2012年01月

2012年01月31日

<貴重映像>ザムタン公安前で抗議の声を上げるチベット人たち/CNNのチベット潜入レポート



上のビデオはRFAが今日発表したもの。在インドのジャミヤン・ギャンツォを通じて現地から入手した貴重なビデオ。

冒頭のチベット語による説明によれば、この映像は26日の午後5時頃、ゴロ、ザムタン県バルマ郷の公安の前で撮影された。この時2000人程のチベット人が集まり中国政府への抗議の声を上げた。午後9時には1万人程に膨れ上がったと書かれている。私には、叫びの中で「ダライ・ラマ法王に長寿を!」というのだけが聞き取れた。

このきっかけは先にもお伝えしたように、最初タルパという若者が抗議のチラシを張り出し、彼を逮捕しようとした警官隊が、これを阻止しようとした住民に向かい発砲し少なくとも1人ウゲンという若者が射殺され、多くの者が負傷した。その後、逮捕されてしまったタルパの解放を求め住民が公安事務所に押し掛けたという、映像はその時のものと思われる。

ただ、ある情報によれば、発砲があったのはこの公安前であるという。もしそうであれば、この映像はその発砲の前であろうか?

英語版は以下>http://www.rfa.org/english/video?param=value&storyId=TibetUnrest2

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CNN:チベット族居住地域で衝突続く、取材陣は空港で拘束

同じく今日発表されたビデオをもう一つ紹介する。この前半部分は、おそらく発砲により死者が出て緊張が伝えられるダンゴ方面に夜中、成都から向かった時のものと思われる。しかし、途中の検問に引っ掛かり引き返している。後半、ここも厳重な警戒態勢が引かれている成都のチベット人街を取材し、僧侶2人にインタビューを行っている。この後、彼らは空港で5時間拘束され、いくつかの映像を取り上げられた。また、このレポートが放映された時、中国のテレビはブラックアウトしたという。
http://edition.cnn.com/2012/01/30/world/asia/china-arrest-grant/index.html

実はこのビデオと記事は日本語となり発表されている。
http://www.cnn.co.jp/world/30005456.html

ただ、記事は相当違い、背景説明が大部分をしめる。また、一つ気になるのは僧侶が言った言葉がなぜか「飲食店で働くチベット族の女性」の話として書かれている。単なる誤訳なのか何かの意図があるのかどうか分らない。

英語版にしかない、僧侶の言葉はそれなりに重いものと思われるので、以下その部分を訳す。

僧侶たちは警官たちにののしられ、虐められた。もう限界だ、と我々に語った。

「もう耐えきれない。もう限界だ」と1人の僧侶が言う。

彼らは山奥の故郷から遠く離れた所にいる。電話で連絡する事もできず、孤立してると言う。

「帰りたいと思うが帰れないのだ。外に大勢の保安要員がいることは見ればわかるだろう。どこへ行こうが、彼らが見張っている。どこへも行くことができない」と言う。

私たちは「怖いか?」と聞いた。彼は(部屋に掲げてある)ブッダの写真を見て、笑顔を浮かべる。

「説明できない.......でも怖くはない」と。

ポシェットの中に僧侶は精神的指導者であるダライ・ラマの写真を隠し持っていた。もったいなさ過ぎて見せてはくれなかった。このポシェットは夢を運んでくれる、と言う。

「我々は全てのチベット人が望むことを望んでいる。ダライ・ラマ法王がチベットの宮殿にお帰りになることをだ」

彼らは同胞たちが焼身抗議を行っていることを知っていた。彼らのことを支持し、中国がチベットから出て行くまで、これは続くと断言した。

中国政府にとって彼らはチベットを中国から分離しようという所謂「分裂主義者」となる。

インタビューの間中、私たちは監視されていた。その後、車は追跡された。ドライバーは家族が電話で脅されたと言う。


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2012年01月30日

アムド、ゴロ、ペマ県で抗議デモ頻発

341a60a0写真は15日にペマ県で行われたデモの時のもの。

アムド、ゴロ(青海省果洛チベット族自治州)ペマ・ゾン(班瑪県)では隣の県ダルラで1月8日にソバ・リンポチェが焼身抗議を行い死亡した後、中国政府に対する抗議活動が連続して行われている。これを以下まとめてお伝えする。
元情報のほとんどはTibet Express http://p.tl/UWwbより。

15日にはソバ・リンポチェの葬儀が行われたが、これを当局が妨害したことに抗議し、同日ペマ・ゾンで3回に渡り500人程が参加する抗議デモが行われた。<これは17日に報告済み。

18日の11時半頃、アキョン・チョナン僧院(ཨ་སྐྱོང་ཇོ་ནང་དགོན་པ་)の僧侶20人がペマの街中で抗議デモを行った。この時僧侶たちはダライ・ラマ法王の写真、仏教徒の旗を掲げ、3枚の大きな横断幕を広げ行進した。その内の一つには「我々には自由が必要だ」と書かれ、もう一つには「平和の先導者(ダライ・ラマ法王)をチベットにお招きする自由が必要だ」と、最後の一枚には「パンチェン・リンポチェを初めとする全ての政治犯は解放されるべきだ」と書かれていた。

彼らが街の脇道から出て県庁舎の前に来た時、そこには丁度同じペマ県のチャクリ地区のドゥガン僧院(འབྲུས་སྒང་དགོན་པ་)僧侶6人が抗議デモを行っているところにはち合わせた。彼ら6人もダライ・ラマ法王の写真を掲げ、それぞれの額には「チベット独立」と書かれた鉢巻きが巻かれていた。2つのグループは合流し、街の中央広場を3周した後、広場の中央にセメントで作られた大きな8葉の蓮華(街の名前である<ペマ>とは蓮華の意)の上に写真と旗、横断幕を掛け、抗議デモを終えた。その日には警官たちは彼らの写真やビデオを撮っただけでその場で逮捕するということはしなかった。

次の19日、県の職員がアキョン・チョナン僧院にやって来て、前日にデモを行った僧侶たちを引き渡すよう要求した。従わない場合には僧院を閉鎖し、僧侶全員を逮捕すると脅した。僧侶たちはこれを聞き入れず、僧侶たちを引き渡す事を拒否した。

20日には、アキョン・チョナン僧院に武装警官隊と軍隊が僧侶逮捕と僧院閉鎖のため大勢現れた。しかし、この時、そうはさせまいとアキョン地区のチベット人700人程が集まり、これを阻止した。隊は目的を果たせず引き上げたという。

21日には、ドゥガン僧院とアキョン・チョナン僧院で「愛国再教育」を始めようと役人が集まったが、その時にはもう僧院は空でだれもいない状態となっていた。24日現在、デモを行った僧侶たちは山に逃げているという。

24日にはペマ県バンル地区の俗人6人がダライ・ラマ法王の写真を掲げ抗議デモを行った。すぐに、武装警官隊と軍隊が大勢駆けつけ、彼らを逮捕した。この時6人に対し酷い暴行を加えるのを見て、周りのチベット人たちが集まり彼らを取り返そうとした。しかし、彼らもまた酷く撲打され、さらにその内の6人が逮捕された。逮捕された者の内数人は重体という。

25日にはタクガル地区の住民もデモを行ったと言うが、これは詳細不明である。

その他、24日付けTibet Times http://p.tl/7nDqによれば、同じく24日にはペマの街中で一団のチベット人が抗議デモを行い数人が一時的に拘束されたという。

すでに27日付けの当ブログでお伝えしたが、26日にもペマでデモがあり、中国国旗が降ろされ、焼かれ、代わりに仏教の旗と法王の写真が掲げられたという。大勢の部隊が現れ、逮捕者が出ている。


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2012年01月29日

ウーセル・ブログ「瘋蟹:4枚のチベット漫画」

以下、ウーセルさんの1月27日付けブログより。中国指導者たちのチベットに対する態度を揶揄する漫画。

原文:http://p.tl/79TL
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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◎瘋蟹:4枚のチベット漫画

チベット人の焼身抗議や抵抗運動について、漫画「蟹農場」(http://hexiefarm.wordpress.com/)の作者、瘋蟹が4枚のイラストを「カートゥーン・ムーブメント」(http://www.cartoonmovement.com/)で立て続けに発表した。
彼はツイッター(@hexiefarm)で、「2008年以降、チベットを題材にした漫画は国際的にもとても少ない。特にチベット僧の焼身抗議について、現時点では世界の漫画界は恐ろしい沈黙を保っている。こうした情況が早く改められるよう願っている」「この漫画は全4枚。チベットも蟹農場のテーマの一つになるだろう」と書いている。
私が深く感動したのは、瘋蟹が4枚目の漫画について、「これは僧侶と歴史に敬意を表した絵だ」とフェイスブックでコメントしたことだ。

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「燃え上がる政治局常務委員会」
2009年2月以来、既に17人のチベット人が焼身抗議している。

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「ブッダの涙」
2009年2月以来、既に17人のチベット人が焼身抗議している。

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「無題-03」
舞台の上には「HARMONIOUS TIBET」(和諧チベット)と書かれている。
1月23日、中国の兵士がチベット人抗議者に発砲し、少なくとも1人が殺された。

