2014年01月

2014年01月31日

春節:装甲車であふれるダンゴ

48ダンゴ市内に配備された装甲車。

今日は中国の春節(正月)である。2年前の春節は1月23日であった。その日カム、カンゼ州ダンゴでは、中国政府のチベット人弾圧に抗議しチベットの自由を求めるチベット人数百人が警察署の前でデモを行った。

これに対し、当局は無差別発砲で応じ、その場で2人が死亡、30人以上が被弾した。デモの後、逮捕を恐れ多くのチベット人が山に逃げた。当局は山狩りを行い、それによりさらに2人が銃殺された。デモ参加者の多くが逮捕され、数十人が無期を含む懲役刑を言い渡された

中国の武力鎮圧により、多くの犠牲者を出したこのデモの記念日とも言える今年の春節を前に当局はダンゴのチベット人たちを怖れさせるために、街中にたくさんの装甲車を配備した。

49「1月26日、たくさんの武装車両が(ダンゴ)県に到着した。街の通りを行き来し、緊張した弾圧の雰囲気をつくり出している」、「昼夜を問わず大通りで軍事演習を行い、チベット人を威嚇している」と現地から報告される。

「通りではチベット人の身分証のチェックが行われている」、「通りや食堂内で2、3人のチベット人が集まっているところを見つけると警察が直ぐに飛んで来て解散させている」という。

50この状態を写した写真を伝えた、ロンドンベースの団体Free Tibet の代表Eleanor Byrne-Rosengrenは「自分たちの権利を訴えるチベット人の平和的抗議に対する中国の答えは『力』でしかない」とコメントする。

参照:1月30日付けRFA英語版
1月30日付けTibet Times チベット語版

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2014年01月27日

チャムドで連帯腕章をつけていたとして数百人拘束される

46540a92-28ac-4a27-bcdf-0dcc5a12ad5fチャムド地区で中国国旗を強制的に掲揚させられた僧院(写真RFAより)。

1月24日付けRFAによれば、チベット自治区チャムド地区の警察は最近、緊張が続くカルマ郷で「(チベット人)連帯腕章」をつけていたとして約480人のチベット人を拘束した。

現地からRFAに伝えられたところによれば、ことの始まりは「1月2日の午前2時頃、カルマ郷で木材を運ぶトラックが検問で止められ、乗っていた運転手を含む3人が『連帯腕章』をつけ、されにフロントに中国で禁止されている(ダライ・ラマ法王が認定した)パンチェン・ラマ11世の写真が飾られていたとして、その場で彼ら3人が拘束された」ことからという。

その2日後、13台の車に分乗した約50人の警官が、カルマ郷のダムトック村とツァラ村に現れた。「警官たちは村の家々に押し入り、『連帯腕章』を着けていた約480人を拘束し、カルマ郷に連行した。そこで、拘束された村人たちはひどい扱いを受けた」と報告される。その他の詳細は未だ伝わっておらず、彼らの現在の状況や解放されたものがいるのか等については不明のままである。

禁止される写真

1527134_640674612655343_1645350280_n拉致されたパンチェン・ラマ11世、幼少時の写真(初出)。コロンビア大学教授ロビー・バーネットが最近ネット上に発表したもの。

特にチベット自治区では、ダライ・ラマ法王の写真は厳しく規制され、これを僧院や家に飾ったり、携帯の中に保持していることが当局に見つかれば、逮捕される可能性が高い。

ダライ・ラマが認定したパンチェン・ラマ11世ゲンドゥン・チュキ・ニマは1995年、6歳の時、家族ともども当局に拉致され、その後現在に至るまで消息は途絶えたままである。

これに代わり中国政府は共産党員の息子ゲルツェン・ノルブをパンチェン・ラマ11世と認定し、宗教的・政治的権威を与え、チベット人たちに彼への敬意を強いている。しかし、ほとんどのチベット人は中国側が選んだパンチェン・ラマは偽物であるという。ダライ・ラマ法王の写真と同様、チベット人が本物と認め崇めるゲンドゥン・チュキ・ニマの写真も保持が禁止されている。

連帯腕章

「連帯腕章」とは一体どのようなものなのか?このようなものの存在を耳にするのははじめてであり、写真もないのでこれは今のところ想像するしかない。それにしても、デモや集会を開いていたわけでもない時に、2つの村で480人ものチベット人がこのような腕章をつけていたというのは想像し難い。

カルマ郷は爆弾事件の後、カルマ僧院を中心に厳しい弾圧を受け、焼身抗議者もでている。当局はこの地区で重点的に愛国再教育を行い、住民たちの政治信条をチェックし、共産党への忠誠を強いている。それだけに、住民はこれに反発し、チベット人としてのアイデンティティーを守り、団結を訴える運動も行われていると思われる。

もっとも現地からは「民族の団結を表明することは犯罪ではない。中国の憲法で保証されていることだ」との声も聞かれるという。

余談であるが、今回、拘束の原因となった、この「連帯腕章」について、ある人は「ひょっとしてこれはラマに会ったり、灌頂を受けた後にラマから渡される、お守りともなる赤い紐のことではなかろうか?」という。この「スンドゥ」と呼ばれる赤い紐は一般に腕に巻かれるからである。この純粋に宗教的な意味を持つ赤い紐が、当局により「チベット人連帯を訴える腕章」と意図的に断定された、という可能性もないとはいえないわけである。

何れにせよ、ダライ・ラマ法王もおっしゃるように、「チベット人をこれほどまでに勇敢な人々に育てたのは中国共産党である」。植民地主義的同化政策によりチベット人の文化を破壊し、人権抑圧を強化すればするほど、危機感を感じたチベット人たちが自らのアイデンティティーと尊厳を守るために、危険を犯してまでも民族の団結を訴えるということは自然の成り行きであろう。



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2014年01月24日

チベット人の移動の自由が奪われていると訴えるケンポ・カルツェ  彼の解放を求める署名活動始まる

1621897_10202325953783782_1738819736_nナンチェン、チャパ僧院の高僧ケンポ・カルツェが成都で連行され、すでに1ヶ月半以上経つ。チベット自治区チャムド(昌都)で拘束されていると言われる。

