ジェクンド

2011年02月01日

ジェクンド地震追悼曲集

fb3239e2.jpgユシュ(ジェクンド、ケグド、玉樹)大地震の後多くのチベット人歌手たちが被災者たちを慰め、勇気づけるために歌を作り、歌った。

その中のいくつかにはすでに日本語訳が付けられている。

私もその中から昨日紹介したツェワン・ラマの歌を一つ訳して見た。

まず、それを紹介した後、今までに日本語に訳されている歌2曲と、@dekipemaさんが書かれた解説を掲載させて頂く。

ツェワン・ラモの歌「勇気」を聴くにはまず以下へ:
http://www.youtube.com/watch?v=uoKJNfh0J5E

歌詞の日本語訳:

<勇気>

歌詞:トゥプガ
作曲:ユゲン・ツェリン
歌:ツェワン・ラモ

大地が激しく揺れ
私の故郷は破壊された
ユシュの人々よ 涙を拭え
その苦しみを共に分かち合おう

ユシュの人々よ
ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て

大地が激しく揺れ
私の兄弟が命を落とした
ユシュの人々よ 勇気を奮い起こせ
その苦しみを分ち合おう

ユシュの人々よ
ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て

大地が如何に凶暴であろうと
苦しみに負けるな
忍耐と勇気を起こすのが
チベット人の本性

同胞よ
同胞よ
苦しみに
負けるな

大地が激しく揺れ
私の故郷が破壊された
ユシュの人々よ 涙を拭え
その苦しみを分かち合おう

ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て
奮い立て

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<友らを見舞う手紙>

http://www.youtube.com/watch?v=ArNxIbkwFP8&feature=player_embedded

詞:ジュカザン 曲: シェルテン  日本語訳: @dekipema @kapopar

歌: シェルテンとケサン


四種の元素からなる自然 その脅威は避けられない
望まざることが不意に起きるのも運命
耐えがたくとも かならず背負わなければならない
だから力をふりしぼって 苦難に耐えなさい

善なる父の子よ…

死者の道案内は 生きている者にとって心の慰め
そして地上にある人々の とりわけ大きな役目
悪運を逃れた 幸運な私たちが今ここにいる
強い意志を持ちなさい

きょうだいたちよ…

生死や苦楽、財産は無常なもの
私たちは聖俗両様を学んだ命なのだから
敬虔なチベット人の本領が 今回こそ求められる
知識と理解を大きく羽ばたかせなさい

母の子よ…

オンマニペメフン オンマニペメフン……

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<恐れない生命>

__ 4・14青海省玉樹地震復興のために書く __

http://www.youtube.com/watch?v=cDFrWo4DHZ4&feature=player_embedded


詞:ワンラ 曲: ペマ・サムドゥプ

訳詩: ゴンポ・ワンチュク 日本語訳:@Tentshe @kapopar

私の山 私の川 私の祖国
私のきょうだい 私の父母
空が落ちたとしても 恐れることはない
大地が割れても 恐れることはない

私の血 私の一族 私の祖先
私の血のつながった一族 私の民族
激しい嵐であっても 外に動かされることはない
生命は確かな道を 間違えることはない

アー 闇を照らす灯明よ、
高原のすべての希望を照らしたまえ
喜怒の幸運の花 ”ケルサン・メト“ よ
この世の願いすべてを育てたまえ
すべての生命は 永く変らずに ありますように

オンマニペメフン

(1番)

[歌]ペマ・サムドゥプ/アジャ・ツェンデップ/サムコ/ツェリン・ヤンキー/チョンショル・ドルマ/ケルサン・テンジン/カンリ・ナンマ/カカ+デキー

※動画はチベット語版・中国語版があり、ジェクンド応援曲としてネット上でも広く知れ渡った曲。その後民族衣装のバージョンや英訳版、チャリティライブ版もつくられた。北京在住の歌手が多い。

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TIBETAN MUSIC NOW ジェクンド地震追悼曲

2010年4月14日に発生したチベットのジェクンド(青海省玉樹県)地震__多くの人々が瓦礫に埋もれた。インターネットはメディア報道規制の壁を超えて少ないながらも情報を世界に伝えた。各国の国際緊急救助は政府によって断られ、救援の主体は近隣からやってきた赤い衣のチベットの僧侶たちの集団となった。彼らは次第にその数を増して救援と死者の葬祭の重要な役割を担った。しかし数日後当局によって、早々にその赤い僧侶たちの一群は退去を強要され、その姿を消した。

生死の境界を目の当りにした時、おそらく、人の精神の立ち位置は、はっきりと現れてくる。北京と本土チベットの若い歌手たちの地震追悼歌。そこには彼らの現実、そしてまた、仏教で鍛えられた強靭なチベット人の精神の一端が見えてくる。

同じ時代を生きる、私たち日本人の立ち位置はどこにあるのか?このビデオメッセージの歌詞から、一考のひとときを受け取りたい。

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薫り高いチベット語による励まし

若いチベット人による歌の今日 text by@dekipema

震源地からそう遠くないゴロク地方出身のシェルテンは、地震発生後しばらく公に姿を現さなかった。仲間の救援のため現地に駆けつけていたともいわれていたが、チベットで活躍する若手歌手たちが地震直後から支援の歌を発表し、救援コンサートに出演していた中に彼の姿はなかった。しかし翌五月上旬にはいかにも急ごしらえのスタジオで、友人とともに被災地に向けた曲を歌うシェルテンの姿をインターネット上に見つけることができた。

彼の歌う曲には、しばしばチベットの伝統的な教えや知識が盛りこまれている。彼の作曲による「友らを見舞う手紙」と題されたこの曲でいえば、自然が四つの元素からなること、この世のものはすべて無常であることなどがそれにあたる。作詞者であるジュカザンは詩人として名を知られた人で、多くのチベット人が両親や祖父母、お寺のラマなどからくりかえし聞かされて耳になじんだ教えを、凛として美しくリズム感あふれるチベット語の中にちりばめている。同時にそうした教えに基づいて災害という現実を見つめ直し、困難を乗り越えてほしいという願いを力強く表現している。

シェルテンの曲からは複層的な意味の広がりが感じられる。歴史や文化的な背景を持つ内容、複数の意味を持つ語彙などが選ばれていることがその理由のひとつだろう。聴く人、読む人は自分の知識や感性を働かせることで、その曲に歌われる世界のイメージをより大きくふくらませることができる。理解は必ずしもひとつに固定されない。同じ人が聴いても知識や状況が異なれば、また違う受け取り方ができる。そうした柔軟性のため、チベット人でも解釈や判断に苦しむ詩句に出会うことがある。しかしうまい詩とはそういうものだと、あるチベット人は指摘してくれた。実は今回の地震に寄せられたこの曲も、すべての人がすぐに理解できるわかりやすいものとはいえない。今述べたようにいろいろな解釈ができるということに加え、詩的で文語的な言い回しが時に解釈を困難にしている。もちろん大まかな意味は、たいていのチベット人が読み取れるだろう。

一時の心地よい気休めや一方的な呼びかけを繰り返すようなわかりやすさを優先しない、こうした詩が選ばれたのは、おそらくシェルテンがチベットの文化、特にチベット語を尊重し、若い世代に教えていきたいという願いを持っていることと関係している。現在のチベット本土では、学校へ行っても読み書きを含めたチベット語を必ずしも十分に学べるとは限らない。長い歴史を持ち美しさや技巧に富んだ文章語としてのチベット語を理解するには、素養をもった人の指導とそれを受ける十分な時間がないとむずかしい。それは彼自身の問題でもあった。何年も学校で学んだはずなのに、という失意があったと語っている。そうした状況を少しでも改善しようと、彼はあるプロジェクトを開始した。それは彼のミュージックビデオの画面に、『漢蔵英常用新詞語図解詞典』という本から選んだチベット語の単語を映し出すというもの。それらを何本かまとめ、「輝く母語」というタイトルでリリースしている。

シェルテンの歌には思うことが自由に表現できないという、現在のチベットが抱える大きな問題も影を落としている。多くのチベット人がダライラマ法王に対し強い尊敬と憧憬をもちながら、それを口にすることができない。だから比喩的、婉曲的に表現せざるをえない。人々は彼の曲にある「白い月」「遠くにいるお兄さん」「輝く太陽」「父」などの歌詞に法王のお姿を重ね合わせながら歌い、また聴くのだろう。(前:友らを見舞う手紙 上記:パロマロ参照)法王以外の高僧を思うこともあるに違いない。おそらくシェルテンは薫り高いチベット語によって広がりのある曲を作り出しながら、それを歌う自分とチベットの同胞たちの安全がおびやかされることのないぎりぎりの線をさぐろうと苦心している。そしてチベットの人々が代々受け継いできた文化や感情を曲の中で表現し、それを次の世代に伝えていこうとしている。彼らの前には教育の機会の問題とともに地域による方言差など、全チベット人がそろって母語の伝統を理解していくことへの困難が横たわっているけれど、その志が少しでも多くの人の知るところとなって、特に若いチベット人たちに受け継がれていけばと思う。

◎シェルテン日本語翻訳プロジェクト

http://www.youtube.com/user/kapopar



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2011年01月16日

巡礼者:ジェクンド地震で家族を失ったダワ

一昨日の夜、ダラムサラは今年2度目の嵐となり、一夜にしてマクロード・ガンジの町には20センチほどの雪が積もった。
当時に停電となり、今も回復しない。
町で唯一開いているネット屋を見つけ、そこからアップしている。

以下、1月14日付けウーセルさんのブログ。
http://woeser.middle-way.net/2011/01/blog-post_14.html
雲南太郎さんはその日の内にこれを翻訳して下さっていたのだが、今までアップできなかった。

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家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ◎巡礼者:ジェクンド地震で家族を失ったダワ

あるブログ(http://blog.sina.com.cn/s/blog_4673c37301017mcg.html)でこの「信仰の道巡礼者の手と荷物」という写真を見て、感動を覚えた。

ジェクンド(玉樹)地震の時、多くの僧尼を引き連れて被災地に入り、苦しむ衆生を救ったケンポ・ソ・ダルゲ(ラルン・ガル僧院長)が後に書いていたのを思い出した。

「仏教の無常観と死生観を理解している人は、生死と向き合っても落ち着いて対処できる。仏法の基礎と観念を備えたジェクンドの人は、災害と死に向き合っても平然、超然とした態度を見せていて、メディアや各界の人々をとても驚かせている……」

有名な在米チベット人歌手Phurbu T Namgyalが犠牲者のために心をこめて歌った「Yulshul In My Heart」をまた転載し、巡礼者ダワのように家族を失った人たちへの慰めとしたい……。
http://www.youtube.com/watch?v=_rWVdH1Jsfc&feature=player_embedded#!
(是非見てほしい。チベット語の歌の題は「顔をまた擡げよ」)

写真の物語:
54歳のダワはジェクンドから来た。両親と妻、二人の子どもを地震で失い、彼は独り取り残された。故郷から9カ月半歩いてようやくラサにたどり着いた。数日後には雲南に向かい、聖山カワ・カルポ(梅里雪山)をコルラ(右繞)するつもりだ。彼の全財産はこの簡単な荷物で、木の枝を組んだ背負子はやはり自分で作ったものだ。

亡くなった家族の話になると、彼は悲しい表情になり、目に涙を浮かべた。でも涙は流さない。

家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ荒々しい手














家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ全財産














家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ五体投地をする時に手を保護するための木の板をぶら下げている



























家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ手持ちの現金は100元にも満たず、宿に泊まるお金もなく、夜は軒下で過ごす。ラサの夜はマイナス数度にもなる。

























