痺し使えず、手もほぼ麻痺状態」と報告される。

病院には母親が付き添っているが、彼女も病院外にでることは禁止されている。1人の叔父だけが面会を許されているという。

僧タペーは2009年2月27日、ンガバの大通りで法王の写真を頭上に掲げ、スローガンを叫んだ後、ガソリンを被り焼身した。駆けつけた保安部隊は彼を倒すために、足に銃を打ち込んだ。

彼が焼身抗議を行う以前にはチベット本土で中国政府への抗議を行う目的で焼身するという例は皆無であった。今年3月16日にはこの例に習い僧プンツォが抗議の焼身を行い、その後焼身という究極の手段が新しい抗議のトレンドとなった。今月1日には13人目となる元僧侶テンジン・プンツォの焼身抗議があった。この内7人が死亡し、5人が行方不明、1人が僧院内で治療を受けている。その他、1998年のトゥプテン・ンゴドゥップの焼身抗議死亡を含め、インドで2人、ネパールで1人のチベット人が中国政府に対する焼身抗議を行っている。


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2011年12月17日

成都の学校で2000人の漢人学生が200人のチベット人学生に襲いかかり大乱闘

e1fe9925bc315c60a04e59a48db1cb13485477a5写真は全て16日付けウーセル・ブログhttp://p.tl/S6VNより。

四川省成都にある鉄道高等専門学校で12月14日の夜、チベット人学生と漢人学生の間に大規模な衝突が発生した。この学校の生徒構成は漢人3000人に対し、チベット人300人というが、この内漢人約2000人がチベット人約200人に襲いかかり大乱闘となったという。衝突の直接のきっかけはまだはっきりしていない。

衝突・乱闘の経緯
以下、RFAやTibet Times 、@uralungtaさんが伝えて下さった中国のツイッター等を参考に、事の成り行きを再現する。まず、14日夕食後、大勢の漢人生徒がチベット人学生の寮を包囲し、石を投げて窓を割ったりした後、ドアを蹴破り、手に棍棒やナイフをかざし中にいたチベット人に襲いかかった。チベット人たちも激しく抵抗したが、多勢に無勢、多くのチベット人学生が負傷した。もちろん漢人学生も負傷したであろうが、今のところ3人が重傷を負い病院に運び込まれ、100人ほどが負傷したということが判明している。漢人学生は狼藉の限りを尽くしチベット人の寮は見事に破壊されつくしたという。

166926_312238965464893_107878499234275_1061393_475095897_nこれを知って学校側は止めに入ったが、らちが開かず、保安部隊の出動を要請。数百人の武装警官隊が来たが、これでも喧嘩を止める事ができなかった。漢人学生たちは「チベット族をぶちのめせ!(奴らの)履修単位を増やせ!」「チベット服をぶちのめせ、制服を着ろ、履修単位を増やせ!」等のスローガンを叫んだという。漢人学生たちはその後、チベット人の教室を荒らしまくった。彼らはさらに先生、職員、保安部隊の車両の上に乗ったり、何台かの車を横転させた。ここで、さらに武装警官とSWAT(特殊警察隊)約1000人が投入され、催涙弾等を使いやっと事態は一旦収まったという。

しかし、次の15日再び漢人がチベット人を襲撃した。この事件の後学食での食事は漢人とチベット人別々に取るようになっていたが、昼食時、漢人が食事を済ませ、チベット人が食堂に現れた時、「おい、チベット人が来たぜ!」と漢人たちがチベット人を食堂に押し込め、再び襲いかかった。

現在、学校の内外には大勢の武装警官隊が配備され、学校は休校となり、そのまま冬休みに入ったという。また、当局は事件を知らせる報道を厳しく規制し、ツイッター等も次々削除されている。

2f738bd4b31c8701ad4b80ad277f9e2f0608ffffきっかけと背景
日本の新聞はすでにこの事件を報道している。発信元は北京の共同か時事であるが、両社ともその元は香港のメディアだ。共同http://p.tl/Anyoは今回の乱闘騒ぎの原因は「チベット族学生同士のけんかを仲裁しようとした漢族の学生をチベット族が集団暴行し、報復のため集まった漢族がチベット族を襲撃」としている。チベット族同士のけんかを漢族が仲裁するというのもちょっと変な話に聞こえる。また、乱闘に加わった学生は「漢族とチベット族の学生計千人以上」とだけ書き、チベット人が圧倒的少数であったことは知らされない。時事 http://p.tl/-wNp 朝日http://p.tl/7GMUは「同校ではチベット族の職業教育措置で授業料免除などの優遇があることに、漢族の学生が反発。14日夜、チベット族の学生20人が漢族の学生1人を殴ったことをきっかけに、漢族学生3000人がチベット族学生500人の生活する宿舎を包囲し、投石するなどの騒ぎとなった」とし、チベット族への授業料免除などの優遇が背景で、直接のきっかけはやはりチベット族学生が漢族学生を殴ったこととする。

