2012年03月

2012年03月09日

署名活動「焼身抗議をやめて下さい」ウーセルさん、アキャ・リンポチェ、カデ・ツェランさん連名

_1ウーセルさんとアキャ・リンポチェとカデ・ツェランさんは連名で「焼身抗議をやめて下さい」という署名運動始められました。

8日付けのウーセル・ブログに中国語、チベット語、英語で発表されたこの呼びかけを、劉燕子さんが訳して下さいました。

趣旨に賛同されるかたは署名お願いいたします。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/03/blog-post_08.html






圧政はいかに大きくとも、どうか命を大切にしてください。

チベット人抗議焼身自殺のニュースが次々に伝わってきました。
既に26人目になっています。このニュースが入るたびに、心が引き裂かれるほど悲しみのどん底に落ちます。

16人目の抗議焼身自殺者は、アムド、ゴロクのソバ・リンポチェで、その遺言は、次の通りです。
「仏陀が、昔、命を捨て、虎に捧げたように、他に犠牲となったチベット人と同様に、真理と自由と大義のために命を捧げることに決めました。」

これは今日、世界で稀に見られる献身です。これはチベット民族に対する深甚なる影響をもたらしています。これを私たちは永遠に心に刻みます。そして、26人が我が身を炎と化したことは、十分にチベット人の意志を表明しています。しかし、これは最終的な目的ではありません。希望を現実にすることが、私たちの最終的な目的です。

命の存続こそ、希望を現実にできます。もし、抗議焼身自殺が続いていけば、その一人一人の命を希望へと転化できない損失となるでしょう。

ですから、私たちは心より願います。
ただ今から抗議焼身自殺を止めましょう。一人一人のチベット人は命を大切にして、生き抜きましょう。圧政がいかに大きくとも、私たちの命は重要です。生き抜いてください。

抗議焼身自殺では、私たちの現実を変えられません。私たちを憎む人は密かに、みんな死んでしまえば一番いいとたくらんでいます。私たちは生き抜いて、奮闘・努力してこそ現実を変えられるのです。生きている私たちは、一滴の水です。この一滴一滴が合流していけば大海原になります。小さな努力の積み重ねこそ、現実を変えられます。不死鳥のごとく立ちあがるチベット人こそ、私たちの民族の血脈を継承することができます。

私たちは呼びかけます。チベット各地の僧侶、長老、知識人、民衆は自分の信者、家族、村民たちを守ってください。抗議焼身自殺の再発を防いでください。チベットに関わる各組織、機関はただちに行動しましょう。抗議焼身自殺の拡大や加速を防ぐことを、当面の急務としてください。チベットの未来は、私たちチベット人によるものです。

オーン・マニ・ペメ・フーン(六字真言、蓮華の中の宝珠よ、幸いあれ)。

チベットを見守ってくださる国際社会の良識ある人々にもお願いします。チベットの現状と、チベット人の意志に注目し続けてください。そして、この呼びかけに賛同してくださる方は、以下のサイト、フェイスブック、ツイッター、アドレスに氏名、住所、所属などを書いてください。公開したくない人
は、その旨を付記してください。

Tsering Woeser(writer, Beijing)

Arjia Lobsang Tupten (Arjia Rinpoche,USA)

Gade Tsering (poet, Amdo)


http://woeser.middle-way.net
ツィッター(@degewa )、
Email:Putixin2010@gmail.com

転載は大歓迎


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8日 ダラムサラ・ツクラカン 千手観音灌頂 / ペマ県で部隊の無差別発砲により1人死亡2人重体

_DSC0016今日(8日)はロサ(チベット新年)15日目、モンラム開けということで、恒例の法王のジャータカ(仏陀前世談)の講義と千手観音の灌頂が行われた。

教えの内容など、少しは報告したいのだが、、、ちょっと今日は時間がない。

今回はただただ、意地のように法王の写真をアップさせてもらう。
これはと思う写真があればクリック拡大してください。

_DSC0024今日入ったチベットのニュースを一つ:
<ゴロ州、ペマ県で保安部隊の無差別発砲によりチベット人1人死亡、2人重体>

1月の抗議デモに参加した人を逮捕しようとした部隊を阻止しようとチベット人が集まったが、この集団に対し部隊が無差別発砲。チュリ(28)が頬に被弾しその場で即死。2人が重傷を負い、病院に担ぎ込まれた。

