子供の絵 

2010年06月18日

続・TCVホール、法王のティーチング

チベットの土の電柱 1985年、ウーセルさんのブログより 6月2日分、以下、先日の続き。

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「夢」や「雷光」や「雲」のよう、と言われるは、
我々の執着の対象を三時(過去、現在、未来)に分け、各々を喩えて言うのだ。

現象(法)を三時に分けるなら、例えば、まず、過去と言われるは、、、今、10時10分だから、これ以前が過去だ。
「夢は記憶の対象」と呼ばれる。
過去は記憶の中にあるだけで、他のどこにもない。
全て滅してしまった後だ。
そうだろう。
昔、こんなことがあった、と思いだし、ひどく腹を立て。
あんなこともあったと思いだし、執着心をおこす要はない。
怒りや執着の対象はもう過ぎ去ってしまい、もう、今ここにない。
夢の如しだ。
夢の中でこんなこと、あんなことがあったからと言って、その対象に怒ったり、執着するものじゃない、ということだ。

雷光「雷光」と譬えられるのが、「今・現在」だ。
今、実際に快不快の感覚が生起しているとしても、それはほんの一瞬のことでしかない。

「三時(過去、現在、未来)」という概念は、教義哲学の中でも取り上げられる。
説一切有部の三時を「実有」として見る見解が一つ。経量部の「現象は全て現在である」とする見解が一つ、というように、三時の定義も様々だ。
帰謬論証派は三時を「有為の事象」と捉える。
これらはそれぞれ深く考察された結論としての見解だ。

何れにせよ、「今」というものは、探そうとすると見つけられないものだ。
今は、、、2010年の8月、、じゃない6月(2日)の、午前10時と11分として、、、その1分=60秒のうち何秒かはもう過ぎ去った、、、一秒先がやってくる、、、。
1/2000秒の今(シャッタースピード?1/2000?で、飛ぶ?鳥の?今?を捕えた?今日?の一枚?)

時を区別して、年、月、日、時、分、秒と(範囲を次第に狭めて)探してみても、「今」は見つけられないじゃないか。
一秒前はもう過ぎ去った。一秒後は今から来る。
「今」をどこに定位させ得よう?

「今」が見つけられたか?
見つけられないだろう。
時と言うものは次から次へと生滅し、じっとしていてくれないものだ。
だから、時(過去・未来)というも、一つはもう過ぎ去ったもの、もう一つは今からくるものだ。
「今」はどこにもない。
「今」がなければ「過去」や「未来」をどうやって設定することができるのか?
「今」を基準に、その先に来るものを「未来」と呼び、過ぎ去ったものを「過去」と呼ぶのではないか?
過去・未来の設定・施設が不可能になる。
「今」がなければ、時はよりどころを失うことになろう。

2.6.2010 TCV Hallだから、「今」という現象には、分析智によって得ることができ、これだと言って指さす事のできる実体はないのだ。
深く考えない世俗の概念作用により(仮に)設定されているだけなのだ。
(世俗においては)こうして、今の秒が設定できる、今日も設定できる。今週が設定でき、今月が設定できる。
今年が設定できる。
さらに、今生が設定され、過去にあった前生、未来に来る来生が設定される。
これらはすべて、概念作用により、言葉によって仮設されているだけであり、対象(客体)の側にそのような何かが本当にあるわけではない。
そうじゃないかな?

過去とは夢の如くに過ぎ去ったもの。
夢とは記憶の対象でしかない。
「今」は「雷の光」のようなものだ。
一瞬でしかない。

雲「夢」、「電光」、、、次に「雲」の如し、と言われる。

我々のいう「未来」とは、今から新しく起こるであろうことについて、こんなになったらいいなとか、こう言うことにはなってほしくない、とか思い煩う「思い」でしかなく、未だ生じてはいないものだ。
例えば、どこかの空に「雲」が浮かんだからと言って、それだけでそこに「雨」が降るわけじゃない。
雲がある場所、全てに雨が降るわけでもない。
様々な条件が揃うことに依り、次第に条件が揃うことにより、その雲が雨の基体になるだけである。
これと同じように、有為の未来の事象とは、沢山の因や条件が集まることに依り、生起するのみである。
「未来に順序はない」と言われるはこのことだ。

しかし、自分たちは、過去の記憶の対象に執着したり、怒ったりする。
或は、今、現在の感覚に従い、目の前の対象に執着や怒りの心を起こす。
さらに、未来の、まだ生起していない事柄を想像して、心配や期待の心が捉えるものを対象として執着や怒りの心を起こす。
このような執着や怒りの心に対する、対治としてこれらの比喩が説かれたのだ。

雲(三時の)有為の事象(現象界)はまるで「夢」や「電光」や「雲」のようだと、、、
有為が執着や怒りの主な対象であるから、それらが無常の性をもつものであり、苦しみの性をもつものであり、自性、本質のないものであることを説くことにより、そのようなものに執着や怒りの心を起こすべきではないと教えているのだ。
執着の対象として指さすことのできる、実在するものは何もない。

この自性がないという話で、、、例えば、ちょっと考えてみるといい。

怒りが治まる前に見る相手と、怒りが治まった後に見る、同じ相手の印象に違いがあるかどうか?
考えて見るといい。
また例えば、いつもは親しくしている相手について、ある人があなたに「あいつは本当は悪い奴なのだ。お前に悪意を抱いている。厭なやつだ」という話をしたとして、その後その人に会ったときどう感じるか?
何か、変わった感じがあるか?
いつもは、会えば笑い合うような仲でも、そんな話を聞いた後では、「本当はこいつは悪、バカなんだ」とかの思いが起こって、会って笑いあっても、それも形だけのものとなり、心から笑えなかったりするんじゃないかな?

