2013年11月

2013年11月29日

当局に盗まれた聖なる石を戻してくれとたのみ9人逮捕

faf279af-ff95-4253-bb0c-c08c433067d6盗まれた聖なる石の一つ。

11月28日付けRFA等によれば、11月22日に四川省カンゼチベット族自治州ペユル県テルルン郷に大勢の部隊が押し寄せ地元のチベット人9人(Tibet Timesによれば8人)を逮捕した。

ことの発端は、ある石(複数?)。地元の人々は、祖先から言い伝えられるままに、ある僧院の境内に置かれていた(あった)石を聖なる石と見なし崇め続けて来た。この特定の石を崇めるということは、元はボン教的感覚からくるアニミズム的傾向の現れと思われ、チベットだけでなく世界中で見られる現象である。

数ヶ月前に、何を思ったのか中国当局が人を送り込み、ニンマ派のカンマル僧院の境内にあった、それらの聖なる石をごっそり運び出したのだ。これをチベット人たちは「盗まれた」と表現している。この部分、Tibet Timesでは石の数が明記されておらず、最初は写真からして普通に1個の大きな石かなと思っていたが、RFAでは「沢山あった石をごっそり持って行かれ」と書かれているから複数ということになる。

この石を政府は半分中国内に売りさばき、幾つかは現在建設中の県庁舎入り口付近に(何かとして)使われているという。

これに対し、地元の人たちは当たり前に怒り、この石を返してくれと、これまでにも何度も書面を当局に提出、要請したが、全く当局は相手にしなかったという。これに業を煮やし、地元の人たちは11月23日に、この郷の下にあるすべての村人を集め県庁舎まで向かい、そこで大きなデモを行うことを決めていた。

しかし、この秘密であるはずのデモ計画は当局に知れてしまった。デモの前日である22日の夜、主立った人たちが準備のために集まっていた場所を、大勢の部隊が急襲したのである。RFAによれば、衝突もあったという。その結果Tibet Timesによればテルルン僧院の僧侶6人と地元の代表2人の合計8人が連行されたという。RFAは合計9人という。

この事件の後、付近の僧院、村々には大勢の部隊が押し掛け、厳しい監視が続いている。

中国では今も、政府は泥棒し放題なのでしょうかね?それとも中国の法律では「聖なる石」は「だたの石」だから泥棒したとはいえないのかな?それでもその石を誰かが売ったらしいから、何か経済的価値を認めていたらしい?そうだとすれば、盗んだと言えるわけだ。日本ならある地域レベルであろうと、有名な聖なる石を盗んだとなると大変なことになるであろう。

それにしても、この当局により盗まれたチベット人たちが崇める聖石を、返して欲しいと要求するだけで、逮捕されるわけだ。彼らは早くも平和的デモをやる前に(泥棒たちの部隊により)逮捕されている。まだ何もしてないのにだ。

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2013年11月25日

焼身に関わったとして7人拘束

7f89703311月11日に焼身、死亡した僧ツェリン・ギェル。

24日付けRFAによれば、青海省ゴロ州ペマ県当局は最近、先の11月11日にペマで焼身・死亡したアキョン僧院僧侶ツェリン・ギェル(20)の焼身に関わったとして7人を拘束した。

「ペマ県では焼身の後、厳しい監視が続いており、そのせいもあり7人の氏名等は未だ分かっていない」「しかし、拘束されたことは確かで、3人はアキョン僧院の僧侶、4人は俗人である」と現地から報告されている。

僧ツェリン・ギェルが焼身した後、ペマ県一帯に大勢の武装警官隊が投入され、厳重な警戒が続いている。あらゆる交差点に10人以上の部隊が立ち、チベット人を厳しくチェックし、アキョン僧院では僧侶に対する尋問が続き、僧ツェリン・ギェルの家族の家も監視され、誰も弔問に行くことができない状態という。

中国当局は焼身抗議が発生するたびに、ほぼ必ず誰かを逮捕する。チベットの焼身はほぼ100%個人的決心により実行され、焼身の前に誰かに明かされることもまずない。その意味では家族や友人は全く関係がない。そうであっても、当局は連帯責任を負わせ、1人が焼身すれば多くの人も逮捕されるぞということを見せつけるために、友人や家族を逮捕する。

この逮捕は焼身中に焼身者が部隊に運ばれることを阻止した者とか、焼身者の遺体を家族に届けた者とか、法要を行った、弔問したというだけでも逮捕の対象となり得る。焼身を唆したとされた僧侶に死刑判決も出ている。

今回、僧ツェリン。ギェルは病院に運ばれる途中で亡くなっている。当局は珍しく遺体を素直にチベット人側に引き渡し、法要を許可している。これは、通常の遺体を家族に渡さず、勝手に焼却したのち遺灰だけを家族に渡すという非常に非人間的なやり方に比べれば、一見当局の温情ともとれるやり方ではある。しかし、見方によれば、当局は当初こうした法要などを許しておき、その法要を見守ることで、その中心になった者たちを見定め、後に彼らを逮捕するためにそうしたのだ、と言うことも大いにあり得ることなのだ。

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2013年11月23日

焼身抗議に関連しザムタン・チョナン僧院僧侶に4年半の刑

ホルツァン・タムディン11月22日付けTibet Timesの中、在ダラムサラのツァンヤン・ギャンツォが伝えるところによれば、最近四川省ンガバ州ザムタン県の裁判所はチョナン僧院ツァンパ学堂の戒律師ホルツァン・タムディン(ཧོར་གཙང་རྟ་མགྲིན།)に4年半の刑を言い渡した。

ザムタンでは2012年中に6人が相次いで焼身抗議を行っている。僧ホルツァン・タムディンは焼身者の葬儀が行われる度に指導的役割を担い、焼身者たちの遺言である「チベット人団結」を訴え、これを提唱する人たちは「雪山チベット人が讃えるべき人々」であると言ったという。このような言動から中国当局は彼を「祖国分裂を煽動し、チベット独立を唱えた」と見なし、4月24日に彼を拘束していた。

僧ホルツァン・タムディンはザムタン県バルマ郷ツァンデ村の出身。彼はチョナン僧院ツァンパ学堂の戒律師であった。

彼は「慈悲基金」という協会を創立し、地域の身体障害者、孤児、病人、貧困者などを援助する活動を行っていた。この協会の宣伝、資金集めのために中国本土各地に赴き講演会等も行っている。

foundation_for_a僧ホルツァン・タムディンが大連に行き慈悲の心を奨励する集会を行っているという写真。

また、彼はタンカ(チベット仏画)の絵師でもあり、中国本土でタンカの展覧会を何度か開いていた。さらに、彼は著作も行い、「3月10日(蜂起)記念日への思い༼གསུམ་བཅུའི་དུས་དྲན་ཉིན་གྱི་སེམས་ཚོར་༽」という詩の中で「今日は3月10日(蜂起)記念日だ。心に受けた痛みを思い出す。身体に受けた傷を思い出す。亡くなった同胞の苦しみを思い出す。解放軍進撃の音を思い出す。年輪を重ねた苦しみを思い出す」と歌う。

「ラサへの思い༼ལྷ་ས་དང་སྦྱར་བའི་སེམས་ཚོར་༽」という詩の中では「ラサはどこにあるのか?ラサは危険な場所にある。ラサはどこにあるのか?ラサは他人の手の中にある。ラサはどこにあるのか?ラサは憂慮すべき場所にある。ラサはどこにあるのか?ラサは武装警官の手に落ちた。ラサはどこにあるのか?ラサは監視される場所。ラサはどこにあるのか?ラサは涙の中にある」と歌う。

ザムタン僧院ザムタン僧院。

ザムタンでは焼身に関わったとして、これまでに40人ほどが拘束され、様々な拷問を受けた。その内20人ほどは数ヶ月拘禁された後解放されたが、依然20人ほどが拘束されたままと言われる。ただ、ザムタン全域に渡りすでに8ヶ月以上ネット等の通信手段が遮断されたままであり、拘束者の氏名等の詳細は伝わっていない。

焼身が続いた後、ザムタン僧院には大勢の武装警官隊、警察隊が常駐し、僧侶たちに対し様々な嫌がらせを行い、「僧院で新たな仏像を作ってはならない。最近造った仏像は壊せ」という命令も出ているが、高僧たちが役人に掛け合い、この事態は今のところ回避できているという。

