ゴロ

2010年07月08日

チベット内地から法王の誕生日を祝う歌がyoutubeに

アムド、ゴロのチベット人が「ダライ・ラマ法王の誕生日を祝う」という歌をyoutubeに載せた。

全員名前を明かしている。
(追記:ゴロ、マユルリンのセンチェン歌舞団制作。
「法王のお誕生日だ、急いで秘密のネットにこの歌を載せよう」と書かれている。


歌い手の女性は、今日RFAの中で「捕まっても悔いはない」と話していた。



二曲歌われている。

以下、歌詞を訳してみた。

女性が歌っている一曲目:

<お誕生日の祝いの歌を歌おう>

顕密の仏法はインドより伝えられ
教えの説と聞はチベットより広まった
その弟子たちは世界を覆う
仏法を広めるための歌を歌おう

尊きラマはアムドの地にお生まれになった
その偉業はインドの地より広まった
その偉名は世界を覆う
あなたの長寿を祈る歌を歌おう

歌い手の私は雪山チベットより歌う
この詩歌は我らの町に響き渡り
吉祥なる雪山の国を覆う
内・外のチベット人を繋ぐ歌を歌おう
吉祥なる雪山の国を覆う
内・外のチベット人を繋ぐ歌を歌おう


男性が歌う二曲目:

<我ら皆、あなたのお誕生日を祝う>

我らの父は菩薩
愛と慈悲の血を引くもの
法と善に努める民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らの母は岩山の精霊
誇りと勇気の血を引くもの
方便と精進を保つ民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らが祖国、雪山の国は豊か
雪山の白き獅子を愛するものたち
世界の頂きを守る民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らを護るはイシンノルブ(如意宝珠、ダライラマ法王)
平和の行ないに通じるものたち
業と縁起を大事とする民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らの父の住まいは赤い宮殿
この雪山の国の第一の統治者
様々な文化を集めた民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う



追記:
歌っているのはゴロ、マユルリンのセンチェン歌舞団の人たち。

「法王のお誕生日だ、急いで秘密のネットにこの歌を載せよう」と書かれている。
中国では、この何でもない行為ーー尊敬する人へ祝いの歌を歌い。それをネットに載せることーーは非常に危険な行為となる。

それなのに、この歌い手たちは何とも静かで落ちつきはらって歌っている。

下の尼さんたちはこれを見て「アツィ(ああ、)、、ニンジェ(憐れ)、、」
と涙を流した。








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2009年09月28日

ソガ・ロプタ/今年冬亡命を果たしたゴロ、テンパ・タルゲの話

ダラムサラ、ソガ・ロプタ昨日ダラムサラの下の方にあるソガ・スクールに行ってきた。
ソガ・スクール(ソガ・ロプタ)は亡命時18歳以上、勉学の意思のある者を全寮制無料で受け入れる成人学校だ。
最初3年制で始まったが、最近5年制に変わった。
主にチベット語、英語、数学を教える。
この学校最初10数年前にできたときには壁も天井もブリキ板作り、床は土間という、まさに難民キャンプを絵にかいたような空間が原野に広がっていた。
夏の暑さ、雨、冬の寒さで全員眠れぬ夜は当たり前の状態だったという。
その上、成人の若い男女が大勢近所に住み合うということにより自然に至る所に争いごとが起こり、その状況にカム、アムド、ウツァン男たちの郷土意識が重なりあい、複雑な状況の溢れる空間でもあったようだ。
しかし、今はそれも昔話。原野の中に今では簡素ではあるがちゃんとした教室や男女なるべく離された寮、職員宿舎が立ち並んでいる。

ここで学ぶチベット人の若者の多くは一度も本土で学校に通ったことがないという。
チベット語も英語も算数も生まれて初めて学ぶのだ、18歳過ぎて、40歳の者もいる。
「勉強」と言うものに触れたことが無い成人を教えるのは大変なことだと、先生方は言う。

