2012年08月

2012年08月31日

帰郷しようと国境を越えたチベット人を拘束後、再びネパールに送り返す

aa337f39ナンパラ峠

今月に入り、ネパールからダムやナンパラ峠経由で国境を越えチベットに帰り、拘束された2組のチベット人たちが、再びネパールに追い返された。これはこれまでにないやり方である。

今月29日、自治区シガツェの拘置所に3ヶ月半に渡り収監され、強制労働を強いられていた11人のチベット人がネパールとの国境ダムでネパールの警官に引き渡された。その内の1人はインドで勉強した後ダム経由でチベットに戻ろうとして拘束されたチベット人。他の10人は今年始めブッダガヤで行われたカーラチャクラ法要に参加した後、インドの仏跡等を訪問し、ナンパラ峠経由でチベットに入ったが、国境警備隊に見つかり拘束されたというチベット人たちであった。

彼らは3ヶ月半後にトラックに載せられたが、行き先は告げられなかったという。国境のダムに着く直前に自治区政府の命令でネパールに帰されるということを知らされた。その際、チベットで持っていた中国の身分証明証を「もう必要ないだろう」と言い、取り上げられたという。

その内の6人は結婚し家族がチベットにいる人たちである。彼らは元々亡命するつもりでチベットを去った訳ではなく、カーラチャクラ法要に参加するために一時的に国境を越えた人たちであった。中国の身分証明証も取り上げられ、この先家族の下に帰ることもできないのか、と途方に暮れているという。

彼らはカトマンドゥの出入国管理事務所に送られた後、国連難民高等弁務官事務所を通じチベット人難民一時収容所に送られた。

8月23日にも同じように5人のチベット人がネパールに送り帰されている。彼らも故郷に帰ろうと国境を越えた後、見つかり、シガツェの拘置所に4ヶ月以上拘留されていた。彼らは一時収容所から再びインドに送られたという。

参照:31日付Tibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6538
30日付RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/blocked-08302012152040.html

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これまでは一旦インド等に亡命したチベット人がビザを持たずにネパールから国境を越えチベットに帰った場合、国境付近で見つかれば、シガツェの拘置所等に数週間から数ヶ月拘束された後、それぞれの故郷に送られることになっていた。国境付近で見つからず、故郷まで帰ったときにはその地区の拘置所で拘留され、後解放されていた。

このように、ネパールに追い返されるというケースはこれまでにないことだ。これが、カーラチャクラ法要に参加し、直ぐに帰らなかった者たちへの「もう二度と故郷には帰れないぞ」という嫌がらせなのか、帰還者への新しい方針なのか、はっきりしない。

一方でここ数年、限られた人たちを対象にするものではあるが、亡命チベット人に対し、短期、或は長期の帰還ビザを発行するということも行っていたりする。

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ラカルにザトゥで放生

IMG_19118月29日、この日は週に一度のラカル(ལྷག་དཀར་ 白い水曜日、ダライ・ラマ法王誕生曜日)であった。カム、ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)州ティンドゥ県ザトゥ郷 (ཁམས་སྐྱེ་རྒུ་མདོ་ཁྲི་འདུ་རྫོང་རྫ་སྟོད་ཤང་)では、このラカルに合わせ、「ダライ・ラマ法王の長寿とチベット問題の早期解決」を願い、羊とヤギの放生が行われた。

この日、地区の商人のグループが、中国各地の屠殺場に送られようとしていた、羊とヤギ10万元相当を買い取り、シルカル僧院(ཟིལ་དཀར་དགོན་པ་)に持ち込んだ。シルカル僧院は近くのチベット人住民と協力し、これらの羊やヤギを死ぬまで面倒見ることを約束し、羊たちを付近の草原に放った。

228417_131763693636869_902839285_nこのザトゥ郷では今年6月20日、元シルカル僧院僧侶テンジン・ケドゥプ(24)とンガワン・ノルペル(22)が焼身抗議を行っている。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-06.html#20120620
テンジン・ケドゥプはその場で死亡したが、ンガワン・ノルペルは焼身後一旦このシルカル僧院に匿われた。その時のビデオが伝わっている。その後、彼は警官により連行され、現在病院に収容されていると思われる。

参照:30日付Tibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-35-27/9097-2012-08-31-04-32-47その他

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2012年08月30日

銅メダルのチュヤン・キがいじらしい件

56ae0060今日は@uralungtaさんのコラムを本人の了承を得て転載。

チュヤン・キのことをまだよく知らないという人は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757493.html

[weiboより転載][ロンドン五輪競歩女子20km銅メダルのチベット人選手チュヤン・キの発言]
「どうかでたらめを書かないでください。ありがとうございます」

※中国人の発言
『五輪陸上女子競歩20km競技で、チュヤン・キは銅メダルを獲った。トゥリナ(CCTVの有名モンゴル人女性陸上専門記者。北京、ロンドンと連続2コケで棄権した陸上スター選手・劉翔の擁護記事を書くことで有名。冬日娜)が彼女を取材した。「あなたはどうやってモチベーションを保ったの?」チュヤン・キ曰く「試合前、監督が私に言ったんです。ただひたすらゴールを目指してメダルを取れれば、家ももらえて、戸籍問題も解決できるって!」。。。。』
に対するコメント。(注: もちろんこの発言はツクリ、捏造。)

切阳什姐:请不要乱写了。谢谢
20分钟前 来自iPhone客户端 | 举报

@鱼和渔_ : 奥运会田径女子竞走20公里决赛中,切阳什姐摘铜,冬日娜采访她:你是怎么坚持跑下来的?切阳什姐说:出赛前,教练和俺说了,只要跑到终点,拿到名次,你的房子就有了,户口也可以解决了!。。。。
转发(1) | 评论 8月12日09:27 来自新浪微博

中国人の発言は、既に名声も政治的地位も獲得してセレブになった劉翔が出場枠しながらコケて棄権して「実は故障していた」ことが後から発表されてメディアがバッシング防止の抑制報道をしたことについてあてこすると同時に、少数民族の抱える問題(貧困とか戸籍とか)も揶揄し、「いい成績を上げたから賞金も豪邸も手に入れて、他の少数民族の苦労はもう関係ないだろう」とツェヤン・キ選手を皮肉るもの。社会の一端を突いてちょっと気のきいたブラックジョークを書きこんだつもりなのだろうけど、スポーツの分野で自分の可能性をひたすら目指した牧畜家庭出身の女の子に、言ってもいないでっちあげコメントを捏造するのはかわいそう過ぎる。