8日付けphayul 及びTibet Timesより。

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_DSC9630私の先生、ゲシェ・ソナム・リンチェン。











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_DSC9809千手観音の小さな砂曼荼羅が入った祠。











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_DSC9855最近日本人のお弟子さんが多い、ナムギェル僧院のゲシェ・ロプサン・ダクパ。










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_DSC9880再び私の(最初の)先生。












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2012年03月08日

昨日、今日のダラムサラ・ツクラカン

144昨日と今日ダラムサラ・ツクラカンにダライ・ラマ法王がお出ましになった。
2日間の写真をアップする。

昨日はチベット正月から行われていたモンラム・チェンモ(大祈祷会)の閉めと御前問答。
今日は法王の長寿を祈るテンシュク。
ちなみに明日(8日)は法王によるジャータカ(仏陀の前世談)講義と観音菩薩の灌頂が行われる。

***事情あって今借り物のパソコンでブログなどをアップしているのだが、このパソコンで写真を見ると荒い上にすべて赤みが強くなってる。今、元の写真がそうなのかどうか判断できない。もしも、皆さんのパソコンで見ても赤みが強い時は勘弁してください。

2012 tuklhakan 268昨日モンラムの最中シャーンティデーヴァ(寂天)の経偈の一節を引用された際、法王、思わず涙ぐまれた。









2012 tuklhakan 260












2012 tuklhakan 343御前問答












2012 tuklhakan 376問答に耳傾けられる法王。












2012 tuklhakan 364尼僧たちの集団問答。












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3この日はスリランカからと思われるテラバーダ系の僧侶たちも多く参加されていた。










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086テンシュクの日には多くの仏像なども供養される。
この大きな仏像は5世ダライ・ラマ。























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122久しぶりにお出でになられた、ニンマ派の長老カムトゥル・リンポチェ。










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2012 tuklhakan 199ツクラカンの千手観音。








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2012年03月06日

ンガバで18歳の少年が焼身抗議死亡。3日焼身ツェリン・キの続報。2月8日焼身のリクジン・ドルジェ死亡。僧ロプサン・クンチョックの四肢切断

Map_TsampaRevolution_20120305_EN3日、4日、5日の焼身の場所が示されている地図

ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、3月5日現地時間午後6時半頃、ンガバ州ンガバから東に70kmほど離れたチャ郷で、18歳のドルジェと呼ばれる少年が、中国政府への抗議のスローガンを叫びながら、焼身抗議を行い、政府庁舎の前で死亡した。

目撃者の話は以下;「チャ郷の街はずれにある橋の袂で、1人の若者が自らの体にガソリンをかけ火を点けた。炎に包まれながら中国政府に対する抗議のスローガンを叫び、郷の政府庁舎の前まで来てそこで崩れ落ち、その場で死亡した。周りにいたチベット人が火を消そうとしたができなかった。チベット人たちが彼の遺体を運ぼうとしているとき、保安部隊が駆けつけ遺体を無理やり奪い去った。彼を乗せた車はンガバ方面に向かった」

ドルジェはンガバ県チャ郷チャルワ村ガルキャ家の息子、父の名はチャチャ。

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これで3日連続して焼身抗議が行われ、3人ともその場で死亡した。これまでに確認されている焼身抗議者の数はドルジェを入れて26人。その内死亡が19人。

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tsering+kyi+11ツェリン・キ

3日、マチュで焼身抗議死亡したツェリン・キの続報

昨夜ダラムサラでは3日と4日連続して焼身抗議を行い死亡した2人の女性ツェリン・キ(19)とリンチェン(32)を弔うためのヴィジルが行われた。
「勇者の塔」の前で行われた集会で現地と連絡を取ることができた、マチュ出身の元良心の政治犯ドルカ・キャップがツェリン・キの焼身についてさらに詳しい報告を行った。

