2013年09月

2013年09月29日

<速報>ンガバで新たな焼身 7週間ぶり 俗人41歳 

photo38焼身、死亡したシチュン

ダラムサラ・キルティ僧院によれば、9月28日、現地時間午後4時過ぎにンガバ州ンガバ県ゴマン郷 (རྔ་པ་སྒོ་མང་།)タワ村(མཐའ་བ།)でチベット人シチュン(ཞི་ཆུང་།)、41歳が中国政府のチベット政策に抗議する焼身を行い、その場で死亡した。

シチュンは自宅で身体に火を放ち、外に飛び出し、中国政府を非難するスローガンを叫びながら国道に向かって40歩ほど走り、国道の手前で力尽き倒れ、その場で死亡したという。

ゴマン郷タワ村では、前日から村人たちが草原にテントを張り、「メントゥン」と呼ばれる夏祭りのようなものが行われていた。シチュンは午前中この祭りに参加した後、午後家に帰り、ダライ・ラマ法王の写真の前に灯明を捧げた。そしてその後、焼身を行った。

彼の焼身を目撃し、祭りに参加していた大勢のチベット人が集まり彼の遺体を自宅に運び入れた。しかし、すぐに祭りを監視するために出動していた100〜150人の部隊も家の回りに集まり、遺体の引き渡しを要求した。その内、集まるチベット人の数も増し、大きな衝突が始まろうとしていた。これを見て村の長老たちが仲裁に入り、衝突を回避させた。しかし、その後、遺体は部隊により奪われ、ンガバ方面に運び去られたという。

祭りを準備している間にも中国の役人と大勢の部隊がこれを監視していたという。そして、これを見たシチュンは友人に向かって「こいつら老いぼれ中国人役人たちの座るとこなどない。俺は奴らの目の前で焼身してやる」と言っていたという。

彼は結婚し2人の子供がいた。妻の名前はバロ、39歳、ツェポという18歳になる娘とプンツォという14歳の息子を残した。

家の主な生業は農業であったが、彼はまた針仕事に長けており、人々の必要とする服等を仕立て、人が集まる時等に小さな出店を出し、それらを売っていたという。

内地焼身者121人目。チベット人による焼身抗議は8月6日にネパール、カトマンドゥ、ボドゥナート仏塔傍で焼身・死亡した僧カルマ・ゲンドゥン・ギャンツォ以来およそ7週間ぶり。

内地では7月20日、ゾゲで僧クンチョク・ソナムが焼身して以来2ヶ月以上ぶり。

その他参照:28日付けTibet Times
28日付けRFA中国語版

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2013年09月27日

チベット人政治犯 拷問の末入院 治療費負担で家族は極貧に

9457e2c1-7f3d-4cc4-b6e9-dcc7f8c2b281カンゼの僧院にて(RFAより)

24日付けRFAによれば、カンゼでデモを行い9年の刑を受けていた僧侶が、最近容態が悪化したとして一時的に解放され病院に収用された。家族はすでに4ヶ月間その治療費を払い続けることにより、貧困のどん底に陥っているという。

現地からRFAに伝えられた情報によれば、カンゼ県にあるベリ僧院の僧侶ロドゥ・パルデンは2008年に他の2人の僧侶とともに、カンゼの街中でチベットの自由とダライ・ラマ法王帰還を求めるスローガンを叫ぶデモを行い、その場で逮捕された。

「パルデンはデモの首謀者とされ、カンゼ、ダルツェンド、その他の拘置所に収監され、尋問中に激しい拷問を受けた」と匿名希望の報告者は話す。

その後、カンゼ県の裁判所は、彼に9年の刑を与えた。4年後、彼の容態は悪化し、成都の病院に送られた。

「入院して4ヶ月経つが、彼の容態は危険なままだと言われている。そして、積上る治療費負担により元々貧しかった家族は極貧状態に陥っている」と報告者は伝える。

尋問時や刑務所内の拷問や劣悪な環境により受刑者が危険な状態になると、病院に運ばれるが、その治療費は家族が払わねばならない。もし死亡しても、当局はなんの責任も問われない。

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2013年09月26日

失踪後9ヶ月後 チベット人詩人の拘束が判明 

Book-Coverロプサン・ナムギェルの詩集『འཚོལ། 探索』

成都の仕事場から姿を消し、その後9ヶ月間行方不明となっていたチベット人詩人が当局により拘束されていることが判明した。

2012年5月15日頃、ロプサン・ナムギェル(བློ་བཟང་རྣམ་རྒྱལ། 26)は仕事場である成都の仏陀文化センターから突然姿を消した。彼の家族や親戚はあらゆる手を尽くして彼の行方を探し続けたが消息は掴めないままであった。9ヶ月経ってやっと家族は彼が成都の拘置所に収監され、裁判を待っているところだということを知人から知らされた。しかし、拘束から1年以上経った今も面会は禁止されたままという。

