2014年04月

2014年04月30日

ペマ県:2つの郷合わせ54人連行 僧院と村々で愛国再教育

23e11ca6-4f2a-4658-b82d-b830d4f1be5bペマ県内の装甲車(写真今年4月 RFAより)。

今月20日と22日に中国当局は青海省ゴロ州ペマ県にある2つの郷から若者を中心に54人を連行した。彼らは今も拘束されたままという。

4月29日付けRFAチベット語版によれば、ペマ県では最近突然当局による弾圧が始まったという。4月22日、ペマ県ディンダ郷では28人のチベット人が連行された。地区には大勢の武装警官隊と軍隊が配備され、チベット人の動向を日夜監視しているという。

また、地区の僧院と村々には役人が大勢現れ、愛国教育集会を開いているという。集会では「分裂主義者」と闘うことが強調され、「中国共産党のお陰でチベット人はみんな幸福に暮らしている」という嘘が毎回繰り返えされていると現地の人は伝える。

役人たちは、もしも「おとなしく共産党の命令を尊重し、指示に従ってさえいれば、来年から補助金を増やそう」とも持ちかけているという。

同じペマ県にあるチャクリ郷では4月20日、26人のチベット人が連行された。地元の人々によれば、「今回連行された若者たちは全員何の罪も犯していない。まじめな青年ばかりだ」という。


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2014年04月29日

ジェクンドでチベット人経営のレンガ工場数棟が当局により取り壊される

8bfe8258-46b3-4ecd-8078-8bb049f0165bジェクンドで大地震後政府により建てられた住居。

4年前の2010年4月14日に大地震に見舞われ、数千人〜1万人の犠牲者が出たジェクンド(ユシュ、ケグド、玉樹)では、住民の意思・利害を全く無視した、救援金を使った新観光都市計画が急ピッチで進められている。レンガの需要が急に増え、付近にはチベット人や移民してきた漢人が経営するレンガ工場が沢山できたという。

そんな中、4月20日、突然チベット人経営のレンガ工場にブルドーザーと警官が現れ、高炉はもちろんのことテントを燃やされ、携帯を没収され、事務所も完全に壊したという。この日このような目にあったチベット人レンガ工場の数は5、6カ所に上ったという。壊されたのはチベット人経営の工場ばかりであり、漢人経営の工場は全く壊されなかったという。壊される時、これに抵抗したチベット人は暴力を受け、負傷したという。

この事件について現地からニマというチベット人がRFAに報告している。彼は「漢人レンガ工場オーナーたちはチベット人同業者との競争を無くすために、5万元払って当局を買収したと信じられている」という。

3月中にも当局はジェクンドに近いカルダと呼ばれる遊牧民地帯で住民が共同で作った共同商店を取り壊した。商品等を救おうとしたものたちは殴り倒されたという。

「チベット人が計画する言語学校、商店、飲食店の許可はおりないのに、漢族移民の商売は何でもすぐに許可される」とチベット人たちはこぼす。「ここでは当局による明らかな差別が存在する。漢族移民は優遇され、チベット人は冷遇される」とニマはいう。



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2014年04月28日

ンガバ:「国際母語デー」に行われようとしていたチベット語コンテストに中止命令

70c6da5e-ffd1-4353-aa86-a0cb3a063a8d2013年にケンロ、マチュ県に張り出された「国際母語デー」を広報する張り紙。

「国際母語デー」とは、言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてあらゆる母語の尊重の推進を目的として、ユネスコが1999年に制定した、国際デーのひとつである。毎年2月21日がその日とされる。

チベットのンガバでその時起こったことが2ヶ月ほど経ってやっと海外に伝えられた。

4月22日付けRFAによれば、アムド、ンガバ州ズンチュ県ムゲ・ノルワ郷(རྔ་བ་ཁུལ་ཟུང་ཆུ་རྫོང་དམུ་དགེ་ནོར་བ།)では、この「国際母語デー」に合わせ、「純粋(漢語を混ぜない)チベット語コンテスト」と呼ばれるイベントを開催することを決定し、広報し、準備を進めていた。しかし、準備もすべて終わった段階で、このイベントの責任者であった、ロトゥ・ギェルツェンと医師であるティメが当局により呼び出された。

「彼らはイベントを中止するよう命令された。『政治的意図が感じられる』というのがその理由という」と現地のチベット人は伝え、さらに「彼らは『母語』というと政治的な意味を含む」といい、「もしも、命令に逆らってイベントを開催するなら、必ず逮捕されよう」と脅したという。

イベントが中止されたことに対し現地のチベット人の1人は「最近では世界中でそれぞれの母語を守ろうと『国際母語デー』というイベントが行われている。それなのに、チベットでは自分たちの母語さえ守ることが許されない。本当に悲しいことだ」と語る。

地区にあるムゲ・タシ・コルロ僧院には2008年以降、僧院内に警察の分室が設置され、今では20人ほどの警官が常住し、僧院だけでなく、付近のチベット人すべての動向を日々チェックしているという。

