ダライ・ラマ

2010年12月20日

ダライ・ラマ法王のお言葉:カナダ、Calgary大学における講演の後、質問に答えて

b8700e58.jpg今日は法王の言葉をたっぷりお届けする。

今日のチベットTV(今年から始まったCTAのテレビ放送。いくつかはオンラインでも見ることができる:http://www.tibetonline.tv/)で、法王が2009年9月30日にカナダのCalgary大学で講演された時のビデオが流されていた。

演題は「Peace through Compassion」
本体の講演ももちろん素晴らしかったのだが、質問コーナーもなかなか面白かった。

そこで、本体は後回しにして、質問コーナーだけ以下に訳してみた。

法王、この日は特に調子がよいように拝見した。
質問に対する素晴らしい答えに対し、2万人が集まった会場から何度も大きな拍手が沸き起こった。

全部で8つの質問に答えられている。

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質問1「数ヶ月後に息子が生まれるが、息子には様々な宗教を教えたいと思っている。子どもにまず最初に、何よりも大事な事としてどんなことを教えるのがよいと思われるか?」

法王「難しい質問だ、、、まだそんなことを考えるのは早過ぎると思う。
まだ子どもは生まれていないのだから。ハハハ・・・
5~6年後に、子どもが5、6歳になった時、子どもの性格、能力に従ってそのことを考えると良いだろう。この会場にも100人以上子どもがいるだろう、、、子どもにはそれぞれ違った性格があるから一言でいうのは難しい。
ただ一つ言いたいことは、子どもが生まれたら、できるだけの愛情を注いでほしい。最初の数ヶ月、数年は非常に大事だ。医学の専門家も生まれてすぐの数週間は、その子の脳の発達にとってとても大事な期間だと言ってる。
その間の身体的接触が大事だ。その間、できる限りの愛情を示すべきだ。

そして、後は、子どもの前でパートナーと言い争ってはいけない!
何らかの問題が起こった時も、子どものいないところで喧嘩すべきだ。ハハハ・・・


質問2(6歳の子どもから)「いつもその僧衣を着ているの?パンツははいているの?」

法王「ハハハ、、、夜は、インドに来てから、ちょっと西洋化されて、寝るときにはパジャマを着てる。後は、ラサのノルブリンカから逃げる時には、中国の兵隊を騙すために普通の人が着る服で抜け出した。1964、5年長い道のりを辿り中国に行くとき、途中、道が悪くて車もなく何日か馬で進まなくてはならなかった、その時にも民間人の服を着た。」

質問3(高校生から)「今日、法王は名誉博士号を授与された。世界はあなたを尊敬の眼差しで見ている。ご自身は自分のことをどのように見ておられるのか?」

法王「私はいつも言ってるが、自分のことを一人のつましい僧侶だと思っている。
例えば、私は夢の中で『自分がダライ・ラマだ』とか思ったことがない。でも、夢の中で自分が『仏教の僧侶だ』ということは思う。だから僧侶だという自覚は強くある。私に対し、あるものは『生き仏』とか『王者』とか呼ぶ。ある者は『悪魔』だという。どうでもいいことだ、これらは単なるラベルに過ぎない。一番大事なことは『自分は一人の人間だ』という認識だ。
私たちは同じ身体と、同じ心と、同じ感情を持っている。私たちは一緒だ。
このレベルの同一性を大事にすべきだ。これは本当に大事なことだと思う。
なぜかと言えば、多くの、人間が生み出した問題は、この基本的なレベルを忘れていることから来るからだ。

二次的レベルにおいて、私はアジア人だ、ヨーロッパ人だ、アフリカ人だ、カナダ人だという区別認識がある。宗教的にも私は宗教否定者だ、私はキリスト教徒だ、ユダヤ教徒だ、イスラム教徒だ、、、と違いを言う。
同じ顔をしていても国籍の違いとか、貧富の差、私は上流階級に属すとか、私は下層階級に属するとか、私には教育があるとか、彼らには教育がないとか、、、このような区別を行う。
このよう二次的区別意識から多くの不必要な問題が派生する。このような区別は忘れるべきだ。人としての基本的なレベルに立って、私たちは同じ人間なのだと考えるべきだ。

私は幸福な人生を送りたい。あなたも幸福な人生を送りたい。あなたには苦しみを乗り越える権利がある。私にもある。だから、このレベルにおいて、私たちは交流することができるし、一緒に努力することができる。より良い世界を作るために一緒に働くことができる。この認識が非常に大事だと思う。」(会場から拍手)

質問4(中学生より)「難しい選択を迫られた時にはどうすればよいか?」

法王
「普通、まず自分でそのことについて熟考する。それから、友人や専門家に相談する。どうすべきかについて意見を聞く。そして、私の場合には、それが国家的レベルの決定の場合には、時に国家神託の意見を聞く。ある人はこれについて知っているだろうし、ある人は知らないだろうが、ある種の意見を神託に聞くのだ。また、時には占いのたぐいも行う。この数珠を使って。ほとんどの場合、それらは正しい道を示す。時には分析により、これらの意見を受け入れるのに躊躇することもある。時の経過とともにその意見が正しかったと証明されることもある。

