カンゼ

2010年11月26日

2年半に渡り拘置所に収監されていた尼僧が骨折と重い健康障害の下、開放される。

4030a83d.jpg写真はタシ・ヤンツォ(RFAより)

25日のVOTチベット語放送http://www.vot.org/#
23日付けRFAチベット語版http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/a-nun-in-kham-suffered-severe-beating-under-detention-and-receives-treatment-11232010192827.html
及び25日付Phayul.com(英語)によれば、
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28618&article=Nun+set+free+from+jail+in+%22serious%22+health

先の11月19日、2008年の抵抗運動に参加した尼僧が重い健康障害の下、拘置所から外に出された。
これは南インド、セラ僧院の僧ペマ・ツェワンが確かな事実としてVOTに伝えた情報。

2008年5月20日、カム、カンゼ、ダルゲ・ニャゲ尼僧院(དར་རྒྱས་དགོན་པའི་ཉ་བརྒྱད་བཙུན་དགོན་)の尼僧タシ・ヤンツォ(བཀྲིས་དབྱངས་མཚོ་、通称タガ)は他の2人の尼僧セル・トゥック(གསེར་ཕྲུག་)とジャンパ・チュキ(བྱམས་པ་ཆོས་སྐྱིད་)(この2人の尼僧の名はVOTとphayulではアチュとソチュとなっている)と供にカム、カンゼの市中で中国政府のチベット政策に対する抗議を示す平和的デモを行った。
3人は間もなく逮捕され、その後四川省の省都、成都付近の拘置所に収監されていた。
情報によれば、3人は拘置所で激しい拷問を受け、セル・トゥックとジャンパ・チュキの2人は重体に陥った。
拘置所で死なれるとまずいというので先にこの2人は開放された。

タシ・ヤンツォはそのまま2年半も拘束された後、今年11月19日、外に出された。
拘置所から開放された時、拷問により彼女の右腕は2カ所骨折しており、右耳の聴力もほとんど失われていた。
さらに、結核を患い、呼吸器系の障害を抱えていたという。

タシ・ヤンツォは現在、成都の病院で入院治療をうけている。

カンゼ地区では、同じ2008年5月、ダカル尼僧院の尼僧12人、パンリ尼僧院の尼僧55人、さらにガンデン・チュリン尼僧院の尼僧数名が逮捕・拘束されている。

----------------------------------------------------------

中国の拘置所や監獄内での拷問は後を絶たない。
尼僧が拷問に晒されるという話には特に痛ましいものを感じる。

中国の拘置所での拷問は日常茶飯事と化している。
特に2008年以後、どれだけの人々が惨い拷問に遭ったことか。
彼女と同じようにデモの後拘束された尼僧たちもみんな同じような拷問に晒されたに違いない。
2年半の裁判も行われず、拘束されるという事も異常だ。

拷問の末、死にそうになると外に出すということも、昔から全く変わっていない。
死刑の判決を言い渡されなくとも、80年代末からだけでも少なくとも数十人が獄中で拷問の故に死亡している。
もちろん解放後すぐに死亡した人も多い。

この悲惨極まりない悲劇はいつまで続くのか。






















rftibet at 15:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2010年10月28日

抗議の焼身自殺を図った僧侶について/カンゼで尼僧一人デモその他。

03095b5a.jpg再掲/2009年3月19日分


昨日、N2と共にダラムサラのキルティ・ゴンパに僧ツェリンを訪ね、彼にインタビューを試みた。
彼はこの寺の情報収集、広報係りだ。

左の写真、一枚目はもう広まっていますが二枚目は彼からもらったものだ。
もっとも元は不明。

去年3月16日、本土アバのキルティ・ゴンパで一万人規模のデモが起こり20人以上の死者が出た時、いち早く彼がパソコンに受け取った死体写真を街に張り出し、携帯に入ってきたデモの実況生中継をツクラカン前を埋め尽くしていた群衆に聞かせた男が彼だった。

インタビューでは今までにキルティ・ゴンパをはじめとするアバ地区での出来事について知っているところをすべて話してもらった。

焼身自殺を試みた僧タペイの周りに集まった警官たちここでは最後の話として、この前の焼身自殺を図った僧侶の件について彼から聞いたところを報告する。
この件に関しても彼が中心に内地からの電話やメールを受け取っている。
まず最初はこの事件についてはネパールから連絡が入ったとか。
以下この件についての彼の話。

連絡を受けてすぐに内地に電話した。
(最近は特によほどの要件でない限り、危険なので、こちらから電話することはないそうです)
その時は返答はなく、しばらくして複数から電話が入った。
「キルティの僧タペイが焼身自殺を図り、警官に撃たれ倒れた。すぐに連れて行かれた」というものだった。

最近中国の新華社が「成都で母親とも面会して、順調に回復している」と言ってるのは全くのウソだ。
母親は成都ではなく事件のすぐ後にちょっとだけアバで会えただけだ。
両足だけではなく両手も切断させられそうになっていると聞く。
最初から足を撃たれたという目撃情報は入っていたのだ。
証拠を隠すために切断を強要していることは間違いない。

質問:情報は直接現地から電話で入ってくるのか?
ツェリン:今は危険すぎてそんなことはできない。
これらの情報はすべて成都とか他の中国の都市から送られてくるのだ。
僧であれば、アバを変装して抜け出し、中国の町に着いて初めて電話やメールを送ることができるのだよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

カム、カンゼで尼僧が一人で抗議デモを行い逮捕される。

ダラムサラ3月17日付、TCHRD(チベット人権民主センター)リリースより:
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090317a.html
センターに入った情報によれば、カム、カンゼ県チンカ村にあるゲマ・タオ尼僧院の尼僧ロプサン・カンド21歳が3月6日午前10時頃一人で抗議デモを行った。

彼女はタクチュ橋からカンゼの中央政府庁舎に向かって一人で抗議の行進を行った。
彼女はパンフレットを配りながら、
祈祷の旗を掲げ、
「チベットに自由はない!」
「チベット人よ、立ち上がれ!立ち上がれ!」
「法王に長寿を!」
「中国政府はすべての政治犯を解放せよ!」
と叫び続けた。

この勇敢な一人抗議デモも長くは続けられなかった。
数分後には5台のバンで駆け付けた保安部隊に彼女は囲まれ、
その場で激しく暴行され、
拘置所に連れて行かれた。

現在、カンゼ国立病院の前に新設された刑務所に収監されているという。

友人や親せきの者が集まって警察署に彼女の安否を尋ねに行った。
警官は「もしも彼女がそのような活動をしたならば、死ぬしかない。彼女は重大な違反を犯したのだ。お前らが、彼女の安否を尋ねる意味などない。
みんな、このことを決して外の世界に知らせてはならないぞ」と返答した。

ガマ・ダオ尼僧院はカンゼから16キロ離れている。
有名な巡礼地であるカワ・カルポに通じる街道上にある。
ここの尼僧たちは去年チベット全土に抵抗の波が起こった時、大きなデモを行った。
今も、その時逮捕された5人の尼僧が中国の刑務所で服役中のままだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その他、TCHRDは最近再び度々ニュースを流しています。

同じ17日付で、日本でも公開されている「LEAVING FEAR BEHIND ( Tib: Jigdrel).」の制作を助けたラプランの僧侶ジグメ・ギャンツォ40歳が再逮捕されたことを伝えている。

http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090317.html

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

3月14日にはカンゼで四人の若者が抗議デモを行い逮捕された。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24219&article=4+arrested+in+Kardze%2c+6+in+Nyarong
四人はティンカ地区スサダ村出身のナムセル・ドルジェ28歳、カルマ・ノルブ17歳、リンチェン・ワンセル16歳、サンゲ・ツェリン17歳。

親戚は拘置所への差し入れを拒否されているという。

この中カルマ・ノルブの父親は去年のデモに参加し、現在監獄にいるが相当衰弱していると伝えられている。
他の二人の兄弟サンポとドルジェも「中国の政策に反対した」罪で3年の刑を受けている。

