カム

2010年12月23日

ビデオ・ラサを目指しリヤカーを引きながら進むカムの巡礼者たちの群れ

ラサに向かうカムの巡礼者たち一作日ツイッター上でチベット人が教えてくれた映像に心打たれた。
しかし、中国語を理解しない私には何を言ってるのかが解らない。
そこで@uralungtaさんにちょっとだけでいいから訳して見て、と頼んだ。
まさか、67もあるコメントまで全部訳して下さるとは思ってもいなかった。
映像に対する中国人のコメントを読むとまた、いろいろ考えさせられる。

以下、その訳をうらるんたさんのブログから転載させて頂く。
うらるんたさん、翻訳本当にありがとう!
ご苦労様でした!

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投稿ビデオ「衝撃! 五体投地を激写!」
http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2010/12/20101221.html

 (今回もツイッター関連。すみません)
 チベット人がチベット語で「心動かされる映像。彼らはカムからラサへ歩いて巡礼に行く信仰心の篤い人たちなのだ」とツイート(していたのを@tonbaniさんが「必見!列をなし、ラサを目指してリヤカーを引きながら進むカムの巡礼者たち。五体投地の人も。リヤカーの中の子どもたちが可愛い!なんだか泣ける」と引用リツイート)していた映像です。
 中国版YouTube「優酷」(YouCool、とでもいうニュアンスでしょうか)への、漢人辺境旅行好きビデオマニア(たぶん)の素人レポート。「拍客」(アマチュアビデオレポーター)のレポートもさることながら、コメント欄も盛り上がっていて、「どんなことが書いてあるのか訳して」といわれたので粗訳してみました。

 元映像はこちら
【拍客】震撼!实拍最虔诚的朝拜者“五体投地”(【投稿レポート】衝撃! 最も敬虔な巡礼者の「五体投地」 ホンモノを激写)。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjMwNzEwMTQw.html

レポーター「私の前方には、巡礼でラサに向かう隊列がいます! リタンからの人たちです」
(タシデレ~、と声がかかる。※「タシデレ」は本土チベットでは、身内相手には使わないヨソ者向けの挨拶言葉。ビデオ撮影者は一見して旅行者とわかる格好やそぶりをしているんだと思う)
レポーター「(巡礼者に)タシデレー」「彼らは既に2ヶ月以上歩いています」(ワンボックスカーがクラクションを鳴らし通り過ぎる)
レポーター「隊列の長さはだいたい200メートル以上あります」(はあ、はあと荒い息)「だいたい2~3人で1台の荷車を引いています」「これが信仰の力です」「2カ月以上、野外炊飯で野宿です」「すべてラサに巡礼するためです」(巡礼者から「ラサに行くよ、ラサラサ」「タシデレ」と声が掛かる)「ハハハ、タシデレ」(「ホーイ」と手を挙げ応える巡礼者)
レポーター「彼らは子どもも連れて行きます」
レポーター(子どもを連れて行くのは)「天への畏敬、神への信仰を子どもたちに培うためです」(荷車の荷台に座る女児もを写す)
カムの巡礼者たちレポーター「お嬢ちゃん、年はいくつ?」(女児、手を振ってにこにこ。荷車を引く父親が代わりに答える)「9歳だよ、もう大きいよ」
レポート「9歳か、学校は行かないのか」
父親「ああ、自習してる」
レポーター「そうか、休学申請*はしたのか」(*「請暇」という単語を使っている)
父親「今年は行ってない」(※学校に行ってない、という意味で、「請暇」は通じてない)
レポーター「そうか、ラサに行ったら何をして過ごすんだ?」
父親「行ったら頭を地面にうちつける」
レポーター「え? ああ、つまり『礼拝する』んだな」
父親「そうだ、『礼拝』する」
レポーター「ラサにはどのくらい滞在する予定?」
父親「あ?」
レポーター「ラサでどれくらい過ごす予定? そうか、3日か。予想ではラサにはあとどれくらいで着く予定?」
父親「いまはー……あー、10日ちょっとだろう、多くても」
レポーター「十数日か、そうか」
父親「そうだ、十数日だ」
レポーター「既に70日くらい歩いてるんだな、リタンから出発して」
父親「おーや(そうだ)」
レポーター「あ~」(荷車の小さな子どもが手を振って「タシデレェ」)「タシデレ」(おっさんが「ニーハオ」)(激しく車のクラクション)
レポーター「歩き続けて2カ月あまり、あと10日ほどでラサに着きます。前方にはまだ標高5020メートルの『ミーヤー峠』を越えなくてはなりません」「ようやく到着してたった3日間の礼拝」(「タシデレ」と声が掛かる)「タシデレ」(後方から巡礼の隊列の荷物を映す。巡礼者の歌声がマイクに入る)(でかい音で中国語の歌がかぶさる。五体投地の老女)
老女「リタン」
レポーター「じゃあ2カ月ちょっと歩いてきたのか」
老女「3カ月ちょっと」
レポーター「3カ月以上歩いているのか、もう」
レポーター「彼らは3カ月以上も旅の途上に身を置いている」
(場面変わり、ラサ)(ポタラ宮の前)
レポーター「私は今、ポタラ宮の前にいます」(舗装された道路の端でチベット人が五体投地を繰り返している)
レポーター「私の前には聖地に礼拝し祝福を求める人たちがいます」「彼らはまず時計回りにポタラ宮の周囲を回るのです」(五体投地する人)(終わり)

 以下、映像に寄せられたコメント。

1. 神聖だ!

2. イイネ! イイネ! イイネ!

3. まったく五体投地には感心するよ!

4. イイネ! イイネ! イイネ! イイネ!

5. イイネ! イイネ! イイネ! イイネ!

6. イイネ! イイネ! イイネ!

7. ひどい盲信だ。彼らは一生で3回しか風呂に入らない。これだけは尊敬できる 

8. なむあみだぶつ!南無観世音菩薩! 

9. 功徳を積む喜びを。南無阿弥陀仏! 

10. タシデレ 

11. タシデレ 

12. タシデレ、ナンマイダ 

13. 信仰は信仰に帰すよ でも風呂には入るべきだろうな 

14. イイネ! タシデレ 

15. 信仰心の大きさ 

16. あまりに忠誠を尽くしてる。信仰心の深さは人を感動させるね 

17. (涙にむせぶ絵文字) 

18. 誰が撮影したかしらないけど、息も絶え絶えだね! たぶん標高がだいぶ高いんだろうね!

19. >>18
……私は車に乗りながら撮影したんだ……

20. こんな一生を送ったら、人類の発展には何一つ貢献しないね 

21. >>20
くだらないことを。中国に貢献しなくても、ほかにすべきことはあるだろ。撮影者に感謝するよ。(イイネ!) 

22. 中国全土でも最も純粋無垢な地域だろうな、、 

23. ここの人たちはなんて素朴なんだろう。 

24. 無知蒙昧 

25. 神や悪魔を信じない私でも、これほど純朴な人たちの姿には本当に感動させられたよ(胸をドキドキさせている絵文字) 

26. 大学院まで勉強したけど、私はなぜだか神や悪魔はいると思えるな。神や悪魔のいる世界もある、と感じてしまう。ハハ、私も無知蒙昧なんだろうな。 

27. >>21
すぐ一つ前のコメントを止めてくれてるけど、あなたのコメントが本当に世の中に必要なことかね! まったく、あなたみたいに物の道理が分からない人がいるから中国からは各種の差別がなくならないんだ! 

28. >>21
あんたの存在こそ中国に何の貢献もしてないんだよ! 

29. 個人的には……一つの国家の人民はやはり、多少の信仰に基づくモラルと道徳規範と礼儀を持ち合わせるべきだと思う。貪欲さは報いを受けると信じてる。善行を積むべきだよ!! 