ではあるが、ま、あなたの場合には占いや神託の必要はない。
ただ、まず気をつけてよくよく考えて見ることだ。考えるときその問題について色んな視点から見ることが大事だ。一つのみの視点から見てはいけない。
様々な視点から同じ問題を検討してみることだ。そうすればより全体的(ホリスティク)な見方を得ることができよう。
そのようにして、現実に対する全面的覚醒とともになされた決定は現実的であり、現実的決定が正しく、建設的な決定と言えるのだ。
」(拍手)

質問5(高校生より)「平和を標榜するあなたが、常にボディーガードに守られていることについてどう思われるか?」

法王「一般に私は、相手がどんな役割を担っているとか、どんな階級の人であるかを問題にしない。大統領であろうと、行者であろうと、ビジネスマンであろうと、科学者であろうと、宗教家であろうと、乞食であろうと、ホテルの従業員であろうと、違いは無い。
その人が人間的感情、誠実さをどれだけ示しているかが大事だ。その人が、笑顔で、その眼差しで真摯さを示してくれれば、それで私は十分ハッピーな気持ちになる。
偉大な政治的指導者であろうと、そのような要素が欠けている人の前では居心地が悪いと感じる。


だから、ガードマンについても、、、残念ながら私の行くところにはどこでも招待者側がガードマンを付ける。最初の日には、彼らもとてもフォーマルに振舞う。しかし、2、3日と経つうちに、彼らもうち解けてくる。だから問題はない

どこへ行っても、色んな人に会って、私は笑いかける。
その人も人間だから。ほとんどの場合、私が笑い掛ければ、相手も同じように答えてくれる。自分もハッピーになり、相手もハッピーになる。
でも、時には、イギリスだったか、ドイツだったか、、、私の車が街角を通過するとき、外の誰かが私の方を見たので私はその人に向かって微笑んだ。すると、その人は「なんでこの人が私に笑い掛けるのだ???というシリアスな顔をしていた」ハハハ・・・
特に若い女性に向かって微笑むと、何か下心があるんじゃないかと疑われたりすることもある。ハハハ・・・・
そんな時には私も何気なく顔を背けて知らん顔をする、ハハハ・・・大丈夫、問題ない、、、ハハハ。」

質問6「如何にして人間同士がもたらす堪え難い苦難に耐えるのか?」

法王「私の場合には、仏教が教える、私たちの心は無明に支配されているという理解を納得するので、状況は常に理解可能だ。一人一人の個人がこの無明を減じようとしない限り、この無明がある限り、心に様々なレベルの無明がある限り、常に問題は起こりえる。この理解は私の助けになるし、勇気を持ち続ける助けとなる。このことが解ってないと、ある困難に直面したときに勇気を挫かれる危険もあろう。
一方、人には理性があり、困難を乗り越えようとチャレンジ精神を発揮できる。チャレンジすることで、頭脳は明晰となり、身体と心と感情が総動員される。更なる力を得る。
チャレンジしなかれば、希望を失い、勇気を失い、負けてしまう。
チベットのことわざに「9回失敗し、9回努力する(九転び九起き?)」というのがあるが、これが大事だ。チャレンジなしに困難に負けることが本当の負けだ。だから、常に楽天的でいることが非常に大切な心構えだ。」


質問7「旅行ばかりされているようだが、その間どのように瞑想されているのか?」

法王「毎日、いろんな国を旅行中でも、現地時間の朝3時半に起きる。それから8時半か9時まで、ある種の瞑想を行う。主に分析的瞑想と観想を行う。昼間のプログラムも3時半とか4時、遅くとも5時には終わる。その後1時間か1時間半、再び瞑想する。そして、最高の瞑想はその後の8~9時間の睡眠中だ。これが最高の瞑想だ。完全にリラックスする。ハハハ・・・
もしも、心が明晰な時には、この睡眠中、夢の中である行を行う。分析的瞑想を夢の中で行う時もある。いつもじゃないが、時々だ。ハハハ・・・」

質問8「この会場には約2万人の人が集まっている。生活の中で慈悲の心を実践するために一番肝要なことは何か?」

法王「その前に一つリクエストがある。できれば会場の明かりを強くしてもらえないか?(ステージのみへの照明で会場はほぼ真っ暗だった)
そうすれば、みんなの顔を見ることができるから。
(会場の照明が明るくされる)
おお、いい!すごくいい!
会場の聴衆の顔を見えると、人と話しているという感覚が持てる。
暗いと、時にお化けと話しているような気がするものだ。ハハハ・・・
あるいは独り言をいってるような気になる。
照明を明るくしてくれてありがとう。

あれ!みんなカタを掛けてるみたいだな?、、、
どうも沢山の人たちがカタと呼ばれる白いスカーフを掛けていらっしゃるようだ。
その白いスカーフについて、私は通常、2つのことを説明する。
まず、その「白」という色は、「動機(心)の純粋さ」を表す。
「慈悲」を表している。少なくとも「他者に対し害心がない」ことを表す。次にこのスカーフのしなやかさは、その動機とともに態度が優しいことを示す。これがそのスカーフが表すシンボルの一面だ。


もう一つの面もある。このスカーフを掛けるという風習はインドから来たものだ。インドでは寺院や家族を訪問するとき、尊敬の意味でショールを差し出す。この伝統がチベットに伝わったのだ。
素材は中国製だ。中にはチベット語が織り込まれているものもあるが、これでつまりチベット人がオーダーして中国で作らせたものと解る。そして、この風習、伝統はチベット人により実行されている。このことから、そのスカーフは「調和の象徴」ともなる。