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「プロパガンダの策略」
春節前、チベット自治区政府は僧院や学校、農村、家庭に飾ってもらうため、100万枚以上の国旗と領袖ポスターを配布した。これらの肖像画に描かれているのは毛沢東と小平、江沢民、胡錦濤という4世代にわたる中国の指導者だ。自治区政府主席のペマ・ティンレーは「領袖の絵を飾るのは、チベット人民が党と政府に心から感謝していることの表れだ」と話す。

3枚目の漫画に関するツイート
hexiefarm「幕はチベット人の血で染まっている。 RT @degewa(注・ウーセルのアカウント) 真相を覆い隠す血の色の幕から眼鏡の男が……」
4枚目の漫画に関するツイート
hexiefarm「この絵は強権政治の暴力だけでなく、抵抗する僧侶の勇気と歴史を示している」

ウェブサイト「カートゥーン・ムーブメント」は政治を風刺する漫画のコミュニティ。「真理はただ一つではない」を理念に、100人以上の漫画家が世界に向けて異なる声を伝えている。瘋蟹は「このチベットの漫画をカートゥーン・ムーブメントに発表することで、より多くの漫画家の関心を呼び起こしたい」と話している。

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おまけの一枚。最近4人の指導者の写真が入ったポスターを自治区に100万枚配ったことを揶揄する漫画。



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2012年01月28日

ウゲンの遺体はすぐにザムタン・チョナン僧院に運ばれ、良き来世のためにポアが行われた

2119写真は全てウーセルさんが紹介した2009年2月24日付けのザムタン県バルマ郷とザムタン・チョナン僧院を調査した中国のサイトより。http://p.tl/m3VI

アムド、ンガバ(四川省ンガバチベット族チャン族自治州)、ザムタン県バルマ郷で26日、当局の発砲により殺害されたウゲン(20)の遺体は近くにあるザムタン・チョナン僧院に運び込まれ1000人の僧侶が追悼会を行った。

30328日付けTibet Times http://p.tl/TY6V より。
以下、在ダラムサラのツァンヤン・ギャンツォがTibetTimesに伝えた情報。

ウゲンは頭部を撃たれ、その場で即死したという。すぐに回りのチベット人たちにより遺体は近くのザムタン・チョナン僧院に運び込まれ、そこで1000人の僧侶列席の下でポア(死者の意識を良き転生に導くための儀式)と追悼会が行われた。その後、遺体は家族の下に送られた。

故ウゲンはティントゥウメンヤンという学校に通う学生であった。チラシをばら撒いたタルパと彼は学校で友人同士であったという。

2213その他、これまでに判明した、当局の発砲による負傷者と逮捕者の名前が上げられている。チョナン僧院僧侶クンペル(52)は頭部を撃たれた。ザムタン・トゥマのナムギェル(20)も被弾しこの2人はすぐに病院に運び込まれた。1人の尼僧が足を骨折し、その他多くが負傷したというが、夜となり人も多く混乱して詳細は不明という。

その日の夜、チョナン・チュガル・ゴンマ僧院の高僧ラマ・ロペル(50)、チラシを書いたタルパの親戚であるチョナン・ツァンバ学堂の僧ニェンロ(26)、僧サンキョ(21)、チョナン僧院のツェリン・ペル、ワンキョ、その他1人が逮捕され、ザムタン・バルマの住民6人も逮捕されたというが彼らの氏名はまだ分っていない。

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247チョナン派の僧院と言えば、先の18日にはゴロ、ペマ県のペマでアキョン・チョナン僧院の僧侶20人程がチベット国旗と法王の写真を掲げ抗議デモを行ったという報告http://p.tl/UWwbがある。ゲルク派以外の僧院僧侶が中国に対し抗議デモを行うということは稀な事である。確かではないが、初めての事かも知れない。11世紀に立宗したチョナン派はンガバ、ザムタン、ゴロを中心に60以上の僧院、一万人の僧侶を抱える。

古い歴史を持つ宗派ではあるが、去年ダラムサラで行われた宗教会議で初めて正式にチベットの宗派の一つとして認められたという。カーラチャクラ・タントラの行を重んじる派としても有名で今回ブッダガヤで行われたカーラチャクラ法要の際にも本土から大勢の僧侶が集まり大塔の前で特別法要を行っていた。

焼身抗議を初めとする、地域の抗議活動の高まりを受け、ゲルク派だけでなくチョナン派の僧侶たちも立ち上がり始めたと思われる。

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2012年01月27日

ザムタン、タウ、ペマ、ラギャ、ラサ...各地で次々事件が起こる

AkJ9c14CMAAuB87カンゼ僧院(微博より)

今週、チベットは東部を中心に08年以来もっとも緊張した状況となっている。この背景は08年以来益々強化された当局の僧院を中心としたチベット人に対する弾圧の下で、ンガバ・キルティ僧院の僧侶たちが先例を示し、各地に広がった最終的非暴力抵抗手段である焼身抗議という勇敢な行為と死の重みがある。この死に報いよう、無駄にしてはならないという強い思いが地域の人々の心に広がった。こうして、今回中国の旧正月であり、またこの地域のチベット人の正月でもあった23日には、これまでに焼身抗議者が出たンガバ、ゴロ、カンゼの各地に「チベットの自由、ダライ・ラマ法王帰還」を求め、当局が正月を祝うことを強要することに反発し「正月を祝うまい」と訴えるチラシが張り出された。さらに「新たな焼身抗議を予告」するチラシもばらまかれ、これと同時に各地で中国政府の弾圧統治に対する抗議デモが起こった。

もちろん、これだけではこれほどの大きな衝突がおこることもなかったであろう。何よりも平和的デモに対して当局が無差別発砲を行い、死者が出たことが事態を急速に悪化させたと言える。中国当局は常に先に挑発し、事が起これば火に油を注ぐような対応しかできない。もちろん、カンパは発砲などで怖じ気づくような人たちではないことも関係する。

今日も新たに各地から事件の報告が入っている。あまりに多いのでそれぞれを簡単にお知らせするしかない。ダンゴ、セルタからは続報が入らない状態が続いているが、RFAはその26日付けチベット語版でhttp://p.tl/2gmOセルタにおける当局の発砲により死亡したチベット人の数を6人とし、負傷者数を60人以上と記している。

<ザムタン/འཛམ་ཐང་/壤塘>
昨日(日本時間では今朝)速報としてお伝えした、ンガバ、ザムタン県バルマ郷の衝突についての続報は今のところ伝えられていない。ただ、部隊の発砲により死亡したチベット人の氏名が判明した。今日付けTibet Times http://p.tl/buyMによれば、彼の名はウゲン(ཨོ་རྒྱན་20)、バルマ郷シュダ村プタル家བར་མ་ཞང་ཤོས་མདའ་སྡེ་བའི་སྤོས་ཐར་ཚང་の20歳の息子という。彼はこの衝突の原因となったチラシを撒いたタルパの同級生であった。現在、彼の遺体が家族の下にあるかどうかは不明という。

psu写真左はチラシを撒い逮捕されたタルパ(ダラムサラ・キルティ僧院より)

と、書いた後で今VOT放送が続報を伝えた。当局が発砲したのはタルパ(ཐར་པ་)が逮捕された後、彼の解放を要求するために付近のチベット人たちが郷の警察署に押し掛けた時であったという。また、被弾し死亡したチベット人は他にもう1人いると報告された。もう1人の氏名はまだ分っていない。

ダラムサラ・キルティ僧院によれば、ザムタンでは23日にもズメ・ナダ郷འཛུ་སྨད་ན་མདའ་ཞང་で1000人程のチベット人がキャンドル・ライト・ビジルを行った。最後の集会ではこれまで焼身抗議を行った勇者たちの名前が読み上げられたという。

追加写真(2月13日):銃殺されたウゲンの遺体(Tibet Timesより)と在りし日(RFAより)
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<タウ/རྟའུ་/道孚>
今日付けTibet Express http://p.tl/BFGlによれば、23日にダンゴで大規模な抗議デモと発砲事件が起こったのを受け、中国は多量の補強部隊を成都から送り込んだ。成都とダンゴの間にタウがある。ダンゴに向かう完全武装した車両の列を見て、タウのチベット人たちはそうはさせまいと道路を40台の車、大きな石、大きな木で塞いだ。道を塞がれた部隊の隊員たちはこの犯人を探そうと、車から下り街角を固めた。これを見て、チベット人たちは彼らに投石し、ついでに警察車両や警察署にも投石したという。

もちろん、このせいで、タウだけでなく近くのミニャックམི་ཉག་も非常に緊張した状態となっているというが、その後どうなったかはまだ報告が入っていない。

<ペマ/པདྨ་/班瑪>
ゴロ、ペマ県ではソバ・リンポチェの焼身抗議死亡の後、毎日のように抗議デモが起こり、逮捕者が続出している。今日のTibet Times http://p.tl/iWirその他によれば、昨日(26日)はバンル・ユルツォདབང་རུས་ཡུལ་ཚོ་の住民が抗議行進を行い、掲げてあった中国国旗を降ろし、火を付け、代わりに仏教の旗とダライ・ラマ法王の写真を掲げたという。直ちに、16台の保安部隊が現場に到着し、抗議者を打ち据え大勢を逮捕したというが、逮捕者の名前等は分っていない。

