2013年12月

2013年12月31日

「いつ、どこで死ぬべきでしょうか?」とモンゴル随一の高僧ジェツン・ダンパ9世はダライ・ラマ14世に尋ねた

3334ダライ・ラマ法王、南インドセラ僧院にて(写真dalailama.comより)。

12月29日、ダライ・ラマ法王は南インドのセラ僧院で3万人参加のラムリン・ティーチングに入られる前に、去年モンゴルで遷化したモンゴル随一の高僧ジェツン・ダンパ9世*の転生者が早く見つかりますようにと祈る詩偈を読み上げられた。その際、法王はジェツン・ダンパの最期と、彼の思い出を語られた。

この2人の超高僧のやり取りは、再生を前提とするチベット仏教圏に特異な対話として非常に興味深いものがあると思い、この時の法王の話しの一部を紹介することにした。(チベット語の生録音がここで聞ける。2:52~6:02まで)

ジェツン・ダンパと私は子供のころから知り合いだった。10歳頃からよく知っている。それからインドに亡命し、やがて彼の先代に代々仕えて来た弟子たちが沢山いる故郷に帰ることができた。以前、私が(モンゴルに行って)会った時、彼は非常に衰弱していた。そこで、私は「リンポチェ(ジェツン・ダンパ)の転生者を捜すことについて考えなければならない。転生の場所はモンゴル内が最適であろう」という考えを伝えた。それはチベット暦の終わりの頃だった。非常に衰弱していた。

それから彼は「いつ、どこで死ぬべきか?」と尋ねて来た。私にこんなことを尋ねた人は他にいない。そこで私は「モンゴルで遷化するのが良かろう。遷化する日時についてだが、今は年末だから、ロサ(チベット暦の正月)が開けたころが良かろう」と答えた。そして、私が言ったその通りに遷化された。私からの返事が届いた後、少し元気になったようだった。

リンポチェが遷化されたという報告を受けた後、遺体にカタを捧げるためにサムドゥン・リンポチェを送ることを決めた。「トゥクダム(一般的死の後、完全な死を前に<原初(不生、本然、光明)の心>に留まっている状態とチベット仏教で信じられている状態)に入られていたが、鼻から血がでるという印が現れたので葬儀を行うべきか?」と言って来た。私はサムドゥン・リンポチェが到着するまで待つようにと言った。そして、サムドゥン・リンポチェが到着し、カタを捧げた後、トゥクダムを終え、完全に意識が解放されたのだ。本当に美しい死に方だった。

*ジェツン・ダンパについては例えば石濱先生のブログ等を参照のこと。

ということで、今年最後のブログは「死と再生」というお話でした。

今年一年、当ブログを愛読して下さった方々にお礼申し上げます。
来年もよろしく! 良いお年を! プーギェロ!

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2013年12月30日

ツェリン・キ 焼身への道 親族の証言

9aedea002012年3月3日(日本ではひな祭りの日)に、アムド、マチュの野菜市場で19歳の中学生ツェリン・キが焼身を行い、その場で死亡した。野菜を売る中国人たちが燃え盛る彼女に向かって石を投げたという報告もある。彼女は26番目の内地焼身者。女性3人目。中学生が焼身したのも、もちろん初めてであった。

先日、ダラムサラで彼女の幼少時を知るという親族に会うことができた。その親族と同郷である彼女の夫から1時間近くツェリン・キについてゆっくりと話しを聞くことができた。以下、その親族の話しをもとにしながら彼女の焼身に至るまでの道をできるだけ、詳しく跡づけてみようと思う。

それぞれの焼身者が焼身を決心するまでには、その人の人生すべてが関わっているはずである。しかし、ほとんどすべての焼身者は氏名・年齢・焼身場所等の基本的情報以外に詳しい話は何も伝わって来ない。これほど多くのチベット人が焼身すると、生身の人一人が政治的理由により焼身したという大変な悲劇が、ただの数字と化し始める。今回少しでもツェリン・キの人生の軌跡を跡づけることにより、若くして焼身した少女のことに思いを致すよすがになればと思う。

家畜と歌が大好きな明るい子

ツェリン・キは1992年に遊牧民家庭の子供として生まれた。上には姉と兄がいた。やがて弟も生まれ、兄弟は4人となった。「子供の頃から本当に明るくいい子だった。人を助けることが好きだった。家の仕事を何でも手伝い、家畜の世話をし、乳を絞り、バターを作り、羊の毛を刈り、糞を乾燥させ、それを集め火を炊くことができた。とにかく家畜を可愛がることが好きで、お母さんに『お母さんは休んでていいよ。私が全部できるから』と誇らしげに言っていた。親にこれをやれと言われて従わなかったことがなく、なんでもすぐに従い一生懸命働く子だった」と彼女が子供のころ、すぐ隣に住んでいたというその親族は語る。

「ツェリンはとにかく歌が好きな子供だった。遊牧の仕事をする時にはいつも歌を歌っていた。声がよくて、自分でも歌うのが好きだったので、請われればいつでも人前で歌を歌った。その内、彼女の歌がうまいことは村の中でも有名となり、何か集まりがあるときには、彼女が呼ばれて歌を歌っていた。子供だから恥ずかしがることもなく、堂々と歌っていた」という。

牧草地の制限

「夏になると牧草地に移動したが、その移動する日が彼女のお気に入りの時だった。子供たちはみんな浮かれて、朝から興奮していた。ツェリンは先頭になって、牧草地に向かった。夜中、星の下で眠るのが大好きだと言っていた」という。

ツェリンの家はまだ生態移民の対象になっていなかった。しかし、牧草地は段階的に制限され、今では家族単位で牧草地が鉄条網で囲われるようになったが、その広さは十分ではないという。家畜を減らすしかなくなり、生活は徐々に貧しくなっていったという。

「夏場3ヶ月間だけ牧草地に移動し、テントで暮らした。その他の時は村の中にある冬場の家で暮らしていた。私が本当に幼い頃は春、夏、秋、冬と4カ所を移動していた。でも徐々に牧草地が制限され、十分な草が得られないので、家畜の数も減らし、移動も夏だけとなった」と親族はいう。

「いつ頃から牧草地の制限が始まったのか?」と質問すると、夫がそれに答え「おそらく20年ほど前からだろう。その前は共産党初期の集団農場だったが、この時は県内であればどこへ移動するのも自由だった。20年ほど前からこれがもっと小さい行政区画である鎮や郷単位になった。郷境を越えて他の土地で牧畜してはいけないことになり、初めて境界に柵が作られた。その次には村単位、そして、最近はとうとう家族単位となった。決められた土地は十分でなく、増々家畜を減らさなければならなかった。牧草地といっても、良し悪しがある。運悪く草の少ない土地が割り当てられるということもある。いい土地は政府が先に占領してしまう。これらは役人たちの儲け口となる」という。

生態移民で泥棒が増えた

「自分たちはまだましだが、牧草地をすべて取り上げられて街の近くの長屋へ移動させられた者たちもいる。環境を口実に移動させられる者もいる。彼らは大変だ。最初の数年は月500元とかの補償金がもらえるが、それが終われば困窮する。家畜はいないし、土地もない。出稼ぎに出るものもいるが、若い者たちは賭け事ばかりし、泥棒もやる」と夫。

「私が子供のころは泥棒なんてまったくいなかった。夏、牧草地に移動するときにも後にする家に鍵など掛けなくてもよかった。でも、今じゃ必ず鍵がいる。泥棒が沢山いる」と妻。

_DSC8519話しを聞いたツェリン・キの親族。

学校に行きたい

ツェリンはものごころ付き自分で考えることができるようになったころから、盛んに「学校へ行きたい」と言い出したという。しかし、兄弟の中で学校に行った子供は誰もいなく、親戚の中でも学校へ行っている子はほとんどいなかった。父親もツェリンを学校へやることに最初は賛成しなかった。「ツェリンはとにかく学校へ行きたいということを回りの人に言い、私などに父親を説得してくれと頼み始めた。私や叔父が父親を説得し、やっと父親が同意したのだ」と親族はいう。

ツェリンの家から学校のあるマチュの街までは1時間半ほど。生態移民により街の近くに住むことになったチベット人が増えるに従い、街には主にチベット人遊牧民の子供たちを対象とした民族中学が増えた。もっとも、その代わりに嘗て村や郷にあった小学校等の数は統廃合により減少した。マチュの街にあった「マチュ県民族中学」もそのような学校の一つであり、全寮制で1500人ほどが学ぶという大きな学校であった。10歳になったころ小学校に入ることができたツェリンは順調にクラスを進め、17歳の時この民族中学校に入り、焼身した時には3年生、19歳になったばかりであった。

「学校に行くようになって、ツェリンは回りの人たちにチベット語を学ぶことが大事だというようになった。お母さんや兄弟にチベット語を勉強するよう勧めていた」という。そして、自分で短いエッセイを書くことも始めていた。「ツェリンはチベット語が好きで、エッセイのようなものも書き始めていた。その中で3つ覚えている。1つは『ラサに行きたい』、2つ目は『父母への愛』について、3つ目は『母語の重要性』についてだった」と親族。

