カトマンドゥ

2010年10月05日

チベット中央政府首相及び議会議員予備選挙/ネパールで投票箱が略奪

b0edd140.jpg先の10月3日は、亡命チベット人たちが自分たちの首相と議員を選ぶための民主的選挙に参加できる、非常に嬉しい日であった。
内地のチベット人には決して味わえない貴重な機会だった。

亡命政府が去年実施した国勢調査によれば、亡命チベット人の総数は約15万人。
選挙権を有する18歳以上の亡命チベット人の数は89,000人を少し超えるほど。
その内今回の選挙に登録した人の数は79,449人。

インドを初め世界中の50箇所で投票が行われた。
ダラムサラのツクラカン前の投票場ではダライ・ラマ法王の今回の選挙に関するコメントがスピーカーから流されていたという。
これは一ヶ月前に南インドのバイラコピーキャンプで行われた特別会議の席上法王が話された言葉だった。

ダラムサラ、10月3日 投票日「私は民主主義的プロセスに向かって亡命チベット人社会が前進していることを喜ばしく思っている。しかし、同時に内地のチベット人たちが遭遇している状況に対しては慎重な態度が必要だ」と話され。
また、「私は候補者の中から特別に誰かを推薦するようなことはしない。誰であろうと、もっとも票を集めた首相を支持する」と。

今回の投票は前哨戦であり、50%以上の票を集める候補者がいない場合、本戦が来年3月20日に行われる。

今回の投票結果の発表は約2ヶ月後という。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28239&article=Tibetan+exiles+go+to+preliminary+polls

で、目出たく何事もなく全世界での投票が終わろうとしていた午後4時(半)頃、事件が起こった。

ネパールはカトマンドゥの投票場の内2(3)カ所に突然ネパールの武装警官が押し入り、数千票の投票用紙が入った投票箱を無理やり奪い去って行ったのだ!

この時の現場映像が以下:(プラウザによっては表に表示されないことあり。そのときは下のURLを踏んでください)
http://www.youtube.com/watch?v=Z2_N_iSu3DY


関連記事は
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28240&article=Nepal+police+disrupt+Tibetan+elections+in+Kathmandu

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28247&article=Tibetans+condemn+Nepal+for+disrupting+exile-prelim+elections

SFTの抗議文(日本語)
http://www.sftjapan.org/nihongo:confiscatedballots

カトマンドゥでの今回の投票に付いては前もってちゃんとカトマンドゥ市当局から許可を取ってあったという。

押し入った警官たちは「これは内務省の命令だ」と言っていたそうだ。
別情報によると、在ネパール中国大使館からネパールの内務省に対し、「亡命チベット人たちの選挙を許してはならない。妨害せよ!」との命令が出たという。

「ショックだった。何もすることができなかった。ボドナートで投票しようとしていた。突然ネパールの警官隊が拳銃とこん棒をもって現れて投票箱を奪って行った。まるで戦場にいるようだった。1人のチベット人が彼らが投票箱を奪うのを阻止しようとしたがその後追いかけられ、壁を飛び越えて逃げた」と現場にいたテンジン・ナムギャル(女性)は話していた。

現場ではすぐにデモも行って投票箱を取り返そうという声も上がったが、「そんなことをしても取り返せない。逮捕されるだけだ」と選挙委員会の職員が説得に勤めた。

これから、どうするか?もう一度投票を行うべきか?それが可能なのか?
現地のチベット人たちは途方にくれているという。

このネパール政府の恥知らずな行動に対し早速ニューヨークのネパール領事館の前で昨日、SFT、TYCによる「民主主義を守れ!恥を知れ!投票箱を返せ!」の抗議デモが行われた。
http://yfrog.com/f5vk4j

今日はロンドンのネパール大使館前でも抗議デモが行われる。
http://www.sftuk.org/protest-nepals-disruption-of-tibetan-election/

中国政府はネパールの内務省に対し、ネパール国内における「反中国活動」を押さえ込むために毎年147万ドルを与えると約束している。

ネパールが中国人民共和国ネパール自治区になる日は案外早く来るかもしれない。
というかもう、そうなってるのかな?

みみっちい金と引き換えに民主主義を捨て、国を捨てるとは!哀れ。










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2010年03月01日

アンナプルナ内院トレッキング・第一日目

カトマンドゥのホーリーご無沙汰です。
昨日カトマンドゥに帰って来た。
昨日はちょうどホーリー祭の日。ホーリーはヒンドゥーの祭りだが、この日には悪ガキどもが道に繰り出し、通りかかるもの達を囲み色水をかけ、派手な顔料などを顔にぬるのだ。だから外出しないに越したことはない。
ポカラからカトマンドゥまでバスに乗ったが、この走るバス目がけて水フーセンが左右から飛んでくる。
バシッとおおきな音がする。そんなことが続いたが、カトマンドゥに近づいたころ突然ガシャッ!というおおきな音が後ろのほうでした。窓ガラスが派手に割れたのだ。辺りにはガラスが飛び散った。
インドのホーリーは大体午前中に終わるもんだが、ネパールのは夕方まで続いていた。水風船にして投げ合うというのだ流行っているようで、夕方には濡れたカトマンドゥの街角には小さなビニールがこれでもかというほど散らかっていた。