また、当局は「チョナン派は亡命政府により差別され続けて来た。だから、もう目を覚まして中国政府に付くべきだ。それに比べ、先代のパンチェン・ラマはチョナン派を正当な宗派として公平に扱った。このことを思い出し、僧院は今の(中国が認定した)パンチェン・ラマ11世をお迎えすべきだ」と言うが、僧院側はまったく耳を貸さないという。

その他参照:11月22日付けTibet Express チベット語版
11月22日付けRFAチベット語版
同英語版
11月23日付けphayul

rftibet at 20:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) チベット内地情報 

2013年11月22日

ウーセル・ブログ:歴史を書き換える「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」

中国政府はラサで再び歴史的建築物の一つを自分たちの都合のいいように、歴史を書きかける道具として修復、復元した。今回はジョカンの北にあるトムシカン。清朝時代には「駐蔵大臣」の住居として使用されていたこともある、300年に及ぶ歴史を持つ建物である。

これをいつものように「チベットは嘗てより中国の一部であった」という虚構の偽の裏付けとして「歴史陳列館」という観光施設の一つとしてオープンしたのだ。この清朝時代の「駐蔵大臣」は清朝の大使のような役割を担っていただけであり、決してこれをもってチベットが清朝に属していたという証拠にはなり得ない。それ以前に第一、満州族の王朝である清朝がどうして現在の中国共産党の前身になり得るのか?いつもながら2重に不思議で理解不能な解釈である。

以下、ウーセルさんが7月24日のブログでこの建物復元について多くの写真と共に詳しく報告されているのでこれを紹介する。

原文:改写历史的“清政府驻藏大臣衙门旧址”
翻訳:@yuntaitaiさん

◎歴史を書き換える「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」

003写真は「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」に改装中のトムシカン。写真に写っている赤い横断幕のスローガンから、トムシカンを「修復」しているのは「チベット宏発建築公司」だと分かる。2013年5月に現地のチベット人が撮影した。













0102013年7月17日撮影。歴史を書き換える「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」はもう落成した。




















中国西蔵網は2013年5月29日、「清政府駐蔵大臣衙門(がもん)旧跡の修繕工事が鳴り物入りで進んでいる。これは古建築の本来の風格を保護するとともに、群衆の日常生活の中に隠れている極めて危険な建物を昔の姿に似せて修理する工事だ。完成後は清政府駐蔵大臣衙門復元陳列館にする」と伝えた。

いわゆる「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」が指しているのは、17世紀末から18世紀初頭、ダライ・ラマ6世の時代にバルコルの北側の通りに建てられたポタン(宮殿)建築、トムシカンだ。当初は「プンツォ・ラプゲリン」と呼ばれていた。ダライ・ラマ6世ツァンヤン・ギャンツォのほか、ラサを支配したホシュート(モンゴル系遊牧民)の首領ラサン・ハーン、カロン(大臣)に殺されたカロン・ティパ(主席大臣)のカンチェンネー、6、7人のアンバン(高位の人物を指す満洲語で、特にモンゴルや青海省、チベット、新疆などに駐在した清朝皇帝の代表を指す。駐屯大臣ともいう。中国語の史料では「駐蔵大臣」と表記する)がここに住んでいた。

トムシカンはアンバンが住み始めた時、災いを招き入れたシキョン(摂政)のポラネーによって改名された。市街の見える建物という意味で、つまり通りに面した建物だ。ここは実は血なまぐさい場所だった。それまでにカンチェンネーの2人の夫人がむごたらしく死んだだけではない。1750年には、ポラネーのシキョン職を引き継いだ彼の息子ギュルメー・ナムギャルが2人のアンバンにおびき出され、殺害された。続いて100人以上の満洲人と漢人がチベット人に殺される流血事件が起きた。私は「消えるトムシカンの前世」という記事の中で、この事件についてチベット史と中国史が全く異なる記述と評価をしていることを紹介した。

今回の大規模な「修繕」が始まるまで、トムシカンは「ラサ古建築保護院」の標識をつけた雑居住宅だった。だが実際には、トムシカンは何度も「旧房改造」(古い建築物の改築)を経験しており、300年前の元々の風格はとうに損なわれている。文革前と文革中の破壊のほか、当局が何度も実施した「旧房改造」による破壊はおおよそ次のようなものだ。

目撃者の廖東凡(雑誌「中国西蔵」の元編集長)の記録によると、1994年秋、「ラサの旧房改造で、トムシカンの古い建物はほとんど取り壊された」という。

ラサ旧市街の保護に力を注いだNGO「チベット・ヘリテージ・ファンド」(THF)の記録によると、1997年にチベット自治区副主席の承認とラサ市企画弁公室の主管の下、トムシカンは「理由の分からないまま取り壊され、1998年に新しく建て直された。この建物は今、主に住宅として使われている」という。「建物の主要部分はやはり1997年に壊され、バルコル沿いの壁側だけが残った。元々の壁の後ろ側では1998年、建物の一部分と庭だった土地が4階建てアパートに取って代わられた」。THFを創設したドイツ人建築学者アンドレ・アレクサンダーと仲間たちの努力により、一部の部屋と窓、門が修復されたが、大型古建築のトムシカンは取り返しのつかない破壊に遭った。新しく建てられたアパートは鉄筋コンクリート造で、表面にチベット式の装飾を付け足していた。

トムシカン内には東院と中院、西院がある。100戸近い住民は基本的に地元のラサ人で、数十年前から住んでいる家族もいた。1997年の取り壊しは一部の家庭を立ち退かせたが、多くの家庭はまだ退去させられなかった。この時、三つある門のうち古い門がふさがれ、商店に改造されたものの、門の痕跡はまだ見て取れた。1998年になると、ちょうど昔の郵便局の位置に新しく門が一つ作られた。

2010年の後半、トムシカンは大々的に、多額の費用をかけて「修復と補強」が進められ、わずかに残っていた300年以上前の外壁は取り壊された。しかし、依然として元々の住民を退去させなかった。ここまでの数年で漢人と回族の商人に家を貸す人、さらには譲り渡す人まで現れた。譲渡価格は高騰し、ある回族商人は100万元で1階の商店を買いたがっていた。通り沿いの店舗には、じゅうたん屋や日用品店、工芸品店、タンカの制作と販売を手がけるアトリエがあった。後に中国人観光客が開いたアトリエも入り、「蔵漂」(中国人のチベット旅行者)のたまり場と呼ばれた。

2012年末、多額の費用をかけた「整備」がラサ旧市街でまた始まった。この時、トムシカンの100戸近い住民の全てがラサ西郊と東郊の「安置房」(立ち退きに遭った住民に用意されるマンション)や低所得層向けのアパートへ引っ越すよう求められた。居民委員会を含む各部門の警告も受けたため、わずかな補償費(店がない場合は1戸につき2万5000元、店がある場合は1平方メートルあたり5000元)を受け取って速やかに引っ越すしかなかった。漢人と回族の商店数軒は引っ越そうとせず、高い購入費用を払ったんだと訴えたが、彼らのような「釘子戸」(釘のように動かない住民)になろうというチベット人はいなかった。彼らもこの後、当局の願い通り引っ越すようだった。

2013年5月14日の「西蔵日報」はトムシカンの工事現場の写真を掲載し、「ラサ市城関区バルコル事務所バルコル社区内の作業員が駐蔵大臣衙門旧跡を修復している」と説明した。今回は明らかに、「トムシカン」という300年近い歴史を持つチベット名までも消えてなくなる。取って代わるのは「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」だ。

既に空っぽにされたトムシカン。この意味深長な血なまぐさい旧跡が「清政府駐蔵大臣衙門復元陳列館」になる。ポタラ宮の足下に改めてつくられた「ショル城」という名の「愛国主義教育基地」と同じように、これは事実上、チベット史を書き換える一大プロジェクトだ。しかも、さらに尾ひれを付けて誇張し、でっち上げる。「駐蔵大臣衙門の復元と陳列は、駐蔵大臣制度の起源と歴史的発展のほか、歴代駐蔵大臣が祖国統一の維持と辺境防衛の強化、チベット社会発展の促進に果たした積極的な役割を全面的に展示、紹介できる」と官製メディアが報道していたように。