言語自由、チベットの自由を訴えるデモに参加

「ツェリンの学校の生徒は何度かデモを行っている。2008年と2010年に2回行っている。なぜ特にこの学校でデモが何度も行われたのか?」と私。これに対し夫は「それは、チベット語擁護のためだろう。2009年9月に北京の中央政府はチベットの教育政策についてその10年計画を発表した。その中では漢語教育を促進するということが唱われていた。つまり、間接的にチベット語を軽視するといっているのだ。表向きチベット語を抹殺せよなどとは言っていないが、意図はそういうことだ。本当かどうか知らないが、チベット人の間ではスターリンが『ある民族を滅ぼしたければ、まずその言語を滅ぼせ』と言ったと言われている。一民族の文化の基礎はその母語だ。これを失えば、民族が滅びると分かっているのだ。中国はいろんな方法で同化政策を進めている。ツェリンをはじめ生徒たちもこのままでは自分たちの言語が失われ、文化が消え、民族が滅ぶのではないかという不安を抱えていたのだろう」という。

2010年3月14日、この日は2008年にラサで中国側言うところの『暴動』が起った日であった。突然、街の中心街の路上にマチュ県蔵族中学校の生徒30人余りが飛び出し中国政府のチベット政策に抗議するデモを行った。そして、この中学生たちのデモを目撃したチベット人たちは続々このデモに参加し、その数は500〜600人になった。部隊が出動し、少なくとも40人が拘束された。その後、拘束者解放を訴えるデモも起っている。デモで生徒や他のチベット人たちは「チベットの自由、独立」を訴えたと報告されており、この時彼らはまだ「言語自由」を訴えていたわけではない。

この後、政府がこれまでチベット語であった数学、科学、社会等の教科書をすべて中国語の教科書に変える方針を打ち出した。これに反発し、2010年の秋にはアムドの各地で中学生を中心に「言語自由、民族平等」を訴える大規模なデモが連続して発生している。

マチュ中学校では生徒がデモを先導したとして、その責任を学校の校長とその他2人の職員が取らされることになった。この教師たちは生徒にとても人気がある教師であった。生徒たちはこの処分撤回を求め5月に再びハンスト等のデモを行った。

この時の事情を親族の夫が説明してくれた。もっとも、この時責任を取らされたとメディアが伝えた3人の内2人しか知らないという。「校長と生徒指導の先生が責任を取らされた。校長は一般教師に格下げされ、生活指導の先生は役所の治水課に転勤となった。このことが生徒たちにはショックだったようだ。2人とも生徒に人気のある先生だった。校長は詩も書く文筆家として有名だった。生徒指導の先生はダミニェン(チベットの弦楽器)がうまかった。それで、生徒たちは彼らへの処分を撤回せよというデモを再び行ったのだ」という。

そして、「ツェリン・キはこの2つのデモに参加していた」という。夫は「このことも焼身の原因の一つと思われる」という。

母親との最後の2夜

2012年3月3日、ツェリン・キは焼身した。その日、長い冬休みが開け新学期が始まろうとしていた。ツェリンは家族と別れる最後の2夜、母親と共に寝た。「母親が言うには、この2夜の間、ツェリンは母親がもう寝ようと言っても、どうしても寝ようとせず、母親に『何でもいいから話しをしてくれ』とせがみ続け、夜通し話し続けていたという。途中で『チベットのためになにかできなければ人生に意味はない』と言ったという。最後には『お母さんと話しができて本当に楽しかった』と何度もいい、『お母さん自分のことは何も心配しなくていい。私は幸せだ。何の問題もない。勉強もちゃんとできる。明日学校に行く。2人ともお元気で』といったそうだ」と親族。

「ただ、おじさんの一人には学校へ行く前に『ンガバ等でチベット人の焼身が続いている。私には彼らの気持ちがよくわかる。このままでは将来チベットは増々困難な状況になるだろう。チベットのために何かできなければ、生きていても意味がない』ともらしたという」。

いよいよ、家を出る時、父親が500元をお小遣いとしてツェリン・キに渡した。ツェリンは「もうお父さん、お母さんには会えないかもしれない。500元もらったことだし、好きな人と結婚してもう帰って来ないかもよ」と冗談めかして言ったという。お母さんは「あんた学校に行かないで結婚してどうするの」と。「大丈夫、500元もらったから新しい服を買って学校に行こうかな」とツェリン。

シャパレはいらない

親族は続けて語る、「母親は『シャパレ(チベット風肉餃子揚げ)を持って行かなきゃ』と言った。ツェリンは『今日はいらない。シャパレは持って行かない』という。母親は『なぜ今日は持って行かないの?いつも持って行くじゃない』という。ツェリンは『今日はいらない。シャパレを作るなら、家で皆で食べて、ロサのように楽しんだらいい』と答えたそうだ」。

焼身、死亡

2013年3月2日、ツェリン・キは家族と別れマチュの街中にある母親の兄弟の家に向かった。最後の夜はそこで過ごした。翌日3月3日、いとこにバイクで学校まで送ってもらった。しかし、彼女は学校の正門が近づいた時、送ってくれたいとこに「もうここでいい。ここで下ろしてくれ」といい、学校に着く前に下りた。そして、学校には向かわず、ガソリンスタンドの方へ向かった。

最初のガソリンスタンドでは売ってもらえなかったが、2つ目のガソリンソタンドで彼女は5リットルのガソリンを手に入れたと言われる。

89103a43ツェリン・キの焼身に関する報告を行うドルカ・キャップ。

焼身の顛末について、同じマチュ出身の元政治犯ドルカ・キャップは焼身2日後にダラムサラで行われたツェリン・キの冥福を祈るキャンドル・ライト・ヴィジルの集会で以下のような報告を行った。

「ツェリン・キは午後3時頃、ガソリンを買ってマチュの野菜市場に向かった。市場の中にあるトイレの中でそのガソリンを浴びて、外に出て火を点けた。何か叫んでいたというが何と叫んだかははっきりしない。その野菜市場で野菜を売る者はほとんどが中国人だ。彼らは燃え上がるツェリン・キに向かって石を投げたという。また、警官を呼び、駆けつけた警官たちも燃え上がる彼女を殴り倒し、倒れた後も暴力を加えたという。彼女はその場で死亡したが、火傷により死亡したのか、暴力により死亡したのか分からないと話す目撃者もいた。

彼女の遺体が運び去られた後、すぐに市場は保安部隊により封鎖され、中にいた全員が夜9時ごろまで拘束された。そして、全員の携帯電話がチェックされ、中に焼身の写真がないか、誰かに連絡をとったかなどが調べられた。決して焼身のことを外部に漏らすな、と命令された。付近にあるネット屋もチェックされた。

また、彼女の出身校であるマチュ蔵族中学校にも大勢の保安部隊が押しかけ、学校は閉鎖された。中では愛国再教育が行われ、彼女を知る、友人やクラスメートなどはすべて尋問を受けた。

マチュの役人や警察は緊急会議を開き、『ツェリン・キの焼身の理由は恋愛関係のもつれ』ということにしようと決定された」

残された家族

親族がいう、「母親は娘が焼身したことを夜中の12時頃になり初めて聞いた。母親は私に『娘は家や学校に対しては何も問題なかった。娘が自分でやるべきだと決めたことだからもう私には何も言うことがない。その夜は泣きもしなかった。』といった」という。

父親の方は?と聞くと、親族は「父親は何も言わない。母親のためにも気丈にしていなければと思っているのだろう」という。夫は「父親が警察に呼ばれたのだ。警察は『遺体が欲しければ、誰にも言わずに、すぐに火葬しろ』と遺体を引き渡した。ツェリン・キの遺体には喉から腹まで切って開いた痕があり、縫われていた。父親には『病気の有無を調べるために手術した』と説明された」という。

親族とその夫に「なぜツェリン・キは焼身することを決心したと思うか?」と質問する。夫がこれに答え「私たちは外にいてすぐ近くにいなかったから分からない。学校の親しい友人にひょっとしたら何か話していたかも知れないが、遺書もないので何ともいえない。ただ、チベットで焼身する人たちのほとんどは、愛国心からチベットの将来を心配してそうしたのだろうと思う。ほとんど皆ちゃんとチベット語ができて、状況を知り、考えることができる人たちだ。最近は携帯を通じて焼身のニュースはすぐに伝わる」という。

最後に家族は当局に今も見張られているか?と聞いてみた。「最近は表立ったことは何もないらしい。もっとも、誰がどこで見張っているかは分からないことが多い」と。

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2013年12月28日

灯明祭のことなど

日本は年の瀬ということで、やり残した仕事とか、忘年会とかに追われる日々も終わりかけ、里がある人は、お正月を両親の下で過ごしたりするために、故郷に帰ろうとしているという方もおられることでしょう。とにかく何かと忙しいのがこの時期の日本。と言いながら、もう10年以上、正月を日本で過ごしたことがないことに気付く私。

ダラムサラは先週、天気が荒れて街のすぐ近くまで雪が積もったが、その後は毎日快晴、温かい穏やかな日が続いている。ここはすべてがチベット暦をもとに動いているので、西暦の正月は何事もなく過ぎて行く。今日はおもいつくまま、写真と共に身辺を含めた最近の話しを。