30. (冷や汗を流してる絵文字)でも、彼らの偉大な活 仏 ダ ライ は亡命し 第二位の活 仏 パン チェン の生まれ変わりは 彼らチベット人の多くには受け入れられていない
※検閲削除を避けるため文字と文字の間に空白がはいっている

31. 信仰は人類の発展になんら貢献せず、彼らは無知蒙昧だって書いてる人がいるけど 聞きたいんだが 貢献していないのは誰? 蒙昧なのは誰? あなたがたは既に知ってるでしょ 永遠に変わらないものなんてありえない 人類に信仰心がなかったら とっくに滅亡していたでしょう かわいそうな人たち 

32. チベットは神秘的な場所だ。第二次世界大戦ではヒットラーも目をつけて、部隊を派遣して研究していた。中国が解放してからは国家分裂問題を起こして世界中の注目を集めている。 

33. >>13
水がないんだよ 

34. どんなにつらくても、彼らには喜びがある。それが満ち足りているってことだ! 

35. 私には彼らが騙されているようにしか思えない。あんなに険しい道を、疲れるでしょ? もし本当に神が存在するなら、あんな様子を見れば心を痛めるはずでしょ? ひざまずいて祈りを捧げる人たちを守ることができるはずじゃない。本当の神様なら、あんなふうに1人1人巡礼して拝ませるようなことを求めないで、人間らしい自分の生活を大切にしろって、、 

36. >>26
世界には何でも起こりえるし、疑ってかかることも必要。ただし最も大切なのは自分の生活をよりよく過ごすことで、自分の生活が過ごしやすくなかったら、信仰なんて誰にも必要とされない。 

37. >>29
この映像の人たちは私には貪欲に思えるけど。だって2カ月も歩いて、たぶん1年分の蓄えも使い果たして、子どものことも考えないで。 

38. >>37
彼らの子どもたちはそんなこと気にしてないと思うけどな。だって両親と同じ信仰を持ってるんだし…… 

39. 珍しいの? 

40. ナムアミダブツ! 

41. 精神の支えだ。(イイネ! イイネ! イイネ!) 

42. 見聞が狭くなんでも珍しがる奴の典型だな。あんたが見たことのないものなんて世の中にあふれてるんだよ! 何が「衝撃!」だ。こんなのが衝撃だったらあんた衝撃で死ねるよ。 

43. 信仰があるというのは一つの幸福だと思う 

44. チベット人同胞はほんとに素朴で、見ず知らずのカメラマンにも「タシデレ」と挨拶してくれてる あの山のように心の広い人たち 彼らに限りない祝福がありますように 

45. 現代社会のせわしなさ、落ち着かなさの原因は信仰心の欠如だと思う もし小中学生の教科書に仏教学か道徳を加えれば、納税者の税金を使って公共利益を喧伝する必要はなくなると思う 現代社会の変化は早い 指導者らの私利私欲がもたらしたものだ 

46. 私は、信仰心があるのは良いことだと思う。ただし、少なくとも、人に良いことを勧め、よく勉強する習慣を教える必要はあるだろう。こんな風に、学校に通わず、働くこともせず(直訳:畑を耕しもせず)に半年もほっつき歩かせるようでは(もちろん彼らはほかの人たちより信仰熱心なんだろうけど)、邪教と変わりないんじゃないかと思う。 

47. 人間に本当に必要なものは信仰心だ。信仰心を持たない人間は生ける屍のようなものだ。 

48. 格好を見ると徒歩でラサ巡礼をしているんだろうな。私は今年9月に川蔵線(四川―チベット路線)をドライブした。頭を打ちつけてる(※五体投地してる)人がたくさんたくさん。 

49. 信仰心があるのはいいね 

50. 見た感じ、彼らは本当にいいね。オレ達のいわゆる「裕福な」場所なんて、モラルのかけらもないし、信仰心もないから物欲が横行してひどいもんだよ 

51.見たところオレ達のほうがまさに野獣だな 

52. 吉祥如意 

53. 信仰心のある人と金を持っているだけの人を一緒にすると、まさに違いを見抜くことができるよ。西洋人は幼いころからキリスト教の教育を受けている。道理で西側諸国は文明国家ともいえるわけだよ。 

54. 信仰心の大きさ。彼らを尊敬する。 

55. 宗教を信じるかどうかは別にしても、人間は何か信じるものは必要だ。そうでなければ、生きることに何の意味があるのか? 

56. 風呂? ハハハ……、清潔か不潔かでいえば彼らはあんたたちに比べるまでもないけど、彼らの心根、魂は…あんたらの百倍澄んでるよ…… 

57. >>46
あんたに何が分かる? あてずっぽうでいいかげんなことを言うなよ。誰が「学校に通わせず、畑も耕さない」なんて言った? 毎年こんなことをしてると思ってるのか? 彼らは何年ごしに待ち焦がれてようやく巡礼できるんだ。。 

58. >>35
あんたは誤解してる。五体投地は神に庇護を求めるものじゃない。それはあんたらの浅はかな考え方だ。五体投地は自分の信仰心そのものを神に示すもの。彼らが数百元の交通費くらい持ってないわけないだろ。それをなんで徒歩で巡礼するか考えろ。信仰の厚さを示すためだろ。一生に一度、聖地を訪ねて参拝するのは、信仰が育んできた小さな小さな望みなんだ。70日間もかけて歩きとおし、ようやく長年の願いがかなう。あなたが想像するほど、人類が自分で自分を食べさせていくのは難しいことじゃない。信仰があれば、人の心に巣くう悪魔は抑えられるんだ。。。 

59. >>28
あんたこそ、信仰を持たない悪魔だ。「あんたの存在こそ中国に何の貢献もしてないよ」というのは正しい。あんたらは機会をうかがって、あんたのような人たちが機会さえあれば世界を混乱に陥れようとしてるんだ。

60. >>20
あんたのように信仰のないヤツは人類に損害を与えるだけの存在だ。生きていたって、土の中に埋められたゴミのようなものでしかない。

61. >>7
あんたこそ無知だからそんなことを信じるしかないんだよ

62. >>37
あんた自身のことをちゃんとやれよ

63. >>46
学校に行かせない? 働かない? ハ、こんな巡礼の動画を一つ見ただけで、どこからそんな情報が分かるのか、感心するね。それに、邪教と同じようなものだって? あんたが何を分かってるんだ? 仏教が人に勉強をさせないだって? 仏教が人を働かせないだって? あんたのコメントを読んだ奴からそれだけ笑われてよく平気だな。よくもまあ、それだけ意味も理解しないまま、字だけ打ち込むことができるな! 半分水が入ってチャプチャプいってるだけの脳みそで、よくも訳の分からない論評ができるもんだ。ヒマでヒマで罵る相手を探してるだけなんだろ、違うか?

64. >>63
レス先を間違えた。63のレスは47が返信している相手へのレス

65. >>46
信仰心がないってかわいそうだね!

66. >>65
あんたこそ、どうして彼らが学校をサボらせてないって分かる? どうやってちゃんと働いているって知ったんだ? いいかげんにしろよ!