それに対して、チュヤン・キは反発も怒りもあるだろうに、しごく丁寧な口調で「どうかいいかげんなことを書かないで、ありがとう」と懇願口調。ロンドン五輪から戻って以来、家をもらった、賞金をもらった、称号をもらったと書かれ続け、同時にたくさんの中傷ややっかみもウェイボーにあふれかえっているなかで、これが最初の中傷に対する反応。我慢していることも多いに違いないのに、と、もう断然ずっと味方するわ、もう。

tumblr_m9jmvoQM1S1ro14de追記するならチュヤン・キ嬢、ロンドンから帰国後、ウェイボーのアイコン写真をチベット服を着たものに替え、チベット語の書き込みも増えた。

8月22日には「実家に帰る。お父さん、故郷の皆さんありがとう」と書きこみ、「回老家了。信号不好所以没有办法联系大家了。(電波が悪くなるのでこれからしばらく連絡とれません)」(8月23日9:40)と断り、その数時間後には「我真的真的真的很想哭。家里待了一天既然又让我回去。为什么? (わたし本当に本当に本当に泣きたい。実家に帰って1日、突然戻らなければいけなくなった。どうして?)」(8月23日13:41)「谢谢你们。我不是回去训练。是有事情。只是在老家待了一天有点难受。哈哈哈 (皆さんありがとう。練習に戻るのではありません。事情ができたのです。実家にたった1日しか滞在できないことだけが悲しかったのです。ははは)」(8月23日13:56)と書きこんで26日には北京に着いている。


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2012年08月29日

焼身抗議者が50人を越え、昨日と今日ダラムサラでは

DSC06990ダラムサラでは昨夕、地区TYC(チベット青年会議)及び地区TWA(チベット女性協会)主催で前日27日にンガバで焼身抗議を行い、死亡した僧ロプサン・ケルサン(18)とダムチュ(17)に哀悼の意を示すキャンドル・ライト・ヴィジルが行われた。

マイクを握り焼身の状況を説明したダラムサラ・キルティ僧院僧侶カニャック・ツェリンは「彼ら焼身した同胞たちが、行動を期待している対象は外国の政府ではなく、我々亡命チベット人たちだ。我々が彼らの死を無駄にしないよう、できるだけの努力をすべきなのだ」「まず、焼身した人々について詳しく知ろう。知識が増えれば自然に行動しようと思うであろう」と。

_DSC0578「ラカル」の今日29日、午前11時からはSFT(Student for Free Tibet)インド支部、及びTWA本部の主催により、ダラムサラ、マクロードガンジの広場で、「チベットの焼身抗議者の数が悲劇的マイルストーンである50人を越えた」として、これまでの内地焼身者51人(私はラガンの2人を含め53人とするが)の写真を胸や顔にあてた51人のチベット人が路上に横たわるというパホーマンスを行った。

その後、これまで遺書を残した焼身者たちの遺書が様々な人たちにより読み上げられた。このイベントはアメリカやヨーロッパの各都市でも同時に行われたという。(遺書の日本語訳は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51754005.html 8月20日更新)

_DSC0601そのリリースによれば、目的は「中国の(チベット)失敗政策を終わらせるために世界的外交介入を求める」と言うもの。

SFTとTWAは焼身者が50人を越えたことを受け、その行動を強化すると約束する。
「中国政府は50人以上のチベット人が抗議のために焼身するという状況を作った。北京はその政策を変更し、部隊を引き上げ、焼身抗議を一夜にして終わらせる権限をもっている。しかし、北京はそうすることなく、逆にチベット人の苦しみと悲しみを深めされることばかりを続けている」とSFTインド代表のテンジン・ドルジェは言う。

_DSC0614「チベット内地で起っている悲劇的焼身は中国の政策が失敗していることの明らかな印だ。TWAはチベット人の命を救うために世界的介入を要請する。我々は世界中の政府に対し、この中国の(チベット)弾圧を止めさせるために様々な圧力を掛けることを求める」とTWA会長のタシ・ドルマは語る。

SFTはさらに来る9月5日を世界行動日とし、各国の外務省に対し、9月に行われる予定の国連人権委員会会合と国連総会に向けてチベット問題を議題にのせさせるためのロビングを行うという。

_DSC0631集会最後の「プギェロー!(チベットに勝利を)」

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2012年08月28日

<速報>27日 再びンガバで2人焼身 2人とも死亡

8月27日、現地時間午前8時半頃、アムド、ンガバ・キルティ僧院の東門付近でンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ケルサン(བློ་བཟང་སྐལ་བཟང་18)とンガバ県チャ郷ラルワ村(རྔ་པ་རྫོང་གཅའ་ཞང་རྭ་རུ་བ་)のダムチュ(དམ་ཆོས་17)が自らの身体に火を放ち、中国政府のチベット政策に抗議した。

目撃者の話によれば、彼らは炎に包まれながら20歩ほど歩き、スローガンを叫んだ後、倒れたという。彼らが叫んだ内容は未だ伝わっていない。保安部隊が駆けつけ、火を消し、ンガバの病院に運んだが、しばらくしてバルカムに転送した。

27日の夕方、2人とも死亡したと伝えられた。死亡した後、遺体はバルカムに運ばれた。遺体が家族に手渡されたかどうかは不明。

事件が起った後、僧ロプサン・ケルサンと僧坊を共にする僧ロプサン・ペルデン(བློ་བཟང་དཔལ་ལྡན་)が警官により連行された。

僧ロプサン・ケルサンの父の名はツェコ・ドルジェ、母の名はサンゲ・ドン、兄の名はツェコ・タシ。家族はこの3人である。

ダムチュの父の名はドシ・ロベ、母の名はツェポ。両親は離婚し、彼は母と一緒に暮らしていた。彼は僧ロプサン・ケルサンの甥(または従兄弟 ཚ་བོ་)である。また、今年2月11日に焼身し、死亡したマミー尼僧院の尼僧テンジン・チュドゥン(リスト中22番 བསྟན་འཛིན་ཆོས་སྒྲོན་)の弟である。離婚後、尼僧テンジン・チュドゥンは父の方に引き取られていたので、世帯は別であった。ダムチュは嘗てンガバ・キルティ僧院の僧侶であった。還俗して後、母と共に遊牧の仕事をしていた。

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内地焼身者52人目と53人目。死亡確認42人目と43人目。

2009年以降の焼身者リスト(8月28日更新分)>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757842.html

参考:27日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/immolate-08272012150023.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/confirmed-reports-of-more-self-immolations-today-in-Ngaba-08272012130745.html

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2012年08月27日

カンゼで尼僧が1人デモ

2012_8_25_ lhamo今月25日午前8時半頃、カム、カンゼ(四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ)の街中でカンゼ・ガンデン・チュリン尼僧院( དཀར་མཛེས་དགའ་ལྡན་ཆོས་གླིང་དགོན་)の尼僧シェドゥプ・ラモ(བཤད་སྒྲུབ་ལྷ་མོ་39)が1人で中国のチベット政策に対する抗議のデモを行った。