ケンポ・カルツェは拘置所内から弟子や信者に対し「「私は今、チャムドの拘置所にいる。殴られるとか衰弱しているとかいうことは全く無い。だから、僧院の僧侶や地域の住民も必要以上に心配しないでほしい」等と書かれた手紙を送っている。しかし、最近現地からRFAに寄せられた情報によれば、彼は肝炎を患い憂慮すべき状態であるという。

家族は彼に薬、衣服、食料を渡すためにチャムドに向かった。拘置所側は彼に渡すと約束し、薬のみを受け取ったが面会は許可されなかった。弁護士の面会も許可されていない。家族や地元の人々は彼の容態を非常に心配している。

去年12月中に彼の解放を求めて抗議デモを行い拘束された16人のチベット人は何回かに分けて解放され、1月21日には最後に残っていた人たちも解放されたという。

チベット人の移動の自由が奪われていると訴えるケンポ・カルツェ

1621840_10202325954703805_2111976499_n写真はすべてウーセル・ブログに発表されていたケンポ・カルツェが雪山を越える時の様子を写したもの。

ケンポ・カルツェは逮捕される1ヶ月半ほど前に、チャムド地区のある場所で法要を営むことを頼まれた。しかし、他省のチベット人が許可なくチベット自治区内に入ることは許されていなかった。彼は通行許可を申請したが回答を得ることはできず、仕方なく雪の中を山越えし、現地に向かった。

彼はこのときの話しを写真と文章で発表し、これをウーセルさんが自身のブログに掲載された。ケンポ・カルツェは「自分は何も罪を犯していないのに、こうして逃亡者のように雪山を越えなければならない」といい、多くの他の罪のないチベット人が同じように山越えを行わざるを得ないという苦境を訴えている。

006国道上に儲けられた検問所を通過するときには地元のチベット人でない限り、理由もなく日常的に暴力を受けるという。

ケンポ・カルツェは「このようにチベット人に移動の自由が与えられていないということに対し、上級の指導者や幅広い世論に関心を抱いてほしい」と訴えている。

その他参照:1月22日付けRFAチベット語版

ケンポ・カルツェの解放を訴える署名活動

アムネスティ・インターナショナルはケンポ・カルツェの解放を訴える活動をはじめている。

追記:日本語訳はこちら

またSFTも彼の解放を訴える署名活動を始めた。署名のためのサイトはここ

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2014年01月23日

焼身関連の拘束が続く

7f897033昨年11月11日に焼身、死亡した僧ツェリン・ギェル。

昨年11月11日、青海省ゴロ州ペマ県でアキョン僧院僧侶ツェリン・ギェルが焼身した後、2が月以上経った1月18日、当局はアキョン僧院の戒律師ゲレックとその弟であるツェラ・キャプを拘束した。

RFAに現地から情報を伝えたチベット人によれば、「警官が僧院に現れ、僧ゲレックに聞きたいことがあるから警察署に出頭せよと伝えた。そしてその後、彼は拘束された」、「彼の弟であるツェラ・キャプもバルカムで病気の治療を受けている最中連行され、今も2人は拘束されたままだ」という。

僧ツェリン・ギェルが焼身した後、「大勢の僧侶や俗人がペマ県内で拘束された。その内3人はその後解放されたが、今も17人が拘束されたままだ」と報告者は続ける。

「僧侶たちは拘束者たちについて話すことを怖れている。電話の会話は盗聴されていると信じられている。アキョン僧院は非常に緊張した雰囲気の中にある。去年暮れには少しだけ当局の締め付けが緩んだように感じられたが、地元の人々は3月になればまた再び緊張が高まるのではないかと心配している」という。

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2014年01月21日

ナンチェンで環境保護活動等を行っていた2人拘束

Tseden_Dhundup拘束されたツェテン・ドゥンドゥップ。

1月10日付けTibet Timesによれば、最近ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)州ナンチェン出身のチベット人2人が拘束された。

去年9月18日、ナンチェン出身のツェテン・ドゥンドゥップが青海省の州都西寧で突然警官に拘束され、行方不明となった。その後、家族や友人が彼の居所を捜し続け、今年1月5日にようやく彼が西寧の刑務所に収監されているということが判明した。しかし、今のところ家族との面会は一切許可されていないという。

35歳のツェテン・ドゥンドゥップは以前インドに亡命し、ダラムサラから2時間ほど離れたチョントラにあるゾンサル僧院で勉強していたことがある。その後、故郷に帰った彼は、学校が休みとなる夏と冬に農牧民の子供たちにボランティアでチベット語の読み書きや仏教を教えていた。その他、彼は病人を助け、地域の争い事を仲裁し、環境保護や保健衛生向上のためにも尽力していた。このように、彼は知識と行動力のある若者として地域の人々から尊敬される存在であったという。

また、彼と共に環境保護を訴えていた同じくナンチェン出身のズムガが去年12月25日前後に警察により拘束され、その後行方不明となっている。ズンガはツェテン・ドゥンドゥップと共にジェクンド州やその他の地域で行われている鉱山開発に抗議したり、チベット人の団結を訴える活動を盛んに行っていた。

報告者が語るところによれば、「ジェクンド州は元々様々な点で豊かな土地であり、大地震の後、観光都市に生まれ変えさせようとしている今、中国政府は環境保護等を積極的に訴えているにも関わらす、ザトゥ県等では地元の人々が聖山と崇める山に金、銀、錫等の鉱物が多量に発見されたということで、鉱山開発を進め、中国内地に運び去っている。この鉱山開発に対し、地元の人々が抗議を行えば、それはすべて政治的行動と見なされ、暴力的弾圧や逮捕が行われ、強引な開発が続けられている」という。

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2014年01月20日

カムやアムドでチベット人の乞食が増えている

imageカムの物乞い(写真はRFAより)

