アバ

2010年04月13日

ニャロンで僧侶逮捕/セルタで学生がデモ/アバで3人に刑期・最長13年

4月12日付パユル
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27104&article=China+arrest+2+in+Nyagrong+and+Machu%2c+students+protest+in+Sertha
<カム、ニャロン(新龍)、バイクでデモを行なった僧侶が逮捕>

カム、ニャロンの中国当局は、デモを行なったとしてグル僧院の僧侶アボ・タシ22歳を逮捕した。
アボ・タシは他の3人のチベット人、ツェリン・ギェルツェン19歳、グル僧院僧侶ツェリン・ワンチュク22歳、ジャムチョック僧院僧侶リンジン・ドルジェっと共にバイクに乗り、禁止されているチベット国旗を掲げ、「ダライ・ラマ法王の御帰還を!」「チベットに自由を!」「チベットでの鉱山開発を止めよ!」とスローガンを叫びながら街にくりだした。

彼らの抗議デモに同調し、500人以上のチベット人が彼らの後に従って抗議の行進を行なったという。
逮捕された、アボ・タシが現在どこに拘留されているのかは不明。

(この事件がいつ起こったのかについては記事に記載がないが、RFAによれば4月8日とのこと)


<セルタ(色達)のチベット人学校の生徒20人がデモ>

さらに同記事によれば、カム、セルタ県のチベット人学校の生徒たちが4月10日、平和的抗議デモを行ない、中国政府を非難する内容を含むパンフレットを配布した。

当局は20人の生徒を逮捕したが、全員その日の内に解放されたという。


同じく昨日のパユルによれば、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27103&article=3+sentenced+upto+13+years+in+Ngaba+County+in+Tibet

<アバ(阿壩)でチベット人3人に最長13年の刑期確定>

アムド、アバ(四川省阿壩チベット族チャン族自治州)中級人民法院は4月9日、3人のチベット人に刑期を言い渡した。
この情報はダラムサラにあるキルティ僧院緊急連絡委員会が発表したもの。

今回刑期が確定したのはチュダル34歳、ゴツァン・ジャミヤン・プンツォック36歳、二人はともにアバ・キルティ僧院の僧侶、もう一人は元アバ・キルティ僧院の僧侶であるコマツァン・ジグメ40歳である。

チュダルアバ県ジョレップ村ジョシェル家の僧チュダルには13年の懲役刑が言い渡された。
彼は2008年のデモの後、一年近く身を隠していた。
当局は彼に30万元の賞金を懸けた。
2009年8月25日、チュダルはドンコ・ギャクパツァン家に匿われているところを発見され逮捕された。
彼を匿っていたドンコ家の人々は連行され、妻と息子はしばらくして解放されたが、ドンコは未だ拘置されたままだという。
ドンコはかつて1998年に行なわれた「愛国再教育キャンペーン」に抗議し、町に反政府のポスターを張ったとして5年の刑を受けている。

コマツァン・ジグメコマツァン・ジグメ元アバ・キルティ僧院僧侶40歳には7年が求刑された。
彼は2009年2月7日に逮捕された。
罪状は「外国の分裂主義勢力」と連絡を取り、「国家機密」を漏えいしたというものだ。
彼は1992年中国政府に抗議するポスターを張り出したとして逮捕され、ほぼ1年間裁判もなく拘留されていた。









ゴツァン・ジャミヤン・プンツォックゴツァン・ジャミヤン・プンツォック(通称ジャンコ)36歳には6年の刑。罪状は「外国の分裂主義勢力」と結託して「分裂主義的活動」を行なったというもの。

彼は2009年3月3日僧坊にいるところを逮捕されたが、今年の4月9日に判決が言い渡されるまで、彼の家族はジャンコの居所を全く知ることができなかったという。

ジャンコは同僚のタベーが2009年2月27日焼身自殺を図ったというニュース
を外国に知らせたとして逮捕された。

タベーの焼身自殺については以下参照。

http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-02.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/tag/%E7%84%BC%E8%BA%AB%E8%87%AA%E6%AE%BA

ウーセルさんの記事、是非お読みください。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51174291.html

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中国政府へ抗議の焼身自殺を図り銃撃され倒れた僧タベー焼身自殺を図りその場で撃ち倒されたタベー氏の消息はその後全く途絶えたままだ。
今どこで、どうされているのか非常に気になる。


以下、ウーセルさんのタベーに関する文の一部。

「この知らせを聞いたとき、しばし言葉を失い、声さえ出せなかった。胸がうずき、辛くてたまらない。

目の前に燃え盛る炎が現れた。炎の中には、若い僧侶がいる。雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を高く掲げ、叫びながら走っている。彼は油をかけた袈裟に火をつけ、火の玉となって街中に飛び出した。

銃声が響いた!」











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2010年04月08日

ディルの小学生たちは逮捕された後、行方不明のまま/アバで教師5人逮捕

ナクチュ地区ディル県の小学生たちが平和的抗議デモを行なったということは先日お知らせした。
しかし、その時点では子どもたちが逮捕されたのかどうかについては不明だった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51421908.html

この事件の続報をRFAが4月7日付で伝えている。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-arrests-elementary-school-students-in-kham-driru-dzong-over-student-protests-on-march-22nd-04072010233648.html

<བོད་ཁམས་ནག་ཤོད་རྫོང་དུ་འཛིན་བཟུང་བྱས་པའི་བོད་ཕྲུག カム、ナクシュ(ナクチュ・那曲)地区で逮捕されたチベットの子どもたちは>

ナクチュ地区ディル(ビル・比如)県、ツァラ郷で逮捕された生徒たちの何人かの氏名が判明した。

ディル県ツァラ郷の小学生20人が、3月22日中国政府に対する抗議デモを行なったとして逮捕された。
その内の何人かの氏名が判明したが、彼らがどこに収監されているのかは未だ不明だ。

以下判明した子どもたちの氏名:
ツプテン・ジュンネ、ツプテン・ワンチュック、ノルブ・ジュンネ、ノルブ・テンジン、テチョック・ギャンツォ、リンチェン・プンツォク、イェテン・ルンドゥップ、ツェテン・ドルジェ。

彼らは11歳から15歳という幼い子どもたちばかりだ。

彼らの家族たちは警官に尋問されるなど様々な嫌がらせを受けている。

現在この郷は大勢の武装警官隊に完全に包囲され、緊張が高まっているという。

これらの情報はガワン・タルマ氏から得たものだ。

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中国では一体何歳から懲役刑を受けるのか?
ガワン・サンドルさんの実例からいうと12歳でも懲役刑を受けることが知られている。

パンチェン・ラマなど5歳の時にキッドナップされたのだから、この国では子供の人権とかが問題にされることはないらしい。

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キルティ・キャップ写真は逮捕された教師キルティ・キャップ

<アバの学生追悼集会に関連し教師5人逮捕>

4月6日付パユル:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27056&article=5+arrested+over+school+protest+in+Ngaba+-+updated

wokar.netチベット語版のレポートによれば、アバ県ゾゲ地区の警察は5人のチベット人教師を逮捕した。

ソナム、キルティ・キャップ、タメ、チュペル、トルカの5人は当地の教師養成学校の教師である。
彼らは何れも学内で逮捕された。

今年3月10日と14日、彼らが教えるこの地区のチベット人学校の生徒たちは、2008年の抗議運動の犠牲者たちを追悼するために、全員チベットの伝統衣装であるチュバを着て、バター灯明による供養の儀式を行なった。