その他、ツェンツァのニャロン・タシ・チュペル僧院の僧侶6人が3月10日にラスルの儀式を行ったとして逮捕された。

――――

この数日ようやく3月10日前後の様子が伝えられて来始めたようだ。
カンゼを中心に各地で小規模の抗議活動が起こり続けていると思われる。


rftibet at 15:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月16日

(2009年)3月14日カンゼで抗議デモ/3月10日法王記者会見・その2

再掲/2009年03月15日分


3月14日、2008年大規模カンゼ・デモより一周期の日、カンゼで抗議デモ。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24174&article=Protest+in+Kardze+a+year+after+2008+unrest
VOT(Voice of Tibet)によれば、3月14日、三人の若者がカム、カンゼで抗議デモを行い直ちにその場で僕打、逮捕された。

ダワ・ツェリン25歳、ドゥンドゥップ24歳、ロプサン・ニャンダック25歳の三人は、殴り倒される前に、
「ダライ・ラマ法王に長寿を!」「チベットの政治犯を解放せよ!」「ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになることを許可せよ!」「チベット独立!」等のスローガンを叫び、チベット仏教の旗を掲げ、ダライ・ラマ法王の帰還とチベット問題の解決を訴えた。

三人はカンゼの人民病院前に新設された刑務所に連行されているという。

これとは別に3月11日、同じカンゼでカンゼ・ロパ出身の三人の何れも17歳の少女がカンゼ人民病院前で中国に対する抗議デモを行ったが、間もなく僕打の上逮捕され同上の刑務所に連行された。
三人の名はチュツォ、ツェテン・ラモ、ツェリン・ラモ。

12日にもカンゼで一人抗議デモが、チベット人により行われたというが、詳細不明。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ラサ市内では、一軒一軒ホテル、ゲストハウスはもとより、一般の民家にも保安要員が現れ、しらみつぶしに外人を探し出しているとか。
外人だけでなく、ラサ以外から来たチベット人もすべてラサから追い出されているという。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24166&article=Chinese+police+'search+houses+in+Lhasa+for+non-Tibetans'

読売の記者が最近カムで中国の警官にひどい目にあわされたという話はもう有名だが、

私はこうして“強制退去”させられた チベット周辺取材 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n2.htm


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

9a87a7e0.jpg以下、昨日の続きではなく冒頭の部分からお知らせします。

ダラムサラ3月10日、ダライ・ラマ法王記者会見(その2)。


法王:質問を聞きたい。

(時計を見ながら)12時半か、、、皆さんはもう昼食は済まされたのかな?
何、食べてない。空っぽ!お腹は空っぽか?ハハハハハ、、、、
ヒイヒイヒイ、、、(法王はこの時、座につかれる直前にお堂の本尊に対し(半五体投地で)三拝されたせいで、息を少し切らされていました)

実際私は、、、いや我々と言うべきだが、非常に喜んでいる。
これほど多くのメディアの人々がダラムサラまで来てくれた。
(チベット問題に)関心と懸念を持ってくださっていることに感謝する。

私の言いたいことはすでに書面で先ほどお伝えした。
コピーをみんな持っているだろうから、、、
もう他には何も言うことはない、、、ヘヘヘヘヘヘヘ、、、。

すぐに、質問を受けることから始めよう。

質問1、

H.N.と申します。

法王:日本人か?

質問者:ハイ、私は(どこどこの者で)現在法王のドキメンタリーを制作中であります。

(質問は長く、難解?で内容はほとんど掴めなかったのですが、何だか物質主義と精神主義(さとり?)の関係について質問されたようでした)

法王:さてさて、はたしてここにいらっしゃる他の人々も(今)同じような興味をもってここに来られたかどうか、判らないが、、、
私はそうは思わないが、、、、ハハハハハ、

(はっきり言って、みんな異例のスンチュドゥチェン(3月10日蜂起記念日)の法王記者会見ということで、緊張して臨み始まった質問第一番が、こんなまるでチベットの今の状況に直接関係ない質問だったので、ずっこけたのです。後からお前もあれの仲間か?とチベットメディア仲間にからかわれたりしました。しかしそこは法王、ちゃんとお答えされました)

でも、私はこの質問に興味がある。
ステートメントの中でも言及したことだが、私には三つの約束がある。
その第一番目は「人間の幸福と価値を促進すること」だ。
人の幸せは大いにその人の内的価値による。

中には億万長者であり、すべての設備が整い、何でも手に入れることができる人がいる。しかし、内的には非常に不幸せな人がいると知った。
つまり、物質だけでは100%人を幸せにすることはできないということだ。

一方、この地球上60億の人々は、仏教徒であろうと、私もだが、たとえ私より余程高い境地に達している人であろうとも、全員食わなければならない。
昼食は必要なのだ。
飯なしには生きることはできない。
だからお金も重要なのだ。
この身体を維持するためには物質が必要なのだ。
物質的発展も必要だ。

しかし、一方で物質の限界も知っておくべきだ、物は身体的安息を与えるのみで精神的休息を与えるものではない。
お金がすべての幸せをもたらすと考えている人は幻想を追っているだけだ。

かつて、日本では毎年経済が右肩上がりに発展していた時があったであろう。
そのころ私は物質的発展には限界があると説いていた。
ある時、その発展には、もうこれ以上伸びないという限界が現れるであろうと。
常に増加していくとの考えを持っている人々はある日突然もうこれ以上伸びないというスタグネーション状態に陥った時、非常に驚き、ショックする。
このことを日本でもう15年前にも言ったことがある。

何れにせよ、すべての人が物質的価値の限界を認識すべきだ。
物はよろしいもので必要なものだ、しかし心の平安を含めたすべての幸せを物質に求めることは間違っている。
我々はもっと内的価値に重きを置かなければならない。

愛情の価値、信頼の価値これらが非常に大事なのだ。
幸せな人、幸せな家庭、幸せな社会を実現するためにはこれらが必要だ。
仏教に四つの教えと言うのがある。
二つの喜びを得るための二つの方法、一つは短期的もう一つは長期的喜びと方法。
長期の幸福とは完全な解放のことだ。短期のそれとは「富」だ。
この長期の幸せを求めるための方法がダルマ(法)だ。
瞑想とかを含めた心を訓練することだ。
それにより、永遠の幸福を手に入れることができる。
我々仏教徒が悟りとか解放と呼ぶものだ。

短期的な安楽、快適さとは「金」のことだ。
我々には「金」が必要だ。
もちろん「金」を得る方法は、正当でなければならない、うそをついたり、人を利用、搾取したりして得てはならない。ヒヒヒヒヒ、、、、
ある大きな会社とかはもっと大きな利益を得ようと、嘘をつくことをためらわない。
そうではないかな?これらが今回の経済危機の原因でもある。

最近イタリアに行った時、友人のビジネスマンと話をした。
彼に尋ねた、「マーケットの力は人のコントロールを越えているというが、一方マーケットは人が作りだしたものだ。だから、人がコントロールできるべきだろう。人の作り出したものが人のコントロールを越えるということ、これは解らないことだ。一体どういうことなのか?」と。
彼は答えて「この今の経済の混乱は人の心と関係があるのだ。異常なほどの満足を知らない貪欲な心の下に、疑い、嘘をつく。これが今回の経済危機を引き起こした要因の一つだ」と。
つまり、経済的安定もまた、誠実、真実、透明性によっているのだ。これは明らかなことだ。
つまり(経済活動にも)道徳観が必要だということだ。

これまで、次。

ワシントンポストの者です。



続く



rftibet at 15:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年10月14日

刑務所での拷問により精神に異常を来した尼僧、家族に引き渡される

d3195c6c.jpg10月12日付けTCHRD(チベット人権民主センター)プレスリリース
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20101012.html

当センターが入手した情報によれば、カンゼ・チベット族自治州、カンゼ地区ロバ郷、プルナ尼僧院が行った平和的抗議に参加した尼僧ソナム・チュドゥン(36)は、度重なる拷問の末哀れな姿に成り果てたという。
銃の台尻で何度も殴られた結果、正気を失ってしまった。
それ故、刑務所を出され、彼女は家族に引き渡された。
現在も彼女は精神的に不安定で、泣き止まず、常に介護が必要な状態にあるという。

