2011年01月18日

ダラムサラの電話屋:QQ "泣泣”

いよいよウーセル(唯色)さんのブログにこのブログのリンクが張られた。
私にとっては名誉なこと!

そこで今日も「ウーセルさんのブログより」となる。
ほとんど最近はウーセルブログ日本語版になりかけてる。
実際には自分は中国語ができず、常にどなたかの翻訳に頼っているという情けない状況なのである。
現在中国語勉強中。その内自分で訳したいものだと思ってる。

今日は彼女の16日付けブログ分。
記事は私も知っているダラムサラ在住のチベット人が書いたもの。
チベットから亡命して来た人たちが電話を通じ内地に残した家族や友人とせつない交信をするというもの。
彼も最近アムドから来たばかりなので、サンジョル(新参者)の気持ちが痛いほどよく分かるのであろう。

ダラムサラに住む私が、北京経由の記事を訳してもらって載せるというのも妙なものではある。

翻訳は@uralungta様。

元のブログにはyoutubeから「Dreaming Lhasa」という映画のトレーラーが最初に載せられている。ご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=KglKH6J2s5g&feature=player_embedded

なお以下は抄訳。
原文は最後に載せる。

写真は今夕、ダラムサラの東、チベットの方角に昇った月。

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18.01.11 Dharamsala<ダラムサラの電話屋:QQ"泣泣”>

記ドゥユン・ナムギェル

 かつて電話は身一つではるか異郷に暮らすチベット難民にとり故郷の家族につながる唯一の細い糸だった。地元のインド人が経営する電話屋の得意客は、チベットの各地から山を越えてきた訛りの強いニューカマー。ラサ語を話さず、英語もヒンディー語もおぼつかない客を相手に、「トントンパーリウ(0086)*…」と経営者が四川訛りの中国語を覚えてしまうという、皮肉すぎて笑うに笑えず泣くに泣けない現象もおきた。

 ネットカフェはたいてい電話屋も兼ねていて、ガラス一枚で覆われたボックスからは、喜び、気遣い、悲しむ会話が漏れ聞こえてくる。遊牧民や山間部出身のニューカマーは豪放磊落で、「心配するな、ダライ・ラマ法王はお元気だ!ところで今度の3月10日はデモするんか?」などと大声で話して高らかに笑うから、そばで聞いている方が冷や汗ものだ。

 対照的にチベット自治区の都市部から来た人たちは故郷への電話も脅えながら「彼は…」「あのことは…」と“敏感語“を避けて小声で話し、通話も短く切り上げ、はたで見ていても痛々しく胸が詰まる。

 そんなダラムサラのネットカフェで最近、チベット出身の客だと分かると「”号泣(ごうきゅう)”できるよ」と売り込みがかかるようになった。何のことかと思ったら、中国企業テンセントのチャットサービスQQ(きゅうきゅう)だった。

 最近亡命してきたばかりのチベット人がインストールして使っているのを見た商才逞しいインド人が、商売になるとみて即自らの店にQQを導入、専用席のあるネットカフェは大繁盛した。QQのビデオチャットで、声を聞くだけでなく顔や表情を見られるようになったのだ。

 あらかじめ時間を約束し、遊牧山間地区から家族親族友人知人が連れ立ってネットカフェのある町へ降りて、パソコンを使えるチベット人に手伝ってもらい、PCの前に黒山の人だかりをつくって代わる代わる画面をのぞき、ビデオチャット(テレビ電話)で再会を喜ぶ。

 なかには亡命以来半世紀ぶりに家族の顔をみることができた老人もいて、号泣して大笑いしての泣き笑いだ。年寄りたちがQQを正しく発音できずクークー(号泣)と呼んでいるのを、とても訂正する気にはなれなかった。

 泣泣だろうがQQだろうが0086だろうが、離れ離れになった肉親がじかに抱き合い、これまでの辛さや悲しさを打ち明け、心痛と苦しみを分かち合うことはできない。チベットが自由を取り戻すまで、いとしい人と抱きしめ合えるその日まで、決してあきらめない。[終]

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�甼兰萨拉的电话亭:QQ“哭哭”
http://woeser.middle-way.net/2011/01/qq.html

QQ “哭哭”