また、24日にペマの街中で抗議を行った6人の内、逮捕されたものたちは全て酷い拷問を受けた。その内ツェテンというチベット人の状態は危険な状態であるという。

26日にはペマの街中で1人の僧侶が焼身抗議を行おうと、全身にガソリンを浴び、街の通りに出たが、直ちに部隊に発見され、火を放つ前に逮捕されてしまったという。

<ラギャ/རྭ་རྒྱ་/拉加>
ゴロのラギャ僧院では先のガンデン・ガムチュ(灯明祭)の折、僧院の屋上に大きなチベット国旗と法王の写真が掲げられた。これを契機に僧院には大勢の保安部隊が常住し、「愛国再教育」が強化されていた。今日付けTibet Times http://p.tl/3Inl によれば、25日に僧院内と街に「チベットの自由と法王帰還」を訴えるチラシがばらまかれた。これを受け当局は僧院に対し、犯人を引き渡さない限り、僧院を完全に閉鎖すると脅しているという。

AkJH13XCIAAPfc7ラサ・パルコル(微博より)

<ラサ/ལྷ་ས་/拉薩>
ラサではダンゴでの事件が起こった後、警備が特に強化され、チベット人は至る所で身体検査を受けなければならない状態であるという。特に僧衣を着て歩く僧侶は酷い嫌がらせを受けると報告されている。

そんな厳戒態勢の中で、同じく今日のTibet Times http://p.tl/n8C2によれば、25日午後5時頃パルコルで1人のゴロ出身の僧侶ナムカ・ギェルツェン(ནམ་མཁའ་རྒྱལ་མཚན་25)が「チベットに自由を、ダライ・ラマ法王の帰還を」等と書かれたチラシをばらまいた。彼はすぐに警官に逮捕されたという。


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<速報>ンガバ、ザムタン県バルマ郷で保安部隊と地域の住民が衝突、発砲により1人死亡か?

以下、先ほど(26日午後9時)、ダラムサラ・キルティ僧院の僧ロブサン・イシェと僧カニャック・ツェリンが伝えた情報。Tibet Timesチベット語版http://p.tl/X3nIがこれをさっそく転載している。

今日、現地時間午後2時頃、ンガバ、ザムタン県(འཛམ་ཐང་རྫོང་壤塘)バルマ郷(བར་མ་ཞང་)の住民が抗議活動を行った際、武装警官隊と軍隊が群衆に向かって発砲し、死者、負傷者が出た。夕方7時時点でバルマ郷周辺のズトゥ郷、ズメ郷からこの事件を知ったチベット人が集結中との報告があり、その数1万人という。緊張が高まっている。

この事件の直接のきっかけとなったのは、1人のチベット人がチラシを張り出したことによる。今日12時頃、ザムタンとズトゥ郷、バルマ郷にリプン・ノルモ家の息子タルパ(རི་སྤུངས་ནོར་མོའི་བུ་ཐར་པ་)がチラシを張り出した。この中には「これまで多くのチベット人が焼身抗議を行った理由はチベットの自由とダライ・ラマ法王帰還のためである。この目的が達成されない限り、我々の活動に終わりはない」等と書かれていた。チラシの下にはこれを書いたのはタルパであると署名され、本人の写真まで張ってあり「お前たち中国共産党よ、さあ捕まえに来い」と書かれていた。

午後2時頃、武装警官隊と軍隊が大勢動員され、リプン・ノルモ家の周りを囲い、彼を逮捕した。これを見た隣人たちは彼を取り返そうとして部隊と衝突した。同時に抗議のスローガンを叫び、「もしも彼を逮捕すれば、全てのチベット人が立ち上がるであろう」と叫んだ。この際、部隊は様々な武器と共に銃を発砲した。その場で1人が殺され、大勢が負傷したというが、名前等はまだ伝わっていない。

ザムタン県の位置は>http://p.tl/kf76
バルマ郷(四川省 アバ・チベット族チャン族自治州 壌塘県 中壌塘郷)は>http://p.tl/Fe50


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2012年01月26日

ダンゴ、セルタ事件に関する中国側の発表等

DSCN1469-copy-300x225現在多数の負傷者が収容されていると言われるダンゴ僧院(Tibet Netより)

ダンゴやセルタからは情報は途切れたままだ。情報と交通を遮断する事自体、中国が公にはできない「何か」を行っている証拠と言えよう。中国当局も平和的デモに発砲する事は「良くない事」と知っているらしい。

今日は新しく出てきた写真や、この事件に関する中国当局の発表、亡命政府の声明、諸外国の反応等を簡単に紹介する。

truckstoserthar-305次は中国のマイクロブログ微博に掲載されていたもの。四川省成都からダンゴ、セルタに向かう高速道路上。軍用トラックが列を組んで一斉にチベット方面に向かっているという。微博に(中国人が)「(正月に関わらず)今日は仕事だった。様々な種類の完全装備した多数の武装警官車両が成都から雅安(チベット方面)に向かって行くのを見た。チベットで何か起こったようだ」と。他のユーザーは「ダンゴで何で暴徒が?何を要求してるんだ?何の情報もない」と書く。

亡命側に伝わった情報はこれまでこのブログに紹介したが、中国側はこれをどのように伝えているのであろう。大体のところは日本の新聞各社が律儀に新華社電をそのまま報じて下さっているのでご存知の方も多いと思う。死者数については各社とも中国の発表通りにダンゴで1人、セルタで1人としている。

私は中国語を解せないが中国語堪能な@uralungtaさんが関連の新華社の記事を解説付きで日本語にして下さった。これを以下に:
[資料のための参考訳]※新華社1月24日配信
原文(新華網)http://p.tl/WPOB

四川省炉霍県で群衆が集まり打ち壊す事件が発生
【新華網成都1月24日電】 1月23日午後2時ごろ、四川省甘孜州炉霍県で、群衆が集まり打ち壊す事件が発生した。事件は、あるならず者(不法分子)の『これから僧侶3人が焼身する。遺体は絶対に政府に処理させてはならない』というデマによって扇動され、100人を超えるチベット族の僧侶俗人群衆が町中心部に集まり、一部は刃物を持ち、当直の人民警察と武装警察に投石し、公安派出所を襲撃し、警察車両2台と消防車2台を破壊し、商店や銀行ATMを打ち壊した。
事件では公安警察官5人が負傷し、不法分子1人が死亡、4人が負傷。負傷者は既に病院に搬送され救命治療を受けている。公務執行により、集まった人たちはこの日19時ごろ解散した。現在、炉霍県中心部の秩序は既に回復し、正常を取り戻している。

<備考>
・新華社の大元のサイトから持ってきて、ここが一番、どうでもいい見出しをつけている。転載した他のネットニュースは「四川炉霍县发生聚集打砸事件 不法分子1死4伤(四川ダンゴで群衆打ち壊し事件発生不法分子1人死亡4人負傷)」(アリババのヤフーニュース)「四川炉霍县发生聚集打砸事件致1人死亡(四川ダンゴの群衆打ち壊しで1人が死に至る)」(中新網)など。
・「なにか持っていた」ことにしたい(=弾圧して銃殺してもよい、という言い訳をしたい)「不法分子」の持ち物ディテールが、「刃物」にグレードアップ。
※この記事は「刃物」止まりですが、別のデモ鎮圧を報道した記事では「火炎瓶」「先に発砲」とまでグレードアップしております
・集まった人たちが何を訴えていたかなどものごとの原因や背景は書けないのに、「デマ」の内容だけやたら詳細。
※チベット側から伝えられる、前日数日間に出現したビラの内容「僧侶4人が焼身の覚悟を持っている。遺体は政府に渡さず弔ってほしい」「チベット人は団結すべきだ」「新年を祝う気持ちになれない」などの事実を、わざと歪曲して書いていると思われる。4人を3人に減らすとか、どうにも意味が不明だが。
・こんな短い記事でわざわざ「病院に運ばれ手当を受けている」と記述。=負傷者への人道的取り扱いをしていることをアピール。⇔チベット人側に伝えられた情報では、「診療拒否や逮捕を怖れて寺院内にとどまっている」とされる。この事実を否定したいためにわざわざ付け加えた作文とみられる。
・ 同上「正常を取り戻している」と記述。→わざわざこんなことを書くのは、実際には「正常な状態には戻っていない」ということと同じ。町に通じる道路は封鎖され、春雪休みの公務員や警察官がすべて呼び戻されたという微博のつぶやきあり。

この他の記事もあるとして:
「一部の者は棍棒、石ころ、刃物、ガソリン瓶(=火炎瓶)などの武器を持ち(注:器械=武器の意)、城関(町なかの)派出所を襲撃した」「その派出所のある警察官は『ならず者どもは肌身離さず持っている火炎瓶や石ころを用いて警官を攻撃し、さらに我々に銃を向けて射撃し、けがの程度はさまざまだが14人の警察官が負傷するに至った』と話した」という記事になってます。銃は、現場にいたという警察官の話の中で(この警官や談話自体実在するか怪しいものですが)突然出現しております。

と紹介して下さった。

「ならず者ども(チベット人)は『火炎瓶』を肌身離さず持っている」は笑わせる。@uralungtaさん「ケロシンカイロ(白金カイロ)のことかしら?」とつっこみを入れられている。いつもながら、当局の作文はとんでもないしろものである。

img080-300x199ダンゴ僧院(Tibet Netより)