2008年5月14日、カンゼでプルナ尼僧院とヤンテン尼僧院の尼僧約200人が中国政府に対し平和的抗議を行った。
その場で公安と武装警官は多くの尼僧を逮捕した。
その後、この2つの尼僧院の院長であるトゥルク(転生ラマ)・プルブ・ツェリン・リンポチェも逮捕された。
そして、2009年9月22日、カンゼ中級人民法院はリンポチェに8年半の懲役刑を求刑した。
現在、彼は四川地方のメヤン刑務所に収監されている。
リンポチェは非常に衰弱していると伝えられている。

デモに参加し、逮捕された尼僧の内、プルナ尼僧院のソナム・ラツォには刑期10年、ブモに9年、ソカとヤンチェン・カンドに3年、タシ・ラモに2年の刑がそれぞれ言い渡された。
他のほとんどの尼僧は開放されたが、尼僧院に戻ることは許されず、それぞれの出身地に送り返された。

尼僧ソナム・チュドゥンは銃の台尻で殴られ頭部に深い傷を負った。
その衝撃から彼女は正気を失い、気がふれてしまった。
警察は2008年9月15日、彼女を家族の元に返した。
それ以来、彼女は常に泣き叫ぶことをやめず、一日中介護が必要な状態に陥っているという。

-----------------------------------------------------------------------

この記事を読んで、私は1人の元尼僧ナムドル・テンジンのことを思い出した。
彼女に会ったことが、元良心の囚人を主に援助するルンタ・プロジェクトを立ち上げる契機になったのだった。

ある日、私は家の近くで女性が泣き叫ぶ声を聞いた。
その泣き声が余りに大きいので、私は外に出て声の聞こえる方へ歩いていった。
そこには、暴れながら泣き叫ぶ1人の若い女性がいて、そのそばで2人の僧侶が彼女をなだめようとしていた。
彼女の様子は普通ではなかった。
僧侶に「どうしたのか?」と聞くと「この子は元尼僧で、名前はナムドル・テンジンだ。デモの後監獄で酷い拷問をうけた。その後から正気を失ったのだ。出獄した後、こうして亡命することができたのだが、こんなになることが度々ある。一度、こうなると中々治まらない。酷い時は何日も泣き続ける。寺の周りを回りながら叫ぶこともよくある。思い出すとこうなるようだ、、、」という

その僧侶はイシェ・トクデンと名乗り、「9−10−3の会」の会長だといった。
私はそのころ、この会の名前ぐらいは聞いたことがあったが、実際にはどんな会なのか詳しくは知らなかった。
よく聞くと、会は作ったがまだ事務所もなく、本当に貧しく、これと行ったスポンサーもない会であると分かった。
彼はその気がふれてしまった彼女のことを根気よくなだめ、優しく声をかけ続けていた。

その日、私は「絶対に、この人たちを助ける」と誓った。
次の日から、私はお金を持ってそうな友達に連絡したり、ダラムサラに来る日本人に寄付を募ることを始めた。

運良く、大きなスポンサーが付き、浜田省吾くんが資金集めのコンサートを開いてくれたことも手伝って、元政治犯80人を収容する、職業訓練所+学校を建てることができた。立派な事務所もできた。

ナムドル・テンジンはその後やさしい元政治犯と結婚し、次第に落ち着いて来た。今は子供も生まれ、ベルギーに移住している。


ナムドル・テンジンの証言:http://www.lung-ta.org/testimony/namdol.html













rftibet at 16:00|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2010年04月11日

マチュで僧侶逮捕/脱獄囚が殴り殺される

9.4.2010 チューリッヒの法王 毎日チベット内地からのニュースが入ってくるので、ダライ・ラマ法王の動向などは後回しになりがちだ。
法王はインド各地で会議や講演会に呼ばれ、「インドはもうカースト制度を捨てよ」などとアドバイスされたのち、スロベニア共和国で大歓迎を受け、9日スイスに入られ今日までスイスにいらっしゃる。

9日にはチューリッヒの街の中心に8000人を超す支援者が集まり、「チベット連帯集会」が行なわれた。
法王は「みなさんはここに正義を守るために集まって下さった。深く感謝している」とあいさつされた。

ところで昨日、墜落事故によりポーランドの大統領以下要人が多数死亡するという大惨事が報じられた。
ポーランドと言えばこのところチベットを強力にサポートしてくれている国だ。
ワレサ氏初め法王と親しく友情を分かち合う要人が多い。

先の戦争で人口の20%を失い、その後の共産党支配の間も人々は苦しみ続けた。
共産党支配から平和的連帯運動により自由を得たという自らの経験からチベットへの共感を感じるのであろう。
法王はこの国の歴史から希望を、人々から心よりの激励を得ていたはずだ。

今回、事故に遭い亡くなった大統領のLech Kaczynskiは2008年法王を大統領官邸に招いている。
同じく元議長のMaciej Plazynskiは2001年法王を議会に招き証言公聴会を開いた。
市民権弁務官のdr Janusz Kochanowskiは2008年以降、北京オリンピックの時などチベットを擁護するために精力的に発言したと言われる。
これらの強力なチベット支援者を失ったことはポーランドだけでなくチベットのためにも損失は多いかったといえる。

よきカルマを積んだ彼らのご冥福を祈る。


―――――――――――――――――――――――――

今日も、鉄のカーテンの後ろチベットから漏れ来たった情報がある。

これもまたアムド、マチュの話
RFAチベット語版が4月9日付で伝えるところによれば、
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/china-arrested-machu-monk-tashi-gyatso-on-subversive-charges-04092010143136.html

タシ・ギャンツォ<マチュ県ペルペン郷サルマ僧院の僧侶タシ・ギャンツォ逮捕される>

4月8日早朝4時頃僧院で寝ていたタシ・ギャンツォは突然逮捕されたという。
この情報はダラムサラに在住する彼の兄がRFAに伝えたものだ。

この僧院には前日の4月7日、公安職員などが大勢押し寄せ、「お前たちは過去に何度も政府に逆らうという過ちを犯している。これからよほど気を付けないと大変なことになると知れ」という説教をして帰った。

その翌日、わざわざ朝4時ごろ目立たないように平服を着た公安職員が彼の部屋に入り、彼を連れ去ったという。

兄の話によれば、タシ・ギャンツォの逮捕容疑は、まずネットでチベットの情報を集め人々に知らせたこと、次に電話で外国にチベットの情報を漏らしたこと、最後にRFAやVOAなどを聞いたり見たりしたことだという。

--------------------------------------------------

もう一つの出来事は直接政治には関係ないのだが、チベットの警官や刑務所の看守たちは人を殴り殺すことをなんとも思っていないという例として紹介する。

同じく4月9日付RFAチベット語版によれば、

http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/tibetan-prisoner-died-under-torture-04092010140102.html


<カム、カンゼの刑務所を脱獄したチベット人が殴り殺された>

事件は3カ月ほど前に起こった。
カンゼで最大の刑務所からパッサンという囚人が看守を一人連れ脱獄した。
彼が連れだした中国人の看守は2008年蜂起の時チベット人をひどく虐待したことで有名だったという。

パッサンは2カ月後、ニャロン地方の尼僧院に隠れているところを発見された。
ニャロンの警官たちはパッサンに相当の暴行を与えたという。
その後カンゼの刑務所に送り返された。
しかし、そこで再び激しい暴行を受け彼は殺された。

遺体を引き取った家族はその身体があざだらけで無残に変形していることに驚いたという。
家族は検察が何の尋問もすることなくただ殴り殺したことに対し、訴えを起こすと言っているそうだ。

人々の噂では、パッサンが刑務所から脱出できたのは内部でそれを助けた者がいるはずで、彼らはパッサンの口を封じるために殴り殺したに違いないという。





























rftibet at 18:20|PermalinkComments(7)TrackBack(0)

2010年03月14日

厳戒態勢の中、カム、カンゼで尼僧と若者が叫ぶ

tibet kham3月13日付RFA(自由アジア放送)
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/china-police-arrested-2-tibetan-in-kham-region-03132010150045.html