ここで年の瀬を感じさせる行事といえば、昨日のガンデン・ンガムチュ。ゲルク派の祖師ジェ・ツォンカパの命日とされるこの日にはチベット人はそれぞれの僧院に詣で、夜には沢山の灯明やローソクを窓辺等に並べる。その沢山の灯明の明かりが美しいので俗に「灯明祭」とも呼ばれる。ここのクリスマスのようなものだ。

_DSC8790ガンデン・ンガムチュについては、ダラムサラの写真と共に毎年ブログに上げている。例えば去年のはここ。詳しい説明を知りたい方は過去ブログへ。今年は家のベランダからキルティ僧院を撮っただけで街には上がらなかった。





379745_594191453962736_704203400_nこちら、毎年恒例となっている、ラサ・ジョカン前の昨日の様子。今年も警官、武装警察、軍隊が大勢出動し厳重な警戒が敷かれていたそうだ。「至る所で携帯をチェックされ、ダライラマの写真等があればすぐ連行される」とラサからの声。

それにしても、毎年フェースブック等に、この夜のジョカン前という写真の投稿数が増えているように思う。暗いから隠し撮りしやすいのか、スマホの普及も進み、携帯で現場の写真を撮り、すぐに送る、そして消すという操作に慣れて来た人が多いのか? 興味深いところである。




1479285_595604340507827_2141239006_nこれは昨夜、ガンデン・ンガムチュの日にジェクンド州ティンドゥ県にあるニャンツォ・シルカル僧院で、大きな法王の写真が掲げられたというもの。この僧院はガッツのある僧院として有名であり、これまでに多くの僧侶が政治犯として刑を受けている。


1312270626208U27日、ダラムサラ、ツクラカン焼身者を弔う法要。(写真phayulより)

同じく昨日、ツクラカンでは午後4時から、亡命政府主催で12月19日にアムチョクで焼身・死亡したツルティム・ギャンツォの霊を弔う法要が行われた。政府はこのところ焼身者が出た時には必ずこの種の法要を行う。

法要に参加した亡命政府首相のロプサン・センゲは「私は、彼らは単なる数ではない、チベットのために命を捧げた兄弟姉妹であると、何度も繰り返し言い続けている。だから、我々は彼らの犠牲を決して忘れず、彼らの願いを叶えるために努力すべきなのだ」と述べる。

19d9d03c-8b7d-45fc-aeee-59af90380356南インドのセラ僧院で講義を始められる法王。(写真RFAより)

ダライ・ラマ法王は南インドのセラ僧院で12月25日から来年1月3日までの比較的長いティーチングを始められた。このティーチングは去年から始まった「18種ラムリン講義」の続きである。チベットの高僧たちによる「ラムリン(菩提道次第)」という悟りへの階梯を説いた解説書は沢山ある。一番有名なのがジェ・ツォンカパの「ラムリン・チェンモ」。法王は沢山あるラムリンの中から18を選びこれをすべて講じるというのだ。とにかく量が半端ないので、おそらく今回でも終わらないと思われる。講義はライブで聞くことができる。

このティーチングには南インドにある三大僧院の僧侶をはじめ、約3万人が参加しているという。外人も数千人参加し、日本人にはマリアさんが日本語通訳を行っているはずである。

3-1526279_52102512月25日に解放され歓迎のカタに埋もれるリンチェン・ツェリン。

このところ、チベット人政治犯が立て続けに、刑期満了前に解放されている。これは最近党中央が決定した刑務所改革の一環として中国内の幾つかの刑務所が閉鎖されることに伴い、受刑者が刑の満了を待たずに解放されたというケースと思われている。

25日に解放されたリンチェン・ツェリンは、アムド(甘粛省)、甘南チベット族自治州ツォネ県で2008年に抗議デモに参加し、8年の刑を受けていた。この時同じデモに参加し、チベット国旗を掲げたとされた僧テンジン・ギャンツォ(40)には15年の刑、同じく僧テンジン・ギャンツォ(28)に13年の刑、その他3人に8年の刑が言い渡されている。

その他、アムドを中心に焼身に関わったとして刑を受けた人等が早期解放されている。

ではあるが、一方でこのところ逮捕のニュースも沢山伝わっている。すでにこのブログで報告したディル等のケースだけでなく、アムドのゴロ州やジェクンド州カムのカンゼ州、チベット自治区内のチャムド等で突然警察に連行され行方不明となったという報告が様々入っている。

26_427最後に昨日撮ったオウムの写真。

特徴的な両翼上の赤い斑点、大型、頭がグレーでもサクランボ色でもないということで、ALEXANDRINE or LARGE INDIAN PARAKEET psittacula eupatria 58cm と思われる。
ただ、この種類は一般的に南インドを中心に生息するらしいので、この辺で見かけるのは珍しいということになる。100匹ほどの集団が家の回りを何度も旋回していた。

日本からは年末恒例の「年末に光をプレゼント ダラムサラ・アイキャンプ」の眼科医さんたちが到着し、今日から手術を始められている。

その他、このダラムサラに30年以上住み続け、ひたすらタンカを描き、4年ほど前に日本に帰っていた馬場先画伯が昨日からダラムサラに現れておる。



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2013年12月27日

高僧の解放を求めた16人拘束

image「教師を失った弟子たちの苦しみを知ってほしい」と書かれた横断幕を掲げ行進する僧侶たち。

情報元を在北京のチベット人作家ウーセルとし、26日付けRFAが伝えるところによれば、12月21日、青海省ジェクンド(玉樹)州ナンチェン県で、先に拘束されたいた地域の指導的僧侶であるケンポ・カルツェの解放を求め行進を行ったチベット人の内16人が拘束されたという。

12月14日付け当ブログで、ケンポ・カルツェともう1人の高僧が拘束されたということはお知らせしていたが、その時点では「住民の抗議により2人とも解放された」という情報であった。だが、次の日には「いや、ケンポ・カルツェはまだ解放されていない」という情報が入っていた。

ケンポ・カルツェ(又はケンポ・カルマ・ツェワンཀརྨ་ཚེ་དབང་།)はナンチェンの出身であるが、勉学のために自治区チャムド地区カルマ郷にあるカルマ・カギュ派の祖寺カルマ僧院で長年学んだことがあった。このカルマ僧院は2008年10月27日に起った当局言うところの庁舎爆発事件に関係したとして、その後厳しい弾圧の対象となっている。2011年12月2日にはこれを苦にした元カルマ僧院僧侶テンジン・プンツォクが焼身、死亡するという事件も起っている。

1293bc67-05d4-4c8c-acff-b05b01c921ffケンポ・カルツェ

情報によれば、ケンポ・カルツェは12月6日に四川省の州都である成都でチベット自治区チャムド地区の警察により拘束され、その後チャムドへ連行されたという。彼がカルマ郷での事件に関係していたと疑われている可能性は高いであろう。

ケンポ・カルツェは地域で人気の高い指導的ラマ(高僧)であった。彼が逮捕されたという情報が伝わり、彼の直接の弟子であるジャパ(カルツェ)僧院の僧侶を中心に、4千以上の署名と共に政府にケンポの解放を求め、18日には数百人によるデモ行進も行った。

その時、役人は「話しは分かった。ケンポ・カルツェは解放されるであろうから、もうみんな家に帰れ」と答えたという。しかし、ケンポは解放されず、デモの3日後にはデモに参加した者の内16人が拘束された。16人は現在ジェクンドの拘置所に入れられている。

地域で人気の高いケンポがこのまま拘束され続ければ、火種となり、このままでは終わらないような気がする。カルマ・カギュ派全体を再び刺激する可能性も高い。

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2013年12月25日

ディル:中国国旗を燃やしたとして3人連行

image愛国キャンペーンが続く自治区ナクチュ地区ディル県では、すでにこれまでに1000人以上のチベット人が拘束されたと言われる。「10歳や12歳の子供まで拘束され、暴力的に反政府活動の告白を強いられている」と現地から報告されている。

「シャクチュ村でこの3ヶ月間に拘束された70人ほどの中にはアポと呼ばれる12歳の少年が含まれていた。もっとも若いものは10歳。72歳の年寄りもいた」という。

その他「生後一ヶ月の赤子を残して母親が逮捕された。彼女は不適切な行動により共産党を侮辱したとされている」という報告もある。

24日付けRFAが伝えるところによれば。このディルで12月11日、16歳のブンツォ(འབུམ་ཆོག)少年が「中国国旗を燃やした」という容疑で連行されたという。彼は連行された数日後に20人ほどの警官に付添われ、自宅に現れ、自宅の捜査に立ち会わされた。そして、「この時ダライ・ラマ法王の写真が出て来て、再び連れて行かれた」。

その5日後には2人の女性が連行された。「12月16日、ヤンチェン、27歳とチュドゥンという16歳の少女が同じく中国国旗を燃やしたという嫌疑で拘束された」と報告される。

その他参照:12月24日付けRFAチベット語版

ディルで緊張が高まったのは、最初中国国旗掲揚に反発した村人が国旗を川に流したからと言われる。今回は「中国国旗を燃やした」と言われるが、中国国旗を燃やしたという話しは他に聞かない。