この「チベット人暴徒が警察官を刀等で襲ったので、やむを得ず警官が発砲した」という主張に対し、例えば、free Tibethttp://p.tl/luXlなどでは現地からの報告を基に反論。「当局が発砲するまでは平和的行進であった。発砲の後、投石が始まり庁舎の窓が割れた」とのコメントを載せている。

平和的行進に発砲され、死者がでれば、カンパが石ぐらい投げても少しも不思議ではない。自分たちの発砲を正当化するために、その後で投げられた「石」が「刀」や「火炎瓶」最後は「鉄砲」になるのが中国である。

ところで、一つ気になる記述を今日付Tibet Times http://p.tl/M0Qlの中で読んだ。25日付けの新華社に「1月23日の午後2時頃、僧俗のチベット人100人程が違法な暴力行為を行い、3人の僧侶が焼身自殺を行った。しかし遺体はチベット人が運び去り我々の下にはない」と発表したというのだ。これを受けTibet Timesは「あらためて焼身抗議の事実があったかどうか、関係各位に確認したが、その事実は今までに確認されていない」という。

はっきりとは言えないが、考えられることは、「当局は3人の僧侶が発砲により死亡したということを聞きつけ、これを焼身自殺したことにしよう」と考えたのではないか?焼身したと言ってすぐに「もう死亡した」と断定しているのもおかしい。

しかし、この新華社の記事の原文は確認されていないので誤訳という可能性も否定できないが、それにしては記述が詳し過ぎるような気がする。

tibetan_serta24日のセルタ(BBCより)。

以下、最初は亡命政府や各国政府の反応を少し詳しく紹介しようと思っていたが、もう、すでに長くなったので簡単に報告するだけにする。

今回の中国当局のチベット人抗議者に対する発砲事件を受け、アメリカとドイツは政府から中国批難の声明を発表している。イギリスは外務大臣が「懸念」を示し、中国に対し「行動を慎み、事件の詳細を正直に発表し、根本原因を認識し解決に努力するよう」要請した。フランスでは議会でチベット支援議員団の団長Jean Francois Humbertが情熱的な演説を行い「諸外国の沈黙はジェノサイドを助長する」と述べた。その他、アムネスティ・インターナショナルも非難の声明を発表している。

もちろん日本は、政府も議会も「チベット」の「チ」の字も出していない。

亡命政府は今年に入っても止まらない焼身抗議と今回の一連の事件を受け、2月8日に本土のチベット人への連帯を示すため世界同日一斉行動を行うことを提案した。


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2012年01月25日

セルタ、ダンゴ、ンガバの状況

tibet-yunden-305写真左は23日ダンゴでデモの最中、銃殺されたユンテン。ICTが入手したもの。彼の葬儀がダンゴ僧院で今日行われるという。

中国当局の情報網切断、交通切断のためダンゴやセルタからの新しい情報は思うように入って来ない。それでも、現地と連絡を取る事ができたインドその他に在住の同郷人を通じ各メディアに少しは報告が入っている。ただ、情報は一定していないのが現状。例えば、その死者数においても、ダンゴにおいては1人から6人。セルタにおいても2人から5人と様々な報告がある。ダンゴ、セルタともに銃弾を浴びた人は多数いるらしく、今もその人たちに十分な治療を受けさせることができず、多くの被弾者が危険な状態であることは確かだ。

以下、今各メディアに伝えられる、ダンゴ、セルタ、ンガバの状況をまとめてみる。
写真は昨夕ダラムサラで行われた同胞への連帯と犠牲者追悼のために行われたキャンドル・ライト・ビジルより。主催はTYC。今朝にはチベット亡命政府と議会が合同主催し、ツクラカンで同様の趣旨の祈祷会も行われた。

_DSC3342<セルタ>
セルタでは中国の旧正月である23日を前に街には「チベットの自由」と「法王の帰還」を訴え、同時に「焼身抗議を予告」し「遺体が中国側に奪われないよう訴える」チラシが多数撒かれたという。これに反応し、22日と23日に小規模の抗議デモが行われた。しかし、この時には当局はこれを鎮圧することはなかった。

24日、午前10時過ぎに始まった抗議デモには、前2日に増す数百人が参加した。12時頃まで行われ、デモに参加する人は数千人に膨れ上がったという。これを鎮圧するために、500人以上の保安部隊が投入された。デモ参加者を逮捕しようと暴力を振るう武装警官、軍人と空手のチベット人たちの間に衝突が起こった。そして部隊はデモの群衆に向かって無差別発砲を行った。

_DSC3273ある情報によれば発砲は2度に分け行われ、最初の発砲で2人が次の発砲で3人が被弾死亡したという。亡命政府も5人が死亡と発表している。この内現在名前が判明しているのは2人。セルワ(གསེར་བ་)村出身のダワ・ダクパ(ཟླ་བ་གྲགས་པ་33)とオンサ地区近辺の遊牧地から来たポポ(འོན་ཟ་བདེ་བའི་འབྲོག་ས་ནས་ཡིན་པའི་པོ་པོ་)と呼ばれる35歳男性だけである。銃弾を受けたものは数十人に上り、逮捕者は40人程という。

被弾し、銃弾がまだ体内に残っている人も病院で治療を受ける事ができず、危険な状態であるという。ある情報によれば、病院が被弾者の治療を拒否しているという。

_DSC3519この事件の後、街は戒厳令下状態となり、全ての商店は店を閉めさせられ、通りに出る者は全て撃ち殺すと脅されている。

この部分参照:24日付けTibet Express チベット語版http://p.tl/063V
24日付RFAチベット語版http://p.tl/DH8m
24日付RFA英語版http://p.tl/8Vav
25日付けTibet Timesチベット語版http://p.tl/N0CK
その他、VOTチベット語放送。RFAチベット語放送。










_DSC3303<ダンゴ>
ダンゴでも「焼身抗議を予告」するチラシが撒かれた。このチラシを撒いたのではないかと疑われた人々が大勢拘束された。このことがデモのきっかけとなったと思われる。最初数百人だったデモ参加者に当局が発砲し、死者がでたことにより、デモは急速に膨れ上がり、最終的には5000人以上が参加したと思われる。

デモ参加者に向けて保安部隊が無差別発砲したことにより、2人〜6人が死亡したと伝えられる。この内名前等が判明しているは2人だけでノルワ村のユンテン(49)とロキャの息子とだけ判明しているもう1人である。

_DSC3411ノルワの遺体はダンゴ僧院に運び込まれ、今日その葬儀が行われる。ロキャの息子の遺体は他の僧院に運び込まれたという。その他、負傷者のほとんどはダンゴ僧院に運び込まれており、その内36人の名前は亡命政府等から発表されている。この内、銃弾が体内から抜けない等で重体なのが3人とも12人とも言われる。中には頭に銃弾が入ったままという人もいるとの報告もある。ダンゴ僧院には一応病院があるということで負傷者が運び込まれていると思われるが、その病院の医者も被弾し重体ということであり、ちゃんとした緊急治療が行われているとは到底考えられない。

この部分参照:
23日付RFA英語版http://p.tl/heKt
24日付Tibet Net チベット語版http://tibet.net/tibetan/2012/01/24/བྲག་འགོའི་ཞི་རྒོལ་སྐབས/
等。

_DSC3428<ンガバ>
23日にナムツォ僧院とメウルメ郷のチベット人、100人程が真言を唱えながら通りを行進していたとき、保安部隊がこれを遮った。真言は突然「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王に長寿を!」の叫びとなり、衝突が起こった。多くのチベット人が拘束された。また、この後メウルメ郷には大量の部隊が送り込まれ、100人程の住民が行方不明となったという。

キルティ僧院で2週間行われる法要に参加するために向かっていた大勢のチベット人も途中で遮られ、暴行を受け、大勢が拘束された。23日には2度に渡りキルティ僧院を右遶する灯明行進が行われたともいう。

_DSC3575その他、ダラムサラ・キルティ僧院の報告によれば、去年逮捕され刑期3年を受け西宁のメンヤン刑務所に服役していたキルティ僧院僧侶ロブサン・ケドゥップが22日、健康を理由に解放された。彼は刑務所で受けた拷問により、下半身が麻痺し、ほとんど言葉を発する事もできない程に衰弱しきっていたという。

この部分参照:情報源はすべてダラムサラ・キルティ僧院に入った現地報告である。報告は非常に詳しいが、これを要約紹介した。
これを転載したものとして例えば、24日付Tibet Times チベット語版http://p.tl/DIhD







_DSC3596












_DSC3591

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2012年01月24日

カム、ダンゴの続報/今日セルタでデモ、当局の発砲により5人死亡か?