<チベットのカムで二人のチベット人が中国政府に抗議>

チベットのカム、カンゼ市内で一人の尼僧と一人の若者が「チベット独立」の声を上げた。

3月10日、中国政府はチベットの首都ラサをはじめ、各地に厳戒態勢を引いた。
特にカム、カンゼの市内には警官隊や保安部隊が溢れ、声を上げたり、デモをしようとするチベット人を厳重に見張っていた。
そのような状況にも関わらず、市内で尼僧一人と若者一人が「チベット独立!」、「ダライ・ラマ法王に長寿を!」と叫びを上げた。
二人は直ちにその場で警官隊に取り押さえられた。

その他、カンゼのある学校では「チベットの自由」を訴える張り紙が見つかったという。

これらの情報はRFAのカム語放送担当ノルブ・ダドゥルの元にチベットから電話で伝えられたものである。

rftibet at 13:10|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2009年12月07日

平和的抗議デモを行った一人の尼僧が病院で死亡

ヤンキ・ドルマ とても痛ましく、悲しいニュースが入りました。

<抗議デモを行った尼僧が病院で死亡>

ダラムサラ、12月7日付 パユル
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26152&article=Tibetan+nun+arrested+for+protest+dies+in+hospital

亡命方の情報によれば、四川省の省都、成都の病院で日曜日(12月6日)早朝、カンゼ出身の尼僧一人が死亡した。

死亡したヤンキ・ドルマ33歳はカンゼ・ランダック尼僧院に所属していた。
彼女は今年3月24日、もう一人の尼僧ソナム・ヤンチェンと共にカンゼの中央市場において中国政府に対し抗議のデモを行った。

「中国はチベットから出ていけ!
ダライ・ラマ法王がお帰りになられますように!
当局はチベットでの宗教弾圧をやめよ!」
と必死に叫びながら、手に持っていた手書きのパンフレットを空中にばらまいたという。


直ちに50人あまりの武装軍人が彼女たちに襲いかかり、滅多打ちにした。
倒れた二人はバンに運び込まれどこかに連れ去さられた。
その夜遅く、警官がヤンキの実家に押し入り、ダライ・ラマ法王の写真などを押収。
両親や家族を国外のダライ・ラマ分離勢力と接触したとして叱責した。
次の日に当局は兄弟のツァンヤン・ギャツォを呼び出し、4時間に渡り彼を尋問した。

亡命チベット人人権グループは彼女の死は獄中における凄惨な暴力や拷問の結果ではないかと疑っている。
SFTインドのテンジン・チュインは「中国の軍隊はカンゼの市場の真ん中で白昼彼女を容赦なく袋叩きにしたのだ。隠された監獄の扉の裏で何が起こるかは容易に想像できよう」とコメントした。

ヤンキのケースは今年8月24日よりカンゼ中級法院にて審議がはじめられた。
しかし、裁判所が彼女に刑期を言い渡したかどうかは不明。

ヤンキはカム、カンゼ、ロルツァ村のホルメ・ツァン家のゲンドゥン・ダルゲとペマ・カンドの間に生まれ、17歳の時、尼僧になった。

チベット女性協会、SFT,チベット国民民主党、グチュスンの会は合同で今夜、彼女の霊を弔うためにダラムサラのマクロード・ガンジからツクラカンまでキャンドルライトビジルを行う予定。













rftibet at 21:30|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2009年08月10日

続ツェワン・ドゥンドゥプ氏の証言

tsewanカンゼ地方の人々はその愛国心とダライ・ラマ法王への忠誠心の強さで有名だ。
この地方は北京政府により「チベットの喉下」と呼ばれてきた。
この地方を抑えることができれば、チベット全土を制圧することができるという意味だ。
ツェワンはいう「この中国との国境線とも言える地方のチベット人たちは、他のチベット人たちのためにチベット人としてのプライドをこの最前線で守る責任があると感じている。
他の地方でのデモが終息した後、数か月たってもまだこの地方の人々はカンゼの政府庁舎に向けデモを行っていたのだ」と。

「このときの人々の反応に感動した。俺が長い間胸に秘めていた苦しみや中国政府に対する憎しみを回りのすべてのチベット人たちと分かち合えたのだ」

ツェワンは他の100台あまりのバイクとともにテホルの町に向かった。テホルの町はバイクで一杯だった。停めるところもなく、ただ道端にバイクを捨てて、「チベットはチベット人のものだ!」「ダライ・ラマ法王をチベットに帰せ!」と叫ぶ声の方角に走った。
300人ほどのチベット人が大通りを行進しているところに合流した。
先頭には100人余りの尼僧たちがいた。
だれも、チベットの国旗や横断幕を持っていない。
ただみんな拳を振り上げながら叫び続けていた。

行進に参加しているチベット人には年寄りもいた、若者もいた。
中に6歳の子供も加わっていた。
行進は200人ほどの武装警官に囲まれていた。
彼らは行進中の人の中から一人ずつ引き抜いて、棍棒や電気棒を使って殴りかかった。
それを見つけるたびにみんなで寄ってたかってその人を助け出した。
「こうして、そのとき一人もチベット人は連れて行かれなかった」とツェワンは誇らしげに語った。
「しかし、無防備なチベット人に対し、棍棒で殴りかかる大勢の警官隊を見るのは耐え難いことだった。すぐそばに二人の警官が近づいたことがある。やろうと思えば俺がこの二人を殺すことは簡単だった。法王に対する敬意のみが俺にその行動を取らせなかった。俺に戦う勇気が無かったわけじゃない。法王の言葉に従ったのみだ」

人々は自然に敵意のシンボルである警察署に向かっていた。
その建物に近づくと屋上から催涙弾が飛んで来た。
同時に数人の警官が群衆に向け実弾を発砲し始めた。
他のブループが鉄のゲートの後ろから撃ち始めた。
ツェワンは5人が撃たれ倒れるのを見たという。(後のレポートでは10人)

発砲が始まるとすぐにゲート近くにいた人々は走って逃げた。
しかし、ゲートの真正面にいたクンガという名のチョリ僧院の21才の僧侶が撃たれ倒れて、そこに残された。
ツェワンはそれを見てすぐに彼を助けようと駆け寄った。
「チベットの諺に、<ウサギが禿鷹に捕まり空に釣り上げられた時、ウサギが空に助けを乞うは無駄なこと>というのがあるが、その時自分が法王の加護を祈ったことを思いだす」

弾は肘の内側から入り外側に抜けたもう一人のチベット人が現れ二人で倒れた僧侶を抱えて逃げようとした。
「その時、左脇腹に焼けるような痛みを感じた。撃たれたなと思った。
それから二歩ほど前に進んだところで今度は左肘を撃たれた。血が噴き出した。俺は眩暈を覚えた。ただ、意識が完全に失われる前にかろうじて<この僧を誰か助けてくれ!>と叫ぶことだけはできた」

このすぐ後、ロプサン・ツプテンという親戚の一人がバイクで仲間と共に倒れたツェワンの下に駆け付けた。バイクに引き上げられ、二人に挟まれたまま、全速力でその場を逃げ去った。
ツェワンの意識は消えたり戻ったりした。
「警察の車に追われている時、不思議なことが起こった。
突然辺りが暗くなり、視界が利かなくなった。お陰で我々は遠くまで逃げることができた。
ある村のはずれのマニ堂に一旦隠れた。
止血のために左腕の上部が強く縛られた。
このゴムで縛った跡は今でも傷となって残っている。
竹で即製の担架が作られ、四人に担がれ、すぐに山に向かった」

デモのあった次の日警察はツェワンを探すため、村を一軒づつ虱潰しに捜索した。
その時、彼の家族の家には数台の軍隊のトラックが押し寄せ、家はむちゃくちゃにされたという。
「彼は死んだ」と証言され、国際人権機関も彼を死亡扱いした。