2012 tuklhakan 063報告するドルカ・キャップ

以下が彼の話:
「ツェリン・キは午後3時頃、ガソリンを買ってマチュの野菜市場に向かった。市場の中にあるトイレの中でそのガソリンを浴びて、外に出て火を点けた。何か叫んでいたというが何と叫んだかははっきりしない。その野菜市場で野菜を売る者はほとんどが中国人だ。彼らは燃え上がるツェリン・キに向かって石を投げたという。また、警官を呼び、駆けつけた警官たちも燃え上がる彼女を殴り倒し、倒れた後も暴力を加えたという。彼女はその場で死亡したが、火傷により死亡したのか、暴力により死亡したのか分からないと話す目撃者もいた。

彼女の遺体が運び去られた後、すぐに市場は保安部隊により封鎖され、中にいた全員が夜9時ごろまで拘束された。そして、全員の携帯電話がチェックされ、中に焼身の写真がないか、誰かに連絡をとったかなどが調べられた。決して焼身のことを外部に漏らすな、と命令された。付近にあるネット屋もチェックされた。

2012 tuklhakan 029涙が止まらぬ老婆。

また、彼女の出身校であるマチュ蔵族中学校にも大勢の保安部隊が押しかけ、学校は閉鎖された。中では愛国再教育が行われ、彼女を知る、友人やクラスメートなどはすべて尋問を受けた。

マチュの役人や警察は緊急会議を開き、「ツェリン・キの焼身の理由は恋愛関係のもつれ」ということにしようと決定された。

ツェリン・キは遊牧民家庭の出身、姉が1人いる。彼女の学校は2008年に大きなデモを行い、刑期を受けた生徒も出ている。2010年、漢語化に反対して行われたデモに彼女も参加している。最近回りの友人たちに「チベットでは大勢の人たちが焼身抗議を行っている。自分たちもこれに続くべきだ」と話していたという。遺書が残されていると聞いたが、まだその内容は伝わっていない」

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2月8日にンガバで焼身のリクジン・ドルジェが死亡 

同じくダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、2月8日にンガバで焼身抗議を行い、その後当局により連れ去られ行方不明となっていた、リクジン・ドルジェ(19)が2月21日にバルカムの軍病院で死亡していたということが最近判明した。

「遺体は家族に引き渡されず、仏教的儀式もなく火葬され、家族には葬儀を行うなと命令した」という。

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2011年9月26日に焼身抗議を行った僧ロプサン・クンチョックの四肢が切断された

さらに同上のリリースによれば、去年9月26日、僧ロプサン・ケルサンとともに焼身抗議を行ったンガバ・キルティ僧院の僧ロプサン・クンチョックの「四肢はすべて切断され、食物も喉へのパイプを通じて摂っている状態」という。

家族の面会は拒否されたままという。



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2012年03月05日

マチュで女子中学生が焼身抗議 その場で死亡 

3b7b2549マチュ県チベット族中学

4日付RFA英語版http://p.tl/u3hk/チベット版/中国語版によれば、

3月3日(チベット版のみ4日とする)現地時間午後3時頃、アムド、マチュ(甘粛省甘南チベット族自治州瑪曲県瑪曲)の街中にある野菜市場の中で(མདོ་སྨད་རྨ་ཆུ་རྫོང་རྨ་ཆུ་ལམ་སྔོ་ཚལ་ཚོང་ར་)マチュチベット族(瑪曲蔵族)中学校の1人のチベット人女子生徒(རྨ་ཆུ་རྫོང་བོད་རིགས་སློབ་འབྲིང་གི་སློབ་མ་)が焼身抗議を行い、その場で死亡した。

「市場で野菜を売る中国人たちは炎に包まれ燃えるその少女に向かって石を投げた」と目撃者は語る。

「これを見たチベット人たちは怒り、中国人との間で衝突が起こりそうになった」と続ける。

少女の遺体は当局に持ち去られたという。

追記(インド時間正午):彼女の名前と年齢が判明した。名前はツェリン・キ、年齢は19歳。

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2010年、この地域のチベット人中学生たちは、中国政府のチベット政策に反対する抗議デモを何度も行っている。また、アムドでは当局の「漢語教育推進」に反対し「チベット語擁護」を訴える中学生による抗議デモが連続して発生した。拘束された生徒も多く、刑期を受けた生徒もいる。参照http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51505576.html

