2012年09月

2012年09月30日

<速報>ザトゥで新たな焼身

408576_145747925571779_1871420978_nRFAとTibet Expressによれば、昨日29日、現地時間午後7時頃、カム、ジェクンド(ユシュ、ケグド、玉樹)州ティンドゥ県ザトゥの街中でチベット服を着た1人の男性が焼身抗議を行った。焼身後警官が連れ去り、未だ生死、氏名、年齢その他の詳細は明らかになっていない。(追記:焼身したのはユンドゥン、27歳、出身地はチベット自治区チャムド、カルマ郷と判明。30日の朝すでに死亡したとの情報も入ったが、未確認)

彼は焼身の前(或は焼身中)に様々なスローガンを叫んだという。まず、「チベットに独立を!」と大声で叫んだ後、火を放ち、「ダライ・ラマ法王とギャワ・カルマパ尊師をチベットに招くべきだ!チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王に長寿を!ロプサン・センゲ博士はチベット人の指導者だ!鉱山開発を中止せよ!」等と叫びながら街の商店の前に来た。店の人たちは彼に水を掛けるなどして火を消そうとしたが、火の勢いは強く、腸が飛び出していたという。その腸を彼は自分の手で引きちぎろうとした、とも伝えられる。

地区では数日前から「幸福に暮らすチベット人」をテーマとするプロパガンダ映画の撮影が始まっていた。当局はこの映画のためにチベット人を強制的に集めようとしていたが、地区のチベット人たちはこれに強く反発し、参加しない意思を表明していたという。彼の焼身もこの事情と関係があると思われている。

ザトゥでは今年6月20日に元シルカル僧院僧侶テンジン・ケドゥップとガワン・ノルペルが一緒に焼身している。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-06.html#20120620l
また、同じティンドゥ県のラプ郷では2月8日にソナム・ラプヤンが焼身している。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729238.html

これで内地焼身者の数は54人(亡命政府に従えば52人)。

焼身者リスト(本日更新分)>>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757842.html

参照:29日付けRFA中文版http://www.rfa.org/mandarin/Xinwen/q-09292012175246.html
30日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9323-2012-09-29-17-27-52

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3月に焼身の僧ジャミヤン死亡

f3cc4330今年3月14日、アムド、レプコンで中国政府に対する抗議の焼身を行った、ロンウォ僧院(རོང་བོ་དགོན་ཆེན་隆務寺)僧侶ジャミヤン・ペルデン(འཇམ་དབྱངས་དཔལ་ལྡན་34)が昨日午後7時頃、自らの僧坊の中で静かに息を引き取った。6ヶ月半に渡る病闘生活の末であった。現在僧院僧侶が全員集まり追悼会が行われているという。

レプコンでは彼がロンウォ僧院のドルマ広場と呼ばれる前庭で焼身を行った後、大勢のチベット人たちがドルマ広場に集まり、彼の無事を祈るお経を上げると同時に「チベットの自由と法王帰還」を要求する抗議デモを行った。さらにレプコンをはじめ周辺の3つの県で中学生たちが「言語平等、民族平等」を訴える抗議デモを行った。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735031.html

そして、彼が焼身した3日後の3月17日には彼の親しい友人でもあった遊牧民ソナム・タルギェ(44)がレプコンの武警詰め所の前で焼身を行い、その場で死亡している。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735512.html

d0d5acd8僧ジャミヤン・ペルデンは焼身後直ぐに一旦近くの病院に運び込まれたが、その後僧院に運ばれ、死亡するまで僧院で治療を受けていた。その間、警官が何度も彼の下に来て、尋問を行った。されに、当局は彼を匿うことは違法であり、すぐに当局に引き渡すよう要求していた。しかし、僧院側は騒ぎを大きくしたくないならここまま僧院で治療を受けさせるべきだと主張し、最後まで彼を引き渡さなかった。

内地焼身者の内、死亡確認44人目(亡命政府に従えば42人目)。

参照:29日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetan-monk-jamyang-palden-died-today-09292012155133.html
29日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6690

A4IqWALCEAA9WhW追加写真:ロンウォ僧院で行われた僧ジャミヤン追悼会の際、多くの灯明と共にダライ・ラマ法王の大きな写真が掲げられた。

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2012年09月29日

法王を導師とし自由チベットのために命を捧げた人々へ祈りが捧げられ、その後世界とチベットの平和を祈るハンスト・座り込みが行われた

_DSC2443ダラムサラでは今朝8時から、ツクラカンでダライ・ラマ法王を導師として、焼身をはじめチベットの自由獲得のために犠牲となった人々を追悼し、その家族や今も獄に繋がれている政治犯たちへの連帯を示す祈祷会が行われた。

法王が焼身者の慰霊のために法要を行われるのはこれで二回目。主催は亡命政府宗教文化省。各仏教宗派の代表ラマも列席し、センゲ首相はじめ内閣大臣、政府職員、議員、今回の特別会議参加者、その他数千人のチベット人や外人が集まり、2時間に渡り様々なお経が唱えられた。

_DSC2552一心に祈られる法王。












_DSC2611












_DSC2595












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_DSC2437サキャ派の長、サキャ・ゴンマ・リンポチェ。











_DSC2350ニンマ派の代表ラマ、タクルン・ツェトゥル・リンポチェ。










_DSC2334ポン教教主、メンリ・ティジン・リンポチェ。











_DSC2812ツクラカン本堂での祈祷会に引き続き、前庭で「世界とチベットの平和を祈る集会とハンスト」が行われた。この集会には「チベットや世界中の紛争及び自然災害による犠牲者を追悼する」という意味も含まれていた。

チベット国家斉唱の後、これまでの犠牲者の冥福を祈る黙祷が捧げられた。(最近どんなイベントでもまずこの黙祷が慣例となっている)

_DSC2821TCVの生徒たちも参加、黙祷。











_DSC2804笛によるチベット国歌伴奏。












_DSC2879この後、参加者全員に白い鉢巻きと黒い腕章が配られた。白い鉢巻きには「བོད་མིའི་སྐྱིད་སྡུག་མཉམ་མྱོང་(苦楽を共に>連帯)」と書かれており、黒い腕章には英語で「SAVE TIBET  WORLD PEACE」と書かれていた。

約1500人の参加者が午後3時までの昼食抜きのハンスト?(座り込み)を行った。

_DSC2898












_DSC2836亡命側大将のセンゲ氏。












_DSC2874












_DSC2851ハンストの最中、「チベットへの思いを各国の言葉で表明する」というイベントがあった。ロシア語、イタリア語、ベルギー(フラマン)語、ドイツ語、日本語、ネパール語、中国語で夫々の国に住む主にチベット人がスピーチした。

その中、日本の北海道から今回の特別会議に参加していたガワン・ジャンペルさんがスピーチされた。

_DSC2908だけでなく、ガワンさんの奥さんである富澤奈穂美さんも着物(ゆかた)姿でスピーチされた。









_DSC2913ガワンさんご夫妻。

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2012年09月28日

法王の長寿を祈る「テンシュク」と「第二回特別会議」閉会式

_DSC2000今日ダラムサラでは朝、ダライ・ラマ法王の長寿を祈る「テンシュク」、午後から「第二回特別会議」のまとめと閉会式が行われた。








_DSC2053今回の「テンシュク」は亡命政府主催であったが、各派の代表ラマが一堂に会し、ネチュンとガデンのオラクルも登場するという特別盛大なものであった。

法王の長寿はチベット人の生命線。本気で力を込めて祈るべきものなのだ。

幸い法王は現在健康そのもの、本気で100歳以上生きられるおつもりである。「共産党の寿命より自分の寿命の方が長い」と常々おっしゃられている。










_DSC2070一堂に会した仏教各派の代表ラマたち。











_DSC2204現れたネチュン。暴れるし?で今日はうまく写真に収まらず。

法王に健康上気をつけるべきことなどについてアドバイスされたのではないかと想像する。




その他の「テンシュク」写真を紹介する前に、午後から行われた「第二回特別会議」閉会式の方を先に報告しておく。
_DSC2425午後2時の予定が3時になったが、TCVホールに参加者全員が集まり、まず各部会で話し合われた提案のまとめが発表された。