ロプサン・ナムギェルはサンミック(秘密の目)という筆名でツォル(འཚོལ། 探索)と題された詩集を出版している。その中で彼は人生の目的、チベット人たちの現状、チベットへの忠誠心等を詠っている。

当局は1年以上経った今も彼を裁判なしに拘束し続けている。報告者によれば地区の警察は、彼がダライ・ラマ法王のスピーチと他の政治的内容を含む出版物を制作し配布したとの嫌疑を掛けているという。

家族は彼に会い、食料や衣服を届けることもできず、拘束が長引くに従い、秘密裁判により彼に長期刑が言い渡されるのではないかと非常に心配している。

ロプサン・ナムギェルは2008年にもマチュで大きなデモが起った時に逮捕され、後に解放されていた。

参照:25日付けRFAチベット語版
同英語版
25日付けTCHRDリリース
25日付けVOT中国語版

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2013年09月25日

焼身・死亡した僧カルマの遺体を秘密裏に火葬したことに抗議するデモ

7009e8eb昨日24日、ダラムサラでは先の8月6日にカトマンドゥのボドゥナート仏塔傍で焼身抗議を行いその場で死亡した僧カルマ・ゲンドゥン・ギャンツォの遺体をネパール当局がチベット人側に引き渡すことなく、秘密裏に火葬したことに抗議するデモが行われた。

デモはチベット青年会議ダラムサラ支部、チベット女性協会ダラムサラ支部、SFT(Students for a Free Tibet)合同主催で行われ、先頭集団が白い布と空の骨壷を手に持ち行進した。この白い布と空の骨壺はネパール当局が遺体を引き渡さなかったということを象徴しているとされた。

この日は彼が焼身、死亡して49日の命日であった。参加者はデモの最後にバター灯明を灯し、祈りを捧げた。

1238812_477135679051839_534958468_nチベット青年会議ダラムサラ支部のテンジン・ツンドゥは「ネパールは中国の政治的圧力の下でも、チベット人との文化的繋がりを忘れるべきではない。チベット難民を受け入れてくれたことには感謝するが、これは現在のチベット難民に対する弾圧を非難することを妨げることにはならない」と述べた。

ネパール当局は今年3月、同じくボドゥナート仏塔傍で焼身、死亡した僧ドゥプツェの遺体を秘密裏に火葬している。今回と同じく、この時にもチベット人側は何度も遺体の引き渡しを要求していた。

「ネパール政府がこのような卑劣な行為を行ったのは今回で2度目である。カルマ・ゲンドゥン・ギャンツォの仏教的葬儀を不可能にしたことは非道であり、非常に悲しいことである」「ネパールは今でも、世界に対し、人権と宗教の自由を尊重し、道徳的規範を維持しているということを示すチャンスは残されている。ネパール政府は中国にへつらうことを止めるべきである」とSFTのテンジン・ジクデルは述べた。

ネパール当局から公式な発表は出されていないが、RFAは9月2日に僧カルマがカトマンドゥのパシュパティナートの火葬場で秘密裏に火葬されたと報告している。

参照:24日付けphayul

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2013年09月24日

亡命チベット人たちが2人のチベット人への死刑撤回を国連に訴える

kungam_(10)先週土曜日(9月21日)ダラムサラにあるTIPA(ドラマスクール)ホールで、チベット国民民主党(National Democratic Party of Tibet)主催により、焼身関連で今年死刑を言い渡された2人のチベット人の死刑撤回を国連に訴えるための集会と書名活動が行われた。

今年1月31日、ンガバ州中級人民法院により焼身抗議を煽動、教唆したとして故意殺人の罪状でキルティ僧院僧侶ロプサン・クンチョク、40歳に2年執行猶予付き死刑、政治的権利剥奪終身が言い渡されている。(詳しくはこちらへ

また、8月15日、同じくンガバ州中級人民法院により焼身抗議者クンチョク・ワンモの夫ドルマ・キャプ、33歳に妻殺し故意殺人罪により死刑、政治的権利剥奪終身が言い渡されている。(詳しくはこちらへ

この日主賓として招待された、多くの焼身者を出したキルティ僧院を統括するキルティ・リンポチェはそのスピーチの中で「中国政府は焼身抗議に関わったとして、何も具体的な証拠を示すことなく、ロプサン・クンチョクとドルマ・キャプに対し死刑を言い渡した。このことは、中国が国際法と基本的人権を無視していることを明らかに示している」と述べ、さらに国連と国際社会に対し、チベットで囚われている若いパンチェン・ラマ(ゲンドゥン・チュキ・ニマ)を初めすべての政治犯が解放されるよう中国政府に圧力をかけることを要請した。

「これは国際法と基本的人権をあからさまに無視しているだけでなく、国家による市民権の組織的侵犯でもある」とチベット国民民主党の党首ゲレック・ジャミヤンは述べ、「中国共産党の独裁的横暴は人間性に対する犯罪であり、世界平和を乱す大きな汚点である」と続けた。

