2012年07月

2012年07月30日

6月20日焼身ンガワン・ノルペルの近況判明/追記7月30日死亡

cbf8f8f5-s6月20日、ジェクンド(玉樹)州ザトゥ県ザトゥの街中で2人の若者が、チベット国旗を手に持ち「チベット独立!法王帰還!」と叫びながら焼身した。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51750577.html その内テンジン・ケドゥップ(24)はその場で死亡し、ンガワン・ノルペル(22)はその後行方不明となっていた。

ンガワン・ノルペルは当初シルカル僧院に匿われたが、その時、彼が僧侶に話かけたビデオが伝わっている。>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51751064.html
2人は短い遺書も残していた。>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51754005.htmlの(6)

このンガワン・ノルペルの近況が、ダラムサラ在住の叔父により最近明らかにされた。
まず、ンガワン・ノルペルは当初ンガバの出身と発表されたが、これは間違いであり、本当は自治区シガツェ地区ニャラム県ミンポ郷ティドゥ村(བོད་ལྗོངས་གཞིས་ཀ་རྩེ། གཉའ་ལམ་རྫོང་མིན་པོ་ཞང་ཁྲི་འདུ་སྡེ་བ་)の出身と判明した。

叔父テンジン・ペルギェによれば、ンガワン・ノルペルは2008年11月に故郷を離れ、その後長い間音信不通となっていた。2年後、彼から家族に電話が入り「カムの方にいるが、元気でやっている。もうすぐしたら一度帰るつもりだ」と話したという。

「今日(7月29日)の朝、里に電話したところ、ンガワン・ノルペルの父親であるラクパ・ドゥンドゥップが青海省に行き、息子に面会できたという。今、西寧の病院に収容されているそうだ」とテンジン・ペルギェ。

ンガワン・ノルペルは焼身の前に友人に対し、「もしものことが有った時には、家族に連絡を入れてくれ」と頼んでいたという。その友人はンガワンの焼身を知って、行方を突き止めた後、家族に連絡した。父親は西寧の病院に行き、息子との面会を求めた。最初、病院を守る軍人は面会を許可しなかったが、父親は「我々家族は焼身のことを全く知らなかった。焼身とは全く関係ない。長い間、会うこともできないでいた」と説得し、後、面会が許されたという。

父親によれば「息子はわずかに話ができたが、重体で、かろうじて息をしているだけという状態だった」という。

参照:29日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6365

追記(7月31日):ンガワン・ノルペルが父親の看取るなか、30日午後3時半、病院で死亡したという報告が入った。

最後に何度か彼は父親に話かけようとしたが、その度に警官が割り込み、質問を繰り返したので、彼はまったく話さなくなっていたという。

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=31810&article=Ngawang+Norphel+passes+away+in+a+Chinese+hospital

これで、内地焼身者46人の内、35人の死亡が確認されたとこになる。



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2012年07月29日

焼身抗議者の遺書 2通

7月16日の当ブログにおいて、それまでの焼身者48人(現在49人)をリストにまとめてお伝えした。この時、その遺書編でザムタンで焼身した3人の遺書を翻訳紹介していなかったことが気になっていた。今日は残されていた、この3人の遺書を紹介する。3人と言っても、遺書は2通だ。この内2人は一緒に1つの遺書を残したからだ。

最初の遺書はリスト25番目のナンドル、18歳が書いたもの。彼は2012年2月19日にンガバ州ザムタン県チョナン僧院の近くで焼身・死亡している。次は2012年4月19日に焼身・死亡したリスト39番のチュパック・キャプ、25歳とリスト40番のソナム、24歳が一緒に書いたもの。2人は同じくンガバ州ザムタン県チョナン僧院の近くで焼身・死亡している。

なお、この3人の焼身の映像は記録され、その遺書と共にyoutubeに発表されている。既に紹介しているが、再びそのURLを知らせる。<閲覧注意>http://www.youtube.com/watch?v=MdjEDm6zH6g&feature=youtu.be

_
ナンドルの遺書

不屈の愛国心と勇気と共に、額を高く上げ
私、ナンドルは、恩深き両親、兄弟、親戚を思う
恩あるチベットの人々の大義のために、炎に我が命を投げ入れることで
願わくば、チベットの男たち女たちよ、団結と調和を守らんことを

チベット人ならば、チベットの服を着よ
そして、チベット語を話せ
チベット人であることを決して忘れるな
チベット人であるならば、愛と慈悲を持て
両親を敬い、チベット人同士で団結し、調和を保て
動物に対し慈悲深くあれ
有情の命を奪うことを慎め

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように

チベットのラマやトゥルクが何万年も生きられますように

チベットの人々が中国の邪悪な支配から解放されますように
中国の邪悪な支配の下には大きな苦しみがあるのみ

この苦しみは大きく堪え難い
邪悪な中国がチベットを侵略した
この邪悪な支配の下で暮らすことは不可能だ
邪悪な中国は愛と慈悲を持たない
堪え難き暴力と苦しみを与えるのみ
そして、最後にはチベットを抹殺しようとしている

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように


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チュパック・キャプとソナムの最後の願い

チベット人は独自の宗教と文化を持ち、他の民族と区別される。その特徴は、愛と慈悲を持ち、他の人々の幸せのために尽くせという教えにある。しかし、今、チベットの人々は中国の侵略を受け、弾圧されている。基本的人権を奪われ、苦しみの中にある。

そして、チベットが自由を取り戻すため、世界平和のために、私たちは焼身する。自由を奪われたチベット人たちの苦しみは、私たちの焼身の苦しみよりも余程大きい。

恩ある両親よ、家族、兄弟たちよ、私たちはあなた方に愛を感じてないとか、別れたいというのではない。また、自分たちの命を軽んじているのでもない。私たちは2人とも正気で、真っ当な心と思考の下に、チベットが自由を取り戻すために、仏教が栄えること、有情の幸福と、世界平和を願い焼身するのだ。

故にどうか、私たちの最後の願いに従ってほしい。私たちが中国の手に落ちても、何もしないこと。自分たちのために1人のチベット人も傷つかないというのが願いだ。

私たちのことで悲しくなった時には、学のある僧院長やトゥルクたちの助言に従うように。そうすることで、自分たちの正しい文化と伝統を学び、保存することができるであろう。同胞への忠誠心と愛情を守り、自分たちの文化を守り、団結を維持せよ。そうすれば、いつの日にか私たちの望みは叶えられよう。どうか、私たちの最後の心からの願いが叶えられますように。



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2012年07月26日

チベット人が掲げるオリンピックトーチと真理のトーチ

120726012802IUまず、チベット国は今回のオリンピックに参加することはできなかったが、2人のチベット人が本物のオリンピックトーチを掲げたという話。
25日付けphayul.comによれば:http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=31788&article=Tibetans+raise+Olympic+torch+in+London

先の日曜日、ロンドンのSt Martin教会内で行われた、宗教間グループである「宗教世界会議(World Congress of Faiths)」主催のオリンピックを前にした祈りの集会に、チベット仏教を含む9つの宗教グループが招待された。各グループは「自分にしてほしいことを他の人々に対して為せ」という「黄金ルール(Golden Rule)」のもとにそれぞれのヴァージョンを発表する機会が与えられた。

その際、Bristolのトーチランナーがチャリティーのために貸し出した本物のオリンピックトーチがそれぞれの代表者によって掲げられたのだ。ロンドン在住の2人のチベット人、カルマ・チュラ・ツァンとツェヤン・ドルマが壇上に上がり、カルマがスピーチをする間、ツェヤン・ドルマがトーチを掲げたという。写真はそのときのもの。

カルマはチベット語と英語で2種類の文章を読み上げた。まず最初にダンマパダ(法句経(真理のことば):もっとも有名な原始仏典の1つ)の中から「自分が害されると思うことを他人にたいして為すな」を引用し、さらに続けて古いチベット仏教の諺「自分が快く感じないことを他人にしてはならない。この道徳的諺を人々に知らせよ。そしてこれを守れ」を紹介した。

次にこれを補足するようにダライ・ラマ法王の言葉を続けた。「人間として我々はみんな幸せを求め、苦しみをさけようとする。幸せの鍵は内的平安であると学び知った。内的平安の最大の障害は怒り、執着心、恐れ、疑念等の煩悩である。一方、愛、慈悲、普遍的責任感(a sense of universal responsibility)は平安と幸福の源である。もっと簡単に言えば、他人が幸福になって欲しいと思うなら慈悲を行ぜよ。自分が幸福になりたければ慈悲を行ぜよ」

偶然にもこの「宗教世界会議」は1904年、チベットに侵攻したイギリス軍の隊長ヤングハズバンドによって、1936年に創設されたという。

IMG_1244ところで、もう1つのトーチである「チベット真理のトーチ」はインドの南と西と北を出発し、各地でチベット問題を訴え、署名活動を行っている。一昨日の夕方、インドの北ラダックのレーを出発したトーチがダラムサラに到着した。昨日はTCV(チベット子供村)にも行き、3000人近い生徒と職員に迎えられた。

なお、チベット問題に対し国連の具体的行動を促すための署名活動はオンラインでも行われている。賛同する人は是非以下にアクセスし署名を行って頂きたい。
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/198/920/082/

要求など詳しい内容は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51752200.html



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2012年07月25日

チベットは一級の戦利品

d7125087鉱山開発に反対した住民が逮捕されるところ。2010年6月5日、シガツェ地区ナムリン県。

「チベットは中国の核心的利益」という言葉を中国政府は何度も繰り返す。これは「絶対誰にも手渡すものか」という強い領土占有の意志を表すための言葉だが、もっと端的に「金のなる木なんだ、手渡すものか」という表現でもある。実際、最近のうなぎ上りの観光収入もそうだが、何よりも次々と膨大な地下鉱脈が発見されているからだ。資源に飢える中国に取ってチベットはまさに「宝の山」なのだ。青海鉄道に何千億のも金を掛け、インフラ投資に膨大な金をつぎ込んで、これをチベット人の生活改善のためとか宣伝してるが、第一義的には大きな見返りを見越しての軍事的、経済的投資なのだ。

もっとも、それだけならどこの国でもやっていることで、特に問題視されることではない。問題なのは、第一に中国はチベットを侵略し、武力で手にいれたこと。そして、今も元々の住民の生活や意志を無視して、強引に開発を進めていること。それを全てはチベット人の生活改善のためだと、ぬけぬけと偽善的発言を繰り返すという「嘘」にある。植民地搾取の典型である。

23日付RFAチベット語版(*1)でカム、チャムド地区とアムド、ツォロ地区における鉱山開発により、人畜に被害が広がっているというニュースが伝えられている。地元の人々は抗議したいが、当局の報復を恐れなかなか実行できないと訴える。2008年以降、チベット各地で鉱山開発に反対する抗議デモが頻発している。当局が平和的抗議を行うこのようなチベット人に対し発砲し、死傷者が出たという事件が、少なくとも5件報告されている。鉱山開発を行う事業主が民間であろう国であろう、バックには常に軍部がいる。邪魔をするものは容赦なく撃ち殺しても平気なのだ。

チベット人は仏教伝達以前からアミニズムの傾向が強く、山や川を聖なるものとして畏敬をもって大切に守って来た。そのようなチベット人にとって、聖山と崇める山等に大きな穴を開けられることは堪え難いことなのだ。もちろん、実際に鉱山開発に伴う毒害を被っている地区も多い。

23日付けで「Tibetan Plateau」というブログ(*2)に、最新のチベット鉱山開発に関する詳細データが掲載されていた。現在分かっているだけでチベットには192種類の鉱物があるという。ブログには147カ所の鉱山或は鉱脈の位置が記された地図が添付されている。

以下その石油を含む鉱山の位置を示す最新地図(クリック拡大):
Mineral Deposits of the Tibetan Plateau

カムやウツァンには銅鉱山が多く、アムドには金、北のチャイダム盆地には石油と天然ガスが多いことが分かる。チャムドの南にはウランやレアアースの鉱脈があることも分かる。
さらに規模や正確な位置が分かる詳しいデータベース/リストは:
鉱山>https://docs.google.com/file/d/0B63eaz4EemWPTzdCVl9mT2FMSzQ/edit?pli=1
塩湖>https://docs.google.com/file/d/0B63eaz4EemWPNXRJMGVUeVdmeUE/edit?pli=1
石油>https://docs.google.com/file/d/0B63eaz4EemWPSDdScXlQeDFZUlk/edit?pli=1
その他未確認鉱物鉱山>https://docs.google.com/file/d/0B63eaz4EemWPVTlva1l6akMzcFk/edit?pli=1