提案は全部で31項目。亡命社会への提案が16項目、国際社会に対する行動提案が7項目、アジア地域に対する行動提案が8項目。詳しく紹介するのは次回に回させてもらうが、まとめて言えば焼身抗議者をはじめチベット人全ての悲願である「法王のチベット帰還」と「チベットの自由」を実現するためにこれまで以上に活発に行動するということである。

焼身抗議者については記念日を設定し、残された家族へもできるだけの支援を行い、彼らの遺書を各国語に訳し広く世界に知らせるという提案がなされた。広報力を高めるために、アジアを中心に政府の要員も増強し、メディア戦略を練り直し、政府の広報ネットを強化し各国語にすばやく翻訳。ロビー活動をさらに強化し、支援団体も増やす努力を行うと。

_DSC2413ここで、首相は「アジアも大事だが、アメリカや欧米も大事だ、特にアメリカは大事だ」と言い、「新しい友人、人脈を増やすことも大事だが、かといって古い友人をおろそかにしてはならない。そうでなければ、中国に取り込まれる人が出て来る危険もある」などとおっしゃった。

首相は「この特別会議を開いたことにより、内地の人々へも連帯を示すことができ、中国に対しても圧力を掛けることができたと思う」と。

_DSC2157テンシュクに戻る。ニンマ派の赤い帽子を冠られた法王。途中、ニンマ派に関係する儀式も行われたようだ。









_DSC2195












_DSC2198












_DSC2173












_DSC2099












_DSC2081法王の健康と長寿を祈れば、自分の寿命も延び、健康が維持できると信じられているのがチベットだ。









_DSC2245












_DSC2327今日のカルマパ。












_DSC2331ガンデン・ティパ。

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2012年09月25日

「第二回特別会議」始まる

_DSC1785ダラムサラでは今日から4日間、これからのチベット亡命社会全体の行動計画を練るという大事な会議が開かれる。

「第二回特別会議」と名付けられるこの全体会議は、世界中に散らばるチベット人の代表が集まる大きな会議である。第一回特別会議は2008年にダライ・ラマ法王の呼びかけにより招集され、「中道」か「独立」かという政治的路線について話合われた。そして、それまでと同じく「独立」を求めないという「中道」路線が決定された。今回の主題は「チベットの緊急事態を受け、世界にチベットの現状を訴えるための行動計画を決定する」というものである。議長は今日のスピーチの中で今回は「路線論争により時間を無駄にしてはならない」と釘を刺し、「非暴力による、法律に従った、品位あるキャンペーンについて話合うべきだ」と述べた。

チベットの歴史上例を見ない焼身という抗議方法が2009年に始まり、これまでに政府発表で51人が自らの身体を灯明と化し中国の圧政に抗議し、自由と、ダライ・ラマ法王のチベット帰還を究極的方法で訴えた。さらに、今年に入っても、各地で抗議デモが頻発し、当局の発砲により死傷者が多数出ている。ダライ・ラマ法王から政治的権限を完全に移譲されたセンゲ首相が就任した後、この焼身抗議は益々頻度を増し、彼が就任して後40人以上が焼身している。新内閣、新議会は何とかこの犠牲者に報いるために、問題を解決するための結果を出さなければならない立場にある。政府に対する期待と圧力は増すばかりだ。もちろん、センゲ首相始め政府も議会も、そして各NGOも世界中を駆け回り、支援を訴え、欧米を中心にそれなりの反応を引き出している。しかし、各国の「中国非難決議」は言葉だけに終わり、実際の行動には繋がっていない。中国との「対話」も途切れたままだ。

そこで、政府と内閣は、(批判が政府や議会に集中することを避けるためにも)この際、広く亡命社会全体から、これからのキャンペーンのアイデアを募集しようということになったのだ。

_DSC1827会議には26カ国から432人が集まった。9時半にTCVホールで始まり、まず法王の写真が玉座に招聘され、首相と議会議長が入場した後、国家斉唱。そして、これまでの犠牲者への1分間の黙祷が捧げられた。今回会場となったホールには51人の焼身抗議者をシンボライズするために51本のチベット国旗が掲げられていた。今回の会議は何よりも自らの命を捧げたこれらの人々の「死を無駄にしない」ためには、どのような行動を起こすべきかということが主題と言ってもいい。非常に重い課題であり、相手が中国ということで非常に困難な課題でもある。

_DSC1805センゲ首相はスピーチの中で「我々の世代はこの地上からチベットが抹殺されるというチャレンジを受けている。我々はチベット内地のチベット人を助けるために更なるキャンペーンを行わねばならない」と述べ、最後に「50人以上が焼身を行ったということは間違いなく、チベットの歴史に残ることだ。これに対し我々自由社会に暮らすチベット人たちが、どのような行動を行ったかということもまた歴史に残る。智慧を出し合い、恥ずかしくない行動を取らねばならない」と訴えた。

午前の全体集会の後、昨日DIIRが発表したビデオ「焼身の問いかけ」が上映され、さらに8月に拘束された歌手プルジュンの「法王とセンゲ首相を讃える歌」が紹介された。

_DSC1840厳しい表情でセンゲ首相のスピーチに耳傾けるキルティ・リンポチェ。










_DSC1793会議の前にお茶をすすりながら歓談する7人の侍大臣。











_DSC1745今回の会議にはオブザーバーとして台湾から48人の使節団が来られている。お坊さん以外は全員黒のスーツ。

チベメディアの友人が複数、私に「ナガハ・ラ、かれらに喧嘩売らないのか?尖閣島は日本の領土だとはっきり言わなくっちゃ」とけしかける。

他には「早く中国と戦争してこてんぱんにしてくれ。そうすりゃ俺たちにもチャンスが廻って来るからな」というやつもいた。

_DSC1746日本からの参加者はこの写真に写ってる在日チベット人会代表のロプサン・イシェさんと北海道におられるンガワンさん。ンガワンさんの奥さんもオブザーバーとして来られていた。東京ダライラマ事務所代表のラクパ・ツォコさんの姿は見かけなかった。

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2012年09月24日

亡命政府が焼身の背景を明らかにするビデオを制作

今日、午後2時半からダラムサラの亡命政府DIIR(情報国際関係省)のホールで記者会見が開かれ、DIIRが新しく制作した焼身抗議に関する30分ほどのビデオが紹介された。題は「THE BURNING QUESTION: Why are Tibetans Turning to Self-immolation?」

制作の目的はチベット内の焼身抗議の事実、彼らの要求、その真の背景を広く世界に知らせることである。

背景を説明するために、文革を含め、チベットが中国に侵略された後のチベットの状況を概観し、2008年以降のチベットの抵抗運動を詳しく紹介している。原因の1つと思われる当局による「遊牧民強制移住」についても語られている。



今のところ英語版しかリリースされていないが、今後中国語版、チベット語版も制作されるとのこと。

中国側が制作した焼身に関するプロパガンダビデオ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749781.htmlに対抗する意味もあるようだ。

この中で1つだけ間違いを発見。7:40辺りから焼身の顔写真が何枚か紹介されているが、その1人目は焼身者ではなく、私がhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51743237.htmlで伝えている失踪したダンゴ僧院僧侶ゲシェ・ツェワン・ナムギェルである。

