ダラムサラニュース

2010年12月06日

亡命チベット社会の人口統計

96aabb80.jpg先週、亡命政府の計画委員会(The Planning Commission)が亡命チベット社会の人口統計を発表した。

実際には人口だけでなく、その他の細かいデータが調査されていて、「国勢調査」と呼べる立派なものなのだが、悲しいかな今、国はないので「人口統計」と呼ぶしかないのだ。

調査は初め、前調査から10年経った2008年に行われる予定だったが、この年チベット本土で一連の蜂起が起き、政府も亡命社会も落ち着かなかったということで、結局その翌年2009年4月12日に実施された。

今日、計画委員会に行って、この報告書を手に入れてきたので、その中からいくつかの数字を拾いながら紹介する。

まず、この調査によれば、チベット本土以外に住むチベット人の総数は127,935人で、1998年前回調査の111,020に比べ16,915人増えたという。
内訳はインドに94,203人、ネパールに13,514人、ブータンに1,298人、その他に18,920人となっている。

このその他の内訳を見るとヨーロッパに5,633人アジア・オーストラリアに1,120人、北米に11,112人、アフリカに9人、その他に1,046人となっている。
ヨーロッパでチベット人の多い国をいくつか挙げると、スイスに2,830人、ベルギーに863人、イギリスに501人、フランスに486人、ドイツに299人。
アジア・オーストラリア地区ではオーストラリアに509人、台湾に376人、日本には176人いることになってる。
北米ではアメリカに9,135人、カナダに1,977人。

インドの中で一番多いのはダラムサラで13,701人。10年前には8,111人だったから増加率は相当だ。
その他南インドのセトルメント、Doegulingに9,847人、Lugsamに9,229人いる。その他の南インドのセトルメントを合わせると約3万人が南インドにいることになる。

もっとも、国籍を持っていないとか、今申請中だとかいうことで意図的にこの調査に漏れている人と、実際に拾いきれなかった人を合わせると、概算見積もりで約15万人のチベット人が本土以外に住んでいるであろうと、報告書は述べている。

出生率は1987~89年にかけて4.9だったものが、1998年には1.22に急降下。
2009年にはたったの1.18になったと。
これは日本の1.3よりも低い率だ。
女性の教育レベルが上がったためとか言ってるが、これはちょっと異常に低いと言えよう。
幼児死亡率は1998年より60%改善され15.44/1000になったが、平均余命は今回の調査では67.45年であり、これは前回より5.05年も縮まったという。
子供も生まれず、老人も増えずでなぜ人口が全体で増えてるのかというと、もちろん、この間どんどん新しく本土から亡命してくる人がいたということなのだ。

平均余命が縮まっている現象に対する説明の一つとして、「TB(結核)やマラリアで死亡する人は減っているものの、HIV/AIDSや事故、自殺が増えている」と書かれているが、ちょっと説明になってないような気がする。
チベット医学も良いが、余命率を上げてこそ医療、ここはもっと根本的改革をして頑張ってほしい。
もちろん、インドの医療システムにも問題があるのだが、、、

チベット人、栄養学的知識が乏し過ぎるのもあるよな~、コルラ以外の運動もしないし、、なんて思ったりする。

もっともインドの平均余命は2008年に63.7歳というから、それよりはマシと思えないこともない。

男女比を見ると798/1000で断然男性が多い。
一つにはまだまだ男の子を望む社会風潮があることと、もう一つは亡命してくる男性のほうが女性より多いということが理由であろうと書かれている。

識字率は98年の69.3%から09年には79.4%になり、この間約10%アップされたという。

農業就労人口は22.5%から8.1%にダウン。

西欧諸国への移民については、1998年から2009年の間に9,309人が移民したとし、大人の中で現在西欧に移民したいと望んでいる人の割合は68%に上るそうだ。

本土から逃げ出したい人は大勢いるであろうが、国境警備も厳しさを増し、これからも、ネパールを越えて亡命してくる人の数は減り続ける事だろう。
一方インドやネパールを捨てて西欧に移民する人の数は増えるばかり。
出生率の低下もあって、これからチベット亡命社会は減少期に入るのではなかろうか?



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2010年05月25日

ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日

25.5.2010 ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日今日はルンタ・レストランの大黒柱、ダラムサラの母、直子さんの誕生日。

開店中内輪で、小さなパーティーを行った。

このとても可愛い、小さな、小さな「HAPPY BIRTHDAY」タルチョを作って下さったのは最近ダラムサラに来て、仏教を勉強するためにチベット語を猛勉強しているという小林さん。

彼は歯医者さんでもある、道理で器用に小さなタルチョを歯並びよく作れたわけだ。

25.5.2010 ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日写真、前列左から、直子さんの旦那でありレストランのマネージャーでもあるソナム、直子さん、直子さんとソナムの長女チュニ、チベット語を勉強してるヒサエちゃん、二女のチカ、刺繍タンカの達人アキちゃん、そして右端はルンタの看板従業員妊娠中のニマ。
後列左から、ボランティアのゼマ、アヤちゃん、歯医者の小林先生、元僧侶監獄5年のダワ・ソナム。


25.5.2010 ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日直子さんのお陰でNGOルンタ・日本食レルトランは1999年開店以来、満員御礼の日が続いている。
チベット人と日本人が一緒になって毎日楽しく仕事をしている。
厨房では朝から晩まで、歌とジョークが続く。

今厨房で働いている4人のチベット人も全員5年前後政治犯として中国の監獄に入れられていたものばかり。
今までに20人ほどの元政治犯がここで働き、その後が多くが外国に渡った。

日本人のボランティアもこれまでに20人以上がここで働いてくれた。
一度、ここを手伝い始めると、楽しいのか、何だか、、、とにかく長く何年にも渡って手伝いに来てくれる人が多い。

25.5.2010 ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日今もレストランでは、朝ヨガも教えてくれてるアヤちゃん、ビパシャナ・マスターであり、ダラムサラ一の指圧師でもあるマモルくん、短期のヒロくんがボランティアとして働いてくれてる。アヤちゃんとマモルくんは数年まえから手伝ってくれてる。
二人とも、身体ができているので、動きが素早いのが特徴だ。




25.5.2010 ルンタ・レストラン 直子さんの誕生日それに、数日前からはドゥンドゥップ・ワンチェンさんの奥さんであるラモ・ツォさんもボランティアで働き始めた。
何で、彼女がルンタでボランティア何かするの?と、思われるであろう。