16日付けRFA英語版http://p.tl/VXZSでは漢人学生の言葉を引用し、チベット人学生と漢人学生との間には以前から対立があったという。「去年チベット人学生が漢人学生(複数)を殴ったことがあった。チベット人は長い間我々漢人を威嚇し続けていた。昨夜は我々が彼らをやっつけた。大きな勝利だ」とけんかは去年のこととし、また今回チベット人たちをやり込めたことを「勝利」と呼び誇らしげである。中国の16日付China Degital Timeshttp://p.tl/74keにも漢人学生たちの誇らしげな様子が描かれている。

AguBRs0CAAEL1IRこの学校でチベット人学生に学費や単位の面で優遇策が実際に行われていた可能性は高いが、このことについてウーセルさんは「少数民族は小さな優遇策を与えられているが、全体的には多くの厳しい扱いに耐えねばならない。彼らは多くの規制や厳しい弾圧を受けている」とコメントする<RFA。また、Tibet Times http://p.tl/3k9q によれば、この学校の生徒たちは政策的に(チベット人同化政策の一環として)チベット各地から自分たちの意思に関わらず、集団入学させられた生徒たちであるという。何れにせよ、今回この優遇策が漢人学生たちの暴動の言い訳になったことは確かであろう。

同じくTibet Times 等ではこの衝突の根本原因は「生徒たちが中国政府のプロパガンダを信じ、日頃よりチベット人を問題ある遅れた民族と見なし、蔑視と差別を続けて来たことにある」とする。外人の中にはこの衝突を漢人のチベット人に対する人種差別暴動(Racist Riot)と表現する者もいる。

私が本土から来たチベット人学生たちから度々聴く話によれば、中国内地で勉強せざるを得ないチベット人はもとより、チベット本土であろうとチベット人が学校内で少数派となる場合には、漢人の先生や生徒から様々な蔑視、差別、嫌がらせを経験するという。その場合、特に男子生徒はけんかでは負けまいとする。実際、元々?チベット人の中にはけんかが強い者も多い。もちろんこれは一対一の場合の話だ。中国人学生が集団でチベット人学生を襲うことは度々あるともいう。今回はこれが大規模だったということであろう。

何れにせよ、この後この衝突が中国当局により公平に裁かれることを願う。
この事件の後、あるチベット人学生は「もしも彼ら(学校や当局)が我々の安全を保証できないなら、学校に行く意味はない」と言う。また他の学生は「家に帰って家畜を追っている方がましだ。少なくともその方が安全だ」とRFAに対して答えたという。


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2011年12月16日

<Cosmology & Consciousness> 僧侶と科学者との対話

DSC_6942<Cosmology & Consciouness>と題された科学者とチベット僧侶たちの対話の開会式に出席されたダライ・ラマ法王。

今朝9時、法王はダラムサラTCV(チベット子供村)のホールにおいて、今日から3日間行われる会議のオープニング・スピーチをされるためにTCVに来られた。会議にはインドの大学から2人、アメリカの大学から4人、チベット人の賢者4人がパネラーとして出席。科学者は宇宙物理学、宇宙生物学、脳神経学の有名教授ばかりである。

DSC_6854TCVの子供たちに迎えられる法王。

法王はかねてより仏教と科学との相互交流の大事さを説かれ続けている。法王自身が度々科学者との対話を行われるだけではなく、チベット社会、特に僧侶たちが科学者と交流することの緊急性を説いておられた。これを受け、10年前から主立った僧院に科学者を招き、僧侶たちに科学的知識を身につけさせるプログラムが始まっている。また、逆に仏教が科学の進歩に貢献できるとの確信から、科学者へ仏教科学を紹介することにも努力されている。