1月19日付けRFAチベット語版より。

カム地方のセルタ地区とアムド地方のゴロ地区においても商業に従事するものの大多数が漢人となり、デルゲ、ニャロン、カンゼ地区でチベット人の乞食が増えつつあるという。

RFAの南インド駐在員であるクンサン・テンジンが、現地で調査を行ったという人からの報告を受けとった。それによれば、2013年3月12日時点で、四川省カンゼ州セルタ県セルタで大小合わせ漢人経営の商店の数は323、これに対しチベット人経営の商店の数は130という。また、ゴロ州ダルロ県ダルロでは漢人経営の商店の数は220、チベット人経営の商店の数は120であったという。このように、チベット各地で漢人の進出が増加し、経済だけでなく、チベット人の習慣、文化も失われつつあると報告される。

されに、その現地報告者は、最近ニャロンやカンゼ、デルゲでもチベット人の物乞いの数が急激に増加しているという。例えば、例年僧院で行われるデチェン・シェンドゥプ・チェンモ(བདེ་ཆེན་བཞེངས་གྲུབ་ཆེན་པོ།)と呼ばれる宗教的行事が行われ大勢の人々が集まったとき、チベット人の物乞いが400人集まっていたといい、その内の一人に話しを聞くと「仕事が見つからず、家族を養うことができなくて物乞いをするしかない」と答えたという。

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かねてより、ラサでは漢人に経済活動を握られ、チベット人の商店の数は漢人のそれの10分の1以下でしかないという話しは伝わっていた。しかし、カム等ではまだまだ人口的にチベット人の数が勝り、漢人の進出は限定的と思われていた。私が2年前にカムを旅行したときの感想では、県庁所在地等ではその中心部の商業地区は圧倒的に漢人経営のビルや商店が多いということは明らかに見て取れたが、実際に商店の数を調査したわけではなかったので、実態は知らなかった。

また、物乞いの数も嘗てラサで見た驚くほどの数の物乞いはカムやアムドでは特に目立ってはいなかった。今ではラサの物乞いは当局が厳しく規制し、市内から追い出すということで数は激減しているという。しかし、このようにカムやアムドでは乞食が増加しているという現実があるということである。この原因は漢人の進出というのもあろうが、もう一つの要因である遊牧民の定住政策(生態移民)にもあることは間違いないと思われる。

ラサの物乞いについては、カムやアムドからラサに巡礼に来た者たちが物乞いをしながら巡礼と続けるという人が多い。もっとも、チベット人巡礼者であっても、お金のある者は物乞いをすることはない。
最近は当局がラサへの巡礼を厳しく規制しているので、この状況からラサの物乞いが減っているということも言えるであろう。何れにせよ、嘗て物乞いの中心地であった、パルコルでの物乞いはほぼ不可能になっていることは確かだ。

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2014年01月19日

イリハム・トフティ准教授の即時釈放を求めネット署名運動始まる

img_1488540_63836708_0写真左より王力雄、ツェリン・ウーセル、イリハム・トフティ。

ウイグル人の人権擁護を訴え続けているウイグル人知識人イリハム・トフティ中央民族大学准教授は、これまでにも何度も中国当局に拘束されている。今月15日、彼は再び自宅から当局により連行された。彼の居所や連行理由は一切公表されず、当局は単に「法律に違反した疑いにより拘束した」と発表している。

彼の連行と同時に彼の生徒6人も拘束された。また、彼の家の前には10人以上の監視員が張り込み、妻と2人の息子は「自宅監禁状態」にあると言わる。

これに対し、アメリカ政府は次の日、「イリハム・トフティの拘束は中国政府の政策や行動に対し平和的手段で異議を訴える弁護士、活動家、ジャーナリストたちを逮捕するという一連の憂慮すべきパターンの一部である」として中国政府を非難し、即座に彼を解放することを求めた。されにEUも同様の非難を17日に発表した。

これに対し中国政府はいつものように、「中国の法律は神聖にして厳正なものであり、我々は法律に従って彼を拘束しただけである。他国が人権を口実に内政干渉することは決して許されない」と応じている。

イリハム・トフティ教授の盟友である作家王力雄が中心となり、妻のツェリン・ウーセルや中国内外の学者、文化人が彼の解放を訴えるための署名活動を開始した。

以下は在大阪の作家、翻訳家であり、王力雄やウーセルの友人でもある劉燕子さんが日本語でこの署名活動に協力を訴えられているものである。是非この署名活動に協力して頂きたいと思う次第である。

諸先生。こんばんは。
産経新聞に拙文が掲載された翌日、15日、中央民族大学のウイグル人准教授、穏健派の知識人、イリハム・トフティ氏が、天安門突入炎上事件はテロと決めつけるべきでないなどと発言し、拘束されました。
産経掲載の拙文は、このサイト

 イリハム氏は1969年生まれで、経済的発展により近代的市民意識が広まり、民主化が実現すればウイグル問題も解決するとの考えで、中国語のサイト「ウイグル・オンライン」の創設者です。2009年の「ウルムチ事件=7・5流血事件」のとき、彼も拘束されましたが、王力雄氏が中心となりイリハム氏の支援活動が起こされ、8月に釈放されました。

 そして、昨日、王力雄氏、ツェリン・オーセル女史たちは、彼の釈放をアピールしました。今日までの二日間で、内外から500名以上の署名者となりました。

 アピールの要点は、イリハム氏は2006年に「ウイグル・オンライン」を創設したが、数回も閉鎖されても、それを続けてきました。それは中国語で新彊問題の真実を知るための重要な窓口です。彼はウイグル人と漢人の間を橋渡しする貴重な存在です。そして、次のことを呼びかけます。

1.当局は説得力のある事実と証拠を示せ。言論を理由に罪を負わせるのは止めよ。そうでないならば、即時釈放せよ。

2.本人と家族の自由、基本的人権を守れ。弁護士の選任や面会を許可せよ。
 2008年のラサ事件、2009年のウルムチ事件から今日までの中国の民族政策の失敗は明らかである。イリハム氏の逮捕は、ますます政策の誤りに拍車をかけるだけである。全ての中国人は、問題の追及や真相の究明の権利がある。また、自分の未来に責任を負うべきである。