また、昨日まで好きでもなかった人のことを、誰かが「あの人はあんたのことを非常に褒めてた。あんたのことがよほど好きなようだ」というと、次に会った時には、昨日まで見ていた同じ相手のようには見えないことであろう。
思いに依って同じ対象でも印象が随分違って来るという例だ。

2.6.2010 TCV Hall逆に、いつも、悪い奴だと思っている人について、誰かが「彼はこのような立派なことをした」と言っても、「そんな訳はない。あいつは本物の悪だ。そんなことある訳がない」と思うかもしれない。
怒りの対象の醜さは、あたかも不変であるが如く、心に浮かんでいることの証拠だ。
不変、固定的なイメージがあるので、誰かが「あいつはいい奴だ。人が変わった」と言っても、「そんな訳がない」と考えるのだ。

その固定的な醜悪イメージは、対象の側に客観的に備わっているもので、因や条件に依存しない、本来的なもののように、心に現れているものだから、突然、「あいつはいい奴だ」と言われても、納得できないというわけだ。

このことから、執着や怒りの対象が不変で、独立して、言葉の力に依ってのみ存在するのではなく、客観的に対象の側から、不変のものとして、元からそうであったように心に現れ、現れに従って「その通りだ」と思い、自相をつかむ、そのような心を基にして執着や怒りの心が起こるということが解る。

これが要点だと思うか?
一つ、解ったか?

虹だから、仏教が「中観の見解」(空=無自性=縁起、中道)を説く、その主目的は、みんなの心を、執着や怒りを起こす基になる実体・自性から解放することであり。心を覆う無明を晴らすためである。
執着と怒りの心を完全に消し去るためには、まずこの(ない)実体をつかむという心を無くさなければならないのだ。

中観帰謬論証派の、世俗にも自性を認めない、という究極の見解に従い、
色即是空、空即是色、色不異空、空不異色」という四重の空を、見解の深まりとしての四段階として説くやり方がある。
まず「色即是空、空即是色」と説かれるは、色(物質的現象)そのものが実体を欠いた空なのだというのだ。
ここで、「空の基体」である、あちら側に現れている「色」を、「有る」ものとしておいて、それが勝義には成立しない、勝義(本当には)にはないのだと言うならば、「色即空」にならないだろう。

二万頌般若経(二万五千頌?)に「色は空によって空にされるのではなく、色がそのまま空なのだ」と言われているように、対象として現れている各々の色を分析するのではなく、言説上の存在をそのまま、「有る」として、これが勝義として成立しないのだと言うならば、「色が空によって空にされた」ことになる。
向こう側にあたり前のように現れている、その色そのものを、言葉に依ってあるだけだ、あちら側には指さすことができるものはまったくないのだ、と決定されるとき、「色即空」が成立する。
ここは、肝心なとこだと思わないか?
「色は空によって空にされるのではなく、色がそのまま空なのだ」と、般若心経の中に「色即是空」と言われるはこのことだ。

灯明一方、「空即是色」と言うは、「色」は自性が空であり、他の条件に依存して成立しているが故に様々な「色」、様々な変化が生じることができると言う意味だ。


我々は「色即是空」、色(物質)というと、何か外の物を指しているような気になることだろう。
ここで、言葉を入れ替えて「我即是空、空即是我」(我=自己=私)としてみてはどうか?
こう考えてみるといい。どうだろう。
「我」とか「私」と言われるものはある。
では、一体「私」は本当にはどこにあるのだろうと探してみると、、、「私」は見つからない。

自分の身の中に、頭の先から足の先まで探して見ても、「私」が見つけられないことははっきりしている。
では、「私の心」が「私」なのか?といえば、「心」にも粗いものから微細なものまで色々ある。
覚醒時の心(意識)がある。夢を見ている時の心がある。熟睡時の心がある。
さらに、死に行く時の心がある。生まれる時の心がある。
心には粗いものから、微細なものまで色々ある。
この中で、私というのはどの時のことなのか、と指さそうとしても、その対象は特定できない。

死の瞬間のもっとも微細な光明(ウーセル/クリヤーライト)の心が本当の私なのじゃないかと言っても、これも難しかろう、「私の光明」とかいうだろうし。
さらに、光明は現れる時もあり、消え去る時もある。(それに従い)「私」が現れた、「私」が消えた、とは言えないだろう。
光明が消えた時に「私」が消えさるわけじゃないだろう。
こうして、考えて行くと、「私」は身の中にも指さす場所がなく、心の中にも指さすべきものが全く何もないではないか。
じゃ、私は一体どこにいるのだ?
「私即空」。

一方、私が空であるが故に、特別の自性がないが故に、他に依ることによって成立する様々な「私」が設定できる。
五蘊に依って私は設定されているが故に、「私は男だ」「私は女だ」「私は老人だ」「私は老婆だ」「私は若者だ」「私は僧侶だ」ということができるのではないか。
五蘊に依って名付けられたものでないならば、「私は老人だ」「私は若者だ」などと言えないはずだ。
「私は男だ」「私は女だ」と言えないはずだ。
「男・女」は身体に依って名付けられているものであって、心に依って名付けられているのじゃないよな。

このように、「五蘊に依ってある私」を設定することができるから、身体が病気になった時「私は病気になった」ということができるし、身体が病気から治ったときに「私は治った」ということができるのだ。
心が不快な時「私は不快だ」と言え、心がハッピーな時に「私はハッピーだ」と言うことができる。
もしも、(五蘊と私が)お互い依存しながら存在しているのではなく、無関係とすれば、心が快・不快を感じている時「私が快だ、不快だ」ということもないことになろう。
「私」というものが、永遠で、唯一で、独立した、例えば、「魂(Soul、アートマン)」と呼ばれるようなものであるならば、身と心が完全な解放に至った時にも、「私が解放された」ということはできないことになろう。
「魂」というものがあるならば、一般の俗なる有情の魂は、いくら努力しても俗なる魂のままであって、仏になる、涅槃を得るということはあり得ないこととなろう。
俗なる普通の人の心が聖なる菩薩の心になると言うこともないことになる。

五蘊に依って「私」は(仮に)設定されているが故に、心が変わることに依り、単なる俗人が聖なる菩薩へ、阿羅漢へ、そして最後に仏になるということが可能なのだ。
「私」は心身に従い設定される。だから、心身が変わることにより「私が変わる」と言える。
このように理解して「我即是空、空即是我」と口ずさめば、何か効果があるかな?