DSC_7022法王はスピーチの中で「かつてあるキリスト教の司祭が私に、『科学者に近づかない方がいい。彼らは宗教を否定するから』と言った。私はそれは違うと言った。仏教は縁起を説き、因果律を認める。これは科学の考えと一緒だ。また、科学とは事実を分析、研究、実験することをその方法論とする。これもまた仏教と同じだ。ナーガルジュナに始まるナーランダ大学の伝統(注:チベット仏教ではナーガルジュナもナーランダ大学の学僧と言う事になっている。私は個人的に科学的仏教史を学ぶ事も勧める)も分析し証左することにある。論理的に間違ったことは否定される」と科学と仏教が対立するものではないことを強調された。続きを読む

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2011年12月15日

ネパール、ムスタンに越境したチベット人5人が中国側に引き渡された

upper_mustang13日付けRFAチベット語版http://p.tl/ZYAFによれば、今月8日、インドへの亡命目的でチベットからネパール国境を越えた5人のチベット人がネパールの国境警備隊に拘束され、その後中国側の国境警備隊に引き渡されたという。

目撃者の証言によれば、5人の内訳は男性3人、女性2人、何れも30〜40歳位だったという。彼らはネパールのムスタン地区からネパール側に入り、そこで拘束された。国境警備隊は彼らをカトマンドゥに送らず、すぐに中国国境警備隊を呼んだ。そして中国側のトラックがネパールの国境を越えネパール領に入り、彼らを連れ去ったという。彼らの氏名、出身地等は分っていない。

ネパールは中国の要請に従い、越境するチベット人の警備を強化している。今年に入り何度もチベット人が国境付近で拘束され、カトマンドゥに送られた。しかし、カトマンドゥの出入国管理事務所に送られた後には国連や人権団体の働きかけにより、今までは中国に引き渡されることなく国連を介しチベット亡命政府が運営する難民一時収容所に無事送られている。しかし、実際には今度のケースのように秘密裡に中国側に手渡されているチベット人も少ないくないと思われている。中国側はこうしてチベット人を手渡した国境警備隊に報償金を与えているという情報もある。

RFAによれば、分っているだけでも、今年に入り12歳の男の子、7歳の女の子2人、それにタシと呼ばれる男性が中国側に引き渡されたと言う。もちろんネパール国境を越える前に中国側で拘束されるチベット人も多い。中国は最近こうして亡命目的で越境しようとしたチベット人に対する刑罰を強化し、長期の懲役刑を与えているともいう。

ムスタンは長い間独立した王国であった。チベットとの交易も盛んであった。59年に法王が亡命した後、最後まで中国と戦ったチベット人ゲリラの基地があった地域としても有名である。以下のビデオはすでにこのブログでも紹介済みであるhttp://p.tl/OiNK が、このビデオにはムスタンが如何に中国側に取り込められようとしているかも描かれている。近い将来、この国境を越えラサと結ばれる立派な道路が、中国の援助により建設される予定になっている。この国境は1999年の年末にギャワ・カルマパが越境した場所でもある。それ以来警備が厳しくなったという。ビデオの中、33分過ぎから36分に掛けて、今回チベット人たちが中国側に引き渡されたと思われる国境付近の映像を見る事ができる。


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2011年12月14日

ウーセル・ブログ「利用されるゲタク・リンポチェ」

004ウーセルさんは10月5日のブログで「利用されるゲタク・リンポチェ」という題で毛沢東の長征時にカム、カンゼで設立された「プゥパ人民共和国」の話をされている。
このチベット人による独立政府を目指した組織は結局毛沢東に騙され、利用されただけであった。今では「朱徳総司令とゲタク・リンポチェ5世の記念館」というものまで建てられ、すっかりこのリンポチェは毛沢東政権を最初から支持したチベット人として祀られるてしまっている。毛沢東と共産党が如何にチベット人を騙し、利用したかを明らかにしている。また、コラムの中で毛沢東がチベットを国内と見なさず、国外と見なしていたという事実も指摘されている。

原文:http://p.tl/sjBd
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

写真は全てウーセルさんのブログからだが、最初の4枚が「2011年7月にカンゼで撮影」、最後の1枚は「この写真はネットでダウンロードした」との説明が付けられている。

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001◎利用されるゲタク・リンポチェ

7月末にカンゼに着いた時、道路わきの電柱に「朱徳総司令とゲタク・リンポチェ5世の記念館」という看板が掛かっているのにふと気付いた。最近建てられたのだろうか?矢印の方向に進み、街の中心部から離れると、きつく閉められた赤門の後ろに中国風の建物があった。周囲には草木が茂り、江沢民が揮毫した記念館の名前が人目を引いている。

