ダライラマ法王関連

2011年02月23日

ダライ・ラマ法王ムンバイで、エジプトとチェニジアの平和的抗議活動を称賛される

ムンバイの法王2月19日付けphayul.com http://p.tl/q4k2

(写真は2枚ともOHHDL/Tenzin Chojor撮影)

ダライ・ラマ法王は中国が変わる事により、チベット問題が解決されることを期待すると述べられた。法王は先週金曜日ムンバイ大学にて学生と職員を前に「古来の智慧と近代的思考」という題で講演を行なわれた。「中国では一党独裁による全体主義体制が続いている。しかし、この30年間を眺めれば、変化した面も多い。今も、変化の兆しが認められる。世界は変化している」と76歳になるチベット人のリーダーは語られた。

最近TIMES紙により「人類史上もっとも有名な政治的アイコン:25人」の中に選ばれた1989年度ノーベル平和賞受賞者は「近代的大学は、学生に全体的視点を持つよう教育すべきだ」とし、さらに「暴力は如何なる問題に対しても建設的手段とはなり得ない。常にアヒンサ(非暴力)の原則を堅持すべきだ」と勧告された。

「暴力は予測不可能な結果を生み、また非現実的手段だ。アメリカの前大統領ジョージ・ブッシュは・・・彼は非常にいい人で私は好きなのだが、彼のイラクとアフガニスタンに対する戦争政策は良くなかった。民主化を進めるのは常に良いことだが、その手段が良くなかった」と法王。

ムンバイの法王この後、同じ日タージマハール・ホテルで法王は神経外科医が集う会議にも参加された。

法王は「最近のエジプトとチェニジアにおける民衆蜂起は、インド建国の父であるマハトマ・ガンジーのイギリスに対する非暴力闘争の伝統に従うものだ」と語られた。

さらに「ガンジーにより掲げられたこの信条はアメリカの市民権運動を率いたマーチン・ルーサー・キングとアパルトヘイトに反対した南アフリカのネルソン・マンディラに影響を与えた」と述べられた。

さらに「嘗て、フィリピンからチリまで平和的市民運動が多くの変化をもたらせた。今、同じようなことがエジプトやチェニジアで起こった。デモを行う人々が一度も発砲することなしに達成された。このように、世の中は変化している。彼らは非暴力主義に従っている」

「非暴力主義を弱さの印と見なしてはならない。それはむしろ強さの印なのだ」とチベットのリーダーは語られ。「20世紀は血に塗られた世紀だった。原子爆弾を含む、常軌を逸した暴力が行使された。この結果、確かに某かの平和がもたらされたかもしれない。しかし、21世紀は対話の世紀でなければならない。さらに、もっと平和な社会を生み出すために」と結ばれた。


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2011年02月06日

ダライ・ラマ法王13位、TIME「25人のトップ政治アイコン」

a694f613.jpg写真はTIMEから(C/R DAVID MCNEW / GETTY IMAGES)

TIME紙は2月6日、故レーガン大統領の生誕100周年を期し、歴史(現在を含む)の中から「25人のトップ政治アイコン」と名付けた有名人を選出、発表した。この中、ダライ・ラマ法王が13位に選ばれている。
一人一人について説明されているが、その中ダライ・ラマ法王に関する説明を以下に訳す。

元記事:http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,2046285_2045996_2046135,00.html
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無数のチベット人にとってダライ・ラマ法王は精神的リーダーであり、また亡国の首長でもある。しかし、世界中の人々にとって、テンジン・ギャツォはチベット人の権利とチベット仏教の美徳のみならず、宗教間の寛容と平和をも宣揚する最も偉大で最もポピュラーな人物でもある。

1959年に亡命した後、数十年に渡り彼はチベットと中華人民共和国の間の緊張を解決することに努力し続けて来た。そして、先のガンディーやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアのように、ダライ・ラマはその手段として非暴力と忍耐を貫いた。この努力により彼は1989年ノーベル平和賞を受賞した。

ダライ・ラマはその謙虚さにより各国の首脳や宗教的指導者に愛され、チベットへの関心と強力な支援への機会を世界規模に拡大することに成功した。

1998年に出版された彼の「The Art of Happiness(日本語タイトル:ダライ・ラマこころの育て方)」はアメリカで150万部売れ、ニューヨーク・タイムスの「最も売れた作家」を2年間維持した。

一方、ダライ・ラマ14世は北京政府からの愛を少しも得られてはいないようだ。北京政府は彼との交渉を拒み、彼を「僧衣を着た狼」と呼び、この偶像的人物が死ぬのを待っているらしいのだ。ダライ・ラマは世界中から慈悲と同情を得たが、彼の永遠のレガシーは悲しく、うなだれた失敗のそれとなるのかもしれない。

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なんて、TIMEは最後に失礼なことを申しておりますが、法王も最近おっしゃった「中国共産党の寿命より、私の寿命のほうが長いと思う。ハハハ・・・」

ま、勝負はまだまだ、最後の奥の手は次のダライ・ラマ15世にバトンタッチというのもあるし。

以下にここで選ばれた25人をリストアップする。が、この中今も生きているのはたった3人、その中で法王はもっともお若いのだ!!!

一番古い人はアレキサンダー大王。彼は2300年以上前の人、つまり、法王は人類2300年の歴史の中から選ばれた著名アイコンの1人なのだ。
もちろん、いい人ばかりじゃない、悪い人も沢山含まれてるが・・・

日本人が選ぶとまた、かなり違ったものになる事は間違いない。日本人が選ぶと法王は入らなそうだ、、、

上位から順番に書き出す。
1:マハトマ・ガンディー、2:アレキサンダー大王、3:毛沢東、4:ウイストン・チャーチル、5:ジンギス・カン、6:ネルソン・マンデラ、7:アブラハム・リンカーン、8:アドルフ・ヒットラー、9:チェ・ゲバラ、10:ロナルド・レーガン、11:クレオパトラ、12:フランクリン・ルーズベルト、13:ダライ・ラマ14世、14:ヴィクトリア女王、15:ベニート・ムッソリーニ、16:アクバル大帝、17:レーニン、18:マーガレット・サッチャー、19:シモン・ボリバル(南米の革命家)、20:秦皇帝、21:金日成、22シャルル・ド・ゴール、23:ルイ14世、24:ハイレ・セラシエ1世(エチオピア帝国最後の皇帝)、25:リチャード獅子心王とサディン(十字軍関連)。

10位のロナルド・レーガンはご祝儀か?

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おまけ:チベットの人気歌手シェルテンがダライ・ラマ法王を讃えて歌う「ལྷ་བྱ་དཀར་པོ། 天界の白い鳥」
http://www.youtube.com/watch?v=7PqpK2rbajs







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2011年01月21日

「最後の一息まで、チベット人を見捨てることは決してしない」ダライ・ラマ法王

1月15日サルナート 1月18日付けPhayul. Dharamsala:
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28946&article=Don't+worry%2c+I+won't+abandon+you%3a+Dalai+Lama+reassures+Tibetans+of+his+leadership
(写真は1月15日、サルナート C/R:OHHDL/Tenzin Choejor)

 ダライ・ラマ法王はチベット人に対し、「チベット人たちを導く責任を放棄することは決してない」と念を押された。法王は今週の日曜日(1月16日)仏教講義の後、チベットからベナレス(サルナート)までこの講義のためにやって来た約2000人を特別に集め話をされた。

 「民主主義は我々の政治的発展のために非常に重要なことだ。これは、私が自分の責任を回避したり、放棄するという意味で言っているのではない。私は、最後の一息まで、あなた方チベット人を見捨てることは決してしない。見ての通り肉体的には今76歳で、もうすぐ77歳になろうとしているが、私はまだまだ元気で健康だ。指導者としての責任を捨てるなんて心配せず、安心しておれ」とおっしゃった。
(一節略)

 法王はまた、中華人民共和国の内に留まりつつ「意味ある」自治を求めるという中央チベット政府の中道政策についても解説された。法王は内地のチベット人たちが持ち続けているチベット人としてのアイデンティティーと所属感を称賛された。同時にこの認識は中国人に対抗しようというものではないと言われ、「これは中国人を敵に回すというものではない。中国人は中国人で自分たちは漢民族であるというアイデンティティーと所属感を持っている。これと同様の感覚がチベット人にもあるということだ。中国人だけが自分たちの民族に対するプライドと親愛を持つ事が許され、チベット人には許されないということはフェアーではない」と話され、諸民族の平等は諸民族の間の信頼を築く上に重要な要素だと付け加えられた。「信頼が無ければ、民族間の強調はないであろう。そして調和的社会も存在しないことになろう」と。

 法王は、チベット人アイデンティティーの存続のためのチベット語の重要性について強調された。亡命チベット人の家族の中には英語に上達するために子どもに家庭内で英語を話させているということを聞いた。「同じ理由でチベットにいるチベット人家族の中にも子どもに中国語を話させているということも聞いたことがある。日常生活の中で他の言語を話さなければいけないという状況であっても、家庭内においては子どもたちに母国語であるチベット語を話させるよう勧めるべきだ」と、明らかに最近の中国地方政府による学校の教育メディアをチベット語から中国語に換えようと言う政策に対する、チベット人学生たちの抗議活動を想起させる発言をされた。

 チベット人たちに対し、できるだけ菜食主義を取り入れるべきだと進言された。「かつては特に遊牧民など、遠隔地に住み肉しか手に入らないという人たちがいる時代があったであろう。でも今は状況が変わったはずだ。だから、思うに、肉の消費をできるだけ押さえるということは非常によいことだ。僧院が完全な菜食に変われば言うことはない」と。また、法王は「家に僧侶等を呼んで法要を行う時もできるだけ菜食にするのは良いことだ」とおっしゃった。

 法王はまた、「チベットや亡命先でチベット人が教育の不足や他の理由によりギャンブルや放浪にはまっていると聞いた。大勢の者がギャンブルや酒を飲むことでただ時間を紛らわし過ごしていると聞いた。ラサで、アムドやカムでもだ。亡命先においても、例えばアメリカでもこのような人がいると聞いた。これは良くないことだ。チベットに帰ったらそのようなチベット人に言うべきだ。私がそう言ったと。それでも彼らが耳を貸さないなら、しょうがない。自分は何でもない」

 最後に、法王はチベットから来たチベット人たちに向かって「中国はいつか変わる。いつの日か内外のチベット人同胞が再び手を取り合う時が必ずやってくる」と断言された。


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2010年12月26日

ダライ・ラマ法王の講演「Peace through Compassion」カナダ、Calgary大学にて その2

ダライ・ラマ講演、カナダCalgary大学写真は当講演会(phayul.comより)

法王の講演はおよそ40分間に過ぎなかった。

今回が後半であり、これですべて。

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 平和は大切なことだ。20世紀の間に、歴史家たちによれば2億人以上の人々が戦争により殺されたという。第一次世界大戦、第二次世界大戦、内戦、、、中国の内戦、その他の様々な紛争、朝鮮戦争、ベトナム戦争等により2億人以上の人々が殺された。だから、20世紀は「血の世紀」と呼ばれるのだ。今、21世紀の始めにおいても、善からぬ事件が起こっている。今も世界のどこかでは殺し合いが行われている。これらの暴力的行動により本当に問題が解決されるのか?ノーだ。

 暴力の一つの側面は不測の事態を引き起こすということだ。例えば、アメリカのように。ブッシュ大統領は尊敬できる率直な人柄の人物で、私は彼が好きだ。人としては好感のもてる人物だ。イラク問題、アフガニスタン問題、動機としては確かに独裁政権を倒し民主主義を確立し平和を求めたのかも知れない。しかし、その方法は暴力だった。従って不測の事態が生じた。

 暴力とはまず第一に、人間性を否定するものだ。第二に、暴力は不測の結果を引き起こす。第三に、今日、現実においては、地球全体が一つの世界のようになっている。以上の理由によってそれは非現実的手段だといえる。全世界が我々の一部と化している。個人の一部となっている。100年前までの「我々」と「彼ら」という概念はすでに存在しない。我々は全世界を自分たちの一部と認識しなければならない。経済の分野でもすべてが緊密に依存し合っている。個別の現象はほとんど存在しない。相互依存している。環境においても、夫々の大陸が緊密に相互依存し合っている。これが今日の現実だ。この現実に従えば、隣人を破壊することは自分を破壊することと同じことだ。だから、戦争という概念は時代遅れだ。

 一方で、人間がこの地球上に居る限り、確かに何らかの衝突、異なった利害、意見の不一致は常に存在する。だから我々はこれらの不一致や対立を解消する方法を持たねばならない。それを解決するために暴力や力を使ったりすることは時代遅れで、非現実的だ。唯一、現実的解決方法は対話による、というものだ。対話を行うには意思の力が必要だ。意思の力を持つためにはまず、相手も自分たちの一部だという認識が必要だ。これは自分たちの(ドメスティック)な問題なのだと。

 ドイツの科学者が「今日の現実に従えば、それぞれの政府に防衛省と外務省は必要ない」と語ったことを思い出す。「この二つの省は『我々と』と『彼ら』の概念を基にして存在する。外務省とは『他の彼ら』と交渉するところだ、なんらかの自分たちとは違う政策をもつから外務なのだ。外部からの危険、攻撃が、『彼ら』から来るから防衛なのだが、これらは今日の現実に則してない」と説明した。だから、全世界を自分たちの一部と認識し、尊重し、違いは対話という人間的方法で解決されなければならない。このためには相手も自分の一部だ、自分の利害も彼らに依っているという明確な認識が必要だ。これが世界レベルの話だ。このレベルにおいても慈悲が非常に大事だ。

 そして、これは家庭のレベルにおいて言えることだ。もちろん、人間であるからには、何らかの不一致は常に起こり得る。ちょっとした違いから、互いに猜疑心を募らせ、不信がおこり、いつか幸せな家庭が破壊される。また個人レベルにおいては、共通体験として、心が静かな時にはより多くの幸せを感じるということを知っている。怒ったり、イライラすれば、その日の終わりに不幸せな気持ちになる。だから、基本的には我々は怒りを良いものとは思っていない。嫉妬、猜疑心、怖れの感情は人を居心地悪くさせる。基本的には人はこれらを望んでいない。

