2014年03月

2014年03月31日

<続報>29日焼身の尼僧の名はドルマ 31歳

bathang_dolma焼身した尼僧ドルマ。

29日にカム、バタン(ཁམས་འབའ་ཐང་། 四川省カンゼチベット族自治州巴塘)で焼身した尼僧の名前、年齢、出身地が判明し、写真が伝わった。

31日付けTibet Expressによれば、彼女の名前はドルマ(སྒྲོལ་མ།)、年齢31歳前後。出身はかつてバタン県内、現在自治区マルカム県内にあるチスン・ガンショク村とされる。父の名はニマ、1年前に死亡したという母の名はワンモ。

昔から彼女の家は地区でもっとも豊かで大きかったという。兄弟姉妹の内、男性3人はトゥルク(転生ラマ)、彼女を含め女性2人は尼僧という。かつて家族の何人かが長期刑を受けたり刑務所内で死亡しているという。

彼女はこの数ヶ月バタン県のリトゥ僧院で五体投地を繰り返していたという。

10003330_10152289043456661_1563731943_nバ・チュデ僧院の右繞道(写真:グーグルアースより)

ドルマは29日午後3時頃バタンの街中にあるバ・チュデ僧院(康寧寺)の右繞道で中国のチベット弾圧を糾弾するため焼身した。右繞していたチベット人たちが火を消し、病院に運び込んだ。現在、病院は部隊に包囲され、情報網が遮断され、交通規制も行われているということで、これ以上の情報は今のところ伝わっていない。尼僧ドルマの生死も確認されていない。

追記:尼僧ドルマと一緒にリトゥ僧院で修行していた尼僧の内、3人が拘束されたという。
追記2:ドルマは命は取り留めそうだとの情報が入る。

1978614_10152403812830337_328573833_n井早智代さんが尼僧ドルマに捧げられた絵。

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2014年03月30日

囚われのチベット人作家テウランが解放される

6e753b584年の刑を受け中国のメンヤン刑務所に収監されていたチベット人作家タシ・ラプテン(筆名テウラン)が3月29日、解放された。解放の日、刑務所の前で家族と友人たちが迎えたという。その後、彼は成都経由で故郷のンガバ州ゾゲ県タンコル郷に無事帰郷し、そこで大勢のチベット人に迎え入れられた。

蘭州西北民族学院の学生であった彼は2009年7月26日、突然ゾゲで拘束され、およそ2年後、2011年6月2日に4年の刑を受けた。彼は発禁となった雑誌「シャル・ドゥン・リ(ཤར་དུང་རི་東方のホラ貝の丘)」の編集者の1人であり、また短編集「血書༼ ཁྲག་ཡིག ༽」の著者でもある。この雑誌に関わった作家の多くが刑を受けている。

1661209_564372180327513_20647686_n故郷で迎え入れられるテウラン。

彼に関する過去ブログは:
獄中にあるチベット人作家テウランのエッセイ「彼らは我々を動物のように扱う」

チベット人作家タシ・ラプテンに4年の刑

温家宝のお言葉/"国慶節"によせて - 最近逮捕された3人のチベット人作家たち/さらに仲間が1名

透視・あるチベット人青年作家の“失踪”

彼はすでに多くの詩やエッセイを発表している。以下はその一部の日本語訳である。

地獄の囚人
英訳のみ参照)

地獄は鉄と鋼鉄で作られた要塞
ドアのない手枷、足枷の要塞

自由を愛する人々がこの要塞の囚人
彼らは地獄の暗闇を見る受刑者
彼らは自由を味わいたいと望みながら暗闇に落ち込んだ人々

彼らは外に出て口から白い息を吐き出した者たち
彼らが空に向け拳を振り上げた者たち

しかし、地獄の法律により
彼らは法を犯した者とされ、獄中で手枷、足枷をはめられる
彼らの罪とは「自由への愛」

母は言う、もっとも若い囚人は私の兄弟だと
世界でもっとも幼い囚人

その子供の罪が、ただ遊び心に石を積み重ねただけであるならば
その子は無実に違いない

自由、平等、民主、生きるため
囚人が1人、囚人が2人、囚人が3人、囚人が4人

地獄はまことに地獄だ
自由、平等、民主、生きるため
この地獄の要塞からみんなが解放される時が来るのであろうか?


