2013年01月

2013年01月30日

ラサ3大僧院とジョカンの僧院長を含む高僧15人が行方不明

photoガンデン僧院

ラサの3大僧院であるデブン、セラ、ガンデンとジョカン(ツクラカン)の高僧たちが当局により連れて行かれた後、2週間以上も行方不明のままという。

当局は1月14日に、会議を行うので集まれと言って3大僧院とジョカン寺の高僧、教師合わせて15人を連行した。連行されのはデブン僧院僧院長のジャンペル・ラクサム、唱導師ンガワン、教師ンガワン・ドゥンデン、教師ンガワン・ペルサン、教師ンガワン・サムテン、セラ僧院の戒律師ミクマル、唱導師(指名不明)、教師サムテン、教師ンガワン・ロトゥ、教師タシ・ギャンツェン、ガンデン僧院の教師カルデン、教師ロプサン・ンゴドゥプ、ジョカン(ツクラカン)寺の教師フンドゥップ・ヤーペル、教師ツェテン・ドルジェ、教師ンガワン・ロペルである。

その後、ナクチュ地区の僧院や村で愛国再教育を行うために彼らが連れていかれたという話が伝わっているというが、これも確認されたわけではなく、その後現在まで行方は分からないままとなっている。

3大僧院やジョカンの僧侶たちは行方不明となったまま帰らないこれら高僧の安否を非常に心配しているという。また、主な教師たちがいなくなったことにより、授業や討論を行うことができなくなり、僧院の勉強が滞っているともいう。

僧侶たちは2008年に多くの高僧や教師が連行されたときのことを思い出し、今回も当局は宗教弾圧の一環として彼らを拘束したのではないかと噂している。

参照:29日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/news-lhasa-tibet-01292013121513.html
29日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7253
30日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32947&article=Senior+monks+of+Sera%2c+Drepung%2c+Ganden+disappeared

特に何も事件のようなものがない時に、このように大勢の高僧が拘束されるという理由が分からない。強いて上げるとすれば、最近チベット自治区では共産党の全体会議が開かれていて、自治区主席に嘗て長年ラサ市長や自治区副主席もやっていたロプサン・ギェルツェンが就任したこと、とか7世レティン・リンポチェがチベット自治区政治協商会議のメンバーに選ばれたこと、と関係があるのか?重要会議中の人質としたのか?或はロサ(チベット正月)前の嫌がらせか?

MAIN201301291342000191699906466ロプサン・ギェルツェンは顔を見ても分かるが、悪である。就任演説においても「ダライ一味との闘いを強化せよ!」と連呼しており、強行路線維持を明確にしている。

チベット自治区の実質的なトップは彼ではなくもちろん漢人の共産党書記陳全国である。このトップにチベット人が選ばれたことは一度もない。これまで自治区主席であったペマ・ティンレーはもっと出世して人民代表大会常務委主任になったそうだ。北京に行くのかも知れない。

また、カルマパがインドに亡命した後、慌てて国内に残る超高僧の1人として中国政府が認定した7世レティン・リンポチェは28日に、16歳にして最年少のチベット自治区政治協商会議のメンバーに選ばれたという。偽パンチェン・リンポチェと共にチベットの宗教界に中国が操れる存在として、政治的影響を強めるために選ばれたのであろうと思われる。

本当にチベット人たちに尊敬され影響力のある高僧たちは隠され、きっと再教育を受け、その代わりに飼いならし、若くて容易く操れる、チベット人たちが偽リンポチェと呼ぶ者たちを全面に押し出そうということであろう。

この部分参考:29日付け共産党新聞http://renshi.people.com.cn/n/2013/0129/c139617-20362376.html
28日付け中国日報http://www.chinadaily.com.cn/dfpd/shehui/2013-01/28/content_16180283.htm


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2013年01月29日

ウーセル・ブログ「焼身したアムチョクの遊牧民、ツェリン・タシ」

99-11月12日に焼身、死亡したツェリン・タシ(写真とその説明は全てウーセル・ブログより)

ウーセルさんは1月15日付けのブログで、1月12日にアムド、アムチョク郷で焼死・死亡したツェリン・タシさんの追悼文を書かれている。その前半で、これまですでに4人の焼身者を出したアムチョク郷が1950年代、中国共産党の侵略に抵抗するために如何に激しく抵抗し、その結果多くの犠牲者をだした土地だということを記されている。今回も焼身者を多く出している土地と過去の凄惨な歴史は関係があると論じられているのだ。

後半は当ブログですでに伝えた、ツェリン・タシの焼身の状況等の報告であり、重複する部分が多いので省略した。詳しくは:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776148.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776361.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776603.html

原文:http://woeser.middle-way.net/2013/01/blog-post_15.html
翻訳:@yuntaitaiさん
◎焼身したアムチョクの遊牧民、ツェリン・タシ

二日前の1月12日、厳冬の雪の高原から、若い遊牧民が焼身抗議で犠牲になったという痛ましい知らせが届いた。

彼の名はツェリン・タシ、22歳。アムド、アムチョクの住民だ。近年、次々と焼身しているチベット人のうち、2013年で最初の焼身烈士になった。

アムチョクは耳たぶのような地形で有名と言われ、「仏法僧の三宝を崇める」という意味の名前だとも言われる。歴史的にもとても有名だ。

現在の行政区分では、アムチョクは甘粛省甘南チベット族自治州夏河県の鎮の一つで、10の村を管轄するだけだ。だが、歴史的にはアムチョクはかなり大きな遊牧の集落だった。アムチョク上8部と下8部から成り、エリアは広く、遊牧民は多い。ゲルク派のラプラン僧院の分院、アムチョク僧院で有名だ。しかし、アムチョクの全ての集落は1950年代、中国共産党の軍隊と粘り強く戦った末、ほとんど壊滅するほどの鎮圧を受けた。

アムチョク生まれのターイェー・リンポチェ・テンジン・ペルパル(扎益仁波切丹华白尔)は重要な記録「わが故郷の悲史」を著した。当時の鎮圧を「残忍非道な大虐殺」と呼び、痛ましく書き記している。

一方、共産党側の関連する記述は、1950〜58年の「反乱」と呼ばれる戦争について、勝利者と占領者の口ぶりで得意げに誇示している。例えば、「アムチョク反乱」「アムチョク事件」といったように、だ。「馬に乗って刀を振るった」り、「銃を持った」りする遊牧民の抵抗者に対し、共産党は歩兵や騎兵、更には空軍まで動員し、「反乱平定」を進めた。そのような記録をネットから適当に抜粋してみよう。「1958年4月2日、甘南軍分区は騎兵第1、3連隊(1中隊を欠く)と歩兵中隊を集中させ、アムチョクの反逆者を包囲、攻撃の目標とし、(中略)一挙に敵1500人以上を全滅させた」「1958年4月2日、(中略)空軍独立第4連隊は杜-4型爆撃機を出動させた。(中略)アムチョクに飛び、地上部隊と協力して総攻撃に出た」

私は以前、次のように書いた。「過去や現在の出来事についてアムドのチベット人と話すと、老人であれ若者であれ、誰もが『ンガ・ジュ・ンガ・ジェ』(58年の意)、または『ンガ・ジェ』(58年の省略形)に触れる。1958年前後、中国の軍隊と政権はチベット全土、特にアムドで各家庭にまで及ぶ災難を引き起こした。『ンガ・ジェ』はチベット人の記憶に深く刻み込まれた。文化大革命まで『ンガ・ジェ』と呼ばれるほどだ。『ンガ・ジェ』とは、いわゆる『解放』後のあらゆる災難の集合体だ」。

「反逆者」として鎮圧された遊牧民は事実上、刀剣と平凡な銃だけを頼りにしていた。それ以上の殺傷力を持つ武器は全くなかったが、たとえほぼ壊滅させられるとしても、50年代に戦闘をやめたことはなかった。だから、あるチベット人は昨年、「当時のアムチョクと共匪の激しい戦いは甘南チベットの誇りだ!」とツイッターに投稿した。

_12008年3月18日に起きたアムチョクの遊牧民の抗議。

2008年3月18日、アムチョクの遊牧民は抗議行動を起こした。世界に注目された2008年のチベットの抗議――私はそれを「ネズミ年の雪獅子の咆哮」と呼んでいる。この年は農暦のネズミ年で、雪獅子は自由を求めるチベットを表す――の中で、アムチョクの抗議は突出していた。当時の抗議映像のうち、外国メディアの記者に撮影された一場面は「ネズミ年の雪獅子の咆哮」を象徴している。ある映像では、チベット人たちは馬に乗ったり、走ったりしながら伝統的な雄叫びを上げ、経文を印刷した紙片(ルンタ)をまき、砂ぼこりが舞う中を勇敢に前へと突き進んでいた。別の映像では、羊の毛皮を着たチベット人たちが郷政府に集まっていた。若者数人が皆に持ち上げられ、ポールから中国国旗を引きずり下ろし、地面に捨てて引き裂き、自分で描いた雪山獅子旗を掲げた。

当局の鎮圧を受け続けている抗議の嵐の中、2009年以降、チベット本土の99人(1月29日時点では101人)が焼身による抗議という形で炎に身を包んだ。甘粛省甘南チベット族自治州だけで21人も焼身している。女子中学生1人とラサで働いていた青年1人を除けば、全員が遊牧民だ。甘南州夏河県では11人もの遊牧民が焼身した。夏河県アムチョク鎮には焼身者が4人もいる。