「色」というと外を指さすが、(同様に内なる「私」を指さすとしても)「私」は真実に存在し、独立して、主人のように身体と心を持つという思いと共に「色即是空、空即是色」と唱えても、[無・何もない]のかな、とか思うぐらいのものかもしれない。
「我即是空、空即是我、我不異空、空不異我」と、ここでいう「空」は「一般的空」のことじゃない。
「我=私」の「空」のことだ。
一般的空というものはない。一般の空性というものもない。
基体(対象・客体)から離れた空性自体というものはどこにもない。
基体から離れた空性があるなら、空性が勝義に存在する、実体的に存在すると言えることにもなろう。
空性にも自性はない(空の空)とは、「空性とはある具体的な基体の存在の仕方について言ってるのであって、基体に関係ない、基体から離れた空性というものは設定できない」ということだ。

「我即是空、空即是我」とは、まず、「我」を求めて見つからない状態が「我」の上の「我即空」。
一方、「我」は「空」だから、「我」が存在することができるのだ。これが「空即我」。
「我」が「空」であって、他に依って存在しているが故に、「我」に様々な変化、進歩もありうるのだ。


月と雲空を瞑想する目的の中心は「我(真実存在・実在)執」を無くすためだ。
「我執」が無くならなければ、執着と怒りの心は無くならない。
ナーガールジュナもおっしゃっているように
「業と煩悩とか滅びてなくなるから、解脱がある。
業と煩悩とは分別思考から起こる。
ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。
しかし、戯論は空においては滅びる」


というわけだ。

(中論第十八章、第五偈、中村元訳)

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以下録音切れの故、略。

続きは金沢で行なわれる「般若心経」講座でお聞きください。

マリア様が最近訳された法王解説の「中論」とか読んで、法王の講義を聴く前に、しっかり「空」について予習しておいてください。


追記:この訳はほんの試訳程度、参考程度です。
当方の理解不足による誤訳もあることでしょう。不適切な訳語もあるでしょう。
変な箇所があれば、もちろん、それは間違いなく「法王が間違われたのではなく、訳者が間違えたのだ」と了解して下さい。

ただ一つ、今回最後に珍しく法王の勘違いを一つ発見したのだ!
それは最後に引用されている、ナーガールジュナの一偈。
この時、法王は「確か、これは中論の第二十四章にある」とおっしゃった。
そこで、私はこの一偈を見つけるために「第二十四章」を漁った。
しかし、二三度読み返しても見つからない。

仕方なく、始めから、ページを繰り直し、やっと、「第十八章」の中に、この一偈を見つけ出した。

だから、法王だって何かを、勘違いをされることもあるということだ。
(ほんまに、稀な現象ではあるし、あったとしても上記のようにどうでもいい類の間違いだ)


そんな、法王の間違い、勘違いを探しながら、特に空のお話を聞くと言うのはどうでしょう?

もし見つけられたら、報告して下さい。


そうだ、観音菩薩などの化身が我々に何かを悟すために、わざと間違った言動や行動をされることをチベット語で「ゼバ・テンバ」という。
さしずめ今回は、私のようなものに、中論全部を読み返す機会を作り出すための方便として勘違いされた、という解釈が成り立つのでしょう?







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2010年06月14日

ダライ・ラマの仏教講座/TCVホール

2.6.2010 TCV ホールできれば日曜版として昨日載せるつもりだった、仏教シリーズ?の一つ。

以下、6月2日TCVホールで行われた、ダライ・ラマ法王のチベット人学生を対象とした「仏教概論講座」の一部を訳したもの。

法王はこの日、二つの偈を基に仏教を要約して説かれた。

最初の一偈
སྡིག་པ་ཅི་ཡང་མི་བྱ་ཞིང།
དགེ་བ་ཕུན་སུམ་ཚོགས་པར་སྤྱད།
རང་གི་སེམས་ནི་ཡོངས་སུ་འདུལ།
འདི་ནི་སངས་རྒྱས་བསྟན་པ་ཡིན།

不徳な行ないを一つも為さず
徳を円満し
己の心を完全に統御する
これが仏の教え


このお経འདུལ་བ་ལུང་རྣམ་འབྱད།の一節を解説することで、修行の要点を要約された。
(この部分略)
次の一偈に入り、以下のように説かれた。

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ではどうやって心を制御すべきかと言えば。
「縁起の見解に依り、根本から心を制御すべき」と説く。
そこで、

法王སྐར་མ་རབ་རིབ་མར་མེ་དང།
སྒྱུ་མ་ཟིལ་བ་ཆུ་བུར་དང།
རྨི་ལམ་གློག་དང་སྤྲིན་ལྟ་བུ།
འདུས་བྱས་ཆོས་རྣམས་དེ་ལྟར་ལྟ།