彼女はチラシを撒きながら「ダライ・ラマ法王に長寿を!チベットに自由を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!」と大きな声で叫んだという。

間もなく、保安部隊が彼女を取り囲み、殴り倒した後、連れ去った。現在、カンゼの拘置所に拘留されているという。

shedrup-lhamo-arrested-in-karze-305デモの際、近くにいた外人(VOTでは記者という)が彼女の撒いたチラシを写真に撮った。部隊はこれを見て、この外人も一緒に連行したという。外人がその後解放されたかどうかは不明。

尼僧シェドゥプ・ラモはカンゼ県カムダク郷シャンカク村の出身。父ツェワン・ギュルメ、母ツェリン・ペーモの娘。(དཀར་མཛེས་རྫོང་ཀཿབྲག་ཤང་། ཤང་ཁག་གྲོང་ཚོའི་ཕ་ཚེ་དབང་འགྱུར་མེད་དང་། མ་ཚེ་རིང་དཔལ་མོ་གཉིས་ཀྱི་བུ་མོ)

参照:27日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9068-2012-08-27-10-36-55
VOT27日放送分

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2012年08月26日

僧侶、俗人の拘束、行方不明が続く

Losang%20Sangjee%2002僧ロプサン・サンゲ

ンガバで2人

24日付けダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、8月14日前後にンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・サンゲ(བློ་བཟང་སངས་རྒྱས་30)が、8月17日に僧侶ロプサン・クンチョク(བློ་བཟང་དཀོན་མཆོག་40)が公安により連行され、今も行方不明。拘束の理由も不明。

僧ロプサン・サンゲはンガバ州チクディル県カンサルマ郷の出身。僧ロプサン・クンチョクはンガバ県チャ郷の出身。

Sang%20du%2001僧ロプサン・クンチョック

さらに、8月16日前後に、同僧院の僧サンドゥと僧ロプサン・テンジンが連行された。彼らは1週間に渡り厳しい尋問を受けた後、解放された。僧ロプサン・テンジンは1998年に逮捕され3年の刑を受けている。2008年にも1ヶ月間拘留されている。

参考:25日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6503
25日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=276:china-detains-more-monks-in-ngaba-county&catid=70:2012-news&Itemid=162

セルタで1人

また、24日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9053-2012-08-24-11-02-30
によれば、8月12日、カム、カンゼ・チベット族自治州セルタ県ヤールン郷出身のツェキャップ(ཚེ་སྐྱབས་34)がバルカムからセルタに向かう途中で逮捕された。

2012_8_24tsekyabツェキャップ

逮捕の理由は、今年ロサを祝わないという運動に加わり、秘密情報を外部に漏らし、普段より政治的活動を行っていたという嫌疑によると伝えられる。

彼には2人の子供がいる。普段、縫製の仕事やレストランの仕事をしていたという。


バゾンで1人

23日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6491によれば、当局は最近、アムド、バゾン(འབའ་རྫོང་又はゲパスンド、青海省海南チベット族自治州同徳県)で商業を営んでいるツェリン・ワンギェル(ཚེ་རིང་དབང་རྒྱལ་)を拘束。彼は今年3月、デモに加わったとして数日間拘束され後、解放されていた。再び連行された後、行方不明となっている。

サンチュで僧侶が1人

最近チベットからインドに亡命したチベット人がTibet Timesに伝えたところによると、アムド、サンチュ県(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)ゲンキャ郷にあるダクカル僧院の僧侶ゲンドゥン・ギャンツォ(དགེ་འདུན་རྒྱ་མཚོ་43)が去年7月、僧院から突然、警官により連行された後、行方不明のままという。

彼は1989年、インドに亡命し数年間南インドの僧院で勉強した。その後1992年に故郷に帰ったが、その時数日間警察に拘束され、尋問を受けた。また、2011年1月にはアメリカから来た友人と会った後、拘束、手錠をはめられ、拷問を伴った激しい尋問を受けた。そして、去年再び拘束され、その後家族が探し続けるも行方不明のままという。

彼は僧院で、指導的地位にあった。

参照:24日付Tibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6498

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2012年08月25日

ウーセル・ブログ「ラサの新しい姿から」

ウーセルさんは今、ラサに居られるはずだ。今月半ば、旦那さんの王力雄さんと他の友人2人と共に、北から陸路でラサに入ろうとして、ラサの手間の検問に引っかかり、数時間拘束されている。以前ラサに行かれた時も公安から呼び出され、以後厳しく監視されている。今回、無事であることを祈るばかりだ。

ウーセルさんは7月15日付けのブログでラサに関する記事を書かれている。旅行中にも関わらず@yuntaitaiさんがこれを翻訳して下さった。
原文:http://woeser.middle-way.net/2012/07/blog-post_15.html

写真は「最近のラサ」、全て元記事より。
001◎ラサの新しい姿から

一、江蘇路

( この部分は以前当ブログhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51661009.htmlで紹介したのとほぼ重なっているので省略)

二、太陽島

ラサ南部の太陽島にはずっと関心を持っていた。ラサ全体で最も奇妙な一角であり、今日のラサの縮図と言っていい。外国メディア記者や外国人旅行者に大いに推薦する価値がある。

jpg-1ここは以前、「ジャマリンカ」(ほうきを作れる野草が生えた林)と呼ばれていた。樹木や砂州、ラサ河の静かな流れがあり、小さな橋の両側には何重にもタルチョが掛けられていた。ここはまた、「泥棒の隠れる庭園」を意味する「クマリンカ」の呼び名でからかわれていた。1994年、チベットで最も有名な漢人画家の紹介により、アモイから来た開発業者が当局と協力し、自然の庭園をカジノへと変えた。その後、中国内地の富豪が中和国際城に改築した。ここはすぐにラサで最も大きく、最も大っぴらな歓楽街になり、1000人以上の売春婦が集まるようになった。

ラサのセックスワーカーに関するネット上の調査報告によれば、「貧乏人は第2環状線をぶらつき、中産階級は天海夜市に行き、富裕層は太陽島に詣でる」という言葉がラサで広まっているという。そして調査報告は「ラサの第2〜第4環状線には、四川省や重慶市、湖北省、湖南省から来た少女や若い既婚女性、中年女性までもが無数に散らばっており、ラサ全体で独特の風景を形作っている」(注1)と書く。深センからラサに来た漢人の遊び客は得意気に買春の心得をネット上に披露していた。「中和国際城はラサの本物の歓楽街で、高級から中級、低級まで全てそろっているね。ネパール人やロシア人もいる。でも外国のは高くて不細工だし、国産品を支持するようアドバイスしておこう。どれだけ女性がいるのかは数えてないけど、どちらにせよ中和国際城の5キロ四方で一番多いのは肉屋さん(売春業者)だね、ハッハッハ」(注2)