警察はこれに参加した16人のチベット人学生を逮捕したがその多くはまだ拘留されたままだ。

今回逮捕されたチベット人教師たちは彼らに影響を与えたとして逮捕されたと思われる。







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2010年02月16日

カトマンドゥ/アムド、アバでロサの座り込み

アンナプルナ連峰昨日(14日)、ネパールのカトマンドゥに到着した。
デリーからのフライトの窓から、青い海に浮かぶようにヒマラヤの連山がくっきり見えた。
ああ、帰って来た、また山に行きたいなと思った。
ヒマラヤを見てカトマンドゥに着いた途端に、日本滞在中の心身不調が治った。困ったものだ。

ボドゥナート仏塔とネパール警察隊夕方、ボドナートに向かった。去年見たように、ロサを祝うチベット人が大勢、灯明に埋め尽くされた仏塔の周りを右遶していることだろうと想像していた。
















ボドゥナートのロサ。しかし、目玉仏塔の周りには去年に比べて人がまばらだった。そして、去年は見なかったネパールの警官隊の列に出くわした。彼らの写真を撮りながらついて行くと、仏塔の北側にある寺の前にチベット人が大勢輪になって集っていた。





14.2.2010 ボドゥナート壇上にはダライ・ラマ法王の大きな写真を一人のチベット人が高く掲げ、みんなで「チベット国歌」を歌っていた。そこに着いたときには歌も終わりの方で、すぐに歌は終り、みんなでツァンパを空に放りあげていた。
しかし、いつもの祝うためのツァンパ撒きではなさそうだった。そのロサの集会は明らかに抗議と鎮魂のそれだった。
後ろにはネパールの警官隊が棍棒をもって見張っていた。
でも、ツァンパを撒いた後すぐにチベット人たちは散会し、衝突のようなことにはならなかった。

14.2.2010 ボドゥナート去年、同じロサに同じ場所で眩しいばかりに燈されていた無数の灯明はなく、ただ道の上に直接何本かのローソクが燈されていた。


昨日のパユルによれば、
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=26618&article=Tibetan+New+Year+marked+with+protest+in+Tibet&t=1&c=12月15日、アムド、アバ(ゥガバ)の中央市場には400人ほどのチベット人が、中国の武装警官隊に囲まれながら、追悼のロサを象徴する座り込みを続けているという。

この座り込みはチベットの新年一日、つまり14日から始められた。
最初はアバのキルティ僧院とシェイ僧院の僧侶たちが座り込みに入った。緊張が高まるのを見て、地元の高僧が僧院に帰るように説得したが、僧侶たちはそれに耳を貸さなかった。それどころか、他の僧院の僧侶や一般のチベット人たちも次々とこれに加わって来たという。
これに対し、すでに軍隊が出動し、携帯やビデオカメラなどで集会の様子を撮影した者たちはすぐに拘束され、携帯などを取り上げられたという。
また、市場に通じる道路はこの集会に参加するために集まるチベット人を阻止するため軍隊により閉鎖されている。


当局はロサに先立って、ロサを明るく派手に祝う者たちには多額の支援金を支給すると広言していた。

これに逆らう形で、アバの人たちは「2008年の一連の平和的抗議デモの犠牲者を追悼する集会」を始めたというわけだ。

新しい情報は入っていないが、現在どのような状況になっているかが案じられる。

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そんなロサを後にして、私は予定になかったが急に明日からまた山に行くことに決めた。二週間、あるものをただ待たねばならない状況になり、街に長く居れない私は山に行くしかない。
今回は「アンナプルナ内院」と呼ばれる、ポカラからほぼまっすぐアンナプルナ連山に向かい、マチャプチャレの裏、4120mのアンナプルナ・ベースキャンプまで歩く、
10日間コースだ。

ポカラまではある撮影分隊と一緒に行き、そのあとは一人で歩く。

山に入るとブログはなし。また里に降りたら山や鳥や花の写真など紹介させてもらいます。もっとも今はまだ冬。雪山と星ばかりの世界でしょう。









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2009年05月11日

CNNの法王へのインタビュー/アバ、ゾルゲ3人の若者に刑期宣告

C/R AFP昨日日曜日、CNNで二度法王のインタビューが流されたそうです。
私は見逃しており、今のところ、YouTubeにもCNNのネット版にも載っていません。
以下、RFAがチベ語で伝えているところを翻訳レポートします。

5月10日RFA:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/the-dalai-lama-sees-long-term-hope-for-tibet-05102009215955.html

<法王:長期的にはチベットに希望がある>

法王は、中国はチベットを弾圧することにより、代々伝わってきたチベットの宝を破壊し、チベットに死刑を言い渡していることは確かではあるが、中国も近代化されてきており、長期的には希望が持てる、と話された。

法王:
「中国の頭の固い指導者たちはチベットの文化をすべて消し去ろうとしたし、、今も破壊し続けている。
こうしてチベットの文化が衰退していくのを見て、大多数のチベット人の心の中には大きな苦しみが生まれている。
政策的にチベットには今までにも、今でも大量の中国人が移民して来ている。
このような状況を考えると短期的にはもうチベットには希望がないようにも見えよう、
しかし一方、アメリカやヨーロッパのように益々強く声援を送ってくれる国々もあるし、中国自体も変化してきている。
このようなことを考えれば長期的には希望が持てるのだ。

何れにせよ、チベットの中にいるチベット人たちの固い決意と勇気を決して失うことのない態度は驚きに値する。

私が言うチベットとは今中国が言うところの所謂チベット自治区だけではない。
実際には中国の5つの州に跨っている。
私のチベット人の定義はチベット語を話し、チベットの文化に従う人たちすべてのことだ
」と語られた。

今年10月に再びアメリカを訪問されるとき、オバマ大統領との会談が予定されている。

オバマ氏のアドバイザー、ベーダー氏は、中国は法王をチベット問題解決の手助けだと思うべきだと、最近表明している。

「法王の生まれ変わりはどこに生まれられるのか?」との質問に対し、

法王:
「何れにせよ、先代(私)の足跡を辿ることが大事だ。
もしも私がチベットに帰ることが出来ずに外国で死んでしまった時には、生まれ変わりのリンポチェも必ずや自由のある国に生まれ変わることであろう」
とお答えになられました。

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最後の「中国なんかには生まれ変わらない」というのは今までにもおっしゃっていますが、一つ気になるのは「10月にオバマ氏に会う」という話。
決定されたことのように聞こえますが、初耳です。
誰がそう言ってるのでしょう?
法王ではなさそうだし、CNNなのか?RFAなのか?
文脈的にはっきりしません。

ちょうどパユルの記事が出ました。
それによると、やはり「He hopes to meet」ということで「希望の話」でした。
それにしても、チベット語だけではチベットの人は誤解すると思いますがね、、、

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次、チベットのニュースです。

<3人の若者に刑期が言い渡された>

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24688&article=Court+sentences+3+youths+to+jail+terms

RFAにダラムサラのキルティ僧院の僧侶ツェリンが伝えたところに依れば、
5月7日アバ、ゾルゲの裁判所は兄弟二人ともう一人の若者に刑期を宣告した。

アバのチャシャン・タリンツァン家のジャンペル29歳とラマ23歳に4年の刑期、
チャシャン・カジツァン家のナムコ27歳には3年の刑期が言い渡されたという。
しかし、3人のはっきりした罪状は不明だ。