 慈悲に基づいた考え、態度は即座にその場に心地よい雰囲気を生み出す。怒りとは異なった表情を作り出す。自然に不信感を減じることができる。そうだろう。また、慈悲に基づいた態度は、個人の行動を開けっぴろげに、正直にさせる。もしも、これとは異なった嫉妬や憎しみを動機として行動する時には開けっぴろげな、正直な態度をとることができない。偽善的態度を取ると心の中に直ちに不安、居心地の悪さが生じる。現代生理科学においても、つねに不安であったり、憎しみを持っていたりすると、実際にその人の免疫機能が破壊されるという。これを「免疫システムを食い荒らす」と表現する科学者もいる。

 一方、静かな心は我々の免疫システムを維持するのに非常によい要素となる。このことは自分の経験からも言う事ができる。去年、私は手術をした。胆石をほぼ20年間もため続けていたので、数が増え胆嚢がほぼ3倍に膨れ上がって化膿していた。それで、実際の手術が始まって、普通より難しいことになった。一般には15~20分で終わる手術が、私の場合、3時間も掛かった。かなり重症だったということだ。しかし、一週間で完全に回復した。先生たちも驚いていた。年齢の割には驚くほど早く回復したと。これは、先にも言ったが、私のヒーリング・パワーのせいではなく、心の平安さが故だ。これは本当に大きな違いをもたらす。自分の個人的経験からこれだけは言う事ができる。

 心が平静ならば、外的状況にそれほど左右されなくてすむものだ。心が平静ならば、敵対的状況の中でもその影響を最小限にとどめることができる。そうでなく、心が落ち着かず、不安が多い場合には、たとえ親友に囲まれ、最高に便利な生活に囲まれていても、幸せな人にはなれない。私は多くの裕福な家庭を知っている。中には億万長者もいる。非常に金持ちで有名人でもあったりする。しかし、その人は一人の人間としては非常に不幸な人だったりする。だから自分の幸せのために心の平静さは大事だ。そして、友情。我々は社会的動物だ。真の友情や心からの笑顔は幸せの源だ。これらはすべて愛情から来る。これらが真実だ。世界レベルでも、社会レベルでも、家族レベルでも、個人のレベルにおいても、心の平安は非常に有益なものだ。落ち着かぬ心は実利的にも非常によくないものだ。

 では、次の問題は、如何にこの内的平安を育てるかだ。内的平安は自信と関係が深い。慈悲深くなれば人は自然に自信を増すことができる。これは明らかだ。慈悲深い態度には何も隠すものがない。憎しみの心には偽善が付きまとう。

 では、次に我々は慈悲を育てる事ができるのか?答えはイエスだ。我々はみんな母親から生まれた。我々の人生は母親の限りない愛により始まった。このようにして我々は人生を歩み始めたのだ。生まれたすぐ後から母親はできる限り子どもの世話をやく。子どもの側は、まだ思考が発達していないので、その世話をやいてくれる人が誰であるのかを認識していないが、生理的反応として完全にその人に頼ろうとする。

 そして相互に緊密な絆を築く。これは宗教とは全く関係なく、自然にそうなるのだ。生理的要因による現象だ。この経験をすべての人が共有している。だから、我々の血の中に慈悲の種は存在していると言えるのだ。そのことに対し、どれほどの注意を払うかどうかの違いがあるだけだ。普通、我々はそのようにして人生をスタートさせている。しかし、次第にその価値を忘れ、他のことに目を向け始める。

 一方で、人間には生存のために攻撃的な性格も備わっている。怒りとかの性格も生存のために必要なのかも知れない。しかし、怒りと慈悲を比べると、生きるためには慈悲の方が基本的で支配的な要素だ。攻撃性も時には必要かも知れず、そのような時にはこの基本的な価値を忘れてしまうこともあろう。ほっておけばその二次的な性格により多くの注意を払うようになる。すると、人間の知性までも攻撃性のために使われるようになる。知性を暖かい心のために使わなくなる。だから、若い人たちには特に、私は人間性への覚醒の大事さについて話すのだ。

 だから、どうかもっとこの内的価値について注意を払ってほしい。これが大事だ。先生たちも、教授たちも、もっとこのような心の価値に対し、もっと注意を払ってもらいたい。そうでなければ、今の世の中で、問題を起こす多くの人たちも、頭脳の点、教育の点では素晴らしいのかもしれないからだ。しかし、その明晰な頭脳を憎しみに操作されるままに使用している。例えば、9月11日の事件を引き起こした人々だが、頭の悪い人たちがあのような事件を計画し、実行することはできないであろう。頭が良くて、すべてのプロセスを綿密に計算し、計画し、そしてあのような、考えられないような破壊的行為を実行したのだ。このように知性自体は時に非常に有害なものだ。

 もっと心の暖かさに注意を払うことにより、はじめて知性がより建設的なものとなるのだ。このことをあなたたちに言いたい。先生や生徒、それに父兄たちも、どうかこの暖かい心に対しもっと注意を向けてほしい。これは宗教とは全く関係ない。

 ある人たちは言う、道徳は必ず宗教に基づくべきだと。またある人たちは言う、道徳は宗教的信心によらず、人類の普遍的価値であると。私も後者であると信じる。もちろん様々な宗教も道徳を支える潜在力を持っている。しかし、私は宗教に関わらぬ、普遍的価値としての道徳を信じる。つまり世俗の、宗教的でない道徳のことだ。

 ある人は世俗とは宗教の否定だと言う人もいる。しかし、インドでは世俗とは宗教の否定ではなく、すべての宗教に敬意を払いつつも、特定の宗教には属さないと言う意味だ。同等に敬意を払うのだ。また、現代の現実に照らし合わせてみて、宗教を持たない人々にも敬意を払うべきだと思う。だから、ここで言う世俗とは非常に広い範囲を含む。私が世俗の道徳観というときに、これを宗教の否定だと捉えないでほしい。そのように感じないでほしい。

 若い生徒さんたちよ、あなたたちは21世紀に属する人たちだ。私の世代、教授とか学長とか、ハハハ、は暴力の世紀に属する者たちだ。あなたたちは21世紀に属する。どうか、平和について真摯に考えてほしい。内的平和に基づく平和について。慈悲に基づく内的平和について。慈悲は生理的にすでにみんながその種を共有していると。その種について、さらにありのままを分析し納得し、確信を得て、慈悲は本当に有益なものだという自覚を養なってほしい。ひとたび慈悲はすべてのレベルにおいて有益なものだ、という認識を得るならば、時間とともに、その慈悲の力は次第に強くなって行くであろう。反対の心である怒りは、それに従って次第に弱くなって行くであろう。これが道だ。

 若い人たちは、まず自分たちの人生でこれを実験してみることだ。実験と分析を繰り返し、一旦最終的納得に至ったならば、それからこれらの価値を実行に移すのだ。よろしいかな。

 おわり


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2010年12月25日

ダライ・ラマ法王の講演「Peace through Compassion」カナダ、Calgary大学にて その1

法王前回、この講演の後に行われた質疑応答の部分を紹介した。
今回は本体の講演部分を翻訳紹介する。

この講演は2009年9月30日、カナダのCalgary大学で、2万人の聴衆を集め行われた。

まず最初に大学側から法王へ「名誉博士号」が授与された。

以下法王の講演前半部分。

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 総長、教授、生徒の皆様。この名誉博士号をこの立派な大学から頂いて光栄であります。

 しかし、一つ言っとくが、私は至って怠惰な学生だ。5、6歳の時から勉強はしている。チベットでは若い時には根本教典と言われるものを暗記しなければならない。それが、千年以上前からのチベットの伝統だ。これに対して私は全く熱心でなく、興味も無かった。それでも覚えなければならなかった。その当時はお兄さんと一緒に勉強していたが、私が熱心でなかったので、教師は2本のムチを用意していた。その一本には黄色いカタが巻いてあり、それは聖なるムチで、聖なる生徒用であった。ハハハ。
しかし、そのムチが使われた時に、痛みが聖なる痛みになることはなかった。ハハハ・・・
私の勉強はこのようにして始められた。怠惰であまり勉強しなかった。
それでも、今じゃこんな博士号を頂くようになった。
だから、特別の感謝を示そう。ハハハ。

 こんな博士号を頂いたのだから、その権威に対し、ここで2つの約束をしたい。
一つ目は「人間的価値=慈悲を促進させる」こと。
もう一つは「宗教観の調和を促進させること」。
両方ともに教育、啓蒙が鍵となる要素だ。だから、私は残りの人生のすべてをかけ、人間的価値と宗教間の調和を教育と啓蒙活動により促進していくことを誓う。そうすることで今回の名誉博士号が無駄とならないように務めるつもりだ。ハハハ・・・ありがとう。ありがとう。

 私はこうして人々と交流することを非常に嬉しく思う。暗くて全体はよく見えないが、少なくとも目の前には若く、熱心で真摯な目をした人たちがいる。だから、この交流を嬉しく思う。

 まず、はじめに短く要点を話し、その後、質疑応答に入りたい。質問はいかなるものでもいい。制限はなにもない。ただ、大事なのは、質問はまじめなものであることだ。時に質問があまりに馬鹿げていると、私も苛つくことがある。ハハハ。だからまじめな質問がいい。私にとっても考えさせられる質問が来ると、それは自分の考えを深める助けにもなる。ある事について全く考えていなかったことを質問されると、驚き、自分の頭脳も刺激され、考える機会を得られて有益だ。

 多くの人に話をする時によく話すことだが、、、この中には好奇心から来ている人もいるであろう。ダライ・ラマが何を話すのかな?と。それもいいだろう。中には多大な期待と共にここに来ている人もいるであろう。それは間違いだ。私は特別な話を提供することはできないからだ。だから、そのような人は失望するかもしれない。ある人はダライ・ラマには何らかのミラクルな力(神通力)があると思って来る人もいるかも知れない。これはナンセンスだ。また、ある人はダライ・ラマには何かヒーリング・パワーがあると思っている人もいるかもしれない。私自身、ヒーリング・パワーがあると言ってる人はちょっと信用できないと思っている。私はそんなことは信じない。自分にはヒーリング・パワーなどないと広言している。去年、胆嚢を切除する手術をした。このことが私にヒーリング・パワーがないことを証明している。ハハハ・・・

 さて、今日の話題「Peace through Compassion(慈悲による平和)」に入ろう。
まず、「平和」とは何か?「平和」とは単に暴力の不在ではない。「平和」とは暴力の不在ではなく、積極的に暴力から身を引くことだ。強い決心の力と共にだ。そのような仕方で暴力や破壊がなされない状態。これが本当の「平和」だ。ヨーロッパ大陸では冷戦の時代に、ある種の平和が存在していたように見える。しかし、その平和は恐怖心<恐れと怯え、威圧>から来る平和だ。双方には戦闘を前提とした核爆弾を含む攻撃的武器が用意されていた。だから、双方は恐怖心から戦火を交える事をあえてしなかった。この種の平和は真の平和ではない。真の平和とは意識的に身を引く事だ。相手側の生命、権利を尊重するという基礎に立って、相手を害することを禁止することだ。これが真の平和だ。

 これを実行するには、まず心の中に自信に基づいた強い意志が要る。これなしに抑制する事は難しい。心が乱れていると往々にして暴力を振るう。暴力とは怒りや憎しみの行為だと言えよう。一方、平和とは慈悲の行為だと言うことができる。だから、真の平和は慈悲を通して実現される。言い換えるならば、外的永続的な平和は内的平安によりもたらされると言えるのだ。

 怒りに満ちている人には平和は不可能だ。暴力と非暴力の区別は最終的にはその動機、感情によって分けられる。他人を利用しようと目論む人が優しい言葉を使うということがある。抱きしめて、贈り物などを渡すこともある。その行動は非暴力だが、その動機が故にその行為は暴力と呼べる。逆に、時に親がその子どもの悪い行為、危険な行為を止めさせるために、その子のために、厳しい態度を取ることもあろう。相手への配慮からきつい言葉を使う時、それはちょっと暴力的に見えるかもしれないが、本質的にはそれは暴力ではない。動機が相手への配慮、真摯な慈悲、愛情であるからだ。このように、暴力・非暴力は内的態度によって区別される。慈悲による平和は論理的で事実に基づく。

続く


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2010年12月20日

ダライ・ラマ法王のお言葉:カナダ、Calgary大学における講演の後、質問に答えて

b8700e58.jpg今日は法王の言葉をたっぷりお届けする。

今日のチベットTV(今年から始まったCTAのテレビ放送。いくつかはオンラインでも見ることができる:http://www.tibetonline.tv/)で、法王が2009年9月30日にカナダのCalgary大学で講演された時のビデオが流されていた。

演題は「Peace through Compassion」
本体の講演ももちろん素晴らしかったのだが、質問コーナーもなかなか面白かった。

そこで、本体は後回しにして、質問コーナーだけ以下に訳してみた。

法王、この日は特に調子がよいように拝見した。
質問に対する素晴らしい答えに対し、2万人が集まった会場から何度も大きな拍手が沸き起こった。

全部で8つの質問に答えられている。

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質問1「数ヶ月後に息子が生まれるが、息子には様々な宗教を教えたいと思っている。子どもにまず最初に、何よりも大事な事としてどんなことを教えるのがよいと思われるか?」

法王「難しい質問だ、、、まだそんなことを考えるのは早過ぎると思う。
まだ子どもは生まれていないのだから。ハハハ・・・
5~6年後に、子どもが5、6歳になった時、子どもの性格、能力に従ってそのことを考えると良いだろう。この会場にも100人以上子どもがいるだろう、、、子どもにはそれぞれ違った性格があるから一言でいうのは難しい。
ただ一つ言いたいことは、子どもが生まれたら、できるだけの愛情を注いでほしい。最初の数ヶ月、数年は非常に大事だ。医学の専門家も生まれてすぐの数週間は、その子の脳の発達にとってとても大事な期間だと言ってる。
その間の身体的接触が大事だ。その間、できる限りの愛情を示すべきだ。

そして、後は、子どもの前でパートナーと言い争ってはいけない!
何らかの問題が起こった時も、子どものいないところで喧嘩すべきだ。ハハハ・・・


質問2(6歳の子どもから)「いつもその僧衣を着ているの?パンツははいているの?」

法王「ハハハ、、、夜は、インドに来てから、ちょっと西洋化されて、寝るときにはパジャマを着てる。後は、ラサのノルブリンカから逃げる時には、中国の兵隊を騙すために普通の人が着る服で抜け出した。1964、5年長い道のりを辿り中国に行くとき、途中、道が悪くて車もなく何日か馬で進まなくてはならなかった、その時にも民間人の服を着た。」