家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ旅の苦労を刻んだ顔






























家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ冬に雲南まで2000キロ以上を歩くのはとても寒いだろう。私が「いまは寒すぎるから、チベット暦の正月を過ごし、少し暖かくなってから行ったらどうか」と聞くと、「一番安い部屋でも月300元以上かかるし、そんなお金ないよ」と言う。彼は懐から電灯を取り出し、「夜中に寒くなったら歩けばいい」と言った。

家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ






























家族を全て失いケグドから慰霊の旅に出たダワ人ごみの中、彼の後姿はゆっくりと消えていった……。

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2010年07月19日

シガツェ、ナムリン村/ジェクンドの被災者は冬もテントで過ごせと

シガツェ、ナムリン村、5月21日、ウーセル・ブログより5月21日、シガツェ地区のナムリン(南木林)県ウユック・ソチェン(シガツェの北北東約100km)で起った、鉱山開発に反対する村人と武装警官の衝突については、5月26日付当ブログで報告した。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-06.html#20100626(下の方)

この時逮捕されたという30〜50人のその後の消息など、新しい情報は入っていないが、ウーセルさんの7月18日付のブログに、この現場写真が8枚掲載された。
http://woeser.middle-way.net/2010/07/8.html
貴重な写真なのでぜひ見てほしい。

ウーセルさんのブログより、シガツェ、ナムリン中国政府の大事な商売である、チベットの地下資源持ち出しを邪魔するものは誰でもこうなるということだ。
カルマ・サンドゥップ初め彼の兄弟が逮捕され、厳罰に処されたのも、環境保護という開発の邪魔となることをやるものは、だれでもこうなるぞ、と見せしめにされただけだ。

ところで、RFAの記事の中にはこの事件を取り締まった公安の役人が、自分のブログにこの時の様子を報告していたものがすっぱ抜かれ報告されていた。
彼のブログと関係がどれほどあるかは分からないが、この後すぐ、中国政府は「軍人、警察官、公安の職員が勝手にブログやソシアルサイトを利用することを全面的に禁止する」という通達を出している。

ウーセルさんのブログもいつ閉鎖されてもおかしくない。

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昨日(日本時間だともう一昨日)行なわれた「チベットの歴史と文化学習会」に参加された人も多いことであろう。
ジェクド(ジェクンド、ケグド)の地震被災地の現状についても、確か長田さんから報告があったことと思う。

その時に地震10日後に発表されたというビデオが見せられたと聞く。
そのビデオは以下のものではないか?と思われる。
http://yushuearthquakerelief.com/?p=464


毎日新聞に最近現地に入られたというCODE海外災害援助市民センターの吉椿雅道さんの報告が掲載されていた。

中国政府は有り余るほどの募金を集めておきながら、被災者たちに極寒の冬にも薄っぺらい火も焚けないテントの中で暮らせという。
死ねと言ってるようなものだ。

ジェクンド  ◇中国・青海省地震から3カ月、テントで越冬不可避
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20100718ddlk28040196000c.html

 死者2698人、行方不明者270人を出した中国・青海省の地震から14日で3カ月がたった。被災地は標高4000メートル近い高地。多くの被災者は草原に設けたテントで避難生活を送っているが、短い夏が終われば、厳しく長い冬が訪れる。今後の支援のあり方を探るため、CODE海外災害援助市民センターの吉椿雅道さん(42)が被災地を訪れた。【川口裕之】

 吉椿さんは四川大地震(08年)の被災地支援を続けてきた。6月2日〜同12日、四川省成都から陸路で片道2日半かけて被災地である青海省玉樹チベット族自治州に入り、最も被害が大きかった玉樹県中心部の結古鎮やその周辺で、支援物資を配りながら被災者や現地で活動するNGOから聞き取りをした。

 結古鎮では、土づくりの家のほとんどが倒壊し、一面が土色の状態。がれきの近くでテント生活を送る人もいるが、多くの被災者が、最大の避難キャンプとなっている結古鎮から1〜2キロ離れた草原で、テントを張って暮らしている。

 避難キャンプには数千のテントが無秩序に張られ、数万人の被災者が生活しているが、行政も十分に状況を把握できていない。テントも不足している。草原には川が複数流れており、今後雨期になると川があふれてテントが浸水する恐れがある。キャンプ運営が大きな課題となっている。

 被災地は9月には冬になるが、政府は仮設住宅を建設しない方針だといい、テントで越冬せざるを得ない状況だ。

 被災地ではチベット仏教が信仰されている。結古鎮にあるチベット仏教の聖地の一つである結古寺や、有名な禅古寺も被害を受け、プレハブで本堂を造るなどしているという。亡くなった僧侶もいる。被災者の信仰は厚く、「つらい時にはお経を唱えている」などと話し、受け取った義援金をすべて寺に寄付する被災者もいるという。寺をはじめチベット仏教の復興そのものが、被災者を元気付ける可能性がある。

 また、現地で飼育されているウシ科のヤクは、乳からバターを作ったり、毛をロープにしたり、ふんを燃料にしたりと生活に欠かせない家畜。ヤクの支援が被災地の伝統的な生活を支援することにもつながりそうだという。

 中国では、四川大地震(08年)で多くのボランティアが活動した。いわば「ボランティア元年」だった。青海省でも、避難キャンプで中国国内の複数のNGOが活動しており、四川省で活動していた20代や30代の若者もいるという。ただ、資金の問題もあり、冬が訪れる9月以降も継続して活動できるか、課題があるという。

 CODEではヤクや寺院を巡る支援などを検討中だ。救援募金も集めている。
 郵便振替00930−0−330579。加入者名CODE。通信欄に「中国青海省地震支援」と明記。募金全体の15%を上限に、事務局運営・管理費に充てる。問い合わせはCODE(078・578・7744)。【川口裕之】










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2010年05月08日

4.14玉樹地震慈善基金会

jyekundo写真は最後を除きウーセルさんのブログより。

長いこと、キグド(ジェクンド)のことを書かなかったが、もちろん忘れてたわけじゃない。
毎日、被災地のことが気になってしょうがない、状態の人はこのブログを読んでいて下さる人達の中にも大勢いらっしゃると思う。

そこで昨日と今日、地震後、キグド出身者たちによりダラムサラで結成された、「414イシュ・サヨン・ドゥンセル・ツォクチュン(4.14ユシュ(=キグド、ジェクンド)地震慰安協会/4.14玉樹地震慈善基金会)」の寄り合い場に行ってみた。
事務所のようなものがあるわけではなく、建設中のレストランが会合場になっているらしい。
最初、相手は二人だったが、その内一人また一人とそのロフトに集まりはじめ、最後は5,6人がああだこうだ状態で色んな情報を聞かせてくれた。

日本の代表事務所が義援金を募っておられるが、そのお金も、この会を通じて現地に贈られることになっている。もちろん日本だけでなく世界中の代表事務所から集められた募金が一旦この会に集まるのだ。
つまり、今や大変大事なお金を預かる、責任の大きいオフィシャルな救援団体になったのだ。

jyekundoその始まりは、地震が発生した4月14日の朝だという。
ダラムサラの街の中には、キグド出身者が以前より溜まり場とする「Tibetan Kitchen」というレストランがある。
14日の朝早くからそこに、近所にいるキグドの仲間たちが集まり始めた。
みんな現地の親兄弟に電話を掛け続け、情報を交換し合った。
しかし、中々通じない電話がたまたま通じても、相手は動揺が激しく、まともに話ができない人が多かったという。
次々に親、兄弟、親戚、知人の訃報が入る。みんな夢を見ているようだったという。
その内の一人ゲンドゥンは「朝方通じた電話も午後には通じないことが多かった。きっと充電が切れたためだろう。15日の11時頃だったか、妹に電話が通じた。ちょうどそのときまた地震があった。キャーという叫び声が聞こえ、辺りの人が叫んでいる声が続いて聞えて来た」という。

14日にはそのレストランに14,5人が集まったという。
ダラムサラ近辺にはキグド出身者が200人ほどいる。
その内の半数はTCVスジャ・スクールとソガ・スクールの生徒、ダラムサラのTCVにも若干のキグド出身の子どもがいる。

次の日、15日にはそこに70人が集まったという。

jyekundo以下レストランのオーナーであり、この会の中心人物であるクンガの話を紹介する。

「みんなお金を持ち寄ったが、それで最初は犠牲者を供養する法要を行なおうと思っていた。
実際そのためにもお金は使ったが、その内ダラムサラの色んな個人や団体から寄付したいという話が来るようになった。それで、まずは会というか協会のようなものを作った方がいいんじゃないか、という話になった。それはもう15日に出た話しだったが、正式には17日に発会式を行なった」

「最初は供養のために集めたお金だったが、周りからの寄付が集まるようになって来たので、寄付金を現地の救援金として使おうということになった」

私:「中国は今回の地震の犠牲者は2200人ほどと言ってるが、本当は何人ぐらいと思うか?」
クンガ:「ダラムサラ周辺のキグド出身者の親戚だけでも合わせて2000人が亡くなってる。いま、キグド出身者が多いデラドゥンでも調査している。まだ重複分のチェックが終わらないが、あちらは4000人と言ってる。南インドでも今調査が進んでいる。その内、亡命側で調査した数字がでるだろう。

葬儀は至る所で行なわれた。身元が判る者はそれぞれの家族が檀家となっている僧院に運ばれた。遠くナンチェンやカンゼまで運ばれた遺体もある。周辺の村々ではそれぞれの寺が葬儀を行なった。遺体を水葬にした僧院もあった。
それぞれの僧院は遺体の数を記録しているはずなので、もう少し落ち着けば集計されると思う。
地元の人たちは少なくとも1万人は死んだといってる。ある僧院などは1万5千人という。
私は少なくとも6〜7000人ではないかと思う。

中国政府はキグドに配給票(住民票)がない人の数は入れてない。配給票はそこに5,6年いないと貰えない。キグドには昔から商売のためにカム、アムドのチベット人が沢山集っていた。
その人たちは死んでも数に入れられてない。
普通に昔から住んでる人でもこの配給票をもっていない人が沢山いる。
例えば、親戚のおばさんはこの配給票を持ってないがゆえに、今、緊急食糧の配給を貰うことができないと言ってた。

また、この数はキグド市内だけの話で、周辺には小さいが沢山村があり、ゴンパがある。これらの村での死者は数に入ってない。地震後、まだ、食糧やテントはおろか、一人の役人も軍人も、もちろん医者も来たことのない村が沢山あるのだ。」

jyekundo私「キグド周辺の被害状況や救援状況は?」
クンガ「まず、周辺と言えないぐらいのキグドから数キロしか離れていない、チャジャニ、シンジェと呼ばれる地区の話だ。
これらの地区には沢山の遊牧民強制移住住宅が建っていたが、壊滅状態だ。
その上、私ははっきり言えるのだが、地震後最低10日間、全く中国の救援隊はこの地区に入ることはなかったのだ。
この地区の人たちを救ったのはすべて僧侶たちだった。ガレキの下から生存者を救い出し、食糧を与えたのは僧侶たちだった。
キグドの西、10〜15km離れたタングの村も壊滅した。タング・ゴンパの僧侶31人と、村人40人が亡くなったという。
40kmぐらい離れたルンボ村については、中国側の情報がある。家屋の80〜90%が倒壊し、死者42人、負傷者809人と最近発表された。
バンチュ村は被害が少なく、バンチュ・ゴンパの僧侶200人の内、亡くなったのは一人だけ、村人も7人だけが亡くなったという。
その他、ドンダ村、ラップ村の周辺には小さな集落や村が沢山あるが、くわしい被害状況は分かっていない。
今も、テントや食料が支給されない村もある。

jyekundo村に中国の食糧やテントが届いても、それは最初から十分な数や量ではない。トラックは村の中心の僧院の前などに止まって、その辺にいる何家族かに適当にそれらを配って帰ってしまうそうだ。
ラップ村にいる親戚のおじさんは、ラップでは最近一人当たり12kgの小麦の配給があったと言ってた。
でも、全員に配られたわけではないそうだ。次、いつもらえるかも判らないという。」