チベット人同胞よ、戦士の刀を振り上げよう(冒頭のみ)
チベット語原文、英訳参照)

我々の勇気はお経の山の中で衰えつつある
我々の尊厳は外国に占領され弱まりつつある
同じ血と肉をもつチベット人同胞たちよ
あなたたちは悲しみの涙に溺れ、
苦悶に縛られつつある

今日、私は歴史の背骨を通じてあなたの胸の中に入りあなたを凝視する
真実と伝えるために私は以下の言葉を綴る
……


1969379_564372370327494_1907579736_n故郷でこれほど大勢のチベット人が彼を迎えた。

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<速報>29日 バタンで尼僧焼身 内地130人目

Map_TsampaRevolution_20140329_EN_XXL_sansチベット内地、主な抗議活動と焼身抗議発生地地図(Tsampa Revolution 作成)。地図の下方(南側)に今回焼身があったバタンが確認できる。バタンでの焼身は初めて。

RFA等によれば、3月29日現地時間午後3時頃、カム、バタン(ཁམས་འབའ་ཐང་། 四川省カンゼチベット族自治州巴塘)にあるバ・チュデ僧院(འབའ་ཆོས་སྡེ་དགོན།)傍で1人のチベット人尼僧が焼身を行った。「中国のチベット圧政に抗議して焼身したのだ」と現地の人はいう。焼身者の氏名、年齢、生死等は現時点で確認されていない。

「彼女は午後3時頃、バ・チュデ僧院の右繞(コルラ)道で焼身した。右繞していた人たちが火を消し、病院に運び込んだ」と現地と連絡をとったギェルツェンは伝える。

運び込まれた病院にはただちに大勢の部隊が集まり、病院に押し掛けたチベット人たちを追い出し、包囲したという。また、事件のあった僧院にも大勢の部隊が集結し、ネットや電話が遮断され、交通も規制されている。

彼女の身元について、ある人はバ・チュデ僧院に所属しているといい、ある人はマルカム県のドゥパ郷の出身だといい、ある人はバタン県のリンカ・シパ郷の出身といい、未だ一定せず確認されていない。

今月16日にもンガバで僧ロプサン・パルデン、ツェコで僧ジグメ・テンジンが焼身している。今月に入り3人目。内地焼身130人目。

参照:3月29日付けRFA英語版
同中国語版
同チベット語版
3月29日付けTibet Timesチベット語版

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2014年03月29日

ゴシュル・ロプサンの半生と遺書「悔いなき受刑者」

IMG_6044-copy学校で英語を教えるゴシュル・ロプサン

拷問の末、衰弱しきり刑務所を出されたマチュのゴシュル・ロプサンが今月19日に死亡したということは先のブログで報告した。その後、彼が残したという遺書と、彼のより詳しい経歴が明らかにされた。

25日付けTibet Net(亡命政府公式サイト/チベット語版)が彼の略歴を記している。それによれば、ゴシュル・ロプサンは(甘粛省甘南チベット族自治州)マチュ県トコペルペン郷ギュツァ村の出身。42歳(*1)。妻と2児の子を残す。1992年、インドに亡命し、ダラムサラ近郊にあるTCVスジャスクールで数年学んだ後、再びチベットに帰り遊牧の仕事をしていた。

90年代、彼は仲間と一緒にマチュ地区に沢山の政治的ビラを張り出した。多くの仲間が捕まり、数ヶ月間拷問と尋問が続いたが、最後まで彼は何も認めなかった。その後、家に帰されたが、当局の嫌がらせが続くのに耐えられず、数年間ラサに逃げた。ラサから故郷に帰った後、しばらくの間学校や私塾で英語を教えていた。

2008年3月、チベット全土に抵抗運動が広がったときトコペルペン郷の人々も3月17、18、19日の3日間に渡り平和的抗議を繰り返した。そのとき彼はデモを先導していた。彼はまたその頃、自分の黒いヤクテントに5色のチベット国旗をはためかせていたという。

2009年1月には、地区の人々にその年のロサ(チベット暦新年)を祝うべきではないと訴える張り紙と、中国人と商売したり、中国人の商店で買い物をすることを止めようと訴える張り紙が現れた。これを見てゴシュル・ロプサンたちはQQ(中国のSNS)を通じてこのニュースを内外に伝えた。

2008年以来、地区では当局による締め付けが激しくなっていた。住民と警官が衝突することも度々であった。2009年4月10日、ゴシュル・ロプサンと仲間数人が軍隊に向かって、事実と論拠を示しながらの論争を仕掛けた。軍はその内のゴシュル・ロプサンとダクパをめった打ちにし、手錠をはめ、連行しようとした。これを知ったチベット人400人余りが2人を解放しようと、軍と張り合い、石を投げた。2人は手錠をはめられたままではあったが、このとき逃げることができた。

その2日後、当局は地区の村長たちを集め、2008年以降反政府活動を繰り返すゴシュル以下5人の名前を上げ、即刻差し出すようにと命令した。できなければ、村々は大変な目に遭うぞと脅した。
その後、何ヶ月にも渡り、ゴシュル・ロプサンたちは飢えと寒さに耐えながら人里離れた岩山に隠れ続けることになった。

年が開け、ゴシュル・ロプサンはこのように長く岩山に隠れ住み続けても何も意味がないと思い始めた。それよりは潔く刑務所に入った方が、600万チベット人のためになるのではないだろうかと思われた。このまま山に居続け、いつか誰も知らないうちに逮捕されるより、みんなが見ている前で逮捕された方がいいだろうと思い、堂々と里に下りていった。