ポカラから見たマチャプチャレ写真はポカラから見た、朝日に染まるマチャプチャレ6993m。
トレッキングはこの山の裏側まで歩くというものだった。
トレッキングは予定より早く8日間で終わっていたのだが、ポカラで三日間ぼお〜としていた。
ポカラにはペワ湖というヒマラヤを映す美しい湖があるが、小さなボートを漕ぎだして湖畔の野鳥を撮ったりしていた。

モモチェンガと少年Xポカラまでは撮影分隊といっしょだったとお知らせした。
左の写真を見て、写ってるおばあさんに見覚えがある方もおられるだろう。
岩佐監督の「モモチェンガ/チベットの満月ばあさん」の主人公、モモチェンガばあさんだ。
ばあさまは今も元気にポカラのチベットキャンプ、タシ・ペルケルに暮らしている。
この日はロサの祝いで赤いテントの下に大勢が集い飲み食い、歌など歌っていた。
ところで、その横にいる少年Xが岩佐監督の新作「チベットの少年(仮題)」の主人公なのだ。
普段はダラムサラのTCVにいるのだが、この時は冬休みでネパールにきていたのだ。
さて、どんな作品に仕上がるのでしょうか?
期待して待っててください。

タシ・ペルケル・キャンプの人々タシ・パルケルのキャンプから私一人、街に行く用があったのでカトマンドゥから乗って来たバンに乗った。
すると後ろの席には15人ほどの便乗組がすでに乗っていた。私は一瞬車を間違えたかと思った。
詰めれば小さなバンも沢山の人を運ぶことができるものだ。
真ん中で一番チベット人らしい顔をして笑っているのはチメ・リクジン。今回私の山行きの仲間となった男だ。

アンナプルナ・トレッキング・マップ地図の上の方に「Annapurna Sanctuary」と書かれているそのすぐ下に「Annapurna Base Camp」がある。
今回のトレッキングの最終地点だ。
日本語では「アンナプルナ内院」と呼ばれることが多い。「Sanctuaryは「聖域」と訳した方が解りやすい。
なぜそこが「聖域」なのか?
地図を見れば、これにはこの地の地勢が関わっているとすぐ理解される。
ここは直線で東西20キロ、南北10キロの巨大な楕円形のすり鉢状地形になっている。
周りをぐるりと囲う稜線には7000m以上の峰が15座、8000mを超えるピークが2つあるのだ。
これほど壮大な聖域は他にない。
そこからは険しい渓谷をなしてモディ・コーラという呼ばれる一筋の川が流れ出ている。
トレッキングはほぼこの川をアンナプルナ氷河まで遡るのだ。
この地を聖域と認めるのはヒンズー教徒であり、デビィ女神の住処とされているそうだ。

もっともヒンズー教徒がここに巡礼に来ることは少なく、ほとんどは外国の異教徒たちが景色を愛でに訪れている。聖域と言うからには何か、心を洗われたり、忘れたいことを忘れたりするために行くにはいいところのはずだ。

オーストリア・キャンプから見たアンナプルナ連峰写真は歩き始めて最初の尾根「オーストリア・キャンプ」と呼ばれる場所からの眺め。
このコースのルートは色々ある。
ガイドブックには9〜10日間のトレッキングということになっているが、強健なら最短で5日で往復することも可能だ。実際最後にやっと出会った唯一の日本人のサラリーマンは10日の休暇を得て、ここにきてコースを6日で往復すると言っていた。
私は行きに長いコースをたどり、最後の方でゆっくりしたので8日かかった。
天気は朝方快晴、午後曇りということが多かった。

ところでこのアンナプルナ連山はよく晴れた日には仏陀の生誕地ルンビニからも見ることができるのだ。
かつてルンビニ近くにある仏陀が出家する以前に王子として過ごしていたカピラバットゥ城の遺跡から以外に大きくこの山塊が望めたことを思い出す。
シャカムニ仏陀も眺めていた山なのだ。


アンナプルナ28000mに少しだけ足りないアンナプルナ2、7937m。
この南面には雪が付くことがない。黒々とした頂きは飛行機から見るときの目印となる。







赤ん坊を背負い直すのを助けるチメシャクナゲに囲まれた気持ちのよい森のなかの道を歩いていると、追い越そうとした赤ん坊を背負った女性が声を掛けて来た。
「一人では寂しく危ないので一緒に歩いてもいいか?」というのだ。
この辺では確かに道中、人に会うことは少なく女性は危ないと感じるのだなと気付いた。
チメはこれは良い道連れを得たとばかりに盛んに世話を焼こうとする。
写真は赤ちゃんを背負い直すのを手伝っているチメだ。

ここで、チメのこれまでの人生に付いて、彼から聞いたところを紹介しよう。
彼は15歳までチベット本土のドォという地方にいた。
母親は彼が5歳のころ他界した。
それからは父と兄とともに畑仕事や放牧を手伝っていた。
15歳の時三人は近くの国境を越えネパールのドルボ地方に入った。
ドルボにしばらく居たのちポカラに降りて来た。
そこで、亡命チベット人たちはインドやネパールのキャンプに分けて送られた。
彼の家族はポカラのタシ・ペルケル・キャンプに落ち着いた。
それから始めて学校というものに行ってみたが、二年でやめ、その後食堂やカーペット工場で働いた。
二十歳過ぎてから、今度はタシ・ペルケル・キャンプにあるニンマ派の僧院い入った。そこで4年間ガァクパの修行をしたという。
もっとも大体は僧院の厨房で働いていたそうだ。
その後、結婚して今は16歳の息子が一人いる。
法要などがあるときには今でも白いニンマのガァクパの衣装をまとうそうだ。
今はキャンプの民生委員のようなことをしているそうだ。
とに角、明るく冗談ばかり言ってる、典型的チベット人だ。彼と二人で今回も道中は問題なく楽しく歩けた。