私たちは望む、望まないに関わらず、社会的動物として生まれた。
個人の苦楽は周りのコミニティー全体に依ってある。だから、調和と友愛は非常に大事だ。調和をもたらすためには、真摯な動機と優しい態度が欠かせない。
だから、私の愛すべき友人たち、愛すべき兄弟たちよ、、、
私は幸せになりたいと思う。あなたたちも同じ思い、望みを持っている。
そして、みんな幸せな生活を送る、同等の権利がある。
幸せ、喜びは身体的レベルにもあるが、精神的レベルのそれがより重要だ。身体的レベルの楽は、金銭に依る面が多く、お金持ちは便利な生活をして楽にしているだろう。貧しい人々や失業者はこの面ではきついこともあろう。

しかし、精神的レベルにおいては貧富の差は関係ない。教育のレベルも関係ない。ある場合には、精神的レベルにおいては、ひょっとして貧しい人々の方がより心の平安を楽しんでいるのかも知れないと思ったりする。
非常に頭のいい人は、往々にして、ビジョンが多すぎて、期待が大きすぎて、反ってより多くの恐れや不安を味わうものだ。
内的幸せ、喜び、平安についてはみんな同等の可能性を持っている。このことについてもっと考えてほしい。
より正直な、真摯な、慈悲深い心を持って、互いに助け合うことだ。
特に、助けを必要とする、貧しい人々、病気の人々、老いた人々、囚人も含めて、このような人々を、同じ社会の一員として認め、決して排除してはいけない。社会全体を一つの家族として、楽しい家族のように育て面倒をみること、これが私の望みだ。

ありがとう。ありがとう。」(拍手)


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2010年12月19日

WikiLeaks:2008年、ダライ・ラマはアメリカに対し必死の嘆願を行った。

17f8022b.jpgWikiLeaksは様々な国に様々な波紋を投げかけている。
チベットに関わる米外交文書のリークによりこの狭いチベット亡命社会にも様々な反響が出はじめている。

今までに発表された、直接チベットに関わるリークをイギリスのguardian紙がまとめ、12月16日ネットに発表した。
それは以下の5件。

1、US embassy cables: Dalai Lama made desperate plea to US for help during 2008 unrest
2008年の騒動の際、ダライ・ラマはアメリカに対し必死の嘆願を行った
http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/149327?intcmp=239

2、US embassy cables: Dalai Lama says prioritise climate change over politics in Tibet
ダライ・ラマはチベットの政治問題より環境問題が優先されると語った。
http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/220120?intcmp=239

3、US embassy cables: 'Widening generational divide' between Tibet's leaders and youth
チベットの指導者たちと若者たちの間の「世代間分裂」が広がる。
http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/160094?intcmp=239

4、US embassy cables: Tibetan frustration with the 'Middle Way'
「中道路線」に対するチベット人のフラストレーション。
http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/248429?intcmp=239

5、US embassy cables: Tibet protests put India in awkward spot
チベット人の抗議活動によりインドは難しい立場に追いやられる。
http://www.guardian.co.uk/world/us-embassy-cables-documents/147313?intcmp=239

おおかたの情報は既知のものが多いが、中にはもちろん全くこれまでに公にされていない情報もあり、我々にはやはり興味深い。

2番目のリークなどに対しては、この狭いチベット亡命社会においてすでに少なからぬ反響を巻き起こしている。
TYC(チベット青年会議)を中心に「こんな発言をするとは!」と反発も出ている。
これは「法王の直接の発言ではなく、米外交官のコメントに過ぎない」となだめにかかる者もいる。

出口の見えない中国との話し合いと、アメリカが中国に対し効果的な圧力をかけられないと見限った法王が、新しい切り口を「環境」に見いだそうとしたとも読める。
ま、これなどは法王自身がその内解説されるような気もするので、それを待つのが懸命と思われる。

今日は1番目の「2008年の騒動の折ダライ・ラマはアメリカに対し必死の嘆願を行った。」の中から幾つかの節を紹介する。

2008年の3月、ラサから始まったチベット全土の一斉蜂起に対し、如何に法王が心痛め、何とかしたいとの必死の思いを起こされたかが伝わってくる。
それと同時にその法王の痛ましい親心を利用しようとする、中国の汚い手口もここに明らかにされている。

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2008年4月10日 ニューデリー
Thursday, 10 April 2008, 11:51

C O N F I D E N T I A L SECTION 01 OF 02 NEW DELHI 001035
STATE FOR TIBET COORDINATOR DOBRIANSKY
SUBJECT: DALAI LAMA PLEADS FOR U.S. TO PERSUADE CHINESE

<ダライ・ラマはアメリカに対し中国を説得してほしいと懇願する>

1.アクション要請は第7節

2.(C/REL UK, CANADA, AUSTRALIA)
摘要:ダライ・ラマは4月9日、アメリカに発つ数時間前PolCounsを呼び出しメッセージを伝えた:

すべての効果的方法を使って中国政府が彼(DL)との対話に臨む事を促してほしいと。
彼は、最近の出来事によりチベット人の将来についての憂慮が募って来たという。
この際、彼は自身の「中道路線」への誓約を再確認した。
――「中道路線」とは中国政府がチベット人固有の性格を尊重し、彼らの真の地方自治を許す限り独立を求めないというもの。――