中国当局が私設のチベット語教室を閉鎖させたり、この種のコンテストを中止させるということは珍しい事ではない。チベット人アイデンティティーを高める恐れのある教室やイベントはすべて政治的と見なされるのだ。漢化・同化政策を邪魔する活動であるからだ。

この種のイベントは最近カム、アムドの各地で行われている。それだけ、漢語まじりのチベット語(セケと呼ばれる)を話す人が増えているということであろう。実際今では、漢語を混ぜずに話すことはもう不可能に近いのかもしれない。





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2014年04月27日

ンガバで僧侶一人抗議デモ 鉢巻きにチベット国旗・頭上にダライ・ラマ法王

IMG_9025僧ロプサン・テンパ。

昨日4月26日、現地時間午後2時半頃、アムド・ンガバ(四川省アバ・チャン自治州ンガバ県ンガバ)の中心街でンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・テンパ(བློ་བཟང་བསྟན་པ།)、19歳が額に雪山獅子旗(チベット国旗)を描いた布を巻き、頭上にダライ・ラマ法王の写真を掲げ、中国政府のチベット弾圧に抗議するデモを行った。

数分後には、普段より厳しい警戒を行っている部隊が彼を取り押さえ、連行したという。その後、彼がどうなったか、デモの最中彼が何を叫んだかについては未だ伝わっていない。

IMG_9024頭上に法王の写真を掲げンガバの路上を進む僧ロプサン・テンパ。

僧ロプサン・テンパはンガバ県メウルマ郷第二村の出身。父の名はダクチュン、母の名はドルマ・チュコ。兄が二人いて、何れも僧侶。上の兄は南インドのデブン僧院で勉学中、もう1人の兄はンガバ・キルティ僧院僧侶。彼は幼少時にンガバ・キルティ僧院の僧侶となり、現在第9学年という。

もっとも頻繁に焼身抗議が発生するンガバでは、今も街中に武装警官隊、特殊警察隊、軍隊が大勢配備され、様々な武器を見せびらかしながらチベット人たちを常時威嚇し続けているという。

今年に入ってもンガバではすでに2人が焼身している。2月13日には元ンガバ・キルティ僧院僧侶のロプサン・ドルジェ、25歳が、3月16日にはンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・パルデン、20歳が、何れもキルティ僧院近くの「勇者の道」の上で焼身、死亡している。

参照:ダラムサラ・キルティ僧院リリース
4月26日付けTibet Timesチベット語版
4月26日付けphayul

10322844_10152171252319818_6989950881618907413_n彼が拘束され、警察車両に押し込まれたところと思われる。

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2014年04月26日

ペユル:鉱山開発に抗議した4人拘束 山に逃亡多数

080d3687-50fc-46f7-b5f4-b030eb78196f写真左上トゥプガ、右上キャモ、左下ガデ、右下ジャミヤン。

四川省カンゼ州ペユル県では2007年より主に金を採掘する鉱山開発が始まった。このために地元のチベット人は強制的或はわずかな補償金で移住を強要されたり、その上環境悪化による被害を受け続けている。

2010年8月には鉱山開発の中止を求め政府庁舎の前で座り込みをしていたチベット人約100人を当局が強制排除しようとした。この時治安部隊はチベット人に向かって無差別発砲を行い、3人或は4人が被弾死亡し約30人が負傷するという事件があった。

今年に入り、再び政府と結託した鉱山会社が鉱山を拡張するためにチベット人の土地を強引に買収しようとした。これに反発したチベット人は2月終わりにトムタル鉱山で抗議デモを行った。この時、役人が来て「デモに参加したものは厳しい結果を味わうだろう」と脅したという。これを聞き、多くのデモ参加者が山に逃げたという。

彼らは1ヶ月ほど山に籠ったのち、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らいそれぞれ家に帰った。そして、今月21日、このデモの首謀者と見なされたジャミヤン、トゥプガ、キャモ、ガデの4人が拘束された。トゥプガとキャモはドコと呼ばれる場所で拘束され、ガデは自宅で、ジャミヤンはガルツァンと呼ばれる鉱山で拘束されたという。

現地からの報告によれば、その後、地区への警戒が厳しくなり、チベット人をむやみやたらと尋問したり、拘束しようとしているという。4月23日にはグロと呼ばれるチベット人女性が警官から理由もなく激しい暴力を受けた。

デモに参加したものたちの中には拘束を恐れ、再び山に逃げたものもいるという。

参照:4月24日付けRFA英語版
同チベット語版
4月25日付けTibet Timesチベット語版

チベットでは昔からミラレパを始め多くの修行者が瞑想のために山に籠ったものだ。今では罪もない人々が当局の逮捕を逃れるために大勢山に隠っている。

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2014年04月25日

11世パンチェン・ラマ<世界最年少政治犯ニマ少年> 25歳の誕生日

_DSC1370_050今日、4月25日はチベット第二位のラマ、チベットの月と喩えられる11世パンチェン・ラマのお誕生日ということで、ダラムサラほか世界各地のチベットコミュニティーでこの日が祝われた。一般的には誕生日ということで祝うべき日であるが、11世パンチェン・ラマ・ゲンドゥン・チュキ・ニマは、ダライ・ラマ法王が先代パンチェン・ラマの転生者であると正式に発表した直後、1995年5月17日に家族と一緒に当局により拉致され、その後今になるまで、生死不明、行方不明のままであるということで、チベット人にとっては悲しい日でもあるのだ。