このキャンペーンは2人のチベット人に対する死刑撤廃を求めながら、国連に対しチベットの危機的状況解決を要請するものであった。

130923100228DI昨日、RFAに所属するゾゲ出身の友人に会い、ドルマ・キャプのケースについて話しをした。その中で、新たに彼の下に現地から伝えられたという情報を聞いた。

それによれば、ドルマ・キャプの妻クンチョク・ワンモが焼身した場所は以前明確にされていなかったが、彼女はゾゲ県タクツァ郷にある軍駐屯地の正面ゲートの前で焼身したという。数人のチベット人がそれを目撃していたという。彼女はその場で死亡したが、遺体はすぐに軍により駐屯地の中に運ばれた。

その後、軍は遺体をわざわざドルマ・キャプのいる自宅の前に運び、そこで写真を撮っていたと目撃者は語る。これは、おそらく当局の指示により、夫であるドルマ・キャプが妻であるクンチョク・ワンモを殺したという証拠写真(?)にするためにそのようなことをやったのであろうと思われている。

なぜ、当局はこのようなことを行ったかについて、友人が話すには、「この焼身の前にゾゲのタクツァン・ラマ僧院の僧侶2人が焼身しているが、この後ゾゲ県のトップは成都に呼ばれ、州政府から『今度またゾゲ県内で焼身が起った場合には、お前をクビにする』と言われたという。だから、このクンチョク・ワンモの焼身を抗議の焼身とすれば、このトップがクビになるというので、このケースは最初から事実を隠されなければならなかったのだ」という。

さらに友人は「しかし、ドルマ・キャプの死刑については、四川政府からこのまま彼を死刑執行することに対し反対する意見もでているという。チベット人はみんなこれがでっち上げの冤罪であることを知っており、彼を実際に死刑にすることは危険を伴うというわけだ」という。

妻の政治的焼身抗議に対し、「その夫が妻を殺し焼身に見せかけた」ということにされて死刑を執行されるかもしれないというこのケースは、あまりにひどすぎるケースなのである。

なお、友人が話すには焼身したクンチョク・ワンモとドルマ・キャプは一緒に飲食店を経営していたが、クンチョク・ワンモは美人でいつも小ぎれいにしており、人気者であったという。

参照:23日付けTibet Times チベット語版
23日付けRFAチベット語版
23日付けphayul

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2013年09月21日

国際ペンクラブがチベットの危機的状況に関する決議文を採択

130920100614339月9日から12日までアイスランドの首都レイキャヴィークで行われた第79回国際ペンクラブ総会において、「チベットの危機的状況」に関する7か条の決議文が採択された。

この決議文には、現在収監されているすべてのチベット人歌手、作家、芸術家の即時解放、チベット人作家に対する規制緩和、120人に及ぶ焼身抗議の原因精査、市民的及び政治的権利に関する国際規約批准とこれを中国の法律中に含めること、等を中国政府に要求するという項目が含まれていた。

この決議文の草案はペン海外チベット作家協会から派遣されたロプサン・チュダックとウーセルによって提出されたものであった。

「中国から派遣された代表団がいる前でこの決議文がメンバーにより採択されたのを目撃するのは素晴らしい体験だった」とウーセルは語る。

この決議文のコピーは国連を初め、国際機関、各国政府とリーダーたちに送られるという。

第79回国際ペンクラブ総会には世界70各国から190人の代表者が集まったが、中国ペンクラブからも6人が参加していた。

会議ではインドとビルマに新たな支部を作ることが採択され、世界中の表現の自由と刑務所に囚われている作家の状況について話し合われた。

国際ペンクラブは1921年にロンドンで結成され、現在世界中に144の支部を持つ。ペン海外チベット人作家協会は2002年に承認され、現在90人以上のメンバーがいる。

参照:19日付けRFAチベット語版
20日付けphayul

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2013年09月20日

国連人権委員会で5カ国以上が チベット人の人権を尊重するよう中国に要請

UNHRCThe United National Human Rights Council (UNHRC).

ジュネーブでは現在「第24回国連人権委員会総会」が開かれている。今週火曜日、アメリカ、ドイツ、オーストリア、イギリス、チェコを含む5カ国以上の国が、チベット人の人権を守るべきだと中国に要請する演説を行った。

EU(欧州共同体)は、中国内で、特にチベット人居住区とウイグル自治区を中心に平和的抗議に対し武力を使用したり、過剰な罪を与えたりしていることに憂慮を示す声明を発表し、中国政府に対し、少数民族の表現、集会、結社の自由、個人所有の権利を尊重するよう求めた。

アメリカは、中国では特にチベット人とウイグル人に対するインターネット規制、報道監視が強化され、宗教の自由が制限されていると述べ、公共インターネット弁護士、活動家、報道関係者、宗教的リーダーに対する逮捕、強制失踪、超法規的拘束が増加していることを指摘した。

ドイツは中国に対し、現在行われている焼身抗議に対しその根本的原因を平和的方法で考慮し、チベット人の文化的、宗教的権利を尊重することを求めた。さらに、国連人権高等弁務官がチベットの現状を調査するためにチベットを訪問することを許可すべきだと述べた。