2010年6月29日(TCHRDは5月16日と)、彼は逮捕され、5ヶ月間マチュ県の公安で尋問と拷問を繰り返し受けた。食事と睡眠を断たれ、痛みで苦しめるための毒を注射されたこともあるという。

2010年11月26日、甘南州の中級人民法院はゴシュル・ロプサンに10年の刑(*2)を言い渡し、蘭州から100キロほど離れたテンシェンの刑務所に送った。刑務所に入れられた後も3年間、まともな食事も治療も与えられず、苦痛と共に衰弱し、彼は骨と皮に成り果てた。

4256ee18-f71e-415f-984a-0da6dd30a68d2013年11月に入り、彼の容態はいよいよ危険なものとなった。刑務所側は刑務所内で死なれると面倒なことになるということで11月29日に彼を家族の下に帰した。

家族と親戚は彼のためにできるだけの治療を受けさせたが、回復することがなかった。死ぬ前一ヶ月の間、食事も飲み物も一切口にすることができず、またその激痛に苦しめられる様は見るに見かねるものがあったという。

少し口がきけるときには、常に、自分の信念と決心は少しも変わっていないこと、どれほどの苦しみを味わおうとも、すべてチベットの宗教、文化を守り、600万チベット人のためであるからまったく後悔するところはない、と語ったという。

また、死の数日前、友人に自分の写真を持って来てくれと頼み、「(その写真を)インドにいらっしゃるダライ・ラマ法王の下に届けることはできないか?自分のように獄で苦しめられている政治犯たちの惨状を知らせることはできないであろうか?これは自分のためのようだが、このような愚かでつましい、無力の牧民の最後の小さな望みだ」と託したという。これが彼の最後のことばとなった。

*1:ゴシュル・ロプサンの死亡時の年齢については、TCHRDRFAは43歳と伝え、Tibet Netは42歳と伝える。
*2:彼の受けた刑期については、Tibet Netは10年、ウーセルさんは11年、TCHRDは12年と伝える。


以下の遺書は、2012年中に死を覚悟したゴシュル・ロプサンが刑務所内で密かに綴ったものと言われる。チベット語原文はここ。中国語訳はここ
悔いなき受刑者

私には家族があり、父母兄弟、妻と子供もいる。彼らに対し深い愛を持っており、その愛のために命も捧げてもよいという決心さえある。しかし、我が民族のためにその愛を犠牲にすることに後悔はない。私は自らの民族を愛する愚かな牧民である。民族のために何か為すことができれば本望だ。

耐え難き様々な拷問に苦しみ、病み衰え、骨と皮に成り果てたこの身体が、朽ち果てようとも、後悔はない。炎の中から躍り出て、すべてを明らかにすることができる勇者に、続こうという思いがあるが、勇気が足りない。しかし、不義がはびこり、自由や平等を訴える場所がないというこの環境に、おとなしく屈服しなかったことにより、こうなった愚かな牧民である私に後悔は全くない。

私が見たいのは、この自由な世界にふさわしい生活を送る我が民族の姿であり、暗闇に包まれ、暴虐の下に暮らさねばならぬ民族の姿ではない。愛する父母兄弟よ、愛する妻と子供たちよ、命尽き、突然永別のときが来るかも知れないが、後悔はない。悲しみの底を計りながら、不安の淵に立たされ、寒さに震えながらも、心に思い出す汚点や罪過は何もない。これだけが私がこの世に生まれて得た収穫なのかも知れないと思う。これしか私にはない。私の欲したものはこれしかない。

一つだけ遺憾に思うことがある。それは、我々の中にお互いを深い絆で結ばれた兄弟同士であるという認識が足りないが故に、団結力を発揮できないでいるということだ。同胞たちよ、我々には長期的展望と、団結してそれに向かう行動力がいる。民族に恩ある人々や宗教、文化、慣習等を尊重すべきだ。雪国チベットの同胞たちよ、一致団結すべきだ。団結よ永久に。永久に永久に。

2012年9月28日、テンシェン刑務所にて

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2014年03月26日

ソク県でさらに6人の僧侶拘束 中国国旗を燃やし、管理事務所のドアに「チベット独立」と

image連行された僧侶の1人、読経師ツァンヤン・ギャンツォ。

チベット自治区内ディル県の北にあるソク県ではこのところ僧侶や一般人の拘束が相次いでいる。この数ヶ月間だけで20人近いチベット人が拘束されている。

チベット蜂起記念日である3月10日、ソク県のある橋のたもとにある巨石に「チベット独立」と赤字で書かれていた事件に関連し、13日にティド郷ティルダ僧院の若い僧2人が拘束されたが、その4日後、さらに同僧院僧侶4人が連行されたという。

17日の真夜中、ティルダ僧院の読経師である僧ツァンヤン・ギャンツォ、僧ツェワン、僧アツェ、僧ギェルツェンが僧房の僧院から警官により連行され、その後行方不明となった。