このソガ・スクールに久しぶりにわざわざ来たにはわけがあって、ここにいるはずの最近亡命してきた数人から話を聞くためだった。
目指したのは、去年の5月だったかに、アムド、ラプラン・ゴンパで3月以来初めて外国メディアが来た時に、勇敢にも記者団の前にチベット国旗や横断幕を手に走り出て、チベットの本当の現実を訴えた僧侶たちだった。
今年の夏そのうちの6人が亡命を果たした。
二人がこのソガにいるはずだった。

しかし、人権センターから貰った名前が間違っていたらしく、名前を渡して呼び出してもらったが最初に現れたのはまるで人違いの学生だった。
でも、せっかくだからと話を聞き始めると、この人も相当の人と判った。

というわけで、まずその<Free Tibet>の鉢巻きを「チベットが自由になるまで取らない」と誓ったテンパ・タルゲ氏の話を紹介する。
彼は現在33歳、アムド、ゴロの出身。地元のツェナン僧院の僧侶だった。今も僧衣を着ることは学校内で禁止されているので、俗人の服を着ているが、実際は戒律を守り続ける僧侶であるという。

ーーー

テンパ・タルギェテンパ・タルゲ氏は2000年、一度ヒマラヤを越えダラムサラまで来たことがある。
しかし、彼はそのまま、亡命者としてインドに留まらず、もう一度チベットに帰ることにした。
それも多量の土産を背負って例のナンパラ峠を冬に越えたのだ。
土産の中身はダライ・ラマ法王の小冊子、CD、お写真だった。
それぞれ数百部(枚)を背負っていた。
だが、峠を越えたところで中国の国境警備隊に見つかり、もちろん逮捕された。
シガツェ刑務所で厳しい拷問付きの尋問を受け、結局6年の刑、プラス4年半の政治的権利剥奪を宣告された。
最初地獄のダプチ刑務所、次にチュシュル刑務所でその6年間を過ごした。

2006年3月1日、刑期を終えゴロに帰されたが、僧院にも帰れず、監視下に置かれ生活にも窮した。
2008年ラサに逃亡した。そして、3月14日のデモに出くわした。
ラモチェ僧院前での僧侶と警官隊の衝突から始まり、デモは一挙にラサの旧市街全域で自然発生した。
周辺部にいた者ほど武装警官隊の餌食となり負傷、死亡した者が多かったという。
彼はジョカン近くでデモしたのち同郷の友人の部屋に隠れていた。
しかし、18日警官隊に踏み込まれ逮捕された。
その時にはチベット人の青年は見つかれば一言の説明もなく、暴力的にその場で縛りあげられたという。
逮捕され、拘置所で尋問を受けたが、このときに受けた暴力は最初2001年に受けたものとは比較にならないすさまじいものだったともいう。

彼の入れられた拘置所の一部屋には26人のチベット人が押し込まれていた。
その中の二人は銃弾を受け出血が止まらない状態だった。
一人は胸と腹を撃たれており、瀕死の状態だった。
もう一人は足を撃たれていた。
それでも、そのまま他のチベット人と同じように監房に横たえられているだけで、何も特別な治療は受けていなかった。

数日して監視人が「部屋の中に撃たれた者は何人いるか?」と聞きながら各部屋を回った。
「二人いるぞ!」と答えると「これを飲ませろ」と言って錠剤を数粒ドアの近くの者に渡した。
彼は「風邪を引いたわけじゃなし、銃で撃たれたものに錠剤をやってどうするつもりだろう」と思ったという。
18日後、彼を含む160人のチベット人囚人がラサ駅から列車に乗せられ四川省のメヤン刑務所に送られた。
胸を撃たれていたチベット人は一週間ほどしてほぼ死んだ状態で、どこかに連れて行かれたという。
もう一人の足を撃たれたチベット人は彼がそこを離れるときまでそのままだった。

メヤン刑務所に着いて16日目、今度は同じゴロ出身の5人がカムのゾルゲ刑務所に送られることになった。ゾルゲに着くとすぐにアバまで送られそこで解放された。どこの刑務所も一杯になり、溢れたようだった。
そして、今年2009年の2月、再びヒマラヤを越えダラムサラまで来た。