18世紀から辛亥革命に至るアンバンの歴史は、王力雄が著書「鳥葬」で書いた通りだ。

「185年間にわたり、相次いでチベット入りした135人の駐蔵大臣は(中略)チベットで実質的な権力を掌握できなかった」(ウーセル注・この陳列館の説明によると、185年間でおよそ100代以上の計138人)

「北京側は一貫して『駐蔵大臣はチベットに対する中国の主権の証明であり、中央政府を代表してチベット地方への主権を管理していた役人だ』と公然と言いふらしてきた」。だが、チベット史とチベット人の解釈では、歴代アンバンは「清朝皇帝(と中国)の大使で、情報伝達の責任を負っていたにすぎない。せいぜいチベットの政務について顧問の役割を務めていただけで、実質的な権力は元々なかった」。「チベットの官吏は表面上、駐蔵大臣には礼儀正しく従順だった。いわゆる『誠実なふり』であり、実際の行動は逆に『陰での抵抗と違反』だ。中国人の意思ではなく、完全に自分の意思に従ってチベットを統治していた」

つまり、清代の駐蔵大臣制度は北京がチベットに伸ばした「インターフェース」だ。事実上「骨抜き」にされ、チベットは「全く言うことを聞かず、ひどければインターフェースを遮断した」。

だが、改めてラサ旧市街の「整備」が特色を持って進められ、念入りに処理されるのに伴い、「古代の遺産を現在の事業に生か」した政治的な物語が華やかに登場してきた。そうである以上、強権を振るって物語を語る人たちには、1951年のチベット「解放」後に就任した中国共産党の歴代駐蔵大臣(チベット自治区党委書記)の業績や輝かしい歴史をぜひ付け加えるよう提案したい。どうして党の歴代駐蔵大臣をなおざりにできるだろう?彼らは封建王朝の駐蔵大臣(かつて党に唾棄され、実は今までも党に蔑視されていた腐りきった存在)よりもずっと国を愛し、ずっと「祖国統一の維持と辺境防衛の強化、チベット社会発展の促進」に努めてきた。あるいは封建王朝の歴代駐蔵大臣を党員として事後承認すればいい。そうしてこそ、一貫して愛国が伝承されていると証明できる。そうでなければ、歴史のごみの山から清朝の駐蔵大臣を引っ張り出すのは、共産党によるチベットの占領と統治の合理性に裏書きするためということになる。それこそが目的なのだが、少しばかり恥ずかしいだろう!

そして、もし本当に「清政府駐蔵大臣」を懐かしむなら、「清政府駐蔵大臣衙門」で最も長い歴史を持つ遺跡「ド・センゲ」、つまり今日には「治安維持」の軍隊で埋まっているチベット軍区第二招待所に「清政府駐蔵大臣衙門復元陳列館」を設けるべきだ。衙門としての歴史が短く、血なまぐさいトムシカンを陳列館にするべきではない。これは明らかに誠意に欠けているし、明らかに捏造しているし、明らかに真の狙いは別のところにある。

そして、もし本当に「清政府駐蔵大臣」を懐かしむなら、果たして「清政府」が誰に属していたのかをはっきりさせるべきだ。清朝史を研究するハーバード大のマーク・エリオットは次のように書いている。「私たちは疑いもせずに直接、清朝を中国と同じものと扱っていいのだろうか?まさか私たちは清朝を『満洲』帝国とみなすべきではなく、中国をその単なる一部分とみなすべきではないと言うのか?」「大清帝国と中華民国は異なる政治目標を持った異なる政治的実体だ(中華人民共和国は更に言うまでもない)。たとえ人と地理という点で清朝と近代中国がはっきり重なっていても、両者はシームレスではなく、実際にはふぞろいで衝突する部分が多かった」。

ほかにも説明しておくべきことがある。「清政府駐蔵大臣衙門復元陳列館」に変えられたトムシカンは1997年の壊滅的な「旧市街改造」の過程で、アンドレ・アレクサンダーと彼のNGOが虎の口から食べ物を奪うように、狂気じみたブルドーザーの下から一部分を全力で救った。そうでなければ、トムシカンはとっくに「スルカン商場」に建て替えられたスルカン邸のようになってしまい、今ごろまた陳列館に変えようとしても相当難しかっただろう。当局はアンドレたちの仕事に感謝するべきなのに、でたらめにも2002年に彼らをラサから永遠に追い出してしまった。昨年初めに若くして亡くなったアンドレがもし健在で、かつて力を尽くして守ったトムシカンが政治の道具に成り果てたのを見たら、きっと涙を流して嘆き悲しんだだろう。

チベットの歴史を書き換える勝手放題のプロジェクトが続いている。「整備」後のラサ旧市街には、同様に歴史を書き換える「愛国主義教育基地」がいくつ現れるだろう?中国官製メディアによると、現在「紅色旅游」(革命関連の名所旧跡を訪ねる旅行)が中国で流行しており、「各地方は経済発展のために『紅色旅游』の旗を掲げ、指導者の旧居は各地方政府が力を入れる重点的な観光スポットになった」という。ラサや他のチベット・エリアには共産党指導者の旧居はないが、「紅色旅游」は同様に力を入れて進められている。駐蔵大臣や1950年代に病死したチベット人学者ゲンドゥン・チュンペー、ひいては7世紀の唐の文成公主までもが次々と「愛国志士」につくり替えられている。観光収入を生み出せる上にイデオロギー面のメリットも得られるが、その実体はますます深く入り込む植民地化だ。

2013年6月11日〜7月23日  (RFA特約評論)

_19世紀のチベット伝統絵画に描かれたトムシカン。正面には、文化大革命で紅衛兵が「四旧」として破壊した仏塔、カンリクシがある。



untitled1954年のトムシカンを写した古い写真。












L1100281-1チベット・ヘリテージ・ファンドが1999年に出版した「Lhasa Old City Vol.�」に掲載されたトムシカン正面図。

【以下の写真は、1996―2002年にラサ旧市街の保護に尽力した建築学者アンドレ・アレクサンダーの記録や「ラサ歴史城市地図集」(中国建築工業出版)から転載】

1photo1997年の取り壊し前に撮影されたトムシカン。



2photo1997年の取り壊し。写真はトムシカンの北側。
























p156580870-6トムシカンの内部。


























p156580870-14300年以上の歴史を持つトムシカンの古い大門がブルドーザーで取り壊された。1997年8月撮影。



















p156580870-16バルコル東南のスルカン邸は数百年の歴史があったが、1997年に取り壊された。ラサ旧市街で最も残念な損失の一つと思われている。写真左下の後ろ姿はアンドレ・アレクサンダー。





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P10502202枚の写真は2010年10月にトムシカンで私が撮影した。










001以下の6枚の写真は2013年6月30日と7月17日、新しく建った「清政府駐蔵大臣衙門旧跡」で私が撮影した。最後の1枚は中国中央テレビの記者がある御用学者を取材している様子。




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2013年11月20日

江沢民など元中国指導部の5人に逮捕状 スペインジェノサイド裁判

1459068_605340369501752_1369005264_n11月18日、スペインの国家裁判所はチベットにおけるジェノサイド、人道に対する犯罪に関与した容疑で中国の元国家主席江沢民ほか5人の政府幹部に逮捕状を発行した。

主犯と見なされる前国家主席胡錦濤についてはすでに10月9日の時点で同裁判所により起訴されているが、逮捕状はまだ発行されていない。この時点で北京はスペイン政府に対し「内政干渉である」として強力に反発し、圧力を掛けている。今回も共同通信によれば今日、中国外務省の洪磊副報道局長は20日の記者会見で「事実なら強い不満を表明し、断固反対する」と反発し、「誤った決定を変更するよう要求する」と訴え、江沢民らを訴えたチベット人組織に対しても「(中国を)侮辱する事案をでっち上げ、中国政府を攻撃しようとしている」と述べ、強く非難した。

スペイン司法当局はテロ、麻薬犯罪、トラフィキング、海賊行為、マネーロンダリング、国家指導者による人道犯罪等が当時国で裁かれない場合、普遍的管轄権にもとづき第三国の法廷が管轄権を持つとの立場を取りこのような国際裁判をかつても行っている。1998年には、南米チリで独裁体制を敷いたピノチェト元大統領がロンドン滞在中、スペインの犯罪者引き渡し要請に基づいて英警察に逮捕されたということもあった。もっとも彼はその後健康を理由に解放されている。江沢民は2009年にも、法輪功迫害の主謀として、同裁判所により「ジェノサイド」と「拷問罪」で起訴され受理されている。