連行の理由は明らかにされていないが、先の巨石に「チベット文字」事件と関わりがあると思われている。

当局は地域の電話通信やネットを遮断し、至る所にチェックポストを設け厳しい警戒を続けているという。

中国国旗を燃やし、管理事務所のドアに「チベット独立」と

また、今月、同じくソク県にあるツェンデン僧院の僧侶2人が連行されている。14日、ツェンデン僧院内に掲げてあった中国国旗を下し、燃やし、また僧院内にある管理事務所のドアに「チベット独立」との文字を描いたとして、ソク県ヤクラ郷ヤンゲ村出身の僧ゲンドゥン・ダクパ(20)が逮捕された。

16日には、同じくツェンデン僧院僧侶チュイン・ケルデン(20)が連行された。彼は携帯を通じ中国政府を非難するメッセージを友人や僧院の指導者たちに送っていたとされる。

この2人の僧侶の行方も不明のままという。

ソク県では至る所で、チベット人の携帯に怪しい写真やメッセージが入っていないかを警官がチェックしているという。「疑われただけでも、その場で暴力を受けたり、連行されたりする」と現地のチベット人が報告する。

参照:3月24日付けTibet Timesチベット語版
3月24日付けRFAチベット語版


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2014年03月25日

3月16日、2人目の焼身者の氏名・生死判明

d2feca14-6980-4a1b-ae9e-a9bfd385ab44円弧内が僧ジグメ・テンジン。

先の16日にチベットで2人が焼身したと伝えられたが、24日になるまでツェコで焼身したという僧侶の氏名・生死は不明のままであった。

24日付けRFA等によれば、青海省黄南チベット族自治州ツェコ県ソナク郷にあるソナク僧院近くで16日に焼身した僧侶の名はジグメ・テンジン(འཇིགས་མེད་བསྟན་འཛིན།)、年齢29歳という。焼身を目撃した僧侶たちが、すぐに僧院内に彼を運び込んだが、間もなく彼は死亡した。そして、その日の内にすぐに葬儀が行われたという。

mmexport1395577970315冬のソナク僧院。

焼身を知って、当局は大勢の部隊をソナク僧院に送り込み、僧院を包囲した。また、ツェコ県内の情報網が遮断され、これにより情報が昨日まで伝わらなかった。僧院に入った部隊は大勢の僧侶を拘束したというが、間もなく大多数は解放された。しかし、未だ4人の僧侶が拘束されたままという。僧院の出入りは全面的に禁止されている。

僧ジグメ・テンジンはツェコ県ソナク郷ガクリク村(རྨ་ལྷོ་ཁུལ་རྩེ་ཁོག་རྫོང་སོ་ནག་ངག་རིགས་འཚོ་བ།)の出身。レゴン、ロンウォ僧院で10年間学んだ後、地元のソナク僧院に帰っていた。彼は非常に控えめな性格であり、菜食を続けていたという。

mmexport1395577981529夏場のソナク僧院。

ソナク僧院は1660年創建のゲルク派僧院。現在120人ほどの僧侶が所属している。

2009年以降、内地焼身者の数は129人。内死亡確認112人。外地の5人を加えれば134人。内115人死亡。

その他参照:25日付けTibet Timesチベット語版
23日付けཁ་བརྡ།

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2014年03月24日

拘留者・受刑者の家族を不安で苦しめるために場所を知らせないという中国

Kanlho_2008112年の刑を受けたリクジン・ツェリン。

マレーシア航空370便が失踪して2週間以上経つ。中国人家族の不安と苛立、ヒステリー症状を伝える映像が世界中に伝わっている。家族の安否が不明の間、残された家族の心労は少なくないということである。中国政府は機体捜索のため張り切って何機もの軍用機を派遣している。早急に発見されることを祈る。

以下は同じ中国の話しだ。3月21日付けTCHRD(チベット人権民主センター)リリースによれば、中国甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県で2008年の抗議デモに参加し、5〜12年の刑を受けた3人のチベット人の内、1人の居所が最近判明したが、残る2人の居所は家族が必死に捜索するも未だ不明という。

彼ら3人の消息が亡命側に伝えられたのもつい最近のことという。

「2008年3月18日、サンチュのチベット人たちはタクゴ(虎頭)山に集まり古代から伝わる祭礼の行事を行った。集まったチベット人たちはそこで、チベットの自由とダライ・ラマ法王帰還のために何かすべきだという決心をした。直ちにスローガンを叫びながら、山を下り、地区庁舎に向かって歩き始めた。デモ行進は当局により蹴散らされた」と現地ソースが伝える。

4月に入り、当局はこのときのデモ参加者逮捕し始めた。その中に今回12年の刑を受けていたことが判明したリクジン・ツェリン(རིག་འཛིན་ཚེ་རིང་།40)、5年の刑を受けたニンチャク・ギェル(སྙིང་ལྕགས་རྒྱལ།44)、7年の刑を受けたタシ・ツェリン(བཀྲ་ཤིས་ཚེ་རིང་།33)が含まれていた。その他、この時期どれほどのチベット人がこのデモに参加したために逮捕されたかは不明のままという。スローガンを叫びながら平和行進しただけで刑期12年は重過ぎると思われる。