ツェリンによれば、この地区の様々な裁判所で現在裁判が行われているが、チベット人は弁護士を自由に選ぶことはできないし、罪状は中国が勝手に付けたものばかりだ、という。

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以上はパユルの記事ですが、先ほど直接キルティ僧院のツェリンに電話して聞いてみたところによると:

この3人は去年3月のアバでの大きなデモに参加した後、逮捕を恐れて山に逃げ隠れていた。
しかし8月には発見され逮捕された。
そのまま今まで拘留されていた。
今回、デモをし、逃げたということで刑期を受けたのだろう。


と言うことです。










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2009年04月06日

アバ、シェー僧院の儀式に参列中の群衆に公安車両が故意に突っ込む

8d590705.jpg写真は二度目ですが、野田くんが去年撮った「特警」の車両です。

Phayul.comダラムサラ、4月5日:

先週金曜4月3日、四川省アバ(ガバ)県にて宗教儀式を行っていたチベット人群衆の中に、公安の車両が故意に突っ込み少なくとも4人が負傷した。

ダラムサラ、キルティ僧院のツェリンが伝えるところによれば、事件はアバのシェー僧院で恒例の弥勒菩薩召還儀式の最中に起こった。
この儀式は例年だとモンラム(新年の祈祷会)中に行われるものだか、今年は当局がモンラムを祝うことを禁止したので、この日まで行えなかったものだ。

大勢のチベット人の僧侶、信者が僧院に集まっていたが、そこに武装警官隊が多数押し寄せ、群衆を蹴散らそうとした。
公安の車両が群衆に故意に突っ込み、少なくとも4人が負傷した。

4人はその後行方不明で、治療を受けたかどうかも分かっていないという。

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これも中国のナチ化現象の一つでしょうか?





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2009年03月13日

焼身自殺を図った僧侶の両足切断強要

eef27133.bmp中国当局は焼身自殺を図った僧侶に両足切断を強要。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24150&article=Monk+who+set+himself+on+fire+asked+to+amputate+legs

左の写真は倒れた僧タベイを保安部隊が囲んでいるところ。C/R Tibet Times.

TCHRD(チベット人権民主センター)に入った情報によれば:
去る2月27日、中国の弾圧に抗議して焼身自殺を図った、四川省アバ県キルティ・ジェパ僧院の僧侶タベイは現在、成都にある秘密の国立病院に収容されている。

情報によれば、僧タベイの母親が面会を許されたという。
しかし、会話を交わすことは許されず、面会はほんの数分だった。
現在、僧タベイは厳戒な監視下に置かれている。

中国の役人が彼の母親に「両足を切断する必要がある」と説明した。
しかし、この両足切断を本人は頑強に拒否しているとも言われた。

この事は目撃者の証言に「僧タベイは三発の発砲音の後に倒れた」というが、これを考え合わせる時、僧タベイは重度の火傷の他に、両足に銃弾を受けた可能性が高いと思われる。

TCHRDは、中国当局がタベイに両足切断を強要する理由は、両足に受けた隠すことのできない銃弾の跡を完全に消しさることにあると考える。

僧タベイの両足強制切断は基本的人権に反する。
もしも、中国当局が彼の足の切断を強制的に行うなら、このことは強い非難に値する行為である。

この状況に鑑み、TCHRDはすべての関係する国際機関、特に国連に対し、強制切断をやめさせ、真実を明かすよう中国政府に働きかけることを要請する。











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2009年03月02日

5日に吉祥寺でナンパ・ラ報告会/ アバ、シェイ僧院数百名の僧侶が抗議デモ

888b0f3e.JPGまず最初に私事ですみません。

友人のくうくう氏が今回の「ナンパ・ラ(峠)行き」の報告会をせよ!ということで
彼の店で内輪の報告会をすることになりました。

いっしょに、<チベ夏>がプロデュースした、貴重映像の日本語版上映もあります。
しかし、会場が狭いので予約をお願いします。

以下、南くんから送られてきた案内状です。

写真を大きく見れるはずです。

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「受難と祈りー、チベットを知るための夏」を主催したルンタ・プロジェクト+
実行委員会が下記の要領で小規模な報告会を開きます。

日時 2009年3月5日(木)午後7時〜11時くらいまで

場所 吉祥寺カレー屋「まめ蔵」(南椌椌の店です)   
武蔵野市吉祥寺本町2−18−15 
tel 0422−21−7901
吉祥寺駅パルコ方面、三菱東京UFJ銀行より中道商店街に入り3分ほど右側の
「ラーメン一圓」を右折してすぐ左側。地図参照の場合は下記URLに店の住所を入れてください。
http://maps.google.co.jp/

会費 カレー+ドリンク付き 2000円

定員30名
お問い合わせ・予約メール kuukuu99@jcom.home.ne.jp (南椌椌)


内容
●英国BBC放送制作「チベットの歴史1 日本語字幕版」50分
昨年のイベントでは英語版上映でしたがこの度日本語字幕版が出来ました。
20世紀初頭のチベットの牧歌的な映像から中国の侵略とダライラマ法王亡命ま
での激
動の時代の貴重な映像記録です。法王亡命50周年のこの機会にぜひご覧くださ
い。

●ルンタ・プロジェクト代表・中原一博によるナンパ・ラ峠往復の記録&レクチ
ャー。
本年2月厳冬期にネパール、ナムチェ・バザールから主要な亡命ルートのひとつ
標高5700メートルのナンパ・ラ峠まで逆踏破を果たした中原一博がスライド映
写と体験談によって苛酷な亡命の旅について語ります。

●時間によってはNHK特集「チベット死者の書」の上映もあり。

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2月28日青海省トンレン C/R Reuter
先週金曜日にキルティ僧院僧侶が焼身自殺を行ったことは新華社も認めました。
アバでは緊張が高まっていました。
昨日、新たにキルティ僧院のすぐそばのシェイ僧院の僧侶数百名が抗議デモを行いました。

ーーー

3月1日 アバでモンラム祈祷祭禁止に対する新たな抗議運動


Phayul.com等によれば、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23969&article=New+protest+today+in+Ngaba+after+officials+ban+prayer+ceremony

3月1日午前9時頃、シェイ僧院(キルティ僧院より1.5キロ離れるのみ)の僧侶600人が当局の禁止命令を無視して、本堂に集まり読経を開始した。
それに気づいた、僧院内の管理委員会の者たちが詰め寄った。

僧侶たちは「ドゥカル(除災、降魔の仏神)の御経だけ、一度でいいから上げさせてほしい。それが終われば我々は席を立とう」と懇願した。
これに対し、管理委員会の者たちは何も返答しなかったので、僧侶たちはそのまま読経を続けた。

ある時点まで来たとき。
僧侶たちは立ち上がり、スローガンを叫びながらアバの町に向かって歩き始めた。

目撃者によれば、「モンラム祈祷祭を祝うことを許可せよ!」「アバ地区で逮捕されている政治犯を釈放せよ!」と僧侶たちは叫びながら町に向かった。
町のマーケットに入る前の橋まできた。
そこは、ちょうど先週キルティ僧院僧侶タペイ氏が焼身自殺をはかった場所であった。

そこで、武装警官隊と対峙しが、そのあとしばらくして僧侶たちは僧院へとかえって行った。

僧院は今、武装警官隊に包囲されているという。







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2009年03月01日

アバでの僧侶焼身自殺について。アメリカ政府HP:チベット人の人権/ITC日本語資料。ジャミヤン・ノルブ氏のエッセイ

まず、<チベット式>に掲載されている
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2009/02/post-484b.htmlウーセルさんのブログから。
http://woeser.middle-way.net/2009/02/blog-post_6324.html

アバの僧侶タペーが街中で焼身自殺し、銃撃された(文・ウーセル)

2月25日午後、北京の繁華街・王府井で、新疆ナンバーの車の中で3人が焼身自殺した。身元は今なお明らかではない。海外メディアはチベット人ではないかと懸念している。その日がチベット暦新年の元日だったからだ。

しかし、ロサル(新年)3日、ついにチベット人が焼身自殺してしまった!
チベット本土で、チベット人が抗議の焼身自殺をしたのは初めてだろう。

この知らせを聞いたとき、しばし言葉を失い、声さえ出せなかった。胸がうずき、辛くてたまらない。
目の前に燃え盛る炎が現れた。炎の中には、若い僧侶がいる。雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を高く掲げ、叫びながら走っている。彼は油をかけた袈裟に火をつけ、火の玉となって街中に飛び出した。
銃声が響いた!