現象界というものは、
星や、目の翳、燈し火や、
まぼろしや、露や、水泡や、
夢や、電光や、雲のよう、
そのようなものと、みるがよい。


(རྡོར་རྗེ་གཅོད་པ།金剛般若経・中村元、紀野一義訳)

と、ここに比喩を使って、心を制御する方法が見解の側面から説かれている。
仏教では間違った見解として:不浄を浄と見、苦を楽と見、無常を常と見、無我を我と見るという4つを上げる。この4つは苦しみの因となる。この間違った4つの見解を無くすためには、正しい4つの見解を得なければならない。もっとも、ここでいう無我は粗いレベルの無我だが。何れにせよ、究極的には、すべての現象の自性は空であるという正しい見解を得ることにより初めて実現され得る。

この一偈では空見が比喩をもって示されている。この一偈は全ての仏教学派が共に引用するものだ。だから、それぞれの学派の空観に従い、それぞれ微妙に異なった解釈が行なわれる。この一偈は「金剛般若経」の中にある。

カルマ意味はまず、最初に「星(カルマ)」というは、空に浮かぶ星のことだが、星は太陽が沈んだ後に初めて現れる。そして我々は闇の中にその小さな輝きを見る。しかし、太陽が昇っている間、「星」の姿はない。
このように、我々が自分と他人、善と悪、輪廻と涅槃とかいうも、すべて、分析しないときにはあるように見えるが、分析し、その実際の有様を正しい智によって、その究極の実体を見つけようとすると、見つけられない、求められない。

「中論」(ナーガールジュナ著)の中に「諸仏は二諦に依って、衆生のために法を説く。一つは世俗諦、もう一つが勝義諦」と説かれ、この二つが一つの現象(教え)の二つの側面であると説明される(約教の二諦説)。一方「入中論」(チャンドラキールティ著)の中では「現象の虚実性を見たものは、現象を二つの自性として捉える」と説かれる(約境の二諦説)。正理の分析を受けない時の世俗の自性と、正理智により分析されたのちの勝義の自性というように、ものごとには二つずつの自性があるとされる。

このことを「星」に例えたのだ。正理の分析を伴わない心とは、無明とその薫習(習慣性)に侵された心のこと。そこには様々な現れが生じる。対象は実体的に現れる。空を直接体験する人の無対象の禅定以外の心は、すべて惑わされた心と呼ばれる。無明に侵された心ばかりだ。この闇と等しい無明の中にある心には、世俗の現象が「星」のように、様々な姿とともに現れる。その同じ心という空(そら)に、以前暗闇に「星」が沢山見えていたそこに、存在の有様を正しく分析する智という光が満ちることによって、様々な「星」の現れが消え、自性が消え去っただけの、空性一味の虚空という現れが生じる。「星」に譬えられる概念の現れが消え、空性(トンバニ)の現れが生じる。これが、太陽の光により「星」が消え、一つも見えなくなるという比喩よって現わされている。
「星」というはこのことだ。

ラプリク次の「目の翳(ラプリク)」は、実体論者の以下のような反論に対する答えとして使われる比喩だ。
「星にも色んな違いがあり、我々はそれを識別することができるではないか。心の対象としての現象は対象側から客観的な存在として特別の自相を持って現れるではないか。我々を含めた、実体論者から世俗レベルに実体を認める学派まで、すべて、もの(事物、事象)は真実存在であると主張する。世俗は成立している。ほら目の前にこのように現れ出ているではないか」と言って指で、その対象を指し示したりする。彼らの心は遠い昔からずっと対象が実体的に現れ続けてきたという習慣性に侵されている。そこで「ほら、ここにあるじゃないか」と根拠・基体として指さすものがあると思っている。「対象が自相をもって現れることはずっと前からあたり前のこととして世間に知れ渡っているではないか」という。

これに対し、我々は「対象があちら側から現れているように見えるからと言って、本当に対象側に実体があるわけではない」と主張する。「対象を見る側の心が、無明とその薫習により侵されているから、そのような現れが見えるだけだ」という。もちろん、無明から自由になった阿羅漢の心にも現れはある。これは無明の薫習からまだ自由になっていないので微細な現れがあるのだと説明される。
無明とその無意識の習慣性に侵されている、騙された心には「無明により真如が覆われているのが世俗」と言われるように、現れはあるが、それは、無明に侵された心の上に現れているだけであって、本当にあちら側に何かが有るわけではない。

例えば、それは「目の翳(ラプリク、時に眼病)」により目が侵されている人には、翳が見えたり、髪の毛が降るように見えるのと同じだ。目が正常な人にはその現れはない。
例えば、目にゴミでも入った人には向こうに黒っぽいものが見えることもあろう。向こう側から翳が現れるように見えるが、これは器官としての目に問題があるのであって、あちら側に何かがあるわけではない。眼医者がそのゴミを除けば、その現れも消え去る。物もらいとかになり、目の前に色んな映像が現れることもあるが、眼病が治った後には何の現れもない。このように、ものはあちら側に実体的に存在しているように見えるが、それは見る側の心に問題があってそう見えているだけであり、本当に対象側にものが実体的に存在しているわけではない。

もしも、対象であるものが実体として存在するなら、分析智により、それを探すことにより次第にその姿が明らかとなって行くべきだ。例えば「宝行王正論」(ナーガルジュナ著)の中で「蜃気楼が、もしも本物の水であるならば、近くにいる人に見えないのはどうしてか?」と言われているように、ものに自性(実体・真実存在)があるならば、分析により、近づくことによりその姿が次第に明らかになって行くはずだ。しかし、ものの実体は正理智により分析すればするほどに、ますます遠く消え去っていく。