これは、彼女が「外国に行く前に英語に慣れたい、ついでに直子さんから色んなパンの作り方を習いたい、だからルンタで働かせてくれないか?」と行って来たからなのだ。

昨日から、外人相手にオーダーを取る練習をしている。















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2010年05月21日

今夜9時からTwitter上でダライ・ラマ法王が中国人ネットユーザーたちの250の質問に答える

アメリカをご訪問中のダライ・ラマ法王は、いつものように各地で熱烈な歓迎を受けておられるようだ。

毎日法王はいろんな場で大事な話をされている。
今では、そのいくつかを直接聞くこともできる。

チベット語、英語、中国語でよければ19日から今日まで行われているシャーンティデーヴァとカマラシーラの講義をすべて以下で見たり、聞いたりすることができる。(追記、すみません。これは私の勘違い。シャンティーデーヴァのティーチングには違いないがこれは今年3月19〜21日、インドのデリーで行われたものだった。ま、内容は同じと思われるので、効果は同じ、是非お聞きください。法王は簡単な英語で講義されている)
http://www.dalailama.com/webcasts/post/94-shantidevas-guide-to-a-bodhisattvas-way-of-life

昨日行われた、NBCテレビの人気キャスターAnn Curryとの生インタビューショウも短いが、もちろんすばらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=N_T-k9wSXns



何よりも注目すべきは今夜、日本時間9時ごろ(今から約一時間後)から始まると予告されている、Twitter上でのダライ・ラマと中国人ネットユーザーとの対話だ。
これを企画し進行させるのはウーセルさんの夫でもある王力雄さんだ。

ダライ・ラマは、どれだけ時間がかかるのか想像がつかないが、とにかく、中国本土のネットユーザー1100人から寄せられ、12000人が選別に関わったという、250の質問に答えるそうだ。

結果はまとめて後で王さんやウーセルさんのブログhttp://wanglixiong.com/にも発表されると思われるが、ライブで楽しみたい人はTwitterにアクセスしてみてください。
中国人の方など是非参加してみてください。(心開けば)意外な発見があるかもですよ。


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お知らせついでに、以下日本の神戸方面で行われる、友人たちのイベントのお知らせ。

<5/30 神戸・岡本でサカダワ・ライブとスライドショー>

チベット暦の4月はサカダワと言って、15日(新暦で今年は5月27日)は、お釈迦様の誕生日と覚りを開かれた日と涅槃に入られた日とされ、チベット人は盛大にお祝いします。
そのサカダワ祭に合わせてチベットの事を知ってもらうために神戸でスライドショー+ライブのイベントを行いますのでよろしければお越しください。

”サカダワ・チベットのライブとスライドショー”

●場所:神戸市東灘区・岡本 『ミドリカフェ』
    http://midoricafe.jp/

●日時 : 2010年5月30日(日) 

・18:00〜 スライドショー「チベットのいま」 出演:風来坊×石島ぱぴ
2009年、チベットを旅行して生の状況を見て、聞いてきた2人がチベットの現在を写真を織り交ぜながらレポートします。  

・19:30〜 チベット民謡投げ銭ライブ  出演:川辺ゆか×中原美和
チベット高原に昔から伝えられてきた民謡を弦楽器ダムニェンに合わせて歌います。

●料金 : 参加費200円+1ドリンク800円

★風来坊
長年リーマンパッカーとして世界各地を旅行していたが、ネパールでチベット人のパワーに圧倒されてチベットに興味を持つようになった。昨年、長年勤めた会社をやめて単独でチベット本土を旅行。現在、チベットの楽器”ダムニェン”に熱中。
GO!GO!TIBET@風来坊 http://www.geocities.jp/gogotibet/

★石島ぱぴ
幼い頃にチベットの苦難を知り、以来里親やチベットサポートイベントの開催など、チベット支援に積極的に参加。昨年は長期にわたりチベット各所を旅行。チベットで見てきた事、知った事を多くの人に伝えたいと奮闘中。

★中原 美和
2000年、ネパールでツェリン・ギュルメ氏よりチベット民謡を学び始める。 翌年ツェリン氏の師ゴンポ・ドルジェ氏を、インド・ダラムサラに訪ね教えを受ける。 以後、インド、ネパールへ定期的に通い、亡命の地でチベット伝統音楽を継承する演奏家たちに師事。チベット各地の伝統音楽、民謡を学んでいる。チベットの音をそのままのカタチで演奏する。 仏画師が、師の線をひとつひとつたどるように。

★川辺ゆか
自らの足で訪れ時間をかけ宝物のように拾い集められた音楽を異国の言葉と美し>いメロディーで表現。 国境を越えて日本、チベット、東地中海、アイルランド等々の歌をうたい、奏でる。関西を拠点にオランダ、オーストリア、ウズベキスタンほか各地で演奏を行う。
川辺ゆかHP http://homepage2.nifty.com/utauaho/

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最後に余談だが、

今日は記念すべき、世界で初めてコンピューターが生命を作りだした日、、なのか?
http://www.47news.jp/CN/201005/CN2010052001001026.html

ゲノム(全遺伝情報)を人工的に合成できるとすると、次はどうなるのか?

これで、来生神話は終わったか?
何て、ことないか?







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2010年03月30日

ITSNアジア地区会議

26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting一昨日、三日間行われた「ITSN(The International Tibet Support Network 国際チベット支援ネットワーク)アジア地区会議」が終わった。
参加した国は11カ国。
このうちアジアからは日本、台湾、香港、韓国、バングラデッシュ、インド、オーストリアの7各国。
その他ケニア、アメリカ、イギリス、フランスからオブザーバー資格の参加があった。総勢52人。

会議の報告と言っても、この会議、プレスも入れない内輪の作戦会議なので、全部明かすという訳にはいかないところもある。もっとも仲間内には内容を周知させないといけないという面もあって、難しい。
このブログにも最近光栄にも中国側からのアクセスも認められるようになった、ということでブログでは概要報告のみ。
チベットサポートでは僻地である日本への、中国からのネット攻撃は稀であろうが、中心地アメリカやイギリス、フランスのサポートグループへの攻撃は日常茶飯事と化しているようだ。
会議ではネット攻撃を回避する方法という講義も行なわれたほどだった。

アジア会議というとこのダラムサラに本部を置く亡命チベット人のNGOも参加することになる。
例えば政府外5団体として有名なチベット青年会議、チベット女性協会、SFT,9−10−3の会、NDPT(チベット国民民主党)の内、大会を控えるNDPT以外の4団体が参加していた。
地元ではあるしで彼らは競ってその存在感をアピールしていた。特に女性協会と9−10−3は会長自ら乗り込んでロビングに励んでいた。

日本からは5人も参加していた。この前の世界会議の時には牧野議員を入れた4人だったので、今回は最大人数の参加ということになる。
26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting25人とは、SFT Japanから代表のツェリン・ドルジェさんとジョン・ウッドさん、KIKUから三好さん、スーパー・サンガから林さん、それにルンタから私という面々。

英語の会議はもちろん苦手の私などはほんのオブザーバー程度だったが、嬉しかったことは、昨日RFAカム語放送でこの会議のレポートが流され、その中で「台湾、日本など11カ国が参加した」と報告されたことだ。
これを聞いたチベットの中の人は「日本人も助けようとしてくれてる」と思うことができるであろう、それだけでも参加した意味はあったわけだ、と喜んだわけだ。
もっとも、日本は今まで「チベット問題に貢献してきた」などとはお世辞にも言えないほどこの分野では後進国だ。期待に応える責任も同時に感じた。