ニュースらしく書いてみよう。

2月27日、アムド地方ンガワ(現在の四川省アバチベット族羌族自治州アバ県)。アムドの著名な大僧院キルティ寺(格爾登寺)で、千人以上の僧侶が仏殿に集まり、祈願の法会を執り行おうとして、阻止された。同寺の管理委員会は僧侶らに法会の中止を求め、当局による懲罰は免れた。僧侶らはやむをえず僧坊に戻った。

しばらく後、午後1時40分、ひとりの若い僧侶が寺を出て、ほど近い町の中心部に向かった。そして、突然、雪山獅子旗とダライ・ラマ法王の写真を掲げ、油をかけた袈裟に火をつけ、叫び声をあげながら駆け出した。町にあふれるほどいる兵士が直ちに彼に発砲した。3発、射ったという。自らの身に火を放ったこの僧侶は射たれて倒れた。兵士は飛びかかって火を消した後、銃弾に倒れた僧侶を運び去った。

若い僧侶の名はタペー。25〜30歳位で、キルティ寺近くの村の出身だ。

タペーが亡くなったのかどうかは、わからなかった。午後、数百人の僧侶が彼の実家を訪れ、供養の法会を執り行った。

昨年3月27日には、キルティ寺の32歳の僧侶ロブサン・ジンパが遺書を残して、僧坊で首を吊った。彼は遺書の中で、当局がキルティ寺に着せた罪(抗議行動を指導し組織した罪、兵士が銃殺した遺体を保存し、外部に情報を漏らした罪)について書いていた。いわく、すべて彼ひとりによるもので、寺院やその他の僧侶には関係がない。抗議行動を率いたのは自分であり、その責を負う。遺書の終わりにはこう書かれていた。「中国の圧迫の下では暮らしたくない。1日といわず、1分でさえ我慢できない」。最後に彼の署名があった。

昨年4月16日夜には、同じくキルティ寺の29歳の僧侶トゥソンが自殺した。彼は盲人だった。命を絶つ前、家族にこう言った。「目の見えるあなた方には、こんな日々が耐えられないでしょうね。何も見えない私でさえ耐えられないのですから」。

2009年2月27日記録

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アメリカ政府は最近中国の人権状況について「特にチベットなどで悪化している」との報告書を公表した。
このことについて中国はもちろん猛反発している。

その米国務省報告書は以下です。
http://www.state.gov/g/drl/rls/hrrpt/2008/eap/119037.htm

この元になっているのはICT(the International Campaign for Tibet)が「第41回 拷問禁止委員会会議」のために提出したチベットの人権に関する報告書です。

これは、実に詳細な報告書なのです。
これが日本語になっているのです。
http://www27.atwiki.jp/ictreport/(どなたが翻訳されたのか?)
是非、資料としてご覧ください。


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チベットのゲリラ兵士
最近Y女史がジャミヤン・ノルブ氏のブログを精力的に翻訳されています。
原文、
http://www.jamyangnorbu.com/blog/2009/02/04/a-not-so-special-meeting/
日本語訳:ジャムヤン・ノルブ氏 『さして特別でもない会議』(1)〜(4)
http://epea.exblog.jp/9340790/
http://epea.exblog.jp/9349525/
http://epea.exblog.jp/9349538/
http://epea.exblog.jp/9349543/












チベットのパスポート
チベット新年に書かれた「A LOSAR GIFT FOR RANGZEN ACTIVISTS」には
チベットが独立国であった証しとなる、貴重な写真も沢山載せられています。
是非原文の方にも行って見てください。
http://www.jamyangnorbu.com/blog/2009/02/25/a-losar-gift-for-rangzen-activists/日本語要約:
http://epea.exblog.jp/9397808/



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2009年02月28日

キルティ僧院僧侶が焼身自殺。ナムチェーー>ルクラ

毎日、勝手なナンパ・ラ旅行の話ばかり書いていたら、ブログのアクセス数は減るばかり、やはり「チベット状況の最新情報」が無いと、このブログの意味も無いことを教えてくれてるようです。

気がつけば、今年も3月10日に向け、チベット人の自己犠牲の動きが活発になってきているようです。

phayul.comによれば、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23948&article=Monk+immolates+self+in+Tibet's+Ngaba+region%3areport
昨日2月27日アバ地区キルティ僧院の一人の僧侶が焼身自殺を遂げた

ダラムサラのキルティ僧院僧侶ツェリンがVOT(Voice of Tibet)に語ったところによれば、タベと呼ばれる25〜30歳のアバ、キルティ僧院僧侶が午後1時40分頃焼身自殺を行ったという。

「私が聞いたところによれば、その僧侶は身体にガソリンをふりかけた後、町の大通りに着くなり自分で火を付けた。そばで見ていた人の話によれば、彼は法王のお写真を高く掲げ、何か叫んでいるようだったという。しかし声は聞こえてこなかったらしい」
ツェリンは「おそらく彼は<法王のチベットへのご帰還と、チベット独立>の祈願を叫んでいたのであろう」と付け加えた。

ツェリンによれば、目撃者は三発の銃声の後、彼はその場に倒れたという。
近くの病院に収容されたと報告されているが、現時点では彼の生死は不明。

これに先立ちキルティ僧院では中国側の新年祈祷祭(モンラム・チェンモ)規制に対し前日までに約千人の僧侶が本堂に集まり中国側に対決の姿勢を強めていたという。

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ここでは、他の地域とは反対に<中国がやるな、チベットがやる>の構図のようです。

それにしても、焼身自殺は衝撃的です。


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次もphayul.comからですが、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23945&article=Tibetan+Monks+in+Protest+March

http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2009022701000997_World.htmlと一部が日本語になったものが見つかりました。

中国でチベット僧侶らデモ 地元暦の正月に合わせ

65812a71.jpg
 【香港27日共同】米政府系放送局、ラジオ自由アジアによると、中国青海省海南チベット族自治州貴南県で、チベット暦の正月に当たる25日、僧侶ら100人以上が県政府庁舎前で中国政府のチベット政策に抗議するデモを行った。