私:「中国は義援金を配るといってるが、もう被災者たちは政府から金を貰ったのか?」
クンガ;「数日前にキグドの住民に一人当たり450元が配られたという。これは一月分という。一日当たり10元で一カ月300元、今月はプラス150元が特別に上乗せされたとかだ。
それにしても、一日10元(135円)じゃ多くないよな、、、
中国はお金はやるやると言ってるばかりで、本当にはこんな程度だ。
ニュースによれば義援金は(円換算)1000億円近く集まっているという。
それが本当ならその半分でもいい、被災者全員に配ってほしい。
どんなに素晴らしい家が建つことだろう。」

jyekundo私:「寄付はどうやって現地に届けるつもりか?どこに寄付するのか?秘密なら応えなくてもいいけど」
クンガ;「自分たちは何も隠さない。中国の高官が、、名前は忘れたが、言ったじゃないか、“海外にいるキグド出身は家族のことを心配して、里に帰りたいであろう、だから、そういう人たちは家族を慰問するためにキグドに行ってもよい”と。だから我々は堂々とキグドに行く。そして、できるだけ本当に援助を必要としている人々に配るつもりだ。
中国はただ口先だけで、そう言ったのかどうかが、これで判るだろう。」

私:「私の知り合いのキグド出身者は、お金を持ってキグドに到着したが、あまりに大勢の武装警官が至る所にいて、それを見ただけで怖くなってそのまま何もせずに次の町に行ってしまったそうだ。そう簡単に行くかな、、?」
クンガ:「チベットに入ると慣れない者は怖くて何もできなくなる。緊張からおかしくなるものもいる。
でも我々は違う、いざとなれば手段はいくらでもある。あの辺の大きな僧院など誰がお金を出したと思う。みな、外国に行ったチベット人たちがお金を出して建てたのだ。アメリカやヨーロッパにもキグド出身者は沢山いる」

私:「他に何か現地の人たちからの声はないか?」
クンガ;「この前、法王が死後第三週目のモンラムを行なわれたが、これが、現地ではなぜか“法王はダラムサラでキグドのためにカーラチャクラの潅頂を行なわれたという噂がたっているようだ。カーラチャクラの法要がインドで行なわれるときはチベット中のチベット人が特別の有難さを感じて、肉を絶ったり、寺に参ったりする。法王に来てもらいたいという気持ちがあるので、それがそんな大げさな噂になったのかもしれない。

家族を失って、気がふれた人も多いという。
地震の後は、負傷者が優先されて普通の病人は医療を受けられない状態が続いているとも聞く。病院は無くなって、持病を持つ者たちは薬ももらえないらしい」

私:「両親が亡くなり孤児となってしまった子どもたちを、政府は中国内に送っていると聞くが」
クンガ:「自分たちが今までに確認できたのは15人だけだ、今からもっと送られるだろう。もちろん政府は子どもたちは勉強のために学校に送られるといってる。しかし、チベット人たちは信じていない。中国の金持ちたちにもらわれるか、ただの使用人にされるのではないか、と心配している。それでなくとも、中国に連れて行かれたら、チベット人じゃなくなってしまうという心配が一番だ。
みんな今までのように、地元で子どもをチベット人として育てたいのだ」

私:「政府はキグド再生計画を発表したが、その際、今のキグドを移転するという話もあるが」
クンガ:「その事を現地の人たちも非常に心配しているという。まだ、どうなるか決まってないと思うが、そうなったら、今までの土地の所有権はどうなるのかを心配している。
キグドはチベットの中の大きな町の一つだが、その内でも一番チベット人が多数を占めるチベットの町だ。
これを機会に中国はこのチベットの町を中国の町に変えようとしているのだ。
観光の見世物の町にしようとしているのだ」

と、ここまで。

他の人たちからも話を聞いたが、それは省かせてもらい、次に、今日、話しを聞いたソガ・スクールのドルジェ25歳の話を紹介する。

jyekundo彼は2008年の冬、国境を徒歩で越えネパール経由でインドに亡命した。
キグドでは一度も学校に行ったことなかったという。
大人になり、勉強の大事さを自覚し、どうしても学校に行きたいと思い亡命したそうだ。
兄弟は男3人、女3人の6人で、その内二男はインドの僧院、三男である本人もインドに亡命している。
一人残って一家を支えていた長男が今回の地震で亡くなったという。

私:「最初にキグドで大きな地震があったことを知ったのはいつか?学校でアナウンスとかがあったのか?」
ドルジェ:「午前中は授業が始まっていたので、誰も地震のことは知らなかった。昼の休憩時間中に地震の話が生徒の間に伝わった。自分もすぐに家に電話したが、通じなかった。次の日の朝やっと電話が通じ、兄が亡くなったことを聞いた。
その後また、5.6日の間、掛らなかった。西寧にいる親戚とは連絡できたが、かれらも現地に電話が通じないと言ってた。
それから後にはまた通じるようになった。
兄は地震が起こった時にはまだ寝ていたようだ。
兄は落ちて来た天井スラブの下敷きとなり、即死だったという。
父も崩れた柱に挟まれ、上半身が埋まってしまったというが、みんなに助け上げられたという。」

私:「お父さんは何の仕事をしていたのか?」
ドルジェ:「父はもう年だから何もしてない。家のことはすべて長男がやってた。畑があって農業もやってたが、今は主に兄が軽トラックで運送業のようなことをやっていて、兄が家族全員を養っていた。
もう、家にはちゃんと働けるものがいない、これから大変だと思う」

私:「そうなら、今家族は君を必要としているのじゃないかな?帰ろうと思わなかったのか?」
ドルジェ:「確かにそうだ。もちろん、帰れるものならすぐに帰りたいと思った。でも、俺は歩いて山を越えてインドに来た。帰るとなるとまた隠れて山を越えないといけない。キグドに帰っても見つかれば逮捕される恐れがある。そう簡単に帰る決心はつかないよ。」

私:「ソガ・スクールにはキグド出身の生徒はどのくらいいるのか?」
ドルジェ:「27人だ。家族の内のだれかが亡くなっていないという者は少ない。親が亡くなった者、或は親代わりが亡くなったもの、兄弟、親戚、沢山亡くなってる。みんなできるだけ亡くなった親戚や知り合いの名前を記録するようにしている。

例えば、自分が住んでいたディニンゲ地区だけで300人が死んだ。これは名前が判っている者だけだ。自分がその内の50人を調べた。何で名前を記録しているかというと、49日目に大きなモンラムをダライ・ラマ法王が行なわれるが、その時のために集めているのだ。その日に犠牲者の名簿を法王にお渡しして、祈ってもらうためだ。」

私:「ディニンゲ地区には家が何軒ぐらいあったのか?」
ドルジェ:「400〜500軒ぐらいか、、、」

私:「400〜500世帯で300人死んだのか、、、10人に1人ぐらいかな?
被災者10万人なら1万人死んでてもおかしくないか、、、?」

ドルジェ:「残された兄の子供二人も中国に連れて行かれるかもしれないと家族は心配している。子供の母親はちゃんといるのに、政府は子供を教育のために中国の学校に送ってやるといってるらしい。」

私:「それは断ることができる話なのか?」
ドルジェ:「向こうが連れて行ってやるというのは命令と同じようなものだ。
断るのは難しいと思う。
中学、高校の授業は始まったが、小学校はまだほとんど再開されてないと聞いてる」













































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2010年05月04日

ジェクンド地震発生より三週間目の今日

4.5.2010 Tsuklhakan Monlam今日でジェクンド(キグド)地震から3週間がたった。
仏教では人は死んだ後、最長49日の内に、次の生を得るとされる。
チベットでは亡くなった者たちの良き来生を願って、死後一週間ごとに祈願法要を行う。

そういうことで、今日は亡命政府の呼びかけにより、ブータン、ネパール、インド各地のチベタン・キャンプ、及び世界中のチベット人コミュニティーにおいて、まず、地震が発生した朝7時49分に犠牲者の冥福を祈り一分間の黙祷を捧げ、その後モンラム(祈祷法要)が行われた。

4.5.2010 Tsuklhakan Monlamダラムサラでは、ツクラカンにダライ・ラマ法王が7時半過ぎ、お出になられた。

7時49分ちょうどに黙祷。

その後首相の短いスピーチがあった。

「この法要は被災者たちへ我々の共感、連帯を示すものだ」と話され、
さらにスピーチの中で首相は
「今回の地震の実際の犠牲者数は、中国当局が発表した数字を大幅に上回る」
と指摘した。

4.5.2010 Tsuklhakan Monlam法王はご覧のように、今日も本尊であるブッダシャカムニに向かわれ、一心に祈りをささげておられた。

今日は法王のお話はなかった。

以下、今日の法王と法要風景。




4.5.2010 Tsuklhakan Monlam











4.5.2010 Tsuklhakan Monlam
























4.5.2010 Tsuklhakan Monlam











4.5.2010 Tsuklhakan Monlam











4.5.2010 Tsuklhakan Monlam








4.5.2010 Tsuklhakan Monlam












4.5.2010 Tsuklhakan Monlam












4.5.2010 Tsuklhakan Monlam











4.5.2010 Tsuklhakan Monlam












4.5.2010 Tsuklhakan Monlam

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2010年05月02日

スーパーサンガ/中国西部、青海省大地震の被災者のための緊急アピール

“宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会”では以下のような緊急プレスリリースを発表しました。

「この度、私たちは、地震被災地であるジェクンド(玉樹)被災地の方々が胡錦涛総書記及び温家宝首相に送った「ダライ・ラマ法王の被災地訪問請願書」とダライ・ラマ法王が被災地訪問を強く願われた書簡を手にし、国家主権・国籍・人種・性別を超えた「人の心を慈しむ」同じ仏教徒として、人として生きるという倫理に照らして明らかに正しいこの願いを叶えて頂くよう、中国共産党中央政府に対し誠意を持って心から強く要請致します。」

「<生命を守る友愛>を政治的信条とされる鳩山首相、言葉にできない苦しみの中にある被災地の人々のもとへ、ダライ・ラマ法王が訪問できるよう。。。」


メディアコンタクト;

善光寺徳行坊住職、若麻績敬史(日本語)

+81 90-8943-2518(日本国内からは)090-8943-2518

lauramari1207@docomo.ne.jp / tokugyoubou@gmail.com



英語でのお問い合わせは; 若松えり(国際チベット支援ネットワーク)

+44 7711 746 172

eliwakamatsu@googlemail.com


4月30日にプレスセンターで発表された声明については、“宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会”ホームページ参照。
http://www.supersamgha.jp/


声明にご賛同頂ける方は、お名前、団体名等を添えてinfo@supersamgha.jpまでご連絡ください。(サブジェクトに 青海省大地震の被災者のための緊急アピールと入れてください)

ーーーーーーーーー

ルンタ・プロジェクトからもご賛同お願い致します。

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2010年04月28日

KYEGU, ON MY MIND; Jamyang Norbu

チベット人作家ジャミヤン・ノルブ(在米)が地震の被災地ケグド(ジェクンド)に関するエッセイを発表した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=27194&article=KYEGU%2c+ON+MY+MIND+%e2%80%93+Jamyang+Norbu


jyekundo






彼は自分が直接現場に駆け付けることができない無力感の中で、作家である自分にできることは図書室に行きケグドに関する資料を漁ることだったという。

以下はその抄訳。

前略

jyekundo私は、これら被災地で亡くなった人たちは、みんな顔のない犠牲者ではなく、実際に血と肉を備えた生身の個人であり、生活の物語に満ちていたのだということを、心の目で見たいと思うのだ。
そして、彼らの忍耐と彼らの家郷あるいは祖国が、現在進行形の、チベット人とその文明の物語に果たした役割を確立したいのだ。