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今はソガ・ロプタで勉強中だが、彼はこの学校の中でも<ゲルシェンパ=チベットを守る意思の強い人>として有名だということでした。

後二人のインタビューを終え、薄暗がりの中を帰る途中の道の隅々には、立ったままノートを広げて、声を出しながら英語を勉強する大勢の生徒たちがいた。










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2009年08月18日

ラギャ大デモの逮捕者に判決

ゴロ、ラギャ 黄河 身投げ地点今年3月21日、ァムド、ゴロ・チベット族自治州ラギャで僧タシ・サンポ28歳が拷問を逃れるため黄河に身を投げ、自殺した。
左の写真の中、赤い矢印の辺りに身を投げたという。

次の日、これを知ったラギャ僧院の僧侶や市民数千人が抗議の行進を行い警察署に詰めかけた、という事件のレポートは3月22日から数日間このブログに載せました。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-03.html?p=2#20090322
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-03.html?p=2#20090323

デモの動画も以下で見ることができます。
http://media.phayul.com/?av_id=148

ダラムサラのTCHRDによれば、8月13日マチェン県人民法院は3月22日の抗議活動に参加し逮捕されたチベット人の内8人に判決を言い渡したという。
http://www.tchrd.org/press/2009/pr20090814.html
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25340&article=8+Tibetans+sentenced+over+Ragya+protests

内6人の僧侶には1年から7年、俗人2人は半年と1年の刑。
パルデン・ギャツォ1、僧パルデン・ギャツォ40歳、戒律師 刑期7年

2、僧ツルティム  元戒律師 刑期4年











ソパ・サンポ3、僧ソパ・サンポ  元会計掛かり刑期3年











ジャミヤン・ケドゥップ4、僧ジャミヤン・ケドゥップ 官理委員会秘書 刑期2年










ゲンドゥン・ラロ5、僧ゲンドゥン・ラロ  刑期1年









シェラップ・サンポ6、僧シェラップ・サンポ 刑期2年

7、ギャサ村出身のフ・ロ 刑期1年

8、ギャサ村出身ヤン・キャップ 刑期半年


ーーー


これで、話は終わるのであろうか?






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2008年05月01日

ゴロの危機 TCHRD29日付

8b7aef8e.JPG引き続きTCHRD29日発表分をA女史に翻訳して頂きました。

ゴロ、トンコル地方の緊張は極度に高まっています
日本の新聞が新華社を引用して伝えたところの「武装警察隊の上官を6発の銃弾で倒した」とする「反乱隊の指導者」チュトップの写真が左です。

どちらが真実なのか?はお読みになられた方が判断されるしかないでしょう。

4/29/08(即時公表用http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080429.htmlチベット人遊牧民、アムド、ゴロ地方で銃殺される

TCHRD(チベット人権民主センター)が得た信頼できる情報によると、2008年3月21日、ポンコル町区のチベット住民は、青海省のゴロ地方ダルラ郡で平和的な手段による反中国運動を行った。
情報筋によれば、2008年3月21日、ポンコル・トゥマ及びメマ町区のチベット人住民達は、中国国旗を引き降ろし、禁じられているチベット国旗を掲揚した。

チベット人住民はこの事件の間に現場に駆けつけた中国当局に対しても抗議を表明した。この事件に対応するために、中国政府は2008年3月22日に、大小5台の軍用車をダルラ郡に派遣した。軍用車がダルラ郡に入ろうとすると、350人のチベット人の騎馬隊が押し寄せ、中国軍の侵入を拒んだ。この妨害の間、チベット人騎馬隊は反中国の抗議をした。

2008年3月23日、ポンコル僧院の僧侶達と現地の高僧グルルはこの衝突に介入し、両者の間で緊張が高まるのを抑えた。同じ23日、この平和的反対運動を鎮静するために、約30台の軍用車がダルラ郡に派遣された。