ダライ・ラマは北京との行き詰まり打破を求めた。

ダライ・ラマはMulford大使との会話を思い出しーーー中国は力のみを敬う。だからアメリカは北京に対し「インパクトのある」行動を取る事を要請するーーーと語った。

30分間の会談の末に、ダライ・ラマはPolCounsを抱きしめながら、最後の嘆願を口にした。
「チベットは死に絶えようとしている。我々にはアメリカの助けが必要だ」と。

4.PolCounsと会う直前、ダライ・ラマはXXXXに会った。
ダライ・ラマはXXXXは中国の仲介者と連絡があり、以下の取引が可能であると彼に伝えたと語った。

もしも、ダライ・ラマがオリンピック・トーチの平和的チベット内通過を支持するならば、中国政府は3月10日以降に逮捕されたチベット人たちをいっせいに開放するであろうと。

7.行動要請:ダライ・ラマからジョージ・ブッシュ大統領、ライス国務長官、ナンシー・ペロジ下院議長、ハリー・レイド議員へ宛てたイーメイルと書簡には、
アメリカ政府が中国政府に対し、現在行われているチベット人への弾圧を直ちに終わらせるよう、捕らえられたすべてのチベット人を開放し、彼らが適切な治療を受けられるよう要請してほしいと書かれている。
また国際的オブザーバーとメディアグループが、チベット自治区の影響を被った地域に赴き調査することに中国が協力するような助力をお願いする、と書かれている。


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2010年11月30日

法王のダラムサラ・ティーチングが始まる/ガンデン・ガムチュ(ジェ・リンポチェの命日)

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching当地ダラムサラのツクラカンでは、今日(11月30日)から3日間、ロシアグループのリクエストに答えダライ・ラマ法王が仏教講義と灌頂を行われる。

phayul.comによれば参加者は1万人を越えるそうだ。
その内ロシア人が1035人、その他54カ国から4000人以上の外人が参加しているとのこと。

目立つのはロシアに続いて、台湾、韓国、欧米人。
日本人は10数人というところか!
今回はマリア様の通訳がないという事もあるかもしれないが、いつもながら日本人の少なさは異常なほど。







30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingソビエト時代に弾圧されていたロシアのチベット仏教徒はこのところ見事な復活振りを示している。

その中心はもちろんかつてチベット仏教が栄えていたブリヤート、カルミック、トゥバの3共和国。
その他のロシア人参加者も年々増えているという。
モンゴルからも大勢来ている。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingとにかく、モンゴル人種とロシア人種が混じったような、実に様々な顔が並んでおり、その多様さを観察するのが面白い。

モンゴル系は色白で丸顔、朝青龍のように太った人が多い。
ロシア系ももちろん真っ白で、中にはロシア美人風な若いのもいるが、だいたいは丸々と太った年寄りが多い。

今回のティーチングにはカルミック共和国の前首相とロシア議会の議員3人、それにカザフスタンの経済大臣が要人参加しているという。

さらに、今回はロシア各地から27ものメディアが取材のためにこのダラムサラまで来ているとの事。

ま、何から何まで、日本とは桁違いだ。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teachingで、ティーチングの方は、法王、朝方1時間ほど、いつものように仏教と他の宗教の違い、チベット仏教の特徴などについて話された。
次に、今回の目玉である「サンワドゥパ(གསང་བ་༷༷འདུས་བ་グヒヤサマージャ/秘密集会)の灌頂への導入部とも言える、ギェセー・トンメ・サンポ(རྒྱལ་སྲས་ཐོགས་མེད་བཟང་པོ་12C、カダム派)の「37菩提行(ラクレン・ソドゥンマ ལག་ལེན་སོ་བདུན་མ་)のテキストに入られ、昼休みを挟み2時間ほどでこれを終了。
その後は明日の灌頂の準備のために俗人に5戒を授けられ、無上ヨガの説明をされた。

「明日の朝方の夢を覚えておくように」と皆にクシャ草が配られ、午後3時過ぎに解散。

30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching通訳の時間を取らない(同時通訳)ティーチングだったので、いつもの法王得意の素早いお仕事振りが堪能できた。

数人に頼まれるまま、私もへたな同時通訳をやっていたが、タントラに入った頃素人さんには解らない内容だし、、、自分も付いて行けなくなり通訳を中断した。












30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching












30.11.2010 Dharamsala, D.D. Teaching法王が目の前に来られ、レンズ越しに挨拶。

カメラを下ろすと「タシデレ!トポ・ニンバ(Old Friend)」と声を掛けて下さった。


















ガンデン.ガチュさらに今日はチベット暦の10月25日で、ガンデン・ガムチュ(དགའ་ལྡན་ལྔ་ཆོས་)というジェ・リンポチェ(ツォンカパ)の命日にあたる。

家の下の部屋に、このティーチングを受けるためにドルマ・リン尼僧院から来て泊まっている3人の尼僧たちは、部屋にローソクを立て、この命日の祈りを始めた。

今夜は満天の星空の下、町中に灯明が灯され、とても美しい。

また、この日には必ず丸い小さな団子が入ったトゥクパ(と呼ばれるがむしろ丸いテントゥック)を食べないといけないという。
夕食はもちろんそのトゥクパであった。












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2010年11月04日

ネットに復帰できたウーセルさん/中国、ダライ・ラマと会談で貿易削減の報復?