逮捕後3人の消息は1年間不明のままであった。2009年4月になり、ツゥー市の裁判所が相次いで3人に刑期を言い渡したということが家族に知らされた。12年の刑を受けたリクジン・ツェリンがその後天水市の刑務所に収監されたということは判明しているが、その他ニンチャク・ギェルとタシ・ツェリンの行方は家族も知ることができないままという。

中国当局は政治犯に対し特に、拘束後その家族を苦しめるために居所を知らせないということを意図的に行う。その拘束期間というのは数ヶ月から1年以上に及ぶ。その間、尋問と拷問が繰り返される。残された家族はこのとき連行された家族がどのような目に遭わされているかをよく知っている。拷問の実体はチベット人みんなに知れ渡っている。政治犯の家族が心労で死亡したという話しを何度も聞いている。

刑期が決まるまで耐え抜くことができた政治犯はそれぞれの刑務所に送られる。刑務所にもよるが、どこも政治犯に対する待遇は最悪の部類と言われる。基本的には規定上、当局は家族に受益者の居場所を知らせ、1ヶ月に一度は家族と面会できることになっている。しかし、これは当局の気分次第でどうにでもされる、何年も家族との面会を許されない政治犯は少なくない。もっとも、今回のように刑期確定後5年も行方が知れないということは稀であり、安否が非常に心配される。

その他参照:3月22日付けTibet Timesチベット語版

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2014年03月23日

16日ンガバで焼身の僧ロプサン・パルデン 死亡

20140319001849-10739822日付けウーセル・ブログによれば、3月16日にンガバの勇者の道で焼身抗議を行い、病院に運び込まれていたンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・パルデン、23歳が5日後の21日午後1時半頃、死亡した。遺灰が家族に渡されたのか、葬儀が行われたのか等の情報は未だ伝わっていない。

彼の名前は最初ケチョク・パルデンと伝えられ、後にロプサン・パルデンと訂正された。年齢も最初20歳前後と言われていたが、ウーセルさんは23歳という。

彼は焼身する前に遺書を残していた(その日本語全訳はここ)。その中で、彼は中国人とも仲良くすべきこと、個人的利害より社会社会的利害を優先すべきことを説き、母親への感謝を綴っている。

同じ16日にツェコ県でも僧侶が焼身したという確認情報があるが、依然焼身者の名前等の詳細は伝わっていない。

ツェコの焼身を加えれば、2009年以降内地焼身者の数は129人。内死亡確認111人。外地の5人を加えれば134人。内114人死亡。

その他参照:23日付けphayul

僧ロプサン・パルデン焼身直後の付近の様子を写したビデオ



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2014年03月22日

骨と皮となり刑務所を出された政治犯 長い苦しみの末死亡

4256ee18-f71e-415f-984a-0da6dd30a68d「骨と皮に成り果て死を待つ政治犯が解放される」と先月末の当ブログで、マチュのゴシュル・ロプサン(སྒོ་ཤུལ་བློ་བཟང་།43)の状況を伝えた。その時点で彼は確かに生きていた。

今月21日付けTCHRD(チベット人権民主センター)リリースによれば、ゴシュル・ロプサンが3月19日の夜中、静かに息を引き取ったという。

「最後まで話すことができなかったが、ただ静かに両手を合わせて亡くなった」と現地から伝えられる。解放された後、4ヶ月以上床についたままだった。

2008年3月、甘粛省甘南チベット族自治州マチュ県ペルペン郷(རྨ་ཆུ་དབལ་པན།)で起った平和的抗議デモに参加したゴシュルはデモの煽動者とみなされ、その後、逮捕を逃れる逃亡生活を余儀なくされた。2年以上の逃亡生活の末2010年5月16日に発見、逮捕される。

1tortured_goshul写真1、2、自宅に引き取られた後のゴシュル・ロプサン。

逮捕後5ヶ月間、マチュ県の拘置所で尋問中激しい拷問を受けたと言われる。2010年10月中に12年の刑を受け、蘭州の刑務所に収監された。刑務所内でも拷問は続き、貧しい食事と共に彼は病み、衰弱して行った。刑務所側も何らかの治療を与えたらしいが、効果はなく、刑務所側はもう生きる望みは少ないと見なし、2013年10月27日に彼を家族の下に返した。

妻タレ(40)、息子イシェ(18)、娘ドルマ(15)が必死の介護を試みるも、最後まで話しをすることができず、食事もとることもできず、床に付したまま、衰弱し、死亡した。