昨日の朝始まったカム、ダンゴの抗議デモに関する新しい情報は今のところ特に入っていない。これはいつものことであるが、当局が電話など現地と外部の連絡手段を全て切断してしまったためと思われる。

昨日時点での様々な報告をRFAがまとめたと言える記事がアップされていたのでそれを中心に、今までに伝えられたダンゴの状況をお知らせする。

23日付けRFA英語版http://p.tl/heKt は「抗議デモで6人が死亡と伝えられる」と題されている。

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現地のチベット人及び亡命側が伝えるところによれば、ダンゴで昨日(23日)行われた抗議デモに対し当局が発砲した事により、少なくとも6人が死亡し、不特定数の負傷者が出たと思われるという。

当局の発砲により、デモは巨大化した。「少なくとも2人が撃たれ死亡し、10人以上が負傷した」と現地からある人は報告する。「抗議者の内の1人は焼身抗議を行おうとした」ともいう。

チベット亡命政府は「当局の無差別発砲により、6人が死亡したという報告がある」と発表した。

現地と連絡を取った在インドのチベット人記者ロブサン・ケンツェは「相継ぐ焼身抗議による同胞の死を悲しむチベット人たちに対し、中国当局が中国の旧正月を祝うように強要したことが今回のデモの原因である」という。

デモの数日前、ダンゴの県庁舎前に匿名のチラシが張り出された。その中には「我々チベット人には自由がない。そして、今年すでに数人の同胞が自らの命を犠牲にした。だから、中国の正月に私は焼身抗議を行う。私の遺体が中国の手に渡らないよう、全てのチベット人にお願いする」と書かれていたという。

同じく現地からの連絡を受け取った在インドの僧侶イシェ・サンポによれば、「最初、数百人のグループがチベットの自由とダライ・ラマ法王の帰還を求めるスローガンを叫びながら行進を始めた。彼らが地元の警察の前に来た時、警官は発砲した。その場で2人が撃たれ死んだ」

「デモは朝始まり今(現地時間午後3時半)も続いている。デモ参加者たちは破壊行為も行った。周辺にあった中国の店や中国関係の施設を壊した」

デモに参加した僧侶は言う「警察署に達したとき警官は我々に向け自動小銃を使って発砲した。彼らは我々を蹴散らすために消火器や催涙ガスも使った」

「ユンテンという男性が殺された。少なくとも32人が負傷した。5人は重傷だった」と。

「もう1人ロギャの息子としか分らないが、彼も撃たれて死亡した」とも報告する。

他の参加者は「何百にものチベット人が拘束された」という。

チベット亡命議会もネットで「少なくとも6人が殺された」と報告している。

Tibet Expressは「タウやカンゼからも大勢のチベット人がダンゴ僧院に集まり、その数は6000人ほどになっている。テンジン・タルゲというダンゴ僧院の医者が被弾し、銃弾を抜く事ができず重傷である」と報告する。

RFAに入った電話によれば、「32人の負傷者がダンゴ僧院に運び込まれた」という。

チベット亡命政府と議会は中国当局が平和的抗議デモに発砲し、事態を悪化させたことに対し強く抗議した。また「国際社会がこのような明白な人権侵害に対し沈黙を続けていることに驚きを感じる」とも記されている。

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ダラムサラ・キルティ僧院によれば、同じく昨日アムド、ンガバのメウルメ郷でナムツォ僧院僧侶を中心に約100人が平和的デモを行った。これに対し、当局は大勢の武装警官と軍隊を派遣しデモ参加者を殴り、大勢を拘束したという。>Tibet Times http://p.tl/J6cF

また、今Tibet Expressが速報として伝えるところによれば、カム、セルタで今日抗議デモがあり、すでに5人が死亡したという。http://p.tl/063V
Tibet Expressはセルタ出身者が組織するメディアである。現地からの情報が直接入っていると思われる。詳細が分り次第追ってお伝えする。


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2012年01月23日

アムドの高僧 拷問の結果死亡

tibet-gyaltso-2-30522日付けRFA英語版http://p.tl/dkq9より。

チベット人の権利擁護運動の先頭に立っていたアムドの高僧が、昨日22日拷問の結果死亡。

以下の情報は北京在住のチベット人作家ウーセルさんが伝えたもの。

去年7月に拘束されたゲシェ・ツルティム・ギャツォ師(དགེ་བཤེས་ཚུལ་ཁྲིམས་རྒྱ་མཚོ་51)は先月解放された。しかし、拷問の跡が明らかで、その時非常に衰弱していたのですぐに病院に連れて行かれた。数日前に病院からも見放され家族の下に返され、昨日死亡したという。

彼はカンロ(海南チベット族自治州)ティカ県ヒムツァདྷཱིཿཚ་僧院のゲシェであり、2006年のインドで行われたカーラチャクラ法要に参加した後、当局に目を付けられていた。2008年には60人の僧侶を引き連れ、チベットの自由を訴え、ダライ・ラマ法王の写真を掲げて抗議デモを行った。

彼はまた、チベット語擁護の運動にも熱心で各地で講演を行っていた。拘束されたときも民族学校に呼ばれ、講義を行っていた。その場に突然公安が入って来て彼を連れ去った。

RFAがアムドの警察にこの件を質すために電話を入れたが、係りの警官は「我々はギャンツォのケースについては何も知らない。刑務所の外で死亡した受刑者に対して当方は何の責任もない。沢山の拘束や解放のケースがあるので一々のケースを把握しているわけではない」と答えたという。


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速報:今朝カム、ダンゴで大規模デモ、当局の発砲により2人死亡か?(続報追記あり)

今日付けTibet Express チベット語版http://p.tl/A7YLが伝える所によれば、今朝カム、ダンゴབྲག་མགོ་で農民、遊牧民が中心となり大規模な平和的抗議デモが行われた。当局はこれに対し無差別発砲、少なくとも2人が被弾し死亡したという。

現地からの報告によれば、最近街中に「4人のチベット人が焼身抗議する用意がある」というチラシが張り出された。これに反応し、当局は今日チベット人200人あまりをランダムに拘束した。これを契機にダンゴ、ルゴクマལུ་ཁོག་མ་とノルワནོར་པ་の農民、遊牧民を中心に大勢のチベット人が抗議デモを行った。「チベット独立!」と叫び、チベットの国旗を手にする者もいた。

これに対し、当局は発砲し、少なくとも2人が被弾死亡したという。他にも大勢が死亡したとの報告もあるが、現在のところ確認できていない。

tsonch-300x224カム、ダンゴと言えば、「最近、法王の言葉に従い、武器や毛皮を僧院に持ち込み破棄した」というニュースが昨日のRFA に出ていた。http://p.tl/WI9P 写真左:刀を捨て非暴力の闘いを誓ったのかも知れない。

それにしても、今回も当局が不当逮捕により市民を怒らせたとしか思えない。続報があれば、お伝えする。

追記1:他ソースによるTibet Times http://p.tl/eOEpによれば、死亡したのは1人で、ユンテンという俗人。ダンゴ僧院に運び込まれた。他3人の僧侶が被弾し重傷を負ったと。

追記2:free Tibetによれば、軍に射殺されたのはノルパ村のノルパ・ユンテン、49歳と。その他約30人が負傷。

VOT中文を@uralungtaさんが翻訳して下さったところによれば、「数千人のチベット人が中国農暦新年元日に大規模な平和的抗議活動」。デモはダンゴ全体に広がっており、局面は悪化の一途を辿っている。「ダンゴのある尼僧院でも非暴力デモが起き、多くの人は状況がさらに悪化することを懸念している。今までに伝えられたところでは、非暴力抗議デモはダンゴのすべての集落に広がり、彼らはチベットの自由を主な主張としてデモ行進をしているようだ」と。


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2012年01月21日

8日に焼身抗議死亡のソバ・リンポチェ 遺言テープが届く

Sopa Rinpoche-30520日付けRFA英語版http://p.tl/WBfA より。

「中国支配により破壊されつつある国家と文化を守るために、チベット人は一団となり闘うべきだ」焼身抗議を行い死亡したチベット仏教の高僧は、その焼身の直前、遺言をテープに録音していた。

このテープが家族の友人によりRFAに送られて来た。

ソバ・リンポチェ(42)は1月8日、ゴロのダルラで北京の支配に抗議し焼身した。炎に包まれながら、彼はチベットの自由とダライ・ラマ法王の帰還を訴える叫びを上げた。

テープに残されたメッセージは彼の黄色い衣に包まれていた。テープは約9分間。実際に以下にアクセスすれば聞くことができる。ただ、ゴロ方言が強く残念ながら私には聞き取れない。>http://p.tl/ptUD

RFAによれば:彼は初めに、これまでチベットのために焼身抗議を行った人々に対し敬意と感謝を述べている。「国としてのチベットの輝かしい将来はこれら勇者・勇女、及び団結するあなた方全ての努力にかかっている」という。

リンポチェは「自らの心と身体をチベットの600万人同胞の幸福と、特にダライ・ラマ法王を初めとする全ての高僧のために捧げる」と宣言する。

さらに「若者たちは自らの文化を学ぶべきだ。そして年輩の者たちはできる限り自らの言語と習慣を守るべきだ」と語る。

リンポチェは僧院のラマであると共に、地元で養老院と孤児院を経営し、地域のチベット人たちから篤く尊敬されていた。


ソバ・リンポチェを誹謗したとしてペマ県で新たなデモ

18日、ゴロ、ペマ県ではザ僧院བཛ་དགོན་པ་、アキョン僧院ཨ་སྐྱོང་དགོན་པ་、ペナック僧院པད་ནག་དགོན་པ་の僧侶が中心となり、一般市民も加わり約200人ほどのチベット人が抗議デモを行った。

現地からの報告によれば、彼らは「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!パンチェン・ラマと全ての政治犯を解放せよ!焼身抗議を行った勇者・勇女を忘れるな!」と叫んでいたという。