日本ははっきり言って世界のチベット支援の輪にはまるで加わってないに等しい。
まずは言語の問題もあるであろう。日本の支援団体間の連絡が良くないという問題もあるであろう。
内部事情は別にして、最近はロンドンの若松えりさんがボランティアでITSNの重要なキャンペーンのお知らせなどは翻訳してくださっている。
今まで、私を含めだれも翻訳の労を引き受けなかったのだから、これは有難いことだと私は思う。

28.3.2010 ITSN meetingITSNは加盟支援団体の話合いの上に様々なキャンペーンを行なう。
例えば、政治囚解放キャンペーン、チベット第三極キャンペーン、各国首相へのレターキャンペーンなどだ。
その他、イベントやデモ、議員へのロビングに使うための参考資料を供給したりする。
キャンペーンの多くはオンライン上でサインするだけのものだ。
オンライン上で例えば6年の刑を受けたドゥンドゥップ・ワンチェンさんの解放を訴える手紙にサインするということはチベットサポーターならあたり前のことだ。最低限の義務ともいえる。
知ればサインする人も多いと思う。

ルンタは11年前にできた時から元政治犯を援助することと、チベットの人権状況を伝えることを活動の中心にしてきたので、政治犯解放運動にも10年前頃から関わって来た。そのころはアムネスティと連携することが多かったが、外の世界から手紙を送ることは意味のないことではない。ちゃんとそれなりの成果を上げて来たのだ。

だから、これからも色々なキャンペーンが行なわれると思うが、出来るだけお知らせするので、それを日本側でなるべく多くの人に伝わるようにしてほしいと思う。
実際にサインするかどうかは各団体や個人の自由だ。

26.3.2010 Dharamsala ITSN Meeting3前書きが長くなった。会議の話に入る。
初めに首相のサムドン・リンポチェが来られスピーチされた。
「今ではチベットには第四番目の帰依所がある。それは外国の支援団体だ」という法王の言葉を引用して支援団体を持ち上げた後、政府の現在の中国に対するスタンスなどについて説明された。
最後には「しかし、政府の政策に支援団体が従う必要は全くない。自由に討論してください」と政府は民間団体に枠をはめたりはしないことを強調された。
この辺は中国に隙を見せないためと、中国との違いをはっきりさせたかったのであろう。
団体の中に独立支持派も少なからずいることを知っての発言とも思えた。

実際討論やワークショップが始まると何と騒々しいこと、みんな言いたいことが沢山ある人が多いのでマイクは時に取り合いになるほど。熱いといえば熱い。
台湾と香港から一人ずつ女性が参加していたが、さすが対中国戦の最前線に位置するだけあって二人とも特に熱い。
香港からの女性は若く派手な服装で人目を引いていた。彼女は根っからの独立派のようで、相手が首相であろうと議長であろうと、誰であれ中道論者にはお構いなく反論するのであった。

27.3.2010 ITSN meeting ,HH Audience最初の日には其々の会の自己紹介とか、状況分析とかメディアトレーニングとかがあった。
夕方には議会にも行き、副議長のギャリ・ドルマ初め5人ほどの議員と短い懇談会が行なわれた。
夕食の後には、噂のドキュメンタリー「Sun behind the clouds」の上映会。
私は実はその時初めて見たのだが、良かったですね。早く日本語にしたいと思った。
題の「Sun behind the clouds」は、かつてラサのダプチ刑務所で尼僧たちが歌っていた獄中歌の一節から取ったものだと初めて知った。それを最後に、このブログでも紹介したことのあるリンジン・チュキさんが歌うのだ。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-09.html#20080923

この上映会が終わったのは夜の11時。

二日目の午前中は主な4つのキャンペーン計画についての討論。
4つとは:
チベットにいるチベット人を最優先とする。
各国政府がチベット支援のために具体的行動を取るよう圧力をかける。
チベット政策に直接関わる中国政府指導者をターゲットとする。
選択された中国人に接触する。

27.3.2010 ITSN meeting men.で、この後全員ダライ・ラマ法王との謁見があるというので、急いでパレスに向かった。
法王との謁見は最初プログラムにはなかったが、ちょうど法王がダラムサラにいらっしゃるというので時間を割いて頂けたのであろう。
この謁見はいろんな意味でなかなか興味深かった。中にテンジン・ツンドゥといういつも赤鉢巻きをしている有名な独立論者がおり、彼が法王を刺激し、普通でない雰囲気の謁見となった。
長くなるので詳しくは何時かまた。


27.3.2010午後にはまず中国学が専門のネルー大学教授アルカ女史の講義。
専門家とし現状分析と将来の展望についてインドのスタンスを含めながら話された。

その後、先のコペンハーゲンで行なわれた環境会議cop15に「チベット第三極」のキャンペーンを掲げて参加した、チベット人団体の報告。中国の使節団に突撃接触しようとするも果たせなかったという話とか面白かった。
最後に、各国政府が中国の圧力に屈しつつある現状をいかに打開すべきか、政府にいかに働き掛けるべきかを中心に討論。

この日、夕食後に囚われの身であるドゥンドゥップ・ワンチェンの妻ラモ・ツォが招待され、みんなで夫の解放を訴える彼女の話を聞いた。その日はちょうどドゥンドゥップ・ワンチェンが逮捕されて二年目に当たっていた。
いつもだが、彼女は話始めると興奮し、止まらなくなる。涙をこらえながら話す彼女の姿に目を潤ませながら聞いている人が多かった。

三日目には「囚人解放キャンペーン」を中心に部会に分かれ議論が続いた。
ITSNはドゥンドゥップ・ワンチェン、テンジン・デレック・リンポチェに続きあと7名、計9名の政治囚の解放に焦点をあて、これからも彼らの解放キャンペーンを行なう。

Tsewan Dundup昼食後、今度は、二発の銃弾を受けそのまま治療も受けず、一年以上も山に逃げ隠れていたツェワン・ドゥンドゥップが証言者として呼ばれた。
彼の話は何度もブログで紹介したが、この日の彼の話はまた良かった。
その中で彼は、デモを知ってそれに加わりに行く時の様子を次のように描写していた。
「俺たちにとってはダライ・ラマとパンチェン・ラマは自分の命よりも大事な宝のような存在だ。同じように僧侶や尼僧も俺たちには大事な宝だ。その僧侶や尼僧がデモを始めたと聞いては駆け付けないわけには行かない。広い平原を叫び声が聞こえる方向へと、自ら走り、あるいはバイクや馬に乗って、みんなが全速力で向かっている様子はまるで、ご帰還されたダライ・ラマにでも会いに行くために急いでいるかのようだった」

ラモ・ツォとツェワン・ドゥンドゥップの二人には何れ世界ツアーをやってもらうことになるだろう。
現在二人ともパスポート(代わりになる証明書)の申請をしているが交付までにはまだ数カ月はかかる見通しだ。
パスポートができれば、日本にももちろん連れて行きます。

午後はまとめセッションがあって、終了。
連日連夜の英語の洪水から解放され私の頭はホットした。
でも、ま、いつもだかみんなの熱心さには感心する。
世界中の様々な人たちがチベットをサポートしている。
日本人も少しは世界と連帯してキャンペーン等に貢献したいものだ。

ITSNについて詳しく知りたい人は以下のホームページへ
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2010年02月01日

対話の成果は?