その他参照:3月21日付けRFA英語版
同チベット語版

young_goshulゴシュル・ロプサン、逮捕以前、撮影日時不明。

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2014年03月20日

鉱山開発に抗議 2人拘束

4f531b68-028d-4758-a9b9-c48ef4a33b13甘粛省甘南チベット族自治州サンチュ県ホルツァン郷とツァユル郷の住民は数日前、地元で行われている鉱山開発に抗議するデモを行った。

ツァユル郷ゾジコクにあるこの鉱山では金をはじめ様々な鉱物の掘り出しが20年前から行われている。近年鉱山は拡張され、それに伴い、多くのチベット人が補償もなく強制退去させられたり、その他様々な困難に直面しているという。

これまでに何度も政府に陳情したが、まったく聞き入れられないというので、業を煮やした住民数百人が横断幕を掲げ鉱山開発の中止を訴えるデモを行った。

サンチュ県から何人かの役人が説明のためにやって来た。しかし、午後には2人のチベット人が拘束されたという。

参照:3月19日付けRFAチベット語版

チベット人たちにとって、中国人によるチベット内の鉱山開発は基本的に泥棒行為であり、聖なる自然を破壊する陵辱行為である。鉱山開発に反対するデモに対し、中国当局はこれを政治的行為と見なし、これまでに何度も発砲を行い、多くのチベット人が犠牲となっている。

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2014年03月19日

巨石の上に<チベット独立>と書いた容疑者として僧侶2人連行

image15日のブログで、先の3月10日蜂起記念日に、ソク県の橋のたもとにある巨石に「チベット独立」の文字が描かれていたということは報告した。RFA等によれば、その容疑者として2人の僧侶が連行されたという。

当局は今月13日、チベット自治区ソク県ティド郷にあるティルダ僧院の僧侶ロプサン・ダルギェ(བློ་བཟང་དར་རྒྱས།19)とルントク・ギェルツェン(ལུང་རྟོགས་རྒྱལ་མཚན།18)を僧院から連行した。

彼らはその日、僧院で必要なものを買うためにソクの街に送られた。しかし、その帰りが遅くなり過ぎたとして拘束され、数日前に岩の上に「チベット独立」という文字を書いた容疑者とされたそうだ。

15日、ティルダ僧院の本堂は銃を持った軍隊により囲まれた。事件があった鉄橋のたもとには警察がテントを張り、ティド郷には警察や軍の車両が20台到着し、厳重な警戒が続いているという。

人気歌手シェルテンの歌をスマホで送り合ったとして2人拘束

2月以来拘束者が続くソク県だが、今までに13人が拘束され、多くは行方不明のままという。

3月14日にはソク県ティル郷第二村のツェリン・サムペル(18)とダクパが拘束された。彼らが拘束された理由はチベットの人気歌手シェルテンの歌をスマホで送り合っていたからと言われる。

シェルテンの歌は曲により敏感なものもあるが、彼は今も拘束されず歌い続けている。

ペマ県で焼身に関係したとして僧侶1人拘束

7f897033昨年11月11日、ゴロ州ペマ県にあるアキョン僧院僧侶ツェリン・ギェルが焼身抗議を行い死亡している。当局はこれまでにも、少なからぬ人数のチベット人を彼の焼身に関わったとして拘束、尋問している。

RFA等によれば最近、新たにドガク・テンジンというアキョン僧院僧侶が連行されたという。

焼身事件の後、ペマ県では以前にも増し、部隊の数が増え、警戒が厳しくなっている。部隊は村々を巡回し、嫌がらせを続けているという。

アキョン僧院は、「勝手に宗教的行事を行わないこと。若者のためのチベット語講座を開かないこと。国外発信のニュースを聞かないこと」と命令された。

同じくペマ県で3月9日、あるレストランに突然武装警官が大勢押し入り、分けもなくそこにいた人々に激しい暴力を振い、椅子やテーブルを壊して立ち去ったという。

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2014年03月18日

ダライ・ラマ法王ジャータカ・ティーチング

26_5153月16日はチベット暦の1月15日にあたる。チベットのラサでは正月から15日間、600年前にジェ・ツォンカパが始められた大モンラム会という祈祷会が行われる習わしとなっている。中国の侵略により中止されていた時期もあったが、法王は亡命後すぐにこの大モンラム会を復活された。

2週間のモンラムの間、僧侶や尼僧はツクラカン本堂に集まり、朝から夕まで様々なお経を唱え続ける。これで、僧侶たちは非常に元気になるらしい。

この日はまた月に一度のソジョン(懺悔)の日であり、法王は朝6時半頃からツクラカンにお出になり、ソジョンを仕切られた。その後、8時過ぎにツクラカン前の広場に下りられた。

(写真はクリック拡大可)

26_545日本人はじめ外人とチベット人、インド人合わせ約5000人が参加。

まず最初にテンシュクという法王と皆の長寿を祈るという儀式が行われた。このテンシュクは一年に何度か、いろんな団体により行われるが、今回はカム、ツァワ地方が行った。仏の身口意を象徴する仏像、お経、チュテン(仏塔)をはじめ、穀物や花等多くの供養物が捧げられた。