警察は現場では直接介入せず、デモは2、3時間続いたという。「同じ日の午後おそく、チラシがばらまかれたり、張り出された。そこには『もっと多くの者たちが焼身抗議の用意をしている』と書かれていた」

次の日には郷と県の保安部隊がペナック僧院とアキョン僧院を包囲した。「デモに参加した何人かは逃げ、何人かが拘束された」という。

報告によれば、「このデモは中国当局が、尊敬される高僧であるソバ・リンポチェの焼身に対し、『これは彼が既婚女性との問題を抱えていたからだ』とコメントしたことに原因がある」という。

「これは偽りの誹謗だ。だから人々は怒り、デモを始めたのだ」と。


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2012年01月20日

余傑「中共の暴政を暴き、自由世界へ----わが出国声明」

images写真はGoogleより。

獄中にある2010年度のノーベル平和賞受賞者劉暁波氏の盟友であり、中国の反体制作家のリーダー的人物である余傑(ユイ・チエ)氏は最近家族とともに渡米を果たすことができた。渡米後、彼は中国当局の脅しにも関わらず、受けた拷問の様子などを証言している。18日に行った記者会見における発言等は日本の各紙もすでに報道している。(例えば 朝日:http://p.tl/Acls

これとは別に彼は19日付で「中共の暴政を暴き、自由世界へ----わが出国声明」という文章を発表し、更に詳しく拷問等の証言を行い、これから「中共の暴政を暴く」という強い決意を語っている。

昨日、この少々長い声明をツイッター上にTakeuchi Jun (@tkucminya/@Minya_J )さんが速攻で翻訳掲載して下さった。本人の了解の下、この翻訳を以下に掲載する。
なお、本人はご謙遜で「拙譯御免」と断っておられる。だから一応これは校正を経ない「試訳」としておく。

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余傑氏の「中共の暴政を暴き、自由世界へ----わが出国声明」2012-01-19 



原文:余杰:揭露中共暴政,奔向自由世界——我的去国声明 http://p.tl/sDGY 



 2012年1月11日午後、一家3人は北京発米国行きの機に。5人の警察の下っ端が家からずっと搭乗するまでついて来て、記念撮影を要求、大いばりで帰って行った。



 中国を去る選択は困難で時間がかかった。

 1998年北京大学在学中に『火と水』を出版して、すぐ中共中央宣伝部安全部門の厳しい監視下におかれ、2000年に修士課程を出た後も当局の干渉で、即座に失業し、以来「非フリーライター」になった。

江沢民の時代はまだ多少の自由があり、一部の作品は国内で発表・出版できた。04年胡錦濤・温家宝体制になってからは完全に封殺されて、以来国内のいかなるメディアにも一文字も発表はできなくなり、他人の文章に私の名前があっても削除されてしまった。

つまり、身は国内にありながら、「心の亡命者」となり、公の空間には「存在しない人」になってしまったわけである。

 それでも私は創作を続けた。一人の独立した知識人として、中共批判を続け、劉暁波と肩を並べて親しい友人となった。

私は海外で15冊前後の本を出版した。発表した文章は千にもなるだろう。これによって、何度となく呼び出され、軟禁され、恐喝され邪魔をされ、状況はますます困難になった。何年か前に欧米し友人を訪問したとき、その友人は引き止めたが「命の危険さえなければ中国を離れる事はできんよ」と答えた。

一人の作家として、言論と出版の自由は最も基本的なものであり、信仰の自由はキリスト教徒として不可欠なものである。そして一人の人間として、恐怖からの自由もまたそうである。



 しかし、2010年10月8日、最大の親友の劉暁波がノーベル平和賞を受賞するというニュースの後、私はこれらの最も基本的自由を失い、違法に監禁され、酷い刑罰を受け、監視され、尾行され”強制旅行”に連れ出されるのが日常生活の一部分になった。

こうした1年以上にわたる非人間的扱いと苦しみと戦って来た後、私は中国を離れるという選択をし、ファシズム化し、野蛮で暴虐の中国共産党政府と決別せざるを得なかった。



 この一年以上の間、私はこんな目にあったのだ。2010年10月8日、劉暁波ノーベル賞受賞のニュースが伝えられたその日、私は米国訪問中で、昼、南カリフォルニア大学で講演をし、夜、このニュースを聞いた。私は深く感動し、直ちに帰国の準備を始めた。

友人は、私に中共当局は怒り狂っているし、国内の人権状況は急激に悪化しているから暫く米国に滞在して様子をみたほうがいい、と言った。しかし、劉暁波は10年来の親友であり、先輩である。彼が独立中文ペンクラブの会長であり、私は副会長。

ここ数年、劉暁波が参加したほとんどすべての活動に、私も拘っていた。2008年12月、劉暁波が逮捕されて以来、私は彼の妻の劉霞の同意を得て、劉暁波の伝記執筆に着手した。だから、一国も早く帰国して、劉暁波の親友達のインタビューをつづけ、できるだけこの重要な本を完成させたかったのだ。

 ノーベル賞獲得の報道の5日後、十月十三日に、私は米国から中国に戻った。飛行機を降りたとたんに、直ちに北京の警察当局によって違法に自宅軟禁された。4人の私服が24時間門を見張り、なんと机をもってきて我が家の門を開かない様にした。わが家の周りには6台のビデオカメラと赤外線探知機が設置される大袈裟な大警備体制だった。

 最初の数日はまだ妻は仕事にでかけられたし、劉霞の弟と家内は連絡がとれ、劉暁波の為に服や食品を買えた。が、不運にも劉霞の弟から家内へのメモが警察に発見されてしまい、家内の携帯電話は突然不通となり、私同様軟禁されてしまい、仕事に行く事も許されなくなった。

 ある日、妻は病気になり、40度の熱がでてほとんど意識がなくなったが警察は医者に行く事を許さなかった。朝陽公安局の郝的という警官は憎々しげに「お前が死んだって、出すもんか。死んだら誰か上のやつが責任をとるだろうし」と言い放った。この非常時に私はネットで救助を求めた。で、ある善意の友人が救急車を呼んでくれた。だが、警察はその医者を門の外で阻止した。幸運にもその医者が頑張ってくれたので、最後には連中も妻の体温を計る事に同意した。医者は、容態が大変危険だとして、入院治療が必要だとし、交渉の末、夜明け近くになって家内は6人の警官がぴったり張り付いたままやっと救急車で運ばれたが、私は同行を許されなかったのだ。

 事態はその後ますます悪化した。十一月初めから我が家の電話、ネット、携帯は全部切断された。誰も私達に接触できなくなった。私と妻は家の中で世の中と隔絶された状態にされた。生活に必要な品々はメモに書き、銭とともに門番の警官に渡して買って来て貰うのだ。私達は外の出来事がわからず、両親や子供とも連絡がとれなかった。牢屋よりひどいものだった。牢ならまだ刑期が有る、知人の訪問もある。毎日運動もある。だが我々は真っ暗な洞窟に入れられたと同然、途方もなく長く感じられる日々を、こうして2か月も過ごした。

 12月9日、ノーベル平和賞授与式の前の日、生涯で最悪の日がやってきた。午後1時過ぎ、以前からきていた朝陽区の王春辉という下っ端警官が、地元派出所の馬副主任と一緒に我が家にきて「うちのボスがあんたと話したい」と言って来た。この罠を私は全然疑わず、普段着をひっかけたままオーバーを着て連中と家をでた。

 階下にきたとき異常を感じた。十数名の私服と数台のクルマが待っていたのだ。2人の大男がいきなり私の眼鏡を手でぶっとばし、黒い頭巾をアタマから被せられて車の後部座席に押し込められた。車はすぐ発進。両脇の私服が私が身動きできないように押さえつけた。

 約1時間後、車は秘密の場所に到着。警官が私のアタマをわきの下に挟み込み部屋に連れ込み、座らされて動くな、と言われた。ちょっとでも動くと殴ったり蹴ったり、その間中も私は黒い頭巾を頭から被せられていた。

 夜の10時頃、連中は私の黒頭巾をとった、ホットしたとたんに数人の私服が襲いかかって真っ正面から私を殴った。連中は私の服をぬがせ、私は素っ裸で床の上に転がされて蹴られた。その姿を連中は得意げに写真に撮って、「ハダカをネットに載せてやる」と言った。

 連中は私を膝まづかせ、百回ぐらいビンタをくれた。どころか私に自分を殴る様に脅迫した。私が自分をなぐって音が聞こえるぐらいになって、連中はやっと満足し、狂った様に笑い出した。連中はさらに私の胸を蹴り倒れた私の胸を踏みつけた。私は肋骨が折れたようで、そのあとも一月胸が痛かったし、腰を延ばすのも大変だった。

 連中は私の指を開かせ、一本つづ反り曲て、「おめえの手は共産党を攻撃する文章をいっぱい書きやがったな、全部一本一本へし折ってやる」と言った。

 連中はさらにタバコの火を火傷させるほど
私の顔に近づけ、タバコの煙りを顔に吹きかけて、ずっと私を辱める言葉を吐き、「てめえは売国奴だ、裏切り者だ、クズだ」と。さらに家族や友人を侮辱し、その侮辱どおり私に繰り返させた。私が自分を罵らないと連中は私を殴り、蹴飛ばしたのだった。

