2013年05月

2013年05月31日

またも秘密裁判で僧侶作家に懲役刑/ウォンポ僧院僧侶6人刑務所 3人依然行方不明

image僧ティツン。

またも秘密裁判の末 僧侶作家に懲役刑

RFAによれば、今年3月11日に連行され、その後行方不明になっていたゴロ州ガデ県トンキャプ僧院の僧侶作家ティツン(ཁྲི་བཙུན།26歳、筆名ティプタク)に秘密裁判の末、刑期不明の懲役刑が科されていたことが判明した。

僧ツェツンは2012年1月8日に焼身、死亡した地域の高僧ソバ・リンポチェの伝記を著し、その出版記念会を僧院内で行った数日後に拘束されていた。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51784159.html

現地からの報告によれば、「1ヶ月ほど前にガデ県の警官が僧ツェツンの母親を訪ね、彼女に息子が懲役刑を受けたという書類を手渡した」という。その書類には刑期やどの刑務所に収監されているかについてはなにも書かれていなかった。「母親は警官に息子との面会を懇願したが、拒否された」という。

今月14日には同じく僧侶作家であるガルツェ・ジグメに5年の刑が言い渡されている。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51789838.html

参照:5月30日付けRFA英語版 http://www.rfa.org/english/news/tibet/sentenced-05302013165335.html

182972_529548937109710_1397038097_n拘束されたウォンポ僧院の僧侶たち。

行方不明となっていたウォンポ僧院僧侶9人の内6人は刑務所に3人は依然行方不明

去年10月中に、カム、カンゼ州ザチュカ(セルシュ)県ウォンポ郷では2つの僧院の僧侶を中心に27人が拘束された。これは先の9月7日に学校の校庭にチベット国旗が掲げられ、周囲に「チベット独立」と書かれた紙切れが沢山撒かれていたという事件に関連する拘束であった。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766101.html

拘束されたチベット人の多くはその後解放されたが、ウォンポ僧院(དབོན་པོ་དགོན།ガデン・シェドゥプ・ダルゲリン)の僧侶9人は最近になるまで行方不明のままであった。地域の人々が捜索し続けた結果、最近やっとその内の6人は四川省ロンダク県の刑務所に収監されていることが判明した。しかし、最年長者である47歳の僧チュダルを含む3人の行方は依然不明のままという。

参照:5月30日付けRFAチベット語版 http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/nine-monks-disappeared-05302013160600.html
5月29日付けTibet Post 英語版 http://www.thetibetpost.com/en/news/tibet/3427-missing-buddhist-monks-reportedly-in-chinese-prison-in-tibet

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2013年05月30日

カンゼで強制土地収用

290a96fdカンゼ僧院から見たカンゼ市街地。

先週からカム、カンゼ当局はカンゼ周辺のチベット人が所有する農地等を僅かな補償金と引き換えに有無を言わさず取り上げているという。

現地の人が報告するところによれば、土地の大小に従い4万元前後の補償金が払われ、耕作地の場合はさらに8千元が上乗せされるという。しかし、それらの土地の相場はその約10倍の40〜50万元であり、誰もそんなはした金で手放したくないが、逆らう事ができない状態だという。

参照:5月29日付けTibet Times チベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7724

ganzi_countyカンゼ市内。

このところ当局によるチベットの地方中小都市周辺の土地収用が目立ち始めている。いよいよ、チベットにも中国内地の「新市街地開発」の波が本格的に押し寄せ始めたのかと危惧する。チベットの場合はその上、その開発地に内地の漢人が入り込むというおまけもつく。

中国は特に2008年のリーマンショック以来、札を刷りまくることにより経済発展を維持している。その金の半分は不動産投資に向かう。地方政府は軍隊や保安部隊の武力を後ろ盾に、ただ同然で農民や遊牧民の土地を取り上げ、それを開発し不動産業者と共に金を儲ける。これほど簡単なやくざ仕事は他にない。こうして、中国の各地に新市街地が出現する。もっとも、多くの場合は無人の幽霊市街地と化したりする。

中国自体は年々債務超過に陥り、インフレとなり、その内不動産バブルがはじけ没落するであろう。しかし、役人たちは先のことなどどうでもよくて任期中にどれだけ稼げるかしか考えていない。中国のバブルがはじけ没落することはチベットにとって凶とでるか、吉とでるかは分からない。ただ、はっきりしているのはチベットの農牧民をはじめ中国の庶民はどちらにせ苦しむということだ。

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2013年05月29日

<速報>焼身抗議は終わっていない ジェクンド州で27日また1人 内地118人目

2905a2テンジン・シェラップの生前写真。

5月27日、カム、ジェクンド(ཡུལ་ཤུལ་ユシュ、ケグド、青海省玉樹)州チュマレプ(ཆུ་དམར་ལེབ་曲麻莱)県でテンジン・シェラップ(བསྟན་འཛིན་ཤེས་རབ།)と呼ばれる31歳のチベット人遊牧民が中国政府のチベット圧政に抗議するために焼身、その場で死亡した。

南インドの僧ジャンパ・ユンテンが伝えるところによれば、テンジン・シェラップはチュマレプ県のギャリンと呼ばれる場所で焼身、その場で死亡した。警官が駆けつけ、遺体を運び去ったが、28日になり、警察は彼の父親を呼び出し、遺体を引き渡したという。遺体はウォンボ僧院内に運ばれ、法要が行われた。

tenzin_sherab12彼は数日前、友人たちに「中国の政治はよくない。このままではチベットの宗教や文化が消滅してしまう恐れがある。もう中国の支配の下では生きる事ができない」等と何度も話していたという。

テンジン・シェラップはチュマレプ県チクディル郷キャキョック第二地区アデル村(ཆུ་དམར་ལེབ་རྫོང་།  ཆིག་སྒྲིལ་གྲོང་བརྡར།  སྐྱ་འཁྱོག་ཡུལ་ཚོ།   རི་ཁག་གཉིས་པ། ཨ་དྲེལ་སྡེ་པ་曲麻莱县秋智乡加巧牧委会第二大队阿宅)の出身。父の名はドゥンドゥップ、母の名はチュメ。5人兄弟の内最年長。

内地焼身118人目、内外合わせ122人目。内死亡確認103人目。

1ヶ月間以上焼身は発生していなかった。多くの人たちがもう焼身抗議は終わったのではないかと思っていた。

参照:29日付けTibet Expressチベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10632-2013-05-29-02-38-14
29日付けTibet Times チベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7723
29日付けVOT中国語版 http://vot.org/cn/?p=25647

