2012年12月

2012年12月30日

今年も年末に光をプレゼント ダラムサラ・アイキャンプ

_DSC8081今年は日本から何と9人の眼科医を含む総勢16人が、ダラムサラまで光をプレゼントするために来られた。

アイキャンプと呼ばれるこの眼科医さんたちによるボランティア活動は2000年から始まり、今年で13回目である。毎年、年末の休みを利用してはるばるこんなインドの田舎までやってこられ、地元の大勢の人たちに白内障を中心とした手術を施される。今年も、28日から3日間の間に数百人を診察し、その内の50人に手術を行われる。今日も今まだ手術が行われている。毎日夜遅くまで働かれるのだ。

_DSC8091この素晴らしい眼科医さんたちの活動の母体になっているのはAOCA(アジア眼科医療協力会)という団体である。AOCAのホームページは>http://www.aoca.jp/index.html
アイキャンプについては>http://www.aoca.jp/JP/eyecamp.html
ダラムサラアイキャンプについては>http://www.aoca.jp/JP/eyecamp/DallamSara_eyecamp.html
と詳しいことはそれぞれのページを参照していただきたい。

参照として、このブログの過去記事2008年>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-12.html#20081226http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-12.html#20081229
2011年>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51549180.htmlもある。

_DSC8052最初のころはチベット人の比率が高かったが、最近は患者のほとんどはインド人になっている。チベット人は20%程とのこと。ほぼ無料で日本人の名医に手術して貰えるということで毎年大勢の人が集まる。日本では白内障等はそれほど酷くないうちに医者にかかるので、全盲に近くなるまでほっておかれるという人はまずいないであろう。しかし、ここでは毎回ほぼ全盲状態の人も大勢来るという。そういう人にとってはこの手術はまさに「光をプレゼント」されたという実感があるのだ。

_DSC8112チベットの尼僧を診察室に導くボス格の柏瀬先生。柏瀬先生は2002年から1年間ダラムサラに滞在し、眼科医として活躍されていたことがある。なじみの旧友である。

ここで、今回日本から来られた16人全員を紹介する。
今回の団長であり11回目の岡田明先生、次期団長であり5回目の浅野宏規先生、12回来られてる柏瀬光寿先生、福田慎一先生、星崇仁先生、藤川正人先生、田寺正樹先生、布谷健太郎先生、研修医の須賀みつきさん、看護婦の沼田美紀さん、眼科学生の里村英章さん、眼科学生の中西潤さん、マネージャーの古寺瑞代さん、通訳・コーディネーター(チベット医学アムチ)の小川康さん、アルコンという眼科用医療品専門会社の山根康作さんと田宮千佳民さん。

_DSC8117診察中の柏瀬先生。

一日目に診察し、手術を必要な人を選び、眼内レンズ等を用意する。

この日は夜10時頃まで診察を続けたそうだ。





_DSC8236今回は大勢のお医者さんが来られた。これを見て私が「こんなに大勢来られるなら、来年とかにはTCV(チベット子供村)にも手を伸ばして、手術だけじゃなく目の一般診療もやったらいいんじゃない?喜ばれると思うよ」と言った。グループはこれに即反応され、さっそく次の日アポ無しでTCVに数人の先生が行くことになったのだった。

行ってみると、その日は気付けば土曜日の午後で事務所は閉まってた。そこで、せっかく来たことだし、ホームを回りながら適当に目が悪い子を探してみようということになった。が、長い冬休みに入った学校に残っている子は意外と少ないことが判明。ホームそれぞれに残っているのは5、6人だけというところが多かった。

この写真はベービールームで見つけた「涙が止まらない」という小さな子供を診察する研修医の須賀みつきさん。

_DSC8224昼寝中の子供の目を無理やり開き診察。それでもこの子は泣きもせず、笑っていた。










_DSC8237手術風景。右手から執刀を監視するのが柏瀬先生。左手が岡田先生。今回は執刀医が多いので交代で手術されていた。それでも、日本ではせいぜい一日に5人までというが、ここではそれ以上を相手にされる。





_DSC8312手術中の次期団長浅野先生。

先生は2年前にご結婚されたそうだが、なんとそのきっかけを作ったのは当ブログだったという。詳しい経緯は省かせてもらうが、これは本当の話である。こんなブログでも役に立って本当によかった!末永くお幸せに。















_DSC8299このように最初は白い目も、平均15分から20分の手術後には、、、










_DSC8289このように黒い目に変わる。

目の手術というものは手術の中でも非常に繊細、微妙な手術である。腕に自信がある先生でないとできないらしい。







_DSC8315手術中に停電! ということが何度もあった。しばらくするとジェネレーターが回り電気は回復するのだが、突然起るので、しばし唖然となり懐中電灯を点け、待つしかない。

停電中、柏瀬先生にここで手術することの困難さについて聞いてみた。「いやあ、アウェーはやっぱり違いますよね。このように突然停電になるし。手術用顕微鏡の質が悪くて見えにくいし、ベッドが眼科用じゃないしね」とのこと。「これまでに大変なことはなかったですか?」と質問。「そうね、嘗て目もほぼ全盲、耳も聞こえないという人の手術をした時、突然暴れ出し、大変なことになった。目も耳も両方だめだったから恐怖心からそうなったのでしょう。最後になんとかしましたがね」と。

_DSC8306手術室に貼られた、チベット語とヒンディー語の手術中用語。










_DSC8325無事手術が終わって、手術室を後にするチベット人のお年寄り。

眼科医というのは実に素晴らしい職業である。特にこのような世界の僻地では役に立ち、喜ばれること間違いなしだ。

皆さん、ご苦労さまでした。感謝!感謝! よいお年を!

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スジャスクールの生徒103人が2日間75キロの「チベット連帯行進」

suja_gyuto2北インドの田舎を歩く生徒たち(この写真はTbet Expressより)

TCVスジャスクールはダラムサラの南東75キロほどのところにある。この学校はチベットから勉学の機会を得るために亡命してきた子供たちの内、正規の小学一年生から始めるには遅過ぎると判断された入学時14歳以上18歳未満の子供たちが勉強する学校である。その子の成績により飛び級制度があり、多くの子供が案外早く中学卒業、高校卒業まで至る。その後、もちろん成績がよければ大学にも行くことができる。ほぼ全員家族をチベットに残して来た子供たちであり、年齢も高いので、全体に政治意識が高い。現在約900人が在籍する。

_DSC8130最後の急坂を登り切り、夕方マクロードからツクラカンに向かう生徒たち。

今回のこのダラムサラまでの長い行進は、最初クラス10(高校1年生)の2人の生徒が自分たちだけで行おうと計画していたという。その計画を知り、多くの同級生が自分も参加したいと申し出て、最終的にはこれまでの内外焼身者の数に等しい103人が集まったという。(103人という数字は1998年のトゥプテン・ゴドゥップから数えた102人にカルカッタで投身抗議を行ったドゥンドゥップ・プンツォhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51739166.htmlを加えたか、或はフランスで焼身抗議を行ったと思われるイギリス人僧侶トンデンhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769602.htmlを加えたと思われるが確認していない)。道中何かあったらいけないというので、スジャスクールの校長さんと教頭さんも一緒に歩かれた。

_DSC8159生徒たちは、チベット国旗、法王の写真、焼身者の写真を掲げ、それぞれ胸に焼身者の名前を書いた白い布を付け、チベット内には言論の自由がないということを象徴するために口を黒いマスクで覆い歩いた。

12月27日の早朝7時に学校を出発し、その日の夜は途中のTCVゴパルプールに泊まり、次の日の夕方5時頃ダラムサラに到着し、ツクラカン傍にある雄者の塔の前で集会を開き、解散した。

_DSC8132最初は3日間の予定だったところを2日に短縮して実行。2日目は40キロ以上歩いたのでダラムサラに到着した時には相当疲れた様子の子供もいた。足に豆ができて、杖をつき、足を引き摺りながら歩く女の子も少なくなかった。

行進の目的は、焼身抗議を行った人々とその家族への連帯を示し、国連はじめ世界の人々へチベットの現状を知ってもらい、行動を促すため。内地で言語と文化を守るために立ち上がった学生たちに連帯を示すため。全てのチベット人に目を覚まし立ち上がることを促すため、という。

_DSC8188この行進を先導した高校一年生のクンチョク・リンチェンは「自分たちがこうして集まっているのは自分たちの国ではなく自由がある他人の国だ。チベット人は今、生死が掛かった、この地球上に存在するか消え去るかという危機的状況の中にあると知るべきだ。チベットの中では多くの人たちがチベットのために命を捨てている。特に、16、17歳の若者も沢山焼身している。彼らは外の世界に対し、彼らが中国の下に暮らしたくないということを表明している。今こそ、内外のチベット人が心を1つにして闘うことが重要と思う」と話す。

_DSC2533ラモ・キ(Tibet Timesより)

行進参加者の中にはラモ・キという、今年3月10日の蜂起記念日にダラムサラを出発し叔父とその母と一緒に「ラサ帰還行進」に参加し、ネパール国境まで数ヶ月かけて歩いた女の子もいた。叔父であるツェテン・ドルジェはネパールに入ったところでネパール当局に逮捕され2年の刑期を受け現在ネパールの刑務所に入れられている。

このラモ・キに焼身について聞いてみた。「焼身者たちはチベットの国と人々のために焼身しているが、私はあまり良いこととは思わない。チベット人の数は多くない。こんなに沢山の人が焼身するとチベット人が減ってしまう。他の抵抗方法を探る方が良いと思う。私は今はTCVダラムサラにいてスジャにはいない。でもスジャには長くいた。今回友人から歩く人が足りないと聞いたので、是非参加したいと思って一緒に歩いた」と話し、さらに、「政府やその他の団体の活動に期待はしているが、これまでに生徒自体が率先して活動するということは少なかったと思う。様々な人たちがそれぞれできることを実行するのが良いと思う」と続けた。

_DSC2534ゴンギェル(Tibet Timesより)

ゴンギェルという生徒に「チベット人の活動は効果していると思うか?」と聞いてみた。「内外のチベット人が100人も焼身しているが、それに見合う結果は得られていないと思う。自分は、チベット人が一致団結していると感じることができない。年長者の多くは若者に対し『生活力を付け、仏教を信じるように』と諭す。これはチベットの闘いを利するより害するほうが大きいと思う。将来的にもチベットの闘いを成功させるには一致団結することが大事と思う。今回この行進に参加したきっかけは、最近内地の学生7000人が民族と言語自由のために立ち上がったということを知り、自分たちも何かやるべきだと思ったからだ」と。

参照:29日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7125
28日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-35-27/9895-2012-12-28-09-24-33
28日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/peace-march-12282012123027.html

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2012年12月28日

Le Monde チベット潜入取材 後半

昨日の続き:元の写真と解説はhttp://www.lemonde.fr/asie-pacifique/portfolio/2012/12/25/voyage-au-c-ur-de-la-region-tibetaine-des-immolations_1809649_3216.html

77、自宅の近くで祈る焼身者の父親と家族。彼の息子は今年11月中に焼身したチベット人の内の14番目であった。11月だけで28人のチベット人が焼身した。ツェリン・ウーセルによれば、焼身者は多様化し、僧侶ではない普通のチベット人が増えているという。



88、ラプラン僧院で供物を捧げる巡礼者。弾圧にも関わらず、抵抗の精神は強く残っている。「役人たちは僧院に行くのを少し怖がっている」と11月終わりに北京に向かう途中に会った青海省の僧侶は語る。また、「チベット人の政府職員は困惑し、同じチベット人に嫌われることを怖れてちゃんと任務を遂行できないでいる」という。