*1
カム、チャムドhttp://www.rfa.org/tibetan/sargyur/chabdo-tibet-07232012141645.html

アムド、ツォロhttp://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/amdolaytsen/gyal-kham-melong/chinese-mining-in-tso-ngon-serchen-dzong-wreak-havoc-on-tibetans-07232012114752.html

*2http://tibetanplateau.blogspot.ca/2012/07/best-data-on-tibets-mineral-and.html

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当ブログでは2008年の終わりにチベットへの投資に関する中国側の記事と、これに対する反論となっているオーストラリア人の「チベットは一級の戦利品」と題されたコラムを翻訳紹介している。

以下、これを再掲する。

<中国の対チベット投資が過去最高に、新華社>
2008年12月29日 01:02 発信地:北京/中国
http://www.afpbb.com/article/economy/2553002/3638186

【12月29日 AFP】中国国営の新華社(Xinhua)通信は28日、3月に発生した騒乱で経済に深刻な影響を受けたチベット(Tibet)自治区に対する中国の今年の投資額が過去最高の160億元(約2100億円)に上ったと伝えた。

 新華社がチベット発展改革委員会の統計を引用して報じたところによると、一連の騒乱の影響で2008年上半期のチベットの工業経済成長率は11%、固定資産投資は10.3%、それぞれ前年同期比で減少した。チベット経済下支えのため中国政府は7月、観光やインフラ(社会基盤)整備などを対象にした特別助成・奨励制度を実施する意向を示した。

 チベット発展改革委員会は、投資額の増強は実を結び、自治区の総生産額は前年比10.1%増の392億元(約5200億円)となる見通しだと述べた。チベットを抑圧しているとの非難に対し、中国政府は2008年のチベットへの投資額は1951年以来最も多かったとして反論している。

 今年3月14日に自治州の中心都市ラサ(Lhasa)で騒乱が発生し緊張が頂点に達した。騒ぎは同国西部のチベット人居住区に飛び火した。

 一連の事態を受け、中国政府は6月末までチベットへの外国人観光客の立ち入りを禁止した。この影響で、今年1月から6月までにチベットを訪れた旅行者は前年同期比で110万人も少ない34万人にとどまった。(c)AFP


<チベットの隠された真実>

出典:
http://woodsmoke.wordpress.com/2008/08/22/how-china-is-plundering-the-natural-resources-of-tibet/
には、資源の話だけでなく、核施設、ミサイル基地などについての報告もある。

Australi.to News[Monday, December 29, 2008 15:14]
by Partha Gangopadhyay

チベットは一級の戦利品

アメリカのエリート達はそれを知っていた。中国人もそのことを知っていた。
封建制であろう、プロレタリア独裁制であろう、(USやUKのごとくの)民主封建制であろう、そこに住む人々に関わる政体のことなど誰も本気に気にしてなどいない。

チベットは素晴らしい戦利品だったのだ。今も一級の戦利品であり続ける。中国がそこに居続けている、25万MWeの電力を生むことができるが故に。
私は先頃、中国のヒマラヤ搾取計画に関する詳細な地図を含む、エネルギィー関連研究をまとめた。

他の資源としては:

中国の土地・資源省はチベット全土に渡る記録的な新たな資源発見について報告した。この発見は1999年から4、400万US$の予算で始められた、秘密の7年計画の調査による成果である。千人を超える調査員は24のグループに分かれ青海・チベット高原の至る所に散り、最終的にチベット全土の地質学地図を完成したのだ。

この調査により、銅、鉄、鉛、亜鉛、ウランその他の鉱物を含む、1,280億US$(約14兆円)相当の大きな16ヵ所の新しい鉱床を発見した。しかし、これらの発見はこれまでに判明している126種の鉱物、例えば世界的な埋蔵量を誇るリチウム、クロマイト、銅、ボラックス、鉄に上乗せさせられたにすぎない。中国の地質調査局局長のメン・シアンライは嘗て一度<資源欠乏が中国経済の急所だ>と発言したことがある。チベットにおけるこの新しい発見は<中国が直面する資源問題を軽減する>ことは確実である。

チベットの銅の埋蔵量は4千万トンに昇り、中国の鉛と亜鉛の総埋蔵量4千万トンの3分の1、そして10億トンを超える良質な鉄鉱石が眠る。
今回の新発見の中でも注目に値するのは、ニクンと呼ばれる鉱脈だけでも5億トンを有するという、上質鉄鉱石の供給確保が挙げられよう。これだけでも中国の鉄鉱石輸入の20%削減を可能にする。新しい銅鉱脈の発見の方も大きい。チベットの環境保護の視点からは重要な地域である、ヤルツァンポ渓谷にそって400kmの鉱脈が発見された。そこにあるユロンと呼ばれる鉱山は、国営新華社によれば、すでに中国第二位の埋蔵量と言われ、1,800万トンを誇り、増え続ける電力、電線需要を満たすことを可能にするという。中国は今まで銅鉱石を主にチリから輸入していたが、これで世界第7位、世界の銅の5〜6%の埋蔵量を持つことになった。

近い将来チベットから中国が「絞り出すことのできる<富>のために」と言う方が、中国がチベットに注ぎ込んでいるという補助金に対し、中国が「チベットの近代化を進めるために」と空疎な宣伝説明をするより余程すぐれた説明になるであろう。

事実、中国政府の公式ウェブ上に「かつて静寂に包まれていたチベットの北方地域は俄かに活気付き、興奮さえそそる場所になっている。政府の西部開発計画に応え多くの国内企業が進出した。北チベットには28種類の鉱物を含む200の鉱山があり、石油と温泉が豊富なのだから」と書かれている。

中国国営星石油公司と中国国営石油・天然ガス開発公司はルンポラ盆地で初めての油田を掘り当てた。推定埋蔵量300万トンと算定される。この油田は毎年100万トンの原油を産出するアムド油田群に加えられる。さらに中国はナクに2か所の金鉱山を開いた。ラサには宝石加工プラントを建設した。ナク県の役人ソナム・ドルジェは「北チベットの金、石油、アンチモン等資源開発のために内外資本の投資を歓迎する」と語っている。
これはまだまだチベットへのインフラ投資が必要であることを示している。その豊かな地下資源以外にもチベットは世界一の経済大国を目指す中国の要となる資源をたくさん有するのだ。

チベットからこれまでに運び出された木材の価値一つをとっても、それは優にこれまで中国がチベットのインフラ整備に使った金を上回る。1949年チベットの原生林面積は221,800sqkmであった。1985年にはおよそ半分の134.000sqkmに減少した。大部分の森林はチベット東南部の低地帯にある、人の通わない、河沿いの急峻な斜面にある。森林のタイプとしては熱帯、亜熱帯山岳地針葉樹林帯。主な種類はトウヒ、モミ、松、カラ松、西洋ヒノキ、カバそれにカシである。チベットの森林は古く、平均樹齢は200年とされる。平均森林密度は272立方mt/ha。ウ・ツァン(中央チベット)にある針葉樹林地帯の密度は2,300立方mt/haに昇り針葉樹林帯として世界一である。
一たびこれら原生林に中国の手が入るや、チベットの山々は広範囲に渡り丸裸にされて行った。1985年までに総計24億4、200万立方メートル、1949年の森林量の40%、金額にして約6兆円が持ち去られた。

自治区コンボ地区では、森林伐採が雇用の最大のものだ。そのうえ2万人以上の兵士や受刑者が木材の伐採、運搬に使われている。アムドのアバ地区には1949年には220万ヘクタールの森林が広がっていた。その材木量は3,4億立方メートルであった。1980年には117万ヘクタール、材木量は何と1,8億立方メートルに減少した。同様にチベット自治区のカンロ地域から1985年までに644万立方メートルの木材を持ち去った。
新しい道路が益々チベットの奥地へと伸びていく、搾取のために。


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2012年07月23日

北スコットランド旅行記 後半

_DSC8681フェリーが出るまでの間にスカイ島を回る。こんな最果ての島にも案外多くの人が住んでるのが不思議なような。でも、町には魚の市場もなく、漁船が出てるようでもなく、畑も少ないし、ようするに牧畜のみで暮らしているように思えた。海の向こうに見えるのが、目当てのルイス島。

これはと思った写真はクリック。

_DSC8701数千年前の原住民の民家を再現したもの。

日本の縄文時代の縦穴式住居にも何となく似てるような。今のわら屋根民家にも似てるような。






_DSC8755島には木がほとんどまったくない。例のハリーポッターの映画もこの辺で撮影されたそうだ。まさに、そんな感じの所謂幻想的な風景が至る所に見られた。







_DSC8823午後1時のフェリーに乗る。車は大きな船に2層に別れて積まれるので相当入る。中は快適。娘は直ぐに横になって眠りにつく。ルイス島まで約1時間半。言葉を聞く限り、イギリス人だけでなくヨーロッパ中心に世界中の観光客が混じってるようだった。




_DSC8789海は凪。海鳥が船の傍の海面から飛び立つ。












800px-Puffin_Latrabjarg_Icelandこの写真だけはWikipeから借用したもの。この辺の幾つかの孤島だけに、このPuffinと呼ばれる非常に変わった海鳥が生息するという。何とも愛嬌のある顔をしてる。目が困ってる。嘴の形と配色が独特。口の縁に黄色いハートマークが付いてる。あいにく、お目にかかることはできなかったが。


IMG_1067ルイス島にいよいよ近づいてるという海上現在地点。

この島にも小さな湖が多い。























_DSC8846ルイス島に上陸。草原と湖沼と山と羊に牛と、まるでチベットのような風景が続く。










_DSC8831沼には野生の白い睡蓮が咲いてる。












_DSC8836白睡蓮の沼。












_DSC9085空気は澄み渡り、海は紺青。












_DSC8976島の南側には山が多いが、北はこのようなどこまでも続くアムドのような平原。

ここで、イギリスのスピード制限についてちょっと説明。町中は40マイル(64キロ)制限、それ以外は60マイル(96キロ)制限。ただの2車線のカープが続く田舎道でも60マイル。日本に比べると相当早い。もちろん、それ以上で飛ばす車もいる。だから、以外に距離があっても案外早く到着する。日本はほんと厳しい。

_DSC8858目的のストーンヘッジの1つに到着。これは小さいやつ。標識がなくて探すのに苦労した。詳しくは大きい有名な方で説明する。








_DSC8867遺跡の傍にいた牛に、嬉しそうに話しかける獣医科のニマ。

ニマは子供の頃からとにかく動物好きだった。家に犬、猫、鶏、ウサギ、ダチョウといろいろ飼われてたが、とにかくその世話をやくのが好き。「人間より動物のほうがニンジェ(可哀想)」と言って獣医の道へ。

もっとも、最近はペットに爬虫類系を飼う人が多くて、よくわからん、とも。

_DSC8945これが目指してた、古代のストーンサークル。BC2900ごろに中心になる大きな石とその周りのサークル状の石が立てられたという。イギリスの南にはこれと似ているがちと違うらしいストーンヘッジというものがあり有名である。それとは似て非なる不思議な感じがする人工構造物である。

今も、本当は何の目的で作られたのかは分かっていないという。墓として使われていた時期もあるそうだ。BC2000年位に、ほぼ東西南北に延びた石柱の列が加えられた。

_DSC8915相当大きいことがこれで分かるかも。











_DSC8886説明のパネル。大きくすれば読めなくもないかも。











_DSC8922名付けて「Calanais Standing Stones / An Ancient Centre of Power」と書かれている。「Calanais」はこの土地の名前。
Powerを感じようと、じっと石に腹を付けたり、背中を付けて瞑想に入る人の姿を見かけた。どこにもこのような人がいるようだ。その人に2人の写真を撮って貰ったが、我々がありがとうと言うと、その中年の紳士は静かに合掌の姿勢をもって答えた。もしかして、チベット仏教にでも凝ってる人じゃないか?と疑った。