67. >>66
レス番違い 46が返信してる相手に言いたかった ごめん 許して







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2010年07月12日

カム地方タウでダライ・ラマ法王の誕生日を祝う集会が開かれた

2006年 リタンの競馬祭写真左:2006年、リタンで行われた競馬祭(RFA)

7月9日付、RFAチベット語版:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetans-in-kham-region-celebrated-the-birthday-of-the-dalai-lama-07102010022308.html

ダライ・ラマ法王の誕生日、カム、(カンゼチベット族自治州)タウ(རྟའུ་རྫོང )地区のチベット人僧侶、俗人は集まり、祝典を行なった。

タウの仏塔 H=30m写真左:集会が行われたタウのナムギャル仏塔。高さ30m(旅行人ノートより)。

今月6日、中国政府による厳しい監視にも関わらず、カム、タウ地区ダルギェリン僧院(དར་རྒྱས་གླིང་དགོན་པ)の僧侶400人を中心に、当僧院にチベット人1000人余りが集まった。
そして、僧院から、見るだけで解放されるとされるダライ・ラマ法王の写真を掲げ、2キロほど離れたナムギェル仏塔のお堂まで運び、お堂の玉座の上にその写真を飾った。
その上で集まった僧俗チベット人は全員でマンダラ供養(三回)等の仏教儀式を行なった。

その後、歌、踊りの供宴や伝統的馬術競技も行なわれ、その日一日、盛大にダライ・ラマ法王75歳の誕生日を祝ったという。

これらの情報はインドに亡命している同地区出身のゲシェ・ツェワン・チュダックが現地と連絡を取り伝えたものだ。

ダライ・ラマ法王の写真を掲げ仏塔に向かう途中、一行は地区政府庁舎の前を通った。
しかし、当局は全くこれに反応せず、止めることもなかったという。
チベット人が大勢集まっており、これを阻止しようとすれば、大きな騒動に発展すると危惧し、当局が行動を控えたと見られている。

この日、一日中地区のチベット人たちは誕生日の儀式とその後の宴会を楽しみ、ビデオやカメラの撮影会も行なわれていたという。






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2010年05月20日

カム、ジョンダ 中国公安 ワラ僧院僧侶6人逮捕

5470de3a.jpg5月19日付TCHRD(チベット人権民主センター)プレスリリース:

http://www.tchrd.org/press/2010/pr201005019.html

当センターに寄せられた確認情報によれば、
5月15日、チベット自治区チャムド地区、ジョムダ(江達)県タンプにある名刹ワラ僧院の僧侶4人が、2008年春、県庁舎の前で行なわれた抗議デモを先導したとして逮捕された。
次の日、16日には「愛国再教育キャンペーン」の下で僧侶たちを「教育」することに失敗したとして、2人の政府指名監督僧が逮捕された。

逮捕は15,16日の早朝、大勢の公安職員が各僧坊を襲うという仕方で行なわれた。

15日にはティンレイ(25)とナンセ(27)がそれぞれの僧坊で逮捕された。
スゴン(26)は公安が僧院に来たことを全員に知らせるために、警告の鐘を鳴らしたとして逮捕された。
ケルサン・ギュメ(29)は僧院内では逮捕されず、後に自宅で逮捕された。
4人の僧侶は何れも、ワラ僧院の経営するワラ仏教哲学学堂の生徒である。4人は現在ジョンダ公安拘置所に拘留されている。

16日早朝、再び公安が現れ、2人の指導的僧侶ソナム・ゴンポ・スゴン(40)とトプギェル(29)を逮捕した。
2人は2008年4月に始まった「愛国再教育キャンペーン」により十分僧侶たちを「教育」しなかったとして逮捕されたと思われている。
2人の行方は未だ知られていない。

2008年4月3日、当僧院に来た再教育キャンペーン「実行隊」に対し、僧侶たちは「命に掛けても決して我々の根本のラマであられるダライ・ラマ法王を非難することなどしない」と宣言し、対峙した。
また、この僧院の多くの僧侶が2008年中にこの地域で起ったデモの先頭に立っていたという。

以下略

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このジョンダにあるサキャ派・ワラ僧院の創建は1243年、サペン・クンガ・ギェルツェンによる。
自前のチベット大蔵経カンギュルの版木を保有していたことで知られる、と<旅行人ノート>にある。











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カム・セルタ(色達)、二人のチベット人が抗議活動・逮捕

92f59bb4.jpg5月19日付、Phayul.com:

http://phayul.com/news/article.aspx?id=27332&article=2+Tibetans+arrested+in+Sertha+for+protest

セルタ出身者セルタ・チュリン氏(在ダラムサラ)によれば、先の日曜日(5月16日)の夜、2人のチベット人がセルタ県の警察当局により逮捕された。

セルタ・ケコル村出身のカルデンとソナム・トプデンは、チベットの人権とチベット人の指導者ダライ・ラマ法王の帰還を求める抗議デモを行ない、逮捕された。
2人は中国政府への要求を記したビラを壁に張り出したり、路上で宙に放り上げたりしたという。

彼らは現在セルタ拘置所に拘留されている。
家族や親せきの者たちが面会を求めたが、当局はこれを拒否している。

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「ビラ」と言えば
最近ラサの当局は、コピー屋が依頼主のコピーをする前には、必ず依頼主の住所、氏名を当局が後で調査できるような形で残さなければならない、という条例を用意しているという。
http://www.etaiwannews.com/etn/news_content.php?id=1260930&lang=eng_news

これは、明らかに、チベット人人権擁護活動取り締まりの一環としての政策だ。

中国は他にも最近、サイトやブログの開設を政府の登録・許可制とすることや、さらにブログへの書き込みも「実名」で行なわなければならない、というお達しを出したという。
どこまで、本気に実施、チェックされている(される)のかは明らかでないが、ここまでやるかの言論弾圧だ。









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2010年03月14日

厳戒態勢の中、カム、カンゼで尼僧と若者が叫ぶ

tibet kham3月13日付RFA(自由アジア放送)
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-police-arrested-2-tibetan-in-kham-region-03132010150045.html

<チベットのカムで二人のチベット人が中国政府に抗議>

チベットのカム、カンゼ市内で一人の尼僧と一人の若者が「チベット独立」の声を上げた。

3月10日、中国政府はチベットの首都ラサをはじめ、各地に厳戒態勢を引いた。
特にカム、カンゼの市内には警官隊や保安部隊が溢れ、声を上げたり、デモをしようとするチベット人を厳重に見張っていた。
そのような状況にも関わらず、市内で尼僧一人と若者一人が「チベット独立!」、「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫びを上げた。
二人は直ちにその場で警官隊に取り押さえられた。

その他、カンゼのある学校では「チベットの自由」を訴える張り紙が見つかったという。

これらの情報はRFAのカム語放送担当ノルブ・ダドゥルの元にチベットから電話で伝えられたものである。

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2009年08月22日

逮捕された夫の釈放を求め子供5人と共に警察署の前で妻が決死の座り込み

中国の武装警官隊の銃8月21日付RFAによれば、

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/wife-and-children-of-jailed-tibetan-protest-being-held-in-front-of-kham-jodha-police-station-08212009221543.html


本日(21日)カム、ジョダ県警察署前で現在逮捕拘束されている、夫のゴンポ・ダルゲの解放を要求し、妻ポヤが自身の子供たちを連れ座り込みに入った。

8月12日付亡命政府リリースによれば、ジョダ県で起きた抗議デモに関連し、ゲルツェン家のジャンパとプルック及びムツァ家のツェテンは8月4日チャムドに護送され、二年の刑を言い渡された。

さらに、ジョダでのデモを先導したとして、アシャ家のノルラとゴンポ・ダルゲの二人は依然ジョダの拘置所に捕らえられたままだという。

21日ゴンポ・ダルゲの妻ポヤは5人の子供全員を連れ、ジョダ警察署の前で夫の解放を要求する座り込みに入った。
彼女は「もしも夫を解放しないなら、この場で自殺する」と広言しているという。








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2009年08月08日

ツェワン・ドゥンドゥップ氏の逃避行 その一

ツェワン・ドゥンドゥップ氏昨年3月にデモの最中二発の銃弾を受けたまま、14か月、5000m近い高山に逃れ、奇跡の越境を果たした一人のカンパ、ツェワン・ドゥンドゥップ氏の話はすでに先のブログでもお知らせしました。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-05.html#20090530

最近パユルに新たなインタビュー記事が載っていましたが、私も数日前ネレンカンに彼を訪ね、話を聞きました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25239&article=The+Will+to+Survive%3a+One+Man's+Harrowing+Escape+from+Tibet&t=1&c=1

