ダラムサラ町の出来事

2013年10月24日

第53回TCV創立記念日

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昨日、10月23日は毎年恒例のTCV創立記念日であった。街中のチベット人がTCVグランドに集まり、子供たちの演技を楽しみ、その後昼食ピクニックに興じた。数年前からダライ・ラマ法王はもうお出にならなくなり、その代わりギャワ・カルマパが来られるようになっている。

TCV(チベット子供村)は1960年、法王の意志を受け、法王の妹さんであるツェリン・ドルマさんが責任者となり、最初、道路工事に従事する親たちの子供51人を集めて始められた。若くして亡くなられたツェリン・ドルマさんの死後同じく法王の妹さんであるジェツン・ペマさんが責任者となられ、TCVを今のような大きな組織にされた。彼女も数年前に引退された。今の代表はツェワン・イシェ氏である。

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記念式典の最初に最近焼身抗議で亡くなられたチベット人を始めとする、すべてのチベットのために犠牲となった人々のために黙祷が捧げられた。そして、チベット国歌斉唱。

その後は現代表であるツェワン・イシェ、議会議長ペンパ・ツェリン、首相ロプサン・センゲが順次スピーチ。

ツェワン・イシェ氏はまず、簡単にTCVの歴史を紹介した後、「今年の10年生(高校1年)のインド全体試験にTCV8校から862人が受験し、819人が合格、43人が不合格、合格率95%。12年生(高校3年)の全体試験には5校の生徒699人が参加、612人が合格、再試70人、不合格17人、合格率87.55であった」と合格率を誇示。その他、南インドに開校した「(通称)ダライ・ラマ大学」も正式に大学の認定を受けたとこ、中国語のクラスも始まったとこ等を報告した。

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議会議長のペンパ・ツェリン氏は「TCVは現在14000人の生徒、教師、職員を合わせ16000人を擁する非常に重要な組織である。現在までに約4万人が卒業している。教師、職員たちが苦労してここまで育て上げたことを大いに評価する」「今後とも、特に勉強だけでなく、良き人格を育てることに努力して頂きたい」と述べ、ついでに「議会は法王の唱える中道路線を最上の道と認識し、これを堅持する」ということも付け足した。

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首相のロプサン・センゲ氏は「亡命政府の中にはこのTCV出身の沢山いる。例えば、政府職員616人の内194人がTCV出である。この2年間に試験を経て採用された政府職員56人の内、35人はTCV出であった。約60%がTCV出ということになる」といい、最近ますます、生徒たちの成績が向上していることを具体的な例を上げ賞賛。政府も教育資金を増やし、今後修士、博士課程に進む学生を増やす計画であると述べる。

また、「良き生活のためだけを目的に勉強せず、あなたたちには特別の責任、闘うという責任、チベットの危機を救うという責任があることを忘れてはならない」とも述べる。

最後にジョークで「TCVのモットーは『他者優先』。明日から運動会があるが、競争でもしも負けたら『他者優先』で負けてやったのだ、と言えばいい」と。

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ギャワ・カルマパ

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中学生によるマスゲーム

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人文字 WE SALUTE OUR MARTYRS(殉教者に敬礼)

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SPREAD LOVE AND COMPASSION(愛と慈悲を広めよう)

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小学校の生徒たちによる、歌と演技『お母さんを思い出し、悲しくなった」。

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泣いてるところ。

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高校生による、チベット伝統歌舞。

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各クラスが掲げる創作バナー。これは「境界を越え調和しよう」

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「敵見方を分けず愛情を注ごう」

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演技が終わり、解散。

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オロを見かける

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太鼓を持つのは映画『オロ』にも出演してた、ケルサン・ニマ。

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式典が終わり、TCVの寺に向かうギャワ・カルマパ。

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終わった後はダル湖のほとりでピクニック。ルンタレストラングループ。

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2011年03月21日

ネチュンの神降ろし

DSC_6423早朝、夜明けと共に神降ろしが行われた。嘗ては世界中至る所で神降ろしが行われていたが、時代とともに神様の数が減ってきたらしい?。それでも、まだ医者のいない田舎ではアフリカでもアジアでも南アメリカでも治療目的を中心にシャーマンさんは活躍されている。特に我々を含めたモンゴリアンはシャーマンの伝統を長く保ち続けている。その中でもチベットを中心としたヒマラヤの奥地では今も実際大勢のシャーマンたちがいる。

そんなシャーマンの代表格がこのネチュンのシャーマン。とくにネチュンの神はチベットの国家と深く関わり、国と仏教を守り、国の運命に関わる神のお告げを歴代ダライ・ラマ法王等に伝えるという役目を負っている。

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2011年03月05日

今日はチベットの新年元旦 ロサ・タシデレ!

チカ。チュニのロサ















༄༅།། བོད་རྒྱལ་ལོ་ ༢༡༣༨ རབ་གནས་ལྕགས་ལོའི་ གནམ་ལོ་གསར་ཚེས་ཀྱི་དགའ་སྟོན་ལ་རླུང་རྟ་ཚོགས་པ་ནས་ མཚམས་འདྲིིའི་བཀྲ་ཤིས་བདེ་ལེགས་ཞུ།།

今日はチベット暦2138年、鉄・兎年の新年(ロサ)元旦。
ルンタ・プロジェクトより、明けましておめでとうございます!
今年、皆様に、チベットに、世界に良き事が沢山ありますように!