575486_10151721202975337_86891835_n井早智代さんがテンジン・シェラップを偲び描かれた絵。

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2013年05月28日

ディルで聖山をえぐる鉱山開発に抗議するために数千人が集結 軍とにらみ合う

ディル







聖山の麓に集まったチベット人たち。

カム、ディル(ཁམས་འབྲི་རུ་རྫོང་チベット自治区ナクチュ地区ディル県)にある有名な聖山ナクラ・ザンバラ(ནགས་ལྷ་ཛམ་བྷ་ལ་)で鉱山開発が始まることを知った地元チベット人がこれを阻止しようと集結する。

naglha_mine3Tibet Expressによれば、5月24日に車約1000台に分乗し約4500人が聖山の麓にあるダタン郷に集まったという。これに対し、当局は25日に軍車両大小合わせ約50台を送り込み、解散しないときには武力使用も辞さない姿勢を示し、緊張が高まっている。

この鉱山開発に対し、地元のチベット人たちが強く反対していることを知った当局は、道路を作ったり電柱を立て、変電所を作ることで地元に利益をもたらすことができると宣伝している。しかし、地元の人たちはこのような計画自体にも反対している。

ディル地区では1990年代から鉱山開発が始まり、2012年にはこの聖山における鉱山開発が何度か始まろうとしたがその度に地元チベット人が抗議を行い、これまでは阻止することができていたという。

naglha1現場に向かう軍車両の車列。

情報を伝えた現地チベット人は「今は冬虫夏草採集の季節であるが、ディルの人たちは環境保護のためにみんな時間を割いて自主的に集まっているのだ」という。

このナクラ・ザンバラ聖山はディルの守り神の住まいとして有名であり、人々の篤い信仰の対象となっている。

参照:5月27日付けTibet Expressチベット語版 http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/10624-2013-05-27-06-32-37
5月28日付けTibet Timesチベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7720

naglha_mine5集結場に向かうチベット人の車列。この内1台が事故を起こし、数人が死亡したという。

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2013年05月27日

ンガバ出身の歌手、プロデューサーであるペマ・リクジン 連行・行方不明

5月7日、四川省成都でアムド、ンガバ出身の歌手ペマ・リクジン(པདྨ་རིག་འཛིན།)が突然警察により連行され、その後行方不明となった。また、彼が成都で運営してた映像ワークショップも当局により閉鎖された。

ペマ・リクジンは1982年からチベットのフォーク歌手としてデビュー、「雪国を思い出す歌 གངས་ལྗོངས་དྲན་གླུ།」や「涙 མིག་ཆུ།)」等チベット人の心情を歌った多くのヒット曲を生み、人気を博した。2008年以降、歌手としての活動を止め、成都に映像ワークショップを作り、そこでチベット人の現状、心情を歌う多くの歌手を育て、曲をプロヂュースして来た。中国当局はこれまでに何度もこのワークショップを閉鎖するよう命令していたという。

ダラムサラ・キルティ僧院の内地連絡係り僧カニャク・ツェリンによれば、ペマ・リクジンはンガバ県メルマ郷第4地区の出身。現在41歳前後。彼は幼少時にンガバのナムツォ僧院で僧侶となり、セルタのラルン・ガル僧院でも学んだことがあるという。その後還俗し、結婚。2人の子供がいるという。

ペマ・リクジンの歌「カンゾン(雪国=チベット)を思い出す歌」



歌詞の日本語試訳:

作詞:ティメ・ワンギェル
作曲・歌:ペマ・リクジン

雪が降り積もり
周囲の山々を白く飾り
汚れなき仏法の広まる地
雪の国チベットを思い出した

ラマたちの慈悲に溢れる住まい
菩薩の転生者たちが歌舞する地
至上のラマ(ダライ・ラマ)の住まい
雪の国チベットを思い出した

四つ大河が流れ出し
六つの気高い雪山が聳える
カム、アムドを含む浄土
雪の国チベットを思い出した

雪の国を再々思い出した
仏法の浄土を思い出した
雪山の子供である私は
思い出を歌にのせる

雪山の子供である私は
思い出を歌にのせる


参照:5月23日付けTibet Times チベット語版 http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7702

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2013年05月26日

サカダワ

サカダワダラムサラ・カーラチャクラ堂の正面中央に描かれる仏陀釈迦牟尼。

昨日西暦5月25日はチベット暦においては4月15日であり、チベット仏教徒が一年の内もっとも聖なる月と見なす4月(ས་ག་ཟླ་བ།サカダワ)の中日であり、釈迦牟尼仏陀がこの地上に降誕し、ブッダガヤの金剛座で成道され、クシナガラで涅槃された日と信じられている。チベット仏教的には一年でもっとも大事な日とされる。サカダワの一ヶ月間になんらかの功徳を積めばそれは数十万倍になると言われる。その反対に悪徳の方も同じく数十万倍になるそうだ。で、チベット人はじめチベット仏教に影響された人たちはこの一ヶ月できるだけ善い事をすることを心がける。

サカダワ2ダラムサラ・ツクラカン本堂にこのサカダワの期間だけ、特別に公開されるというキロン・ジョオ像。後ろにあるのはいつも安置されている千手観音であり、その前の見目美しい立像がそれ。いつもはダライ・ラマ法王パレスに置かれているそうである。

ジョオ(チョオ)と呼ばれる像は一般に釈迦牟尼仏陀の菩薩型であり、仏陀のティーンエイジ時代を表現したものとされる。もっとも有名なジョオ像はラサ・ツクラカン(ジョカン)のジョオ像である。よく3大ジョオ像とよばれるが、これはジョカンのジョオとこのキロン・ジョオ、そしてもう1つはラモチェのジョオともラガンのジョオとも言われる。

ところで、この旧暦(太陰暦)の4月に仏陀が生まれ、悟り、亡くなったというのは上座部仏教系のタイ、ビルマ、スリランカその他の国々でも同様に信じられていて、これらの国々でも「古代インド暦でヴァイシャーカ月の満月の日」にウィッサカ・ブッシャー(仏誕節)というお祭りを盛大に祝う。だからこのインド起源の言い伝えが始まったのは相当古いと思われる。

一方この設定は中国で変革されたようで、それが伝わった韓国や日本では仏陀の誕生日は4月8日とされ「花まつり」として祝うしきたりが生まれた。日本では成道会は12月8日、涅槃会は2月15日である。