「みんな用心のため、夜しか歩かなかった。6日間山を登り続けた。夜歩くのだが、誰もトーチを持っていなかった。道は険しく時に担架が強く揺れたが、そんなときの痛みは耐え難かった。しかし、彼らは細心の注意を払って俺を運んでくれた」

「それからの一年と二か月間、高い山の上の洞窟に暮らしていた。
一か月ごとに見つからないためにと場所を移動した。
10日ごとに一人ずつ自分の村に帰り10日後に食糧などを持って帰ってきた。
これは仲間の誰かが当局にその長い不在を疑われないようにするためだった。
中国は俺が生きているらしいと知って、賞金を懸け探していた。
居場所を知らせた者には15〜20万元の賞金が出ることになっていると聞いた。

左脇腹の背中の方にある黒い傷跡から弾は入り前に抜けた村の人たちは自分の苦況を知って、薬を託す者もいた。中には抗生剤をくれた人もいる。
しかし、ちゃんとした治療をうけることが出来ず、傷は悪化して、二か月後には傷口の膿は腐ったにおいを放ち、ウジさえ湧くという状態となった。
ロプサンは腐った肉の部分を剃刀でそぎ落としたが、その痛みは耐え難いものだった。
痛みに耐えるため、俺は口に木の棒をくわえ力いっぱいそれを噛んで我慢した」

最初の半年は座ったままの状態だったが、身体のいかなる部分も自分で動かすことはできなかった。8か月後にやっと頭を動かすことができた。
生活のすべてを仲間の助けに頼っていた。
11月に入り、気温は下がり、山には雪が降った。
仲間が山を登り降りするのにも困難が生じた。
凍傷になりたどり着く者もいた。
ツェワンは仲間をこのまま危険にさらすことに耐えられず、自殺を考え始めた。
「俺は食べ物と手当を拒否した」が、仲間は生き抜くようにと励ますことを止めなかった。

10か月後、ツェワンは二人に肩を支えられながらも歩くことができるようになった。一年たってやっと自分一人で歩けるようになった。

ある時ロプサンに相談した。「俺はインドに逃げて世界中にチベット人のこの苦しみを訴えたい。そうすべきだと思い、決心した。どうかお願いだから俺をインドまで連れて行ってくれ?」と。

「もちろん簡単なことではないことは判っていた。自分たち二人は指名手配されており写真は至る所にあるという。ラサまでたどり着き、そこでガイドを探し、国境まで行く。途中何か所も検問がある。成功する可能性は薄かった。
それに自分もそうだが、ロプサンも結婚しており二人の子供までいる。
出発すれば、もう二度と家族には会えないかもしれないのだ。
それでも彼は同意した。
ロプサンは言う「ツェワンは彼の話を世界に知らせるべきだと思った。彼を助けることによってチベット人のために役立つことができる、と思ったのだ」と。

カムの山ツェワンはこうして4800mの高山の洞窟に14か月籠って生き延びた。
まともな治療もされないまま、耐えがたい受けた銃弾の傷の痛みに耐え、ツァンパと茶だけで生き抜いた。
ツェワンは言う「自分がこうして今生きていることが夢のように思える。俺は俺を助けてくれた仲間達の意志と勇気と決心の力を共有することによってのみ生き抜いたのだ」と。

ラサまで10日間バイクで走った。
その後、どうやってネパールまでたどり着いたのかについては、彼は詳しく話したがらなかった。多くの人に助けられたとだけ言った。
「言えることはみんな本当に勇気があり、やさしかったということだけだ。いつも彼らに感謝している。もっとも感謝しているのはもちろんロプサンだ。二人は本当に近い友となった。彼は俺の第二の目だった」

今もツェワンの故郷ではチベット人の抵抗運動が続く。7月17日にはヨンテン・ギャツォという男が一人でチャムドのスタジアムで抗議活動を行った。
彼はチラシをばら撒きながらスタジアムを一周した。
その場にいた観衆はみんな歓声を上げたという。
彼の撒いたチラシには、彼の名前と他のチベット人に中国への抵抗運動を訴える内容の文章が書かれていた。
四日後の7月21日、彼は逮捕された。

二日前(8月8日)のRFAによれば、カンゼ警察は今もなお山に逃げ隠れていると思われる5人のチベット人の名を上げ、かれらが期日までに自首して来ない場合は、見つけ次第銃殺するという発表を行った。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/chinese-authorities-order-5-tibetans-to-be-shot-at-site-08082009220741.html

彼の今の夢は国連に行って各国代表に自分の証言を聞かせることだという。
「話すことのできない人たちに代わって自分がみんなに伝えたい」という。

去年のような一斉蜂起がチベットで再び起こると思うか?との問いには、
「もしも中国政府がこのまま法王のおっしゃることを聞き入れず、チベット人に基本的人権を与えないなら、必ずまた起こるだろう。そして、もしも法王が亡くなられた時にはチベットは爆発するに違いないと思う」と答えた。

家族と連絡は取れているのか?と聞くと、
「今はあまりに危険で全く連絡はとっていない、、、、もう離婚したし、、、」
と思い口調になった。

終わり


rftibet at 15:20|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2009年05月30日

二発の銃弾を受けたツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

91d40697.jpg昨日お知らせしたダラムサラに到着した4人の勇者の続きのようなものですが、
その中、二発の銃弾を受けたまま山に逃れたツェワン・ドゥンドゥップ氏の話が今日のパユルにより詳しく出ていました。

写真は銃弾の痕を記者団に見せるツェワン氏です。

昨日のレポートで訂正あり、彼の年齢を31歳と書いたのですが39歳(政府)か38歳(パユル)の間違いでした。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24824&article=From+Dharamsala+Tibet+protesters+recount+Chinese+atrocity

デモは昨年3月24日、カンゼ県ダンゴで起りました。
中国側の発砲により2人死亡、10数人負傷と言われていますが、彼らはもっと多いはずだと言っています。

以下ツェワン・ドゥンドゥップ氏の証言

「午後4時半ごろ行進はまずガゴン尼僧院の約150人の尼僧たちによって始められた。
すぐにぺルデン・ツォクリ僧院の僧侶が大勢合流した。
その後、農民を中心に数百人の一般人が行進に合流した。

300人以上の武装警官隊が押し寄せ、チベット人に鉄パイプや電気棒で襲いかかり、催涙弾を撃ち、そして銃で狙い撃ちし始めた。
彼らはチベット人に対し全く情け容赦なく兇暴に振る舞った。

撃たれて路上に倒れていた、グンガという僧侶を助けようとしていた時、自分も二発撃たれた。
一発は背中からへその上あたりに向けて貫通した。
もう一発は左肘に当たり、私は意識を失いかけた。(ここで彼は傷痕を見せる)

私が撃たれるのを見た弟のツプテンがバイクに乗って助けに来てくれた。
その時、助けようとしていた僧侶はすでに死んでいた。

それから、一年以上も警察に捕まることを恐れて、病院にも行けず、山の中で生死を彷徨った。
弟のツプテンがずっと一緒にいて助けてくれた。
警察に追われていつも走って逃げねばならなかった。

自分たち二人に15〜20000元の賞金がかけられ、指名手配されていた。
だから家には近づけなかったが、家族と山で6ヵ月過ごしたこともあった。
しかし、病院に行くことも出来ず、私の銃創は悪くなる一方だった。
傷は腐り、膿が溢れ、ウジが湧いた。その痛みは耐え難かった。
容態は悪化するばかりで、もう死の一歩手前までいった。

しかし、法王に必ずお会いし、また外の世界に、この中国弾圧下のチベット人たちの苦悩を知らせるために生き抜こうとの希望と決心が湧き、それが私の身体を強くした。

家族と特に弟の助けがなければ今生きていないであろう。感謝している


ーーー

アメリカの学生の質問「何をしてほしいか?」に答えて、

ツェワン氏:

「国際機関は一方的な中国側からの情報だけでなく、真実を見極め、真実に基づいてチベットを支持してほしい。

法王がチベットにお帰りになられるように、パンチェン・リンポチェを含めたすべての政治犯が解放されるように、助けてほしい。

メディアの人たちは中国の支配の下でチベット人が如何なる状況に置かれているのかを知るために、個人で勇気を持ってチベットの村々に深く入り込んで現実を調べてほしい。
必ず、中国によって巧妙に隠された、真実の言葉を聞くであろう。