地震に襲われた地域はゥガ・ケグドとして知られる。ゥガまたはゥガバ(アバ)はこの地方の民族名だ。
カムの人はケグドをジェクドとかジェグンドと発音する。「ケ(k)」という固い音を、よりソフトな音にするために「ジェ(j)」または「チェ(ch)」に変えるのだ。
ジェグンドはしばしば略されジェグ(Jyegu)と呼ばれる。最近では中国語訛りのジエグ(Jiegu)とい言う人が多い。「ケグ」の語源について私の聞いた一つの説は、「ケワ・グ」つまり「九生」の短縮形というものだ。
意味は、思うに、「かの地のごとくに美しく、祝福された草原で一生を送ることは、他の地で九回の人生を送るに等しい」ということであろう。もっともこれには他の説もある。

接尾語の「ド」はこの土地が二つの川の合流点であることを示している。チャムド、ダルツェド、その他に等しい。ケグドの場合、二つの川とはザ・チュとパルタン・チュ(チュは川)だ。より広くこの辺一帯はカム・トゥ(上カム)と呼ばれる。

jyekundoケグドを含む一帯は、今ではむしろユシュと呼ばれることが多い。
チベット人が言うには、この語源は「(リン・ケサル王叙事詩に)由来する土地」という意味の「ユル・シュ」または「ユル・キ・シュル」だという。ユルシュはケサル王の美しい王妃シンチャム・ドゥクモの故郷であり、彼女の父親ガ・テンパ・ギェルツェンの支配する地方であった。このケサルの王妃ドゥクモへの連想でユシュの女性は美しく、威厳があると評判が高い。

中略

ケグドは旧来、チベットの中で、もっとも重要な交易、商業センターの一つであった。沢山の主要幹線の十字路であった。一つの道は遊牧民のセンターであるナクチュを経由してラサに至る。他の道はチャムドとデルゲに通じる。北に向かう道はクンブンと西寧に至る。さらにそこからツァイダムやモンゴルへの道もある。
しかし、何といっても価値ある街道はケグドを出てザチュカ、カンゼを経由しダルツェドに至るルートだ。この街道はチャン・ラム(北の道)と呼ばれた。ダルツェドからラサに向かう、もっとも北寄りの道だからだ。この街道はチャ・ラム(茶の道)とも呼ばれた。チベットに輸入される茶のほとんどはこの街道を通じて、ダルツェドからキグドそして最後にラサへと運び込まれたからだ。

jyekundo私はかつてダルツェドからキグド、ラサへと向かうヤクのキャラバン隊に参加していたという、リタン出身者にインタビューしたことがある。彼が言うには年間ヤク10万頭に積まれた茶(タン茶)が運ばれたという。その内6万頭分はラサと中央チベットに向かい、残りはアムドやツァイダム、モンゴル方面へと届けられたという。

シルク、刺繍布、磁器、カタ、ダル(豆類)、金属加工品がデルゲから送られ、中央チベットからは薬草や高級ウール、インドから来る綿布、タバコその他の品物もこのケグドを経由していた。もっと高価な価値ある品々はラバの背に載せられて運ばれたという。たとえば、ある種の羊毛、なめす前の皮革とかだ。
茶は全てヤクの背に載せられた。

リタン出身者の話しによれば、ラバ・キャラバンはダルツェドからラサまでを3カ月で行くのに対し、ヤク・キャラバンは少なくとも10カ月を要したという。もっともこれは早くてという話で、雪に遭ったり、チャンタン高原で非常な寒さにあったり、稀に山賊にあったりで予定通りには行かないという。
彼の言うにはこのヤク・キャラバンは巨大で3000頭を軽く越えるものが多いという。宣教師のSusie Rijnhartは1897年に北の草原でこのようなキャラバンに遭遇した時の話を記している。
「我々はジェクンドから来たという、茶を積んだヤク・キャラバンに出会った。それぞれのキャラバンは1500〜2000頭のヤクを従えている。これを引き連れる商人たちは服装も整い、宝石類で着飾っている。
女性や若い娘も参加している。」

中略

フランスの民族学者Andre Migotは1946年、ケグドを訪れ「この地方の本当の富はその草原にある」と記した。彼はさらに、3700mという高度や短い夏にも関わらず、牧草地に居るヤクの群れのいかに巨大で、遊牧民たちが、いかに豊かであるか、大麦や豆類、様々な野菜が良く育つかについて書いている。

jyekundo旧市街の裏の丘にあるドゥンドゥップ・リン・サキャ僧院がケグドの中心僧院だ。この僧院はフビライ・カーンの導師であったドゴン・チュゲル・パクパにより開山された。町の外には有名なギャナック・マニがある。チベットで一番大きな、つまり世界で一番大きなメンダン(マニ石塚)だ。近くにはダンカルとタンギュ、二つのカルマ・カギュの僧院がある。

これら僧院のほぼ全てが、共産軍に対し地域の部族が立ち上がった1956年のカム蜂起の後、破壊された。文化大革命の間に、その残滓も悉く消し去られた。ギャナック・マニの聖なる石は敷き石や中国軍や役人のトイレを作るのに使われた。

jyekundo夏の盛り、草原が赤、青、黄色の野花に覆われ「果てしなく続く虹のカーペット」と化す頃、遠くはナクチュやその他様々な地方から、遊牧民たちが年に一度の大きな祭りのためにここに集う。
このイベントを何と説明すればよいのか、、、色んなピクニックのハッピー・フュージョン、一週間続くパーティー、地域舞踏会、宗教行事、インフォーマル美人パレード、そして興奮の競馬祭といったところだ。
競馬祭では男たちは完ぺきに着飾った姿で、そのセンセーショナルな馬術を披露する。この素晴らしい集りは、ペルタン・チュ(川)とジ・チュ(川)の合流地、ケグドの南20キロほどのところにある、バルタンで行なわれる。されに南に下りこの川はディ・チュまたはヤンツェ川(揚子江)に合流する。

jyekundoAndre Migotは草原を埋め尽くす、豊かに装飾された、テントの海に圧倒されたという。テントの中は、広々としており、絨毯や長椅子、低いテーブル、さらに仏壇まで供えられ、非常に快適な空間だったと報告している。各テントにはキッチン・テントが別にあり、そこには御馳走を用意するためのあらゆるものが備えられていたという。

「世界中の如何なる祝日も、これほどまでに素晴らしく、壮観なものはないであろう」

終。

Note: Check out Michael Palin’s travel documentary, HIMALAYA (BBC) on disc 2 program 4, for wonderful scenes on nomadic life and the Horse Festival at Kyigudo. You can rent it from Netflix. Also Check out www.rangzen.net for a photo essay on the “Horsemen of Kyigu”.








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2010年04月23日

地震はそんなに大きかったのか? ジェクンドの建築物の耐震性等について

ジェクンド色んな写真やビデオで被災地のガレキの山を見ていると、もちろんその下に今の埋もれたままになっているであろう犠牲者のことも思うが、自分が建築に関わる者なので、その壊れ方を観察することも多い。

今回は被災地の建築物の種類やその強度について気が付くことを書いてみたい。

丘の上から撮った写真を見ると、中心地のビル街の建物は形を残しているものが多く、南や特に西の住宅地は全滅に近いことが分かる。
最初のころは建物の9割程度が破壊されたと言われていたが、今では当局は61.7%が倒壊されただけだと発表している。

ジェクンド、14.4.2010まずは地震の規模と震度の話だが、私は結論的に言って、この地震はそれほど大きなものではなかった、震度でいえば、6弱であった可能性が高いと思う。

規模についてはアメリカの地震局が6.9と発表したのに対し、中国は7.1と主張する。
マグニチュード2は1の32倍ということはご存じと思う。
アメリカと中国の差はたったの0.2だが、この間には約2倍のエネルギーの差があるのだ。
違いは小さくない。中国はアメリカ発表の2倍の強さの地震だったというのだ。
震源地の深さをアメリカは33kmと発表した。それに対し中国は最初10kmだったが、後から33kmと言いだした。
震源地に一番近い地表とジェクンドの街の距離は30km。

ジェクンド、14.4.2010ちなみに、阪神大震災はM7.3、震源の深さ16km、震度は7の激震だった。

地震による建物の倒壊はマグニチュードではなく、もちろん現地の震度が基準となる。
中国はジェクンドの震度を9強と発表した。
http://j.peopledaily.com.cn/94475/6955989.htmlもちろん震度については国ごとに基準が違うので何とも言えないが、中国が9強というのはおそらく10段階方式に基づく話と思われる。
最大級の地震だったと言いたいのだろうが、日本人にはよく解らない数字だ。

とにかく、中国は今回の地震は学校も倒壊してあたり前の大地震だったと言いたいらしい。

ジェクンド大地震実際、学校の倒壊状況はどうだったのか?

サーチナの記事によると
http://www.excite.co.jp/News/china/20100415/Searchina_20100415093.html

「結古鎮には、学校・大学4カ所がある。他の写真と総合した結果、第二民族中学校では、主校舎前の平屋建物3棟が倒壊したことが分かった。
三完小学校では平屋建物4棟が倒壊、玉樹広播電視大学は平屋建物4棟が倒壊し、2階建て以上の建物も1棟が倒壊した。玉樹衛生職業中級専門学校は、すべての建物のうち4分の3以上が倒壊したことが分かった。」

また、その学生の犠牲者はというと、17日、同じくサーチナに掲載された記事によると
http://www.excite.co.jp/News/china/20100417/Recordchina_20100417004.html

「玉樹県の70%の学校が倒壊し、現在判明しているだけで少なくとも生徒66人、教師10人が死亡した。生徒数3000人余りの玉樹県第3完全小学校では建物の80%が倒壊し、救出された生徒61人のうち34人が現場で死亡。200人以上ががれきの下に生き埋めになったままだという」。
さらに、
「08年5月12日に発生した四川大地震では、大量の校舎が倒壊、多くの生徒や教師が犠牲となり、手抜き工事や建築資材のごまかしなどが指摘された。これを受けて中国政府は各地区の小中学校、特に辺鄙な地区の小中学校に対し、地震に対する強度検査と補強工事の徹底を求め、マグニチュード7の地震に耐えられるような校舎づくりを指示した。しかし、今回玉樹県で発生した地震はマグニチュード7.1で、中国政府が求めた耐震基準を超えており、当局がこれを校舎倒壊の理由にする可能性が懸念される。四川大地震による校舎倒壊の初期調査時、四川省教育庁は中国教育部に対し、倒壊原因の1つとして地震の震度が強すぎることを挙げていた」そうだ。

ジェクンド大地震しかし、現地の人の話によれば四川地震後に建て替えられた学校は一つもないという。
であるならば、地震が強すぎたわけではなく、設計耐震強度が最初から十分ではなかったという疑いが濃い。

私は今回の地震はそれほど大きくはなかった、日本の震度でいえば6弱ではなかったかと推測する。
実際には現地に行かないとすべて、はっきり言えないのだが、学校の建物がもともと震度6弱にも堪えられぬ、おから建物であったことは写真からも推測できる。

今、大事なことは、倒壊した学校の建物が証拠隠滅のためにすっかりかたずけられる前に、ちゃんとした外国の調査団が現場を見ることだ。
見れば、一目でわかる。写真を残しておくことも大事だ。
(倒壊した学校の写真はあるのだが、今ブログに載せられるものが手元にない)

ジェクンド私もインドの山奥で学校の設計などに長らく関わって来たので、他人事とも思えないところがあるのだ。
もしも、ダラムサラに大きな地震が来たらどうなるか?
自分が設計した校舎や寮、ホールの下敷きになって子どもが死んだらどうする?
おそらく自殺したくなることであろう。