質問3(高校生から)「今日、法王は名誉博士号を授与された。世界はあなたを尊敬の眼差しで見ている。ご自身は自分のことをどのように見ておられるのか?」

法王「私はいつも言ってるが、自分のことを一人のつましい僧侶だと思っている。
例えば、私は夢の中で『自分がダライ・ラマだ』とか思ったことがない。でも、夢の中で自分が『仏教の僧侶だ』ということは思う。だから僧侶だという自覚は強くある。私に対し、あるものは『生き仏』とか『王者』とか呼ぶ。ある者は『悪魔』だという。どうでもいいことだ、これらは単なるラベルに過ぎない。一番大事なことは『自分は一人の人間だ』という認識だ。
私たちは同じ身体と、同じ心と、同じ感情を持っている。私たちは一緒だ。
このレベルの同一性を大事にすべきだ。これは本当に大事なことだと思う。
なぜかと言えば、多くの、人間が生み出した問題は、この基本的なレベルを忘れていることから来るからだ。

二次的レベルにおいて、私はアジア人だ、ヨーロッパ人だ、アフリカ人だ、カナダ人だという区別認識がある。宗教的にも私は宗教否定者だ、私はキリスト教徒だ、ユダヤ教徒だ、イスラム教徒だ、、、と違いを言う。
同じ顔をしていても国籍の違いとか、貧富の差、私は上流階級に属すとか、私は下層階級に属するとか、私には教育があるとか、彼らには教育がないとか、、、このような区別を行う。
このよう二次的区別意識から多くの不必要な問題が派生する。このような区別は忘れるべきだ。人としての基本的なレベルに立って、私たちは同じ人間なのだと考えるべきだ。

私は幸福な人生を送りたい。あなたも幸福な人生を送りたい。あなたには苦しみを乗り越える権利がある。私にもある。だから、このレベルにおいて、私たちは交流することができるし、一緒に努力することができる。より良い世界を作るために一緒に働くことができる。この認識が非常に大事だと思う。」(会場から拍手)

質問4(中学生より)「難しい選択を迫られた時にはどうすればよいか?」

法王
「普通、まず自分でそのことについて熟考する。それから、友人や専門家に相談する。どうすべきかについて意見を聞く。そして、私の場合には、それが国家的レベルの決定の場合には、時に国家神託の意見を聞く。ある人はこれについて知っているだろうし、ある人は知らないだろうが、ある種の意見を神託に聞くのだ。また、時には占いのたぐいも行う。この数珠を使って。ほとんどの場合、それらは正しい道を示す。時には分析により、これらの意見を受け入れるのに躊躇することもある。時の経過とともにその意見が正しかったと証明されることもある。

ではあるが、ま、あなたの場合には占いや神託の必要はない。
ただ、まず気をつけてよくよく考えて見ることだ。考えるときその問題について色んな視点から見ることが大事だ。一つのみの視点から見てはいけない。
様々な視点から同じ問題を検討してみることだ。そうすればより全体的(ホリスティク)な見方を得ることができよう。
そのようにして、現実に対する全面的覚醒とともになされた決定は現実的であり、現実的決定が正しく、建設的な決定と言えるのだ。
」(拍手)

質問5(高校生より)「平和を標榜するあなたが、常にボディーガードに守られていることについてどう思われるか?」

法王「一般に私は、相手がどんな役割を担っているとか、どんな階級の人であるかを問題にしない。大統領であろうと、行者であろうと、ビジネスマンであろうと、科学者であろうと、宗教家であろうと、乞食であろうと、ホテルの従業員であろうと、違いは無い。
その人が人間的感情、誠実さをどれだけ示しているかが大事だ。その人が、笑顔で、その眼差しで真摯さを示してくれれば、それで私は十分ハッピーな気持ちになる。
偉大な政治的指導者であろうと、そのような要素が欠けている人の前では居心地が悪いと感じる。


だから、ガードマンについても、、、残念ながら私の行くところにはどこでも招待者側がガードマンを付ける。最初の日には、彼らもとてもフォーマルに振舞う。しかし、2、3日と経つうちに、彼らもうち解けてくる。だから問題はない

どこへ行っても、色んな人に会って、私は笑いかける。
その人も人間だから。ほとんどの場合、私が笑い掛ければ、相手も同じように答えてくれる。自分もハッピーになり、相手もハッピーになる。
でも、時には、イギリスだったか、ドイツだったか、、、私の車が街角を通過するとき、外の誰かが私の方を見たので私はその人に向かって微笑んだ。すると、その人は「なんでこの人が私に笑い掛けるのだ???というシリアスな顔をしていた」ハハハ・・・
特に若い女性に向かって微笑むと、何か下心があるんじゃないかと疑われたりすることもある。ハハハ・・・・
そんな時には私も何気なく顔を背けて知らん顔をする、ハハハ・・・大丈夫、問題ない、、、ハハハ。」

質問6「如何にして人間同士がもたらす堪え難い苦難に耐えるのか?」

法王「私の場合には、仏教が教える、私たちの心は無明に支配されているという理解を納得するので、状況は常に理解可能だ。一人一人の個人がこの無明を減じようとしない限り、この無明がある限り、心に様々なレベルの無明がある限り、常に問題は起こりえる。この理解は私の助けになるし、勇気を持ち続ける助けとなる。このことが解ってないと、ある困難に直面したときに勇気を挫かれる危険もあろう。
一方、人には理性があり、困難を乗り越えようとチャレンジ精神を発揮できる。チャレンジすることで、頭脳は明晰となり、身体と心と感情が総動員される。更なる力を得る。
チャレンジしなかれば、希望を失い、勇気を失い、負けてしまう。
チベットのことわざに「9回失敗し、9回努力する(九転び九起き?)」というのがあるが、これが大事だ。チャレンジなしに困難に負けることが本当の負けだ。だから、常に楽天的でいることが非常に大切な心構えだ。」


質問7「旅行ばかりされているようだが、その間どのように瞑想されているのか?」

法王「毎日、いろんな国を旅行中でも、現地時間の朝3時半に起きる。それから8時半か9時まで、ある種の瞑想を行う。主に分析的瞑想と観想を行う。昼間のプログラムも3時半とか4時、遅くとも5時には終わる。その後1時間か1時間半、再び瞑想する。そして、最高の瞑想はその後の8~9時間の睡眠中だ。これが最高の瞑想だ。完全にリラックスする。ハハハ・・・
もしも、心が明晰な時には、この睡眠中、夢の中である行を行う。分析的瞑想を夢の中で行う時もある。いつもじゃないが、時々だ。ハハハ・・・」

質問8「この会場には約2万人の人が集まっている。生活の中で慈悲の心を実践するために一番肝要なことは何か?」

法王「その前に一つリクエストがある。できれば会場の明かりを強くしてもらえないか?(ステージのみへの照明で会場はほぼ真っ暗だった)
そうすれば、みんなの顔を見ることができるから。
(会場の照明が明るくされる)
おお、いい!すごくいい!
会場の聴衆の顔を見えると、人と話しているという感覚が持てる。
暗いと、時にお化けと話しているような気がするものだ。ハハハ・・・
あるいは独り言をいってるような気になる。
照明を明るくしてくれてありがとう。

あれ!みんなカタを掛けてるみたいだな?、、、
どうも沢山の人たちがカタと呼ばれる白いスカーフを掛けていらっしゃるようだ。
その白いスカーフについて、私は通常、2つのことを説明する。
まず、その「白」という色は、「動機(心)の純粋さ」を表す。
「慈悲」を表している。少なくとも「他者に対し害心がない」ことを表す。次にこのスカーフのしなやかさは、その動機とともに態度が優しいことを示す。これがそのスカーフが表すシンボルの一面だ。


もう一つの面もある。このスカーフを掛けるという風習はインドから来たものだ。インドでは寺院や家族を訪問するとき、尊敬の意味でショールを差し出す。この伝統がチベットに伝わったのだ。
素材は中国製だ。中にはチベット語が織り込まれているものもあるが、これでつまりチベット人がオーダーして中国で作らせたものと解る。そして、この風習、伝統はチベット人により実行されている。このことから、そのスカーフは「調和の象徴」ともなる。

私たちは望む、望まないに関わらず、社会的動物として生まれた。
個人の苦楽は周りのコミニティー全体に依ってある。だから、調和と友愛は非常に大事だ。調和をもたらすためには、真摯な動機と優しい態度が欠かせない。
だから、私の愛すべき友人たち、愛すべき兄弟たちよ、、、
私は幸せになりたいと思う。あなたたちも同じ思い、望みを持っている。
そして、みんな幸せな生活を送る、同等の権利がある。
幸せ、喜びは身体的レベルにもあるが、精神的レベルのそれがより重要だ。身体的レベルの楽は、金銭に依る面が多く、お金持ちは便利な生活をして楽にしているだろう。貧しい人々や失業者はこの面ではきついこともあろう。

しかし、精神的レベルにおいては貧富の差は関係ない。教育のレベルも関係ない。ある場合には、精神的レベルにおいては、ひょっとして貧しい人々の方がより心の平安を楽しんでいるのかも知れないと思ったりする。
非常に頭のいい人は、往々にして、ビジョンが多すぎて、期待が大きすぎて、反ってより多くの恐れや不安を味わうものだ。
内的幸せ、喜び、平安についてはみんな同等の可能性を持っている。このことについてもっと考えてほしい。
より正直な、真摯な、慈悲深い心を持って、互いに助け合うことだ。
特に、助けを必要とする、貧しい人々、病気の人々、老いた人々、囚人も含めて、このような人々を、同じ社会の一員として認め、決して排除してはいけない。社会全体を一つの家族として、楽しい家族のように育て面倒をみること、これが私の望みだ。

ありがとう。ありがとう。」(拍手)


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2010年11月10日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その3

eb29b740.jpg今回で会議における法王のスピーチの訳は、完了。

これが、ダライ・ラマ法王のチベット支援者へのメッセージだ。

なお、これはあくまで私の試訳であってもちろん公式なものではない。
皆さんの参考までにと訳してみただけだ。

元映像は:http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

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さらにもう一つの側面がある。
チベットは中国とインドの間にある。
相互信頼に基づいた良好な関係は、中国とインドに取って非常に重要なことだ。
なぜならば、この二国は最大人口を抱える国家であり、どちらも核兵器を保持しているのだから。
ただの外交辞令的美語だけではない、真の信頼関係を確立する事が大事だ。
真の「ヒンディ、チニ、バイバイ(中印友好)」が必要だ。
真の中印友好のためには信頼が要る。
中印関係だけでなく、中国と他の隣国との関係や世界との関係において、信頼が基本であると思う。
すべてが国家機密である限り、人々はより懐疑的になるばかりだ。
中国の友人やその他の友人にも言っていることは、中国の13億の民は真実を知る権利があるということだ。
そして、中国の13億の民は自ら何が正しくて、何が正しくないかを判断する能力があると。
(拍手)
このような環境の下で、このような現実の下で、監視することは非道徳的だ。
そのようにすれば、自国民の中に懐疑心が増えるばかりだ。
もっと不信が湧く。
それに対する政府の答えは、もっと弾圧することだ。
そして、さらなる恐れだ。
恐れは信頼を破壊する。
信頼がそこに無い時、どうやって真の友情が育つというのか?
それなしに、どうやって胡錦濤氏の強調する「調和ある社会」が作れるのか?

「調和ある社会」は、ひょっとして動物に対してならあり得るかも知れない、
むちを手にして動物を叩く事により、(追い込んで)お互いを近づけることもできるかも知れない。
しかし、我々は人間なのだ。
10億以上の中国人もまた人間なのだ。
力により「調和ある社会」を作る事はできない。
そうでなく、「信頼」により作られるものなのだ。
そうではなく、「友情」によってだ。
(拍手)
だから、私は1日にして突然中国が民主化されるとは思っていない。
なぜならば、中国の田舎には教育を受けていない人が大勢いる。
経済的にも貧しい。
また、中国はかつて一度も民主主義を経験したことがない。
急激な民主化は非常な混乱を引き起こすであろう。
緩やかな変化が適していると思われる。

みんなも知っているであろうが、私はこの数年来、中国の共産党がかつては何らかの良き貢献をなしたと言って来た。
しかし、今の共産党はもう大義を忘れてしまっている。

私も今、隠居を考えている。だから、もう共産党も次第に隠居するのがよろしいと思う。
潔く、、、そのほうが余程よろしいかと。
(拍手)
そうじゃないかな?
これは決して反共産党的発言ではない。

かつて、はじめて台湾を訪れた時。
台湾の国民党のリーダーたちに、「私は反共産党ではない」と言った。
レンタンだったかな、副議長だったかにそう言った。
すると彼は「私は反共産党だ」と言った。
別にこれは秘密なんかじゃない。
今も社会や経済に関する限り、私はマルキストだ。断定できる。
しかし、私はレーニン主義者ではない。
レーニンの時代からスターリンの時代まで、非常な統制、猜疑、弾圧が行われた。
これに対しては完全に反対する。
(法王のどを詰まらせ)
食事を前に何かがお腹に入ったようだ。ハハハ・・・

毛沢東主席に対しても、初めの頃は私も心からの信頼を寄せていた。
人民の福祉のために献身していた。
労働者や恵まれない人に対して。
特権を持たない人々に対し。
私が中国を訪れた、54年、55年の間に何度か彼に会った。
中国の友人によく話すことだが、私のこの手は毛沢東主席の教えをいくらか受けていると。ハハハ・・・
若い世代の人たちは毛主席に会う機会がないが、私にはあった。

おお、話が長すぎるかな、、、大丈夫かな、、、
ここには大勢の人がチベット問題について議論するために集まっておられる、
だから、私の経験のいくつかを紹介することも無駄ではないかもと思い、、、
(拍手)
(マフラーを取られ、デリー事務所代表のテンパ氏から渡された水を飲まれ、左の耳にぶら下げたままだった黄色いマスクを取られる)

彼の開く会議では党のメンバーからの如何なる批判も許されていた。
ではあるが、聞いている方もなかなか頭が良かったようで、黙ったままだった。
ハハハ。
その場で彼は出身地の一農民からの手紙を紹介した。
不満を示す手紙だ。
これを読んで、「このようなことに考慮し、気をつけて仕事をするように」と言ったものだ。
その夜、その会議の席上、毛主席は私の方を向いて、「あなた方チベット人はかつて非常に強かった。しかし、今は非常に弱くなった。だから、我々が助けて上げよう。20年後には、より幸福で、より強くなっているであろう。その時にはお返しに我々を助けてほしい」。
このように毛主席は語った。

それから、その国旗だ。(会場に掲げてあるチベット国旗を指差す)
ある時毛主席は私に「あなたたちは国旗を持っているか?」と訪ねた。
私は「はい。あります」と答えた。
すると、毛主席は「それは持ち続けるべきだ」と答えた。
「中国国旗と共に」と。

ベルリンでチベット支援組織の代表と会談していた時、彼等がチベット国旗を掲げていたので、私は言った。
この旗を本土チベットで誰かが掲げると、すぐに「分裂主義者」だと言われる。
もしも、中国の役人が来た時に、この旗を掲げて、文句言われたら、「おお、ダライ・ラマ法王は毛沢東主席本人から、この国旗を掲げる全面的許可を受けている」と言うが良い。
(拍手)
我々は毛主席のアドバイスに従っているわけだ。
そうじゃないかな?