_DSC1359_027宗教を否定する唯物論者であるはずの中国共産党は、独自に選んだ一人の子供ゲルツェン・ノルブをこれが本物の11世パンチェン・ラマであると宣伝した。彼は今、中国の仏教界を代表する一人という地位を与えられている。しかし、残念ながら普通のチベット人は彼を「偽パンチェン」と呼ぶだけである。


_DSC1590_046中国共産党は最初から偽パンチェンを政治的に利用するために選び、育て上げたのだ。伝統的にチベットではこのダライ・ラマとパンチェン・ラマはどちらかが遷化した時には、お互いに先代の転生者を探し出し、認定するという役割を持つ。いつか将来、中国側の15世ダライ・ラマを彼が最終承認するというわけだ。もちろん、チベット人に取っても偽が選んだ子供が本物という道理は通じないので、偽ダライ(ラマ)が生まれることになってしまう。


_DSC1415_031嘘・偽は共産党の伝統だから、彼らに取っては当たり前である。6歳の時消え去った、チベット人が本物と認めるゲンドゥン・チュキ・ニマ少年の消息について、最近では当局は「彼はチベットのどこかで静かに暮らしている。うるさくされるのがいやだから、居所は知らせないでほしいと言われている」と適当なことを言ってる。作り話を平気で語るのも共産党の伝統である。

「生きているなら19年間、まったく消息がないということはおかしいのではないか、とっくに共産党により消されたのではないか?」と彼はもういないと思うチベット人も出始めている。

_DSC1474_034去年中に「ニマ少年の両親は以前の家で軟禁されている。常時部隊により監視されている」という情報がまことしやかに流れたことがあるが、これも確認されたわけではない。






_DSC1500_036式典ではまず、ドラマスクールの楽隊がチベット国歌を歌い、その後チベットのために犠牲になった人々のための黙祷。その後、3人がスピーチ。首相と議会議長は南インドのパンチェン・ラマの僧院タシルンポで行われる式典に出席するために出かけており、それぞれ代理の宗教大臣と副議長がこの日の首相声明と議会声明を読み上げた。
センゲ首相の声明全文(英語)は>ここへ。

_DSC1521_037

その他、興味深いビデオ(何れもチベット語)として、ダライ・ラマ法王がニマ少年を如何に選び出したかについて語られているものがここにある。20〜30人の候補者の中から2度の占いにより最後は確信を持ってニマ少年を選んだという。

もう一つ、パンチェン・ラマが1986年のモンラム祭のおりスピーチした時のビデオがある。この中で10世パンチェン・ラマは「ダライ・ラマと自分は法友であり、お互いの間にわだかまりはまったくない。.......ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになることを願っている。」と話す。10世パンチェン・ラマは中国に侵略されたあと、チベットに残り続け、チベット人を助けるために最善を尽くした。1962年5月、24歳の時、毛沢東始めとする共産党指導部に向け「七万言上書」と呼ばれる、報告書を提出した。この中で、彼は中国によるチベット支配の性格を述べ、被害の全体像を明らかにし、チベット人の苦しみについて語った。その後10年刑務所、4年自宅監禁されている。

_DSC1526_0421989年、再びチベットで共産党を非難するスピーチを行ったすぐ後、自身の僧院であるシガツェのタシルンポ僧院で急死した。多くのチベット人は共産党により毒殺されたと信じている。






_DSC1565_040写真は今日の式典とその後の歌と踊り。











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_DSC1586_045日本代表のラクパ・ツォコさんも参加されていた。彼の右手は現オーストラリア代表のソナム・ノルブ・ダクポさん。ツォコさんが6月からオーストラリア代表に就任し、ソナムさんはダラムサラの本部に帰られる。





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2014年04月24日

焼身者の母親に金をちらつかせ嘘の証言を強要

image今月15日に、カム、タウでティンレー・ナムギェル(32)が焼身抗議を行い、死亡した後、当局は彼の母親や兄を何度も呼び出し、焼身の動機に関する「当局の用意した書面」にサインを強要した。「サインしたら金をやろう」と持ちかけたとも言われる。

4月23日付けRFAによれば、4月15日にティンレー・ナムギェルがタウのカンサル郷で焼身した後、遺体はまずチベット人たちによりゴンタル僧院に運び込まれ、その後家族が遺体を引き取った。すぐに部隊が家族の下に現れ、尋問した後、家を包囲した。そして、家族にはできるだけ早く葬儀を行うよう命令した。葬儀は17日に地元で行われたという。


その日のうちに焼身の写真を流したとして連行されたリクチュンは最初ティンレー・ナムギェルの弟と言われていたが、その後従兄弟と判明した。彼は2日後に一旦解放されたが、その後再び拘束されたという。

