ダライラマ法王

2011年01月21日

「最後の一息まで、チベット人を見捨てることは決してしない」ダライ・ラマ法王

1月15日サルナート 1月18日付けPhayul. Dharamsala:
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28946&article=Don't+worry%2c+I+won't+abandon+you%3a+Dalai+Lama+reassures+Tibetans+of+his+leadership
(写真は1月15日、サルナート C/R:OHHDL/Tenzin Choejor)

 ダライ・ラマ法王はチベット人に対し、「チベット人たちを導く責任を放棄することは決してない」と念を押された。法王は今週の日曜日(1月16日)仏教講義の後、チベットからベナレス(サルナート)までこの講義のためにやって来た約2000人を特別に集め話をされた。

 「民主主義は我々の政治的発展のために非常に重要なことだ。これは、私が自分の責任を回避したり、放棄するという意味で言っているのではない。私は、最後の一息まで、あなた方チベット人を見捨てることは決してしない。見ての通り肉体的には今76歳で、もうすぐ77歳になろうとしているが、私はまだまだ元気で健康だ。指導者としての責任を捨てるなんて心配せず、安心しておれ」とおっしゃった。
(一節略)

 法王はまた、中華人民共和国の内に留まりつつ「意味ある」自治を求めるという中央チベット政府の中道政策についても解説された。法王は内地のチベット人たちが持ち続けているチベット人としてのアイデンティティーと所属感を称賛された。同時にこの認識は中国人に対抗しようというものではないと言われ、「これは中国人を敵に回すというものではない。中国人は中国人で自分たちは漢民族であるというアイデンティティーと所属感を持っている。これと同様の感覚がチベット人にもあるということだ。中国人だけが自分たちの民族に対するプライドと親愛を持つ事が許され、チベット人には許されないということはフェアーではない」と話され、諸民族の平等は諸民族の間の信頼を築く上に重要な要素だと付け加えられた。「信頼が無ければ、民族間の強調はないであろう。そして調和的社会も存在しないことになろう」と。

 法王は、チベット人アイデンティティーの存続のためのチベット語の重要性について強調された。亡命チベット人の家族の中には英語に上達するために子どもに家庭内で英語を話させているということを聞いた。「同じ理由でチベットにいるチベット人家族の中にも子どもに中国語を話させているということも聞いたことがある。日常生活の中で他の言語を話さなければいけないという状況であっても、家庭内においては子どもたちに母国語であるチベット語を話させるよう勧めるべきだ」と、明らかに最近の中国地方政府による学校の教育メディアをチベット語から中国語に換えようと言う政策に対する、チベット人学生たちの抗議活動を想起させる発言をされた。

 チベット人たちに対し、できるだけ菜食主義を取り入れるべきだと進言された。「かつては特に遊牧民など、遠隔地に住み肉しか手に入らないという人たちがいる時代があったであろう。でも今は状況が変わったはずだ。だから、思うに、肉の消費をできるだけ押さえるということは非常によいことだ。僧院が完全な菜食に変われば言うことはない」と。また、法王は「家に僧侶等を呼んで法要を行う時もできるだけ菜食にするのは良いことだ」とおっしゃった。

 法王はまた、「チベットや亡命先でチベット人が教育の不足や他の理由によりギャンブルや放浪にはまっていると聞いた。大勢の者がギャンブルや酒を飲むことでただ時間を紛らわし過ごしていると聞いた。ラサで、アムドやカムでもだ。亡命先においても、例えばアメリカでもこのような人がいると聞いた。これは良くないことだ。チベットに帰ったらそのようなチベット人に言うべきだ。私がそう言ったと。それでも彼らが耳を貸さないなら、しょうがない。自分は何でもない」

 最後に、法王はチベットから来たチベット人たちに向かって「中国はいつか変わる。いつの日か内外のチベット人同胞が再び手を取り合う時が必ずやってくる」と断言された。


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2011年01月11日

ウーセル(唯色)/画面越しの拝謁

1月4日 法王と中国人のネット対話このところ毎日のようにウーセルさんの翻訳ものばかり。
ウーセル・ファンの友人たちが翻訳してくれると、どうしても載せたくなる私も相当なファン。
度々、翻訳して!とねだってる。

今日はうらるんた(@uralungta)さんが翻訳してくださったもの。

ブログ「ちべログ@うらるんた」より転載。
http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2011/01/20110110.html

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Woeser/画面越しの拝謁(訳)

 チベット人作家ウーセルさんのブログと「Radio Free Asia(中国語版)」サイトに1月10日アップされた、ウーセルさんのコラム。
(ウーセルさんブログはこちら、
http://woeser.middle-way.net/2011/01/blog-post_10.htmlRFA
中国語版サイトはこちら
http://www.rfa.org/mandarin/pinglun/weise-01102011090855.html
 1月4日、ダライ・ラマ14世と中国知識人とのネット対談が行われた際、インターネットのビデオチャットで、画面越しに法王と対面した喜びを綴っています。

1月4日 法王と中国人のネット対話 ウーセルさん パスポートのない私、ダライ・ラマ法王に謁見

 7年前、私はエッセー集「チベット・ノート」(西蔵筆記)で、1枚の記念写真に添えて、ラサからこっそりとダラムサラを訪ねたチベット人父子の物語を書いた。「左右は遠慮がちに恭しく待ち受ける人たちであふれ、その中心に囲まれているのが、まさにその人だった。敬虔なチベット人の誰もが一番よく知っていて、一番心に近い存在の、一番待ち焦がれている人――ダライ・ラマ法王」。
 この描写と、他のいくつかの章でチベットの現実に言及したことを、当局は“重大な政治的誤り”と認定した。『ダライ・ラマ14世、カルマパ17世の存在を賛美し、宗教信仰など重要な政治的立脚点及び観点の齟齬を広めた』。
 この後、私はすべての公職を解かれ、ラサを離れざるを得なくなった。

 もっと以前から――既に16年前に、私は1編の詩に含みを持たせて綴っている。

 私はこの世では成長しない花を胸に抱き
 枯れてしおれる前に、と急ぐ
 感激の涙があふれるまま
 はやく、はやくと 急いて走る
 ただ 深紅の衣の老人に捧げるために
 ただ 一縷の微笑み
 つぎの生と世 そのつぎの生と世でも
 つながりを得られるように

 のちに私はこの詩を歌詞に書き換え、「深紅の衣の老人」の部分を「我らがイシ・ノルブ、我らがクンドゥン、我らがゴンサチョ、我らがギャワ・リンポチェ……」*にかえた。すべてチベット人がダライ・ラマ法王を称える敬称である。

 数多くのチベット人とまったく同様に、なんとかダライ・ラマ法王にお目に掛かりたい、教えを受け、祝福を授かりたい、と思い焦がれる気持ちは、私自身にとっても最大の切実な願いだ。若いころから、ただひたすらその願いが実現するその日を待ち望んできた。しかし、私は他の多くのチベット人と同様、パスポートの発行が認められていない。あの政権に支配されている限り、たった1冊のパスポートという恩恵さえ永遠に与えられないかのようだ。そもそも(ある国民に対し国家間の移動を国が保証するパスポートの取得は)国民の基本的権利として一人ひとりに保障されているべきものだというのに。

 昨年、ラサで「60歳以上の高齢者にパスポートが発給される」という情報が流れた。しかし申請期間はたった1週間。パスポートセンターは髪も真っ白になった、足元もおぼつかない老人たちであふれかえった。実際には誰もが知っている――彼ら年寄り全員が、ヒマラヤ山麓のあの場所に長年会うことが叶わなかった人がいて、仏教の聖地を参拝することだけが願いなのだと。同時に、それは決して口に出して言ってはいけない、誰もが知っている願望だった。私は悲しく考えた。このままひたすら60歳まで待ち続ければ、そのときようやく私もパスポートを手にすることができるのかどうか……。

 しかし、インターネットは、パスポートを持たない私にとってのパスポートのようなものになった。新しい年を迎え、私の願いはほとんど実現した――インターネットを通じて。まるで夢を見ているような、しかし紛れもない現実――ダライ・ラマ法王にお目にかかっている!

 縁を結んだのはインターネットの映像を使ったビデオチャット(テレビ電話)システムだった。2011年1月4日、ダラムサラのダライ・ラマ法王と、中国の人権派弁護士滕彪、江天勇両氏と作家王力雄氏との間で、インターネット放送を通じた交流が行われた。私も当時、(夫の)王力雄の後ろに控え、一言一言に耳を傾けた。リアルタイム中継でダライ・ラマ法王が画面に姿を現した時には、信じられない思いで、ただ涙があふれ出るばかりだった。

 デジタル技術の革新は奇跡を起こした。距離も地形も超越し、人為的な垣根を飛び越えて、亡命して半世紀におよぶダライ・ラマ法王と中国の知識人との間に意思疎通の架け橋がわたされたのだ。大きな意義があることは疑いもない。

 ダライ・ラマ法王が3人の中国知識人に話しかけるのをこの耳で聞いた。「互いの息遣いや臭いが感じられないことを除けば、同じ場所に一緒にいるかのようですね」。
 70分以上の対話を終えて、法王は思いやり深く問いかけた。「そちらからはよく見えましたか?」 3人がうなずいて同意すると、法王はユーモアたっぷりに自らの眉毛を指差し、笑いながら言った。「じゃあ、眉毛が白くなってるのも見られちゃいましたかね?」

 私は泣けて泣けてしかたなかった。チベットの礼儀作法にのっとり3回ひざまずいて頭を地に着け、口の中で真言を唱えながら、両手にカターをささげ持ち、パソコンの前にひざまずいて献上した。涙でかすむ画面に、ダライラマ法王が、カタを受け取り、祝福を与えるしぐさと同じように、ゆったりと両腕を差し伸べてくださるのが見えた。そのときの気持ちを言葉で表すことはできない――。私はなんと福徳に報われたことだろう。チベットではたくさんのチベット人が、法王の写真を1枚持っていたというだけの理由でひどい目に遭っているのだ。

 実のところ、近年、決して少なくない中国の各界の人々がダライ・ラマ法王に面会している。しかし彼らがそのことによって自由を奪われることはなく、彼ら中国人は依然としてこの国家の公民である。チベット人が法王に拝謁して罪に問われるというのはまったく理不尽なことだ。

 ビデオチャットを見つめる私に、ダライ・ラマ法王は丁寧に仰られた。
 「決してあきらめず、努力を続けましょう。漢民族の知識人と私たちチベット人知識層のあいだで、いついかなるときも、こちら側とそちら側の真実の状況を伝えあい、相互理解と意思疎通につとめることは、非常に大切なものであることを、どうか常に心に置いてください。過去60年来、私たちチベット内のチベット人の勇気と敬虔さは山のようにゆるぎない。チベットの現実は国際社会の注目するところであり、世界各地からチベットの真実を見られるようになった。中国国内の知識人はこのことについても理解してきている。巨視的にみれば、強大な中国が現在変化のただ中にあるといえる。ですから、あなたがたは必ず信じ続け、更に努力を続けてください。いいですか?」

 この時に至って、私はようやく落ち着いてきて、法王の言葉をしっかりと心に刻みつけた。

2011年1月7日 北京 RFA特約コラム

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注:このコラムは同時にRFAチベット語放送でも紹介された。

*イシ・ノルブ(智慧の宝珠)、クンドゥン(御前)、ゴンサチョ(至高の存在)、ギャワ・リンポチェ(偉大な貴宝)……いずれも、チベット人がダライ・ラマ法王について話す時や呼び掛ける時に、法王に敬意を表し、名前を直接口にせず、婉曲的に象徴する時に用いられる比喩表現。

 「ウーセルさんの個人的な特別体験」ではなく、ひとりのごく普通の敬虔なチベット女性の心情を思いました。このコラムの向こう側に、一目お目にかかりたい、と思っている数限りない人たちがいるんだなあ、と。
 「私はなんと福徳に報われたことだろう(我是多么地有福报�休)」の「福報(福徳応報)」は、チベット仏教の因果(果報)や縁起の考え方を中国語で表そうとした表現です。今生で善行を少しでも積むことで来世で報われる、という確固としたチベットの世界観が背景にあります。
 ぴったりはまる日本語がないのでうまく訳せていませんが(仏教用語で超訳すれば「私は果報者です!」ってことになるんだろうけど、ちょっとニュアンスが消える気がする。それは日本の価値観がそれだけ仏教から離れてしまったということでもある)、チベット人同士の会話では、すぐに自分の得になるわけじゃないことを損得抜きで引き受けたりすることを(冗談で)「ソナム(福徳)を積んだよ」と言ったり、病気になったりして人から世話を焼いてもらった時などに「申し訳ない」と恐縮するかわりに(冗談で)「私のソナムがずいぶん減っちゃたわ」なんて言ってみるなど、「情けは人のためならず」がちゃんと原義通り生きているのがチベット世界です。
 それを思うと(ウーセルさんは漢語教育を受けてチベット語では文章の読み書きができないから厳密に純粋なチベット人とはいえない、とか、ウーセルさんは他のチベット人と違う、などと評論する向きもあるので思うんですけど)、チベット人だなあ、と。改めていろいろ考えたことでした。

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(うらるんたさん:追記)

パンをかじりながら顔じゅうしわくちゃにして泣いていたよ

[チベット人のツイ](パスポート取得を認められず国外に出られない北京在住の作家ツェリン・ウーセルさん@degewa が、インターネット中継でダライ・ラマ法王との謁見が実現したことを綴ったコラムがRadio Free Asiaチベット語放送で流れたことを受けて)

本土のチベット人はネットにこんな書き込みを。「インターネットによってパスポートがなくても拝謁できる可能性が現実味を帯びてきたんだって、と年老いた父親にその中の出来事を話して聞かせたら、父は堅焼きパンをかじりながら顔じゅうを涙でしわくしゃにして泣いていたよ」

元発言は@MyYak http://twitter.com/MyYak/status/24703533718704128
@MyYakさんは北米在住のチベット人

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2010年11月10日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その3

eb29b740.jpg今回で会議における法王のスピーチの訳は、完了。

これが、ダライ・ラマ法王のチベット支援者へのメッセージだ。

なお、これはあくまで私の試訳であってもちろん公式なものではない。
皆さんの参考までにと訳してみただけだ。

元映像は:http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

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さらにもう一つの側面がある。
チベットは中国とインドの間にある。
相互信頼に基づいた良好な関係は、中国とインドに取って非常に重要なことだ。
なぜならば、この二国は最大人口を抱える国家であり、どちらも核兵器を保持しているのだから。
ただの外交辞令的美語だけではない、真の信頼関係を確立する事が大事だ。
真の「ヒンディ、チニ、バイバイ(中印友好)」が必要だ。
真の中印友好のためには信頼が要る。
中印関係だけでなく、中国と他の隣国との関係や世界との関係において、信頼が基本であると思う。
すべてが国家機密である限り、人々はより懐疑的になるばかりだ。
中国の友人やその他の友人にも言っていることは、中国の13億の民は真実を知る権利があるということだ。
そして、中国の13億の民は自ら何が正しくて、何が正しくないかを判断する能力があると。
(拍手)
このような環境の下で、このような現実の下で、監視することは非道徳的だ。
そのようにすれば、自国民の中に懐疑心が増えるばかりだ。
もっと不信が湧く。
それに対する政府の答えは、もっと弾圧することだ。
そして、さらなる恐れだ。
恐れは信頼を破壊する。
信頼がそこに無い時、どうやって真の友情が育つというのか?
それなしに、どうやって胡錦濤氏の強調する「調和ある社会」が作れるのか?