パユルの記事も参照しながら、彼の壮絶で、稀有な話を再び少し詳しくお伝えします。

彼は5月終わりに到着早々の記者会見で見かけたときよりは表情も緩み、身体も少し丸みを帯び、落ち着いた様子でした。
終始笑みを絶やさず、やさしそうな人柄を現わしていましたが、山中での苦境やチベットの状況を話す時には厳しい顔になるのでした。

ツェワンはカム、カンゼ県ダンゴ地区の田舎の農家に生まれた。
学校には一度も行ったことがないが、商才はあったのかラサで衣料店と食堂を経営するまでになっていた。
2008年3月、彼は故郷で家族とともに正月を迎えようとカムに帰っていた。
ラサで起こった蜂起の知らせはカムの田舎にまで電撃的に伝わった。

「時は今だと感じた。チベット人はもうこんな状況の下に暮らすことはできない。何か行動を起こすべきだ。命を失うかも知れないことは判っていた。しかし、少なくともその死には意味があると思った。人々は語り合った。チベットの状況は苦しみに耐える病人のようなものだ。回復の望みがないなら早く死んだほうがましだ、と」

しかし、彼は一般の中国人に対しては全く敵対心を抱いていないという。
「ある中国人は、国に帰っていくら頑張って働いても食うこともままならない、と言ってる。彼らはチベットに来てなんとか生きようとしているのだ。これは俺にも理解できる」

だが、これが中国当局に対してとなると態度は全く異なる。
ツェワンのおじいさんは71歳の時ダライ・ラマ法王の写真を保持していたとして8か月間
監獄に入れられたという。
彼はこのような中国のやり方が2008年の抵抗運動を引き起こしたのだ、という。
「デモに参加する者はだれでもその危険を知っていた。しかし、俺達は沈みゆく船に乗っているようなものだった。何れ船と共に沈んでしまうのだ。それならいっそ海に飛び込んだ方がましだと思った」

「家族と共に見つからないようにして見たヴォイス・オブ・アメリカ放送を通じて法王の非暴力の教えを聞いた。2008年チベット中で起きた衝突においても中国人の犠牲者が非常に少なかったのはこの法王の教えのせいだ」

「法王は俺達にとって太陽のようなものだ。中国がいくらひどい仕打ちをしても、俺達は法王のお言葉に逆らうことはできないのだ。それはチベット人に勇気がなくて、中国の暴力に反撃できないのではない。実際デモを行うということは危険で勇気のいることだ」

彼は同じくヴォイス・オブ・アメリカ放送によって法王の独立ではない「中道路線」を知ったという。
「正直に言えば、俺は独立を望む。しかし、チベット人はどんなことであろう法王のおっしゃることに従うことが大事と思う」

ツェワン・ドゥンドゥップ氏22008年3月24日、ツェワンは山の上の方で、ツォリ僧院に水を引くためのパイプを通す作業を他の100人ほどのボランティアと一緒にしていた。
午後4時頃、下手にあるテホールの町の方から人々が叫んでいるらしい、騒ぎが起こったような音が聞こえてきた。
ツェワンはそのころデモがこのあたりで起こることをひそかに待ちわびていた。
彼はその音がそれだと知った。
下手に目を凝らせば、赤い僧衣の集団が動くのが見えた。
声は女の声が多い、近くのナンゴン尼僧院の尼僧たちだと思えた。
しばらくして、銃声が谷にこだました。

お互い、言葉を交わすこともなく全員シャベルを放り出し、バイクが停めてあった下の僧院目がけて走り降りた。バイクに乗ったり、バイクのないものは走って、全員がデモの起こった町の方へ全速力で向かった。
「チベット人は誰でも僧侶や尼僧に特別の敬意を持っている。銃声を聞いた時、全員が彼らを守るために駆けつけねばと感じた。俺は行けば、残りの一生を監獄で過ごすか、あるいはその場で撃ち殺されるかもしれないと知っていた。でもその時躊躇する気持ちは全くなかった」




















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2009年07月01日

デルゲ、ジョダ地区で村人と当局が衝突、発砲、拘束、拷問

カム、デルゲ、トゥルパ・ラカン左の写真は昨日のパユルに載っていたものです。
カム、デルゲの近くの谷の奥にある古い寺とそのあたりの住民です。
この寺はあまりに人里離れた奥地にあったので文革時の破壊を奇跡的に免れたそうです。
その形体もユニークですが、中には270年前の素晴らしい壁画が残されているそうです。詳しくは以下の英文へ
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25028&article=TIBET%3a+Journey+of+discovery

しかし、その辺りはランタンのように平和では、全くないようです。





カム、デルゲ、ツサロンの人々<カム、デルゲ県ジョダ地区にて住民と軍隊が衝突、発砲、拘束、拷問>

6月30日RFAによれば:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/high-security-in-derge-06302009223352.html

ジョダ地区ペマ村とネド村のゴンパであるタクルン・ゴンパにはこの一か月僧侶が一人もいない状態が続いていた。
これに対し当局は村の責任者たちに早くゴンパに僧侶を返すようにと、何度も要求していたが、誰も言い付けに従う者はいなかった。

6月27日土曜日、警察は村役場の職員ギュルメ・ゴンポ氏とギェルツァン・ドルジェ氏を逮捕しキャプチェ・ゴンパに連れ去ろうとした。
その行く手を20人ほどのチベット人が阻止した。

保安部隊とチベット人は乱闘となった。
チベット人は中国の部隊に殴りかかり、警官隊は催涙弾と実弾を見境なく発砲し、多くのチベット人が銃弾で負傷したという。
現在チベット人たちは逮捕されネド村にあるキャプチェ・ゴンパで拘束されている。

情報によれば、彼らは手のひら、足の甲に釘を打ち込まれるなどの拷問を受けているという。
そのうち47歳のノルラ氏と43歳のゴンポ・ダルゲ氏の二人は中心人物と見なされジョダに送られた。

彼らが逮捕されたことを知った近隣の村人たちは、彼らを解放せよと叫びながらキャプチェ・ゴンパに押し掛けたが、ゴンパからは軍隊が銃を発砲し近づけない。
しかし、村人たちは今日(6月30日)ジョダ地区の役所にこぞって陳情に押し掛けることになっているという。

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最初にどうしてこのゴンパに僧侶がいなくなっていたのかの理由がこの記事には書かれていないので不明ですが、、、
それにしても、中国はゴンパに僧侶が多すぎると言って追いだしたり、また逆にゴンパに誰も僧侶がいないからと言って誰かにその責任を取らせたり、、、
と良く解らない行動を取るようです。

ちょっかい出さなければ何も問題はないことばかりです。

すぐに発砲するのがこの辺のやり方のようです。
それにしても、手足の甲に釘を打ち込むというのは本当でしょうか?

これ以上犠牲者がでないことを祈ります。








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2009年04月21日

弾圧と抵抗は続く

e133ebc8.jpg写真は囚われの木版師パルジョル・ノルブ氏81歳

4月19日付、亡命政府チベット語プレス・リリースより、

最近新しく本土より伝えられてきた、カム抵抗運動のニュースをまとめて報告します。

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<カンゼ、バタンで一軒ごとの家宅捜査>


http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/190409.html
現地からの情報によれば、4月14日、カンゼ・チベット族自治州バタン(リタンの西200km)地区ポグルシ町ガンル村に約70人の中国軍と治安部隊が押しかけ、3月初めに起った警察署での爆弾事件の捜査という名目で一件ずつ家宅捜査を始めた。
少なくてとも10人逮捕するまで続けるとのこと。(ノルマでしょうか?)