ウーセルさんは昨日の夕方からネットも繋がったようでツイッターやブログを再開されている。
監視されてはいるが、外出もできるとのこと。
ひとまず、安心。

@chinanews21
翻訳RT @degewa 「ツイ友各位、ようやくネットに接続できました!
この3日間、皆さんが注目してくれたことに、李方平弁護士の法律面でのご指摘に、メディアの報道に感謝します。
結局、公安局に連れて行かれることはなく、ネットも「直り」ました。

道路の前にはあの車が朝から晩まで止まっていますし、私の後についてくる影も消えることはありませんが、どうやら危険は去ったようです。
ありがとう、みなさんごめんね。
お待たせ。ついに帰ってきたよ。
ツイッターにアクセスして初めて本当に帰ってきた気がする。
この間、みんなが気にかけてくれたこと、助けてくれてことに本当に感動した〜
本当に本当にありがとう!」
とのこと。

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以下は、要旨だけでも訳そうかな〜〜と思いながらも、スルーしてたCNNの記事。
今日、日本語になってたのでコピペさせてもらう。

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ダライ・ラマ法王<中国、ダライ・ラマと会談で貿易削減の報復?>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101104-00000014-cnn-int

CNN.co.jp 11月4日(木)19時51分配信
北京(CNN) 中国が分裂主義者として非難するチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した外国首脳の所属国が、会談後の2年間の対中貿易で平均8.1%の輸出減少を被っていることがドイツの大学が4日までにまとめた研究報告書で分かった。中国は対外貿易で政治的判断に大きな意味をもたせ、外交政策遂行の手段にもしていると結論付けている。

中国外務省は報告書についてコメントしていない。インド北部ダラムサラに本拠があるチベット亡命政府当局者は、ダライ・ラマは訪れる国に迷惑を掛けるつもりはないとしながらも、中国政府が14世の行動すべてを政治的側面からとらえることは不幸なことだと述べた。

「ダライ・ラマ効果」と呼ばれる報告書はゲッティンゲン大学が作成したもので、中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が就任した2002年以降の期間を対象にしている。ダライ・ラマと外国首脳の会談が対中貿易関係に及ぼす悪影響に関する具体的なデータを盛り込んだ報告書は初めてとみられる。特に機械類、輸送関連機器などの対中輸出減が顕著だったという。

同大の責任者は、世界で存在感を増す中国の役割を分析したかったと今回の報告書の狙いを説明。中国政府は表向き、貿易、経済交流を政治問題化することに反対しているが、ダライ・ラマの会見相手の外国に対してはたびたび貿易関係に支障を与えるだろうとの警告をしている。

報告書は国連のデータを用いながら、1991年から2008年までの間、中国の貿易相手だった159カ国・地域の輸出動向を調査。ダライ・ラマと大統領、首相、国王、女王やローマ法王が会見した後、その指導者の所属国による対中輸出は必ず減少していることが判明した。一方で、下位の政府幹部などがダライ・ラマと会った場合は影響が出ていなかった。
ダライ・ラマはこれまで米国のブッシュ前、オバマ現大統領、メルケル・ドイツ首相、サルコジ・フランス大統領と会見しているが、いずれも中国との外交摩擦を招いていた。オバマ大統領は今年2月にワシントンで会ったが、中国政府はこの際、米大使を呼び内政干渉などとする不快感を表明していた。

同報告書によると、この「ダライ・ラマ効果」は永続的なものでなく、首脳との会談後から平均2年で消えている。貿易関係を回復させる考えはありながらも、ダライ・ラマへの各国の処遇に関する不満は表明するとの中国政府の立場が反映されているとも説明した。ただ、貿易問題での処罰が政治的な生き残りにつながる可能性を高める場合、中国指導部は経済的、政治的なコストを負うこともためらわないとも指摘している。

しかし、中国の経済問題専門家はダライ・ラマとの会見に絡む対中輸出削減は短期的に中国経済の成長を損ね、長期的には貿易相手国が中国を回避しかねない可能性があるとも指摘している。

チベット亡命政府によると、ダライ・ラマの外国訪問の95%以上は非政治的な性格を帯びている。ただ、中国政府はダライ・ラマが1989年にノーベル平和賞を受賞した時、ノルウェー政府指導者が授賞式に参列した場合、同国との経済関係を断絶するとも警告していた。



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2010年07月12日

カム地方タウでダライ・ラマ法王の誕生日を祝う集会が開かれた

2006年 リタンの競馬祭写真左:2006年、リタンで行われた競馬祭(RFA)

7月9日付、RFAチベット語版:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetans-in-kham-region-celebrated-the-birthday-of-the-dalai-lama-07102010022308.html

ダライ・ラマ法王の誕生日、カム、(カンゼチベット族自治州)タウ(རྟའུ་རྫོང )地区のチベット人僧侶、俗人は集まり、祝典を行なった。

タウの仏塔 H=30m写真左:集会が行われたタウのナムギャル仏塔。高さ30m(旅行人ノートより)。

今月6日、中国政府による厳しい監視にも関わらず、カム、タウ地区ダルギェリン僧院(དར་རྒྱས་གླིང་དགོན་པ)の僧侶400人を中心に、当僧院にチベット人1000人余りが集まった。
そして、僧院から、見るだけで解放されるとされるダライ・ラマ法王の写真を掲げ、2キロほど離れたナムギェル仏塔のお堂まで運び、お堂の玉座の上にその写真を飾った。
その上で集まった僧俗チベット人は全員でマンダラ供養(三回)等の仏教儀式を行なった。