2008年3月24日、この平和的反対運動に参加したポンコル・トゥマ及びメマ町区の約50人の住民が中国治安部隊により逮捕された。2008年3月25日には、さらに50人のチベット人が逮捕された。中国治安当局による逮捕の恐れや脅しが絶えずあるなかで、約400人のポンコル・トゥマの住民と100人のメマ住民は、2008年3月26日、隠れ場所を求めて付近の山頂へ逃避した。これに対して約860人の中国治安部隊が送られ、住民が逃げ隠れた山の周囲を取り囲んだ。何日かして中国治安部隊は、隠れているチベット人をおびき出し自首させるため、刑罰を軽くすることを約束したが、この約束にもかかわらず、治安部隊に自首をしたチベット人は2名のみで、この2人は後に暴行、拷問を受けている。

TCHRDが得た情報によると、この事件後数週間の間、何百人ものチベット人が治安部隊により逮捕されたとのことである。後に留置所から釈放されたチベット人の多くは、2000元(約2500米ドル)もの罰金を払わされた。

2008年4月28日事件は劇的な展開を見せ、武装した中国治安部隊がポンコル・トゥマ町区の遊牧民部落を取り囲んだ。夜明けとともに、治安部隊は遊牧民めがけて発砲した。発砲開始直後、22歳のチュトップという名の遊牧民が死亡した。治安部隊はチュトップの死体を持ち去り、未だにチュトップの家族へは葬儀を行うために彼の遺体が返されていない。ポンコル・トゥマ町区の状況は緊迫していると伝えられ、さらに多くの治安部隊がポンコル町区に送られている。

TCHRDはポンコル町区のチベット人住民の状態を深く懸念しており、住民に対する制限的対策や暴力的弾圧を強化することを中国当局が自制することを訴える。

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30日付委員会プレスリリース

9ccdab40.JPGチベット連帯緊急委員会(中央チベット政府)
2008年4月30日
http://www.stoptibetcrisis.net/pr300408.html

確かな情報筋によれば、4月28日自治区ゴロ地区ダルラのポンコル テュマPonkor Toema (Ch: Hongke township) under Darlag (Ch: Dari) County in Golog TAP (Tibetan Autonomous Prefecture)において、山に逃走していたチベット人が武装警察の捜査隊により殺害された
情報によれば、周辺の山々に逃走したチベット人たちは中国の武装警察に完全に囲まれており、発砲も行われているという。

この事件については中国政府の新華社も伝えている。「チベット族の上官が警察と容疑者の間で起こった銃撃戦の最中チベット人により殺害された」と。(これについては最後に日本の記事を紹介します)

死亡したチベット人はチュトップ22歳と確認されている。遺体はすぐに持ち去られ、家族の懇願にもかかわらずいまだ家族の元に帰されていない。
それどころか、被害者の父親サンサン ルルと兄弟の一人が逮捕され、地区中央庁舎のあるダルラに移送された。

先のプレスリリースでもお伝えした如く、このポンコル テュマでは3月21日に大規模な平和的行進が行われた。その後の弾圧を恐れて約500人のチベット人達が周辺の山や森に逃げ隠れた。
この事件による犠牲者、負傷者、逮捕者についての詳細はいまだ不明。


4月14日、ソ地区のヤンネ(Yang Nye township under Sog county, a Tibetan named Chambu Gudrup)において地区当局が<愛国再教育キャンペーン>を行っている最中、チベット人チャンブ グドゥップ氏52歳は用意していたダライラマ法王の写真を前に革ひもを燃やして香となし、カタ(チベットスカーフ)を法王の写真に向かって捧げたという。
明らかなキャンペーンに対する抗議の意味であった。
彼は立ちあがって次のように話したという「1959年以来中国は大量のチベット人を虐殺し、チベットを分断した。チベットの政治と宗教の導師であるダライラマ法王を強制的に批判させることは完全に間違っている」と。
もちろん彼はその場で逮捕された。

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山に逃げた多くの人達は日も相当たち食糧も尽きている恐れが高い。その上周りを武装警察によって囲まれている。追い詰められた人々だ、、、