イギリスは中国に対し、その憲法で規定されている集会、抗議デモの権利を、少数民族地区を含め、完全に保証することを求めた。また、その声明の中で、中国の代表団はこの人権委員会のメンバーに再選される時に、少数民族の法律的権利と利益を守ることを約束していたはずだと指摘した。

会議が開かれる前に、ジュネーブにある亡命政府代表部のツェテン・サンドゥプ・チュカパが15カ国の代表団にプレゼンテーションを行った。

参照:19日付けTibet Net

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2013年09月19日

亡命後、再び2年間故郷に帰っていたある僧侶の話し

僧クンチョクは9年前、インドに亡命していたが、2011年から家族に会うために2年間故郷であるアムド、ゾゲ、テボ地区に帰り、再びインドに帰って来た。Tibet Timesが故郷の現状について彼にインタビューした記事を見つけたので、これを訳してみた。

故郷の小学校の教科書がすべて中国語に変わり、子供たちのチベット語のレベルが非常に落ちているという。しかし、これを補う方策も講じられ、チベット語への関心は高まっているともいう。

「故郷には6年までの小学校があるが、彼らのチベット語を書く能力はとても低い。そこで、数年前から村人たちは夏と冬の休みに教師を雇い、子供たちにチベット語を教える教室を開くことにした。この効果は抜群で、2ヶ月間の休みだけで、学校の1年分の授業に相当する勉強をすることができるという。嘗てはチベット語教育に対してあまり関心がなかったが、最近は若者の間にチベット語で会話し、チベット語を読み書きすることに対する新たな興味が芽生えている」と。

中国政府はチベットの農民や遊牧民に沢山の補助金を出して、生活を助けていると宣伝しているが、実際にはそんな金は渡されず、それぞれが何とか生活しているだけだと言す。

「中国政府は(一世帯毎に)何万元もの援助を行っていると宣伝しているが、チベット人の手には一銭も渡されていない。例えば、自分の家族では、2人の兄弟が大きな借金をして車を買い、それで運送業をやり家族を養っている。私の家族だけではなく、16歳以上の男の多くが、同じように借金をして車を買い、州都で働くか、州都と地区の間の物流の仕事をしている。こうして若者も勉強する時間を奪われ、最悪の場合には命も失う。地区の経済規模は大きくないので、他の地区に出稼ぎに行く者も多い。多くは運送業で暮らしている。政府の援助なんかで暮らしているものなど1人もいない」と。

焼身抗議を非難する書面にサインしない場合には政府の援助を打ち切ると脅されるという。

「今年の正月に近くの村に法要のために行った時、聞いた話だが。郷の警察が『焼身者を出した家に経済的援助を与えたり、焼身者のためにマニ(オンマニペメフン)を唱えて連帯を示したりした者は3年の懲役刑を受ける』等と書かれた3枚の書類にサインを強要しているという。サインしない時には、援助金がカットされるし、後で地区と県の警察が来て困難な状況に陥るぞと脅しをかけているという。しかし、地域のチベット人たちは『今までだって政府から援助なんて受けてない。自分たちで何とかしているだけだ』と言って、サインする者はいないという。だが最近は、スパイをいろんなところに送り込み、チベット人の連帯を壊し、仲間割れするような工作がいろいろ行われているそうだ」と話す。

ラサに行ったときの話し。

「自分がラサに列車で到着した時の話しだ。中国人はすぐにどこへ行こうと自由だが、チベット人たちは警察署へ連れて行かれ通行証を念入りに調べられ、持ち物をすべて厳しくチェックされる。『ラサに何しに来た?』等の様々な質問を受け、5時間ほど拘束された。その後、役所に行ってラサに滞在するための黄色の手帳を作らなければならない。最初申請した期間を過ぎて尚もラサに滞在したい時には、またそこに行き延長の手続きをしないといけない。ただ、自分は一日しかラサに滞在しなかった。道中、ちょっと巡礼したかっただけだ。デブン僧院とセラ僧院に行ったが、門はすべて閉まっており、お堂で拝むことはできなかった。僧院は空っぽのようになっていた」という。

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2013年09月18日

焼身抗議者の遺体を守ったとして2年間指名手配されていたチベット人逮捕

image逮捕されたリンチェン・ダルギェとされる写真(RFAより)。競馬大会の際の写真と思われるが、馬に乗っているのが彼であろう。

今月10日、カム、タウ(ཁམས་རྟའུ། 四川省カンゼチベット族自治州道孚)でリンチェン・ダルギェ(་རིན་ཆེན་དར་རྒྱས།41)が逮捕された。

リンチェン・タルギェは、2011年8月15日にタウの街中で焼身抗議を行い、その場で死亡したタウ・ニャンツォ僧院僧侶ツェワン・ノルブの遺体を部隊が運び去ろうとしたとき、これを阻止し、ニャンツォ僧院に運び込んだチベット人として、その後当局に追われる身となっていた。