また、中国の友人たちに話すのだが、共産主義者である毛主席は「共産主義者は他者からの批判を受け入れるべきだ。自己批判と共に。それなしには水を失った魚のように生き続けることはできない」と度々語ったものだと。
今じゃ、これは実行されていない。
しかし、自分たちはこれを実行している。
(拍手)
また、中国で沢山の町や地方を廻った。
北や南や東の地方を。
どこでも、地方の役人と会ったが、私は本当にその党幹部たちが真剣に奉仕していることに感心したものだ。
民衆のことを心掛けていた。
私は本当に心打たれた。
だから、北京で私の面倒を見てくれていた役人に「自分も共産党に入党したいものだ」と話したことがある。
すると、彼は「ま、待て、待った方が良い」と言った。
多分、彼は何れ党が堕落するということを知っていたのかも知れない。
1956年ごろから、すべては変わり始めた。

数ヶ月前、BBCで「真理の力、銃の力」という番組をやっていた。
全部を見る事はできなかったが、、、
中国共産党はその初期には、この2つ「真理の力と銃の力」を持っていた。
その内、「真理の力」は失われた。
「銃の力」は残った。
これが、自身を堕落させた。
全面的に権力を掌握した者は、その人の中に自己制御能力が無い場合、堕落の力に抗することは非常に難しい。
いずれ、堕落する。
これが起こったまでだ。
ほとんどの独裁政権はこのたぐいだ。

ここで、改めて、あなた方と意見を共有したい。
我々は全力を尽くして、中国をより透明性のある国に変え、弾圧をやめさせるべきだ。
歪められたプロパガンダは必要ないということを解らせるべきだ。
それは、ただ非生産的で、反対の効果を及ぼすだけだ。
これが大事だ、なぜかと言えば、物事が一旦透明になり、言論の自由が保証され、独立した司法制度が確立されるならば、チベット問題は簡単に解決することができるからだ。
これが、一つの側面だ。

だから、チベット問題には3つの側面がある。環境、文化そして人権侵害、それと(中国が)インドや世界と良好な関係を築く事。
最大の人口を抱え、古い歴史文化をもつ中国が世界に貢献するためには
他国の信頼を得ることが非常に重要だ。
これなしに、恐怖を与えるならば、中国は建設的役割を果たす事はできない。だから、我々は狭い心を持った指導者たちにこれを解らせるべきだ。

もう一つの見解を共有したい。
ある指導者、役人は我々チベット人が反中国だと思っている。
全くそうではない。
悪い政策と不正義についてはもちろん我々は反対する。
しかし、我々は決して中国人に敵対することはしない。
(拍手)

だから、今回もより多くの中国人がここに集まってくれている。
私は彼等を買ったわけじゃない。
誰も、ここに参加したからといって、1万ドルとか5万ドルとか、誰かからお金を貰えるわけじゃないだろう。
各自が自費でここに参加していると思う。
航空券はただだったか?ハハハ。
(法王見渡して確かめる)

この数年間、多くの中国人に会って来た。
これらの中国人たちは教育のある人々だ。
知識豊かな人々だ。
また、全員ではないがその中国文化の遺産を心に持っている人たちだ。
中国文化を愛しておられる。
中国人を愛し、中国を愛しておられる。自然にだ。

その心で、今、我々を助けるためにここに来て下さっている。
このことは明らかに、我々の戦いは正義の戦いである証拠だ。
特に、我々のアプローチの仕方は独立を求めず、正しい自治を求めるものだ。この数年間に多くの中国人学者、先生、教授、作家、さらに子供たちに、、、おそらく数百人に会った。
この2年以上に渡り、千部以上の中国人の記事が我々の中道のアプローチを支持してくれた。
そして、中国の政策を批判し、その長期的利益について論じられている。
健全なことだ。
これは明らかに、我々が反中国でなないという証拠だ。

また、ここには多くのヨーロッパの人々が来られている。
チベット問題を多くの機会を捕らえ、国際問題にしてくれている。
いつも言っているが、我々には2つの手がある。
右手が大事だ。
右手で北京にアプローチしている。
もしもこの側に具体的手応えがあるなら、この左手は必要ない。
しかし、右手が空のままである限り。
左手は延ばされなければならない。

多くの人々がチベット問題に関心を示して下さっている。
様々な宗教の人が。
だから、自然に我々はこのような共感、同情、支援とつながるであろう。
もしも、具体的な手応えが右手からあるならば、左手は「OK GOOD BYE」だ。
誰がチベット問題を国際化しているのか?
中国であって、我々ではない。
ま、これはあなた方が、誰がチベット問題を国際問題にしているのかと考えて見るべきだが。

最近、二ヶ月前、私は一人の中国人に会った。
ちょうどその前に彼はラサを訪問したという。
彼は私に、「ラサのジョカンの前で、いつものようにチベット人は五体投地を信心深くおこなっていた。そのすぐ近くに武装警官と共産軍がしっかり制服を着て軍事訓練行っていた。叫びながら。そして、――チベット人はこのように右回りにジョカンを回るがーー中国の軍隊は反対向きに行進していた」と。彼が言うには、「この中国人たちは本当にわざとチベット人の心の中に反感を作り出している」と。
だから彼が言うには、「本当に緊張を作り出しているのは彼等の方だ」と。
私もこれが本当と思う。

もちろん我々チベット人は、精神的心を持っているが、一方でお金も好きだ。
私は隠す事は好きでない。
カナダ、アムステルダム、アメリカに沢山チベット人の不法滞在者がいる。
これらのチベット人はもちろん、精神性を求めているのではなく、金を求めているのだ。
これらの困ったチベット人のお陰で、我々のデリー事務所は各大使間との信頼関係を失いかけている。
彼等は最初に我々の事務所に来て、必ず帰ってくると言って支援を求める。
問題は、自分の事務所が助ける手紙を与え、一旦その外国に到着すると、すべてを忘れてしまうことだ。
だから、アメリカ大使館を含め、その信頼を得る事が今、難しくなって来ている。
今年、新しい(アメリカ)大使が就任したが、私は自分で彼に謝った。
間違ったチベット人たちの態度について。
これは、明らかにチベット人もお金が好きだという証拠だ。

チベットは物質的には遅れている。
中国の中に留まるという話は、、、物質的発展に関し、これは自分たちの利害を考えての話だ。
しかし、真の自治を与えてほしい。
自分たちのことは自分ですることのできる完全な権利のことだ。

思い出すが、、、86年のことだったと思うが、パンチェンラマが(マーグル?で)決定したことをラジオで聞いた。
「87年以降、自治区内の公的言語はチベット語にすべきだ」と発言したことを。
このようなアイデアがあった。
今は、公的言語どころか、教育において、学校でも、チベット語は減じられて来ている。

これらがあなた方と共有したいことだ。

以上だ、ありがとう!





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2010年11月09日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その2

df9168ab.jpg写真は会議の初めにインド式灯明に火を灯す、アドバニ氏と法王(Phayul.comより)。

昨日に続いて法王のスピーチを訳す。
これで全体の半分ほど。

映像は:http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

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一方、西洋では、宗教を信じる人であろうと、信じない人であろうと、宗教に関心を持つ人であろうと、無かろうと、現代社会には道徳教育が不在であるということに同意する。
一般的に道徳教育は何らかの宗教に基づくべきだと思われている。
これが、視野を狭める要因となっている。

仏教や、インドの伝統では、、、、
かつて、この事について論じたことがあるが、、、
(アドバニ氏を指差し)
インドの伝統において、一つの哲学学派であるチャルバカは神や仏の存在、来生の存在など、すべてを否定するニヒリズム思想であり、哲学的には多くの論争がなされ、論難もされている。
しかし、一方で、この見解を保持する人はリシ=聖人と呼ばれる。
つまり、この国には千年以上前から、非宗教、世俗(secular)という理念、主義が存在するということだ。
世俗という理念は、個別の教徒を非難するのではなく、むしろすべての教徒を尊敬するという意味だ。
これには宗教を信じない人も含まれるのだ。

私はいつも言っている。
宗教的なことは、例えば私は仏教徒だか、これは個人的問題だ.
私は仏教国でない土地に行って仏教を宣伝するようなことはしない。
決してしたことがない。
しかし、私はすべての宗教のエッセンス、特に仏教で言う人間の良き性格について意見を共有するようにしている。
これは、世俗という考えに基づいているのだ。
常に、この普遍的価値について語るようにしている。
だから、多くの人々が関心を抱いてくれている。

今、いくつかの重要な研究機関、私の知る限り、例えばウイスコンシン(Wisconsin)大学やスタンフォード(Stanford)大学、エモリー(Emory)大学の3校は「心の訓練」特に「慈悲の訓練」についての研究を活発に行っている。
身体と知能と態度にどのような効果を及ぼすかについて研究を行っている。
既に肯定的研究成果も発表されている。
数日前、私はアメリカにいたが、これらの研究機関を訪れた。
今では多くの科学者が仏教の訓練方法や見解に興味を示している。

科学者との対話を通じて、私は仏教全体を区別するようになった。
仏教科学、仏教哲学、そして3番目が信仰としての仏教だ。
信仰は仏教徒のものだが、仏教科学と仏教哲学は普遍的なものだ。

30〜40年前に共産党の文献の中に「現代科学が発展するに従い、盲目的信仰は自然に消滅する」と書かれていたのを思い出す。
だが、事態は反対に動いているように見えではないか。ヒヒヒ・・・
有名なトップ科学者たちが仏教科学に真摯な興味を示し初めている。
それを通じて、仏教の教え自体にも興味を示しはじめている。

だから、チベット文化の保存とは、単に6百万チベット人だけに関わる利害ではないと思う。
もっと大きなコミュニティーに関わるものだ。
まずは中央アジア、ヒマラヤの北すべてと、さらにモンゴルとロシアの一部も含まれる。
そして、もっと重要な地域は中国だ。
今、ある情報によれば、2億人以上の中国人が仏教徒であるという。
ほぼ毎週のように本土から中国人が私に会いにくる。
ある者は非常な危険を冒してまでもやってくる。 

チベットの仏教文化保存は、、、
わたしは仏教と仏教文化を分けて考える。
仏教は仏教徒だけのものだが、仏教文化は主にコミュニティーに関係するものだ。
だから、例えばイスラム教徒であるチベット人のように、彼等は宗教的にはイスラム教徒だがその生活習慣は、大いに仏教文化に影響されたものとなっている。
幸せな社会を、平和な社会を建設するためにチベットの仏教文化は、ある貢献を果たすことができる。
だから、チベットの仏教文化を保存することはチベット人のためだけでなく、より多くの人々に、特に何千万人もの中国人の若者たちに役に立つ、と私は感じている。

非常に狭い心、たった一つの見方しか持たない、、、そうではないかな、中国共産党の人たちと意見を分かち合いたい。
彼等はただ「どうやってチベット(の占領)を守るか」にしか興味を持たない。
チベット文化とはどんなものか?
チベット文化の価値とは?と考えない。
だから、すべてのチベット独特の考え方や固有のアイデンティティーに対し、彼等は恐怖を抱く。
おお、これは更なる不和をもたらすと。
これは短絡的な見方だ。

今日もあるスピーカーが言及されたが、例えば、言語の問題。
つい最近の動きとしてチベット語使用を制限しようというのがある。
だから、私はこの偏狭な心を持った中国人たちと話がしたい。
どうか、もっと全体を見渡す、大きな見方をしてほしいと。
いろんな視点から、政治的側面ばかりでなく、もっと広い見方で、チベットを見てほしいと。
これが重要だ。

これが、チベット問題の一つの側面だ。

もう一つの側面は人権弾圧の問題だ。
人権抑圧がすべての源になっている。
我々は独自の言語を持っている。
個人的観察と人からの意見に基づき、様々な仏教の伝統の中でもチベット仏教はもっとも完全で豊かなものであると私は思っている。
それがチベット語の中に含まれているのだ。
特に大乗仏教を研究する西洋の学者たちはチベット語の教典を信頼の置ける貴重な資料だと見なしている。
言語を含め、チベット文化に否定的態度を示す者に対して、チベット人は自然に反感を抱く。
これが人権侵害の要因となっているのだ。

ある時、5年以上前の話だが、一人の(本土から来た)チベット人に会った。
彼は医学関係の仕事をしている。
彼が言うには、仕事柄、収入は良い、家も大きい、子供の教育もうまく行っている。何の心配もいらない。
でも、一人のチベット人として、心には常に押さえつけられているという感覚があると。
非常に不幸だと。
こう彼が言ったとき、彼の目からは涙が溢れた。

中国の指導者たちは、ただ、家などを与え、より便利な環境を作ればそれですむと思っている。
これでは、このような問題は解決されない。
(法王、語気が強まる)

チベット文化に配慮し、敬意を示すべきだ。
彼等に文化保存の仕事を続けさせるべきだ。
環境についても同様だ。
資源開発については、その利益の一部を地域に還元すべきだ。
そうすれば、OKだ。
事態は改善される。
(会場より拍手)

もう60年経った。
古いやり方だ。
過去は失敗だった。将来も失敗するであろう。
もっと、理性的な態度を示すべきだ。
これが、皆さんと共有したい私の意見だ。


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2010年11月08日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その1

法王先の11月5日から3日間、デリー郊外でITSG(国際チベット支援団体)の第6回全体会議が行われた。

会議には世界の56カ国から260人が参加し、これからのチベット支援全体の方針に関する話し合いが行われた。
法王は日本訪問を前に、風邪を引かれておられたにも関わらず、この開会式に出席された。

開会式で行われた法王のスピーチのすべてがYouTubeにアップされていたので、それを訳してみた。
http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