ネットで調べると、この記念館は1991年に着工、1993年に完成し、カンゼ県とカンゼ州、四川省の「愛国主義教育基地」になっている。「ゲタク・リンポチェ5世の生涯や紅軍の長征時のエピソード、革命的な文化財などを紹介」し、「民族地区で初めて成立した革命政権、プゥパ政府の副主席ゲタク・リンポチェや政府に加わったチベット族民衆の絵画や写真など」を所蔵しているという。

002プゥパ(チベット人の意)政府とは何か?説明すれば長くなるが、中国共産党が認めている通り、紅軍は長征中に二つの「共和国」、つまりゴロドシャ?(格勒得沙)共和国とプゥパ人民共和国の成立を助けた。どちらもチベット人の土地に建てられたチベット人の政権で、ゴロドシャ政府はロンダクなどのギャロン地区(ゴロドシャはギャロン方言でチベット人の意)、プゥパ政府はカンゼなどカムパの地区にあった。政府の宣言が向けられているのはチベット本土の政治的、宗教的な権力ではない。「すべてのチベットの土地は永遠にプゥパが管理する。漢族の侵略者、国民党の役人や軍閥が1000年以上にわたってプゥパに実行してきた併合政策に命がけで反対し、プゥパの独立と解放のために最後まで断固戦うことを誓う!」「私たちの旗印はプゥパ独立で、当面の任務は興蕃滅蒋(チベットを復興し、蒋介石を滅ぼす)だ」。

ある評論は共産党の民族政策について70年以上の歴史を振り返り、当初は「民族自決」や「民族独立」までも支持していたが、今では「民族分裂」に反対していると総括する。プゥパ政府成立に関するいわゆる手助けは、逃亡中の紅軍にすれば一種の便宜的な行動であり、「チベット人民との『厳かな約束』」などではない。実際、通過先が漢人地区なのかチベット人や他民族の地区なのかを問わず、1万2500キロの長征は道中で空手形を連発し、嘘偽りなどのあらゆる悪事を尽くしている。

003紅軍がチベット人による「興蕃滅蒋」の独立政権樹立を助けたのは見返りを求めてのことだ。共産党の公式文書によると、紅軍がンガバ地区を通過した16カ月前後にわたり、ゴロドシャ政府は食料5000トン、牛や羊、馬、豚などの家畜約20万頭を支援した。カム北部を通過した時には、プゥパ政府は食料2250トンを提供した。紅軍が延安に落ち着いた後、毛沢東は米国人ジャーナリストのエドガー・スノーに「紅軍唯一の対外債務は、異民族の食料をもらったままにしていることだ。いつか私たちは借りを返さなければいけない」と語った。「対外債務」とは何か?外国に借りがあるという意味ではないのか?毛沢東が当時、チベットを中国の一部分とは考えていなかったことが分かる。

カンゼにあるベェリ・ゴンパのゲタク・リンポチェは、チベット人エリートの夏格刀登(ཞབས་དཀར་སྟོབས་ལྡན།シャプカル・トプデン又はཞབས་དཀར་ཐུབ་བསྟན།シャプカル・トゥプテン)、邦達多吉(དབང་དར་རྡོ་རྗེ།ワンダル・ドルジェ又はདཔལ་ལྡན་རྡོ་རྗེ།ペルデン・ドルジェ)、恭布沢仁(མགོན་པོ་ཚེ་རིང།ゴンポ・ツェリン)、扎喜旺徐(བཀྲ་ཤིས་དབང་ཕྱུག།タシ・ワンチュク)らとプゥパ政府を建てた指導者だ。「民族が独り立ちしてプゥパ政府を建て、プゥパが政権を握る」「紅軍のほか、プゥパ独立に賛同する全ての団体、個人と力を合わせる」という内容の綱領をともに制定している。「プゥパ独立に協力する国家や民族、政府、軍隊は全てプゥパの友人」だと確信し、簡単に信じてしまったため、最終的には歴史の皮肉に遭った。