何れにせよ、いつかから始まった言い伝えでり、本当にいつ仏陀が生まれたか、悟ったか、亡くなったかなどということは正確には分かっていない訳だが、とにかく仏陀を偲び、(普段忘れたりしている)その教えを思い出し、(普段はあまり気にかけていない)善い事をする機会を作ろうというわけである。

サカダワ3ツクラカン、ナムギェル僧院ではこのところ砂マンダラも作られサンワドゥパ(グヒヤサマージャ 秘密集会)の灌頂が行われている。

サカダワの中日に熱心なチベット人が動き出すのは夜中の12時過ぎである。煌々と満月が天空に照り輝く中で、大勢のチベット人がパレスを巡るコルラ道に出て五体投地を始める。もちろん単に歩いて回る人も大勢いるがとにかく朝方まで何度もコルラするのである。そして、朝5時前にはツクラカンの本堂でテクチェン・ソジョンと呼ばれる在家信者のための懺悔の儀式とその日一日だけ守る特別の戒を受ける。

サカダワ4毎年サカダワにはこれと同様の写真を載せている訳だが、ダラムサラ・サカダワ名物はこのコルラを埋め尽くすインド人乞食さまたち。遠くからやって来てサカダワが始まると同時にもう2週間前からここに住み着いている者たちも多い。それほど、この時期の実入りは(きっと)多いのだ。連れがその数を数へたところによれば、コルラ道沿いに約1200人いたそうな。














サカダワ5サカダワと言うといつからそうなったのか知らないが、最初の2週間だけに善行を努めるとか肉を断つとかが一般的となり、後の2週間はもうサカダワから解放?された気になる人が多いようだ。そこで、これを揶揄した「サカダワは最初の2週間に善を積み、後の2週間で悪を積む」を言われたりする。2週間肉を我慢したのだからと言って肉をバカ食いしないように。

サカダワ7もっとも、日本の人たちのツイッターやFBを見ていると、サカダワ=肉断ちと思ってる人が多いように見受けられた。チベットでもこの時期肉を断つという習慣はあるようだが、きっとこれは肉好きのチベット人にとってはこの戒が余程きつくて有名になったからではないかな?なんて思ったりする。

本来は肉を断つなんてことは、対した善行にもならないわけで、それよりももっと気をつけるべきことは沢山あるのは当たり前である。在家の戒律には5戒、10戒、菩薩戒等があるが、5戒の中には酒を断つというのもあるはず。10戒の中の「殺さない」はもちろん人を殺す人は稀としても、まずは目につく蚊等の虫を一匹も殺さないとか、「盗まない」は人様の所有物を盗む人は稀だが、人の時間を様々な意味で盗むというのも含まれるということに注意したほうがいい。「浮気をしない」はサカダワだからといって、これを途中で止める訳に行かない人も多いかとも思うが、とにかくお互い一生を台なしにする可能性が非常に高いので気をつけられんことを。

サカダワ9「嘘をつく」と、もちろん大変なことになることが多い。まずはそのような状況に陥らないように日頃から気を付けるように。やるといってやれないときも嘘になるので、できないことは最初から安請け合いしないように。「ほらを吹く」も嘘の一種である。「暴言」は次の「中傷」と共にこのサカダワには特に気を付けたい。とくに最近ではツイッターとかFBの普及により、この機会が増えているように感じる。癖になってるような人は早く気がついて、「人は長所のみ」という仏教の言葉を思い出して欲しい。「おしゃべり」は仏教では「時間を食う」ので、非常に悪い事になっている。

サカダワ11最後の心の不善の3つ貪欲・瞋恚・邪見(愚痴)は仏教で乗り越えるべき全てのことを含む。もっとも、仏教を持ち出さなくても、小欲にして、怒りや愚痴のこころを遠く離れることは幸せの基本であることは誰もが認めるところと思うので、とにかくこのサカダワの時期に執着心を少しでも減じ、決して怒らず、一言も愚痴を言わないことを堅く決心し、できるだけ実行してみてほしいものだと、自分のとこはさておき、老婆心でお願いする。

サカダワ12おまけの1枚。

徳とは幸せの元のことだが、仏教の慈悲を始めとする方便の教えも、空の教えを始めとする智慧の教えも、すべて自他ともに幸せになるための教え。社会や個人の性格がよくなるためのアドバイスである。

修行だ、瞑想だ、仏教を勉強してると口にしながら、性格がちっとも改善されない人はなにか根本的な誤解があるのではないかと気付いた方がいいかもしれない。

とにかく特にサカダワ中には人に優しく接し、自分のことを考えることを少なくし、人助けに努めることだ。





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2013年05月24日

ダラムサラで中国が送ったスパイ逮捕

2405a2スパイを命令した李玉泉とスパイのペンパ・ツェリン。

5月22日にダラムサラ、マクロードガンジで中国が送った1人のスパイがインド警察により拘束された。名前はペンパ・ツェリン(33)というナクチュ出身のチベット人である。彼はチベット自治区ナクチュ県の公安部長官であり、自治区第9次国家人民会議のメンバーでもある李玉泉の指示を受けていたという。

彼は普段デリーに住んでいたが、数日前からダラムサラに来ており、水曜日の夜逮捕された。

ペンパ・ツェリンは1999年から2002年まで人民解放軍に所属し、諜報活動や戦闘訓練を受けていたという。

チベット亡命政府保安省秘書であるワンチュクはVOAのインタビューに答え、「2009年に彼が亡命して来たときから、彼がチベットで軍人や警官をやっていたことは分かっていたので、特別扱いにしていた。しかし、彼が中国のスパイだとは分かっていなかった。最近になりタシ・ギェルツェンとカルマ・イシェを殺そうとしているということが判明したので、拘束した。拘束した後、彼が『中国のスパイである』ということを白状したということだ」と話す。

VOA:主にどのような仕事していたのか?
ワンチュク:中国は亡命チベット人たちが過激なテロリスト活動を行っているという疑いを持っているので、亡命政府、TYC初め各NGOがどのような過激な活動を行っているのかを調査することが主な目的だったと彼は言う。しかし、いくら調べてもそのような事実は見つからなかったので、単にダライ・ラマや亡命政府の言動などを報告していたという。

ペンパ・ツェリンは2002年、ナクチュ地区ラリ県トメ郷の出身。李玉泉の命を受け2年間特別訓練を受けた後、ネパール国境のダムまで送られ、ネパール経由でインドに入った。インドに滞在中「自分は亡命政府保安省の人間だ」と偽り、多くの人を騙していたという。