焼身者の数については、私はラガンの2人を含めこれまでの内地焼身者の数を53人とするが、亡命政府は未だラガンの2人を含めず51人とする。

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2012年09月23日

またしても歌手が連行行方不明

Soksherab -2RFAによれば、今月20日午後7時半頃、アムド、マロ、ソクゾン(རྨ་ལྷོ་སོག་རྫོང་青海省黄南チベット族自治州河南県)出身のチベット人歌手、風刺劇俳優ソクトゥク・シェラップ(སོག་ཕྲུག་ཤེས་རབ་)が突然地元警察により連行された。連行の理由や現在の居所は不明。

人々は彼が普段よりチベットの現状や人々の願いを表現する寸劇や歌を多く発表していたので、これが原因ではないかと推測しているという。

彼の歌は例えば:




以下は2010年に彼が発表した亡命政府の首相選挙に関する寸劇である。あいにく方言が強く私には聞き取れない。



チベット人歌手が中国当局により連行されたのはこれで何人目であろう。2008年以降10人は下らないと思われる。ある者は数ヶ月拘束され、しこたまお仕置きを受けた後解放され、ある者は数ヶ月からひどい時には1年後に刑期を言い渡される。家族が彼の生死と行方を知るのは刑期が確定した後という場合が多い。近々のケースは今年8月に拘束されたプルジュンhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51758601.htmlだが、彼は今も行方不明のままだ。

特に2008年以降、チベット人たちは恐怖に打ち勝ち、圧政を糾弾し、自分たちのリーダーはダライ・ラマ法王であることを主張し始めた。多くのチベット人歌手たちが、人々の心を代弁し法王への思慕、チベット人としての誇りを歌った。そのような歌手は勇気ある者として人気を博す。もちろん、当局に睨まれ拘束されるということもある、拷問も受ける。監獄に入れられる。それでも、次々と若い歌手が後に続き、自由を求める歌を歌い続ける。彼らの影響力は絶大である。

参照:21日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/performer-09212012161719.html
22日付け同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/chinese-police-arrested-tibetan-artist-09222012150311.html

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2012年09月22日

ジェクンド中心街に広い土地建物を持つ商人がビルを壊され行方不明

b7832642-s<写真>去年4月、ジェクンド(玉樹)のケサル広場に千人以上のチベット人が集まり「不当な土地収用に抗議」するデモが行われた。

チベットでは成功した商人が当局に睨まれると、冤罪で逮捕され財産を没収されるということがよくある。例えば、2010年にはラサの豪商ドルジェ・タシ(*1)は亡命側に寄付したという罪を着せられ無期懲役の刑を受け、600億円と言われる資産を取り上げられた。環境保護家としても有名であった古美術商カルマ・サンドゥップ(*2)は文化財盗掘の罪を着せられ15年の刑を受けた。2人とも貧しいチベット人たちを助ける慈善家としても有名であった。

RFAによれば、最近、ナンチェンやジェクンドで有名な商人が拘束され、自宅や彼のホテルが取り壊されたという。彼もチベット文化を擁護し、貧しいチベット人を助ける慈善家として人気のある商人だったという。

ナンチェン・タシ(ནང་ཆེན་བཀྲ་ཤིས་47)は「チベット文化、宗教、言語を擁護する」ことで有名であり、また「貧しい人々を助け、学費の援助を行っていた」と地元の報告者は伝える。

9月12日、彼のジェクンドの家に夜中一団の男たちが現れ、家を取り壊すと言った。その時すでにタシは拘束された後で家にはいなかった。「家族(妻のブデ、息子のシェラップ・ドルジェとソナム・トプギェル、娘のヤンゾン)はこれに抵抗したが結局拘束され、その後ブルドーザーで家とホテルが完全に取り壊された」。

7年ほど前、タシはジェクンド中心街の四つ角に300万元(約4000万円)で広い土地を購入しそこに自宅、ホテル、レストラン等を建てた。「2010年の大地震の際、彼のビルは被害もなくそのまま残った。しかし中国当局は(再建計画に基づく)道路拡張のために彼に土地を明け渡すよう命令した」「彼は残りの部分をそのままにするという条件で、道路沿いの土地を明け渡すことを了承した。その時、わずか3万元の補償金が支払われた」という。

「タシは地震が起った後、3ヶ月間行方不明となっていたが、彼がその時成都に連行され、『他のチベット人たちを、当局に歯向かうようけしかけた』としてひどい拷問を受けていたことが後で判明した」と報告者は伝える。現在も彼は行方不明のままである。

*1:ドルジェ・タシについては>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51492769.html
*2:カルマ・サンドゥップについては>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51492769.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/tag/カルマ・サンドゥップ

参照:19日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/disappears-09192012154850.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibet-09202012155337.html

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2012年09月21日

ダンゴで1人の僧侶が当局により撲殺 8ヶ月後に判明

1209200724472Wカム、ダンゴは今年1月23日の大規模デモの後、激しい弾圧を経験した。千人規模のデモは部隊の無差別発砲を受け、数名が死亡し、多数の重傷者を出した。被弾した人々は病院に行けば逮捕されるというのでダンゴ僧院に担ぎ込まれた。この時撮影された負傷者たちの写真>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51727698.html

負傷者たちはその後、山に逃げたが、当局は逃げた人々を追い、2月9日には2人の兄弟を射殺、家族にも発砲した。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729245.html

これまでに判明しているだけでも、このデモに参加したとして逮捕されたチベット人の内10人以上に無期を含む10年以上の刑を言い渡している。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51742485.html

また、警察に拘束された後、現在も行方不明のままであるチベット人も10人以上いる。その内の1人の消息が最近やっと明らかになったという。19日付けのTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=291:-monk-qdisappearsq-from-hospital-after-police-beatings&catid=70:2012-news&Itemid=162によれば、上記の2人が射殺されたと同じ2月9日、ダンゴ僧院僧侶ツェリン・ギェルツェン(40)が部隊に激しい暴力を受けた後、拘束された。彼は重体となりカンゼの病院に送られた。背骨を折られていたと伝えられる。医者は治療を施すこともできす、その日の内に彼は死亡した。この情報は彼が死亡した後、8ヶ月経ってやっと伝えられたのだ。しかし、当局は今も、「自分たちは何も知らない」と言い張り、遺体が家族に引き渡されることもない。

これより先、彼が行方不明となり、4ヶ月ほど経った頃、家族はあるラマの占いにより、彼がすでに死亡していると告げられ、これを信じ、写真をセルタのラルンガル僧院に送り、追悼の儀式を行ってもらったという。

チベットではこのように当局に連れ去れた後、長期間行方不明となるケースはいくらでもある。家族はどれほど心配し、苦しむであろう。8ヶ月後に誰かからその行方不明となった息子がすでに死んでいたと知らされ、当局にこれを質しても「知らない」と言われ、遺体も引き渡されないとは。これほど酷い話もない。中国の法律においても、「拘束された者の居所を当局は家族に知らせるべき」と書かれているそうだ。書かれているだけなのが中国の法律である。

ダンゴ僧院に帰った私の学友の1人も1月終わりに他の3人と共に成都で拘束された後、未だ行方不明のままである。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51743237.html


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2012年09月20日

ラサで僧侶が警官に撃たれ死亡/バタンで土地強制収用 25人負傷

tibet-sonam-dorje-305死亡した僧ソナム・ドルジェ

ラサで僧侶が警官に撃たれ死亡

9月6日、ラサの派出所の近くで1人の僧侶が警官に撃たれ死亡した。しかし、警察はこれは単なる事故であったと言う。

ガンデン僧院の僧侶ソナム・ドルジェ(བསོད་ནམས་རྡོ་རྗེ་40)はこの日ラサに治療を受けるために向かった。ラサのパルコルの東、テン・コンチュ地区の派出所の近くに来た時、彼は突然後ろから警官に銃で撃たれた。直ぐに病院に運ばれたが、銃弾は心臓近くを貫通しており、蘇生することはできなかった。