タウの警察はティンレー・ナムギェルの母親(父親はすでに他界)であるペルラをこれまでに2度タウの警察署に呼び出し尋問を行ったという。

「写真を撮られるときに、母親はそれを拒否した」とある現地の人が伝える。また、警官の「なぜ息子は焼身したのか?」との問いに対し、母親は「チベットのために焼身したのだ」と答えたという。

これに対し、警察側は「他の言い方にしたほうがいい」と提案し、「もしも、警察側が用意するティンレー・ナムギェルの焼身の動機に関する書面にサインするなら金渡す用意もあるが」と脅しながら言ったという。

同様にティンレーの実兄であるジャミヤン・ツェペルもタウの警察に何度も呼び出され、焼身の理由を聞かれた。これに対し兄も「チベットの自由のために焼身したのだ」といい、「自分たちの家に経済的困難はなにもない。焼身したティンレー・ナムギェルは家の末っ子で家族から寵愛を受けて育った。彼は普段からチベット人の運命に対し関心が強く、常に政府の弾圧が厳しく、チベット人に自由がなく、すべて管理されていると言っていた」とはっきり答えたという。

焼身事件後、カンサル郷には大勢の部隊が現れ、厳戒態勢が引かれている。電話やネットが遮断され、ゴンタル僧院は包囲され、僧院の高僧であるトゥルク・ジグメ・テンジンは当局から警告と脅迫を受けたという。また、ティンレーの家族の家の周りに住むチベット人たちにも警察が何度も尋問に訪れ、暴力も振るわれているという。

従兄弟のリクチュンと共に焼身を目撃し遺体を僧院まで届けたという他の2人の僧侶は、当局の呼び出しを受け山に逃亡したという。彼らの家族も厳しい尋問を受けたと伝えられる。

参照:4月23日付けRFA中国語版
同英語版

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2014年04月22日

亡命側に布施を行ったとしてチャムドの高僧他7人の僧侶連行

imageチベット自治区に組み入れられているが、自治区の東端のチャムド地区と北のナンチェン地区は元々チベット的にはカム地方であり、同じ自治区内でもウツァンの人とは気質も違う。自治区内ではこの2地区が当局のチベット人弾圧の標的となっている。弾圧が厳しければ当然人々の反発心も強くなる。

もっとも、地元のチベット人たちが過激な抗議を行っているわけではない、その多くはダライ・ラマ法王の写真を個人的に僧坊や携帯の中に保持していたとか、法王の法話のCDを持っていたとか、当局が政治的ということがらについて携帯でメッセージを送り合ったとかで拘束されるのである。こんな些細なことでも中国では大変な拷問と刑を覚悟しなければならないことなのだ。

今回再びチャムドの高僧が拘束されたが、その罪とは先の3月16日にダラムサラで行われた「ダライ・ラマ法王長寿祈願法要」のために布施を送ったというものである。

今年3月末、チベット自治区チャムド地区パシュ県ツァワ郷にあるパシュ僧院(ཆབ་མདོ་ས་ཁུལ་ཚ་བ་དཔའ་ཤོད་དགོན་བསམ་གྲུབ་བདེ་ཆེན་གླིང་།)に突然警官が押し掛け、僧院のラマであるスパ・ロプサン・テンペル(通称ラマ・テンジンབླ་མ་བཟོད་པ་བློ་བཟང་བསྟན་འཕེལ་ལམ་ཡོངས་གྲགས་སུ་བླ་མ་བསྟན་འཛིན།)と他7人の僧侶を連行した。

この僧院ではこれに先立つ3月16日、亡命側で行われた法王の長寿を祈る法要に合わせ、地区の人々も大勢集まり「ダライ・ラマ法王長寿祈願法要」を行った。このときラマ・テンジンも布施を行い、同席していたという。

その他、僧院と縁のあるクンデリン・タクツァ・リンポチェ(ཀུན་བདེ་གླིང་སྟག་ཚག་རིན་པོ་ཆེ།)がインドでゲシェ・ラランパの試験を受けた時、他の僧侶たちと一緒に同じく布施を送ったとされる。

ラマ・テンジンが拘束される前に、警官はラマの僧坊を捜査し、パソコンや領収書を押収していたという情報もある。

彼らの内1人はすでに解放されたというが、彼の容態やラマ・テンジンを含めその他7人の行方は不明のままという。

d7473339-adf7-4e2d-8f7c-76f591837a55このパシュ県では3月4日にも、高僧ロプサン・チュジョルが拘束されている。拘束の原因は携帯を通じ政治的に敏感な情報を送ったことであると言われている。

チャムドでは3月1日に僧侶が拷問死している。チャムド地区にあるウォンパ僧院僧侶タシ・ペルジョルは僧坊から、亡命政府首相であるロプサン・センゲのスピーチが入ったCDとダライ・ラマ法王の著書が見つかったとして2月28日に連行された。