9 9、最近焼身した30歳代の貧しい遊牧民の母親。彼は妻と幼い2人の子供を残した。当局や政府系メディアは、この政治的現象を単なる個人的な出来事として矮小化する。

(記事によれば、「息子が焼身した後、多くのチベット人が遺族の家を慰問のために訪れ、香典をおいて行った。それは数万元にもなった。しかし、(貧しい家庭でありながら)そのお金のほとんどは僧院と学校に寄付した」という。その理由は「息子はみんなのために焼身したのだから」と。)

1010、サンチュから遠からぬところで最近焼身したチベット人遊牧民が残した2人の子供。この事件を弾劾する役目を担う中国の「チベット専門家」は、焼身は「仏教の基本的戒律に反する」とコメントする。

(この2人の子供は誰の子供なのか?ウーセルさんはサンチュ県サンコク(桑科)郷で焼身したチベット人の子供という。サンコク郷で焼身したのは11月26日のトゥプワン・キャプ、23歳http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767074.htmlと11月27日のサンゲ・タシ、18歳http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771006.htmlの2人である。この内サンゲ・タシは結婚していないので、彼ではないであろう。一方トゥプワン・キャプは亡命側に伝えられた情報によれば、結婚はしているが、子供についての情報はない。ウーセルさんのいう情報が正しいなら、おそらくトゥプワン・キャプの子供という可能性が高いが、確認できない)

1111、インド、ダラムサラにいるチベット人たちはこの焼身について説明する時、仏教のお経を引用する。特にその中に書かれている1つのエピソードだ。「釈迦牟尼仏陀は彼がまだ菩薩であった時に、一匹の飢えた雌虎に、自分の子供を食べないようにするために自分の身体を生け贄として捧げた」と。


1212、焼身に直面し、政治から引退したダライ・ラマは当惑の沈黙を選択している。もしも、肯定するならば、中国が仏教の伝統を破ったと非難するであろう。もしも、否定すれば焼身者の家族は悲しむであろう。この曖昧な態度が北京をして、間接的に焼身を煽動していると言わせる。



1313、世界中のチベット学者たちは中国の新指導者である習近平に対し、中国内のチベット人の話を聞き、彼らと共に「軍事力に頼ることなく状況を緩和させる解決策」を探り、「チベット人の言語と文化を花咲かせる」ことを求めた。




1414、11月になり、新指導部のメンバーが発表されたが、中国共産党はチベットの危機に対し如何なる開放政策の印も示していない。人民日報にはダライ・ラマは「『政治からの引退』というごまかしにより世界を欺きつつ、実は彼の『チベット独立』計画の新しいページを開こうとしているのだ」と書かれている。

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2012年12月27日

Le Monde アムド潜入取材 前半

599713_10200155716325186_1207568361_nフランスの有名な新聞であるルモンド(Le Monde)は12月25日付けで「チベット潜入取材」の記事を発表した。

紙面の上方に大きく雪の中に立つチベット人僧侶の顔を載せ、横には「チベット、焼身の国で」と大きく書かれ、その下には「今では焼身するのは僧侶だけではない、農民、工民、学生もダライ・ラマの帰還を求め焼身する」と書かれている。

ルモンドの記者は最近、焼身が続くアムドのサンチュ(夏河)県とルチュ(碌曲)県を訪れた。郷としてはサンチュのアムチョク(阿什合曲)郷とサンコク(桑科)郷、ルチュのアラ(阿拉)郷に至り、11月中に焼身した3人の家族に会っている。(ルモンドの記事は>http://www.lemonde.fr/a-la-une/article/2012/12/25/voyage-a-travers-le-tibet-persecute-sur-la-route-des-immoles_1810159_3208.html

3人とは11月20日にアムチョク郷で焼身、死亡したツェリン・ドゥンドゥップ(34)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770091.html、11月26日にサンコク郷で焼身、死亡したトゥプワン・キャプ(23)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767074.html、同じく11月26日にアラ郷で焼身、死亡したゴンポ・ツェリン(24)http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770883.htmlと思われる(ツェリン・ドゥンドゥップとゴンポ・ツェリンは名前を上げられておりはっきりしているが、トゥプワン・キャプについては推定である)。

もちろん、この地域における当局の警戒は厳しく、彼らは常に夜中に移動したという。「至る所に完全武装した警官と軍人がいる。バリケードが築かれ、僧院や大きな道の交差点には必ず監視カメラが設置されている」と書かれる。

甘粛省の甘南チベット族自治州当局は最近焼身に関わった者は殺人罪に処すると発表し、高額の報奨金を約束し密告を奨励している。そのような危険な状況にも関わらず、勇敢な遊牧民たちの導きにより彼らは焼身者の家族たちに会うことに成功したという。

記事とは別にネット上にその潜入取材中に撮ったという非常に貴重な写真が14枚発表されている。以下、その写真を全て紹介しながら、そこに付記されている説明を訳すと共に、その他記事に書かれている情報を幾つか補足する。(14枚の写真は以下にアクセスすれば大きく載っている>http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/portfolio/2012/12/25/voyage-au-c-ur-de-la-region-tibetaine-des-immolations_1809649_3216.html

写真のクレジットは全てAdam Dean/PANOS/REA pour Le Monde

11、2009年以来、100人近いチベット人が、中国当局の圧政に抗議し、1959年インドに亡命した彼らの精神的指導者であるダライ・ラマの帰還とチベット人地区の自由を求めて焼身している。11月だけでも28人が焼身した。その中の1人は11月26日に甘粛省甘南の僧院の中で焼身した23歳、3児の父であるゴンポ・ツェリンである。

32、彼の家族の家にはゴンポ・ツェリンを偲ぶために荘厳された仏壇が作られていた。そこには目立つ場所にダライ・ラマの写真が何枚か掲げられていた。中国は公共の場に彼の写真を飾ることを禁止している。中国は、この77歳になるチベット人の精神的指導者を危険な「分裂主義者」と決めつけているからである。しかし、ダライ・ラマはインドのダラムサラに亡命して後、一貫して独立を求めず、自治を求めている。北京と彼の特使との間で行われた会談は全て失敗している。

ここには書かれていないが、ウーセルさんの話によれば、ゴンポ・ツェリンの父親と祖父は彼が焼身した10日後に連行され、今も行方不明のままという。

333、チベット仏教の教えに従い、死後49日間、僧侶たちによる法要が続けられる。村人たちは焼身により亡くなった人々を讃える。中国当局はダライ・ラマに対し焼身を煽動していると非難する。焼身者がもしも、死ななかった時には、社会の秩序を乱したとして殺人罪に問われる。そして、家族は賠償金を払わされる。

54、12月16日、甘粛省にあるゴンポ・ツェリンの村で出会った1人の男性(仏壇に捧げるトルマを運んでいると思われる)。当局は焼身者の葬儀に参加したものを逮捕すると脅している。チベット人作家、ブロガーであるツェリン・ウーセルによれば「この新しい規制はとても具体的であり、焼身者の家族に寄付(香典)を与えたり、葬儀に出席したものは厳しく罰せられる」という。
(ウーセルさんは取材を終え北京に帰ってきたルモンドの記者と直ぐに会っている。その時の話は20日付けのRFAに発表された後、26日の彼女のブログに再掲されている。http://woeser.middle-way.net/2012/12/blog-post_2692.html

65、甘粛省でもっとも大きな僧院の1つであるラプラン僧院の巡礼者。チベット人たちはこの地方をアムドと呼ぶ。18世紀に中央チベットから離れ、20世紀初頭中国に正式に編入された。この僧院の近くでも何件かの焼身があった。僧侶たちは当局の宗教弾圧に抗議している。



46、焼身した息子の写真を手にする父親。彼(ツェリン・ドゥンドゥップ)は自宅から遠くないアムチョク郷にある金鉱開発地で焼身、死亡した。35歳であった。多くのチベット人が彼らを利することのない鉱山開発に反対している。

記事の中には中国語が堪能だったという焼身を目撃したチベット人の話が紹介されている。「自分は焼身をこの目で実際に目撃した。焼身したチベット人たちはみんな、個人的な苦しみを除くために焼身しているのではない。我々チベット人みんなのため、社会のために焼身したのだ。だから、讃えられるべき行為だと思う。以前は僧侶たちが焼身していたが、今は普通の人たちが焼身している」と。

全部一気に載せようとおもったが、ちと長くなるので、続きはたぶん明日ということで。

その他参考:26日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=20258

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2012年12月26日

TCVの生徒が焼身を図る

Lungrig-dorje-112月24日、学校の冬休みが始まった日に、南インド、バイラコピーにあるTCVスクールの第9学年(中学3年)を終わったばかりであるルンリク・ドルジェ(ལུང་རིག་རྡོ་རྗེ་)20歳が、中国政府のチベット弾圧に抗議する目的で焼身を図ったが、火を点ける前に保護された。

彼は朝9時頃、バイラコピーにあるルクサム・チベットコロニーの第一共同市場の前で、灯油を被った身体に火を点けようとした。しかし、その時、強い風が吹き、火がなかなか点かなかった。その様子に気付いたインド人が店のチベット人に声をかけ、一緒に彼を取り押さえたという。

ルンリク・ドルジェは焼身の目的について次のように話したという。
「本土では焼身しても、中国が情報を遮断するので詳しいことは伝わらないので、多くの人が知ることもない。(インドのような)自由な国で焼身すれば、チベットの現状を世界に知らせ、世界からの支援を得ることができるのではないかと期待した」

彼は2011年頃から焼身することを考えていたが、学期中に焼身するとみんなの勉強の妨げになると思い、学期が終わった時にしようと思っていたという。

焼身当日については「今年の学期が終わった24日の朝、ホーム(寮)に在った灯油と以前から準備していたライターを持って市場の裏に在った空き家に行った。そこで、灯油を被ったが、人に見られたので、すぐに表に廻って、そこで火を点けようとしたが、風が吹いて点かなかった」という。

ホームの保母さんの話によれば、「彼は普段からチベット問題に関心が強く、友人ともチベットの状況についてよく話していた。3年前にチベットにいる母親が亡くなってからは性格が大人しくなり、優しくなったように思えた」という。

参照:25日付けチベット語ニュース「ཁ་བརྡ།(カダ)」http://www.khabdha.org/?p=38965
25日VOT放送

ཁ་བརྡ།のコメント欄には、彼の勇気を讃えながらも「火が点かなくて本当によかった。苦しいのはあなただけじゃない、みんな苦しいのだ。ここは、もう2度と焼身するなんてことは考えずに、一度死んだ気になって、一生懸命勉強して、将来のチベットのために働ける人になることを考えてほしい。私たちは教育がなくて十分役に立つことができないのだ。あなたは若くて機会が与えられている。だから勉強に励んでほしい」等と書かれている。

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2012年12月25日

焼身のスンドゥ・キャプ 両足切断か? デブン僧侶無期宣告の後行方不明

ced68ba312月2日にアムド、サンチュ県ボラ郷で焼身した17歳のスンドゥ・キャプhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771516.html、彼は焼身の後、部隊によりツゥ市の病院に運び込まれていた。昨日付けRFAによれば、ツゥ市の病院では治療不可能と判断され、その後甘粛省の州都である蘭州の病院に運ばれたという。

そして、最近警察と病院が彼の両親を蘭州の病院に呼びつけ、「スンドゥ・キャプが生き延びるためには両足を切断せねばならない。その承諾者にサインしろ」と迫った。両親は彼の病室に入ることを許されず、ドアのガラス越しにしか彼を見ることができなかったという。

10月20日に焼身、死亡したラモ・キャプの親友が行方不明

同じく現地ボラからの情報をRFA に伝えたサンチュ・ドゥクベによれば、10月20日にサンチュ県ボラ郷で焼身、死亡したラモ・キャプhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766223.htmlの親友であったペマ・ツェワンが同じ日にアムチョク郷で突然警官に頭から黒い帽子を被せられ、車に押し込まれ連行された。彼はその後行方不明のままという。