2年間以上身を隠していたが、今月10日、タウに戻って来たところを当局に発見され、逮捕された。その後、行方不明となっている。

リンチェン・タルギェは別名ララ、焼身したツェワン・ノルブと同郷、ロワ村の出身。妻と息子2人、幼い娘1人がいるという。

参照:17日付けRFA英語版
16日付けRFAチベット語版
17日付けTibet Timesチベット語版
18日付けTibet Express チベット語版
17日付けphayul

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2013年09月17日

ダライ・ラマ法王とアウン・サン・スー・チー女史がプラハで会談

1309160956191E9月15日プラハにて

ヨーロッパツアー中のダライ・ラマ法王はリトアニア共和国で大統領と会談し、議会に招かれるなど中国の圧力に関わらず手厚い歓迎を受けた後、14日、チェコ共和国に到着された。今回チェコ共和国を訪問された主な目的は、初代チェコスロバキア大統領であり1989年に共産党体制を覆す「ビロード革命」を指導した故ヴァーツラフ・ハヴェル(Vaclav Havel 1936〜2011)が創設した「フォーラム2000」に参加するためである。

1239377_10201709446553530_1167791466_n「フォーラム2000」は、自由と人間の尊厳を獲得するために非暴力で独裁政権と闘い、チェコを開かれた民主主義国家に導いたヴァーツラフ・ハヴェルの精神を引き継ぎ、毎年首都プラハで開催されている。今年のテーマは「移行期の社会」であり、ソビエト崩壊後の国々、アラブ諸国、ラテン・アメリカ、アジア諸国をケーススタディとして移行期社会の様々な問題が討論される。

メインゲストのダライ・ラマ法王、ビルマのアウン・サン・スー・チー女史、南アフリカの前大統領フレドリック・ウイリアム・ドゥ・クラーク等を初め、世界の指導的政治家、学者、社会活動家、報道関係者、経済人、宗教家約100人が集まり16日と17日の2日間行われる。

1009891_579018198829450_1412170103_n会議に先立ち、ダライ・ラマ法王は15日の午後、スー・チー女史と会談された。スー・チー女史はビルマと政治的、経済的に深い関係にある中国の圧力を無視し、自ら法王の下へ足を運ばれた。亡命政府スイス代表であるツェリン・サンドゥによれば、会談の後スー・チー女史は「非常に喜び、満足した様子であった」という。法王とスー・チーさんの会談は2012年6月19日のロンドン初会談以来2度目である。

ダライ・ラマ法王は16日、「フォーラム2000」の冒頭で基調演説をされた。その中で法王は「私はどこでも『70億人類の同一性の認識』を育むべきだと話している」と述べられ、「この人類全体の同胞観を持つことにより、多くの人間が作り出した問題を解決することができる」と続けられた。また、ハヴァル氏と親交の篤かった法王は今回も彼の嘗ての執務室を訪問され、「私は彼の椅子に頭を触れ、彼の精神に思いを馳せた。たぶん、彼の椅子から祝福を得たと思う。私たちの責任は彼の意志、彼の夢、彼のヴィジョン、彼の精神を受け継ぐことだ」と語られた。

2013-09-16-Prague-N05同じく16日、法王はチェコ最大の新聞であるHospodarske novinyのインタビューを受けられた。その中で法王は「如何に強大であろうとも、中国は世界の民主主義と情報の自由というトレンドに従うべきである」と言われ、「中国は巨大な国家であり、世界で重要な役割を担っている。しかし、その役割を果たすには世界の信頼を得なければならない。検閲を強いる閉鎖的社会では信頼を得ることはできない」と続けられた。

130916032006QA法王はプラハで6000人の聴衆を集め「現代社会における慈悲と敬意」というテーマで話しをされた。その他、身体障害者の子供たちの施設を訪問されたり、ゲシェ・ランリ・タンパの「心を統治する8偈の教え」のテキストを使ったティーチングも行われた。




Dalajlama_a_Havel-300x246法王と故ハヴァル氏

法王は「ビロード革命」の次の年1990年に初めてチェコを訪問され、ハヴァル氏に会い、死の直前にも会っている。

AFPによれば、スー・チー女史はハヴァル氏には直接会ったことはないが、彼のことを「軟禁中に自分に希望を与えてくれた人である」と語り、「私がビルマで何年にも渡り自宅監禁されていた時、世界のどこかで私のために声を上げて下さった人(ハヴァル氏)がいたことを知っていた。そのお陰で、私は身体的に拘束されていたが、精神の自由を保つことができたのだ」と15日に話したという。

法王は17日にはドイツのハノーヴァーに向かわれる。

その他参照:14日付けTibet Net 英語版
14日付けphayul
16日付けphayul
16日付けTibet Express チベット語版
16日付けRFAチベット語版
16日付けVOTチベット語放送