今回は全体の1/3位まで。

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風邪を引いたせいで、ジャイナ教の僧侶になっちゃった。ハハハ・・・。
アドバニ氏(元インド副首相)、そして私の兄弟姉妹の方々。
ここに来れた事を、私は非常に嬉しく思っています。

ここにおられるほとんどの皆さんは、もうご存知のことと思うが、私は全く形式ばらない話し方をする。
また、フレンドリーに話す。
くだけた話し方をするのは、一つには、英語が下手だからだ。ハハハ・・・
だから、ただ話すだけだ。
感じるところを話すだけだ。それだけだ。
すべてのスピーカーたちがそれぞれのフィーリングを伝え、我々の大義に支持を与えてくれたことに感謝する。
ありがとう。

また、世界のあらゆる場所から多くの国の代表たちが来られている、、、何と言うか、、、個人も国を代表することができると思う。
必ずしも政府である必要はない、人々も国を代表することができるのだと思う。
多くの人々が、ここに来て、チベット問題を解決するために何らかの貢献をしようと思い参加されている。
だから、これを心より評価する。

まず、最初に言いたい事はーーいつも言っている事だがーーチベットを支援してくれる人たちの内、ある人たちはチベット問題というと、それは単に人権の問題だ、と思うことについてだ。
もちろんこれもチベット問題の一部だ。
しかし、他の側面もある。

いま一つの側面は環境だ。
中国人を含めた何人かのエコロジストは「チベット高原は(地球の)第三極だ」と言っている。
それは、温暖化に関する影響という点で北極、南極と同じぐらいに、チベット高原は重要だと言う意味だ。
だから、第三極と呼ばれる。
地球温暖化に大きく関係しているのだ。

また、10億人もの人々に関わると思われる大河の問題もある。
これらの(アジアの)大河はチベット地域を源流とする。
パキスタンから中国まで、主な大河はチベットから流れ出る。
私の思うに、10億人以上の人々の生活が、これらの大河に依存している。
特に、このインド。プラマプトラ等の大河はチベットから来ている。
源流は他の国にあるが、その主な利用者は数百万のインド人だ。
だから、あなた方はチベットの環境に対して発言する権利がある。
その源がチベットにあるのだから。
これが(環境という)一つの側面だ。
実際、これは政治とは何の関係もない。

幸いヂュー・ロンチー(朱 鎔基?)の時代になって、初めて森林保全の重要性について認識されるようになった。
その前には環境について共産党は考えもしなかった。
ヂュー・ロンチーの時代に、ある地域でそれ以上の森林伐採を禁止することが決定された。
でも、汚職がゆえに、森林伐採は今も行われている。

だから、例えば、最近ゴロ地域で洪水が起こり、被害が出た。
これに対し、ある中国人はこの洪水は自然災害ではなく人災だという記事を発表した。
この地域は数十年前まで深い森に囲まれていた。
しかし、この森林は伐採により完全に消え去った。
だから、彼はこの災害は本質的に人災だと結論づけたのだ。
チベットの環境保全は結局多くの中国人を守る事に繋がっているのだ。
これもチベット問題の一つの側面なのだ。

もう一つの側面はチベットの文化に関するものだ。
仏教が伝えられた後にチベット文化は大いに進展した。
ある時モラルジー氏がインドの首相になった時(77年)就任祝いの手紙を送ったが、その返事の中に彼は
「インド文明とチベット文明は1本の菩提樹の2つの枝である」と書いて寄こした。
何れにせよ、インドは私のグル(師)だと常に言ってる。
「グルジ〜(お師匠様)」と言ってる。ハアハアハハハハ・・・

例えば、一人の仏教学者であり行者でもあるチベット人が、次のように表現し、書き残している
「インドの光がチベットに届くまで、雪の国はーー雪は普通には白く輝いているものだがーー暗いままだった」と。
インドのチェラ(弟子)だと言っている。
自分はインドの古代から続く思想のメッセンジャーだとも言っている。
「アヒンサ」。
これはインドからもたらされた。
インドの思想だ。

アヒンサは行動だ。
行動はすべて動機に依存する。
正しいアヒンサの行動を起こすための鍵は慈悲の心だ。
慈悲を宣揚する私の努力は、結局アヒンサの宣揚でもあるのだ。
これも、インドのメッセージだ。

そして、「宗教間の調和」。
すべての主要な宗教が混在しているのはインドだけだ。
(アドバニ氏を指差しながら)あなたとかつて論じたことがあるが、、、あなたはチャルバーカ(古代インドの無神論者:無神論者も古代インドでは弾圧されず思想家として尊敬されていたという話)について話された。
多くのことを学ぶ事ができる、とても有益な対話だった。
ヘヘへ・・・

(数秒YouTubeの音が消えている)
もちろん、中には悪いやつがいる。これはいつでもあり得る。理解できる。
しかし、一般的にはすべての主な宗教が2000年前から共存している。
これは他の国の良い見本となりえる。

昔はそれぞれがある程度隔離されていただろう。
でも今はすべてが緊密に依存し合って存在している。
多くの社会が、複合文化、複合宗教の社会となっている。
だから、もちろん問題も起こり得る。
インドを見るべきだ、インドから学ぶことは多いと思う。
だから、自分はインドの古代思想のメッセンジャーだと言っているのだ。

2年前に中国のグループと会った時。
ある人が質問した「あなたは『私はインド人だ』と発言したそうだが?」と。
私はそれに対し「私の頭脳の一つひとつの細胞はナーランダ思想に染まっている。また、この身体は、この50年間インドのダル(豆)とインドの米によって維持されて来た。だから自分はインド人のようなものだ」と答えた。
彼はそれで、分かったみたいで、もうそれ以上質問して来なかった。ハハハ・・・

何れにせよ、チベットの文化的伝統はインドの宗教間調和の精神、相互に尊敬し合う精神に影響されていると言える。

この明らかな証拠として、次のような話がある。
今から3、4世紀前にイスラム教徒の一群が商人としてラダック方面からラサに来て、その内、住み着いた。
ダライ・ラマ5世は彼等にモスクを建てるための土地を与えた。
私が子供の頃、ある縁起のいい日に、数人のイスラム教徒たちがポタラにやって来た。
私は「どうして彼等がこの日にポタラに来るのだ?」と(側近に)訪ねた。
「彼等はこの日に役所から貰える縁起が良いとされるプレゼントを貰いに来ているのです」という。
これは、他の宗教も尊重していた証拠だと思う。
もちろん、イスラム教徒は別だという人もいるだろう。
確かにそうだが、尊重し合うことが大事だ。

また、仏教はインドから、それも主にナーランダ(僧院)から来たのだから、その主要なメッセージは教義としての「縁起(相互依存)」にあると思うべきだ。
これは量子物理学の理論に似る。
相対性理論だ。
この考え方は非常に有益なものだ。
今日の世界にも通用する考え方だ。

行動(行)の面では慈悲、無量の慈悲。
この故にチベットの社会は、、、一般的にベジタリアンではないが、、、その生活は慈悲の精神に裏付けされている。
だから、私はチベットの文化は「平和の文化」だと言うことができる。
「慈悲の文化」だと。

中国人を含めて多くの考える力のある人たちが一度でもチベットを訪問するならば、チベット人たちがより明るく、より平和的で、より慎み深いことに気づく。
それに比べ、中国人はどこでも、近づけばゾーラ(走了)、ゾーラ、ゾーラ、あっちへ行け、あっちへ行け、、、ハハハ、そんなじゃないか、ハハハ・・・
人は気づくのだ。

多くの中国人たち、、、2年前に中国の学者、作家に会った時の事を思い出す。
その中の何人かは本土から来ていた。
彼等が言うには、中国本土では、数千年間守られ続けて来た、人間的価値、道徳観が意図的に破壊されてしまったと。
その結果、汚職に満ち、不正に満ち、社会全体は非常に不幸な状態に陥っていると。
金の事しか考えないと、マニー、マニー、マニー、それだけだと。
彼等は目に涙を浮かべながら、独裁政権は遅かれ早かれ何れ変化すると言った。
このまま残る事はできないと。

しかし、この数千年守られて来たが失われてしまった道徳観を、再び生き返らせる事は非常に難しいと。
この方が時間が掛かると。
この分野で、彼等はチベットに期待しているのだと。
チベット人が助けることができると。
慈悲深い道徳観を取り戻すために。
中国の知識人たちから、このことを聞いた時、私は更なる責任を感じた。


続く。


































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2010年10月19日

2009年、3月10日法王記者会見 その五

caa95d01.jpg再掲/2009年03月19日分

法王の3月10日の記者会見レポート最終回。

法王は英語で話されました。
尚、これは私の試訳に過ぎません。


質問者:ファイナンシャル・タイムズのものだが、
現在のチベットの状況についてコメントしてもらいたい。
去年は7000人が逮捕されながらも、抵抗は続いた。
今年も去年と同じ程度の抵抗運動が起こると思われるか?
内部のチベット人に対するメッセージはあるか?

法王:最近、困難にも拘らずチベットの内部に入り現地からのレポートを発表している外国のレポーターがいる。
それによれば、状況は極めて厳しい。
これ以上言うことはない。

それから、もう一度皆さんにはお願いしたい。
チベットの中の人々に私のメッセージを伝えてほしい。

もちろん、(現在チベット人は)厳しい状況下に置かれ、絶望的な気持になっているであろうことはよく解る。
それでも、今は静かにして、行動を抑制するようにと言いたい。
地方政府はチベット人がもっと反抗し、暴れてくれることを待っているのだ。
そうなれば、もっと簡単に打ちのめすことができるからと。
何れにしてもいいことはない、今は静かに耐えることだ。

(この私のメッセージを)何らかの方法を使って内部チベットの人々に伝えてほしい。

次、
なにBBC?、、、いや、、、違うか?

質問者:スウェーデンの新聞社の者だが、法王は「早期にチベット問題が解決されるであろうと考える理由がある、、、」と言われたが、これはどういう意味なのか?

法王:それについては、すでに答えた。もう答えた。
もう、一度説明したから、もう繰り返さない。
理由1,2,3,4と答えた。
もう答えた。

次、



質問者:フランスのテレビ局です。
あなたはステートメントの中で中国はチベットを「この世の地獄(hell on earth)にした」とおっしゃった。
この言葉は強いメッセージと感じられる。これについて更なるコメントを。

法王:これはチベット人がよく使う表現だ。
ただ、バイブルが説くところの「地獄」とは異なる。
仏教の経典には違った「地獄」についての記述がある。
ハハハハ、、私はよく知らない、、、

質問者:どういうことか?

法王:(大きなジェスチャーと大きな声で)これほどの苦しみ、これほどの恐怖、これほどの怒り、これほどの憎しみ、生活を蝕む、、、

法王の興奮を抑えようとここで、リンポチェが言葉を挟む。

リンポチェ:地獄とは苦しみの極まった(Highest Level)状態のことだ。

法王:Yes.

(ここで、少し説明がいる。この3月10日午後一時ごろにはこのステートメントに書かれた「この世の(生き)地獄」という表現が、この後中国政府からの非難を思いっきり浴び、外国メディアもこの表現を好んで使うことになろうとは、法王自身この時点で予想されていなかったご様子でした)

質問者:フランスからだが、
法王の後継者としてリン・リンポチェとカルマパのどちらが選ばれるのか?

法王:何、カルマパ? ノーノー。

ステートメントの中で今回もはっきり言っているが、私のポジションははっきりしている。
半引退だ。
最近EU議会で私はリンポチェを「私のボスだ」と言って紹介した。
政治的には彼が私のボスだ。

精神界では私が彼のボスだ。エヘヘヘヘヘヘヘ、、、、
だから今は5年ごとの選挙によって政治的トップは入れ替わる。
中国のジャーナリストも私の後継者について質問したが、
私はコミュニストではないと答えた。
もしもコミュニストだったら、自分の後継者を必ず自分でピックアップすることであろう。

でも、我々はコミュニストではない。
我々は完全に民主主義に従っている。
私はいつも「もう半引退している」と言うとき、誇りを感じる。
リンポチェはすでに二期目に入った、後、、、

リンポチェ:二年です。

法王:だから、もしも彼がそれからも同じ地位に留まりたいと考えてもそれは法律上叶わない。
この地球のメンバーである、どこかの国のある大統領などは、一生地位を守ろうとする。
そんなことはここではあり得ない。
5年ごとに選挙で選出されるのだ。

一方精神的レベルにおいては、皆様も朝の式典でご覧になったように、
私のそばにサキャ・ティチェン・リンポチェ、その傍にカルマパ・リンポチェ、ボン教のティンジン(座主)、それにデブン・キャンマ・リンポチェ、その他成就者たち、
すべての派が集っている。
黄帽派、赤帽派、黒帽派、それに何だ、、、、そうだ、ボンは時に白い帽子を被るから白帽派、
そして、、、その内、青帽派も現れてくることも期待されてるとか、、、、ハハハハハハ、、、。

緑は如何で(とリンポチェ)
そうだ、そうだ、緑は良い。
グリーン・パーティーだ!ハハハハ、、。
沢山の国でグリーン・パーティーが、、、、ニュージーランドに行った時、グリーン・パーティーの事務所に迎えられた。その時私は「もし、ニュージーランドに居るなら私はあなた方の党に入るであろう」と言った。
それは私は常に「エコロジー」の大事さを語っているからだ。

何れにせよ、すべての組織の中で若い世代の優秀な人材がたくさん育っている。
非常に健康的で可能性を秘めた指導者たちが現れてきた。
だからダライ・ラマの後継者について心配する必要はない。
ダライ・ラマ制度に関する限り、早くは1959年にすでに私はこの数百年続いた制度の存続はチベット人によって決定されるべきだと表明している。
大多数のチベット人がこの制度の存続を大事だと感じるならば、残るであろう。
もしも、大多数の人々がもう必要ないと思うなら、無くなるまでだ。
これは大事なことではない。

大事なことは前にも話したが、私の日々の生活が他の人々の福祉に何らかの貢献をするということだ。

私は自分の将来について考えたことはない。

サンキュウ、サンキュウ。


了。



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2010年10月18日

2009年、3月10日法王記者会見 その四

a5d6bdc2.jpg再掲/2009年03月17日

質問者:スウェーデンのフリーランスの記者だが、
失礼な質問かも知れないが、、、私の通訳のチベット女性が「法王は自身の死をコントロールできる」と言っていたが、、、ではあなたはいつお亡くなりになられる積りか?