ボラ郷には最近、付近の街からボラ郷出身の政府職員が集められ、それぞれの職員にある特定のグループを指導、監視する任務が与えられている。特にボラ僧院は厳しい監視下におかれ、ブラックリストが作成され、そのリストに載る僧侶は一日中監視されているという。

地元のチベット人によりチベット人を監視させるというやり方である。

参照:24日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/bora-news-amdo-12242012134030.html
25日付TCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/index.php?option=com_content&view=article&id=334%3Atibeta-self-immolator-battling-for-life-may-lose-both-legs&catid=70%3A2012-news&Itemid=162

08ラサ蜂起後逮捕されたデブン僧院僧侶2人が行方不明のまま

2008年3月のラサ蜂起のきっかけとなったのは、3月10日にデブン僧院僧侶数百人によるラサに向かっての平和的抗議行進であった。行進は途中で警官隊により阻止された。その後、デブン僧院は封鎖され、兵糧攻めに遭った後、多くの僧侶が逮捕され、暴行を受けた。また、カム、アムドの僧侶たちは全て地元に送り返された。

多くの僧侶が刑期を受けシガツェ地区のニャリ刑務所やラサのチュシュル刑務所に収監されていることが判明している。しかし、関係者が手を尽くして捜索しても、未だ2人の僧侶が行方不明のままという。

image1人はデブン僧院ロセリン学堂の戒律師であったペンボ・ルンドゥップ出身のジャンペル・ワンチュク(58)である。彼は2008年4月11日に中国が言うところの「3・14暴動」の煽動者として逮捕された。しかし、当局はその後証拠を示すことができず、結局経済犯として無期懲役の刑に処するということを僧院内で発表した。そして、その後、家族等関係者が捜索しても、どの刑務所に収監されているのか等の情報を全く得ることができず、行方不明のままという。


kunchok Nyimaもう1人はデブン僧院の教師であったンガバ州ゾゲ出身のクンチョク・ニマ(44)である。彼も同じく4月11日に「3・14暴動」の煽動者として逮捕され、その後、刑期20年、政治的権利剥奪5年と発表された。そして、今に至るまでどの刑務所に収監されているのかも分からず、行方不明のままである。





image2もう1人、同じ日に逮捕され、行方不明となっていたデブン僧院ンガクパ学堂の教師ガワン・チュニ(42)は最近になってやっと、7年の刑を受けラサのチュシュル刑務所に、他のデブン僧院僧侶たちと共に収監されていることが判明したという。

参照:24日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/jamphel-wangchok-unkown-12242012131512.html
25日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7110

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2012年12月24日

王力雄「炎の遺言――なぜチベット人は焼身するのか?」 後半

4778fb72ダライ・ラマ法王と王力雄さん

原文:12月18日付けウーセル・ブログ「王力雄:燃烧的遗言——藏人因何自焚?」http://woeser.middle-way.net/2012/12/blog-post_18.html
翻訳:@yuntaitaiさん。

前回http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51773905.htmlの続き。

◎炎の遺言――なぜチベット人は焼身するのか? 後半

◇「自分だけが頼り」、本土側もついに理解

 長い間、チベット問題は進展が得られていない。希望をずっと外部世界に託してきたことをチベット自身が反省している。チベット本土は国外のチベット社会に希望を託した。国外のチベット社会はまず国際社会に託し、後になって中国政府に託した。国際社会の圧力を利用し、中国政府に譲歩を迫るのが一貫した基本路線だった。

 国際社会でダライ・ラマは大きな成功を勝ち取った。欧米の市民はほぼ一辺倒にチベットに同情し、ダライ・ラマは誰もが知る世界的なスターになった。しかし、中国政府に圧力を加えるという点では、国際社会はもう限界に来ており、これ以上あてにするのは難しい。中国は差し迫って西側の援助を必要としていた1980年代であっても、チベット問題について少しの譲歩も見せたことはない。既に台頭を始めた今日、世界が中国の譲歩を引き出せるなどと期待しても、ますます見通しは立たないのではないだろうか。

 中国政府は2002年から2008年にかけ、ダライ・ラマの特使との会談を進めた。それは初めから北京五輪のために設けられた宣伝活動だったが、亡命政府にとってはようやく訪れた機会であり、実質的な進展が切実に望まれた。当時、本土のチベット人はずっと楽観的で、我慢強く待ち続けていた。北京五輪が近づいてきた2008年3月10日、ダライ・ラマは蜂起記念日の恒例のスピーチでこう明らかにした。「私の代表は2002年以降、特定の問題について、中国の関係部門と前後6回の会談を開いた。(中略)だが残念なことに、基本的な問題では実質的な成果は何も得られなかったし、この数年、本土のチベット人に対する残酷な鎮圧はますますひどくなっている」

 このタイミングでダライ・ラマが公表したのは、五輪前に中国への国際的な圧力を強める最後のチャンスになると期待したからだろう。しかし、共産党を真に理解しているのなら、たとえ北京五輪を開かないことになったとしても、彼らがチベット問題で譲歩することはないと分かるはずだ。予想通り、国際社会のその後の動きは全く効果がなく、ボイコット運動は消え、最も強硬的な態度を見せていたフランスも最終的には負けを認めた。これらの事実が容赦なく証明しているのは、国際社会を通じて中国に譲歩を迫るという亡命政府の長年の路線が完全に無効だったということだ。

 一方、ダライ・ラマのスピーチは本土のチベット人を目覚めさせた。彼らはいつまでも待ち続けるうちに、我慢の限界に近づいていた。この間、パンチェン・ラマは捕われ、カルマパはチベット本土を離れ、ダライ・ラマは攻撃され続けていた。そして最後に待ち受けていたのは、「実質的な成果は何も得られなかった」という結末だ。ダライ・ラマのスピーチを知ったラサ、セラ僧院の僧侶は「私たちが立ち上がらなければいけない」と考えた。ラサの街頭に駆け出して雪山獅子旗を掲げ、スローガンを叫んだ。それは2008年にチベット全土に及んだ抗議運動の最初の叫びだった。3月10日午後、デプン僧院の数百人の僧侶が山を降りて抗議し、中国の言う「3・14事件」がまたたく間に広がっていった。

 ウーセルの意見によれば、現在の焼身抗議運動はまさしく2008年の抗議の延長線上にある。つまり、「私たちが立ち上がらなければいけない」という勇敢な僧侶の言葉が継続しているのだ。

◇焼身運動はどう始まったか

 組織もなく、資源もない民衆にできることは決して多くない。考えられるのは2008年のような街頭の抗議デモだ。民心が動き、呼びかけに呼応し、集まった人々が気勢を上げる。小規模な社会であれば、抗議者の集団は十分に大きいし、変革を促すかもしれない。しかし、規模の大きい社会に身を置く少数民族にとって、そんな可能性がないのは明らかだ。1989年に数千数万の漢人が中国各地の街頭に飛び出したが、流血をもいとわない専制政権に全て鎮圧された。人口では漢人の端数でしかないチベット人がどうして例外になれるだろう?

 兵が迫り、軍警が密集し、所構わず人々が逮捕される時、集団行動はますます難しくなる。「立ち上がらなければいけない」という言葉は個人の行為としてのみ実行できる。滄海の一粟である個人はどのようにして巨大な政権に立ち向かうのか?2008年のチベット抗議が鎮圧された後、少なからぬチベット人が一人で路上に立ち、スローガンを叫んでビラをまき、最後には音もなくこの世から姿を消した。ばらばらの個人はどうすればこの絶望的埋没状況から踏み出せるのか?それには、より激しさを増したやり方しかない。ネット作家グドゥップが「平和的な闘争をいっそう激烈にする」と遺言に書いたように。焼身はまさに、個人の取れる最も激烈な手段だ。

 確かに焼身ははっきりと出現してきた。それぞれの命の燃焼は全世界に目撃され、報道され、記され、祈られ、慰められ、広く伝えられている。それによって、焼身は個人の行動で最も有効な手段であるとほかのチベット人は考えるようになる。彼らは一歩進んで見習い、より激しい焼身運動を形作っていく。

 2008年のチベット抗議が僧侶から始まったように、焼身運動の先頭に立ったのも僧侶だった。キルティ僧院のタベーが2009年2月に本土で最初の焼身者になって、最初の12人の焼身者は全員が僧侶だ(2008年の抗議運動後、当局に僧院を追い出された元僧侶も含める)。2011年12月になると、俗人で最初の焼身者が現れた。2012年の第1四半期の焼身者20人には、15人の僧侶がいる。第2、3四半期では俗人が中心になった。第4四半期の70日まででは、焼身者50人のうち俗人が43人もいる。

 焼身運動に飛び込む一般のチベット人を理解しようとする時、私はいつもチベット人女性に聞いた話を思い出す。彼女は「民族のために何かをする能力はほかにないから、私はたくさん子供を生もうと思ってるの」と話した。焼身者の遺言の中にも、これに似た心情は見られる。遊牧民テンジン・ケドゥップとンガワン・ノルペルは遺言にこう記した。「僕ら二人について言えば、チベットの宗教や文化で力になれるだけの能力はないし、経済的にチベット人を助けられる能力もない。だから(中略)焼身というやり方を選びます」

 61歳のドゥンドゥップは僧侶や若いチベット人に対し、焼身を選ぶな、命を大切にして民族の未来のために努力、貢献しろと何度も呼びかけ、高齢世代が焼身するべきだとの考えを示した。財産や学識がなくても、焼身行為で民衆を駆り立て、当局を動かし、影響を与えられると知れば、一般のチベット人は勇気を奮い起こして実行する可能性がある。

 カルマパはこの時、命は尊いのだから焼身するなと呼びかけたが、何の効果もなかった。これは全く不思議ではない。なぜなら、焼身者はまさに、最も尊い命をささげたいのだから。ウーセルやアジャ・リンポチェ、詩人カデ・ツェランは「生きてこそ現実を変えられる」と呼びかけたが、有効であるはずがない。なぜなら、焼身者はまさに、生きて何ができるのかが分かっていないのだから。そして、少なくとも焼身は静寂を打ち破れるのだから。焼身以外に何ができるのかを彼ら勇敢なチベット人に伝えなければならない。ただ生きて傍観させ、むなしく待たせるのではなく。

◇焼身は圧迫者への抗議であり、指導者への批判だ

 焼身の奥に隠された意味を掘り起こすのは、チベット人の内部で進められるべき作業だろうから、次の議論は少し落ち着かない。しかし、命が次々と燃えるのを目の当たりにしては、そんな懸念には構っていられない。

 戦場にいるのと同じで、敵による殺人を非難するのは間違ってはいないが、かえって無駄なことになる。勝利を収めたいなら、自分たちをチェックし、改善する方がいい。もし圧迫者を責めるだけで終わっているのなら、焼身の犠牲はただちに浪費になる。本土のチベット人は亡命政府に大きな期待を抱いたり、次々と率先して焼身に走ったりしてきた。亡命政府はそこから少なくとも何かを見出すべきだ。自分たちの以前の路線を改めて振り返ってみる価値はある。

 旧世代の亡命チベット社会の指導者が歩いてきた道のりは、その時代に必要な模索であり、避けて通れなかったものだと仮定しよう。だが、そうだとしても、本土で今起きている焼身は、「来た道を戻るな」と新しい指導者に命を燃やして呼びかけているのだ。

 目下のところ、チベットの新しい指導者がこの点を理解している形跡はない。「中国政府と交渉して問題を解決する自信はあるか」と「亜州週刊」に問われ、首相のロブサン・センゲは「私個人にはもちろん自信がある。新しい気風の人物が深く考え、納得するのなら、チベット問題はすぐに解決できると中国のある知識人が話していた。私もそう考えている」と答えた。1980年代止まりのこうした意見を聞くと、時間を後戻りしたかのように感じる。ロブサン・センゲは就任後に各国を訪れ、政界の要人に会い、メディアに出演し、会合に出席し、各種活動を展開した。これは完全に、国際的な圧力を勝ち取って中国政府に譲歩を迫るという古い手段の繰り返しだ。ダライ・ラマは既にこの路線を走り尽くした。1度2度ならともかく、3度繰り返してはならない。だが、1989年と2008年の2度の行き詰まりを経験していながらも、亡命政府はまた繰り返しに入っていくのを止められないでいる。