この爆弾事件は、今年3月初めにポグルシ町の警察署で何者かが爆弾を爆発させたというものだ。
その事件が起きた時間帯にその付近で「中国人はチベットから出て行け」「チベットはチベット人のものだ」とチベット語と中国語で書かれた張り紙が見つかっているという。
事件の後、公安はこれに関連し4人のチベット人を逮捕したが、彼らはその後逃亡した。

中国当局の弾圧は村の農業に深刻なダメージを与えている。
当局は村の若者を一人ずつピックアップして連行する。
それを恐れて多くの若者が村から逃げ去った。
労働力もなく耕作地は今年の作付が行われず、未だ荒れたままだという。
(積極的耕作拒否をしてもしなくてもいずれ耕作不能なのです)

現地からの情報によれば、爆発による負傷者は出ていないという。
と言うことは、中国当局がチベット人弾圧の口実にするためにでっち上げたとも考えられる。


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<チャムド地区の僧院で僧院長その他僧侶が逮捕される>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/210409.html
4月1日チベット自治区チャムド県 ジョンダにあるデンマ・チュコル僧院の僧院長と一人の僧侶が逮捕された。

この逮捕は今年1月にこの僧院で行われた、中国政府に対する抗議に関連するものだという。

抗議の後、僧院長初め多くの僧侶は逮捕を恐れて僧院を離れていた。

チャムドにある公安本部はジェクンドから15人の警官を僧院長逮捕のために派遣した。

同じ日に山で瞑想のために籠っていた、当僧院の元監督僧ソナム・ゲレック師と僧ツェテン・ソナムも逮捕されたという。

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<カンゼの僧院に武装警官隊が押し入り僧侶を逮捕>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/220409.html

4月1日前後、カンゼのチツァン僧院に武装警官隊が押し入り40歳の僧侶を逮捕した。

僧侶はガワン・トゥトップの息子ソナム・ニマと判明した。
彼は僧院の日常必需品を買い出しに行く係りであった。

彼の甥で同じくチツァン僧院の僧であるツェリン・ギュルメは去年3月カンゼで起こったデモに参加したとして指名手配され、僧院から逃亡したという。

このツェリン・ギュルメの24歳の弟テンジン・ゴドゥップは去年3月20日のカンゼ市内のデモに参加したとして3年の刑を受けている。















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2009年04月20日

カム、ニャロンでデモに軍隊が発砲

1990年前後のラサ C/R 9−10-3写真は90年前後のラサ、C/R 9−10−3

<中国軍がニャロンでデモの群衆に向け発砲、チベット人9人逮捕される>

4月20日付phayul:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24493&article=Chinese+forces+fire+in+Nyagrong%2c+arrest+9+Tibetans
RFAによれば、4月15日、ニャロン(新龍)県にて軍隊と公安がチベット人の群衆に向けて発砲し数人が負傷し、女性一人を含む9人が逮捕されたという。
死人が出たとの情報は今のところない。

亡命議会の議員である、ゲシェ・モンラム・タルチン師がRFAに伝えた情報によれば、地元のチベット人たちは先に逮捕された、3人の住民の解放を求め通りに出て平和的抗議を行った。

タルチン師によれば、この地域では、、現在も様々なチベット人地域で依然行われている、耕作拒否運動も中国の締め付けにも拘らず行われているという。

逮捕されたチベット人はゴンポ・ツェワン、イガ、アロ、ダクペ、ダワ・ダクパ、ゲルシェ、キャルガ、ゴンペ、そしてアダである。

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ニャロンは嘗て東チベット一帯を覇権したのギャリ家の支配地だ。







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2009年01月27日

明日からヒマラヤの中。 チャムドでデモの後拷問死。

ced26bab.JPG以下の文面は昨日書いたものです。
とうとう昨日は電気もネットもだめでした。

ーーー

昨夕、日本からN2氏が到着した。
夜はカトマンドゥ露天風呂!と川魚定食を堪能した。
ダラムサラでは夢にも見てはいけないものばかりです。

今日は朝からナンパラ行きのパーミット、UNHCR(難民高等弁務官事務所),ネレンカン(チベット難民一時収容所)と一周した。

ナンパラ行きのトレッキングパーミットは驚くほど簡単、かつたったの1000ネパール・ルピーだった。これには少し拍子抜け。
申請書にナンパラと書こうかどうか迷ったぐらいでしたが、係官は書面を見ることも無くあっと言う間にパーミットが渡されました。

収容所には20人弱のチベット人が今います。
例年に比べ、非常に少ない人数です。
去年まで、この時期には数百人の難民が収容されていたのです。

ナンパラについては、今年は特にこの峠を越えてくる人は少ないとのこと、判ってはいたことだが、、、行っても無駄足に終わる可能性が強いということです。

ただ、一つ、もしかして、、、の情報を得たので、やっぱり行くことにして、さっそく明後日の早朝のフライトを予約しました。

ドミには子供も7,8人いて、みんな元気にはしゃいでいました。

明日は朝から何も山道具を持ってきてない私は一式買うなり、借りるなりしないといけません。借りれるのは寝袋とジャケットぐらいです。ただ、他の山用品は、質もまあまあのものが非常に安く買えます。
アイゼンとか買ってもしょうがないのですがね。
今、N2氏とアイゼンは必要かどうかで議論中です。チベット人が本当に簡単な靴で越えてくる峠にアイゼン付けて行くべきかどうか!?
私は腰も痛い老人だから、峠までは行けないかなと思ってますが。

ーーー

さっきから電気が来るのを待っているのですが、今日は予定の夜8時になっても来ないもう9時になる、ネットもできないので、、、、
もう一つ別の話を、

昨日の午後と今日のネレンカンと、ガンデン・タシというちょっと有名な元政治犯と一緒でした。彼とは9−10−3の会を援助し始めた10年前からの友人です。
アムネスティーの助けを得て8年?ほど前にもう一人の尼さんと一緒に彼を日本に招き、全国九州から北海道まで20か所以上の町で「拷問証言会」を開催したことがあります。
私も多くの町に通訳として同行しました。
アムネスティー側でその時いっしょに働いてくれていたのが<ばなな猫>さんです。

大体二人を選んだのが自分たちでしたから、特に時に暴れん坊のタシの監督には気を使ったものです。

彼は1988年3月、ガンデン僧院僧侶の先頭に立ってデモを扇動したのだった。
新年モンラム祈祷祭の最後の日、式典に列席していた自治区幹部たちの胸ぐらをつかみ「チベットは独立だよな!!そうみんなに言え!!!」と真っ先に迫ったやつなのです。
それから一気にデモが大きくなっていった。

彼は最初3年の刑だった。しかしダプチ刑務所内で行われた大きな抗議デモの時にまた派手に立ちまわったが故に刑期がさらに9年延期された。
それだけではなく、それから何と17か月間、重い鉄の足枷をはめられたのだ。
24時間17か月はめられっぱなしだった。
足の肉はすり切れ、骨も見えんかというほどにそれはひどい仕打ちだったという。
その後、足枷は外されたが、身体の衰弱は激しく、ついに病院送りとなった。
その頃の車いすに乗って痩せこけた、本当に弱よわしい当時の写真が海外に流れた。
アムネスティーは彼を自由にするために特別のキャンペーンをおこなった。
其の功あって、彼は病院から2年後に解放されたのだ。

その後亡命しダラムサラの9−10−3の会に所属していた、彼は長年、監獄内での拷問の結果、脳に障害が残ったのか激しい頭痛を訴えていた。
それからTCHRCの職員として4年カトマンドゥで亡命してくるチベット人から情報を集める仕事を続けていた。
そして、イギリス女性と知り合いイギリスに渡り、カレッジに4年通い、去年からICT(インターナショナル・キャンペーン・フォア・チベット)に雇われてここで中国からの情報と亡命者からの情報を集める仕事をしている。
今日、お宅にちょっとだけお邪魔した。
2歳になる可愛い男の子がいて大きな家に住んでいた。
人生流転。
チベット人の人生はダイナミックです。