去年中国政府によって示された、チベット人に対する暴力の激しさの程度を見るにつけ、政府はチベット人の生命や福祉に全く敬意も関心もないということをチベット人は理解した。

私は平和的に行進している集団に対し、あれほどの暴力を振るうということが考えられない。去年の出来事の後、チベット人の敵対心がどれほど高まったことであろう」


二人の兄弟は国境を「チベットにいるチベット人の苦しみを少しでも少なくするために必ず働く」との確信と希望と共に越えた、という。






















rftibet at 21:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年05月29日

銃弾二発を受け、そのまま山に逃げた一人を含む、カンゼから逃れた4人/バイク・デモ隊

<カンゼより勇者4人越境に成功>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/May/510509.html

昨日再び、去年のデモを先導した後、山に逃れ、最近チベットから脱出できた4人のチベット人が情報局で記者会見に応じました。

4人は共にカム、カンゼ(カルゼ)出身です。

ツェリン・ギュルメ一人目、僧ツェリン・ギュルメ氏はカンゼ県ロパ地区プクユル村の出身24歳。
彼はカンゼで昨年3月18日に行われた大きなデモを先導した後、一年三か月の間、山に隠れ続け今年5月10日にネパールの一時収容所に到着することができた。










ゴンポ二人目、ゴンポ氏はカンゼ県セゴ地区カドォ村出身41歳。
彼はかねてより商売をしながら、地域の抵抗運動を先導し、機会あるごとに法王の長寿を祈る法要をスポンサーしたりしていた。そのせいで当局から睨まれ苦労が多かったという。
彼も上記の3月18日の平和的抗議デモを先導した夜、逮捕を恐れ、家族を捨てて、山に逃げ込み、一年三か月の間山々を転々としながら身を隠していた。
5月10日ネパールに抜けた。




ツェワン三人目、ツェワン・ドゥンドゥップ氏はカンゼ、ツォクリ・ゴロン村出身31歳。
彼は去年3月24日に、ペルデン・ツォクリ僧院の僧侶やガゴン尼僧院の尼僧その他一般市民大勢が行った平和抗議行進に参加した。

このとき軍隊と武装警官はデモ隊に襲いかかり、鉄パイプ、電気棒で殴りつけ、さらに逃げる者たちに向かって後ろから発砲した。

ツェワン氏は僧侶が一人撃たれて道に横たわっているのを見つけた。
すぐに駆けつけその僧侶を背負って逃げようとした。
しかし、すぐに自分も左脇腹を撃たれた。
さらに左肘にも銃弾が当たった。
彼はその場に倒れ意識を失ってしまった。
そこに弟ロサン・トゥプテンとその仲間が来て彼を助けだし、一軒の農家に匿った。

しかし、しばらくするとそこにも軍隊が捜査に来そうだということになり、彼は傷ついたまま山に逃げた。
それから、一年と三か月の間、山に籠っていた。何も治療を受けることができず、口では言い現わせないほどの苦しみを味わったという。
今年5月16日、やっとネパールの一時収容所に辿り着くことができた。


(彼は痛々しい銃創を見せた)


ロサン四人目、ロサン・トゥプテン氏30歳はツェワン氏の弟。
同じデモに参加した。兄のツェワン氏が倒れたのを見て、仲間とバイクを使って助けだした。
しかし、その間も軍隊は発砲を続けており、撃たれずに逃げることができたのは奇跡的だったと語った。
その後傷ついた兄と一緒に山に籠っていたという。









<チベット・バイク抗議デモ隊>

その他、RFA放送によれば、

昨日お知らせした、僧侶6人に12年〜15年の刑が言い渡されたという、チャムドのジョムダ地区では26日100台あまりのバイクに乗ったチベット人たちが当局に抗議に行くと言って、チャムド方面に向かったという。

その次の27日にはさらに多くのバイクが群れをなしチャムドに向かった。
しかし、その後彼らがどうなったかは不明。

(チベットではバイクは馬なのです)










rftibet at 21:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年05月20日

今度はカンゼから勇者二人亡命に成功/チベットの遊牧民が消えれば日本に黄砂が降る

3945b4ed.jpgこのたび、今度はカンゼདཀར་མཛེས་のデモを先導した二人のカンパ(カムの男)が亡命に成功しました。

マデ・ゴンポ氏མ་འདས་མགོན་པོ་41歳とツィスンབརྩི་སྲུང་僧院の僧侶ツェリン・ジグメ氏ཚེ་རིང་འཇིགས་མེད་は昨年3月18日のカンゼ大デモを先導したとして指名手配され、一年の間山に逃げ隠れていたという。

以下はRFAがデリーに到着したゴンポ氏にインタビューしたものです。

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/two-tibetans-from-kardze-escape-to-india-05182009225211.html

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24750&article=Two+more+Tibet+protesters+escape+to+India

ゴンポ氏曰く:
チベットの他の地方でも抗議の火の手が上がったので、我々も法王の長寿を祈願する行進を行ったまでだ。
カンゼ中心部のタチュ・ドから歩き初め二つ橋を渡ったところで、5台の警察車両と2台の軍隊のトラックが到着し、我々に襲いかかった。
その時チベット人は1000人以上いた。
15人が先導者だ。

その内5人は逮捕された。
2人は銃で撃たれた。
私と他の者たちは逃げることができた。
しかし、家には決して近づけない。
私はニャロンやその他の遊牧民のいる山々を転々とした。
時には二、三日何も食べるものがないこともあった。
病気になって熱にうなされたこともあった。

そのうち遊牧民とうまくやれるようになった。
彼らは食べるものをくれた。
ある者はカンゼまで様子を見に行ってくれたものもいる。
でもカンゼから帰ってきた彼は「カンゼではチベット人は撃ち殺されている。帰れるわけはない」と言った。

2008年の5月7日にはカンゼ警察はカンゼ地区から自分とツェリン・ジグメ、その他3人、ダゴ県の4人、セタ県の27人を指名手配した。
情報を知らせた者には1〜2万元の賞金が与えられるとされた。
これはテレビで放送され、賞金は今年に入ってさらに上げられたと聞いた」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

チベット 遊牧民のテント続いては、日本の話です。
内モンゴルやチベットの遊牧民たちを強制定住政策により、以前の草原が砂漠化しそこから黄砂が発生し、北海道を襲うという因果の話です。
(少し長いです)

ーーー

草原から黄砂 中国・内モンゴルで発生 (5月18日 東京新聞・中日新聞『こちら特報部』)

ユーラシア大陸中央部で発生する黄砂は、この時期、偏西風に乗ってしばしば日本にも飛来する。元来、黄砂はゴビ砂漠や黄土高原、タクラマカン砂漠などで発生していたが、その中心は今や中国・内モンゴル自治区の草原地帯に移りつつあるという。なぜ、草原から黄砂が? 原因を探ると、誤った遊牧民政策という「人災」の側面が浮かび上がってきた。 (外報部・浅井正智)

●北海道への飛来が増加

近年、被害が顕著となり、国際的な関心が高まっている黄砂だが、北海道江別市の酪農学園大学で黄砂の発生メカニズムを研究するブホー・オーツル教授(44)=内モンゴル出身=は、ある事実に注目している。
「かつてはほとんど見られなかった北海道での黄砂が、今世紀に入ってたびたび見られるようになった」ことだ。
黄砂は九州や関西など西日本に降ることが圧倒的に多い。しかし、気象庁によると2000年以降、北海道でも計34日間の黄砂を記録している。
特に02年は17日間(延べ75地点で観測)という多さだった。
ゴビ砂漠や黄土高原は北海道よりも緯度が低く、黄砂が偏西風に乗っても北海道には達しない。衛星写真で黄砂の流れを分析したブホー教授は、意外な発生源を突き止めた。ゴビ砂漠や黄土高原よりも更に北に位置する内モンゴル、つまり自身の故郷だったのである。