手動式回転ブランコこの辺の村でよく見かける、手動式回転ブランコ



















孫を学校に送っていくおじいさん孫を学校に送っていくおじいさん。
可愛い孫が自分は行けなかった学校に今通えるようになって、さぞおじいさんも嬉しいことであろう。


 














Scarlet Minivet (Male) 20cmScarlet Minivet (Male) 20cm
ダラムサラでも見かける鳥が多かった。
このミニベットはオスだが黄色いメスと一緒に遊んでいた。

カトマンドゥは相変わらず電気事情がひどくて、中々アップできない、、、





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2010年02月16日

カトマンドゥ/アムド、アバでロサの座り込み

アンナプルナ連峰昨日(14日)、ネパールのカトマンドゥに到着した。
デリーからのフライトの窓から、青い海に浮かぶようにヒマラヤの連山がくっきり見えた。
ああ、帰って来た、また山に行きたいなと思った。
ヒマラヤを見てカトマンドゥに着いた途端に、日本滞在中の心身不調が治った。困ったものだ。

ボドゥナート仏塔とネパール警察隊夕方、ボドナートに向かった。去年見たように、ロサを祝うチベット人が大勢、灯明に埋め尽くされた仏塔の周りを右遶していることだろうと想像していた。
















ボドゥナートのロサ。しかし、目玉仏塔の周りには去年に比べて人がまばらだった。そして、去年は見なかったネパールの警官隊の列に出くわした。彼らの写真を撮りながらついて行くと、仏塔の北側にある寺の前にチベット人が大勢輪になって集っていた。





14.2.2010 ボドゥナート壇上にはダライ・ラマ法王の大きな写真を一人のチベット人が高く掲げ、みんなで「チベット国歌」を歌っていた。そこに着いたときには歌も終わりの方で、すぐに歌は終り、みんなでツァンパを空に放りあげていた。
しかし、いつもの祝うためのツァンパ撒きではなさそうだった。そのロサの集会は明らかに抗議と鎮魂のそれだった。
後ろにはネパールの警官隊が棍棒をもって見張っていた。
でも、ツァンパを撒いた後すぐにチベット人たちは散会し、衝突のようなことにはならなかった。

14.2.2010 ボドゥナート去年、同じロサに同じ場所で眩しいばかりに燈されていた無数の灯明はなく、ただ道の上に直接何本かのローソクが燈されていた。


昨日のパユルによれば、
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=26618&article=Tibetan+New+Year+marked+with+protest+in+Tibet&t=1&c=12月15日、アムド、アバ(ゥガバ)の中央市場には400人ほどのチベット人が、中国の武装警官隊に囲まれながら、追悼のロサを象徴する座り込みを続けているという。

この座り込みはチベットの新年一日、つまり14日から始められた。
最初はアバのキルティ僧院とシェイ僧院の僧侶たちが座り込みに入った。緊張が高まるのを見て、地元の高僧が僧院に帰るように説得したが、僧侶たちはそれに耳を貸さなかった。それどころか、他の僧院の僧侶や一般のチベット人たちも次々とこれに加わって来たという。
これに対し、すでに軍隊が出動し、携帯やビデオカメラなどで集会の様子を撮影した者たちはすぐに拘束され、携帯などを取り上げられたという。
また、市場に通じる道路はこの集会に参加するために集まるチベット人を阻止するため軍隊により閉鎖されている。


当局はロサに先立って、ロサを明るく派手に祝う者たちには多額の支援金を支給すると広言していた。

これに逆らう形で、アバの人たちは「2008年の一連の平和的抗議デモの犠牲者を追悼する集会」を始めたというわけだ。

新しい情報は入っていないが、現在どのような状況になっているかが案じられる。

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そんなロサを後にして、私は予定になかったが急に明日からまた山に行くことに決めた。二週間、あるものをただ待たねばならない状況になり、街に長く居れない私は山に行くしかない。
今回は「アンナプルナ内院」と呼ばれる、ポカラからほぼまっすぐアンナプルナ連山に向かい、マチャプチャレの裏、4120mのアンナプルナ・ベースキャンプまで歩く、
10日間コースだ。

ポカラまではある撮影分隊と一緒に行き、そのあとは一人で歩く。

山に入るとブログはなし。また里に降りたら山や鳥や花の写真など紹介させてもらいます。もっとも今はまだ冬。雪山と星ばかりの世界でしょう。









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2009年06月22日

カトマンドゥよりダラムサラまで

ダウラギリ写真はカトマンドゥ発デリー行きフライトの窓より:雲海上のダウラギリ峰。

カトマンドゥ空港でのこと、14:40発のデリー行きまでは時間があるというので待合室でパソコンを開いて、文章書いたり写真を整理していた。
フライトは30分遅れると途中でアナウンスがあった。そのあと今度はネパール語だけで「出発は16時、、何分かになる、」と言ってるようなアナウンスがあった。
度々係りの人が回って来ては「お前は・・の乗客ではないか?」と聞いてきた。
だから、どうせ本当に出るときは誰か探しに来るだろうとか思ってそのままパソコンに集中していた。
ふと気づくと15時を過ぎている、気になってボードを見ると15:15分搭乗中になってる。近くの係官に聞くと、早く行けという。
長いセキュリティーの列を無視して先に通され、搭乗口に行くと、今度は何してたんだ、みんなお前を待ってたのだ!と怒鳴られ、そのまま空港の熱いコンクリートの上を一人の係官と一緒に飛行機のところまで訳150m走らされた。私はゴムぞうり履きで走ると傷が痛んだ。
着くとみんな避難の目を私に向ける。
どうやら、私が最後の乗客でみんな私を待っていたようだった。
私のお陰でフライトはさらに15分遅れて出発した。
「何で、探さなかったのよ、、、」と言いたかったが、それにしても生まれて初めて自分のせいでフライトを送らせてしまったという話でした。