これで確認された焼身抗議者の数は25人となる。内死亡者は18人。甘粛省で初めての焼身抗議。女子学生の焼身も初めてである。




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2012年03月04日

<速報>ンガバで再び焼身抗議 死亡 初めての一般女性

4日付Tibet Express:http://p.tl/It5Gより。

現地から連絡を受けたダラムサラ・キルティ僧院によれば、今日(4日)現地時間早朝6時半頃、ンガバ・キルティ僧院正面入り口近くにある監視事務所の前で、リンチェン(རིན་ཆེན་)と呼ばれる1人のチベット人女性が中国政府への抗議を示す焼身を行い、その場で死亡した。

リンチェンはンガバ県チャ郷ラルワ村ラムカル家の嫁(རྔ་པ་རྫོང་གཅའ་ཞང་རྭ་རུ་བའི་ལམ་དཀར་ཚང་གི་མནའ་མ་)。父の名はラナ、母の名ラコ。32歳。

彼女は焼身抗議の際、「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットに自由を!」と叫んだという。その場で死亡した彼女の遺体は僧侶たちにより僧院に運び込まれたが、その後当局に奪い返されたかどうかは不明という。

リンチェンには兄弟が8人いて、その内彼女は上から2番目。彼女の夫は一年前に亡くなった。彼女が亡くなったことにより、最年長13歳から最も幼い子は1歳にも満たないという4人の子供が孤児として残された。

この事件の後、ンガバには以前にも増して保安部隊が増強されたという。

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これまで確認された焼身抗議者は彼女で24人目。
一般女性のケースは初めてである。
死亡確認者は16人。
ンガバにおける焼身者は16人目。

追記:phayul記事http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=31007&article=A+mother+of+four+dies+in+latest+self-immolation+protest+in+Tibet


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無期限ハンスト12日目

421651_3330413064688_1399331099_33244065_994950328_n昨日11日目の写真。

ニューヨークの国連本部前で、チベットの正月1日(2月22日)から行われているTYC(チベット青年会議)主催の無期限ハンガーストライキは、今日で12日目である。参加者3人の体力は目に見えて衰え、10日目の時点でシンサ・リンポチェとドルジェ・ギェルポの体重は6キロ、イシェ・テンジンは3キロ減少したという。

un-hunger-strike-day8-305slide2ハンスト3日目にはニューヨーク警察から、3人を雪、雨、風から守るために建てられていたテントの撤去を命令され、8日目にはベッドや椅子も撤去せよと命令された。ニューヨークはこのところ天気が悪く時折、雪や雨が降り、風が強いと言う。3人は空腹の上に寒さと闘わねばならない状況ではあるが、あくまで、要求が通るまでハンストを続ける意思は堅いという。

ニューヨーク警察がこのように厳しい規制を掛けてくるのは去年のウォール街事件が影響していると思われている。

彼らが国連に対し要求する5項目は以下:
1) チベットの危機的状況を調査するために、直ちに調査団を派遣すること。
2) 中国に対し事実上の戒厳令を撤廃するよう圧力をかけること。
3) 国際メディアのチベット入りを許可させること。
4) ゲンドゥン・チュキ・ニマ(11世パンチェン・ラマ)、トゥルク・テンジン・デレックを始めとする全ての政治犯を解放させること。
5) チベット内で行われている「愛国再教育」を止めさせること。


_DSC7584今回の無期限ハンスト参加者3人の略歴:(参照TYCホームページhttp://p.tl/woCH)
1)11世シンサ・リンポチェ・テンジン・チュキ・ギェルツェン。
1980年1月15日アムド、青海湖地区ボンタクに生まれ、13歳の時ダライ・ラマ法王により第10世シンサ・リンポチェとして認定されゴロ、ラギャ僧院に入った。