上の「HAPPY LOSER!」はルンタ・レストランの直子/ソナムさんの2人娘チュニとチカが作ったもの。貝殻はゴアで集めたものとのこと。

DSC_4405写真右から直子さん、チュニちゃん、チカちゃん、ソナムさん、@Tentsheさん。
直子/ソナムさんの新居にて。
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2011年03月02日

これからの(主な)チベット関係イベント

2633ロサも間近な今日この頃。
日本でもチベット関係のイベントが目白押し。

以下、日本とダラムサラのこれからのイベントをいくつかまとめて紹介する。

まず、ここダラムサラ編

ロサ(チベットのお正月)は5日。この日に特に外ではイベントなどはない。一般に正月元旦には、まず朝一でツクラカンにお参りに出かける。その後は遠くから帰って来た家族を交え、水入らずの団欒を楽しむ。セーター売りのためにインド各地に散ってた者も、巡礼のためにブッダガヤ等に行ってた者も、ロサには元の家に帰って来る。

2日目には親戚、友人の家を巡って、チャンなどをごちそうになりながら歌ったりして、一日中ふらついて過ごす。かつてはこの日に法王は一般謁見を行われていた。みんなできるだけ綺麗な服を来て一人一人法王に直接新年の挨拶をすることができた。

3日目にはラギェリ(宮殿周りのコルラの先の広場)で、「サンスー」と呼ばれる儀式がある。これはチベットを守るとされる仏神に祈りを捧げるもので、人々が集まり香とツァンパを供養する。

3月10日は大事な「ラサ蜂起記念日」、今年は第52周年。
町の人たちはほぼ全員ツクラカン前の広場に集まる。まず法王が恒例の「3月10日声明」を読み上げる。その後、多くの人が下ダラムサラまで「3月10日行進」を行う。外国メディアも多く集まる。

14〜15日:2日間の法王ティーチング。
今回はタイ人グループのリクエストに答え、ギェルセ・トクメ・サンポの「三十七の菩薩の実践」とカマラシーラ(蓮華戒)の「修習次第中編」(マリアさまの日本語通訳あり。Web:http://dalailama.com/でliveを見聞きできるはず)

19日:法王は午前中ツクラカンで「ジャータカ(ブッダの本生譚)」を解説される。

その他、ツクラカンでは14日からモンラム・チェンモ(大祈祷祭)が続き、同じ日から亡命議会も開かれる。
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2011年02月12日

カルマパのスパイ嫌疑晴れる/シェルテンの歌「天界の白い鳥(=法王)」

カルマパ・ケンノーダラムサラのあるヒマチャル・プラデッシュ州の主席秘書官であるRajwant Sandhuは金曜日、the Press Trust of India (PTI)に対し「カルマパの僧院で発見された現金はすべて布施であると認める。カルマパは土地売買についても、金銭の出入りについても一切関わりがないことも認める」と発言。

さらに「カルマパは宗教的グルであり、世界中に信者を持っている。我々は彼らの活動に敬意を示し、宗教的事柄には一切関与しない。政府は彼に立ち去れなどという意向は全く持っていない」と語った。

このニュースはAP伝としてワシントン・ポストにも掲載されている。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/02/11/AR2011021102048.html
その他参照は
phayul:http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=29099&article=HP+govt.+gives+clean+chit+to+Karmapa%3a+report
カルマパ事務所:http://www.kagyuoffice.org/#Feb11Statement

ま、当たり前のような話だが、インド政府が公式にカルマパ・スパイ説を否定したのはよろしいことだ。

で、何で、これで「スパイ説」が晴れたことになるの?なんて理解できない人にはですね、、、今回スパイ説が起こった始まりはギュトゥ僧院から中国元が出て来たことに始まって、これを警察とインドメディアが「中国政府からのスパイ活動資金」ではないかとバカな疑いをもったことから始まるのですから、これがただの「布施」と分った時点で、「スパイ説」も(一応)終わる訳。

土地に関する嫌疑も近いうちに晴れる事でしょう。
日本でも「カルマパが数百カ所もの土地を他人名義で購入している」なんてデマが飛び交ってるが、スパイ嫌疑と共に、今までのデマ報道を謝罪して欲しい位だ。ま、インドメディアを引用しただけだと、言訳するであろうが。

州知事も先に「チベット人は76カ所も他人名義で土地を購入している。今調査中だ」と脅しのようなことを言ったが、これはこの州全体の話だ。これは確かにあり得る。他に土地を買う方法がないのだし。で、この発言からしても、カルマパ1人が数百カ所買ってるというのが嘘と分る。
カルマパ側は土地購入についても、基金として正式に申請してあると主張している。

外国為替法違反に関しては、きっと罰金ということになるかもしれない。
もっとも、これも以前から申請しているわけで、インド側の怠慢、或は根拠のない猜疑心からこれまで許可が下りていないだけだ。
何れ、政府が認めるように、全てカルマパ本人とは関係ないわけだ。

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歌った歌が原因で囚われていたタシ・ドゥンドゥップが解放されたというニュースは最近の嬉しいニュースだった。
昨夜はエジプト革命?成功と、カルマパのスパイ嫌疑晴れるという嬉しいニュースが重なった。

タハリール広場で歓喜に湧くエジプトの群衆を見ていると、つい、ああ、いつか中国も、、、チベットも、、、と思わずにはいられなかった。

と、今度はアルジェリアで始まったとか。アルジェリアには若い頃通訳の仕事で1年半ほどいたので思い出深い国。どんどん連鎖反応が続いてほしい。東の方まで。

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以下、シェルテンの歌を1つ訳したので歌と共に紹介。
歌詞は明らかにダライ・ラマ法王を歌ったものだし、以下のYoutube版には法王がそのまま出ている。さすがに、これは外国で編集されたバージョンと思う。内地で発表されたバージョンには法王は出ていない。

もちろん、彼もすでに中国当局から、分裂主義歌手としてマークされている。それでも、今も次々と暗に法王を讃える歌やチベット人としてのアイデンティティーを高めるための歌を歌い続けている。顔は草なぎ度が高いが、非常に勇敢な歌手である。

シェルテン<天界の白い鳥>
http://www.youtube.com/watch?v=7PqpK2rbajs

怒りの目 向けられしも
微笑み 向けかえす
地球の福利の根本
あなたは平和の舵手

害する心 向けられしも
利益の心 向けかえす
この地球の全ての民族に
平和の道を示す偉大な人

平和の白い天の鳥 X3

利益の心 むけしも
お返しに災い もたらされ
怒り無く愛と慈しみを守る
あなたは平和の大海

両手を合わせ
六道の有情を頭上に頂き
地球の全てを従える
平和の偉大な伝道師

平和の白い天の鳥 X3

この世の国々
武器と軍隊により
人々 従わせる
このどこが驚くべき

武器や軍隊なしに
釈迦の弟子一人して
この世を支配する
これぞ驚くべし

平和の白い天の鳥 X3

祖国観音の浄土(普陀洛伽)を
悪願の怒鬼に踏みにじられしも
彼らにさらなる愛と慈しみを示す
平和の白い天の鳥

平和の白い天の鳥
千万年の長寿を願う
過たぬ三宝の真理により
祈願が叶えられますように

平和の白い天の鳥 X3


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追記:同じ歌でチベット内地で編集されたMV版は以下:
http://www.youtube.com/watch?v=H-Gff0GDS_w&playnext=1&list=PLF166061713F97602