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2013年09月16日

ザチュカ、ウォンポ僧院僧侶3人に4年までの刑

c50ac953カンゼ州ウォンポ郷

16日付けTCHRD(チベット民主人権センター)リリース によれば、今月9日と11日にカム、ザチュカ(རྫ་ཆུ་ཁ་ 四川省カンゼチベット族自治州石渠県)ウォンポ(དབོན་པོ་)僧院僧侶2人に4年、1人に3年の刑が言い渡された。




ba946b63学校の校庭に撒かれたチベットの自由を要求する紙切れ

カム、ザチュカ地区では2008年以降、抗議デモが続いていたが、2012年2月4日にウォンポ郷の小学校の校庭に掲げてあった中国国旗が引き下ろされ、代わりにチベット国旗が掲揚されるという事件があった。さらに2012年9月7日にも同様の事件があり、その時には回りに赤いインクで「チベット自由བོད་རང་དབང」と書かれた紙切れが撒かれていた。

10月に入り当局はウォンポ郷に大勢の警察と軍隊を送り込み、僧院や民家を捜索し、再教育集会を行い、僧侶や俗人を相次ぎ大勢拘束した。今回刑が確定した3人はその時に拘束された僧侶たちである。

Choedar僧チュダル

9月9日、僧チュダル(47)に3年の刑が言い渡された。罪状は不明。チュダルは2010年10月に他2人の僧と一緒に拘束された。他の2人の僧は後に3年の政治的権利剥奪を受け解放されている。チュダルは現在カンゼ州ミニャック地区のラガ刑務所に収監されている。











Sonam-Gonpo僧ソナム・ゴンポ

9月11日、僧ソナム・ゴンポ(22)とソナム・チュダル(22)に4年の刑が言い渡された。彼らは2012年12月15日に拘束されていた。彼らの罪状も未だ不明。

ウォンポ僧院は2008年以降、僧院内に中国国旗を掲げることを拒否するなど抵抗の姿勢を露にし、僧院と回りの村は当局の弾圧の対象となっていた。当局がウォンボ郷の民家を捜査した時、家の中からダライ・ラマ法王の写真が見つかり、その写真を部隊が足で踏みにじったことに怒り、抗議の印にトリ・ラモという1人の女性が首つり自殺を行い、死亡したという事件も起っている。

Sonam-Choedar僧ソナム・チュダル

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2013年09月13日

イヴ・ドゥテイユの歌『チベットの女性(La Tibetaine)』 囚われのチベットの尼僧を救うために

255x255-75ウーセルさんは昨日のブログでフランスのシャンソン歌手イヴ・ドゥテイユ(Yves Duteil )の『チベットの女性(La Tibetaine)』という歌を紹介された。1997年に発表されたこの歌は当時獄中にあった尼僧ガワン・サンドルの解放を求めるためにイヴ・ドゥテイユが作詞、作曲したものである。

私も嘗て(おそらくツイッターで)この歌の一部を訳し紹介したことがあった。感動的で泣ける歌、素晴らしい歌と思う。

尼僧ガワン・サンドルは、1990年、12歳の時、ラサで行われた抗議デモに参加し、投獄されチベットで最年少の政治犯となった。9ヶ月後に解放されたが、1992年のデモに再び参加し、逮捕、3年の刑を受けた。収監されていたダプシ刑務所内で、彼女は他13人の尼僧と共に密かに持ち込まれたテープレコーダーに獄中生活をテーマにした歌を歌った。これらの歌は外に持ち出され、チベット人や世界の人々から多大な反響を得た。

しかし、このことが発覚し、14人全員が5年から9年の刑期延長を言い渡された。ガワン・サンドルは6年の延刑を受けた。その後刑務所内で「チベットに自由を」と叫んだとして8年延長。1998年、刑務所内で行われた中国国旗掲揚の式典に出席することを拒んだとしてさらに6年延長。合計23年の刑期。しかし、彼女の身体は度重なる激しい拷問が故に衰弱しきっていた。

この当たりの詳しい経緯はこの14人の内の1人であり、当時ダラムサラに住んでいたリンジン・チュキに私がインタビューした記録をブログに載せている。また、歌の一部も過去ブログの中で紹介している。フランス人フィリップ・ブンサールとダニエル・ランが書いたガワン・サンドルの伝記は今枝由郎氏の訳で日本語になり「囚われのチベットの少女」と題され2002年に出版されている。

彼女の存在は有名となり、欧米を中心に彼女の解放運動が盛り上がった。フランスでは数百人の芸術家、政治家、スポーツ選手、知識人が彼女の解放を求める運動を行った。元々社会派である歌手イヴ・ドゥテイユもこの運動に積極的に参加し、この歌を作ったのだ。