_ツェリン・タシが焼身する映像。彼は炎の中で両手を合わせ、「ギャワ・テンジン・ギャツォ(ダライ・ラマ法王)、ギャワ・テンジン・ギャツォ……」と声を上げた。

集落の伝統的な区分に従えば、甘南州の焼身者21人のうち、実際は少なくとも16人がアムチョクの遊牧民だ。1950年代に起きた「反逆者」殺りくの生存者の子孫だ。このうち、61歳のドゥンドゥップは昨年10月22日、次のような遺言を遺してラプラン僧院で焼身した。

「ラプラン僧院の僧侶と地元の若いチベット人は焼身を選んではいけない。命を大切にし、民族の未来のために努力、貢献してほしい。私や古い世代の者は1958年と1959年に共産党政府の迫害や拷問を受けた。だから、私やほかの高齢者こそが焼身を選ぶべきだ」

この遺言からは、血の涙に染まった集団的記憶が今もチベット人の心に刻まれているのだと分かる。生存者の口から伝えられ、子孫の心に刻まれいく。これこそが真相だ。「解放」されて「幸福な生活」を送っているというような、占領者が大音量で誇張する虚像とは全く違うのだ。

2013年1月14日 (RFA特約評論)


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2013年01月28日

セルタで僧侶が1人デモ

セルタ1人デモを行った僧プンツォク・ジュンネ。

昨日1月27日、現地時間午前10時半頃、カム、カンゼ州セルタ県セルタ中心街にあるセルタ(金馬)広場付近で、プンツォク・ジュンネ(ཕུན་ཚོགས་འབྱུང་གནས་又はクンケンཀུན་མཁྱེན་)と呼ばれる22歳(又は20歳)の僧侶が1人で中国政府に対する抗議デモを行い、その場で逮捕された。

目撃者の話によれば、「彼は抗議デモの最中『ダライ・ラマ法王に長寿を!ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!』等とスローガンを叫びながら、何かが書かれたルンタを空に投げ上げた。直ちに、警官30人あまりと私服警官が大勢集まり、激しい暴行を加えた後、頭に黒い布を被せ連行して行った」という。

彼は病院に行くといって昨日家を出ており、今日帰ることになっていた。

7ff08145セルタ(金馬)広場。

彼はタシ・ギェペル・リン僧院の僧侶、セルタ県タクツァ郷カンツァ村(གསེར་རྟ་རྫོང་སྟག་རྩ་ཡུལ་ཚོ་རྐང་རྩ་སྡེ་བ་)の出身。父の名はロシェル、母の名はチュクポ。

参照:27日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7247
27日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10053-2013-01-27-07-34-15
27日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/protester-01272013181546.html
同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/phuntsok-jungney-arrested-after-protesting-against-china-01272013111145.html

セルタではほぼ1年前の1月24日に大規模な抗議デモが行われ、これに対し部隊が無差別発砲したために死傷者がでている。(詳しくは:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51728031.html 等)

65fd1194去年の大デモの際、暴行を受け連行されるチベット人。

去年、11月26日にはワンギェルという若者が焼身抗議を行った。彼は当局に連れ去られ、その後行方不明となり、今も生死の確認さえできていない。(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770800.html

その前3月12日にはティンレーという17歳の中学校生徒が焼身を図ったが、ガソリンを飲み過ぎたのか、火を付ける前に意識を失い、倒れ、逮捕されている。(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51736114.html

これら全ての抗議活動は、今回の1人デモと同じセルタ(金馬)広場で行われている。

抗議デモを行うには、逮捕される時の暴行、尋問時の拷問と長期の懲役刑を覚悟しないとできない。刑期を終えることができても、出所時に病気に罹っていたり、身体障害者となっていることも多い。

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2013年01月27日

中国警察がまた「焼身扇動殺人事件を解決」したらしい

またまた、焼身を唆したという中国の作文記事が発表された。うらるんたさんがそれを訳して下さったので、まずはその記事を載せ、その後につっこみコメントを加える。

原文:http://news.xinhuanet.com/legal/2013-01/24/c_114491066.htm
翻訳:@uralungtaさん

[新華網2013年1月24日]
青海省警察筋が焼身そそのかし扇動殺人事件を解決


新華ネット西寧1月24日電:最近、青海省警察筋は焼身殺人未遂事件の捜査解決に成功し、焼身を起こそうとたくらんだドルマ・キャプと、彼を煽りそそのかして焼身を起こそうとした容疑者パクパを逮捕した。

2012年11月19日、青海省同仁県〔アムド、レプコン〕の警察筋は一般民衆からの通報を受け、同仁県のホテル「永慶和賓館」客室内で、ガソリンが入ったポリタンクやコットンなどの物品を発見した。現地警察はすみやかにこれらを押収し、焼身をくわだてていたドルマ・キャプの身柄を取り押さえ、ドルマ・キャプに焼身をそそのかして扇動した犯罪容疑者パクパを捕らえた。

調べによると、ドルマ・キャプは男性25歳、青海省同仁県〔アムド、レプコン〕のドワ僧院の僧侶。パクパは男性27歳、青海省同仁県多哇郷〔レプコンのドワ〕の人で、2005年6月に不法出国してインドに渡り、ダライ集団が「チベット独立主義者」主要メンバーを養成する「ソガ」スクールで訓練を受けた。2011年9月、プルパは国内に潜入し、尖扎県直康拉卡郷〔チェンツァ、ダクカン・ナカ〕の孤児院で臨時採用教師の仕事と英語とコンピューターを教える私塾を開いて、これを隠れ蓑にして学生たちに「チベット独立」思想をほしいままに吹き込んだ。

この間、パクパはインターネットを通じてインドの「チベット青年会議(TYC)」幹部ガン・ツェンポらと密接な連絡を取り合い、指示を受け、情報を流した。ドルマ・キャプの供述によると、2012年6月と7月に、パクパは3度にわたり、焼身をそそのかした。〔そそのかした手口は〕パクパはかつてインドに行ったことがあり、そこで頻繁にTCYと「チベット独立」について議論したことがあると言ったうえで、「四川〔※同じアムドのンガバのこと〕で焼身をはかった人たちは自らの貴重な命を投げ出して、チベット人の自由と独立のために大きな貢献を果たしている。彼らは我々チベットの民族の英雄であり、焼身はチベット独立に大きく貢献する行為だ」と述べたという。パクパはドルマ・キャプに対し、「もしあなたが焼身したならば、チベットの民族にとって良いことを為しとげたことになる。焼身する人が多ければ多いほど、国際的な注目を集めることができる。インドにはいくつかの組織があり、それらの組織が、焼身者の写真を広く国際的に宣伝するのだ」と言った。このようなパクパの教唆によって、ドルマ・キャプについに焼身しようという考えが生まれた。2012年11月19日、ドルマ・キャプはガソリンやコットンなどの物品を持って、同仁県〔レプコン〕のホテル「永慶和賓館」にチェックインし、焼身の準備を進めていたところ、ここに至って阻止された。

警察の取り調べで把握された情報によると、パクパは同仁県多哇郷〔レプコンのドワ〕の非合法組織「雪文化伝統奉仕団」に参加しており、最近、多哇郷〔ドワ〕で焼身事件が多発した後、パクパ及びこの非合法組織メンバーは前後6回にわたり焼身者の葬儀に参列し、さらにその葬儀の現場で「焼身はチベット民族のためを願ってのものだ、我々は模範として学ぶべきだ」などの扇動的な言論をほしいままに振りまき、また、焼身者の遺族に金銭を贈与した〔*お悔やみの香典を指すと思われる〕。2012年11月8日には、パクパは教師という身分を利用して、多哇郷〔ドワ〕の50人余りの小学生や現地の牧民を多哇郷役場前に結集させ、「チベット独立」などのスローガンを叫ばせた。

現在のところ、パクパとドルマ・キャプはそれぞれ、故意殺人罪、公共安全危害罪の疑いで法にのっとって逮捕されている。警察筋は「今後も事件の捜査には更に大きな力を入れて取り組み、事実を徹底的に究明し、無辜の一般市民の生命を脅かす焼身教唆という犯罪行為を法に基づいて厳罰に処する」としている。


1-hoto(1)焼身者の葬儀に参加したり、香典(寄付金)を集めることは違法というポスター。

どうも、去年11月初めに行われた十八大会の際、チベットの焼身押さえ込みのための新方針が決定されたのではないかと推測される。その後、頻繁に焼身が起っている自治州では立て続けに、焼身に関わった全ての者を厳罰に処するという新しい法律(条例)が作られ、発表されている。内容は焼身を教唆、煽動した者を殺人罪とし、焼身者を守った者、運んだ者、焼身者を出した家族を見舞った者、法要を行った僧侶、僧院、香典を与えた者等を罰するというものだ。ついでに、焼身を行おうとしたものも社会の秩序を乱したり、交通を妨げたとして罰したり、焼身者を出した地域全体も共同責任を取らせるという。また、このような行為を行ったチベット人を密告した者には多額の報奨金を出すというおまけも付いている。この「法律」自体、常識では考えられないものばかりだが、中国の法律は共産党に都合のいいように何でもありなのだ。こうして、法律を用意することにより、全ては役人のお決まりの言い方である「法律に従い適切に処理する(された)」と言ってしまえばいいことになる。

この法律に従い、取り締まられた焼身関連者に関する記事にはほぼ一定の決まった筋がある。焼身者は実際に行った者でも行おうとした者(この場合は真偽は不明)でもいいらしい。とにかく大事なのはこの焼身者、又は焼身未遂者を「ダライ一味」が煽動、教唆したという話にすることである。それも「ダライ一味」の内もっとも過激な独立勢力と中国側が設定する「TYC(チベット青年会議)」が関わっていることが最近の特徴である。