●「遊牧民族政策の誤り原因」

内モンゴルは砂漠を抱える半乾燥地帯だが、新たな発生源は以前から砂漠であった場所ではなく、本来は草原だったことも分かった。
この10年間、毎年現地調査を行った結果、教授が得た結論はこうだ。
「遊牧民に対する誤った定住化政策のため、緑豊かな草原は砂漠に変わり、黄砂が起こるようになってしまった」

チベット 遊牧民●ヒツジ移動できず・・・定住化推進で急速に砂漠化

中国当局は内モンゴルや新疆ウイグル自治区、チベット自治区などで、「遅れた生活条件を改善する」名目で、遊牧民の定住化政策を進めている。その際、遊牧民に土地を分配し、それぞれの土地を柵で囲うという措置を取った。
草原は、砂の層に10センチほどの薄い表土が載り、その上に草が生えているという構造。ヒツジは新鮮な草を求めて移動する習性があり、広い草原で放牧すれば、草は一度ヒツジに食べられても、また、すぐ生えてくる。しかし「柵で自由な行動を制限されたヒツジは、同じ場所を掘り返し、草の根まで食べてしまう。すると、草は生えてこなくなり、草原は急速に砂漠化する。その砂漠からはやがて黄砂が発生する」とブホー教授は砂漠化のメカニズムを説明する。
なお悪いことには、人々は生産性を上げるため、より多くのヒツジを飼おうとする。「過放牧」が起き、草原の砂漠化に一層拍車がかかってしまう。


●当局は人災認めず「過放牧」主張

特定非営利活動法人(NPO)「内モンゴル砂漠化防止植林の会」によると、内モンゴルで牧草地として使用可能な草原の面積は、1960年に82万平方キロだったのが、99年には38万平方キロに激減したという。
緑が消えた面積44万平方キロは、日本の国土(38万平方キロ)をはるかにしのぐ。
「草原の砂漠化は共産党による人災だ」と教授は断言する。しかし当局は失政を認めてはいない。逆に「過放牧が砂漠化の原因」として放牧を禁止し、遊牧民を草原から締め出している。放牧を放棄させられた住民は7万人以上とされる。彼らは生きるために農業に活路を見いだしていく。草原がまた掘り起こされ、そこにもやはり草は生えなくなる。
「草原を耕すな」―。遊牧民の間にはこんな言い伝えがあるという。ブホー教授は現地調査の際に地元の人たちを集め、「困難でも遊牧生活に戻る努力をすべきだ」と説いた。しかし、背に腹は代えられない地元の人々は矛盾を感じつつも、砂地でも育つ豆やトウモロコシを栽培し、生計を立てている。

チベットの草原●「3000年の放牧文化 破壊」

モンゴル民族の放牧の歴史は3000年といわれる。遊牧民たちは自由に草原でヒツジを放牧していた。「放牧は自然の仕組みの上に成り立ってきた。しかし当局の政策は、少数民族の生活や文化、感情を考えることはない」と教授は批判する。「長い歴史を持つ遊牧民の文化は、共産党政権の数十年で破壊しつくされようとしている」

●開発で有害物質、付着し日本へ

近年、変化したのは黄砂の発生場所だけではない。黄砂の成分も変わってきた。とりわけ有害物質を含む黄砂が問題視されており、環境省が2002―05年に行った「黄砂実態解明調査」でも、大気汚染物質が黄砂に付着して日本に飛来している可能性を指摘している。

●排煙や排水 垂れ流され

ブホー教授は現地調査の折、排水が放つ異臭に思わず鼻を覆ったことがある。南京市郊外から移転してきた工場が、未処理で垂れ流す有害な排水が異臭の“犯人”だった。
北京や上海など沿岸の都市部に比べて経済的に遅れている内陸部を開発するため、「西部大開発」の名の下、西部辺境地域に工場を次々に誘致している。教授によると、こうした工場のほとんどが、環境保護を考慮せず排煙や排水を野放図に流しているという。
「排水が垂れ流された場所が砂漠化して黄砂になったり、上空の排煙が黄砂に付着すれば、有害物質が黄砂として飛んでいくことになる」
教授は故郷を訪れるたびに「少年のころに見た草原が消えていく現状に深い悲しみを感じる」と話す。広がっていく砂漠を目の当たりにすると、絶望感と無力感にもさいなまれる。できるのは「これ以上砂漠を拡大させないこと」くらいだ。

●国際社会が解決を迫れ

そのために何をすべきか。ブホー教授はこう強調した。「地球の自然環境は人類共通の財産であり、決して中国一国の問題ではない。国境を越えて出ていく黄砂の被害を抑えるため、国際社会が中国に圧力を強め、解決を迫ることが不可欠だ」


☆同地出身の研究者 酪農学園大・ブホー教授☆

ブホー・オーツル 64年、中国・内モンゴル生まれ。95年、中国科学院博士課程修了。中国科学院リモートセンシング応用研究所副教授、北海道環境科学研究センター特別研究員などを経て、現職。理学博士。07年に日本国籍取得。日本名は星野仏方(ぶほう)


<デスクメモ>
この原稿で、数字とグラフが好きなコンサルタントたちを思い出した。生産性を上げようと力んだものの、手法を間違え、とんでもないことに―というのは、なにも自然相手ばかりではない。果実を得る部門の陰に、種をまき肥やしをまく部門があることを軽視した「成果主義」がそうだった。 (隆)


rftibet at 19:30|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2009年05月14日

アンサンスーチンさんを救い出したい/カンゼでの逮捕は続く

b7057c43.jpg写真は宇宙ルンタです。クリックして見てください。

それにしても、ビルマのアンサンスーチンさんは可哀そうです。
今また、拘置所に入れられています。
今月の初めに馬鹿なアメリカのおっさんが湖を泳いで渡りアンサンスーチンさんの自宅の湖に面する庭から家の中に入ったという。
その時のバカな男の写真がBBCに流された。
もちろん彼は招かれざる客だった。
その後すぐに追い返されたという。
しかし、このことをもってビルマ当局は彼女が自宅監禁の禁を犯したことだとして彼女を罰しようとしているのだ。
丁度今月の27日には自宅軟禁の刑期が終わるはずだった。

何れ、独裁軍事政権は少なくとも来年の20年ぶりという総選挙までは彼女を自由にするはずもなかったのだ。

私は去年ビルマを少し旅したが、本当に人々は仏教熱心でチベット人と似てとびきりいい人ばかりだった。しかし生活は一様に貧しかった。
だのに、貧しい藁ぶきの部落のそばに豪華な軍隊専用のゴルフ場とかがあった。

あんな心優しい純真な人々を中国が後ろにいるからと言って好き勝手に武器で弾圧統治していいはずがない。

アンサンスーチンさんはそれでなくとも最近病弱で床にふすことも多いと聞く。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

国連の人権理事国にアメリカが新しくは入ったことはいいが、中国がまたしても入っているのは一体どういうことなのか?
最初から、意味無いと思われても仕方ないと思う。

フランスのパリ市は中国の嫌がらせをもろともせず、ちゃんと6月には法王を迎えて名誉市民賞を授与すると発表しました。


東京新聞:米が国連人権理事国に 初当選、参加拒否を転換:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009051302000220.html

2009年5月13日 夕刊

 【ニューヨーク=加藤美喜】国連人権理事会(本部ジュネーブ、定数四十七カ国)の理事国改選選挙が十二日、国連本部で行われ、二〇〇六年の人権理発足以来、初めて米国が理事国に選出された。任期は三年。

 米ブッシュ前政権は人権理事会に対し「反イスラエルに偏っている」「人権侵害国が理事国になっている」などと反発し参加を拒否してきたが、オバマ政権は国連重視の立場から方針転換を表明。選挙への初出馬を三月に表明していた。

 今回の改選は十八議席で、当選には総会加盟国百九十二カ国の過半数にあたる九十七票以上が必要。

 米国は「西欧」枠(改選三)に出馬し、ノルウェー、ベルギーに次ぐ百六十七票を獲得した。同枠への立候補は三カ国のみで事実上の信任投票だった。

 その他地域枠では、チベット問題などを抱える中国や、国際人権団体から人権侵害批判を受けているサウジアラビア、キューバなども再選。

 ライス米国連大使は「人権理は期待に見合う活動をしてこなかった。内側からの改革、強化に取り組みたい」と述べた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