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2013年12月23日

ディル:鉱山開発に抗議したとして歌手を含む3人に13年までの刑

trinleyalbumcover9年の刑を受けた歌手のティンレー・ツェカル

23日付けTCHRD(チベット人権民主センター)等によれば、重点的弾圧を受けているディル県で、今度は鉱山開発に反対したとして歌手を含む3人に3年から13年の刑が言い渡された。

11月20日、人気歌手ティンレー・ツェカル(འཕྲིན་ལས་ཚེ་དཀར།22)がナクチュで拘束されたということについてはすでに報告した。彼には今回、ディル中級人民法廷により9年の刑が言い渡された。歌手でこれほど長い刑期を受けたのは彼が初めてと思われる。

その他、同じくナクチュで11月末に拘束されたディル県セルカン村出身のチュキャプ(ཆོས་ཁྱབ།)に13年の刑、第5村出身であり、元警察官であるツェハル(ཚེ་ལྷར།)に3年の刑。鉱山開発に反対して13年というのも他に聞かない。

choekyap13年の刑を受けたチュキャプ

裁判は秘密裏に行われたらしく罪状等の詳細は分かっていないが、地元の人々の間では彼らは「鉱山開発に反対し、国家分裂を計り、海外に機密情報を流した」から刑を受けたのだと思われている。もちろん、歌手ティンレー・ツェカルについては、彼の歌った歌の歌詞も問題とされたことは確かと思われる。

ディル県では今年5月、この地域で有名な守り神が宿るとされる聖山ナクラ・ザンバラをえぐるという鉱山開発に反対し、これを中止させようと数千人のチベット人が現場に集まった。この結果、当局は一旦鉱山開発を停止することに同意したという。それどころか、政府は逆に、この鉱山開発に反対したチベット人たちを環境保護に功績があったものたちとして賞賛するということまで行ったと言われる。もっとも、チベット人たちはこの政府の態度に疑問を持ち、自分たちを騙すために違いないと思っていた。

tselha3年の刑を受けたツェハル

そして、ここに来て政府は手のひらを返したようにこの時の抗議活動で中心的役割を担っていた3人を逮捕し、短期間に長期刑を言い渡した。この時デモに参加したものは全員逮捕されるかもしれない、という噂が広がり、住民は恐れを抱いているという。「ある日突然逮捕され、謂われもない罪をきせられ、正当な裁判もなく、獄に送られるのだ」と現地からの報告者はいう。

その他参照:12月23日付けTibet Timesチベット語版

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2013年12月22日

ウーセル・ブログ:ラサの「紅衛兵墓地」とチベットの文革中の事件

ウーセルさんは9月22日付けのブログで、歴史から消されようとしている文革中の事件について貴重な報告をされている。

1968年、ラサのジョカンで造総派が大連指派に付いた解放軍に襲撃され、当時紅衛兵であったチベット人12人が殺されるという血なまぐさい事件があったのだ。

なんの因果か、中国に占領されたが故に、多くの若いチベット人たちが毛沢東の権力闘争の煽りで殺された。そして、一度は烈士として讃えられていた彼らの墓はその後暴かれ、今は誰も訪れる人もいない場所のなっている。

チベットの文革を厳しく糾弾するウーセルさんも、誰にも供養されなくなった彼らを哀れみ、「チベット人に墓参りの習慣はないが、関係する組織は清明節に『烈士陵園』のほかの死者を供養する時、ここに来るべきだ」という。

原文:唯色:拉萨“红卫兵墓地”与西藏文革疑案
翻訳:@yuntaitaiさん

◎ラサの「紅衛兵墓地」とチベットの文革中の事件

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7月のある日、私たちはデプン僧院と遠く向き合う「烈士陵園」に出かけた。周囲には、成都軍区直属のチベット空軍指揮部や名前の分からない部隊などの大きな駐屯地があった。ずいぶん前、ここはうっそうとした公園で、デプン僧院か近くのネチュン僧院に属していたようだ。今では駐屯地のほか、高層建築も建てられようとしている。どうして不動産会社は陵墓の隣に団地を建てられるのだろう?

もちろん、ここが古来から墓地だったはずはなく、この数十年の間にできたものだ。ネット上の説明によると、「1955年に建てられ、1991年に修復された」「チベットの平和的な解放、川蔵公路と青蔵公路の建設、反乱平定と改革、中印自衛反撃戦(1962年の中印国境紛争)、ラサ騒乱の平定、チベットの発展と建設のため、英雄的に身をささげた800人以上の烈士を埋葬し、自治区級国防教育基地、民政部愛国主義教育基地と名付けられている」「愛国主義精神を発揚するため、ラサ烈士陵園はラサ市の紅色旅遊景区(革命関係の史跡を中心とした観光エリア)を形成する」「既に全国紅色旅遊古典的景区プロジェクトに入っており、総投資額は1641万元(約2億8000万円)」だという。

008だから、私たちが「烈士陵園」に行った時、「紅色旅遊景区」の大型プロジェクトが江西省の金匯建設工程有限公司によって請け負われ、土木工事が盛んに進められていた。掲げられた工事概況のプレートによると、10月末に竣工するという。発注者や設計業者、監督業者、監理業者、施工業者などの代表者11人のうち、チベット人の名前は1人しか見当たらず、ほかは全て漢人の名前だった。

「烈士陵園」の用語説明によると、2000以上の墓は四つのエリアに分かれている。烈士墓地、指導者墓地、一般人員墓地、そして「文革」墓地だ。このうち「文革」墓地は「烈士記念亭の北西の隅にある。計74基の墓があり、主に『文革』期間中のジョカン闘争で死亡した人員が葬られている」という。この数字には驚かされた。私は「文革」墓地を何度も訪れているし、チベットでの「文革」の歴史を調べ、文章も書いてきた。私の理解では、ここには「『文革』期間中のジョカン闘争で死亡した人員」の墓が12基あり、埋葬されているのは74人ではなく、12人の死者だ。彼らはみな紅衛兵で、若いチベット人だった。

もちろん、ラサで「文革」の武闘によって死んだのは決して12人や74人にとどまらないし、全てがチベット人や学生だったわけでもない。「文革」の時代、チベット人や漢人などの民族は歴史上かつてなかったほどの団結を実現し、「敵か味方か階級で決まる」段階から「敵か味方か派閥で決まる」段階へと細分化し、民族問題はどうでもよくなっていた。12人のチベット人の年齢は17〜36歳、女性3人と男性9人だ。全員がジョカン内外で解放軍に撃ち殺されたが、民族問題とは関係がなく、「文革」中の派閥を原因とする虐殺だ。

雑草の生い茂った「文革」墓地を歩くと、どの墓もひどく破損し、墓碑に彫られた文字もはっきりしなくなっていた。私は再び一つ一つを写真に収め、13年前のことを思い出した。まさにここで、若いチベット人の墓の前に立ち、彼らを死なせながらもはっきりとしない過去の出来事について話した。私の父が撮影したチベットの文革の写真に基づき、チベットの文革の記憶に関する本を書き、歴史の本当の姿を力の限り取り戻すよう、王力雄が私を励ましたのだった。

00013年前はまだ、この墓地が当初重視されていたことは見て取れた。高い壁があり、コンクリート製の小さな広場を半円状に並んだ12基の墓が取り囲み、広場の中央には花壇と電灯があった。どの墓もきちんと精巧に作られ、墓碑には死者の写真をはめ込む部分がまだ残っていた。しかし、今はもう雑草が生い茂り、裂け目のできた広場には家畜の飼料が積まれていた。墓はひび割れており、碑文ははっきりとは読めず、精いっぱい考えてようやくかすかに読み取れた。1行目は「1968年の『6・7』ジョカン事件で殉難した烈士」。2行目は殉難者の名前と戸籍、年齢だ。女性であれば特にそう明記してある。そして「チベット自治区革命委員会
  チベット軍区  1968年8月建立」と続く。

7年の調査と執筆を経て、これはチベットの文革史上、最も驚愕すべき流血事件の一つだと分かった。大まかに説明すると、文革に席巻されたチベット自治区にも中国各地と同じように、初めに「文闘」、続いて「武闘」を繰り広げた造反派がいた。彼らは、水と火のように相容れないが実際は同じ性質を持つ2大派閥、「ラサ革命造反総司令部」(造総)と「プロレタリア大連合革命総指揮部」(大連指)に分かれていた。「造総」に占拠されたジョカンでは、通り沿いの3階左側の部屋が放送局になり、数十人の「造総」メンバー(多くは居民委員会と工場で「造総」一派に属していた紅衛兵の住民と労働者、積極分子で、ラサ中学の紅衛兵もいた)が駐屯していた。この放送局の宣伝攻勢はとても猛烈だったという。そのため、1968年6月7日、「大連指」を支持する解放軍の銃撃に遭い、多数の死傷者を出した。

しかし、1995年にチベットの当局が出版した「中国共産党チベット党史年表」では、この事件について簡単に一言触れているだけだ。「6月7日
群衆の支配するジョカンにラサ警備区の部隊が進駐した時、妨害に遭って衝突が起き、犠牲者が出た」