「調和ある社会」は、ひょっとして動物に対してならあり得るかも知れない、
むちを手にして動物を叩く事により、(追い込んで)お互いを近づけることもできるかも知れない。
しかし、我々は人間なのだ。
10億以上の中国人もまた人間なのだ。
力により「調和ある社会」を作る事はできない。
そうでなく、「信頼」により作られるものなのだ。
そうではなく、「友情」によってだ。
(拍手)
だから、私は1日にして突然中国が民主化されるとは思っていない。
なぜならば、中国の田舎には教育を受けていない人が大勢いる。
経済的にも貧しい。
また、中国はかつて一度も民主主義を経験したことがない。
急激な民主化は非常な混乱を引き起こすであろう。
緩やかな変化が適していると思われる。

みんなも知っているであろうが、私はこの数年来、中国の共産党がかつては何らかの良き貢献をなしたと言って来た。
しかし、今の共産党はもう大義を忘れてしまっている。

私も今、隠居を考えている。だから、もう共産党も次第に隠居するのがよろしいと思う。
潔く、、、そのほうが余程よろしいかと。
(拍手)
そうじゃないかな?
これは決して反共産党的発言ではない。

かつて、はじめて台湾を訪れた時。
台湾の国民党のリーダーたちに、「私は反共産党ではない」と言った。
レンタンだったかな、副議長だったかにそう言った。
すると彼は「私は反共産党だ」と言った。
別にこれは秘密なんかじゃない。
今も社会や経済に関する限り、私はマルキストだ。断定できる。
しかし、私はレーニン主義者ではない。
レーニンの時代からスターリンの時代まで、非常な統制、猜疑、弾圧が行われた。
これに対しては完全に反対する。
(法王のどを詰まらせ)
食事を前に何かがお腹に入ったようだ。ハハハ・・・

毛沢東主席に対しても、初めの頃は私も心からの信頼を寄せていた。
人民の福祉のために献身していた。
労働者や恵まれない人に対して。
特権を持たない人々に対し。
私が中国を訪れた、54年、55年の間に何度か彼に会った。
中国の友人によく話すことだが、私のこの手は毛沢東主席の教えをいくらか受けていると。ハハハ・・・
若い世代の人たちは毛主席に会う機会がないが、私にはあった。

おお、話が長すぎるかな、、、大丈夫かな、、、
ここには大勢の人がチベット問題について議論するために集まっておられる、
だから、私の経験のいくつかを紹介することも無駄ではないかもと思い、、、
(拍手)
(マフラーを取られ、デリー事務所代表のテンパ氏から渡された水を飲まれ、左の耳にぶら下げたままだった黄色いマスクを取られる)

彼の開く会議では党のメンバーからの如何なる批判も許されていた。
ではあるが、聞いている方もなかなか頭が良かったようで、黙ったままだった。
ハハハ。
その場で彼は出身地の一農民からの手紙を紹介した。
不満を示す手紙だ。
これを読んで、「このようなことに考慮し、気をつけて仕事をするように」と言ったものだ。
その夜、その会議の席上、毛主席は私の方を向いて、「あなた方チベット人はかつて非常に強かった。しかし、今は非常に弱くなった。だから、我々が助けて上げよう。20年後には、より幸福で、より強くなっているであろう。その時にはお返しに我々を助けてほしい」。
このように毛主席は語った。

それから、その国旗だ。(会場に掲げてあるチベット国旗を指差す)
ある時毛主席は私に「あなたたちは国旗を持っているか?」と訪ねた。
私は「はい。あります」と答えた。
すると、毛主席は「それは持ち続けるべきだ」と答えた。
「中国国旗と共に」と。

ベルリンでチベット支援組織の代表と会談していた時、彼等がチベット国旗を掲げていたので、私は言った。
この旗を本土チベットで誰かが掲げると、すぐに「分裂主義者」だと言われる。
もしも、中国の役人が来た時に、この旗を掲げて、文句言われたら、「おお、ダライ・ラマ法王は毛沢東主席本人から、この国旗を掲げる全面的許可を受けている」と言うが良い。
(拍手)
我々は毛主席のアドバイスに従っているわけだ。
そうじゃないかな?

また、中国の友人たちに話すのだが、共産主義者である毛主席は「共産主義者は他者からの批判を受け入れるべきだ。自己批判と共に。それなしには水を失った魚のように生き続けることはできない」と度々語ったものだと。
今じゃ、これは実行されていない。
しかし、自分たちはこれを実行している。
(拍手)
また、中国で沢山の町や地方を廻った。
北や南や東の地方を。
どこでも、地方の役人と会ったが、私は本当にその党幹部たちが真剣に奉仕していることに感心したものだ。
民衆のことを心掛けていた。
私は本当に心打たれた。
だから、北京で私の面倒を見てくれていた役人に「自分も共産党に入党したいものだ」と話したことがある。
すると、彼は「ま、待て、待った方が良い」と言った。
多分、彼は何れ党が堕落するということを知っていたのかも知れない。
1956年ごろから、すべては変わり始めた。

数ヶ月前、BBCで「真理の力、銃の力」という番組をやっていた。
全部を見る事はできなかったが、、、
中国共産党はその初期には、この2つ「真理の力と銃の力」を持っていた。
その内、「真理の力」は失われた。
「銃の力」は残った。
これが、自身を堕落させた。
全面的に権力を掌握した者は、その人の中に自己制御能力が無い場合、堕落の力に抗することは非常に難しい。
いずれ、堕落する。
これが起こったまでだ。
ほとんどの独裁政権はこのたぐいだ。

ここで、改めて、あなた方と意見を共有したい。
我々は全力を尽くして、中国をより透明性のある国に変え、弾圧をやめさせるべきだ。
歪められたプロパガンダは必要ないということを解らせるべきだ。
それは、ただ非生産的で、反対の効果を及ぼすだけだ。
これが大事だ、なぜかと言えば、物事が一旦透明になり、言論の自由が保証され、独立した司法制度が確立されるならば、チベット問題は簡単に解決することができるからだ。
これが、一つの側面だ。

だから、チベット問題には3つの側面がある。環境、文化そして人権侵害、それと(中国が)インドや世界と良好な関係を築く事。
最大の人口を抱え、古い歴史文化をもつ中国が世界に貢献するためには
他国の信頼を得ることが非常に重要だ。
これなしに、恐怖を与えるならば、中国は建設的役割を果たす事はできない。だから、我々は狭い心を持った指導者たちにこれを解らせるべきだ。

もう一つの見解を共有したい。
ある指導者、役人は我々チベット人が反中国だと思っている。
全くそうではない。
悪い政策と不正義についてはもちろん我々は反対する。
しかし、我々は決して中国人に敵対することはしない。
(拍手)

だから、今回もより多くの中国人がここに集まってくれている。
私は彼等を買ったわけじゃない。
誰も、ここに参加したからといって、1万ドルとか5万ドルとか、誰かからお金を貰えるわけじゃないだろう。
各自が自費でここに参加していると思う。
航空券はただだったか?ハハハ。
(法王見渡して確かめる)

この数年間、多くの中国人に会って来た。
これらの中国人たちは教育のある人々だ。
知識豊かな人々だ。
また、全員ではないがその中国文化の遺産を心に持っている人たちだ。
中国文化を愛しておられる。
中国人を愛し、中国を愛しておられる。自然にだ。

その心で、今、我々を助けるためにここに来て下さっている。
このことは明らかに、我々の戦いは正義の戦いである証拠だ。
特に、我々のアプローチの仕方は独立を求めず、正しい自治を求めるものだ。この数年間に多くの中国人学者、先生、教授、作家、さらに子供たちに、、、おそらく数百人に会った。
この2年以上に渡り、千部以上の中国人の記事が我々の中道のアプローチを支持してくれた。
そして、中国の政策を批判し、その長期的利益について論じられている。
健全なことだ。
これは明らかに、我々が反中国でなないという証拠だ。

また、ここには多くのヨーロッパの人々が来られている。
チベット問題を多くの機会を捕らえ、国際問題にしてくれている。
いつも言っているが、我々には2つの手がある。
右手が大事だ。
右手で北京にアプローチしている。
もしもこの側に具体的手応えがあるなら、この左手は必要ない。
しかし、右手が空のままである限り。
左手は延ばされなければならない。

多くの人々がチベット問題に関心を示して下さっている。
様々な宗教の人が。
だから、自然に我々はこのような共感、同情、支援とつながるであろう。
もしも、具体的な手応えが右手からあるならば、左手は「OK GOOD BYE」だ。
誰がチベット問題を国際化しているのか?
中国であって、我々ではない。
ま、これはあなた方が、誰がチベット問題を国際問題にしているのかと考えて見るべきだが。

最近、二ヶ月前、私は一人の中国人に会った。
ちょうどその前に彼はラサを訪問したという。
彼は私に、「ラサのジョカンの前で、いつものようにチベット人は五体投地を信心深くおこなっていた。そのすぐ近くに武装警官と共産軍がしっかり制服を着て軍事訓練行っていた。叫びながら。そして、――チベット人はこのように右回りにジョカンを回るがーー中国の軍隊は反対向きに行進していた」と。彼が言うには、「この中国人たちは本当にわざとチベット人の心の中に反感を作り出している」と。
だから彼が言うには、「本当に緊張を作り出しているのは彼等の方だ」と。
私もこれが本当と思う。

もちろん我々チベット人は、精神的心を持っているが、一方でお金も好きだ。
私は隠す事は好きでない。
カナダ、アムステルダム、アメリカに沢山チベット人の不法滞在者がいる。
これらのチベット人はもちろん、精神性を求めているのではなく、金を求めているのだ。
これらの困ったチベット人のお陰で、我々のデリー事務所は各大使間との信頼関係を失いかけている。
彼等は最初に我々の事務所に来て、必ず帰ってくると言って支援を求める。
問題は、自分の事務所が助ける手紙を与え、一旦その外国に到着すると、すべてを忘れてしまうことだ。
だから、アメリカ大使館を含め、その信頼を得る事が今、難しくなって来ている。
今年、新しい(アメリカ)大使が就任したが、私は自分で彼に謝った。
間違ったチベット人たちの態度について。
これは、明らかにチベット人もお金が好きだという証拠だ。

チベットは物質的には遅れている。
中国の中に留まるという話は、、、物質的発展に関し、これは自分たちの利害を考えての話だ。
しかし、真の自治を与えてほしい。
自分たちのことは自分ですることのできる完全な権利のことだ。

思い出すが、、、86年のことだったと思うが、パンチェンラマが(マーグル?で)決定したことをラジオで聞いた。
「87年以降、自治区内の公的言語はチベット語にすべきだ」と発言したことを。
このようなアイデアがあった。
今は、公的言語どころか、教育において、学校でも、チベット語は減じられて来ている。

これらがあなた方と共有したいことだ。

以上だ、ありがとう!





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2010年11月09日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その2

df9168ab.jpg写真は会議の初めにインド式灯明に火を灯す、アドバニ氏と法王(Phayul.comより)。

昨日に続いて法王のスピーチを訳す。
これで全体の半分ほど。

映像は:http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

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一方、西洋では、宗教を信じる人であろうと、信じない人であろうと、宗教に関心を持つ人であろうと、無かろうと、現代社会には道徳教育が不在であるということに同意する。
一般的に道徳教育は何らかの宗教に基づくべきだと思われている。
これが、視野を狭める要因となっている。

仏教や、インドの伝統では、、、、
かつて、この事について論じたことがあるが、、、
(アドバニ氏を指差し)
インドの伝統において、一つの哲学学派であるチャルバカは神や仏の存在、来生の存在など、すべてを否定するニヒリズム思想であり、哲学的には多くの論争がなされ、論難もされている。
しかし、一方で、この見解を保持する人はリシ=聖人と呼ばれる。
つまり、この国には千年以上前から、非宗教、世俗(secular)という理念、主義が存在するということだ。
世俗という理念は、個別の教徒を非難するのではなく、むしろすべての教徒を尊敬するという意味だ。
これには宗教を信じない人も含まれるのだ。

私はいつも言っている。
宗教的なことは、例えば私は仏教徒だか、これは個人的問題だ.
私は仏教国でない土地に行って仏教を宣伝するようなことはしない。
決してしたことがない。
しかし、私はすべての宗教のエッセンス、特に仏教で言う人間の良き性格について意見を共有するようにしている。
これは、世俗という考えに基づいているのだ。
常に、この普遍的価値について語るようにしている。
だから、多くの人々が関心を抱いてくれている。

今、いくつかの重要な研究機関、私の知る限り、例えばウイスコンシン(Wisconsin)大学やスタンフォード(Stanford)大学、エモリー(Emory)大学の3校は「心の訓練」特に「慈悲の訓練」についての研究を活発に行っている。
身体と知能と態度にどのような効果を及ぼすかについて研究を行っている。
既に肯定的研究成果も発表されている。
数日前、私はアメリカにいたが、これらの研究機関を訪れた。
今では多くの科学者が仏教の訓練方法や見解に興味を示している。

科学者との対話を通じて、私は仏教全体を区別するようになった。
仏教科学、仏教哲学、そして3番目が信仰としての仏教だ。
信仰は仏教徒のものだが、仏教科学と仏教哲学は普遍的なものだ。

30〜40年前に共産党の文献の中に「現代科学が発展するに従い、盲目的信仰は自然に消滅する」と書かれていたのを思い出す。
だが、事態は反対に動いているように見えではないか。ヒヒヒ・・・
有名なトップ科学者たちが仏教科学に真摯な興味を示し初めている。
それを通じて、仏教の教え自体にも興味を示しはじめている。

だから、チベット文化の保存とは、単に6百万チベット人だけに関わる利害ではないと思う。
もっと大きなコミュニティーに関わるものだ。
まずは中央アジア、ヒマラヤの北すべてと、さらにモンゴルとロシアの一部も含まれる。
そして、もっと重要な地域は中国だ。
今、ある情報によれば、2億人以上の中国人が仏教徒であるという。
ほぼ毎週のように本土から中国人が私に会いにくる。
ある者は非常な危険を冒してまでもやってくる。 