デリーに着くころ、飛行中、隣でさんざんいちゃついていたインド人新婚カップルが「ところでお前は何で遅れたんだ?」と聞いてきた。


アクシデント酷暑のデリーにいる時間を出来るだけ少なくするため夜行列車に乗りパタンコットに朝着いた。ここからタクシーでダラムサラだ。
その途中でのこと。交通事故現場を通りかかった。
自分の乗っていた車がカーブを切って前を見ると、すぐ前の谷の方から土煙りが上がっており、二三台の車が止まり、人が谷の下を見ている。
ドライバーは「アクシデントだ!」と言って車を止めた。
崖の下を覗くと、20mほど下にトラックがぐちゃくちゃになっている。
崖の途中に二人が倒れており、アー、アーと声を出している。
でもその内自分で二人とも立ちあがった。一人はかなり血を流していた。
崖の上の方からはすぐに助けに行けない状態だったが、下から間もなく人が駆けつけた。
それにしても、ドライバーたちは落ちる途中に飛びだしたか?投げ出されたかで、かろうじて助かったという状態だった。そのまま一緒に落ちていたらタダでは済まなかったであろうと思われた。






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2009年03月16日

ネパールの現状、野田氏のトーク予告

7c60d15b.jpgPhayul.comのニュースに3月14日、カトマンドゥで三人の外人が中国大使館のビザ、ビザセクションの前でスローガンを叫んだとして逮捕された、というのがあった。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24180&article=Three+foreigners+detained+in+Nepal+for+Anti+China+Protests
三人はドイツ人、ノルウェー人、イギリス人。
叫んだスローガンは
「Free Tibet」「China,out of Tibet」

もっとも外人と言えば去年日本人の友人がチベット人と一緒にデモして、何度も逮捕され、刑務所に入れられた話は紹介しましたし、今に始まったことではないのです。
ラサでも外人狩、カトマンドゥでもチベット外人狩です。


ただ、今月のネパールは特別中国にぺこぺこして、チベット人いじめを強化しているようです。

3月10日にはバスに乗って国境に中国国境に向かっていた140人のチベット人が、独立分子として逮捕されたとか。

「レコードチャイナ:チベット独立派140人を逮捕―ネパール 」
http://www.recordchina.co.jp/group/g29375.html

これは、中国の外務省事務次官が先月カトマンドゥを訪問した時、ネパール政府に対し「チベット人の反中国活動を阻止せよ」と命令したことに始まる、新しい締め付けキャンペーンと言えるでしょう。

この辺のところはカトマンドゥにお住まいのばなな猫様のブログをご覧ください。
http://banana-cat-cafe.blog.so-net.ne.jp/3月10日前後の様子がよく分かります。

以下、3月9日分転載させていただきます。

ーーー

明日、3月10日チベット民族蜂起50周年 in カトマンズ [チベット]
明日、チベット民族蜂起50周年をひかえたカトマンズの警戒態勢はマックスです。
今日UN本部の前を通りましたが、去年のデジャブーのように
機動隊が配置されていました。
中学生達がよじ登った塀には、鉄線がはりつめられ・・・

話によると、ジャワラケルとスワヤンブのチベット人に対して、
警察から「明日はボダに集まらないよう」という通達が出ています。
・・・・・??
つまりジャワラケルの、あの二またの交差点に、またもや警官隊が立ち、
「どこに行くんだ?ボダに行くんじゃないぞ!」と脅しをかけるらしいのです。
いや、行った所で逮捕とかできるはず無いじゃん、とお思いのあなた、
ネパール警察はそんなに甘くありませんのです。
拘留する理由なんて、いくらでもあげられます。
ああ、まるでこれではどこぞの人民解放軍のよう・・・
ラサも明日は、チベット人は外出もままならない事でしょう。

現にボダに住むチベタン・ジャーナリストがおととい自宅から連行、
拘留されています。
「独立運動を率先している」といちゃもんをつけられ、
「今後運動に関わったら、実刑にする」と脅され、
今日、大金(保釈金?ワイロ?)を積んで出してもらいました。

で、明日はどうなるのかといいますと、
いつものようにボダで、法王の声明が読み上げられて、
プジャが執り行われるのですが、
問題はその場所・・・・
例年はストゥーパにて、オープンに行われていたのですが
(かつては、デモも警察の許可をもらってやっていた)、
5年ほど前から、法王の写真の掲揚などが禁止され、
去年、おととしは、お寺の中庭へ警官隊によって追い込められ、
今年はどうやら、中庭もNGという警察からのダメ出し。
仕方ないので、ゴンパの中か、集会所ですることになりそうです・・・・

はあっ・・・・・・。

デモ????あり得ません。
無駄に死人を出しても仕方ないです。
思い切りデモしたい若者はもうみんなダラムサラに行ってしまいましたし。

現在、共和制であるはずのネパールは今、
確実にマオイストが与党の共産党国家になりつつある気がいたします。
民主主義なネパールはもう、本当に終わってしまったのですね。。。