この「星」や「目の翳」の譬えのように、ものは目の前に昔からあたり前のように現れているが、現れのようにものは存在しているのかといえば、答えはそうではない。ものは自体を持ってあちら側に存在しているのではない。これを「星」、「目の翳」に譬える。
我々にはものは実体的に現れるが、本当には実体はないのだ、自性は空なのだという、否定の面(空の側)が比喩を使って示されている。

次に、対論者が「対象側に実体がないならば、現れているものは一体何なのか? 事物は自然に外界に存在する。良・悪、輪廻・涅槃、自・他などがちゃんと存在し、経験されるではないか?」というならば、「それは因と条件が集まることに依り生じたのだ」と答える。
依って生じたのだ。名付けることに依り存在しているのだという。

例えば、「燈し火(灯明・マルメ)」の如し、と説く。

マルメ「燈し火」と呼ばれるものも、その燃料である油や、芯、芯の周りの空気など、、、オキシジェン(酸素)が無くなれば燈し火は消える、、、というように、良く考えてみれば、「燈し火が輝く」という一つの現象も様々な因や条件に依ることで初めて「現れる」ということが理解される。その原因と条件の一つでも欠ければ、「燈し火」の明かりは消える。

このように、我々には様々な現象がそれぞれ独立のものとして、互いに関係することなく現れているように見えるが、本当には他に依存することなく自体で現れることのできる現象は一つもないのだ。
前にも引用した、「縁起による現れは過(あやま)たぬことと、、、」(ジェ・ツォンカパ著「道の三要素」)と言われるのはこのことだ。
全ての現象は空であるという面を示すために「目の髷」といい、「現れはあるがそれは本物ではない」ことを説き、
「燈し火」と譬えることにより、それでも(それが故に)「因果の縁起により現象は過たず現れる」ことを示す。

全ての現象は「星」「目の翳」「燈し火」、、、次に「まぼろし(ギュマ)」「露(シルバ)」「水泡(チュブル)」の如しという。

まぼろし「まぼろし」というは、、、対論者がさらに「自性がないならば、執着の対象は全く存在しないのか? 人は自然に目の前に現れる対象に対し執着の心等を起こすではないか?」と言えば。

例えば、「まぼろし」と出会う「夢の中」で、怖い人に遭えば、自然に怖くなるではないか。夢の中で相手に怒って喧嘩をすることもあろう。同じように、夢の中で魅力的な対象に出会えば、その対象に執着心を起こすであろう。夢の中のように、その対象に実体がなくても、その仮想された実体に対し執着心を起こすことは実際に起こる。このように、執着の対象には自体は無くとも、執着を起こす条件の一つとなる。これを「まぼろし」と譬える。

朝露「露」というは、「無常」の譬え。
早朝に美しく輝く「露」も、陽が昇るに従い素早く消え去る。
現象は一瞬一瞬変化するという無常の性を持っていると説かれる。

「水泡」というは、現象の「苦」の性格について説明するためだ。
どうして「水泡」が「苦」の比喩になるのか?
水泡は水から生まれる。水の泡は水の性格を負っている。水の自性とともに、水から浮かび出て、再び水の中に消える。現れては消え去る。水から出て水に戻る。このように、我々には苦しみだけでなく、喜び、中性の感覚など、如何なる幸不幸、中性の感覚が生まれようとも、それらは有為の自性として、苦の自性より生まれ、苦の自性の中に消え去る。煩悩の力に左右される限り、汚れた五蘊(身と心)が集積した感受である限り、有為の自性としての苦より生まれ、苦の中に戻る。世俗とはこのようなものだ。

水泡ここでいう「苦」とは、「苦の苦(身体的苦痛)」だけではない。パンチェン・ロサン・チュゲルが「汚れた輪廻の苦しみから逃れたいと思う、、、苦の苦を避けるは家畜にだってある、、、」とおっしゃるように、「苦の苦」から逃れたいという思いは動物にだってある。たとえば、這っている小さな虫をこうして指で押してみると言い、虫はすぐに不測の事態に陥るのではないかと思って逃げようとするではないか。苦しみは厭だと思っている証拠だ。つまり、「苦の苦」を「苦」と認識してそれから逃れたいという思いは動物にもある。
さらに「汚れた輪廻の快感に出離の心を起こすは外道にだってある」。ここでいう快感は快感すべてではなく「汚れた快感」だ。「汚れなき快感」とは永遠の至福のことだ。汚れた幸福感とは業に操られるこの五蘊に関係した汚れたものである。我々が普段「幸福」と呼ぶものはこの「汚れた幸福」のことだ。

この汚れた世俗の幸は何れ、最後には衰え苦しみに至る。水泡は水から生じて、様々な現れを見せるが、何れ水の中に消えて無くなる。このように、偶然のように快感が心に感じられることもあるが、これが生まれる時も有為の苦の自性から生まれ、消滅する時も苦の自性の中に消える。「汚れた輪廻の快感に出離の心を起こすは外道にだってある。有為の自性から生まれたこの五蘊は過去と未来の苦しみの器、、、」と言われるのはこのことだ。第三番目の五蘊の苦(存在の苦しみ)というは、主にこの業の力に左右される五蘊自体について言われる。汚れた五蘊を引きずる限り、苦しみの感覚はもとより幸福な感覚でさえ、苦の自性より生まれ、苦の自性の中に消え去るしかないのだ、と説かれる。

「星」、「目の翳」、「燈し火」、「まぼろし」、「露」、「水泡」と次に「夢」や「電光」や「雲」の如し、と言われるは、
我々の執着の対象を三時(過去・現在・未来)に分解し、それぞれを「夢」、「電光」、「雲」に譬えるのだ。
三時に分解するとは、、、、過去というのは、例えば今10時10分として、これ以前を過去と呼ぶ、、、、
(以下、続きはまたの機会に)
参考:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-11.html?p=2#20091101