 チベット民族の間には昨年3月の暴動の犠牲者を追悼するため、新年を祝わないという動きが広がっており、デモも追悼の意味合いがあるとみられる。

 政府庁舎前のデモは約30分続いたが、地元指導者らの指示により解散。地元警察は27日、デモを呼び掛けた者に対し、自首しなければ厳罰に処すると警告したという。

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私たちはナンパラまでいって難民に会えなかったけど、難民が全然越境していない
わけではない。
ダム・タトパニ付近で川を越えカトマンドゥまで逃げてくる人はこのところひと月3,40人はいるのです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23923&article=Nepal+Police+arrest+7+more+Tibetans+fleeing+Tibet
そんなチベット難民をネパール警察は先週二度にわたって逮捕し、カトマンドゥの本局に移送しました。
先週の日曜日に5人、火曜日に7人が逮捕されました。


この次の日、中国の外務事務次官リュー・ジェイがカトマンドゥを訪問しました。

直前に越境するチベット難民を逮捕したのは、いつもの中国への機嫌取りの一環だったと思われます。


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次にN2氏の掲載記事の宣伝です。

3月2日「AERA」最新号にNODA氏の写真と記事が載っています
ナムチェで彼が校正してた記事です。
立ち読みではよくないが、、、それでも見てやってください。


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ナンパ・ラ行き最後の一日。

ナムチェ3450Mーーー>ルクラ2840M

もう書かなくてもいいようなものなのですが、ナムチェのネドゥン・シェラップさんから、さらに面白そうな話も聞いたので、飛行場のあるルクラまでの写真とお話を最後にご報告します。(おそらく最後でなくて、このあとカトマンドゥ編を一回は書くけどね)


三日間ナムチェで、このブログに載せたナンパ・ラ行き、最初の報告を書いたあと、
下界に降りたくなかったが、日本に帰るため、まずはルクラまで下ることにしました。
上りは二日掛けた行程でしたが、下りだし一日で降りることにしました。

ナムチェのネドゥンさんの奥さんと涙の別れ、このご夫婦は最高にいい人でした。
ネドゥンさんは荷物を預けたいこともあるからと、わざわざルクラまで私たちを送って行くといいます。
67歳で、片道7時間かかる山道を送って行くと!?
ま、このへんの年寄りの散歩!なのかな?と思うことにしました。

朝、いざ出発、最初は長い急な下りです。
この坂を、ネドゥン氏は転げ落ちるように駆けおりました。
おい、おい、この年寄り、本気かよ、、、と我々は付いて行くのがやっとでした。
ものすごい元気です。
ネドゥン氏と嘗てのチベット国境途中、チョモランマが見える平な場所で、ネドゥン氏曰く「この平な所に昔、チベット軍の要塞があったそうだ。昔はこの下の川を境に上がチベット、下がネパールだったという。
一度、対岸の丘の上に陣取ったネパール軍と激しい砲弾戦があって、この後の丘にできた崖はその時の砲弾の跡だそうだ。

写真の左の崖がその砲弾によって崩れた場所?。遠くにチョモランマが小さく写ってる。

ネドゥン・シェラップさんは中々の物知りだ。
私はよく山や町の地名の由来を彼に聞いたりした。
チョモランマとローツェ
「チョモランマってのはどうしてチョモランマなの?」と私。
ネドゥン氏「これには、元になるお経があるんだよ。
それによると、チョモランマはこの辺に山々にいらっしゃる5人の女神の一人、ミホランサンマの住む山ということだよ。
5人の守護神は
1、チェリン・マ
2、ミオ・ラン・サン・マ
3、チュペン・ティン・サン・マ
4、テカル・ドル・サン・マ
5、ティンギ・シャル・サン・マ

この内1、のチェリン・マが主神であり、ゴリシャンカール山に住むと言われている。この女神のことは聖ミラレパもその「十万歌」の中で何度も言及している。
2、のミオ・ラン・サン・マがお住まいの山がチョモ・ラン・マなのだ・
「チョモ」は女性に付ける敬語。「ラン・マ」は「ラン・サン・マ」を短くしただけだ」
とのことでした。

「ミオ」「ラン・サン」をチベット語で書いて確認していないのでこの言葉の基の意味ははっきりしません。

ナムチェの下の吊り橋
N2が嬉しそうな顔して渡っている吊り橋は嘗てのチベット・ネパール国境に懸っています。
橋にはタルチョやカタが沢山結び付けられています。




















モンジョの検問所
この吊り橋を渡って少し行ったところにまず立派な外人用のチェックポスト、次に粗末で小さな現地人、チベット難民用のチェックポストがある。
N2は遠慮なく子供を抱えたその警官の写真をバシバシと撮っていました。
こうなると、ネパールの田舎の警官は苦笑いするしかないわけです。


畑にイモを撒く
この辺の畑には上りの時には「チンゲン菜」が沢山植えられているのが目についた。
この「チンゲン菜」はダラムサラでも数年前から急に路上に並ぶようになった野菜だ。10年前にはダラムサラでは内にしかなかったものだったがな、、、
こんな山の中にまで中国野菜がね、、、でした。
下りる時には、ジャガイモが娘さんたちにより新しく埋められるところでした。



ヒマラヤ・サクラソウ 1 






















ヒマラヤ。サクラソウ 2












サクラソウ 3
上るときには道端に花は無かったが、帰る時にはナムチェからルクラまでいたるところに可愛い「ヒマラヤ・サクラソウ」が咲いていた。








ヒマラヤ・シャクナゲ
一本だけ赤い花がすでに満開の大きなシャクナゲの木を見た。
ダラムサラでもそうだが、今から3月にかけてヒマラヤの2000M前後の南斜面は真赤なシャクナゲの花で埋め尽くされる。



















道端の子供












巨大マニ石
大きなマニ岩を越えた後には、











ウエルカム・トー・ニュー・ネパール
「マオ・パティ(マオイスト共産党)」の作った「Welcome To New Nepal」のゲートがある。
こんなボロボロ・ゲートに歓迎されてもね、、、?







子供 2























シェルパの荷揚げ
途中、荷揚げのポーター達に沢山出会う。
食糧、燃料、建設資材とあらゆるものが、この下10日ほど歩いたところまで来ている車から降ろされ、人か動物の背に負われて運ばれて来るのだ。





ポーターやヤクは一キロ一日行程運び上げて20ルピーもらうのが相場という。
ヤクとかは一頭あたり7,80キロまでしか荷を載せることができないという。

人は何と100キロ以上!を運ぶ。強い男は120キロ、弱い男でも80キロ運ぶという。
実際、オイルを運ぶ男の荷の重さをポリタンクの容量で測ったことがあるが、確かに100キロ以上あった。我々が持とうとしてももちろんびくともしない。
運ぶ男たちはみんなやせ気味の小さな男ばかりなのだ。自分の体重の二倍の荷を担いで急な坂道を登るのだ。


杖を荷の下に敷き休むシェルパ休む時には杖を荷の下に敷いて休む。

途中ケルサンの家に寄ったりしてゆっくりしたので、ルクラまでは結局7時間かかった。すっかり春めき、新緑も目につく美しい里を沢山過ぎた。


















ルクラ飛行場
我々はルクラからフライトでカトマンドゥまで1時間も掛からず簡単に飛べるが、難民の場合は特別のスポンサーがいない場合、みんなこの道をさらに南に下がっていく。
一週間ほど歩いたところでやっとカトマンドゥ行きのバスに乗ることができるのだ。




ルクラからカトマンドゥへ
















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2008年09月26日

キルティ僧院僧侶50人が撲打される。

88afc425.JPG今日も法王のラムリン(悟りへの階梯)の教えは午前、午後と続けられた。

仏教と他の宗教の違いを<空>思想にからめて説明され、マハヤーナ(大乗仏教)とテラバーダ(南伝仏教)の違いを<空観>の差異によって説明され、帰依、ラマを選ぶ基準、弟子の基準、菩提心、六波羅蜜について説かれた。
最後に禅定と智慧を極めた後の止観双運のテクニックについて詳しく説かれ、テキストを終了された。