 他の国の国民も同様な権利がある。何故なら、ウイグル人の苦しみは人類の苦しみであり、中国の将来の災禍は世界に及ぶ危険性がある。
 賛同の意志を署名で表すことを念願する。

署名のサイト
 
署名を確認できるサイト
 
感謝を込めて。 劉


参照:1月17日付けRFA英語版


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2014年01月18日

ウーセル・ブログ「省境を越えて拘束されたケンポ・カルマ・ツェワン」

ウーセルさんは1月8日付けのブログで、最近ナンチェンで解放運動が高まっているケンポ・カルツェ拘束の件について詳しい報告をされている。

その中でケンポ・カルツェを擁護するために家族が雇った中国人弁護士の話しが書かれている。このように家族が弁護士を雇うことについて、中国の役人が「弁護士は決して見逃さないし、大胆にも弁護士を呼んだ逮捕者の家族も決して見逃さない。誰かが弁護士を呼んだら、すぐその誰かを捕まえてやる」と警告したという。

中国当局は「法律に則って事件を処理する」と常に口にするが、一方で法律に従う考えは全く無ないということを明らかにしているのだ。

原文:唯色/遭跨省抓捕的囊谦堪布尕玛才旺
翻訳:@yuntaitaiさん

チャパ僧院

ナンチェンのカギュ派僧院、チャパ僧院

Gartse

ケンポ・カルマ・ツェワン

◎省境を越えて拘束されたケンポ・カルマ・ツェワン

カム地方ナンチェン(現在の青海省玉樹チベット族自治州ナンチェン県)にあるカルマ・カギュ派の重要な僧院、チャパ僧院のケンポ・カルマ・ツェワン(ケンポ・カルツェとも呼ばれる)が2013年12月6日深夜、僧院の事務処理のため滞在していた四川省成都市で、チベット自治区チャムド地区の公安に省境を越えて突然拘束された。チャムドに連れて行かれて勾留され、既に丸1カ月になる。

Photo by Carolina Rodrigues1
カルマ・カギュ派の祖寺で、チベット仏教のトゥルク転生制度の発祥地、チャムドのカルマ僧院。

ナンチェンからの情報によると、ケンポ・カルツェの拘束は、チベット自治区チャムド地区チャムド県のカルマ僧院で近年起きた事件と関わりがある。ナンチェン県とチャムド県はそう離れていない。カルマ・カギュ派の祖寺で、チベット仏教のトゥルク転生制度の発祥地であるカルマ僧院は、チャパ僧院と同じ宗派に属する。山一つ隔てているだけでもあり、元々非常に近い関係にある。カルマ僧院は2011年から駐寺工作組に進駐され、平穏を失った。18歳以下の僧侶全員が僧院を追い出され、無理やり還俗させられた。怒りと抵抗から、その年の10月26日未明、若い僧侶が粗末な手作りの爆弾をカルマ郷政府の敷地内に投げつけ、駐寺工作隊に反対するビラを貼った。

カルマ僧院の災難はこの時から続いている。徳望のあるケンポ2人と僧侶1人が「爆破、放火の容疑者10人をかくまった」として懲役2年半の判決を受けた。100人以上の僧侶が強制的に僧院を離れさせられた。逮捕、拷問されて供述を強いられた僧侶は数知れない。ある僧侶の父もかつてカルマ僧院の僧侶で、焼身している。一部の僧侶は僧院から逃れ、あちこちに身を隠した。最近聞いた話では、元々300人以上の僧侶がいたカルマ僧院は、今では6人の年長の僧侶だけが残ることを許された。一方、駐寺工作組は8人もいるという。

006ケンポ・カルツェのために嘆願する600人以上のチベット人を遮るナンチェン県長ら。

災難を逃れたその僧侶たちが今日のケンポ・カルツェ拘束を引き起こしたのかもしれない。600人以上の僧侶がケンポ・カルツェのために嘆願する動画が最近伝わってきた。ナンチェン県の県長が副県長ら幹部を引き連れ、嘆願のチベット人を途中で遮った時、はっきりとこう話したのが分かる。「2011年10月にチャムド(カルマ僧院)で事件が起きた後、あそこのかなりの僧侶がここに、私たちの僧院に来た。ケンポ・カルツェは彼らをかくまった。この事実は認めなければいけない。ケンポ・カルツェが捕まった後、僧侶や群衆が大騒ぎしているが、私たちには彼を釈放する権利がない。省内に来なければ、この問題を処理できない」

この県長は更に続けた。「もめ事を起こすなと私は何度もあなたたちに求めてきた。いい事はないぞ。まず、あなたたちにいい事はない。次に、ケンポ・カルツェにもいい事はない。その次に、将来のこの問題の解決にもいい事はない。もしあなたたちが大騒ぎすれば、警察が担当する問題になる。州公安局が出動し、あなたたちを牢屋に入れることになる。もしそうなれば、希望はなくなり、誰にもどうしようもなくなる」

「私たちは最近、チャムドに行ってきた。この問題のために行った。この問題は中華人民共和国の法律にのっとって処理する。私と朱書記は一緒に行った。なぜなら、ケンポ・カルツェの問題で、私たちナンチェン県県委書記と県長がこれからも仕事を続けられるかどうかの危機にあるからだ。あそこで私たちは何も言わなかったわけではないし、何もしなかったわけでもない。しかし、これは国家の法律で解決しなければならない問題だ」

唐弁護士チベット人の弁護を3回務めた唐天昊弁護士。

それならいいだろう、法律に従って処理してほしい。カルマ郷爆発事件で逮捕されたケンポ・ロドゥ・ラプセルの弁護人を務めたこともある唐天昊弁護士は2013年12月23日、厳しい寒さと海抜の高さを乗り越え、ケンポ・カルマ・ツェワンの家族から委任状を受け取った。唐弁護士はすぐさま本人との面会を求めたが、チャムドの警察当局に拒否された。警察当局は当初、ケンポ・カルマ・ツェワンを拘束したことを認めず、後になって「1.本事件は国家安全危害罪に関わっている。2.本事件はチャムド県公安局が担当する」と明らかにした。しかし、まだ勾留場所や具体的な罪名は伝えていない。