チベットの仏教文化保存は、、、
わたしは仏教と仏教文化を分けて考える。
仏教は仏教徒だけのものだが、仏教文化は主にコミュニティーに関係するものだ。
だから、例えばイスラム教徒であるチベット人のように、彼等は宗教的にはイスラム教徒だがその生活習慣は、大いに仏教文化に影響されたものとなっている。
幸せな社会を、平和な社会を建設するためにチベットの仏教文化は、ある貢献を果たすことができる。
だから、チベットの仏教文化を保存することはチベット人のためだけでなく、より多くの人々に、特に何千万人もの中国人の若者たちに役に立つ、と私は感じている。

非常に狭い心、たった一つの見方しか持たない、、、そうではないかな、中国共産党の人たちと意見を分かち合いたい。
彼等はただ「どうやってチベット(の占領)を守るか」にしか興味を持たない。
チベット文化とはどんなものか?
チベット文化の価値とは?と考えない。
だから、すべてのチベット独特の考え方や固有のアイデンティティーに対し、彼等は恐怖を抱く。
おお、これは更なる不和をもたらすと。
これは短絡的な見方だ。

今日もあるスピーカーが言及されたが、例えば、言語の問題。
つい最近の動きとしてチベット語使用を制限しようというのがある。
だから、私はこの偏狭な心を持った中国人たちと話がしたい。
どうか、もっと全体を見渡す、大きな見方をしてほしいと。
いろんな視点から、政治的側面ばかりでなく、もっと広い見方で、チベットを見てほしいと。
これが重要だ。

これが、チベット問題の一つの側面だ。

もう一つの側面は人権弾圧の問題だ。
人権抑圧がすべての源になっている。
我々は独自の言語を持っている。
個人的観察と人からの意見に基づき、様々な仏教の伝統の中でもチベット仏教はもっとも完全で豊かなものであると私は思っている。
それがチベット語の中に含まれているのだ。
特に大乗仏教を研究する西洋の学者たちはチベット語の教典を信頼の置ける貴重な資料だと見なしている。
言語を含め、チベット文化に否定的態度を示す者に対して、チベット人は自然に反感を抱く。
これが人権侵害の要因となっているのだ。

ある時、5年以上前の話だが、一人の(本土から来た)チベット人に会った。
彼は医学関係の仕事をしている。
彼が言うには、仕事柄、収入は良い、家も大きい、子供の教育もうまく行っている。何の心配もいらない。
でも、一人のチベット人として、心には常に押さえつけられているという感覚があると。
非常に不幸だと。
こう彼が言ったとき、彼の目からは涙が溢れた。

中国の指導者たちは、ただ、家などを与え、より便利な環境を作ればそれですむと思っている。
これでは、このような問題は解決されない。
(法王、語気が強まる)

チベット文化に配慮し、敬意を示すべきだ。
彼等に文化保存の仕事を続けさせるべきだ。
環境についても同様だ。
資源開発については、その利益の一部を地域に還元すべきだ。
そうすれば、OKだ。
事態は改善される。
(会場より拍手)

もう60年経った。
古いやり方だ。
過去は失敗だった。将来も失敗するであろう。
もっと、理性的な態度を示すべきだ。
これが、皆さんと共有したい私の意見だ。


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2010年10月19日

2009年、3月10日法王記者会見 その五

caa95d01.jpg再掲/2009年03月19日分

法王の3月10日の記者会見レポート最終回。

法王は英語で話されました。
尚、これは私の試訳に過ぎません。


質問者:ファイナンシャル・タイムズのものだが、
現在のチベットの状況についてコメントしてもらいたい。
去年は7000人が逮捕されながらも、抵抗は続いた。
今年も去年と同じ程度の抵抗運動が起こると思われるか?
内部のチベット人に対するメッセージはあるか?

法王:最近、困難にも拘らずチベットの内部に入り現地からのレポートを発表している外国のレポーターがいる。
それによれば、状況は極めて厳しい。
これ以上言うことはない。

それから、もう一度皆さんにはお願いしたい。
チベットの中の人々に私のメッセージを伝えてほしい。

もちろん、(現在チベット人は)厳しい状況下に置かれ、絶望的な気持になっているであろうことはよく解る。
それでも、今は静かにして、行動を抑制するようにと言いたい。
地方政府はチベット人がもっと反抗し、暴れてくれることを待っているのだ。
そうなれば、もっと簡単に打ちのめすことができるからと。
何れにしてもいいことはない、今は静かに耐えることだ。

(この私のメッセージを)何らかの方法を使って内部チベットの人々に伝えてほしい。

次、
なにBBC?、、、いや、、、違うか?

質問者:スウェーデンの新聞社の者だが、法王は「早期にチベット問題が解決されるであろうと考える理由がある、、、」と言われたが、これはどういう意味なのか?

法王:それについては、すでに答えた。もう答えた。
もう、一度説明したから、もう繰り返さない。
理由1,2,3,4と答えた。
もう答えた。

次、



質問者:フランスのテレビ局です。
あなたはステートメントの中で中国はチベットを「この世の地獄(hell on earth)にした」とおっしゃった。
この言葉は強いメッセージと感じられる。これについて更なるコメントを。

法王:これはチベット人がよく使う表現だ。
ただ、バイブルが説くところの「地獄」とは異なる。
仏教の経典には違った「地獄」についての記述がある。
ハハハハ、、私はよく知らない、、、

質問者:どういうことか?

法王:(大きなジェスチャーと大きな声で)これほどの苦しみ、これほどの恐怖、これほどの怒り、これほどの憎しみ、生活を蝕む、、、

法王の興奮を抑えようとここで、リンポチェが言葉を挟む。

リンポチェ:地獄とは苦しみの極まった(Highest Level)状態のことだ。

法王:Yes.

(ここで、少し説明がいる。この3月10日午後一時ごろにはこのステートメントに書かれた「この世の(生き)地獄」という表現が、この後中国政府からの非難を思いっきり浴び、外国メディアもこの表現を好んで使うことになろうとは、法王自身この時点で予想されていなかったご様子でした)

質問者:フランスからだが、
法王の後継者としてリン・リンポチェとカルマパのどちらが選ばれるのか?

法王:何、カルマパ? ノーノー。

ステートメントの中で今回もはっきり言っているが、私のポジションははっきりしている。
半引退だ。
最近EU議会で私はリンポチェを「私のボスだ」と言って紹介した。
政治的には彼が私のボスだ。

精神界では私が彼のボスだ。エヘヘヘヘヘヘヘ、、、、
だから今は5年ごとの選挙によって政治的トップは入れ替わる。
中国のジャーナリストも私の後継者について質問したが、
私はコミュニストではないと答えた。
もしもコミュニストだったら、自分の後継者を必ず自分でピックアップすることであろう。

でも、我々はコミュニストではない。
我々は完全に民主主義に従っている。
私はいつも「もう半引退している」と言うとき、誇りを感じる。
リンポチェはすでに二期目に入った、後、、、

リンポチェ:二年です。

法王:だから、もしも彼がそれからも同じ地位に留まりたいと考えてもそれは法律上叶わない。
この地球のメンバーである、どこかの国のある大統領などは、一生地位を守ろうとする。
そんなことはここではあり得ない。
5年ごとに選挙で選出されるのだ。

一方精神的レベルにおいては、皆様も朝の式典でご覧になったように、
私のそばにサキャ・ティチェン・リンポチェ、その傍にカルマパ・リンポチェ、ボン教のティンジン(座主)、それにデブン・キャンマ・リンポチェ、その他成就者たち、
すべての派が集っている。
黄帽派、赤帽派、黒帽派、それに何だ、、、、そうだ、ボンは時に白い帽子を被るから白帽派、
そして、、、その内、青帽派も現れてくることも期待されてるとか、、、、ハハハハハハ、、、。

緑は如何で(とリンポチェ)
そうだ、そうだ、緑は良い。
グリーン・パーティーだ!ハハハハ、、。
沢山の国でグリーン・パーティーが、、、、ニュージーランドに行った時、グリーン・パーティーの事務所に迎えられた。その時私は「もし、ニュージーランドに居るなら私はあなた方の党に入るであろう」と言った。
それは私は常に「エコロジー」の大事さを語っているからだ。

何れにせよ、すべての組織の中で若い世代の優秀な人材がたくさん育っている。
非常に健康的で可能性を秘めた指導者たちが現れてきた。
だからダライ・ラマの後継者について心配する必要はない。
ダライ・ラマ制度に関する限り、早くは1959年にすでに私はこの数百年続いた制度の存続はチベット人によって決定されるべきだと表明している。
大多数のチベット人がこの制度の存続を大事だと感じるならば、残るであろう。
もしも、大多数の人々がもう必要ないと思うなら、無くなるまでだ。
これは大事なことではない。

大事なことは前にも話したが、私の日々の生活が他の人々の福祉に何らかの貢献をするということだ。

私は自分の将来について考えたことはない。

サンキュウ、サンキュウ。


了。



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2010年10月18日

2009年、3月10日法王記者会見 その四

a5d6bdc2.jpg再掲/2009年03月17日

質問者:スウェーデンのフリーランスの記者だが、
失礼な質問かも知れないが、、、私の通訳のチベット女性が「法王は自身の死をコントロールできる」と言っていたが、、、ではあなたはいつお亡くなりになられる積りか?

法王:おお、、、あなたに仏教の信について語った女性がもっとしっかりした仏教知識を持っていれば良かったのだが、、、ヘヘヘ、、、、。

まず、仏教に関して二つのレベルの解釈がある。
民衆レベルの解釈と、本当に権威あるナーランダ大学の伝統に沿った解釈とだ。
一般にチベット人だけではない、日本人だって、中国人だって一応我々は仏教徒ということになっているが、一般の人々には十分な仏教に関する知識はない。
そうではないかな?

率直に言って、私には自分の死をコントロールするような力は全くない。
この明らかな理由は、例えば、去年私は胆石を取り除く手術をしたが、これは自分の望んだことではない。でもコントロール不可能だった。アハハハハ、、、、
だから、私の死もこのようなものだろう。
コントロールできるはずがない。
死の時は来るときには来る。ハハハハハハハハハ、、、、、
しかし、たぶん、来世については、意志の力によって、決心の力によって少しはコントロールできるかもしれない。

私の常なる願いは、
「この宇宙が存在する限り、有情の苦しみがある限り、私は留まる。
力の限りその者たちを助けるために」だ。
これは私のお気に入りの祈願だ。
そして、そのように決心している。

第一世ダライ・ラマが弟子から、「あなた様はすでに浄土に行かれる用意が有られるようだ。そのような印が現れている。しかし、どうかこの世の長寿を全うされますように」と懇願された。
その時法王は「私は浄土などに行きたいと思ったことなどない。私の願はより多くの苦しみのある処に生まれることだ。そうなれば、私がもっと役に立つから」と答えたという。

30年前に、このダライ・ラマ一世に関する資料を読んだ時、私は心打たれた。
だから私もこれを見習うのだ。
利用価値ということだ。
私はホームレスになって、50年だが、私は幸せを感じる。
この状況の故に私は役立つ人であり続けることができた。
このことが大事だ。
もちろん、自由がなければこれはなせないことだ。
この50年間、ホームレス、ステートレス(国もない)だったが、だから却って周りの人々の福祉増進のために何らかの貢献を成すことができたのだ。
だから、私は楽しい。

ところで、あなたは私がいつ死ぬかを訊ねているが、、、それは分からない。
おそらく、今晩がその日ではないだろう。これはほとんど確かだ。
99%は確かだ。でも今夜、大きな地震でも起これば、分からない。
でもその時は皆さんも危ないわけだが、、、ハーハハ、ハ−ハハハハ、、

次、
中国人か?

質問者:そうです。これが私のパスポートです(中国パスポートをかざす)。
私は89年に天安門前でデモに参加しました。
中国政府は多くの子供も殺しました。
家も壊されました。
2002年にニュージーランドに逃れました。
でも今もこの中国パスポートを持っています。
それは、中国は私の国だと思ってるし、、、

法王:グッド! それは良いことだ。

質問者:ニュージーランドに胡錦涛が来た時、チベット人がデモをするのを見ました。
2007年のそれは大きかった。
チベット人と共に、我々もダライ・ラマを共有したいと思った。
法王はチベットのダライ・ラマであるのみならず、我々中国人のダライ・ラマでもある。

法王:誰もそんなことは言わないがな、、、ハハハハハハ、、、
でも実際、我々はそう思っている。この前ワシントンに行った時、中国人の前で「私は中国人になりたい」と言った。
あなたの持っているそのパスポートを持っても良い。OKだ。
我々は中国人ではない。しかし、市民として中国の中に留まりたいと言っているのだ。

質問者:・…上海で6人の警官を殺して自殺した男が・・・・08憲章が…どうしたらよいか?(この部分良く分かりませんでした)

法王:あなたの質問ははっきりしないが、、、比較的いい英語だが、、、2002年に出られて、それから習われたのなら、大したものだ。
いや、中国を出られる前にも英語を習っていたのか?