その翌日、明らかに拷問の結果と思われる危篤状態に陥った状態で家族に引き渡された。家族が病院に急送する途中、僧タシ・ペルジョルは死亡した。

当局は毎日、チベット人たちに対し、計り知れない暴力を振るっている。

参照:4月21日付けRFA英語版
同チベット語版


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2014年04月19日

ケンポ・カルツェとも親交深いチャムドの高僧が拘束される

6f0ae8a3-4c05-422b-ae4c-5fcab4489c75ケンポ・ケドゥプ。

中国当局はチベット自治区チャムド地区でチベット人僧俗から篤い信頼を得ているケンポ・ケドゥプ(40)を拘束した。ケンポとは尊称であり、学位を得た高僧または僧院長を意味する。

今月13日、ケンポ・ケドゥプがラサの仏教学院で開かれる会議に出席するため、チャムド県メンダ・ツォシュ郷にあるポヤク僧院を出発しようとしていたとき、突然警官により拘束された。ただ、彼が拘束されたのはラサであるという情報もある。現在、彼はチャムドの拘置所に収監されているという。

彼が拘束された後、ポヤク僧院にある彼の僧坊が捜査され、パソコン等が持ち去られた。警官は僧院の僧侶や地区のチベット人たちに対し「ケンポは刑務所内で祈祷を行うために出かけたのだ」と、明らかな嘘をついたという。

2012年ロサ(チベット暦新年)に、この地区で「チベットのために犠牲になった人々を弔うための法要」が行われた後、彼は当局の監視対象となっていたという。2013年には1ヶ月間拘束され、尋問を受けたことがある。

ケンポ・ケドゥプは人々からチャムド・ケドゥプと呼び慣らわされ、篤い信頼を受けていた。また、4ヶ月前に拘束され、今も同じチャムドの拘置所に収監されているナンチェンの高僧ケンポ・カルツェとも親交が深く、ジェクンド大地震の直後、共に救援活動を積極的に行った仲間であった。今回の拘束もケンポ・カルツェと何らかのつながりがあるかもしれないと推測する人もいる。

何れにせよ、彼の拘束はそれぞれの地域で影響力のある高僧を虐めるという当局の方針の一環と思われる。

この情報を伝えた在インドのクンサン・テンジンの下に現地から届けられたという手紙にはこの他、以下の報告が記されていた。

2012年に入り、チャムド地区チャムド県メンダ・ツォシュ郷で政治的ビラが撒かれるという事件があった。その後、その年の3月12日には郷に警官と役人大勢が現れ、集会を開き「ダライ・ラマ法王を非難し、共産党を讃える書面」にそれぞれがサインすることを強要した。

同じ日に、その年のロサに地区で「チベットのために犠牲となった人々を弔う法要を行った」としてメンダ僧院の教師ジャミヤン・イシェと僧ドゥプギュを拘束した。その際僧院が捜査され、僧ケルサン・ツェリンのお経の角に「チベットに自由を」と書かれていたとして彼も拘束された。

さらに、僧院には30人の僧侶しか所属してはいけないとして、40人の僧侶を強制的に還俗させた。これにより僧院の教学部は閉鎖に追い込まれた。その他、この地区が当局から様々な脅迫や嫌がらせを受け続けていると書かれていた。

参照:4月16日付けRFA英語版
4月17日付け同チベット語版
4月17日付けTibet Timesチベット語版
4月17日付けphayul
4月19日付けウーセル・ブログ


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2014年04月18日

ゴロ州ペマ県:年少僧侶用の学校が閉鎖され、「連帯協会」が解散させられ、農地が取り上げられる

wwwwww_021閉鎖された学校。

青海省ゴロ州ペマ県ディンダ郷(མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན་མགོ་ལོག་ཁུལ་པདྨ་རྫོང་ངྷི་མདའ།)にある僧院付属の学校が当局により強制的に閉鎖された。「慈愛利他学校༼བྱམས་བརྩེའི་ཕན་བདེ་སློབ་གྲྭ༽」と名付けられたこの学校はディンダ僧院が運営する私設の学校であり、生徒はすべて年少の僧侶で70人ほどが学んでいた。今月10日頃、当局はこの学校の閉鎖を強要し、生徒は地元の普通学校に送られることになった。

これに対し、僧院や生徒の親たちは「生徒はすべて僧侶の戒を受けたものばかりであり、彼らが男女共学の普通学校に通うことになれば、戒律を守ることに支障をきたす恐れがある」と危惧しているという。

さらに、これまで学費はディンダ僧院が負担し、無料であったが、これから普通の学校に通うことになれば、親たちが学費を負担しなければならなくなり、貧しい家庭にとって負担が大きいともいう。

他、ディンダ郷には「連帯協会」というチベットの文化・言語・アイデンティティーを守るための協会があったが、当局はこれを強制的に解散させたという。

さらに、環境保全の名の下に、当局は地域の農地を森林に替えるという政策を発表し、強制的に農地を取り上げているという。農地を取り上げられたチベット人たちに補償金が支払われたかどうかは不明である。

参照:4月15日付けRFA英語版
4月18日付けTibet Timesチベット語版

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<続報>タウで焼身したティンレー・ナムギェルの弟が拘束される