で、パネルにもあるが、これと同様の石柱は嘗てスコットランド中に立てられていたらしい。共同作業で立ち上げ、その後も共同体をまとめるシンボルとなっていたのではないかと言われている。

_DSC8898一般に古代の人は石が好きなようだ。石を崇めるアニミズムは世界中にある。これに、聖者の足跡や手形が残っているというのがチベットだが。








_DSC8949












_DSC9001その日の夕日は特に綺麗だった。

























_DSC9033












_DSC9049












_DSC9062反対の空には黄金色の満月が。

























_DSC9082次の日の海。












_DSC9105帰りのフェリーが小さな港に着く。











_DSC9091海は港の中でもこれほどの透明度。











_DSC9113どこもかしこも美しかったルイス島を後にする。











_DSC9128スカイ島の道沿いに咲く、野花。この花は日本では園芸種としていろんな色のが出回ってる。私も庭に植えたことがある。が、今、名前を思い出せない。スコットランドでは至る所で見かけた。






_DSC9144ハイランドの風景。












_DSC9150湖岸の小さなお城。

帰りは一気にエディンバラまで走った。フェリーが着くスカイ島の北からエディンバラまで6時間。


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2012年07月22日

スコットランド北部旅行記前半

IMG_1029今日は日曜日でチベット系各メディアもお休み。特に大きなニュースも入っていないようなので、旅行の話を続ける。今回の旅行の後半はスコットランド。次女ニマが学生として住み着いているエディンバラを発ってスコットランドの北、ネス湖があるハイランドと呼ばれる地域を抜け、スカイ島とルイス島を巡った。

地図の右下の方にエディンバラがある。ブルーでマークされている現地点がルイス島。紫でマークされているインバネス(Inverness)には私たちが行く2週間ほど前にダライ・ラマ法王が訪問されている。恐竜で有名なネス湖はこのインバネス(ネス湖の河口という意味)から南西に長く延びる地溝帯にできた湖だ。

日本人があまり行かない地域と思われるので多めの写真で紹介する。全体にはとにかく「なんだかチベットに似てる」という印象だった。

ルイス島にある4、5千年前に造られたというストーンヘッジ風の石林を最終目的地として走った。ブルーの地点はそこである。ルイス島は北緯58度。カムチャッカ半島の北部と変わらない。一日が非常に長く、暗くなるのは夜11時過ぎであった。

気に入った写真があれば、クリック拡大してくれ。

_DSC8398出発地点であるスコットランドの古都エディンバラ。イギリスでは今週27日からオリンピックが始まる。ここにも大きなオリンピックマークが立っていた。その前に立つのはエディンバラ大学獣医科を卒業するはずだったニマ。ダラムサラ生まれ、TCV出である。

エディンバラはUKでは一押しのいい街。行ったことがない人は是非夏に訪れる事を勧める。

_DSC8418スコットランドで有名なのはウイスキーとこのバブパイプ隊。何度聞いても変な音だし、何で寒いスコットランドでスカートなの?と思ってしまう。







_DSC8429エディンバラを朝出発し、順調に北に向かって疾走していた、この黄色いニマのミニ・フィアット。ネス湖を前にした田舎道で突然、クラッチがカタンという音と共に脱落。小雨の中レスキューを待つこと2時間。大きなトラックが来る。その場で直してくれるのかと思いきや、レスキューは近くのガレージ(修理工場)に運ぶだけが仕事とのこと。一時間ほど離れた小さな港町であるファートウイリアムという所のガレージに運ばれるが、すでに5時を過ぎておりガレージは閉まってた。「どうするの?」と運んでくれたおじさんに聞くと「明日まで待つしかないだろ」と。

_DSC8478フォートウイリアムの町。
小さな町でホテルなどありそうにないと思っていたが、町の裏手にベンネヴィスと呼ばれるイギリスで一番標高が高い山があるというので、案外ホテルは多かった。その山の高さはなんと1344m!
ユースを見つけたが、これが一杯。そこで紹介して貰った民宿のような所で部屋が見つかった。部屋にトイレ・シャワーがないのに50ポンド。イギリスは高いわ。(数年前には1ポンド250円という時もあったが、今は1ポンド=約125円)

_DSC8454この時期スコットランドは至る所がお花畑。

次の日の朝、荷物を持ってガレージに行ってみる。「クラッチケーブルが切れただけだから、部品が届けばすぐ修理できる。部品は午後3時ごろ着くはずだ。そのころまた来てくれ」とのこと。うう、なんでそんなに掛かるの?と思ったが、仕方なく町に戻る。この町とガレージが1マイルほど離れてて移動が面倒なのだ。

_DSC8452スコットランドの至る所で見かける野生のウサギ。

町でネットが通じるパブを見つけ、私はブログのアップに精を出す。ネットさえ通じればどこでもいくらでも時間は潰せるのだ。





_DSC8492浜辺に咲いてた花。

再び3時過ぎにガレージに行くと「部品はまだ届いてない。今日はもう来ないそうだ。明日11時に来てくれ」。日程に余裕があまりない私は、「はあ!ここはインドか!考えられねえ!どうにかしろ!こんな何もない田舎町にもう一泊しろってえのか!」と、声が久しぶりに荒立つ。が、太り目の事務の女性の反応は鈍い。どうしようもない。「ニマ、イギリスは日本とは違うな〜」と仕方なく、チェックアウトしたはずの宿に戻る。

_DSC8519ルリビタキの幼鳥に似る小鳥。
仕方なく、辺りを散策中に見つけた。









_DSC8504夕焼けは綺麗だった。午後11時ごろ。

夕方パブに入ると、ちょうどサッカーのヨーロッパ決勝戦「スペイン対イタリア」をやっていた。その観戦熱気のすごいこと。自国が対戦してるわけでもないのに、これほどだ。日本とは違うと思った。

結局部品は翌々日の昼頃届き、昼食後その町を脱出することができた。

_DSC85451時間半ほど気持ちいい田舎道を走ってネス湖に到着。

こんなちゃっちくて可愛い恐竜親子がいました。






















_DSC8582ネス湖の湖面を長い間凝視するも、残念ながらこの時ネッシーは現れず。

ネス湖はイギリス最大の淡水湖で幅2km、長さ35km。最大水深230mとのこと。ほんとに長〜い湖。もっともこのような長〜い湖はこの辺いたる所にあった。

針葉樹の森と湖が続く美しい光景が続く。

_DSC8562お花畑にたたずむ「ハイランド牛」。この毛が非常に長く、目が見えないだろうと思えるぐらい前に垂れている、角の鋭い変わった牛はこの辺りが原産という「ハイランド牛」。大型で寒さに強いそうだ。ヤーのスコットランド版といったところ。性格も普通の牛よりはよほど荒いそうだが、見た目は可愛い。


_DSC8620長い橋を渡り本土を離れスカイ島に入る。入り江に中世のお城が建っていた。










_DSC8662スカイ島の北のウィグと言う港町付近の丘の上から、北の海を眺める。

このウィグという港から目的のルイス島行きのフェリーが出る。夕方8時頃ここに到着。
最初に目についたユースの看板に従い道を登って、丘の上のユースホステルに着く。1人18ポンドという。ドミの一部屋を占領する場合は1人22ポンドと言う事だったので、2人で一部屋占領することにした。

フェリーは次の日の午後1時しかないという。次の日、朝このスカイ島を巡り、1時のフェリーでルイス島に渡ることにした。

_DSC8708スカイ島の風景。

一気に終わらせようとしたが、すでに長くなったので、ここで一旦休憩とする。

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2012年07月21日

ブルッセルのチベット人たち

_DSC8113フィンランド上空。デリーからヘルシンキ経由でブルッセルに向かう。フィンランドがこれほど島だらけとは知らなかった。

先月終わりから今月初めにかけて、ベルギーとイギリスに行って来た。ベルギーはチベット人や日本人の友人に会うため、イギリスは娘に会うためであった。最初、娘(次女ニマ)の卒業式に出席のはずだったが、直前に娘から「ごめん、卒業試験落ちちゃった。だから式ないよ」と連絡が入った。次女らしいとしか言いようがない。フライトキャンセルするのも面倒で金が掛かったので、久しぶりにただ会うために行く事にした。

今回はブルッセル編で海外に移住した亡命チベット人たちの話を中心に書く。次回は次女と旅行した北スコットランドの島の写真等。ゆるい旅行報告である。

_DSC8224ブルッセルと言えばこのグランパレスと呼ばれる広場がもっとも有名。昔の市庁舎前広場である。ここには40年前に一度来てるが、もちろん全く変わっていない。何年経ってもあまり変わらないというのがヨーロッパの良さである。パリが好きなわたしはもちろんここも好きである。



_DSC8214ブルッセル観光につき合ってくれた2人のチベット人。右のクンサンはラサ近郊出身の元尼僧。毎年冬の休みに私の家に住み着く4人の尼僧の1人だった。左はその友人でアムド、サンチュ出身のヤンチェン。10年以上デリーのマジュヌカティーラ(チベットキャンプ)でパンを作って売っていたそうだ。

クンサンは一年前にベルギーで難民認定を受け、今も政府の援助で暮らしている。ヤンチェンは4年前に来て、今は野菜の選別工場で働いているという。

広場の周りにはしゃれたカフェが並ぶ。が、彼らと一緒だとそんな所には決して座らない。スーパーで買って用意してある飲み物を出して、広場の角に座って休む。

_DSC8237広場近くのギャラリー。

ウィンドーには高級品が並ぶ。彼女たちが足を止めるのは、女性用装飾品の店。中にはチベットから持って来たと思われる、トルコ石や珊瑚、瑪瑙が並んでいることが多い。「ぎぇ、これって中国製って書いてある。ネパールって書いてあることも多いわね。チベットなのにね。それにしてもすごい値段だこと」と言うのである。私「ほんと高いね。10倍か20倍だね。2人もいつかこんなので商売したらよ。もうかるぜ」。彼女たち「私たちが商売なんてできる分けないわよ。お金もないし、計算もできないんだもん」。

_DSC8236彼女たちがこの街をどう感じてるのかは分からないが、私は私で懐かしいヨーロッパ風情を楽しんだ。









_DSC8238短い夏を楽しげに過ごす人たち。











_DSC8156チベット人たちの多くは中心街の南の方の地区に住んでいる。そこは一般にはアラブ人街である。ベルギー在住の日本人に言わせれば、危なくて決して行きたくない地区だそうだ。チベット人たちも本当はそこに住みたくないんだけど家賃が安いから仕方ないのだという。この日は路上バザールが開かれてたが、行き交う人のほとんどはアラブ系だった。彼らの多くも難民として移住して来た人という。最近のアラブ諸国の騒動のあおりで難民が急増したらしい。

_DSC8138チベット人が集まって住んでるアパート。このアパートの一階と二階に友人が住んでいた。

左手の壁に絵が書いてある。近くにある裁判所に関係するなんだか由来のある絵だそうで、観光客がわざわざ見に来るという。

















_DSC8330このアパートの二階に住むのが右手のガワン。彼女もかつてうちに毎年冬に来てた尼僧。ラサ近郊の出身。80年代終わりから90年代初めにラサで中国に対する抗議デモが頻発したとき、彼女もデモを行い、逮捕され、拷問を受け、3年の刑を受けている。刑期終了後インドに亡命し、ダラムサラのドルマ・リン尼僧院に所属していたが、5年ほど前にベルギーに難民として移住した。今は彼氏と一緒に暮らしている。仕事は劇場の清掃という。給料は1500ユーロ。家賃が450ユーロ。彼氏と共働きなので、生活はまあまあゆとりがあるという。

私は最初ホテルに泊まっていたのだが、左のクンサンを訪ねた時、「ホテルなんてもったいない。ここに泊まるといい。私はガワンのとこに泊まるから」と言う。その屋根裏アパート家賃350ユーロにその後数日泊まったが、案外広くてキッチン、トイレ・シャワー付き。快適だった。彼女は政府から月々750ユーロの援助金を貰って生活している。なんとか生活できるという。もちろん今は円に比べユーロが特に安いということもあるが、日本(東京)に比べ食料、家賃が安くて、日本よりは随分生活しやすそうだと思った。