チベット語が主体でしたが時々英語にスイッチされることもありました。

何時になく力のこもった、スピード感のある、笑一杯の講義でした。
しかし、大事な要点のみは詳しく丁寧に説明されました。

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<アバ、キルティ僧院僧侶50人が武装警官により暴行を受ける>
http://phayul.com/news/article.aspx?id=22879&article=Chinese+armed+police+renew+repression+at+Kirti+monastery+in+Ngaba+townフリー・チベット・キャンペーンが確かな筋からの情報として伝えるところによれば、
9月24日、アムド、アバにあるキルティ僧院の僧侶50人が武装警官隊により激しい暴行を受け、内4人は重傷を負い病院に運び込まれた。

アバは今年3月16日のデモ以来厳戒態勢の下に置かれている。
このときのデモでは、当局が群衆に向かって発砲し、目撃者の証言によれば少なくとも30人が死亡したという。
(たくさんの犠牲者の死体写真がダラムサラにもすぐに送られて来た)

事の起こりは、まず一人のキルティの僧侶が、外出許可を受けて外出し、夕方帰る途中警官に止められた、彼はその場でリンチにあった。
血まみれでやっと僧院にたどり着いた。

事情を知った仲間の僧侶50人ほどが直ちに近くの警察署に向かった。
僧侶たちは警察署で「なぜ僧侶を殴ったのか?」と聞きただした。
「それについては上司と話ができるように取り計ろう」
と警官は答えた。
そうこうするうちにその場に武装警官隊を満載したトラックが二台到着した。
僧侶達は何も抵抗しなかったにも拘らず、警官隊は直ちに僧侶たちに襲い掛かり、全員を打倒した。
内4人は激しい暴行の末、重症を負い病院に運び込まれた。
その4人は僧院長を含む僧院の責任者たちである可能性が高いという。

アバには普段2000人の保安部隊が駐留しているが、3月以降にはそれが10000人増強されている。

ーーーーーーー

情報統制が厳しく、内地からの情報は益々入りにくくなっている。
しかし、時々そこから漏れてくる出来事を見る限り、未だチベットに対する弾圧が緩められたとは到底思えない。










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2008年08月13日

戒厳令下のアバ、

86502246.jpg昨日お伝えした、アムド、アバ地区で二人の女性が軍に銃撃された事件について、
Free Tibet Campaign からのもう少し詳しい報告がphayul.comに載ってました。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=22449&article=Chinese+troops+suspected+of+shooting+two+Tibetan+womenFTCが目撃者と電話で直接話したとのことです。

二人の女性、ソナム・ワンモ22歳、下アバ県ツェニ地区出身、茶店の店員と
ザン・イェイン28歳、カム、ギャロン地区出身
は8月9日午後4時半頃、携帯屋に近づいたところだった。
二人とも腕に銃弾を受けたという。

目撃者によれば「銃声は4,5回聞かれた。軍隊が最近占拠した建物の屋上から撃っていた」

この倒れた二人を助けに行った女性の話によれば、「軍人がしばらくして現れ、二人を連れ去った。<発砲は間違えだ!>と言っていた」と。

アバの町には軍隊が常時の5倍の規模で駐留し、町に通じるすべての道は閉鎖されている。
他の地区からここに入ることはできない。

8月1日より、午後7時以降の外出禁止令がでている。

明らかにチベット人を脅しにより黙らせようという意図がみえる。

最近、アバの近くの草原で共産党役員を集め大規模な軍事演習を行ったという。

おとなしい羊状態のチベット人に対して、これほどの脅しが必要と共産党は本気で思っているのやら?

ただ、いい口実ができたというので、チベット人を遊びに撃ってみたり、草原で大砲撃ってはしゃいだりしてるようにも見えます。

監獄で囚人をサンドバッグだと本気で考えている監視人はたくさんいます。

最近日本のメディア関係の人がカシュガルで警官に暴行され、胸骨3本にひびが入ったとか。
日本人の記者に対してもこの程度ですから、チベット人のデモをした人に対する撲打は想像をはるかに超えるということです。

もっとも警官が容疑者をめった打ちにするというのは、アフリカでもインドでも実際見てきました。でも中国は残酷さで他国を大きく引き離しています。














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2008年06月14日

「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達

3c7ede31.JPG以下はロイターが伝える、現在のアムド、アバのラプランとかツォェの様子です。
記者が入って実際に人々から話を聞いたようです。


http://phayul.com/news/article.aspx?id=21616&article=Tibetan+monks+forced+to+take+%22patriotic+tests%22
Tibetan monks forced to take "patriotic tests"
「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達

Reuters[Friday, June 13, 2008 12:55]By Lucy Hornby
ロイター通信 ルーシー・ホーンビー
翻訳Y女史

【甘南チベット族自治州】 中国域内に広がるチベット人街や僧院でデモが頻発するようになってから3ヶ月。僧侶達は僧侶であり続ける許可を得るために、おそ
らく9月には「愛国テスト」を受けなければならない、という。甘粛省の南に広が
る甘南自治州ではチベット系住民の割合が高く、3月14日のラサでの騒乱の後も緊
張が高まっている。武装警察隊が主要な僧院へのアクセスを監視する傍らで、僧
侶達は罰金の支払いや「愛国教育」の教材をマスターするよう強制されて苦闘し
ている。

僧院では当局の作業チームが、騒乱の首謀者と名指しているダライ・ラマへの忠
誠を破るための愛国教育を監督するため、駐留している。僧侶達によると、この
作業チームは8月の北京オリンピックが終わるまで僧院に留まると見られている。

愛国教育用の教科書は中国語とチベット語で書かれており、自治州の法律を含む
中国法や、チベットの独立とダライ・ラマを非難する章などから成る。「信じら
れない。どうして私達がこんなことをしなければならないのか?」と、あるチベ
ット人農夫は言う。「世界中が賞賛しているというのに、なぜ中国はダライ・ラ
マ法王様を非難するのか?」
『プロパガンダ教材』と題した別の教科書には、「暴動中にわが自治州で何が起
きたか」「チベットが中国の一部になった歴史」といった章から構成されている


ダライ・ラマ法王は1959年、中国支配下からの蜂起が失敗に終わった後、インド
へ亡命した。その間、甘南自治州の僧院からは貴重品が略奪され、僧侶達は排除
された。毛沢東の推進した大躍進政策の下、極端な工業化により人々は飢えに苦
しんだ、と地元民は言う。
「いまや中国は、私達をテロリスト呼ばわりし、あるいは『チベット分離主義者
』と呼んで、私達が国を愛さなければならない、と言い張る」と、ある若い僧侶
は述べて、そのフレーズを中国語で繰り返した。質問されたら何と答えるのか、
と尋ねられて、背の高い若い僧侶はため息をつきながら両手に顔をうずめた。
「彼らはテストを受けるしかない。これこそ『不・自由』そのものでしょう」と
、一般のチベット人は言う。「私達チベット人には、何も言う権利がないのです