_DSC1294_017<写真>ティンレー・ナムギェルを弔うダラムサラ・ヴィジルより。

ダラムサラ在住、タウ出身の元政治犯ロプサン・ジンバが@ルンタに伝えたところによれば、4月15日、タウ県カンサル郷で焼身したティンレー・ナムギェルは焼身当日の朝、タウの街に出て、タウでかつて僧ツェワン・ノルブと尼僧パルデン・チュツォが焼身した場所付近を散策し、そこで焼身しようとしていたらしいという。しかし、その付近は警戒が厳しく焼身は無理だと判断し、カンサル郷に帰りそこで焼身したという。

彼は焼身の数日前から友人たちに「チベットのために焼身することは意味のあることだろうか?」と問い質していたという。

彼の焼身に最初に気づいたのは、付近で小さな店を営んでいた彼の弟とそこにいた僧侶だ。弟は最初誰かが焼身し、炎があがるのを目撃したとき、それが自分の兄だとは気づいていなかった。駆けつけて初めてそれが兄のティンレー・ナムギェルであることに気づいた。しかし、もうそのときには大きな炎に包まれ助かる望みはなかったという。

その後、遺体は近くのゴンタル僧院に運び込まれ、法要が営まれた後、家族の下に引き取られた。警察は家に来たが、遺体が奪われることはなかった。今日、明日中にもタウのニンツォ僧院の火葬場で荼毘に付されるであろうとのことだ。

当局はティンレー・ナムギェルの衝撃的な焼身の写真を海外に送ったのは彼の弟であるリクチュンであると決めつけ、15日中に彼を拘束した。

追記(4月21日)彼の葬儀は20日にタウのニンツォ僧院で行われる手はずになっていたが、当局が17日の真夜中にカンサル郷で強制的に行わせた。

家族の下に警官と役人が現れ、「なぜティンレー・ナムギェルは焼身したのか?」と問い質した時、家族は「自分たちに自由を与えないから、彼が焼身したのだ」と答えたという。

10154033_10152436466960337_6296467035127587099_n井早智代さんがティンレー・ナムギェルに捧げられた絵。














_DSC1240_009ヴィジルの際、ティンレー・ナムギェルの焼身の情報を伝えるロプサン・ジンバ。

彼は最近のタウの状況について、スパイが小さな村にも送られ、すべてのチベット人の思想傾向、日々の動向がチェックされているという。

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2014年04月17日

焼身者リスト最新版:2014年4月17日更新 2009年以降 内外合わせ135人 内死亡113人

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内地焼身者129人の顔写真、VOT Gurbum Gyalo製作(間近の焼身者、僧ティンレー・ナムギェルは含まれていない)。

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内地焼身抗議・主な抗議活動発生地地図(2014年4月15日付け、Tsampa Revolution 制作)。


内外合わせ135人(2014年4月17日現在)の焼身者氏名、その他焼身状況概略

それぞれの焼身者の写真等、より詳しい情報は付記されたURL(ここへ)にアクセスすることにより、当ブログの各過去ブログで確認できる。番号は外地を合わせた発生順。

2009年2月27日のタペーから2012年9月末までの焼身者についてはここ

2012年10月以降、2013年12月16日まではここへ。

その他、2013年7月20日に焼身した僧クンチョク・ソナムまでの詳しい情報と、チベット人焼身全体に関する解説はネット本「太陽をとりもどすために チベットの焼身抗議」を参照して頂きたい。

以下、2013年12月17日以降、2014年4月17日現在まで。

129)ツルティム・ギャンツォ:43歳、アムチョク僧院僧侶、死亡。
2013年12月19日、アムド、(甘粛省甘南チベット族自治州)サンチュ県アムチョク鎮の路上で焼身、その場で死亡した。
彼は遺書を残している。詳しくはここここへ。

130)パクモ・サムドップ:27歳/29歳、在家行者、2児の父、死亡。
2014年2月5日、アムド、ツォロ(青海省黄南チベット族自治州)レゴン地区ツェコク県ドカルモ郷にある第二ペンチェン学校前で焼身、その場で死亡。詳しくはここここへ。

131)ロプサン・ドルジェ:25歳、元キルティ僧院僧侶、死亡。
2014年2月13日、ンガバ州ンガバ県ンガバ、キルティ僧院近くにある「勇者の道」で焼身。3日後病院で死亡。詳しくはここここここへ。

132)ジグメ・テンジン:ソナ僧院僧侶、死亡。
2014年3月16日、アムド、ツェコ県チャダル郷にあるソナ僧院(夏徳寺)の僧侶1人が、16日早朝、僧院本堂前で焼身した。駆けつけた僧侶たちが火を消し僧院内に運び込んだが、間もなくして死亡と。詳しくはここへ。

133)ロプサン・バルデン:20歳、ンガバ・キルティ僧院僧侶、生死不明。
2014年3月16日、アムド、ンガバ、キルティ僧院近くの「勇者の道」で焼身。部隊に連れ去られその後の消息は不明。
彼は遺書を残している。詳しくはここここへ。