この日はモモを作ってくれた。肉と小麦粉は特に安いので、これもチベット人にとって生活し易い点かも知れないと推測。

_DSC8282一階に住む、アグ・ルトの家族。ここでも夕食をごちそうになる。アグ・ルトも9−10−3の会のメンバーで元政治犯。ルンタ・レストランが開店したときの最初の料理人の1人だった。非常に懐かしい旧友である。再会を多いに喜びあった。彼もラサ近郊の出身で、元ガンデン僧院僧侶である。ガワンと同じく80年代終わりにデモを行い、逮捕、拷問、刑期を受けている。7.8年前にベルギーに渡り難民認定された。仕事は街の清掃掛かりという。給料は1700ユーロ。ここで結婚し、今は元気な男の子が1人いる。幸せそうだった。

ベルギーには全部でチベット人が1500人ほどいるという。政治的イベントも活発に行っているが、彼は今も政治意識が高く、いつもその世話役を買って出ているという。

チベットの田舎で生活していたころには、将来こんなヨーロッパの都会に暮らすことになろうとは夢にも思わなかったことだろう。

_DSC8188ブルッセルには欧州議会の本部がある。これがその建物。これまでに何度もチベット問題に関する決議案を議決してくれている。法王やセンゲ首相も議会でスピーチする機会を与えられている。

ま、難民への対応といい人権問題への対応といい、どこかの国とは雲泥の差である。


_DSC8263ブルッセルから北に電車で1時間半ほどのとこにある、運河で有名な美しい街ブルージュに日帰り観光した。

古い教会が多く、中世がそのまま残る、静かで落ち着いた町並み。天気も良く、のんびり観光客気分を味わった。




_DSC8253私はヨーロッパに行けば、教会があれば必ず入りそこで休むのが習慣だ。しかし、同行したチベット人は教会に興味を示さず、なかなか一緒に入ろうとしない。無理に連れ込み「ほらどうだ、ゴンパに似てるだろう。キリストの一生が描かれてる。ゴンパで仏陀の一生が描かれてるのと同じだろう?」と、「あ〜、そうだね」と言わせる。

その他、ブルッセルでは日本人にもお世話になり、その人の紹介でチベット仏教にどっぷりハマってる外人さんとか、日本を救うためにこれから日本に乗り込むと意気込む日本人ハーフの学者女史にも会った。

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2012年07月20日

ウーセル・ブログ「CCTVプロパガンダ番組内の焼身チベット人」

ウーセルさんは7月11日付けのブログで、CCTV(中国中央電視台、中国国営放送)が5月上旬に放送したチベットの焼身に関する約40分のプロパガンダ番組について論評されている。この番組は夜中に(こっそり)放送され、ある中国人は「ダラムサラでスピーチするダライ・ラマ14世の肖像や、チベット人首相ロプサン・センゲの画像、ラジオフリーアジアの『政府による鎮圧』云々の文字、さらにはチベット人の焼身現場で撮影された映像までが、中国国内では初めて流された。音声を最小に絞れば、たちまち反政府ニュース番組になるなあ」とコメントした。中国が脅しで得た焼身者の話や死んだ焼身者の嘘の供述、下劣な侮辱等はいつものこととして、聞き流せば、それなりに資料として貴重な映像、写真もあるとわたしは思った。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/07/cctv.html
翻訳:@yuntaitaiさん

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▽上の写真はチベット人焼身抗議に関するプロパガンダ番組の映像。上からタベー、ロブサン・クンチョック、テンジン・ワンモ。



▽YouTubeに投稿された中国語版と英語版の番組。(テレビ放送時に画面隅に映る)CCTVのマークがなく、CCTVが(放送前のデータを)自ら投稿したとみられる。

※ウーセル注:3日前の7月7日、ラサのダムシュン県で、二十数歳のチベット人ツェワン・ドルジェ(ダムシュン県ダムチュカ郷チュドゥン村出身の遊牧民)が焼身抗議した。軍警に連れ去られ、現時点では生死は分かっておらず、写真もない。これにより2009年2月27日から2012年7月7日までの焼身抗議者数は、チベット本土で45人、国外で亡命者3人の計48人になった。うち8人は女性で、内訳は尼僧4人、母親3人、女子中学生1人。48人のうち35人が死亡した。12人の遺言や遺書、録音が公表されており、極めて貴重な証拠になっている。
(*トンバニ注:ウーセルさんが当ブログを発表された時点では上記の状況であった。しかし、その後7月7日に焼身のツェワン・ドルジェの死亡が確認された。また、7月17日に新たな焼身抗議があり、ンガバ州ツォドゥンで僧ロプサン・ロジンが焼身・死亡している。それにより本土焼身者の数は46人、国外の3人をいれて計49人となった。49人の内37人が死亡している)

◎CCTVプロパガンダ番組内の焼身チベット人

 CCTVは5月上旬、いつものやり方とは違い、声を張り上げずにもったいぶりながら、チベット人の焼身抗議に関するプロパガンダ番組を放送した。この番組は研究に値する。私はYouTubeからダウンロードし、繰り返し見て次のように分析した。

 まず、2012年5月製作のこのプロパガンダ番組は焼身抗議者を13人しか取り上げていない。だが実際、2009年2月27日にンガバ(四川省アバ州アバ県)、キルティ僧院の僧タベーが焼身抗議して以来、番組完成時までにチベット本土では35人が焼身抗議した。現在の中国の行政区分では、四川と青海、甘粛の各省とチベット自治区にまたがっている。

 たとえこの番組のように焼身抗議事件の発生エリアを「四川省のアバ州とカンゼ州」と限定したとしても、焼身者は28人に達する。このうちアバ州は25人、カンゼ州は3人だ。

 次に、番組は主にタベーとプンツォ、ツルティム、テンニの焼身前後の事情を描いている。ツェワン・ノルブとロブサン・ケルサン、ロブサン・クンチョックについては名前を挙げ、焼身日時と場所を示している。チュペルとカヤン、ノルブ・ダンドゥル、テンジン・ワンモ、ダワ・ツェリンについては名前を出さず、現地で焼身があったという事実が示されただけだ。

 また、CCTVによれば、タベーは2008年3月16日の抗議に参加せず、ほかの僧に笑われたため、頑張りを見せようと焼身したという。

 しかし、6月2日付のューヨーク・タイムズはこの点を否定している。タベーは焼身2日前に「街に出て解放軍の車輌を蹴っていた」とし、仲間の僧侶は「タベーはわざと兵士を挑発しようとしていた。彼の目には軍隊への憎しみが見て取れた」と話していたという。

 CCTVはまた、プンツォの父に「(息子は)思い込みが激し」く、「頭が単純」だったために焼身したと言わせた。しかし、体制側のもう一つの喉舌、新華社は昨年3月末、プンツォには「てんかんの症状」があり、「正常ではなかった」と説明していた。中国官製メディアは同一人物について、言いたいと思ったことを言っている。

 番組はツルティムとテンニの焼身理由を説明する時、徹底的に2人の名誉を傷つけている。ツルティムとテンニは同時に焼身し、テンニはその場で死亡した。炎に包まれたツルティムは街頭に飛び出し、軍警に火を消された後、無理やり連れ去られ、翌日亡くなった。当局はすぐに詳細な「ツルティムの供述調書」を公開した。

 重いやけどを負った身であり、世を去るまで1日しかなかったのだから、生死の境で苦しんだのは明らかだ。やけど治療の現場で働く漢人医師はツイッター上で、「負傷後のわずかな時間は話せるが、長くは続けられない。意識を失ったり、呼吸できなくなったりする。すぐにショック症状や呼吸困難などの全身症状が起きる。専門的な救命処置が得られなければ、すぐに全身の機能が衰弱する」と書いた。

 私は尋ねてみた。「これほどの重傷者がはっきり理路整然といくつもの質問に答えられますか?あの供述調書は少なくとも2、3ページあり、窃盗や強盗、買春の経験を長々と話しています。捏造ではありませんか?」

 医師は「それはお分かりでしょう」と含みを持たせた。

_40(訳注)▽CCTVの取材に応じ、「彼ら2人は私と一緒に泊まりました」と話す売春婦。

 この「供述調書」で二人の焼身者が見せたのは、親戚の金銭を奪った強盗や泥棒というだけではなく、焼身前にはなんと買春もしていたという人物像だ。このためにCCTVは四川方言を話す女性に少し話をさせた。この「売春婦」とされる女性は顔にモザイクがかけられ、誰なのか全く分からない。CCTVは「売春婦」の権利を守る必要があるのだろうか?この国の官製メディアはいつから「売春婦」の権利を守るようになったのだろうか?

 三つ目のポイントは、CCTVに取り上げられた13人の焼身者のうち、「救助されて生還した」と言われたチベット人が4人いたことだ。タベーとロブサン・ケルサン、ロブサン・クンチョック、ケルサン・ワンチュクだ。CCTVは病院での彼らの姿を映し出した。今後また焼身するのかどうか、彼らが回答を迫られた時、とても残酷で非人道的だとしてある外国メディア記者は激しく憤った。だが、記者の知らないことがあった。回答を強いられた焼身者には、手脚を切断された者までいたのだ。また、いわゆる「救助されて生還した」焼身者は故郷や僧院に全く戻っておらず、事実上、行方不明になっているのだ。

2012年6月30日 (RFA特約評論)


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2012年07月19日

僧ロプサン・ロジン水葬

ダラムサラ・キルティ僧院が17日焼身・死亡の僧ロプサン・ロジンの葬儀等について発表している。それによれば、17日夜、彼は焼身者の葬儀として一般的である火葬ではなく、近くの川で水葬(チベット語ではཉ་སྦྱིན་ニャチンと呼ばれ、原意は魚供)にされたという。

17日、焼身後にバルカムから大勢の武装警官隊等が僧院に向かって来た。これを阻止しようと地域のチベット人たちはツォドゥン僧院前の橋のたもとに集結し、僧院に部隊が踏み込むのを食い止めようとした。部隊が橋まで到着し、衝突が起りそうになった時、ツォドゥン・キルティ僧院の高僧たちが中に入り、双方を説得した。部隊に対しては「もう、焼身は起ってしまったことだ。これ以上僧院や地域の人々を刺激しても何にもならない、状況が悪くなるだけだ。これから何も事件が起らないよう我々が責任を持つ。だから、これ以上先に進まないでほしい」と説得し、チベット人たちには「部隊は僧院には入らないから、もうそれぞれの家に帰ってほしい」と話した。

部隊はこれを了承し、その後川の向こう側で軍事訓練(体操)を始め、チベット人たちも家に帰り、その後僧院を訪れ、五体投地や焼香、コルラをする人が大勢いたという。街の商店も焼身した僧ロプサン・ロジンへの連帯を示すために、すべて閉店された。

僧院側は最初、火葬を行う準備をしていたという。それがなぜ水葬に変更されたのかについて報告では「様々な理由により」としか説明されていない。が、おそらく火葬にした場合、非常に大勢の人々が集まり、これが川の向こう側に陣取る部隊を刺激する可能性があると見て、水葬にしたのではないかと推測される。もちろん、水葬にも大勢の僧侶と地域の人々が同行したとは書かれている。

Losang-tsering-01僧ロプサン・ツェリン

ダラムサラ・キルティ僧院の報告にはさらに、6月26日にンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ツェリン(བློ་བཟང་ཚེ་རིང་21)が僧院から警官により連行され、今も行方不明であること、去年10月20日に連行され、長い間行方不明となっていたンガバ・キルティ僧院僧侶ロドゥ(བློ་གྲོས་36)に対し7月初め3年の刑期(罪状不明)が言い渡されたということが書かれている。