他、チベット3地域の団結を歌った歌で、当局に問題視されている曲:<団結の歌>
http://www.youtube.com/watch?v=ZKDUn77U0b4&feature=related

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2011年02月02日

カルマパ支援行進と集会に4000人

2.2.2011 カルマパ擁護行進/集会 ダラムサラ写真左:今日ギュトゥ僧院にて4000人の激励者に応えるカルマパ。

2日前のキャンドルライトビジルに続き、ダラムサラでは今日も、在らぬ疑いを掛けられているカルマパ17世を激励するための行進と集会が行われた。




2.2.2011カルマパ擁護行進 ダラムサラ今日は上ダラムサラのツクラカンを約3000人が出発し、下ダラムサラにあるカルマパの仮の宿舎であるギュトゥ僧院までおよそ15キロを行進した。手にカルマパの写真を掲げ、声を会わせて「カルマパ・ケンノウ~」と叫び続けた。「カルマパ・ケンノウ」とは原意「カルマパがご存知」だが「カルマパに帰依いたす」という意味でもある。

2.2.2011 カルマパ擁護行進/集会 ダラムサラ最終的にはダラムサラ周辺のビル、チョントラ等のセトルメントからや遠くシッキム、キノールからの信者も沢山集まり、ギュトゥ僧院の広場には4000人以上が集結した。

カルマパは午後3時頃みんなの前に姿を現され、短く挨拶された。
「今日はみなさん私に愛情と支持を表明するためにわざわざ集まってくれてありがとう。インドは中国と違って、政府も警察も民主主義と法律に従う国だ。だから、私は何も心配していない。嫌疑は何れ晴らされよう。だから、皆さんも何も心配せず、安心していて下さい。今日は私のために、日射しの強い中、長く歩いてここまで来て下さって、本当にありがとう」
と。

みんな途中昼食をとることもなく何時間も歩き、喉も乾き、腹も減った事と思われる。集会の後、僧院側から全員に簡単な食事が振舞われた。

2.2.2011 カルマパ擁護行進/集会 ダラムサラ今回の件については、ある勢力がカルマパを落とし入れるために「カルマパは中国のスパイ」だなんてデマを流し始めたのだ、という噂も流れているが、結局今のところ、これを契機にカルマパの人気は増すばかりのように見える。「カルマパは可哀想に、苦労して中国から逃げて来たのに、今度は選りによって『中国のスパイ』だなんて疑われるとは!」と言う訳だ。行進に参加した者には全員にカルマパの立派な写真が配られた。今日からは今まで家にカルマパの写真を飾っていなかった家にもカルマパの写真が祀られることであろう。

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2.2.2011 カルマパ擁護行進/集会 ダラムサラ以下カルマパが今回説明された
「中国を逃げ出し、インドに亡命した5つの理由」

1、中国当局はダライ・ラマ法王を非難し、中国が選出したパンチェン・ラマを支持するよう圧力を掛けて来た。しかし、その要求に従うことができなかったから。
2、16世カルマパの法灯の教えを完成するためにはこの法灯を保持するラマたちのいるインドに行くしか無かったから。
3、ダライ・ラマ法王に会い、祝福を受けるため。
4、16世カルマパはインドや海外に出かけ教えを広めた。自分もその足跡に従いたかった。
5、インドは中国と違い自由の国である。自由に勉強し、自由に仏法を広める道を求めた。

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2.2.2011 カルマパ擁護行進/集会 ダラムサラ2月1日カルマパ側は2度目のプレスリリースを発表した。
http://www.twitlonger.com/show/8hnn5a

この中でも、問題となっている土地購入についてはインド政府に申請を出しており、違法ではないこと。

外国の通貨を保持していたが、これは元はすべて信者からの布施であること。また外国通貨保持についても2002年にそのための申請を出している。許可が下りる間、全ての外国通貨については記録を取ってあり、これを警察に提出した。

中国元については、様々な額面の紙幣であり、明らかに個人からの布施である。

と、説明されている。









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2011年01月18日

ダラムサラの電話屋:QQ "泣泣”

いよいよウーセル(唯色)さんのブログにこのブログのリンクが張られた。
私にとっては名誉なこと!

そこで今日も「ウーセルさんのブログより」となる。
ほとんど最近はウーセルブログ日本語版になりかけてる。
実際には自分は中国語ができず、常にどなたかの翻訳に頼っているという情けない状況なのである。
現在中国語勉強中。その内自分で訳したいものだと思ってる。

今日は彼女の16日付けブログ分。
記事は私も知っているダラムサラ在住のチベット人が書いたもの。
チベットから亡命して来た人たちが電話を通じ内地に残した家族や友人とせつない交信をするというもの。
彼も最近アムドから来たばかりなので、サンジョル(新参者)の気持ちが痛いほどよく分かるのであろう。

ダラムサラに住む私が、北京経由の記事を訳してもらって載せるというのも妙なものではある。

翻訳は@uralungta様。

元のブログにはyoutubeから「Dreaming Lhasa」という映画のトレーラーが最初に載せられている。ご覧下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=KglKH6J2s5g&feature=player_embedded

なお以下は抄訳。
原文は最後に載せる。

写真は今夕、ダラムサラの東、チベットの方角に昇った月。

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18.01.11 Dharamsala<ダラムサラの電話屋:QQ"泣泣”>

記ドゥユン・ナムギェル

 かつて電話は身一つではるか異郷に暮らすチベット難民にとり故郷の家族につながる唯一の細い糸だった。地元のインド人が経営する電話屋の得意客は、チベットの各地から山を越えてきた訛りの強いニューカマー。ラサ語を話さず、英語もヒンディー語もおぼつかない客を相手に、「トントンパーリウ(0086)*…」と経営者が四川訛りの中国語を覚えてしまうという、皮肉すぎて笑うに笑えず泣くに泣けない現象もおきた。