チャムドでの2日間、唐弁護士は本人に面会できなかったため、書簡でチャムド県公安局に4点要求した。「1.容疑者カルマ・ツェワンをチャムド留置所へ移送すること。2.法にのっとり、関係する法律文書を容疑者の家族に送ること。3.当弁護人は貴局のほかの刑事事件を扱い、重大な拷問や供述の強要を見つけた。本事件を担当する警官には法に従って尋問するよう希望する。もし容疑者の合法的な権益を侵害すれば、当弁護人は法にのっとり、あらゆる合法的な手段で関係者を告発、通報する。4.もし国家安全危害罪に関わっているのなら、当弁護人がカルマ・ツェワンと面会することを認めるよう貴局に希望する。また、カルマ・ツェワンの(具体的な)罪名を当弁護人に告知してほしい」

0401b2獄中から僧院に宛てられたケンポ・カルマ・ツェワンの手紙。

12月28日、ナンチェンの公安はケンポ・カルマ・ツェワンの直筆の手紙を僧院に渡し、僧院は翌日これを公開した。手紙にはこう書いてあった。「私は今回の不幸なめぐり合わせにより、チャムドの獄中に入れられている。私のせいで誰一人面倒な目に遭わないよう強く望む。最近、地元の公安警察と僧院の僧侶、民衆の間に衝突が起きたと聞いた。同様の事件を決して起こしてはいけない。先々まで見通し、考えを広げ、役人や関係部門と良好な関係を保ち、目の前の状況をできるだけ早く解決し、講経院と修行院などの活動を回復してほしい」。署名の部分には「玉樹(ジェクンド)のカルツェ 2013年12月27日 チャムド留置所にて記す」とあった。

以上の事実は、ケンポ・カルマ・ツェワンがチャムド公安に省境を超えて逮捕されただけではなく、チャムドで勾留されていることを裏付けている。しかし、AP通信記者が12月26、27の両日、チャムド県とナンチェン県の当局と警察に電話取材した時、とても皮肉で恥知らずなことに、彼らはこの件について「よく分からない、知らない、そのような事実はない」と答えた。

ひどいことに、ケンポ・カルツェのために嘆願した600人以上の僧俗のうち16人の僧侶が既に逮捕されている。その中には管理や会計など、僧院の要職に就いていた僧侶もいる。玉樹州長とナンチェン県長などの幹部はチャパ僧院に駐在して「法制教育」を展開し、全ての僧侶に「弁護士は決して見逃さないし、大胆にも弁護士を呼んだ逮捕者の家族も決して見逃さない。誰かが弁護士を呼んだら、すぐその誰かを捕まえてやる」と警告した。

2013年12月−2014年1月 (RFA特約評論)


1551683_10152246170705337_155429552_nケンポ・カルツェの解放を願い井早さんが描かれた。






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2014年01月17日

高僧等の解放を求め刑務所前で500人が座り込み

9b4cb040-0ff6-4113-affc-76f1c9b0766616日付けRFA等によれば、ナンチェンの僧侶や地元民約500人が拘束された高僧の解放を求め、刑務所の前で座り込みを行った。

青海省ジェクンド(ケグド、玉樹)州ナンチェン県チャパ僧院の高僧ケンポ・カルツェ(又はケンポ・カルマ・ツェワン)は去年12月6日に成都で拘束され、チベット自治区チャムドに連行された。12月18日には彼の解放を求め、チャパ僧院の僧侶約300人と地区の住民約200人が、「師を失った弟子たちの苦しみを知ってほしい」と書かれた横断幕を掲げ、ナンチェンへと行進を始めた。このときの行進の様子が写された貴重なビデオが海外に伝わった。

3日後にはこのデモに参加した16人が連行された。この内7人はしばらくして解放されたが、残る9人のチャパ僧院僧侶は依然拘束されたままである。

0cc10937-ced7-453b-8e52-231e0a5bc3341月15日午前11時頃から、彼ら9人が拘束されていると思われる、ナンチェン県の刑務所の前にチャパ僧院僧侶約60人を含む約500人のチベット人が集まり、拘束されているケンポ・カルツェと彼の解放を求めて拘束された9人の僧侶の解放を求め、無期限の座り込みハンストを始めた。また、彼らは拘束されている9人への面会と衣食を渡すことも要求した。

数時間後、彼らの前に、ナンチェン県保安部の責任者が現れ、「5日間以内にケンポ・カルツェの現状を報告し、拘束されている9人の僧侶を解放する」ことを約束したという。また、RFA英語版によれば、チャパ僧院僧侶たちに対し、拘束されている仲間への面会を許可したという。

ケンポ・カルツェは地区で絶大な人気を持つ高僧であり、彼の拘束が長引けば、彼の解放を求める運動が続く可能性が高い。

その他参考:1月17日付けTibet Times チベット語版
1月16日付けAP

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2014年01月10日

セルタ、ラルン・ガル法域で火事

1512718_58919621ニンマ派のケンポ・ジグメ・プンツォクにより創建された四川省カンゼチベット族自治州セルタ県にあるラルン・ガル法域は、彼のカリスマ性にもより一時は1万人を越えるチベット随一の巨大法域となった。中国人の僧侶、尼僧が多いのがここの特徴である。当局はここが巨大になり、ケンポの影響力が絶大になるのを警戒し、2001年、違法建築を理由に多くの宿坊を破壊した。その時のリーク映像はここ。ケンポ・ジグメ・プンツォクはその後2004年に心不全により亡くなっている。