うわさによると、2009年度のチベット難民へのアメリカン・グリーンカードは、
8000通用意されているそうで、、
、、
つまりもう、じいちゃんばあちゃん以外はみんなアメリカへ行け、ってことです。
難民がいなくなれば、「難民問題」も無くなるってことです。
UNもチベット問題が、UNHCRやヒューマンライツ事務所、
その他の活動の妨げの引き金にならぬよう、
苦汁の選択を迫られているようです。

どうか、どうか、悲しいニュースが舞い込んで来ませんように。
明日は裏のお寺でバターランプでお祈りします。

ーーーーーーーーーーーーーー

上の写真はカトマンドゥのボーダナートの仏塔の周りを左回りに行進する武装警官隊です。

この写真をいち早く見られた、S女史から以下のようなメールが届きました。
「みなさん」宛てのメールだったので、無断転載させて頂きます。

ーーー

 昨日のphayul.comの記事と写真を見て、ショック!バウダ (ボーダナート/チベット正月にみなさまにお送りした写真の場所)の コルラーに武装警察が!これまで無かったこと。急いでカトマンドゥの 友人にメールしました。すぐに下のような返事がありましたが去年の秋 から事情が急変しています。

 理由は、最近ネパールを訪問した中国外務省事務次官級(?)の要人のせい。ネパールがこれほど中国の思惑通りに動くとは思ってもみな かった。これまでも、中国大使館へのおもねりから、表面だけでも亡命 チベット人の動きを取り締まっているようには見せていた。けれどほと んど即日解放されてた。それが、今、平和のシンボルともいうべき チョーテン・コルラーにあのように警官を繰り出している。ここはチベット人もネパール人もみな平和を祈って灯明をあげ祈る場所だ!聖地なんだ!

 友人の話では個別訪問でデモ先導者をあぶり出そうとしている。また、IDCを所持しない者は逮捕されて3年以上の禁固。IDCというのは多分ラキェル、難民証明証。亡命チベット人(1959−79年までの難民)と新難民(1980−89)は大抵もっているけれど、90年以降難民センターを経由しないでネパールに居着いたものに
は与えられていないはず。この話は前々回難民センターを訪ねた時、聞いていた。逮捕された者はいないけど、所持しない者は多くいると聞いていた。しかし実は、昨秋センターを訪ねた時は、14、5名が難民センターに引き取られていた。実際は留置場に入れられるところを国連高等弁務官事務所が引き取って、センターに収容したのです。彼らはいずれも証明証をもっていず、デモに参加(中国大使館前)して捕まってしまった。老若男女、年齢もそれぞれ。その後彼らはどうなったのか?ネパール在住10年の家族もいる人もいた。

 お話が大分それてしまったけど、この「IDC不所持の者は逮捕すべし」というのは中国の圧力です。オリンピック前数年のころから、中国とネパール政府(前政権=国王の時代からマオパティ主導の現政権)の距離が縮まり始めて、この話が具体化してきたという経緯があります。「不所持の者は当然中国人であるから、中国に帰還させるべき」という論理です。

 中国の思惑通りに政府が動いているとしたら、チベット人の人権も表現の自由も封殺されていると考えてよさそうです。何とかネパール政府に圧力をかけられないものでしょうか?.....あの国も右往左往、未だ制憲国会が軌道に乗らず......でも何かやってみます。

 友人は言っています。「昔はネパールは天国だった。」あのオールアバウトな空気がなつかしい。

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カトマンドゥでチベット難民一時収容所に行くには

カトマンドゥと言えばつい先月ナンパ・ラ(峠)行きの前後に寄ったばかりです。

思い出す話が一つあります。

N2氏と私の二人は山に行く前と後、二回チベット難民の一時収容所に行ってインタビューと写真を撮ることをトライしました。
数年前まで「トライ」何て必要なく、中で働く知り合いに電話すればすぐに入れたものでした。
それが、今回は友人曰く「UNの許可がないと入れないよ。まずUNの誰それに会って、、、」と。
何だかな、、、と思ったが、N2氏が「あ、UNなら知ってる。すぐ行こう」というのでタクシー走らせてUN・・・のオフィスに入った。
要件を伝えて、係りがいないと言われ。それでも帰らないで粘っていると、
次に若いフランス人の女性係官に詳しくインタビューされ、、、後から連絡すると言われ、帰った。
後から電話がかかって来て「私たちの事務所ではそんな許可書な出してないそうです」と言ってきた。

後で判ったことだが、NU違い!の事務所に入っていたのでした。

しょうがないので、結局その時は直接友人と一緒に中に入り、ボスと話して、ナンパ・ラ・コネクションだけを聞いて帰りました。
難民たちにも会って、話も聞きましたが写真は撮りませんでした。

ナンパ・ラ行きを終え、帰ってきたカトマンドゥで再びUNに挑戦してみました。
目指すはUNHRC(国連難民高等弁務官事務所)です。
見つけるのに相当苦労しました。
町はずれに隠れるようにして建っていました。
普通の住宅のようでした。
変わったことは、門の前に黒人が沢山いたこと。
彼らは何とソマリア難民!?だったのです。

我々を見つけるとさっそく自分たちの窮状を訴え始めました。
我々が厳重なドアの中に入れることになったのを知ると、誰それにこう言ってくれ、とか伝言を頼まれるのでした。