1457643_504325652998833_748460615_nこのチベットジェノサイド裁判はスペインにあるチベットサポートグループであるComite de Apoyo al Tibet (CAT) が2006年に提訴し、2008年から審議が始まっていた。2008年5月に証人としてダラムサラから3人の元政治犯が呼ばれたと時の話しはここと、ここ。一旦2009年に今回の5人と胡錦濤を含む8人に対し人道に対する罪を犯した容疑で裁判に召還することを発表し、中国に通知したが、中国は逆にこのときの裁判官ペドラズが中国に渡航した場合は逮捕すると脅した。

その後、一旦審議は中断されていたが、今年に入り10月にまた再開された。そして11月18日には容疑者尋問のために中国の元指導者たちを在スペイン中国大使館を通じ召還したが、彼らがこれに応じないということで今回の決定に至ったというわけだ。

これにより彼らは国際手配され中国国外に出た時外国の空港で拘束される可能性がある。また、海外の銀行口座が凍結される可能性もある。実際には彼らが国外にでることも、そこで逮捕されることも可能性としては薄いかも知れないが、正式に国際的裁判所で審議が行われているという象徴的意味は大きいと思われる。

今回逮捕状が出されたのは80年代終わりから90年代初めにかけてチベット弾圧に関係した江沢民と元首相の李鵬、1989年にラサで戒厳令が敷かれた時に公安局長であった喬石、1992年から2001年にかけてチベット自治区書記であり強硬政策を行った陳奎元、90年代に家族計画大臣であった彭佩云である。

参照:11月18日付けICTリリース
11月20日付けVOA英語版

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2013年11月18日

リタン僧院本堂焼失

1454851_5400285111月16日の夜9時半頃、カム地方でもっとも立派な僧院の一つであるリタン僧院の本堂の一つに火の手が上がり、瞬く間にほぼ完全に焼失した。

出火と同時に、僧侶、俗人が懸命の消火作業を行ったが、あまりに火の勢いが強く、効果はなかったという。その間にも僧侶が中に入り古いお経等貴重な物品はほぼ持ち出すことができたというが、それでも持ち出すことができず消失した貴重な歴史的物品もあったと言われる。

消火作業により2人の僧侶が負傷したが、命には別状ないと伝えられる。

出火の原因については、電気のショートであるとか、灯明の不始末であるとか言われているが、特定されてはいないようだ。

「中国の消防隊はまったく来なかった」という話しも最初のころあったが、RFAに情報を伝えた現地チベット人によれば「消防隊はほぼ完全に焼け落ちたあとやって来た。来ると、消火作業等をしていたチベット人を完全に排除し、現場に近づけないようにした」という。

1463640_536343823106842_1477213084_n一方、政府系メディア新華網では、「火災発生後に武装警察300人と政法幹警200人、職員・労働者2000人、僧侶・農民(人数記載なし)、消防車20台が駆けつけたと」とされる。映像も出ているが、それを見る限り少なくとも火が燃え盛っているころに消防隊が来ていなかったことは確かである。

追記:現地からの情報によれば、消防隊は出火後5時間たってやっと来たという。「政治的なビラを張り出したり、デモを行えば直ちに駆けつけるのに、何で誰にでもすぐ分かる僧院の火事にはそんなに時間が掛かるのか?」との声も聞かれる。

このリタン僧院(ガンデン・トゥプチェン・チュコルリン)はダライ・ラマ3世ソナム・ギャンツォにより1580年に創建されたと言われる。徐々に増築され中国に侵略される前には巨大な僧院となっていた。1956年、共産軍により大きく破壊された。また1966〜76の文化大革命の間に再び破壊を被った。

jpg-large焼けただれたこの本堂の本尊弥勒菩薩。

現在あるほとんどの建物は80年代以降、地元の人々が寄付を集めて再建したものである。今回消失した本堂についてRFAには地元の人の話しとして「ダライ・ラマ3世ソナム・ギャンツォが建てたものである」ということが書かれているが、他の情報では80年代以降に新しく建てられたものだという情報もある。

リタンはチベットゲリラ組織チュシガントゥクの総司令官ゴンポ・タシの出身地でもあり、中国の侵略に対しゲリラ戦を行い激しく闘った。1956年にはゲリラ部隊や住民がろう城していたリタン僧院に対し、人民解放軍が激しい爆撃を行った。その結果僧院は壊滅状態となり、少なくとも3〜5千人が死亡したとされる。

1380663_516979065043318_73890161_n焼けたお堂は写真右手の建物。今年夏の写真(帰山鷹丸撮影)。

2007年には競馬祭で大勢の人が集まる前でロンゲ・アタが法王帰還を訴える演説を行い、8年の刑を受けている。2008年にも大きな抗議デモがあった。現在の亡命政府首相ロプサン・センゲの両親の出身地もこのリタンである。政府が行う愛国再教育に対しても常に抵抗の姿勢を見せるという、カンゼと共にカムを代表する反骨精神旺盛な土地柄である。

その他参照:11月17日付けRFAチベット語版
11月18日付けTibet Timesチベット語版

67031_602446356489948_188036056_nリタン僧院全景。手前の白いお堂が今回焼けたもの(林明日香撮影)。










1426280_678646395503288_1300109827_n焼けたお堂の内部(Dorje Nakai撮影)。

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2013年11月17日

日本テレビの法王インタビュー

2013-11-15-Narita-N02日本テレビNEWS ZEROキャスターである村尾信尚氏のインタビューを受けられる法王(写真はdalailama.comより)

ダライ・ラマ法王は15日に成田に到着され、10日間に渡る日本訪問を始められている。来日スケジュールはここに

成田に到着するなり、その日の内に法王は日本テレビのインタビューを受けられている。その内容の一部が15日付けdalailama.comで早速報告されていた。放送は22日の予定と聞くが、すでに法王庁のサイトで内容は公開されていたということで、これを日本語にしても差し支えないと判断し、以下インタビューの部分をそのまま日本語にしてみた。

午後の早い時間に法王は日本テレビのNEWS ZEROキャスターである村尾信尚氏のインタビューを受けられた。インタビューは日本訪問の目的から始められた。これに対し法王は「人々と会い、幸せは心の中に存在するという考えを共有するためだ」と答えられた。

法王はまた、「仏教徒は日頃常にすべての有情のためにという祈りを捧げている。だからその機会に接した時にはそれを実行すべきだ」と言われ、「変化は行為によりもたらされるものだ。祈りだけでは実現されない」と続けられた。

「最近フィリピンを襲った自然災害などは今後増えると思われる。このような時に、私たちはみんな一つの人間家族の一部なのだということを思い出すべきだ。同胞である彼らをどのように助けられるかを考えるべきだ」とコメントされた。

村尾氏は、今日本で重大な問題とされていることは『いじめ』であるといい、何がこの原因であると思われるか、と質問した。

これに対し法王は「自分のことのみ考え、他の人を顧みず、他の人の幸せを考慮しないからだ」と答えられた。

子供の中には『いじめ』られたことにより自殺を考えるものもいるが、これをどのように止められると思われるかとの質問。

法王:「これは日本だけで起っているものではなく、世界中の現象だ。現在の教育システムは物質的価値と目的に沿ったものであり、内的価値はほとんど考慮されていない。だから、私の何人かの友人、科学者、教育家たちは宗教抜きに教育システムの中にもっと道徳感を育てる方法はないかと模索しているのだ」。

『いじめ』にあっている子供たちへのメッセージを何かお願いします、と村尾氏。

「さあ、なんとも、、、親や教師にもいくらかの責任があると思う。両親は子供たちに愛情を示すべきだ。そのための時間を作るべきだ。教師たちは単に知識を伝えることで満足するのではなく、もっと深い価値について教え、生徒たちの長い将来についても考慮すべきだ。もしも、家庭や学校が生徒たちにもっと愛情や温かい心を示すなら、子供たちの成長にも影響を与えることができると思われる」と法王。

『いじめ』にたいして自殺するという話しにひっかけ、村尾氏は法王に2009年以来チベットで100人以上の焼身者がでているが、これに対してどう考えられるかと質問した。

「これらの事件は非常に悲しいことだ。しかし、彼らは酔っぱらっていたり、家族問題からそうしたのではない。彼らは恐怖的雰囲気の中に暮らしていると感じているのだ。命を捨てる覚悟がある彼らは、もしもその気になれば他人を害することだってできたであろう。しかし意識的にそれを避けたのだ」と法王はコメントされた。