今回も前回と同様、一旦「インドに亡命し、TYCの訓練を受け、その後故郷に帰った分裂主義者があるチベット人を唆し、焼身させようとした」ということになっている。唆し方は常に「焼身者はチベットの英雄であり、丁重に供養される。情報はすぐに亡命側に伝えてやる」というものだ。

中国当局は初期の「焼身を事実を隠したり、政府への抗議ではなく単なる個人的自殺に見せかける」という方針から、最近は「焼身の事実は隠さず、これを違法とするとともに、ダライ一味の陰謀として宣伝する」という方針に変えたように思われる。もっとも、このような違法化、連帯責任制も現地のチベット人たちの気持ちを変えることには成功していないように思われる。違法化後も10件以上の焼身が発生している。

2-photo(2)_copy街中で焼身を図ったり、それを見ようと集まることは交通の妨げになるしで、違法というポスター。

以下、今回の記事に幾つかつっこみを入れてみる。

まず、焼身未遂に終わったというドルマ・キャプはホテルにガソリンを入れたポリタンクとコットンを用意していたと言う。これが、焼身を行おうとしていたという証拠のように書かれている。これで行くと「ガソリンや灯油を入れたポリタンクを持っていた」というだけで焼身を企てたとされることになろう。焼身自体が違法ということもおかしな話である。自殺が違法という国は他にあるのであろうか?また、中国内では土地強制収用に抗議する焼身が相次いでいるが(1月25日にも山東省で1人の漢人が土地強制収用に抗議し焼身している)、これが違法という法律があるなどとは聞いた事がない。同じ抗議の焼身であっても、漢人とチベット人に対してダブルスタンダードであることは間違いない。ましてや、まだ焼身もしていない、本当にする積もりであったのかどうかもわからない者を逮捕するとは、不思議な国である。

焼身を唆したパクパと言うチベット人が、ダラムサラにあるソガスクールに通っていたという。このソガスクールは私も何度も行ったことがありよく知っているが、ここをチベット独立主義者、その中でも幹部を養成する学校と書いてるのには笑うししかない。ここは、亡命時に18歳以上であり、正規の教学過程に従うには遅過ぎる成人を対象とし、英語、チベット語を主に教える難民学校である。最初のころは壁も天上もトタンという実に粗末な建物だった。現在ではちゃんとした建物になっているが、このところ亡命者が激減し、一時1000人近くいた生徒も今では300人ほどになってしまった。ま、とにかく普通の学校であり、独立思想とか、その運動の幹部を養成するなんて場所では全く無いことは確かだ。第一、ダライ・ラマ法王も亡命政府も所謂中道路線であり、独立はまったく唱えていない。

5-photo(5)焼身を唆したとか、その他焼身に関わったと言う者に自首を呼びかけるポスター。自首すれば、減罪されたり、恩赦が与えられるそうだ。

パクパがTYCと関わっていたかどうかはまだ、亡命側の調査が行われていないようなので分からない。彼に指示を与えたというTYC幹部のガン・ツェンポと言う人が本当にいるのなら、その内彼へのインタビューが出るかも知れない。が、少なくとも現在のTYC執行部の中にはそのような名前の人物は見当たらない。Tibet Timesがダラムサラでレゴンやドワ郷出身者に話を聞いたところでは、「そんな名前のチベット人は知らない」と言ったそうだ。

それにしても、パクパという青年の話が本当だとすれば、彼は亡命して英語やコンピューターを勉強し、その後、外人をつかまえて外国に行こうなんて考えず、ちゃんともう一度危険を犯して故郷に帰り、そこの孤児院等で英語やコンピューターを教えていたというではないか、まことに殊勝な青年と言うべきだ。

去年11月を中心に多くの焼身者を出したドワ郷では、11月8日に地元の小学生たちによる大規模なデモが発生している(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768757.html下の方)。校庭に掲げられていた中国の国旗を引き下ろし、代わりにチベット国旗を掲げた後、郷の政府庁舎の前に行き、そこに掲げられていた中国国旗も引き下ろし、チベットの自由を訴えるスローガンを叫んだというものだ。このデモは小学生たちが自分たちで決定し、実行したデモと思われるが、このデモもパクパが煽動したことにされている。

パクパはドワ郷にあるという「雪文化伝統奉仕団」という団体に参加しており、この団体は「焼身者の葬儀に6回参加し、遺族に金銭を与えた」という。名前からするとチベットの歌や踊りを披露する団体のように思えるが、これがどういう理由で違法なのかは書かれていないのでわからない。それにしても、地元の葬式に地元の個人なり団体なりが参加すことが違法なのか?遺族に香典を渡すことが違法なのか?憲法においては宗教の自由が保証されているらしい、この国ではチベット人が葬儀に参加することは犯罪行為というわけなのか?

ちなみに、この新華社発表の記事を時事通信さんがまめに記事にして下さっている。
自殺扇動で教師を逮捕=チベット族への締め付け強化−中国
【北京時事】中国国営新華社通信は24日、青海省で2012年11月、チベット族の僧侶(25)を唆し、焼身自殺させようとしたとして、男性教師(27)が故意殺人容疑で、自殺未遂の僧侶が公共安全危害容疑で逮捕されたと伝えた。
 警察の調べでは、教師は不法出国し、インドでチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世グループの下で訓練を受けて帰国。英語を教えながら宣伝活動をし、僧侶に「チベット独立のため命をささげれば、民族の英雄だ」と自殺を促したという。(2013/01/24-23:41)

現地に入り検証するすべのない外国メディアの報道では、このようにそのまま新華社の言う通りに書くしかないわけだ。唯一、表題に「チベット族への締め付け強化」としてくれたことが救いではあるが、これを読んだ一般読者の方々はどのように受け止めたのだろうかと、少し不安になる。

同じ新華社記事を扱った外国メディアでも背景を説明してくれているのもある。例えば25日付けロイターhttp://in.reuters.com/article/2013/01/24/china-tibet-arrests-idINDEE90N0GG20130124

参照:25日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7243
25日付けTibet Netチベット語版http://bod.asia/2013/01/རེབ་གོང་རྫོང་ཁོངས་ནས་བ/
25日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/selfimmolation-01252013144040.html

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2013年01月25日

ドゥンドゥップ・ワンチェンが女子刑務所へ

1301220118570R2008年初めに北京オリンピックを前にしたチベット人たちの率直な思いを収録し、これが「ジクデル(邦題:恐怖を乗り越えて)」と題されたドキュメンタリーフィルムとなり世界中で上映されたことにより、2008年3月26日に逮捕され、2009年12月28日に秘密裁判により6年の刑を受けたドゥンドゥップ・ワンチェン。彼はこれまで西寧の労働改造所に収監されていた。

スイス在住の彼の従兄弟であり、ジクデルを編集し広めたジャミヤン・ツルティムが1月15日にドゥンドゥップ・ワンチェンと面会したという家族の話を伝えるところによれば、ドゥンドゥップはこれから同じ西寧にある女子専用の刑務所に送られるという。

これは、異例のことであるが、当局はその理由についてはなにも話てくれないという。ジャミヤンは「この女子刑務所には中国人の女性しかいないという。そこに送る事により他のチベット人政治犯や一般のチベット人受刑者との接触を断つためではないか?」と話している。

 

ドゥンドゥップ・ワンチェンは2012年に、4、5ヶ月に渡り、独房に入れられていたという。これは辛かったというが、その後健康は回復したとも伝えられている。

「ジクデル」は日本語にも翻訳され、世界30カ国で上映された。彼は最近ジャーナリスト保護委員会から「国際報道自由賞」を送られている。(詳しくは:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51761733.html)授賞式には彼の解放を求めて世界各国を廻り続ける妻のラモ・ツォが彼の代わりに出席した。

中国は最近この「労働改造所(ラオガイ)」を今年中に廃止すると発表しているhttp://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20130107/Recordchina_20130107024.html
もっとも、指導者内部でもこれに反対する勢力があるとも伝えられており、実際に廃止されるかどうかはまだはっきりしていない。今回の彼の移動がこれと関係あるかどうかは不明である。実際彼が普通の刑務所ではなく労働改造所に送られていたということが異例であり、B型肝炎に罹っていると言われる彼にとっては労働改造所での労働は辛いものであったと思われる。今回、これから解放されるのは良い事と思われている。

彼は後1年数ヶ月で解放される予定である。無事に解放されることを願う。

e493dcdd今心配されているのは、彼の撮影を助けたとして何度も拘束され、拷問をうけたラプラン・タシキル僧院の僧ゴロ・ジグメのことである。当局は最近彼に殺人罪の罪を着せ、情報を知らせた者には20万元の報奨金を与えると発表している。現在彼の消息は途絶えたままである。

参照:21日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/dundup-wangchen-01212013145843.html
22日付けVOAチベット語版http://www.voatibetan.com/content/dhondup-wangchen-transferred-to-another-chinaeae-prison-/1588702.html
22日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10030-2013-01-23-06-18-09
22日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32888&article=China+transfers+Tibetan+filmmaker+Dhondup+Wangchen+to+a+women’s+prison

共同さんが伝えてくれたラモ・ツォの話等:http://blog.livedoor.jp/rftibet/tag/ラモ・ツォ

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2013年01月24日

焼身を行おうとガソリンを被り道にでたが 倒れその場で死亡

2401a11-300x225ジクチェ・キャプ生前の写真(撮影日不明)

今月19日、アムド、ルチュ(甘粛省甘南チベット族自治州碌曲)シツァン・プンコル村で1人のチベット人若者が焼身抗議を行おうとしたが、火を付ける前に倒れ、その場で死亡したという。彼は遺書を残していた。