この設計強度は最大の関心事ではあるが、じゃ自分が設計した学校が震度7に耐えられるかというと、それは無理と分かってる。
今の日本の世界最高の耐震基準を下回っていることは十分承知している。

低開発国の建物の予算の中では、鉄とセメント代がそのほとんどだ。
人件費はただのように安いが、鉄とセメントは高い。
どうしても予算を合わせるために、この両方をできるだけ削らないといけないという場合もある。
というか、日本級に設計すると施主も現場も驚いて冗談と思い作ってくれない可能性が高い。
私はこれを「難民仕様」と勝手に呼んで、自分を納得させている。
それでも、周りの建物よりはよほど強く作ってある。
いくら大きな地震が来ても真っ先に倒れることだけは避けたいからだ。

デラドゥンにある60mの仏塔とダラムサラTCVのホール、ツクラカンの拡張部分だけは日本基準に限りなく近い数値で設計されている。


ジェクンドここに来て、もう25年近くなるが、その頃にはまだ鉄筋を使わずに家を建てる人が周りにはいた。
しかし、それはまれで、こんなインドの田舎でも鉄筋を使わずに家を建てると地震の時危ないと人々は知っていて、だいたいは柱の中には鉄筋を入れていた。

10年ほど前からはインドでもやっと構造基準ができ、基準を満たさない建物は建てられないことになっている。
もっとも、これは建前で、多くの建物はこの基準を守っているとは思えない。
それにしても鉄筋を入れない建物が建てられることは、今では皆無にちかい。

インドの山奥のダラムサラの建築事情と中国の山奥のジェクンドの建築事情を比べるというのは簡単ではないが、
壊れ方を見れば、近代化を売り物にする中国の山奥はダラムサラより、余程ひどかったことは一目でわかる。
もっとも鉄筋の入った建物の強度についてはダラムサラと似たり寄ったりと見受けられる。

ジェクンドその仕様は3〜4階建では柱と梁に16〜20mm筋が4〜8本。柱の太さは30cmX30cmが標準といったところであろう。
平屋や二階までなら柱と梁に12〜16mm筋4〜6本、柱の太さ25cmX25cmほどか。
実際、この程度では震度6弱でも倒壊して不思議はない。
外壁や間仕切り壁に中空セメント・ブロックを使い、床にプレキャスト・コンクリート板を使っているのも強度を落とす元になっている。

6強ではそれぞれの耐震性に従い、半分程度は倒壊するであろう。
今回の地震はこの程度だったと思う。

ジェクンドもっとも、今回問題にしたいのは、お金がある人たちが作ったRCC造(鉄筋コンクリート)の建物ではない。
もちろん学校が倒壊し、多くの子どもたちが亡くなってしまったということは悲惨なことだ。当局は当然責任を取るべきと思う。

でも、さらに私は一般のチベット人たちが住まいとしていた家々の、今は見渡す限りのガレキの山を見て、悲しく思うのだ。
これらの家はバラックに毛が生えたほどに安普請だったことがわかる。
外壁は幅20〜30cmほどの中空セメント・ブロック、または幅30cmほどの日干しレンガが積み上げられているだけ。
ジェクンド多くは平屋で屋根は陸屋根か切妻。陸屋根の場合は丸太などの架構の上に小枝と泥が載せてある。切妻は中国式で木造トラスの上に瓦やトタンが載る。
柱と梁がなく、壁は繋ぎがなく脆い。これではちょっとした地震でも崩れる。
今回のような大きな地震にはひとたまりもなく、逃げる間もなく、一瞬にして倒壊したはずだ。
壁のブロックも日干しレンガも木材も瓦も崩れ落ちれば、下にいる人を強打する。
ガレキの堆積には隙間ができにくく、埃が充満し、窒息死し易い。
これに比べ、RCC造の方は倒壊した後、隙間ができ易く、助かる確率は比較的高いと言えよう。

ジェクンド、14.4.2010チベット人はいつから、こんなバラックのような建物に、あたり前のように住むようになったのだろうか?
一般に周辺の民族に比べてチベットの伝統的民家は大きく2,3階建てで、手が込んでいて、立派な家が多かった。




ジェクンド、14,4,2010壁厚も40〜60cmあり、日干しレンガではなく、現場で土を打ち固めたものが多かった。耐震性も悪くはなかったはずだ。

貧しくなったということか?
実際、この地方のチベット人の収入の半分以上は夏場の冬虫夏草採取によっているという。

牧草地を追われた遊牧民は、今ではこの冬虫夏草の採取のみを唯一の収入源とするものが多いと聞く。

結局、多くのチベット人には遊牧民から採集民に落ちるしか生きる道が無くなったということなのか、、、

ジェクンド大地震 C/R  EPSそして、今回、広々とした草原と大きなヤクテントを追われた者たちの多くが、街中でセメント・ブロックの家の下敷きとなり死んでしまった。


















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被災地で、チベット独立を叫ぶ者に対しては、発砲してもよろしい

bc6f3448.jpg現地には一昨日から雪が降り始め、今日は積雪3cm。
まだ、数日この悪天候は続くとの予報。
寒い日が続く。


RFAチベット語版、4月22日:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibet-independence-activists-could-be-shot-in-earthquake-zone-04222010222934.html

<チベット独立の声に発砲許可>

被災地のジェクンドでは、兵士は、チベット独立を叫ぶチベット人と衝突した場合、上官の許可なしに発砲してもよい、と言い渡された。

14日に起こった大地震によりジェクンドとその周辺で数千人の人が亡くなり、一万人以上が負傷し、今も数百人が行方不明のままだ。
そんな中、20日にはチベットの各地から集まった僧侶数千人による、初七日の法要が行なわれた。

Epoch Times(大紀元)の記者に現地の兵士が話したところによれば、「もしも兵士が、チベットの独立を叫ぶ者達に突然鉢合せたり、彼らと衝突した時には、直属上官の許可を得ずに、即発砲し、銃殺してもよい」と言い渡されたそうだ。

さらに同紙によれば、現地のチベット人たちの間には、ダライ・ラマ法王が本当に現地に来るという噂が広がるにつれ、法王に会うことができるという期待が膨らんでいる、ということに対し、共産党の幹部たちは警戒心を高めているという。

このような状況の中で、今まで救援活動の中心的役割を担っていた僧侶たちに対し、当局は被災地から出て行くようにと命令を出した。
ロサンと呼ばれるジェクンド出身の僧侶によれば、「地震の後、周辺の僧院から総勢4万人の僧侶が救援のため駆け付けた。20日に当局の役人が2日以内にそれぞれの僧院に帰るようにと命令してきた。その日の午後4時前に出ていけと言われた僧侶もたくさんいる」という。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

jyekundこの僧侶たちを追い出す、という当局の決定に対し、現地のチベット人たちの間に怒りの声が上がっている。
ある現地の人は電話で「これは、自分たちに自由がないという象徴だ!悲しいことだ!中国こそ出て行ってくれ」と涙ながらに
訴えた。

ウーセルさんも「今まだ、ガレキの中に遺体は残っている。これからも葬儀を行なったり、人々を癒すために僧侶たちは被災地のみんなに必要とされている。今、僧侶たちを追い出すというのは間違った決定だ」とコメントしている。

このような状態では、中国が救援物資によりチベット人にありがたがられようとしても、期待通りにはいかないであろう。
チベット人がここで不満の声を上げれば、中国人は「この恩知らずめが」とののしり、最悪銃殺してもいいと言ってるのだから。
チベットのデモ隊に向かって発砲してもいいという命令は、今までの慣例通りであり、驚くにあたらないが、この悲劇の最中にあるチベット人に対してもこれを適用するというところが、恐ろしい。

これが、カンゼなら今頃大暴動が起こっていてもおかしくない。









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2010年04月22日

すべては党のために

被災地今回の写真はすべてウーセルさんのブログから。

法王の被災地訪問について、NHKによれば:

 中国外務省の姜瑜報道官は、定例記者会見で「被災地ではすでに救援のための人手は足りており、地元の宗教や習慣も十分尊重されている。被災者の心を慰める活動もきちんと行われている」と述べ、受け入れる考えはないことを明らかにしました。

という。
もっとも、中国政府もはっきりと拒否したわけではない。
それはさずがにまずいと知っているからだ。

「被害者の心を慰める活動もきちんと行われている」と言うところが、笑える。
胡錦濤主席がジェクンドを訪れた日には朝から葬儀後の大きなモンラム(祈祷会)が大勢の僧侶、遺族を集めて行われていた。
胡錦濤氏はこれを完全に無視した。

被災地のダライ・ラマ法王葬儀の場には誰も赴かない。(これで、どうやって犠牲者数を集計するのか?)

人々の心を支えている僧侶たちを追いだし、人々が観音菩薩と崇めるダライ・ラマ法王の訪問をお断りする。

偽パンチェン・ラマに寄付とモンラムをさせる。

これらが、被災者の心を慰める活動と中国では呼ばれる。

ある現地の人の話では、温家宝首相がジェクンドを訪問したとき、首相があるチベット人に対し「何でもいい、すべて、私はあなたの望みを叶えてあげます」と言ったのに答え「私たちみんなの願いは一つだけだ。ダライ・ラマ法王にお会いできるようにしてほしい」とその人はっきり言ったという。

首相がこれに対し如何に反応したのかは伝わっていない。


ーーー

被災地4月20日にThe Asia Sentinelというウエブに発表された、中国で著名な評論家であるという、Willy Lam氏のレポートによれば、

http://www.asiasentinel.com/index.php?option=com_content&task=view&id=2411&Itemid=171

政府指導者たちの最大の関心事は「玉樹とその周辺の地域における政治的後退を避けることにある」という。

同レポートによれば、「国営放送は、地震の後、現場で救助活動を率先して行っている僧侶たちの活動を控えて放送するよう命令された」

その代わり「地震発生の次の日に各新聞社やウエブニュースは、報道は<肯定的進展>にフォーカスしたものでなければならず、特に、軍人、警官、武装警官、消防団員、その他北京政府が青海のために動員した者たちが、その低酸素、氷点下という厳しい状況の中で、いかに勇敢に仕事を成し遂げたかを中心にレポートしなければならない」と言い渡されたという。

このような、あからさまな、自分たちの悲劇を利用しようとする態度に、チベット人被災者たちは当然、不満、怒りを感じている。

ここにきて、僧侶たちを追い出し始めたことでこの不満、怒りはますます強まっているというのが現地からの報告だ。

「すべては党の権威と求心力のため」にある全体主義国家において、自然災害という人の悲劇が利用されたとて、それは全く驚くにあたらないというわけだ。

党は人ではない、実体のないお化けのようなものだ。


中国地震救援隊がチベッタン・マスティフを救助?する現場しつこいが、左の写真はチベタン・マスチフが救助される所を撮った証拠写真の続きだ。
続きと言うより、この前の車に収容するシーンに入る前のシーンだ。

何だか、これを見ていて、連想から、つい思い出したことがある。

中国がチベット侵略を開始した当初、非常におとなしく振舞い、有力者にはプレゼントを渡し、農作業を手伝い、子供に飴玉を配っていたということをだ。

純真で人を疑うことを(比較的)知らない、子犬のように扱われたというわけだ。
騙された、チベット人が悪いのか? 気が付いた時にはもう遅かった。

中国地震救援隊がチベッタン・マスティフを救助?する現場檻の中にはお母さんも捕まっていた。



当局が発表する犠牲者数に対しても不満が広がっている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27163&article=Questions+Over+Quake+Toll+in+Tibet

ホンコンのメディアのインタビューに答えたアンエン・ダンパ・レンキン高僧は
「自分の僧院だけでも日曜日に3400人の遺体を火葬にふした。他の僧院にはまだ4〜500体の遺体が収容されている」
「犠牲者の総数は8000〜9000人であろう」と語った。