 ネットカフェはたいてい電話屋も兼ねていて、ガラス一枚で覆われたボックスからは、喜び、気遣い、悲しむ会話が漏れ聞こえてくる。遊牧民や山間部出身のニューカマーは豪放磊落で、「心配するな、ダライ・ラマ法王はお元気だ!ところで今度の3月10日はデモするんか?」などと大声で話して高らかに笑うから、そばで聞いている方が冷や汗ものだ。

 対照的にチベット自治区の都市部から来た人たちは故郷への電話も脅えながら「彼は…」「あのことは…」と“敏感語“を避けて小声で話し、通話も短く切り上げ、はたで見ていても痛々しく胸が詰まる。

 そんなダラムサラのネットカフェで最近、チベット出身の客だと分かると「”号泣(ごうきゅう)”できるよ」と売り込みがかかるようになった。何のことかと思ったら、中国企業テンセントのチャットサービスQQ(きゅうきゅう)だった。

 最近亡命してきたばかりのチベット人がインストールして使っているのを見た商才逞しいインド人が、商売になるとみて即自らの店にQQを導入、専用席のあるネットカフェは大繁盛した。QQのビデオチャットで、声を聞くだけでなく顔や表情を見られるようになったのだ。

 あらかじめ時間を約束し、遊牧山間地区から家族親族友人知人が連れ立ってネットカフェのある町へ降りて、パソコンを使えるチベット人に手伝ってもらい、PCの前に黒山の人だかりをつくって代わる代わる画面をのぞき、ビデオチャット(テレビ電話)で再会を喜ぶ。

 なかには亡命以来半世紀ぶりに家族の顔をみることができた老人もいて、号泣して大笑いしての泣き笑いだ。年寄りたちがQQを正しく発音できずクークー(号泣)と呼んでいるのを、とても訂正する気にはなれなかった。

 泣泣だろうがQQだろうが0086だろうが、離れ離れになった肉親がじかに抱き合い、これまでの辛さや悲しさを打ち明け、心痛と苦しみを分かち合うことはできない。チベットが自由を取り戻すまで、いとしい人と抱きしめ合えるその日まで、決してあきらめない。[終]

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�甼兰萨拉的电话亭:QQ“哭哭”
http://woeser.middle-way.net/2011/01/qq.html

QQ “哭哭”

文/端云南杰

一间�甼兰萨拉的电话亭内,印度老板和一对想往家乡打电话的藏人夫妇、还有一个小女孩挤在一起,一遍又一遍地核对着要拨的电话号码。老板用印度语和英语,加上一点很�犖脚的藏语,喊着、叫着;那一家藏人也同样用藏语夹杂着非常生硬的英语和印度语,叫着、喊着。经过几番较量后,仍然没能弄清楚电话号码。因为话费贵,老板怕藏人们拨错号码而执意要自己拨,可这么僵下去又不是办法,就在小女孩准备求助于纸�剩时,老板急了,冷不丁从嘴里蹦出一句:“洞洞八六……"隐约可以听出点四川口音,竟然还是大陆专用的数字军语。小女孩格格地笑了起来,然后用中文讲出了一串号码,老板神气十足地重复了一遍后,终于替他们拨通了电话,紧接着飞也似的冲到计费器前坐下,开始目不转睛的盯着小屏幕。

这是几年前的一幕,从西藏来的难民是�甼兰萨拉所有电话亭的常客,当时从印度往藏地打直通长途电话一分钟就要三十多卢比,流亡藏人们逢年过节,遇到红事白事时,给家乡的亲朋好友报个平安或是几句问候,虽然很奢侈,但仍是必作不可的事情。印度老板们跟流亡藏人一来二往,多多少少都会几句简单藏语,可三区的藏语腔调不同,这位印度老板竟然干脆从藏人那里学来了带点“川味"的中文数字,真是让人哭笑不得。

如今电话费已经慢慢降成�姶卢比一分钟,藏人们更是三天�姶头往电话亭�煥。这边的网�稀总会附设一个小电话亭,我上网时每遇到同胞在旁边给家乡打电话,都会被他们的表情和音调所吸引,饶有兴趣地观察他们的一举一动。看到他们也许是听到什么恶耗而呜呜咽咽时,我跟着�誓心;看到他们也许是因为听到什么开心的事而放声大笑,我的嘴也不自觉的�貴开。从牧区或山区逃出的藏人大大�貴�貴,毫不忌讳地向着电话那一头用高原特有的豪爽�供门吼着:“�休?什么?�居!不用担心,�甼赖喇嘛尊者身体好着�希,今年三‧一0�胃们那边示威了吗?……"让人在旁边听得直冒冷汗。而那些讲话细声细语的一看就是从藏区城镇逃来的,小心谨慎地用“他"、“那个"来代替各种敏感词,大家何需多说,彼此心照不宣。小电话亭和网�稀间只有一层玻璃,根本没有隔音效果,他们的哭声笑声�技彻每一个正在上网的人的耳际,但没人会表示不满,谁又忍心�希?

有一段时间,一进�甼兰萨拉的网�稀,老板只要看出�胃是藏人,马上会上前介绍�犠台机子有“哭哭",我是很久以后才弄明白他们是在指腾讯的“QQ"。原来有新逃来的藏人在网�稀自己下载安装“哭哭",印度老板们看到有点商机,便让他们多安装几套,那一阵子的生意好不红火。藏人们不但能听到家乡亲人的声音,还能看到他们的样子,每次视讯通话前都要做足准备,先约好时间,让亲朋好友从山区牧区下来到有网�稀的县城上,找个会上网的藏人�辞忙,然后便在计算机这头和那头各挤起一堆人开唠,其中有些老人流亡印度五十多年,半个世纪未跟家人见过面,更少不了一番“哭哭"笑笑。

不少�偕家很久的藏人也称它“哭哭",我最终还是没有纠正他们的发音!“哭哭"也好,“QQ"也罢,或是拨打“洞洞八六",在团聚无望的此刻,也唯有这样才能让分隔�姶地的同胞们互吐辛酸,分担忧苦,彼此打气加油,坚持到藏人重获自由,与亲人相聚的那一天。