今日はもう電気は来ないようです。

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今日は一日中、山用品を買いあさりました。−30°用の寝袋も一万円です。
後で返せば半額帰るとか、すべて安いです。

明日の朝早くカトマンドゥを発ちルクラに飛びます。
ナムチェで、もしかしたら最後のブログを書くことができるかもしれません。
それにしても、当分このブログは休むしかありません。
残念だな、、、

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pema tsepak
1月20日にカム、チャムドのゾガン地区でデモを行った、3人のチベットの若者の内の一人ペマ・ツェパック、24歳は逮捕された後の暴行によりチャムド病院で死亡した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23683&article=China+beats+Tibetan+youth+to+death

このところまたカム地方で、チベット人の捨て身のデモが頻発しています。

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2009年01月13日

続T.P氏の証言。パルデン・ギャツォ氏へのインタビュー

13,1,09 ネレンカン
今日もネレンカンに寄って見ました。
ドミトリーに入ると、子どもたちが集まって来て、写真を撮ってくれ大会になりました。元気で無邪気な子供たちばかりでした。
逃げて来れてバンザイ!といった雰囲気です。

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昨日話を聞いたツェテン・プンツォック氏に廊下で会ってそのまま、またお部屋にお邪魔して話の続きを聴かせて頂きました。
13,1,09 カンゼ地区指名手配状
左の書状は彼の指名手配状の一つ2008年5月7日付のものだそうです。
総勢35人。
これに先立ってデモの数日後に4人だけのものが張り出されたそうです。
彼は最上段、矢印が付けてある右から4人目です。
最上段左の3人が一緒に18日のデモを先導し、逃走した者。
後の者たちはセタとダンゴのデモを主導した者たちだそうです。

「これらの者どもの居場所を電話等で知らせたものには15万元。現場逮捕に協力したものには25万元の報奨金が与えられる。匿ったものには厳罰が加えられる」と書かれています。

昨日の補足に少し聞きたいことがあったので、質問しました。

「最初は3月6日にデモをしようと計画していたと聞いたが、どうして延期したのか?」

T.P.氏
「6日にはまだデモの間に配るビラが十分用意できなかったのだ。千枚刷った。6日から夜になると、家々の戸口にそっとビラを差し込んで回って。
デモの前にすでに沢山のビラを配った。ルンタ風にして風に吹かせて屋上から撒いたのもある。」

「そこにはどんなことを書いたのか?」

すると、ノートの上にきっちりとしたチベット文字でその時書いたというスローガンを書き始めた。
13,1,09 独立ビラを書くTP氏
(写真はビラを作るTP氏)

「人権を守れ!
チベットに自由を!
ダライ・ラマ法王をチベットにお迎えせよ!
パンチェン・リンポチェを解放せよ!」


と綴った。


「デモの最中貴方は足を撃たれたわけだが、他に銃で撃たれる者を目撃したのか?」

T.P氏
「他に10人以上が撃たれたと聞いている。私は自分のまわりで4人撃たれるのを見た。一人は逃げようとしたとき後ろから撃たれ、脇腹をぬけて弾が壁にあたりはじけるのを見た。
一人は足の腿を撃たれた。
一人は頭を近くから撃たれ即死した。
もう一人は撃たれた後で、口から血を沢山吐き倒れていた。
路上は至る所血だらけだった。

自分たちは石一つも投げていない。
ただ声を上げ自由と正義を訴えただけだ。

中国人はチベット人を全く人と思っていない。
動物と思ってる。
平気で鉄棒で殴り、銃で殺すのだ」

自分はもうチベットには帰れない。
帰ればすぐに殺されるだろう」


と言ってました。

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パルデンさんとリチャード・ギア
次、頼まれていた質問を抱えて、昨日パルデン・ギャツォさんのお部屋にお邪魔しました。

復刊のために奔走して下さったY女史からの質問です。
以下Y女史からのメールとその答えです。

■お願い■■■■■■
> 本を渡すときに、パルデンさんの近況など、手短に聞いていただけませんか?
> 宣伝サイト(www.palden.info)に掲載したいと思います。
>
> ・去年、海外ではどの国にどれくらいの期間滞在して、どういう活動をなさったか
> (おもに映画の宣伝かと思いますが、、、講演会とか、ファンドレイズのパーティとかでしょうか?)


日本に行った後、アメリカに渡って、マサチューセッツからシカゴまで歩いた。
6日間で歩いた。他に15人のチベット人が参加した。
数人のアメリカ人も一緒だった。
初めと終わり、途中でトークやイベントもあった。

それから、ダラムサラに帰り一週間いた。
スペインで進んでいる<チベット・ジェノサイド裁判>のために準備する書類が沢山あったからだ。

その後、再びアメリカに行った。
最初に持病がある肺の具合を病院で見てもらった。

私の映画はオスカー賞を狙っているようで、そのための試写会がまず、NYで6日間、次にロサンゼルスで6日間あった。
大勢の人の前で、何度も話をしたが、反応は非常に良かったと思う。

ダラムサラに帰り。
今度はイタリアに行った。
私が解放されたのは、このイタリアのアムネスティーが中心になって運動してくれたからなのだ。
だから、友人も多くてイタリアにはよく行く。
それから、オランダに試写会のために行った。監督も来ていた。
そのあと、スペインに裁判のために行った。

そして、ガンデン・ナムチェの日にダラムサラに帰って来た。

3月にはイギリス、5月にはノルウエーに行くことが決まっているそうです。

(法王並みの人気ですね!78歳元気一杯)


> ・そのうち、どんな活動が有効だとお感じになったか

どれが有効ということは解らない。大体トークが多いが、全部一緒になってたりするからね。

手段として、常に平和主義と真理を前面に出すべきだ。
暴力的手段では決して戦いに勝つことはでいない。

中国は私に様々な試練を与えたが、私は今もこうして生きていて、自分の考えは全く変えられることなく存在している。
力で人を変えることはできないということだよ。

> ・日本では本が復刊されたが、日本の読者にお願いしたいことがあれば、それもぜひ。

私の本を出版して下さる出版社の方々と復刊のために働きかけて下さった、チベットの友人たちに心より感謝いたします。
日本もチベットと同じように仏教の国です。

この本には何でもない、ただのチベットの一僧侶の半生の話が書かれている。
中国が来て。多くのチベット人が殺されて行った。
私も33年間監獄に繋がれていた。
でも私は今も死ぬこともなくこうして生きている。

仏教徒の僧侶として、中国を恨む気持ちはない。
人に害心を持てば、その果は苦であるからだ。
しかし、自分の信念は一度も曲げなかった。
仏教は勇気を与えてくれる。
日本人もそれで勇気があるのだろう。

日本と言えは、広島に行ったことがある。
私は45年に原爆が広島に落とされたということを、チベットで聞いて知っていた。
その時は何だか、大きな爆弾が日本に落とされて大勢の人々が死んだというので、チベット政府が主催してその犠牲者を追悼するための「モンラム」を大々的に行ったのだよ

自分はそれで覚えていた。

広島に行ってみると、驚いたことにすっかりビルが立ち並んでいる。
草も生えないと聞いていたのにだ、、、
つまり、アメリカが力で日本を負かした訳じゃないのだ、こうしてちゃんと日本は復興してる。
負けなかったのだ、と思ったよ。

そうだ、この前の日本はちょっと忙し過ぎたよ。
今度もう一度行く機会があれば、もっとゆっくり日本を見てみたいと思う。

ーーー

以上















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2009年01月12日

3月18日カンゼ大デモ先導者の証言

b452e927.JPG写真は、去年3月カンゼに集合した軍隊。
話の本人が持っていた。
ーーー
今日、日本から来られたH女史と共に、ネレンカン(難民一時収容所)に寄って見ました。
そこで、偶然が重なり、思わぬ貴重な証言を聞くことができました。