ロドゥ僧ロドゥ

先週金曜日に発表されたワシントンポストの寄稿記事の中で亡命政府首相ロプサン・センゲは「焼身の責任は中国政府のチベットに対する間違った政策にある」として「政治的弾圧、社会的差別、文化的同化、環境破壊」の悪化がその原因であると言う。「より穏健な抗議活動を禁止され、チベット人たちは政治的行動として焼身しているのだ」、焼身抗議は「中国政府が対話を通じたチベット問題の平和的解決を提案すれば即座に止まる」と述べ、さらに国際社会に対しては「中国の影響力という“雑音”を排除して、チベット人の悲鳴を聞く時が来た」とし、具体的行動を促した。

しかし、中国当局は焼身するチベット人たちをテロリストと呼び、彼らは浮浪者、罪人、精神的異常者であるとし、ダライ・ラマが焼身を煽っていると非難する。

参照:18日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/clash-07182012161713.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/ukaylatsen/f42f66f62f0bf60f42fb1f74f62f0bf51f54fb1f51f0bf42f4ff58f0d/ven-lobsang-lozins-body-water-buried-07182012144206.html
19日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6322
ワシントンポスト投稿分転載 14日付けTibet Nethttp://tibet.net/2012/07/14/for-tibetans-no-other-way-to-protest/


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2012年07月18日

チベットの僧侶作家2人拘束・行方不明

188僧タシ・ドゥンドゥップ

RFAに現地から伝えられた情報によれば、7月14日、四川省カンゼチベット族自治州ペユルにあるペユル僧院(དཔལ་ཡུལ་དགོན་པ་)から僧タシ・ドゥンドゥップと僧ケルサン・ギャンツォが理由も明かされず、突然保安部の役人により連行された。

2人はチベットの状況を知らせる会を運営しており、また2人とも著書を発表していることから、当局によるチベット人知識人弾圧の一環ではないかと思われている。

僧タシ・ドゥンドゥップ(བཀྲ་ཤིས་དོན་འགྲུབ་ ニックネーム>メウམེ་འོད་)はチャムド地区リボチェ県サムカ郷ユルショ村(ཆབ་མདོ་རི་བོ་ཆེ་ཟམ་ཁ་ཞང་ཡུལ་ཤོག་)出身。僧院の教師であり、また「雪山の状況(གངས་རིའི་གནས་བབ་)」という会の会長。2年前に「痛ましき希望(Painful Hope)」と題された本を出版している。

273僧ケルサン・ギャンツォ

僧ケルサン・ギャンツォ(སྐལ་བཟང་རྒྱ་མཚོ་ ニックネーム>ゴムクルསྒོམ་སྐུལ་)はナンチェンの出身。同じく僧院の教師であり、「雪山の状況」という会の主要な会員である。2年前に「我が悲しき世界(My Pitiful World)」と題された本を出版している。

報告者は「これまでの拘束者は一様に酷い拷問を受けているので、特に彼らの家族や生徒たちは2人の状況を非常に心配している」と伝える。

さらに、報告者は「最近チャムド地区の各僧院には100人ほどの軍人が見張りのために張り付いている。山奥の瞑想場にさえ10人ずつの軍人が派遣されている。このような、息の詰まる、自由を奪われた僧院の状況の下、多くの僧侶が僧院を離れ自宅に帰っている」という。

参照:16日付RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/detained-07162012140754.html
16日付RFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-arrested-two-tibetan-monk-from-kham-karze-07162012143725.html
16日付Tibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6312
16日付Tibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/8696-2012-07-16-12-08-32

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2012年07月17日

<速報>今日、新たにバルカム県で僧侶焼身・死亡 49人目

Losang_Lozin_02僧ロプサン・ロジン(ロンジン)

ダラムサラ・キルティ僧院のプレスリリースによれば、今日17日現地時間正午頃、ンガバ州バルカム県(རྔ་པ་བོད་རིགས་རང་སྐྱོང་ཁུལ་འབར་ཁམས་རྫོང་马尔康)ギャロン・ツォドゥン郷にあるギャロン・ツォドゥン・キルティ僧院(རྒྱལ་རོང་ཚོ་བདུན་ཀིརྟི་དགོན་པའི་)僧侶ロプサン・ロジン(བློ་བཟང་བློ་འཛིན་18)が中国政府に対する抗議の印に焼身し、その場で死亡した。

彼は当僧院の集会堂の前で自らの身体に火を放ち、地区庁舎の方に向かって歩いた。しかし、しばらくして炎が大きくなり、倒れ、死亡した。焼身と同時に多くのスローガンを叫んだというが、その内容は不明という。遺体は直ぐに僧院内に運ばれ、現在追悼の法要が行われている。今夜、葬儀を行う予定で準備が進められているという。

528108_3946031446038_625680078_nゲルロン・ツォドゥン・キルティ僧院

焼身の後、バルカムから大勢の武装警官隊等がツォドゥン・キルティ僧院に向かって出発した。これを知ってツォドゥンのチベット人たちはツォドゥンの橋でこれを阻止しようと集結している。部隊とこのチベット人たちが衝突する危険が迫っていると伝える(現在の状況は不明)。

ロプサン・ロジンはバルカム県ギャロン・ツォドゥン郷ショラチャン村カルゴ家の出身。父ジョルゲ、母ツェポポの息子。幼少よりギャロン・ツォドゥン・キルティ僧院に在籍している。学業優秀で模範的僧侶だったという。家族は5人。

ギャロン・ツォドゥン・キルティ僧院はバルカムの北85キロにある。僧院の正式名はギャロン・ツォドゥン・キルティ・ゴン・ゲデン・タシ・チュリン(རྒྱལ་རོང་ཚོ་བདུན་ཀིརྟི་དགོན་དགེ་ལྡན་བཀྲ་ཤིས་ཆོས་གླིང་)という。現在約300人の僧侶が在籍し、ギャロン地区で最大の僧院である。

今年3月30日にもこの僧院の僧侶であるチメ・ペルデンとテンパ・タルギェがバルカム市内で焼身し、2人とも死亡している。

320425_3953372525756_1146369970_n燃え上がり、倒れたロプサン・ロジンを前に手を合わせる人たち。

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2012年07月16日

2009年以降、焼身したチベット人54人(内地51人、外地3人)のリスト:<中>(8月15日更新分)

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4:51人(8月15日現在)の氏名、その他焼身状況略説
それぞれの焼身者の写真等、より詳しい情報は付記されたURLにアクセスすることにより、当ブログの各過去ブログで確認できる。第一報を中心に主な記事のみ表示。番号は発生順。

1)タペー:ンガバ・キルティ僧院僧侶、20歳、入院中。
2009年2月27日、ンガバ中心部の路上でチベット国旗とダライ・ラマ法王の写真を掲げ焼身。武装警官隊の発砲を受け、連れ去られる。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51719665.html

2)プンツォ:アムド、ンガバ・キルティ僧院僧侶、20歳、死亡。
2011年3月16日、ンガバ中心部の路上で「ダライ・ラマ法王の帰還を!チベットに自由を!」と叫び焼身。この日は、2008年にンガバで大規模な抗議デモが起こり、これに対し当局が発砲したことにより10人以上の犠牲者が出てから3年目に当たる。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-03.html#20110318
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html?p=2#20120319

3)ツェワン・ノルブ:カム、タウ・ニンツォ僧院僧侶、29歳、死亡。
2011年8月15日、タウの中心部で、チベットの自由と法王帰還を訴えるチラシを撒いた後、焼身した。焼身のビデオあり。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-08.html?p=2#20110816

4)ロプサン・ケルサン:ンガバ・キルティ僧院僧侶、18歳、入院中?。
2011年9月26日、5)のロプサン・クンチョクと共にンガバ中心部で「法王に長寿を!宗教の自由を!」等と叫びながら焼身。3月16日に焼身したプンツォの弟(義理の弟、甥、従兄弟、との別情報もある)。

5)ロプサン・クンチョク:ンガバ・キルティ僧院僧侶、18歳、入院中?。
2011年9月26日、4)のロプサン・ケルサンと共に焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-09.html#20110927

6)ケルサン・ワンチュク:ンガバ・キルティ僧院僧侶、17歳、入院中?。
2011年10月3日、ンガバの野菜市場の近くで法王の写真を掲げ、焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html?p=2#20111003

7)カヤン:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、18歳、死亡。
2011年10月7日、8)のチュペルと共にンガバの中心街で焼身。チベット人の団結、自由、法王の長寿を願うスローガンを叫んだ。

8)チュペル:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、19歳、死亡。
2011年10月7日、上記のカヤンと共に焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html?p=2#20111007

9)ノルブ・ダンドゥル:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、19歳、死亡。
2011年10月15日、ンガバの中心街で「チベットには自由と独立が必要だ!法王帰還!」と叫び焼身。2012年1月5日に死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html?p=2#20111015

10)テンジン・ワンモ:ンガバ、マミー尼僧院尼僧、20歳、死亡。
2011年10月17日、ンガバ近郊のマミー尼僧院近くで焼身。「宗教の自由」と「法王帰還」を訴えた。初めての尼僧焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html#20111018下段

11)ダワ・ツェリン:カンゼ僧院僧侶、38歳、自宅療養中。
2011年10月25日、カンゼ僧院内の中庭でチャムの最中焼身。「宗教の自由」と「法王帰還」を訴える。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html#20111025

12)パルデン・チュツォ:タウ、ジャンジュップ・チュリン尼僧院尼僧、35歳、死亡。
2011年11月3日、タウの中心街で「チベットに自由を!法王帰還!」を叫び焼身。
衝撃的なその焼身映像が世界中に伝えられた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-11.html?p=3#20111103
焼身とその後のデモとヴィジルを伝えるビデオ<閲覧注意>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51714359.html

13)シェラップ・ツェドル:亡命チベット人2世、25歳、活動再開中。
2011年11月4日、ニューデリーの在インド中国大使館前で焼身。元チベット青年会議デリー支部執行部員。現在、目隠しをしたまま、インド中を歩きながらチベット問題を訴えるという活動を行っている。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-11.html?p=3#20111103

14)ブトゥック:カンゼ出身亡命チベット人、ガンデン僧院僧侶、45歳、療養中。
2011年11月10日、ネパール、カトマンドゥのボドナート仏塔傍で焼身。「チベットに自由を!」と叫ぶ。後、ダラムサラで治療を受ける。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-11.html?p=2#20111110

15)テンジン・プンツォ:元カルマ僧院僧侶、46歳、死亡。
2011年12月2日、チベット自治区チャムド地区カルマ郷で焼身。チラシも撒き、スローガンも叫んだというが伝わっていない。直接にはそれ以前のカルマ僧院弾圧に抗議したものと思われる。遺書を残している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51716769.html

以下、2012年

16)ツルティム:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、22歳、死亡。
2012年1月6日、次の17)テンニと共にンガバの中心街のホテルの敷地内で火を点け、外に出る。「法王帰還」を訴える。

17)テンニ:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、18歳、死亡。
2012年1月6日、16)のツルティムと共に焼身。テンニはその日の内に死亡、ツルティムは7日に死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51723933.html

18)トゥルク・ソナム・ワンギェル(ソバ・リンポチェ):ゴロ州ダルラック県ドゥンキャップ僧院高僧、42歳、死亡。
2012年1月8日、ダルラック郷警察署の近くで、チラシを撒いた後焼身。倒れるまで「チベットに自由を!法王に長寿を!」と叫び続けたという。養老院や孤児院を運営し、地域の尊敬を集める僧侶だった。テープに長い遺言を残していた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51723705.html

19)ロプサン・ジャミヤン:ンガバ・アンドゥ僧院元僧侶、22歳、死亡。
2012年1月14日、ンガバ・キルティ僧院近くで焼身。約3ヶ月後に彼の焼身のビデオが亡命側に伝わった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51740813.html

20)ソナム・ラプヤン:ジェクンド州ティドゥ県ラプ僧院僧侶、37歳、入院中?(右足切断)。
2012年2月8日、ラプ郷中心部の路上で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729238.html

21)リクジン・ドルジェ:ンガバ・キルティ僧院元僧侶、19歳、死亡。
2012年2月8日、ンガバ第2小学校の前で焼身。幼少時にキルティ僧院僧侶となった。性格は控えめで僧院ではハトの飼育係りをしていたという。彼は優しく、仕事に励む子供であった。2010年に還俗し、その後は家の牧畜の仕事を手伝っていた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729088.html