例えばこの状況でチベット人がひとり殺害されたということが日本では以下のように伝えられている。

「中国国営新華社通信は30日、青海省果洛チベット族自治州達日県で28日、同県公安局の捜査隊長が、暴動を起こした主要容疑者として追跡していたチベット独立派の幹部から銃撃され死亡したと伝えた。6発の銃弾を浴びたという。同件では、3月21日にチベット族の遊牧民による騒乱があり、公安当局はその幹部を割り出し逮捕するため追跡していた。死亡した捜査隊長はチベット族だった。捜査隊長を殺害したこの幹部は現場でほかの警察官による銃撃を受け死亡したという。」(北京 野口東秀)

北京の報道駐在員の中には脅迫状を送られたり、当局に拘束されたりするものが後を立たないという。
そのせいなのか?日本もまたこのところ中国の報道をそのまま載せたような記事が目立つ。
反対報道を少しは伝えるのが礼儀ではないのか?
あるいはこれはあくまで中国政府<大本営>の発表だからとことわるとか。
日本の報道記者だけ(北朝鮮といっしょに)がまだ本気に中国新華社伝を信じているとでもいうのか!?

この事件の初めからの全体を知れば、とてもこんな記事を発表できるはずがない。
あるいは、もちろん知っての上か?例の協定に従っているだけか?









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2008年04月28日

27日付委員会プレスリリース アムド ゴロの現況等

01d41194.JPGチベット連帯委員会

2008年4月27日
最新声明文

http://www.stoptibetcrisis.net/pr270408.html


信頼できる情報筋によると、4月19日の夜、多数の中国軍部隊が、チベット自治区のゴロ地方チディル郡にあるミンタン僧院を襲い、僧侶の宿舎をくまなく捜索した。軍は僧院内のダライ・ラマの写真をすべて引き剥がし、僧侶達のカメラを没収した。この事件の間逮捕された僧侶はいなかったが、約50人のチベット人の一般市民が逮捕され、このうち27人はゴロ・チディル刑務所に拘禁され、残りの者はミタン郡に留置されている。

4月3日の夜には、9人のチベット人がゴロ地方ダールダ郡で逮捕されている。このような正当な理由なしの独断的なチベット人の逮捕は、チベット内全域で行われ続けている。中国当局は、反中国運動に参加した後周辺の丘や林に逃げ隠れたチベット人で自首した者は赦免すると発表したが、500人のこのようなチベット人のうち自首した者は今まで2人のみである。自首した2人は、激しく殴られ、ダールダ地区の刑務所に拘禁された。周辺地域にまだ隠れているチベット人達は、現状を正しく把握するため、事情調査団体とマスコミがチベット内部に派遣されることを要求している。

4月25日、中国政府はダライ・ラマの公使と対話を再開すると発表したが、同時に、中国の新聞やテレビではダライ・ラマの批判が続いており、政府事務所内でもダライ・ラマを非難する目的のミーティングが組まれている。僧院内においても、ダライ・ラマ法王を非難するように強制する政府のいわゆる「愛国再教育」が強要されている。

中国国内では、北京で働くチベット人は厳重に監視され尋問を受けている。また、チベット人と中国人の関係が悪化し、両者の間の争いが増えている。チベット人の中には、中国警察からの圧力により、仕事を辞めさせられた者も出ている。

チベットの危機的状況をかんがみて、国連と国際社会に向けて、下記の我々の要求を緊急に考慮することを要請する。

1 直ちに、独立した事情調査代表団をチベットへ派遣する。
2 直ちに、自由報道機関がチベット全土で取材できることを許可する。
3 直ちに、チベット全土における無惨な殺戮を阻止する。
4 直ちに、逮捕され拘留されているチベット人をすべて釈放する。
5 負傷したチベット人達に対する緊急医療処置を施す。
6 チベット人の行動の自由を許可し、日常需要品の補給を可能にする。



以上A女史訳

闇の中でチベット人迫害は続く。
<対話>よりもまずこの人たちを助けることが先と思う。
それがこんなに難しい。



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2008年04月26日

続ゴロの武器チャクド

4522f35e.JPG24日に<500人のゴロの人達が山に籠って中国と闘う覚悟でいる>という話の余談で<ゴロ独特の武器チャクド(鉄石)>の話をした。

そのことで訂正がある。

この武器?はゴロ独特のものではなく、アムド全土でその毛のある男たちの使用するものであると解った。
チベット国旗を血で描いたと語った、レストランのトプチュが正しいと思われる絵を書いてくれた。