質問者:ハイ。北京で。

法王:じゃ、それほどでもないかな、、、ハハハ(満場笑い)
それにしても、我々二人は同じ類(same kind)の人間なのだろう。
独裁政権に反対している。
我々は自由を求めている。
「08憲章」の事を聞いたのは、私がポーランドにいた時だが、直ちに私は支持を表明した。これは道徳的責任からだ。
これは支持すれば、見返りにどれだけの利があるとかいう話ではない。

何事か正しい、道徳的案件については、支持を表明すべきなのだ。
だから私は支持を(書くしぐさ)表明した。

前にも言ったが、中国は世界でもっとも人口の多い国だ。
他の世界から尊敬を得たいと熱望している。
そのためには、透明性、公正な司法組織、メディアが完全に自由に活動できること等が必要だ。
これらが達成されるなら、現在の共産党の下に漸進的に民主化が進むと考える。
これが、正しい方向だ。
突然の崩壊、変更。中央政府の突然の崩壊は大きなケオス(混乱)を引き起こすであろう。
これは誰もが避けたいことだ。
漸進的変化が最良の道なのだ。

だから、私は指導者層の中の若い人たちや、そのスタッフの中の外国で良い教育を受け、民主主義の価値をすでに味わったことのある者たちに期待する。
彼らの力による序々に中国が民主化されるなら、そのとき初めて中国は「尊敬を受ける超大国」になれることだろう。

中国の友人も言っていた。
超大国になるには、いくつかの条件があると。
まず第一に「人口」、これはもうある。
第二は軍事力。これもすでにある。核もある。
第三に経済。これも今は大体ある。
何が、足りないか?
それは道徳的権威だ。
信頼され、尊敬される超大国になるには道徳的権威がいる。
これが欠けているのだ。

このところの中国の、チベットだけではない、ウイグル人や自国の反体制中国人に対し、少しでも政府反対の意見を表明すれば、逮捕するという態度は非常に良くない。
中国のイメージのために良くないことだ。
だから、尊敬される超大国になり、より効果的に世界をリードする国になるためにはこの点は非常に大事なことだ。
このことは常に中国の友人にアドバイスしていることだ。

数日前に中国の外務大臣が言っていたが、、、、コピーはあるか?
(コピーが手元に渡され。それを読まれる)
「(中国と)良好な関係を続けたいなら、その領土がダライ・ラマのチベットの独立をもくろんだ分裂主義的活動に使われないようにすべきだ」

今回も、皆さんが証人となったように、我々は完全に「中道路線」を守っている。
「独立」を求めていない。
あなた方に、このことに完全にコミットしていると100%保証する。
(非常に厳しいお顔でみんなを指さされる)
あなた方が証人だ。

この数十年の間、世界中至る所で、私はこのことを明言してきた。
多くの人たちがこのことをはっきり認識している。
我々は独立を求めていないと。
だから、たとえば私の兄とか、他のチベット人たちも私のこの立場を非難している。
(コピーを示しながら)この中の「独立を求めている」とか「分離主義者」とか言う言葉は、、、、これはチベット人のいうところの「実体のない影」のようなものだ。

(再びコピーを見ながら)
「ダライ・ラマ側は依然として中国全領土の四分の一にあたる大チベットと呼ぶ領土の中から軍隊を追いだし、すべてのチベット人以外の住人を移住させようとしている。
・・・・・ドイツやフランスその他の国であろうと自らの領土の四分の一が奪われるのを誰が許すか。中国は常に統一を支持することを忘れないように。」

エヘヘヘヘヘヘヘヘ、、、
私はかなり真剣だ。これを聞いた時は相当驚いた。
外務大臣!がこのような表現を使うとは。

二つの可能性がある。
一つは、全くの無知からか?
あるいは、意図的に嘘を言っているか?だ。
だから、私の代わりに、皆さんが中国の外務大臣に聞いてほしい。

「チベットから中国軍を追いだし、チベット人以外を移住させる」、、、
この同じ質問を私はオーストラリアである中国人のジャーナリストから受けたことがある。
私は「いつ、どこで私がそのようなことを言ったのか?」と尋ねた。
しかし、答えは帰って来なかった。

皆さんには私のすべてのステートメント、記録を調べてほしい。

もちろん59年のすぐあと頃には、何も決定されていなかった。
我々の中心の課題は移住であり、教育であった。
それと国連に訴えることだった。
しばらくして、緊急の課題が少しは解決されたころ、初めて長期的展望についてじっくりと考え始めた。
そして1974年に長期的政策を決定したのだ。その時から我々の立場は一貫している。チベットの独立を求めてなどいない。
会う人すべてに説明している。

「自治」とはどういうことか?
外交と防衛以外のすべて、教育、経済、環境、宗教、これらはチベット人自身にゆだねられるということだ。
外交と防衛以外、と言うときここで一つの質問が起こる、、、、
インド人の友人はどこに行った、、(法王手をかざしてその人を探すしぐさ)
あれ、行っちゃったのかな?、、、あなたじゃない、、、
20年ほど前にある雑誌のエディターと会ったことがある。
その時この外交と・・・の話になったので、私はジョークで「もしもインドと戦争になったとして、我々チベット人は

インドに銃口を向けるなど考えられないことだろう。インドは我々のグルだ。先生だ。
だから、インド人に撃たせろということになるだろう。ハハハハハハハ、、、
みんな笑ったよ。

独立を目指していないということは、外交と防衛は彼らに任せるということだ。
私は一度も中国軍はチベットから撤退すべきだと言ったことはない。
だから、お願いだから、私の代わりに中国の外務大臣に聞いてほしい。
「いつ、どこで私がそのようなことを言ったのか?」を。
できるか?私の代わりに聞いてくれるか?(一人ずつを指さされる)

この中には北京に支局を構えている通信社も多いだろう。
彼に訊ねてほしい。訊ねるべきだ。
どこで言ったのかと!?(法王本気の顔をされる)
これは本当のことではない。
中国の外務大臣は巨大な軍隊をもっている。私はたった一人の避難民だ。
しかし真実に関する限り、違いはない。
力に関係ないものだ。
だから私は彼に、いつ、どこで、発言したかを聞く権利がある。

ワシントンで語った一つのコメントがある。
これは遠いビジョンとしてだが、チベットが将来「Zone of Peace」になればいいと語った。「アヒンサ」の地だ。
これはどこでもいつも話している、ヨーロッパでもワシントンでもカナダでも日本でも、これは私の長期的ビジョンとして話していることだ。
全世界はいずれ非武装化されなければならない。
これは段階的に進められる。
外の非武装化の前に内なる非武装化がなされるべきだ。
これは我々のビジョンだ。何も隠すことではない。
中央アジアのチベットは平和地帯となるべきだ。
だからと言って、今すぐにチベットから中国軍は撤退すべきだと、言ったことは決してない。

例えば内モンゴルには3,4百万のモンゴル人に対して1800万人の中国人が住んでいる。こうなるともう自治と言う意味もない。
自治と言う限り、その地域において人口の過半数を保っていないければならない。
この意味で危険はある。
例えばラサだが、10万人のチベット人に対し、中国人を中心とするチベット人以外の人口は20万人に達する。
すでにチベット人以外の方が多くなっている。
これはチベットの文化を守ることに対する脅威だ。
言語を含めてだ。
この点に関して時に言及することはある、、、しかし、
すべてのチベット人以外の人は出て行くべきだ、などと言ったことは一度もない。
だから外務大臣に質してみたいのだ。

無知からか?(意図的)嘘なのか?
どこでいつ言ったかを証明すべきだ。
証拠を示すべきだ。
去年もそうだったが、、、去年3月10日の騒動が始まった後、温家宝首相がメディアの前で「すべての問題は外部から、ダラムサラから引き起こされた」と語ったとき、私は「どうかちゃんと調査してほしい、中国の係官がここに来て、すべての私のファイルとチベット人に話したすべての記録をチェックしてほしい」と中国政府に対し要請した。
でも何の返答も帰って来なかった。
だから、今回はあなた方に中国側に質問してもらう義務を押し付けよう。ハハハ。
(会場から拍手)

はい次。後二、三の質問だけ、、、

質問者:ファイナンシャル・タイムズのものだが、
現在のチベットの状況についてコメントしてもらいたい。
去年は7000人が逮捕されながらも、抵抗は続いた。
今年も去年と同じ程度の抵抗運動が起こると思われるか?
内部のチベット人に対するメッセージはあるか?

法王:



続く。


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2010年10月17日

2009年、3月10日法王記者会見 その三

9bae8a2b.jpg再掲/2009年03月16日分

以下、法王記者会見の続き。

*注:質問については明瞭に聞き取れないことが多かったので、要旨のみと思って下さい。

ーーー

質問その二

ワシントンポスト:会談が進まない中、チベットの状況は悪化するばかりのように見える。
これからの見通しは?

法王:私のステートメントにおいても、内閣のステートメントにおいてもはっきりと表明していることだが、我々の要求はすべて最後の会談の時中国側の代表に手渡してある。
すべては文章で明確に示してある。
これは中国側からその前の会談で要求されたものだ。
「すべての要求を明らかにせよ」と言われた。
だからメモランダムという形式で答えた。

これについて如何なる協議も行われることなく、彼らはただ、全面的に否定した。
このメモランダムのすべての意味は「半独立」とか「隠ぺい独立」だと断定している。
このように、完全に内容自体を拒否したのだ。

今、多くの友人、国々が中国を説得することに努力してくれている。
だから、様子をみよう。

中国の多くの知識人、作家たちが中国のチベット政策は間違っていると指摘している。
だから、時が来るかもしれない。


質問その三
チベット・ポストだが、
インドがチベットの真の自治を実現するためにもっと積極的に果たせる役割とは何か?

法王:インドはこの50年間の我々のホームだ。
50年前から我々はホームレスだ。
しかし、ホームレスもそれから色んなホームを見つけた。
インド政府からは居住、教育その他の分野でできる限りの援助を受けた。

一方、チベット問題に関しては、勿論インドも中国と長い国境線を境に隣接しているし、そのかなりの部分はまだ最終的に決定されものではない。
だから、まだ困難はある。
故に(チベット問題において)インドが出来ることにも限界があるのは理解できよう。

インドの政府も人々も一般的に非常に我々に同情的だ。
でも過去には私も「インドは少々心配し過ぎだ」とか言ったこともある。
しかし、インドの態度は理解できるものだ。
また、インドのメディアの我々に対する関心は益々強くなってきている。
だから、時がくればインドは必ず、できる限りチベットを助けてくれると信じる。


質問第四
日本の共同通信社のSだが、
(このが先のブログでお知らせしたものです)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51179267.html
ただ、次の質問の間にサンドゥン・リンポチェがコメントを入れられた。

リンポチェ:法王は非常に洗練された言い方で話されたが、少し説明もいると思われる。
この中道路線は中国政府の態度に対する反応として提案されたものではない。自発的にこちらが提案したものだ。この方法は双方に利のあるものだ、、、(話の途中で法王がここで話し始める)

法王:これは明らかなことだ。
この中道路線は、一方が勝利し、一方が負けるというような提案ではない。
双方に勝利をもたらすものだ。

この考えを我々は74年ダラムサラにおいて決定した。
そのころ中国の人々は文化大革命に完全に没頭していた。
だから、我々は中国から要求されてこの決定を下したのではない。
何れは、中国政府との話し合いが始まるとの予測の下に自発的に決定したことなのだ。
つまり、真の、意味のある自治を求めることになったのだ。
これが中道路線だ、、、(ここで今度はリンポチェが割って入り)

リンポチェ:我々はこの路線遂行に更なる確信をもっている。
それは、人々からの信任を得たからだ。この際中国は関係ない。

法王:グッド!

次、そこのインド人、、、


質問第五
ロイターの者だが、
法王は1959年に亡命を決意されたことに対し後悔を感じられたことはないか?
法王:私はこの50年間、常にあの時の事を思い出し続けてきた。
正しい判断だったといつも思っている。

もしも、中国政府があの17条協定を継続的に守っていれば、1959年の危機は決して起こらなかったことであろう。
しかし56年、57年頃から次第に極左寄りの政策が始まった。
中央のほんのちょっとした政策変更がチベットで実際には大きな変化となって現れた。
これが1956〜9年までの衝突の原因だ。
56年の列車の路線変更からして、その後の59年の結果はすでに不可避のものだったのだ。
そのような状況において、最善の方法は脱出することだった。

このインドに亡命してすでに50年経った。
地球のこの場所でチベットの宗教と文化は完全な自由の下にある。

インド人の友人によく語ることだが、「インドは我々の精神的ホームである。仏教はインドから始まった。だから、我々の多くは自分たちが幸運であるとまで思っている。
過去には一生のうち一度でもインドに行くことができればラッキーと思われていた。
それが、今は自分たちのホームとなったのだ。ハハハ、、、簡単にそうなった、、、ハハハ

皆さんも知っているようにインドと我々の関係はグル(師)とチャラ(弟子)の関係だ。
インドは我々のグルであり先生だ。
だから私は時々インドの友人にこう言う
「弟子が苦況にある時には師はそれを助ける道徳的責任があると」ハハハ、
そうではないかな?ハハハ、、、

このようにして、我々は1956年の政策変更により、今こうなっているのだ。
もちろん1980年代初めにおいて、胡耀邦がいたときには希望があった。
彼は素晴らしい共産党指導者だった。
彼には誤りを認めるだけの勇気があった。

私のステートメントにも引用したが、1980年彼がラサを訪問した時、チベット政策の間違いについて民衆の前で謝罪したのだ。
過去に如何なるダメージをチベットに与えたかについて語った。
その時は、本当の希望が持てた。

しかし、彼の政治生命はあまりに短かった。
中国にもこのように時に希望の持てる人も現れるが、基本的には強硬派が政権を担い続けている。
だから、我々の1959年の決定を間違っていたと思ったことはない。
正しい決定だったと思っている。


次、、、、そこの中国人、

質問第六
質問者:台湾パブリック、、です。

昨日法王は台湾の人々からの「台湾訪問」の要請を受けられたはずだが、どうされるお積りか?今年台湾を訪問されるのか?もしそうでないなら、その理由は?