第9回チベ・中対談も終わり、特使たちは今日の朝デリーに到着、午後にはダラムサラに飛んだ。

今頃は法王や首相に対談の結果について報告している頃でしょう。
まだ、正式には何の発表もないが、今日付けの新華社の英語版に関連記事が載っている。
その中で、今回も対談相手だった杜青林(Du Qinglin)統一戦線工作部長は前回と全く同じようなことを言ってる。
はっきり言って、訳す気にもならないので、知りたい人は以下を読んでみてください。
http://news.xinhuanet.com/english2010/china/2010-02/01/c_13159016.htm

やれやれ、何のために呼び出したのやらです。
中国政府のやることは実際よく解りません。

明日には、双方何らかの声明を発表するはずです。





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2010年01月25日

ダライラマ特使が明日中国に到着

8eb6078e.jpg突然の発表です。

今日付けdalailama.comのプレス・リリースに、
http://www.dalailama.com/news/post/484-press-statement

「ダライ・ラマ法王の特使であるLodi G. Gyari とKelsang Gyaltsen は中国政府指導部の代表たちと会談するために明日、中国に到着する。これは第9回目の会談である。2002年に始まったこの一連の会談は、今回15カ月ぶりに行われる。」と発表され、パユルも会談を知らせる以下の記事を載せている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26471&article=Dalai+Lama%e2%80%99s+envoys+to+arrive+in+China+tomorrow+for+ninth+round+of+talks

会談にはあと3人Tenzin P. Atisha, Bhuchung K. Tsering、Jigmey Passang が同行している。彼らはいずれも「会談のための特別作業委員会the Tibetan Task Force for negotiations」のメンバーである。

確かに今月20日から2日間この特別作業委員会が開かれていたことは知っていたし、その中で首相のサムドゥン・リンポチェやロディ・ギャリ・リンポチェが「会談は続けられるであろう」とか「何らかの進展が期待できる」とか言ってはいたが、明日から会談なんて全く想定外でした。

22日には法王の下に首相と2人の特使が赴き、作業委員会の報告と会談への法王の助言を求めたという。

特使たちは来月初めまで中国に滞在する。

追記:
対話は北京で行われ、再開は中国側が呼び掛けたという。

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気が付くと日本の各新聞社もこのニュース伝えてました。例えば、

<チベット問題>ダライ・ラマ側と中国政府の対話再開へ
1月25日21時59分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100125-00000124-mai-cn

 【ニューデリー栗田慎一】インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府関係者は25日、毎日新聞の取材に対し、「チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の代理人と中国政府の非公式協議が26日、北京で再開される」と明らかにした。

 非公式協議は08年11月以来で9回目。前回の協議では、ダライ・ラマ側から出された「高度な自治」案の受け入れを中国が拒否。ダライ・ラマは「チベット側から次回協議を求めることはない」と公言し、協議を中断していた。

 ダライ・ラマの上席秘書チョキヤパ氏は電話取材に対し、「中国側の要請で再開されることになった」と述べた。「中国政府内部に何らかの変化があったのかもしれない。亡命政府側が『高度な自治』を求め続けることに変わりはない。チベット問題を解決する重要なステップとなると信じる」と強調した。





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2010年01月19日

10人のネパール越境チベット人は国連に引き渡された

17日にお知らせした、ネパールのドラカで拘束された10人のチベット難民は無事UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に引き取られました。

これは18日付パユルからの情報です。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26431&article=Nepal+hands+over+detained+Tibetans+to+UN%3a+report

それによれば、ネパールの移民局は彼らを尋問した結果、反中国運動のためではなくインドにいるダライラマに会うために越境してきたことが判明したので、国連に引き渡したという。

ネパール当局は当初、盛んに「彼らは中国大使館に引き渡されるであろう」と言っていたそうだ。それなのに、意外とあっさりUNに引き渡したのは、やっぱり、外が騒いだことが影響したのか?

ネパール政府や軍隊、警察が、国境を越えてきたチベット人たちを、中国側に引き渡すということは、これまでにも何回もあったのだ。一部報道はこれまでにネパールから中国に引き渡された亡命チベット人はいないと言っているのは間違いだ。

例えば、2003年6月に18人のチベット人がコダリで中国側に引き渡された様子はパユルの以下の記事に詳しくレポートされている。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=4280&t=1&c=1

友人でもある元政治犯のチベット人は、95年頃、ヒマラヤ越えの後、ネパール側で軍隊に捕まり、中国国境へとトラックで護送される途中、トラックから谷に飛び込んで助かったと私に話した。

そのほか、国境付近でネパールの警官や軍隊に見つかった場合は金を要求されるというケースが多いと聞く。
何日か拘留されたのち、国境付近まで連れて行かれ、「帰れ」と言われて解放されたというのもある。

これからも中国の圧力により、国境警備は益々厳しくなり、UNの力は弱くなるばかり。亡命するチベット人たちのリスクは増すばかりだ。



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2009年09月26日

新たな証言インタビュー集ビデオが内地より持ち出された。

リンチェン・サンポ新たにチベットからの証言インタビュー集が届いた。
昨日情報省で開かれた記者会見で撮影者のリンチェン・サンポ氏が紹介され、一時間半にまとめられたビデオ上映の後、彼の解説が行われた。

この証言集の題は、チベット語では「ゴニョン・デンパ・ラトゥ」、直訳すれば「自分の経験した真実を証言する」という意味。英語では「Unveiling the Truth」。直訳で「真実を暴く」と一応訳しておく。

39歳のリンチェン・サンポ氏はアムド・ゴロ、タンキャップ僧院の僧侶である。
彼は昨年10月中にゴロ各地のお年寄りを中心に21人のインタビューを収録した。
さらにインタビューを続けるつもりであったが、当局に気づかれ、逮捕の危険が迫ったのを知って、亡命を決意し、ヒマラヤを越え、12月末無事ダラムサラに到達した。

発表されたビデオは情報省が21人の中から15人を選び90分物に編集したもの。
以下にアクセスすれば現物を見ることができます。
http://media.phayul.com/?av_id=161&av_links_id=341