実際にはその流血事件により、ジョカン内部で殺された者が10人、近くの大通りで殺された者が2人いた。平均年齢は二十数歳で、全員がウォバリンやバナクショなどの居民委員会の紅衛兵だった。当時、銃声を聞いた人は、「ダダダ、ダダダ」と音が響いたと表現した。また、放送が声をからせて「われわれ『造総』は銃撃された」と伝えるのを聞いたという。戦闘はすぐに終わった。負傷者は死者よりもずっと多く、馬車の上にめちゃくちゃに積まれ、メンツィーカン(蔵医院)正門に運ばれて並べられた。

007ジョカンで起きた流血事件はラサを騒然とさせ、北京までも揺るがした。毛沢東と林彪は軍が「派閥の一方を支持し、もう一方を抑えつけた」ことを批判した。チベットの軍側関係者は「造総」に謝罪し、一部は処罰された。「造総」は機関紙「紅色造反報」紙上で事細かに報じ、毛沢東が指示を出す姿をかたどったバッジをわざわざ作り、大型デモ活動を実施した。命を失った12人は特別に開かれた「烈士陵園」内の小さな墓地でおごそかに埋葬された。

当初、彼らは烈士と認められていた。しかし、1年後には「死んでも罪を償えない」と言われ、棺桶を掘り返され、遺体を野ざらしにされた。銃撃で負傷したアナウンス要員の夫は私の取材を受け、こう振り返った。「当時、私が見に行くと、もう5、6基の棺桶が掘り返されていました。遺体は腐敗して骨になり、ウジがわき、ハエが乱れ飛んでいました。遺体のいくつかは後になって家族に引き取られ、ほかの遺体は埋め戻されました。本来ならチベット族に埋葬の習慣はありませんが、烈士なのだからと言われ、当時はこうするしかありませんでした。でも、あんなひどいことになって……」。彼は言葉に詰まり、それ以上何も言わなかった。

45年が過ぎた。非業の死を遂げた12人の紅衛兵をここで弔った人はいないという。チベット人に墓参りの習慣はないが、関係する組織は清明節に「烈士陵園」のほかの死者を供養する時、ここに来るべきだ。しかし、これまで事件全体の経過がどんな公開の文書にも書かれてこなかったように、「1968年のラサ『6・7ジョカン事件』」という呼び名さえ今では誰も口にせず、事件そのものがほぼ埋もれてしまっている。そして今、より懸念されていることがある。「紅色旅遊景区」へと拡張した後、この紅衛兵墓地は更地にされるのだろうか、それともまだ残っていくのだろうか。

2013年8−9月  (RFA特約評論)


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2013年12月21日

ディル:指導的僧侶が拷問死

mmexport1387446166947拷問死したガワン・ジャミヤン

重点的弾圧対象地域となっている自治区ディル県で、今度は地域の尊敬を集める僧侶が、当局の凄惨な暴力による犠牲者となった。

先の13日ブログにおいて、ディル県タルム僧院の僧侶3人がラサで拘束されたという話しを報告したが、その拘束されていた僧侶の内、ガワン・ジャミヤン(別名ガワン・ジャンペル)の遺体が12月17日、突然家族の下に届けられた。

当局は彼がどこでなぜ、どのようにして死亡したのかを一切説明しなかったという。しかし、彼の遺体を見た誰もが「彼は拷問の結果死んだのだ」と確信したという。「ガワン・ジャミヤンは秘密裏に拘束されている間に殴り殺されたに違いない。彼がラサに向かうために僧院を出た時には、彼は全く健康で強かった」と内地の情報提供者はいう。

kelsang-choklang同じくラサで拘束されたケルサン・チョクラン

彼と共にラサで拘束された3人の内もう1人の名はケルサン・チョクランと判明したが、3人目は未だ不明という。

彼らもガワン・ジャミヤンと同じような目に遭っているのではないかと心配されている。

遺体は家族によりラサにあるセラ僧院裏の鳥葬場に運ばれた。またディルの自宅では追悼会が行われた。

警察は家族に対しガワン・ジャンペルの死を口外しないようにと脅した。「警察は、ガワン・ジャミヤンの拘留中の死がチベットの外に伝わった時には、お前たち家族の運命もガワンと同じになると思えと言ったのだ」と地元の人はいう。

今回、警察はガワンが死ぬ前に家族に引き渡すことができなかった。おそらく、ガワンは激しい暴力を受け突然死亡したと思われる。拘留、尋問中に拘束者が死亡すると責任問題となる可能性がある。直接関係した警官は事件をなかったことにするために、家族を脅したのである。

image-1講義中のガワン・ジャミヤン

1968年、ディル県ツァチュ郷ユルトト村に生まれたガワン・ジャミヤンは1987年に地元のタルム僧院で僧侶となり、仏教の勉強を始める。1989年、さらに理想的な勉学環境を求めインドに亡命し、南インドにあるセラ僧院ジェ学堂に入学。その後19年間セラで学ぶ。

その間、ディル出身で第一とも思われている亡命中の転生ラマ、シャプドゥン・リンポチェ・テンジン・ケドゥップの従者を勤め、勉学も優秀。ゲシェ・カランパの試験では2年連続で第2位と3位であった。2007年、彼は学んだ仏教を故郷に伝えるためディルに帰った。

翌年2008年には「国家機密漏洩罪」により2年の刑を受けた。刑期を終えた後、チュリン僧院で論理学の教師となった。その後、自分の僧院であるタルム僧院に新しく論理学のクラスを創設し、そこでは僧侶だけでなく俗人でも学べるようにした。各地に呼ばれて、僧侶や俗人に仏教を説くだけでなく、人々に争いを避け、酒、ギャンブルに溺れず、道徳的規範を守り、助け合うべきことを説いていた。

地元の人は「彼は僧院と地元の篤い信頼を得て、僧院と地元のリーダー的存在だった。彼がいなければ僧院はもう立ち直れないかもしれない」という。

現在タルム僧院は閉鎖され、回りは部隊により囲まれている。

参照:12月19日付けTCHRDリリース
2月19日付けTibet Timesチベット語版
12月20日付けTibet Expressチベット語版
12月19日付けphayul

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2013年12月20日

ツルティム・ギャンツォの遺書『涙 金の雫』全訳

image僧ツルティム・ギャンツォ

昨日19日、アムド、サンチュ県アムチョク鎮でツルティム・ギャンツォが焼身・死亡した後、遺体が運び込まれ法要が営まれていたアムチョク僧院本堂に警官が現れ、法要を中止させた。しかし、僧侶たちは他の場所に移り法要を続けているという。僧院は現在部隊により包囲されている。

RFAによれば「焼身の前、僧院の昼食の後ツルティム・ギャンツォは自身の僧房にもどり、灯明を灯し、お経を開き、遺書を綴った」という。

48505E25-956D-49
僧ツルティム・ギャンツォの遺書

彼の遺書について昨日のブログでは要約のみを紹介し、全文を訳してはいなかった。

以下に、その『涙 金の雫』と題された遺書全文の日本語訳を載せる。
彼の悲痛な叫びが直接伝わってくる遺書である。

涙 金の雫

ああ! 涙
親愛なる兄弟よ
あなたには聞こえるか?
あなたには見えるか?
あなたには分かるか?
一体誰に向かって、この600万チベット人の苦しみを訴えるべきか?

黒い中国の裁判所は横暴をきわめ
チベットの金銀は根こそぎ奪い去られ
すべての人々は苦しみに追いやられる
これらのことを思えば 涙こぼれる

宝に等しい我が身を火に捧げる力により
ダライ・ラマ法王が祖国にお戻りになることができますように
パンチェン・リンポチェ(テンジン・チュキ・ニマ)が解放されますように
600万チベット人が幸せになりますように
私はこのために我が身を火と化し供養する

この力によりすべての三界の有情が
三毒(貪・瞋・癡)により引き起こされた苦しみから解放され
菩提の道へと進まんことを

ラマ、三宝(仏・法・僧)よ照覧あれ
誰からも助けられずにいる人々を守りたまえ
雪山チベットの兄弟・姉妹よ ずる賢い者たちに注意し 団結せよ

雪の国の闘士 ツルティム・ギャンツォ


1531691_10152180709820337_995813221_n井早智代さんが僧ツルティム・ギャンツォに捧げられた絵
























946103_689688604404896_1624014788_n焼身場所であるアムチョク郷の位置が分かる、焼身発生地地図。

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2013年12月19日

<速報>アムチョクで新たな焼身抗議 内地124人目

04CF3FEF-41A1-41僧ツルティム・ギャンツォ

今日(12月19日)現地時間午後2時半頃、甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県アムチョク鎮の路上でアムチョク僧院僧侶ツルティム・ギャンツォ(ཚུལ་ཁྲིམས་རྒྱལ་མཚོ།)、43歳が焼身抗議を行い、その場で死亡した。

遺体は部隊に奪われることなく、チベット人たちによりアムチョク僧院に運び込まれ、現在400人ほどの僧侶が集まり法要が営まれているという。

焼身時に彼が何か叫んだのかについては伝わっていないが、彼が短い遺書を残したことは確認されている。その中で彼は「中国の圧政の下にチベット人が苦しみを味わっている今、ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになり、パンチェン・ラマ11世が解放されるため、600万チベット人の苦しみが晴らされるために自分は焼身する」と焼身の目的を明記し、また「チベット人の団結」も願っている。