法王:昨日、台湾からのジャーナリストにあった。
ジャンパ・プンツォをはじめとする、プレスクラブからの台湾訪問要請を受け取った。
それに対し、私は「原則的に承諾する」と答えた。

私は常に台湾に行きたいと願っている。
そこで、百万の中国人の目の前に顔を出してみたい。

我々は「反中国」ではない。
我々は中国の文明と文化を称賛するものだ。
地理的に我々はすでに数千年の間隣り合わせに暮らしてきた。

中国本土に行って直接、私の(中国に対する)信と誠実さを多くの人々に示すことが許されない今、私は台湾を選んだ。
台湾こそ、私の信と誠実さを中国の兄弟・姉妹に対して示す場所だと。

ここで、「中国人」と私の言うとき、誤解しないでほしい。
(記者を示して)あなたも中国語を話すであろう。
中国語を読み書きし、話し、中国文化の下にあるすべての人々のことだ。
台湾人でも、中国人でも、その他でもだ。

台湾こそ、私の中国人に対する信と真を示す場所と考えた。
これが、第一のポイントだ。
より親密な理解を求めてのことだ。

次に第二のポイントとして、台湾には仏教徒が大勢いることだ。

こんなことから、私は過去二回台湾を訪問する機会を得た。
完全に宗教活動のみだった。
実際最初の訪問の時、中国からの独立を要求していた野党(DBP)の人たちと会談した。
私はその時「チベットに関する限り我々は独立を求めていない」と言った。
「我々は離反を求めていない」と。
今、あなた方台湾の人々は経済的理由から、一方違いもあるということから、本土とユニークで特別に緊密な関係を築くべきだ、と語った。

そして、二度目の訪問の時にも、私は空港で「中国の係官を私の台湾訪問の間中24時間監視するために付けてほしい」と言った。
どこに行くのか?誰と会うのか?すべて見てもらいたいと。
はたして、チベットの反動主義者!と台湾の反動主義者!が結託しているのかどうか、調べるべきだと。ヘへへへへへへ、、、
それはただの訪問だ、オープンなものだ。

基本的に政治的なものではない。
もちろん、ある種の政治的意味合いは発生する。
しかし、基本的に私の動機に関する限り、そこに全く政治的なものはない。
将来の台湾は彼らによる。
政治に関する限り、完全に彼らの意志によると、明言している。

だが、民主主義に関する限り台湾のなしたことは大きい。
他の自由世界はこの達成された民主主義を守る道徳的義務がある。
これが、私の立場だ。

ポイントは、私の台湾訪問は完全に宗教的、教育的なものではあるが、
2001年の2度目の訪問の後、2002年北京政府との接触が再開されたことだ。
中国政府は私の台湾訪問について異常な関心を示した。
そして、訪問の延期とかが起こった。

ここ数年の間、多くの中国人、主に台湾、シンガポール、マレーシアその他の中国人に対し仏教講義を行って来た。
多くの台湾人から「あなたは我々の事をお忘れになったのか?」と目に涙を浮かべて訴えられた。
私は非常に悲しいと感じた。
私はいつも言う。
「私はあなた達のことを決して忘れていない」と。
「私は常にあなた達のことを思っている」と。
仏教徒として。

しかし、政治的には常にはっきりしている。
私もチベット人の面倒を見ないといけない。今、漸く中国政府と直接接触できるようになった。中国は私の台湾訪問に対し厳しい顔をする。
だから、私の台湾訪問は慎重に判断されねばならない。

昨日も彼らに「基本的には承諾するが、最終決定にはもっと時間が要る」と答えた。
それは昨日(3月9日)のことで今日(3月10日)に私はステートメントを発表した。
普通ならいつものように、我々は何らかの北京からの「お叱り」を期待するところだ。
ハハハハハ、、、、これが期待されている。
何れまた「反動主義者の、、、、ではなくて、、(リンポチェの方を向いて)何だったか?」

リンポチェ:「分離主義者です」

法王:そうだ、そう、それだ。
ついでにインド政府に対しても非難してくるかもしれない。
何れにせよ、それは計算済み(expected)だ。
一方で、チベット人からも厳しい言葉を返されるかもしれない。
それも有り得る。
ということは、我々のアプローチが本当に中道だということを示している。へへへ、、
こっち側の人も満足せず、あちらの人も満足しない。
どうしたらいいのか!?(What to do?)ヒヒヒ、、、。

でも、明日とか、数日とか数週間の間に来る非難は何でもない。
怖れや怒りの心からそんな反応も帰ってくることであろう。
それは何でもない。
しかし、数か月後に解るであろう。
もしも、チベットの内部で、何かしらの状況改善が起こるなら、我々の対話は意味あるものとなろう。
そうではなく、今のように中国の態度が硬化したままならば、その時は私の台湾訪問は難しいものとなろう。
一般的には本土の中国人が沢山台湾を訪問し、交流は深まっているので、訪問も簡単なはずだ。

以上は昨日も彼らに説明したことだが、今ここでもっと大勢の前で説明したまでだ。

では次の質問。

今度はヨーロッパ人にするかな?



続く


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2010年10月16日

(2009年)3月14日カンゼで抗議デモ/3月10日法王記者会見・その2

再掲/2009年03月15日分


3月14日、2008年大規模カンゼ・デモより一周期の日、カンゼで抗議デモ。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=24174&article=Protest+in+Kardze+a+year+after+2008+unrest
VOT(Voice of Tibet)によれば、3月14日、三人の若者がカム、カンゼで抗議デモを行い直ちにその場で僕打、逮捕された。

ダワ・ツェリン25歳、ドゥンドゥップ24歳、ロプサン・ニャンダック25歳の三人は、殴り倒される前に、
「ダライ・ラマ法王に長寿を!」「チベットの政治犯を解放せよ!」「ダライ・ラマ法王がチベットにお帰りになることを許可せよ!」「チベット独立!」等のスローガンを叫び、チベット仏教の旗を掲げ、ダライ・ラマ法王の帰還とチベット問題の解決を訴えた。

三人はカンゼの人民病院前に新設された刑務所に連行されているという。

これとは別に3月11日、同じカンゼでカンゼ・ロパ出身の三人の何れも17歳の少女がカンゼ人民病院前で中国に対する抗議デモを行ったが、間もなく僕打の上逮捕され同上の刑務所に連行された。
三人の名はチュツォ、ツェテン・ラモ、ツェリン・ラモ。

12日にもカンゼで一人抗議デモが、チベット人により行われたというが、詳細不明。

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ラサ市内では、一軒一軒ホテル、ゲストハウスはもとより、一般の民家にも保安要員が現れ、しらみつぶしに外人を探し出しているとか。
外人だけでなく、ラサ以外から来たチベット人もすべてラサから追い出されているという。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=24166&article=Chinese+police+'search+houses+in+Lhasa+for+non-Tibetans'

読売の記者が最近カムで中国の警官にひどい目にあわされたという話はもう有名だが、

私はこうして“強制退去”させられた チベット周辺取材 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090312/chn0903122039002-n2.htm


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9a87a7e0.jpg以下、昨日の続きではなく冒頭の部分からお知らせします。

ダラムサラ3月10日、ダライ・ラマ法王記者会見(その2)。


法王:質問を聞きたい。

(時計を見ながら)12時半か、、、皆さんはもう昼食は済まされたのかな?
何、食べてない。空っぽ!お腹は空っぽか?ハハハハハ、、、、
ヒイヒイヒイ、、、(法王はこの時、座につかれる直前にお堂の本尊に対し(半五体投地で)三拝されたせいで、息を少し切らされていました)

実際私は、、、いや我々と言うべきだが、非常に喜んでいる。
これほど多くのメディアの人々がダラムサラまで来てくれた。
(チベット問題に)関心と懸念を持ってくださっていることに感謝する。

私の言いたいことはすでに書面で先ほどお伝えした。
コピーをみんな持っているだろうから、、、
もう他には何も言うことはない、、、ヘヘヘヘヘヘヘ、、、。

すぐに、質問を受けることから始めよう。

質問1、

H.N.と申します。

法王:日本人か?

質問者:ハイ、私は(どこどこの者で)現在法王のドキメンタリーを制作中であります。

(質問は長く、難解?で内容はほとんど掴めなかったのですが、何だか物質主義と精神主義(さとり?)の関係について質問されたようでした)

法王:さてさて、はたしてここにいらっしゃる他の人々も(今)同じような興味をもってここに来られたかどうか、判らないが、、、
私はそうは思わないが、、、、ハハハハハ、

(はっきり言って、みんな異例のスンチュドゥチェン(3月10日蜂起記念日)の法王記者会見ということで、緊張して臨み始まった質問第一番が、こんなまるでチベットの今の状況に直接関係ない質問だったので、ずっこけたのです。後からお前もあれの仲間か?とチベットメディア仲間にからかわれたりしました。しかしそこは法王、ちゃんとお答えされました)

でも、私はこの質問に興味がある。
ステートメントの中でも言及したことだが、私には三つの約束がある。
その第一番目は「人間の幸福と価値を促進すること」だ。
人の幸せは大いにその人の内的価値による。

中には億万長者であり、すべての設備が整い、何でも手に入れることができる人がいる。しかし、内的には非常に不幸せな人がいると知った。
つまり、物質だけでは100%人を幸せにすることはできないということだ。

一方、この地球上60億の人々は、仏教徒であろうと、私もだが、たとえ私より余程高い境地に達している人であろうとも、全員食わなければならない。
昼食は必要なのだ。
飯なしには生きることはできない。
だからお金も重要なのだ。
この身体を維持するためには物質が必要なのだ。
物質的発展も必要だ。

しかし、一方で物質の限界も知っておくべきだ、物は身体的安息を与えるのみで精神的休息を与えるものではない。
お金がすべての幸せをもたらすと考えている人は幻想を追っているだけだ。

かつて、日本では毎年経済が右肩上がりに発展していた時があったであろう。
そのころ私は物質的発展には限界があると説いていた。
ある時、その発展には、もうこれ以上伸びないという限界が現れるであろうと。
常に増加していくとの考えを持っている人々はある日突然もうこれ以上伸びないというスタグネーション状態に陥った時、非常に驚き、ショックする。
このことを日本でもう15年前にも言ったことがある。

何れにせよ、すべての人が物質的価値の限界を認識すべきだ。
物はよろしいもので必要なものだ、しかし心の平安を含めたすべての幸せを物質に求めることは間違っている。
我々はもっと内的価値に重きを置かなければならない。

愛情の価値、信頼の価値これらが非常に大事なのだ。
幸せな人、幸せな家庭、幸せな社会を実現するためにはこれらが必要だ。
仏教に四つの教えと言うのがある。
二つの喜びを得るための二つの方法、一つは短期的もう一つは長期的喜びと方法。
長期の幸福とは完全な解放のことだ。短期のそれとは「富」だ。
この長期の幸せを求めるための方法がダルマ(法)だ。
瞑想とかを含めた心を訓練することだ。
それにより、永遠の幸福を手に入れることができる。
我々仏教徒が悟りとか解放と呼ぶものだ。

短期的な安楽、快適さとは「金」のことだ。
我々には「金」が必要だ。
もちろん「金」を得る方法は、正当でなければならない、うそをついたり、人を利用、搾取したりして得てはならない。ヒヒヒヒヒ、、、、
ある大きな会社とかはもっと大きな利益を得ようと、嘘をつくことをためらわない。
そうではないかな?これらが今回の経済危機の原因でもある。

最近イタリアに行った時、友人のビジネスマンと話をした。
彼に尋ねた、「マーケットの力は人のコントロールを越えているというが、一方マーケットは人が作りだしたものだ。だから、人がコントロールできるべきだろう。人の作り出したものが人のコントロールを越えるということ、これは解らないことだ。一体どういうことなのか?」と。
彼は答えて「この今の経済の混乱は人の心と関係があるのだ。異常なほどの満足を知らない貪欲な心の下に、疑い、嘘をつく。これが今回の経済危機を引き起こした要因の一つだ」と。
つまり、経済的安定もまた、誠実、真実、透明性によっているのだ。これは明らかなことだ。
つまり(経済活動にも)道徳観が必要だということだ。

これまで、次。

ワシントンポストの者です。



続く



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2010年10月11日

「天安門事件の犠牲者にささげる」劉暁波氏・妻は自宅軟禁/法王は今日成田空港で

獄中の劉暁波氏へノーベル賞委員会より手紙が


















上の絵は昨日のウーセルさんのブログより。

今日のニュースより。

The Wall Street Journal日本語版
http://jp.wsj.com/World/China/node_123572

天安門事件の犠牲者にささげる―ノーベル賞受賞の劉暁波氏
2010年 10月 11日 12:59 JST

【北京】ノーベル平和賞を受賞した中国の民主活動家で服役中の劉暁波氏(54)は、同賞を1989年の天安門事件のすべての犠牲者にささげると涙ながらに語った。先週末に同氏と面会した妻の劉霞さんが10日明らかにした。

 劉霞さんが友人に送った電子メールによると、劉氏は発表翌日の9日に刑務所側から受賞を知らされた。劉氏は「天安門事件の犠牲者は平和、民主主義、自由、さらに非暴力の精神を実現するために自らの命をささげた」と述べた。劉霞さんによれば、劉氏は犠牲者のことを話す時涙を流したという。この電子メールは本紙に転送された。ただ、劉霞さんがいつどこで劉氏に会ったのかは分かっていない。

 劉氏は「国家転覆罪」で昨年12月に11年の懲役刑を宣告された。ノルウェーのノーベル平和賞委員会は、受賞理由として「中国における基本的人権を求める長期にわたる非暴力闘争」をあげた。

 劉霞さんは8日夜、警察が自宅に来て夫の劉氏と面会させるため、服役している遼寧省錦州まで同行すると告げたと明らかにして以降、外部との電話連絡を絶っている。10日に劉霞さんは自らの簡易ブログ「ツイッター」で、「自宅に戻ってきた。わたしは8日に自宅軟禁となり、携帯電話は壊され、電話を受けることができない状態になっている」と伝えた。

 一方、中国警察当局による民主活動家に対する監視が厳しくなっている。8日夜、活動家17人がノーベル賞受賞の祝賀会のため北京市内のレストランに到着したところ、警察に身柄を拘束され中止させられた。

記者: Jeremy Page

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動画付きの「テレ朝」
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/201011014.html

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今一番気になる劉暁波氏の妻、劉霞さんのツイッター・アドは@liuxia64

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ダライ・ラマ法王が今日の朝、成田にトランジットで来られてたとは知らなかった。

目ざとく法王にインタビューした共同さんの記事は以下。

http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010101101000106.html

ダライ・ラマが中国批判 劉氏の受賞めぐり

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は11日、航空機の乗り継ぎのため到着した成田空港で共同通信の取材に応じ、中国の民主活動家、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞に中国政府が反発していることについて「一部の強硬派がいまだに古い考え方をしている」と批判した。

 ダライ・ラマは「中国政府は個人が政府と異なる意見を持つことを認めないが、中国の人々を救う唯一の方法は、透明性のある、開かれた社会をつくることだ」と指摘。

 「中国は変わらなければならない。温家宝首相でさえ政治的変化の必要性を指摘している」と訴えた上で、劉氏の受賞をめぐる中国政府の対応に言及、批判した。

 ダライ・ラマはチベット独立運動に関連し、1989年にノーベル平和賞を受賞している。11日は講演活動などのため訪米する途中で、インドのムンバイから成田に到着した。





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2010年07月13日

内地のチベット人たちによるダライ・ラマ法王の誕生日を祝うデジタル・セレブレーション

ダライ・ラマ法王の誕生日を祝う内地のポスター7月12日付、SFTオフシャル・サイトによれば、
http://blog.studentsforafreetibet.org/2010/07/a-digital-celebration-of-hhdls-75th-from-tibetans-in-tibet/

7月6日のダライ・ラマ法王75歳の誕生日以降、チベットと中国のネットユーザーは人気の中国語ソシアルサイトにダライ・ラマ法王の写真を沢山掲載したという。

人気のソシアルサイト 51.com and Qzone上には法王の様々な写真やチベット国旗、近況報告などが溢れた。

この溢れかえるチベットの若者を中心とした抵抗の表現は、中国がチベット人の声への弾圧を強めている今起こっている。

写真はネットに掲載された祝賀ポスター
チベット語:「雪山チベットの国に喜びの太陽が早く昇りますように」

上記のサイトに行けば、他にも色んなポスターを見ることができる。

ゴロから祝賀の歌をyoutubeに載せたグループといい、タウで祝賀会を盛大に行ったチベット人たちといい、ネットの若者たちといい、いくら不当に弾圧されてもチベット人は負けないね!