中に入って二人目の係官はネパール人の若い女性。
話の中で彼女が「チベット問題は大した問題ではないので(low Profile)、、、、」とか言ったので、少しカチンときて、「それはどういうことかいな!?」と詰め寄ったりしました。
彼女はブータンから追い出された10万人のネパール難民の話をして、この方を取材したほうがいいなどと言うのでした。
結局、「ではこのネパール政府の事務所に行って許可を申請してください」と言われました。(この時点で申請は諦めました)

何と、いつの間にか、国連は独立した機関ではなく、ネパール政府にコントロールされるまでに落ちぶれたということです。そのネパール政府は中国政府にコントロールされてるしね、、、

友人の話では中国はネパールにUN機関が沢山あるのが目障りで一挙にUNをネパールから追い出そうとしているとか。
特にUNHRCには毎日中国から嫌がらせメールが送られてくるとか。

実際ネパールにある国連機関の予算のほとんどはアメリカが出しているので、中国対アメリカの戦いなのです。

今回ネパールにいるチベット難民を最大2万人までアメリカに移住させるという計画は、もうネパールに住むチベット人に将来は無いと見たアメリカのチベット人救済政策の一環でしょう。
しかし、この計画実際には少しも進んでおらず、チベット人がアメリカに大量移住できるという話はただの夢に終わるかもしれません。

ネパールは中国にコントロールされてチベット人のデモを規制している、というが、
ここで思い出すのは、日本の話。

3月7日、私は日本の東京にいて、その日の朝行われた、SFT主催の中国大使館前抗議デモに参加しようと、六本木の地下鉄の出口でどっちに行こうかと迷っていました。
気がつくと前に警官がいたので、中国大使館はどっちに行けばいいのか?と尋ねた。
すると、答える変わりに、「失礼ですが、中国大使館に何の用で?」と聞いてくる。
はは〜〜〜と、思ったが「デモがあるんで」と言った。
「中国大使館はあっちですが、あまり近づかれないように、、、」とか言ってた。

近くで迷ってもう一人に聞いた時も同じ質問に遭った。

やっと現場に近づくと、みんなが大使館から離れた所に集まってる。
私が大使館前に行こうとすると、警官が止めた。
「どうしたのですか?どうして通さないのですか?」ともめていると
世話人がやって来て、特別にと了解を取って見るだけだと言って警官に連れて行かれた。

その間私はしつこくその警官に「チベット人をこれほどまでに弾圧している中国政府を日本政府がこれほどまでに守る必要があるのかね!もう日本も半分中国だね!」と、ヤジを飛ばし続けていました。

結局大使館前、道路反対側に5人ずつが交代にスローガンを叫ぶことのみが許されているとか。

また、日本人はみんな大人しく黙ってそれに従っているのが風土(病?)でしょうか?

日本も似たようなものだということです。

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N2氏とS女史の話が出たついでに、以下S女史が企画されN2氏のトークと映像が見られるイベントを紹介いたします。

N2からナンパ・ラのまた違った話も聞けることでしょう。写真もプロ、ビデオも沢山撮ってましたから、大いに期待できます。
是非、参加して見てください。

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チベットの歴史と文化学習会

─休憩(15分間)─
日時:2009年4月11日(土) 
18 : 00〜21: 00 開場17 : 45
●主催:チベットの歴史と文化学習会 ●お問い合わせ:
e-mail : trb.gakusyuukai@gmail.com

場所:文京区民センター3階 3-A会議室

講師:吉水千鶴子(筑波大学人文社会科学研究科哲学・思想専攻准教授)

講座 チベット仏教の潮流 第2回「仏教のチベット的展開」お話:渡辺一枝(作家)
チベット報告「受難ということ」

報告:野田雅也(フォトジャーナリスト)緊急報告「国境線リポート」

基調報告:長田幸康(I love Tibet!ホームページ 主宰)

質疑応答「Tibet2009 vol.2─チベットの政変から60年」

参加費:¥600

下記アドレスよりお申し込みください。
http://www.tibet.to/gaku3/ 
FAXで申し込みの場合はお名前、連絡先を
ご記入の上、下記よりお申し込みください。
FAX : 03-3229-1124 
参加申し込み
※当日参加もできますが予約を優先させていただきます。
 定員になり次第締め切らせていただきます。

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野田氏は今ダラムサラにいます。

カトマンドゥで私と別れた後、ポカラに行き「元ゲリラ兵にインタビュー」した後、
ナンパラで果たせなかった悲願難民遭遇、今度はすぐにダム方面に「越境難民」を追って潜入。
結果は如何に?

ダラムサラでも相変わらず、毎日精力的に色んな人へのインタビューを繰り返しています。
アマアデにインタビューしたり、新しく来た難民にインタビューしたり、今度TCVの子供の1日を追うために、朝4時から学校に行くとか言ってました。
僕はつき合わないからね、、、









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2009年01月27日

明日からヒマラヤの中。 チャムドでデモの後拷問死。

ced26bab.JPG以下の文面は昨日書いたものです。
とうとう昨日は電気もネットもだめでした。

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昨夕、日本からN2氏が到着した。
夜はカトマンドゥ露天風呂!と川魚定食を堪能した。
ダラムサラでは夢にも見てはいけないものばかりです。