134)ドルマ:31歳、尼僧、生死不明。
2014年3月29日、カム、バタン(四川省カンゼチベット族自治州巴塘)、バ・チュデ僧院の右繞道で焼身。部隊に連れ去られ、その後の消息は不明。詳しくはここここへ。

135)ティンレー・ナムギェル:32歳、死亡。
2014年4月15日、カム、タウ県(四川省カンゼチベット族自治州道孚県)カンサル郷で焼身、その場で死亡。詳しくはここへ。

2014年4月17日現在、このリストでは2009年以降、内外合わせた焼身者は135人ということになる。しかし、ICT(International Campaign for Tibet)は、2013年3月末または4月初めにジェクンドで土地強制収容に抗議しチベット人女性が1人焼身したという情報を確実とし、焼身者の1人に加えている。これを受けRFAも彼女を焼身者の内に入れている。なお、亡命政府やウーセルさんはこの女性を加えていない。

この女性を加えるならば、現時点での内地焼身者の数は131人、外地焼身者は5人、合わせて136人となる。

この内、死亡が確認されているのは内地111人、外地3人、合わせて114人である。

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2014年04月16日

ウーセル・ブログ「ジェクンド地震で救援活動を指導した高僧カルマ・ツェワン師が逮捕されて既に4ヶ月余り」

2日前の4月14日はジェクンド(ユシュ、ケグド、玉樹)大地震4周年記念日であった。犠牲者の数は当局発表で3千人弱、現地のチベット人は1万人以上という。北京在住の作家ウーセルさんは4月14日付けのブログで、現在チャムドで拘束されているナンチェンの高僧ケンポ・カルツェが、この大地震発生後すぐに現場に駆けつけ、いかに同胞を助けるために奔走したかについて多くの写真とともに語られている。

彼が拘束されすでに4ヶ月が経ち、劣悪な拘置所の中で健康を損ねていると伝えらるる彼を解放せよという声が世界中で高まっている。最近カナダの議会でも議員の一人が彼の解放のためにカナダ政府が中国に圧力をかけるべきだと発言している。

大地震後すぐに現地に駆けつけ多くのチベット人を救ったのはチベットの僧侶たちであった。しかし、遅れてやってきた中国の救助隊は、彼らを追い出し、すべての手柄は中国政府が行ったものだという演出を行った。

中国当局は巨額の募金を集めながら、それを被災者のために使わず、街を全く新たな中国の都市に生まれ変わらせるために使っている。そのために多くのチベット人の土地が強制的に取り上げられた。これに抗議するため、これまでに2人のチベット人女性が焼身している。

原文:领导玉树地震救援的高僧尕玛才旺被捕已经四个多月
翻訳:M女史

ジェクンド地震で救援活動を指導した高僧カルマ・ツェワン師が逮捕されて既に4ヶ月余り

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今日、4月14日は、玉樹(チベット語でジェグ)地震4周年の記念日である。

4年前、無数の家屋が壊滅し、無数の生命が喪われた。すぐさま、チベット全土の各地から4万人を超す僧侶が救援に駆けつけた。まさに、あるチベット人ボランティアが現場からの返信でこう語ったように。「……ジェグの救援活動の中で、見る者にとめどない涙を流させたあの深紅の色を永遠に銘記する」

018中でも、ジェクンド州ナンチェン県、チャパ僧院のケンポ・カルマ・ツェワンは、僧院の全ての僧侶と共に真っ先にジェクンドに駆けつけて懸命の救援活動を行い、4万人余りの救援の僧侶たちに慈悲と利他、団結の精神を示した。彼らは昼間は生存者の救出と捜索に当たり、夜は犠牲者を供養し生存者を慰め、ケンポ・カルマ・ツェワンのいる僧院が集めた地震犠牲者のリストだけでも5千人分余りに上った。あるチベット人ボランティアは、ケンポ・カルツェの精神は仏陀の時代の僧侶を思わせた、と言う。1年後、ケンポ・カルマ・ツェワンの計画で取材・制作されたジェクンド地震の記録映画《災難の中の希望》は、チベット人の団結は壊滅的な地震から立ち直るための動力であると称賛し、そのCD-ROMは当局に没収された。

ケンポ・カルマ・ツェワンは1975年生まれ、青海省ジェクンド州ナンチェンの人で、出家してチャパ僧院に入って長く、セルタのラルン・ガル僧院で学んでいたこともあり、東チベット・カム地区でとびぬけて誉れ高い若い世代の高僧で、ナンチェン、ジェクンド、チャムドなどの地のチベット人の間では広く「我々の真のリンポチェ」とみなされていた。彼は僧院の座主であり仏教学の高僧であっただけでなく、当地でずっと、チベット文化の保護や生態環境の保護、衛生・健康知識についての講演、チベット語学習の教授と普及などの事業に従事していた。