【参与首发http://www.canyu.org/n21510c6.aspx






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2011年01月05日

ラモ・ツォの悲しいLove Story

ラモ・ツォドキュメンタリー・ビデオ「ジクデル/恐怖を乗り越えて」を制作し、現在獄中にあるドゥンドゥップ・ワンチェンとその妻ラモ・ツォの話は当ブログで何度も紹介してきた。

今、この2人の話が日本の津々浦々まで伝わっている。
共同通信さんが去年の11月、ダラムサラに来られ、ラモ・ツォを取材して下さったからだ。
去年の12月15日以降、この素晴らしい記事は全国の地方紙30社に配信され随時掲載されつつある。


まあ、何と言うか、キャッチの「抱きしめてキスを」は強烈過ぎると思わないでもないが、、、

何しろ、「地球人間模様@LOVE」シリーズだからね。

下のURLをクリックすれば神戸新聞掲載分がはっきり読める。
ただし、読み込みに少々時間が掛かる。それと記事は中心にない。出て来たら十分拡大して読んでほしい。
http://www.axmag.com/data/201012/U9256_F14291/index.html

このシリーズはなかなか優れもの、他にも例えば、
キューバ:http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/20.html
アフガニスタン:http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/1.html
ベトナム:http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/25.html
パラオ:http://www.47news.jp/47topics/ningenmoyou/34.html
等がある。

このシリーズを担当している記者さんは2008年以降、何度かダラムサラに来られ、チベットの記事を書いて下さっている。
彼女がこのシリーズを担当していると知って、是非ラモ・ツォの泣けるLove Storyを一発書いてくれ!!! と頼んでいたのであった。

先日、ラモ・ツォに会って、記事のコピーを渡した。
ラモ・ツォ「何て書いてあるの?読んで」
私「いや~、ちょっと、、、(モジモジ)、、、でも、読んだ人が、泣けるって言ってたよ、だからほんとにいい記事だよ!」
ラモ・ツォ「何恥ずかしがってるの?」
私「何せ、ラブストリーだからね。この前、話したことがそのまま書いてあるだけだよ、、、」







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2011年01月01日

光をプレゼント/ダラムサラ・アイキャンプ

2010年末 アイキャンプ ダラムサラあけましておめでとう!
と言うに相応しい、光のプレゼント。

今年も、年末恒例のアイキャンプの人たちがダラムサラにやって来られた。
総勢9人。
眼科医師5人、看護士2人、会計1人、総務1人。

アイキャンプとはアジア眼科医療協力会(AOCA)の人たちがネパールやインドの僻地に赴き、開眼手術を無料で行うというボランティア活動の名称。
僻地に居住しているからという理由で、あるいは貧しいがゆえに眼疾患を患いながらも手術を受けることができず不自由な生活をしていた人々に光を取り戻すという、実に素晴らしい活動。
2010年アイキャンプ詳しくは以下のAOCAのホームページへ:
http://www.aoca.jp/index.html
http://www.aoca.jp/JP/eyecamp/DallamSara_eyecamp.html

ダラムサラにはすでに11年間通って下さっている。
皆さん、年末の休みを利用して、こんなインドの田舎まで来て下さるのだ。
今年は例年より検診、手術ともに少なめであったが、それでも最初の日に検診を154人に行い、次の日から2日間で43人の手術を行われた。

2010年末 アイキャンプ ダラムサラ左の写真、手術をされているのは柏瀬光寿先生。
柏瀬先生、実は、2002年から1年間ダラムサラに滞在され、デレック・ホスピタルという亡命政府が運営している病院でボランティアとして眼科の診察、手術をやっておられた。
今回のグループのリーダーでもある。

栃木県足利市に立派な病院をお持ちだ。
http://www15.ocn.ne.jp/~kasiwase/

ダラムサラ滞在中はよく一緒に遊んだので、旧知の間柄。
手術ももちろんお手のものだが、目の手術というものは、見てるとちょっと怖いものではある。




2010年末 アイキャンプ ダラムサラチベットの腰の曲がったおばあさんも優しい看護士さんに助けられ、手術台に上がり、あっという間に光りを取り戻すことができる。








2010年末 アイキャンプ ダラムサラ今年のダラムサラ・アイキャンプのメンバー。







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2010年12月10日

12月10日のダラムサラ

ノーベル平和賞授賞式追記:先ほどノーベル平和賞受賞式典をBBCのライブで見たので、追加を先頭に持ってくる。(写真BBC)

委員長のThorbjorn Jagland氏が最初の大きな拍手を受けたのは、
「この空白の椅子がこの賞の意義をシンボライズしている」
と語った場面。

その後の拍手の場面を思い出すと。
「劉暁波氏はこの賞は1989年の天安門の犠牲者に送られたものだと語った」

「彼の非暴力の戦いはネルソン・マンディラを思い出させる」

「中国は大国になったのだから、世界からの批判を受け入れるべきだ。マーチン・ルーサー・キング牧師に平和賞が送られた時、多くのアメリカ人が異議を唱えた。しかし、アメリカはこの事で強くなった。中国もこの批判を肯定的に受け入れるべきだ」

「彼は無実だ。開放されるべきだ」

「平和と人権いは深いつながりがある」

「彼は楽観的だった『中国はいつか自由な国になることを信じている』と語った」

委員長の演説の後に劉暁波氏が11年の刑期を言い渡される2日前、2009年12月23日に発表した最後の声明がノルウェーの有名な女優により読み上げられた。
全文を以下で読む事ができる。
http://www.foreignpolicy.com/articles/2010/10/08/i_have_no_enemies

題は「私に敵はいないし、憎しみもない」

その最後の2節を訳す。
「表現の自由は人権の基礎であり、人間性の源であり、真理の母である。言論の自由を締め付けることは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ」
<「表达自由,人权之基,人性之本,真理之母。封杀言论自由,践踏人权,窒息人性,压抑真理」

「中国憲法により保証された言論自由の権利を行使するためには、中国の市民としての社会的責任を果たさなければならない。如何なる意味においても、私の行った事に罪はない。しかし、このことで私に罪が掛けられるとしても、恨み言はない」 <「为践行宪法赋予的言论自由之权利,当尽到一个中国公民的社会责任,我的所作所为无罪,即便为此被指控,也无怨言」