今日は朝からナンパラ行きのパーミット、UNHCR(難民高等弁務官事務所),ネレンカン(チベット難民一時収容所)と一周した。

ナンパラ行きのトレッキングパーミットは驚くほど簡単、かつたったの1000ネパール・ルピーだった。これには少し拍子抜け。
申請書にナンパラと書こうかどうか迷ったぐらいでしたが、係官は書面を見ることも無くあっと言う間にパーミットが渡されました。

収容所には20人弱のチベット人が今います。
例年に比べ、非常に少ない人数です。
去年まで、この時期には数百人の難民が収容されていたのです。

ナンパラについては、今年は特にこの峠を越えてくる人は少ないとのこと、判ってはいたことだが、、、行っても無駄足に終わる可能性が強いということです。

ただ、一つ、もしかして、、、の情報を得たので、やっぱり行くことにして、さっそく明後日の早朝のフライトを予約しました。

ドミには子供も7,8人いて、みんな元気にはしゃいでいました。

明日は朝から何も山道具を持ってきてない私は一式買うなり、借りるなりしないといけません。借りれるのは寝袋とジャケットぐらいです。ただ、他の山用品は、質もまあまあのものが非常に安く買えます。
アイゼンとか買ってもしょうがないのですがね。
今、N2氏とアイゼンは必要かどうかで議論中です。チベット人が本当に簡単な靴で越えてくる峠にアイゼン付けて行くべきかどうか!?
私は腰も痛い老人だから、峠までは行けないかなと思ってますが。

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さっきから電気が来るのを待っているのですが、今日は予定の夜8時になっても来ないもう9時になる、ネットもできないので、、、、
もう一つ別の話を、

昨日の午後と今日のネレンカンと、ガンデン・タシというちょっと有名な元政治犯と一緒でした。彼とは9−10−3の会を援助し始めた10年前からの友人です。
アムネスティーの助けを得て8年?ほど前にもう一人の尼さんと一緒に彼を日本に招き、全国九州から北海道まで20か所以上の町で「拷問証言会」を開催したことがあります。
私も多くの町に通訳として同行しました。
アムネスティー側でその時いっしょに働いてくれていたのが<ばなな猫>さんです。

大体二人を選んだのが自分たちでしたから、特に時に暴れん坊のタシの監督には気を使ったものです。

彼は1988年3月、ガンデン僧院僧侶の先頭に立ってデモを扇動したのだった。
新年モンラム祈祷祭の最後の日、式典に列席していた自治区幹部たちの胸ぐらをつかみ「チベットは独立だよな!!そうみんなに言え!!!」と真っ先に迫ったやつなのです。
それから一気にデモが大きくなっていった。

彼は最初3年の刑だった。しかしダプチ刑務所内で行われた大きな抗議デモの時にまた派手に立ちまわったが故に刑期がさらに9年延期された。
それだけではなく、それから何と17か月間、重い鉄の足枷をはめられたのだ。
24時間17か月はめられっぱなしだった。
足の肉はすり切れ、骨も見えんかというほどにそれはひどい仕打ちだったという。
その後、足枷は外されたが、身体の衰弱は激しく、ついに病院送りとなった。
その頃の車いすに乗って痩せこけた、本当に弱よわしい当時の写真が海外に流れた。
アムネスティーは彼を自由にするために特別のキャンペーンをおこなった。
其の功あって、彼は病院から2年後に解放されたのだ。

その後亡命しダラムサラの9−10−3の会に所属していた、彼は長年、監獄内での拷問の結果、脳に障害が残ったのか激しい頭痛を訴えていた。
それからTCHRCの職員として4年カトマンドゥで亡命してくるチベット人から情報を集める仕事を続けていた。
そして、イギリス女性と知り合いイギリスに渡り、カレッジに4年通い、去年からICT(インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット)に雇われてここで中国からの情報と亡命者からの情報を集める仕事をしている。
今日、お宅にちょっとだけお邪魔した。
2歳になる可愛い男の子がいて大きな家に住んでいた。
人生流転。
チベット人の人生はダイナミックです。

今日はもう電気は来ないようです。

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今日は一日中、山用品を買いあさりました。−30°用の寝袋も一万円です。
後で返せば半額帰るとか、すべて安いです。

明日の朝早くカトマンドゥを発ちルクラに飛びます。
ナムチェで、もしかしたら最後のブログを書くことができるかもしれません。
それにしても、当分このブログは休むしかありません。
残念だな、、、

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pema tsepak
1月20日にカム、チャムドのゾガン地区でデモを行った、3人のチベットの若者の内の一人ペマ・ツェパック、24歳は逮捕された後の暴行によりチャムド病院で死亡した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23683&article=China+beats+Tibetan+youth+to+death

このところまたカム地方で、チベット人の捨て身のデモが頻発しています。

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2009年01月23日

カトマンドゥ、カンゼで新たに4人に刑期

4,5年ぶりのカトマンドゥだか、そんなに変わった風でもない。
政府がこんなだから発展も遅れがち、、、というか後退気味なこともあってか、
相変わらず中世風の街並みのままだ。

思ったよりツーリストも来ているようだ。何より目立つのが中国人観光客!
これは全く新しい傾向です。
日本人より断然多い。

それはさて置きネパールはインドからくると何だかほっとするのはなぜでしょう?
人のせいでしょうかね。

なぜネパールに来たのか?
タメールに気持ちの良い庭付きバンガローを1000円でゲットすると、電気もないし、ネットも時間制限厳しいしで、全くバカンス気分。


ではありますが、、、あるバカげた予定があるのです。
5741mのナンパ峠まで行って、亡命してくるチベット人を迎えて上げようというのです。

もっとも腰がまだ痛いので、不可能でしょう。

それでも、飛行機からヒマラヤが見えてくると一気に気分は山モードになっています。

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<カンゼにて尼僧2人、僧侶1人、若者1人に新たに刑期>
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23664&article=4+Tibetans+detained+for+protesting%2c+explosion+reported+in+ChamdoTCHRD(チベット人権民主センター)によるば、新たにカンゼ中級人民法廷は4人のチベット人に刑期を言い渡した。