19日の朝、シツァン・プンコル村(ཤིས་ཚང་དཔུང་སྐོར་སྡེ་བ་)の人通りの多い場所で、ジクチェ・キャプ(འཇིགས་བྱེད་སྐྱབས་)と呼ばれる若者がガソリンを被ったまま倒れ、死亡した。手にはライターが握られていたことから、焼身抗議を行おうとしていたことは確かと思われる。火を付ける前に倒れ、その場で死亡した原因についてははっきりしたことは分かっていないが、現地の人々はガソリンを飲み過ぎたか、焼身の前に何らかの毒を飲んでいたからではないかと推測している。ヒ素を飲んでいたという情報もあるが、これは未確認。

事件の後、家族が彼の寝床の下から遺書と思われる手紙を発見した。以下その全文を訳す。
-1-(WB2{3@GV6U04残された遺書前半。

私の願いが叶えられますように。2008 チベット独立。母の幼い子であるなら立ち上がれ。雪山(チベット)の若者よ立ち上がれ。雪山の歌い手よ立ち上がれ。ダライ・ラマ法王が千年万年と生きられますように。白き獅子に頂礼いたす。

親族、友人、父と母よ、どうかお体に気をつけられるよう。私は希望と共に実行する。父母はこの世で最愛の人。来世でこの恩を返すために再びお会いする。父よ、息子である私には1つの願いがある。私の願いを叶えたまえ。

私の愛する学友たち、イダム・キ、ツェガ、ラモ・キャプ、ロレ、タムディン・ツォ、ツェテン、スツェ、ラモ・ツォ、アシャク、ラプテン、ゴガ、アムド、ドルマ・ツォ、タロ、ゴメ、ツェリン・ドルマ、ママ、ラモ・ツェテン、ドゥクカル・キャプ、カンド・ツォ、イクギャ・キャプ、ドルマ・キャプ、ニマ、また優しい先生であったラモ・ツォ、ペルギュル、ダワなど健やかに過ごされますように。
(その他、友人たちの名前が連ねられている)

愛する兄よ、どうか父をよろしく。兄、姉、弟よあなたたちの人生が幸福に満ちるよう心から祈る。私の信心の対象は太陽と月と星(ダライ・ラマ、パンチェン・ラマ、ギャワ・カルマパ)である。

遠い場所にいる兄たちよ、私は今そこに行く。目に涙を浮かべ、行く。雪山チベットの苦楽を伝えるために、行く。守り神よ、あなたを思いながら私は行く。チベット人たちよ立ち上がれ。雪山の子供たちよ立ち上がれ。雪山の歌い手よ立ち上がれ。雪の国チベットに幸福が訪れることを祈る。

2012年12月8日(これは「ホルダ」と呼ばれるアムド地方の暦であり、西暦2013年1月19日に当たる)

この事件の後、ルチュ県の警察は家族の下に行き、事件について口外しないように命令し、また速やかに葬式を行う事も命令したと言われる。一般にこの地区では葬儀は一週間後ぐらいに行われると言うが、この命令に従ったのか、22日には葬儀が行われたという。

image遺書後半。

ジクチェ・キャプはシツァン・プンコル村出身。父の名はドゥプカル・キャプ、母の名はデキ・ツォ。家族の話によれば、彼は酒も飲まずタバコも吸わず、親の言いつけをよく守り、良い子であったという。また、チベットに対する思いが強く、以前より、内外の焼身について関心が高かったという。

参照:23日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7229
23日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/jigshey-kyab-in-lhuchu-01232013131459.html
同英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/poison-01232013192823.html

これまでにも、多くのチベット人が焼身を行おうとして、失敗している。ある者は逮捕されその後行方不明になり、ある者はその後当局により殺害された。ディルでは7人が一緒に焼身することを計画していたが、当局に知れ、その内の2人が逮捕され、5人が川に飛び込み死んだという報告もある。インドでも最近若者が焼身を計り、直前に助けられたというケースがある。だが、今回のように焼身直前に倒れ、その場で死亡したというケースははじめてである。

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2013年01月23日

続報:葬儀が許されなければ役場の前で葬儀を行うぞ と村人たち

252784_365619240202809_1824828228_nクンチョク・キャプ

昨日、1月22日の正午頃、甘粛省甘南州サンチュ県ボラ郷のボラ僧院内で焼身したクンチョク・キャプは生死不明のまま、当局に運び去られたが、その後死亡が確認されている。内地焼身者101人の内、死亡確認84人目。

事件の後にボラ郷には軍隊が投入され、その上、サンチュから役人や特殊警察が大勢押し掛け、非常に緊張しているという。そんな中でも、昨日の夕方には彼の遺体を取り返そうと、地区の村々から大勢のチベット人がボラ郷の役場の前に集まった。出て来た役人は「遺体はここにはない、もうサンチュに送った」と言い、その上「葬儀をするために、遺族の下に誰も集まってはならない。僧侶一人も行ってはならない」と命令したという。

これを聞いて、集まったチベット人たちは、「もしも、遺族の下に誰も弔問に行ってはならないと言うならば、明日役場の前にもっと沢山の人を呼んで、みんなマニコロ(手持ちの小さなマニ車)を持って、そこに座り込んで葬儀を行うぞ」と答え、回りの村々の人々を呼んでいるところという。

その後どうなったかはまだ情報が入っていない。

ボラ僧院ボラ僧院内の焼身現場とされる場所。警官がうろついている。

彼の年齢は昨日の時点では23歳と伝えられていたが、今日になり26歳になったばかりと確認された。彼は妻の家に養子として入っていた。地元の人々の話によれば、彼は無口で控えめな性格だったという。家族の仕事を中心となってこなし、良き青年と思われていた。残された10ヶ月になる子供は男の子という。

参照:22日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7227
22日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/Kunchuk-kyab-self-immolation-01222013092702.html
同英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/burning-01222013130828.html
23日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32898&article=Tibetans+challenge+China’s+dictat%2c+To+hold+public+prayer+service+for+self-immolator

101クンチョク・キャプの身分証明書。










E21EDFC3-3B40-49残された妻と現在10ヶ月と言われる息子。


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2013年01月22日

<速報>今日再び新たな焼身 ボラ郷 今年3人目

サンチュ、焼身者の村







今日焼身したクンチョク・キャプの故郷、ギャンリン村。

南インド、デブン僧院僧侶ソナムが先ほどTibet Timesに伝えたところによれば、今日、1月22日、現地時間正午頃、アムド、サンチュ県ボラ郷にあるボラ僧院の討論場の近くで1人のチベット人若者が中国政府のチベット弾圧に抗議するために焼身した。生死は今のところ不明。

若者の名前はクンチョク・キャプ(དཀོན་མཆོག་སྐྱབས་ニックネームはクンベདཀོན་བྷེ་)、年齢は23歳。ボラ郷ギャンリン村の出身。父の名はドルジェ・ツェテンだが、すでに死亡、母の名はリンチェン・ツォ。結婚しており、妻の名前はカルモ・ツェリン。2人の間には10ヶ月の赤子が1人いるという。

mmexport13572091クンチョク・キャプが焼身したというボラ僧院。

現在のところ、その他詳細は不明。

新しい情報が入り次第追記する。

内地焼身101人目。ボラ郷での焼身4人目。サンチュ県ではこれまでに12人が焼身しているが、ウーセルさんによれば全員遊牧民であるという。

参照:22日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7227
22日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32889&t=1phayul はクンチョク・キャプはその場で死亡した模様と伝える。

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僧侶4人に2〜10年の刑 焼身関連か?

19e64eb1ツォドゥン・キルティ僧院、約300人の僧侶が在籍。

ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、今月半ば、ンガバ州バルカムの中級人民法院は去年3人の焼身者を出した、ツォドゥン・キルティ僧院(ཚོ་བདུན་ཀིརྟི་དགོན་)の僧侶4人に秘密裁判により2年から10年の刑を言い渡した。

僧ナムセ(རྣམ་སྲས་18)に10年、僧ヤーペル(ཡར་འཕེལ་ 18)に6年、僧アスン(ཨ་སྲུང་22)に2年半、僧ロプサン・センゲ(བློ་བཟང་སེང་གེ་ 19)に2年。

4人とも去年8月中に僧院で拘束され、その後行方不明のままであった。2012年8月12日に僧ロプサン・センゲ、僧ヤーペル、僧ナムセが僧坊から夜中に連行され、4日後の8月16日に僧トゥプワン・テンジンと僧アスンが連行されている。僧トゥプワン・テンジンと同じく8月中に連行された僧ラプテンの消息は依然不明のままという。

裁判は秘密裏に行われたので、判決理由は明らかではないが、現地の消息筋によれば、彼らは去年同僧院僧侶3人が焼身したことに関係したとして刑期を受けたのではないかと推測している。

焼身した3人とは2012年3月30日にバルカムで一緒に焼身した僧テンパ・タルギェと僧チメ・パルデン(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51737734.html)、2012年7月17日にツォドゥン・キルティ僧院内で焼身したロプサン・ロンジン(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51754157.html)である。

参照:22日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7226
21日付けTCHRDリリースhttp://www.tchrd.org/2013/01/china-sentences-four-tibetan-monks-to-long-prison-terms/#more-616

チベット人の焼身は政治的抗議であり、誰かに唆されたというものではなく完全に個人的行為である。しかし、中国当局はこれを海外のダライ一味の煽動、教唆によるものとし、それを仲介した者をでっち上げようとしている。今回も拘束後の拷問で虚偽の告白を引き出したか、虚偽のストーリーが書かれた書面にサインさせた可能性が高いと思われる。拷問に負けず、如何なる虚偽の告白、サイン等をしなかったとしても、中国の裁判所は勝手な理由をつけ、判決を言い渡すことができるのだ。