法王への思慕は増すばかりだ。

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2010年07月07日

ダラムサラ、ダライ・ラマ法王、75歳のお誕生日会 

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan昨日はダライ・ラマ法王の75歳のお誕生日だった。
世界中のチベット人やサポーターが祝い、法王の長寿と健康を祈った。

ここダラムサラでは、雨にも関わらず、朝からツクラカンに数千人の人が集まった。

この「めでたい日に雨が降る」と、チベット人はかえって良い印と取ることは前にも話たが、昨日は横にいた、政府のスポークスマン、サンペル氏にこの事を質して見た。
別に政治的なことでないから、彼の答えが正式な話にはならないが、、、
彼曰く「そうだよ、チベットでは祝いの日に雨が降れば、それは雨でなく<花・華>が降ってると言うのだ。ほら、今日はこんなに華が降ってる。
綺麗じゃないか!
例えば、チベットでは旅の最中、どこかの町に入る前に雨が降ると、これも、天が歓迎して華を降らせているとして、吉祥の印と見なすんだよ」

とのことだった。

法王がご自身の誕生日会に出席するということは、これまでにダラムサラでは一度もなかったことだと思う。
毎年、ツクラカンで盛大な祝賀会は行われていたが、法王は恥ずかしいからか?一度もお出ましになったことはなかった。
法王は案外シャイなのだ。

しかし、今回は75歳という節目とも言える年だからか、みんなに引っ張り出されたという格好で、お出でになられた。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanチベット、インド、ネパールの各団体からのプレゼント贈呈式や誰それへの表彰状付与とかのあと、
首相と議会議長が挨拶。

そして、法王の短いスピーチがあった。
法王がご自分の誕生日に話をされるのは初めてと思われる。
短かったが、いつものように内容は感じさせるものもあり良かった。

特に、法王が目の前に張り出された、自身の子供のころからの写真を眺められながら自分の人生を回顧し、「無駄な人生ではなかったと思う」とおっしゃったところなど感動的でさえあった。

法王はアムドのタクツェル村で1935年7月6日にお生まれになった。

法王がこの世に生まれ、自分が同時代人として、この菩薩を間近に眺め、接することができ、言葉を聞くことができることを非常な幸運と感じる。

世界の道徳的権威、希望の星として、これからも世の中に愛と慈悲の心を増やし、社会正義、宗教間対話、環境保護、普遍的責任等を促進するために末永くご活躍されることを願う。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan以下、昨日の法王のスピーチ全文。(中原訳)

今日は、自分が75歳になる日を(周りの者たちが)少し大げさにやりたいということで、こうして皆も集まってくれた。

チベット人は不動の信と決意を持ち続けてくれている。そのようなラマとトゥルク(転生者)たち、政府のみんなもそうだ。
みんなこうして今日集ってくれて、ありがとう。
また、地区の友人、顔見知りのインド人とか、宗教関係の人とかが集まり、先ほど私のために祈祷を上げて下さった。
どうもありがとう。
同じく、私の誕生日を祝うためにわざわざ(オーストラリアから)来て下さった、中国の友人たちには特別に、ありがとうと言いたい。
(中国人たちに拍手)

最も気がかりなのは、チベットに残っているチベット人たちだが、今日は私の誕生日ということで、心の中には強い思いが湧いているかもしれない。
だからと言って、それを外には現すことができないという状況下にある。
そのような中でも、心の中に変わらぬ信と決意を持ち続けてくれている人たち、そのようなみんなに、ありがとうと言いたい。

(拍手)

我々、自由な国にいる者たちは、インドを中心に各地のセトルメントで祝いを行なってくれていると聞く。そのような人たちみんなにも、ありがとう。

私から、今日特に言うことはない。
自分の誕生日に自分をほめても意味ないだろうし、ハハハハハ、、かといって、けなしてもなんだし、、、ハハハ、、、
だから、今日は言うことは何もない。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan










(前に張り出されている写真をご覧になりながら)
写真を見れば、ほんとにまだ自分が幼かったころ、まだクンブンにいた頃のから、ラサに着いたばかりの頃の写真、、、
それから、次々に、ずう〜〜と見て行くと、、、ひとつ、自分は人生を無駄にしては来なかったなあ、と思うのだ。

自分は夢の中であろうと、「私は僧侶なのだ」という自覚を持って暮らしている。
家を捨て僧侶になった時から、仏の教え一般と、特にナーランダ僧院の法統を学んできた。
チベットには実に沢山の論書が翻訳されている。

私はいつも言ってる、自分たちは生徒だと。
自分もこれらの論書を学び、常に参照しながらここまで来た。
今、私は75歳だが、時間がある時にはいつも、これらの論書を見ている。
非常に利がある。
自分の行動を正すために、心の目を研ぎ澄ませるために。
それらが条件となり、心楽しむ。
心楽しむから、身も健やかだ。


6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanみんなも経験的に知っている。みんな人として友人だと。
人種、身分、宗教に関わりなく、誰であろうと、人としては一緒だ。
幸せを求めるのも一緒だ。
苦しみを避けたいのも一緒だ。
苦しみを避け、幸せを求める権利があることも一緒だ。


でも、多くの人は、その幸福になる手段として、物質的に豊かになったら、権力を持つなら、それで幸せになるような気になっている。
でも、そうなっているようには見えない。
権力を持ち、金も持っていても、心に苦しみを抱え悩んでいる人を、私は沢山見て来た。

それに引き換え、心が静かで満たされているならば、外に物が無くても、心の底から、リラックスでき、朗らかでいられる。
自分がリラックスし、楽しげであるだけでなく、そのような人は地球上で他人に問題を作るということはない。
お金や権力を持つ者たちは、沢山問題を作り出しているじゃないか?、、フフフ、、

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanだから、心が静かで幸せであるならば、自分も楽しく、周りの人たちも楽しくすることができる。
今生で幸せ、究極的な楽もやってくるというわけだ。
だから、この齢まで、できる限り、仏の教え全般と特にナーランダ僧院の師、ナーガルジュナ父子等の教えは自分の人生の糧のようなものだ。

この教えにより、人に幾らかでも利を与えることができた。
こうして、死ぬまで、仏の一人の弟子として、できる限り他の人を利すことができたらな、、、と思っている。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan「地などの四大や
虚空のように、つねに
無数の有情のために
様々な方法で(彼らの)生きる糧となろう」

(シャーンティデーヴァ入菩薩行論 第三章・菩提心の受持より。中原訳)

と特にナーガルジュナの「宝行王正論」の中にある、
「地、水、火、風、
薬草および樹木を用いるように、
つねに生きとし生けるものが
すべて欲するままに妨げなく(われを)用いる者となりますように。

生きとし生けるものを(自己の)生命のように愛し、
さらに、自己よりも彼らをより以上に愛しますように。
自らに彼らが悪を結果づけても、自らの善はあますところなく、
彼らに報われますように。」

(瓜生津隆真訳)

という節を常に思い出している。

他には言うことはない。
今日は雨が沢山降っている。
今日はみんな、気を付けないと、風邪をひいてしまうぞ。
分かったか、気をつけるんだよ。
それだけだ、タシデレ、トゥクジェチェ!

(拍手、了)

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan昨日は何と30組もの歌と踊りのグループが出演した。
法王は最初の10グループほどまでご覧になり、その後退席された。
最初はインド人やネパール人グループが多かった。

昼食がみんなに配られ、午後も延々、歌と、踊りのショーが続けられた。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanドラマ・スクールの女性陣











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanドラマ・スクールの男性陣











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan法王は踊りを見ながら手で拍子を取っておられた。










6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanソガ・ロプタ(トランジット・スクール)の舞踏は迫力満点で評価が高い。

そういえば、ネパールでは昨日カトマンドゥで法王の誕生日を祝うために集まろうとしたチベット人100人が一時拘束されたという。
政府は中国政府の圧力により、法王の誕生日を祝うことを禁止したのだ。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan今日は七夕だが、ダラムサラは華が降り止まない。
夜のために空を洗ってくれているのであろう。






















1989年 ノルウェーで法王がトナカイの橇に乗る追加のおまけ写真。
法王のお誕生日に合せ、チベットテレビでは1989年、法王がノーベル平和賞を受賞された時の映像が流されている。

法王は授賞式が終わった後、ノルウェーの北へ旅されたようだ。





1989年 ノルウェーで法王がトナカイの橇に乗る写真はその時トナカイの橇に乗って白夜の雪の原を走っておられる法王。
(テレビ画面を写真に撮ったので、写真は雰囲気だけだ)


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2010年06月24日

ラサの若者の携帯を公安がチェック/法王長野レポート

追記:24日、カルマ・サンドゥップ氏に判決が言い渡された。
15年の懲役刑+5年の政治的権利剥奪+1万元の罰金。

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昨日、今日のRFAからまだ活字になっていない、幾つかのニュースを短く紹介する。

昨日:
*シガツェ地方の鉱山で鉱山開発に反対する地元のチベット人と武装警官隊が衝突し、30〜50人が逮捕される。

*ラサで若者が公安職員に殴り殺された。政治的抗議の結果かどうかは不明。

今日:
*ラサの町では公安が、最近、盛んにチベット人の若者たちの携帯をチェックしている。
携帯の中に法王等の写真や政治的チベットソングが入っていないかどうかをチェックするためと言う。
携帯の中に法王の写真が入っていたとして、一人の若いチベット人女性が逮捕され、現在ウディドゥ拘置所に拘留中。

*サキャ派のトップ、サキャ・ゴンマ・リンポチェの二人の息子がチベットを訪問するために中国に入った。
二人がカムのミニャやデルゲを訪問するという計画を知り、周辺のカンゼ、タウなどのチベット人が大勢、二人に会うためにミニャやデルゲに向かった。
その数、数千人という。
しかし、5,6日現地で二人の到着を待つも、リンポチェの息子は現れず、みんな「中国が許可しなかったのだろう」と言いつつ、帰途に着いたという。

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2010年6月 法王 長野訪問 写真・野田雅也以下、長野での法王のメディアへの発言など、比較的詳しく紹介してくれてる藤倉善朗氏の記事を紹介する。

写真は前回も含めいつもの野田雅也氏。


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<ダライ・ラマ法王が長野・善光寺を初訪問>

http://www.pjnews.net/news/533/20100623_3
【PJニュース 2010年6月24日】

6月19日、来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王14世が長野県長野市内の善光寺で法要を行った。善光寺は2008年4月に長野市内で行われた北京オリンピック聖火リレーの際、スタート地点となることを辞退。ダライ・ラマ法王は感謝の意を表して釈迦像を同寺に贈っていたが、長野県を訪問するのは初めて。

今回の訪問は、善光寺のダライ・ラマ法王14世招聘実行委員会の招きによるもの。2008年4月に、北京オリンピックの聖火リレーが長野市内で行われた際、善光寺は「一般参拝者への影響が懸念される」ことを理由として、聖火リレーの出発地点となることを辞退した。さらに聖火リレー当日の早朝に善光寺内では、一連のチベット騒乱での死者を追悼する法要を開催。昨年の4月にも同様に法要を行っている。

2010年6月 法王 長野訪問 写真・野田雅也19日午後2時過ぎ、ダライ・ラマ法王は善光寺参道で参拝客らに歓迎されながら本堂に到着した。参道にはチベット人やそのほかの外国人、チベット支援者と思われる人々の姿もあったが、地元の一般参拝者らしき人々も多かった。いわゆる「フリーチベット」イベントというよりも、寺院での宗教イベントらしい盛り上がりといった印象だ。

善光寺の僧侶らとともに本尊前で参拝したダライ・ラマ法王は、同寺への来訪記念で製作された本堂内の砂曼荼羅を前に、チベット僧侶らと開眼法要を行った。砂曼荼羅は、チベット四大僧院のひとつであるタシルンポ僧院の僧侶ら計10名が15日間かけて製作したもので、善光寺の本尊にちなんで阿弥陀如来が描かれている。法要後、善光寺寺務総長・和田正隆氏と共同記者会見を行ったダライ・ラマ法王は、こう語った。

「今日、この善光寺という聖地を巡礼させていただきました。初めての訪問となりますが、このような素晴らしい機会を得たことをありがたく恵まれたことだと考えております。先ほど、一緒に世界平和祈願の法要を営むことができ、恵まれた機会と感謝しております。唯一いただけないのは、とても暑いということと、湿気がとても高いということです(笑)」(ダライ・ラマ法王)

「日本の仏教、そしてチベット、韓国、中国、ベトナムにおける仏教は、釈尊の同じ教えを引き継いでいる国々で、同じサンスクリット語の伝統に基づく教えを維持しているという意味で同じ立場にあります。私たちはたったいま御本堂におきまして世界平和祈願の法要を終えたばかりですが、釈尊の教えに基づいて私たちが真摯な態度で心からその修行を行っていけば、私たち自身の心の中に平和が芽生えていきます。ひとりひとりの心の内なる平和をはぐくんでいくなら、個人が属している家庭もますます平和になります。ひとつの家庭をより慈悲深いものとして、一の家庭、十の家庭と広げていけば、平和的な社会を構築していくことができるのではないかと思います」(ダライ・ラマ法王)

2010年6月 法王 長野訪問 写真・野田雅也報道陣から、「善光寺訪問の理由として、2年前の聖火リレー辞退の件があると思うのですが、その点をどのようにお考えですか?」と尋ねられたダライ・ラマ法王は、「私の日本訪問を政治的なものにしないで下さい」とした上で、こう答えた。

「中国政府は聖火リレーの時点で、私たちチベット政権が彼らを邪魔していると批判していました。そのときすぐに、私は北京オリンピックを邪魔すべきではないと表明しました。中国の方々は非常に素晴らしい方々です。問題はどこにあるかというと、中国政府がとっている全体主義的なシステムです。私たちは反中国ではなく、システムに問題があると言っているのです。胡錦濤国家主席は中国において『調和のとれた社会が必要だ』と何度も強調しておっしゃっています。それは本当に必要とされているものですが、銃を突きつけて脅して作り上げるものではありません。オリンピックの聖火リレーでは、個人の方々がチベット問題の解決に向けて様々な支援をしてくださいましたが、その方々を私は『チベットの友人』とは考えていません。『正義を応援してくれている人々』だと考えています。ですから善光寺の方々が聖火リレーの出発地点を辞退したという行為は、全世界に対して、(中国政府によるチベットでの)不正義がいまも存在していることをアピールする大変素晴らしい行いだったと私は認識しています」(ダライ・ラマ法王)

日本で活動する漢民族のジャーナリストからは、「中国の若者にメッセージを」との要望。

「中国の方々は実践的な面では勤勉で働き者だと思っています。ビジネスも上手で、非常に裕福になられているという一面もあります。加えて、自分自身の中国人としての文化を維持していくという強い精神を感じることができます。1950〜70年代とは違い、現実的なことを知るチャンスが増えていると思います。若い中国人には、両方の眼をしっかり開けて、両方の耳でしっかり聞いて、現実には一体何が起こっているのかということをしっかり見て聞いていただきたい。さらに自分自身で状況を調べる、分析するということをぜひしていただきたいと思います」(ダライ・ラマ法王)