ラルン・ガルはその丘を埋め尽くす僧房群が圧巻であり、多くの旅行者が訪れる場所ともなっている。

RFAによれば、火事は昨日午後8時ごろ、尼僧院の本堂(ギュトゥル・ラカン)裏に群がる尼僧たちの宿坊から出火したという。出火と同時に僧侶、尼僧、一般人が消火に努めたが、宿坊は密集しており、おりからの冷たい強風に煽られ火の勢いは強く、もともと乏しい水も凍っており、消火は思うように進まなかったという。

1506716_58919648後に軍隊と2台の消防車が来て、消火作業を行ったという。夜明け後の写真がまだ伝えられていないので、どれほどの被害がでたのかは現時点ではまだ確かではない。RFAは現地の人の話しとして「約100棟焼失」と伝える。Tibet Timesは「50〜80棟」といい、中国の新華社は「10棟」と発表し、450人が消火作業を行っているという。この「棟数」というのが、「部屋数」の可能性もありえる。

負傷者についても、「病院に運ばれたものがいる」という情報もあるし、「幸い負傷者は出ていない」との情報もある。

火災の原因については、電気のショートという説もあり、「中国人の尼僧が灯明を灯したことから火事となった」という噂もある。未だ、原因は特定されていない。

193_convert_20121218232416出火場所はこのお堂の裏。

ラルン・ガルのケンポの1人は「(火災の)画像が誇張や虚偽の風説に利用され、寺院の仏教や福祉事業をつぶす口実にされるのを防ぐため、投稿は削除してください。ご理解ご協力に感謝します」「僧坊を強制撤去する消防局の口実にされないよう、画像の削除が必要」とウェイボ上で訴えている。この僧院が当局に睨まれており、指導的僧侶たちが今後の当局の出方を心配している様子が伝わって来る。

グーグルアースでみるラルン・ガル

その他、ラルン・ガルの写真(帰山 鷹丸撮影)

1511775_740291149316716_2138683353_n追加写真:今朝撮られたと思われる現場の写真。焼けた範囲が分かる。

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2014年01月08日

焼身に関わったとして 新たに3人に懲役刑

d07e222c2012年10月26日に焼身、死亡したトゥプワン・キャプ。

中国当局は焼身に関わったとしてアムド、サンチュ出身の3人のチベット人に懲役刑を課した。

1月6日付けRFAによれば、今月2日、甘粛省甘南チベット族自治州ツゥ(合作)の裁判所は2012年10月26日にサンチュ県サンコク郷のバス停で焼身、死亡したトゥプワン・キャプ(23)の焼身に関わったとして、ドルジェ・ラプテンに2年の刑、同じく2012年11月27日にサンコク郷で焼身、死亡したサンゲ・タシ(18)の焼身に関わったとして、ケルサン・ジンバとドルジェ・タシにそれぞれ1年半の刑を言い渡した。

2d65d4ab2012年11月27日に焼身、死亡したサンゲ・タシ。

彼らは焼身事件の後直ぐに拘束されていたというから、1年以上拘束された後にやっと刑が決定されたということになる。拘束中は家族とも会えない。拘束中が一番苦しい時期と言われる。

彼ら3人は現在サンチュ県の刑務所に入れられているということ以外、彼らが焼身にどのように関わったのか等の詳細は伝わっていない。

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デルゲでトンネル工事に抗議したチベット人多数拘束

image住民を連行するために集まった警官と部隊。

RFA等によれば、昨日、1月7日早朝、カム、カンゼ州デルゲ県にあるデルゲ僧院と付近のボンダ地区に突然大勢の警官と部隊が押し掛け、僧院や家々に押し入り多数のチベット人を連行したという。連行されたチベット人たちは去年末、12月27日に100人ほどで行われたトンネル工事に抗議するデモに参加したものたちという。

中国当局は去年5月20日、デルゲの街の下を貫くトンネル工事を開始する式典を行い、工事を始めた。地元のチベット人たちは環境破壊を理由に当初からこの計画に反対していた。工事のために強制的に移転させられたり、移転を拒否したチベット人の家が壊されたりした。工事が始まると、付近の家が地盤沈下により壊れたり、多くの家にひびが入るということも起った。

住民たちは政府に何度も書面で工事の中止を訴えたが、まったく聞き入れられなかった。業を煮やした住民は去年12月27日に工事現場に100人ほどが集まり、工事の中断を迫った。31日には再び県の関係当局に行き、訴えたが、まったく取り合ってもらえなかった。

そして、昨日、突然部隊が出動しデモに参加した人たちを連行したというのだ。

追記:今日のVOTによれば、連行されたのは20人と。また、地域の人々は「彼らを連行するなら、自分たちも連行してくれ」と懇願しているという。

参照:1月7日付けRFAチベット語版
1月8日付けTibet Timesチベット語版
1月7日付けTibet Expressチベット語版

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2014年01月07日

カルマ郷:チベット人の団結を訴え、文盲をなくす活動を行ったとして9人拘束

79829f6b-5493-4537-8646-9ec0d0cdb8b4チャムドを示すチベット語の地図。カルマ郷はチャムドの北、黒線で示された青海省との省境近くにある。青海省側にあるナンチェンと非常に近い。

1月6日付けRFA英語版によれば、焼身や爆弾事件等のあったチベット自治区チャムド地区カルマ郷で、こんどはチベット人の団結を訴えたり、文盲撲滅のためにクラスを開いたものが連行されたという。

今年に入りカルマ郷に大勢の警察や部隊が投入され、家々に押し入り、家宅捜査を始めた。そして、1月3日にプンツォク・ナムギェル、ペマ・ツルティム、ドルジェ・ロトゥの3人、1月5日にはバルロ・ユンドゥン、ダンマ・タトップ、ゴラ・タシ・ナムギェル、ダツァ・ドルジェ・リクジン、ディプヌップ・ソナム・ニマの5人が連行された。

彼らが連行された理由は明らかではないが、地元の人々は「彼らはみんな、かねてより、チベット人同士でケンカすることを止め、チベット人の団結を促す活動を行っていたからではないか?」という。