"DON'T GET INVOLVED WITH POLITICS"
<政治に関わるな>


甘南自治州では3月に2000人以上の人々が逮捕拘束されていたが、一ヶ月以内に釈
放されたのは200〜300名だけだった
。地元警察車両や政府のゲストハウスに火をつけたことにより「殺意あり」と見做され、いまだに拘束され続けている。
僧院に続く道では、武装警察が運転手を漢人かどうか確認し、車両を確認した後
に、ようやく通行が許可される。
甘南自治州の州府所在地であるツォェ(中国名・合作市)では、カモフラージ
ュした人民解放警察が僧院への入り口を閉鎖している。9階建て(実際は13階建)のミラレパの塔で知られる僧院に至る道では、普段なら僧侶達や巡礼者でにぎわう往来が途絶えている。

中国憲法では宗教の自由も定められているにも関わらず、仏教やそのほかの宗教
は政府の組織によって管理されている。愛国テストがどれほど広い範囲で実施さ
れるか、まだ明らかにされていない。「国から派遣されてきた作業チームは、僧
侶達は経典を読むだけで政治に関わっていはいけない、と私達に命令する」
ディエブ郡の外れにある小さな僧院の年老いた僧侶は語る。

甘粛省南の山間の町ゾニ近郊のある僧院では、僧侶達はジャーナリストに話す
前に、赤い僧服を着た少年達を遠くへ追いやった。11歳のその少年達は蜂起との
関わりを疑われて3日間拘束されたという。彼らの親戚は、少年達の釈放にあたっ
て一人あたり3000元ずつ罰金を支払わなければならなかった。

家族達もまた、10日〜2ヶ月間の拘束の後に僧侶達を釈放してもらうため、5000元
(725ドル)以上の罰金を徴収された。この金額は甘南自治州での平均年収を超え
ている。甘南自治州ではチベット人達の多くは街に住んでいるが、高原の遊牧民
もまだ残っている。
「恐ろしかった」と、地元警察に10日間拘留された一人の僧侶は、強い中国語訛
りで語った。「家族が支払えない時は他人から借金するのだ。私の家族はヤク(
チベット人の貴重な家畜)を売り払わなければならなかった」

(Editing by Nick Macfie and David Fogarty)
(ニック・マクフィー、デビッド・フォガティ 編集)


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2008年05月28日

アムド アバ 逮捕 拷問死

2582dd42.JPGアムド・アバ(ガバ、ンガバ)と言えば、地震の震源地に近い地域であるが、
アバも広くて北のキルティゴンパのあたりでは地震被害は軽微だったようだ。

しかし、武装警察の締め付けは一向に緩む気配もないらしい。
愛国再教育に逆らったとして、逮捕されたり、デモの後の逮捕、指名手配、
そして拷問死が伝えられてきた。

今日のBBCで、アムネスティ インターナショナルが現在もっとも人権侵害の顕著な国と地域として、ビルマ、イラク、ガザ、ダルフォール、ジンバブエを上げていた。
なぜ、中国のチベット地区が入らないのか!?
何千人と言う<良心の囚人>が獄に繋がれ、日常的に拷問を受けているというのに。

何?証拠が少なすぎるって!?
それとも相手が悪すぎるって。

http://www.stoptibetcrisis.net/pr270508.html
連帯委員会 2008年5月27日 リリース

Y女史訳

2008年5月24日中国当局による極限までの拷問により、アムド県ガバ郡出身
58歳のチベット人、パルツェル・キャブが、獄中で死亡した

彼は中国政府に抗議行動を行った後、4月下旬に逮捕されていた。

同様に別の一例では、タクホという名のチベット人は拷問により両脚の骨を折られた後、病院へ運ばれたという。
さらに彼の兄弟チョーペの居所も不明のままである。
二人はガバ地区チャルパ村出身で中国警察に釈放された直後に死亡したという母親ネチュンの息子達だ

2008年5月23日、アムド県にあるアバ寺院の二人の僧侶ロブサン・ドルジェとク
ンガが、いわゆる「愛国教育」に従わなかったとして逮捕された。

タクツァン・ラモ・キルティ僧院では、中国当局が二ヶ月間「愛国教育」を続け、日々の仏教的活動が惨憺たる状態になり、ついに僧院の機能を維持できなくなった。中国当局は、平和的抗議行動にかかわった190名の僧侶を除いて、寺院内で祈
りの集会を執り行うことを承諾したが、残った僧侶達は、190名の僧侶がいないか
ぎり従うことはできないとして、拒否している。

同じくアムド県アパ地域のセ僧院では、中国当局が厳格な制限を課したことに
より、僧侶達は法要や講義を行えなくなったため、この僧院はもぬけの殻
となってしまった。

ユルキョン僧院の僧侶で、アムド、レブコンにあるキルティ僧院に学生として登
録していたジャミヤン・チュペルは、2008年3月に逮捕され、15ヶ月の拘留尋問を
宣告されたが、その申し立ての内容(逮捕された事由)は不明のままである。

また、アバ地域にある他のキルティ僧院の僧侶ルンドゥップは2008年3月に逮捕された
が、その後の彼の所在は知られていない。

別の事件では、中国当局は、三名のチベット人・リダク、メンキャブ、グソの
所在について情報をもたらした者に、一人当たり10万元(約150万円)の賞金を出す、と発表している。
このチベット人三名は2008年3月、カンゼのセルタ郡プグ・シャンで平和的なデモを行い、中国当局による逮捕から逃れている。
さらに、中国当局は彼らが投降しなかった場合は死刑に処す、としている。
5月16日、彼らの一人が中国当局に自首したという。それ以来彼は行方不明となっている。この三人のチベット人は地元のビジネスマンで、地域のチベット人にとって非常に頼れる存在だったという。

同様に、二人のチベット人、スンキャブとドゥクポ(30歳の妻がいると言われて
いる)は、セルタ郡で先ごろ平和的デモに参加したとして逮捕された。



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2008年05月23日

地震 カンゼの戦い アバ キルティ僧院の現状

380a69df.JPGカンゼの戦いは終わらない。

(これまでこのカムの地域、町の名前を<カルゼ>と表記してきましたが、どうも<カンゼ>が近いようです。チベット語では二文字で、最初の文字は<カル>後の方は<ゼ>なのですが、<ゼ>の前にある子音の<m>と<カル>の<ル>がリエゾンして、結果<カンゼ>となるようです。なお中国語では(ガンスーでよかったかな?))

RFAを聞いていますと、この地域からの情報は比較的入り易いようです。RFAもよく現地でも聞けるみたいで、現地のチベット人から

RFAは本当に自分たちの役に立っている、いつも、外にも情報は伝わってるんだと思うと勇気がでる。外国の人たちも応援してくれてるのは有りがたい。<エシア ランワン ルンテンRFA>の人たちには本当に感謝している。
有難うございます。有難うございます

という言葉を最近少なくとも内地の二人から聞いた。
いなか(のうち)なのでこれまで妨害電波基地が無かったのであろう、もっとも急いで中国は機械を設置するかもしれないと思うが。

この前の地震で被害が出たと思われるアバの状況は依然これと言った確かな情報はこちらには入っていません。
先ほど、アバのキルティ僧院からの情報をダラムサラにあるキルティ僧院から伝えてきました。それによると、

「自分たちの居るところは大したことはなく被害はないが、
アチョ、ホンユアン、バルカム地域では相当の被害が出たと聞く、しかし詳細は不明だ。
あそこで何人死んだ、ここで何人死んだという断片的な話はあるが、全体的なことはまだ判らない、電話も通じない。
でもあの地域には寄宿舎制の良い学校が何校かあってチベットの子供たちもたくさんそこに行ってたはずだという。
死んでしまった子供たちも多いと思う