 連中のボスは「おめえは3つの大罪を犯した。ひとつは劉暁波を十年も積極的に応援して帝国主義が中国を転覆させる陰謀に荷担した。二つ目は、香港で『中国の映画スター皇帝温家宝』という本を書いて国家の指導者の悪口を言った。「三つ目は、劉暁波の伝記を書こうとしている。こんな本だしやがったら、刑務所に放り込んでやる」と。

 そして「もし上が命令さえしたら、てめえなんざ30分で穴ほって埋めちまう、世界の誰も知らんうちにな。いま外国人は劉に授賞して俺らの党と政府を侮辱しやがったが、俺たちはお前をぶっころして復讐するのだ」と。そして「いいか、国内で共産党に反対して、影響力の有るインテリなんてなあたった二百人だ。一旦中央がヤバいとおもったら一夜で全員パクって生き埋めよ」と言った。

 一体どのぐらい殴られていたかわからないが、私は気を失った。そして体中が痙攣を起こしたので病院に連れて行かれた。そのときは私はほとんど知覚がなかったが、もうろうとした中でぼんやりこれは北京郊外の昌平だとわかった。医者は「怪我が酷いのでここじゃ無理だ。大病院に送らないと」と言った。警察は「じゃ、救急車でおくれ、金は払う」といったが医者は「ここにはそんな特殊設備の救急車は無い。すぐに市内の設備のある救急車を呼ばないと助からない」と言った。

 やがて救急車が来て、私を市内の高級病院である北京医院に連れて行き、私の名を「李力」として、「こいつ癲癇を起こしてね」と言った。

 何時間もの救急措置で私はなんとか死の寸前から救われた。翌日、医者は私に事情を聞いた。私は「連中が殴ったんです」と言った途端に警官が医者を傍らに呼び、別の警官が私の耳元で「もしそれ以上デタラメを言ったら、お前の身体についているチューブをみなひっこぬいて殺してやる」と言った。

 10日の午後、彼らは私が命の危険がもうないとみて、病院の近くのホテルに移した。午後休ませて夕方、連中のボスが来る、と言って別の部屋に連れて行った。そいつは于と名乗り、北京市公安局の副局長兼国保総隊長だと名乗った。于は空々しくも「昨日の事は誤解でね、下の連中が間違ったんだ。外部にそのことを喋るな」と言った。数日後、私はまた郊外の別の所に連れて行かれ、連日、ここ数年かかわった活動と文章について査問された。連中は私に無理矢理、この内容を喋らない様に、取材をうけないように、外国大使館員と接触しない様に、9人の常任委員の悪口をかかないようにという誓約書を書かせた。

 2010年12月13日になって私は釈放され家に帰された。この後2週間、私と妻は外出を許された。だが、そのときは階下の24時間監視している警察に行き先と帰宅時間を告げなければならなかった。12月下旬、私は四川の郷里に帰った。警察は飛行場迄ついて来た。このあと4ヶ月、故郷では半月ごとに警察が来た。姜と名乗る所長と張と名のる課長が何人かの部下をつれて来て私の担当だ、と告げた。



 この後1年、いわゆる「敏感な時節」になると私は違法に自宅軟禁されるか、”強制旅行”させられた。例えば祝祭日や記念日、大会開催日、外国要人訪問の日など3日に空けず、ほとんど日常の半分、私は自由を奪われた。海外で文章を発表する事も禁じられた。文章がでるやすぐ警察が脅しに来たのだ。私達一家3人は3つの違う場所で暮らす事を余儀なくされた。私は知らぬ土地で監視され、妻は北京で仕事、子供は四川の郷里で祖父母に面倒を見てもらっていた。そしてまもなく妻の勤務先にも警察の圧力がかかり彼女は仕事を失った。こんなことは初めてではない。私は教会の集まりにもいけず、聖書の研究もできなかった。キリスト教徒としての正常な信仰生活もおくれないことは、わたしには極めてつらいことだった。

 こんな生活はとても続けられない、一家が共に暮らせず、ものを書く自由が完全に失われ、命の安全さえ保障されない−真実を語り続ける知識人として14年生きて来たが、私はついに出国する決意をせまられた。

 しかし、2011年の夏、警察に出国の要求をしたが、連中は私の妻と子を出国させるのは上級が許さない、と言った。何度も話し合う中で、連中はクリスマスの後なら考えると言いだした。クリスマス後、私は米国行きの切符を買って、警察に「なんとしてでも出国する、もし飛行場で捕まえるつもりなら、頑張って一切の真相をぶちまける」といったら、連中は妻子の件で上が許可する様に努力する、といった。

 1月9日、私が買った切符の前々日、北京の警察総隊の姜という所長が、新任の北京市公安局副局長(兼国保総隊隊長)が会うといっていると。翌日、あるホテルで会った劉と名乗る男は、于の後任で私に誓約書を書いたら考慮すると言った。

 連中が要求した内容は「私はこの一年以上、過去十年書いて来た文章を深刻に反省した結果、特に海外メディアで発表した政治評論類は、多くの問題があった。まず関係著作において、実際の調査をろくにせずネット上のいい加減な情報や間違ったニュース・資料に基づき安易に間違った結論に達した。また私の立論も偏ったもので、中国社会の暗黒面や欠点ばかりみて、中国社会の巨大な進歩をみていなかった。
これらの文章を発表した為に、調和有る社会主義建設に害を及ぼし、読者を間違った道に導き、中国の大局的発展に損害をあたえた、と書けというのだった。

 このような状況に鑑みて、私は自分の生活をいささか調整したい、と思った。北京大学で学んでいた間、私が専攻したのはもっぱら近代文学と思想で、政治評論ではなかった。キリスト教徒になってから、その歴史に大きな興味をもったのだ。
だから、私は学者に立ち返ることにし、自分の特徴を生かし、米国でキリスト教等の歴史を研究し、政治評論の類いは書かないことにした。そして同時にだんだん成長しつつ有る我が子が米国で良い教育を受けられる様に願って渡米することにした。

 圧力の元でこの誓約書を書いた後、私は出発許可がおりた。この政府高官は「米国に行ったら自由だなどとおもうなよ。もし話すべきでないことを話したら、やっちゃいかんことをやったら、お前は帰国できない。家族(両親等)とも会えない。行いを慎むんだな」と。

 政治権力がなんと憲法で保障した市民の出入国の自由をもって、その市民を脅迫する、というのはまことにその政権の虚偽と弱さをあらわしているのだ。

 こうして1月11日、私達一家は警察の厳重な監視下、機上の人となった。

 今や私は米国という自由な国にいる。ここに私は重ねて宣言する。残酷な刑罰と脅迫の元での誓約書は、自分の真実の願いに反するもので、すべて破棄する、と。

 さらにわたしは重ねて、国際社会に向けて自分がこの一年遭遇したすべてを明らかにし、国連人権理事会等の機関に訴える。私はこの先も共産党独裁制度を批判するし、この日々ファッショ化し野蛮になる残虐な政権は自由世界の最大の敵である。私はこれからも揺るぎない決意をもって、中共の暴政に反対しつづけることを宣言する。

 米国に来てからの私のこれからの主な計画;2月後に「劉暁波伝」の中国語版を出版。以後、この本の各国版を出版。これは2009年に書き始め、彼の妻劉霞が許諾した唯一の劉暁波伝記だ。この伝記によって全面的な劉暁波の生涯と、思想、創作を中国人を含む全世界の人々にもっと深くこのノーベル平和賞受賞者を知ってもらえれば、と思う。それは当然、可能な限り人々に劉暁波と劉霞の命運に対して関心を持ち続ける様に呼びかけ、一日も早く彼らが自由になることでもある。

 半年以内に、「冷血暴君・胡錦濤」を出版する。これは「中国の政治的映画スター温家宝」の姉妹書になる。そして歴史の舞台から引き下がる胡錦濤への「弔辞」である。中味は胡錦濤政治の和諧社会だの大国復活だの中国モデル

、所謂治安維持等、胡錦濤時代の重要な特徴への全面的分析と論評であり、国内外の読者や国際社会に中国経済の成長の裏にある専制暴虐、腐敗の横行、人権の悪化、環境破壊、道徳の崩壊など多くの真相を知らせ、歴史上の許されざる2人の罪人であることを示す。

 中国出国後、多くの国内の友が我が選択に同情と理解をし、激励、期待してくれたことに本当に感動し励まされた。私は自由世界の多くの情報に触れ、自分の作品を一歩も引かず、むしろ前進させ高められると、きっと皆さんの期待に答える作品を生み出すと信じている。



 また、広い国際社会の舞台で、中国の民主と自由の為に自らの声をふりしぼり、国際社会に更に劉暁波、刘霞、陈光诚、高智晟、胡佳、范亚峰や余知られていない刘贤斌,陈卫、陈西、杨天水らの境遇を知らせたい。私は今、得難い自由と安全を獲得したが、依然として自由も安全もない同胞のために声を上げる事は私のおろす事のできない責任と使命である。縛られた者とともにあり、悲しめる者とともにあるのは、キリスト教の教えでもある。

 そして私は本当に愛国者なのだ。シェイクスピアのマクベスの中にこんな台詞がある。「我らの国は思い軛の下に沈み、泣き叫び血を流している。毎日彼女の傷の上には新しい傷が重なる」。私はこの傷の痛みに憂い悲しみ、今後共産党の暴政を暴露することを生涯の仕事とする。

 この中国の財富を盗み略奪し、中国人民を奴隷とするこの政府が崩れるその日迄、私は一日たりとも批判と真相追求をやめることはない。そして、いつか遠く無い将来、民主、自由の実現した中国に戻り、そのときは聖書にあるとおり私達の暮らしは「兄弟姉妹がつどい、仲良く暮らすことこそ最高の美である」とのようになる。そしてかの国を奪った暴政国賊、売国の賊、胡や温や、悪辣な警察連が審判席に送られ、フセインやムバラク、カダフィのような末路をとげるだろう。其の日が一日でも早まる様に、ともに努力しましょう。(終)


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2012年01月19日

ウーセル・ブログ「なぜカロン・ティパ(首相)はタベーの名を呼ばないのか?」

004原文(1月15日付け):http://p.tl/Mq-k
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん

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「この文章を書いた時点では、今年の3人を含め、チベット本土で16人が焼身抗議していた。しかし14日にンガバで焼身抗議があり、本土の焼身抗議者は17人になった。今年に入ってもう4人が焼身抗議している。(写真は@tonbani撮影)」


◎なぜカロン・ティパはタベーの名を呼ばないのか?

