2013年05月12日

言語政策 同化政策のかなめ

16f25b8e2010年10月20日、チャプチャにおける「チベット語擁護」を訴える高校生によるデモ。

以下、チベット人焼身抗議の背景を探るコラムの1つ。


言語政策 同化政策のかなめ

チベット語は語順や「てにをは」のような助詞の存在等により日本語に似ていると言ってもいい言葉だ。チベット語とその方言を使う人々はチベット高原全域とヒマラヤ南麓を中心に約1200万人いると言われている。かつてはこの地域だけでなく、モンゴルや現ロシア連邦内のカルミック共和国、トゥバ共和国、ブリヤート共和国を含める地域の高等教育言語であった。しかし、60年間に渡る中国支配の下でチベット語は組織的に消し去られようとしている。

焼身者の内、多くの人たちが遺書の中で「チベット語擁護」を訴え、最後の叫びの中で「言語自由」を訴えている。それほど今、チベット文化、宗教、アイデンティティーの基礎であるチベット語が消え去るのではないか、中国共産党により抹消されようとしているのではないかという危機感がチベット全域に広がっている。先祖代々数千年もの間使われて来た自分たちの言葉が消え去るのではないかという不安は、歴史ある一民族にとってそれほどインパクトのあることなのだ。

1960年代から中国共産党は言うところのプロレタリアート言語に近づけるために助詞の数を減らす等、チベット語の文法自体を変更しようとした。悲惨な文革時代を経験したチベット人学者ムゲ・サムテンは「ほぼ全ての僧院や学校は閉鎖され、チベット語を教えることは禁止された。プロパガンダのために使われるチベット語は『改革言語』と呼ばれ、これは一般的チベット語文法に沿ったものではなかった。普通のチベット語を話す人は『修正主義者』『反革命主義者』のレッテルを張られ糾弾の対象とされた」と証言する(注1)。「破四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破)を掲げる紅衛兵は教育施設を全て破壊し、知識人を労働キャンプに送り、タムジン等により、全ての過去の記憶を消そうとした。

悪夢のような文革が終わり、80年代初めに胡耀邦の支援とパンチェン・ラマの努力、自治区書記伍精華の融和政策によりチベットにも一時的な春が訪れ、チベット語学習の環境も整えられ始めた。しかし、それも長続きせず、1992年から2000年まで自治区書記であった陳奎元の強硬路線により、再びチベット語は規制の対象となった。

陳奎元は1994年11月26日、第5回チベット自治区教育会議におけるスピーチの中で、自治区における教育は思想的目的を達成するものであるべきだとし、「地区で何人が中学を卒業したかとか学士になったとかは問題ではない、重要なのは最終的に彼らがダライ一味への忠誠を放棄し、偉大な祖国の社会主義的大義を賞賛するに至ったかどうかなのだ。これがもっとも重要な教育の良し悪しを判断する基準なのだ」と発言し、さらに「学校は『自由』を語るフォーラムではない。学校は社会主義を学ぶ場でなければならない。我々は学校の教室が、人民の息子や娘を分裂主義的要素や宗教的理想主義に馴染ませるために使われるのを許してはならない。……民族教育は古い文化や伝統を維持するためにではなく、現在の社会的発展の需要に答えるものとなったとき成功したと言えるのだ」と述べた(注2)。これは本質的に文革時の教育方針に似たものである。

彼のこの方針に従い、学校における政治教育が強化され、教師には革命的資質が求められた。また、多くのチベット人中学生が中国本土に送られ、本土の各地からチベットへ教師が送り込まれた。しかし、これらの送り込まれた中国人教師たちはチベット語を全く解さず、また、地方出身者が多かったので標準中国語も話すことができなかった。この結果教育の水準は再び急激に低下したと言われる。

「2007年の統計によれば、チベット人居住区の平均教育年数は4年以下である。高校進学率は極端に少ない。農牧民地区の成人のほとんどは文盲である。教師の質と教育の水準も低く、農牧畜地域の子供たちはほとんど教育施設へのアクセスが無い」とゴンメンレポートは報告する(注3)。

このように内地で学校に行く事ができない子供たちが増えたことにより、80年代終わり頃より、教育の機会を求めインドに亡命する子供たちの数が急増した。これは僧院教育においても同じ状況であり、インドに亡命する僧侶、尼僧も増大した。80年代終わりから2008年まで、毎年2〜3000人のチベット人がインドに亡命したが、その内約1/3は5〜15歳までの子供であり、また約1/4は僧侶か尼僧であった(注4)。チベット人の親たちが子供にヒマラヤを越え、途中で逮捕されるかも知れないという危険を冒させても亡命させようと決心する背景には、もちろん教育の機会がないということもあるが、金をかけ中国の学校に送っても、中国語中心の教育と思想教育により子供がチベット人として育たないであろうという危惧があるからなのだ。それに比べ、一旦インドに亡命させれば、亡命チベット社会が運営する学校で少なくとも高校卒業まで無償でチベット人としての教育が与えられることを知っていたからだ。