その後、歌、踊りの供宴や伝統的馬術競技も行なわれ、その日一日、盛大にダライ・ラマ法王75歳の誕生日を祝ったという。

これらの情報はインドに亡命している同地区出身のゲシェ・ツェワン・チュダックが現地と連絡を取り伝えたものだ。

ダライ・ラマ法王の写真を掲げ仏塔に向かう途中、一行は地区政府庁舎の前を通った。
しかし、当局は全くこれに反応せず、止めることもなかったという。
チベット人が大勢集まっており、これを阻止しようとすれば、大きな騒動に発展すると危惧し、当局が行動を控えたと見られている。

この日、一日中地区のチベット人たちは誕生日の儀式とその後の宴会を楽しみ、ビデオやカメラの撮影会も行なわれていたという。






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2010年06月14日

ダライ・ラマの仏教講座/TCVホール

2.6.2010 TCV ホールできれば日曜版として昨日載せるつもりだった、仏教シリーズ?の一つ。

以下、6月2日TCVホールで行われた、ダライ・ラマ法王のチベット人学生を対象とした「仏教概論講座」の一部を訳したもの。

法王はこの日、二つの偈を基に仏教を要約して説かれた。

最初の一偈
སྡིག་པ་ཅི་ཡང་མི་བྱ་ཞིང།
དགེ་བ་ཕུན་སུམ་ཚོགས་པར་སྤྱད།
རང་གི་སེམས་ནི་ཡོངས་སུ་འདུལ།
འདི་ནི་སངས་རྒྱས་བསྟན་པ་ཡིན།

不徳な行ないを一つも為さず
徳を円満し
己の心を完全に統御する
これが仏の教え


このお経འདུལ་བ་ལུང་རྣམ་འབྱད།の一節を解説することで、修行の要点を要約された。
(この部分略)
次の一偈に入り、以下のように説かれた。

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ではどうやって心を制御すべきかと言えば。
「縁起の見解に依り、根本から心を制御すべき」と説く。
そこで、

法王སྐར་མ་རབ་རིབ་མར་མེ་དང།
སྒྱུ་མ་ཟིལ་བ་ཆུ་བུར་དང།
རྨི་ལམ་གློག་དང་སྤྲིན་ལྟ་བུ།
འདུས་བྱས་ཆོས་རྣམས་དེ་ལྟར་ལྟ།

現象界というものは、
星や、目の翳、燈し火や、
まぼろしや、露や、水泡や、
夢や、電光や、雲のよう、
そのようなものと、みるがよい。


(རྡོར་རྗེ་གཅོད་པ།金剛般若経・中村元、紀野一義訳)

と、ここに比喩を使って、心を制御する方法が見解の側面から説かれている。
仏教では間違った見解として:不浄を浄と見、苦を楽と見、無常を常と見、無我を我と見るという4つを上げる。この4つは苦しみの因となる。この間違った4つの見解を無くすためには、正しい4つの見解を得なければならない。もっとも、ここでいう無我は粗いレベルの無我だが。何れにせよ、究極的には、すべての現象の自性は空であるという正しい見解を得ることにより初めて実現され得る。

この一偈では空見が比喩をもって示されている。この一偈は全ての仏教学派が共に引用するものだ。だから、それぞれの学派の空観に従い、それぞれ微妙に異なった解釈が行なわれる。この一偈は「金剛般若経」の中にある。

カルマ意味はまず、最初に「星(カルマ)」というは、空に浮かぶ星のことだが、星は太陽が沈んだ後に初めて現れる。そして我々は闇の中にその小さな輝きを見る。しかし、太陽が昇っている間、「星」の姿はない。
このように、我々が自分と他人、善と悪、輪廻と涅槃とかいうも、すべて、分析しないときにはあるように見えるが、分析し、その実際の有様を正しい智によって、その究極の実体を見つけようとすると、見つけられない、求められない。

「中論」(ナーガールジュナ著)の中に「諸仏は二諦に依って、衆生のために法を説く。一つは世俗諦、もう一つが勝義諦」と説かれ、この二つが一つの現象(教え)の二つの側面であると説明される(約教の二諦説)。一方「入中論」(チャンドラキールティ著)の中では「現象の虚実性を見たものは、現象を二つの自性として捉える」と説かれる(約境の二諦説)。正理の分析を受けない時の世俗の自性と、正理智により分析されたのちの勝義の自性というように、ものごとには二つずつの自性があるとされる。

このことを「星」に例えたのだ。正理の分析を伴わない心とは、無明とその薫習(習慣性)に侵された心のこと。そこには様々な現れが生じる。対象は実体的に現れる。空を直接体験する人の無対象の禅定以外の心は、すべて惑わされた心と呼ばれる。無明に侵された心ばかりだ。この闇と等しい無明の中にある心には、世俗の現象が「星」のように、様々な姿とともに現れる。その同じ心という空(そら)に、以前暗闇に「星」が沢山見えていたそこに、存在の有様を正しく分析する智という光が満ちることによって、様々な「星」の現れが消え、自性が消え去っただけの、空性一味の虚空という現れが生じる。「星」に譬えられる概念の現れが消え、空性(トンバニ)の現れが生じる。これが、太陽の光により「星」が消え、一つも見えなくなるという比喩よって現わされている。
「星」というはこのことだ。