これらの解放運動が実り、ガワン・サンドルは2002年に解放された。その後、アメリカに亡命し、チベット人政治犯の釈放等を訴える活動を活発に続けている。

ウーセルさんはブログにイヴ・ドゥテイユの歌の中国語訳と英訳を載せられていた。それではと私が試みに日本語訳を作ってみた。一応フランス語から訳したつもりである。



『チベットの女性』 イヴ・ドゥテイユ アルバム『 touche(トゥシェ: touch /接触)』より

「チベットと世界で苦しむ人々のために」

私たちは同じ太陽の下に暮らす
人はだれでも同じく
希望と苦しみの狭間で
存在を分ち合う

一人のチベット人女性が清らかな心と共に
壁の陰で歌を歌った
三十歳の誕生日を前に
再び太陽が昇ることを夢見ながら

世界の屋根に忘れ去られ
絶え間なく私たちに呼びかける
彼女たちの歌は静まり止んだ
蒙昧なる怒鳴り声により

それは破壊された国家の声
殉教した僧侶たちの
一瞥にして
何千もの命を思い出させる

それは昨日のこと、それはどこか他の場所の話し
私たちは「この惨事を二度と繰り返さぬ」という
これは近くの話し、今のできごと
そして、私はこれらすべての人々のために泣く

私たちは心に彼らの傷を保ち続ける
殺された人たちの悲嘆
武力または暴力により
希望までもすべて失った人々の

もしもこの民族が消え去るなら
最後のチベット人とともに
永遠に
多くの門が永遠に閉ざされることであろう

世界の屋根に忘れ去られ
絶え間なく私たちに呼びかける
しかし、彼女たちの歌は沈黙の内に忘れ去られる
無関心という砂漠の中で

それは力尽きた人々の声
麻痺させられた女性たちの声
彼女たちの心が目撃したすべてを
一瞬にして思い出す

それは昨日のこと、それはどこか他の場所の話し
私たちは「それは間違いだった」という
これは近くの話し、今のできごと
そして、私はその子供たちのために夢みる

地球の一つの自由の国から
何千光年の間
これら野蛮な制服から
恐怖と絶望から(自由になり)

再び太陽の下で暮らすために
同じような一つの歴史
そして、未完の章を
語ることができるために

魂の中にある
真実の炎は
完全に消し去ることはできないと言われる
そして、彼女は密かに私たちを照らしだす

傷口の上の蜜のように
私は今もこのチベットの女性が
捕らえられた姉妹たちとともに歌う
清らかな声を聞く

壁の上のどこかに
私は常に、このチベットの女性が
自由への希望を歌う
清らかな声を聞く

(連帯)


今も、中国では約1000人のチベット人政治犯が獄に繋がれ、悲惨な日々を強いられている。最近、焼身抗議に関連したとして2人に死刑が言い渡された。彼らの多くは単に街中でチベットの自由を叫んだり、チラシを撒いたり、政治教育に異を唱えたりした者たちだ。最近は焼身抗議に関連した焼身者の家族、友人たちの逮捕が続いている。

以下はガワン・サンドルが2009年にチベットの自由を訴え死刑を受けたロプサン・ギャンツェンとロヤンの解放を世界に訴えたビデオである。残念ながら、彼ら2人はこの後、死刑執行されている。






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2013年09月12日

政治教育に反発し、老人が1人独立を叫び、警官に死ぬほど殴られた後逮捕、入院

image9月3日、カム、ナクチュ、ディルゾン(ནག་ཆུ་འབྲི་རུ་རྫོང། チベット自治区那曲地区比如県)で68歳のダヤン(ཟླ་གཡང་།)と呼ばれる老人が、手にカタを持ち1人で「チベットは自由で独立した国だ!中国はチベットから出て行け!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と何度も叫んだ。

警官はその日の夜、彼の家に現れ、彼の頭に黒い布を被せ逮捕した後、激しい暴力を加えた。

9月9日にはディル県の人民病院にダヤンが危篤状態で入院していることが判明した。

最近、チベット自治区政府が主導し、地区の政治宣伝部員と歌舞団がディル県の村々を回り共産党の政治方針と法律を宣伝していた。これがダヤンが1人でこのような抗議デモを行うきっかけとなったと思われる。

当局はナクチュ県のタルチェン郷、ディル県のダタン郷、ツァチュ郷等にこのような政治教育班約1000人を送り込み、3家に1人の割合で監督責任者を割当て、チベット人たちを厳しく監視するというシステムを構築しているという。

参照:9月11日付けTibet Times チベット語版
9月11日付けRFA英語版
9月12日付けTibet Expressチベット語版
9月12日付けphayul

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2013年09月11日

ナクチュ:2児の母が抗議の自殺を計る

imageシャク・ロンポ僧院に駐留する中国の軍隊。

チベット自治区ナクチュ地区にあるシャク・ロンポ僧院に対する中国当局の弾圧についてはすでに8月3日(ナクチュの由緒ある僧院が当局の弾圧の結果 閉鎖に追い込まれる)と8月31日(ナクチュ地区シャク・ロンポ僧院続報 党のテレビショー)に報告している。

この由緒ある僧院は予てより政治的に問題がある僧院として当局に目をつけられていたが、特に2010年に、この僧院の総括ラマである8世ロンポ・チュゼの死に伴い、その転生者を探すための責任者となっていた高齢のラマ・ダワが当局により逮捕され、7年の刑を受けたことにより緊張が高まった。