昨日、新しく40人ほどの難民がダラムサラに到着したとのこと。
しかし到着したばかりで事務所の人たちも、どんな人が、どこから、どのようにして来たのかについての情報はまだはっきりしないと言ってました。

仕方ないので、子供たちが絵でも描いていないかなと屋上に行きました。
子どもたちもいませんでした。
H女史にそこに張り出されてる、去年の夏のイベントにも使わせてもらった絵を見せたりしていました。
すると、そこにちょうどアマ・アデさんの部屋から旦那さんが出て来られました。

彼は私の顔を見るなり「おお、ちょうど良いところに来た。昨日一人カンゼから逃げて来た者がいる。彼はデモで足を撃たれたりした。必ず話を聞くといい、、、、でも、今はノルブリンカに行ったな、、、電話もないし、、、

と、ちょうどそこに、その話の本人が現れたのです。帰ってきて部屋の鍵を取りにきたところでした。

さっそく、部屋で話を聞くことになりました。

話始めて、彼のカンゼ訛りがうまく聞き取れず、何度も聴き直したりしました。
「H女史は中国語が解るよ」というと、それではと私は通訳失格・交替ということになりました。
以下、H女史の中国語よりの通訳を私がノートしたことから、報告いたします。

ーーー
<ツェテン・プンツォック氏の証言>

2008年3月18日、カム、カンゼで初めての大規模デモを先導した15人のチベット人の内の一人が脱出に成功し、昨日ダラムサラに到着した

ツェテン・プンツォック氏は40歳の僧侶だ。
その時のデモの様子、デモに至った経緯などについて話を聞くことができた。

ーーー

デモは3月18日午後1時過ぎ、カンゼ市内の大きな交差点で始められた。
同じ村の出身15人がパンフレットを配りながら、スローガンを叫び始めた。

間もなく武装警官隊に囲まれた。しかし、その周りには我々を救おうとチベット人が大勢集まり始め、たちまち数千人の規模になった。
我々は政府庁舎に向かって歩き始め、群衆も警官隊も一緒に移動した。

しかし、政府庁舎を前にした交差点に来た時、四方から新たに攻め寄せてきた大勢の武装警官隊に全員包囲された。
警官隊は鉄の棍棒ですべての人たちを滅多打ちにし始めた。
我々15人も打たれて、逮捕されていった。
私はその時、拳銃で足を撃たれた。

ツェテン・プンツォック氏 12,1,09ダラムサラこれが其の跡だ、、、と言って、傷痕を見せてくれた。
(写真はその時)
2〜3千人はいたがそのうちその場で4〜500人が逮捕されたと思う。
後ろの方で倒れ動けなくなったチベット人を警官がトラックに載せていくのを見た。
15人のうち11人は逮捕された。
後で聞いたがこのうちの一人は8年の刑を受けたという。他の仲間の消息は今も分からないという。

私は何とか逃げることができた4人の内の一人だ。

その日の夜中には、蘭州と成都から大きなヘリコプターが7台、兵隊を乗せて空港に降りたと聞いた。

そして、その数日後、町中に写真付きの指名手配の張り紙が張り出された。
その中に私の顔があった。自分でそれを見たのだ。

それから私は数か月、山に隠れた。傷は少し深かったが病院に行けば捕まるので、家から薬を持ってきてそれで治した。
その後も家や僧院に帰ることもできず、カム、アムドの各地を転々と身を隠しながら逃亡生活を続けた。

ダライ・ラマ法王の御生誕地にも行った。
そこには、家を守るチベット人以外一人のチベット人にも逢わなかった。
その人の話では、3月11日に大勢の軍隊が来て周りは包囲されたという。

その後亡命を決心し、ラサでガイドを雇い国境に向かった。
国境付近で10日間歩いたが脱出に成功した。



「デモを行う前にラサのデモの事は知っていたのか?

3月18日のデモはカンゼで3月初めてのデモだったのか?」の質問に答え:


ラサのデモのことは全く知らなかった。かなり後になって、アメリカのラジオだったかを聞いて知ったのだ。

18日がカンゼでの初めての大きなデモだった。

もちろんカンゼでは1990年ごろから何度も小さなデモはあった。
もう50人位は逮捕されている。自分もカンゼではないが近くのタウの町で1992年に<独立>の張り紙を張ったことがある。
その時、逮捕はされなかった。



「じゃ去年、最後まで続き今年もデモが起こっているカンゼのデモのまさに仕掛け人の一人ということになるね。すごい、良くやった!!!

で、どうしてデモを決行したのか?いつ僧になったのか?」の質問に答え:

私は6人兄弟の末っ子だ。家は農家だ。
小学校に二年ほど通ったが、チベット人が学校で差別されるのが嫌になりやめた。
それから僧院付属の学校に通っていた。
16歳の時カンゼ僧院の僧になった。

1994年頃から中国のチベット人に対するいじめが目立ってきた。
例えば、病院にいってもチベット人は追い返されることが多くなった。

その他、材木を多量に切り出し、近くの美しい山を崩し、穴をあけ金銀やその他の鉱物を掘り出し、中国に運び去る。
益々ひどくなる。
そんなこともあり地元のチベット人たちは中国政府に対し反感を強めていた。

でも、3月にデモしたのは、その前2月から中国は僧院、尼僧院を回りながら、ダライ・ラマ法王を非難する証書にサインするようにと迫ってきた。
銃を押し付けられ脅迫されるのだ。(ここで彼は銃を喉元に突き付けられるマネをした)
でも、誰一人、根本のラマ、ダライ・ラマ法王を裏切る者などいなかった。
みんな死んでもそんなことはできないと答えた。

そんなことが続いたからだ。
だから、デモを決心したのだ。
自分たちから仕掛けたのじゃない。
ダライ・ラマ法王を捨てることを迫られることに耐えられなくなったからだ。

とくに3月10日を意識してたわけでもない。
本当は最初は3月6日に決行する予定だった。


以上

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もしも、そのデモが6日に本当に行われていたら、ラサ蜂起ではなくカンゼ蜂起が去年の発火点となっていたことでしょう。

カム カンゼ 
写真はカンゼ市内。手前左スミに軍隊のトラックが並んでいるのが見える。
正面の雪を被った山に大きな鉱山があるという。







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2009年01月10日

カンゼで再び一人デモ。 08憲章関連

5d9876bd.jpg<カンゼで再び一人デモ>

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23597&article=Tibetan+Man+beaten%2c+arrested+for+Protesting

RFA(ラジオ自由アジア)に寄せられた現地よりの電話によれば、1月5日、カム、カンゼにおいてガワン・ソナム32歳が中国への抗議デモの末逮捕された。

匿名希望の女性からの電話によれば、彼は1月5日正午頃、カンゼ警察本部の前で抗議を行った。

「彼はスローガンを叫びながら、何千枚ものルンタや抗議文を刷った紙切れを空に向かって撒き続けていた」

「警官と公安部隊が彼目がけて麻酔弾を撃った。そのあとさんざん暴行を加え、警察の車に乗せどこかに連れ去った」という。

ガワンはカンゼ、ツォゴ、ホルポ村出身。二人の幼い子供がいる。
2000年にも一度中国に抗議したことで逮捕されている。

彼女は「チベット人はいつでも質問され、チェックされる。政府は益々監視を強めている」
とも話していました。


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以下は08関連記事として「サーチナ」より

<中国の「闘う文学者」―王力雄&ツェリン・ウォセ夫妻 >

2009/01/07(水) 10:28:20
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0107&f=column_0107_004.shtml


年始年末を北京で過ごし、年明けにチベット族の女流作家、ツェリン・ウォセさんとその夫で、政治予言小説『黄禍』などの著書でも知られる王力雄氏と会った。2人とも中国の体制変化を求める「08憲章」にも署名している。