地元の警察は「チベット人団結運動を行ったものは出頭せよ」と広報した。命令通りに出頭した者の内何人かは暴力を受けたという。

また、最近、カルマ郷ラル村で文盲をなくすクラスが始まったが、中国当局はこのような活動は違法だといい、責任者を拘束し、クラスを閉鎖したという。

先の連行された8人の内には、この文盲をなくす活動にも関わっていたものがいたと言われる。

最近成都で拘束されたナンチェンの高僧ケンポ・カルツェは、このカルマ郷にあるカルマ僧院との関係を問題にされ、現在チャムドで拘束中と言われる。今回の一連のチベット人拘束はケンポ・カルツェとの関係があるかも知れないという人もいる。

何れにせよ、この数年、カルマ郷とその中心をなすカルマ僧院が当局の弾圧の特別対象になっていることは間違いない。

それにしても、「チベット同士ケンカせず団結しようと訴えたり、文盲をなくす活動を行うことは違法である」というのが今のチベットということだ。

その他参照:1月6日付けRFAチベット語版



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2014年01月06日

ウーセル・ブログ「炎の中からラサに向かうチベット人たち」

ウーセルさんは去年秋にラサに滞在中、巡礼者たちに声を掛け「どこから来たのかと尋ねた。彼らの答えた地名は全てチベット人が焼身した地域だった。彼らの多くは焼身者と年齢が近く、顔つきも似ていて、焼身者の家族のように思えた」という。そして、ラサにおける焼身がその後、巡礼者と彼らを泊める宿にどのような影響を与えたかについて詳しく報告する。

原文:12月27日付けウーセルブログ 唯色:从火焰中走向拉萨的藏人们
翻訳:@yuntaitaiさん
◎炎の中からラサに向かうチベット人たち

4-0022009年以降、炎に身を包んだチベット人129人のうち6人の焼身場面。









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2013年12月3日午後、アムド地方ンガバ(現在の四川省アバ・チベット族羌族自治州アバ県)のメルマ郷政府前で、30歳の遊牧民クンチョク・ツェテンが焼身抗議し、軍警に州都マルカム県へ連れて行かれる途中で死亡した。12月19日午後には、アムド地方サンチュ(現在の甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)のアムチョク鎮で、42歳の僧侶ツルティム・ギャンツォが焼身し、その場で死亡した。

クンチョク・ツェテンとツルティム・ギャンツォの焼身により、2009年以降のチベット人焼身者の数は129人になった(内訳はチベット本土124人、国外5人)。2013年は28件の焼身が起きた(本土26件、国外2件)。これまでに、分かっているだけで本土の107人と国外の3人の計110人が犠牲になっている。関わっているのは一人一人の生きた命なのだから、これは驚くべき数字だ。

11月にラサを離れようとしていたころ、私は僧院を参拝してもバルコルを回っても、アムドやカムから来た少なからぬチベット人の老若男女にいつも出会った。ラサ訪問を禁じられた残酷な数百日を経て、彼らはついにラサを巡礼できるようになった。ラサ入り前には尋問を受け、ラサ滞在中にだけ使える証明書を身分証と引き替えにして取らなければならない。ラサ入り後には指定された旅館に泊まり、公の場で絶えず身体検査や尋問などを受けなければならない。しかし、ようやく彼らはジョカンに供えられたジョウォ・リンポチェ(本尊の釈迦牟尼像)を拝めた。ようやく合掌してポタラ宮に祈り、巡礼路の1本1本で五体投地ができた。

いつも私は巡礼者を遮り、どこから来たのかと尋ねた。彼らの答えた地名は全てチベット人が焼身した地域だった。彼らの多くは焼身者と年齢が近く、顔つきも似ていて、焼身者の家族のように思えた。はるばるやって来たチベット人について私がツイッター上で伝えると、芸術家のアイ・ウェイウェイは感嘆して書いた。「炎の中から出てきたこの人たちはどこへ行くつもりなのだろう?彼らの気持ちを癒やせる場所はどこだろう?どうすれば彼らを慰められるのか、私には分からない」。ラサは本来なら巡礼者の苦しい心を癒やせるが、彼らは大通りや路地にあふれたゲート型金属探知機や警務站で体や携帯電話を調べられ、臨時居住証を求められる。言いなりにならざるを得ない彼らの姿を見ると、私の胸は苦しくなる。

720F12C9-FB65-462A-BE1B-74AF0BDC8E44少し前にラサの公安部門は各宿泊施設に通知(左写真)を出した。通知にははっきりとこう書かれていた。

「届け出るべき人員の登記の流れ:客の証明書をチェック―届け出―公安機関が確認―登記―送信―宿泊―出発―出発時刻を登記―プラットフォーム上にチェックアウト時刻を登記。届け出対象の者(自治区内ではチャムド地区、ナクチュ地区東部のディル県、ソク県、バチェン県、自治区外では青海、甘粛、雲南、四川、新疆籍の漢族以外の者)が巡礼や親族訪問、病気の治療、観光、出張、買い物などで一時的にラサに来たら必ずチェックする。10分以内に派出所に届け出て(電話6823809)、派出所は10分以内に確認する。宿泊施設はその後に登記、送信してよい。無届け▽1人の証明書で複数人が宿泊▽証明書なしで宿泊▽登記者以外の者が宿泊▽期限切れの証明書を使用――などの問題があれば、関係法規に従って厳しい態度で断固処罰する。深刻な結果を招いた違反は断固取り締まる」

L1100836バルコル古城管理委員会。

聞くところによると、ラサの公安は各宿泊施設を集めた会議で、昨年5月27日にジョカンとバルコル派出所の間で起きたアムドの青年2人の焼身を取り上げた。そして、ほかの土地から来たチベット人宿泊客に細心の注意を払い、速やかに届け出るよう警告した。もし宿泊客から焼身者が出たら、と公安はすごんだ。「そうなれば『満斎飯店』の二の舞いだ。破産して、一家離散になってもらう」。この言葉はラサに広まった。