その他キルティ僧院の現状については、
「3月16日のデモの後、いまも軍隊の数は増すばかりでまったく引き揚げる様子はないという。ダライラマ法王を批判することは全員断固拒否している。
僧院からの出入りは禁止されている。
本堂に集まり法要を取り行うことも禁止されたままだ。
クラスを開くことも許されない。
いつもはこの時期は<サカダワ>もあり大きな法要が続く時期であるにもかかわらず、全く一度も法要は行われていないとのことだ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下カンゼでの新たな抵抗について、
翻訳はA女史です。有難うございました。
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080522.html
TCHRD 2008年5月22日リリース

中国当局、<b>カンゼのテホル・ツィツァン僧院の若い僧侶二名を逮捕>

このところ毎日報じられている、カンゼにおける相次ぐ抗議活動の特徴は2名から4名の小グループによるものが多いということだ。

TCHRD(チベット人権民主センター)に寄せられた信頼できる情報によると、5月20日ツィツァン僧院の若い二人の僧侶(20代前半)が新たにカンゼで平和的な抗議行動をおこなったことで逮捕された。
二人の名は:
ロヤン (カンゼ郡ロパ区ツァクラブ村出身)
テンジン・ノドゥプ (カンゼ郡パリンツァン出身)

彼らはカンゼの中心部にある郡庁舎前において平和的な抗議行動を行い、次のようなスローガンを叫んだ。
「ダライ・ラマ法王様、チベットへのご帰還を!」
「ダライ・ラマ法王様のご長寿を!」
「トゥルク・ブルブ・ツェリン・リンポチェを含む、政治囚を即刻釈放せよ!」

トゥルク(活仏)・ブルブ・ツェリン・リンポチェとは、5月18日に中国治安部隊によって
逮捕理由不明のまま自宅で拘束された、優れた高僧のことである。トゥルクの連
行されていった場所は、明らかにされていない。

2名の僧侶はカルゼ郡公安省(PSB)の役人によって即座に拘束され、警察車両に
押し込まれ、尋問のためカルゼ郡公安省拘置所へと連行されていった。現時点に
おける僧侶2名の状況は、一切不明である。

逮捕された僧侶二名の所属するカンゼ・ツィツァン寺院は、カンゼ郡のホー・チュジェ・ガワン・プンツォク尊師によって建立された。
カンゼ・ツィツァン寺院の他にも、彼はカんゼ郡で12もの寺院や組織などを設立して
いる。
ホー・チュジェ・ガワン・プンツォク尊師は、地域の人々によって高く敬われ、尊敬されている人物であるという。

さらに同じ場所で、同日20日テホル・ニャゲ尼僧院の尼僧3名
アチュ (カンゼ郡リダ村出身)
ソー・チュキ (カンゼ郡ラムナ村出身)
タガ こと タシ・ヤンツォ (カンゼ郡ヌキャ村出身)
が、カンゼ郡庁舎前で同様な抗議活動を行い、即座に公安部隊により拘束された。

似たような抗議行動と逮捕については、この地域において5月11、12、14日にも起
きたことが伝えられている。
ドラカル尼僧院の尼僧 12名
カルゼ・ガンデン・チュリン尼僧院の尼僧 多数
パンリ尼僧院の尼僧 55名
が、中国治安部隊によって逮捕されている。


TCHRDはツィツァン寺院の若い僧侶2名の恣意的な逮捕ほか、同地域におけるこれ
までの数々の逮捕拘束について、深い憂慮を表明する。
TCHRDは中国当局に対して、基本的な人権と表現・意見・平和的集会の自由を尊重するよう、強く求める。
これらの権利については、中国が自身の憲法に記載しており、また同国が署名・調印・批准している数々の代表的な国際条約においても保障されている権利である

TCHRDは、中国政府が恣意的な不当逮捕・拘束者をただちに釈放するよう、国連ほ
か関連の重要機関が介入して圧力をかけるように、強く要請するものである。

(以上)


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2008年05月13日

アバチベット人チャン人居住区に強い地震

61585242.JPG昨日現地時間午後二時過ぎに成都の北西100キロ付近を中心にM7.8の強い地震があったことは皆さんご存知でしょう。

BBCでも中国政府が異例の素早い対応で都市部の中国市民を救っている様子が流されています。
まずは災害に会われた地域の中国人は可哀そうなので早く助けられますように祈ります。

低地世俗世界の中国プレートが高地聖域世界のチベットプレートにぶつかり押し上げることでこの地震は発生した
その揺れの波紋は遠く北京や香港、ハノイ、ビルマ、タイにも及んだという。

1950年中国がチベットに侵略を開始した地域でもある。
すべてが象徴的だ。
苦しみの波紋だ。


震源地は添付の地図の中、右下<都江堰市>付近と思われる。
風光明媚な地方としても有名で北には九賽溝などもある。
チャン族が多く住地域だ。
チベットでもこのあたりはギャロンの呼ばれチベット族も多く住む。
パンダの生息地としても有名だ。
<パンダはチベットの動物です>キャンペーンを20年以上前にも日本でやった覚えがある。

6250mの名峰スーグーニアンシャンを中心に5000m級の4蜂が連なるあたりの西が震源地か。
この山には様々な伝説があるという。
その内の一つ、

「むかしむかし、チベットの山奥に暮らす四姉妹がいたそうな。ところが、末娘はいつも遊び相手にしていたパンダが豹に襲われたのを救おうとして、自らが餌食になった。
悲しみにくれる三人のん娘たちが妹を手厚く葬ると、四姉妹はそのまま美しい山になりましたとさ」

きっとブッダの前世談(ジャータカ、本生経)の同様の話からの類推でしょう。
しかしチベットらしいいい話ではあります。
誰か山の写真とかこのあたりの写真ありましたたら送ってください。

建築的には、この地域には特徴的なカッコイイ高い塔が沢山あったはず。かつて城塞の見張りの塔であったもの、高いものは40mにも及ぶ石造りの塔だが、おそらく残念ながら、見事に崩壊し去ったことであろう。



また大事なことは、今まさに激しくチベット人たちが中国に対して抵抗を試みている地域でもあるということだ。
アバ(ゥガバ、阿バ)のキルティー僧院では3月15,16日に掛け大規模なデモに対して当局が発砲することにより、少なくとも20人は死亡している。
それらの撃たれて死亡したチベット人たちの写真は今のダラムサラの町の至る所に張り出されている。

アムドの南側、及びカム全域が被害を受けたと想像する。
いまだチベット地区の被害についてはもちろん何も発表されてないし、RFAにも情報がはいってない。
山間の山道が続くこのあたり、道は閉鎖され完全に孤立状態の地域がほとんどであろう。

中国政府は今中国人をおいてチベット人を助けたりしたら、中国人から石を投げられるので、チベット人が手当てを受けられず、水も食糧も尽き果てるまでほっとくであろう。ビルマと同様、間違っても外国の援助団体をこの地区に入れることはないだろう。
或いは宣伝用に一度ぐらい飛んで行って食糧をチベット人に手渡すところを撮影しに行くかもしれないが。

RFAではそのあたりには監獄が多くあり、今現在数千人のチベット人政治犯が拘置されていると伝え、このチベット人たちの安否、今後の処遇(いよいよ食料が与えられないとか)についての憂慮をあらわした。


ああ、また多くのチベット人チャン人が見捨てられ死んで行く、、、











rftibet at 11:40|PermalinkComments(3)TrackBack(0)