Untitled-11殺されそうになったというタシ・ギェルツェン(左)とカルマ・イシェ(右)。

VOA:どうして中国は2人を殺そうとしたのか?
ワンチュク:彼が言うには中国の高官李玉泉が「タシ・ギェルツェンとカルマ・イシェは以前中国の刑務所にテロリストとして収監されていた者である。彼らは危険だから殺せ」と命令した。最初から殺せではなく、最初は2人を「ネパールまで連れて来い、ネパールで自分たちが片付ける」ということだったそうだ。そのような命令を受けたので、ペンパ・ツェリンはこの2人と仲良くなり彼らをネパールに連れて行くことを試みたが、結局2人はネパールに行く事はなかった。そこで、その高官はネパールに赴き、そこでペンパ・ツェリンに会って、「毒で2人を殺せ」と言って毒を渡したという。今回タシ・ギェルツェンとカルマ・イシェから殺されそうだということ聞き、彼を拘束することをインドの警察に依頼したのだ。

一般に、中国が亡命側にスパイを送り込み、亡命社会を乱し、破壊しようとしているということは予てよりはっきり分かっていることだが、証拠を掴めない限りは逮捕はできない。今回証拠を掴んだので、ほっておけば危険なことになるというのでインド警察に依頼したのだ。

ペンパ・ツェリンはダライ・ラマ法王の健康状態やスケジュールをはじめ、NGOの活動、主要活動家のプロフィール、新規亡命者の情報等を定期的に電話やネットを通じて報告していたという。李玉泉は2012年以降2度に渡り他のエージェントと共にペンパ・ツェリンとネパールで会い、2人の殺害を指示した時には3種類の毒を渡したが、その時彼の目の前で試験的に2匹の子犬と鶏を殺す事により毒の効果を知らしめたという。

また、彼は2009年5月以降、合わせて110万ルピー(約190万円)を李玉泉から受け取っていたとされる。

ダラムサラでは2009年1月にも元人民解放軍兵士であり、中国籍の李玉泉がスパイ容疑で逮捕されている。彼はラサの軍高官と連絡を取り合っていた。

参照:5月23日付けTibet Net http://tibet.net/2013/05/23/chinese-espionage-and-terror-plot-against-tibetan-community-exposed/
5月23日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33479&article=Plot+to+poison+Tibetans+in+Dharamshala+foiled%2c+Chinese+spy+arrested
5月24日付けVOAチベット語版http://www.voatibetan.com/content/chinese-spy-arrested-in-dharamsala-/1667107.html
5月23日付けHindustan Times http://www.hindustantimes.com/India-news/HimachalPradesh/Suspected-Chinese-spy-arrested-in-Dharamsala/Article1-1064758.aspx




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2013年05月23日

在北京アメリカ大使館に「美による抵抗者」が集いウーセルさんの授賞式

001参加者は人権活動家の胡佳、ウイグルのリベラル知識人である中央民族大学のイリハム・トフティ准教授、弁護士丁家奎、弁護士郭建梅、アーティスト艾未未、王力雄と大使館関係者。

在北京のチベット人作家ウーセルさんは今年3月4日、アメリカ政府国務院から「国際勇気ある女性賞」を受賞した。「国際女性デー」である3月8日に国務長官ジョン・ケリー氏とファーストレディー、ミッシェル・オバマ女史をスピーカーとしてその受賞式が行われたが、ウーセルさんは渡米のためのパスポートも発行されず、その上その日、中国当局により自宅監禁にされ外出もできない状態にされた。
詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51782761.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51783159.html

002今月20日、在北京アメリカ大使館は彼女の遅れた受賞式を行うためにウーセルさんだけでなく他艾未未等の著名な人権活動家や人権弁護士も招き、大使館内でホーム・パーティを開いた。

ウェイボー等ではこの日、米大使館に集まった人々のことを「美による抵抗者」、「中共とは審美的に違う」、「美の自由を求める」などと呼んでいるという。

ウーセルさんの著書の日本語訳等をされている大阪在住の中国人作家劉燕子さんが、この日のことをウーセルさんからのメールとともに「遅れた授賞式・抵抗の美学」と題され集広舎のホームページ上で伝えて下さっている。以下そのページ>http://www.shukousha.com/column/liu/2191/

006ウーセルさん自身もこの日のことを沢山の写真と共にブログで報告されている。特别的颁奖,好看的反抗者们http://woeser.middle-way.net/2013/05/blog-post_20.html


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焼身・死亡したツェリン・ドゥンドゥップの遺書が半年後に伝わる 鉱山開発に抗議

ead184b5ツェリン・ドゥンドゥップ。

去年11月20日にアムド、サンチュ(བསང་ཆུ་རྫོང་甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)アムチョク(ཨ་མཆོག་阿什合曲郷)ギャガル草原にあるゴン・ンゴン・ラリ金鉱山開発場の入り口付近で3児の父、ツェリン・ドゥンドゥップ(ཚེ་རིང་དོན་གྲུབ་)、34歳が焼身、その場で死亡した。詳しくは>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770091.html

地域の人々はかねてより、この鉱山開発に反対していた。彼が焼身した場所も鉱山開発場の入り口であったことから、彼の焼身は鉱山開発に抗議する目的を含んでいたのではないかと思われていた。

彼は焼身前に遺書を残していた。その遺書が最近になりやっと亡命側に伝えられた。その中で彼は鉱山開発への抗議の言葉も記している。

643970_377985222288516_2039020037_n左の写真が手書きの彼の遺書。

以下、その日本語訳。

ダライ・ラマ法王がチベットにお戻りになるべきだ。
ギャワ・カルマパはじめ全ての亡命者が内地に戻るべきだ。
パンチェン・リンポチェ(ゲンドゥン・チュキ・ニマ)はじめ全ての政治犯が解放されるべきだ。
チベットには自由が必要だ。
鉱物を掘り出すな。
チベットに独立を*。


*最後の「チベットに独立を」という字句は写真には写っていないが、書かれているらしく、これをタイプしたチベット語には含まれている。



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2013年05月22日

フランスのテレビ局がラサ潜入取材に成功 貴重映像とインタビュー

フランスのテレビ局”France 24”のレポーターCyril Payenが8ヶ月待たされた後、やっと最近(日付は明記されていない)7日間の入域許可を得てラサに入り秘密裏に取材することに成功した。彼の見たものは「ダライ・ラマや人権団体が主張する『チベット文化は消されつつある』を裏打ちするであった」という。