さらに「焼身が初めて行われた時、BBCの記者がこのことについて質問した。私は彼女に『これはとても、とても悲しいことだ。しかし、その効果については懐疑的だ』と答えた。焼身を奨励しない。しかし、私の立場は複雑だ。私はチベットの外にいる。彼らに(これに変わる方法として)提示するものがないもないのだ。中国当局はこのような行為の原因を調査し、これに答えるべきだと考える」と法王は答えられた。

中国の新指導者である習近平についてどう思われるかとの質問に対し、法王は「中国の過去60年間の様々な時代を顧みれば、毛沢東はイデオロギーに主眼を置き、小平は経済発展、江沢民は党の範囲を広げ、そして胡錦濤のスローガンは社会の調和であった。このように同じシステムであったも、新しい現実に適応する能力は備えていると思われる。習近平は腐敗を無くすことに熱心のようだし、彼は行動の人と思われる」と答えられた。

如何なることが起ろうとなぜそのような偏らぬアプローチ(中道路線への暗示と思われる)が可能なのか、との質問に対し、法王は「現実的なだけだ。暴力を使うことは失敗を認めたことに等しい」と答えられた。

2013-11-16-Narita-N04法王とペーター・ヤロー(dalailama.comより)

最後に、アメリカのホークシンガーであるピーター・ヤローが日本の「平和建設者」としての新世代を激励するために法王の言葉を使って「決してあきらめないで」というアンチいじめソングを作曲したということが告げられた。ヤローと法王は、もしも子供たちが幼い時にから、平和的であるべきことを教えらているならば、彼らは世界で他を思いやる、愛情深い平和構築者に育つであろうということことにおいて意見が一致している。

「もしも、勇気を失い、悲しみ、不平不満ばかり口にするなら、問題を解決することはできないであろう。祈るだけでも問題は解決できない。相手に向かい、暴力なしに交渉する必要がある。その時、自信を持ち、そして決して諦めないこと。もしも、非暴力的アプローチをとりながらも、内にためらいの心を持っていたならば、それは成功しないであろう。自信を持ち、努力を続けるべきだ。言い換えれば、決して諦めないということだ」。

「あなた方日本人は、第二次大戦の後、灰の中からこの国家を再建した。あなた方は決して諦めないということの重要性を示したのだ。ドイツも強い経済を再建し、成功した民主主義を育てた。だから、いかに得ることが困難であろうとも、決して諦めてはいけないということだ」と語られた。




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2013年11月15日

ディルでチベットの自由を求めるビラが張り出され 3人連行

10月初め以来緊張が続くチベット自治区ナクチュ地区ディル県で10月12日にチベットの自由を求めるビラを張り出したという容疑で3人が連行されていたことが判明した。

連行されたのはディル県シャクチュ郷出身のソナム・ドゥンドゥップ(19)、ツェリン・タシ(18)、チョクサル。ある情報によれば、張り紙には「チベットは独立すべきだ。中国人は出て行け。チベットには人権が必要だ」と書かれていたという。

家族等は彼らへの面会が許されていない。全部で170戸と言われるシャクチュ村には事件以来80人以上の武装警官隊が常駐し、厳しい警戒を行っているという。

ディルでは10月初めに当局が中国国旗掲揚を強要し、これを地元のチベット人住民たちが拒否、国旗を川に流して以来、緊張が続き、これまでに2カ所で部隊による発砲事件が起こり、4人が死亡し、大勢が負傷している。また、これまでに数十人が拘束されている。

ソク県で外国と連絡を取ったとして1人拘束

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同じナクチュ地区、ディル県の北隣にあるソク県で11月11日、トゥプギェル(又はトゥプテン・ギェルツェン)27歳が当局に連行され、その後行方不明となっている。

連行されるとき警察は理由を明かしてないが、地元の人たちは彼が外国のチベット人と連絡を取ったからではないか、と話している。

トゥプギェルはソク県チュンパ・ギェルツェン郷第5村の出身。父の名はテンペー・ギェルツェン、母の名はトゥプテン・チュジン。彼は普段商売をしていたという。

中国国旗掲揚台を破壊

最近、カム、カンゼにおいても中国当局は中国国旗掲揚を強要しているが、そんな中、カンゼ県ドンコル郷内数ヵ村の集会場の前に掲揚されていた中国国旗が掲揚台ごと何度も壊されるということが起った。壊される度に役人が来てまた作り直しているという。いまのところ逮捕者はでていないようだが、これから捜査が始まると思われる。

その他、カンゼでは最近尼僧約200人が集まり、焼身抗議者を弔う法要を行ったと言われる。

参照:11月13日付けRFA英語版http://www.rfa.org/english/news/tibet/posters-11142013164812.html
11月14日付け同チベット語版http://www.rfa.org/tibetan/tibet/thupten-gyaltsen-from-sog-county-was-arrested-by-chinese-police-11142013094746.html
11月14日付けTibet Timesチベット語版http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=8276
11月14日付けTibet Express チベット語版http://www.tibetexpress.net/bo/home/2010-02-04-05-37-19/11240-2013-11-14-09-38-55
11月14日付けphayul http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=34226&article=A+Tibetan+arrested+in+Sog+County

rftibet at 18:07|PermalinkComments(1)TrackBack(0) チベット内地情報 

2013年11月12日

昨日焼身した僧ツェリン・ギェルが亡くなる 内地焼身死亡者105人目

12.11.vigil

Tibet Timesによれば、昨日11月11日に青海省ゴロ州ペマ県で焼身したアキョン僧院僧侶ツェリン・ギェルは午後10時頃西寧の病院に転送される途中で死亡した。これで内地焼身者122人の内105人が亡くなったことになる。

昨日中に伝えられた追加情報を昨日のブログに<追記>してある。

遺体は夜中の12時頃にアキョン僧院に運び込まれた。今回は当局は病院への同伴者も承諾し、遺体もおとなしくチベット側に引き渡したようだ。アキョン僧院には現在近くの僧院僧侶や地域のチベット人が大勢集まり法要が行われているという。当局も部隊を街や僧院に派遣し警戒を行っている。

00255アキョン僧院

彼はペマの街の中心にある八葉蓮華モニュメントの近くで焼身し、政府庁舎に向かって10歩ほど歩き倒れたという。その時「ダライ・ラマ法王よ思し召しあれ!རྒྱལ་བ་བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ་མཁྱེན།」と叫んだと伝えられる。

同じ場所で2012年12月3日、僧ロプサン・ゲンドゥン(29)が焼身している。

00175彼は焼身の前に遺書を残していた。この遺書を手書きで写したというものが外に伝わった。焼身の目的は「内外のチベット人が再び一緒になれるためだ」と書かれていた。これにはもちろんダライ・ラマの帰還が含まれている。




以下その全文訳:
私が今日焼身を行うのは内外のチベット人が再び一緒になれるためだ。チベット人同士団結し、チベット語(会話)と文字、慣習、伝統をしっかり守ってくれることが私の望みだ。そうすれば内外のチベット人が再び再会できると信じる。


00330慰問のため僧ツェリン・ギェルの実家にチベット人たちが集まる。











1Map_TsampaRevolution_20131111_EN_sans内地焼身抗議発生地等地図(Tsampa Revolution制作)。画像、写真をクリックすれば何れも大きくなる。












1452060_692745797404104_1682022250_n内地焼身者顔写真(Gurbum Tibet Gyalo制作)



















1463929_10152091417640337_1789130944_n僧ツェリン・ギェルに捧げる井早智代さんの絵。

rftibet at 20:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0) チベット内地情報 

2013年11月11日

<速報>新たな焼身 内地122人目

2529_707674525911712_1012579668_n焼身した僧ツェリン・ギェル

Tibet Timesによれば、今日現地時間午後5時40分頃、ゴロ州ペマ県(མགོ་ལོག་པདྨ་རྫོང་། 青海省果洛州班玛县)ペマの路上で1人の若い僧侶が焼身抗議を行った。部隊により病院に運ばれたと伝えられるが、未だ生死不明。