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2013年01月21日

冬休みの間、2人以上が集まってはならないと

レゴン学生デモ













レゴン、学生デモ。

去年末、アムド各地で、中学生や専門学校の学生たちによるチベット語教育軽視、漢語強要、民族差別、民族弾圧等に抗議するデモが頻発した。その内、大きなデモとしては去年11月9日にレゴンで1万人近くが参加したというデモ(http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768757.html)、と11月26日にチャプチャで行われた千人規模のデモ(http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770778.html)が上げられる。デモは武力鎮圧され、逮捕の後、刑期を受けたものもいる。

7b9f9973チャプチャ、学生デモ。

当局は、アムド全域でデモを予防するために冬休みの期間を伸ばし、さらに教師や生徒に様々な規制を科した。1月20日付けRFAによれば、休みに入る前に各学校の教師と親が生徒たちを連れて地区の警察書に出頭し、教師や親に生徒たちに政治的活動をさせないという誓約書へのサインを強制した。サインしない限り、解放されなかったという。

書面には「休み中、生徒2人以上が一緒に集まることを禁止する。これを家族や地域の者が監視し守らせなければならない」、「休み中に補習授業を行ってはならない」ということも書かれていたという。

参照・20日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/restruction-on-students-01202013101915.html

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2013年01月20日

長征と焼身

6114_394845877275147_112839196_n18日に焼身したドゥプチョク(ツェリン・プンツォク)

18日にンガバのキュンチュ県ダチェン郷で焼身したドゥプチョク(ツェリン・プンツォク)については、今も名前、年齢、焼身時の情報が錯綜したままである。チベットでは一般に名前に関していれば、幼名、成名、略称(ニックネーム)、僧侶については法名、というように1人に何通りもの名前がある場合が多い。年齢についてもチベット人は一般に正確な年齢に注意を払うことが少なく、いい加減であることが多い。今回も28歳、27歳、21歳と情報が別れている。ちなみに地名の呼び名も複数のチベット名、漢語名と色々ある。

彼の焼身後の情報についてだが、昨日のVOTでは複数の情報提供者を紹介し、その内の1人は「彼はその場で死亡し、遺体はチベット人たちが当局に奪われるのを阻止し、家族の下に届けた」という。また、ある者は「当局に奪われたが、その時にはまだ彼は生きていた。ただ、目撃した人たちは彼は死亡したに違いないと思ってる」という。当初の情報では「彼はその場で死亡し、遺体は当局に奪われた」というものだった。事件後現地の情報網は規制されたという。それでも何とか伝えられた情報であろうが、限られた通路での交信は困難で、確認・確定するのは難しいのであろう。

150606_521191927921232_933669462_n内地の主な抵抗運動、焼身抗議発生地点地図。この中ンガバの東にカコックと表記されているのが18日の焼身発生地。ただ、実際にはこの地図よりすこし北寄りである。

この焼身を伝えた北京のウーセルさんはそのブログの一節で、この地域の歴史的背景を紹介されている。そして、1934年から36年に掛けて行われた共産党紅軍の長征の通路と焼身者が多発している地域が重なっていると指摘された。以下、まず、ウーセルさんのブログからその部分を訳し、その後、長征に関するキルティ・リンポチェの話と、ウィキペの「長征」の説明も紹介する。長征と焼身の間には関係があるのかどうか?本当にはこれは難しい問題であり、簡単には言えないだろう。今回は幾つかの資料を参考のために提供するだけにとどめる。

とにかく、この地域がその時期から中国共産党の横暴、虐殺の被害に遭って来たことは確かである。実際にはその後の1958年を中心にした大量虐殺、文革時の大飢餓、弾圧、90年代終わりからの宗教、政治弾圧、08年以降の弾圧強化等々が全て関係していると思われる。

原文:19日付けウーセルブログhttp://woeser.middle-way.net/2013/01/100.html
ツェリン・プンツォク(ドゥプチョク)はアムドのカコック(རྐ་ཁོག་ キュンチュの別名 四川省阿坝州红原县)の遊牧民であった。(中略)ここは純粋な遊牧地帯である。1960年に周恩来により、紅原県と改名された。中国共産党の紅軍が、ここの草原を横切ったことを記念するための命名であった。長征の間、紅軍は雪山、草原を横切り、チベットのアムド、ギャロン、カム等を通過した。道すがら、彼らはチベット人を騙し、武力による血を伴う略奪も行った。1936年、毛沢東は延安でエドガー・スノーに対し(チベット内の長征について)こう語っている。「紅軍は(チベットで)唯一の対外債務(外債)を作った。いつか、この食料の借りを返さねばならない」と。そして、共産党はどうやって実際この借りを返したのであろうか?1950年代この辺りのチベット人村落はほぼ全滅させられたのだ。そして、現在、この一帯がもっとも多くの焼身抗議者を出しているのだ。

ウーセルさんは2011年10月5日のブログでも「利用されるゲタク・リンポチェ」と題し、長征を話題とし、カンゼでチベット人が「騙され、利用された」歴史を紹介されている。その中でも上記と同様の毛沢東がエドガー・スノーに語ったという話を引用し、「『対外債務』とは何か?外国に借りがあるという意味ではないのか?毛沢東が当時、チベットを中国の一部分とは考えていなかったことが分かる」とコメントされている。(この部分参照http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51718998.html

F200608021128443146475093長征移動図。地図のもっとも西側に白玉と書かれているところがペユル。その東側で矢印が集まっている場所がカンゼ(甘孜)、その北東にンガバ(阿坝)、さらにその赤い道を東北東に辿ったところに今回話題にされている紅原地区がある。




また、キルティ・リンポチェは2011年11月3日、米議会人権委員会に呼ばれ、チベット問題に関する証言を行っている。(米議会人権委員会におけるキルティ・リンポチェの証言 http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51711292.html
その中で、リンポチェはンガバの人々がこれまでに共産党により受けた「傷」を3つの時期・世代に分けて説明している。「第一世代の傷」は1935年紅軍の長征がンガバを通過した時に受けた傷。「第二世代の傷」は1958年の侵略から始まり文革が終わるまでに受けた傷。「第三世代の傷」は1998年以来「愛国教育」キャンペーンが始まってからの傷であるという。

その内、以下「第一世代の傷」を紹介する。
第一世代の傷:ンガバはチベット内で近代、中国により襲撃された最初の地域であります。中華人民共和国建国以前の1935年、紅軍の長征がンガバを通過した時、中国軍は当時2000人の僧侶が暮らしていたラテン僧院を完全に破壊しました。その後、隊はムゲ・ゴンチェンに向かい道すがら多くの僧侶や一般人が殺害されたり、負傷しました。軍はムゲ僧院で会議を開き、その後ギャロン・チョクツェ、キョンキョ、ジャプック、及びダツァン僧院から貴重な物品と穀物を略奪しました。その結果、地域ではチベットの歴史上初めての飢餓が発生しました。この時地域のチベット人は初めて木の葉を食べることにより生き抜くことになったのです。

ミュの首長チョクツェの王と周辺のチベット人たちは占領軍と戦いました。しかし数に勝る中国兵に勝つことはできませんでした。紅軍指導者朱徳とその部下がキルティ僧院の中堂を占拠した時、ンガバ・キルティ僧院の第44代僧院長アク・タプケの一族はじめ多くの人々が銃殺され、仏像・菩薩像は略奪、破壊されました。紅軍とは宗教破壊者であるのみか略奪者であるということを人々は知ったのです。この時、毛沢東は広大なチベット地域を見て、これを占領しようというアイデアを得たのです。そして、1949年に中華人民共和国を建国した翌年、彼は第18旅団を送り込む事によりこれを実行したのです。このような事件がンガバの人々の心に癒しがたい傷を残したのです。

150px-Mao_Zedong_in_Yan'an2長征時の毛沢東

長征とは紅軍と呼ばれる共産党軍が国民党軍に追われ、敗走し、途中チベット人居住地を通過し、10万人の兵力を数千人にまで減らしたというものだ。途中毛沢東が権力のトップに選ばれ、ほぼ全滅しかけていたところを、最後に日本との闘いで国民党軍と統一戦線を組む事になり、かろうじて救われたという歴史の皮肉がある。日本がこの時中国と戦争していなかったなら、その時に壊滅し、今の中国共産党は存在しなかったということである。

長征についてウィキペの日本語版http://ja.wikipedia.org/wiki/長征より以下抜粋する。この内「第一軍」は毛沢東が率いる軍であった。
第一軍はカム地方各地で自治を行っていたチベット人貴族の資産を強制没収し農民を解放するなどして自治国家を築かせようとしたが、国民党政府からの要請も受けたチベットのガンデンポタン政府が紅軍に攻撃を行い、第一軍はこれを逃れて北の甘粛省方面にたどり着いた。カムでの農民の見聞とガンデンポタン軍による攻撃は、その後の共産党のチベット観に暗い影響を与える。