法王:おお、、、あなたに仏教の信について語った女性がもっとしっかりした仏教知識を持っていれば良かったのだが、、、ヘヘヘ、、、、。

まず、仏教に関して二つのレベルの解釈がある。
民衆レベルの解釈と、本当に権威あるナーランダ大学の伝統に沿った解釈とだ。
一般にチベット人だけではない、日本人だって、中国人だって一応我々は仏教徒ということになっているが、一般の人々には十分な仏教に関する知識はない。
そうではないかな?

率直に言って、私には自分の死をコントロールするような力は全くない。
この明らかな理由は、例えば、去年私は胆石を取り除く手術をしたが、これは自分の望んだことではない。でもコントロール不可能だった。アハハハハ、、、、
だから、私の死もこのようなものだろう。
コントロールできるはずがない。
死の時は来るときには来る。ハハハハハハハハハ、、、、、
しかし、たぶん、来世については、意志の力によって、決心の力によって少しはコントロールできるかもしれない。

私の常なる願いは、
「この宇宙が存在する限り、有情の苦しみがある限り、私は留まる。
力の限りその者たちを助けるために」だ。
これは私のお気に入りの祈願だ。
そして、そのように決心している。

第一世ダライ・ラマが弟子から、「あなた様はすでに浄土に行かれる用意が有られるようだ。そのような印が現れている。しかし、どうかこの世の長寿を全うされますように」と懇願された。
その時法王は「私は浄土などに行きたいと思ったことなどない。私の願はより多くの苦しみのある処に生まれることだ。そうなれば、私がもっと役に立つから」と答えたという。

30年前に、このダライ・ラマ一世に関する資料を読んだ時、私は心打たれた。
だから私もこれを見習うのだ。
利用価値ということだ。
私はホームレスになって、50年だが、私は幸せを感じる。
この状況の故に私は役立つ人であり続けることができた。
このことが大事だ。
もちろん、自由がなければこれはなせないことだ。
この50年間、ホームレス、ステートレス(国もない)だったが、だから却って周りの人々の福祉増進のために何らかの貢献を成すことができたのだ。
だから、私は楽しい。

ところで、あなたは私がいつ死ぬかを訊ねているが、、、それは分からない。
おそらく、今晩がその日ではないだろう。これはほとんど確かだ。
99%は確かだ。でも今夜、大きな地震でも起これば、分からない。
でもその時は皆さんも危ないわけだが、、、ハーハハ、ハ−ハハハハ、、

次、
中国人か?

質問者:そうです。これが私のパスポートです(中国パスポートをかざす)。
私は89年に天安門前でデモに参加しました。
中国政府は多くの子供も殺しました。
家も壊されました。
2002年にニュージーランドに逃れました。
でも今もこの中国パスポートを持っています。
それは、中国は私の国だと思ってるし、、、

法王:グッド! それは良いことだ。

質問者:ニュージーランドに胡錦涛が来た時、チベット人がデモをするのを見ました。
2007年のそれは大きかった。
チベット人と共に、我々もダライ・ラマを共有したいと思った。
法王はチベットのダライ・ラマであるのみならず、我々中国人のダライ・ラマでもある。

法王:誰もそんなことは言わないがな、、、ハハハハハハ、、、
でも実際、我々はそう思っている。この前ワシントンに行った時、中国人の前で「私は中国人になりたい」と言った。
あなたの持っているそのパスポートを持っても良い。OKだ。
我々は中国人ではない。しかし、市民として中国の中に留まりたいと言っているのだ。

質問者:・…上海で6人の警官を殺して自殺した男が・・・・08憲章が…どうしたらよいか?(この部分良く分かりませんでした)

法王:あなたの質問ははっきりしないが、、、比較的いい英語だが、、、2002年に出られて、それから習われたのなら、大したものだ。
いや、中国を出られる前にも英語を習っていたのか?

質問者:ハイ。北京で。

法王:じゃ、それほどでもないかな、、、ハハハ(満場笑い)
それにしても、我々二人は同じ類(same kind)の人間なのだろう。
独裁政権に反対している。
我々は自由を求めている。
「08憲章」の事を聞いたのは、私がポーランドにいた時だが、直ちに私は支持を表明した。これは道徳的責任からだ。
これは支持すれば、見返りにどれだけの利があるとかいう話ではない。

何事か正しい、道徳的案件については、支持を表明すべきなのだ。
だから私は支持を(書くしぐさ)表明した。

前にも言ったが、中国は世界でもっとも人口の多い国だ。
他の世界から尊敬を得たいと熱望している。
そのためには、透明性、公正な司法組織、メディアが完全に自由に活動できること等が必要だ。
これらが達成されるなら、現在の共産党の下に漸進的に民主化が進むと考える。
これが、正しい方向だ。
突然の崩壊、変更。中央政府の突然の崩壊は大きなケオス(混乱)を引き起こすであろう。
これは誰もが避けたいことだ。
漸進的変化が最良の道なのだ。

だから、私は指導者層の中の若い人たちや、そのスタッフの中の外国で良い教育を受け、民主主義の価値をすでに味わったことのある者たちに期待する。
彼らの力による序々に中国が民主化されるなら、そのとき初めて中国は「尊敬を受ける超大国」になれることだろう。

中国の友人も言っていた。
超大国になるには、いくつかの条件があると。
まず第一に「人口」、これはもうある。
第二は軍事力。これもすでにある。核もある。
第三に経済。これも今は大体ある。
何が、足りないか?
それは道徳的権威だ。
信頼され、尊敬される超大国になるには道徳的権威がいる。
これが欠けているのだ。

このところの中国の、チベットだけではない、ウイグル人や自国の反体制中国人に対し、少しでも政府反対の意見を表明すれば、逮捕するという態度は非常に良くない。
中国のイメージのために良くないことだ。
だから、尊敬される超大国になり、より効果的に世界をリードする国になるためにはこの点は非常に大事なことだ。
このことは常に中国の友人にアドバイスしていることだ。

数日前に中国の外務大臣が言っていたが、、、、コピーはあるか?
(コピーが手元に渡され。それを読まれる)
「(中国と)良好な関係を続けたいなら、その領土がダライ・ラマのチベットの独立をもくろんだ分裂主義的活動に使われないようにすべきだ」

今回も、皆さんが証人となったように、我々は完全に「中道路線」を守っている。
「独立」を求めていない。
あなた方に、このことに完全にコミットしていると100%保証する。
(非常に厳しいお顔でみんなを指さされる)
あなた方が証人だ。

この数十年の間、世界中至る所で、私はこのことを明言してきた。
多くの人たちがこのことをはっきり認識している。
我々は独立を求めていないと。
だから、たとえば私の兄とか、他のチベット人たちも私のこの立場を非難している。
(コピーを示しながら)この中の「独立を求めている」とか「分離主義者」とか言う言葉は、、、、これはチベット人のいうところの「実体のない影」のようなものだ。

(再びコピーを見ながら)
「ダライ・ラマ側は依然として中国全領土の四分の一にあたる大チベットと呼ぶ領土の中から軍隊を追いだし、すべてのチベット人以外の住人を移住させようとしている。
・・・・・ドイツやフランスその他の国であろうと自らの領土の四分の一が奪われるのを誰が許すか。中国は常に統一を支持することを忘れないように。」

エヘヘヘヘヘヘヘヘ、、、
私はかなり真剣だ。これを聞いた時は相当驚いた。
外務大臣!がこのような表現を使うとは。

二つの可能性がある。
一つは、全くの無知からか?
あるいは、意図的に嘘を言っているか?だ。
だから、私の代わりに、皆さんが中国の外務大臣に聞いてほしい。

「チベットから中国軍を追いだし、チベット人以外を移住させる」、、、
この同じ質問を私はオーストラリアである中国人のジャーナリストから受けたことがある。
私は「いつ、どこで私がそのようなことを言ったのか?」と尋ねた。
しかし、答えは帰って来なかった。

皆さんには私のすべてのステートメント、記録を調べてほしい。

もちろん59年のすぐあと頃には、何も決定されていなかった。
我々の中心の課題は移住であり、教育であった。
それと国連に訴えることだった。
しばらくして、緊急の課題が少しは解決されたころ、初めて長期的展望についてじっくりと考え始めた。
そして1974年に長期的政策を決定したのだ。その時から我々の立場は一貫している。チベットの独立を求めてなどいない。
会う人すべてに説明している。

「自治」とはどういうことか?
外交と防衛以外のすべて、教育、経済、環境、宗教、これらはチベット人自身にゆだねられるということだ。
外交と防衛以外、と言うときここで一つの質問が起こる、、、、
インド人の友人はどこに行った、、(法王手をかざしてその人を探すしぐさ)
あれ、行っちゃったのかな?、、、あなたじゃない、、、
20年ほど前にある雑誌のエディターと会ったことがある。
その時この外交と・・・の話になったので、私はジョークで「もしもインドと戦争になったとして、我々チベット人は

インドに銃口を向けるなど考えられないことだろう。インドは我々のグルだ。先生だ。
だから、インド人に撃たせろということになるだろう。ハハハハハハハ、、、
みんな笑ったよ。

独立を目指していないということは、外交と防衛は彼らに任せるということだ。
私は一度も中国軍はチベットから撤退すべきだと言ったことはない。
だから、お願いだから、私の代わりに中国の外務大臣に聞いてほしい。
「いつ、どこで私がそのようなことを言ったのか?」を。
できるか?私の代わりに聞いてくれるか?(一人ずつを指さされる)

この中には北京に支局を構えている通信社も多いだろう。
彼に訊ねてほしい。訊ねるべきだ。
どこで言ったのかと!?(法王本気の顔をされる)
これは本当のことではない。
中国の外務大臣は巨大な軍隊をもっている。私はたった一人の避難民だ。
しかし真実に関する限り、違いはない。
力に関係ないものだ。
だから私は彼に、いつ、どこで、発言したかを聞く権利がある。

ワシントンで語った一つのコメントがある。
これは遠いビジョンとしてだが、チベットが将来「Zone of Peace」になればいいと語った。「アヒンサ」の地だ。
これはどこでもいつも話している、ヨーロッパでもワシントンでもカナダでも日本でも、これは私の長期的ビジョンとして話していることだ。
全世界はいずれ非武装化されなければならない。
これは段階的に進められる。
外の非武装化の前に内なる非武装化がなされるべきだ。
これは我々のビジョンだ。何も隠すことではない。
中央アジアのチベットは平和地帯となるべきだ。
だからと言って、今すぐにチベットから中国軍は撤退すべきだと、言ったことは決してない。

例えば内モンゴルには3,4百万のモンゴル人に対して1800万人の中国人が住んでいる。こうなるともう自治と言う意味もない。
自治と言う限り、その地域において人口の過半数を保っていないければならない。
この意味で危険はある。
例えばラサだが、10万人のチベット人に対し、中国人を中心とするチベット人以外の人口は20万人に達する。
すでにチベット人以外の方が多くなっている。
これはチベットの文化を守ることに対する脅威だ。
言語を含めてだ。
この点に関して時に言及することはある、、、しかし、
すべてのチベット人以外の人は出て行くべきだ、などと言ったことは一度もない。
だから外務大臣に質してみたいのだ。

無知からか?(意図的)嘘なのか?
どこでいつ言ったかを証明すべきだ。
証拠を示すべきだ。
去年もそうだったが、、、去年3月10日の騒動が始まった後、温家宝首相がメディアの前で「すべての問題は外部から、ダラムサラから引き起こされた」と語ったとき、私は「どうかちゃんと調査してほしい、中国の係官がここに来て、すべての私のファイルとチベット人に話したすべての記録をチェックしてほしい」と中国政府に対し要請した。
でも何の返答も帰って来なかった。
だから、今回はあなた方に中国側に質問してもらう義務を押し付けよう。ハハハ。
(会場から拍手)

はい次。後二、三の質問だけ、、、

質問者:ファイナンシャル・タイムズのものだが、
現在のチベットの状況についてコメントしてもらいたい。
去年は7000人が逮捕されながらも、抵抗は続いた。
今年も去年と同じ程度の抵抗運動が起こると思われるか?
内部のチベット人に対するメッセージはあるか?

法王:



続く。


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2010年10月17日

2009年、3月10日法王記者会見 その三

9bae8a2b.jpg再掲/2009年03月16日分

以下、法王記者会見の続き。

*注:質問については明瞭に聞き取れないことが多かったので、要旨のみと思って下さい。

ーーー

質問その二

ワシントンポスト:会談が進まない中、チベットの状況は悪化するばかりのように見える。
これからの見通しは?

法王:私のステートメントにおいても、内閣のステートメントにおいてもはっきりと表明していることだが、我々の要求はすべて最後の会談の時中国側の代表に手渡してある。
すべては文章で明確に示してある。
これは中国側からその前の会談で要求されたものだ。
「すべての要求を明らかにせよ」と言われた。
だからメモランダムという形式で答えた。

これについて如何なる協議も行われることなく、彼らはただ、全面的に否定した。
このメモランダムのすべての意味は「半独立」とか「隠ぺい独立」だと断定している。
このように、完全に内容自体を拒否したのだ。

今、多くの友人、国々が中国を説得することに努力してくれている。
だから、様子をみよう。

中国の多くの知識人、作家たちが中国のチベット政策は間違っていると指摘している。
だから、時が来るかもしれない。


質問その三
チベット・ポストだが、
インドがチベットの真の自治を実現するためにもっと積極的に果たせる役割とは何か?

法王:インドはこの50年間の我々のホームだ。
50年前から我々はホームレスだ。
しかし、ホームレスもそれから色んなホームを見つけた。
インド政府からは居住、教育その他の分野でできる限りの援助を受けた。

一方、チベット問題に関しては、勿論インドも中国と長い国境線を境に隣接しているし、そのかなりの部分はまだ最終的に決定されものではない。
だから、まだ困難はある。
故に(チベット問題において)インドが出来ることにも限界があるのは理解できよう。

インドの政府も人々も一般的に非常に我々に同情的だ。
でも過去には私も「インドは少々心配し過ぎだ」とか言ったこともある。
しかし、インドの態度は理解できるものだ。
また、インドのメディアの我々に対する関心は益々強くなってきている。
だから、時がくればインドは必ず、できる限りチベットを助けてくれると信じる。


質問第四
日本の共同通信社のSだが、
(このが先のブログでお知らせしたものです)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51179267.html
ただ、次の質問の間にサンドゥン・リンポチェがコメントを入れられた。

リンポチェ:法王は非常に洗練された言い方で話されたが、少し説明もいると思われる。
この中道路線は中国政府の態度に対する反応として提案されたものではない。自発的にこちらが提案したものだ。この方法は双方に利のあるものだ、、、(話の途中で法王がここで話し始める)

法王:これは明らかなことだ。
この中道路線は、一方が勝利し、一方が負けるというような提案ではない。
双方に勝利をもたらすものだ。

この考えを我々は74年ダラムサラにおいて決定した。
そのころ中国の人々は文化大革命に完全に没頭していた。
だから、我々は中国から要求されてこの決定を下したのではない。
何れは、中国政府との話し合いが始まるとの予測の下に自発的に決定したことなのだ。
つまり、真の、意味のある自治を求めることになったのだ。
これが中道路線だ、、、(ここで今度はリンポチェが割って入り)

リンポチェ:我々はこの路線遂行に更なる確信をもっている。
それは、人々からの信任を得たからだ。この際中国は関係ない。

法王:グッド!