警察側はその後、この僧侶を警官が撃ったことを認めたが、これは「偶発的出来事」であったと言った。しかし、事件の後直ぐに、警官は目撃者に対し、詳細を外部に漏らした者は逮捕すると脅したという。

ガンデン僧院が遺体の引き渡しを要求したが、警察側はこれに応じず、次の日にメルド・ゴンカルの彼の家族に遺体は引き渡された。警察側は年老いた両親にわずかばかりの賠償金を渡し、「外部には息子は銃で撃たれて死んだのではなく、病気で死んだのだと言え」と命令したそうだ。

結局、未だ真相は不明のままだ。チベット人が1人(事故で?)警官に撃たれても警官は何も咎められることもなく、そのまま終わってしまうのがチベットだ。

参照:19日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/shooting-09192012172346.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/monk-from-gaden-monastry-in-lhasa-shoot-09192012134758.html

バタンで土地強制収用 25人負傷

カム、バタン(巴塘)と言えば、先月終わりに「大勢のチベット人が勇ましい姿でバイクに法王の写真を掲げパレード」したhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51760466.htmlという場所である。そこで、最近強引な土地収用に伴い、部隊が動員され、多くのチベット人が撲打され負傷したという。

亡命チベット議会議員ババ・ケルサンが伝えるところによれば、今月16日、バタン県メト郷ツォジャン村(འབའ་ཐང་རྫོང་མེ་ཏོག་ཤང་མཚོ་བྱང་ལུང་གྲོང་སྡེ་)に中国の軍隊と警官隊約300人が押し掛け、老若男女を問わず、行き交うチベット人全てに襲いかかり25人が負傷した。その内8人は重体となり、遠く離れた中国の大きな病院に運ばれた。その他、大勢が手足を折られる等の重傷を負ったという。

事の始まりは3年前から中国の大商人が地区で発電のためのダムを作る計画を初めた(個人がこのようなダム開発を行う事ができるのか?)。この工事のためチベット人の土地300ムウ(1ムウ=約660平方メートル)を勝ってに使い、補償金を払わなかった。住民は地方政府に何度もこのことを訴えたが、聞き入れられることがなかった。

今年のロサ(チベット正月)の前に、業を煮やした住民たちは工事の中断を迫り、衝突も起った。その後中国人は補償金を支払ってもいいと言い出した。一般にバタン県の土地は1ムウ当たり16万元が相場だが、当該の土地は田舎ということで8万元で手を打とうと村人は持ちかけた。しかし、中国人は2万8千元が限度だと主張し、これで手を打たねば、役所に訴えても何もできなくしてやると脅した。

16日に、村人が集まり、正当な補償金を払わない場合は工事を中断せよと迫った。中国人は県の役人と部隊を呼び、部隊が村人に襲いかかり、70歳を越える老人も女性も重傷を負わされた。現在も村は部隊に包囲され、緊張が高まっているという。

参照:19日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9271-2012-09-19-14-52-13

同じくバタン県のバタン近郊では最近中国からの移民3万人の住居を立てるためにチベット人の農地が当局により強制的に取り上げられつつあるという。地区の住民はこれに反対し、緊張が高まっているという。

参照:18日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9238-2012-09-15-14-06-57

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2012年09月19日

ウーセル・ブログ「犠牲となった至高の僧侶に帰依しひざまずきます」

ウーセルさんの今日のブログ。

原文:http://woeser.middle-way.net/2012/09/blog-post_19.html
翻訳:@uralungtaさん

犠牲となった至高の僧侶に帰依しひざまずきます

0516-005-Lhasa[写真説明](上)(追放された僧侶の僧坊の扉が使用を禁じる紙で封じられ)封鎖されたデプン寺の僧坊









002(下)(各自の僧坊で読経して修行する夜になっても、本来そこにいるはずの僧侶が追放されたため僧坊の明かりがともらず)がらんとしたセラ寺






数ヶ月前、遙か遠いカムの地より、会ったことのない僧侶からの頼みが人づてに伝えられた。彼が書き上げたばかりの本の序文を書いてほしいという頼みだった。そのときになって私は、彼が2008年にラサ3大寺院から拘束され、連れ去られ、追放された千人以上の僧侶の1人だと知ることになった。本の主要な内容はその事実経緯で、私はもちろん序文を書くことを了承した。私は人生で初めて同胞の僧侶の自叙伝の序文を書くことになった。

序文の中で私は、同様の境遇におかれたある高僧の話を書いた。
彼は私に問うた。「ある日、中国政府がチベットのすべての地の寺院の僧侶を殺し尽くし、閉鎖し尽くし、すべての寺院にごくわずかの僧侶しか残らないようにする日があると思いますか?」

私はぞっと恐怖に襲われ、ただ、「できないはずです、なぜならそれほどの巨大な犯罪には全世界が抗議します」とだけ応えた。そのとき私は「反人類的犯罪」と言いたかったが、その言葉をチベット語でどう表現するのか分からなかったのだ。

たくさんのものを見てきた高僧は、私の答えを信じなかった。
彼は声を低くしてささやいた。
「私は、彼らはそれをやると思います。しかも、全世界もそれを気に掛けないと思います」

彼は続けた。

「覚えていないのですか。2008年のあのとき、ラサ3大寺院の僧侶何人かが殴り殺され、おびただしい人数が今も監獄にいます。さらに私たち千人以上の僧侶が銃を持った軍隊と警察によって僧坊から連れ出され、一カ月以上の拘束を受け、再び無実の罪をきせられ、列車に押し込められて青海チベット鉄道でゴルムドの監獄に入れられ、オリンピックが終わるまでずっと投獄され、それからそれぞれの生まれ故郷に追い返されました。それからというもの、私たちには(修行するべき)寺院はなくなり、どこでなにをしようとも流れ者の容疑者扱いを受けています。これほどまでの苦難を、いったい、この世界は知っているのでしょうか?」

彼は言った。
「実際のところ、2008年のあの時に、この私たちのような多くの僧侶がラサで殺され、またはゴルムドで殺されていたとしても、この世界はそれを知ることなく、また世界に声が上がることもなかったのではないかと思うのです。このような経験をして、私は常に考えるようになりました。彼ら(中国政府)がチベットの地におけるすべての寺院でおびただしい僧侶を皆殺しにすることも、可能性がないわけではない、と。キルティ寺院のように僧侶が焼身をはかって抗議したとしても、そのほかの僧侶や民衆が皆で立ち上がり抗議したとしても、それは軍警が銃の引き金を引く理由となるにすぎないのです。事実、そのような事態は既に起きています。これから虐殺の規模はさらに大きくなるかもしれない。そうしたらキルティ寺院はおわりです」

彼がこう話すに至って、私は涙を禁じ得なかった。

その通りです。
たった4年前、「3.10」(蜂起記念日)「3.14」(ラサ市街で武力弾圧に発展した日)から一カ月が過ぎた未明のこと、デプン寺、セラ寺、ガンデン寺、すべての寺院に突然数千人の軍人が押し入りました。チベット人警官とチベット人幹部も付き従い、通訳と凶行の手助けをしました。一晩の間に、千人以上の僧侶が修行と生活の場を失ったのです。世俗的意味では、僧侶にとって寺院こそ家なのですから……。ゴルムドで拘束されていた僧侶が歌詞をつけて悲しげに歌った歌を、私はいまも忘れられません。

khabdha

セラ、デプン、ガンデン
魔物の黒蛇の毒にまかれ
わざわいは毒の海のように押し寄せた
もう修行を続けることはできない
仏法僧三宝よ!  おまもりください!
仏法僧三宝よ! はやくおいでください!