1958年(ゴロでは中国軍が本格的に殺戮を始めたのは1959年ではなく1958年)以前を知る老人たちに1958年以前の生活と以後の生活について語ってもらうというのが質問の中心だ。

15人すべての老人が、法王がいらっしゃったころの平和で幸せだった子供時代を語り、中国が来て以来、如何に苦しみのどん底に喘いだかを語った。
親兄弟が殺され、その死体の上で踊らされた者もいる。
黄河が死体でせき止められたのを見たという人もいる。
証言者の多くが両親が逮捕されるなり、殺されるなりして孤児になったという。

中国はチベット人は豊に幸せに暮らしていると言ってるが、自分たちの生活は今でも食うのがやっとだという。
全員、一生の願いは法王に一目でもお会いできることだと言った。

全員、殺されても悔いはないと顔を明かすことを承諾したという。

このような生き証人が消えていく前に危険を顧みず、記録に撮ったという意味は大きく、年老いたチベット人たち一人一人の偽りのない表情が心を打つ貴重なビデオだと思った。


この上映会のすぐ後、さっそく情報省にこのビデオの日本語版を作る許可をもらった。
少し短くして、出来るだけ早く日本語版を作りたいと思っています。

この前紹介した、ラモ・ツォのビデオの日本語版制作の許可も版元の女性協会からもらいました。これも早く日本語版を作ります。



以下、昨日の上映会のいくつかのシーンを写真に撮ったもの。
字幕をその前後とともに訳した。
(写真はいつものようにクリックすれば大きくなります)

アムド・ゴロ、村人の証言キェル・ケンギャル
中国政府は私の父と叔父その他の親戚をどこかに連れて行き、すべての持ち物を取り上げた。その長い年月チベット人の味わった苦しみは、例えば「死んだ者の死体をどこにも見つけることが出来なかったのだ。(生き残った者たちの)運命は押して知るべしだ」。だから、今はこうして笑うこともあるが、心は悲しみでいっぱいだ。


アムド・ゴロ、村人の証言カルツェ・ドゥギェル
1958年には多くの苦しみに堪えた。私は今、身体障害者だがこれもそのときの階級闘争にさらされた結果だ。食べるものが無かった。「そして、チベット人は文字どうり草と糞で生きぬいたのだ」。チベット人に振りかかった苦難とはそのようなものだった。




アムド・ゴロ、村人の証言2ジャンツァン・カルキャップ
1963年に監獄から解放されたが、頼るべき者もなく行くところもなかった。
両親と妻はすでに餓死していた。「さらに、私は嘗てディ(メスのヤク牛)を数頭所有していたことから資産階級とされ、「悪党」の象徴として「黒帽」を被らされた」。それ以来人間としてのすべての権利をはく奪された。移動の自由も無かった。



アムド・ゴロ、村人の証言4セルサ・ノルブ
11歳のころ生き抜くためにもがき苦しんだ。そして障害者になった。父は監獄で死んだ。ほとんどの叔父は逮捕され、その後死んだ。「両親が死んだ。私は孤児となり彷徨った」誰も気遣ってくれる者もなく、幼い6人の兄弟姉妹が残された。




アムド・ゴロ、村人の証言3ケル・ドゥモ
我々チベットの年老いた世代の者たちには「死ぬ前にダライ・ラマ法王に一目お会いし、亡命中の同胞たちに再会したい」という強い願いがある。国連や世界中の国々に、我々の真実の戦いを支援してくれることを、心の底からお願いする。

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2009年06月29日

最近のダラムサラ

28.6.09ダラムサラの朝写真はダラムサラの昨日の朝です。
昨日の夕方、待ちに待った、今年のモンスーンの始まりと思われる嵐が起こりました。
一時間ほど、雷を伴った激しい雨が降り、お陰で今日から気温は5度ほど下がりました。
例年より二週間遅れのモンスーンです。
今年ほど暑かった年もないほどでした。

チベットに雨が降るのももうすぐでしょう。

ダラムサラ最近の出来事など、簡単に報告します。

ギャワ・カルマパ6月26日はギャワ・カルマパ・リンポチェのお誕生日でした。
25歳になられたそうです。

今のお住まいである下ダラムサラのギュト・ラモチェ僧院で御本人出席の中、盛大にパーティーが開かれました。
台湾中心の外人も大勢いらしてました。

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetans-celebrate-25th-birthday-of-gyalwa-karmapa-06272009212831.html

世界拷問反対の日同じく6月26日「国際拷問反対デー」に合わせ9−10−3の会(元良心の囚人の会)が中心となり、中国に対しチベット内での拷問を直ちにやめることを要求するためのキャンドル・ビジルが行われました。



http://phayul.com/news/article.aspx?id=25014&article=Tibetan+exiles+ask+China+to+%e2%80%9cStop+Torture+in+Tibet%e2%80%9d




28.6.09ツクラカンのブンツォ一昨日からツクラカンでは、毎年恒例の<マハ・グル・ブン・ツォ>がインド軍チベット部隊の後援で行われています。
5日間朝から、晩までグル・リンポチェを供養し祈願することにより、法王の長寿とチベットの自由が叶いますようにという、お祈りの読経会です。


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以下イギリスの瓜子さまからの署名お願いメールです。
Liu Xiaobo博士はチベット人を助けようとしたために逮捕されたのです。
是非少なくとも署名はいたしましょう。

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SFT UKの提案による中国人民主化運動家であるLiu Xiaobo博士釈放のための署名運動に対してのおねがいです。

全てのチベット支援者と支援団体に、6月23日に中国政府により正式に逮捕されたLiu Xiaobo博士釈放のための署名に参加されることを要請します。

1996年に、Liu Xiaobo博士は当時の中国首相、江澤民に対してチベットの民族自決権を支援しダライラマとの対話を訴えた連名の手紙を書いたために3年の強制労働の判決を受けました。

Liu Xiaobo博士はチベット人の支援のために、2008年に発表された中国人著名人によって連名署名された公開声明 “Twelve Suggestions for Dealing with the Tibetan Situation”, 「チベットの状況に関する12の提案」に大変重要な働きをした学者です。

チベット人文学者ウーセルは自身のブログ “Silenced Voices”で、ロンドン在住の若い運動家によって起こされた運動として、写真とともに、このニュースと署名サイトについて触れています。

ブログと写真はこのリンクで;http://woeser.middle-way.net/2009/06/blog-post_6000.html

署名は;http://is.gd/1efvd


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2009年05月31日

チベット美人コンテスト/法王デンマーク首相と会談/カシュガルの町が消える

d81790bb.bmpダラムサラでは毎年恒例となった<チベット・ビューティー・コンテスト>が始まりました。
2002年にロプサン・ワンゲル氏によって始められた、この社会ではユニークなイベントですが、毎年応募者が少なく、ある年は応募者なしとなったり、首相のサムドン・リンポチェから「チベット社会に似合わない」とかの批判を浴びたりと、多難続きでした。