尼僧tashi tso
カンゼ・ゲマ・ダゴ尼僧院の二人の尼僧タシ・ツォ26歳とドゥン・ツォ20歳に夫々二年と二年半の刑期が確定した。
二人は去年6月18日カンゼ市内で中国政府への平和的抗議デモを行った後逮捕されていた。

同じくカンゼで去年3月31日デモを行った、ジャンパ・デキ20歳、ティンカ地区ジョカンナン村出身、は二年の刑期を受けた。

この三人は州都、成都の刑務所に送られたという。

去年11月17日に、同じくカンゼ中級人民法廷によりカマン僧院僧侶イシェ・ドルジェ32歳は4年の刑期宣告を受けた。
彼は去年6月12日、カンゼにてビラを配りながらスローガンを叫んだのだった。




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2008年06月19日

アムネスティ報告、カトマンドゥでチベット要人逮捕

c6659df0.JPGオリンピックトーチがラサに到着する日もせまり、アムネスティも控えめながらチベットの人権侵害状況を知らせ、世間に対しチベットへの注目を促してくれている。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=21673&article=Amnesty%3a+More+than+1%2c000+unaccounted+for+in+Tibet

Amnesty: More than 1,000 unaccounted for in Tibet
アムネスティ: 1000名以上のチベット人が行方不明

AP[Thursday, June 19, 2008 09:32]
By MEERA SELVA
AP通信 ミーラ・セルバ

【ロンドン】 3ヶ月前のチベットにおける騒乱の時期に、1000名以上の抗議者達
が行方不明になっている――人権団体のアムネスティ・インターナショナルが18
日(水曜)発表した。

アムネスティ・インターナショナルによると、3月のチベット騒乱時に警察によっ
て逮捕された4000名のうち、およそ4分の1が今だに行方不明という。その他の人
々は釈放されたか、正式に逮捕されている。

オリンピックの聖火リレーは今度の土曜日にチベットの首都ラサを通過するとみ
られている。アムネスティのアジア太平洋支部局長サム・ザリフィ氏は、このイ
ベントは行方不明の人々や収監されている人々への注目を集めるだろう、と述べ
ている。

「チベットから外に出てくる情報はきわめて少ない。だが私達の手元に寄せられ
ている情報によると、恣意的な逮捕や拘束者への虐待など、悲惨な実態が伺われ
る」と、ザリフィは言う。「聖火リレーがチベット域内に入ろうとしている今こ
そ、チベットでのこうした実情に光を当てる機会となるべきだ


ラサの僧侶達は3月、中国の支配に対してデモを行った。抗議の波はチベット中に
広がり、抗議者達が警察と衝突する機会が増えるにつれて、暴力を伴うものとな
った。中国当局は治安を名目とした弾圧で対応し、外国人旅行者やほとんどの国
際メディアがチベットの各地域へ入ることを禁止している。

アムネスティ・インターナショナルによると、警察や治安部隊は人々と外の世界
との連絡を絶つため、チベットの僧院や尼僧院、個人の家から携帯電話やコンピ
ュータを没収しているという。

中国は数世紀もの間、チベットを支配してきた、と主張している。だが多くのチ
ベット人は、自分達の母国は中国の言う数世紀の間も、実質的に独立していた、と語っている。

(以上)

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上の記事も実はAPがアムネスティに質問して出来上がった記事のようでもある。
流石フランスのAPだけあって人権は頑張ってるみたいですね。
報道といえば、BBCが「オリンピック開催中にもしもカメラに何らかの抗議活動が捕らえられた場合には、必ず発表する」と言明しています。
最近通信社は自前の送信機を中国内に持ち込んでもよいことになったそうです。
もっともその代り取材人数を厳しく制限して一人一人監視できることが基本だそうです。
BBC頑張ってくれ!
誰か開会式のチケットを持ってる人も、頑張ってね!?。


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ネパールの主なチベット活動家、および亡命政府責任者たちが逮捕された

先ほどphayul.comに入った情報によれば、

本日午前8時ごろカトマンドゥの亡命チベット人一時収容所所長ケルサン・チュング、チベット女性連盟会長ガワン・サンモ及び同会副会長タシ・ドルマの三名が自宅より逮捕された。
当局はチベット青年会議地区長のダクパ・テンジン及びネパールダライラマ代表部代表ティンレイ・ガンツォをも逮捕するためそれぞれの自宅に現れたが、二人はその時自宅におらず未だ逮捕を免れているという。

自宅に私服警官が現れ逮捕状を示したという。
逮捕の理由は「3月からの連続的デモによりネパールと中国の友好関係を非常に傷つけた」からだという。
彼らは3か月間拘留されるという。

チベット人たちは今日もボスたちの逮捕にも関わらず中国大使館前での抗議デモを計画しているという。


ネパールはまだまだ民主国家にはほど遠いようです。
それだけ中国の圧力が強いということか。
それにしても、一時収容所の所長も逮捕するとは一体どういうことか!?





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