文/端云南杰

一间�甼兰萨拉的电话亭内,印度老板和一对想往家乡打电话的藏人夫妇、还有一个小女孩挤在一起,一遍又一遍地核对着要拨的电话号码。老板用印度语和英语,加上一点很�犖脚的藏语,喊着、叫着;那一家藏人也同样用藏语夹杂着非常生硬的英语和印度语,叫着、喊着。经过几番较量后,仍然没能弄清楚电话号码。因为话费贵,老板怕藏人们拨错号码而执意要自己拨,可这么僵下去又不是办法,就在小女孩准备求助于纸�剩时,老板急了,冷不丁从嘴里蹦出一句:“洞洞八六……"隐约可以听出点四川口音,竟然还是大陆专用的数字军语。小女孩格格地笑了起来,然后用中文讲出了一串号码,老板神气十足地重复了一遍后,终于替他们拨通了电话,紧接着飞也似的冲到计费器前坐下,开始目不转睛的盯着小屏幕。

这是几年前的一幕,从西藏来的难民是�甼兰萨拉所有电话亭的常客,当时从印度往藏地打直通长途电话一分钟就要三十多卢比,流亡藏人们逢年过节,遇到红事白事时,给家乡的亲朋好友报个平安或是几句问候,虽然很奢侈,但仍是必作不可的事情。印度老板们跟流亡藏人一来二往,多多少少都会几句简单藏语,可三区的藏语腔调不同,这位印度老板竟然干脆从藏人那里学来了带点“川味"的中文数字,真是让人哭笑不得。

如今电话费已经慢慢降成�姶卢比一分钟,藏人们更是三天�姶头往电话亭�煥。这边的网�稀总会附设一个小电话亭,我上网时每遇到同胞在旁边给家乡打电话,都会被他们的表情和音调所吸引,饶有兴趣地观察他们的一举一动。看到他们也许是听到什么恶耗而呜呜咽咽时,我跟着�誓心;看到他们也许是因为听到什么开心的事而放声大笑,我的嘴也不自觉的�貴开。从牧区或山区逃出的藏人大大�貴�貴,毫不忌讳地向着电话那一头用高原特有的豪爽�供门吼着:“�休?什么?�居!不用担心,�甼赖喇嘛尊者身体好着�希,今年三‧一0�胃们那边示威了吗?……"让人在旁边听得直冒冷汗。而那些讲话细声细语的一看就是从藏区城镇逃来的,小心谨慎地用“他"、“那个"来代替各种敏感词,大家何需多说,彼此心照不宣。小电话亭和网�稀间只有一层玻璃,根本没有隔音效果,他们的哭声笑声�技彻每一个正在上网的人的耳际,但没人会表示不满,谁又忍心�希?

有一段时间,一进�甼兰萨拉的网�稀,老板只要看出�胃是藏人,马上会上前介绍�犠台机子有“哭哭",我是很久以后才弄明白他们是在指腾讯的“QQ"。原来有新逃来的藏人在网�稀自己下载安装“哭哭",印度老板们看到有点商机,便让他们多安装几套,那一阵子的生意好不红火。藏人们不但能听到家乡亲人的声音,还能看到他们的样子,每次视讯通话前都要做足准备,先约好时间,让亲朋好友从山区牧区下来到有网�稀的县城上,找个会上网的藏人�辞忙,然后便在计算机这头和那头各挤起一堆人开唠,其中有些老人流亡印度五十多年,半个世纪未跟家人见过面,更少不了一番“哭哭"笑笑。

不少�偕家很久的藏人也称它“哭哭",我最终还是没有纠正他们的发音!“哭哭"也好,“QQ"也罢,或是拨打“洞洞八六",在团聚无望的此刻,也唯有这样才能让分隔�姶地的同胞们互吐辛酸,分担忧苦,彼此打气加油,坚持到藏人重获自由,与亲人相聚的那一天。

【参与首发http://www.canyu.org/n21510c6.aspx






rftibet at 19:00│Comments(1)TrackBack(0) ダラムサラ町の出来事 

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この記事へのコメント

1. Posted by カルマ・フォーチュン   2011年01月21日 09:54
しょうがないんじやないの?ラサ本土から、ほとんど、情報が入らないもの。
唯一の、ラサからの情報源だし。
大変貴重だし。
ウーセルさん自身が、政府情報部から、スパイ扱いされとるのかはわからんが、完全に、目つけられちゃっとるし。
言論統制下で、なんでも、思い道理だもんだで、一般人の人権も。
上海での立ち退きの一件ひとつとっても、日本じゃ、考えられないことがおきとるようだし。ねぇ、だがね。

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