暖かな三千世界の太陽よ
ふたたび明るく輝いたとしても
私の牢獄の窓から差し込むことはない
私の心は悲しみの黒い闇に覆われてしまった
私たちの太陽よ! はやくおいでください!
私たちの太陽よ! これ以上待てません!

これも前世の業なのでしょう
若くして不幸に落ちた私
行き来するための自由も奪われ
ウツァン3大寺に戻るすべもなくなった
カルマよ! どうか祝福を!
どうか理性の声を示してください
ただ行き来できる自由を待ち望んでいます!

従って、この苦難を受けた僧侶が現在も依然として苦難の中にありながら書き記した自叙伝に、私は深く感謝を捧げたい。彼は自らの経験を記録するとともに、チベットにおけるこの半世紀の暗黒の歴史の1ページを書き記してくれた。いずれにしても、記録を残すことで、その存在が刻まれ、一つ一つ真相を明らかにすることによって、銃で虐殺する権力者に対峙できる可能性が生まれるのだから。

またこのように、私たちは、私たちの至高の存在である僧侶すべてに深く敬意を表します。この長い歳月、過去、現在、未来において、純白の雪山に囲まれてたチベット全域において、チベットの内なる精神である深紅すなわち僧衣の色に、またすなわち生命を犠牲にして炎となり燃え上がった色に。例えそれが踏みにじられようとも、私は何度でもひざまづいて帰依し、決して屈することなく、感謝の気持ちを刻み続けます。

2012年8月 北京

(RFA特約評論のためのコラム)





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2012年09月18日

焼身に関わったとして10人に懲役刑

b9637fd9<写真>今年2月27日に焼身・死亡したダムチュ・サンポ。

今年2月27日にアムド、テムチェン・ゾン(海西モンゴル族チベット族自治州天峻県)ボンタク僧院(བོང་སྟག་དགོན་པ་)僧侶ダムチュ・サンポ(དམ་ཆོས་བཟང་པོ་38)が焼身抗議を行い死亡した。詳しくは過去ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51730483.html。この後、同僧院の多くの僧侶が拘束され、裁判にかけられた。ブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749128.html
7月初めには3人の僧侶に9〜11年の刑が言い渡された。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51753527.html

そして、昨日さらに9人の僧侶と1人の俗人に1年から10年の刑が確定したという報告が入った。一部重複している情報もあると思われるが、それにしても1人の焼身によりこれほど多くの僧侶たちに長期の刑が言い渡された例は他にない。

焼身事件の後、当局はボンタク僧院に対し厳しい弾圧を行った結果、現在僧院はほとんど機能せず、空っぽの状態と化しているという。

7月の時点で「10人の僧侶が依然テムチェン当局により拘束されている。県の警官は『彼らが還俗するなら解放してやる』と言ってる」という情報が入っていたが、今回刑を受けた僧侶は還俗を拒否したこれらの僧侶であったと思われる。

ダムチュという俗人は僧侶たちの解放を訴える署名活動を行い逮捕された人である。

中国当局は(罪ではない)焼身を唆したとか共謀したとかいう罪をこれらの僧侶たちに被せるが、その原因は明らかに中国のチベット人弾圧であるので、「唆した」という罪があるならば、それは本来中国当局に帰せられるべきものだ。

423717_474275889272444_133756615_n今回刑期を受けた10人の内6人+1人の写真(追記:この内、上段中央のコンチョック・ダルギェはリストに含まれていない。前回のブログhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749128.htmlで報告した「刑期依然不明」と言われるコンチョック・ダルギェと思われる)

以下、今回刑期が判明した10人の氏名と刑期:
僧ジャミヤン・ウーセル(འཇམ་དབྱངས་འོད་ཟེར་23)懲役3年
僧ケルサン・ジャンセム(སྐལ་བཟང་བྱང་སེམས་42)懲役8年
僧ケドゥップ・ギャンツォ(མཁས་གྲུབ་རྒྱ་མཚོ་51)懲役10年
僧サンゲ・ギャンツォ(སངས་རྒྱས་རྒྱ་མཚོར་41)懲役9年
僧コンチョク・ギャンツォ(དཀོན་མཆོག་རྒྱ་མཚོ་46)懲役1年9ヶ月
僧ダムチュ・ツゥルティム(དམ་ཆོས་ཚུལ་ཁྲིམས་40)懲役2年半
僧ケルサン・ダクパ(སྐལ་བཟང་གྲགས་པ་37)懲役1年
僧シェラップ・ギャンツォ(ཤེས་རབ་རྒྱ་མཚོ་31)懲役1年半
僧ダルギェ・ギャンツォ(དར་རྒྱས་རྒྱ་མཚོ་29)懲役2年
俗人ダムチュ(དམ་ཆོས་40)懲役2年

参照:18日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/9255-2012-09-18-09-04-30
17日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/amdolaytsen/amdo-stringer/china-sentenced-9-tibetan-monks-from-bongtak-monastery-09172012112650.html

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2012年09月17日

王力雄「チベット独立ロードマップ」

OHHDL2-1王力雄さんはウーセルさんの旦那さんであり、チベット問題に精通し、かつ支援する、勇敢で良心に従う事を知る中国人知識人である。チベット関連の著作も多い。2010年5月には中国国内の中国人とダライ・ラマ法王のネット対話を実現させている。

彼は2008年3月のチベット蜂起を受け、この蜂起の本質を分析し、「チベット独立」が果して可能であるのかどうかについて大胆な分析と予測を行っている。2008年中に発表されたこの文章の中で、彼は東チモールやコソボの例を出し、ある条件が揃えばチベット独立は可能であると結論づける。その条件の主なものは「中国共産党の瓦解」と「チベット人総蜂起」である。残念ながら、この全面蜂起は彼によれば「法王崩御」を契機とするものであり、もちろん「大量の犠牲者」が出ることも半ば独立への必要条件であるという。

中国の政治組織に対する鋭い洞察に富み、色んな意味で深く考えさせられる論文と感じた。また、今現在行われている反日デモを分析、理解するためにも参考になると思われたので、今日これを紹介することにした。

少々、長い論文ではあるが、@sinpenzakkiさんの確かな翻訳により幸い日本語で読むことができるのだ、チベット問題に関心がある方で、まだこの論文を読まれていない人は、是非最後まで読んでみてほしい。

以下、本人の了承を得てブログ「思いつくまま」http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/2ef1cc767204f12eabb9cbd727d91548より転載させて頂く。

王力雄:チベット独立ロードマップ(1)

原文:http://woeser.middle-way.net/2008/11/blog-post_05.html

一、チベット事件が分水嶺

1、官僚集団が主導した

このロードマップは分水嶺から出発する。2008年のチベット事件以前には、私はまじめにチベット独立に向き合ったことはなかった。この事件は分水嶺であり、私に初めてチベットに独立の可能性があることを直視させた。これ以前にチベット独立が夢にすぎなかったとしたら、これ以降はチベット独立は水面に浮上し、目視できる範囲に入ってきた。このような変化が起きたのは、推進者が他でもなく、まさに中国の権力システムの中で「反分裂」機能を担っている官僚集団だったからだ。

19世紀中葉から20世紀中葉にかけての中国は、ずっと帝国主義の被害者というイメージだ。近代中国人はその時の屈辱をしっかりと覚えているが、中国もまたかつて帝国であったことを直視する人は少ない。中国は17世紀から18世紀にかけて巨大な国土の拡張を行った。時にほかの帝国に負けて割譲した屈辱もあったが、いまだにチベットを含むかなりの帝国遺産を継承している。

今日、チベットの領土は中華帝国版図の四分の一を占める。チベット問題は帝国政治の中で重要な位置を占め、中国の共産党政府権力システムの中の多くの部門がチベットに関係している。省・部級機関は下記の13機関が関係している。