002太陽島ではこのほか、各地の風味を楽しめるレストランやチベタン・マスチフ販売センター(壁にはパンチェン・ラマ10世の大きな写真が掛けられ、机には額縁に入った毛沢東の肖像が置かれている)、四つ星ホテル(洋食や中華、チベット、インドの各料理などを味わえる)、アダルト・グッズ店、ラサ民族文化芸術宮、ラサ市政府臨時弁公室などが入り乱れている。

以前、「人民公社」という名のレストランに行った。内部には毛沢東像が置かれ、毛沢東語録が飾られていた。服務員は毛沢東バッジ付きの緑色の軍服を着ていて、紅衛兵のようでもあり、革命映画に出てくる国民党のスパイのようでもあり、妖怪のようでもあった。白いカタを掛けた毛沢東像の両側には、「農奴から解放されて毛沢東を忘れず」「豊かになって小平を忘れず」と書かれた対聯があった。レストランを開いた経営者は小平の故郷から来たといい、見たところ確かに豊かになったようだ。

民族文化芸術宮では、官民が提携して世に出したミュージカル「ヒマラヤ」を見た。基本的に出演者は内地から来ていた。内容は雑技や手品だ。インド舞踊やタイ舞踊、中東のベリーダンスをミックスさせたような、実は性的な意味を持つ踊りも含まれていた。このほか、青蔵鉄道や五星紅旗、オリンピックの聖火も登場した。無かったのは起立と国歌斉唱を求められることぐらいだ。特にひどかったのは、何々ドルマと名乗る「チベット族少女」が観客をステージ上に招いた時のことだ。もし三つの条件に応じれば、ステージに上がった男性漢人は「グゲ王国の国王」になれるという。もし応じなければどうなるか。「チベット族少女」は甘ったるい調子で、「五体投地の刑に処す」と宣言した。

L1270803-1これは非常にでたらめなせりふだ。「チベット文化をリードする」と称するこのミュージカルはすぐにボロを出してしまった。五体投地とは何か?体を投げ出した距離だけ進む方式によって、どんな人たちが聖地ラサまでの長い道のりを測るのか?彼らが皆、懲罰を受けているとでも言うのか?彼らはどんな罪を犯したのか?チベット人にすれば、五体投地をしていのるは素晴らしい巡礼者だ。彼らは肉体を痛める苦行によって敬虔な信仰心を表現する。頭を下げ、敬意を表する価値がある。しかし、チベット文化の記号が氾濫する寄せ集めの中では、はかり知れない功徳を意味する神聖な行為は逆に「懲罰」と見なされる。冗談だとしてもあまりに度を越している。本物のチベットはこうした笑いの中、はっきりと低く評価され、辱められ、冒涜されている。

(注1)東方社工論壇 http://eastsw.5d6d.net/thread-22264-1-1.html
(注2)全民論壇 http://www.publicbbs.com/BBSdetail.aspx?id=10728


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2012年08月24日

ラサは巨大な監獄の如し

552126_488507061161794_776382049_n最近ラサからRFAに寄せられた報告。とはいえ、必ずしもラサからとは限らないかもしれない。ラサから離れて電話するという人もいるからだ。

ラサの街には、新たに空港にあるようようなボディスキャナーが設置され、ラサに外国から電話が入ると自動的に録音されるシステムが導入されたそうだ。

以下報告者の言葉を幾つかそのままお知らせする。ラサでの焼身後、アパルトヘイト政策が強化されたようだ。

ある女性:「ラサの街は大きな刑務所と化した。10人かそれ以上で隊列を組んだ警官がライフル、こん棒、消火器を持って至る所を巡回する」

「ジョカンを巡るパルコルの近くにはチェックポストがある。チェックポストには新たにボディスキャナーが設置されチベット人は誰でもチェックされる。ボディスキャナーはジョカンの周りだけでなくポタラの周りにもある」

2人目の人:「よそ者はラサに入る事が拒否される。でも、これはチベット人だけで、中国人はいつでもどこでもフリーパスだ」

「ラサ近郊の村にいるチベット人たちでさえラサには入れない。彼らはクル橋で止められる。被害を被るのはチベット人だ」

「カムやアムドから来たチベット人も特別の居住許可証を見せない限り、ラサから追い出される」

「ラサは中国人で溢れている。彼らと言い争うことはできない。差別の下で不満は爆発寸前まで溜まっている。もしも、中国人と喧嘩したら、必ずチベット人が罰せられる。中国人と言い争えば、すぐに『分裂主義者の政治的発言だ』と言われる」

「我々チベット人は弁護士になれない。中国人の弁護士はチベット人を擁護することを恐れる」

3人目の人:「今、ラサとその周りは本当に巨大な監獄のようなものだ。自分たちは何もできない」

「もしも、家族の誰かが外国にいてその人がラサの家族に電話したとする。すると、警察の中にあるモニターステーションの赤いランプが点灯する。そして会話は録音される」

もっとも、Yaoという中国人の移住労働者は「自分たちだって特にジョカン付近に行く時にはスキャンされたり、身分証をチェックされたりする」と言ってるそうだ。

今月はデブンのショトゥン祭があるので特別厳しいのかというと、そうではないという。

4人目の人:「この数日だけ厳しいという訳じゃない。いつもこうだ。とても厳しいがここじゃいつものことだ。慣れるしかないよ」

「道でグループになることは許されない。中国人と争うことも許されない。チェック、チェック、チェック、、、みんあチェックされる。バルコルの近くじゃ機械でチェックされる」と。

参照:23日付RFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/prison-08232012122203.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/lhasa-08232012151254.html

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2012年08月23日

ディルでチベット語・文化を擁護した若者中心に1000人以上拘束される

driru-map-305今朝RFA放送を聞いていた。1人のチベット人が現地からRFAに電話し、ディルの状況を詳しく語っていた。それは20分ほども続いた。私はあまりに長いので、危ないんじゃないかと心配になった。RFAのアナウンサーは何度も「危険を顧みず、情報を伝えて下さったその勇気に感謝する」と言ってた。

もちろん、ほとんどの内地情報は電話で亡命側に伝えられるのだが、近親者や同郷人を通じて伝えられることがほとんどだ、RFAの電話番号は広く知られており、もちろん当局も知っている。直接RFAに電話することは、特に危険なことなのだ。だから多くの場合は短く要点を伝えるだけで切れてしまう事が多い。彼のは長かった。