ラプリク次の「目の翳(ラプリク)」は、実体論者の以下のような反論に対する答えとして使われる比喩だ。
「星にも色んな違いがあり、我々はそれを識別することができるではないか。心の対象としての現象は対象側から客観的な存在として特別の自相を持って現れるではないか。我々を含めた、実体論者から世俗レベルに実体を認める学派まで、すべて、もの(事物、事象)は真実存在であると主張する。世俗は成立している。ほら目の前にこのように現れ出ているではないか」と言って指で、その対象を指し示したりする。彼らの心は遠い昔からずっと対象が実体的に現れ続けてきたという習慣性に侵されている。そこで「ほら、ここにあるじゃないか」と根拠・基体として指さすものがあると思っている。「対象が自相をもって現れることはずっと前からあたり前のこととして世間に知れ渡っているではないか」という。

これに対し、我々は「対象があちら側から現れているように見えるからと言って、本当に対象側に実体があるわけではない」と主張する。「対象を見る側の心が、無明とその薫習により侵されているから、そのような現れが見えるだけだ」という。もちろん、無明から自由になった阿羅漢の心にも現れはある。これは無明の薫習からまだ自由になっていないので微細な現れがあるのだと説明される。
無明とその無意識の習慣性に侵されている、騙された心には「無明により真如が覆われているのが世俗」と言われるように、現れはあるが、それは、無明に侵された心の上に現れているだけであって、本当にあちら側に何かが有るわけではない。

例えば、それは「目の翳(ラプリク、時に眼病)」により目が侵されている人には、翳が見えたり、髪の毛が降るように見えるのと同じだ。目が正常な人にはその現れはない。
例えば、目にゴミでも入った人には向こうに黒っぽいものが見えることもあろう。向こう側から翳が現れるように見えるが、これは器官としての目に問題があるのであって、あちら側に何かがあるわけではない。眼医者がそのゴミを除けば、その現れも消え去る。物もらいとかになり、目の前に色んな映像が現れることもあるが、眼病が治った後には何の現れもない。このように、ものはあちら側に実体的に存在しているように見えるが、それは見る側の心に問題があってそう見えているだけであり、本当に対象側にものが実体的に存在しているわけではない。

もしも、対象であるものが実体として存在するなら、分析智により、それを探すことにより次第にその姿が明らかとなって行くべきだ。例えば「宝行王正論」(ナーガルジュナ著)の中で「蜃気楼が、もしも本物の水であるならば、近くにいる人に見えないのはどうしてか?」と言われているように、ものに自性(実体・真実存在)があるならば、分析により、近づくことによりその姿が次第に明らかになって行くはずだ。しかし、ものの実体は正理智により分析すればするほどに、ますます遠く消え去っていく。

この「星」や「目の翳」の譬えのように、ものは目の前に昔からあたり前のように現れているが、現れのようにものは存在しているのかといえば、答えはそうではない。ものは自体を持ってあちら側に存在しているのではない。これを「星」、「目の翳」に譬える。
我々にはものは実体的に現れるが、本当には実体はないのだ、自性は空なのだという、否定の面(空の側)が比喩を使って示されている。

次に、対論者が「対象側に実体がないならば、現れているものは一体何なのか? 事物は自然に外界に存在する。良・悪、輪廻・涅槃、自・他などがちゃんと存在し、経験されるではないか?」というならば、「それは因と条件が集まることに依り生じたのだ」と答える。
依って生じたのだ。名付けることに依り存在しているのだという。

例えば、「燈し火(灯明・マルメ)」の如し、と説く。

マルメ「燈し火」と呼ばれるものも、その燃料である油や、芯、芯の周りの空気など、、、オキシジェン(酸素)が無くなれば燈し火は消える、、、というように、良く考えてみれば、「燈し火が輝く」という一つの現象も様々な因や条件に依ることで初めて「現れる」ということが理解される。その原因と条件の一つでも欠ければ、「燈し火」の明かりは消える。

このように、我々には様々な現象がそれぞれ独立のものとして、互いに関係することなく現れているように見えるが、本当には他に依存することなく自体で現れることのできる現象は一つもないのだ。
前にも引用した、「縁起による現れは過(あやま)たぬことと、、、」(ジェ・ツォンカパ著「道の三要素」)と言われるのはこのことだ。
全ての現象は空であるという面を示すために「目の髷」といい、「現れはあるがそれは本物ではない」ことを説き、
「燈し火」と譬えることにより、それでも(それが故に)「因果の縁起により現象は過たず現れる」ことを示す。

全ての現象は「星」「目の翳」「燈し火」、、、次に「まぼろし(ギュマ)」「露(シルバ)」「水泡(チュブル)」の如しという。

まぼろし「まぼろし」というは、、、対論者がさらに「自性がないならば、執着の対象は全く存在しないのか? 人は自然に目の前に現れる対象に対し執着の心等を起こすではないか?」と言えば。

例えば、「まぼろし」と出会う「夢の中」で、怖い人に遭えば、自然に怖くなるではないか。夢の中で相手に怒って喧嘩をすることもあろう。同じように、夢の中で魅力的な対象に出会えば、その対象に執着心を起こすであろう。夢の中のように、その対象に実体がなくても、その仮想された実体に対し執着心を起こすことは実際に起こる。このように、執着の対象には自体は無くとも、執着を起こす条件の一つとなる。これを「まぼろし」と譬える。