その他、幾つかのホンコンの新聞やテレビ局が、少なくとも8000人が死亡したと報道し、中には一万人とレポートするところもあると言う。

現地やこのダラムサラでは、この犠牲者数一万人という数字を信じている人が多い。


ダラムサラで現地との連絡を担当している元政治犯の友人の話によれば「被災地には自殺一歩手前の人が大勢いる」という。

最愛の家族を亡くしたり、身寄りをすべて失った人たちが、その苦しみに耐え難く、実際に自殺した人もいたという。

彼は「チベット人たちは一般には仏教の教えもあり、自殺するというのは本当に稀だが、この度を越した悲しみの中で死にたくなる人がいるのは当たり前かもしれない」
とコメントした。

RFAなどでは、この被災者たちの心の問題を取り上げ、著明なラマなどが具体的なアドバイスをするという時間も作られている。

















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2010年04月21日

救助隊には時間がない/僧侶を追い出す/ジェクンド大地震被害者への募金活動

ジェクンド、瓦礫の下から救出されたチベット人昨日のRFAで何度か流された、現地からの電話報告を三つ紹介する。
http://www.rfa.org/tibetan/yushu-kyigudo-earthquake-related-stories/quake-victims-not-getting-enough-help-from-chinese-govt-04202010100713.html

全て電話の主が、直接自分の目で見たことだと、最初に明言している。

最初の二つは中国の救助隊がチベット人を救助してくれない、という話。

一つ目
「ガレキの下に父親と子供二人が埋まっていた。中から<俺たちは死んでない! 助けてくれ!>と声が聞こえてくる。通りかかった中国の救助隊に<手伝ってくれ。下に人が埋まってる。死んでないんだ>と頼んだ。でも、彼らは<時間がない>と言ってそのまま通り過ぎて行った。仕方ないから、周りにいたチベット人だけでガレキを取り除いた。時間がかかった。でも、三人とも救い出せた。一人の子供は片手が潰れていた。子どもは無事だった。でも、お父さんの方は病院に運ばれる途中で死んでしまった」

二つ目
「三人が埋まっている現場にいた。話によれば、中に埋まっている人から誰かに<自分たちは死んでない>と電話があったという。下から、携帯を掛けたようだ。僧侶たちが集まって救出しようとしていたが、人出が足りない。近くを救助隊が通ったので、助けてくれと頼んだ。でもここでも、彼らは<時間がない>と言って断った。
二人は救い出せたが、一人は死んでしまった」

<どうして、彼らはそんなことを言うのか?>とRFAが電話の人に聞くと、
「それは、下に埋まってるのがチベット人だからじゃないか?僧侶たちがすでに現場にいたから、それも気に入らなかったのかも知れない、、、」

三つ目は外国メディアが被災者に接触することを偽装公安が妨害している、という話。
「外人の男女がアムドの女性を通訳に連れて被災者にインタビューをしながら回っていた。自分も話を聞かれた。
話しをしてると、4人の明らかに公安と思われる私服の男たちが来て、自分と、そのアムドの女性に<いろんな話をすると、後でただじゃ済まなくなるぞ>と脅しを掛けた。
それから、沢山人が埋まっているという、近くの倒壊したホテルに外人たちは向かったが、この公安たちもずっと後を付けて行った」


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ジェクンド、働く人を見守る現場の軍隊<僧侶を追い出す。寄付は政府を通すべし>

RFAの20日付英語版によれば、
http://www.rfa.org/english/news/china/gohome-04202010144941.html

(以下、要訳)

中国当局は被災地で救助活動を行なう、僧侶たちに退去命令を出したという。
もしも命令に従わない時には各僧院は後で制裁されると言われた。
この命令に従い、明日には帰るという僧もいるが、そんな命令には従わないという僧もいるという。

住民たちは信頼できる助け人である僧侶たちが居なくなることを非常に悲しんでいる。

当局は個人や団体が直接現地入って寄付したり、救援物資を届けたりすることを禁止し、全て政府を通すことを強制されているという。

「カム、ディウックの商人は100万元(約1360万円)の義援金を集め、何台ものトラックに救急物資を満載して現地に向かった。しかし、現地の当局は彼を通さなかった」と現地からの報告。

「彼らは当局から、<援助の金や物はすべて政府を通さなければならない。団体や個人が勝手に、現地でそれらは渡すことは禁止されている>と言われた」そうだ。

同様に、近くにあるソグ僧院が集めた義援金も地方当局に渡すように命令された
という。

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20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金大会この義援金/寄付金/募金については色々話しがある。

昨日、中国のテレビでは一斉に北京で開かれたCCTV(中国中央電視台、国営テレビ)主催の大義援金大会の様子を放映していた。
まるで、それは日本の紅白歌合戦の舞台を見ているようだった。

写真はテレビの映像を撮ったもの。

このところ地震特集と言えばその大半は見世物と化した募金シーンを流しているので、またか、、、と思って無視しようとしたが、ふとその掲げられた赤い大きな表示板の中の額を見て、びっくり!

20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金。1,1億元なんと「1.1億元」と書いてある。
これを日本円にすると約13億6千万円だ!
こんな表示板を、みんな一人一人掲げ、一人一人前に出てマイクの前で演説する。
募金グループは二手に分かれていた。
どうも5000万元以上の者はステージの上に立つことができるらしい。
その数2〜30人。
後は客席の軍人や、えらいさんたちの後ろの方に座って、赤い表示板だけ掲げている。


20.4.2010 ジェクンド地震被害者への募金大会実に「1億元」と掲げる人が他にも沢山いるのだった。
大体は会社や何とか慈善団体だった。
その会場で表示された額をざっと合計しただけで2〜300億円の上がりだ。
画面の下には次々寄せられる募金の額と名前が、まるで株の速報のように流れ続けていた。

これってマジ?と誰しも思いたくなる。
これが、本当なら近々義援金総額は1000億円を越えること間違いなしだ。

もっとも四川地震の時には総額1兆600億円集めたというから、これぐらいで驚くにあたらないというわけか。

だが、問題はこの後だ。
精華大学の調査によると、四川地震の時の義援金の80%は政府の臨時収入となったという。
http://blog.auone.jp/hesomagari/?disp=entd_p&EP=34638158

政府に入った金は誰もチェックできないのだ。

大地震は共産党幹部のマスチフなのかも知れない。

この話を、さっきルンタレストランで、最近亡命してきたチベット人にした。

彼の言うには「あのテレビで見せる募金はみ〜んな嘘さ。たとえば会社や団体で働く人が列をくんで募金するだろう。あれは、全員やらされるんだ。でも大丈夫ちゃんとその額は記録されてて、月末には給料に上乗せされて帰ってくるのさ。

会社が大きな金を寄付するのは政府に金を貸すようなものさ。ちゃんと後から復旧の仕事で儲けさせて貰えるんだから。寄付するのはそんな企業ばかりさ。
あのショーを企画したのはCCTVだ。国営だよ。金は最初から共産党に行くに決まってる。

ま、中には、可哀そうに、チベットの学生や、村の人や、僧侶がちょっとづつ寄付してるのが映されるが、これは本当だろう。
貧乏人は本気で寄付する。金持ちは宣伝と投資と思って寄付するのさ」
だそうだ。

ほんとのところは、私には分からないが、ただこの募金の額を大きく書きだしたプレートを掲げ、その個人なり、団体が、如何にチベットの被災地の人々の事を思っているかを大声でテレビの前で発表するという、慣習というか文化には、感覚的に付いていけませんです。
すべての行動はその動機により善悪が決まるというが、この人たちの動機は大丈夫なのですよね?

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この義援金についても話されている、法王のメッセージビデオがyoutubeで見られる。これは東京のダライ・ラマ代表事務所が日本語訳を付けられたものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=mgoGPtESAU8&feature=player_embedded

現地を訪問したいという話もされている。
是非ご覧ください。



また、東京の代表部が募金活動を始められた。
http://www.tibethouse.jp/news_release/2010/100421_bokin.html

もうすでにどこかの団体を通じ寄付された方も多いかと思いますが、そんな人も、今からの人も、この代表部を通して寄付するということを特にお勧めする。

現地は数日前から天候が悪化し、ずいぶんと寒い日が続いているようだ。
峠には雪が積もり、物資の輸送も滞っているとか。
まだテントにも入れない人が沢山いるという。
特に周辺の村や僧院等にはまったくまだテントは届けられていないという。

テントと言っても、それは昔住んでた、中で火が焚ける暖かく快適なヤク・テントじゃない。
中で火も焚けない、ただの小さなビニールテントの中で被災者たちは寒さに震えている。
後何カ月、いや何年そんなテント暮らしをしなければならないのか。

一方では何百億円という寄付が寄せられている。
そんな金があるなら、被災者のみなさまを温かい平野部にお送りし。
プレハブどころか一級ホテルにお泊めすることだってできるんではないかな。


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追記:今、とてもいい日本人記者のチベットレポートを読んだ。

【チベット族の秘境を行く】(中)校長は読み書きできず 財産投じ「貧しい子の運命変えたい」

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100421/chn1004210014000-n3.htm






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2010年04月20日

ダライ・ラマは私たちの太陽/チベッタン・マスチフを救助せよ

ダライ・ラマ法王を太陽と崇める、被災地のチベット人たちが、苦しみの中から法王の名を呼び、助けを請う。
一目でも実際にお目にかかりたいと祈る。

普通の国なら、人道的配慮により、地域国民の幸せを思い、この慰安の旅行はウエルカムということになる。
テントや食料を頂くことももちろんうれしいが、被災者にとってダライ・ラマという超級プレゼントに勝るものはないからだ。

ダライ・ラマ法王は、心身の苦しみを一瞬にして消し去ってしまう太陽だから。

この辺の事情を現地に入られた共同通信さんがレポートして下さってる。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2010041901000581.html

jジェクンドの地震被災地に掲げられたダライ・ラマ法王の写真<ダライ・ラマ「被災地に来て」 募る住民の思い>

【玉樹共同】中国青海省地震の被災地、同省玉樹チベット族自治州玉樹県で、チベット族の住民らがチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の被災地訪問を強く望んでいる。中国当局はダライ・ラマを祖国分裂勢力とみなしており、住民らも表だってダライ・ラマの訪問を要求することはないが、厳しい避難生活が続く中、心の中で精神的支柱への思いを強くしている。
 玉樹県結古鎮の避難所のテント内で薬草商の男性(55)がぼうぜんと座り込んでいた。住む家は倒壊し、義理の母(82)を失った。男性は「今は金も物も何もいらない。ダライ・ラマに来てもらいたい。それがみんなの願い。来なければ、何をもらったとしても心が満たされることはない」とこぼした。
 子どもも同じ思いだ。胡錦濤国家主席が被災地の激励に訪れた18日、避難所でチベット族の小学生らが胡主席の視察を話題にしていた。その中の1人は「でもうちらにはダライ・ラマがいる。ダライ・ラマは太陽だ。本当に(被災地に)来てほしいのは…」と話した。

東京新聞 2010年4月19日

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ジェクンドは実は遠い昔からちっとは栄えた街だのだ。
吐蕃/唐時代には平野部からラサに向かうメインルートはこのジェクンドを経由していたという。交易の中継点として栄えていたのだ。
街の人口3万というと、チベットでは大都市の部類に入る。
「ジェクンド」は現地発音で、ラサ辺りでは「ケグド」または「キグド」と呼ばれる。
「ユシュル」と呼ばれることもある。
中国名は「結古」(ジェグ)でその音写。