地元メディアから長野県民へのメッセージを求められると、「長野にお住まいの方も、ひとりの人間であるという点で私と全く同じ。私はどこに行っても、私たち人間に基本的に備わっている価値についてお話しさせていただいています」(ダライ・ラマ法王)と答えた。その上で、「聖火リレーの出発地点を辞退するということで、私たちが抱えているチベット問題に心から同感してくださったことに対して、心からの感謝を述べさせていただきたいと思います」(同)と語った。

翌20日、長野市内のホール「ビッグ・ハット」で行われた講演には、約6500人が来場した。21日にダライ・ラマ法王は善光寺裏手の「西蔵宝篋印塔」と善光寺近くの西方寺を訪問。「西蔵宝篋印塔」は、亡命チベット人を日本に招いた多田等観師にちなみ、日本とチベットの友好を願って1964年に建立されたもの。一方の西方寺は、チベット仏画師が製作した立体マンダラ堂が完成したばかり。ダライ・ラマ法王はここで開眼法要と法話を行った。

22日に金沢市内で講演したダライ・ラマ法王は、26日に横浜市内で法話と講演を行う。【了】









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2010年06月22日

色受想行識皆空あるいは極楽鳥

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi)male 5今日は金沢で、法王が「般若心経」についての講義をされたはずだ。
「照見五蘊皆空、度一切苦厄」の話だが、この中「五蘊(五つの集り)」は中々解りにくい仏教用語だ。
きっと法王が「五蘊」については説明されたと思うので、下手な解説はよしにして、今日は一つ、この「五蘊」を比喩と共に説かれた、仏の直説を紹介する。

そのまま、経典のコピーを紹介してもつまらないので、一緒にいつものように野鳥の写真を添える。
今日の鳥は普通じゃない。この辺でもっとも美しく、英語名には「パラダイス」が付くほどの極楽鳥だ。
今までこの白いオスは図鑑の中でしか見たことがなく、長らく出会いを恋焦がれていたのだ。
その真っ白い極楽鳥が、法王のTCVでの法話を訳している時、突然窓の前に現れ、それから数日間何度となく現れた。





Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cmこの鳥と同じカササギヒタキ科に属する鳥が日本にもいる。三光鳥と呼ばれ、オスの尻尾が長いのも同じだが、色が違う。
日本に夏鳥としてスマトラ辺りからやってくるその鳥は頭部から頸、胸は黒く、紫色の光沢がある。他の上面は赤紫色の光沢がある褐色で、下尾筒は白い。
この鳥は「フィチイ、フィチイ、ホイホイホイ」とさえずる。昔の人はこの声を「月、日、星」と聞いて「三光鳥」としたそうだ。「フィチイ(月)、フィチイ(日)ホイホイホイ(星星星)」と言うわけだ。昔の日本人のセンスは冴えてたようだ。

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cmこの辺りにいる三光鳥は英語で「Asian Paradise-flycatcher」と呼ばれ、色はメスが栗色でオスが白。オスの尾羽は長くリボン状に伸びる。もっとも、三歳までのオスはメスと同じ色という。本によればオスは長い飾り尾羽を持っていることになっているが、この飾り尾羽を持たないオスも見つけた。オスの飾り尾羽は「渡り」の前には抜けると日本の三光鳥の説明にあるが、この辺の種にこれが適応できるかどうかは定かでない。

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cmとにかく、この白いオスが枝から枝へと飛びまわる様は、まるで小さな、まぼろしの白い天衣(カタ)が、空中に遊ぶように、漂い、舞っているが如くに見え、特別の感慨をもたらすのだ。
なんて、大袈裟になって「まぼろし」を追いかけるという典型的な例だね、私は。
過たぬ縁起が現れた、まぼろしのこの世はほんまに美しい!

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Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cm阿含経、「実践に関する章」その三「ありのままに見ること」より
訳・山口益


ある時、世尊はアヨッジャー国にあるガンジス河の岸辺に住んでおられた。

そこで、世尊は比丘たちに告げたもうた。
「比丘たちよ。たとえばこのガンジル河が大きな泡のかたまりを生起するとしよう。眼有る人は、これを見、静観し、ありのままに観察するとしよう。かの人がこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、実なきものにこそ見えるだろう。比丘たちよ、泡のかたまりに、どうして堅実があろうか。

 比丘たちよ、ちょうどそのように、凡そ色(物質)にして過去せるもの、未来のもの、現在のもの、内なるもの、外なるもの、粗大なもの、微細なもの、劣れるもの、勝れるもの、遠きにあるもの、近きにあるもの、それを比丘が見、静観し、ありのままに観察する。かれがこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、実なきものにこそ見える。比丘たちよ、色において、どうして堅実があろうか?

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi)Male 2 比丘たちよ、たとえば秋季に密雲あって天が大雨を降り注ぐ時に、水面に水泡が生じ、かつまた滅するようなものである。眼有る人はこれを見、静観し、ありのままに観察するとしよう。かれがこれを見、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものに見えるであろう。比丘たちうよ。そのように凡そにして、過去せるもの、未来のもの、現在のもの・・・乃至…遠くにあるもの、近きにあるものがあるが、比丘はそれを見、静観し、ありのままに観察する。かれがこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見える。比丘たちよ、どうして受に堅実があろうか。

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi)Female 2 比丘たちよ、たとえば夏季の最後の月の日中時に、かげろう(陽炎)が立つときに、眼有る人がこれを見、静観し、ありのままに観察するとしよう。かれがこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見えるだろう。・・・乃至…比丘たちよ、陽炎に、どうして堅実があろうか。
 比丘たちよ、そのように凡そにして・・・乃至・・・。

 比丘たちよ、たとえば人あって、堅材を欲し、堅材を求め、堅材をさがし求めて出かけて行き、鋭利な斧を持って林の中に入るとしよう。かれは其処で、大きな芭蕉の幹が真直ぐで新鮮で、巨大な高さのを見るとしよう。そしてかれはその根を伐採するとしよう。根を伐りおとして木の尖端を伐採するとしよう。尖端を伐りおとして樹皮を剥ぎとるとしよう。かれが樹皮を剥ぎとるとき、樹膚をすら得ることはなかろう。いわんや核をや。

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cm 眼有る人はこれを見、静観し、ありのままに観察するとしよう。かれはこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見えるだろう。比丘たちよ、どうして芭蕉の幹に核があろうか。

 比丘たちよ、このように凡そにして過去せるもの、未来のもの、現在のもの・・・乃至・・・遠きにあるもの、近きにあるものがある。比丘がこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見える。比丘たちよ、どうして行に堅実があろうか。

 比丘たちよ、たとえば手品師あるいは手品師の弟子が、大道において手品を見せるとしよう。
眼有る人はこれを見、静観し、ありのままに観察するとしよう。かれがこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見えるだとう。比丘たちよどうして手品に真実があろうが。

Asian Paradise Flycatcher(Terpsiphone Paradisi) Male 50cm 比丘たちよ、このように凡そにして過去せるもの、未来のもの、現在のもの・・・乃至・・・遠きにあるもの、近きにあるものがある。比丘はこれを見、静観し、ありのままに観察する。かれがこれを見、静観し、ありのままに観察するとき、空無にこそ見え、空虚にこそ見え、真実なきものにこそ見える。比丘たちよ。どうして識に堅実があろうか。

 比丘たちよ、有聞の聖弟子はこのように見て、色において厭い、受においても、想においても、行においても、識においてもまた厭う。厭うて離欲する。離欲より解脱する。解脱して解脱しおわったという智恵がある。更にこの状態に生まれることはないと知る」と。

 世尊はこれを語りたもうた。善逝はこれを語って、師は更にこう語りたもうた。

おまけのフクロウ色は泡沫のあつまりの如し
受は水泡の如し
想は陽炎の如し
行は芭蕉の如し
識は手品の如し
日種族の(世尊の)所説なり。


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ブッダ自身が灼熱のインドの大地を遊行する様が思い浮かばれる。

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いつまでも遠い島国、日本を眺めつつ

善光寺 20.6.201020日、長野の善光寺で行なわれた法王の法話の主題はどうやら、密教やクリヤーライトではなく、(いつもの)「良き心」についてだったようだ。
英語では題が「Positive Clear Light」と書かれていたので、自分で勝手に誤解していたらしい。
それでも、ひょっとして「仏性」の話はされたのかな?それとも善光寺に引っかけた、ちょっとした洒落だったのか?きっとそうに違いないが、それにしても英語圏の人たちは誤解したまま、「法王は長野でクリアーライトについて説かれた」なんて言ってるかも?
日本の各新聞社は「相互理解の大切さ」(中日)とか「幸せの鍵は愛と慈悲の心」(信毎)とか説かれたと短く伝えている。

とにかく、日本では詳しいレポート御法度の雰囲気があり、外部には中々詳しい内容は伝わりにくいようだ。
これは、解放的ティーチングを目指す、インドやアメリカなどとは異なる点だ。

20.6.2010 法王日本訪問ダラムサラでは今回の法王の日本訪問に合わせ、亡命政府TVでは、2008年の日本訪問を1時間物にまとめたドキュメンタリーが何度か流されている。
これを見ていて幾つか気付いたことがある。
まず、その服装である。
この年には二か所で高校生を前にした講演をされていたようだ。
みんな黒い制服を着ていた。
黒い僧衣のお坊さんも常に目立った。
それに黒っぽいスーツの紳士たち。
見た人は「日本って制服の国なんだ。それも黒い服ばかりだな、、、」と思ったに違いな。大げさに言えば北朝鮮のようだった。
日本人はよほど黒が好きらしい。それも直線強調の制服ばかりで硬いイメージが残る。

法王は案外日本でも法話以外は英語で講演されているということも分かった。
法王は、つたない英語でも直接聞いて感じてほしいと思い、そうされているのだろう。
しかし、それを聞いてる日本人たちが映し出されると、何だかみんな上の空で、初めから聞いてないことが明らかだ。
眠りこける僧侶や、ふざけ合ってる高校生も映し出される。
「日本人は制服着て礼儀正しそうに見えるが案外話しは聞いてないようだ」なんて誤解?するチベット人もいるかもしれない。

2010年6月 法王日本訪問この「英語を解さない日本人」という話は今回、長野で法王が直接話題にされたようだ。
「この中で私の英語が解る人は手を上げて見て下さい」と法王。
何人か、きっと韓国人とか、台湾人が手を上げただろう。
恥ずかしそうに手を上げた日本人も、何人かはいらっしゃったであろう。

そこで法王「ふうん、少ないな、、、」

「日本人はもっと英語を勉強して、せまい国内にとどまらず活躍の場所を広げるとよい。
私の英語はブロークンでも世界中どこでも直接コミュニケーションができることの利点はとても大きい」
とか話されたと聞く。

その他「日本は技術的に進んだ国だが、若者が過剰なストレスと孤独感に悩んでいる。
自殺者が増えているとも聞いている」
とか「世界の共通語である英語を学んで、アフリカやラテンアメリカなど外の世界に飛び出して貢献してほしい」
と言った発言をされたようだが、
これと同じ話しを2008年にもされている。

法王の日本での様々な発言から、法王の「日本、日本政府、日本人」に関する認識を想像してみた。
まず日本については「経済的に発展し、物質文明社会の典型。外にものは溢れているが、案外、心は貧しく、心に悩みを持つ人が多い国」と思われているらしい。もっともこれはアメリカとかも同じようなものだろう、どこに行かれても「幸せは物質的豊かさのみによって達成されるものではない。心を豊かにして初めて幸福になれる」と説かれている。
しかし、日本ではこの発言が特に目立つ。

政府については「中国を怖がっているというか、歴史的問題の上に経済的・文化的依存関係も強いので、ま、こんなものだろう。あんまり政府を困らせたくないし、、、」
「それにしても、もう50年前から14回も来ているのに、何も変わらないとは、ちと寂しいか、、、」なんて思われてるかどうか?

日本人については「みんな礼儀正しく、行儀がいい。でも、ちょっとまじめ過ぎて、時に面白くない。ジョークを言わない。空の話になるとみんな眠そうになる。これはチベット人に似ていて、西洋人とは違う。僧侶たちは一般に一緒に写真を撮ったり、儀式をすることが好きで、仏教を勉強することにはあまり興味がない。一般に政治に興味がなく、人権とかには特に興味がないようだ。
英語ができない。そのせいか、世界のことを案外よくしらない。自殺者が多い」
なんて、勝手な想像ばかりのようだが、半分以上は法王がいつか、どこかでおっしゃったことである。
もちろん、ポジティブな感想も多々あろうかと思われるが、ここではそれは省いた。思いつかないからかな、、、、

実際、亡命後法王を初めて外国に招待したのも日本だし、すでに14回の御訪問で、同じ東洋人である仏教国日本に対する親しみは相当深まっておられることであろう。
最近は毎年訪問されている。訪問の度に、のべ数万人の日本人が法王の講演会に参加している。

だのに、日本人のチベット問題に対する認識や支援の現状は、他国に比べお粗末この上ない状態が続いている。
チベットのデモに参加する人の数はたったの数百人。最近世界的キャンペーンが行なわれている、テンジン・デレック・リンポチェ解放要請署名運動についても、世界ですでに4万人の署名が集まったと言うが、きっと日本の貢献度は多くとも0.5%ほどにしかなっていないと思う。
もっともこの状況は宗教面でも同様で、これほどいつまでたってもチベット仏教が広まらない先進国も珍しいほどだ。

サポーターや宗教面ではお隣の韓国とどっこい、台湾はずっと先を行っている。
韓国には一度も法王は訪問できず。台湾にも数回行かれただけだ。

これには、いろんな要因が考えられるが、大多数の「日本人は英語ができない」ということが、
大きなハンディーになっていると私も考える。

最近の若い人は英語より、中国語を習う人が多くなってると聞くが、、、


RFAなどでは、良いことも伝えている。
「ケグド地震の犠牲者への慰霊祭が行なわれた」ことと
「登山家として世界的に有名な野口健氏がSFTJ主宰のイベントで“人権に国境はない”と発言した。彼は中国の嫌がらせに負けない数少ない日本人だ」というニュースは内地のチベット人を喜ばせたことであろう。


























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2010年06月18日

続・TCVホール、法王のティーチング

チベットの土の電柱 1985年、ウーセルさんのブログより 6月2日分、以下、先日の続き。

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「夢」や「雷光」や「雲」のよう、と言われるは、
我々の執着の対象を三時(過去、現在、未来)に分け、各々を喩えて言うのだ。

現象(法)を三時に分けるなら、例えば、まず、過去と言われるは、、、今、10時10分だから、これ以前が過去だ。
「夢は記憶の対象」と呼ばれる。
過去は記憶の中にあるだけで、他のどこにもない。
全て滅してしまった後だ。
そうだろう。
昔、こんなことがあった、と思いだし、ひどく腹を立て。
あんなこともあったと思いだし、執着心をおこす要はない。
怒りや執着の対象はもう過ぎ去ってしまい、もう、今ここにない。
夢の如しだ。
夢の中でこんなこと、あんなことがあったからと言って、その対象に怒ったり、執着するものじゃない、ということだ。

雷光「雷光」と譬えられるのが、「今・現在」だ。
今、実際に快不快の感覚が生起しているとしても、それはほんの一瞬のことでしかない。

「三時(過去、現在、未来)」という概念は、教義哲学の中でも取り上げられる。
説一切有部の三時を「実有」として見る見解が一つ。経量部の「現象は全て現在である」とする見解が一つ、というように、三時の定義も様々だ。
帰謬論証派は三時を「有為の事象」と捉える。
これらはそれぞれ深く考察された結論としての見解だ。

何れにせよ、「今」というものは、探そうとすると見つけられないものだ。
今は、、、2010年の8月、、じゃない6月(2日)の、午前10時と11分として、、、その1分=60秒のうち何秒かはもう過ぎ去った、、、一秒先がやってくる、、、。
1/2000秒の今(シャッタースピード?1/2000?で、飛ぶ?鳥の?今?を捕えた?今日?の一枚?)