現政権批判ともいえるこの憲章にかかわったことで、彼らの生活が圧迫されていないか、ずっと気になっていた。しかし、久しぶりに対面した2人の表情は明るくひと安心。起草者の1人の著名民主活動家の劉暁波氏は拘束の身だが、大みそかに夫人が面会にいったところ、少しやせてはいたが虐待も受けておらず元気であった、という最新情報ももたらしてくれた。

「彼は国際的有名人だから、当局もかなり遠慮して対応している。一日中、CCTV(中国中央テレビ)だけを見せられ、紙とペンを一切与えられない暮らしは文人として相当苦痛だとは思うけれど」とウォセさん。劉氏については、国際ペンクラブと協力する形で日本ペンクラブ(阿刀田高会長)獄中作家・人権委員会が釈放を求める声明を出すなど世界中が注目している。

へんな言い方だが、有名であるということは中国人作家にとって一つの安全の担保である。中国では表現の自由に制限があるが、国際的知名度が高いと、表現の自由度も多少は拡大するし、拘束されても当局は手加減する。

だから私もウォセさんらのことを多くの日本人に知ってほしい、と思っている。ちょうど、彼女の代表作の『殺劫』が春にも邦訳出版される予定だ。文化大革命時代のチベットの寺院破壊の写真を手がかりに、関係者の詳細なインタビューをふまえて書いたノンフィクション文学作品。文化大革命をチベット語で発音すると偶然にも「レンレイシャージェ」(人類殺劫)という発音となり、そしてチベットにとって文化大革命とはまさしく「人類殺劫」に他ならなかったから、表題となった。

ウォセさんは国民党軍逃亡兵であった漢族の祖父を持つ漢族・チベット族のクオーター。共産党軍人でありながらチベット仏教への信仰を断ち切れないハーフの父の葛藤なども見つめながら成長し、今の中国とチベット問題の語り部としては最もふさわしい人物の一人だと思う。

日本の文学はエンターテインメントの傾向が強く「文学と政治は無関係であるべきだ」という人もいる。しかし中国を含むいくつかの国家では文学は究極の政治であり、ときに闘争の道具。本来、文学とはそういう恐るべき力を持つからこそ、しばしば弾圧の対象になってきた。

2010年秋には東京で国際ペンクラブ世界大会が開催されるが、ホストの日本ペンクラブが中国の獄中作家や独立系作家も招待して、その知名度を上げる一助となればいい。表現の自由確立するための国境を越えた連携をうたうペンクラブの目的に沿うだけでなく、エンタメ化した日本文学が「闘う文学」の強さから良い影響を受ける機会でもあると思う。

(執筆:中国ウォッチャー 三河さつき)


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2009年01月07日

監獄で死んで貰っては困るので、、、

93a07208.jpgチベットの監獄からはいつものように、拷問の末に死を前にした囚人達を家族の下に帰す
監獄で死なれるとまずいので。

VOT(ボイス・オブ・チベット、ラジオ放送局)の伝えるところによると、
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23570&article=China+releases+prisoners+for+fear+of+death+in+custody
中国は最近数名の何れも拘置所、刑務所内での暴行、拷問の結果重体に陥ったチベットの政治犯を解放した。

カム、カンゼのグル・ドルジェ氏は1月1日{正月}、刑期を前に同郷の村人が呼び出され引き取られた。
彼の妻は彼が刑務所にいる間に死亡した。
彼は死を覚悟し、残される二人の子供の面倒を村人が見てくれることを懇願したという。
連絡に依れば、彼はすでに食事をとることができず、非常に衰弱しているという。

12月25日{クリスマス}同じカンゼで21歳の女性リクジン・ラモが重体となって家族の元に帰された。
彼女は3月28日のデモに加わり、その場ですでにひどい暴行を受けていたという。

12月22日にはカンゼのゲツル尼僧院の尼僧二人リンチェンとジャンパ・ドルマが刑期を前に解放された。
しかし二人ともひどく衰弱しているという。
二人は他の二人の尼僧と共に3月22日にデモの末逮捕されている。

解放された話ではなく刑期を受けた話として。
セタのラル尼僧院の尼僧ドルマ・ヤンツェはカンゼで行われた8月10日のデモの最中武装警官隊の銃撃を受け重傷を負っていたが、このほど家族は彼女が二年の刑期を言い渡されたとの通知を受け取った。

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亡命チベット人の生活を大いに助けている、冬のセーター売り。
ダラムサラからも大勢のチベット人達が今年もインド各地の路上マーケットに散って行きました。
そんなマーケーットの一つがまたも火災に襲われました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23561&article=13+Tibetan+Shops+Gutted+in+Andhra+Pradesh

アンドラ・プラデッシュ州のあるマーケーットで13軒の仮設小屋が全焼したそうです。
今年で二件目とのこと。

ウエブでは被災者への募金を募っています。

保険なんてないから。

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昨日「中国は新疆ウイグル地区で1300人の政治犯を逮捕した」とBBCが伝えていました。

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イスラエルは昨日はパレスチナ人が避難所にしていたUNの学校を二校砲撃し少なくとも40人を殺した。

今日までに5台の救急車が銃撃を受けたり、砲撃を受けたという。

この事などちゃんと運転手が証言してたりする。やはり現場にレポーターがいると違うな!と、チベットのことを思い出し、変にうらやましいと思ったりして、、、
不謹慎ですが。(もしも今度大きなことを起こす前にはちゃんとレポーターの用意が必衰と感じました<でも、どうやって!?>)

それにしても、
逃げる場所を与えずまとめて死の恐怖を与える。
それを平気で正当化するのは、どこかガス室の記憶と関係あるのか?

ここのところは中国がよく言うところの、「人権を武器に使うとはけしからん。自分たちが昔、中国や他の国に何やったか覚えていないのか?お前らにそんなこと言う権利はない」というのと似ています。
この場合少なくともやってることは認めてるわけです。

チベット人と中国人はここ1500年間ほとんど人種的に交ることなく別々に暮らしてきた。ユダヤ人とパレスチナ人はもとをただせば2500年前から同じ地域に暮らしていて人種的に区別するのは難しい。その後はユダヤ人ほど混血の激しい人種もないぐらいとくにヨーローッパで混血した。今イスラエルに600万人、アメリカに550万人、全世界に1千4,5百万人いるそうだ。ナチが其の当時ユダヤ人の半分以上600万人を殺戮した。

ユダヤ教はセックスを否定的に見ないので子供はたくさん生まれる。
この事情はパレスチナ人にはもっと顕著で今のガザの40%は10歳以下の子供という。
世界の援助で食いつなぎUNの学校に通う。
今回の空爆、戦争、家族の死の記憶は多くの子供たちの記憶に強烈なものとして長く残るであろう。

イスラエルの子供たちは徹底したカウンセリングにより精神障害はほぼ克服されているというBBCのレポートがさっき流れた。

そこで思い出したことがある、数年まえイスラエル人の精神カウンセラーが訪ねて来て9−10−3のメンバーの拷問後遺症の治療を手伝いたいと言って来た。
聞けばそのノウハウは詳細を極めており、すべて戦争経験に裏打ちされた、実証された治療法だとの説明をうけた。
お互い捕虜を拷問するそうだ。

「残念ながらうち(チベット)ではチベット的・仏教的治療法で間に合ってて、十分効果してるから手伝いはきっと要らないだろう。でも何人かに試してみるのはいいかもしれない」と答えた。

チベット人は兵士を作らず、僧侶ばかりが増えた。
自然に人口はそれほど増えなかった。

憎しみを増産せず、慈悲を説き続けた。

テストステロンを刺激せず、どちらかと言えばエストロゲンを社会に増やすことに努めたと言えようか。

博打と暴力のテストステロン社会、今年はしっかり反省してほしい。



rftibet at 19:24|PermalinkComments(0)TrackBack(0)