で、ジェクンドの住民の97%はチベット人ということになっている。
本当は90%ぐらいかも知れないがそれにしても、チベット人が大多数を占める。
そのせいで、ここではチベット人が中国人よりも強い。
自治のようなものも比較的認められていたという。
昔から僧院の力が強かったのだろう。
だから、たとえば2008年にも、ここでは何の抗議デモも起こらなかった。
弾圧がなければデモもないという実例だ。

だから、僧院も一般のチベット人もダライ・ラマ法王の写真を大ぴらに掲げていたという。
地震の後、ガレキの中に法王の写真を見つけ、拾い上げた中年の女性は、すぐに写真を頭上に掲げ、涙声で祈りの言葉を口づさんだ。
それを見た、周りのチベット人たちは次々とその写真を受け取り、同じように頭上に掲げ祈った。

これは、もうどの番組だったか忘れてしまったが地震後の映像の中で見たシーンだ。

RFAなどによれば、地震の後、街を走るタクシーのフロントガラスに大きな法王の写真が飾られていたりするそうで、それを見つけるとチベット人はみんなそのタクシーに向かって手を合わせるという。
商店のショーウインドーにも掲げられていたという話もある。
(そう言えば、、、この話を二日前のコメントに書いたら、それに対するドルマさんというチベット名を使われる中国の方と思われる方から、それは「インドのタクシーが、肉感的女優の写真とガネシュの写真を並べて貼っているのと同じです。」というコメントを頂いた)


火葬が行なわれた丘のそばには仏壇がある。
大きなテントが張られ、その中では僧侶と遺族が集まり、昼夜死者を弔う儀式が行なわれている。
その仏壇の一番上には大きなダライ・ラマ法王の写真が掲げられているという。

本当に法王がジェクンドを訪問されるということになれば、、、、
チベット中の全てのチベット人がジェクンドを目指すということになる。
これは間違いないことだ。

RFAを通じて法王のメッセージなどは全て現地に伝えられている。

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ジェクンド地震、チベタン・マスチフ救助?話題を変える。

ジェクンドはチベッタン・マスチフと呼ばれる、現在世界で一番高値が付く犬の産地としても有名だ。
このお犬様、もともとチベットの遊牧民が狼よけ等のために飼っていた牧用犬だ。
犬の古い原種の血を引くとかで、図体が大きく、まっくろ、首のまわりにはライオンのたてがみのようなふさふさが生える。
(でも、一般に性格は獰猛で、私は好きになれない)

地震このチベット犬が最近、中国の金持ちの間で、そのステータスシンボルの一つとして流行るようになったのだとか。
何とこのお犬様に彼らは数千万円払うという。
で、話は写真の説明だが、これらの証拠写真はウーセルさんの昨日付けのブログに載せられていたものだ。
http://woeser.middle-way.net/2010/04/blog-post_9700.html

地震写真はただ、、、ジェクンドの救援隊が人でなく、飼い主を失くした子犬を可哀そうに思い、家に持って帰って飼おうと思ったのか、、、、とにかく救助しているという場面を撮った(撮られた)ものだ。
ただ、問題は、この緊急時に人でなく、犬を救助して笑い合っているという所にあるというより、この子犬がまさにチベタン・マスチフだということだ。

被災地に送られた救援隊や軍隊の、数ある拾いものの内でのこの子犬は金塊を見つけたぐらい嬉しいことなのであろう。
チベット人は食う物がないので商店から食糧を借りたり、弾みで食糧を配る列を乱したりすると殴られ、中には逮捕され市内引き回しの刑にされる。
いつの時代になれば、中国で、このような人たちが罰せられるのでしょうか?

助けようとする僧侶を近づけない救助隊現場に真っ先に駆け付けたのは僧侶たちだった、という話はもう、世界中に写真や映像で広まっているが、ほとんどの中国人はそんなことは知らない。
中国のメディアには最初から、ちゃんとチベットの僧侶たちが働いているところを撮影しないようにと御達しが出ているからだ。

記録に無いものは無いというのが中国式だ。

今日のRFAの報告では、現地には「中国側の救援隊や軍隊、武装警官隊合わせて一万人強。
これに対し、カムを中心に集まった僧侶の数一万人弱」という。
ほぼ、互角なのかというと、一方は装備万端だが高山病で頭が痛い、動くと息切れがする、こんな寒いところに送られたことを恨んでいる。どうせチベット人と話しをしても通じないから関心もない。チベット族を不潔で遅れた民族だと思ってる。目的は宣伝だから、ビデオを撮ったらさっさと引き上げる。

僧侶たちは信頼され、頼みにされていることを知っているので、ただ命を救おう、苦しみを癒そうと一生懸命働く。
高山病なんて全くない。彼らにとっては平地だ。

そういえば、軍人たちの服装は最初から目立たないように迷彩色で、僧侶たちはもともと目立つように考えられた赤い僧衣を着る。
現場では自然に僧衣の方が目立つわけだ。

そうれにしても3万人の街に合わせて2万人の救助隊がやって来たと聞くと、今度は飢餓が起こらないかと心配になるほどだ。

それに戦場の瓦礫の上に立つ兵士たちではないが、実際何かの衝突が起こらなければいいがと思う。今のところ、僧侶たちはいくら嫌がらせを受けても黙って忍の行を実践しているようだ。

ジェクンド日曜日に胡錦涛主席が現地訪問を行なったが、この前の日ぐらいからやっと食糧やテントの配給が始まった。一気にドット来たようだ。
その前には僧侶たちの炊き出しが食うもののない人たちを主に助けていた。

外にはもちろん報道されていないが、RFAに入った電話によると、胡錦涛が現地に入る前の日に一団のチベット人たちが食糧や水を寄こせと叫びながら行進するという事件があったのだ。
武装警官隊に囲まれた後、衝突ではなく話合いが行なわれ、その後解散したという。

胡錦涛主席が実際に現地を視察した時には、沿道から何度か「食いものをよこせ!」「水をよこせ!」とか「お前に来てほしいわけじゃない」とかいうヤジが飛んだとか。
さらに、あるチベット人は胡錦涛主席が握手を求めて手を出したのにそれに応えなかったとか。
私が青海テレビで見た、胡錦涛氏がある学校を訪れた時、一緒にカメラの前に並んでポーズをとる子どもたちの表情が如何にもうっとうしそうだった、ということなどがあったようだ。

まだ人が埋まっているガレキの上には至る所に中国国旗が突き立てられた。

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ジェクンド 18.4.2010一つ不思議なのは、中国は現地がチベットの奥地で、高地で、言葉が分からないので、救援活動が遅れるし、効果的に行なえないと口実ともとれる話を繰り返すことだ。

まず、私に言わせれば、3700mはちっとも高くない。
ジェクンドはチベットの中では高い所にある町の内には入らない、むしろ低いぐらいだ。3700mで倒れるようなやわな隊員を連れていくなといいたい。

だめと判っているなら最初から酸素ボンベを多量に持って行けばいい。

ジェクンドには地震j発生時に700人の軍人がいたが、最初の日の夕方まで一切彼らは動かなかったという。
その後もなぜ、周辺のカンゼ、セルタ、ダンゴ等にいくらでも溢れている、高度順応ばっちりで言葉にも少しは慣れた武装警官隊、軍隊をすぐに救助に向かわせなかったのか?
手薄になると危ない、心配だというなら、順次新しいのを抜けたところに送ればいいしだ。

どうしても、省都の西寧から全てを送る出すところを撮影したかったとしかおもえない。
派手に大型輸送機が飛んで行く姿も流せるしだ。
被災地のすぐ近くには大型ジェット機が発着できる玉樹空港がある。
それでもジェクンドはチベットの山奥の僻地なのか?

確かに遠い西寧まで車で搬送される前に亡くなった重傷チベット人も多かったときくが。


以下、BBCの現地映像です。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8627206.stm






















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2010年04月19日

ダライ・ラマ法王をジェクンドにお迎えしよう。

f0e87c58.JPG現地からは沢山の写真が送られて来ました。
中には生々しい写真も多いのでお気を付けください。
写真441枚:
http://picasaweb.google.com.au/aenpokyabgon/AllKyegu2010EarthquakePhotos?feat=directlink#


苦しみと悲しみの最中にある、現地のチベット人被災者たちの中から、ダライ・ラマ法王にお会いしたい、との願いが湧き起こり、広がっている。

法王もそれに答え、「叶うものならすぐにでも行きたい」との思いを表明された。

まさに引き裂かれた親子のようだ。
これを実現させるためには困難な壁がいくつもあり、容易ではない。
しかし、法王はその実現のために努力するとおっしゃった。
北京にすでに要請されたという。

そこで、外野からもこれを応援しようという声が世界のサポーターから上がっている。

以下はITSNからの提案だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

皆様

TSGのML内でもすでにご覧になった方もいると思いますが、ジェグンド(中国名:玉樹)のチベット人からの法王様の被災地訪問を乞う嘆願書が発表され、そして法王様からは本日付けで被災地への訪問を熱望しているとの声明が発表されました。
(両声明の全文はメール下段)


ITSNでは全メンバー団体にジェグンドのチベット人による嘆願書の内容と以下のような短い声明とともに、メディアに発表されることを強く要請します。
(必要に応じて文章を各自アレンジしてください)


(日本の場合)「鳩山首相。言葉にできない苦しみの中にある被災地、チベットのジェグンド(中国名:玉樹)の人々のもとへ、ダライラマ法王が訪問できるよう、首相から中国指導者に直接、可能な限りの働きかけをしてくださることを切にお願いします。」ー同様の意味合いの言葉でどうぞ。
さらに法王様の声明とジェグンドのチベット人被災者による嘆願書を、皆様の国の議員、外務省関係者や外務大臣にも送り、同様の緊急要請を行ってください。


ーーーーーーーーーーーーー

「ダライ・ラマ法王の被災地訪問嘆願書」

中国語原文:http://news.boxun.com/news/gb/china/2010/04/201004160551.shtml
チベット語訳 http://www.tibettimes.net/news.php?id=2557
英語訳 http://blog.studentsforafreetibet.org/category/media-coverage/reports-from-tibet/

ジェクンド(玉樹)被災地の人たちが胡錦涛総書記及び温家宝首相に送った手紙
(北京時間2010年4月16日に投稿されたもの)


拝啓
胡錦涛総書記、温家宝首相

 私たちが大地震の被害を受けた時、あなた方共産党中央政府がすぐに軍隊を派遣し社会のさまざまな団体が全力で被災者救援に駆け付けてくれたことに、私たち被災地住民は心から政府に感謝し、政府の支援に感謝します。

 しかし私たちは仏教に深く帰依する者の集まりです。私たちは仏陀の教えに先祖代々従い、ギャワ・リンポチェダライラマ法王睨下に篤信を抱いています。今回、私たちはこのような大地震に遭い、心身ともに深く苦しんでいます。私たちの喫緊の願いは、ダライ・ラマ法王に被災地を訪れていただき、既に亡くなってしまった人々を安寧な来世に導き、私たち傷つき残された者に情をかけていただくことです。
 このたびの災害に、尊敬する胡主席と温首相が慈悲の心をもち、私たち被災者の心情をくんで願いを聞き入れて頂きたいのです。私たち十万人を超える被災者はあなたがた共産党中央政府がダライ・ラマ法王との確執を一時忘れ、私たちの心よりの願いを叶えて頂きたいのです。

 私たちのダライ・ラマ法王をお招きしたいという思いは、ひとえにダライ・ラマ法王に亡くなられた方々を見送って頂き、残された者達の心を癒して頂きたいという、純粋に宗教的な心情に由来するものであり、他意は全くありません。

 今、ダライ・ラマ法王が被災地を訪れられ、祈祷の法要をされ、被災者を慰問されることのみが、私たちの傷ついた心を実際に癒すことができるのであって、他に方法はないのです。