 しかし、本土の焼身運動が新しい契機になったのかもしれない。国外のウェブサイトで、維譲(ウラン?元のチベット名は不明、以下漢字表記のまま)を名乗るチベット人が次のように書いた。「同胞の体は無駄に燃えているわけではない。アムド一帯で最近、数千人規模の抵抗の戦いが何度も起きている。これは同胞たちの犠牲の結果だ。(中略)その日はいつか来る。2008年の抵抗の嵐は必ずまたチベットを席巻すると僕は信じている」。だから彼は、焼身をやめるよう求めるチベット人内部の呼びかけを批判し、こう書く。「なんておかしな振る舞いだろう。もし呼びかけが成功すれば、これ以前の同胞は無駄に犠牲になったことになるし、僕たちの戦いもぴたりと止まるだろう」

 維譲が代表する考え方には憂慮させられる。焼身が目標達成の手段とされ、本土のチベット人の焼身は多ければ多いほどいいのだと自然に期待をかけるようになるだろう。ひとまず道徳的な是非は指摘しない(維譲は既に「道徳的な高み」への軽蔑を表明しており、目的のためには手段を選ばないようだ)。だが、たとえ政治的な成否からのみ論じたとしても、焼身は目標達成の助けにはならない。仮に2008年のような抗議運動を起こせたとしても(当局の圧政でとても難しくなっているが)、その後はどうなる?2008年抗議は鎮圧されたのだから、次回は違う結末があるとでも言うのか?

 それでも、目的を全てと捉える政治的な人物は、再び鎮圧が起きるよう心から期待しているのかもしれない。鎮圧は国際的な注目を集め、流れる血が多ければ多いほど、中国政府に譲歩を迫る圧力は大きくなる。しかし、これはまた最初の論証に戻る。焼身はただ別の誘因になるだけで、異なる結果はあり得ない。専制権力は焼身を気にかけないし、流血の鎮圧も恐れない。国際社会はかつて、天安門事件のために中国への態度を変えることはなかったし、現在もチベットのために中国と反目することはあり得ない。現実に起きた全ての出来事は、あらゆる幻想が盲目的でしかないのだと実証している。

 チベット問題は焼身者の増加によって世界の高い関心を集めている。一方、各国政府は中国の機嫌を損ねないようにしつつ、より亡命政府を支持し、チベット問題に注目するといったやり方で良心のバランスを取り、自国民を落ち着かせるだろう。これによるメリットはもちろんチベット本土の外だけにある。何もない状態に比べれば、収穫があるのはましだ。だが、この程度のメリットのために、国外のチベット人が本土の同胞に焼身を続けるよう望むとはとても信じられない。

 チベットは苦境を突破する必要がある。チベットの自由と平和に関する事業を国外のチベット人が引き受けている現状を変え、本土の数百万人が主体となり、ともに自由と和解に関わっていく必要がある。進むべき道を知れば、本土のチベット人は希望に満ちあふれた未来へと生きて突き進み、二度と焼身の烈火に飛び込むことはないだろう。 終


参考:王力雄さんの他の論文:王力雄「チベット独立ロードマップ」http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51762084.html

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2012年12月23日

王力雄「炎の遺言――なぜチベット人は焼身するのか?」 前半

ウーセルさんの夫でもある中国人作家王力雄さんは、最近チベットの焼身に関する長文のコラムを発表された。この中で彼はまず、焼身者たちの真の動機と意図を探るために、焼身者がこれまでに残した遺言を7項目に分類し、これを分析している。もちろん、彼も言うようにこの分類自体は彼独自のものであり、他の分類方法は幾らでもあるであろう。例えば、この中には「チベット人連帯を求める」という項目はないが、もしも、これを上げるなら一番多くなるのではないかと思われる。

何れにせよ、彼はこの7分類により遺言を分析し、その結論として、1.絶望は主な焼身理由ではない。2.焼身者は国際社会に助けを求めていない。3.抗議と要求は言うまでもない。4.チベット民族の精神力を最も示せる要素。5.宗教的な供養としての焼身。6.チベット独立について。7.(具体的目標を伴う)活動として、という7つの視点から焼身者の真の動機と意図への理解を深めようとしている。

後半において、彼は本土の人々はすでに、亡命政府始め外のチベット人たちが今も進めている「国際社会の圧力を利用し、中国政府に譲歩を迫る」というやり方を無効と自覚し、とにかく「自分たちが立ち上がらなければいけないのだ」という決意のもとに、個人ができる最高の抗議形態として焼身を選んだのだという。

最後に彼は亡命政府始め外のチベット人たちは、すでに無効が証明され、時代遅れとなった「国際社会の圧力を利用し、中国政府に譲歩を迫る」というやり方を止め、新しい方向性を示さなければいけないと指摘する。中のチベット人に対しては自分たち「数百万人が主体となり、ともに自由と和解に関わっていく必要がある」とする。そして「進むべき道を知れば、本土のチベット人は希望に満ちあふれた未来へと生きて突き進み、二度と焼身の烈火に飛び込むことはないだろう」と結ぶ。

王さんは焼身という抗議の仕方を心から憂える中国人として、外のチベット人や所謂チベットサポーターたちが言いにくいことをズバリと指摘しておられる。もっとも、この新しい方向性、進むべき道について有効で具体的な案は、思いつくことも容易ではないというのが現実ではなかろうか?

焼身者の遺言については前回のブログ>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51773886.htmlhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51773885.htmlを参照。

原文:12月18日付けウーセル・ブログ「王力雄:燃烧的遗言——藏人因何自焚?」http://woeser.middle-way.net/2012/12/blog-post_18.html
翻訳:@yuntaitaiさん。

長いので、2回に分けて掲載する。

◎炎の遺言――なぜチベット人は焼身するのか?

034_亡命チベット人ジャンペル・イシェは2012年3月26日、胡錦濤のインド訪問に抗議するニューデリーでの集会で焼身し、犠牲になった。















77-32012年11月12日、レゴン(青海省黄南チベット族自治州同仁県)、ドワ郷の遊牧民ニンチャク・ブンは郷政府庁舎の前で焼身し、犠牲になった。焼身を目の当たりにしたチベット人の老若男女は、彼にひざまずいて祈りをささげ、悲しみと敬意を示した。












チベット人の焼身抗議は今、どう対応すればいいのか誰にも分からない難題になっている。

最初の問題は焼身のエスカレートだ。これまでに本土のチベット人97人が焼身している(2012年12月11日現在。このほかにも国外の5人が焼身した)。このうち、2009年の焼身者は1人、2011年は12人、2012年は現時点で84人。今年11月に限っても28人が焼身している。焼身中止を求める呼びかけには全く効果がなく、いつ終わりが来るのか誰にも分かっていない。

次に、二つの困難がある。これだけ多くの者が焼身したため、焼身をどう否定しても犠牲者に対する不当な態度になり、焼身者の家族や友人を傷つけてしまう。逆に、焼身の報道や称賛、供養、慰問、寄付などはかえって焼身を後押ししてしまう。

三つ目の問題は、当局の鎮圧から起きている焼身を、当局が再び犯罪行為とみなし、鎮圧を続けていることだ。このため、人道的な立場から焼身を止めようとする努力は、当局と一体何が違うのか、という混乱に陥ってしまっている。

四つ目の問題は、外部の者が焼身者に同情しながらも焼身行為を理解しないことだ。焼身の効果が見えないため、当初のショックが過ぎ去った後、絶え間ない増加に伴って感覚は麻痺している。

五つ目は、焼身について国際社会と中国のインテリ層が沈黙を守っているとして、チベット人エリートが不満を抱いていることだ。これは焼身運動に理論面での支援が欠けていることと関係がある。一方、チベット人エリートは焼身を抽象的に肯定するばかりで(具体的に理論面の支援をせず)、民衆を十分には導いてはいない。

六つ目は、損得勘定によって各国政府がチベット人焼身問題を避け、あいまいな態度を取っていることだ。経済を至上とする世界では、自己の利益を追求する経済人の思考は別におかしくはない。ほかの民族(例えば、よりひどい境遇のウイグル人)と比べても、チベット人は既に大きな注目を集めてはいるが、冷たくされたような感覚はぬぐえない。

……等々。

この難題を解くか、少なくともどう立ち向かうべきかを理解する。そのためには、広範囲で続く焼身が全体としてどんな望みを伝え、どんな目標を追求しているのかをはっきりさせることが前提になる。これには異なる読み解き方が存在している。ある部分を強調しただけのものも多いし、必要に応じて一部を選んだものもある。現状では焼身者個人の十分な情報はないが、統計を使った分析なら全貌に迫れるのではないかと私は考える。

2009年にタベーが本土で初めて焼身して以降、チベット人作家ウーセルは全ての焼身者をその都度記録し、すぐに情報をまとめ、彼女のブログ「見えないチベット」に掲載してきた。この文章で進める統計と分析には、彼女の記録した情報を用いる。

また、チベット人の焼身をひき起こしている最大の責任は中国政府にあるという点は説明しておく必要がある。これは非常にはっきりしている。紙幅に限りがあるため、この結論は繰り返さない。より建設的な討論を望みたい。

◇焼身者数の時間的分布

2012年に焼身した本土のチベット人の数を月ごとに分けた(下の表)。3月(10人)と11月(28人)に二つのピークがあることが分かる。

3月には、「チベット蜂起記念日」(10日)▽2008年抗議の記念日(14日)▽2008年にンガバ(四川省アバ県)で抗議参加者が銃殺された記念日(16日)▽中国政府の定める「農奴解放記念日」(28日)――がある。3月のピークにはこれらの日付が関連しており、全体的には中国の民族政策への抗議なのだと合理的に判断できる。抗議の意思表明は焼身の主要な動機の一つだと考えるべきだ。

グラフ














「チベット本土 2012年の焼身状況」

◇2012年の本土での焼身状況

焼身の最大のピークは、中国共産党の18大(第18回全国代表大会)が開かれた11月だ。10月の焼身者数は3月と同じ10人。18大は元々10月の開催だと広く伝えられていたから、10月の焼身も18大と関連があるだろう。18大前後に現れた集中的な焼身は、中国の新しい指導者にチベット政策を変えるよう仕向けるためだったと理解できる。変化を促す手段としての焼身。これは焼身を理解するための重要な入り口のはずだ。

◇遺言の分類と分析

焼身者の遺した遺言から、焼身の動機と訴えをより理解できる。私が分析した遺言は全て、焼身者が焼身前に遺したものだ。手書きや録音もあれば、友人に話したものもある。これまでに本土のチベット人焼身者26人の遺言が明らかになっている。このほか、焼身時に叫んだスローガンが多く記録されている。スローガンの内容はほぼ一致しており、大部分は「ダライ・ラマの帰還を」「チベットに自由を」といった内容だ。焼身の瞬間に叫ばれたスローガンと比べると、事前に遺された遺言は多岐にわたっている。このため、遺言について分類、分析してみよう。

私は内容に応じて遺言を7種類に分類した。それぞれの遺言に一つの内容しかないわけではない。ある遺言はいくつもの内容を含んでいる。断っておくと、私は焼身を分析、理解するための手段としてのみ分類したのであって、誰もが自分の理解に応じて分類していい。

遺言の分類(実際の表は原文を参照して頂きたい)