1、チベット自治区
2、青海省
3、甘粛省
4、四川省
5、雲南省
6、中国共産党中央チベット工作調整小組
7、中国共産党統一戦線部
8、公安部
9、国家安全部
10、軍隊
11、武装警察部隊
12、国務院新聞弁公室
13、国務院宗教事務局

これらの機関は、いずれもチベット問題を専門に処理する部署を持っており、長期間にわたって、ときには一生その職権を行使し続ける官僚がいる。この13の機関の他に、さらに下記の11の省・部級以上の機関が直接にチベットにかかわるわけではないが、同じように「反分裂」機能を担っている。

1、中国共産党中央政法委員会
2、中国共産党中央新疆工作調整小組
3、新疆自治区
4、新疆生産建設兵団(訳注:別名「新建集団公司」)
5、内モンゴル自治区
6、外交部
7、国家民族事務弁公室
8、国務院台湾事務弁公室
9、国務院香港マカオ事務弁公室
10、中央人民政府駐香港特別行政区連絡弁公室
11、中央人民政府駐マカオ特別行政区連絡弁公室

すべて足すと、中国の官僚体系のなかで「反分裂」機能を有する機関は計24機関あり、膨大な集団であり、有する権力、人力、資源は並大抵ではない。今回のチベット事件処理において、それらは一つの同盟として、全処理過程を主導した。この点では毛沢東時代や小平時代とは違う。当時は、チベットに対して「統一戦線」をやるにせよ「反乱平定」をやるにせよ、「正常化」をやるにせよ、「戒厳令」を敷くにせよ、いずれも権力トップが決定し、官僚集団が執行していた。しかし、今回のチベット事件は、権力トップは基本的にたいしたことはしておらず、完全に官僚集団が自分たちで処理した。

とはいえトップが権限を譲ったと簡単にみなすことはできない。実際、ラサ事件発生の当月、温家宝総理はラオスで大メコン圏サミットに出席したとき、ダライラマが彼の影響力を発揮してチベット事件を鎮静化させるよう希望している。このこれまでになかった言い方は、中国リーダーの新思考ではないかと、国際社会の注目を集めた。しかし、そのあとは続かず「反分裂」官僚集団の事件処理方法に何の変化も現れなかった。この件が示したのは、今日の中共政権のチベット問題処理は、権力トップの決定が必要ないばかりか、たとえトップが決定しても、官僚集団の意向に沿わなければ、効果を発揮することができないということだ。この仕組みはたぶん今後の前例になるだろう。なぜこのような変化が生じたかについては、後述する。

権力トップが独裁できる時は、一方で、専横、粗暴、はては荒唐無稽でありうるし、また一方では高遠な志、正常化、ブレークスルー、政局変動の可能性もある。両者は一歩の違いであり、ときとして権力者の気が変わっただけである。一方、官僚集団が主導するときは、そのような劇的なことは起こらず、明確なルールの枠組みができる。官僚集団とは一種の相互けん制をし、段取りを踏まえて仕事をする、前例踏襲の構造である。より重要なのは、官僚集団は一つの利益主体であり、それが政策決定を支配したら、すべての決定を彼ら自身の利益に一致させようとするということだ。自身の利益と社会利益が対立した時は、官僚集団は破壊者となる。民衆の利益を破壊するだけでなく、それが本来奉仕の対象とする統治目標をも破壊しうる。「反分裂」官僚集団がまさにそれであり、それが自身の利益により「反分裂」行動をとる時、その結果は中国をいっそう危険な分裂に押しやる。このような視点から、今回のチベット事件の流れを見てみよう。

ラサの「3・14」のような街頭抗議行動や暴力事件は、中国国内では別に珍しいことではない。内地の事件処理の方法も相当ひどい。しかし、もし「3・14」事件に対して内地と同じ方法――情報封鎖・大事件を小さく報道・矛盾先鋭化防止・鎮圧と慰撫の組み合わせ・下級官僚からスケープゴートを探して民衆の怒りを鎮めるなど――を取ったならば、その後チベット人地区(訳注:ウ・ツァン、アムド、カム=中国の行政区ではチベット自治区+青海省+四川省東部+甘粛省の一部+雲南省の一部)全体に波及した連鎖反応は生じなかっただろう。しかし、チベット問題に対しては、官僚たちはそのような平常心を持ち合わせてはいない。なぜならまず、チベットは世界から注目されており、事件は国際世論を呼び起すからである。次に、チベット動乱はチベットを担当したことのある中共指導者胡錦涛の顔をつぶすから、役人は上から下までとがめだてを恐れる。第三に、当局が何度も「チベットは歴史上一番いい時期だ」と繰り返してきた以上、このような自分の顔を平手打ちする(訳注:メンツをつぶす)ことは何とか言い繕わなくてはならない。中国の官界では、少数の個人や単一の機関が責任を負うべき事項は、スケープゴートを探してきて処理すればよく、官僚の間の出世競争もそれにより人の災難に付け込んで追い打ちをかけることになりやすい。しかし、チベット事件はチベットだけの担当ではない。多額の金を使い、長い時間をかけ、多大な努力を払って、それでもこれだけ大規模な民衆抗議行動が起こったということは、常識でもチベット統治路線が失敗であったことが分かる。しかし、チベット統治路線は多くの機関が共同で推進し実行してきたものであり、路線の失敗を承認すれば、13のチベットにかかわる機関いずれも責任を逃れられず、ほかの「反分裂」機関も巻き添えを食う。この責任は全体的であり、直面する責任追及も官僚の間の責任のなすりあいで解消するものではない。多くの官僚が出世の行方に影響を受ける。ゆえに、「反分裂」官僚たちは団結して、同盟を組み、一緒に行動して、チベットの官僚の責任逃れを助けることではじめて彼らも責任を逃れられる。

責任はだれになすりつけるのが一番効果的か? 「ダライ集団」になすりつける以上の上策はないことは推して知るべきである。なぜなら、どんな理由であれ、チベット本土の中で原因をさがすのであれば、官僚の責任は免れられない。責任を国外に押し付けることで、初めて自分は完全に関係なくなる。チベット自治区当局はラサ事件発生の当日には新華社に「これはダライ集団が組織的、計画的に入念に準備したものであるという十分な証拠がある」と言明している(訳注:末尾の「参考」に全文あり)。この言明でただちにすべてのチベットに関係する機関と反分裂機関は口裏を合わせた。彼らはいまだに「十分な証拠」を示せていないことから、これは責任逃れの虚言だったことがわかる。しかし、官僚たちは証拠を示せるかどうかなど意に介していない。彼らの目的は先制して世論を主導することだ。この点は成功した――彼らの虚言がすぐに中国の一致した世論となり、疑義をはさむことを許さない言説となり、社会(権力トップを含む)に口裏合わせを誘導し強要する効果をもたらした。

出発点が方向を決定する。出発点はミリのずれでも、結果は千里の誤差が出る。この責任逃れの官僚の口裏合わせが、その後の行動の枠組みを決め、事態の発展方向を決めた。たとえば3月14日ラサの騒ぎが発生した地域では数時間の放任状態が出現していた。周囲には軍と警察が集結していたが中に入らず、行動せず、暴力行為のエスカレートに任せた。多くの人がこの奇妙な現象に途方に暮れた。いくつかの解釈の中で、私が傾く解釈は、この放置は鎮圧のために口実を「育成」するもの、および「プロパガンダ攻勢」のためのビデオ映像を集めるためというものである。一方で撮影隊が騒ぎの地点に入って撮影する時間が必要であり、もう一方で抑制されない暴力はどんどんエスカレートし、鎮圧に十分な合法性を与えることができる。また強烈な暴力映像を証拠として撮影することができる。もし、騒ぎの最初から警察力で規制していたら、事件の規模は非常に小さく、全体には有利だが関係官僚には不利だっただろう。なぜなら、事件がすでに発生した以上、あまり激しくないうちに鎮圧したら非難されるだろう。北京も多分不満だろう。官僚は事件発生の責任を他にそらすことができないばかりか、処理不適切という罪名も増えるかもしれない。ゆえに彼らは任務を遂行せず、事態を拡大させ、事件が非常に深刻になって「組織的、計画的に入念に準備したもの」と認められるようになるのを待って、やっと鎮圧した。そうすれば外部からは批判されないし、北京も咎め立てしにくい。