ジョカンの南側に面した「満斎飯店」は、アムドの青年が焼身前に泊まった宿だ。当局の怒りを買ったため、オーナー夫婦と入り口の警備員が捕まり、全財産が没収された。建物は「ラサ市バルコル古城管理委員会」に改装され、バルコル派出所はすぐ「バルコル古城公安局」に格上げされた。ラサ旧市街は「バルコル古城」と命名され、これをきっかけとして大規模ですさまじい旧市街改造が始まった。実は旧市街改造は一石二鳥で、「治安維持」の目的と取り決めの方が大きかった。

2013年12月 (RFA特約評論)

001下の写真は私がラサ滞在中の2013年9〜11月、ジョカン前広場やセラ僧院、バルコルで撮影した。写真のチベット人は皆、アムドやカムからラサに来た巡礼者で、私たちは知らない者同士だ。彼らの掛けている黄色や白のカタはジョカンやセラ僧院の僧侶たちが贈ったもので、僧院の神聖な仏像に金箔を張ったことを意味する。

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2014年01月05日

チベットに宗教の自由はあるのか? 続く僧院いじめ

3112b1ドンナ僧院入り口に張られた「封鎖」の張り紙

中国政府は常々「チベット族は宗教の自由を謳歌している」と宣伝している。一方で「宗教の自由」を訴えデモを行ったり、焼身するチベット人が絶えない。外部の人にとって実態は分かり難い。中国政府が情報封鎖するからだ。なぜそんなに必死に隠そうとするのか?それがまず問われるべきだ。

最近、チベットの僧院で起った出来事を幾つか紹介する。

ディル、ドンナ僧院閉鎖

ディル、ドンナ僧院は昨年11月半ば、同じディル県のタルム僧院とラプテン僧院と共に、部隊に包囲されている。その前後に3つの僧院から僧侶が10人以上連行されている。ドンナ僧院からは論理学教師であるケルサン・ドゥンドゥップはじめ数名の僧侶が連行された。僧院に押し入った部隊は僧侶の個人的持ち物や僧院の金等を盗んだと報告される。

さらに、当局は本堂や僧房の入り口の門に「封鎖」と書かれた張り紙を張り、僧院への出入りを完全に遮断し、僧院を閉鎖した。

3112b2至る所に張られた「封鎖」の張り紙

この原因について地元の人々は「この僧院はディルで一番僧侶数の多い僧院だ。チベット語とチベット文化の擁護、発展のために様々な活動を行っていた。それが、当局に目をつけられる原因になったのだろう」という。

ディル県一帯の僧院は去年4月に当局から「僧院の運営権をすべて政府に移管せよ」という命令を受けた。これと同時に僧侶に対する「再教育」が強化された。このような動きに反発に多くの僧院から僧侶が逃げ出し、機能しなくなる僧院が相次いだ。自分たちの僧院が空っぽになったことを嘆いた住民たちの中には、亡くなった親族の遺体を政府庁舎前に運び込み、「お前たちのせいで、葬式を上げてくれる僧侶がいなくなった。だから、政府が葬式を上げてくれ」という抗議方法を取るものもいたという。

参照:1月2日付けRFAチベット語版
1月3日付けTibet Times チベット語版

d1a92af4-c27e-4b72-8805-6afc050dc400ラプラン・タシキル僧院

ラプラン・タシキル僧院で僧侶制限

1月3日付けRFA等が伝えるところによれば、アムド、ラプラン・タシキル僧院の寺院管理委員会は2013年12月13日付けの布告で「正規の僧侶以外を追放せよ」との命令をだした。今年3月初めまでに完全に実行せよと責任者たちに圧力をかけている。

ここでいう「正規の僧侶以外」とは、「当僧院に勉学のために長期滞在することが許されている者以外」とされるが、これは主には地区外からこの僧院に学びに来ている他地区の僧侶と年少の僧侶と言われている。ラプラン・タシキル僧院はアムド有数の巨大僧院であり、勉学の中心的僧院である。他の地区、地方からここに学びに来ている僧侶は相当な数に登ると思われる。また、年少の僧侶も多いであろう。

photo-1管理員会の布告書

2008年以降、チベット全域で僧院に対する管理が強化され、他地区の僧侶や年少の僧侶を受け入れてはいけないという規則が広まった。しかし、実際にはその運用は地区ごと、僧院ごとに異なり、何かの政治的事件等がない限り、厳しく施行されない場合が多いと言われる。

他に、ラプラン・タシキル僧院があるサンチュ県では、最近冬休みに入った中高の生徒たちが補習のために塾に通うことが禁止されたという。基本的に、どんな理由にせよチベット人が集まるということを禁止しようということらしい。

この塾とは地域の僧侶や一般の有志が親たちに頼まれ、休み中に子供たちにチベット語等を教えているのだという。このような塾に通うことが禁止されたという話しは他の地区でもあるが、今回このような処置が取られたのは、同じ甘粛省サンチュ県のアムチョク鎮で昨年12月19日に僧ツルティム・ギャンツォ(43)が焼身抗議を行ったからであろうと思われている。ラプラン・タシキル僧院への嫌がらせもこの一環であろうと地元の人たちは言う。

BdG9vMmIYAAIlbvラプラン・タシキル僧院を描いた19世紀の絵











ペマ県で再教育強化

1月4日付けRFAによれば、最近、ゴロ州ペマ県一帯の僧院や村に政府の役人たちが現れ、「何か問題がある時には当局に書面で訴えるべきであり、決してデモ等を行ってはならない」と演説し、25項目に渡る規則を発表したという。

その規則の中には僧侶が関係役所に出頭するべきことも書かれていたというが、今のところ誰もその命令に従う者はいないという。

imageペマ県を示すチベット語の地図。

ペマ県には現在2000人の「愛国教育隊」が新しく派遣され、僧院や村を巡りながら日夜チベット人を虐め抜いていると現地から報告される。

今のところ拘束者等の情報は入っていないが、これが昂じるとペマ県が第2のディル県になるのではないかと懸念される。

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