焼死したのはペマ県アキョン僧院(ཨ་སྐྱོང་དགོན་པ།)僧侶ツェリン・ギェル(ཚེ་རིང་རྒྱལ།)、20歳。父の名はシェルプン、母の名はリンドル。




1441454_161624710713207_134323237_n目撃者の話しによれば、僧ツェリンがまだ燃えている間に警官と軍人が駆けつけ、火を消して病院に運んだという。現在その病院は部隊に囲まれ、近づくことができないという。

チベット内の焼身は9月28日にンガバ州ンガバ県ゴマン郷 でシチュン(41)が焼身して以来およそ1ヶ月半ぶり。内地焼身者の合計はこれで122人。内外合わせ127人。

北京で十八大大会が行われていた去年11月中には28人ものチベット人が抗議の焼身を行った。今年も現在北京では第18期中央委員会第三回全体会議(三中全会)という重要な政治会議が開かれており、全国的に警戒が厳しくなっている。

1459217_725609027467032_716951982_n今回の焼死も、この会議に合わせ、チベット人に対する当局の弾圧を非難し、チベットの自由と法王帰還を訴えるためのものであったと思われる。


追記(11月12日):今日のRFAチベット語放送等によれば、僧ツェリン・ギェルは家族2人と共に西寧の病院に転送されたという。

彼が部隊によりペマの病院に運び込まれた後、アキョン僧院には僧侶と地元のチベット人が大勢集まり、彼を取り返すために病院に向かおうということになった。実際数百人が彼が収容され、部隊が包囲している病院の前に集まり、彼を家族の下に帰すよう要求した。この結果、家族2人が中に入ることを許可された。その後、県病院では手当できないということになり、州都の西寧に送られたという。

目撃者の話しによれば、彼は燃え上がりながら数メートル歩き、路の真ん中で倒れたという。焼身時に何か叫んだのかどうかについては伝えられていないが、ある現地の人は「彼は600万チベット人の自由のために焼身したのだ。ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになり、黄金の玉座に再びお座りになるために行ったのだ」「チベット人に今立ち上がることを求めたのだ」とRFAに伝えた。

アキョン僧院はチョナン派の僧院。1533年創建。現在僧侶の数は約150人。ペマの南東数キロのところにある。

チベット人焼身の背景やリストなど、もっと詳しいことを知りたい方は>>>『太陽を取り戻すために』へ。

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文革レストラン

ラサ文革レストラン

ラサに「文革レストラン」があったとウーセルさんがツイッターやフェイスブックに写真付きで紹介されていた。これをうらるんたさんが日本語にしてブログに載せられていたので、了承の上これを転載させて頂く。

文革中100万人ほどのチベット人が飢えや虐殺により死亡し、中国全土でウン千万人が死亡したと言われる。中国共産党による締め付けが増々激しくなるチベットの状況を「まるで文革が再来したようだ」と形容するチベット人も多い。そんな中、習近平は文革批判を否定し、ネオ文革政治に向かっていると見る専門家も多い。

最近中国本土で文革レストランが流行り始めたという話しは聞いていたが、なんとラサにも文革レストラン、そして日本の東京池袋にも文革レストランがオープンしているのだ。

東京の文革レストランの写真等を見たい方はここ

[ラサに文革レストラン][チベット人作家ウーセルさんのツイート]

ラサに文化大革命をモチーフにした火鍋レストランがある。重慶のオーナーが開いたものだ。チベット人と漢人の男女スタッフは紅衛兵の服装を身につけている。さまざまな文革プロパガンダイラストやインテリア、いろいろな毛沢東語録や知識青年(文革で農村山村に下放された知識階級の若者)の写真、さらには、文革中にこのうち何人かがむごたらしい死を遂げたことが明らかな中国共産党10大元帥の肖像まであり、さらに改革開放派・小平の軍服姿の巨大な写真、合間合間にさしはさまれる文革歌曲や毛沢東に忠誠を誓う踊りのパフォーマンスなどなど、ごちゃまぜのしっちゃかめっちゃか…。

ラサ文革レストラン3

ラサのこの『大隊長』という名の火鍋レストランははっきりと文革をモチーフに打ち出している。火鍋が中盤に差し掛かると、紅衛兵にふんした漢人やチベット人のスタッフが舞い踊る。流れる曲は、毛沢東語録の歌や文革歌曲に替え歌したチベット歌曲から90年代に流行した台湾や香港のヒットソングまで、どこのものともつかない得体のしれないものだが、すべて目的は客に金を落とさせるためだ。ただ(このレストランの)毛沢東像の隣には4人の姿がない。チベット仏教寺院がすべて「5人のリーダーの肖像」(毛沢東、小平、江沢民、胡錦濤、習近平)を掲げなければいけないことを鑑みれば、ここも同じものを掲げるべきだろう。

ラサ文革レストラン4

※「古き良き時代」をなつかしむ、あるいは「自分たちの知らない過去の物珍しい情緒」として1960〜1970年代の文化大革命時代を消費するようになった中国ですが、チベットの現実は文革と同じ状況にあることを皮肉って言っているのですね

ついこの間、国際チベット支援組織はインターコンチネンタルホテルズ・グループが「インターコンチネンタル・ラサ聖地天堂」(英語名は「インターコンチネンタルリゾート・ラサ・パラダイス」)を建設することに抗議した。チベット人の人権を侵害している中国共産党政権に宣伝の機会を与えることを批判したものだった。しかし実際のところ、それと同時期かもっと早くから、既にこの「大隊長」のような文革をほめそやすレストランがラサに出現してしまっている。暗黒の文革の亡霊は消えることなく、食い意地を口実にして再び勢いを盛り返そうとしている。

ラサ文革レストラン 5

とてもはっきりしているのは、中国は今、文革をモチーフにしたあれこれを世界に向けて売り込みをかけ、じわじわと盛り上がりを見せていることだ。最近、中国新聞社は「中国人が東京に『東方紅』レストランを開いた」と得意げに報じ、同じような毛沢東の肖像や紅衛兵姿のスタッフを紹介していた。ラサのこの火鍋レストランは、我々はまだ日本に支店を出してはいないが、最近アメリカ進出を企画している、もし実現すれば、そこも個室レストランになるだろうと話した。


原文付きはこちら

ラサでカフェ「スピン・カフェ(風転珈琲)」を経営する香港人パズさんの投稿]
こちらもうらるんたさんの訳と解説。

チベット・ラサには文革をモチーフにしたレストランがあり、チベット人のスタッフが紅衛兵の服装をして(一部はイヤリングをつけたまま)文革時代の踊りを舞い、トイレには「冲!冲!冲!」*と書いてある。
僕たちがワインボトルを開け、ワイングラスを頼むと、ウェイトレスは「ワイングラスをお持ちできるのは個室貸切のお客様にだけです」と答えた。それで僕たちはバイチュウ(白酒)用の小さなさかずきで(ワインを)飲むしかなかった。
重慶人オーナーは文革をテーマにしていると話したが、ワイングラスにも階級が残っているだなんて、根本的に「走資派」(文革時代の用語で、資本主義復活をはかる反革命派のこと)だ!!

(以下追記)
*「冲!冲!冲!」:突撃! 前へ進め!の意味で、戦争や、革命を推し進めるよう呼び掛けるスローガンに使われる単語ですが、同時に「(水を)押し流す」「(水洗トイレの洗浄スイッチを押して)便器に水を流す」意味もあり、トイレに貼られると「水を流せ!」の意味になります。最初からトイレに貼るために作られた文革時代風のジョークポスターがあります。(ラサのもそれだと思われます)

池袋にある文革レストランのトイレにあるらしいジョークポスターはこんなのです(画像貼れないのでリンク

「同志たちよ、大であろうと小であろうと、ゆめゆめ忘れるでないぞ、『流せ!』」
的に、スローガンももじって便所ジョークにしてある失笑ポスターですね


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2013年11月09日

続く五星紅旗掲揚強要

中国国旗
チベット民家の上に掲げられる五星紅旗。カム、デルゲ県コルロド郷(写真RFAより、日付不明)。

今日から北京では第18期中央委員会第三回全体会議(三中全会)が始まった。先進国を中心に海外ではこの会議で「政治改革」について話し合われるのではないか、というほのかな期待も持たれている。8日付けロイターによれば、このような期待をあざ笑うかのように中国共産党は8日付け人民日報を通じ、「中国は党の指導の下でのみ繁栄できると指摘。『中国の特色ある社会主義』の道を歩み続けると表明し、党による統治を脅かしかねない欧米式の政治システムを模倣することはないとの認識を示した」という。さらに政治改革を求める内外の個人、組織、国を「敵対勢力」と呼び、彼らは「中国共産党の執政党としての地位を否定するために党を悪魔化している」と敵対感、警戒感、嫌悪感を露にしている。