彼の話をRFA英語版がまとめた記事が出ていたので、これを中心に紹介する。
http://www.rfa.org/english/news/tibet/detained-08222012154059.html

ディルで1000人以上拘束

ナクチュ県ディル(ビル、比如)はチベット自治区東部の山に囲まれた小さな町である。しかし、ここは2008年以降、自治区の中でもっとも抵抗運動が盛んな場所である。彼によれば、今年3月デモが発生した後、この小さな町に1万人以上の保安部隊が派遣され、これまでに1000人以上のチベット人が拘束されたという。そのターゲットは特別な政治活動を行った者たちではなく、単にチベット語やチベットの文化を守る事に努力する若い知識人や教育者であるという。

「地区に中国の部隊が出動した後、1000人以上のチベット人が拘束されたり、監獄に送られたり、行方不明になった」

「若い教育を受けたチベット人や比較的裕福な家庭の子供たちが、特に狙われ、拘束された」

ディルではこれまでに一般人によるデモだけでなく中学生や小学生のデモも行われている。最近では当局の厳しい愛国再教育を嫌って多くの僧院や尼僧院から僧侶、尼僧が逃げ出し、空っぽになる所も多いと報告されている。

「2009年からディルの若者たちは、チベット文化の重要性について討論するようになった。他のグループはチベット語を話し、書くという運動を始めた。彼らは日常会話や電話でチベット語を話すようになった。中国語よりチベット語が重要だと考え始めたのだ」

ラカル(白い水曜日)

「また、他のグループは『白いダイエット協会』と自分たちを呼び、肉製品をさけることを呼び掛けた。彼らは毎月の仏教の聖なる日に肉を食べないこと、『ラカル(白い水曜日)』にヨーグルト等の白い食べ物を食することを呼びかけた」

「それらは大きな組織ではなかった、ただチベット文化や言語を守り、『白いダイエット』を訴えるグループだった。しかし、当局は彼らを拘束した。ある者はただ数時間拘束されただけだったり、ある者は数日間拘束されただけだ。しかし、多くが刑務所に送られ、そのまま行方不明になった者もいる」と報告する。

(彼は拘束された数人の名前を上げていた。学校の教師が多かった)

コロンビア大学ロバート・バーネット教授のコメント

「ここ数年、チベット人たちの間にチベット語とチベット文化を讃え、菜食主義を勧めようとする動きが起っている。しかし、一般にこれらの動きには当局から政治的と思われないような注意が払われる」

「政治的と見なされない限り、当局が単にチベット語や文化を奨励したと言うだけで彼らを拘束することは稀であろう。しかし、もしも『ラカル』という言葉を使ったならば、これは政治的と見なされ拘束の対象となる危険が高い。これは、(内地で始まった運動ではあるが)外地では政治的抵抗運動として広く知られるようになっているからだ」と。

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2012年08月22日

ゴンジョ 強制移住/ンガバ 焼身後のデモ拘束者/バゾン 死に瀕し解放 賠償金

70195880ゴンジョ市街(グーグルアースより)


今日のニュースを幾つか。

カム、ゴンジョで400世帯が移住地も理由も明かされないまま、移住承諾書にサインを強要される

21日付Tibet Expresshttp://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9030-2012-08-21-11-35-24より。

カム、ゴンジョ(གོ་འཇོ་チベット自治区チャムド地区貢覚県)の400世帯以上が強制移住を迫られ、住民は異常に困難な状態に陥っている。

今月16日から、ゴンジョ県メド郷(སྨད་མདོ་ཤང་)の家々に政府の役人が現れ、住民は移住承諾書にサインを強要されている。21日までに約400世帯がサインさせられた。しかし、一体どこに移住させられるのか、何の理由で移住させられるのかはまったく説明されていないという。

村人や政府職員の何人かが、「ディチュ川をせき止める計画があるようだ」とか、「鉱山開発のためだろう」と噂するが、はっきりとした理由は不明のままだ。

人々がもっとも心配するのは地区にある、リゲ僧院、ダクマル僧院、ゴンサル僧院など5つの僧院がどうなるかだ。以前よりこれらの僧院に対し当局は移転するよう勧告していたという。

「上からの命令だから従うしかない。しかし、どんなところに送られるのだろうかと、大変心配している」と村人は語る。

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理由も、どこに送られるかも知らされず、ただ「承諾書にサインしろ」と命令するのが中国なのだ。反対運動が起らないのが不思議なぐらいだ。実際に政府が用意した家の鍵を受け取らなかったとして懲役刑を受けたチベット人はいる。

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2人の焼身後、デモを行い負傷、拘束された2人の名前が判明

ダラムサラ・キルティ僧院リリースより。参考:21日付Tibet Timeshttp://tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6485

今月13日、ンガバで僧ルントックとタシが焼身した後、2人への暴力を目撃したチベット人たちが抗議デモを行ったが、この時武装警官隊により鋲付き鉄こん棒等で殴られ負傷した後、拘束されたチベット人の内2人の名前が判明した。ラ村カップメのボンコ・キ(བོན་ཁོ་སྐྱིད་44)とゾレップ村のチェチョック(ཆེ་མཆོག48)。ボンコ・キは去年、一ヶ月間拘束され、政治教育を受けさせられたという。2人の行方は依然不明のまま。

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このデモに参加した1人が頭を殴られその場で死亡したとTibet Netが報じていたが、彼の名前や詳細は依然伝わっていない。

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67806d1e3月16日のバゾンにおけるデモ

生きる望みなしと判断され解放、なぜか賠償金がでる

21日付Tibet Expresshttp://www.rfa.org/tibetan/sargyur/Gyarig-Thar-injured-in-Chinese-use-of-explosive-08212012134610.htmlより。

アムド、バゾン(མཚོ་ལྷོ་ཁུལ་འབའ་རྫོང་又はゲパスンド(カワスンド)གད་པ་སུམ་མདོ、青海省海南チベット族自治州同徳県)で今年3月、抗議デモを行い、負傷したチベット人若者ギャリ・タル(རྒྱ་རི་ཐར་)はデモの後、病院に収容され当局の監視下にあった。彼は最近重体となり家族に引き渡された。

この際、当局はギャリ・タルに賠償金として25万元を払い、120平方メートルの家一軒を与えたという。さらに、治療費も政府が負担することを約束した。彼は5ヶ月間病院に収容されていたが、生きる望みななくなったので家族に引き渡されたのであろうと思われている。

バゾンでは3月15日にシンティ僧院僧侶50人ほどが法王の写真を掲げ、抗議デモを行い、全員拘束された。次の日、僧侶たちを解放せよという一般市民のデモが起った。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735957.html。この時、部隊は集まった群衆に向かって催涙弾を発射し、爆発物を投げ込んだ。12歳の子供1人が死亡し、7、8人が病院に担ぎ込まれたという。