その絵によると先の鉄の部分は15センチぐらいで密教法具のプルブ(鋭い三角錐形。ブルブも基はインドの武器)に似ているらしい。
その後ろに3メートルあまりの革性の紐が付いていてこの一方を手首に結び付けておいて、投げては引き戻し、また投げつけ、引き戻す。
この技の取得には相当の訓練がいるという。

この革にはラゲ(ジャコウジカ)の革が一番いいという、ラゲが手に入らない場合は
ナヤ(ナワ)(チベッタンブルーシープ)の革がいいという。
ヤーの革は厚くて硬過ぎるとか。

ウツァンはウツァンのカムはカムの男たち独特の戦い?喧嘩?の武器?があるという。
特に中国人と喧嘩になると出てくるそうだ。

武器はこんなだが命知らずの勇気だけはあると認めよう。

彼らは追い詰められたにちがいない、、、、、

タウの農民たちのゼネストも依然続いているという。


今日も内地からのニュースは次々入っている。
http://www.stoptibetcrisis.net/pr240408.html

http://www.stoptibetcrisis.net/pr250408.html

家は昨日の昼からずっと停電(ちなみに水ももう一か月は来てない。)

せっかく長野の様子をBBCで見ようと思ってたのに見れず残念でした。

みんな雨の中チベットのために本当にごくろうさまでした。

温泉にでも入って冷えた体を温め、お帰りください。

チベットの春はまだまだ遠い、山とか洞窟とかレンガ工場とか刑務所とかは冷えることだろう。

餓死するものもすでにいよう。

このままでは多くのチベット人がこれからも死んでいく。

対話、対話と喜ぶ気には少しもなれない
私は昔から対話無意味派なのだ。
会えたとしても独立を永遠にできなくなるような取り決めを結ばされてしまう可能性が高いし、
中国がこの状況で何か譲歩するとは考えられない。

このところ一党独裁も実は危なかったところを首尾よく愛国運動の盛り上がりを誘導することで乗り越えようとしてる今。
少しでもまともな話し合いをすれば石が飛んでくるから。
第一
法王「私はチベットの独立を求めたことは一度もない」
胡錦とう「いやお前は独立を求めている」

人を信じる歴史がない国の人(言いすぎ)に人を信じることを教えることは難しい。









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2008年04月24日

ゴロの反乱

昨日、<ゴロ チディル ゾンで500人のチベット人が山の頂上付近に立てこもっている>と言うニュースをお伝えした。

今ルンタレストランにいるが、ここの料理人のツェリン テンパとこのゴロの話になった。
私「ゴロ人(もちろんチベット人ではあるがその中でもちょっと一味違う?人たちなので)が中国と闘うとか言ってるけど、どうやって<戦う>つもりかな?」

彼「大丈夫だ!彼らは普通じゃない。武器だっていろいろ持ってる
まずブンダ(メンダの訛)という狩猟用の銃がある。
中国みたいに連射はできないがね。
ナイフや刀の類もいろいろある。
遊牧民だからグルドォ(投石用の紐)はあるし、
彼らだけが持ってるチャクドという鉄製の鋭利なナイフのようなものが先についている縄(相手に投げつけては引いて受け止める)もある」
このチャクド(鉄石)を実際見たことのない私がどんなものかと聞いてると他のチベット人も集まってきてこんなだ、あんなだと議論が始まった。使い方はこうだ、ゴロと喧嘩になったときは気をつけないと大変なけがをすることがある、とか。でもみんなちゃんとした絵が描けない。結局形態は良く判らなかった」

確かに私もチベットでゴロの人達を見るたびにその日焼けした顔、その目の鋭さ、野性味に独特のクオリアを感じたものだったが、
それにしても石器時代の戦いじゃあるまいし、、、、取りあえずその勇気を讃えたい。




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