意義:長征の過程で内部粛清もあり共産党軍が延安に着いた時は壊滅状態になった。コミンテルンの資金援助で何とか食いつないでいる状態であった。共産党はこの逃避行を英雄叙事詩に仕上げて、「長征の過程で多くの革命根拠地を設営し、数千万の共産党シンパを獲得した。そもそもが戦略の失敗で始まった長征であったが、巨大な革命の種まき期であった。物資の調達などで略奪を厳禁したので、このことにより中国共産党に対する人民の信頼を勝ち得た」と宣伝しているが、実際は人民裁判による地主・資本階級の処刑と資産没収、そして小作人からの「革命税」徴収によって食いつないだというのが実態であり、一概に「信頼を得た」とは言い難い。なお、この手法は後のセンデロ・ルミノソなどの共産ゲリラによって引き継がれた。
壊滅状態から復活し得たのは、コミンテルンの指示で国民党との協力に抗日統一戦線結成の呼掛けて方針を転換したのと、西安事件と盧溝橋事件の発生により、国民党蒋介石政府が剿共政策から抗日の為に国内統一政策に優先順位を切り替えざるを得ない状況に追い込まれた為である。


最後になったがVOTは、今回の焼身にもっと直接的に関係するかも知れない、ドゥプチョクが暮らしていた村の同郷人である1人の女性の逮捕を指摘している。

379326_4752920933793_1554010965_nノルジン・ワンモ

この女性とはITN等により解放キャンペーンが行われているノルジン・ワンモである。彼女はキュンチュ県の司法当局職員であり、文筆家でもあったという。2008年に電話とインターネットを使って外国にチベットの状況を伝えたとして逮捕され、同年11月3日に5年の刑を受け、現在も刑務所に収監されている。彼女と18日に焼身抗議を行ったドゥプチョクはVOTによれば同郷、同村という。(詳しくはhttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51579226.htmlの下の方を参照)

小さな村で彼女の逮捕、5年の刑期は相当な噂となっていたであろう。もちろん、このことが今回の焼身により直接的に関係しているかどうかは分からない。チベット全体で今行われている弾圧とそれに対する抗議の焼身のうねりが彼の心を動かしたことは間違いない。ただ、このキュンチュ地区での焼身はこれまでに例がなく、彼が初めてである。そこで、この地域をウーセルさんは長征に関連づけ、VOTは同郷のノルジン・ワンモに関連づける説明を付加したのであろうと思われる。

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2013年01月18日

<速報>今日、ンガバ州キュンチュ県で新たな焼身 内地100人目!

photo7燃え尽きるドゥプチョク。

今日、1月18日、現地時間午後3時15分頃、ンガバ州キュンチュ県ダチェン郷(རྔ་པ་ཁུལ་ཁྱུང་མཆུ་རྫོང་སྦྲ་ཆེན་四川省阿坝藏族羌族自治州红原县瓦切郷)でドゥプチョク(གྲུབ་མཆོག་ ツェリン・プンツォクཚེ་རིང་ཕུན་ཚོགས་と最初報告されていた)と呼ばれる1人のチベット人が中国への抗議の印として焼身し、その場で死亡した。

現在地区の僧侶、一般チベット人が大勢遺族の下に駆けつけ法要を行っている。

追記:遺体は当局に奪われたという。年齢は28歳(21歳という情報も)、結婚し5歳と3歳の2人の娘がいた。妻の名はリクパ。妻は妊娠中と。

焼身の場所はダチェン郷中心部にあるポログランド(バスケットグランドとも)、警察署の前。駆けつけた部隊が遺体をバルカム方面に運んだという。

6114_394845877275147_112839196_n追加写真(19日)ドゥプチョクの生前写真。

ドゥプチョクはダチェン郷第2地区ツルマ村の出身、父の名はキョポ、母の名はヤンツォ。

追記2(1月21日):遺体は警察がバルカムに持って行った後、18日の夜、家族に連絡することもなく火葬された。

父親は弔問者に対し「息子はチベットの正義と自由のために亡くなったのだから、何も後悔していない」と語ったという。

今年2人目の焼身。内地焼身者100人目。内死亡確認83人。女性15人。

参照:18日付けTibet Timeshttp://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7213
18日付けphayulhttp://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32873&t=1

22340057キュンチュ県ダチェン郷はンガバの東方、ゾゲとの間にある。(写真はグーグルアースより)









582384_544884852190200_216138645_n内地焼身者100人の顔写真。

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「中国の警察がTYC(チベット青年会議)メンバー7人を逮捕」を検証

661e750b去年10月6日にツゥで焼身・死亡したサンゲ・ギャンツォ(27)と残された妻と2人の子供

中国の新華社通信が1月15日付けで「甘粛省警察、ダライ集団である『チベット青年会議』構成員が計画した焼身殺人事件を解決」という記事を発表した。甘粛省警察はTYC(チベット青年会議)が焼身を煽動、教唆しているという証拠を掴み、TYC幹部構成員を含む7人を逮捕したというのだ。ここでいう焼身とは去年10月6日にツゥで焼身・死亡したサンゲ・ギャンツォ(27)のことである。彼の焼身について詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764472.html

新華社の記事全文を@uralungtaさんが翻訳して下さったのでまずはそれを載せ、次に記事の中で焼身を教唆した後海外に逃げたとされる僧侶へのVOTのインタビュー、及び罪を着せられたTYCの会長の話を載せる。もちろん、双方の主張はまったく噛み合ない。どちらを信じるかは読まれた人の自由である。最後に私のコメントを記す。

甘粛省警察、ダライ集団である「チベット青年会議」構成員が計画した焼身殺人事件を解決
2013年1月15日 ソース:新華網(新華社ネット)
原文:http://news.xinhuanet.com/politics/2013-01/15/c_114378934.htm


【新華社蘭州1月15日】甘粛省の警察はこのほど、国外のダライ集団である「チベット青年会議」幹部構成員が組織的に計画し、チベット域内のならず者が惑わせて扇動した、組織的かつ計画的な焼身殺人事件の捜査解決に成功した。この事件では1人が死亡している。ケルサン・ギャンツォ、ゴンポ・キャプ、タシ・ギャンツォ[尕藏加错、贡保杰、扎西尖错]ら主要容疑者7人がこの事件で逮捕された。


2012年10月6日、甘粛省合作市那吾郷多河村<アムド、ツォェ、ドカル村>の村民サンゲ・ギャンツォ(26歳男性)が焼身により死亡し、甘粛省公安庁<警察本部に相当>はすぐさま専門の捜査本部を設置し、全力で捜査に当たった。これまで明らかになったことによると、2007年、サンゲ・ギャンツォは他の者と共謀して連続窃盗事件を起こし法にのっとって処分され、長期にわたり正規の職業についておらず、また同時に多数の女性と不適当な関係を続けていた。

2011年、国外の「チベット青年会議(TYC)」メンバーであるチュ・ギャンツォ[祁坚措](33歳男性、元ドカル僧院僧侶、サンゲ・ギャンツォの同郷の親友で、2000年に不法出国してインド「デプン寺院」で僧侶となっている)がチベット領域内に入って活動した期間に、何度もサンゲ・ギャンツォに「チベット独立」思想を持ち込んで吹き込み、同年9月にインドに戻った後も、インターネットや電話などの手段を通じて密接な関係を保ち、焼身した何人かについていわゆる「英雄的行為」であると吹聴し、「チベット人のための活動に貢献すれば、自分と家族の地位が高まる」とそそのかした。

2012年1月には、ダライ集団がインドで開催した「カーラチャクラ潅頂法要」期間中に、チュ・ギャンツォと「TYC」の別の1人の幹部構成員ゴンポ・ゴンチュク[贡保贡去乎](33歳男性、元ドカル僧院僧侶、2000年に不法出国)が呼んでインドを訪れカーラチャクラ法要に参加したケルサン・ギャンツォ(41歳男性、ドカル僧院会計担当、チュ・ギャンツォの兄)、ゴンポ・キャプ(32歳男性、ドカル僧院僧侶)など30人余りの甘粛省甘南州<アムド、カンロ地方>僧侶が会合を開き、チベット本土域内での焼身アクションの実施について計画した。2012年4月、ゴンポ・ゴンチュクはインドから<チベット本土に>ひそかに戻り、サンゲ・ギャンツォに会ってそそのかしと扇動を行い、合わせて「焼身さえすれば、その写真を領域外に送信し、ダライ・ラマ組織のインドの僧侶たちが読経して供養することを保証する」と確約して、焼身の決意を固めさせた。

10月6日、サンゲ・ギャンツォはゴンポ・キャプら3人に電話を掛けて、焼身する時間と場所を伝えた。サンゲ・ギャンツォが火をつけた後、現場に先回りしていたタシ・ギャンツォ(25歳男性、ドカル僧院僧侶)、ゴンポ・キャプらは焼身の一部始終や現場の状況を撮影し、いちはやく領域外に伝えた。<焼身した>当日午後、領域外在住のチュ・ギャムツォはすぐさまメディアに情報を公表した。続いて、ダライ集団は全力で自作自演を行い、チベット地域がいわゆる「人道主義の危機」に臨していると言いふらし、国際勢力に口出しさせるよう要求した。サンゲ・ギャンツォが焼身した後、ゴンポ・ゴンチュクはただちにこっそり出境し逃れた。


警察筋によると、他人を組織的、計画的、扇動的、そそのかして焼身させることは、命あるものを害することであり、社会に危害を及ぼし、故意に他人の命を奪う重犯罪行為である。中国の警察当局は既に、国際刑事警察機構を通じ、関係国に対しゴンポ・ゴンチュクを身柄請求した。同時に、今後さらに背後関係の捜査に力を入れ、他者の生命をふみにじる犯罪行為は法にのっとって厳罰に処する。

この記事を受けVOTは直ちに、記事の中でチベットに出入りして事件の中心人物であるかのように描かれている僧チュ・ギャンツォにインタビューしている。ついでにTYC会長にもインタビューしている。