時を区別して、年、月、日、時、分、秒と(範囲を次第に狭めて)探してみても、「今」は見つけられないじゃないか。
一秒前はもう過ぎ去った。一秒後は今から来る。
「今」をどこに定位させ得よう?

「今」が見つけられたか?
見つけられないだろう。
時と言うものは次から次へと生滅し、じっとしていてくれないものだ。
だから、時(過去・未来)というも、一つはもう過ぎ去ったもの、もう一つは今からくるものだ。
「今」はどこにもない。
「今」がなければ「過去」や「未来」をどうやって設定することができるのか?
「今」を基準に、その先に来るものを「未来」と呼び、過ぎ去ったものを「過去」と呼ぶのではないか?
過去・未来の設定・施設が不可能になる。
「今」がなければ、時はよりどころを失うことになろう。

2.6.2010 TCV Hallだから、「今」という現象には、分析智によって得ることができ、これだと言って指さす事のできる実体はないのだ。
深く考えない世俗の概念作用により(仮に)設定されているだけなのだ。
(世俗においては)こうして、今の秒が設定できる、今日も設定できる。今週が設定でき、今月が設定できる。
今年が設定できる。
さらに、今生が設定され、過去にあった前生、未来に来る来生が設定される。
これらはすべて、概念作用により、言葉によって仮設されているだけであり、対象(客体)の側にそのような何かが本当にあるわけではない。
そうじゃないかな?

過去とは夢の如くに過ぎ去ったもの。
夢とは記憶の対象でしかない。
「今」は「雷の光」のようなものだ。
一瞬でしかない。

雲「夢」、「電光」、、、次に「雲」の如し、と言われる。

我々のいう「未来」とは、今から新しく起こるであろうことについて、こんなになったらいいなとか、こう言うことにはなってほしくない、とか思い煩う「思い」でしかなく、未だ生じてはいないものだ。
例えば、どこかの空に「雲」が浮かんだからと言って、それだけでそこに「雨」が降るわけじゃない。
雲がある場所、全てに雨が降るわけでもない。
様々な条件が揃うことに依り、次第に条件が揃うことにより、その雲が雨の基体になるだけである。
これと同じように、有為の未来の事象とは、沢山の因や条件が集まることに依り、生起するのみである。
「未来に順序はない」と言われるはこのことだ。

しかし、自分たちは、過去の記憶の対象に執着したり、怒ったりする。
或は、今、現在の感覚に従い、目の前の対象に執着や怒りの心を起こす。
さらに、未来の、まだ生起していない事柄を想像して、心配や期待の心が捉えるものを対象として執着や怒りの心を起こす。
このような執着や怒りの心に対する、対治としてこれらの比喩が説かれたのだ。

雲(三時の)有為の事象(現象界)はまるで「夢」や「電光」や「雲」のようだと、、、
有為が執着や怒りの主な対象であるから、それらが無常の性をもつものであり、苦しみの性をもつものであり、自性、本質のないものであることを説くことにより、そのようなものに執着や怒りの心を起こすべきではないと教えているのだ。
執着の対象として指さすことのできる、実在するものは何もない。

この自性がないという話で、、、例えば、ちょっと考えてみるといい。

怒りが治まる前に見る相手と、怒りが治まった後に見る、同じ相手の印象に違いがあるかどうか?
考えて見るといい。
また例えば、いつもは親しくしている相手について、ある人があなたに「あいつは本当は悪い奴なのだ。お前に悪意を抱いている。厭なやつだ」という話をしたとして、その後その人に会ったときどう感じるか?
何か、変わった感じがあるか?
いつもは、会えば笑い合うような仲でも、そんな話を聞いた後では、「本当はこいつは悪、バカなんだ」とかの思いが起こって、会って笑いあっても、それも形だけのものとなり、心から笑えなかったりするんじゃないかな?

また、昨日まで好きでもなかった人のことを、誰かが「あの人はあんたのことを非常に褒めてた。あんたのことがよほど好きなようだ」というと、次に会った時には、昨日まで見ていた同じ相手のようには見えないことであろう。
思いに依って同じ対象でも印象が随分違って来るという例だ。

2.6.2010 TCV Hall逆に、いつも、悪い奴だと思っている人について、誰かが「彼はこのような立派なことをした」と言っても、「そんな訳はない。あいつは本物の悪だ。そんなことある訳がない」と思うかもしれない。
怒りの対象の醜さは、あたかも不変であるが如く、心に浮かんでいることの証拠だ。
不変、固定的なイメージがあるので、誰かが「あいつはいい奴だ。人が変わった」と言っても、「そんな訳がない」と考えるのだ。

その固定的な醜悪イメージは、対象の側に客観的に備わっているもので、因や条件に依存しない、本来的なもののように、心に現れているものだから、突然、「あいつはいい奴だ」と言われても、納得できないというわけだ。

このことから、執着や怒りの対象が不変で、独立して、言葉の力に依ってのみ存在するのではなく、客観的に対象の側から、不変のものとして、元からそうであったように心に現れ、現れに従って「その通りだ」と思い、自相をつかむ、そのような心を基にして執着や怒りの心が起こるということが解る。

これが要点だと思うか?
一つ、解ったか?

虹だから、仏教が「中観の見解」(空=無自性=縁起、中道)を説く、その主目的は、みんなの心を、執着や怒りを起こす基になる実体・自性から解放することであり。心を覆う無明を晴らすためである。
執着と怒りの心を完全に消し去るためには、まずこの(ない)実体をつかむという心を無くさなければならないのだ。

中観帰謬論証派の、世俗にも自性を認めない、という究極の見解に従い、
色即是空、空即是色、色不異空、空不異色」という四重の空を、見解の深まりとしての四段階として説くやり方がある。
まず「色即是空、空即是色」と説かれるは、色(物質的現象)そのものが実体を欠いた空なのだというのだ。
ここで、「空の基体」である、あちら側に現れている「色」を、「有る」ものとしておいて、それが勝義には成立しない、勝義(本当には)にはないのだと言うならば、「色即空」にならないだろう。

二万頌般若経(二万五千頌?)に「色は空によって空にされるのではなく、色がそのまま空なのだ」と言われているように、対象として現れている各々の色を分析するのではなく、言説上の存在をそのまま、「有る」として、これが勝義として成立しないのだと言うならば、「色が空によって空にされた」ことになる。
向こう側にあたり前のように現れている、その色そのものを、言葉に依ってあるだけだ、あちら側には指さすことができるものはまったくないのだ、と決定されるとき、「色即空」が成立する。
ここは、肝心なとこだと思わないか?
「色は空によって空にされるのではなく、色がそのまま空なのだ」と、般若心経の中に「色即是空」と言われるはこのことだ。

灯明一方、「空即是色」と言うは、「色」は自性が空であり、他の条件に依存して成立しているが故に様々な「色」、様々な変化が生じることができると言う意味だ。


我々は「色即是空」、色(物質)というと、何か外の物を指しているような気になることだろう。
ここで、言葉を入れ替えて「我即是空、空即是我」(我=自己=私)としてみてはどうか?
こう考えてみるといい。どうだろう。
「我」とか「私」と言われるものはある。
では、一体「私」は本当にはどこにあるのだろうと探してみると、、、「私」は見つからない。

自分の身の中に、頭の先から足の先まで探して見ても、「私」が見つけられないことははっきりしている。
では、「私の心」が「私」なのか?といえば、「心」にも粗いものから微細なものまで色々ある。
覚醒時の心(意識)がある。夢を見ている時の心がある。熟睡時の心がある。
さらに、死に行く時の心がある。生まれる時の心がある。
心には粗いものから、微細なものまで色々ある。
この中で、私というのはどの時のことなのか、と指さそうとしても、その対象は特定できない。

死の瞬間のもっとも微細な光明(ウーセル/クリヤーライト)の心が本当の私なのじゃないかと言っても、これも難しかろう、「私の光明」とかいうだろうし。
さらに、光明は現れる時もあり、消え去る時もある。(それに従い)「私」が現れた、「私」が消えた、とは言えないだろう。
光明が消えた時に「私」が消えさるわけじゃないだろう。
こうして、考えて行くと、「私」は身の中にも指さす場所がなく、心の中にも指さすべきものが全く何もないではないか。
じゃ、私は一体どこにいるのだ?
「私即空」。

一方、私が空であるが故に、特別の自性がないが故に、他に依ることによって成立する様々な「私」が設定できる。
五蘊に依って私は設定されているが故に、「私は男だ」「私は女だ」「私は老人だ」「私は老婆だ」「私は若者だ」「私は僧侶だ」ということができるのではないか。
五蘊に依って名付けられたものでないならば、「私は老人だ」「私は若者だ」などと言えないはずだ。
「私は男だ」「私は女だ」と言えないはずだ。
「男・女」は身体に依って名付けられているものであって、心に依って名付けられているのじゃないよな。

このように、「五蘊に依ってある私」を設定することができるから、身体が病気になった時「私は病気になった」ということができるし、身体が病気から治ったときに「私は治った」ということができるのだ。
心が不快な時「私は不快だ」と言え、心がハッピーな時に「私はハッピーだ」と言うことができる。
もしも、(五蘊と私が)お互い依存しながら存在しているのではなく、無関係とすれば、心が快・不快を感じている時「私が快だ、不快だ」ということもないことになろう。
「私」というものが、永遠で、唯一で、独立した、例えば、「魂(Soul、アートマン)」と呼ばれるようなものであるならば、身と心が完全な解放に至った時にも、「私が解放された」ということはできないことになろう。
「魂」というものがあるならば、一般の俗なる有情の魂は、いくら努力しても俗なる魂のままであって、仏になる、涅槃を得るということはあり得ないこととなろう。
俗なる普通の人の心が聖なる菩薩の心になると言うこともないことになる。

五蘊に依って「私」は(仮に)設定されているが故に、心が変わることに依り、単なる俗人が聖なる菩薩へ、阿羅漢へ、そして最後に仏になるということが可能なのだ。
「私」は心身に従い設定される。だから、心身が変わることにより「私が変わる」と言える。
このように理解して「我即是空、空即是我」と口ずさめば、何か効果があるかな?

「色」というと外を指さすが、(同様に内なる「私」を指さすとしても)「私」は真実に存在し、独立して、主人のように身体と心を持つという思いと共に「色即是空、空即是色」と唱えても、[無・何もない]のかな、とか思うぐらいのものかもしれない。
「我即是空、空即是我、我不異空、空不異我」と、ここでいう「空」は「一般的空」のことじゃない。
「我=私」の「空」のことだ。
一般的空というものはない。一般の空性というものもない。
基体(対象・客体)から離れた空性自体というものはどこにもない。
基体から離れた空性があるなら、空性が勝義に存在する、実体的に存在すると言えることにもなろう。
空性にも自性はない(空の空)とは、「空性とはある具体的な基体の存在の仕方について言ってるのであって、基体に関係ない、基体から離れた空性というものは設定できない」ということだ。

「我即是空、空即是我」とは、まず、「我」を求めて見つからない状態が「我」の上の「我即空」。
一方、「我」は「空」だから、「我」が存在することができるのだ。これが「空即我」。
「我」が「空」であって、他に依って存在しているが故に、「我」に様々な変化、進歩もありうるのだ。


月と雲空を瞑想する目的の中心は「我(真実存在・実在)執」を無くすためだ。
「我執」が無くならなければ、執着と怒りの心は無くならない。
ナーガールジュナもおっしゃっているように
「業と煩悩とか滅びてなくなるから、解脱がある。
業と煩悩とは分別思考から起こる。
ところでそれらの分別思考は形而上学的論議(戯論)から起こる。
しかし、戯論は空においては滅びる」


というわけだ。

(中論第十八章、第五偈、中村元訳)

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以下録音切れの故、略。

続きは金沢で行なわれる「般若心経」講座でお聞きください。

マリア様が最近訳された法王解説の「中論」とか読んで、法王の講義を聴く前に、しっかり「空」について予習しておいてください。


追記:この訳はほんの試訳程度、参考程度です。
当方の理解不足による誤訳もあることでしょう。不適切な訳語もあるでしょう。
変な箇所があれば、もちろん、それは間違いなく「法王が間違われたのではなく、訳者が間違えたのだ」と了解して下さい。

ただ一つ、今回最後に珍しく法王の勘違いを一つ発見したのだ!
それは最後に引用されている、ナーガールジュナの一偈。
この時、法王は「確か、これは中論の第二十四章にある」とおっしゃった。
そこで、私はこの一偈を見つけるために「第二十四章」を漁った。
しかし、二三度読み返しても見つからない。

仕方なく、始めから、ページを繰り直し、やっと、「第十八章」の中に、この一偈を見つけ出した。

だから、法王だって何かを、勘違いをされることもあるということだ。
(ほんまに、稀な現象ではあるし、あったとしても上記のようにどうでもいい類の間違いだ)


そんな、法王の間違い、勘違いを探しながら、特に空のお話を聞くと言うのはどうでしょう?

もし見つけられたら、報告して下さい。


そうだ、観音菩薩などの化身が我々に何かを悟すために、わざと間違った言動や行動をされることをチベット語で「ゼバ・テンバ」という。
さしずめ今回は、私のようなものに、中論全部を読み返す機会を作り出すための方便として勘違いされた、という解釈が成り立つのでしょう?







rftibet at 17:30|PermalinkComments(9)TrackBack(0)