今年は4人もの応募者があり、スポンサーもやっと付いたようです。
どうしても、詳しく動画でインタビューが見たいという人は以下へどうぞ。

http://media.phayul.com/?av_id=156

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法王デンマーク首相と<ダライ・ラマ法王は5月30日、デンマーク首相及び外務大臣と個別会談を行われました>

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24832&article=Dalai+Lama+meets+Danish+PM%2c+Foreign+Minister

ダラムサラ、パユル5月30日:
法王はデンマークに到着後、直ちに首相Lars Løkke Rasmussen 氏、及び外務大臣Per Stig Møller氏との個別会談に臨まれました。

Rasmussen首相は「デンマークには仏教徒は多くないが、多くのデンマーク人が法王のことを称賛し、尊敬している。デンマークはチベットの人権を擁護する」と述べた。
法王はデンマークでは仏教講義と「内なる平安から平和へ」と題された一般講演を行われる。

法王は「すべての私の外国訪問は精神的、教育的性格のものだ。私の二つの誓いである、同じ人間家族の一員として<温かい心>を促進すること、宗教化として<宗教間の調和>を促進することのためだ」
と述べられた。

法王と外務大臣との間の会談では主にチベット情勢について意見交換されたという。
法王は夕方記者会見を開かれる。滞在先のホテルではチベット人やデンマーク人が温かく法王をお迎えした。法王のスカンジナビア諸国ご訪問は今回で8回目。最初は1973年だったという。

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カシュガル旧市街次は新疆ウイグル、カシュガルの話です。
旧市街のほとんどが壊されるそうです。

私は20数年前、カシュガルに行ったことがあります。
その古い町並みは昔のシルクロードの面影を残し、味わい深い佇まいでした。
それがほとんど完全に消え去ろうとしているとは悲しいことです。
ただの味もそっけもない共産党様式中華ビルになり果てるとは!

戦争に勝ったら、敵を皆殺しにし、略奪し、強姦し、町ごと破壊するのが当たり前とまだ思っている国があるわけです。

ラサの旧市街がこうならないことを祈ります。


中国政府、ウイグル旧市街地の撤去強行(上)(下)
「文化破壊」と住民反発

朝鮮日報 2009年5月28日
http://www.chosunonline.com/news/20090528000041

http://www.chosunonline.com/news/20090528000042

中国政府が昨年2月から、中央アジアで最も保存状態が良いイスラム都市といわれる新疆ウイグル自治区の都市カシュガルの旧市街地でウイグル人の伝統家族を撤去し始めた。人口22万人のうち、カシュガル市街地に住んでいるのは約9万人。その多くが住む旧市街地の建物の85%を撤去し、現代式の建築物や商店街を建設する再開発を進める見通しだ。

ここに住むウイグル人は、政府が建てたアパートに借金をして移り住まなければならない。政府は「土と木で建てられた伝統家屋は地震や火災など災害に弱いため」と説明しているが、「ウイグルの歴史と文化を破壊することは別の意味で災難だ」という非難が絶えない。

カシュガルはウイグル人が繁栄と没落を繰り返し、2000年以上も暮らしてきた古代シルクロードの交易都市だ。ウイグルは20世紀初めに2回独立しているが、1949年に中国に併合され現在に至っている。中国のウイグル弾圧は悪名高い。人権団体のヒューマンライツウォッチが2005年にまとめた報告書によると、ウイグル人の大半はイスラム教徒だが、18歳になるまでモスク(礼拝所)への立ち入りが禁止されている。若者への布教やイスラム教育を阻むのが狙いだ。

教師はひげを伸ばすことができず、女性は公共の場所ではヒジャブ(スカーフ)をかぶることができない。漢族の人口は1949年当時は6.7%だったが、攻撃的な移住政策で現在は40%以上に増え、ウイグルの民族コミュニティーを脅かしている。分離独立運動は「テロリズム」と規定され、弾圧対象となっている。

ウイグル人の危機感は、カシュガルの旧市街地撤去でさらに深まっている。女性住民(48)は米ワシントン・ポストに対し、「政府はわたしたちが漢族のように暮らすことを望んでいるが、ウイグル人は決して妥協しない」と語った。また、別の住民(56)は「500年前に祖先が建てた家が突然災害に弱くなるものか」と問い返した。

住民らは狭い路地が迷路のように続く旧市街地のコミュニティーで暮らしており、年間150万人に達する観光客を相手に手工芸品や伝統料理などを売り、生計を立てている。家を捨てろというのは商売を捨てろというに等しい。

 中国の市民団体「北京文化保護センター」は「カシュガルの(旧市街地)撤去計画は文化的、歴史的な角度から見て愚かなことで、ウイグル人の立場から見れば残忍なことだ」と批判した。スイスのシンクタンク、国際関係・安全保障ネットワーク(ISN)は今年4月に発表した報告書で、「旧市街地はウイグル人にとって文化のゆりかごであり、自分たちの歴史が具現された存在だ。移転先のアパートを旧市街地から最低8−9キロも離れたところに建てたことは、ウイグル文化を希釈化し、政府の統制を強化する意図があると見るほかない」と指摘した。

 中国政府の主張にも一理ある。カシュガル市政府は「旧市街地は地震が起きれば、建物の崩壊で数千人が死亡する第一級の危険地域だ。政府が市民を災害の脅威から守るのは当然だ」と主張する。カシュガルでは1902年にマグニチュード8.0の地震が起き、住民667人が死亡した。昨年10月にはカシュガルから160キロ離れた地点でマグニチュード6.8の地震が起きている。

 27日付インターナショナル・ヘラルド・トリビューンによると、地元テレビでは毎晩、地震現場の惨状と新築アパートの前で喜ぶウイグル人の姿を繰り返し映し出す15分間の広報番組を流しているという。3年間にカシュガルで英語を教えていたという米国人のジョシュさんはブログで、「建物に『撤去対象』と書かれているのを見ると、刑執行を待つ死刑囚のようだ」と書いた。北京師範大の呉殿廷教授(地域開発学)はワシントン・ポストに対し、「ウイグル文化が宿る家々が破壊されれば、ウイグル民族の文化も同時に崩壊する」と警告した。






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2009年05月30日

二発の銃弾を受けたツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

91d40697.jpg昨日お知らせしたダラムサラに到着した4人の勇者の続きのようなものですが、
その中、二発の銃弾を受けたまま山に逃れたツェワン・ドゥンドゥップ氏の話が今日のパユルにより詳しく出ていました。

写真は銃弾の痕を記者団に見せるツェワン氏です。

昨日のレポートで訂正あり、彼の年齢を31歳と書いたのですが39歳(政府)か38歳(パユル)の間違いでした。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24824&article=From+Dharamsala+Tibet+protesters+recount+Chinese+atrocity