2010091315381977ゲタク・リンポチェらを公正に評価するとすれば、彼らはチベット人の民族主義者であり、共産党によって繰り返し利用され、描かれているような「祖国統一を追求した赤い活仏」ではないことを認める必要がある。紅軍が解放軍に変わるまでゲタク・リンポチェが生きていたなら、チベットで最初の共産党員プンツォク・ワンギャルの運命と同じように、間違いなく監獄につながれていただろう。しかし、解放軍がチャムド戦役を発動しようとしていた頃に彼は急死し、共産党が当時の「厳かな約束」を守らない、または忘れ去る打って付けの理由になった。

2011年9月28日 ラサにて

(RFA特約評論)

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2011年12月13日

焼身抗議し死亡したテンジン・プンツォ氏の遺書

rongtsa6月1日に焼身抗議を行い、6日に死亡した元カルマ僧院僧侶ロンツァ・テンジン・プンツォ氏の遺書 ཁ་ཆེམས་がチベット亡命議会のサイトに発表された。>http://p.tl/Fbe0

遺書は4種ある。遺書の中には「カルマ僧院の僧門に張って下さい」と書かれていたものもあったという。
(一部難解な詩偈の部分は意訳させて貰った)
関連ブログ:http://p.tl/sdD1

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1) チベットをチベットたらしめている仏教の教えを、その正しい見解とともに保持するカルマ僧院の見者(僧院長)ロトゥ・ラプセル師とナムセ・ソナム師、及び全ての僧侶、尼僧が拘束され、むち打たれている今。カルマ僧院の子弟に関係する私は苦しみの内に死を選ぶ。チベット人としての誇りを持ち続ける愚生テンジン・プンツォ記す。
兄弟たちよ、心挫けるなかれ、勇気を失うなかれ。

2) 自他交換の法友たちよ。仏法を保持する見者2人と僧侶、尼僧たちのことを思ってほしい。宗教を否定する独裁政権をどうして信頼できよう。テンジン・プンツォ記す。

3) カルマ僧院の法友たちよ.戒定慧を備えた見者と僧侶、尼僧のことを思うと生きる意味を失う。みんな立ち上がろう!世の人々は世間の八法に侵され、敵を怖れ逃げ惑う哀れな動物の如し。取るに足らぬ今生にも縁起の法はある。導師ブッダシャカムニに祈りを捧げる。苦しみに凌駕される愚生テンジン・プンツォが記す。

4) チベット全土と今年のカルマ僧院の受難を思うとき、私はこの世に留まることができない。


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2011年12月11日

世界仏教徒会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ



このビデオは先の11月30日、ニューデリーで4日間に渡り開催された世界仏教徒会議の最終日に行われたダライ・ラマ法王のスピーチである。会議には世界30カ国以上から約800人の代表が集まり様々な議題が話し合われた。

法王は締めのスピーチをされた。法王も「全て良い話は出尽くしたであろうから、私にはネガティブな話しか残っていない」とおっしゃるように、仏教徒、特に僧侶に対する厳しい意見が述べられている。

私はこのスピーチを聞いて、「いいな、すぐに訳そうかな...」と思いつつ実行せずに日が経っていた。数日前これを鈴木樹代子 さんが訳出して下さったということを知った。
最初Facebookに載り、すでに他のブログにも掲載されている。
で、私もこれを掲載させて頂くことにした。

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GBC閉会式  ダライ・ラマ法王のメッセージ
先日のインドでの世界仏教徒会議でのダライラマ法王の演説をご紹介します。

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敬愛なる仏教徒の兄弟姉妹の皆様。
一人の仏教僧として、今この瞬間を、大変に感慨深く、とても幸せに感じています。
いつものことですが、最後のスピーカーには、もう話すことが残っていません。言うべき善いことは、すべて言い尽くされてしまいましたから。

私が、常日頃から思い感じていることですが、-----私はもちろん仏教僧なわけですが、しかし、それよりもっと深いレベルで、私は人間です。
現在、70億人近い人間がいます。私もその一人です。人間は、社会をつくって生きる動物です。一人一人の未来が、人類全体のありよう(humanity)にかかっています。ですから、私の関心は、人類について(人間について)真剣に考えなくてはならない、ということです。
第一に、私自身の経験に基づいて言えば、「一人の人間」というレベルにおいて、70億人の一人ひとり全員が、幸せを望んでおり、苦しみは望んでいません。そして、すべての一人ひとりに、その望みを実現する完全な権利があります。宗教、信仰の有無、宗派、階級、地位、学歴、貧富、王族か物乞いかは、関係ありません。みな同じ人間です。「一人の人間」というレベルでは、みな同じなのです。皆、同じ権利を持っているのです!続きを読む