1月4日、カーラチャクラ灌頂法会の4日目が終わった時、新しく選ばれたカロン・ティパ(チベット亡命政府首相)のロブサン・センゲが演説した。本土のチベット人焼身抗議者による悲壮な事件について述べ、焼身抗議者一人ひとりの名前と年齢を読み上げてくれたことに感謝したい。この瞬間、悲しみを抑えられない尊者ダライ・ラマの表情は人々を感動させた。しかし、カロン・ティパはこのとても重要な場面で、2009年に起きた本土初の焼身抗議事件にやはり言及しなかった。彼が読み上げた名簿にも、最初の焼身抗議者タベーの名前はなかった。

これは一体どういうことなのか、カロン・ティパに問いかける必要がある。

_DSC9597カロン・ティパは知らないのだろうか?彼は昨年11月末にヨーロッパを訪問し、チベット情勢を説明した時、本土の焼身抗議者を1人少なく数えていた。本土で最初の焼身抗議事件は2009年2月27日に起きており、焼身者はアムド地方、キルティ・ゴンパの二十歳の僧侶タベーだ。私はブログとフェイスブックで念を押した。彼が払った犠牲を無視しないでほしい。焼身抗議時、中国共産党の軍警に撃たれて障害を負い、今も行方や生死は分かっていない。どうかタベーを忘れないで!

国外のチベット人が当時、ネットを通じて教えてくれた話では、私の念押しはカロン・ティパに伝わっており、彼は分かったと話していたという。私は安心し、数え方を改めてくれるのだろうと信じた。なぜなら、彼は焼身抗議したチベット人の数は単なる数字ではなく、生命を表しているのだと話していたからだ。

1カ月以上がたち、カロン・ティパは今回の重要な法会で焼身抗議者の名簿を読み上げた。確かにそこには修正された箇所があったが、ただ「2011年の」という限定を加えただけだった。この修正はタベーを相変わらず名簿から除外しているが、2011年の焼身抗議者数としては確かに間違っていないため、欠点を指摘されないで済む。しかし、こうした修正は数字のごまかしではないのか?焼身抗議した同胞を数字として扱っているのではないのか?

私が聞きたいのは、カロン・ティパがなぜタベーを除外し続けているのかということだ。まさかタベーはチベットのために命を犠牲にしたのではない、とでも言うのか?2011年から2012年初頭にかけ、チベット本土で焼身抗議した15人の最初のモデルではない、とでも言うのか?カーラチャクラ灌頂法会は尊者ダライ・ラマが執り行い、多くの高僧が集まる。カロン・ティパがここでタベーの名前を読み上げ、然るべき承認と尊重、祈祷を受けることを家族や同郷者、修行仲間は待ち望んでいたのではないのか?カロン・ティパにすれば、タベーの名前と年齢を読むのは口を2回多く動かすだけの話だが、本土にいるタベーの家族はそれによって犠牲の価値を確かめ、極めて大きな慰めを得られる。なぜカロン・ティパはこれほどわずかな音を出し惜しみ、タベーの家族らに彼が忘れ去られたかのような感覚を与えるのか?

カロン・ティパが唯一挙げられる理由は、タベーの焼身抗議がもう3年前の出来事であり、触れなくてもいいということだろう。しかし、時間の経過が記憶を消し、記念を取り消す理由になっていいのだろうか?もし3年前に巨大な代価を払った英雄を持ち出す必要がないとすれば、この半世紀以上にわたって民族の犠牲になった無数の烈士についても全て終わったものと見なし、心に深く刻む必要はないということなのか?

カロン・ティパはただ時間の区切りで焼身抗議者を統計したいだけなのかもしれない。今から始めるならば私たちは今後、「2012年以降、チベット本土では既に3人のチベット人が焼身抗議した」としか言えなくなる。2011年の焼身抗議者12人に触れる必要はないのか?当然ながら2009年のタベーについても二度と触れる必要はないのか?

もしカロン・ティパが引き続きタベーに触れないのなら、申し訳ないが、事実の通りになるまで私はとどまることなく声を発し続けるだろう。

そして私たちが同様に覚えておくべきなのは、60歳を超す亡命チベット人トゥプテン・ゴドゥップが1998年、インドのデリーで焼身抗議の犠牲になったことだ。昨年11月にはニューデリーとネパールのカトマンズで、僧侶ブティと俗人シェラップ・ツェドルが焼身抗議で負傷している。

2011年1月7〜9日

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2012年01月18日

14日にンガバで焼身抗議を行ったロブサン・ジャミヤン 死亡確認

Lobsang Jamyang 01 (2)ダラムサラ・キルティ僧院の情報係り僧イシェと僧ツェリンは17日付メールで14日にンガバで焼身抗議を行った若者の写真を添付し、氏名など詳しい情報を公開した。このコピーをTibet Timesチベット語版 http://p.tl/jWzTで読む事ができる。以下、これを翻訳する。

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14日にンガバでチベットのために声を上げ焼身抗議を行ったロブサン・ジャミヤンは16日、バルカムの病院で死亡した。

今月14日、現地時間1時半頃アムド、ンガバ、アンドゥ地区シェワ村ギャンツォ家、父ギャンツォ、母ハチュンの息子ロブサン・ジャミヤン(ཨ་མདོ་རྔ་པའི་ཨ་འདུས་ཥེ་བ་སྡེ་བའི་རྒྱ་མཚོ་ཚང་གི་ཕ་རྒྱ་མཚོ་དང་མ་ལྷ་ཆུང་གཉིས་ཀྱི་བུ་བློ་བཟང་འཇམ་དབྱངས། )22歳(メールでは22歳、Tibet Timesは21歳と書く)は、ンガバ街中の交差点にある公衆トイレの中で全身に灯油を浴び、火を付けた後「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットに自由を!」と叫びながら道に躍り出た。

近くにいた武装警官や軍人が集まり、火を消す前に左右から鋲付きの棍棒で彼に殴り掛かった。彼を白い布で覆った後も踏みつけるなどの暴力を加えた。これを見た周りのチベット人たちは、彼に対する暴力を見るに耐えきれず、危険を顧みず、武装した武装警官たちから彼を取り戻そうとした。衝突が起こり、武装警官たちはチベット人たちに激しく襲いかかった。この時、多くの人たちが負傷した。メウルマ第2地区のチュキ・ダワ(ཆོས་ཀྱི་ཟླ་བ་)は重傷を負い病院に運び込まれたが生きる望みは薄いと思われている。若者2人も重傷を負った。女性1人の片目が潰された。

その後の発砲により2人の女性が撃たれたが、詳細は不明。多くの人が、撃たれた人はもっといると言う。また、沢山のチベット人が拘束され連れ去られたというが、人数や氏名は未だ伝わっていない。

次の15日には当局は街に市民を怖れさせるための大きなポスターを張り出し、恐怖心を起こさせるための示威行動を行った。それにも関わらず、街には「ロサ(チベット新年/この地区では1週間後)には商店や飲食店は(普段のように)営業しよう。弔いのロサにするために贅沢な食事をせず、普段着を着て過ごそう」と訴えるチラシが沢山撒かれたという。

保安部隊から激しい暴力を受けたロブサン・ジャミヤンは16日にバルカムの病院で死亡した。17日には彼の父親と親戚の何人かが遺体を引き取ろうとバルカムに向かったが、実際に遺体が引き渡されたかどうかは不明である。

焼身抗議を行った愛国勇者ロブサン・ジャミヤンは幼少時に地元のアンドゥ僧院(ཨ་འདུས་དགོན་པ་)で僧侶となった。後、(還俗し)小学校に通っている。2011年に地域で「純粋なチベット語を話そう」という運動が起こった時、彼はシワ村でこの運動を推進する委員会の主要な委員となった。この時、当局は彼に圧力をかけたり、脅迫したという。

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彼の死により、これまでチベット内地で焼身抗議を行ったチベット人17人の内12人が死亡した事になる。彼の死は火傷によるものというより、保安部隊の暴力により殺されたと言うべきであろう。

rftibet at 18:54|PermalinkComments(4)TrackBack(0)