当局はこのラマ・ダワが転生者選びのために14世ダライ・ラマと密かに連絡を取ったと見なし、ラマ・ダワ以外にも転生者選びに関わったという高僧を逮捕し、刑をあたえた。また、僧院に部隊を派遣し、長期の政治教育を課した。暴力を伴った厳しいこの政治教育に反発し、僧院の僧侶たちは2度に渡り僧院から逃げ出し、僧院は2010年5月と2013年7月末に閉鎖されている。また、この政治教育を苦にし高齢の僧侶が1人自殺している。

この僧院の惨状を見かね、地元のチベット人たちは何度も政府に対し、ラマ・ダワの解放等を要求したが、政府はこれを完全に無視し続け、さらに部隊を増強し、僧院と周辺の村への監視を強化し、政府高官を送り込んだりした。

今年7月半ばには村人と部隊が衝突し、多くの負傷者が出るという事件が発生した。この時50人ほどのチベット人が拘束されたが、その内9人の名前が最近やっと判明した。中には拘留中の暴力により病院に運び込まれた人もいるという。

さらに、中国政府は8世ロンポ・チュゼの転生者として、僧院の意向を無視し、勝手に新しい9世ロンポ・チュゼを認定した。

最近、この衝突で拘束された夫であるロプサン・ツェリンの解放と当局が決めた偽転生者の認定撤回を要求し、2児の母であるドルマ・ヤンキ(28)が抗議の自殺を計った。彼女はバイクに乗り、異常なスピードで運転した末に故意に転倒し自殺を計ったという。警官が彼女を病院に運び込んだが、病院には警官が待機し、訪問者を中に入れず、彼女の容態は不明のままという。

残された2人の子供は祖父母たちが預かると言ったにも関わらず、当局が強制的に孤児院に送ったと伝えられる。

参照:9月10日付けTCHRDリリース
9月9日付けTibet Times
9月9日付けRFAチベット語版
9月10日付けphayul



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2013年09月10日

チベット人観光ガイド2人に無期懲役

0909aラサで長年ガイドの仕事をし、最近インドに亡命した匿名希望のチベット人女性がRFAとVOTに伝えたところによれば、チベット人観光ガイド2人が政治的罪状により無期懲役を受けたという。

2010年の夏、チョモランマ観光に来たアメリカ人がベースキャンプ近くの丘の上でチベット国旗を掲げたことが当局に知れた。その後、このグループをガイドしたシガツェ地区ナムリン県エマガ郷出身のツェリン・サムドゥップ(ཚེ་རིང་བསམ་འགྲུབ།20歳前後)は無期懲役を受け、現在ダプシ刑務所に収監されているという。

また、時期不明、名前不明であるが、ポタラ宮殿をガイドしていたチベット人が、歴代ダライ・ラマの歴史を紹介した時、ダライ・ラマ14世の説明を政府が決めた通りに行わなかったとして無期懲役を受けたという。

「ガイドが観光客に行う説明はすべて政府が決めた通りに行わねばならず、これに違反したことが分かった時には、政治的罪を着せられ処罰される。家族も罰せられこともある」という。

「自分は歴史についてそれほど詳しくないが、よく知っているチベット人に言わせれば、中国が押し付ける説明は嘘ばかりだという」とも話している。

「最近チベット人が観光ガイドになることは非常に難しく、出身地の村、郷、県の承認が必要であり、その上、以前なら小学校卒業の証明書と通訳の証明書さえあればよかったが、最近は大学卒業の証明書が必要だ。それがあってもコネがない場合チベット人がこの職につくことは難しくなっている」という。

また、「周辺地区へ観光客を連れて行く時にはガイドについても特別の許可がいる」という。「今まで長年ガイドをやってきた者でも、更新時に厳しい審査が行われ、中国人は簡単に許可を得ることができるが、チベット人の場合には余程の金を積まねば更新できず、これがためにガイドの職を止めざるを得なくなるチベット人も多い」という。

参照:9月9日付けVOTチベット語放送
同中国語記事

以前より、チベット人ガイドが中国が隠す歴史的事実や政治的現状を外人観光客たちに話すことを当局は非常に警戒していた。嘗て亡命し、英語を学んだチベット人たちが大勢この職を得ていたが、ある時期、彼らは一斉に解雇された。このように、チベット人がガイドになることは難しくなる一方、漢人がガイドになることは増々簡単になっていると言われる。

今回明らかになったこのチベット人ガイドに対する無期懲役という刑罰は、不当で異常に厳しいものと言えよう。チョモランマのケースは外人観光客を監視し、違法な行為を阻止しなかったという罰であり、ポタラのケースは政府が決めた(嘘の)説明を守らなかったという罰である。もちろんこれはチベット人ガイドへの見せしめであるが、同時にガイドたちに接する旅行者への警告でもあるように思われる。

rftibet at 01:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)