1.苦痛に耐えられない 遺言の数 5 人数 5人 人数の割合 19%

2.勇気を示し、責任や苦痛を引き受ける 遺言の数 8 人数 9人 人数の割合 35%

3.当局への抗議、要求 遺言の数 5 人数 5人 人数の割合 19%

4..国際社会に注目を促す 遺言の数 1 人数 1人 人数の割合 4%

5.ダライ・ラマへの祈り 遺言の数 9 人数 10人 人数の割合 38%

6.チベット独立の主張 遺言の数 5 人数 5人 人数の割合 19%

7.(具体的目標を伴う)活動として 遺言の数 12 人数 14人 人数の割合 54%

注・二人が一緒に遺した遺言もあるため、遺言の数と人数は一致しない。

遺言の分類から次のような見方ができる。

・絶望は主な焼身理由ではない

まず、いったんは流行した「焼身とは、目の前の境遇に耐えられない絶望から出てきた選択だ」という見方についてだ。亡命政府の指導者も以前、そう公言したことがある。この理由はないとは言えないが、全体に占める割合は19%だけだ。7項目の分類の中では比較的低い部類に入る。

・焼身者は国際社会に助けを求めていない

「国際社会にチベットへの関心を高めてもらうために焼身している」という見方も流行した。しかし、ネット作家グドゥップを除けば、そこに触れた遺言はなく、比率は最も小さい。本土のチベット人は、私たちが当然考えるようには国際社会に望みを託していないと分かる。一方、焼身する国外のチベット人(分類には入れていない)のうち、ジャンペル・イシェは世界の支持を求めると2回書いた。もう一人、シェラップ・ツェドルも焼身前、チベット問題に注目するよう国際社会へ呼びかけた。国際社会の支持を求めることは、一貫して国外のチベット人の主な目的だったし、これまでにチベット亡命政府が重点を置いてきた仕事だ。この点に内外チベット人の違いが現れている。

・抗議と要求は言うまでもない

当局への抗議と要求がはっきりと示された遺言は19%。しかし、焼身時に多くの者が「ダライ・ラマの帰還を」「チベットに自由を」「パンチェン・ラマ11世の釈放を」「言語の自由を」などのスローガンを叫んでおり、全て抗議と要求を伝えているものと考えられる。同時に、多くの焼身者について言えば、たとえ遺言やスローガンがなかったとしても、焼身行為自体が抗議と要求を含んでいるのは言うまでもない。

・チベット民族の精神力を最も示せる要素

焼身によって勇気を示し、責任や苦痛を引き受けると述べた遺言は全体の35%を占める。これは外部(当局や国際社会)に向けられたものではなく、身をもって自分の人格の力を見せる一種の英雄主義だ。尊厳を守り、苦痛を分かち合い、勇気を鼓舞し、声援を送ることによって涅槃にたどり着いたかのような自我の昇華だ。典型的な遺言には、「チベット民族の尊厳のために焼身する」(ペンチェン・キ)、「私たちが武力鎮圧を恐れていると彼らは考えているが、それは間違いだ」(プンツォ)などがある。チベット民族が最も尊ぶ精神の力を体現している。

・宗教的な供養としての焼身

焼身をダライ・ラマへの祈りだと述べた遺言(当局への要求と抗議を同時に含む)は38%を占め、2番目の多さとなっている。この中には、チベット内部に勇気や苦痛を分かち合う決意を伝える要素もあり、宗教的な性質を持つ一種の奉献だ。例えば、ソバ・リンポチェは遺言テープで、ダライ・ラマに命と体をささげ、衆生を済度すると述べた。肉体を燃やして供物とし、功利を求めず、功徳だけを求める。宗教を信仰しない者には理解しにくい。こうした宗教精神は多くのチベット人が備えており、焼身の原動力になり得る。 

・チベット独立について

遺言で明確にチベット独立を求めたのは4人。ほかに一人が焼身によって「チベット国を守る」と書いており(タムディン・タル)、計19%を占める。このほか、焼身時に数人がチベット独立のスローガンを叫んだ。2008年以来、独立意識はチベット人の間に広がっている。亡命チベット人作家ジャムヤン・ノルブはダライ・ラマ帰還のスローガンを全てチベット独立要求と同一視しているが(彼のブログを参照 http://www.jamyangnorbu.com/blog/2012/11/05/make-it-a-burning-issue/)、いささか牽強付会の説と思われる。

・(具体的目標を伴う)活動として

14人の焼身者は12の遺言で、(ダライ・ラマの帰還やチベット3大地方の団結など、具体的な目標を伴う)一つの活動として焼身を語っている。これは最も比率の高い(54%)グループだ。抗議や絶望を伝えるだけではなく、18大期間中の焼身のピークと同じように、犠牲が目標を実現させる助けになることを望んでいるのだと分かる。本当に焼身が目標実現の助けになるのか、彼らには全く分かっていない。それでも、テンジン・プンツォが遺言で書いたように、「このまま生きて、むなしく待ち続けることはできない」。心の痛むこの言葉は焼身を理解するカギになるだろう。深く考えてみる価値はある。

後半に続く。

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焼身抗議者21人の遺書、最後の言葉:その1

以下、これまでに発見、発表された焼身者の遺言、遺書、録音されたメッセージ、その他今回は友人や近親者に話した最後の言葉等を含め紹介する。原文等、より詳しい情報は付記URLへ。

1)2009年2月27日にンガバで焼身した僧タペー(1番)が残した言葉。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51719665.html

01

中国当局が今日行われる大事な祈祷会を妨害するなら、私は死をもって抗議するであろう。


2)2011年3月16日にンガバで焼身、死亡したプンツォ(2番)が焼身前に仲間の僧侶に話した言葉。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2011-03.html#20110318

02

耐え難い苦しみを心に感じる。3月16日にはこの世に何かの軌跡を残すつもりだ。


3)2011年12月2日に焼身・死亡したテンジン・プンツォ(15番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51718826.html

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(1) チベットをチベットたらしめている仏教の教えを、その正しい見解とともに保持するカルマ僧院の見者(僧院長)ロトゥ・ラプセル師とナムセ・ソナム師、及び全ての僧侶、尼僧が拘束され、むち打たれている今。カルマ僧 院の子弟に関係する私は苦しみの内に死を選ぶ。チベット人としての誇りを持ち続ける愚生テンジン・プンツォ記す。
兄弟たちよ、心挫けるなかれ、勇気を失うなかれ。

(2) 自他交換の法友たちよ。仏法を保持する見者2人と僧侶、尼僧たちのことを思ってほしい。宗教を否定する独裁政権をどうして信頼できよう。テンジン・プンツォ記す。

(3) カルマ僧院の法友たちよ.戒定慧を備えた見者と僧侶、尼僧のことを思うと生きる意味を失う。みんな立ち上がろう!世の人々は世間の八法に侵され、敵を怖れ逃げ惑う哀れな動物の如し。取るに足らぬ今生にも縁起の法はある。導師ブッダシャカムニに祈りを捧げる。苦しみに凌駕される愚生テンジン・プンツォが記す。

(4) チベット全土と今年のカルマ僧院の受難を思うとき、私はこの世に留まることができない。


5)2012年1月8日に焼身・死亡したトゥルク・ソナム・ワンギェル(ソバ・リンポチェ)(18番)の録音遺言。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51729748.html

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 内外の全てのチベット人同胞600万人へ。チベット人の幸福と、内外に引き裂かれた600万のチベット人が再び相まみえるために、その身を犠牲にした勇者トゥプテン・ンゴドゥップ氏を初めとする内外の勇者・勇女全てに感謝の意を表明する。私はすでに40歳を越えたが、これまで彼らのような勇気を奮い立たせることもなく過ごして来た。もっぱらチベットの伝統的文化と宗教を周りの人々にできるだけ伝える事に努力し続けて来た。

 21世紀に入った現在、今年(チベット暦ではまだ2011年)は命を捧げた勇者・勇女が沢山いた年だった。そこで私は彼らの血肉を象徴するために、己の誉れのためではなく、心から三戒(別解脱戒、菩薩戒、密教戒)と特に密教戒の主戒である己の身と命を投げ打ち(これまでの全ての有情の悪業の)許しを請うのである。全ての有情は父、母でなかったものはいない。計り知れぬ有情が野蛮人のように法に反する力に屈し、不善なる大きな業を為しつつある。心から彼ら(中国)の悪業を浄化したい。また、ノミやシラミに至まで、呼吸する全ての、この天空に満ちる有情全てが、死の苦しみを逃れ阿弥陀如来の下に生まれ、全智至上の完全な仏の位を得るために、己の命を供養物として捧げる次第である。

 そして、至上の人の姿をした仏神であるダライ・ラマ法王を始めとするラマやトゥルク全てが永遠の命を保たれるよう、私の身と命をマンダラと化し捧げる。

<大地に香水を撒き散華し、須弥山、四大陸、太陽と月により荘厳し、これを仏の浄土と見なし捧げ奉るが故に、全ての有情が清浄なる浄土を享受できますように。自他の身口意と三世の功徳の集積と、宝の如しマンダラを普賢菩薩供養と共に、心に生起しラマと三宝に捧げ奉る。慈悲の心でお受け取りになり我に加持を与えたまえ。オーム・イダムグル・ラトナマンダラカム・ニルヤタヤミ>

 この行為は自分1人のためになすのではなく、名誉のためになすのでもない、清浄なる思いにより、今生最大の勇気を持って、(ブッダのように、子トラたちを救うために飢えた)雌トラに身を捧げるようになすのだ。私のようにチベットの勇者・勇女たちもこのような思いで命を投げ出したに違いない。しかし彼らは実行の際、怒りの感情と共に死んだ者もいるかもしれない。そうであれば彼らが解放の道を辿れるかどうかは怪しい。故に、様々な悟りへの道を思い出させてくれる船頭のような導師と、このような供養を捧げる善行の力に依って、将来、彼らを含めた全ての有情が全智至上の仏の位に到ることを祈願しながら行うのだ。また、内外のラマ、トゥルク全ての長寿と就中ダライ・ラマ法王をポタラの玉座にお迎えして、チベットの政教を司ることができますようにと祈願する。

 <雪山に囲まれしこの聖域の、全ての福利の源である、観音菩薩であられるテンジン・ギャンツォよ、濁世が終わるまで存命されますように。その加持の力が天空の如く行き渡らんことを。
間違った思いにより祖国に対し、危害を及ぼす黒い形を持つもの、持たないもの、思いと行動が邪悪な侵入者が、三宝の真理の力により根こそぎにされますように>

[かくの如し善なる…の二偈と、祈願の王と呼ばれる…等の一偈と、これと三世…等の一偈。タドヤタ、パンチャタライヤ(三宝)に三度礼拝する]

 ここで、金剛同士たち、各地におられる信者たちに願う。みんな一致団結し手を取り合い、チベット人たちが将来輝きに満ちた一つの国家を取り戻すために奮闘せよ。これが命を捧げた勇者・勇女たちの願いだ。故に、土地や水等のことで争ったりせず、思いを一つにすべきだ。若者たちはチベットの文化を尊重し学び、年輩の者たちは自らの身口意を善なるものとし、チベット人の慣習と気質、言語等が衰退しないようにチベット人としてのアイデンティティーを保持し続けねばならない。同時に、チベット人の幸福と、全ての有情が解放と全智の位を得るために清浄なる仏法を行ずることが重要である。タシデレ(吉祥なる幸運を)。

 そして、家族、同郷の人たち、友人たち、特に**[1人の名前を言うが聞き取れず]等みんなに伝えておく。私には隠してある財産など何もない。あるものはすべて以前より三宝に捧げ切っている。死後、大金が見つかったとか、ああだった、こうだったとか財産のことで噂する必要はない。兄弟姉妹、親戚、友人、各地の檀家たちもこのことを心得ておいてほしい。