最後に「すべての人に感謝する」


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10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakan今日,ダラムサラでは朝から、ダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞21周年を祝う式典とチベット人たちの喜びの歌と踊りが1日中続いた。

式典での亡命チベット議会の挨拶の中で
「劉暁波氏の平和賞受賞は中国の人々に取って非常に喜ばしいことであるはずだ。この場を借りて、中国の人々へ喜びと祝福の言葉を贈りたい。タシデレ!」という挨拶が入った。

10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakan今日は二重に嬉しい日と言う訳だ。

もっとも、「今日はまた、『世界人権デー』でもあるが、この方は少しも喜ぶに値しない。チベットの内部でも他の世界の至る所でも、人権は無視され続けている。諸外国は口先ばかりで、実際に人権改善のために行動する国はほとんどない」と辛口の挨拶。

大臣室からの挨拶の中では「数人の個人を監獄に閉じ込めようと、彼等の思想、主義、希望をこじ込める事はできない。力と弾圧により人々の思考をコントロールしようとする全体主義者は最も無明な人間たちだ」と暗に中国を糾弾。

10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakan最近の中国語強要政策についても「このような政策はカール・マルクス、レーニン、毛沢東の少数民族政策を完全に無視するものであるばかりでなく、一つの民族の言語と文化を完全い破壊しようとする試みである」と厳しく批判した。

と、このような硬い挨拶が終わったと同時に、みんなが楽しみとする様々なグループによる、歌と踊りが始まった。


10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakanこの後は、延々と歌と踊りが続く。

以下、午前中の写真。









10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakan忘れてた。法王の引退問題について大臣室も議会も声明の中でこれに言及した。

「法王にはいつまでもチベットの宗教的、政治的トップを続けてもらいたい。半引退とか全面的引退とか、決してそのような事を口にされませんように!」
と法王の引退など全く受け入れられないことを明らかにした。
10,12,2010 Nobel Prise C.Thuklakan
授賞式を映すBBCの映像には、牧野議員の横顔も写っていた。
その他、俳優のデンゼル・ワシントンとかアン・ジャクリーン・ハサウェイの姿も。
彼女は劉氏の最後の声明の中で、妻への愛を示す箇所が読まれる時、涙ぐんでいた。



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2010年12月01日

ジェ・ツォンカパの命日/灯明祭

自宅のガンデン・ガムチュ(灯明祭)今夜が本当のジェ・リンポチェ(ジェ・ツォンカパ)の命日、灯明祭だった。

「昨日は間違ってすまない」と下のアニラ(尼さん)たち、今夜は色とりどりのキャンドルをもっと沢山灯して、お経を上げていた。

今日は夕食に珍しく肉が入ってた。
私「はは~~、今日はツクラカンでみんな500Rsづつ貰ったからだろう。見たぞ!」
アニラたち「そうよ。ロシア・グループはすごいよ。お経やノートも配られたし。こんなの滅多にないよ。この前の台湾グループはちょっとしかなかった。ベトナムの時はまあまあ多かった」と、やっぱお布施が多いと嬉しいのだ。

この辺の僧侶や尼僧が現金を手にするのはこんな法会の機会しかない。
最近、この辺の僧院や尼僧院はどこも肉なしのベジタリアン食になった。
外に出た時にはやっぱチベット人は肉を食べたいらしい。

1.12.2010ガンデン・ガムチュ(灯明祭)家から見えるキルティ・ゴンパは電気灯明で飾り立てている。

チベット本土では、キャンドルや豆電灯を灯明代わりにする事は決してしないで、ちゃんと本物のヤクバターの灯明を灯すそうだ。




2008年のラサ灯明祭左の写真と下2枚は2008年のラサ灯明祭。
@yuntaitai(雲南太郎)さんが撮影されたものだ。

ジョカン前に恐ろしいほど沢山の保安要員が配備されているのが判る。





2008年のラサ灯明祭2008年ラサの灯明祭/ジョカン前。@yuntaitai
こんな事になっちゃった自分の命日を見たら、ジェ・ツォンカパは何て思う事だろう。








2008年のラサ灯明祭2008年ラサの灯明祭/ジョカン前。@yuntaitai

先ほど、アニラがラサにいる親戚に電話した。
その親戚は、ちょうどその時ジョカンを巡るパルコルを歩いているところだった。

アニラ「パルコルはどんな?」
親戚「ああ、人が一杯でまともに歩けないほどだよ。みんな一周することしか許されない。途中何度も警官に止められるよ」
アニラ「見張りの人は沢山いるの?」
親戚「ああ、いっぱいいるよ。道端の出店もみんなかたづけられた」
アニラ「昨夜は風で灯明が消えてしまったって聞いたけど、今夜はどう?」
親戚「今夜は風もなく、周りの家々の窓ベリに沢山灯明が灯ってて本当に綺麗だよ」


法王ダラムサラのツクラカンでは昨日に引き続き、今日も法王による秘密集会タントラの灌頂が行われた。

写真は昨日撮ったもの。

最近法王の玉座の上にエアコンが取り付けられたらしい。
法王、そのエアコンを調整されていた。



法王





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2010年11月30日

法王のダラムサラ・ティーチングが始まる/ガンデン・ガムチュ(ジェ・リンポチェの命日)

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching当地ダラムサラのツクラカンでは、今日(11月30日)から3日間、ロシアグループのリクエストに答えダライ・ラマ法王が仏教講義と灌頂を行われる。

phayul.comによれば参加者は1万人を越えるそうだ。
その内ロシア人が1035人、その他54カ国から4000人以上の外人が参加しているとのこと。

目立つのはロシアに続いて、台湾、韓国、欧米人。
日本人は10数人というところか!
今回はマリア様の通訳がないという事もあるかもしれないが、いつもながら日本人の少なさは異常なほど。







30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingソビエト時代に弾圧されていたロシアのチベット仏教徒はこのところ見事な復活振りを示している。

その中心はもちろんかつてチベット仏教が栄えていたブリヤート、カルミック、トゥバの3共和国。
その他のロシア人参加者も年々増えているという。
モンゴルからも大勢来ている。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingとにかく、モンゴル人種とロシア人種が混じったような、実に様々な顔が並んでおり、その多様さを観察するのが面白い。