22)テンジン・チュドゥン:ンガバ、マミー尼僧院尼僧、18歳、死亡。
2012年2月11日、ンガバ近郊マミー尼僧院近くで焼身。中国政府に対する抗議のスローガンを叫びながら焼身。彼女は寡黙で戒律をよく守り、勉強に打ち込むタイプだった。尼僧院でも優秀な成績を修めていた。頭もよく勇敢でもあったという。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729521.html

23)ロプサン・ギャンツォ:ンガバ・キルティ僧院僧侶、19歳、生死不明。
2012年2月13日、ンガバ中心街で焼身。4人兄弟の内、彼は最年長。彼は僧院のクラスの中でも勉学と素行において秀でた存在だった。クラスの代表として何度も討論を行っているという。焼身後警官に連れ去られ、今も行方不明、生死不明。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729836.html

24)ダムチュ・サンポ:アムド、テムチェン県ポンダク僧院僧侶、38歳、死亡。
2012年2月17日、ポンダク僧院内で焼身。彼は僧院の元戒律師であり、経学の先生でもあった。さらに中国側が設ける僧院管理委員会の役員でもあった。彼の焼身を唆したとして最近同僧院僧侶3人が9〜11年の刑を受けた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51730483.html

25)ナンドル:俗人、18歳、死亡。
2012年2月19日、ンガバ州ザムタン県チョナン僧院近くで焼身。その場で死亡。遺書を残している。遺書は<下>遺書編に。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51730715.html

26)ツェリン・キ:中学生、19歳、死亡。
2012年3月3日、アムド、マチュ市内の野菜市場の中で焼身。この時、中国人たちは燃え上がる彼女に向かって石を投げつけたと報告されている。甘粛省で初めて。
「ツェリン・キ焼身への道」http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51738076.html

27)リンチェン:3児の母、遊牧民、32歳、死亡。
2012年3月4日、ンガバ・キルティ僧院前の監視事務所近くで焼身。その場で死亡。彼女の夫は一年前に亡くなった。彼女が亡くなったことにより、最年長13歳から最も幼い子は1歳にも満たないという4人の子供が孤児として残された。初めての俗人女性。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51733091.html

28)ドルジェ:俗人、18歳、死亡。
2012年3月5日、ンガバ県チャ(チャロ)郷で焼身。中国政府への抗議のスローガンを叫びながら、焼身抗議を行い、政府庁舎の前で死亡した。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html?p=3#20120306

29)ゲペ:ンガバ・キルティ僧院僧侶、18歳、死亡。
2012年3月10日、ンガバの軍駐屯地近くで焼身。その場で死亡。この日はチベット蜂起記念日であった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51734592.html

30)ジャミヤン・ペルデン:アムド、レプゴン、ロンウォ僧院僧侶、34歳、僧院内療養中。
2012年3月14日、ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身。彼の焼身後大規模な抗議デモが起る。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51734853.html

31)ロプサン・ツルティム:ンガバ・キルティ僧院僧侶、20歳、死亡。
2012年3月16日、ンガバの中心街で焼身。目撃者の話によれば、車に投げ入れられ、押さえつけられている間にも彼は手を振り上げスローガンを叫び続けていたという。4人兄弟の内の最年長。8歳の時にキルティ僧院僧侶となる。顕密を修め、控えめで戒律を守る僧侶であったという。16日は去年僧プンツォが焼身抗議を行った日であった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735234.html

32)ソナム・タルギェ:遊牧民、44歳、死亡。
2012年3月17日、アムド、レプゴンの街中で焼身。ソナム・タルギェは14日に焼身した僧ジャミヤンの親しい友人であったという。一緒にラサまで巡礼にも行っている。警官に容易に連れさられないよう、腹や胸の周りに有刺鉄線を巻いていた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735512.html

33)ロプサン・シェラップ:ンガバ・キルティ僧院僧侶、20歳、死亡。
2012年3月28日、ンガバ県チャ(チャロ)郷の国道上で焼身。28日は「チベット農奴解放記念日」であった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-03.html#20120329

34)ジャンペル・イシェ:カム、タウ出身亡命チベット人、俗人、27歳、死亡。
2012年3月26日、中国主席胡錦涛のニューデリー訪問に合わせ、コンノート広場近くのジャンタール・マンタルで抗議デモの最中焼身。遺体はダラムサラに運ばれ葬儀が行われた。遺書を残している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51736932.html

35)テンパ・タルギェ:ンガバ州ツォドゥン・キルティ僧院僧侶、22歳、死亡。
2012年3月30日、35)のチメ・パルデンと共にバルカム市内で焼身。僧テンパ・ダルギェは2003年から2009年までンガバ・キルティ僧院論理学クラスに在籍していたが、その後ツォドゥン・キルティ僧院に戻っていた。彼はクラスでもっとも優秀な僧侶として知られていた。兄弟姉妹4人の内最年小。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51737734.html

36)チメ・パルデン:ンガバ州ツォドゥン・キルティ僧院僧侶、21歳、死亡。
2012年3月30日、上記のテンパ・タルギェと共にバルカム市内で焼身。僧チメ・パルデンは2009年に数ヶ月間、ンガバ・キルティ僧院に在籍したことがある。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51739063.html

37)アトゥップ・リンポチェ(トゥプテン・ネンダク):ラガン・ダクガル僧院僧院長、45歳、死亡。
2012年4月6日、38)の姪尼僧アシェと共に、僧坊でこれまでの焼身者を弔う多数の灯明を灯しながら、結跏趺坐のまま焼身。最近まで焼身の事実が明らかにされていなかった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-07.html#20120709

38)アシェ:尼僧、23歳、死亡。
2012年4月6日、上記のアトゥップ・リンポチェと共に焼身。普段から政治意識が高い尼僧であったという。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-07.html#20120709

39)チュパック・キャプ:俗人、25歳、死亡。
2012年4月19日、40)のソナムと共に、ンガバ州ザムタン県バルマ郷チョナン僧院の近くで焼身した。
僧院に運び込まれた後2人とも死亡した。チュパック・キャプとソナムは従兄弟同士であった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51740958.html

40)ソナム:俗人、24歳、死亡。
2012年4月19日、上記のチュパック・キャプと共に焼身。2人は遺書を残している。遺書は<下>遺書編へ。
2人の焼身のビデオ<閲覧注意>http://www.youtube.com/watch?v=MdjEDm6zH6g&feature=youtu.be

41)ドルジェ・ツェテン:アムド、サンチュ県出身の俗人、19歳、死亡。
2012年5月27日、42)のタルギェと共にラサ・ジョカン寺の前で焼身。2人とも最近ラサに住み始め、パルコル近くの「ニマ・リン」という食堂で働いていた。焼身後、彼らが働いていた食堂のオーナーと雇い人は全て逮捕された。ほとんどの目撃者が拘束された。チベット自治区の首都ラサで焼身が行われたのは初めて。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747193.html

42)タルギェ:アムド、ンガバ出身の元僧侶、25歳、入院中。
2012年5月27日、上記のドルジェ・ツェテンと共にラサ・ジョカン寺前で焼身。7月7日に彼が死亡したという情報が流れ亡命政府も彼が死亡したとした。しかし、後7月13日にRFAとダラムサラ・キルティ僧院はこれを否定している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747241.html

43)リキョ:3児の母、遊牧民、33歳、死亡。
2012年5月30日、ンガバ州ザムタン県バルマ郷チョナン僧院近くで焼身。目撃者によれば、「大きな炎が上がり、その場で死亡した」という。何か叫んでいたというが、その内容は未だ伝わっていない。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51747569.html

44)タムディン・タル:遊牧民、64歳、死亡。
2012年6月15日、アムド、チェンツァの武装警官キャンプ前で焼身。最近政府の「遊牧民移住計画」に従い、チェンツァタン郷に移住させされた。彼は短い遺書を残していた。遺書の訳:「ラマ、守護尊、三宝に帰依いたす。世界に平和が実現されることと、ダライ・ラマ法王がチベットにご帰還されることを願い、チベットの国家が自らの領土を治めるために、私は自らの身を灯明と化し捧げる」。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749861.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749875.html

45)テンジン・ケドゥップ:元シルカル僧院僧侶、遊牧民、24歳、死亡。
2012年6月20日、46)のガワン・ノルペルと共にジェクンド州ザトゥ県ザトゥの街中で、チベット国旗を手に持ち「チベット独立!法王帰還!」と叫びながら焼身。2人は遺書を残している。遺書は最後に掲載する。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-06.html#20120620

46)ガワン・ノルペル:シガツェ地区ニャロン県出身の俗人(7月30日訂正)、22歳、入院中。
2012年6月20日、上記のテンジン・ケドゥップと共に焼身。
彼がシルカル僧院に運び込まれた時付き添いの僧侶に話しかけているビデオ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51751064.html

47)デキ・チュゾム:2児の母、40歳前後、入院中?
2012年6月27日、ジェクンド県ケグ町の市場で土地強制収用に抗議するデモを他70世帯の住民と共に行っていた最中、焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51752429.html

48)ツェワン・ドルジェ:遊牧民、22歳、死亡。
2012年7月7日、ラサ北部ダムシュン県ダムシュンの街中で焼身。炎に包まれながらも「法王に長寿を!」と叫びながら100mほど走り、倒れた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51753234.html

49)ロプサン・ロジン:ゲルロン・ツォドゥン・キルティ僧院僧侶、18歳、死亡。
2012年7月17日、ンガバ州バルカム県ゲルロン・ツォドゥン郷にあるゲルロン・ツォドゥン・キルティ僧院内で焼身。その場で死亡。(7月17日追記)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51754157.html

50)ロプサン・ツルティム:ンガバ・キルティ僧院僧侶、21歳、死亡。
2012年8月6日、ンガバ市内の「勇者の道」で焼身。同日バルカムの病院内で死亡(8月8日追記)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51756872.html

51)ドルカル・キ(又はドルカル・ツォ):2児の母、26歳、死亡。
2012年8月7日、アムド、ツォェ(甘粛省甘南チベット族自治州合作市)ツォェ僧院内の仏塔前で焼身。同日死亡。(8月7日追記)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51756880.html

52)チュパ:遊牧民、24歳、死亡。
2012年8月10日、アムド、ンガバ、メウルマ郷(四川省アバ・チベット続チャン続自治州阿壩県麦爾瑪郷、ンガバの東方27キロ)の路上で焼身。同日死亡。1月23日の抗議デモを先導したとして追われていた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-08.html#20120810

53)ルントック:ンガバ・キルティ僧院僧侶、20歳、死亡。
2012年8月13日、(54)のタシと共に、ンガバ市内「勇者の道」で焼身。同日死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-08.html#20120814

54)タシ:元ンガバ・キルティ僧院僧侶、21歳、死亡。
2012年8月13日、(53)のルントックと共に焼身。2011年までキルティ僧侶。ルントックとはクラスメートであった。翌日死亡。

8月15日現在、内外合わせた焼身者54名の内42名の死亡が確認されている。内地チベットでの焼身51人、内死亡41名。

(下に続く)

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これまでに焼身したチベット人59人(内地56人、外地3人)のリスト:<下>遺書編(10月6日更新分)

5:遺書

以下、これまでに発見、発表された焼身者の遺言、遺書、録音されたメッセージを紹介する。短いものはすでに各自の項に付記した。原文等、より詳しい情報は付記URLへ。

1)2011年12月2日に焼身・死亡したテンジン・プンツォ(15番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51718826.html

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(1) チベットをチベットたらしめている仏教の教えを、その正しい見解とともに保持するカルマ僧院の見者(僧院長)ロトゥ・ラプセル師とナムセ・ソナム師、及び全ての僧侶、尼僧が拘束され、むち打たれている今。カルマ僧 院の子弟に関係する私は苦しみの内に死を選ぶ。チベット人としての誇りを持ち続ける愚生テンジン・プンツォ記す。
兄弟たちよ、心挫けるなかれ、勇気を失うなかれ。