「Seven Days in Tibet」と題され、全部で9分ほどの番組に編集され放映された。前半4分間において、チベット人や中国人へのインタビューを交えながら現在のラサの様子が映し出される。後半5分間は背景を説明する香港Human Rights WatchのNicholas Bequelinへのインタビューである。

Payenは「ラサに到着するなり、オーウェル的世界*(全体主義的管理社会)の監視下に入ることになる。まるで占領された都市のようだ。そこには、何千人もの軍隊や警官がいる。CCTVカメラ、監視パトロール、拠点捜査。これがここに住むチベット人の日常だ」と語る。

次に、パルコルで進められている商業開発の様子が写される。コルラ(右繞)するチベット人たちが掘り起こされた歩きにくい道を巡る。そんな街中でPayenは若いチベット人女性に「自由はあるか?」と質問する。彼女は勇敢に英語で答える。「ない、ない!今、私たちには全く自由がなく、人権もない」と答え、さらに「私は仏教を信じる者だ。私はダライ・ラマ法王を太陽のようだと見なす。でも、私たちはそれを口に出せない。もしも、本心を言えばツォンカン(監獄)に入れられる」と。

番組の中では「これまでに120人のチベット人が中国の圧政に抗議し、焼身している」として、焼身の映像も流される。

*Orwellian world(オーウェル的世界): George Orwell (1903-50):英国の小説家オーウェル的な;全体主義の管理社会の。 Orwellの近未来小説『1984年』(1949)より。

追記:動画がアクティブになっていなかったようで、失礼!

動画を見るには以下にアクセス>>>http://www.france24.com/en/20130520-china-tibet-demonstrations-buddhism-beijing-dalai-lama-human-rights


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2013年05月21日

李克強首相インド訪問 潰されたチベット人抗議デモ

400735_10152415724533306_826230366_n厳しいデモ規制

中国の李克強首相が19日から今日までの3日間インドを訪問中である。これに対し亡命チベット人グループは抗議デモを計画していたが、インド政府の指示を受けたデリー警察による強烈な封鎖作戦により、大規模なデモは全て不発に終わった。

前日までは一旦許可されていたニューデリー中心部ジャンタール・マンタールでのNGO合同デモは実行11時間前に不許可とされた。デリーのチベット人居住区であるマジュヌ・カティーラには大勢の警官が配備され、チベット人が地区外に出る事が完全阻止された。また、デリーの各大学に通うチベット人学生のホステルにも警官が配備され、封鎖された。その上、李首相が宿泊するホテルや会議場へ通じる道路も全て閉鎖され、これによりデリーでは大渋滞が発生。酷暑の中で足止めをくらい、歩く事を余儀なくされたインド人たちから政府に対するブーイングが起った。

SFTインド地区代表のドルジェ・ツェテンはインドのテレビ番組の中で「民主国家なのに平和的な抗議デモが許可されないのはおかしい。李首相は独裁・圧政国家の責任者であり、チベット内の焼身者に代わり我々チベット人が彼に抗議するのは当然である」と語っている。

1305200326229Eそんな中、何とかめだった活動に成功したのはSFTであった。タシというSFTメンバーが李首相が宿泊するタージパレスホテルから100数十メートルの距離にあるビルの屋上から20メートルの長さの垂れ幕を吊るすことに成功。垂れ幕には「中国はチベットから出て行け。インドから出て行け。李克強よチベットは自由になる」と書かれていた。同時にタシは「チベットに自由を!チベットの独立はインドの安全保障」と叫んだという。彼は同時に警官隊の封鎖を突破してホテルに近づこうとした2人のSFTメンバーと共にただちに拘束された。19日には1人のチベット人若者が中国大使館に突入しようとし拘束されている。今のところ警察に拘束されたチベット人はこの4人だけである。

その他、SFTは李首相のインド訪問を前に”TIBET Challenge to CHINI Joker in India”と題されたショートビデオをネット上に発表し、インドのテレビ等でも取り上げられ話題を提供している。ビデオの中では李首相のお面を被ったメンバーがインドで今流行っている歌と踊りを路上で披露しながら、最後に「俺は李克強、中国でナンバー2のジョーカー(ペテン師、ふざけたやつ)。俺はチベットと中国の人権をからかう。言論の自由をからかう。インド国境をからかう。なんで俺みたいなジョーカーが招かれたんだ?」と書かれた紙を示す。そのビデオ>http://www.youtube.com/watch?v=MAKi5R5sakYhttp://www.youtube.com/watch?v=MAKi5R5sakY

李・マンモハンシン会談

China-India-seek-stronger-mechanism肝心の李首相とインドのマンモハン・シン首相の会談の話に移る。中国は李首相訪印を前にしたほんの2週間前まで3週間に渡り、インド最北端の国境線を侵犯しインド軍と対峙させ続けた。首相訪印前にわざわざなぜこのような行動を起こしたのかについては、中国得意の圧力外交の一環として、まず圧力をかけておいて、適当な時期を見計らって受け身に回らされたインドと如何にも話し合いにより解決してやったように見せかけるためではないかと思われている。何れにせよ、国境問題で中国が妥協するつもりはないというメッセージである。

もちろん、マンモハン・シン首相は会談の冒頭でこの国境問題を持ち出し「(国境問題で)平和が脅かされれば、それは全ての関係に影響する」と述べたが、李首相は「国境問題は平和的に解決されよう」と曖昧な返答を返しただけだった。インド側はもう1つ両国が共有するプラマプトラ川等の河川問題を持ち出し、「両国を流れる川は両国を団結させるべきものであり、分裂させるものであってはならない」と述べた。これに対しては両国が川の流量などの情報を細かく伝え合うということで合意したようである。3番目にインド側は貿易において「中国の投資を歓迎するが、あくまでも相互のバランスを考慮すべきだ」と述べた。これは中国との2国間貿易の額は近年急速に延びているが、インド側の大幅な赤字状態が続いていることを憂慮しての発言である。今回も李首相は経済関係者を伴って訪印し、ビジネス中心に話を進めようとしている訳だが、実際にはインドは損をしているばかりであり、これもあまり喜べる話ではない。