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デモに参加し負傷したチベット人に賠償金が払われたという話はこれまでに聞いた事がない。じゃ、この時死亡したとされる子供にも賠償金が払われたのか?デモに参加すれば、殺されようが、負傷しようが当局の知った事ではない。例えば、拷問で死にそうになって監獄から解放され、その後死のうと誰も咎められない。家族には一銭も払われない。監獄の中で死んだとしても、これまでに誰か責任者が罰せられたという話は聞いた事がない。

それどころか、古くは文革時代に銃殺された家族に銃弾の金を払わせたという話もあるが、最近でも焼身者の家族が治療費を払えと命令されたという話が伝わっている。

一体今回、なぜ彼にこれほど多くの賠償金が払われたのか?という話をルンタ・レストランで働くチベット人たちに聞いてみた。「そりゃ、きっと、そのチベット人の家族が政府と関係が深かったからだろう。親父が政府高官とか?」という者。「そのチベット人はデモを監視してた私服警官だったんじゃないか?スパイみたいなやつだな」という者。何れ、記事にはなぜ払われたのかについて書かれていないので、想像するしかないわけだが、不思議なこともあるものだ。

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ゲシェラの思い出

Geshela2年前、南インドで会ったときのゲシェラ

富士山麓で地鎮祭を終え、東京に向かっていた豪華バスが、週末の渋滞と重なった事故の煽りで5時間程高速道路上に止まった。バスが動かないことなど全く気にならないらしく、木村肥佐生先生はゲシェラ(ケンスル・リンポチェ・テンパ・ギェルツェン師)とチベット語で楽しそうに会話をしていた。その内、外は暗くなり、夕食の時間も過ぎた。木村先生はバッグから何か取り出しみんなに分け始めた。ナッツやドライフルーツだった。「いや〜私はモンゴルやチベットを長く旅行していた時の癖で、今も非常食なしには移動できないのですよ。今日はこうしてそれが役に立ってよかったですよ」と先生。みんなこれには驚き、喜んでその非常食を食べた。

バスの中にはその頃(30年前)チベット関係と言われる錚々たる先生方が一堂に会していた。その頃京大におられた川喜田二郎先生、東大の山口 瑞鳳先生もおられた。ゲシェラに会ったのはこの時が初めてだった。まん丸い顔でにこやかであった。周りの大先生たちもみんなゲシェラを特別に尊敬しているように見えた。一向を先導するペマさんから「今度サムエ寺院の管長になられる方です。法王がそのために選んで日本に送って下さった方です」と紹介された。

みんなでその「サムエ寺」と名付けられた日本で初めての本格的チベット寺院建設予定地で地鎮祭を行い、帰る途中であった。富士山麓の雑木林の中でゲシェラがチベット式地鎮祭を行われた。私はその寺院の設計をペマさんに頼まれ、初めてその敷地を見るために同行したのだった。一緒にバスに載っていた、ゲシェラを初めとする大先生方についてもそのときは名前を知ってるぐらいで、その偉大さについてはそれから後徐々に知る事となった。

私はゲシェラを一目で大好きになった。この人が管長になるなら設計も頑張らなくては、と思ったものだ。

しかし、計画は何度も頓挫した。敷地も富士山から東北へ、北関東へ、千葉へとめまぐるしく変わり続けた。その度に私は一からやり直し図面を引いた。ペマさんは寄付を募った。私の友人、先輩たちもお前が設計してるならと寄付してくれた。寄付は数千万になっていた。しかし、今現在もペマさんからこの寄付が一体どうなったかの説明を聞いた事がない。2年間働いたが、設計料が払われたこともない。

私は「もう建物など借り物でいいじゃないですか。教えを受けるために集まる場所があれば良いはずです」と言った。そして、そのころ建築の出身研究室が関わっていた、ある新潟の村から小学校の廃校を譲り受けるということもやった。しかし、この廃校も使われる事はなかった。

ゲシェラとはその後もペマさんの事務所(その頃のダライ・ラマ代表事務所)で何度も会った。「寺が出来なくて済みません」と私は謝った。ゲシェラは何とも思っていないようだった。それでもゲシェラは「今、儀式のやり方を勉強しているところです。私は今までそのようなことは勉強したことがないので、少し準備しようと思っています」とおっしゃった。

ゲシェラは東洋文庫で研究者のためのインフォーマーとなり、仏教論理学や語学を教えておられた。でも、私はゲシェラにもっと広く多くの人たちに仏教を説いて頂きたいと思っていた。それが、ダライ・ラマ法王の御意志でもあると思った。もちろん、東洋文庫でゲシェラの教えを得た福田洋一先生初め数人の研究者が素晴らしい研究をされている事は間違いないが。

_DSC9522設計に関わる以前から仏教には興味があったが、ゲシェラに会ってから、チベット仏教の本も読み、チベット仏教への期待は大きくなって行った。

サムエ寺院計画が行き詰まっていた頃、法王が日本に来られた。私は法王にサムエ寺院の計画について説明するために呼ばれた。初めてお会いした法王はもちろん私を感動させた。計画がうまく行っていない事を報告した。そして、法王からダラムサラに来る気があるかと問われた。こうして、家族を連れてのダラムサラ生活が始まった。その時にはまさかこんなに長くダラムサラに住み続けることになろうとは夢にも思わなかった。

ダラムサラに来て以来何人もの素晴らしい先生から仏教の教えを受けた。もちろん法王からも驟雨のごとくに教えを聞いた。しかし、元々凡夫の身であり、理解も実践も仏教徒とも言えないレベルのままだ。

ゲシェラは東洋文庫に5年おられた後、デブン・ゴマンの管長として南インドに行かれた。管長職は普通5年勤めるのが当たり前だが、ゲシェラは3年で辞められた。「どうして途中で辞められたのですか?」と聞くと、「管長の仕事は、戒律を破ったりした僧侶をしかることです。時には辞めさせなければいけません。私は人を叱るとこができません。辞めさせることもできません。管長の仕事は本当に嫌なものです」とおっしゃった。そしてまた、日本に来られ東洋文庫に通われた。