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ダライラマ書簡

 地震発生後まもなく申し上げた通り、カムのケグドゥ(ジェクンド、中国青海省玉樹チベット自治州)で発生した地震により多くの命が失われ、多数の重傷者を出し、大きな被害が起きたことを深く悲しんでいます。離れた地にいるため、直接にご遺族や被災した方々の心を癒やすことができませんが、私が祈っていることを、どうか知っていてください。

 被災地で僧侶や若者、その他多くの人々が、何もかも失った家族を支え助け合っている姿を誇りに思います。慈悲の心が育っていくことを願っています。他者への無償の行為は、菩薩の願いの実践でもあります。

 また、中国政府の対応に感謝します。特に温家宝首相は、被災地を訪問して地域住民を力づけたほか、自ら救出活動の指揮を取っていただきました。この惨事と経過をメディアが自由に報道できていることにも、深く感謝しております。

 2008年、同規模の四川省大地震が起きた際、中国当局と地方政府の指導者や関係機関は、救援の手を届けるためにたいへんな努力をしてメディアを自由に行き来させ、必要であれば国際救援機関の立ち入りのために道を作りました。そのような前向きな決定を高く評価するとともに、今回も、被災地へのアクセスに関して同様の配慮をお願いいたします。

 亡命チベット人コミュニティーは、被災者救援のためのいかなる支援や援助も惜しまない覚悟でいます。可能な限り迅速に正式な機関を通じて支援したいと願っています。

 2年前に四川省を大地震が襲った際、被災地を訪問し傷ついた人々のために祈り、心を癒したいという願いはかないませんでした。しかし昨年、台湾が台風災害に襲われた際には、被災地を訪れて災害の犠牲者のために遺族と共に祈ることができました。悲しみにくれる人々を少しでも慰めることができたことを、嬉しく思っています。

 今回の地震が起きたケグドゥ(玉樹)はアムド(青海省)にあり、私と先代のパンチェンラマが生まれた土地です。その地に暮らす人々の願いに応えるため、悲しみに暮れる人々の心を癒やすために、被災地を訪ねたいと強く願っています。

 最後に、諸外国の政府、国際救援機関やその他の関係機関に対し、今回の災害で何もかも失った被災者の家族たちが立ち直るために必要な、可能な限りの援助と支援を要請いたします。同時に、この大災害の犠牲者遺族に対しては、すべて起こったことは因果に従うものだと受け止め、逆境を善行の機会に変えてほしい。希望を保ち、失ってしまったものを取り戻すため、苦境に対し勇気を持って立ち向かうことを願います。

 最後に、もう一度申し上げます。亡くなった方々と遺族の方々のために、私は祈り続けています。


2010年4月17日 ダライラマ
http://www.tibet.net/en/index.php#

(翻訳:若松、藤田、中原)

ーーーーーーーーーーーーーーー


Mandie McKeownより

Campaigns Coordinator, International Tibet Support Network

mandie@tibetnetwork.org, campaigns@tibetnetwork.org

www.tibetnetwork.org

+44 7748 158 618



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2010年04月18日

RFAを聞いたり、青海テレビを見ていると、、、

ジェグンド 地震、ウーセルさんのブログよりRFAを聞いていると、現地からの色んな人の声が聞こえてくる。

ほとんどの人が家族の誰かを失い、5日経った今も、水も食糧もテントもなくただ耐え忍んでいるらしい。
法王がいらっしゃるという噂も広がっている。

青海テレビなどでは、やっと今日から水や食糧が配られるシーンが映されるようになった。
青いテントの数も増えたように見える。
しかし、まだまだ多くの人たちがテントもなく、冷たい風にさらされながら、外で寝起きしている。
もしも、日本人が零下にまで下がる屋外で食糧も水もなくほっておかれたら、3日持つであろうか?チベット人だから生き延びているのだ。
この辺は中国政府の誤算もあるかもしれない?
100時間後に瓦礫の中から這い上がったチベット人もいる。

僧侶以外のチベット人ボランティアも増えたという。中国各地のチベット人学生が大勢きたという。
そんな中、カムからやって来た僧侶は多いが、ウツァンから駆け付けたという僧侶や一般人は非常に少ないという話がでた。
これに応えてウツァンのチベット人は
「ウツァンではテレビで地震のことはほとんど報道されない。犠牲者は数百人だと言って、大した地震じゃないように言ってる。大体、地元のチベット人は中国のテレビを全く信用してない。全部ウソだと知ってる。ほんとのニュースはRFAとVOAだけだと知ってる。
だから、テレビを見ることが嫌いな人も多い。
ラサなんかでは寄付も始まっていると聞くが、全部ヤラセだ。
みんな本当は何が起こったのかよく知らないのだ」と話していた。

私もこのところよく中国のテレビを見ている。
ダラムサラで見ることができるのはラサ・テレビ、四川テレビ、青海テレビということでウツァン、カム、アムドが網羅される。
昨日までは地震関係の特別番組を流すのは青海テレビばかりで、ラサテレビ、四川テレビはニュースの時間にちょっとだけ要人訪問や物資搬送のシーンを流すだけで、驚くほど簡単な扱いだった。
今日になり、ラサ、四川も急に特別番組風に長く報じている。
昨日、胡錦涛主席が現地視察に訪れたからに違いない。
うまいことに、今日から食糧配給のシーンを流すことができる。
遠い立派な病院に収容され篤い手当をうけるチベット人たちも沢山撮れる。
後は、列をなして透明な募金箱に現金を入れるチベット人を映して終わりだ。

ほぼ、ほったらかしにされた最初の三日の間に瓦礫の下に死ぬ者は死に。
政府にとってもう事は終わったのだ。

胡錦涛主席の現地訪問に合わせ、
「地元の青海省政府は地震で家族を失った遺族への見舞金として8000元(約11万円)、震災孤児や養ってくれる子供を亡くしたお年寄り、重い障害が残る負傷者に対し毎月1000元(約1万3500円)の給付を決めた。」という。

もちろん、見舞金や給付金は被災者にとっては有難いことであろう。

ただ、この金額が多いのか、少な過ぎるのか?とすぐに計算してしまう。
遺族の数を2000人として見舞金の総額は2億2千万円。
給付金の対象を3000人として1年にこちらは4億500万円。
何年間給付されるのかは分からない。
足してこの1年に6億ほどの予算が必要になる。

一方、外国からいくら政府に支援金が入るのか?
日本からだけでも、日本政府が1億円、民間から約1億円が送られる。
世界各国合わせて10億円を下ることはない。

その上、儀式と化したチベット圏を中心にした中国内での猛烈な寄付金集めの上がりは誰が管理するのか知らないが、表向きは政府の金のはずだ。
この額は半端じゃないと思われる。
テレビの下の欄には地方政府、団体、会社などから続々数百万円の寄付が寄せられていることが表示されて行く。

つまり、政府の懐は痛むどころか黒字間違いなしというわけだ。

どちらにせよ、10億単位の話であり、政府にとってはまるで問題にならない小さな話なのだ。

それより、大事なのは共産党の宣伝効果だ。

実際中国のテレビを見ていると、慣れないうちは本気に吐き気を催すことがある。
あまりに人をばかにした安普請なやらせドラマばかりだ。
うそだ、ただの宣伝だと自分でいってるようなニュースばかりだ。
チベット人が見たくないというのもよく解る。

















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ジェクンド大地震五日目 死者1706人 不明256人

ae738d77.jpg新華社は死者1706人、不明256人と発表。
胡錦涛主席が片付け作業に入った現地を訪れた。


17日、ニューヨークタイムズには現地レポートとして

「地震後、チベット人は中国の救助に不信感を募らせる」

と題する記事が掲載された。

以下、その一部を訳す。
http://www.nytimes.com/2010/04/18/world/asia/18quake.html?pagewanted=1
http://www.nytimes.com/2010/04/18/world/asia/18quake.html?pagewanted=2


ジェクンド:
僧侶たちが倒壊した職業訓練学校の瓦礫の上で、つるはしと素手でコンクリートの床を動かそうと格闘していた。
突然、叫び声が上がった。
瓦礫の中から明らかに命の抜けた人の手が飛び出した。
しかし、僧侶たちがこの遺体を取りだそうとすると、それまで学校の校庭でのんびり休んでいた軍人の一団が一斉に行動を開始した。
彼らは帽子を被り、僧侶たちを押しのけた。
ビデオカメラを用意し、その前で急いで少女の遺体を取りだした。

僧侶たちは怒りを抑え、下の方に立って、死者のためのお経を口ずさんでいた。

「自分たちが働いている時、カメラなど見たことがない」と僧侶のガ・ツァイは言う。
彼はこの地震のことを知って、直ちに四川省の僧院から駆け付けた200人の内の一人だ。

「我々は命を救いたいだけだ。彼らはこの悲劇をプロパガンダのチャンスと思っている」

中略

政府メディアでは食糧やテントを支給されて感謝しているチベット人や、専門の捜査・救助班が高山病と戦いながら生存者を捜しているという話ばかり流されている。

中略

倒壊した建物から最初に人々を救い出すのはワイン色の僧衣を着た僧侶たちだ。
土曜日の日暮れ、中国の救助隊は作業を中止した。
それでも、僧侶たちは暗くなっても瓦礫の中で捜索を続けていた。

「彼らが全てだ」と57歳になるオズ・ツァイジャは車のトランクを開けた。
そこには妻の遺体があった。
若い僧侶たちがすぐに死者のための祈りを行なった。

土曜日の朝、僧侶たちは1400の遺体を僧院前の広場から街を見下ろす埃っぽい丘の上に運んだ。

そこには廃墟から運ばれた薪が敷かれた二本の長い堀がある。
僧侶たちは遺体を堀に並べ、葬儀の火を放った。

一日中燃え続ける火の丘の下には何百人もの遺族が訪れ、丘の麓で大きな声で読経を上げる僧侶たちのそばで、無言のまま座っていた。

警官や中国の役人の姿は全く見られなかった。

中略

第三小学校では僧侶たちは50人の生徒たちの遺体を壊れた教室の中から掘り出した。
その後、役人や警官が来て、「何人死んだのか?」と聞いた。
警官はその数を半分にしようと言った。

「彼らは外の人たちが大きな被害を知ることを恐れているんだと思う」と23歳のゲン・ガジャバは語った。

中略

さらにもっと強い非難を聞いた。
地震の後、数日間、僧侶たちが救助活動を行なっているところを見つけては軍隊が来て、僧侶たちの活動を妨げたというのだ。

僧ツァイレンは最初の夜、崩れ落ちたホテルを前にいかに僧侶たちが軍人たちと言い争ったかについて話した。
「我々はどうして自分たちに仕事をさせないのかと聞いた。彼らはただ無視し続けた」

その後、彼を含めて100人ほどの僧侶が職業訓練校に向かった。
そこでは、崩れた寮の瓦礫の中からまだ助けを呼ぶ女の子たちの声が聞こえていた。

軍人たちは僧侶たちが瓦礫の山に近づくのを阻止した。
しばらくして、僧院長のガ・ツァイに役人が突っかかった。
「彼は私の僧衣をつかんで道まで引きずって行った」とガ・ツァイは話す。

夜になり、軍人たちが現場を去った後、僧侶たちは現場に向かった。その夜10数体を掘り出したという。

中略

土曜日にはシャベルカーとブルドーザーが職業訓練学校の瓦礫を掻きわけていた。
ここの生徒である16歳のゴンジン・バジは、それを見ながらそばに立ちすくんでいた。

「昨日、重機が不用意にクラスメートの身体を引き裂いた」と彼女は言う。
彼女はまだ、自分の姉が瓦礫の中から生きて掘り出されるのをじっと持っているのだった。

彼女は無表情に「もっと気を付けて作業してもらえないものか、と思う」
「たぶん、自分たちはただのチベット人だから気にしないのだろう」と言った。
























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