(2) 自他交換の法友たちよ。仏法を保持する見者2人と僧侶、尼僧たちのことを思ってほしい。宗教を否定する独裁政権をどうして信頼できよう。テンジン・プンツォ記す。

(3) カルマ僧院の法友たちよ.戒定慧を備えた見者と僧侶、尼僧のことを思うと生きる意味を失う。みんな立ち上がろう!世の人々は世間の八法に侵され、敵を怖れ逃げ惑う哀れな動物の如し。取るに足らぬ今生にも縁起の法はある。導師ブッダシャカムニに祈りを捧げる。苦しみに凌駕される愚生テンジン・プンツォが記す。

(4) チベット全土と今年のカルマ僧院の受難を思うとき、私はこの世に留まることができない。


2)2012年1月8日に焼身・死亡したトゥルク・ソナム・ワンギェル(ソバ・リンポチェ)(18番)の録音遺言。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729748.html

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 内外の全てのチベット人同胞600万人へ。チベット人の幸福と、内外に引き裂かれた600万のチベット人が再び相まみえるために、その身を犠牲にした勇者トゥプテン・ンゴドゥップ氏を初めとする内外の勇者・勇女全てに感謝の意を表明する。私はすでに40歳を越えたが、これまで彼らのような勇気を奮い立たせることもなく過ごして来た。もっぱらチベットの伝統的文化と宗教を周りの人々にできるだけ伝える事に努力し続けて来た。

 21世紀に入った現在、今年(チベット暦ではまだ2011年)は命を捧げた勇者・勇女が沢山いた年だった。そこで私は彼らの血肉を象徴するために、己の誉れのためではなく、心から三戒(別解脱戒、菩薩戒、密教戒)と特に密教戒の主戒である己の身と命を投げ打ち(これまでの全ての有情の悪業の)許しを請うのである。全ての有情は父、母でなかったものはいない。計り知れぬ有情が野蛮人のように法に反する力に屈し、不善なる大きな業を為しつつある。心から彼ら(中国)の悪業を浄化したい。また、ノミやシラミに至まで、呼吸する全ての、この天空に満ちる有情全てが、死の苦しみを逃れ阿弥陀如来の下に生まれ、全智至上の完全な仏の位を得るために、己の命を供養物として捧げる次第である。

 そして、至上の人の姿をした仏神であるダライ・ラマ法王を始めとするラマやトゥルク全てが永遠の命を保たれるよう、私の身と命をマンダラと化し捧げる。

<大地に香水を撒き散華し、須弥山、四大陸、太陽と月により荘厳し、これを仏の浄土と見なし捧げ奉るが故に、全ての有情が清浄なる浄土を享受できますように。自他の身口意と三世の功徳の集積と、宝の如しマンダラを普賢菩薩供養と共に、心に生起しラマと三宝に捧げ奉る。慈悲の心でお受け取りになり我に加持を与えたまえ。オーム・イダムグル・ラトナマンダラカム・ニルヤタヤミ>

 この行為は自分1人のためになすのではなく、名誉のためになすのでもない、清浄なる思いにより、今生最大の勇気を持って、(ブッダのように、子トラたちを救うために飢えた)雌トラに身を捧げるようになすのだ。私のようにチベットの勇者・勇女たちもこのような思いで命を投げ出したに違いない。しかし彼らは実行の際、怒りの感情と共に死んだ者もいるかもしれない。そうであれば彼らが解放の道を辿れるかどうかは怪しい。故に、様々な悟りへの道を思い出させてくれる船頭のような導師と、このような供養を捧げる善行の力に依って、将来、彼らを含めた全ての有情が全智至上の仏の位に到ることを祈願しながら行うのだ。また、内外のラマ、トゥルク全ての長寿と就中ダライ・ラマ法王をポタラの玉座にお迎えして、チベットの政教を司ることができますようにと祈願する。

 <雪山に囲まれしこの聖域の、全ての福利の源である、観音菩薩であられるテンジン・ギャンツォよ、濁世が終わるまで存命されますように。その加持の力が天空の如く行き渡らんことを。
間違った思いにより祖国に対し、危害を及ぼす黒い形を持つもの、持たないもの、思いと行動が邪悪な侵入者が、三宝の真理の力により根こそぎにされますように>

[かくの如し善なる…の二偈と、祈願の王と呼ばれる…等の一偈と、これと三世…等の一偈。タドヤタ、パンチャタライヤ(三宝)に三度礼拝する]

 ここで、金剛同士たち、各地におられる信者たちに願う。みんな一致団結し手を取り合い、チベット人たちが将来輝きに満ちた一つの国家を取り戻すために奮闘せよ。これが命を捧げた勇者・勇女たちの願いだ。故に、土地や水等のことで争ったりせず、思いを一つにすべきだ。若者たちはチベットの文化を尊重し学び、年輩の者たちは自らの身口意を善なるものとし、チベット人の慣習と気質、言語等が衰退しないようにチベット人としてのアイデンティティーを保持し続けねばならない。同時に、チベット人の幸福と、全ての有情が解放と全智の位を得るために清浄なる仏法を行ずることが重要である。タシデレ(吉祥なる幸運を)。

 そして、家族、同郷の人たち、友人たち、特に**[1人の名前を言うが聞き取れず]等みんなに伝えておく。私には隠してある財産など何もない。あるものはすべて以前より三宝に捧げ切っている。死後、大金が見つかったとか、ああだった、こうだったとか財産のことで噂する必要はない。兄弟姉妹、親戚、友人、各地の檀家たちもこのことを心得ておいてほしい。

 他、私が担保した財産や物品等は檀家たちが、地域の人たちやラマ、トゥルクたちによろしく分け与えてほしい。

 それでは、自他の三世に渡り積んだ功徳の全てを母なる全ての有情、特に地獄等で苦しみを味わいつつあるものたちが解放を得られますようにと、以下の如く祈願する。
[祈願の王...など一偈。今生と三世の…など一偈を唱える]

 最後に、内外の法友男女すべてに言いたい。悲しまないでほしい。ラマである善友に対し一心に祈るのだ。菩提を得るまで一瞬たりと離れることはない。老人たち、全ての人々よ、楽な時も苦しい時も、良い時も悪い時も、喜しい時も悲しい時も、如何なる時にも三宝以外に望みを託す対象はない。これを忘れないように。タシデレ。


3)2012年2月19日にンガバ州ザムタン県で焼身したナンドル18歳(25番)の遺書。
(7月29日追加)
_
ナンドルの遺書

不屈の愛国心と勇気と共に、額を高く上げ
私、ナンドルは、恩深き両親、兄弟、親戚を思う
恩あるチベットの人々の大義のために、炎に我が命を投げ入れることで
願わくば、チベットの男たち女たちよ、団結と調和を守らんことを

チベット人ならば、チベットの服を着よ
そして、チベット語を話せ
チベット人であることを決して忘れるな
チベット人であるならば、愛と慈悲を持て
両親を敬い、チベット人同士で団結し、調和を保て
動物に対し慈悲深くあれ
有情の命を奪うことを慎め

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように

チベットのラマやトゥルクが何万年も生きられますように

チベットの人々が中国の邪悪な支配から解放されますように
中国の邪悪な支配の下には大きな苦しみがあるのみ

この苦しみは大きく堪え難い
邪悪な中国がチベットを侵略した
この邪悪な支配の下で暮らすことは不可能だ
邪悪な中国は愛と慈悲を持たない
堪え難き暴力と苦しみを与えるのみ
そして、最後にはチベットを抹殺しようとしている

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように


4)2012年3月26、にニューデリーで焼身・死亡したジャンペル・イシェ(34番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51737131.html

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Jamphel Yeshi

(1)世界の平和の導師、ダライ・ラマ法王が千年万年の長寿を全うされますように。(法王を)チベット本土にお迎えすべきだ。骨肉と顔を同じくする同胞たちが集い、ポタラ宮殿の前でチベットの国歌を雷鳴の如く歌うことを願う。その日が必ず来ることを確信する。

(2)同胞たちよ、将来の幸と繁栄を望むなら忠愛が必要だ。忠愛は民族の心の命だ。真理を求める勇気だ。将来の幸を導くものだ。同胞たちよ、世界の人々の平和平等を望むなら、忠愛という言葉を大事にすべきだ。義務に励むべきだ。忠愛とは真偽を区別する知恵だ。

(3)自由は全ての有情の幸せと喜びの基だ。自由がなければ、それは風にさらされる灯明の如し。600万チベット人同胞の如し。3地域(ウツァン、カム、アムド)の同胞が一団となれば結果を得ることができよう。勇気を失うな。

(4)私が今、話していることは600万チベット人の生存に関わることだ。民族の生死が掛かる今:財産を持つ者はそれを使う時。(知識等の)徳も持つ者はそれを発揮すべき緊急の時。命のある者はそれを投げ出すべき時と、私は思う。21世紀の今、宝の如し人の身を灯明と化すのは、チベット人600万の苦しみは人権・平等がないことだと世界の人々に知らせるためである。慈悲の心あるなら、慎ましいチベット人たちに注目してほしい。

(5)我々にも先祖代々伝えられて来た仏法を守り、論理の書やチベット語を学ぶ自由が必要だ。世界の人々は平等であるべきだ。世界の人々よ、我々の後ろで立ち上がってほしい。チベットはチベット人のもの。プギェロー!(チベットに勝利を!)

2012年3月16日、タウのジャンペル・イシェが記す。


5)2012年4月19日、ンガバ州ザムタン県で焼身したチュパック・キャプ(39番)とソナム(40番)が連署で残した遺書。(7月29日追加)
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チュパック・キャプとソナムの最後の願い

チベット人は独自の宗教と文化を持ち、他の民族と区別される。その特徴は、愛と慈悲を持ち、他の人々の幸せのために尽くせという教えにある。しかし、今、チベットの人々は中国の侵略を受け、弾圧されている。基本的人権を奪われ、苦しみの中にある。

そして、チベットが自由を取り戻すため、世界平和のために、私たちは焼身する。自由を奪われたチベット人たちの苦しみは、私たちの焼身の苦しみよりも余程大きい。

恩ある両親よ、家族、兄弟たちよ、私たちはあなた方に愛を感じてないとか、別れたいというのではない。また、自分たちの命を軽んじているのでもない。私たちは2人とも正気で、真っ当な心と思考の下に、チベットが自由を取り戻すために、仏教が栄えること、有情の幸福と、世界平和を願い焼身するのだ。

故にどうか、私たちの最後の願いに従ってほしい。私たちが中国の手に落ちても、何もしないこと。自分たちのために1人のチベット人も傷つかないというのが願いだ。

私たちのことで悲しくなった時には、学のある僧院長やトゥルクたちの助言に従うように。そうすることで、自分たちの正しい文化と伝統を学び、保存することができるであろう。同胞への忠誠心と愛情を守り、自分たちの文化を守り、団結を維持せよ。そうすれば、いつの日にか私たちの望みは叶えられよう。どうか、私たちの最後の心からの願いが叶えられますように。


6)2012年6月20日、ザムタンで焼身したテンジン・ケドゥップ(45番)死亡とガワン・ノルペル(46番)入院中?が連署で残した遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51750577.html

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 我々2人は、これまでチベットの宗教や文化に対し少しも貢献できなかった。また経済的にもチベット人を豊かにする仕事ができなかった。だから、今回自分たちができることとして、チベット民族と特にダライ・ラマ法王が千年万年と生きられること、またダライ・ラマ法王がチベットにご帰還されることを願い、我らの身を捧げる。我々のようなチベットの若者にお願いする。チベット人同士で喧嘩しないと誓ってほしい。みんな連帯し一団となりチベット人としての誇りを守ってほしい。また、そうできると確信する。


7)2012年5月30日、ンガバ州ザムタン県バルマ郷で焼身、死亡したリキョ(36)の遺書。3ヶ月後に亡命側にやっと伝えられた。彼女は3人の子供を残した。(8月20日追記)

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世界に平和と幸福がもたらされますように
ダライ・ラマ法王がチベットにお戻りになることができるよう
屠殺や肉を売ることを慎もう
盗みをなさず チベット語を話し 争いを止めよう

生きとし生けるものすべての苦しみを私は引き受ける
私が生きて中国の手に落ちても争わないでほしい
団結し チベットの文化を学んでほしい
火に我が身を焼く
家族よ苦しまないでほしい