シンサ・リンポチェの系譜はゲルク派開祖であるジェ・ツォンカパの母親の生まれ変わりである。ちなみに父親の系譜は最近日本にも来られたアキャ・リンポチェである。

1997年インドに亡命しセラ僧院で学ぶ。2011年ゲシェ位を得る。

2008年にはチベットへの「帰還平和行進」に参加。その他、著者やネットを通じ、チベット問題解決のために常に勢力的な活動を行われている。

2)ドルジェ・ギェルポ。
1953年3月5日、チベット、キドン・パンシン地区に生まれる。1960年ネパールに亡命。1965年インドに移動し、学校に行く。1978年メインパットの地区チベット青年会議委員となる。1992年アメリカに渡る。
アメリカに移民したのちもTYCのメンバーとして常に活発な活動を続けている。

3)イシェ・テンジン。
1973年3月15日、インドで生まれる。ダルハウジで教育を受ける。
2004年から2期に渡りハーバープールの地区TYC議長を務める。
インドに置けるTYCの活動に積極的に参加し続けている。

120229093728AO写真左は7日目に「中国民主党」のメンバーが連帯を示すために3人を訪れた時のもの。
今日4日にはハーバード大学の研究員であり、著名な中国人民主活動家でもある楊建利氏が一日ハンストに合流した。




1203020436396E先月末からスイスのジュネーブで行われている第19会国連人権委員会において、アメリカの特使マリア・オッテロがチベットの人権侵害に対する動議を発動し、委員会はチベットの人権侵害に関する声明を発表した。
さらに、チベット人、ウイグル人、モンゴル人地区に調査団を派遣すべきだという勧告も行った。(この部分参照3月1日付Tibet Post:http://p.tl/1ign 3月2日付phayul: http://p.tl/FMzH

これは、このハンストを含めた国連に対する圧力やロビー活動の成果の一つと言えよう。しかし、このような人権委員会の声明はこれまでにも何度となく発表されている。そして中国はこれを無視し続けているというのが現実である。何らかの制裁を伴う決議が国連本体によって決定されない限り、実際の効果は期待できない。

_DSC75713月2日にダラムサラで行われた無期限ハンストへの連帯を示すヴィジル。

TYCはハンストが2週間目となる6日に彼らに対する一斉連帯行動を行うよう要請している。




中国系NTDテレビの無期限ハンストニュース(英語)



TYC制作の無期限ハンストビデオ(チベット語)





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2012年03月02日

山狩りで銃殺された2人の兄弟の母親も撃たれ、その腕は切断された

ac7638d7写真は2月9日にダンゴで山狩りにより銃殺されたイェシェ・サムドゥップと僧イェシェ・リクセル。

カム、ダンゴでは、中国の旧正月である1月23日に大規模な抗議デモが発生し、デモ参加者に向かって当局が無差別発砲したことにより大勢の死傷者が出た。負傷者の多くは逮捕を怖れ山に逃げ込んだ。そんな負傷者の内、2人の兄弟が2月9日に山狩りに来た保安部隊により銃殺されたということはすでにお伝えした>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-02.html?p=2#20120210

2月20日付Tibet Express チベット語版http://p.tl/0TKIによれば、殺されたこの兄弟イェシェ・リクセル(40)とイェシェ・サムドゥップ(38)の母親や兄弟、その子供たちも拘束されたという。

銃殺された、兄弟2人の遺体も家族には引き渡されず、当局によりすぐに火葬された。

2人が山で銃殺された同じ9日に、警官隊が2人の兄弟であるユンテン・サンポの家に押し掛け、70歳程である彼らの母親サンラとユンテン・サンポの幼い子供、親がいないと言うのでユンテンが面倒を見ていた14歳の女の子ラキ・ドルマとヤンキを連行して行った。この際、警官たちは暴力を振るったので、母親や子供たちは負傷したという。これを知って、友人たちは警察に行き、彼らに治療を受けさせるために解放してくれるよう懇願したが、受け入れられなかったという。

さらに17日にはユンテン・サンポが逮捕されたが、その際激しい暴力を受けたと言われ、ダンゴの人々は彼は死んだに違いないと噂している。

殺されたイェシェ・サムドゥップには妻と4人の子供がいたが、彼らがどうなったかについては報告が入っていないので不明である。

d4f801f0-s以上が2月20日時点で分っていたことであるが、昨日(3月1日)のVOTが伝えるところ(チベット語放送と中文記事http://p.tl/DflT)によれば、母親のヤンキは拘束された時、腕を撃たれていた。さらにその後直ちに病院で治療を受ける事が許されなかったのか、最近、その被弾した腕を切断する手術を受けたという。

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中国は映画等でしばしば日本人を「鬼」と表現するが、自分たちが今どれほどの「鬼」であるかに気付いているのであろうか?