彼はまた、2010年のドゥクチュの大土石流、2013年のヤク・ンガの地震の時にも救援に参加していた。

しかし、今、ケンポ・カルマ・ツェワンが獄中の身となって既に4ヶ月になる。昨年12月7日深夜1時、成都にいた彼は、チベット自治区チャムド地区の公安に省境を越えて逮捕され、チャムド公安処の駐成都事務所に拘禁され、12月14日にはチャムドに連行されてチャムド地区国保大隊のオフィスに拘禁され、12月25日から今に至るまで、チャムド地区の留置場で拘禁されている。チャムド警察は初め彼に“国家の安全に危害を加えた”罪を言い渡したが、今年2月には彼の弁護士である唐天昊に対し、罪名は“隠匿罪”に変わったと告げ、また、これは治安にかかわる重大案件であるとして、健康状態の極めて悪いケンポ・カルマ・ツェワンの重病治療のための一時出所を許していない。

ここに、ケンポ・カルマ・ツェワンと大勢の深紅の僧侶たちがジェクンド地震の被災者救援に当たっている写真を貼る(ほとんどすべての写真にケンポ・カルマ・ツェワンが写っている)。

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2014年04月15日

<速報>カム、タウで新たな焼身・死亡 内地131人目

111114ティンレー・ナムギェル。

今日、現地時間正午頃、カム、タウ県(དཀར་མཛེས་ཁུལ་རྟའུ་རྫོང་ཁང་སར་ཤང་།四川省カンゼチベット族自治州道孚県)カンサル郷付近でティンレー・ナムギェル(འཕྲིན་ལས་རྣམ་རྒྱལ།)、32歳が中国の圧政に抗議する焼身を行い、その場で死亡した。

遺体はチベット人たちによりまずゴンタル僧院に運び込まれ、その後家族に引き取られた。その後の状況は未だ不明。

ティンレー・ナムギェルはタウ県カンサル郷ゲンネ村の出身。父ドゥロ、母ペルラの息子。

BlQOSrGCUAAgC6n内地焼身者131人目。タウでの焼身は4人目。

先月29日にはカム、バタンで尼僧ドルマ(31)が焼身している。彼女の生死は依然不明のまま。

参照:4月15日付けTibet Timesチベット語版

追記:焼身場所は地区役場付近との情報もある。

追記:これまでタウで焼身した他の3人とは、
2011年8月15日に僧ツェワン・ノルブ(29)
2011年11月3日に尼僧パルデン・チュツォ(35)
2013年6月11日に尼僧ワンチェン・ドルマ(31)
3人とも死亡している。


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2014年04月14日

カム、ザチュカ全域で僧院弾圧

bd237258-3190-412f-9b3f-27735744c42eザチュカ、ウォンポ僧院。

RFAに現地から伝えられたところによれば、最近カム、ザチュカ(四川省カンゼチベット族自治州セルシュ県)一帯の僧院に大勢の役人、警察、軍が押し掛け、ネット・電話を切断し僧院を捜査、数人の僧侶が拘束されたという。

ザチュカ一帯には45の僧院があると言われるが、その内セルシュ僧院、ウォンポ僧院、チョオ僧院、アリ・ザ僧院、ワキル僧院、シルサ僧院その他小さな僧院にまで役人、警察、軍が出動し各僧坊を徹底的に捜査しているという。なぜこの時期にこのようなことが行われるのかは不明とされる。

これらの僧院の内一番のターゲットにされているのはウォンポ僧院という。ワキル僧院などから数名の僧侶が連行されたが、彼らの氏名は不明である。拘束の理由は携帯の中に中国が政治的と判断する情報や写真が入っていたからという。

ウォンポ僧院では2008年4月、僧侶たちが中国国旗を僧院内に掲げることに抵抗したとして、当局は僧院だけでなく、回りの民家にも押し入り破壊の限りを尽くした。その時、部隊がある家に踏み込み、掲げてあったダライ・ラマ法王の写真を地に叩き付け、これを踏みつけた。これを見たその家のトリ・ラモというチベット人女性は「なぜ師の写真を飾ってはいけないのか」と怒鳴り、さらに法王が一日も早くチベットに帰還されますようにとのスローガンを叫び、その後首を吊って自殺するという事件が起こっている。

2012年9月にはウォンポ郷にある学校の校庭に掲げられていた中国国旗が下ろされ、そのかわりにチベットの国旗が掲げられ、付近に「チベット独立」と書かれたビラが撒かれるという事件も起こっている。その後大勢の僧侶が拘束され、数人が刑を受けている。その後もこの地区では断続的にデモなどの抵抗運動が発生している。

しかし、最近は目立った動きはなく、なぜこの時期にこのような僧院弾圧が行われるのかについては現地の人々も分からないという。

最近チベットでは当局による携帯チェックが盛んに行われ、携帯内に敏感な情報や写真が入っていたとして拘束されるケースが相次いでいる。

参考:ザチュカ地区に関する過去ブログ
ザチュカで校庭に雪山獅子旗/ゴロで鉱山開発抗議
ザチュカ(セルシュ、石渠)で抗議活動/亡命政府外務大臣記者会見と新ビデオ
ザチュカで僧侶3人のデモ バタンでも僧侶3人がデモ ラサで携帯一斉チェック 女性蜂起記念日
ザチュカ、ウォンポ僧院からさらに7人の僧侶が連行される
ザチュカ、ウォンポ僧院僧侶3人に4年までの刑



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