 他、私が担保した財産や物品等は檀家たちが、地域の人たちやラマ、トゥルクたちによろしく分け与えてほしい。

 それでは、自他の三世に渡り積んだ功徳の全てを母なる全ての有情、特に地獄等で苦しみを味わいつつあるものたちが解放を得られますようにと、以下の如く祈願する。
[祈願の王...など一偈。今生と三世の…など一偈を唱える]

 最後に、内外の法友男女すべてに言いたい。悲しまないでほしい。ラマである善友に対し一心に祈るのだ。菩提を得るまで一瞬たりと離れることはない。老人たち、全ての人々よ、楽な時も苦しい時も、良い時も悪い時も、喜しい時も悲しい時も、如何なる時にも三宝以外に望みを託す対象はない。これを忘れないように。タシデレ。


5)2012年2月19日にンガバ州ザムタン県で焼身したナンドル18歳(25番)の遺書。
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ナンドルの遺書

不屈の愛国心と勇気と共に、額を高く上げ
私、ナンドルは、恩深き両親、兄弟、親戚を思う
恩あるチベットの人々の大義のために、炎に我が命を投げ入れることで
願わくば、チベットの男たち女たちよ、団結と調和を守らんことを

チベット人ならば、チベットの服を着よ
そして、チベット語を話せ
チベット人であることを決して忘れるな
チベット人であるならば、愛と慈悲を持て
両親を敬い、チベット人同士で団結し、調和を保て
動物に対し慈悲深くあれ
有情の命を奪うことを慎め

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように

チベットのラマやトゥルクが何万年も生きられますように

チベットの人々が中国の邪悪な支配から解放されますように
中国の邪悪な支配の下には大きな苦しみがあるのみ

この苦しみは大きく堪え難い
邪悪な中国がチベットを侵略した
この邪悪な支配の下で暮らすことは不可能だ
邪悪な中国は愛と慈悲を持たない
堪え難き暴力と苦しみを与えるのみ
そして、最後にはチベットを抹殺しようとしている

ダライ・ラマ法王が何万年も生きられますように


7)2012年3月3日にマチュで焼身、死亡した19歳の中学生ツェリン・キ(26番)は焼身の前に家族の1人と焼身について話をした。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51738076.html

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どうして彼らが焼身するのかが理解できる、誰もこのような状態で生きたくはないだろう。


7)2012年3月26日、にニューデリーで焼身・死亡したジャンペル・イシェ(34番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51737131.html

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Jamphel Yeshi

(1)世界の平和の導師、ダライ・ラマ法王が千年万年の長寿を全うされますように。(法王を)チベット本土にお迎えすべきだ。骨肉と顔を同じくする同胞たちが集い、ポタラ宮殿の前でチベットの国歌を雷鳴の如く歌うことを願う。その日が必ず来ることを確信する。

(2)同胞たちよ、将来の幸と繁栄を望むなら忠愛が必要だ。忠愛は民族の心の命だ。真理を求める勇気だ。将来の幸を導くものだ。同胞たちよ、世界の人々の平和平等を望むなら、忠愛という言葉を大事にすべきだ。義務に励むべきだ。忠愛とは真偽を区別する知恵だ。

(3)自由は全ての有情の幸せと喜びの基だ。自由がなければ、それは風にさらされる灯明の如し。600万チベット人同胞の如し。3地域(ウツァン、カム、アムド)の同胞が一団となれば結果を得ることができよう。勇気を失うな。

(4)私が今、話していることは600万チベット人の生存に関わることだ。民族の生死が掛かる今:財産を持つ者はそれを使う時。(知識等の)徳も持つ者はそれを発揮すべき緊急の時。命のある者はそれを投げ出すべき時と、私は思う。21世紀の今、宝の如し人の身を灯明と化すのは、チベット人600万の苦しみは人権・平等がないことだと世界の人々に知らせるためである。慈悲の心あるなら、慎ましいチベット人たちに注目してほしい。

(5)我々にも先祖代々伝えられて来た仏法を守り、論理の書やチベット語を学ぶ自由が必要だ。世界の人々は平等であるべきだ。世界の人々よ、我々の後ろで立ち上がってほしい。チベットはチベット人のもの。プギェロー!(チベットに勝利を!)

2012年3月16日、タウのジャンペル・イシェが記す。



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焼身抗議者21人の遺書、最後の言葉 :その2

8)2012年4月19日、ンガバ州ザムタン県で焼身したチュパック・キャプ(39番)とソナム(40番)が連署で残した遺書。
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チュパック・キャプとソナムの最後の願い

チベット人は独自の宗教と文化を持ち、他の民族と区別される。その特徴は、愛と慈悲を持ち、他の人々の幸せのために尽くせという教えにある。しかし、今、チベットの人々は中国の侵略を受け、弾圧されている。基本的人権を奪われ、苦しみの中にある。

そして、チベットが自由を取り戻すため、世界平和のために、私たちは焼身する。自由を奪われたチベット人たちの苦しみは、私たちの焼身の苦しみよりも余程大きい。

恩ある両親よ、家族、兄弟たちよ、私たちはあなた方に愛を感じてないとか、別れたいというのではない。また、自分たちの命を軽んじているのでもない。私たちは2人とも正気で、真っ当な心と思考の下に、チベットが自由を取り戻すために、仏教が栄えること、有情の幸福と、世界平和を願い焼身するのだ。

故にどうか、私たちの最後の願いに従ってほしい。私たちが中国の手に落ちても、何もしないこと。自分たちのために1人のチベット人も傷つかないというのが願いだ。

私たちのことで悲しくなった時には、学のある僧院長やトゥルクたちの助言に従うように。そうすることで、自分たちの正しい文化と伝統を学び、保存することができるであろう。同胞への忠誠心と愛情を守り、自分たちの文化を守り、団結を維持せよ。そうすれば、いつの日にか私たちの望みは叶えられよう。どうか、私たちの最後の心からの願いが叶えられますように。


9)2012年5月30日、ンガバ州ザムタン県バルマ郷で焼身、死亡したリキョ36歳、(43番)の遺書。3ヶ月後に亡命側にやっと伝えられた。彼女は3人の子供を残した。

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世界に平和と幸福がもたらされますように
ダライ・ラマ法王がチベットにお戻りになることができるよう
屠殺や肉を売ることを慎もう
盗みをなさず チベット語を話し 争いを止めよう

生きとし生けるものすべての苦しみを私は引き受ける
私が生きて中国の手に落ちても争わないでほしい
団結し チベットの文化を学んでほしい
火に我が身を焼く
家族よ苦しまないでほしい


10)2012年6月15日にツェンツァで焼身、死亡したタムディン・タル(44番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51749875.html

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ラマ、守護尊、三宝に帰依いたす。
世界に平和が実現されることと、ダライ・ラマ法王がチベットにご帰還されることを願い、チベットの国家が自らの領土を治めるために、私は自らの身を灯明と化し捧げる。


11)2012年6月20日、ザムタンで焼身したテンジン・ケドゥップ(45番)死亡とガワン・ノルペル(46番)入院中?が連署で残した遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51750577.html

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 我々2人は、これまでチベットの宗教や文化に対し少しも貢献できなかった。また経済的にもチベット人を豊かにする仕事ができなかった。だから、今回自分たちができることとして、チベット民族と特にダライ・ラマ法王が千年万年と生きられること、またダライ・ラマ法王がチベットにご帰還されることを願い、我らの身を捧げる。我々のようなチベットの若者にお願いする。チベット人同士で喧嘩しないと誓ってほしい。みんな連帯し一団となりチベット人としての誇りを守ってほしい。また、そうできると確信する。


12)2012年10月4日、チベット自治区ナクチュで焼身、その場で死亡した、ディル出身の作家グドゥップ(58番)が残した5通の遺書。

原文は>http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=6710
一通目の日付が3月14日になっている。これは早くも3月に焼身を決心し、これを書き、実際に焼身した10月にネット上に発表したものと思われる。

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命により打ち鳴らされし国家(チベット)の太鼓の音

苦楽と業を共にする雪山の人々(チベット人)の目標は、完全な独立を達成し、ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすることである。しかし、ダライ・ラマ法王は非暴力による中道路線を提唱され、名実ともなる自治獲得に努力されている。そして、600万チベット人はこの法王のお言葉を頭上に掲げ、長期にわたり希望を共にして来た。

しかし、中国政府はこの提案に興味を示し賛同するどころか、チベット人の福祉を語るだけでもその者を逮捕し、非常な拷問を与え、ダライ・ラマ法王を非難せず、チベットが中国の一部であると認めない者を暗殺したり、失踪させたりする。チベット人の幸福にはまったく興味を保たず、真の現状を隠し続ける。

我々は非暴力の闘いをさらに研ぎすまし、チベットの真の現状を知らしめ、証拠を示すために、自らの身を火に捧げ、チベット独立を叫ぶ。虚空に有られる神々よチベットを照覧あれ、母なる大地よ悲愛とともにチベットを見守られよ。地上にある世界の全てよ真実に注目されよ。

清らかであった雪の国は赤い血に染まり、非情な軍隊により覆われ、絶え間ない弾圧の下にある。しかし、勇敢にして挫ける事のない雪の子供たちは、智慧の弓を引き、命の矢を放ち、真実の闘いに勝利するであろう。

最後に、雪山の同胞たちよ、平等と自由の権利を享受するために、チベット全体の目的を主とし、個人的な利害を捨て、団結を強めて頂きたい。これが私の願いだ。ディルの人グドゥップより。2012年3月14日。

雪の国チベットの兄弟姉妹よ、過去を振り返れば、喪失、怒り、悲しみ、涙のみで喜びを見いだすことができない。来る水龍の年(来年)には皆さんに健康と成功がもたらされることを重ね重ね祈る。

民族の誇りを保ち、喪失や苦しみに直面しても、決して勇気を失わず、団結を強めて頂きたいと強く願う。ディルのグドゥップより。

世の人々は富と権力、親愛と名声を得ることが幸せの基と思い、このために争い、利己的目的のみを追いかける。これら全てを遠く捨て去り、遥かなる目的のために進むも、何も獲得できず、蒼穹空々、大地漠々、光射さぬ闇と深淵に吹き荒ぶ強風に曝され、我が心の底に燃え続ける希望という炎により我が身は灰と化すか。しかし、火、水、風や荒々しい武器により我が身が粉々になろうとも、後悔せず、悲しみの叫びを決して上げないということが私の誓いである。

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1. 最後の祈り:チベットには完全な独立が必要だ。中国人はチベットから出るべきだ。ダライ・ラマ法王をチベットにお招きすべきだ。内外のチベット人が再会できる時まで、中国政府がいくら弾圧しようとも、我々は抗議を続ける。

2. 民族のために真実を訴える。自由のために我が身を捧げる。

友人に贈る手紙

今日まで、貴殿が示して下さった愛情に支えられ、私が心身ともに健康で過ごせたことに対し、感謝の意を伝えたい。今後、私の行動について、ある者は毒の泡を撒き、またある者は賞賛の太鼓を打つかも知れない。悲しみの涙を流す者もいれば、讃える歌を歌う者もいるかも知れない。何れにせよ、私の目的の是非に関し、心開けた知識人たちが考察することを望む。    友人プンツォク氏へ グドゥプより


13)2012年10月22日、サンチュで焼身、死亡したドゥンドゥップ61歳(62番)が普段からラプラン僧院の僧侶や若いチベット人に対し話ていた言葉。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766480.html

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焼身はしないように。生きてチベットの将来のために貢献すべきだ。自分たちの世代は1958年と1959年の生き残りだ。だから我々の世代が焼身すればいいのだ。


14)2012年11月8日、レゴン県ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身、死亡したケルサン・ジンバ、18歳(74番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html?p=3#20121108

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民族は平等であるべきだ
チベットには自由が必要だ
チベット語が広く使われるべきだ
ダライ・ラマ法王はチベットにお戻りになるべきだ
私はチベットの自由獲得のために焼身を行う