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2009年11月14日

ジャミヤン少年の昔話

ジャミヤンの描いたシガツェ刑務所ジャミヤン少年のことを覚えている方は少ないだろうが、かつて去年の6月に彼の話をこのブログで何度か紹介したことがある。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-06.html?p=2#20080616
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2008-06.html?p=2#20080618

写真の絵は彼が自分の監獄体験を描いたものだが、この絵は去年「チベットを知る夏」でも紹介した。
かつてNHKさんにインタビュー撮ってもらったこともあるが、それは没になった。

2006年10月、17歳の時、彼はナンパラ峠経由でヒマラヤ越えを試みた。
彼が加わったグループはあの有名なナンパラ銃撃事件に巻き込まれた。
彼は銃殺された尼僧の死体確認を最初にやらされたりもしている。
峠を前に中国兵に捕まり、シガツェ刑務所に二ヶ月間拘留され、しっかり拷問も受けている。詳しくは上記エントリーへ。

ジャミヤン・サムテンとツェリンノルブその彼に久しぶり、というか数カ月ぶりに会った。
岩佐監督の新作のヒーロー役少年捜しの一環としてスジャ・スクールを訪問したのでついでに、会って少し話を聞いたのだ。
もっとも、スジャで監督に合わせた、ツェリン・ノルブもこのジャミヤンも年取りすぎてる!ということで今回はヒーローにはなれそうにありませんが。

カンパ、ジャミヤン・サムテンに子供のころの話を聞きました。
以下、彼が9歳の時のエピソードです。

彼は6歳の時から9歳まで3年間地元の小学校に通っていました。
学校では中国政府がいかに素晴らしいか、チベットがかつていかに貧しかったかということばかり教えられたとか。
とくにいやだったのは、子供同士で喧嘩になったりすると、必ずそれに加わったチベット人の子供はひどく殴られ、中国人は殴られないことだったという。
この事情は他の多くの亡命してきた男の子たちからも聞いている。
3年生の時、彼にとっては大きな、ある事件があった。

以下、彼の話:

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チョントラ、ゾンサル・ゴンパの壁画、白ターラ菩薩近くの僧院で大きな法要があった。
自分は父に連れられてそこに行った。
法要の最中に一人の尼僧がダライラマ法王のバッジやペンダントを配り始めた。
代わりにお金を渡す人もいた。
父がバッチを一つくれたので、胸に付けた。
ダライラマとはチベット人みんなが一番尊敬するツァワェー・ラマ(根本のラマ)であることは知っていた。

次の日、学校にそのバッジを胸に付けたままいった。
朝教室で担任の先生がそれを見つけ、みんなの前で自分を立たせ、「後で職員室に来い」と言われた。
職員室に行くと校長室に連れて行かれた。
校長はいきなり胸から法王のバッジをはぎ取り、床に投げ、バッジを靴で踏みつけ、自分を殴った。
自分は腹が立って校長に殴りかかったが二人の大人にぼこぼこにされて床に倒れた。
「二度とこんなものを付けて学校に来るな!今度やったらすぐに退学だぞ!」といわれた。
自分は何だか訳が解らなかった。
ただ悔しくて、悲しくて泣いた。

もちろんそれまでに父などから昔チベットは独立した国だったが中国にとられたということは聞いて知っていた。
でも、チベット人と中国人が今も敵同士だとは思っていなかった。
ダライラマが中国にとってどういう存在なのか、ということも知らなかった。

母は中国の役所に勤めており中国のことを特に悪く言うことはなかった。
一方父は決まった仕事に就かず家にいることが多かったが、チベット愛国主義者だった。
父は短気だった。
二人はよくそのことで喧嘩していた。

その日、家に帰ると父しかいなかった。
顔に殴られた後があったので、どうしたのかと聞かれた。
「校長にダライラマのバッジを取られ、殴られた」というと、「そうか、そうか、、それでその校長の名前は?」と聞いた。
父は名前を聞いて、しばらく黙っていたが、そのうち外に出かけた。

夕方、母が蒼ざめた顔をして家に走って帰ってきた。
父が警察に捕まったという。
父はあれから学校の校長のところに行き、喧嘩になり、警察が呼ばれて、連れて行かれたのだった。
母はそれから何日も父を釈放してもらうために奔走した。
父はしばらくして釈放された。

自分は次の日にも学校に行ったが、自分が自分でないようで何もできなくなっていた。
それからしばらくして学校には行かなくなった。

それからは学校にも行かずぶらぶらしていた。
母は自分をまた学校にやりたがったが、父は中国の学校になんかもう行かなくていいといって聞かず、二人はそのことでも喧嘩していた。
そのうち自分はどうしてもインドに行って勉強がしたいと思うようになった。
一度目に失敗して痛めつけられたが、一旦インドに行くと言って村を出たのでもうどうしても行かないと恥ずかしくて村に帰れないと思いもう一度トライしたのだ。

以上

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彼は今、学校でシンガーとしてデビューし、ちょっとしたスジャ・スクールのヒーローだ。


スジャからの帰り道ダラムサラへの帰り道




















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2008年04月23日

子供の絵

5371f55f.JPGこのところ続けて毎日のブログに、子供の絵が付けられてることにお気付きのことと思います。

これらの絵についてのお話をこれからします。

できればまず今日?アップした3月27日の記事をお読みください。

この日初めて難民一時収容所でヒマラヤを越えて来たばかりの子供たちが集まって絵を描いているところを見つけたのでした。
その時子供たちが描いてる絵に目が釘ズケになったことを覚えています。