次、そこのインド人、、、


質問第五
ロイターの者だが、
法王は1959年に亡命を決意されたことに対し後悔を感じられたことはないか?
法王:私はこの50年間、常にあの時の事を思い出し続けてきた。
正しい判断だったといつも思っている。

もしも、中国政府があの17条協定を継続的に守っていれば、1959年の危機は決して起こらなかったことであろう。
しかし56年、57年頃から次第に極左寄りの政策が始まった。
中央のほんのちょっとした政策変更がチベットで実際には大きな変化となって現れた。
これが1956〜9年までの衝突の原因だ。
56年の列車の路線変更からして、その後の59年の結果はすでに不可避のものだったのだ。
そのような状況において、最善の方法は脱出することだった。

このインドに亡命してすでに50年経った。
地球のこの場所でチベットの宗教と文化は完全な自由の下にある。

インド人の友人によく語ることだが、「インドは我々の精神的ホームである。仏教はインドから始まった。だから、我々の多くは自分たちが幸運であるとまで思っている。
過去には一生のうち一度でもインドに行くことができればラッキーと思われていた。
それが、今は自分たちのホームとなったのだ。ハハハ、、、簡単にそうなった、、、ハハハ

皆さんも知っているようにインドと我々の関係はグル(師)とチャラ(弟子)の関係だ。
インドは我々のグルであり先生だ。
だから私は時々インドの友人にこう言う
「弟子が苦況にある時には師はそれを助ける道徳的責任があると」ハハハ、
そうではないかな?ハハハ、、、

このようにして、我々は1956年の政策変更により、今こうなっているのだ。
もちろん1980年代初めにおいて、胡耀邦がいたときには希望があった。
彼は素晴らしい共産党指導者だった。
彼には誤りを認めるだけの勇気があった。

私のステートメントにも引用したが、1980年彼がラサを訪問した時、チベット政策の間違いについて民衆の前で謝罪したのだ。
過去に如何なるダメージをチベットに与えたかについて語った。
その時は、本当の希望が持てた。

しかし、彼の政治生命はあまりに短かった。
中国にもこのように時に希望の持てる人も現れるが、基本的には強硬派が政権を担い続けている。
だから、我々の1959年の決定を間違っていたと思ったことはない。
正しい決定だったと思っている。


次、、、、そこの中国人、

質問第六
質問者:台湾パブリック、、です。

昨日法王は台湾の人々からの「台湾訪問」の要請を受けられたはずだが、どうされるお積りか?今年台湾を訪問されるのか?もしそうでないなら、その理由は?

法王:昨日、台湾からのジャーナリストにあった。
ジャンパ・プンツォをはじめとする、プレスクラブからの台湾訪問要請を受け取った。
それに対し、私は「原則的に承諾する」と答えた。

私は常に台湾に行きたいと願っている。
そこで、百万の中国人の目の前に顔を出してみたい。

我々は「反中国」ではない。
我々は中国の文明と文化を称賛するものだ。
地理的に我々はすでに数千年の間隣り合わせに暮らしてきた。

中国本土に行って直接、私の(中国に対する)信と誠実さを多くの人々に示すことが許されない今、私は台湾を選んだ。
台湾こそ、私の信と誠実さを中国の兄弟・姉妹に対して示す場所だと。

ここで、「中国人」と私の言うとき、誤解しないでほしい。
(記者を示して)あなたも中国語を話すであろう。
中国語を読み書きし、話し、中国文化の下にあるすべての人々のことだ。
台湾人でも、中国人でも、その他でもだ。

台湾こそ、私の中国人に対する信と真を示す場所と考えた。
これが、第一のポイントだ。
より親密な理解を求めてのことだ。

次に第二のポイントとして、台湾には仏教徒が大勢いることだ。

こんなことから、私は過去二回台湾を訪問する機会を得た。
完全に宗教活動のみだった。
実際最初の訪問の時、中国からの独立を要求していた野党(DBP)の人たちと会談した。
私はその時「チベットに関する限り我々は独立を求めていない」と言った。
「我々は離反を求めていない」と。
今、あなた方台湾の人々は経済的理由から、一方違いもあるということから、本土とユニークで特別に緊密な関係を築くべきだ、と語った。

そして、二度目の訪問の時にも、私は空港で「中国の係官を私の台湾訪問の間中24時間監視するために付けてほしい」と言った。
どこに行くのか?誰と会うのか?すべて見てもらいたいと。
はたして、チベットの反動主義者!と台湾の反動主義者!が結託しているのかどうか、調べるべきだと。ヘへへへへへへ、、、
それはただの訪問だ、オープンなものだ。

基本的に政治的なものではない。
もちろん、ある種の政治的意味合いは発生する。
しかし、基本的に私の動機に関する限り、そこに全く政治的なものはない。
将来の台湾は彼らによる。
政治に関する限り、完全に彼らの意志によると、明言している。

だが、民主主義に関する限り台湾のなしたことは大きい。
他の自由世界はこの達成された民主主義を守る道徳的義務がある。
これが、私の立場だ。

ポイントは、私の台湾訪問は完全に宗教的、教育的なものではあるが、
2001年の2度目の訪問の後、2002年北京政府との接触が再開されたことだ。
中国政府は私の台湾訪問について異常な関心を示した。
そして、訪問の延期とかが起こった。

ここ数年の間、多くの中国人、主に台湾、シンガポール、マレーシアその他の中国人に対し仏教講義を行って来た。
多くの台湾人から「あなたは我々の事をお忘れになったのか?」と目に涙を浮かべて訴えられた。
私は非常に悲しいと感じた。
私はいつも言う。
「私はあなた達のことを決して忘れていない」と。
「私は常にあなた達のことを思っている」と。
仏教徒として。

しかし、政治的には常にはっきりしている。
私もチベット人の面倒を見ないといけない。今、漸く中国政府と直接接触できるようになった。中国は私の台湾訪問に対し厳しい顔をする。
だから、私の台湾訪問は慎重に判断されねばならない。

昨日も彼らに「基本的には承諾するが、最終決定にはもっと時間が要る」と答えた。
それは昨日(3月9日)のことで今日(3月10日)に私はステートメントを発表した。
普通ならいつものように、我々は何らかの北京からの「お叱り」を期待するところだ。
ハハハハハ、、、、これが期待されている。
何れまた「反動主義者の、、、、ではなくて、、(リンポチェの方を向いて)何だったか?」

リンポチェ:「分離主義者です」

法王:そうだ、そう、それだ。
ついでにインド政府に対しても非難してくるかもしれない。
何れにせよ、それは計算済み(expected)だ。
一方で、チベット人からも厳しい言葉を返されるかもしれない。
それも有り得る。
ということは、我々のアプローチが本当に中道だということを示している。へへへ、、
こっち側の人も満足せず、あちらの人も満足しない。
どうしたらいいのか!?(What to do?)ヒヒヒ、、、。

でも、明日とか、数日とか数週間の間に来る非難は何でもない。
怖れや怒りの心からそんな反応も帰ってくることであろう。
それは何でもない。
しかし、数か月後に解るであろう。
もしも、チベットの内部で、何かしらの状況改善が起こるなら、我々の対話は意味あるものとなろう。
そうではなく、今のように中国の態度が硬化したままならば、その時は私の台湾訪問は難しいものとなろう。
一般的には本土の中国人が沢山台湾を訪問し、交流は深まっているので、訪問も簡単なはずだ。

以上は昨日も彼らに説明したことだが、今ここでもっと大勢の前で説明したまでだ。

では次の質問。

今度はヨーロッパ人にするかな?



続く


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2010年10月16日

(2009年)3月14日カンゼで抗議デモ/3月10日法王記者会見・その2

再掲/2009年03月15日分


3月14日、2008年大規模カンゼ・デモより一周期の日、カンゼで抗議デモ。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24174&article=Protest+in+Kardze+a+year+after+2008+unrest
VOT(Voice of Tibet)によれば、3月14日、三人の若者がカム、カンゼで抗議デモを行い直ちにその場で僕打、逮捕された。

ダワ・ツェリン25歳、ドゥンドゥップ24歳、ロプサン・ニャンダック25歳の三人は、殴り倒される前に、
「ダライ・ラマ法王に長寿を!」「チベットの政治犯を解放せよ!」「ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになることを許可せよ!」「チベット独立!」等のスローガンを叫び、チベット仏教の旗を掲げ、ダライ・ラマ法王の帰還とチベット問題の解決を訴えた。

三人はカンゼの人民病院前に新設された刑務所に連行されているという。

これとは別に3月11日、同じカンゼでカンゼ・ロパ出身の三人の何れも17歳の少女がカンゼ人民病院前で中国に対する抗議デモを行ったが、間もなく僕打の上逮捕され同上の刑務所に連行された。
三人の名はチュツォ、ツェテン・ラモ、ツェリン・ラモ。

12日にもカンゼで一人抗議デモが、チベット人により行われたというが、詳細不明。

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ラサ市内では、一軒一軒ホテル、ゲストハウスはもとより、一般の民家にも保安要員が現れ、しらみつぶしに外人を探し出しているとか。
外人だけでなく、ラサ以外から来たチベット人もすべてラサから追い出されているという。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24166&article=Chinese+police+'search+houses+in+Lhasa+for+non-Tibetans'

読売の記者が最近カムで中国の警官にひどい目にあわされたという話はもう有名だが、

私はこうして“強制退去”させられた チベット周辺取材 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n2.htm


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9a87a7e0.jpg以下、昨日の続きではなく冒頭の部分からお知らせします。

ダラムサラ3月10日、ダライ・ラマ法王記者会見(その2)。


法王:質問を聞きたい。

(時計を見ながら)12時半か、、、皆さんはもう昼食は済まされたのかな?
何、食べてない。空っぽ!お腹は空っぽか?ハハハハハ、、、、
ヒイヒイヒイ、、、(法王はこの時、座につかれる直前にお堂の本尊に対し(半五体投地で)三拝されたせいで、息を少し切らされていました)

実際私は、、、いや我々と言うべきだが、非常に喜んでいる。
これほど多くのメディアの人々がダラムサラまで来てくれた。
(チベット問題に)関心と懸念を持ってくださっていることに感謝する。

私の言いたいことはすでに書面で先ほどお伝えした。
コピーをみんな持っているだろうから、、、
もう他には何も言うことはない、、、ヘヘヘヘヘヘヘ、、、。

すぐに、質問を受けることから始めよう。

質問1、

H.N.と申します。

法王:日本人か?

質問者:ハイ、私は(どこどこの者で)現在法王のドキメンタリーを制作中であります。

(質問は長く、難解?で内容はほとんど掴めなかったのですが、何だか物質主義と精神主義(さとり?)の関係について質問されたようでした)

法王:さてさて、はたしてここにいらっしゃる他の人々も(今)同じような興味をもってここに来られたかどうか、判らないが、、、
私はそうは思わないが、、、、ハハハハハ、

(はっきり言って、みんな異例のスンチュドゥチェン(3月10日蜂起記念日)の法王記者会見ということで、緊張して臨み始まった質問第一番が、こんなまるでチベットの今の状況に直接関係ない質問だったので、ずっこけたのです。後からお前もあれの仲間か?とチベットメディア仲間にからかわれたりしました。しかしそこは法王、ちゃんとお答えされました)

でも、私はこの質問に興味がある。
ステートメントの中でも言及したことだが、私には三つの約束がある。
その第一番目は「人間の幸福と価値を促進すること」だ。
人の幸せは大いにその人の内的価値による。

中には億万長者であり、すべての設備が整い、何でも手に入れることができる人がいる。しかし、内的には非常に不幸せな人がいると知った。
つまり、物質だけでは100%人を幸せにすることはできないということだ。

一方、この地球上60億の人々は、仏教徒であろうと、私もだが、たとえ私より余程高い境地に達している人であろうとも、全員食わなければならない。
昼食は必要なのだ。
飯なしには生きることはできない。
だからお金も重要なのだ。
この身体を維持するためには物質が必要なのだ。
物質的発展も必要だ。

しかし、一方で物質の限界も知っておくべきだ、物は身体的安息を与えるのみで精神的休息を与えるものではない。
お金がすべての幸せをもたらすと考えている人は幻想を追っているだけだ。

かつて、日本では毎年経済が右肩上がりに発展していた時があったであろう。
そのころ私は物質的発展には限界があると説いていた。
ある時、その発展には、もうこれ以上伸びないという限界が現れるであろうと。
常に増加していくとの考えを持っている人々はある日突然もうこれ以上伸びないというスタグネーション状態に陥った時、非常に驚き、ショックする。
このことを日本でもう15年前にも言ったことがある。

何れにせよ、すべての人が物質的価値の限界を認識すべきだ。
物はよろしいもので必要なものだ、しかし心の平安を含めたすべての幸せを物質に求めることは間違っている。
我々はもっと内的価値に重きを置かなければならない。

愛情の価値、信頼の価値これらが非常に大事なのだ。
幸せな人、幸せな家庭、幸せな社会を実現するためにはこれらが必要だ。
仏教に四つの教えと言うのがある。
二つの喜びを得るための二つの方法、一つは短期的もう一つは長期的喜びと方法。
長期の幸福とは完全な解放のことだ。短期のそれとは「富」だ。
この長期の幸せを求めるための方法がダルマ(法)だ。
瞑想とかを含めた心を訓練することだ。
それにより、永遠の幸福を手に入れることができる。
我々仏教徒が悟りとか解放と呼ぶものだ。