26_519このテンシュクについて法王は「テンシュクの力が効果するには徳を積まなければならない。ラマの側も徳を積み、弟子の側も徳を積む。徳があれば、ことはその人の思うように進む。内外の障害も除くことができる。徳を積むに最上の手段は菩提心に瞑想(慣れ親しむ)することだ」と言われ、その後発菩提心の儀式が行われた。















26_526また、法王は三宝への帰依について、「仏教徒の帰依所は仏法僧だ。この中で本当の帰依所は仏でも僧でもなく、法である。仏はこの法を説いた人ということで帰依所だ。僧は法に従い、徐々に高い境地を現成していったという意味で、間違いのない友人だ。仏は法を説いた人、本来の帰依所は法、僧は修行を助ける友人と思い帰依すべきだ」と説かれた。

26_531最後にこのところ恒例となっている、ジャータカ(仏の前世譚)ティーチングがあった。

もっとも、この時、ツォと言われるお供え物がみんなに配られはじめて、会場がざわついた。法王はちょっと待てと言われ、「今日のツォは袋の中に包まれてるようだ。これじゃ中身が気に入ったものかどうか分からなくて、選べないな。ハハハハハ、、」。

26_527ジャータカの最後に「この前世譚により釈迦牟尼仏陀が修行時代に六波羅蜜を如何に行じられたかが分かる。自利の心を捨て、利他の心を最勝とみて、何世にも渡り努力し続けたことが知れる。仏の弟子である我々も仏の偉業を見本として励むべきだ」と話された。



26_556テンシュクの出番を待つツァワの人たち。











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26_536柵の中、前方が日本人席。












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<続報>ンガバの焼身者の遺書 16日の焼身はやはり2カ所で2人 内地129人 

Lobsang Palden river crop焼身した僧ロプサン・パルデン

16日ンガバで焼身した僧侶に関しダラムサラ・キルティ僧院がリリースを発表した。それによれば、焼身者の名前は当初伝えられたケチョク・パルデン(ペルデン)ではなくロプサン・パルデンであるという。もっともこれは法名であり、ケチョク・パルデンが幼名という可能性もある。年齢は20歳前後。ンガバ県メウルマ郷リチェン第3村アシェル家の息子。母の名はナムド、義父の名はシェラップ。幼少よりキルティ僧院に入り、勉学は最終段階に進んでいた。弟もキルティ僧院の僧侶という。

街の商店、飲食店は彼への連帯を示すためにすべて店を閉めた。ンガバの街中はいつもにも増し、制服、私服の警官で溢れているという。

目撃者によれば、ロプサン・パルデンは焼身しながら何かを叫んだというが、その内容は伝わっていない。部隊に連れ去られたあと、今どこに収容されているのか分からず、生死も依然不明のままである。

ロプサン・パルデンは焼身する直前に遺書と思われる言葉を、中国のソーシャルサイトの一つである微信上に残していた。この中で彼は中国人と仲良くすべきことを説いている。

以下、その全文日本語試訳:
父母兄弟をはじめ親戚の皆さんに話しておきたいことは次のようなことだ。民族同士仲良くし誠実に接することができればそれに越したことはない。他に対し怒りの心を起こせば、負けたことになる。他に対し心を尽くせば、勝ったことになる、ということは言うまでもない。

また、ことを為す時は、どのようなことであれ愚かならず、よく考えて行うことが大事だ。学ぶ人なら学びに集中し、親であるなら子供に助言を与え、商人であるなら相互利益をモットーとし、農牧畜民であるなら父母を介護すべきだ。

同様に、世界のすべての人々、その中でも特に隣人である中国人とは必ず仲良くすべきだ。なぜかというと、お互い仲良くし愛情を持ち合っていれば、それぞれ考え方の違いはあっても、話し合うことができるからだ。そうではなかろうか?

知るべきは、何を行うにせよ、みんなの利益と自分1人の利益を考えるとき、みんなの利益が優先するということである。(個人の)幸福の源はみんなの利益であるからだ。

父母、兄弟、叔父叔母たち、さらにすべての親戚の皆さん、私に愛情を注ぎ教え導いてくれた教師たち、同級生たちよ、皆さんの願いが叶うことを祈っている。あなた方の思いのすべてが利他となりますように。

母よ、あなたの愛に守られ私たちは育った。あなたの血と汗により私たちは若者となった。あなたは喜びを下さった。多くの布施を頂いた。あなたの愛により私たちは苦しむということがなかった。すべてを守って下さったあなたに感謝する。恩ある母よ、でも、本当のことをいうことができない。文章が下手なせいもあろう。とにかく、皆さんに謝りたい。

「パルデンあるいはラクグ・ケペル(གླག་རྒོད་མཁས་དཔལ།)。あるいはカルセ・ランル(དཀར་ཟས་རང་ལུགས།)。他にはハハハ、スクトゥン(སུག་ཐུང་། 短足というニックネームか?)より」敬心とともに。