以下、その要旨。
1、自分はまったくTYCのメンバーではないし、ましてや焼身を奨励したり、画策したことはない。

2、焼身したサンゲ・ギャンツォとは 同郷だ。村の人たちはみんな彼がどのような人柄であったか知ってる。 彼は正直で、温厚で、公正で正義感の強い若者だった。年長者を敬い、年少者を可愛がっていた。当局が彼が窃盗していたとか、数名の女性と不当な関係があったと言っているが全くあり得ない嘘だ
 
3、当局は彼が焼身した後、家族の下に行き、「彼の焼身は夫婦仲がこじれた結果である」という書面に署名すれば100万元の補償金を出すと持ちかけた。家族がこれをきっぱ り拒絶した後、当局はこのようなでたらめなストーリーをでっち上げた。
 
4、当局はまた、私が2012年1月に、インドの法要に参加した私の兄であるケルサン・ギャンツォやゴンポ・キャプという僧侶らカンロ(甘南州)の僧侶30人以上を集めて会合を開き、焼身を計画したと言っているが、これもまったくの嘘だ。このうちケルサン・ギャンツォはインドに来たことは一度もなく、また私自身はゴンポ・キャプという名の僧侶には一面識もない。すべて中国共産党政府が中国国内の民衆とチベット人を騙すためにでっち上げたものだ。
 
以下TYC会長ツェワン・リクジンへのインタビュー:

5、上記のような中国当局の非難に対して、ツェワン・リグジンは、インド南部のデプン僧院の僧侶チュ・ギャンツォとTYCはいっさい何ら関係がなく、組織のメンバーでもない。
 
6、中国共産党は自分の責任を隠し、逃れるためにこれまで何度もTYCを批難している。我々は中国共産党のこの卑劣な、責任逃れのやり方に断固抗議する。TYCが チベット内地のチベット人を扇動したり教唆して焼身させたということはこれまでに一度もないということを強調したい。


とにかく新華社の記事(警察発表)はつっこみどころ満載な記事である。

まずは見出しだが、「ダライ集団である『チベット青年会議』」と書かれてる。ここ(ダラムサラ)にいると、TYCがダライ集団という言い方に非常な違和感を感じる。TYCとダライ・ラマ法王は路線闘争において常にぶつかり合う間柄。どちらも「あれとは一緒じゃないぞ」というであろう。また、TYCは時には「宗教がチベットを台無しにした」なんていうことがあるぐらいで、僧侶をメンバーにしようとは思っていない。勧誘もしない。もっとも、どうしてもTYCに入りたいという僧侶がいれば、断りはしないと思うが。今回も僧チュ・ギャンツォはTYCとの関係を完全に否定している。

f554bf14焼身の後ドカル僧院に警察が踏み込んだ。

地元警察はサンゲ・ギャンツォの焼身の後10月17日に、遺体が一旦運び込まれたドカル僧院の僧侶4人を拘束している。詳細は>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51765950.html 今回新華社は7人逮捕したといいながら3人の名前しか発表していないが、その内の2人、ケルサン・ギャンツォとタシ・ギャンツォは10月17日に拘束された内の2人である。その時の拘束理由は「遺体を保護し、写真を撮った」というものだった。この時は「TYCのメンバー」とか、「外国に写真を送った」ということは「分かってなかった」か「そうではなかった」ということになる。

焼身したサンゲ・ギャンツォが「連続窃盗事件を起こしていた」だとか、「同時に多数の女性と不適当な関係を続けていた」とか言う事は遺族の心を非常に傷つけるであろう。そのような前科があるよな者をわざわざ選んでTYCが焼身を唆したというのもおかしな話ではある。そのようなせこい犯罪者に焼身ができるとでも思っているのか?焼身後、伝わった彼に対する村人たちの評価と今回のチュ・ギャンツォの評価は一致している。ンガバの僧侶たちが焼身したときにも当局は「彼らは犯罪者であり、僧侶なのに女を買っていた。精神的に未熟な者だった。精神異常者であった」等と言っていたが、これらを焼身の原因とすることは彼らが政治的動機から焼身したという事実を曲げるために持ち出された嘘だった。そのことと後から「彼らはダライ一味により唆されたのだ」という「政治的動機」を認めた言い方とは基本的に矛盾する。

7ca53e3e自宅に横たえられた遺体の上には法王の写真が。

TYCメンバーとされる僧チュ・ギャンツォがサンゲ・ギャンツォを唆すために「焼身は英雄的行為」であるとか「家族の地位が高まる」と言ったことになってるが、焼身者を英雄扱いするのは回りのチベット人たちが自然にそう思う感情に基づいており、人に言われなくても、そんなことは分かってることである。人にそう言われて焼身する者がいると考える当局は浅はかである。彼には若い妻と2人の子供がいたのである。焼身者の願いは自分が英雄になるという利己的なものではなく、みんなのためにチベットが自由になり、法王が帰還されるという利他的動機に基づいているのだ。

「チベット独立」思想を吹き込んだと言うが、サンゲ・ギャンツォが焼身しながら叫んだという言葉は「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王をチベットへ!言語自由!」と伝えられている。もしそうならなぜ「チベットに独立を!」と叫ばなかったのだろう。

「カーラチャクラ法要の時に、、」云々はカーラチャクラ法要の政治的危険性を強調したい当局の真っ赤な嘘と思われる。

「現場に先回りし」「焼身後、写真を撮りいち早く亡命側に伝えた」というが、現場に先回りし準備を整えていたのなら、何で写真じゃなくて一部始終を知らせるビデオを撮らなかったのか(1960年代のベトナム僧侶の焼身のように)、これこそ亡命側がほしがっているものなのに。

e2034605事件の後最初に亡命側に伝えられたのはサンゲ・ギャンツォの村を写したこの写真だった。

また、この焼身の情報を真っ先に伝えたのはTYCではなく9−10−3(グチュスン)の会だった。またその時には写真は伝わっていなかった。なぜ、TYCメンバーと言われる彼らがTYCに真っ先に伝えなかったのか?準備ができていたはずなのに。

事件後警察は「すぐさま専門の捜査本部を設置し、全力で捜査に当たった」というが、その実、警察と役人は焼身の後家族の下に来て、「サンゲ・ギャンツォの焼身は中国政府への抗議ではなく、夫婦仲が悪くなり、それを苦にして焼身したのだ、という手紙を書き、サインするなら、家族に100万元与えよう」と持ちかけている。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-10.html?p=2
家族はこの申し出をきっぱり断っている。当局が最初に考えた筋書きは失敗したわけである。そこで次に考えた筋書きが今回のバージョンというわけだ。警察はまっとうな捜査より、嘘の筋書きを考える事に熱心だったようだ。

郷や県、州当局は自分たちの守備範囲内で何かことが起れば、とくに政治的抗議目的の焼身が起れば、責任問題になるのだ。管理責任、監督責任というやつだ。これを回避するには、焼身が政治的抗議目的ではなく、個人的自殺とするか、または外国の分裂勢力の差し金とすることなのだ。中国当局も本当の原因はもちろん分かっているのだ。だがこれを認めるわけにはいかないというのが今の中国だ。

それにしてもお粗末なでっち上げである。また、いくら現地警察発表と断りながらも、こんなチンケな記事を載せるような新華社も落ちたものである。日本の新聞等はこれをほぼそのまま、報じている。例えば共同>産経http://sankei.jp.msn.com/world/news/130116/chn13011613220006-n1.htm
これを読んだ一般のチベットの状況をよく知らない日本人は、「へえ、そうなんだ。チベット青年会議という亡命側の組織が焼身させているんだ」と本気で思ったかも知れない。
中国の警察当局、焼身自殺扇動で7人逮捕 チベット人ら
2013.1.16 13:21 [チベット]
 新華社電は16日までに、中国甘粛省の警察当局が、26歳のチベット族男性に対して焼身自殺を扇動し死亡させたとして、チベット独立急進派「チベット青年会議」のメンバーら7人を逮捕したと伝えた。
 新華社電によると、メンバーの1人が2011年にインドから中国に入った際に男性と接触して「チベット独立思想」を教え込んだ上、焼身自殺させることを他のメンバーらと計画。死亡後に亡命政府の僧侶による読経を男性に約束するなどし、12年10月に自殺を実行させたとした。
 逮捕に至った経緯は明らかにしていない。(共同)


参照:17日付け「ちべログ@うらるんた」http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2013/01/20130115.html
15日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/masterminded-by-key-members-of-tyc-01152013152703.html
16日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/held-01162013163844.html
16日付けVOT中国語版http://www.vot.org/?p=20980
16日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=32858&article=TYC+rejects+China’s+allegations+as+‘baseless+and+fallacious’
チュ・ギェンツォへのVOTインタビューhttps://docs.google.com/document/d/1aj3fmfil-aL-69arzVeDPAqDxh2h-NaySl8MxpyhMwk/edit?pli=1

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2013年01月16日

在米チベット人女性が語る甥の焼身

73341_10151350317699802_1312452720_n今月12日にアムド、サンチュ県アムチョク郷で焼身・死亡したツェリン・タシ(略称ツェベ)。

彼の叔母にあたるVOA(Voice of America)に勤めるツェリン・キは、13日に自身のFB上でツェリン・タシの焼身の経緯、家族の状況等について詳しく報告し、チベットを離れる前幼いツェリン・タシと遊んだ頃の思い出、最近電話で会話した内容等も書きながら、親内を突然失った悲しみを綴っている。