その頃、日本に帰った時ゲシェラの部屋を訪れた。そこは木造の祖末な学生下宿の4畳半だった。都電がすぐ近くを通っていて、電車が通る度に部屋が揺れた。私は涙が出た。本当に済まないと思った。「ゲシェラ、こんな近くに電車が通るところでうるさくないですか?部屋も狭くないですか?」と聞くと、「何でもないです。部屋も狭くて良いのです」と小さなガスコンロでお茶を入れてくれようとする。自分の僧院であるデブン・ゴマン学堂にいれば、大先生として多くの弟子から尊敬され、至れり尽くせりの扱いを受けるであろうに。日本でなんとひどい扱いを受けていることか。その時一緒に部屋に行ったT女史はまだ学生だったが、それからゲシェラの面倒を見たいと同じ下宿に住み始めた。

東洋文庫の仕事も終え、インドに戻ってこられたゲシェラが、デラドゥンに土地を買ったので家を設計してほしいと言ってこられた。家が出来たらそこでツァム(お篭もり)をする積もりだと言われた。喜んでゲシェラの家を設計し、完成した後、庭にも沢山の木や花を植えた。そこで、数年ツァムをされた。

その後、いつの事だったかよく覚えてないが、ゲシェラに会った時「いくところが無くなりました」とおっしゃった。「なら、ダラムサラに来て下さい。私の家が有ります」というと、「ダラムサラには行けません。ダラムサラに行けば、法王がナムギェルの管長になれと言われるに決まってます。私はもうそのような仕事はしたくない。静かにしていたいんです」とおっしゃった。それからまた南インドのゴマン学堂に帰られ3年3ヶ月のツァムに入られた。

それからしばらくして、野村君がゲシェラを広島に呼びセンターを始める事になった。野村君と共にゲシェラを連れてダライ・ラマ法王に謁見し「ゲシェラを日本に送って下さい」と頼みに行った。法王はゲシェラを「ジャパンゲシェラ」と呼ばれ、「日本に縁の深いゲシェラだ。良かろう」とおっしゃった。法王はまた「このゲシェラは私より余程学のあるゲシェラだ」ともおっしゃった。広島は私の故郷でもあり、帰郷する度にゲシェラのいる龍蔵院にお邪魔した。

そして、ゲシェラは法王を広島にお呼びする仕事を終えられた後、脳梗塞で倒れられた。2年前に南インドに行きゲシェラを見舞った。右?半身が少し不自由となり、話をするのも少し不自由のようであったが、それでも頭はいつものようにはっきりしており、話もできた。ゲシェラはその時「「自分が亡くなっても弟子たちに 『トゥルク(生まれ変わり)』を探すなと言ってある。(チベット人として生まれ変わるなら)貧しい一僧侶として出家して、何ら特別扱いされずに僧院で過ごすのがよい。心配しなくても勉強してゲシェになるから大丈夫だ」とおっしゃった。そして私には「中原さんはもう沢山教えを聞いた。これからはゴムチェゴレ(ゴムしなさい)」と言われた。「ゴム」は一般には瞑想と訳されるが、原意は「(意識的に)慣らす」ということだ。ツァムしなさいとも取れるし、実践しなさいとも取れる。つまり、慈悲の実践も、現象を全て空と見る事も、それがまったく自然になるまで修習しなさいということだ。ゲシェラの最後の言葉として肝に命じておこうと思う。

_DSC9609ゲシェラは今月12日の午前1時半頃弟子たちに看取られながら、南インドの僧院内の家で静かに亡くなられた。その一報を聞いた時、大きな声が出て、大声で泣いてしまった。人は自分にとても優しく接してくれた人が亡くなると泣くものだ。

私はちょうどゲシェラが亡くなる前の日、ダラムサラのツクラカンの前で日本人の友人とお茶をしていた時、急に目の前にゲシェラの姿が浮かんだ。そしてその友人にゲシェラの話をした。「この道を日本に縁の深い本当に偉い先生が歩いていたことを思い出すよ。先生は道の一番端っこを数珠を繰りながら下を向いて歩いてた。自分が近づいても気がつかない。そこで、思い切り近づいて「ゲシェラ!」と呼ぶと、本当にびっくりしたように顔を上げた。道の上でも瞑想状態だったみたいだ。ゲシェラは本当にこの上なく優しくて、控えめな大先生だったよ」と。

私の大きな光の1つが消えた。

ゲシェラの思い通りの来世が実現されることを心より祈る。

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ゲシェラの日本の人々への最後の教え:



この仏のお言葉はダンマパダに書かれている。私も常々、仏教をまとめて言えばこれだなと思い、覚えて心にゴムしている。

_DSC9606ダラムサラ・ツクラカンの本尊釈迦牟尼像の右手上方に掲げられたこの言葉。



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関係各位のゲシェラ追悼文:
野村正次郎氏>http://www.kokonor.com/shojiro/silence/
石濱先生>http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-630.html
福田先生>http://yfukuda.blog.so-net.ne.jp/2012-08-19
グショラナさん>http://ameblo.jp/ratnaratna/entry-11327565000.html

特に石濱先生のブログに載っている「優曇華の花 文/ 石川美惠」は是非読んで頂きたい。ゲシェラの悲壮な亡命の経緯を知る事ができる。

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2012年08月21日

またもや法王と亡命政府首相を讃える歌を歌ったとしてチベット人歌手拘束

RFA他によれば、ダライ・ラマ法王と亡命政府首相ロプサン・センゲ氏を讃える歌を歌ったとして追われ、山に逃げていたとされるチベットの人気歌手プルジュンཕུལ་བྱུང་が8月3日、ンガバ州バルカムの飲食店で突然逮捕された。

ンガバ州マルタン(又はキュンチュ)県アチョック地区(རྔ་བ་ཁུལ་དམར་ཐང་ངམ་ཁྱུང་ཆུ་རྫོང་ཨ་མཆོག་སྡེ་བ་)出身のプルジュンは遊牧民の家に生まれた。中国の産児制限により強制堕胎の対象となった。しかし、手術は失敗し、その結果左手の指4本が欠け、足にも障害を負った子供として生まれた。

彼は幼少時より特別に美しい声を持ち、草原に響き渡るその歌声は周りの人々の心を癒したという。中学校を終えた後、歌手となり、これまでに5枚のアルバムを発表している。中国の弾圧を恐れず、勇敢に法王を讃える歌等を歌って来たので人々は彼を「愛国歌手༼ལ་རྒྱའི་གླུ་བ༽」と呼び、遊牧民中心に人気が高かったという。

最近発表したアルバムの中で彼は「黄金の玉座に座るこころ優しきダライ・ラマ法王。法王に会いに行こう。銀の玉座に座る我らの首相ロプサン・センゲ、」と歌っている。

当局は彼を危険な分裂主義者と見なし、5月中頃より彼の行方を追っていた。



参照:20日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/amdo-singer-phulshung-arrested-by-chinese-police-08202012155104.html
5月22日付けTibet Posthttp://www.thetibetpost.com/en/news/tibet/2550-tibetan-singer-phul-chong-in-hiding-
20日付けVOAチベット語版http://www.voatibetan.com/content/china-continues-crack-down-on-tibetan-singers-/1491784.html