チベット自治区においては90年代後半ごろから小学校、中学校(中高一貫)においても、チベット語以外の教科を中国語で教えるということが行われていたが、カム、アムドでは2010年になるまで民族中学等ではチベット以外の教科もチベット語で教えるということが行われていた。チベット人、特に農牧畜地帯の子供たちを教える場合、母語であるチベット語で教える方が遥かに効率がよく、覚えも早かったからである。しかし、2010年になり、青海省党政府上級教育関係会議において、「民族中学校においてもチベット語以外の教科を中国語で教えること」という決議がなされた。これは中国全体を対象とした「国家の中長期教育計画(2010〜2020)(注5)」の青海版である。

6039f40aそして、同年10月にはアムドのレゴンやチャプチャ等で、この政府の教育方針に反対する大規模な抗議デモが、中学生を中心に、何千人もが参加し相次ぎ発生した。生徒たちが掲げたスローガンは「民族平等・言語自由」であった(注6)。このようなチベット人生徒による、相次ぐ抗議デモやチベット人教師たちの訴えにより、当局もこの新しい教育方針の実施を撤回はしないが、段階的に行うと発表した。一方でデモ参加者を拘束したり、刑期を与えたりもしている。

アムド、マチュの民族中学校の女子生徒であった20歳のツェリン・キは、新学期が始まったとき教科書が全て中国語で書かれていたことにショックを受け、2012年3月3日、街の野菜市場で焼身し、死亡した(注7)。

また、教育分野におけるチベット語制限、漢語推進に留まらず、チベット人居住区への漢語侵入は生活の至る所に現れている。例えば、セルタにある大僧院ラルン・ガルの僧院長であったケンポ・ジグメ・プンツォクは早くも1996年に以下のように記している。「実際、チベット語は今では何の価値もない言語と化している。例えば、もしも手紙の宛先がチベット語で書かれてあれば、外地はもちろんのこと、それがチベット内であっても決して届けられない。旅行する時、その人がいくらチベット語の読み書きに長けていようと、バスの時刻表を読む事ができず、切符に書かれている席番号を読む事もできない。県庁所在地や大きな街で病院や店を探そうとしてもチベット語は何の役にも立たない。チベット語しか知らない人は日常の必需品を買うにも困難をきたすであろう」と(注8)。

特に2008年以降、チベット人コミュニティーの中ではチベット人としてのアイデンティティーを守ろうという運動が各地で起こり、文化の基礎である言語が失われつつあることに危機感を抱き、僧院や村々でプライベートなチベット語学習の学校を開こうという動きが起った。また、多くのチベット人がチベット語を話す時にも、漢語を混ぜて話す習慣が自然に広がり始めたことを憂慮し、「純粋なチベット語を話そう」という運動も起った。しかし、当局はこのような動きを全て政治的反抗と解釈し、チベット語を教える学校を強制的に閉鎖し、教師を逮捕したり、各地のチベット人アイデンティティーを守ろうという趣旨の下に結成された草の根の団体を弾圧するということを行っている。

もちろん、このような政府の対応はチベット人に更なるチベット語消滅、文化消滅の危機感を抱かせ、政府に対する強い反発を招き、果ては焼身をしてまで訴えるという人を生むに至っているのである。

注:
1.Ref: "Why Tibet is Burning" CTA Tibet Policy Institute 2012 p26
Sum rtagsmtha' dpyadlas bod kyi spyi skad skor. p 17
2.Education in Tibet: policy and practice since 1950. p272~279
3.Gongmeng Report or An Investigation Report into the Social and Economic Causes of the 3.14 Incident in Tibetan Area.
4.Demographic Survay of Tibetans in Exile 2009
5.http://www.spc.jst.go.jp/hottopics/1105elem_sec_education/r1105_wangx.html
6.http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51519229.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51515834.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51505576.html
7.http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51738076.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51733442.html
8.Tibet Under Communist China: 50 Years. p40

rftibet at 16:23│Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by チベットの青い空   2013年05月14日 08:51
私は、チベットの独立を指示します。
2. Posted by チベットの青い空   2013年05月14日 08:53
私は、チベットの独立を支持します。

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