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2012年03月01日

「またパンダが来る」ウーセルさんの治安警察呼び出し顛末

120301010554WT在北京のウーセルさんは、これまでにも度々警察に呼び出されている。以下は、昨日呼び出された後、ウーセルさんがツイッターで顛末を語ったもの。

@uralungtaさんが日本語に訳して下さった。

今回呼び出しの直接の原因となった彼女の「クラウス王子賞受賞」については過去ブログを参照>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51697953.html
彼女がオランダ大使館に行き賞を受賞しないよう、公安は彼女のアパートの下で見張りを続けている。

2月29日ツェリン・ウーセルさんの治安警察呼び出し顛末

*熊猫又要来了。。。またパンダが来る。。
※パンダ≒国宝(グオパオ)=国保(グオパオ)=中国公安部国内安全保衛局(中国の治安警察)

*パンダがなぜ来るのかは分ってる。待ちますか。。

*(「家にいるのか?」に返信して)
(マンションの)ロビーまで来た。うっとうしい!

4時間半経過

*皆さまご心配おかけしました。先にお礼だけツイートして、ゆっくり原因を書きます。

*こういうわけです。光栄なことに、私はオランダの2011年度クラウス王子賞を受賞しました。本来であれば明日〔3月1日〕、クラウス王子基金会の代わりにオランダの駐中国大使から授与いただく予定でした。もともとはクラウス王子基金会長が訪中して表彰してくださる予定でした。しかし、基金会長はオランダの中国大使館にビザの発給を拒否され、北京に来られなくなったのです。さらに駐中国オランダ大使館も、私に賞を授与することは許されないという警告を受けました。

*さらには、オランダの中国関係筋(おそらくは中国大使館)では昨日〔2月28日〕、オランダ当局に、オランダ駐北京大使館に対して私に賞を授与しないように要求しろという圧力もかけてきました。しかし駐北京オランダ大使館は、それでも私に賞を授与する、ただやむを得ず大使が公邸で私的な小パーティを開く形にする、と表明しました。それで私も数人の友人だけを招きました。私は、これなら問題になるはずがない、私的なパーティに出かけるだけなのだから、とその日を待ちました。

* けれど〔北京時間〕午後6時、北京市公安局の国保〔国内安全保衛局〕から電話があり、面会の必要があると言ってきました。私は、一体どういうことか、といぶかしみました。ただし思ってもいなかったことに、私が一緒にパーティに行きましょうとお願いした友人のなかに、ほかにも国保から、明日の受賞に参加することは許されない、と言い渡された人がいたのです。夜8時ごろ、国保2人が来て、夫の王力雄が私の代わりに事情聴取を受けに行きました。比較的長くかかりました。彼らは、明日はオランダ大使館のほうへ行くことはできないと言い渡しました。

* パンダにはほかにもこんなことを言われました。3月のこの一時期は出かけてはならない、出かける時は彼らもついていく。実際には、2週間前には彼らは既に出勤していて、マンションロビーの事務室に座っているのですが。今も〔監視の〕車があるみたいで(車の中に人がいる)、建物の外に停まっています。後から私たちは振り返ってみて、これらはクラウス王子賞受賞に関係するだけでなく、「両会」とも関連するだろうし、さらにはチベットとも関係しているだろうと考えています。
※両会=人民代表大会と政治協商会議。3月に開かれます。もうすぐ。