これに対し、中国側はまず最初にダライ・ラマの存在に不快感を示したという。マンモハン・シン首相はまず「ダライ・ラマは尊敬されるべき精神的リーダーである」と述べた。次に「しかし、その政治的活動は許可しない」と答えたという。この言説を証明するためにも今回インドはデリーでのチベット人デモを厳しく規制したのだと言えるかも知れない。

共同声明の中には中国が全ての国々に強く求める「1つの中国」ということばは盛り込まれなかったという。「1つの中国」を認めるということはチベットはもとより特に台湾も中国の一部だと認めるということである。インドは前回2010年に胡錦濤がインドを訪問したときからこの「1つの中国」という言い方を共同声明に含めないことを始めた。これはカシミールをインド固有の領土と認めない中国に対する対抗的姿勢を示したものである。今回は国境侵犯のすぐ後であり、この一文を加えることを拒否したのは当たり前であった。また、共同声明には中国側が要求した「チベット」という言葉を入れることも拒否された。

李首相は今日、インドの商業中心地ムンバイを訪問し財界人たちと会談を行った後、次の訪問国パキスタンに向かう。パキスタンとインドは敵対関係にある。インドを訪問したすぐ後にパキスタンの友好国である中国は様々な援助を約束するであろう。インドは色んな意味で今回の李首相をもろ手で歓迎という分けには行かない訳である。

参照:20日付BBC http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-22592770
21日付The Hindu http://www.thehindu.com/news/national/india-plays-down-omission-of-tibet-from-joint-statement/article4733709.ece
20日付けNDTV http://www.ndtv.com/video/player/the-social-network/muzzle-on-dissent-india-china-bhai-bhai/276017
同じくNDTV チベット人抗議デモを伝えるhttp://www.ndtv.com/video/player/news/chinese-premier-s-visit-protests-by-tibetan-groups-in-delhi/275953

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2013年05月20日

CCTVの焼身プロパガンダビデオへの反論

中国の国営テレビであるCCTV(中央電視台)は5月16日付けで「焼身ガイドブックー操られる悲劇の証拠:《自焚指导书》看达赖集团怎样操弄自焚事件」 」と題された23分ほどのプロパガンダビデオを発表した。これは中国語だけでなく英語等各国後に翻訳されネット上にも流された。

多くのシーンやストーリーはすでにこれまでにも流されたものだが、今回の特徴は元チベット亡命議会議員ラモ・キャプがブログ上で発表した、中国側言うところの「焼身ガイドブック」を大きく取り上げ、これが「ダライ一味が焼身を唆している証拠であり、このガイドブックに従い焼身が行われて来た」と主張することである。

今回もこの中国のプロパガンダビデオはツッコミ所満載で中国の嘘つき体質を露にする代物となっている。ウーセルさんが早速このビデオに関するコメントを書かれている。これを紹介するとともに、その他気付いたことを幾つか指摘する。

まず、第一に指摘すべきは、この中国側が「焼身ガイドブック」と呼ぶラモ・キャプ個人の考えが彼のブログ上に発表されたのは今年2013年2月末のことである。彼は冒頭で「もう100人以上も焼身した。もう十分である。もう止めるべきである」と書いている。しかし、もちろんこの事はビデオでは全く触れられていない。ビデオでは彼がこれを発表した時期についても全くふれず、あたかも、これが焼身が始まったころに発表され、多くの焼身者がこのガイドブックに沿って焼身したかの如く描かれている。

ラモ・キャプのブログ>http://www.chapdaklhamokyab.fr

ラモ・キャプは「焼身はもう止めるべきだ」と書いた後、「もしも、まだ焼身を続けるというのであれば、命が無駄にならないためにも以下の如く計画的にやるべきだ」として、「焼身の思想的統一。時期や場所。叫ぶべきスローガン。記録すべき事等」についてアドバイスを与えている。この彼の焼身記事は発表されると同時に亡命側のチベット人たちから激しいバッシングを受けた。そして、ラモ・キャプは謝罪と共に数週間以内にこの記事を削除した。しかし、中国当局はこれを見逃さず、3月1日にこれはダライ一味が焼身を煽動している証拠であるという記事を発表した。

彼はフランスに住む1人の亡命チベット人でしかなく、元亡命議会の議員ではあるが、ブログ上に発表された意見は彼の個人的見解である。これを「ダライ一味」と呼ぶのはお門違いだ。

彼がこの記事を発表した後にチベット内で8人が焼身しているが、今回のビデオにはこの8人の焼身についてはまったく触れられていない。唯一このガイドブック発表後にこれに影響されてカンゼ州セルタ県で3月13日にペマ・ギェルと呼ばれる23歳のチベット人が焼身を行おうとしたが、「直前に警官が察知し中止させた」として、彼がガイドブックに従って焼身しようとしていたという証言がビデオの冒頭で紹介されている。

彼が証言するというシーンはその後も何度か写されるが、彼だけは顔をぼかされ、声も変えられている。一般に焼身未遂の場合においても亡命側に伝えられることが多いが、彼のケースは全く伝えられていない。本当に彼が焼身を行おうとした人物であるかどうかは非常に疑わしいと思われる。むしろ、「ガイドブックに従った焼身」というストーリーを作るために作り上げられたお話であると見なす方が自然であろう。一旦は焼身を決意した者が、すんなりと「ガイドブックに従い焼身しようとした」なんていうであろうか?第一、発表後間もなく削除された外国のブログが内地で簡単に閲覧できたとは思われない。

以下は中国語版の部分であるが、英語版を観ることもできる>>>http://english.cntv.cn/special/01/20130516/106560.shtml




以下、ウーセルさんの指摘:
翻訳@yuntaitaiさん

チベット人の焼身をつじつまが合うように説明するため、中国中央テレビ(CCTV)はこれまでに5本の官製プロパガンダ番組を苦心して制作した。放送日時は2012年5月7日(41分)、2012年12月23日(31分)、2013年2月4日(24分)、2013年2月28日(約20分)、2013年5月16日(26分)だ。合計で2時間以上になる。

最新の官製プロパガンダ番組は16日、CCTV4の番組「今日の注目」で放送された。ネットで繰り返し見て気付いたことがある。

1.CCTVによると、四川省カンゼ州セルタ県で今年3月、チベット人の焼身未遂事件があったという。洛若郷の26歳の住民、ペマ・ギェルが県城(セルタ)で焼身しようとして警察に見つかり、遺書とビラが没収された。この事件はこれまでに明らかになっていなかった。

2.CCTVは最初のチベット人焼身事件を再び振り返っている。つまり、2009年2月27日にンガバ県城で焼身した僧侶、タベーのことだ。しかし、今回放送された番組は過去数本のプロパガンダ番組とは少し異なっていた。映像では、タベーが警備車両に近づいた時に突然大きな煙が上がり、後ろには銃器を持った警官が映っていた。このことから、タベーは焼身中に確かに撃たれたのだと分かる。

3.焼身したタベーについて、CCTVは「治療中」と説明する。タベーは2009年2月27日に焼身して負傷し、もう4年もたっている。まだ故郷や僧院には戻っておらず、誰も彼の状況を知らない。タベーは果たして「治療中」なのか?それとも当局に拘束される事情があるのか?ひどければ、この世から蒸発したのではないか?