48505E25-956D-49残された遺書

ツルティム・ギャンツォはアムチョク僧院ギュパ学堂の僧侶、43歳。サンチュ県アムチョク鎮ニマルン村の出身。父(故人)の名はタムディン・タシ、母の名はラモ・キ。彼は僧院でもまじめで優秀な模範的僧侶として知られていたという。

本土焼身者124人目。内死亡107人目。内外合わせ129人目、内死亡110人。
アムチョク鎮での焼身抗議は5人目。

追記:23日付けRFAによれば、僧ツルティム・ギャンツォの遺体はその日、午後8時頃、当局が強引に奪い去り、すぐに電気火葬場で火葬し、遺灰だけを家族に渡したという。

参照:12月19日付けTibet Timesチベット語版
12月19日付けTibet Expressチベット語版
12月19日付けphayul


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16歳の少年が「チベットには自由がない」と張り紙 逮捕・行方不明

586b83da-ead0-4de9-8595-574516ea33e0最近のディル県

RFA等が18日までに伝えたところによれば、11月末、緊張が続くチベット自治区ナクチュ地区ディル県で1人の若者が「チベットには自由がない」と書かれた張り紙を政府施設の前に張り出し、翌日逮捕された。

ディル県チャクツェ郷ディタック村出身のソナム・ドルジェ(RFAはソナム・トプギェルと)16歳は24日(RFAだけは25日と報告)の夜中、郷公民館のドア付近に何枚かの張り紙を張った。

その公民館はそのころ昼間、政治的再教育の場となり、「辺境作業チーム」の事務所とも宿泊所ともなっていた。ソナムは彼らが中で寝ている間に外の壁に張り紙を張ったのだ。

張り紙には「チベットには自由がない」と大きく書かれ、宗教弾圧、環境破壊等についても書かれていたという。彼はまた、張り紙の下に自分の名前を署名していた。翌日、彼は逮捕され、その後行方不明のままという。

ソナム・ドルジェの家族は遊牧民であるが、彼は学校には通っていたことがあるという。

今年9月以来、ディル県は当局による重点的政治弾圧の対象となり、至る所に新設されたチェックポストで住民は徹底的に検査され、携帯をチェックされている。村々を役人、警官、部隊が巡り、家屋に押し入り強制捜査を行い、継続的に政治教育が続けられているという。

参照:12月18日付けRFA中国語版
2月18日付けTibet Timesチベット語版
12月18日付けTibet Expressチベット語版
12月18日付けphayul
12月18日付けVOTチベット語放送分

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2013年12月18日

囚われのチベット人歌手解放署名キャンペーン

歌手解放キャンペーン


ロンドンベースのチベット支援団体Free TIBETは最近、この2年間にチベット内地で当局により拘束された8人の歌手の即時解放を中国政府に要請するというキャンペーンを始めた。

集められた署名と一緒に解放要求の手紙が現中国の司法大臣である吳愛英に渡される(送られる?)という。

すでに、有名ミュージシャンとしてPeter GabrielをはじめRadioheadのThom Yorke 、Ed O’Brienがサインし、さらにSystem of a DownのSerj Tankian、CornershopのTjinder Singhも支援を表明したという。

解放要求リストに名前が上がっている8人とは:
(それぞれの歌手についての詳しい経歴や歌の日本語訳は過去ブログを参照。名前をクリックすれば飛べる)

1、ロロ           刑期6年
2、シャオ・タシ       刑期5年
3、ペマ・ティンレー     刑期2年
4、チャクドル        刑期2年
5、ウゲン・テンジン(タシ)(刑期2〜 解放か?)
6、チョクセル       不明
7、アチョク・プルジュン   行方不明
8、ケルサン・ヤーペル    行方不明

この内ロロ、シャオ・タシ、ペマ・ティンレー、チャクドルは2013年中に逮捕され刑を受けた。ウゲン・テンジンは2010年に3年以上の刑を受けたというものと、2012年に2年の刑を受けたという2通りの情報があるが、何れにせよRFAによれば彼は2013年10月18日、すでに解放されているという。アチョク・プルジュンは2012年8月に拘束されて以来、消息不明のままである。ケルサン・ヤーペルは2013年7月に拘束され、その後行方不明。その他、最近ディル県で2人の歌手ティンレー・ツェカルとゴンポ・テンジンが拘束されている。

この他にもリストに上げられていないが、2011年8月には女性歌手ラルン・ツォが、9月には歌手チュゴンが拘束され、何れもその後消息が途絶えたままである。2012年10月頃拘束されたと思われているンガバの歌手ギェペも未だ行方不明。2013年5月にはンガバの歌手ペマ・リクジンが拘束されている。

Free TIBETは吳愛英宛の手紙の中で「表現の自由は世界人権宣言第19条によって保証されている」として「同胞への思いを母語で歌うことは犯罪ではない」という。

Free TIBET代表であるEleanor Byrne-Rosengrenは「音楽はチベットの抵抗運動の中で大きな位置をしめている。ロロのような歌手は中国が消し去ろうとしている文化を存続させるだけではなく、60年間の占領を経験しながらも、尚も誇りを失わず、挑戦続ける人々の希望と恐れ、勇気を明確に表明しているのだ」という。

さらに、彼は「去年、世界は捕らえられたロシアの女性ボーカルグループ<*Pussy Riot>のことを大いに話題にし、彼女たちの解放を求めたが、チベットの歌手たちは同様の扱いをうけることがない」といい、「中国は情報を封鎖し、彼らを黙らせることができるかもしれないが、外地にいる我々が彼らを解放せよという声を黙らせることはできない」と続ける。

これらの捕らえられたチベットの歌手たちが歌った歌の歌詞を読めば誰にでも分かることだが、彼らは中国の支配下にある普通のチベット人たちの心情を素直に代弁しているだけだ。ダライラマ法王への思慕、自由、団結、文化保存、チベット人としてのアイデンティティー称揚を歌っているだけだ。中国の政治的弾圧、同化政策によりこれらが危機に瀕していると感じるからだ。しかし、その中に過激な言葉は一つもない。

チベットでは本心を口に出すと逮捕される。まして歌を作り広めるということはよほどの覚悟がいることなのだ。

総人口600万人と言われるチベット人の中から、名の知られた歌手が2年間に10人以上逮捕されるというのは、異常というしかない。

このキャンペーンに支援を示すためにサインできるのは所謂音楽家だけなのかどうか、よくわからない。署名目標数は1000と最初からとても控えめで、今日時点ですでに700を越えている。自身音楽家の方はすぐにサインするとして、お友達の中に音楽家がおられる方はその人たちに勧めてみては如何でしょうか。

ここにアクセスし名前とメールアドレスを記入するだけ。

*Pussy Riotは今日、ロシア政府のアムネスティーにより解放されることが決まったという。抗議運動が実を結んだとBBC。

参照:12月18日付けVOAチベット語版
12月16日付けRFAチベット語版
12月17日付けphayul

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2013年12月17日

ペマで焼身に関連した逮捕続く 焼身者への供養を願った女性教師免職、拘束、暴行、入院

6bbb1fa8-d7af-410d-9744-8ec44c83d9aaペマ県チョナン派アキョン僧院

アキョン僧院僧侶2人連行

11月11日、ゴロ州ペマ県でアキョン僧院僧侶ツェリン・ギェル(20)が法王帰還、チベット人の自由、チベット人の団結を訴え焼身を行ったのち、ペマ県では厳しい規制が続いている。11月20日頃には彼の焼身に関わったとしてアキョン僧院僧侶3人を含む7人のチベット人が拘束、行方不明となっている。

さらに、12月9日の夜中、アキョン僧院に突然部隊が押し掛けデロ・キャプとチュパ・キャプという2人の僧侶を連行したという。拘留場所や拘束理由等は不明である。

0e734903-5041-435c-b5c9-2306f2b81d1b僧ツェリン・ギェル

焼身者の写真を持っていた高僧を指名手配

これとは別に、ペマ県一帯で有名な高僧であり、県内24の僧院が加盟する「ペマ文化発揚協会」の会長でもあるチョクリ僧院のケンポ・イシェ・ニンボが指名手配された。彼は常々チベット文化保全を唱える高僧であり、チベット語による出版に力を入れていた。このことで、以前より当局から睨まれていた。

12月1日、彼がペマに入る前の橋のチェックポストで車よりだされ、何の説明もなくめった打ちにされたという。その日、ケンポの家には警官が押し寄せ、彼を逮捕しようとしたが、彼はその時留守で目的は果たせず、その後、彼を指名手配したという。

情報によれば、ケンポがWeChat上に焼身者であるツェリン・ギェルの写真を保持していたからという。ケンポ・イシェ・ニンボは現在身を隠す生活を余儀なくされている。

焼身者の写真を持っていた女性教師を免職、拘束、暴行、入院

ケンポ・イシェ・ニンボが指名手配されたあと、今度は学校のチベット語女性教師であるヤンツォが同じくWeChat上に焼身者の写真を保持していたとして、拘束された。彼女はケンポ・イシェ・ニンボとも繋がりがあり、ツェリン・ギェルが焼身したあと、彼の写真とともに彼への祈りを上げて欲しいというメッセージをWeChat上に流したと言われる。