15)2012年11月12日、レゴン県ドワ郷ドロンウォ遊牧民地帯ケマル草原で焼身、死亡したニンカル・タシ、24歳(76番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html?p=3#20121112

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ダライ・ラマとパンチェン・ラマ、このお二人を頂く、
600万のチベット人には自由が必要だ。チベットには独立が必要だ。
チベット語を学ぶ自由が必要だ。母語を知る自由が必要だ。

パンチェン・ラマは解放されるべきだ。
ギャワ・テンジン・ギャンツォ(ダライ・ラマ)がチベットにお帰りになることが許されるべきだ。

私は自らの身に火を放ち中国政府に抗議する。

父タシ・ナムギェルはじめ家族のみんなよ、
心配したり苦しんだりする必要はない。
善なる仏法に帰依し、福徳の道を歩まれることを。

私の希望は、600万のチベット人がチベット語を学び、母語を知り、
チベットの伝統的衣装を纏い、仲良く、団結することである。

ニンカル・タシより


16)2012年11月15日、レゴン県ツェンモ郷ゴゲ村のお堂の前で焼身、死亡した23歳の女性ティンジン・ドルマ(78番)が焼身の前に父に語った言葉。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769511.html

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お父さん、チベット人として生きることは大変ね。ダライ・ラマ法王の写真に向かって祈ることもできない。全く自由がないわね。


17)2012年11月17日、ツェコ県ドカルモ郷で焼身、死亡したサンダク・ツェリン、24歳(81番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769823.html

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赤い頬したチベット人 
雪獅子の末裔
勇気ある雪山の人々よ
チベットへの忠誠心を忘れるでない


18)2012年11月25日、ツェコ県ドカルモ郷で焼身、死亡した17歳の尼僧サンゲ・ドルマ(87番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html#20121128

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お戻りになられた

チベット人たちよ 見上げよ
黄昏の蒼い空を 見上げよ
白い雪山の天上の天幕のような
私のラマがお戻りになられた

チベット人たちよ 見上げよ
雪山の頂を 見上げよ
白い雪獅子がお戻りになった
私の雪獅子がお戻りになった

チベット人たちよ 見上げよ
上方の広大な森林を 見上げよ
美しいトルコ石の色した草原を見よ
私の雌虎がお戻りになった

チベット人たちよ 見上げよ
上方の雪山に囲まれた国を見よ
雪山の国の時代がはじまった
チベットは自由で独立している

ギャワ・テンジン・ギャンツォ(ダライ・ラマ法王)
遠い国にいらっしゃる間は
世界中を巡られて
苦しみの底にある赤い頬したチベット人を
暗闇から救う祈りを続けられる

パンチェン・ラマは獄に繋がれ
獄の中から外をご覧になり
我が雪山の国に
喜びの太陽が昇るを祈られる

雪山の国の苦楽のために

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また、別の便箋に。
雪山の子である愛すべきチベットの男女よ
自分たちが勇敢なチベット人であることを忘れるでない
サンゲ・ドルマより


19)2012年11月27日、ンガバ州ゾゲ県キャンツァ郷で焼身、死亡したケルサン・キャプ、24歳(91番)の遺書。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770946.html

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この世の恩深き父母はじめ兄弟姉妹のみなさん、幸せでありますように
私は雪国チベットに幸せが実現されるために、命を火に投げ出す
ダライ・ラマ法王に長寿を
雪国チベットに幸せの太陽が昇ることが私の願いだ


20)2012年12月3日、ゴロ州ペマで焼身、死亡した僧ロプサン・ゲンドゥン(97番)が焼身の直前に電話で友人に話した言葉。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771640.html

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最後の言葉をノートしておこうと思った。でも、俺は字が下手だから止めた。その代わりにお前に電話する。俺の願いは3つの地区(ウ・ツァン、カム、アムド)のチベット人が全て一致団結し、仲間同士で争わないということだ。そのようにすることができれば、我々の願いは叶えられるであろう。


21)2012年12月9日、ツェコ県ドカルモ郷で焼身、死亡した17歳の女子中学生ペンチェン・キ(100番)が焼身の前に友人に語った言葉。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772349.html
私はチベットのために焼身する。郷の中心に行って役場の前で焼身すれば遺体は当局に奪われ、両親の下に帰れないであろう。だから、私はこの遊牧地で焼身する。


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2012年12月22日

焼身者リスト 2013年2月18日更新 09年以降内外合わせ108人

顔写真
























内地焼身者96人の顔写真。内地97人目のパンチェン・キの写真はない。


Map_TsampaRevolution_20121209_EN_XXL内地焼身抗議・主な抗議活動発生地地図
(12月10日付け。Tsampa Revolution 制作、名簿は2009年以前インドで焼身した2人を含む)





























内外合わせ100人(12月22日現在)の焼身者氏名、その他焼身状況概略
それぞれの焼身者の写真等、より詳しい情報は付記されたURLにアクセスすることにより、当ブログの各過去ブログで確認できる。第一報を中心に主な記事のみ表示。番号は発生順。

2009年2月27日のタペーから2012年9月末までの焼身者については>>>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757842.html

2012年10月以降:

59)グドゥップ:チベット自治区ナクチュ、ディル県出身、作家、43歳、死亡。
2012年10月4日、チベット自治区ナクチュの街中で焼身。その場で死亡。2通の遺書を残す。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764224.html

60)サンゲ・ギャンツォ:俗人、27歳、2児の父、死亡。
2012年10月6日、アムド、ツォエ(甘粛省甘南チベット族自治州合作)ドカル僧院の仏塔傍で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764472.html

61)タムディン・ドルジェ:50歳半ば、死亡。妻と3人の子供を残す。高僧7世グンタン・リンポチェの祖父。
2012年10月13日、アムド、ツォエ(ツゥ)僧院仏塔前で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51765338.html

62)ラモ・キャプ:27歳、2児の父、死亡。
2012年10月20日、アムド、サンチュ県ボラ郷ボラ僧院近くの路上で焼身。その場で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766223.html

63)ドゥンドゥップ:61歳、妻と養子の息子が1人、死亡。
2012年10月22日、アムド、サンチュ県ラプラン・タシキル僧院の右繞道上で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766480.html

64)ドルジェ・リンチェン:57歳、妻と2人の子供を残す、死亡。副村長。
2012年10月23日、アムド、サンチュ県サンチュ市内、警察署近くの路上で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766632.html

65)ツェポ:20歳、死亡。
2012年10月25日、従兄弟である(65)のテンジンと共に、チベット自治区ナクチュ地区ディル県で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767144.html

66)テンジン:25歳、生死不明。
2012年10月25日、上記の従兄弟ツェポと共に焼身。ダラムサラのソガ・スクールで学んだ事がある。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767144.html

67)ラモ・ツェテン:24歳、妻と幼い娘を残す。死亡。
2012年10月26日、アムド、サンチュ県アチョク郷にある軍施設と裁判所の前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767018.html

68)トゥプワン・キャプ:23歳、若い妻を残す。死亡。
2012年10月26日、アムド、サンチュ県サンコク郷のバス停近くで焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767074.html

69)ドルジェ・ルンドゥプ:25歳、タンカ(チベット式仏画)絵師、妻の幼い子供2人を残す。死亡。
2012年11月4日、アムド、レゴン県ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html#20121104
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html#20121105

70)タムディン・ツォ:23歳、女性、遊牧民、夫と幼い息子1人を残す。死亡。
2012年11月7日、アムド、レゴン県ドワ郷ドロンウォ村のケマル草原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html#20121107

71)ドルジェ:15歳(焼身者中最年少)、ンゴシュル僧院僧侶、死亡。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で以下71のサムドゥプ、72のドルジェ・キャプと共に焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

72)サムドゥプ:16歳、ンゴシュル僧院僧侶、生死不明。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で70のドルジェ、72のドルジェ・キャプと共に焼身。部隊により病院に運ばれたというが、その後消息が途絶えたまま。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

73)ドルジェ・キャプ:16歳、ンゴシュル僧院僧侶、生死不明。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で70のドルジェ、71のサムドゥプと共に焼身。部隊により病院に運ばれたというが、その後消息が途絶えたまま。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

74)ツェギェ:27歳、11月18日にナクチュの刑務所内で死亡。
2012年11月7日、チベット自治区ナクチュ地区ディル県ペンカル郷の政府庁舎前で焼身抗議。警官にナクチュに連行され、刑務所内に治療も受けず、その上拷問も受け18日に死亡と。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770986.html

75)ケルサン・ジンパ:18歳、死亡。
2012年11月8日、アムド、レゴン県ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身、その場で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768661.html

76)ゴンポ・ツェリン:18歳、死亡。
2012年11月10日、アムド、ツゥ(ツォエ)県ルシュ郷にあるルシュ僧院内で焼身、数時間後に死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768943.html

77)ニンカル・タシ:24歳、遊牧民、死亡。
2012年11月12日、アムド、レゴン県ドワ郷の草原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769134.html

78)ニンチャク・ジャム:20歳、死亡。
2012年11月12日、アムド、レゴン県ドワ郷の街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769203.html

79)ティンジン・ドルマ:23歳、女性、農業、死亡。
2012年11月15日、アムド、レゴン県ツェンモ郷ゴゲ村のお堂の前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769511.html

80)カンブム・ギェル:18歳、死亡。
2012年11月15日、アムド、レゴン県ギェルポ・ルチュ草原からロンウォ鎮に向かう途中にあるコンセンド(ཁོང་གསེང་མདོ་穴の開いた岩)と呼ばれる場所で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769511.html

81)チャクモ・キ:27歳、女性、タクシー運転手、死亡。
2012年11月17日、アムド、レゴン県ロンウォ鎮の税務署前で焼身。「民族平等」「習近平はダライ・ラマ法王と会うべきだ」等と書かれた短い遺書を残す。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769721.html

82)サンダク・ツェリン:24歳、死亡。
2012年11月17日、アムド、レゴン地区ツェコク県ドカルモ郷の政府庁舎前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769823.html

83)ワンチェン・ノルブ:25歳、死亡。
2012年11月19日、アムド、ツォシャル(海東地区)ヤズィ県カンツァ・チベット族郷カンツァ僧院の傍で焼身。先代パンチェン・ラマの故郷。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770050.html

84)ツェリン・ドゥンドゥップ:34歳、死亡。
2012年11月20日、アムド、サンチュ県アムチョク郷ギャガル草原にあるゴン・ンゴン・ラリ金鉱山開発場の入り口付近で焼身。鉱山開発に対する抗議か?
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770091.html

85)ルンブム・ギェル:18歳、死亡。
2012年11月22日、アムド、レゴン県ドワ郷の路上で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770394.html

86)タムディン・キャプ:23歳、元僧侶、現在遊牧民、死亡。
2012年11月22日、アムド、ルチュ県ルチュ川の河原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770444.html

87)タムディン・ドルジェ:29歳、死亡。
2012年11月23日、アムド、ツェコ県ドカルモ郷の政府庁舎前で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770518.html

88)サンゲ・ドルマ:17歳、尼僧、死亡。
2012年11月25日、アムド、ツェコ県ドカルモ郷パルコル村で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771010.html

89)ワンギェル:20歳、元僧侶、中学校生徒、死亡。
2012年11月26日、カム、カンゼ州セルタ県セルタの金馬広場で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770800.html

90)クンチョク・ツェリン:18歳、死亡。
2012年11月26日、アムド、サンチュ県アムチョク郷ギャガル草原にある金鉱山開発地の入り口辺りで焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770816.html

91)ゴンポ・ツェリン:24歳、3児の父、死亡。
2012年11月26日、アムド、ルチュ県アラ郷にあるアラ・デウゴ僧院の本堂前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770883.html