デモは昨年3月24日、カンゼ県ダンゴで起りました。
中国側の発砲により2人死亡、10数人負傷と言われていますが、彼らはもっと多いはずだと言っています。

以下ツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

「午後4時半ごろ行進はまずガゴン尼僧院の約150人の尼僧たちによって始められた。
すぐにぺルデン・ツォクリ僧院の僧侶が大勢合流した。
その後、農民を中心に数百人の一般人が行進に合流した。

300人以上の武装警官隊が押し寄せ、チベット人に鉄パイプや電気棒で襲いかかり、催涙弾を撃ち、そして銃で狙い撃ちし始めた。
彼らはチベット人に対し全く情け容赦なく兇暴に振る舞った。

撃たれて路上に倒れていた、グンガという僧侶を助けようとしていた時、自分も二発撃たれた。
一発は背中からへその上あたりに向けて貫通した。
もう一発は左肘に当たり、私は意識を失いかけた。(ここで彼は傷痕を見せる)

私が撃たれるのを見た弟のツプテンがバイクに乗って助けに来てくれた。
その時、助けようとしていた僧侶はすでに死んでいた。

それから、一年以上も警察に捕まることを恐れて、病院にも行けず、山の中で生死を彷徨った。
弟のツプテンがずっと一緒にいて助けてくれた。
警察に追われていつも走って逃げねばならなかった。

自分たち二人に15〜20000元の賞金がかけられ、指名手配されていた。
だから家には近づけなかったが、家族と山で6ヵ月過ごしたこともあった。
しかし、病院に行くことも出来ず、私の銃創は悪くなる一方だった。
傷は腐り、膿が溢れ、ウジが湧いた。その痛みは耐え難かった。
容態は悪化するばかりで、もう死の一歩手前までいった。

しかし、法王に必ずお会いし、また外の世界に、この中国弾圧下のチベット人たちの苦悩を知らせるために生き抜こうとの希望と決心が湧き、それが私の身体を強くした。

家族と特に弟の助けがなければ今生きていないであろう。感謝している


ーーー

アメリカの学生の質問「何をしてほしいか?」に答えて、

ツェワン氏:

「国際機関は一方的な中国側からの情報だけでなく、真実を見極め、真実に基づいてチベットを支持してほしい。

法王がチベットにお帰りになられるように、パンチェン・リンポチェを含めたすべての政治犯が解放されるように、助けてほしい。

メディアの人たちは中国の支配の下でチベット人が如何なる状況に置かれているのかを知るために、個人で勇気を持ってチベットの村々に深く入り込んで現実を調べてほしい。
必ず、中国によって巧妙に隠された、真実の言葉を聞くであろう。


去年中国政府によって示された、チベット人に対する暴力の激しさの程度を見るにつけ、政府はチベット人の生命や福祉に全く敬意も関心もないということをチベット人は理解した。

私は平和的に行進している集団に対し、あれほどの暴力を振るうということが考えられない。去年の出来事の後、チベット人の敵対心がどれほど高まったことであろう」


二人の兄弟は国境を「チベットにいるチベット人の苦しみを少しでも少なくするために必ず働く」との確信と希望と共に越えた、という。






















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2009年05月28日

ギャワ・リンポチェ、ヨーロッパ遠征にご出発

694e7995.JPGギャワ・リンポチェ(法王)は今日午後4時頃ヨーロッパ訪問のため、サラムサラを発たれました。
最初は30日、31日のデンマークです。





法王を見送るインド人たち写真二枚目は法王を見送っていたインド人クーリー家族です。
最近前の道を直すために道端に住み始めました。
何だか、子だくさんで楽しげです。

元インド的風景というか、、、インドの現実というか、、、
中国ではすでに許されない風景です。

以下中国のニュースばかりです。

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北京で陳情者数十人を拘束 ペロシ米議長に人権訴え
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090527/chn0905272034002-n1.htm

ペロシ米下院議長が訪中したのに合わせ、中国政府の対外宣伝部門を主管する国務院新聞弁公室庁舎前で27日、地方から集まった数十人の陳情者が「ペロシ、中国の人権に関心を持って」などと連呼したが、警官に拘束された。

6月4日に天安門事件から20年の節目となるのを前に、北京市内は警戒が高まっている。ペロシ氏は訪中前の記者会見で、中国の人権問題への言及を避けていた。

貴州省から来た陳橋員さん(31)は、炭鉱事故で死亡した妻の遺影を持ち「事故の責任は行政にある。責任を取らせたい」と強調。陳情者らは、真っ赤なスプレーで庁舎の門に「腐敗を打倒せよ」と書いた。警官は、現場を撮影する外国メディアのカメラを奪い取ろうとするなど、取材も妨害した。(共同)

ーーー
これに関してもう少し詳しく知りたい方は以下へ、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24808&article=China+protesters+see+red+over+Pelosi+visit

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天安門事件の再評価の声 過去最高61% 香港
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090528/chn0905280026000-n1.htm

香港大学が27日発表した世論調査の結果によると、1989年の天安門事件につながった学生運動を「暴乱」と規定した中国政府に対し、評価の見直しを求める香港市民が前年比約12ポイント増の約61%に達し、同様の設問を始めた1997年以来、最高を記録した。

6月4日に事件から20年となるのを前に、香港市民の関心が高まっていることが背景にあるとみられる。

事件当時の北京の大学生の行動が正しかったかどうかとの設問でも、約56%が正しかったと回答し、1995年以降では最高だった。

中国本土では、政府批判の高まりを警戒する当局が、事件をめぐる同様の調査を規制しているが、「一国二制度」下にある香港では同大が6月4日を前に毎年調査を実施。今年は5月19〜22日に約1000人に聞いた。

産経新聞 2009年5月28日

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中国で地下教会の民主活動家が監視下に
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090528/chn0905280151002-n1.htm
2009.5.28 01:50

 中国の民主活動家でキリスト教地下教会信者の余傑氏が27日、北京市内の自宅で公安当局による監視下に置かれたことが分かった。

 中国当局が民主化運動を武力鎮圧した天安門事件から6月4日で20年となるため、公安当局は民主活動家の動きを警戒しているとみられる。

 同氏によると、自宅前に公安関係者が見張りに立ち、友人との面会などができなくなったという。(共同)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後英語で長いのですが、、、

<天安門の母たちが89年の再評価を要求>

http://phayul.com/news/article.aspx?c=2&t=1&id=24810&article=statement+of+Tiananmen+mothers

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2009年05月27日

<サカ・ダワ>始まる

26.5.09法王は昨日5月26日、ダラムサラのツクラカンにお出ましになり、前日の25日から始まった<サカ・ダワ(チベット歴の四月)>の法要を執り行われました。
僧、尼僧をはじめ数百人のチベット人が集まりました。