つぎに4月2日の<再びネルレンカン>をお読みください。

この絵を日本で見た友人から強烈なメールがきました。「必ずや。これらの絵の展示会を日本でいや世界で開くべきだ」と。

数回訪ねるうちにかなり担当の人とも親しくなったし、その教室を仕切っているらしい有名なアマアデさんは9−10−3の委員でもあり、親しい間柄だし、と思いきって絵を貸してくれないかと頼んでみた。

しかしその時の話は「これらの絵にはイギリスのスポンサーが付いてる。いい絵はイギリスに送ることになってる。だから勝手に貸し出せないんだ」と。

ガッカリしたのでしたが、諦めきれずにそのまましばらくそこで子供たちが絵を描くのを見ていました。すると夢かそのスポンサーというイギリス人達がそこに現れたのでした。彼女達は年に1,2度ダラムサラとネパールの一時収容所に来るとのこと、今回も1週間だけの滞在だとか。それにしても、なぜ!?係りの人が連絡した様子もなかったが?何という偶然!

すぐに事情を説明して絵を借りれないかというと、即座にOKしてくれた。
「絵は返さなくていい。明日日本のために特別にこの子たちに絵を書かせよう
明日は最後の日だし、、、そこに集まっていた10人ほどの子供たちはもう法王との謁見も終わり、学校も決まったのでもうすぐここを立つ。3月10日以来国境を越えて来るものが全くいない。ネパールの一時収容所にはもう一人も子供はいないと連絡が入ってる。だから当分はこの子たちが最後のこの絵のクラスの生徒なのですよ」
とも言ってくれた。

次の日彼女たちはいなかったけど、アマアデさんから確かに沢山の絵を貰った。
アマアデさんが特別に取って置いたという数枚の絵も貰った。

実はこの子たちはそれから数日まだそこにいた。そしてまたまた日本のためにタルチョに仕立てるために特別に布の上に絵を描いてくれた。

そのイギリスのグループはもう何年も前からイギリスを中心にヨーロッパ各国でチベット難民の絵の展示会を開いているとのことでした。

これらの子供たちの絵が語る真実には重いものがあります。

絵は数日前、すでに日本に到着しました。
これから日本にいる、友人たちの努力によりこれらのチベット難民子供の絵の展示会が東京その他で開かれるはずです。

計画が進み次第展示会のお知らせをいたします。


最後に実はこの子供たちの絵に関する記事がすでに日本の新聞に一つ出ております。
これはダラムサラに取材に来ていた共同の記者さんをここに案内したからです。
以下参考までに承諾を得て記事を転載します。

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チベット亡命政府が拠点を置くインド北部ダラムサラのチベット難民センターには、中国から越境してきたばかりの子どもを受け入れる教室がある。チベット語の勉強や自由な暮らしを望む親に送り出され、過酷な旅を乗り越えた子どもたち。ここで子どもたちが描く絵は、過去のつらい記憶と将来への希望だ。
 ▽越境
 中国チベット自治区ラサ北方のナクチュ出身のツェリン・ドルジェ君(11)は、僧侶が両手を縛られ、四人の中国人から部屋で尋問される絵を描いた。壁には五つの拷問の道具。僧侶の横には「気絶した時に掛ける水」を入れた容器も。部屋の外では、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世の写真を前に祈る人がいる。
 ツェリン君が亡命途中に拘束された際、目撃した「拷問部屋」や連行された僧侶の姿だ。
 「自由で、中国人に見下されない人生を送りたい」。ツェリン君は二年ほど前に亡命の覚悟を決めた。両親は当初「危険だ」と反対したが、冬になって六十五人のグループでラサを出発。途中まで車で行き、最後は徒歩でネパール国境のナンパラ峠(標高約五、七〇〇メートル)越えを目指した。国境警備隊に見つからないよう夜間に雪の中を歩き、昼は岩陰で休む。峠を目前にした五日目。約百人の中国兵に囲まれ、拘置所に連行された。
 ▽再挑戦
 大人たちはそこで厳しい尋問を受けた。ツェリン君は五日後に収容所に移されたが、約千人が収容されているのを見たという。大人は何度も殴られ、中には自殺を図った人もいた。
 ツェリン君は約二週間で釈放されて家に戻ったが、あきらめきれず「捕まっても子どもが殴られることはない」と両親を説得。今度は車でネパール国境まで行く別ルートで越境した。ネパール側では手持ちの現金をすべて警察官に取られたが、三月三日に無事、カトマンズの国連の施設に到着。十五日にインドのダラムサラに送られた。
 ▽希望
 越えてきた山々、僧侶に銃を向ける中国兵、ダライ・ラマ十四世がラサに戻り空に虹がかかる場面―。教室の壁にはほかにも、さまざまな絵が飾られている。教師のハモさん(26)は「子どもたちは厳しい旅を乗り越え、ここまで来るが(こちらから)聞かない限り、親に会いたいとは言わない」と話す。
 子どもたちはダライ・ラマ十四世と面会した後に、同難民センターから別の難民学校の寄宿舎に入ることになる。
 ツェリン君の両親はその後、警察から嫌がらせを受けてラサに移ったという。ツェリン君は「両親が心配」と案じる一方、「将来は教師になって、ダライ・ラマ法王がチベットに戻った時に、子どもたちを教えたい」と希望を語った。(ダラムサラ共同=舟越美夏)