5月12日付チベット亡命政府リリースより。

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/May/270509.html

<カム、カンゼ地区におけるチベット人の逮捕は続く>

4月20日あるいは22日の夕方9時頃、カンゼ県ロワ地区のロユンの家に大勢の軍人が押し掛け彼を逮捕していったという。
逮捕の原因は彼が政治的張り紙を張り出したからだと言われている。
彼は24歳、父親の名はタシ・チュゲルという。

同じ地区で同じころに若者が逮捕されたというが、本人の名前は不明、母親の名はドゥロ・チュドゥンだという。










rftibet at 17:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月22日

カンゼの尼僧院院長のリンポチェに15年の刑か、、

21.4.09 ダラムサラ昨日夕方からダラムサラでは、3人のチベット人女性に死刑を含む厳しい刑が言い渡されたことに抗議するためのキャンドル・ライト。ビジルが行われました。

法王は東京で「You must go to Tibet to find the reality!]とおっしゃったようです。
行けない人は耳を傾けましょう。

その他、中国の最近の死刑判決について「実際すべては党がコントロールしている。だから、これらの刑期もすべて政治的な理由を持つものだ。我々は判決に対し大きな疑いを持っている」と語られた、とパユルは伝えています。
日本のには載ってないようですが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

pulbu tserin rinpoche  C/R AP,ICT<カンゼでラマ武器保持疑惑裁判始まる>

4月21日付、RFA:

http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetan-lama-on-trial-for-weapons-charge-in-china-04212009222717.html

昨年の動乱時期一人のラマが武器所持疑惑で逮捕されたが、その裁判が昨日始められたという。もしも判決が言い渡されるならそれは相当に長いものになるであろうという。

北京在住の中国人弁護士リー・バン・ビン氏が電話でAP通信社に伝えたところによれば、
四川省カム、カンゼ県にある、尼僧院の一つの僧院長であるプルブ・ツェリン・リンポチェ52歳は昨年武器所有の嫌疑で逮捕されていたが、
昨日火曜日カンゼ中級人民法院(地裁)で審議が開始されたという。
もしも有罪が確定するなら15年の刑が言い渡されるはずだとも伝えた。

さらに、リー氏は、昨年警官がリンポチェの部屋を捜索したとき、寝床の下から拳銃と銃弾約100発が発見されたと警察側は主張するが、リンポチェは、これは全くの作り事であり、自分には全く非はないと主張していると語った。

リー氏は警察側が勝訴するにしても、例えば、その拳銃がどこから来たものなのか?の説明も指紋検証の話も何もない、リンポチェは尋問の間に「もしも、自分たちの言うことを認めないならば妻と息子も逮捕するぞ!」と脅されたと語ったという。

昨年3月17日、尼僧達が尼僧院にやって来た中国の愛国教育キャンペーン隊に抗議を行った。その結果80人の尼僧が逮捕された。
その翌日、僧院長のプルブ・ツェリン・リンポチェが逮捕されたのだった。




rftibet at 12:05|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2009年04月21日

弾圧と抵抗は続く

e133ebc8.jpg写真は囚われの木版師パルジョル・ノルブ氏81歳

4月19日付、亡命政府チベット語プレス・リリースより、

最近新しく本土より伝えられてきた、カム抵抗運動のニュースをまとめて報告します。

ーーー

<カンゼ、バタンで一軒ごとの家宅捜査>


http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/190409.html
現地からの情報によれば、4月14日、カンゼ・チベット族自治州バタン(リタンの西200km)地区ポグルシ町ガンル村に約70人の中国軍と治安部隊が押しかけ、3月初めに起った警察署での爆弾事件の捜査という名目で一件ずつ家宅捜査を始めた。
少なくてとも10人逮捕するまで続けるとのこと。(ノルマでしょうか?)

この爆弾事件は、今年3月初めにポグルシ町の警察署で何者かが爆弾を爆発させたというものだ。
その事件が起きた時間帯にその付近で「中国人はチベットから出て行け」「チベットはチベット人のものだ」とチベット語と中国語で書かれた張り紙が見つかっているという。
事件の後、公安はこれに関連し4人のチベット人を逮捕したが、彼らはその後逃亡した。

中国当局の弾圧は村の農業に深刻なダメージを与えている。
当局は村の若者を一人ずつピックアップして連行する。
それを恐れて多くの若者が村から逃げ去った。
労働力もなく耕作地は今年の作付が行われず、未だ荒れたままだという。
(積極的耕作拒否をしてもしなくてもいずれ耕作不能なのです)

現地からの情報によれば、爆発による負傷者は出ていないという。
と言うことは、中国当局がチベット人弾圧の口実にするためにでっち上げたとも考えられる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<チャムド地区の僧院で僧院長その他僧侶が逮捕される>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/210409.html
4月1日チベット自治区チャムド県 ジョンダにあるデンマ・チュコル僧院の僧院長と一人の僧侶が逮捕された。

この逮捕は今年1月にこの僧院で行われた、中国政府に対する抗議に関連するものだという。

抗議の後、僧院長初め多くの僧侶は逮捕を恐れて僧院を離れていた。

チャムドにある公安本部はジェクンドから15人の警官を僧院長逮捕のために派遣した。

同じ日に山で瞑想のために籠っていた、当僧院の元監督僧ソナム・ゲレック師と僧ツェテン・ソナムも逮捕されたという。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<カンゼの僧院に武装警官隊が押し入り僧侶を逮捕>

http://www.tibet.net/tb/flash/2009/april/220409.html

4月1日前後、カンゼのチツァン僧院に武装警官隊が押し入り40歳の僧侶を逮捕した。

僧侶はガワン・トゥトップの息子ソナム・ニマと判明した。
彼は僧院の日常必需品を買い出しに行く係りであった。

彼の甥で同じくチツァン僧院の僧であるツェリン・ギュルメは去年3月カンゼで起こったデモに参加したとして指名手配され、僧院から逃亡したという。

このツェリン・ギュルメの24歳の弟テンジン・ゴドゥップは去年3月20日のカンゼ市内のデモに参加したとして3年の刑を受けている。















rftibet at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年04月15日

カンゼ政治犯市内見せしめパレード

b8fd6b95.JPG写真はダラムサラで行われた抗議デモ中の疑似引き回しの写真です。

<中国はカム、カンゼでチベット人政治犯達を市内引き回し見せしめパレードに曝す>


Phayul, Dharamsala4月15日:
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24456&article=Tibetan+prisoners+paraded+to+intimidate+residents%2c+monks+arrested+in+Kardze

南インドのセラ僧院の僧侶ゲレックの伝えるところによれば、中国当局は15人のチベット人政治犯を他の市民を脅すために、市内パレードさせた。

4月5日、それまでに抗議デモや耕作拒否に関連して逮捕されていた者の内15人が軍用トラックに乗せられていたが、その後ろには20台の治安部隊の車両が続いており、
囚人たちは頭を剃られ、手足にチェーンが巻かれていたという。

ゲレックは、これはカンゼのチベット人を脅すためだ、と話した。

パレードの最中、当局はラウド・スピーカーで「中国政府に反抗する者はみんなこうなるのだ!」とアナウンスしていたという。

15人の内、以下3人の身元が確認されたという。
ジャンパ・ドゥンドゥップ27歳、タペル56歳、ツェリン・ワンラップ42歳。


<同じくカンゼで新しく僧侶5人が逮捕される>

ダラムサラにあるテホル地方協会のプレス・リリースによれば、

4月1日、カンゼ、チツァン僧院の5人の僧侶が逮捕されたという。
中国の武装警官隊が僧院に押し入り5人を連行していった。

内一名はソナム・ニマという当僧院の管理者の一人と判明している。


ーーーー

中国の伝統的恐怖政治の象徴的手段です。







rftibet at 18:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)