チベットでは、この<サカ・ダワ>の15日(満月)にブッダ・シャカムニが生誕し、成道し、涅槃されたとされ、従ってこの月は一年で一番大事な月であり、この月に行った徳・不徳は倍増されると信じられている。
その倍率は聞く人によって違っていて、2倍から10倍、100倍、十万倍と言われる。

チベット内地では、この月の前に地中の虫を殺す恐れのある農作業を終え、寺・僧院に行き布施をしたり、乞食に布施したり、巡礼に出たりする。

ダラムサラではとにかく最低、この月だけは肉を食べないと言う人が多いようです。

今月は特に意識的に悪いことをせずに、善いことをするようにお互い努めましょう。


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2009年05月26日

我(不)是述鯏人

ダライ・バッジ左の写真二枚はバッジです。去年あたりから北京で売られているそうです。
私はダライの人(犬、仲間、パシリ)ではありません」と書かれている。
身の潔白を証明しているというわけだ。




ダライ・バッジ2これにウーセルさんは悪さをして中から「不」の一字を消したのが二番目です。
こうなると「私はダライの人(犬)です」になって、デモの時使えるというわけです。





先日お知らせした、南インドの僧侶10人による「チベット帰還行進」は、残念ながら昨日全員国境警備隊に逮捕され、終わってしまいました。
ウッタラカンド州のスンドという国境を前にした最後の村で捕まったそうです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24788&article='Return+to+Tibet'+march+stopped+at+border+town+by+ITBP

ーーー

アメリカの下院議長ナンシ・ペロジ女史は今、中国を訪問中。
今日は確か胡錦涛に会うはずです。
人権問題を最重要視することで有名な彼女が中国に来たと言うので、北京の人たちは助けてもらおうとデモまで行っているそうです。

もっとも彼女は今回は「環境」中心に話し合うということになっており、期待しない方がよさそうです。
彼女は「人権も環境の内だ」といってるようですが。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24792&article=Speaker+Pelosi+visits+China%3b+protesters+seek+help

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以下イベントのお知らせです。
野田君のレポート第二部も大いに期待できるし、皆さんの中身の濃い話を沢山聴けることでしょう。


【名称】第5回「チベットの歴史と文化学習会」
【日時】2009年7月11日(土)13:00〜16:30(開場12:30)
【会場】文京区民センター 3-A会議室(東京都文京区本郷4-15-14)
【費用】参加費600円
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第5回「チベットの歴史と文化学習会」

■日時:2009年7月11日(土)18:00〜21:00(開場17:45)
■場所:文京区民センター 3-A会議室

    交通 営団丸ノ内線・南北線 後楽園駅徒歩3分
    都営三田線・大江戸線春日駅徒歩1分
    JR総武線水道橋駅 徒歩13分
    http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=1754
■参加費:¥600

■参加のお申込み
 要予約。定員になり次第締め切らせていただきます。
 座席に余裕がある場合のみ当日参加も可能です。
 参加お申込みページはこちら(http://www.tibet.to/gaku5/

■プログラム(予定)

(1)講座「チベット仏教の潮流」
   第3回「現代チベット仏教思潮〜ダライ・ラマの時代を中心に〜」
講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

(2)チベット報告「今、チベットの人々は」
報告:渡辺一枝(作家)

(3)「国境線リポートII〜50年目の証言〜」
報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)

(4)質疑応答「Tibet2009 vol.3…チベット支援の現状」
報告:長田幸康(ライター、I love Tibet! ホームページ)

●主催:チベットの歴史と文化学習会
●お問い合わせ:e-mail: trb.gakusyuukai@gmail.com




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2009年05月21日

亡命に失敗した尼僧の証言

チベット プランの町写真はカイラス山の南、ネパールに抜ける国境の町プランです。

今日はRFAから泣きながら話す女性の声が聞こえてきました。
ただ、カム訛りが強くてその時は良く話は解りませんでした。
カム語に強いチベット人に助けてもらい、やっと理解できました。

ーーー

その38歳の彼女は1998年に一度インドに亡命し、ダラムサラの難民成人用の学校ソガ・ロプタに通っていましたが、途中尼僧になることを決心し尼になり、ダラムサラの山に入り修行生活をしていた。
しかし2005年5月、チベットに残した年老いた両親が病気になったと伝え聞き、両親に会うためにチベットに再び帰った。
郷里で3か月を過ごし、母親の病気も少し良くなったので再びインドに帰ることにした。
もう一人の女性と二人の子供と共に国境に向かった。その二人の子供は11歳の男の子と13歳の女の子で、両親とも死んでしまったのでインドに送られることになったのだ。

以下彼女の話:
カンリンポチェ(カイラス山)の南、国境を前にしたプランで国境警備隊に見つかってしまった。
プランでは5日間毎日一人づつ暗い部屋に連れて行かれ尋問され、殴られた。
最初に警官は私が頭を剃っているのに気づき、「お前は尼か?ダライの犬だな!ダライの使い走りの犬だろう」と言って殴りつけた。
私は、それがチベット人だったので、ショックだった。
同じチベット人が「ダライ」とかいうことが信じられなかった。
本当に悲しくなった。

「子どもまでインドに連れて行ってダライの犬にしようとしているんだな」とも言った。
毎日同じようなことを聞き、答えが気に食わないと殴られた。
何度殴られたかわからないほど沢山殴られた。
私はまだしも幼い子供たちまでもむちゃくちゃに殴られていて可哀そうだった。

5日経つと車に乗せられ、ガリ(アリ)の拘置所に連れて行かれた。
そこで、最初の8日間手錠、足錠をはめられ、真っ暗な棺桶のような独房に入れられた。
そこはほんとうに真っ暗で狭い。
頭を上げれば天井に衝く、足を延ばせば壁にあたる。
人一人横になるほどの広さしか無かった。
そこに入れられたまま、8日間全く一滴の水も与えられなかった。
私は死ぬと思った。

8日後にいきなり外に出された。
外はあまりに眩しくて、すぐに眩暈がして倒れた。
気がついた後に食事と水が与えられたが、全く食べることができなかった。

その後一年間そこで強制労働させられた。
その間、ある夜、二人の中国人看守がやって来て、私に薬を飲めという。
私が嫌がっていると、二人で無理やり私の口に薬を押しこみ水を飲ませた。
その後、すぐに二人が服を脱ぎ始めたが、私は薬のせいで身体が動かず、二人に侵されてしまった。
これで尼僧ではなくなってしまった。
一年後、胸を病んで仕事もできなくなったと言うことで外に出された。
そのまま、ガリ地区で2年間病気の治療をしていた。

今回助けてくれる人がいて国境を無事越えることができた。
ネパールの収容所に辿り着いた時には本当に心から嬉しかった。
これでやっとあの地獄から逃れることができた、と思い安堵した。
酷い思い出したくないことばかりだった。

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以上はRFAが5月19日にダラムサラの難民収容所でインタビューしたものです。
彼女は途中何回も声が震え明らかに泣きながら話していました。






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