4.CCTVはンガバの別の僧侶、ロブサン・クンチョクが2011年9月26日に焼身した写真について、2011年3月16日のプンツォの焼身写真だと説明した。これはなぜなのか?CCTVは同じテーマのプロパガンダ番組を続けて5本作っているが、なぜこうした取り違いが出てくるのか?これはわざとなのか?

5.2012年1月6日に焼身したツルティムは翌日になって死亡した。だが、CCTVが流したツルティムの話し声や受け答えの録音ははっきりしていた。死に臨んだ人間にこれが可能だろうか!?
2、3ページの供述調書を今回は出さなかったのは良かった。ツルティムがテンニ(ツルティムと同時に焼身し、その場で死亡)と一緒に窃盗、強盗、買春していたと「供述」したという調書だ。

6.CCTVは「焼身未遂者のペマ・ギェル」の映像と音声に「技術的な処理」を施している(しかし、不思議なことに、ほかの「焼身未遂者」の映像と音声には「技術的な処理」はない)。そして、今年2月13日にネパールで焼身して犠牲になったドゥプツェについて、ペマ・ギェルに「戒律に背いて飲酒、喫煙し、物を盗んでいた」と暴露させた。やはり汚名を着せるという手段だ。

7.CCTVは2012年12月3日に青海省ゴロク・チベット族自治州ペマ県で焼身した僧侶、ロプサン・ゲンドゥンの写真を同年11月27日に四川省ンガバ・チベット族自治州ゾゲ県キャンツァ郷で焼身したケルサン・キャプだと説明した(CCTVはケルサン・キャプの中国語表記を「格桑傑」ではなく、「尕譲下」としていた)。なぜ取り違えるのか?わざとだろうか?

8.CCTVによると、2012年11月27日に焼身したケルサン・キャプは友人に遺書を書いてもらった。そして、おじで僧侶の尼也沢譲が在インドの僧侶、次中江措と遺書を改ざんしたという。問題なのは、この2ページの遺書が明らかに同じ便せんに書かれ、CCTVが1ページ目だけを訳して2ページ目を訳していないことだ。訳した部分は以前に公表されていた遺書の前半と基本的には同じ(「600元を返済していない」という部分を除く)なのに、どうして改ざんと言えるのか?

CCTVの最新プロパガンダ番組では、ほかにもでっち上げや中身のすり替え、他人を利用して相手を倒すといった三十六計が多く使われているが、細かくは指摘しない。昨年5月に最初の番組が放送された後、安替がツイッター上で論評した言葉はやはりとても適切だ。「音声を消したら、すぐに反政府ニュース番組に変わると思う。両刃の剣のプロパガンダ番組をつくった目的が何なのか分からない」


ウーセルさんが(5)番で言及されている2012年1月6日に焼身した元キルティ僧院僧侶ロプサン・ツルティムは遺書を残していたが、これは最近このブログでも紹介した。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51786680.html 立派な遺書と感じた。ウーセルさんも指摘されているように、彼は焼身の次の日に死亡している。そんな彼がはっきりした声で「(一緒に焼身した)友人のテンニはドロップアウトした負け犬である。彼は焼身すればみんなから尊敬されると言っていた。彼は尊敬されることを切望していた(5:35)」なんてことを話すであろうか!?

以下、亡命側が一度も言っていない、言うはずもない言葉を、法王やセンゲ首相が言ったとして偽っている箇所を3カ所指摘する。

3:18分辺りでダライ・ラマの言葉だとして「(2011年3月16日に焼身した)プンツォは中国の圧政に抗議した勇者」であると語ったと書かれている。法王は「焼身した人々は勇気があることは確かだ」とは言われているが、これまでに一度も焼身者に対し「勇者」という言葉を使われた事はない。

17:46分辺りでロプサン・センゲ首相が「チベット独立が第一の目的であり、チベットの自治は現在の目的である」と発言した事になっている。「中道」路線を堅持し、その故にTYC等の独立派から批難されているセンゲ首相がこのような発言を間違ってもするはずはないのである。

18:13分辺りで「第2回特別全体会議」で「国際的注目を得るために、会議はチベットに自由が訪れ、ダライ・ラマが帰還するまで、焼身キャンペーンを強化することを誓う」ことが決定されたとなっている。亡命側でこれまでに、誰1人として公式に焼身を奨励した者はいない。この会議にはオブザーバーとして私も参加していたが、このような驚くべきことが決定されたとは聞いていない。これは議事録によっても確認されることである。

その他、まだ色々とツッコミ所満載ではあるが、この辺で止めとく。このビデオをどう判断されるかは見る人の自由である。

中国当局は焼身の情報を外国に伝えたとしてこれまでに何人ものチベット人を逮捕し、重い刑期を与えている。そのように真実を伝えた人々を国家機密漏洩罪で罰する国の「これが真実だ」というニュース番組を額面通り信じろと言われても、である。

また、中国が一旦拘束した者たちから、傷の残らない拷問や近親者への脅迫により、シナリオ通りの言葉を引き出すということは世界に知られた事実です。

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2013年05月19日

パンチェン・ラマ10世と11世の歌を歌う 6年の刑を受けたロロ

526109296年の刑を受け服役中の歌手ロロ。

一昨日の5月17日はダライ・ラマ法王の認定したパンチェン・ラマ11世が中国当局により拉致されて18年目の記念日ということで、世界各地で圧政下にある内地チベット人への連帯とパンチェン・ラマ解放を訴えるイベントが行われた。

きょうは先代パンチェン・ラマ10世と失踪させられた11世のことを歌った1つの歌を紹介する。

この歌を歌ったジェクンド州ティンドゥ県出身の人気歌手ロロ(30)は今年2月23日に政治的歌を歌ったとして6年の刑を受けた。この歌の歌詞を書いたニンツォ・シルカル僧院僧侶ロプサン・ジンパもロロと共に5年の刑を受けた。
参照:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51741792.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51783535.html