ダライ・ラマ法王は習近平政権に期待を寄せ、「中国は良き方向に向かうであろう、より現実的になるであろう、私は将来について楽天的だ」とおっしゃるが、現実はまさに逆方向に向かっているようにしか見えない。

ウイグル人、チベット人に対しても増々締め付けを強化している。その一環であろうが、最近当局は「愛国再教育」と共に「五星紅旗掲揚強要」という新しいいじめ、嫌がらせをチベット各地で初めている。他民族に「五星紅旗掲揚」を強いることは、つまり彼らに「中国共産党に完全に降参していることを示せ」ということである。

これはまずチベット自治区のチャムド地区で始められた。これに逆らった僧院や村落が厳しい弾圧の対象となっている。今年10月始めには同じく自治区ナクチュ地区ディル県でこの「強要」が行われ、これに反発した村人たちが与えられた五星紅旗をすべて川に投げ捨てるという事件が起こり、これを契機に住民と部隊が衝突し部隊の発砲により、4人が死亡し50人以上が負傷している。ディルでは今も住民の抵抗が続き、多くのチベット人が逮捕されている。

10月13日にはアムド、チェンツァの村で五星紅旗掲揚強要が行われたが、300戸の内15戸のみがこれに従ったと報告されている。

11月8日付けRFAによれば、新たに今週カンゼ州カンゼ県とジェクンド州ザトゥ県でもこの国旗掲揚強要が行われたという。もっとも、両方ともこれに従った人は皆無と伝えられる。

カンゼ県ドンコル郷の住民が木曜日、RFAに伝えたところによれば、「昨日か一昨日からドンコル郷の役人がドンコル郷の住民を集めて、それぞれの民家の上に中国国旗を掲揚することの重要性を説いた」、「しかし、集会に参加した住民は、過去に中国国旗など一度も掲げたことなどないといい、これを強く拒否した」という。

これに対し、役人たちは「他の地域の住民はすでにこれに応じている。従えば、政府からの援助が得られるであろう。拒否すれば、その結果は自分たちにも分からないようなことになるぞ」と答えたという。

鉱山開発を巡り、住民の抵抗が続くジェクンド州ザトゥ県では県政府から「チベット人の家や僧院の上に国旗を掲揚せよ」とう命令書が出されたという。

「これまでは、政府に抗議するデモに参加したチベット人たちの家に国旗を掲げることが強要されただけだった。これからはすべてのチベット人にこれが強要されるのではないかと人々は心配している」「政府職員の家庭や政府から援助を得ている家庭はこれを率先して行うようにと言われている」「しかし、だれもこれに従う者はいない」と現地の住民は報告する。

このままこのキャンペーン?が広がれば、また衝突の原因になることであろう。これも一種の「踏み絵」なのであろうが、ほんとうに問題を増やすのに熱心な共産党である。

rftibet at 19:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0) チベット内地情報 

2013年11月08日

ディルで再び17人拘束

ディル1写真はすべて今回ディルで拘束された人たち。

ナクチュ地区ディル県は現在チベット自治区に編入されているが、伝統的にはカムの一部である。従って人々の気質はカム的。1959年や69年に大規模蜂起を行い、その結果共産軍による虐殺を経験している。2008年にも各地で反乱事件が起こり、これもまた厳しい弾圧に遭っている。その後も継続的に抗議デモが発生し、チベット自治区の中でもっともホットな地域である。

2012年10月4日、作家グドゥップが焼身して以来、ツェポテンジンツェギェと合わせて4人がこの年焼身している。そして、今年9月末から再びこのディルで当局の愛国再教育に反発し、抗議デモが頻発し、これに対し当局が発砲を含め厳しい対応を行ったことにより、事態は悪化の一途を辿っている。

ディルそんな中、再びある村で10人以上が拘束されたというニュースが入った。11月3日、4日にかけディル県シャムチュ郷テンカル村で17人が拘束されたが、事件の経緯は以下のようであると伝えられる。

まず、10月11日、このテンカル村に警官がやって来て作家ツルティム・ギェルツェン(27)の自宅に押し入り、彼を連行した。次の日の早朝には彼の友人であった元警官のユルギェル(26)も自宅から連行された。この後、彼ら2人は行方不明となった。これを知った村人たちは地元の役場に何度も足を運び、彼らの無実を訴え、解放することを求めた。これに対し役人は「5人以上が集まってこのようなことを行うなら、それは政治的行動と見なされ罰せられる。言いたいことがあるなら書面で提出しろ」といった。そこで、書面で何度も訴えたが、まったく聞き入れなかった。

dhiru 311月3日には逆に、県と郷から大勢の役人が警官を伴って、村に現れ、村人たちを囲み「政治教育」を始めた。この時サルキ(49)、ツォペン(47)、ヤンキ(25)という3人の女性が立ち上がり、「こんな静かで平和な村に何しに来たのか?ツルティム・ギェルツェンとユルギェルをどうして逮捕したのか?彼らが何か罪を犯したというなら、それはどのような法律に依るのか、詳しく説明せよ!」と迫った。役人たちはこれに答えず、警官を呼び3人を拘束し役場へ連行した。その後、役場には3人を解放せよと若者を中心に数十人が集まった。そして、彼らも拘束されたという。サルキの家族は彼女を含め3人が拘束された。

現在、彼らの内ほとんどはディル県の拘置所に収監され、毎日尋問を受け、酷い拷問を受けているとも伝えられる。
11月3日から村には大勢の軍隊が駐留し、住民たちは家の外にも出ることができない状態という。

dhiru 3その他、去年作家グドゥップの焼身に関わったとして1年の刑を受けていたディル県ダタン郷のゾム・ラガは今年10月に刑期を終了していたが、最近のディルの状況の煽りを受けさらに1年刑期が延ばされたという。

さらに、ディル県チャクツェ郷第5村のクンチョク・ジンバが20日ほど前に拘束され、以後行方不明。同じくチャクツェ郷ゴンマド村のダルゲも10日前に拘束され行方不明という。

参照:11月7日付けRFAチベット語版
中国語版
11月7日付けTibet Timesチベット語版
11月7日付けTibet Express チベット語版

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2013年11月07日

中国公式ウェブサイトの中にチベット国歌が! 事故か故意か?

チベット国歌

チベット自治区トップの陳全国が11月1日に強い口調で「海外の敵対組織とダライ14世一味たちの姿や声が一切見聞きできないようにせよ」という指示を発表したということは前回詳しく伝えた。しかし、そのほんの数日前に自治区党宣伝部副部長メン・シャオ・リンの写真付きで政府メディアが大々的に宣伝し、新しくリリースされた「中国西蔵之声」という総合ニュースサイトの中に、なんと亡命チベット社会で歌われる「チベット国歌」が流れていたのだ。

この驚きのニュースを11月6日に伝えたVOAのサイトに行けば、これを実際聞くことができる(英語版はこちら)。歌は小さな子供たちが可愛い声で歌っている。漢人にチベット旅行を促す意図で編集されたと思われる映像とともに流されるが、歌自体は亡命側のものと思われる。

http://www.vtibet.comというサイトに行った後、>チベット語携帯ダウンロードと進むとこの歌が冒頭で流れる。もっとも、VOAが報道した6日時点ではまだこの歌が聞けたが、翌日にはもう他の歌に変わっていた。

1959年に亡命して後、亡命側で作られたこの「チベット国歌」はもちろんチベット内では50年以上前から禁止され続けている。最近では携帯に当局が反体制的と判断した歌が入っているだけで逮捕され、刑期を受けたという例が沢山ある。そこで、これを聞いて、これを「チベット国歌」だと認識できたチベット人たちは非常に驚き、当局の意図を疑ったという。

もっとも、この歌がこれをダウンロードした者を逮捕するための罠として流されたのか、担当者が「チベット国歌」と知らずに偶然選んでしまったのかは不明のままである。

以下にダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトに載っている「チベット国歌」の日本語訳を付記する。歌詞の内容は最後の一節中の中国共産党との闘いを暗示する「邪悪な暗闇との戦いに勝利しますように 」という言葉以外は見方によれば、知らない人にはまったく国歌とは認識できないかも知れないとも思った。いや、これさえも、背景を知らない人には込められた隠喩は分からないかも知れないのだが。