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2011年12月10日

国際人権デー

002今日は世界人権デーと言うことで日本はじめ世界中で人権擁護関係のイベントが沢山行われている。ダラムサラではダライ・ラマ法王が1989年12月10日にノーベル平和賞を受賞したというので、その22周年記念の行事が首相のロプサン・センゲ氏を中心に朝からツクラカンで行われた。いつもだと、この日はめでたい日ということで歌や踊りが沢山披露されるのだが、今年は相継ぐ焼身抗議に鑑み、歌や踊りは一切なかった。

国際人権デーは、凄惨な戦争が終った後1948年12月10日、第3回国際連合総会で採択された「世界人権宣言」を思い出し、世界中で人権を守りましょう運動を行うための日だ。まずその「世界人権宣言」を確認するために全文が載っているサイトを紹介する。国際連合広報センター「世界人権宣言(日本語/英語)」http://p.tl/Bn4f
12億以上の国民を抱える中国はこの国連の常任理事国でありながら、この憲章を無視する代表的存在なので、この国の指導者や国民にも内容を確認してもらうために中国語のサイトも付け加える>http://p.tl/Lqny

その第一条には:
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
とある。

ここで最近チベットから流出したビデオや写真が思い出される。小さな村に100人もの武装した警官や軍隊を導入して、次々に民家を襲い、か弱いチベット人たちを拘束して行く。この時、何の令状も示されない。何の説明もされない。ただ暴力的に手錠を掛け引き立てて行く。まさに、ナチのユダヤ人狩りのごとし。

2008年にはこうして6000人以上のチベット人が連行されて行った。今も行方が分らない人が1000人以上いるという。例えば、このビデオに写っている村でこのような拘束が行われたという事は今まで亡命側に伝わっていなかった。

中国の法律にも一応、逮捕/拘束の時には令状を見せるべきと書かれている。24時間以内に家族に連絡せよとも書いてある。法治国家でない証拠である。

人権侵害の最たるものに「拷問」がある。最近亡命側に伝えられ、まだこのブログに書いてなかった2つのケースを紹介する。

TCHRD(チベット民主人権センター)プレスリリースhttp://p.tl/fRNwによれば、甘粛省ラプラン僧院の僧侶タプケ・ギャツォ(34)は2008年3月18日にデモに参加したとして逮捕された。1年以上も行方不明になっていたが、2009年5月19日、国家の安全を脅かせたとして15年の刑を言い渡された。今年7月に監獄で彼に面会した友人の報告によれば、タプケ・ ギャツォは数年間の拷問の末、半身不随となり、視力も極端に落ちていたという。

昨日9日付けRFAhttp://p.tl/Ruc6によれば、10月13日、チベット自治区チャムド地区パシュ県の人民法院はソナム・ナムギェル(23)に3年の刑を言い渡した。去年、パシュ県トンツァ郷の学校で校庭に掲揚してあった中国国旗が降ろされ、大きな石の下に敷かれているのが見つかった。警察はこれを反中の政治的犯罪と見なし、犯人を探したが、長い間見つけることができなかった。

今年の7月17日、ソナム・ナムギェルが山で冬虫夏草を探しているとき、突然そこに2人の警官が来て彼を引き立てて行った。4ヶ月の間パシュの拘置所で尋問を受けたが、そのとき激しい拷問を受けたと言う。その後収監された刑務所で知り合いとなったチベット人が解放後証言するところによれば、「彼は拷問の後遺症により体力が非常に衰え、耳も聞こえなくなっている」という。

彼の家族は年老いた母親だけという。母親は一度だけ面会が許可されただけだという。今はまたどの刑務所にいるのか不明となっている。

中国、特にチベットやウイグルでは拘束後、尋問時に拷問を受けるのは当たり前となっている。この事実は多くの証言により明らかだ。拷問は仲間の名前を吐かせるためだったり、やってもない罪を認めさせるためだったり、ただ単に見せしめのためだったりする。拷問の結果死亡するというケースも後を絶たない。

国際人権憲章
第五条「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰を受けることはない。」

第九条「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない。」

第十一条その1「犯罪の訴追を受けた者は、すべて、自己の弁護に必要なすべての保障を与えられた公開の裁判において法律に従って有罪の立証があるまでは、無罪と推定される権利を有する。」



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