モンゴル系は色白で丸顔、朝青龍のように太った人が多い。
ロシア系ももちろん真っ白で、中にはロシア美人風な若いのもいるが、だいたいは丸々と太った年寄りが多い。

今回のティーチングにはカルミック共和国の前首相とロシア議会の議員3人、それにカザフスタンの経済大臣が要人参加しているという。

さらに、今回はロシア各地から27ものメディアが取材のためにこのダラムサラまで来ているとの事。

ま、何から何まで、日本とは桁違いだ。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingで、ティーチングの方は、法王、朝方1時間ほど、いつものように仏教と他の宗教の違い、チベット仏教の特徴などについて話された。
次に、今回の目玉である「サンワドゥパ(གསང་བ་༷༷འདུས་བ་グヒヤサマージャ/秘密集会)の灌頂への導入部とも言える、ギェセー・トンメ・サンポ(རྒྱལ་སྲས་ཐོགས་མེད་བཟང་པོ་12C、カダム派)の「37菩提行(ラクレン・ソドゥンマ ལག་ལེན་སོ་བདུན་མ་)のテキストに入られ、昼休みを挟み2時間ほどでこれを終了。
その後は明日の灌頂の準備のために俗人に5戒を授けられ、無上ヨガの説明をされた。

「明日の朝方の夢を覚えておくように」と皆にクシャ草が配られ、午後3時過ぎに解散。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching通訳の時間を取らない(同時通訳)ティーチングだったので、いつもの法王得意の素早いお仕事振りが堪能できた。

数人に頼まれるまま、私もへたな同時通訳をやっていたが、タントラに入った頃素人さんには解らない内容だし、、、自分も付いて行けなくなり通訳を中断した。












30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching












30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching法王が目の前に来られ、レンズ越しに挨拶。

カメラを下ろすと「タシデレ!トポ・ニンバ(Old Friend)」と声を掛けて下さった。


















ガンデン.ガチュさらに今日はチベット暦の10月25日で、ガンデン・ガムチュ(དགའ་ལྡན་ལྔ་ཆོས་)というジェ・リンポチェ(ツォンカパ)の命日にあたる。

家の下の部屋に、このティーチングを受けるためにドルマ・リン尼僧院から来て泊まっている3人の尼僧たちは、部屋にローソクを立て、この命日の祈りを始めた。

今夜は満天の星空の下、町中に灯明が灯され、とても美しい。

また、この日には必ず丸い小さな団子が入ったトゥクパ(と呼ばれるがむしろ丸いテントゥック)を食べないといけないという。
夕食はもちろんそのトゥクパであった。












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2010年11月24日

法王が完全引退?

d9c69ce6.jpgダライ・ラマ法王は今日の朝11時頃、無事ダラムサラに帰って来られた。
沿道にはいつものように、法王の労をねぎらい、無事の帰還を喜こぶ大勢のチベット人が出迎えていた。

今回の外遊は特に長く、さぞお疲れのことと思われた。
先月はアメリカとカナダに3週間。
その後、数日だけダラムサラに帰られた後、すぐに日本に2週間弱。
インドに帰られた後もデリーで1週間様々な講演やイベントに出席されていた。

ダラムサラの自宅でしっかり静養して頂きたい。
次の行事は一週間後の今月30日から3日間ロシアグループのリクエストに答えてティーチングを行われる。
今回のテキストは「ゲルセー・トクメー・サンポ(カダン派の導師)の37菩提行論」。
おまけにグヒヤサマージャの灌頂も行われる。

もちろん、一般の人々も参加自由。
私も行くつもり。
ティーチングはいつものようにhttp://dalailama.com/のウエブで見る事ができると思う。

で、今日は最近話題になっている、法王完全引退の話をしたい。
法王は先月の北米ツアーの頃から度々この話をされている。

例えば、昨日のAFPの記事。

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<ダライ・ラマ、チベット亡命政府トップを引退へ>
http://www.afpbb.com/article/politics/2776538/6506727

【11月23日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世が来年、チベット亡命政府の指導者の立場から引退する意向を示した。仕事量や儀礼的な役割を減らすことを検討しているという。ダライ・ラマの報道官テンジン・タクラ(Tenzin Taklha)氏が23日、AFPに語った。

 チベット亡命政府は1960年にインド北部ダラムサラ(Dharamshala)に拠点を移した。2001年には初めて亡命中のチベット人による投票で主席大臣を選出した。

 タクラ氏によれば、投票以降、ダライ・ラマはいつも「半分引退した状態」と述べていた。また最近は「亡命政府議会に将来の引退について相談していた」という。

 タクラ氏によると、ダライ・ラマが「引退」するのは、決議への署名などの政府トップとしての儀礼的な役割からであり、宗教的指導者としての立場や、チベット人のリーダーとしての立場から引退するわけでないと強調した。

 タクラ氏は、「(ダライ・ラマが)政治的なたたかいの指導をやめるわけではない。彼はダライ・ラマだ。いつだってチベットの人びとを率いる存在なのだ」と述べた。(c)AFP

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この辺のチベット人はこれを聞いて特に驚く人もいなかったと思われる。
法王は何年か前から、「自分も年だし、人間として<引退>の権利があると思う」などと発言されていた。
2001年以降は、「私はチベット人のスポークスマンに過ぎない」とも言われていた。

実際、2001年以降はほぼ政治的決定は議会に任せ、最後の承認のハンコを押されていただけ、というのが現実だ。

もっとも、この引退も「議会などと話し合ってから決める」とおっしゃっている。
議会の誰かが「じゃあ、引退してください」なんて言うとは到底思えない。
従って、いやいやながらも亡命政府の代表を続けることになると予想される。
ただ、法王としては、何れは本当の老い、そして死という現実が待ち構えていることを自覚され、それを一般のチベット人にも自覚させ、自分なしでもちゃんとやっていけるように、今からしっかり準備せよ、と言いたいのだと思う。

来年の春には新しい首相と議員が選出される。
今までも、独立派を中心に「法王が政府のトップという、今の体制は本当の民主主義ではない」という意見もあったので、できれば若い者たちにすっかり任せたいのかもしれない。

対中国においてもその方がやりやすいと思われているのかも知れない。

何れにせよ、ダライ・ラマ法王はお亡くなりになるまで(お亡くなりになっても)チベットの人々を見捨てるはずもなく、またチベット人の信頼も揺らぐことはない。
影響力は全く変わらないであろう。