以下歌詞の日本語試訳:

パンチェンよ

静かで堂々とした白き雪山の如き
積み重ねられた歴史の石柱のその最後に
チベットへの途絶えることのない温かい愛を示された
チベットの勇者パンチェン・ラマに栄光を

全てを覆い尽くす残酷な熱い力の下から
聖俗二つの石により打たれた傷口から
忠誠心の快い歌のようなスローガンを空に響かせる
遅れた者たちに立ち向かう菩薩

間違った因果の法に従う盗賊たち
虚偽と弾圧の闘いの中から
真理を守るために命を捧げた
21世紀への使者はあなたをおいていない

悲しげな月のおもてが西の丘の向こうに消え去ろうと
涙とともにあなたの転生者を待ちわびたが
新たな日の夜明けも敵の暗闇により連れ去られた
そして 雪国チベットの人々の心はさらに冷えきった

参照:5月17日付けTCHRDリリース http://www.tchrd.org/2013/05/three-lives-and-a-song-disappearance-of-panchen-lama-4/

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2013年05月18日

リンポチェ1人と他僧侶2人が5年の刑期を終え解放される

55555555555アディル・ロプサン・テンジン・リンポチェ

2008年3月10日、ラサのジョカン前でセラ僧院の僧侶10数名が抗議デモを行い、全員逮捕され、刑期を受けた。このデモは同日のデブン僧院のデモと共に全チベット圏に広がった2008年3月蜂起の発火点となった。この時デモを行ったセラ僧院僧侶の大多数はカンゼ州セルシュル(ザチュカ)県ウォンボ僧院からセラに勉強のために行っていた者たちであった。そして、当局は3月15日、当時ラサに滞在していたウォンボ僧院の転生ラマであるアディル・ロプサン・テンジン(ཨ་དྲིལ་བློ་བཟང་བསྟན་འཛིན་ 現在69歳)を「国外に国家機密を伝えた」として拘束した。

2009年12月15日には彼の中国人の弟子たちが「リンポチェは高齢であり、健康も優れないので解放してほしい」という請願書を提出したが、当局はまったくこれには答えなかった。ほぼ2年後の2012年2月にリンポチェは5年の刑を受け、ラサのチュシュル刑務所で服役。今年3月15日に刑期は満了していたが、その後2ヶ月拘束された後、今月15日に解放され無事ウォンボ僧院に帰ることができた。

1944年生まれのリンポチェは、幼少時にアディル・ラマ・タクギェルの転生者として選出されウォンボ僧院のリンポチェとして教育を受けた。中国の侵略を受けた1959年からは他のラマや僧侶と同様に辛い獄中生活を余儀なくされた。1990年からはウォンボ僧院の僧院長として僧俗に仏教を説き、また自分の住居を一般の学校として寄付するなどし、地域の僧侶、住民から篤い信頼を得ていた。

カンゼ僧院僧侶2人が秘密裏に解放される

2008年5月にカンゼ州カンゼで抗議デモを行い5年の刑を受け服役していた、カンゼ僧院僧侶ロプサン・テンパと僧ロプサン・チュデンが5月12日に解放された。しかし、彼らは秘密裏に解放され、解放された後も監視下におかれ、一般人との面会が許されない状態という。

解放が秘密裏に行われたのは、この地区では政治犯が解放されたときには、地域の住民が大勢集まり、歓迎会を開くことが習わしとなっており、これを行わせないために当局がそのようなことをしたのであろうと地元の報告者は話す。

2008年3月にラサで始まりチベット全土に広がった抗議デモの際、ラサ以外ではこのカンゼとンガバがもっとも多いくの犠牲者を出している。カンゼでは20人ほどが部隊の無差別発砲により死亡したと言われる。以降、カンゼでは最近まで頻繁に抗議デモが行われている。

参照:5月18日付けTibet Times チベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=7681
5月17日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=33455&article=After+serving+five-year+terms%2c+three+Tibetan+political+prisoners+released
5月16日付けTibet Express チベット語版

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2013年05月17日

世界同時連帯デー

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今日、5月17日はチベット亡命政府が呼びかけた「世界同時連帯デー」。世界各地で内地チベット人への連帯を示すイベントが行われたはず。

ダラムサラでは朝10時から、チベットミュージアムがツクラカンの前庭でチベットの焼身とチベットの歴史を中心とした展示イベントを行った。

そして、午後4時からツクラカン本堂で4月24日にゾゲのタクツァン・ラモ・キルティ僧院内で焼身、死亡した僧ロプサン・ダワと僧プンツォック・ウーセルをはじめとするこれまでの焼身者への追悼会が行われた。

その後、ツクラカン前庭に場所を移し、連帯を示し、祈りを捧げるという集会が行われた。

以下、写真を中心に。

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ツクラカンで行われた追悼会。

ツクラカン4

今日はダライ・ラマ法王が承認したパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマが18年前の今日、当局により拉致された日。彼と彼の家族の消息はその後、まったく分かっていない。

集会のはじめにパンチェン・ラマの研究者という(名前失念)チベット人が11世パンチェン・ラマ選出の経緯を報告した。その中でダライ・ラマ14世が当初、如何に中国に譲歩し「双方で同じ転生者を承認すること」に努力したか、それにも関わらず、中国側が一方的に提案を拒否しダライ・ラマ法王が承認したパンチェン・ラマを拉致し、自分たちで都合のいいパンチェン・ラマを不正なやり方で選出したかを詳説した。

また、14世ダライ・ラマが「自分を真性なダライ・ラマであることを承認してくれた先代のパンチェン・ラマに恩がある」ことを語り、「本物の11世パンチェン・ラマが次の15世ダライ・ラマを承認すること」の重要性を強調し、「必ず彼を見つけ出さねばならない」とおっしゃったことを伝えた。

ツクラカン5

ドラマスクールによる、焼身者を讃え、連帯を示す歌。

ツクラカン6

同様な趣旨の男性コーラスグループの歌。

ツクラカン

最後に「ツェメーユンテン(真理の祈り)」を歌いながら祈る人々。


ツクラカン8

歌を先導するドラマスクールの女性グループ。


ツクラカン7

小坊主たち。子供は坊主であろうと祈りの歌を歌いながらも、カメラを向けると笑う。

ツクラカン9

お年寄りは、、、







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