ツォコ県の焼身を新華社が確認

16日中にンガバだけでなく、ツェコでも焼身があったらしいということは伝えられていたが、確認されていなかった。しかし、この件に関しては珍しく亡命側ではなく、国営新華社がネット上にニュースとして流した。それによれば、青海省黄南チベット族自治州ツェコ県チャダル郷にあるチャダル僧院(བྱ་དར་དགོན་པ། 夏徳寺)の僧侶1人が、16日早朝、僧院の傍で焼身したという。

AP通信がツェコ県の公安に連絡を入れると、公安は焼身の事実を認めたという。

もっとも、焼身のすぐ後、当局は厳しい情報管制を敷き、現地と連絡をとることができず、焼身者の氏名、生死その他の詳細は未だ伝わっていない。

16日の2人を加え、2009年以降のチベット内地焼身者の数は129人となった。外地の5人とあわせると134人となる。

参照:3月17日付けVOA
3月16日付けTibet Times
3月17日付けTibet Times
3月17日付けウーセル・ブログ

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僧ロプサン・パルデンの遺書原文。

Map_TsampaRevolution_20140316_EN_XXL_sans焼身発生地地図(Tsampa Revolution 制作)。














10003486_10152375667600337_1776308476_n井早智代さんが、16日に焼身した2人のチベット人僧侶に捧げられた絵。

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2014年03月16日

<速報>今日 2人焼身か? ンガバとツェコ

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焼身したケチョク・パルデン(ペルデン)。彼は遺書を残していた。

11114ンガバの焼身。僧侶と思われる人が炎に包まれながら走っている。後ろにはその姿に手を合わせるチベット人の姿が映っている。

Tibet Timesによれば、今日午前11時半頃、アムド、ンガバで一人の僧侶が焼身した。北京のウーセルさんによれば、この他ツェコ県でも僧侶が一人焼身したというが、こちらは現時点では確認されていない。ンガバの方は写真が伝わり、名前も分かっている。

ンガバのキルティ僧院近くの路上で、午前11時半頃キルティ僧院僧侶ケチョク・パルデン(ペルデン)(མཁས་མཆོག་དཔལ་ལྡན།)が抗議の焼身を行った。

部隊が駆けつけ、消火器で火を消し、病院に向かったという。その他の情報は未だ伝わっていない。

この他、北京のウーセルさんはFB上で、ツェコ県でも午前7時頃一人の僧侶が僧院内で焼身したと伝えられているが今のところ、他のソースでこの焼身を確認したところはない。

直前の焼身は2月13日、同じくンガバで25歳の元僧侶ロプサン・ドルジェが行っている。その前2月5日にはツェコ県で2児の父、29歳のパクモ・サムドゥプが焼身している。

22227同じくンガバの焼身。駆けつけた部隊が消火器を使い焼身者の火を消している。





















33335今日、3月16日はンガバにとって特別の日である。2008年3月16日、この日、デモ参加者に向かって部隊が無差別発砲を行い20人以上が死亡している。2011年のこの日にはキルティ僧院僧侶プンツォが焼身した。今日の一人を加え、この日ンガバで焼身したチベット人は4人となった。

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2014年03月15日

ソク県で続く連行・失踪 3・10の日、巨石に「チベット独立」の文字

相次ぐ連行・失踪

3月15日付けTibet Expressによれば、3月6日、チベット自治区ソク県ティド郷にあるティルダ僧院の僧ケルサン・ツルティムと僧トゥプテン・ペルデン、されにドワ村のノルブ・ドゥンドゥップ、モンラム・ギャンツォ、ツェリン・タルパを合わせ5人が当局に連行された。

彼らが連行された原因は、彼らがチベット問題に関係する写真や文章をお互いに送り合っていたからという。彼らが今、どこにいるのかは分かっていない。

彼らの内、僧ケルサン・ツルティムは2012年5月にも拘束され、その後1年の刑を受け、ラサのトゥルン刑務所に服役していたことがある。

他、先月2月3日に同じくソク県ティド郷で若者6人が連行された。その内の4人はその後解放されたが、彼らはその後、毎日公安に出頭することを義務づけられたという。残る2人のアサンとマルゴンの家族は彼らがどこに拘置されているのかを捜しているが、未だ不明という。

先月2月4日には同じ地区にあるドワ・シャルツァ僧院の僧侶4人を当局が連行したが、彼らもその後行方不明となっている。

3・10蜂起記念日に巨石に「チベット独立」と文字が

チベット蜂起記念日である3月10日に、同じくソク県ティド郷で、鉄橋のたもとにある巨大な岩に赤い字で「チベット独立 བོད་རང་བཙན་ཡིན།」と書かれているのが発見された。

当局は直ちに、軍車両20台と80人ほどの警官を怒り込み、検問所を作り、すべての通行人をチェックし、暴力を含む嫌がらせを行っているという。

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