サイトに流された歌ではこの最後の一節が歌われる前にフェードアウトしている。
輪廻・涅槃における平和と幸福への,あらゆる願いの宝蔵にして
願いを意のままに叶えることができる,宝石の如き仏陀の
教えの光明を輝かせよう

そして,仏教と衆生の持宝たる大地を育み,守護する御法神よ
汝の徳の高い偉業の大海が広がり
金剛のように固く,慈悲をもって全てのものをお守りください

百の歓喜を備えた天授の法が,我々の頭上に留まり
四徳の力が増大し
チベットの三区全土が,幸福で円満な時代で満たされ,
政教が盛行しますように

仏陀の教えが十方に広がることによって
世界中の全ての人々が平安を享受できますように

そして,チベットの仏教と衆生の吉兆なる陽光と
十万に広がる吉兆なる光明の輝きが
邪悪な暗闇との戦いに勝利しますように


追加:youtubeにアップされた問題になっている「チベット国歌」の部分。



追加:うらるんたさんの補足情報
ウーセルさんによればこれは初めてではなかった。

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2013年11月05日

ウイグル人による天安門事件とチベット

7c2b3e0f-043d-4e44-996a-1d70761c093f先の10月28日、天安門広場毛沢東肖像前に突っ込み炎上した車の中には、北京の発表によれば、ウイグル人男性ウスマン・ハサンと彼の妻(妊娠中であったとの情報もある)と母親が乗っていたと言われる。直前に歩道に乗り上げ2人の旅行者を死亡させ30人余りの人を負傷させたという。誠に痛ましい事件である。

事件の本質について、中国共産党はウイグル族による組織的、計画的な「テロ」と断定している。しかし、多くの外国メディアは、これは「テロ」ではなく抗議デモに参加した家族が当局に殺されたこと等に恨みを持った一家族の政府に対する抗議、報復行為という見方を支持している。当局は燃え尽きた車内からウイグルテロ組織を象徴するジハードの旗が見つかったというが、完全に燃え尽きた車内から布製としかおもえない旗が見つかるというのもおかしな話しである。その他、いつものことだが当局の発表に対しては多くの矛盾点が指摘されている。

車は路上に突っ込む前にクラクションを鳴らし続けていたという目撃者の証言も伝わっている。これが本当なら、それは彼らが一般市民を巻き添えにしたくなかったという意志表示と思われる。

彼らが北京に来たのは家族が様々な不審な事件、不当な扱いを受けたことに対し政府に直訴するために来たという。それが受け入れなかったが故に絶望のあまりこのような行動に出たという見方もある。これがもしもウイグル人でなく漢人であった場合には「テロ」というレッテルは決して付けられず、「政府に不満を持った家族の犯行」あるいは「単なる酔っぱらいの狂行」とされたことは間違いない。

犯人とされる彼ら3人はすでに死亡しているにも関わらず、当局は即座にこれを組織的犯罪にするために仲間と言われる在北京のウイグル人5人を逮捕した。犯行はその存在すら疑問視される中国言うところのテロ組織「東トルキスタン・イスラム運動」が組織、計画したものと断定。この事件に関連し新疆ウイグル自治区内ですでに50人以上を拘束している

この事件の背景、原因はウイグル族に対する当局の厳しい弾圧であることは明らかであるのに、共産党中央は新疆トップの張春賢を事件翌日に開かれた政治局会議に呼び出し「問題が萌芽の時に解決せず、そのままにしていた」と批判した。つまりウイグル族への監視、締め付けを十分行わなかったことが原因というわけだ。さらに、自治区党委常務委の彭勇と新疆軍区司令を解任し、ウイグル人をさらに厳しく締め付けるという方針を表明している。客観的に見れば、まさに火に油を注ぐ方策であるが、共産党は恐怖によってのみ人を統治できるという考えしか持っていないのだ。

この煽りで北京ではウイグル人だけでなくチベット人もホテル宿泊が禁止されたという報告がある。チベット人居住区においても警戒が厳しくなったという。そんな中、チベット自治区トップの陳全国は11月1日付けでチベット人に対するさらなる締め付け策を発表した

politics_1116_002チベット自治区党委書記陳全国

その中心は、すべての情報網を遮断することによりダライ14世集団(はじめて”14世”という言葉を足しているが、これは中国側が選ぶ次期15世への布石か?)の影響力をさらに徹底して排除し、同時に共産党プロパガンダ情報を全チベット人に浸透させようとするものである。

今回の陳全国の指示後半をうらるんたさんが翻訳して下さったものが以下:
断固とした反分裂闘争の展開


理論で暴き、世論を以て反駁し、政策を宣伝し、経験や体験で道理を説く*などの方法を用いて、ダライ14世集団の政治的な反動性、宗教上のウソ、手法の欺瞞を暴き出し、ダライ14世集団のいわゆる「中道路線」「大チベット区」「高度な自治」の反動陰謀を暴き出し、各民族リーダーおよび一般民衆がチベット仏教とダライ14世を区別するように教育指導し、ダライ14世と「ダライ」の称号を区別し、ダライ14世集団の指し示す意味をはっきりさせて、反分裂闘争のこの重大な政治原則問題において旗幟を鮮明にし、スタンスをはっきりさせ、党中央との高度な一致を保たせること。

断固とした破壊活動の浸透に対する抵抗


地面、空中、インターネットの「三位一体」浸透防御コントロール体制を積極的に構築し、「西新プロジェクト」に力を注いで実施し、放送実験能力(設備)の建設を推し進め、非合法の衛星放送アンテナ設備の検出没収専門アクションを展開し、放送実験合格率の99%以上の到達、重点地区では100%到達を確保すること。すなわち、分裂分子がチベットエリアに侵入して反動宣伝を行うことに厳しい打撃を与えること。つまり、インターネットなど新興メディアの管理監督を強化し、全エリアで電話とインターネットのアカウント登記において実名登録を実施し、同時に実効性のある監視とコントロール、反動的言論と有害情報の封鎖を行い、共産党中央の音声と映像を全エリア120万平方キロメートルの辺鄙な場所でもくまなく聞き及び見るに及ぶことが可能となり、敵対勢力やダライ14世集団の音声や映像が聞こうとしても耳にできず、見ようとしても目に入らなくなるよう努力する。

誤った思想と考え方に対する断固とした闘争


「憲政民主」「普遍的価値」「公民社会」「新自由主義」「ジャーナリズム」「歴史的ニヒリズム」「改革開放」の7つのテーマを巡って重点的に取り扱い、中心グループで学習し、誤った思想や考え方に反駁する能力を組織する手法を採用し、広く大勢の党員幹部と識者専門家が誤った思想と考え方の本質及び危険性について教育指導し、善し悪しをきちんと分け、スタンスを明確にする。同時に、インターネット上で共産党のリーダーや社会主義、祖国統一を攻撃したり共産党の歴史をゆがめたり、デマを流したり、誹謗をでっちあげるなどの行為を徹底的に叩きのめす。ニセ情報、インターネットの権利侵害、ポルノなどの乱れた現象を断固として整え、インターネットユーザーが自覚を持ってインターネット情報伝達の「7つのベースライン」(すなわち、法律法令の最低ライン、社会主義制度の最低ライン、国家利益の最低ライン、公民合法権の最低ライン、社会公共秩序の最低ライン、道徳風紀の最低ライン、情報正確性の最低ライン)を固く守るよう指導する。


このような強硬な情報遮断政策に対し、チベット亡命政府は11月4日付け政府公式ネットの中で強い非難を表明している。

「つい最近国連人権委員会で中国の人権状況が話し合われ、批判を受けたばかりであり、さらにこれから人権委員会の常任国へ立候補した中国への信任を問う選挙が行われようとしている今、中国は人権状況改善に努力していると表明したばかりなのに、一方でこのような指示を与えることは明らかに国連人権委員会の精神に反する」という。

image亡命政府外務大臣のデキ・チュヤン女史は「チベット内で徹底した情報遮断を行うというこのような中国政府の方策は逆効果を生み、チベット内のチベット人の怒りを増幅させるばかりである。我々はこのような方策の下で当局がチベット人に対する弾圧を強化するのではないかと深く憂慮する」と語った。

rftibet at 20:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)