短期的な安楽、快適さとは「金」のことだ。
我々には「金」が必要だ。
もちろん「金」を得る方法は、正当でなければならない、うそをついたり、人を利用、搾取したりして得てはならない。ヒヒヒヒヒ、、、、
ある大きな会社とかはもっと大きな利益を得ようと、嘘をつくことをためらわない。
そうではないかな?これらが今回の経済危機の原因でもある。

最近イタリアに行った時、友人のビジネスマンと話をした。
彼に尋ねた、「マーケットの力は人のコントロールを越えているというが、一方マーケットは人が作りだしたものだ。だから、人がコントロールできるべきだろう。人の作り出したものが人のコントロールを越えるということ、これは解らないことだ。一体どういうことなのか?」と。
彼は答えて「この今の経済の混乱は人の心と関係があるのだ。異常なほどの満足を知らない貪欲な心の下に、疑い、嘘をつく。これが今回の経済危機を引き起こした要因の一つだ」と。
つまり、経済的安定もまた、誠実、真実、透明性によっているのだ。これは明らかなことだ。
つまり(経済活動にも)道徳観が必要だということだ。

これまで、次。

ワシントンポストの者です。



続く



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2010年10月15日

3月10日法王記者会見(2009年) その一

749a7339.jpg再掲/2009年03月14日分


BBCが、昨日北京で行われた温家報宝首相の記者会見の様子を昨夜から何度か流している。
大きな会場は一杯でメディアの数は500を越えていると思われた。
彼の記者会見は年に一度だけとか。

コメントに「質問者は事前に選択されており、質問内容もその答えも大体決められている。質問できなかったものは一年待つしかない」と。

しかし、どうしたものか?意図的であろうが、チベットに関する質問があった。

もちろんそれに対し温家宝は「チベットは発展しており、全体的には安定している。政策が間違っていない証拠だ」と答えた。

ダライ・ラマとの対話については「厳しい状況下でダライ側の要求に応じて3回行った。実質的な成果を得るにはダライ側の誠意が鍵になる」といつもの逆論理。

―――――――――――――――――――

以下、3月10日、ダラムサラのツクラカン、カーラチャクラ堂で行われたダライ・ラマ法王の記者会見の一部をお知らせします。(続きは追って)

こちらのメディアの数は200人ほど。
去年の3月行われた法王の記者会見には100人ほどのメディアが集まっていた。
今年はその倍。
恐らくダラムサラにこれほどのメディアが集まったことは嘗てないことでしょう。
北京と違ってダラムサラでは質問は誰でも自由、内容もまるで自由。

中には「法王はご自身の死をコントロールできると聞きました。いつお亡くなりになるおつもりか?」という、突拍子もない質問まで出てくる始末。
もっとも、いつも法王はどんな下らない質問に対しても、それを逆に使って面白くて意味のある答えを返して下さるという、そこが面白いので、馬鹿な質問でも許されるのだ。

まずは日本の共同通信社の質問とそれに対する法王のお答えから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

共同:

中道路線についてです。法王はステートメントの中で、この路線の継続に対しより大きな確信を持っている、とおっしゃいました。しかし、中国側からは如何なる肯定的反応も返ってきていない。
では今、中国に対し何か新しい、秘密の方策とかでもお持ちなのか?


法王:

我々に国家機密というものは何もない。ハハハハハハ、、、
いつも透明だ。

ステートメントにも明記したことだが、我々は最悪の事態に対しても準備すべきだ。
だが、同時に希望を捨ててはいけない。
この希望には多くの理由がある。

まず第一に、チベット人の精神と決意は非常に強いことだ。

すでに(チベットが中国により侵略されてから)50〜60年の歳月が流れた。
世代は完全に変わった。
しかしこの若い世代の者たちは前の世代と同じチベット精神を持っている。
この精神の歴史は古い。これは明白な事実だ。

共産党は様々な方法、例えば洗脳、情報操作、金を与えること、昇進そして暴力、監獄の拷問等を使ってこの精神を破壊しようとしているが、この精神は決して無くならない。

例えば、私の良く知っている、チベット人で共産党に1930〜40年台に入党したものがいる。
彼らは共産党員だったが、そのチベット人としての精神には変わりがなかった。
そのせいで、1957年頃彼らは共産党により投獄された。
あるチベット人は、あまり宗教的精神は強くないが、そのチベット人としての国家意識は強いという者もいる。

これが第一のポイントだ。

第二番目には、中国人の中に益々チベットの現状に対する認識が広まってきているということだ。

中国は偉大な国家、最も人口の多い国家だ。
だから、中国人がこの地球上においてより積極的な役割を担うためには、中国は他の世界の人々からの尊敬と信頼を必要とする。
故に、この問題に対処するための政策はこの点から見て非常に大事なことだ。

中国内の知識人の多くが現政府のチベット政策を全面的に批判している。
私の知る限りこれに関し、去年の3月からすでに300を超える記事、文章が中国語で発表されている。中国本土でこれらは読まれているものだ。
すべてこれらは中国政府の政策を非難し、チベット人との連帯を表明するものだ。

これももうひとつの肯定的要因だ。

第三番目には、中国人の中に益々仏教徒が増えて来ているということだ。

私は常に中国を仏教的長兄として尊敬している。
我々チベット人はブッダの若い生徒だ。
私は中国人に対し仏教を説く時には、いつも最初に長兄に対する尊敬を示すことにしている。彼らは仏教に関してはシニアであり我々はジュニアであるからだ。

でも、時にはジョークとして、ジュニア生徒の方が知識力においてはシニアに勝ることがあるが、、、と言ったりする。へへへへへへへ、、、、。
ま、とにかく、益々多くの中国人がチベット仏教に対する真摯な興味を示しはじめた。
彼らはチベットの伝統から仏教を学ぼうとしている。
チベット仏教の修行法に従おうとしている。
これも一つの肯定的傾向だ。
実際、政府の高官やその家族の中にも仏教への強い関心を示している者がいる。
多くの者が家に仏像を置いていると聞く。

中国はこの60年間、中華人民共和国が成立して以来、一党独裁の下に置かれ続けてきた。
私はよくこれを、四つの時代に分けて考える。
毛沢東の時代、小平の時代、江沢民の時代、そして今、胡錦涛の時代だ。

よく観察するならば、変化は大きいことに気付くであろう。
毛沢東の時代にはイデオロギィーが第一であった。故に他の価値は犠牲にされた。
小平の時代になり、大事なものはイデオロギィーではなく「金」だということになった。
共産党が資本主義党になったということだ。
だから、外国の友達なども、「今はもう中国に共産主義はない、あるのは独裁資本主義だけだ」と言っている。ハハハハハ。
だから、小平の時代には大きな変化があった。

この新しい現実の中で、中国には今までいなかった中流階級が増え、億万長者もたくさん生まれた。
貧富の差、沿岸部と内陸部の格差が生じた。
かつては国の主人と呼ばれた労働者階級の人々は今、苦境にある。
共産党はすでに労働者階級の人々のための党ではない。

この状況を見て江沢民は「三つの異なる提示」という概念を作った。
「共産党は労働者階級のための党ではなく、すべての階級の人々のための党だ」といった。

今、この格差や様々な新しい問題に対処するために胡錦涛は「調和ある社会」の重要性を強調している。
これらの事は共産党独裁政権も、少しは新しい現実に即して政策を変えていく力があるということを証明している。

「調和」と言うことは本当に大事なことだ、世界のいかなるレベルにおいても大事なことだ。鍵だ。
「調和」「連帯」のためには「信頼」が欠かせない。「信頼」がないならば真の「友情」も「連帯」「調和」も起こり得ない。
「信頼」と「恐怖」は相反するものだ。胡錦涛は民衆の前でかっこよく「調和ある社会」の促進の話をするが、願わくば、そこに至る方策が論理的、科学的なものであることをだ。

まずは透明性が求められる。すべてをオープンにすべきだ。
秘密をなくすことだ。
メディアに対し完全に開かれていなければならない。
このようにすれば、信頼は次第に獲得されよう。

同時に軍隊と警察を縮小すべきだ。
この二つは「恐怖」を生みだすだめのものだから。
「恐怖」がそこに或る時、如何にして「信頼」が育ち得るのか?
親子の間においても、もしも父親が子供に対し暴力的であったり厳しすぎるときには、子供は反抗する。
これはまったく当たり前のことだ。
人間の自然な心理的反応だ。

もっと開けた、大きな心を示す時、親近感は生まれる。親近感は信頼に繋がる。信頼から連帯、統一が生まれ調和が実現される。
そうではないかな?
だから、胡錦涛が「調和ある社会」を作るために、いずれ「科学的方法」を取ることを望む。

もうひとつの側面、国際関係についてだが、中国はいつも我々がチベット問題を国際化していると言って非難する。
みなさんも御存じのように、よくよく現実を分析してみれば、このチベット問題を国際化しているのは中国自体だということが解るであろう。
私が行く先々で抗議を行う、国に対し、大学に対し、個人に対してまで圧力をかける。
このことがメディアの注目を引く。
この方法により中国はチベット問題を国際化するために大いに貢献してくれているのだ。
だから、この点で我々は中国政府に感謝しなければいけない、、ハハハ。

目の前にはこんなにたくさんメディアの人たちが集まっている。
これはチベット問題に対する関心の高さを示している。
多くの国の人々がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパそれに日本でも、チベットに対する真摯な連帯を表明している。
これは肯定的要素だ。我々の希望の基礎ともいえよう。

だが、一方で我々チベット人は決心している。
私たち(隣にいるリンポチェを見ながら)70歳を越えた世代はもういつでもこの世に「バイバイ」(手を振るしぐさ)する用意ができている。
天国とか浄土とかに行くなり、地獄に行く。
そんなことはどうでもいいが、とにかく自然に新しい世代は生まれる。
今日も聴衆の中に沢山の優秀な若い世代の者たちを見かけた。
彼らがチベット問題を担うであろう。

これらが、我々が楽天的でいられる理由なのだ。



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2010年09月15日

ダライ・ラマ法王ラダックのレーで土石流被害者を慰問

ラダック、レー 9月13日ダライ・ラマ法王の水害被害者慰問集会©Tenzin Choejor/OHHDL

9月13日ダライ・ラマ法王は、先の8月5日夜の豪雨により大土石流災害に遭ったラダックのレーの被害者を慰問のため訪れられた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-08.html#20100813

まず、最初に壊滅的被害を被ったレーのチベット難民キャンプ、チョクラムサルに向かわれ、被害の状況を視察し、住民たちを慰めて回られた。

その後レーのラムドン・スクールの広場で25000人の聴衆を前に犠牲者への追悼式を行われた。
写真はその時のもの。
いつもながらすごい人集りだ!
さらにその他の写真を見たい方は以下へ:
http://dalailama.com/gallery/album/0/84

法王は「災害はそれぞれのカルマの結果だ。私の親が、子が死んでしまった、、、と嘆き悲しんでばかりいないで、前向きに将来のために努力すべきだ」と述べられ、さらに「10万回のマニサガ(観音の真言を唱えること)などを行うこともよいであろう」等の様々なアドバイスをされた。
RFA
http://www.youtube.com/watch?v=aGr4kYOkzkM&feature=youtu.be&a

14日にはカルギル地区のカルギル、ムルベク及びボダカルブを訪問された。

15日にはボダカルブにて観音菩薩の潅頂を一般参列者に授けられる。


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このブログが「ライブドアブログ第1期奨学金コンテスト」に合格した話し。
これもこのブログに日夜アクセスして下さっている皆様のお陰。

数か月まえuralungtaさんのお勧めで、何となく応募したコンテストでした。
が、何と応募者総数1721人の中で合格したのは26人だけという難関に引っかかったのでした。

一般に、合格するための最低基準は月間アクセス数が一万件以上ということだった。
このブログはこの基準にはちょっと足りない。
それなのに何で合格したのか???
きっと審査員の中にチベットファンがいたのではないだろうか?と思ってる。

で、私のブログを宣伝したライブドアさんの歌い文句を読んで、顔を赤らめたというか、意味がよくわからないと思った。

曰く、このブログは「20世紀的ジャーナリズムの極北に位置するブログ。TVや新聞では伝えることの出来ないリアルな情報や感情を伝えるさまは、まさに<個人ブログメディア通信社>」というのだ。
http://scholarship.livedoor.com/recipient01.html(その他合格ブログの一覧表がある)

「20世紀的ジャーナリズムの極北に位置する」はどう解釈すべきなのか?
ある人は、「これは客観的取材(←20世紀?)の対極にある、内側に入り込む主観的取材、ってこと? んで「極北」って北の最果ての誰も顧みない荒野ってこと!」と解釈された。
が、他のある人は:「20世紀的」つまり新聞やテレビ中心の報道ではなくブログという新しいスタイル<−「極北」である、という意味ではないか?とおっしゃった。

私としてはもちろん二番目の意見であってほしいと思うのだが、それにしてもライブドアさんは分かりにくい表現をされるものだ。

月間一万件を超えるとさらにボーナスが貰えるという。
だから私もできるだけ頑張るから、皆さんもせっせと「チベット問題を広めるために」も、これからもアクセスお願いします。

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10月に長野で行われる小川アムチによるチベット医学教室のお知らせ。

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長野でチベット医学を学んでみませんか
小諸在住のチベット医(アムチ)小川康さんを長野にお招きして、チベット医学を通してチベット文化について学んでみませんか?

6人から8人程度の少人数で、チベット医学のバイブルである「四部医典」をテキストにチベット医学について学びたいと思います。

仲 間 募 集!

開催時期 2010年10月13日(水曜)より10月20日、27日、11月10日、17日、24日

時間 午後6時から8時 終了後交流会あり

第一回 10/13 「文化とともにチベット医学」唄 踊り 言葉 歴史 風土
第二回 10/20 「ゆっくり生きようチベット医学」チベット医学の基礎概念
第三回 10/27 「しっかり診ようチベット医学」診断と病理
第四回 11/10 「大地に根ざしたチベット医学」チベットと長野の薬草
第五回 11/17 「心を癒すチベット医学」 医学と仏教
第六回 11/24 「現代に活かすチベット医学」目指せ!ノーベル医学賞

場所   スローカフェ ずくなし 2階
http://shop.asama-de.com/b/zukunashi/
料金   一回 3000円   テキスト代 500円(別途)

申込み・問合せ  ナガノ DE チベット(はらだ)

電話かメールでお申込下さい
090-4158-2085 E-MAIL miyuki.rewa@gmail.com

一回のみの受講もできます。  定員 8名






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