92)ケルサン・キャプ:24歳、死亡。
2012年11月27日、アムド、ンガバ州ゾゲ県キャンツァ郷の役場の前で焼身。短い遺書を残している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770946.html

93)サンゲ・タシ:18歳、死亡。
2012年11月27日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県サンコク郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771006.html

94)ワンデ・カル:21歳、死亡。
2012年11月28日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州ツゥ市の街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771147.html

95)ツェリン・ナムギェル:31歳、2児の父、死亡。
2012年11月29日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州ルチュ県サムツァ郷の役場前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771156.html

96)クンチョク・キャプ:29歳、2児の父、死亡。
2012年11月30日、アムド、ンガバ州ゾゲ県シャクドム郷で焼身。部隊に運びされバルカムの病院に運ばれたが、次の日に死亡。遺灰のみが家族に渡された。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771297.html

97)スンドゥ・キャプ:17歳、1児の父、生死不明。
2012年12月2日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県ボラ郷ボラ僧院近くで焼身。部隊によりツゥの病院に運ばれた。両足切断の手術を受けたが回復中。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771516.html

98)ロプサン・ゲンドゥン:29歳、僧侶、死亡。
2012年12月3日、アムド、ゴロ州ペマ県ペマの街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771640.html

99)クンチョク・ペルギェ:24歳、僧侶、死亡。
2012年12月8日、アムド、ンガバ州ゾゲ県にあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院集会堂前で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772202.html

100)ペマ・ドルジェ:23歳、死亡。
2012年12月8日、アムド、甘南チベット族自治州ルチュ県シツァン僧院本堂前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772211.html

101)ペンチェン・キ:17歳、中学校生徒、死亡。
2012年12月9日、アムド、青海省黄南チベット族自治州ツェコ県ドカルモ郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772349.html

102)


2012年12月22日現在、2009年以降、内外合わせた焼身者100名の内83人の死亡が確認されている。内女性14名。
(亡命政府発表98人、死亡81人)

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2012年12月21日

焼身を計画していたとされる1人と、これを教唆したとされる1人が逮捕されたと

1912b-300x232政府系新聞《西宁晚报》は18日付けで、青海省黄南チベット族自治州レゴン(同仁)県ロンウォ鎮のホテルで焼身を計画していたチベット人1人と焼身を教唆したチベット人1人を逮捕したと発表した。

逮捕されたのは11月19日で、ホテルからガソリンのポリタンとコットンが発見されたとする。2人の名前は発表されていない。

教唆したとされるチベット人は2005年6月にインドへ亡命し、2011年9月に帰ってきたという。インドにいる間にダライ一味が運営する学校(おそらくソガスクール)に在籍し、亡命側の独立組織であるTYC(チベット青年会議)の活動に関わっていたとされる。

また、彼は焼身を図ろうとする何人かのチベット人に「焼身は英雄的行為」と唆し、焼身者の葬儀に4回出席し、その場でも「焼身者は民族的英雄」と扇動的言動を行ったとされる。

12月9日には新華社がンガバで僧侶と遊牧民を、同じく焼身教唆の罪で逮捕したと報じている。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772654.html 彼らの場合も亡命側のダライ一味と連絡し合っていたとされる。

今回の場合も逮捕と発表の間に相当な時間差があり、中国政府が主張する「焼身はダライ一味が煽動したものだ」を裏付けるために、作り上げられた供述であろうと普通の人は思うことであろう。仮に内の1人が焼身を本当に行おうとしていたり、もう1人がインドに亡命し学校に通い、TYCのデモとかに参加していたとしても、本当はそれ自体、人に危害を加えるわけではなく、そのような状況に追い込んだ当局の方が責められることはあっても、本人たちに何らかの罪が帰せられるというのはとてもおかしい話なのである。

焼身を図り拘束されたという話は、8月17日にもあった。ドルジェ・ラプテンという57歳の男性がツェンツァのホテルで焼身を準備していたところを当局に察知され、拘束された。彼はその後西寧のホテルで当局により暗殺されたと言われている。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764871.html

甘粛省甘南チベット族自治州当局は最近焼身に関する公示を発表した。それは、焼身に関係した者を密告すれば千元から20万元の報賞金を与えるというものだ。この場合の焼身に関係した者とは、焼身を計画している者、焼身を煽動・教唆した者、焼身者を匿った者、焼身者の葬儀に参加し祈りを捧げた者、焼身者の遺族に支援金(香典?)を与えた者等が含まれる。これらは全て犯罪行為とされるのだ。

前にも言ったと思うが、世界中どこでも殺人者であろうとその本人が死亡したときには家族が葬儀を行うことが認められている。葬儀自体が犯罪になるという話は聞いたことがない。まして、それに参加したり香典を持って行ったからと言って逮捕されるという国は中国だけじゃないか?もっとも、このような話はチベット以外の中国では聞いたことがないわけだが。

当局は密告と報奨金により、チベット人の団結を破壊しようと思っているのかも知れないが、これも逆効果としか思えない。

焼身の根本原因を考慮することなく、単に弾圧を強化することは、短期的に効果を上げることはあるかもしれないが、長期的には問題を大きくするばかりであることは確かである。

参照:19日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=20011
20日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32700&article=China+arrests+two+Tibetans+on+self-immolation+charges%2c+Allege+links+with+exile+youth+group

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2012年12月20日

証言:吊り下げられ殴られ、小便を飲むしかないチベット人政治犯

09_Chushur_smラサの南西にあるチュシュル刑務所。2005年新設。

最近、ラサ・チュシュル刑務所(ཆུ་ཤུལ་བཙོན་ཁང་)を出所した1人のチベット人がRFAに対し、刑務所での政治犯の状況を証言した。彼によれば、チュシュル刑務所には現在約200人のチベット人政治犯が収監されており、全員が飲み食いを含めた拷問の苦しみに喘いでいるという。

2009年始めに収監され、最近解放されたという彼の話によれば、「チュシュル刑務所ではチベット人政治犯に対し、手足を縛り吊り下げて暴力を加える等の拷問が日常的に行われている」という。また「食事は定期的に与えられず、砂が混じっている。飲み水が長い間与えられないことも多く、囚人の中には喉の乾きに耐えきれず、自分の小便を飲む者も多い」という。

_DSC8038長時間逆さ吊りにされる政治犯(9−10−3出版物より)

「度重なる拷問により、政治犯の90%は目に何らかの障害を負っている。拷問は常に傷が残らないような方法で行なわれる」という。

「刑期が決まった後でも尋問が毎日のように行われ、背後で糸を引いてるものは誰かと質問される。また『ダライ・ラマを信じても何も利益はない、利益を与えてくれるのは共産党だ』と言うことを強要される。チベット人には人権は全く無い。宗教の自由もない」と話す。

彼はまた、現在チュシュル刑務所に囚われている他のチベット人政治犯20人以上の名前を知らせ、彼らの状況を詳しく伝えた。

参照:17日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/prisonintibet-12172012144952.html
19日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/pilitical-prisoner-in-tibet-12192012144942.html
18日VOT放送分http://www.vot.org/?page_id=24

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2012年12月19日

ボラ:焼身の翌日5人の僧侶を連行

556336_350482465049820_1109173555_n今月2日、アムド、サンチュ県ボラ郷にあるボラ僧院の近くで17歳の少年スンドゥ・キャプが焼身抗議を行った。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771516.html 彼は部隊に連れ去られ、ツゥ市の病院に収容されたというが、その後の消息は途絶え、生死不明のままである。

翌日3日には警官と役人がボラ僧院に押し掛け、僧侶5人を連行した。彼らは今も行方不明のままという。連行されたのは以下の5名:ゲンドゥン・ギャンツォ(47)、ロプサン・パクパ(34)、ジャミヤン・スパ(25)、ジャミヤン・ロトゥ(20)、ジャミヤン・ギャンツォ(20)。

この内、ロプサン・パクパはンガバ・キルティ僧院の僧侶であったが、2010年以降ンガバ・キルティ僧院で勉強するンガバ意外の僧侶は追い出されることになり、地元に帰っていた。また、彼は2005年にインドに亡命しようとしたが、ネパールとの国境であるナンパラ峠の前で発見、逮捕され最初シガツェの刑務所、続いてサンチュの刑務所に数ヶ月監禁されたのち罰金5千元を払い釈放されたという。

情報を伝えたチベット人によれば、ボラ郷では10月20日にラモ・キャプが焼身、死亡したhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766223.html後、警察、特殊警察、軍が駐留し僧院と村は厳戒態勢下におかれているという。また、周辺各地の役人が集められ、僧院と村で政治教育集会が開かれており、この2ヶ月間電話は切断され、連絡が非常に困難となっているとも話す。

参照:18日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7086その他。

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2012年12月18日

井早智代さんの絵 その2

現在ダラムサラに滞在され、焼身者に捧げる絵を中心に描かれている井早さんのことは前回紹介した。今回は第2回として、大作を3枚とその他最近の絵を2枚紹介する。

最初の3枚はダラムサラに来られる前にオリッサなどインドの他の地に滞在されている時、チベット人焼身のニュースを聞き、描かれたものという。

絵には説明が付けられていなかったが、今回、このブログのために説明を付けて頂いた。(絵をクリックすればさらに大きくして見ることができる)

ihaya 1

74cmX120cm

Wishing Tree - 2012年2月、オリッサ州のひなびた海辺の町、プリーで制作していたとき、インターネットで焼身自殺のニュースをみるたびに体に熱さを感じるほど胸が痛み、そのとき浮かんできたのが望みを託しているように手を天にのばしている赤と白の姿でした。赤は火、白は浄化。灼熱の痛みがなくなるようにと願いながら描きました。何も助けられず、どうしようもなく、描き始めました。

木は、プリーの近くの 漁村の村で見た大きな古い木で、それは女の人たちの願いを叶える木と教えられました。実際のその古い木には赤い腕輪、リボン、網が枝に何十も巻き付けられていて、説明を聞く前にそれが女の人たちの木であることを感じました。

高天原で火の赤に身を捧げた人、願いをかなえる赤色の木。チベットにこのような木はないかもしれないが、その木が望みの象徴として出て来たのではないでしょうか。

ihaya 2

74cmX120cm

4 rivers and 6 mountainsー この作品もオリッサからはじまりました。4つの川6つの山脈というのはカンパゲリラ組織の名前ですが、元々はチベットのカム地方を表すのだと聞きました。たくさんある壷は人間の命、心の象徴として描きました。焼身自殺のことを聞くたび、白色の人影が増えていきました。描きながら広大な大地、源の河、遥かなる山脈のなかで生きる人たち、生と死のサイクル、苦しみのことを想いました。

ihaya3

97cmX195cm

Crossing - 真ん中にある火は、悪を焼き尽くすbon fireであり、バラナシでみた火葬の火であり、我が身を焼いてプロテストした人々の火でもあります。この風景はラダックでよく見る風景で、初めて行った時から、無限を感じ圧倒されました。乾いた土の大地に点々と土煉瓦でできた死んだ人を火葬する’箱’がつくられていて、水があるところには緑があり人が生きている。生と死のコントラストがはっきりしていて、さらけ出されている。

この風景を描きながら行ったことのない地続きのチベット、そこで自由を求めて死ぬ人たち、苦しみながら生きる人たち、単身ラダック側からチベット入りして逮捕された友人、母国に再び戻ることなくインドで亡くなった友人のおじいちゃんおばあちゃんの姿が浮かんできました。

281365_10151402987020337_324337356_n12月16日制作。

「この絵を、平和と自由と他の人々の幸せのために自らの命を犠牲にした人々へ、不正な暴力により殺された人々へ、今も人間の尊厳を守るために立ち上がり続ける人々へ捧げる」







285748_10151316955910337_592190908_n「10月23日サンチュで焼身、死亡したドルジェ・リンチェン、57歳に捧げる」http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766632.html

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