8)2012年10月4日、チベット自治区ナクチュで焼身、その場で死亡した、ディル出身の作家グドゥップが残した2通の遺書。

原文は>http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6710
一通目の日付が3月14日になっている。これは早くも3月に焼身を決心し、これを書き、実際に焼身した10月にネット上に発表したものと思われる。

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命により打ち鳴らされし国家(チベット)の太鼓の音

苦楽と業を共にする雪山の人々(チベット人)の目標は、完全な独立を達成し、ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすることである。しかし、ダライ・ラマ法王は非暴力による中道路線を提唱され、名実ともなる自治獲得に努力されている。そして、600万チベット人はこの法王のお言葉を頭上に掲げ、長期にわたり希望を共にして来た。

しかし、中国政府はこの提案に興味を示し賛同するどころか、チベット人の福祉を語るだけでもその者を逮捕し、非常な拷問を与え、ダライ・ラマ法王を非難せず、チベットが中国の一部であると認めない者を暗殺したり、失踪させたりする。チベット人の幸福にはまったく興味を保たず、真の現状を隠し続ける。

我々は非暴力の闘いをさらに研ぎすまし、チベットの真の現状を知らしめ、証拠を示すために、自らの身を火に捧げ、チベット独立を叫ぶ。虚空に有られる神々よチベットを照覧あれ、母なる大地よ悲愛とともにチベットを見守られよ。地上にある世界の全てよ真実に注目されよ。

清らかであった雪の国は赤い血に染まり、非情な軍隊により覆われ、絶え間ない弾圧の下にある。しかし、勇敢にして挫ける事のない雪の子供たちは、智慧の弓を引き、命の矢を放ち、真実の闘いに勝利するであろう。

最後に、雪山の同胞たちよ、平等と自由の権利を享受するために、チベット全体の目的を主とし、個人的な利害を捨て、団結を強めて頂きたい。これが私の願いだ。ディルの人グドゥップより。2012年3月14日。

雪の国チベットの兄弟姉妹よ、過去を振り返れば、喪失、怒り、悲しみ、涙のみで喜びを見いだすことができない。来る水龍の年(来年)には皆さんに健康と成功がもたらされることを重ね重ね祈る。

民族の誇りを保ち、喪失や苦しみに直面しても、決して勇気を失わず、団結を強めて頂きたいと強く願う。ディルのグドゥップより。


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これまでに焼身したチベット人48人(内地45人、外地3人)のリスト:<上>

ウーセルさんは7月13日付けのブログで、これまでの焼身抗議者48人について、全員のリストと共にこれを時期、場所、人物に分けて簡単なまとめの報告を行われている。また、最後にこれまで残された遺書もまとめて紹介されている。>http://woeser.middle-way.net/2012/07/48453.html

私も常々、簡単でもいいからこれまでの焼身者をまとめて報告したいと思っていたので、今回、ウーセルさんの報告を下地に日本語で「まとめ」を作る事にした。なお、ウーセルさんの地域ごとの分類には間違いが幾つかあると思われ、訂正した箇所もいくつかある。

最初の3枚の図はツァンパ・レボルーション(Tsampa Revolution・NYベースのチベット支援グループ)が作成した、2012年7月7日までの焼身抗議を初めとするチベット人の中国当局に対する主な抵抗活動の場所と回数を地図上に示したもの。1)焼身抗議、2)デモ、3)部隊発砲、4)爆発、に分けられている。焼身抗議は2009年2月以降。その他は2011年3月以降を対象としたものである。チベット語版、英語版、中国語版の順。

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2009年2月27日〜2012年7月7日の間にチベット内地で45人*、外地(インド、ネパール)で3人、合わせて48人のチベット人が焼身抗議を行っている。内、女性は8人(尼僧4人、子を持つ母親3人、中学生1人)。この内の35人の死亡が確認されている。この内の12人は何らかの遺書を残している。そのほとんどはすでに当ブログで訳して発表しているが、貴重な証言、証拠であるのでその内の主なものを最後に再掲する。

*注:2009年以前にインドで2件の焼身抗議が行われている。これを合わせれば50人となる。
また、チベット亡命政府は2009年以降の内地焼身者の数を43人(7月16日時点)とするが、これはラガンの2人を未確認として保留しているからである。ウーセルさんと私はこの2人も焼死と確認し、加えている。

1:時期

2009年 1人:2009年2月27日に四川省ンガバ チベット族チャン族自治州 ンガバ県(以下ンガバ県)で1人。

2011年 14人(チベット内12人 外地2人):ンガバ県で8人。四川省カンゼ(甘孜)チベット族自治州タウ(達日)県(以下タウ県)で2人、カンゼ県で1人、計3人。チベット自治区チャムド(昌都)県(以下チャムド県)で1人。インド、ニューデリーで1人。ネパール、カトマンドゥで1人。

2012年7月7日まで 33人(チベット内32人 外地1人)
1月>ンガバ県で3人、青海省 ゴロチベット族自治州 ダルラ県(以下ダルラ県)で1人。
2月> ンガバ県で3人、青海省 ジェクンド(玉樹)チベット族自治州 ティドゥ県(以下ティドゥ県)で1人、青海省 海西モンゴル族チベット族自治州 テムチェン(天峻)県(以下テムチェン県)で1人、四川省 ンガバ チベット族チャン族自治州 ザムタン(壌塘)県(以下ザムタン県)で1人。
3月>甘粛省カンロ(甘南)チベット族自治州マチュ(瑪曲)県で1人、ンガバ県で5人、青海省黄南チベット族自治州レプコン(同仁)県で2人、四川省 ンガバ チベット族チャン族自治州 バルカム(馬爾康)県で2人、インド、ニューデリーで1人。
4月>四川省カンゼチベット族自治州カンディン(康定)県で2人、ザムタン県で2人。
5月>チベット自治区ラサ、ジョカン前で2人、ザムタン県で1人。
6月>青海省黄南チベット族自治州チェンツァ(尖扎)県で1人、ティドゥ県で2人、ジェクンド県で1人。
7月>チベット自治区ラサ市ダムシュン(当雄)県で1人。

2:地点

チベットの伝統的地域別けに従えば
ウツァンで3人、アムドで31人、カムで11人(ウーセルさんはバルカムの2人をギャロン、ダムシュンの1人をチャンタンと別枠にされている。ここではバルカムをアムド、チャンタンをウツァンの中に入れた)。外地;インドで2人、ネパールで1人。

現在の中国の行政区分に従えば
四川省チベット人居住区31人(ンガバ州ンガバ県20人、ザムタン県4人、バルカム県2人;カンゼ州カンゼ県1人、タウ県2人、カンディン県2人)。
青海省チベット人居住区8人(ゴロ州ダルラ県1人:ジェクンド州ティドゥ県2人、ジェクンド県1人:海西州テムチェン県1人;黄南州レプゴン県2人、チェンツァ県1人)
甘粛省チベット人居住区1人(カンロ(甘南)州マチュ県1人)
チベット自治区4人(チャムド地区チャムド県1人;ラサ市2人、ラサ市ダムシュン県1人)

3:人物

男性40人、女性8人。

最年長者64歳、最年少者17歳。

高僧(リンポチェ)2人、普通僧侶17人、尼僧4人。宗派別ではほぼ全てゲルク派の僧俗と思われる(俗人については資料がなく断定できないが)。例外として、2人の僧・尼がニンマ派、カギュ派の元僧侶1人、ザムタンで焼身の4人の俗人はチョナン派と思われる。

農民・遊牧民16人(ウーセルさんの数字に従う)、俗人の中には元僧侶も多い。1人は2人の子供を持つ父親、1人は3人の子供を持つ父親、1人は4人の子供を持つ母親、1人は3人の子供を持つ母親、1人は2人の子供を持つ母親。

1人中学校学生、2人学生。

(今年3月までの焼身者について、月別、年齢別、生死等状況をグラフにして示した資料がある。>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51738676.html

(中に続く)

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2012年07月15日

ウーセル・ブログ「どちらがオリエンタリズムなのか?」

ウーセルさんの去年8月9日のブログ。

このエントリーはウーセルさんのブログの英訳を多く掲載する「High Peaks Pure Earth」ブログにおいて、去年もっとも読まれた記事の1つだったそうだ。小説「失われた地平線」が西洋人に今も人気であり、「シャングリラ」とか「オリエンタリズム」という言葉に反応し易いからであろうか?もちろん内容もパンチが効いててすばらしい。

原文:http://woeser.middle-way.net/2011/08/blog-post_09.html
翻訳:@yuntaitaiさん

_シャングリラ◎どちらがオリエンタリズムなのか?

 2008年にチベット全土で抗議行動が起きた時、中国の主流の学者や作家の間にとても面白い反応が見られた。

 例えば、専門のチベット研究者ではないという清華大学教授の汪暉、チベット研究者という中国人民大学教授の沈衛栄だ。2人はともに著書などで、西洋には「シャングリラ・コンプレックス」「シャングリラ神話」があり、チベットを神秘化する「オリエンタリズム」に染まっていると批判した。

 いわゆる「シャングリラ」の名は、英国人ジェームズ・ヒルトンが70年以上前に書いた小説「失われた地平線」から来ている。この小説は人気を呼び、ハリウッドで映画化され、シャングリラは英語で桃源郷を意味する言葉になった。反義語は地獄で、中国の文化で言えば閻魔殿になる。

 奇妙なことに、中国人学者に「オリエンタリズム」と笑われる「シャングリラ」は彼らの目の前で現実のものとなった。雲南省デチェン・チベット族自治州の中甸は2001年、正式にシャングリラに改名した。もちろん権力のにおいが漂う政府の決定だ。旅行業を発展させ、内外の観光客を集めるためだという。このチベット東部カム地方の一角は元々ギェルタンと呼ばれていた。世の変化に合わせて名前は改められ、半世紀前に中甸となり、今ではシャングリラへと大きく変わった。

 シャングリラへの改名は紛れもなく他者の空想に迎合する行為だ。チベットを神秘化する西洋の習慣が中国まで広まったとして、汪暉は大いに失望した。これはチベットを妖魔化してきた中国が今になって西洋に迎合し始めたという意味だろうか?または、チベットを妖魔化する中国を西洋がついに変えたということだろうか?

 かつて書いたように、チベットは実際、人々が思い描くような浄土ではないし、迷える衆生の住む汚れた土地でもない。世界のあらゆる場所と同じように人間の暮らす土地だ。ただチベットには信仰があり、深紅の袈裟が輝く場所というだけだ。チベットに向けられる最も典型的な態度は二つある。妖魔化と神聖化だ。だが結果はいずれも同じで、チベットを歪め、チベット人を歪める。

 あるいは彼ら中国人学者に尋ねるべきなのかもしれない。中国共産党による「最も反動的で、最も暗く、最も残酷で、最も野蛮」という「旧チベット」の定説を認めるのかどうか?中国はチベットについて、より「オリエンタリズム」に染まっており、しかもそれはチベットを妖魔化する「オリエンタリズム」だと認めるのかどうか?特に2008年に西洋社会がチベット一辺倒に見えた時、彼らは考えてみたのだろうか?「解放」からこれほど長い時間が過ぎた後、なぜ「解放された農奴」が「解放者」に反抗しなければならなかったのか?チベットの大地で街頭に飛び出し、草原を馬で駆け抜けた抗議者のほとんどが、なぜ「解放」後に生まれたチベット人だったのか?

 彼らは互いにおだて合い、西洋からの批判に「理性と良識」を示す。しかし、自分の国や社会、体制によって繰り返されるチベット妖魔化を一言も批判しようとはしない。彼らは学者であって政治家ではないが、国家主義的な学者であるため、当然盲目になることを選ぶのだろう。

 彼らがこれほど「オリエンタリズム」を語りたがる以上、大著「オリエンタリズム」の冒頭でサイードが引用した二つの言葉を必ず覚えているはずだ。一つはマルクスの言葉だ。「彼らは自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない」。もう一つは英国の作家の言葉だ。「東洋というものは生涯を賭けるべき仕事なのだ」(訳注)。

 2011年7月(RFA特約評論)

訳注……引用部分の訳は「オリエンタリズム」(平凡社ライブラリー、今沢紀子訳)から。


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