*以上が、今回の出来事です。ツイッター仲間の皆さまにはありがとうございました。いずれにせよ、この2カ月来、“お茶を飲まされた”〔国保に口実をつけて呼び出され恫喝された〕のは4回を数えます。王力雄(ウーセルさんの旦那さん)がいうには、あなたの民族のなかにはあれほど多くが焼身するものは焼身し、逮捕されるものは逮捕され、失踪させられるものは失踪させられ、あなた1人が授賞式パーティをだめにされたところでそれがいかほどのものか、1カ月自宅軟禁されてそれがいかほどのものか、ですって。

*王力雄が言うには、あなたの民族の人たちすべてが苦しみのなかにあるときに、パーティに出かけることがそもそもだったんだよ、と。。まあこんな風に話していますけど、それでも私はとても悲しいです。萧瀚と阿花はわざわざ来て慰めてくれて、阿花は微博で「きれいな礼服を着てちょっと出かけるめったにない機会をなくしてしまった、美女にきれいな服を着させない奴なんてみんな邪悪な悪者だ!」と書きこんでいました。そのとおり、みんな邪悪な悪者!

*それにしても考えるだに、また改めて歴歴を見て驚かされることには、オランダ大使館による表彰活動は、これ以前に、中国でも、ツイ・チェン(崔健)、栗憲庭先生、ジャー・ジャンクー(贾樟柯)などがクラウス王子賞の受賞歴があって、そのなかの誰ひとりとして授賞式に出てはならないなどと阻止された話も耳にしていないのです。なぜ私だけが「特殊化」されているんでしょうか? 私がチベット人だから? 異なる意見を発表する作家だから? なんとも中国外交部にはご足労いただいてわざわざ禁令を下されたことでしょうね、さらに治安警察まで派遣して! 中国共産党のまったくなんとお偉いことでしょう!

@uralungtaさんによる、原文を含めたツイッターのまとめはhttp://togetter.com/li/265862

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シガツェ地区で鉱山開発に反対した僧侶5人と地域の責任者1人に懲役刑

b1445def-s写真は全て、2010年6月5日同じくシガツェ地区のナムリン県で鉱山開発に反対した住民30人が逮捕された時のもの。

シェトンモン県タモ郷の位置は以下で確認できる。
http://p.tl/Wanq シガツェの北西約150km。

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2月29日付Tibet Netチベット語版:http://bod.asia/2012/02/བཞད་མཐོང་སྨོན་རྫོང་གླི/ によれば、

e728edd7-sチベット自治区シガツェ地区シェトンモン県タモ郷リンカ僧院(གཞིས་རྩེ་ས་ཁུལ་བཞད་མཐོང་སྨོན་རྫོང་རྟ་སྨོ་ཤང་གི་གླིང་ཀ་དགོན་པ་)の僧院長はじめ5人の僧侶と地域の政府責任者に刑が言い渡された。

2010年、リンカ僧院のすぐ裏手で政府系鉱山会社による鉱山開発が始まった。2010年11月22日から、この環境破壊に反対する活動が、リンカ僧院僧侶を中心に行われ始めた。これに対し郷当局は警官を派遣しこの開発妨害活動を阻止しようとした。しかし、村人も一緒になった様々な活動に対し、数も劣った郷当局は有効な手が打てなかった。

37-300x2252010年12月18日、郷当局は県とシガツェ地区当局に応援を要請し、大勢の警官、武装警官が村に到着。鉱山開発反対の活動を行った僧侶や村人は激しい暴力受け、15人が逮捕された。(参照過去ブログhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51594111.html

今回、刑期が確定したのはリンカ僧院の僧院長サンポ(མཁན་པོ་བཟང་པོ་49)と僧ジャミヤン・ツェリン(འཇམ་དབྱངས་ཚེ་རིང་39)を始めとする5人の僧侶で、それぞれ4〜5年の懲役刑が言い渡された。その他、管理責任を負わされた地域の政府責任者も2年の刑期を受けたと言う。

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鉱山開発に反対しただけで、これほどの刑を受けるのだ。鉱山開発は政策であり、ほとんどの開発会社の裏には政府や軍がいる。反対する者たちに軍が発砲するという事件がチベット各地で何度も起きている。

また、地域の役人にも管理責任を負わせるというのは、最近始まったチベット人を中心とする地方役人締め付けの影響もあると思われる。


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