これが独裁制度の特徴である。権力システムの中のすべての役者がみな自分の利益を中心にすえて、個人の得失で行動を決める。官僚は個人のそろばん勘定のためには、あえて状況を悪い方向に向かわせ、どんな悪い結果になろうと構わない。今回のチベット事件の脈絡を顧みると、ラサの僧侶の平和的請願から、一歩ずつチベット人地区全域に及ぶ騒動と鎮圧に発展していき、さらに全世界的な抗議と反抗議に拡大したが、どの段階にもこの要素が作用している。

2、民族矛盾の民族対立への変化

3・14事件発生後、官僚たちはまず政権トップ、国内民衆そして国際社会に鎮圧の必要性と合法性を証明しようとした。彼らが取った方法は機先を制して、すべての言論手段を使って頻繁な情報爆撃を行い、同時に現場を封鎖し、情報を遮断して、相手に自分に不利な証拠を握らせず、言論独占の目的を達成した。中国の他の地方で似たような事件が発生した時は官製メディアはほとんど報道しないし、テレビに登場することはもっと少ないのに対し、今回のラサで起こった暴力ではいつもと態度を一変させた。10数時間後、テレビニュースを通じて映像を全国さらには全世界に送り、集中的にチベット人の中国人に対する暴力映像を放送し、事件の原因は語らず、ただチベット人の中国人への攻撃だけを流し続けた(たしかにその攻撃はあったとしても)。責任を国外の分裂策動になすりつけることによって、中国人のチベット人に対する民族主義的感情を扇動した。

民族対立は国家が分裂する根本的原因である。本来まず避けるべき分裂を、「反分裂」の職責を負う官僚集団はむしろ今回のチベット事件では一手に作り出した。彼らはそれがもたらす結果を知らなかったのではなく、十分わかったうえで民族対立を利用した。彼らに必要なのはこのような結果だった。中国の多数派民族――中国人の民族感情を煽動し、敵への憎しみによって団結する社会的雰囲気を醸成すれば、彼らは後ろに隠れることができ、民意の詰問と追及を逃れられるだけでなく、沸き上がる民意を借りて権力トップを彼らの軌道に乗せることができる。いかなる陰謀論に対する懐疑も、自分の側の反省も、穏健な処理の努力も、矛盾緩和の意図も、みな激怒した民意の威嚇の前では広まることはできず、「反分裂」官僚の虚言だけが疑いを許さない定説となり、拡大し続け、すべてのそれ以外の声と行動を飲み込んでしまった。

この種のプロパガンダは事件を鎮静化せず、むしろ火に油を注ぐ。1980年代のチベット人の抗議はラサに限定されていたが、今回チベット人地区全体に広がった大きな原因はテレビである。当時少なかったテレビが今では隅々まで普及した。チベット人が中国人を攻撃する映像は中国人にチベット人弾圧に賛成させるが、チベット人に対する効果は逆である。各地のチベット人の日常生活の中で積った不満は、感覚的なテレビ画面から容易に引き出される。テレビは相当程度チベット人地区での抗議行動の動員令になったということができる。チベット人として、ラサの街頭で起こった行為は理解し同情できるだけでなく、一部の人々はテレビの内容にミスリードされ、同じような行為で不満を表現すべきだと考えた。チベット人地区の一部では異民族に対する暴力事件が発生したが、それはまさにラサ街頭のテレビ映像を見た後だった。当局はチベット人地区各地で同時に発生した抗議行動を「組織的、計画的に入念に準備したもの」であることの証明であるという。しかし、組織、計画、準備など全く必要ない。各地のチベット人が、ラサの人々が立ちあがった生々しい映像を見たら、それだけで彼らが同時に街頭に出るには十分だ。この動員令は、まさに当局自身が出したものだった。

もう一方で、一方的に材料を取捨し、理由を検討せず現象を誇張して世論を煽動し、事件を一方的にチベット人の中国人に対する理由のない怨恨殺人と表現した。その結果は中国人とチベット人の民族分断である。近年の中国人がチベット文化に対して示していた憧れと親しみは、180度転換し、チベット人全体に対する恐れと憎しみに変わり、チベット人を恩を仇で返す民族とみなすようになった。インターネット上では中国憤青(訳注:民族主義的感情に突き動かされて排外主義的言動をとる青年。1989年天安門事件以降の愛国主義教育のもとで育った世代が中心)のチベット人に対する熱狂的罵倒で充ち溢れた。チベット人に対する排斥ムードが中国社会に充満した。あちこちでチベット人に対する差別と不当な処遇が発生した。空港・ホテル・各種のチェックポイントでチベット人と見れば高い地位の人であっても侮辱的な処遇を免れない。さらにはチベット人の児童が学校で中国人児童からいじめられている。この種の中国人全体からの敵視は、チベット人全体を中国人の対立側に追いやる。当局のプロパガンダに対する反感により、チベット人は当局の言葉を一切拒絶するようになり、また中国人の反チベット人に対して反中国人で答えようになる。今回の事件の後、中国チベット間には既に血縁で分割された種族対立が生まれてしまったといえよう。もっとも典型的な例はその後開かれた北京オリンピックの期間中、本来民族間の区別のなかったチベット人の子供が以前の中国ガンバレから中国が金メダルを逃すたびに歓声を上げるように変わったことだ。子どもの変化が、チベット問題の長期的方向を暗示している。

今回のチベット事件の前から、チベット独立の他の条件はかなり揃っていた――単一民族、単一の宗教と文化、地理的境界の明確さ、歴史的地位の明白さ、国際社会の承諾、衆望の帰するリーダーと長く運営されてきた政府(訳注:ダランサラの亡命政府)……しかし、最も重要な条件がそろっていなかった。すなわちチベット人の主体である国内のチベット人に独立追求の十分な意欲がなかったことだ。チベット問題が長期にわたって存在してきたとはいえ、政治・歴史あるいは文化レベルに集中していた。対立に関与していたのは当局・民族の上層部・知識人と国際社会であった。1950年代のチベット人武装抵抗とダライラマ亡命があったとはいえ、毛沢東によって階級闘争に解消され、民族対立にはならなかった。1980年代のラサ抗議行動はほかのチベット人地区に拡大しなかったがゆえに、チベット中国関係全体には影響しなかった。二つの民族の一般民衆の間では、これ以前の関係は一貫して比較的良好だった、ないしは比較的親しかったといえる。国内のチベット人の多数が独立を追求していなかったときは、チベット独立に有利なほかの条件がいくら多くても、影響は生じなかった。私が以前チベット独立の先行きを直視しなかった原因は、まさにここにある。