私はすぐに翻訳しようとしたが、文章中にはアムド語が含まれその部分が理解できなかった。そこで、日本にいる友人のチベット人に読んでみてほしいと連絡した。すると彼はすぐに全文を日本語に翻訳して送ってくれた。実は彼の甥も最近焼身し、亡くなっているのだった。同じような境遇であるツェリン・キの綴った文章に特別の共感を抱いたのではないかと想像する。

ツェリン・キは同じくFB上にツェリン・タシが焼身中の映像をアップしている。<閲覧注意>http://www.facebook.com/photo.php?v=400041380082900&set=vb.100002311230160&type=2&theater
なお、ツェリン・キは元ミス・チベットであり、今はVOAの有名アナウンサーである。

原文:http://www.tibetexpress.net/bo/2010-02-06-06-49-13/2010-02-04-05-42-59/9974-2013-01-13-12-38-01
翻訳:@Kakusimpoさん

愛する甥と焼身抗議

土曜日(1月12日、アメリカ時間)の朝、まだ寝ているところに電話が鳴り続く。番号も見ずに電話をとると、泣き声や叫び声などいろんな声が聞こえてきた。故郷アムチョクの方言だ。「強い者たちよ…もう終わりだよ…頑張れ…こっちに来い…前に進め…オンマニペメフン…ギャワ・テンジン・ギャツォ…」私には何も話してこないので、異常事態である事に気づき、すぐに他の村人に連絡した。「お気の毒に、あなたのお兄さんの可愛い子が亡くなってしまったよ」。何を言っているのかさっぱり分からなく、「何が起きたんですか」ともう一度聞く。「あなたの兄ドゥカル・キャプの一人息子が今日の(午後)2時前後に、アムチョクの大通りで自ら身を焼き、亡くなったんだよ」という。

あんなに控えめで優しい子が、どうしてそんなことを考えたのでしょう!

何日か前に兄に電話した時、甥が「お父さん、カカお姉ちゃん(私)と話し終わったら電話を俺に替って、俺も話しがある」と言ったらしい。彼と話しを始めると特に話すこともなく「お元気ですか?いつもテレビを見てるよ。髪を一つにまとめているお姉ちゃんの顔がお月さんみたいだよ。もう少しいいチュパ(チベットの衣装)持ってないの?」なんて言うものだから、「今度カチュ(近くのイスラムの町)に行ったらお姉ちゃんにいいチュパの生地を買って来てね!」と冗談を言った。これが長年会うことのなかった甥との最後の会話となった。

兄ドゥカル・キャプと兄嫁のツェリン・ドルマご夫婦は、長男(甥)ツェリン・タシと、2人の娘タムディン・ツォとツェタル・キ、3人の子供を持つ家庭だった。娘は2人とも嫁に行き、家には兄夫婦と長男(甥)、長男の嫁ユムツォ・キがいた。

私は以前、メディアで焼身抗議するチベット人の状況を訴える放送を行ったり、書いたりした。しかし、今回のことで焼身抗議者の家族の悲しみなど、ほんの少しも解っていなかったのだと身にしみて感じた。家族の涙と泣き声、深い愛情と、疲れ切った心、これらすべてを直に聞いて、生きたままの身を焼く肉親を見送ることの悲しみに耐えることができなかった。

19382_10151456524845337_1444273243_n井早智代さんが今日描かれた「ツェリン・タシに捧げる絵」

ある放牧仲間の話によると、 その日の朝、甥(ツェリン・タシ)らと一緒に家畜の放牧をしていたが、甥が「ちょっと家に行ってまた戻る」と言って、家畜を仲間に預けて去って行ったと言う。ツェリン・タシが家に着くと、母親のツェリン・ドルマに「今日はチュパを着たい、どれが良いだろう」と聞いたという。母親は「今日は寒いから厚い方のスィツァー(毛物のチュパ)を着なさい」と言い、彼はそのチュパに着替えた。そして、再び放牧の仲間たちのところに戻った。しかし、その後すぐに、町に大事な用があるので、すぐ戻るからと言って再び去ってしまった。その時、彼は携帯電話の電源を切り、チュパには何か大きな物が入っていたという。

アムチョクの町でツェリン・タシの焼身の一部始終を目撃したという政府機関に勤める人の話しによると、「街の病院前でチュパを着たチベット人が身を鉄のワイヤーで絞めていた。燃え上がる中で「ギャワ・テンジン・ギャツォ(ダライ・ラマ法王)!」と叫ぶと同時に倒れた。しかし、またすぐに立ち上がり、走り出すと、巡察の警察と軍に発見された。それに気づき逆方向に走ったが、間もなくして崩れ落ち、五分ほど後には息絶えた。あまりにも衝撃的な光景にチベット人らが一瞬呆然としていたが、軍と警察が焼身抗議者に向かって来ているのを見て彼らは一斉に投石し、彼らを近づけないよう抵抗した」という。

その後、親戚の人の話しによると、ある人から「焼身で亡くなっている方がおりますが、お宅のツェリン・タシに似ているが」との連絡が入った。兄たちが現場に着くと、遺体はあまりにも悲惨な状態で、身の確認も出来ないほどであったそうだが、顔の輪郭で自分の子であることを確認したという。街のチベット人らが車などを用意し、遺体をチベット人の人垣で囲み、軍と警察が近づけないようにして、アムチョクのキー村に運ぶことができたという。

法要に向かおうとしたアムチョク僧院の僧侶らは道中で警察に阻止されている。今はキー村の入り口3カ所に警察の車が多数停まって、夜もライトをつけたまま見張っている。他の村からは、代表者一人だけが弔問に来ることを許されただけという。ある親戚の年長者は、「この畜生ら、やり方があまりにも残酷だ!葬式をすぐにやるように命じて、それに反したら、結果に責任をとれと脅迫している、人の風習を完全に無視した人非人だ!」と驚きと怒りが押さえられない口調で訴えた。

私が故郷を離れた時には、ツェリン・タシは7歳か8歳だった。私のことをアチェ(お姉さん)・カカと呼んでいたカカというのは私が学校でカカ(チベット文字の最初の2文字の発音、チベット文字一般の意味にもなる)を勉強していたからだろう。私の親戚は粗暴な性格の人が多かったが、彼は違っていて心優しい物静かな性格だった。兄の一人息子だったのでみんなから愛されていた。小さい頃に私と遊ぶのが好きだった甥のツェボ(ニックネーム)が今は大人になり、ユムツォ・キという素敵なお嫁さんも家につれて来ていた。

なのに突然この世から去ってしまった。生きたまま自らの身を焼き、身の確認すらできない灰になった現実と、未亡人になった若い嫁、そして息子を失った兄夫婦をどう慰めようかと考えた。しかし兄は「ツェボ、もう悲しむことはないよ、私は息子がただで去ったとは考えていないから」と意味ある言葉で、逆に私を慰めた。

兄は何年間も村の村長を経験しており、村と村民の様々な問題解決に欠かせない人物だ。将来をすべて期待していた最愛の息子を失い、気を失うほど悲しむ妻と、夫を亡くした嫁の悲しみを見守りながら、番犬のように村を巡視する軍と警察の脅威の下で、葬式すら思うままにできない状況の彼らにどんな言葉をかけてあげれば良いのか分からなかった。

愛する甥よ、あなたの最後の言葉をいつまでも忘れません。どうか安らかにお眠りください。13年も会うことなく世を去った甥よ、これらすべての出来事が幻覚なのか現実なのか判断に苦しみます。あなたはまだ私の心の中に生きていて、お姉ちゃんと呼ぶ声や輝く目が見えます。愛する私の小さな甥よ。


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2013年01月15日

焼身の情報を国外に伝えたとして8人連行

去年11月29日、アムド、ルチュ(甘粛省甘南チベット族自治州碌曲県)でツェリン・ナムギェル(31)が焼身抗議を行い、死亡した。(詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771156.html

この事件の後、ルチュ警察は彼の焼身に関する情報を国外に伝えたとして、去年12月末に8人のチベット人を連行。内1人は解放されたが、残りの7人は行方不明のままという。

0134最初に連行された僧ケルサン・サムドゥプ

12月20日、地元警察はルチュ県サムツァ郷(ཀླུ་ཆུ་རྫོང་ཟམ་ཚ་ཡུལ་ཚོ་)にあるドンスク・ゲデン・シェラップ・プンツォク・ダルギェリン(僧院གདོང་ཟུག་དགེ་ལྡན་ཤེས་རབ་ཕུན་ཚོགས་རབ་རྒྱས་གླིང་)に押し掛け、僧ケルサン・サムドゥプ(44)を尋問した。次の日、彼は「分裂主義者と関係を持った」との嫌疑で連行された。彼が連行された3日後には、11月29日に焼身、死亡したツェリン・ナムギェルの情報を国外に流し、今も国外と連絡を取っているとしてロツォ村のニマ、ラモ・ドルジェ、ドルジェ・ドゥンドゥプ、ケルサン・キャプ、ケルサン・ソナム、ケルサン・ナムデン、ソナム・キの7人が連行された。

この内、ケルサン・ナムデンは焼身したツェリン・ナムギェルの妻の弟である。また、唯一の女性であるソナム・キは2008年、ラサで商売をしていた時、国外と連絡を取ったとしてラサを追い出されたことがあった。

その後、ニマだけは携帯等を押収された後、解放されたという。その他の7人はルチュで拘束されているのであろうと思われているが、確かな居所は不明のままである。

参照:12日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7185
12日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/amdolaytsen/amdo-stringer/8-tibetan-arrested-from-luchu-amdo-01122013115203.html

056
ケルサン・キャプ

064
ケルサン・ソナム

0416
ドルジェ・ドゥンドゥプ

0314
ラモ・ドルジェ

0229
ニマ


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