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外国に焼身等の情報を流したとして指導的僧侶に7年の刑

038ダラムサラ・キルティ僧院情報係り僧ロプサン・イシェと僧カニャック・ツェリンが20日、そのリリースで報告するところによれば、拘束後8ヶ月間行方不明となっていたンガバ県カシ僧院僧侶ユンテン・ギャンツォ(ཡོན་ཏན་རྒྱ་མཚོ་37)に6月18日、ンガバ人民中級法院が7年の刑を言い渡していたことが最近判明した。

罪状によれば、彼は去年10月17日にンガバ、マミー尼僧院近くで、初めての女性として焼身抗議を行い、死亡した尼僧テンジン・ワンモの焼身状況と写真を外国に伝え、また、2008年以降のチベットの状況を国連人権委員会に報告していたとされる。

彼は尼僧テンジン・ワンモ(བསྟན་འཛིན་དབང་མོ་リスト中10番)が焼身した次の日10月18日に僧院内で拘束されている。(彼が亡命側に伝えたと思われる情報は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-10.html#20111018
拘束後、地区の軍の役人は彼を成都にある四川省の秘密情報部に手渡した。成都のブンギャン(བུན་གྱང་)という場所にある拘置所内で彼は激しい拷問を受けた。その間、彼は「このような苦しみを味わうぐらいなら、いっそ死んだほうがましだ」と、何度も自殺を考えたという。8ヶ月後に再びンガバに戻され、ンガバの裁判所で7年の刑を受けた。現在、四川省のメンヤン刑務所に服役中という。

yonten-gyatso-02僧ユンテン・ギャンツォはンガバ県ロンツァン郷カシ村(རྔ་བ་རྫོང་བློན་ཙང་ཞང་ཁཱ་ཤིས་སྡེ་བ་)の出身。父の名はチュサム、母の名はガンガ。彼はカシ・ゲペル・サムテン・リン僧院(ཁཱ་ཤིས་དགོན་དགེ་འཕེལ་བསམ་གཏན་གླིང་ンガバ市内の北2キロ)の戒律師、読経先導師であり、また僧院宗教管理事務所の元所長でもあった。彼はまた地域の指導的教育者でありコミュニティーリーダーであった。1992年には地域の商人から寄付を集めチベット語を教えるためにカシシュル村に学校を建設した。学校でチベット語の教師も兼ねていた。また、地域の社会規律協会の会長も勤め、ンガバ一帯で、チベットの宗教、文化、言語、良き慣習を守ることに努力していた。度々知識人を集め講演会を開き、彼自身チベット人の団結と善行を訴えるためにダライ・ラマ法王の言葉を引用しながら話をすることもあったという。

参照:20日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/ukaylatsen/f42f66f62f0bf60f42fb1f74f62f0bf51f54fb1f51f0bf42f4ff58f0d/lho-yonten-gyatso-of-kirti-sentenced-to-7-year-jail-08202012160219.html
21日付けTCHRDhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=274:senior-monk-sentenced-to-7-years-for-sharing-information&catid=70:2012-news&Itemid=162

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中国は焼身抗議者をテロリストと呼び、糾弾する。もしも、彼らが本当にテロリストならば、その情報を海外に流した僧ユンテン・ギャンツォは罰せられるどころか表彰されるべきではないか!?

このように、チベットからの情報は全て命がけで伝えられているのだ。これを広く世界の人々に知らせることは第一にやらねばならない支援者の道徳的義務である。

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2012年08月20日

国連がチベット知識人弾圧を確認

8月3日付けTibet Net:http://tibet.net/2012/08/03/un-apprised-on-crackdown-on-tibetan-intellectuals/

ジュネーブ:国連の表現と言論の自由に関する特別委員会は、チベットにおけるチベット人知識人に対する中国当局の弾圧を確認した。

僧侶、女性を含む少なくとも24人のチベット人知識人が、表現の自由を行使したために数ヶ月から無期の懲役刑を受けている。中国当局は2008年の北京オリンピック以降の弾圧政策の下、特にチベット人作家、ブログ制作者、歌手、教師、ドキュメンタリー制作者、環境保護者をターゲットにしている。

ジュネーブのダライ・ラマ法王代表であるツェテン・サンドゥップは8月2日、(拘束や逮捕、服役の情報が確認されている)64人に上るチベット人知識人の詳細なプロフィールを国連の特別調査官に手渡し、裁判の状況、家族との連絡を含め、彼らの現状を調査することを求めた。

中国共産党の支配の下に生まれ教育を受けた、これら新世代の若いチベット人たちは、特にチベット全土に及んだ2008年3月の抵抗運動以降のチベットの状況に関する情報を集め、雑誌やブログを通じて情報を共有し、意見を発表したことにより刑を受けた。

彼らの記録は2008年の事件とチベットの一般状況に関する政府のプロパガンダへの挑戦であった。チベットの芸術家や知識人への弾圧は文革以来もっとも厳しいものである。

この厳しい統制は資料をコピーしたり印刷するということにまで及んでいる。

2008年12月、公衆衛生の分野で仕事をしていた、41歳のワンドゥは、海外にEメールを送ったとして無期懲役となった。彼はオーストラリア・バーネット医学研究所のラサ支部でHIV/AIDS 予防プロジェクトを担当していた。

2008年10月31日、チベットの伝統的木版マスターであるバルジョル・ノルブが逮捕され、秘密裁判で7年の刑を受けた。(詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51137594.html)彼の家族は何代にも渡りラサのパルコルで僧院のためにお経の印刷を生業としていた。

12人の知識人が拘束時の行き過ぎた拷問により、死に瀕した。当局は収監中の死亡をさけるために彼らを解放した。激しい拷問の結果、解放後身体的、精神的な後遺症が残り、家族に依存せざるを得ないというケースも多い。

37人の知識人が行方不明となっている。彼らの健康状態が心配されている。彼らの家族は脅しを受け、刑務所訪問も許可されない場合が多い。4人の教師が免職処分を受け、1人が減職となった。インドに逃れる作家もいる。

7月12日、EU外交高等弁務官のCatherine AshtonはEU議会においてチベットの状況を説明した。「過去3年間に渡り、多くのチベットの知識人や文化人が罪を問われ、刑務所に送られている。EUはチベット内でチベット人のアイデンティティーや表現の自由が侵されていることに憂慮を示す」と。

女史はさらに、今年に入り焼身抗議や市民と警官の衝突事件が頻繁に発生しており、このようなチベットの状況の悪化に対しEUは注視し続ける、と語った。

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