彼女は拘束後激しい暴力を受け、その結果現在病院に収容されているという。また、彼女は教師の職を首になった。

その他参照:12月16日付けRFA中国語版
同チベット語版
12月16日VOTチベット語放送分
12月17日付けphayul

中国ではチベット文化を守ろうとすれば逮捕され、痛い目に遭わされ、ある期間社会から消される。
中国では亡き人(焼身者)の写真を持っていたり、冥福を祈ったことが分かると逮捕され、死ぬほど殴られる。


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2013年12月16日

チベット人焼身者リスト:12月16日更新分 2009年以降内外合わせ128人 内死亡109人

焼身者顔写真

内地焼身者123人の顔写真 VOT Gurbum Gyalo製作


焼身等発生地地図 英語版

内地焼身抗議・主な抗議活動発生地地図
(2013年12月3日付け、Tsampa Revolution 制作)


内外合わせ128人(2013年12月16日現在)の焼身者氏名、その他焼身状況概略

それぞれの焼身者の写真等、より詳しい情報は付記されたURLにアクセスすることにより、当ブログの各過去ブログで確認できる。第一報を中心に主な記事のみ表示。番号は発生順。

さらに詳しい状況を知りたい方は>>>pdf「太陽を取り戻すために」

2009年2月27日のタペーから2012年9月末までの焼身者については>>>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51757842.html

2012年10月以降:

59)グドゥップ:チベット自治区ナクチュ、ディル県出身、作家、43歳、死亡。
2012年10月4日、チベット自治区ナクチュの街中で焼身。その場で死亡。2通の遺書を残す。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764224.html

60)サンゲ・ギャンツォ:俗人、27歳、2児の父、死亡。
2012年10月6日、アムド、ツォエ(甘粛省甘南チベット族自治州合作)ドカル僧院の仏塔傍で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51764472.html

61)タムディン・ドルジェ:54歳、死亡。妻と3人の子供を残す。高僧7世グンタン・リンポチェの祖父。
2012年10月13日、アムド、ツォエ(ツゥ)僧院仏塔前で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51765338.html

62)ラモ・キャプ:27歳、2児の父、死亡。
2012年10月20日、アムド、サンチュ県ボラ郷ボラ僧院近くの路上で焼身。その場で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766223.html

63)ドゥンドゥップ:61歳、妻と養子の息子が1人、死亡。
2012年10月22日、アムド、サンチュ県ラプラン・タシキル僧院の右繞道上で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766480.html

64)ドルジェ・リンチェン:57歳、妻と2人の子供を残す、死亡。副村長。
2012年10月23日、アムド、サンチュ県サンチュ市内、警察署近くの路上で焼身。その場で死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51766632.html

65)ツェポ:20歳、死亡。
2012年10月25日、従兄弟である(65)のテンジンと共に、チベット自治区ナクチュ地区ディル県で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767144.html

66)テンジン:25歳、生死不明。
2012年10月25日、上記の従兄弟ツェポと共に焼身。ダラムサラのソガ・スクールで学んだ事がある。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767144.html

67)ラモ・ツェテン:24歳、妻と幼い娘を残す。死亡。
2012年10月26日、アムド、サンチュ県アチョク郷にある軍施設と裁判所の前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767018.html

68)トゥプワン・キャプ:23歳、若い妻を残す。死亡。
2012年10月26日、アムド、サンチュ県サンコク郷のバス停近くで焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51767074.html

69)ドルジェ・ルンドゥプ:25歳、タンカ(チベット式仏画)絵師、妻の幼い子供2人を残す。死亡。
2012年11月4日、アムド、レゴン県ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768108.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768291.html

70)タムディン・ツォ:23歳、女性、遊牧民、夫と幼い息子1人を残す。死亡。
2012年11月7日、アムド、レゴン県ドワ郷ドロンウォ村のケマル草原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2012-11.html#20121107

71)ドルジェ:15歳(焼身者中最年少)、ンゴシュル僧院僧侶、死亡。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で以下71のサムドゥプ、72のドルジェ・キャプと共に焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

72)サムドゥプ:16歳、ンゴシュル僧院僧侶、生死不明。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で70のドルジェ、72のドルジェ・キャプと共に焼身。部隊により病院に運ばれたというが、その後消息が途絶えたまま。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

73)ドルジェ・キャプ:16歳、ンゴシュル僧院僧侶、生死不明。
2012年11月7日、アムド、ンガバ州ンガバ県ンガトゥ・ゴマン郷の警察署前で70のドルジェ、71のサムドゥプと共に焼身。部隊により病院に運ばれたというが、その後消息が途絶えたまま。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html

74)ツェギェ:27歳、11月18日にナクチュの刑務所内で死亡。
2012年11月7日、チベット自治区ナクチュ地区ディル県ペンカル郷の政府庁舎前で焼身抗議。警官にナクチュに連行され、刑務所内に治療も受けず、その上拷問も受け18日に死亡と。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768582.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770986.html

75)ケルサン・ジンパ:18歳、死亡。
2012年11月8日、アムド、レゴン県ロンウォ僧院前のドルマ広場で焼身、その場で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768661.html

76)ゴンポ・ツェリン:18歳、死亡。
2012年11月10日、アムド、ツゥ(ツォエ)県ルシュ郷にあるルシュ僧院内で焼身、数時間後に死亡。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51768943.html

77)ニンカル・タシ:24歳、遊牧民、死亡。
2012年11月12日、アムド、レゴン県ドワ郷の草原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769134.html

78)ニンチャク・ブム:20歳、死亡。
2012年11月12日、アムド、レゴン県ドワ郷の街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769203.html

79)ティンジン・ドルマ:23歳、女性、農業、死亡。
2012年11月15日、アムド、レゴン県ツェンモ郷ゴゲ村のお堂の前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769511.html

80)カンブム・ギェル:18歳、死亡。
2012年11月15日、アムド、レゴン県ギェルポ・ルチュ草原からロンウォ鎮に向かう途中にあるコンセンド(ཁོང་གསེང་མདོ་穴の開いた岩)と呼ばれる場所で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769511.html

81)チャクモ・キ:27歳、女性、タクシー運転手、死亡。
2012年11月17日、アムド、レゴン県ロンウォ鎮の税務署前で焼身。「民族平等」「習近平はダライ・ラマ法王と会うべきだ」等と書かれた短い遺書を残す。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769721.html

82)サンダク・ツェリン:24歳、死亡。
2012年11月17日、アムド、レゴン地区ツェコク県ドカルモ郷の政府庁舎前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51769823.html

83)ワンチェン・ノルブ:25歳、死亡。
2012年11月19日、アムド、ツォシャル(海東地区)ヤズィ県カンツァ・チベット族郷カンツァ僧院の傍で焼身。先代パンチェン・ラマの故郷。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770050.html

84)ツェリン・ドゥンドゥップ:34歳、死亡。
2012年11月20日、アムド、サンチュ県アムチョク郷ギャガル草原にあるゴン・ンゴン・ラリ金鉱山開発場の入り口付近で焼身。鉱山開発に対する抗議か?
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770091.html

85)ルンブム・ギェル:18歳、死亡。
2012年11月22日、アムド、レゴン県ドワ郷の路上で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770394.html

86)タムディン・キャプ:23歳、元僧侶、現在遊牧民、死亡。
2012年11月22日、アムド、ルチュ県ルチュ川の河原で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770444.html

87)タムディン・ドルジェ:29歳、死亡。
2012年11月23日、アムド、ツェコ県ドカルモ郷の政府庁舎前で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770518.html

88)サンゲ・ドルマ:17歳、尼僧、死亡。
2012年11月25日、アムド、ツェコ県ドカルモ郷パルコル村で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771010.html

89)ワンギェル:26歳、元僧侶、生死不明。
2012年11月26日、カム、カンゼ州セルタ県セルタの金馬広場で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770800.html

90)クンチョク・ツェリン:18歳、死亡。
2012年11月26日、アムド、サンチュ県アムチョク郷ギャガル草原にある金鉱山開発地の入り口辺りで焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770816.html

91)ゴンポ・ツェリン:24歳、3児の父、死亡。
2012年11月26日、アムド、ルチュ県アラ郷にあるアラ・デウゴ僧院の本堂前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770883.html

92)ケルサン・キャプ:24歳、死亡。
2012年11月27日、アムド、ンガバ州ゾゲ県キャンツァ郷の役場の前で焼身。短い遺書を残している。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51770946.html

93)サンゲ・タシ:18歳、死亡。
2012年11月27日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県サンコク郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771006.html

94)ワンデ・カル:21歳、死亡。
2012年11月28日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州ツゥ市の街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771147.html

95)ツェリン・ナムギェル:31歳、2児の父、死亡。
2012年11月29日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州ルチュ県サムツァ郷の役場前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771156.html

96)クンチョク・キャプ:29歳、2児の父、死亡。
2012年11月30日、アムド、ンガバ州ゾゲ県シャクドム郷で焼身。部隊に運びされバルカムの病院に運ばれたが、次の日に死亡。遺灰のみが家族に渡された。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771297.html