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2010年11月12日

チベット亡命政府次期首相予備選、若いロサン・センゲ氏が断然リード

a0b93d8c.png亡命政府の次期首相を選出する予備選挙の結果が今日発表された。

今日は日本の故郷である広島で「ノーベル平和賞サミット」が開催されたが、この方のニュースは国内の方に任せる事にして、私はダラムサラや本土チベットのニュースに専念。

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<予備選でロサン・センゲが断然リード>
phayul.com:
http://drichu17.phayul.com/news/article.aspx?id=28545&article=Dr+Lobsang+Sangay+holds+strong+lead+in+preliminary+polls

ハーバード・ロー・スクールの研究員、ロサン・センゲ博士が先月10月3日行われた首相予備選を断然リードした。

彼は2番手を1万票ほど離し、22489票を獲得。

選挙登録者79449人の内、実際に投票したのは47000票を少し越えたほど。
投票率約61%。

この予備選で50%以上獲得した者がいなかったので、規定に従い来年3月20日に上位6人による決選投票が行われる。
(もっとも、ロサン・センゲは約48%を獲得している。)

2位は元首相テンジン・ナムギェル・テトン、12319票。
以下。
3位、前議会副議長ギャリ・ドルマ女史、2733票。
4位、元大臣タシ・ワンドゥ、2101票。
5位、(元ダライ・ラマ法王内務個人秘書官)ロプサン・ジンバ、1545票。
6位、(元首相)コラツァン・ソナム・トプギェル、605票。

選挙管理委員会は同時に、第15期の亡命政府議会議員の予備選結果も発表した。http://tibet.net/tb/2010/11/12/གསལ་བསྒྲགས།-7/

こちら、各3地域(ウツァン/カム/アムド)ごとに50名の候補者、及び4大宗派ごとに10人の候補者の名が発表された。

来年3月に行われる最終投票により第3代目の直接選挙による首相、及び第15期の亡命政府議員が決定される。

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ネパール政府が無理やり奪って行ったネパール在住チベット人の投票箱は結局取り返すことができず、この選挙結果には反映されなかった。
また、ブータンからの票も入ってないというが、これはどういった事情なのか、不詳。

それにしても、こんなにロサン・センゲ氏が圧勝するとは、私にはちょっと予想外。
新しい風を求める若者層がどっと彼に票を入れたと思われる。
私は2位のテトン氏ともっと競ると思ってた。

ほぼ、50%なので本選もこの勢いで当選確実と思われる。

彼はまだ42歳。
彼はもちろん、中道路線を擁護しているが、若者を中心とする独立派の勢いがこれから強くなると思われる。
対中国において、より強行な路線が求められるかも知れない。
長老派との対立も考えられる。

法王は来年には政治的には完全引退すると表明されている。
来年からチベット亡命政府の雰囲気が、がらっと変わるかも、、、?

















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2010年10月22日

2008年3月14日のラサデモに参加し、最初に亡命を果たしたソナムの証言

c5fe0674.jpg再掲/2008年5月4日分


先ほど、4日午後6時ごろ、3月14日/ラサ蜂起の、参加者、目撃者である、ケルサン・ソナム氏にネレンカン(ダラムサラ難民一時収容所)で会い、話を聞いてきた。


彼は半年ほど前にカムからラサに一人出稼ぎに来ていた。
パルコルでチベット小物の露天商をしていたという。

3月14日のことを聞く。

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朝8時ごろまずラモチェ寺院の僧侶たちが寺院前からデモを始めた、最初は40〜50人の僧侶だけだった。
それを見た周りのチベット人がそのデモに続々参加し始めた。
どんどんその数が増し1000人ほどにも膨らんだ。
彼も「これは一大事。ここで声を上げないと。やるぞ!」との思いで胸が一杯になり、いっしょに叫び始めた。
「ダライラマに長寿を!チベット独立!中国人はチベットから出ていけ!」と叫んだ。

デモが始まって30分ほどして軍隊が来た、
デモをするチベット人たちに向かって来た。
すぐそばで二人、僧侶と60〜70代の老婆が長い軍刀で刺されるのを見た。
それからはチベット人たちも軍隊に向かって石を投げ始めた。
チベット人たちもばらばらになったがグループごとになって逃げながらもデモを続けた。
そのころにはラサのチベット人街の至る所でデモや衝突が起こっていた。

10時半頃今度は拳銃を持った武装警官が来て青年2人と尼僧2人が撃たれて倒れるのを見た。
午後4時ごろには軍隊の装甲車が沢山現れた。
もう石を投げてもどうしようもない。
中から機関銃でバババババと撃ってきた。
少なくとも6人は撃たれて倒れるのを見た。
このときいっしょに声を上げていた友人の一人がすぐそばで胸を撃たれて倒れた。
そして間もなくその場で死んだ。簡単に布切れを巻き供養とし、その場を離れた。
倒れた者たちはすぐに兵隊が拾って持ち去って行った。
みんな消えたままだ。

夜の9時ごろ疲れてセラの近くの仮屋に帰った。

次の日から毎日夜中の1時、2時に兵隊が家々を一軒一軒回るようになった。
14日にどこに居た、何をしていたと聞く。
18日までは全く家から外に出ることを禁止されていた。
食糧も買えなかった。
このままここに居ては捕まるだろう。
捕まれば刑期20年だろう。
食い物も、水も与えられず、寝ることさえ許されない。
もうインドに逃げるしかないと決心した。

彼は実は1988年18歳の時にもラサでデモに参加したという。
その時は6か月投獄された。その後もカムでデモに参加し逮捕されたこともあった。それで監獄の酷さは身にしみて知っていたのだ。

運良く彼は3月9日にネパールビザを取得していたのだ。
初めてだがネパールから品物を仕入れようと考えていたからだ。
それを使って7,8回の検問を抜け国境での2時間以上の尋問の末、遂に国境を越えてネパール側に出た。
その時の解放感は忘れがたい。


3月26日、国境を越えネパールのネレンカンに一か月ほどいた。
7日前にダラムサラに到着した。

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本人了解の上、写真と実名を載せる。




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