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2008年04月02日

子供たちの絵が語る真実

 送った1枚は前のと同じく、今日ネルレンカンで撮ったもの。写ってる彼は、去年最初にヒマラヤ越えを目指して失敗し、シガツェの刑務所に半月いた子です。
 彼が今日描いた絵です。描くのを見てて、出来上がったと同時に撮ったもの。
 絵をよく見ると、監獄で僧侶が拷問を受けてる様子を描いています。
ネルレンカン 子供の絵2.4.08
 「本当にこんなのを見たことがあるの?」と聞くと、「お坊さんが磔になってるとこは、トラックのうしろに磔になって連れて行かれたのを見たことがあるよ」とのこと。尋問(拷問)部屋のようなその部屋の壁に、いろんな棒のようなものを描いてるので、「これは何なの?」と聞くと「これはいろんな殴る道具だよ」。
 「へーこんなとこ見たことあるの?」
 「中で殴られたりしてるとこは見たことないけど、部屋は見たことあるよ」
 「この中国人の手に持ってるもの何なの?」
 「これは電気棒だよ!」
 
 部屋の外、右側にくっつくようにして人が跪いてるとこが描かれてるので「この人、何してるの?」と聞くと、「この人は中の人を助けてくれって頼んでるんだよ。前にあるのはギャワリンポチェの写真だよ」と答えました。ネルレンカン 子供の絵2.4.08

 この子のちょうど後ろに写ってる地図のような絵は、例の、去年ナンパラを越えようとしたチベット人難民に中国軍が発砲して数人が死んだという事件の絵なのです。外国登山隊が撮影したビデオが公開されたやつです。その、まさに一行に加わってた子供が、ここにきて描いた絵だそうです。



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2008年03月27日

ネルレンカン(難民一時収容所)

bcc0234f.JPG 朝方、ネルレンカン(難民一時収容所)に行って来ました。屋上に小さな子供たちが集まって、みんな絵を描いていました。その後ろには獄中27年のあのアマアデさん(アデ・タポンツァン女史)が、じっと座って子供たちの様子を眺めていました。

 壁に貼られていた子供たちの絵があまりに衝撃的だったので、全部写真に撮りました。一部を送ります。いつか全部送って、日本で見せられるとといいと思います。
 楽しい絵は残念ながら全くなくて、チベットでチベットの僧侶が殺される絵、デモでつかまり連れて行かれるところ、家族が泣いているところ、雪山を越える途中で撃たれるチベット人とかです。
 そこには10人ぐらいの子供たちがいました。中の2人に話を聞きました。一番年長と思われるソナム・ノルブ君はナクチュ(アムド)の出身、14歳。5日前にダラムサラに着いたそうです。
 去年の9月、一度ナンパラ経由で越境を試みたが途中で捕まり、2度目の今年はXX(うらるんた注:具体的地名を伏せます)経由で無事成功したそうです。
 去年つかまった時の話を少し詳しく聞きました。
 ラサに集まった越境グループは65人。うち子供は25〜26人で、最年少は5歳、最年長は15歳だったそうです。ラサからティングリ(中国名定日)までは車で行き、そこから徒歩。歩くのは夜。暗がりで子供がはぐれたりしてなかなか進まない。5日目の昼、みんなで昼食をとっていた時、突然中国の警察隊が大勢現れ、全員逮捕されたそうです。
 ティングリの拘置所に5日入れられ、それからシガツェの監獄に送られた。そこに半月入れられたあと、子供たちはみんな解放された。でも大人たちはそのままだった。そのとき1000人ぐらいのチベット人が同じように捕まって監獄にいるのを見たそうです。その後村に返されたけど、何度も警察が来るし、嫌なことばかりされるので、両親はラサに移り、自分もまたインドに送られたのだ、と話していました。
 ラサの状況を知るすべはあまりないようで「今ラサが大変なことになっているとみんなが話してる。ラサにいる両親のことが心配だ」と話していました。

 もう一人はカム出身のテンジン君(仮名)10歳。彼だけは僧衣を着ています。これから南のセラ僧院に行って勉強するのだそうです。彼も2度目でやっとここにたどり着いたのだそうです。
 去年の夏、両親と3人、家族だけで、カイラス山の近くからネパールに越えようとしたのですが、何日か歩いた後、途中道で会った外人の旅行者から、この先にはたくさんの中国軍がいるから行かないほうがいいと言われ、諦めて引き返したそうです。
 今年は自分だけがインドに行って僧になり、勉強するように言われて、また国境を越えようとした。今度は国境の近くまで車で行き、そこからは夜歩いた。途中大きな川に丸太が2本掛けてあるだけのとこを渡るときは怖かった。もっと小さい子は大人の背中に負われて渡った。中国の警察が追いかけて来るような気がして怖かった。お腹がすいた。外で寝るのは寒かった。とも話していました。
 今はダラムサラに着けてうれしい、早くダライラマ法王に会いたいそうです。
 お母さんに会いたくないか? 帰りたいとは思わないか? と聞くと、今帰ったら殴られるから帰らない。ちゃんと勉強するまでは帰るなと言われてる、とのことでした。
 今現在も、国境を越えてくる難民は、子供だけでも毎年1000人近いのです。
 写真1枚目は、僧侶がダライラマを非難するよう強制されているという絵です。中国の警官が法王の写真を踏みつけています。実際、この「ダライ・ラマを誹謗しないと僧でいられない」という制度に対する怒りが、今度の騒動の大きな原因のひとつと考えます。
 もう1枚の絵は峠を越えるとき、チベット人が中国軍に打たれて倒れるという絵です。

 ダラムサラでは今日も今からデモが始まります。 ハンガーストライキや寺での夜通しの念誦会も続いています。

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 「顔分からないように」とモザイクかけたけれど、なんとも言えない気持ちです。やや眉をひそめて口元をかみ締め、何かに耐えるような表情でカメラの向こうを突き刺すように見ている視線とか、ほとんどが隠されてしまいます。10歳のあどけない子供にこんな表情をさせてはいけない、と涙が出てくるような写真なのです。モザイクかけてしまうとほとんど伝わらないと思うのですが、それだけ書き添えておきます。



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