しかし、今回のチベット事件はチベット人と中国人の民族間全体に溝を切ってしまった。民族関係は民族対立になり、状況は本質的に変化した。上層とエリートの間の民族矛盾は比較的解消しやすい。政策の変化、体制改革、名誉回復などによって解決の道をつけられる。しかし、血縁で区切られた民族矛盾は各個人にまでおよび、二つの民族の日常交流のすべての細部に及ぶ。双方のすべての成員、すべての接触が衝突の原因になりうる。そしてすべての衝突が動員拡大の作用をし、民族間の憎悪を増大させ、報復の応酬となり、衝突はエスカレートし、二つの民族はますます疎遠になり、引き返すことができなくなる。その時、抑圧と差別を受ける少数民族側に独立の要求が生じるのはほとんど理の当然である。一旦国内のチベット人がひろくチベット独立を望み出したら、チベットがもともと具備していた独立条件はすぐに効果を発揮する。まさにこの重大な変化が、チベット独立を現実レベルに引き上げた。最終的に独立できるかどうかは歴史のチャンスと外部環境に左右されるとはいえ、少なくともチベット人自身にとって、条件はすべてそろった。これが今回のチベット事件がもたらした転機である。もし「チベット独立」に論功行賞を行うのであれば、最大の功績は勿論チベット人と中国人を民族対立に追いやった中国の「反分裂」官僚集団である。

続く


チベット独立ロードマップ(2)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/0ff44f54f233cb296c1ab0eafb74f928

チベット独立ロードマップ(3)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/1e38df56380bb6a52b5c17871cd0c7f1

チベット独立ロードマップ(4)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/3a53e3e0803b96c4807a55f9c5665c01

チベット独立ロードマップ(5)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/ad0b149a99460cc9b1333fe1463878f7

チベット独立ロードマップ(6)
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/22ce52f7c20ee1714fb388f36d78a0b1


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2012年09月16日

このまま終わるか反日デモ

78607cd3gw1dwye00jxh3j日本じゃ今、チベットどころじゃなくて中国内の反日デモの話題沸騰中ですよね、きっと。で、チベットのニュース伝える前に専門ではないがこの話を少しだけ。

この一連のデモに対する見方は色々だが、一般的には「中国(政府)は一般大衆を動かすことで日本に圧力を掛けている」であろう。もう1つ、習近平が最近2週間も姿を現さず、昨日出て来たような写真はでたが、これも替え玉の可能性も噂されるほどだし、「18大を控え権力中枢で何かきな臭い動きがある、のを隠すための大動員」だというのもある。

他に「体制内の保守派が権力闘争に利用している」というものあって、この場合の保守派とは軍部、公安であり、政権交代により指導部である政治局常務委員会のメンバーが9人から7人に削減され、宣伝・メディア担当と司法・公安担当の2ポストが格下げされるらしいというので、これを阻止するために、「ほら、中国の大衆はほっとけば、こんなことをしでかす、俺たちは重要なのだ」と思わせるためだというもの。これは政治改革や民主化を行えば大変な混乱が起るぞと脅すことにも使える。

また、「これはプチ文革であり、奴隷状態である一般民衆を使って、誰か?が現体制の揺さぶりを行っている」というのもある。これは重慶の薄 熙来がこの手である程度成功したという話を踏襲している、が私にはそうは見えない。

jpg-large深圳市党委員会の前に集まった群衆。

何れにせよ、政府当局が積極的に煽動していないにせよ、容認し、厳しく規制していないことだけは確かである。「愛国無罪」という言葉があるように、ある程度の暴徒化、泥棒化も検挙の対象とはされない。もっとも、この反日デモが反政府デモに転化することだけは非常に警戒している。今日なぜかデモ隊が深圳市党委員会の前に集まった。これを見て当局はすかさず放水銃と催涙弾を使って群衆を追い払っている。また、どこのデモだったか忘れたが、横断幕の中には「自由 民主 人権 憲政 保釣」と書かれたものまで現れた(最初の写真)。もっとも、この動きはまだ目立ったものではない。

それにしても、ジャスコやセブンイレブンを襲って商品略奪するわ、日系の工場やトヨタデーラーの事務所に火を放つわ、日本車をひっくり返すわ、ボコボコにするわ、、、で中国人の狼藉ぶりは、驚きはしないが、酷いものだ。在中の日本人子女はさぞ不安な日々を過ごされていることであろう。

これに対する日本政府の対応は紳士的と申すべきか、泰然というべきか、のんきと言うべきか、小心と言うべきか、、、よくわからないが、とにかく静かである。世界的には反米のもっと過激なデモにかき消され、BBCもほとんど報道せず世界的注目度は低い。

何れ、中国当局が絡んでいることは間違いない。ジャスミン革命を訴えるデモが行われたときと比べれば政府の対応がどれだけ違うかは明白。チベット人のデモなら即大量の部隊が押し掛け、催涙弾どころか実弾も発射され、死人が出ても当たり前。デモ参加者は容赦なく逮捕される。中国では基本的に自由なデモなどあり得ない。あるのは今回のような何かの意図を持たされた大衆利用デモだけだ。このまま、政府コントロール下のデモで終わるかも知れないが、万が一これが方向を変え政府に向かえば本物だ。

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前座の積もりが長くなってしまった。最初にも書いたが私は中国語もできず所謂チャイナウォチャーではないのでもっと専門的な分析は専門家の意見を参考にしてほしい。このデモの情報でお勧めのツイッターは@livein_china @kinbricksnow @kaokaokaokao等。

rftibet at 19:50|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2012年09月14日

「ジクデル(恐怖を乗り越えて)」の制作者ドゥンドゥップ・ワンチェンに国際的賞

2012ジクデル(日本語版タイトル「恐怖を乗り越えて」)の制作者ドゥンドゥップ・ワンチェン氏に毎年「勇気あるレポーター」に贈られる国際的賞が与えられることになった。

ジャーナリストの安全を擁護するNYベースの世界的団体である「ジャーナリスト保護委員会 the Committee to Protect Journalists(CPJ)」は今年の「国際報道自由賞 International Press Freedom Awards」をドゥンドゥップ・ワンチェン氏はじめ4人の「命を掛け自由を犠牲にし、権力の悪用と人権侵害を暴いたレポーター」に与えると発表した。

ドゥンドゥップ氏以外に今年この賞を受賞したのはブラジルのMauri Konig氏、リベリアのMae Azango氏、キルギスタンのAzimjon Askarov氏である。全員、真実を暴いた報復として当局から暴力、脅迫、拷問を受けている。

「我々は真実への献身が故に高い代償を払う事になった、これらのジャーナリストに鼓舞される」とCPJ 代表の Joel Simon氏は語り、さらに「この内の2人、Azimjon Askarov 氏(無期懲役)とドゥンドゥップ・ワンチェン氏(懲役6年)は彼らの批判的レポートが故に逮捕され投獄されている。彼らが解放されるまで我々は安心できない」と続ける。

ドゥンドゥップ・ワンチェン氏は北京オリンピックを前にしたチベットで普通のチベット人たちからオリンピックやチベットの状況に対する意見をビデオに収録したことで、2008年3月26日に逮捕された。そして、2009年12月28日に秘密裁判により、「国家分裂煽動罪」により6年の刑を言い渡され、現在、青海省の強制労働キャンプに収容されている。

552119_2438375857002_1614261209_n彼が集めたインタビューは逮捕前にスイスに送られ、従兄弟の編集によって「ジクデル」という25分ほどのドキュメンタリーにまとめられ、日本を含め世界30各国で上映された。彼は現在B型肝炎を患っていると言われ、妻のラモ・ツォが世界中を周り彼の解放を訴え続けている。

受賞式は11月20日にNYで行われるという。もちろん、ドゥンドゥップ氏は出席できない。現在アメリカにいる、妻のラモ・ツォが代理として招待されるかも知れない。

ジクデルLeaving Fear Behindの英語版はyoutubeで見る事ができる。>http://www.youtube.com/watch?v=ANZZa5IabJ4

参照:関連CPJホームページhttp://cpj.org/awards/2012/honoring-tenacity-and-courage.php

14日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32118&article=Dhondup+Wangchen+to+receive+2012+International+Press+Freedom+Award
14日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6614


rftibet at 22:37|PermalinkComments(1)TrackBack(0)