97)スンドゥ・キャプ:17歳、1児の父、生死不明。
2012年12月2日、アムド、甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県ボラ郷ボラ僧院近くで焼身。部隊によりツゥの病院に運ばれた。両足切断の手術を受けたが回復中。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771516.html

98)ロプサン・ゲンドゥン:29歳、僧侶、死亡。
2012年12月3日、アムド、ゴロ州ペマ県ペマの街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51771640.html

99)クンチョク・ペルギェ:24歳、僧侶、死亡。
2012年12月8日、アムド、ンガバ州ゾゲ県にあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院集会堂前で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772202.html

100)ペマ・ドルジェ:23歳、死亡。
2012年12月8日、アムド、甘南チベット族自治州ルチュ県シツァン僧院本堂前で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772211.html

101)ペンチェン・キ:17歳、中学校生徒、死亡。
2012年12月9日、アムド、ツェコ(青海省黄南チベット族自治州ツェコ県)ドカルモ郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51772349.html


2013年

102)ツェリン・タシ(ツェペ):22歳、遊牧民、死亡。
2013年1月12日、アムド、サンチュ(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)アムチョク郷アムチョクの街中で焼身。http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776148.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776361.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776603.html

103)ツェリン・プンツォク(ドゥプチョク):20歳代後半、遊牧民、2児の父、死亡。
2013年1月18日、アムド、ンガバ州キュンチュ県ダチェン郷(四川省阿坝藏族羌族自治州红原县瓦切郷)で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51776826.html

104)クンチョク・キャプ:26歳、遊牧民、1児の父、死亡。
2013年1月22日、アムド、サンチュ県ボラ郷のボラ僧院内で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51777501.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51777591.html

105)ロプサン・ナムギェル:37歳、ンガバ・キルティ僧院僧侶、死亡。
2013年2月3日、アムド、ンガバ州ゾゲ県ゾゲ警察署の近くで焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51780697.html

106)ドゥプチェン・ツェリン(ドゥプツェ):25歳、セルタ・ギェルチュク僧院僧侶、トゥルク(転生僧の息子)、死亡。
2013年2月13日、ネパール、カトマンドゥ、ボドナート仏塔傍で焼身。その日の夜病院で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51780647.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51780869.html

107)ドゥクパ・カル:26歳、3児の父、死亡。
2013年2月13日、アムド、サンチュ県アムチョク郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51780838.html

108)ナムラ・ツェリン:49歳、息子4人の父、死亡。
2013年2月17日、アムド、サンチュの街中で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781108.html

109)リンチェン:17歳、死亡。
2013年2月19日、(110)のソナム・タルギェと共にンガバ州ゾゲ県キャンツァ郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2013-02.html#20130220

110)ソナム・タルギェ:18歳、死亡。
2013年2月19日、(109)のリンチェンと共にンガバ州ゾゲ県キャンツァ郷で焼身。
ttp://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2013-02.html#20130220

111)パクモ・ドゥンドゥップ:20歳前後、死亡。
2013年2月24日、アムド、ツォゴン地区バイェン県(青海省海東地区化隆回族自治県)にあるチャキュン(ジャキュン、བྱ་ཁྱུང་དགོན་པ་、夏琼寺)僧院内で焼身。病院に運ばれる途中、家族と共に部隊に拉致されその後行方不明。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781897.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51782129.html

112)ツェスン・キャプ:27歳、死亡。
2013年2月25日、アムド、ケンロ、ルチュ(མདོ་སྨད་ཀན་ལྷོ་ཁུལ་ཀླུ་ཆུ་甘粛省甘南チベット族自治州碌曲県)にあるシツァン僧院(ཤིས་ཚང་དགོན་)の本堂前で焼身。その場で死亡。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51781916.html

113)サンダ:19歳、ディプ僧院(サキャ派)僧侶、生死不明。
2013年2月25日、アムド、ンガバ州ンガバ県のンガバ市内から南に延びる幹線上で焼身。部隊が連れ去りその後行方不明。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51782017.html

114)クンチョク・ワンモ:30歳、一児の母、死亡。
2013年3月13日、アムド、ンガバ州ゾゲ県で焼身。夫は当局により「焼身の原因は夫婦喧嘩だと言え」と命令されたが、夫はこれを拒否。拘留される。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51783990.html

115)ロプサン・トクメ:28歳、ンガバ・キルティ僧院僧侶、死亡。
2013年3月16日、アムド、ンガバ州ンガバ県キルティ僧院内で焼身。僧侶たちにより病院い運び込まれたが間もなくして死亡。遺体は当局に奪われた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51783916.html

116)ケル・キ:30歳、遊牧民、4児の母、死亡。
2013年3月24日、アムド、ンガバ州ザムタン県パルマ郷にあるチョナン僧院傍で焼身、その場で死亡。遺体はチョナン僧院内に運ばれ、4千人が集まり葬儀が行われた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51784626.html

117)ラモ・キャプ:45歳、森林管理員、死亡。
2013年3月25日、アムド、ケンロ州サンチュ県で燃え盛る焚き火の中に身を投げ焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51784801.html

118)クンチョク・テンジン:28歳、モクリ僧院僧侶、死亡。
2013年3月26日、アムド、ケンロ州ルチュ県サムツァ郷モクリ僧院近くの路上で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51785113.html

119)チュクツォ:20歳、遊牧民、2児の母、死亡。
2013年4月16日、アムド、ンガバ州ザムタン県バルマ郷にあるチョナン僧院傍で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51786937.html

120)ロプサン・ダワ:20歳、タクツァン・ラモ・キルティ僧院僧侶、死亡。
2013年4月24日、アムド、ンガバ州ゾゲ県にあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院内で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51787733.html

121)クンチョク・ウーセル:23歳、タクツァン・ラモ・キルティ僧院僧侶、死亡。
2013年4月24日、アムド、ンガバ州ゾゲ県にあるタクツァン・ラモ・キルティ僧院内で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51787733.html

122)テンジン・シェラップ:31歳、遊牧民、死亡。
2013年5月27日、カム、ジェクンド州チュマレプ県で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51791083.html

123)ワンチェン・ドルマ:31歳、尼僧、死亡。
2013年6月11日、カム、カンゼ州タウ県タウのニンツォ僧院傍で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51792875.html

124)クンチョク・ソナム:18歳、タンコル・ソクツァン僧院僧侶、死亡。
2013年7月20日、アムド、ンガバ州ゾゲ県タンコル郷タンコル・ソクツァン僧院傍で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51797337.html

125)カルマ・ゲドゥン・ギャンツォ:39歳、僧侶、死亡。
2013年8月6日、ネパールのカトマンドゥ、ボドゥナート仏塔傍で焼身。自治区ダムシュンの出身。下半身不随にも関わらず、両手だけで巡礼を繰り返し、ダラムサラやブッダガヤにも巡礼していた。遺体は最後までチベット側に引き渡されることなく、ネパール当局により秘密裏に火葬される。
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126)シチュン:41歳、2児の父、仕立て師、死亡。
2013年9月28日、アムド、ンガバ州ンガバ県ゴマン郷で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2013-09.html

127)ツェリン・ギェル:20歳、アキョン僧院僧侶、死亡。
2013年11月11日、アムド、ゴロ州ペマ県ペマの中心街の路上で焼身。短い遺書を残す。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51809418.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51809483.html

128)クンチョク・ツェテン:30歳、2児の父、遊牧民、死亡。
2013年12月3日、アムド、ンガバ州ンガバ県メルマ郷の路上で焼身。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51811607.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51811797.html


2013年12月16日現在、2009年以降、内外合わせた焼身者128名の内109人の死亡が確認されている。
内女性19名。
内地123人、内死亡確認106人。
外地5人、内死亡確認3人。

今年中に現在まで27人が焼身している。5月以降数は確かに少なくなったが、それでもほぼ一ヶ月に一件の割合で発生している。チベットの焼身抗議の火は、今も決して消えていないということである。

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2013年12月15日

環境問題と汚職をテーマにした映画を制作上映し7人拘束

The-Banned-Film-in-Chendo-county-Qinghai映画の1シーン。

12日付けRFA等によれば、12月中に青海省ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)州ティンドゥ県ダトゥ(称多县扎朵镇)で地元のチベット人たちが作った映画の上映会があった。

その内容は政府を風刺するものであり、上・下巻に別れ、上巻においては環境問題を、下巻においては政府役人、警官等の汚職問題をテーマとしていた。

この上映を知った警察はすぐに映画制作に関わり、中で演技も行っていた7人のチベット人を拘束した。警官は「こんな事実が上のものたちに知れたら、俺たちは首になるだろ」と言ったそうだ。

Some-clips-of-the-banned-film-in-Chendo-county映画の1シーン。

結局、7人の内6人が500元の罰金、1人が1000元の罰金を払い解放された。

映画は上映とコピー販売が禁止された。

その他参照:12月14日付けVOT中国語版

習近平さんは汚職摘発を掲げられている。環境問題は世界のテーマである。という意味で、このチベット人たちが作った映画は時代のニーズにあったものだったわけだ。役人や警官はあからさまに「自分たちの隠し事をばらしたからお前たちを逮捕する」と言ってる。そして、何の罪もない、むしろ汚職摘発に功績のあったものから罰金も取る。二重取りである。

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