朝露「露」というは、「無常」の譬え。
早朝に美しく輝く「露」も、陽が昇るに従い素早く消え去る。
現象は一瞬一瞬変化するという無常の性を持っていると説かれる。

「水泡」というは、現象の「苦」の性格について説明するためだ。
どうして「水泡」が「苦」の比喩になるのか?
水泡は水から生まれる。水の泡は水の性格を負っている。水の自性とともに、水から浮かび出て、再び水の中に消える。現れては消え去る。水から出て水に戻る。このように、我々には苦しみだけでなく、喜び、中性の感覚など、如何なる幸不幸、中性の感覚が生まれようとも、それらは有為の自性として、苦の自性より生まれ、苦の自性の中に消え去る。煩悩の力に左右される限り、汚れた五蘊(身と心)が集積した感受である限り、有為の自性としての苦より生まれ、苦の中に戻る。世俗とはこのようなものだ。

水泡ここでいう「苦」とは、「苦の苦(身体的苦痛)」だけではない。パンチェン・ロサン・チュゲルが「汚れた輪廻の苦しみから逃れたいと思う、、、苦の苦を避けるは家畜にだってある、、、」とおっしゃるように、「苦の苦」から逃れたいという思いは動物にだってある。たとえば、這っている小さな虫をこうして指で押してみると言い、虫はすぐに不測の事態に陥るのではないかと思って逃げようとするではないか。苦しみは厭だと思っている証拠だ。つまり、「苦の苦」を「苦」と認識してそれから逃れたいという思いは動物にもある。
さらに「汚れた輪廻の快感に出離の心を起こすは外道にだってある」。ここでいう快感は快感すべてではなく「汚れた快感」だ。「汚れなき快感」とは永遠の至福のことだ。汚れた幸福感とは業に操られるこの五蘊に関係した汚れたものである。我々が普段「幸福」と呼ぶものはこの「汚れた幸福」のことだ。

この汚れた世俗の幸は何れ、最後には衰え苦しみに至る。水泡は水から生じて、様々な現れを見せるが、何れ水の中に消えて無くなる。このように、偶然のように快感が心に感じられることもあるが、これが生まれる時も有為の苦の自性から生まれ、消滅する時も苦の自性の中に消える。「汚れた輪廻の快感に出離の心を起こすは外道にだってある。有為の自性から生まれたこの五蘊は過去と未来の苦しみの器、、、」と言われるのはこのことだ。第三番目の五蘊の苦(存在の苦しみ)というは、主にこの業の力に左右される五蘊自体について言われる。汚れた五蘊を引きずる限り、苦しみの感覚はもとより幸福な感覚でさえ、苦の自性より生まれ、苦の自性の中に消え去るしかないのだ、と説かれる。

「星」、「目の翳」、「燈し火」、「まぼろし」、「露」、「水泡」と次に「夢」や「電光」や「雲」の如し、と言われるは、
我々の執着の対象を三時(過去・現在・未来)に分解し、それぞれを「夢」、「電光」、「雲」に譬えるのだ。
三時に分解するとは、、、、過去というのは、例えば今10時10分として、これ以前を過去と呼ぶ、、、、
(以下、続きはまたの機会に)
参考:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2009-11.html?p=2#20091101







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2010年05月28日

サカダワ・15日目のダラムサラ

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa写真はダラムサラ・ツクラカンの本尊であるサンゲ(シャカムニ・ブッダ)。亡命初期、60年代に造られたもの。

昨日はサカダワの中日、満月・15日目。
チベットではこの日にシャカムニ・ブッダが、生まれ(降誕)、悟り(成道)、亡くなった(涅槃)ことになっている。
これは上座部仏教系のタイ、ビルマ、スリランカその他の国々と同じだ。
これらの国々でも「古代インド暦でヴァイシャーカ月の満月の日」にウィッサカ・ブッシャー(仏誕節 )というお祭りを盛大に祝う。

チベットを含めインド起源の言い伝えを守る国は、この日に三つの目出度いことが起きたと信じる。
一方仏教が一応伝わった中国ではいつのころからか、違う話が作られた。
それを受けて、日本や韓国では釈迦様の誕生日は4月8日とされ「花まつり」として祝うしきたりが生まれたようだ。
ちなみに日本では成道会は12月8日、涅槃会は2月15日。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaダラムサラのサカダワは朝4時に始まる。
ツクラカンに僧侶、尼僧、俗人が集まり「テクチェン・ソジョン」が行われる。
「ソジョン」とは受戒したチベットの僧侶・尼僧であれば毎月一度、満月の日に必ず行わねばならないとされている「懺悔し、戒を修復し、善について学ぶ」機会のことだ。
「ソ」は「(戒を)修復する」で「ジョン」は「(善を)学ぶ」。

僧侶たちには毎月ある、この素晴らしい機会だが、俗人にはこの機会は形式上は年に一度だけ、この日にしかないのだ。
(本来、仏教徒は日々の行いを毎夜反省し、その日に戒を改めるべきなのだが。
戒を修復するには、再び戒を取り直すと言う手もある。ダラムサラでは、このような機会を法王が年に何度も作ってくださっている)

「テクチェン」とは「大乗」の意味。大乗教徒の俗人は、人それぞれ5戒、10戒、菩薩戒などを守ることになっているが、昨日の朝「テクチェン・ソジョン」を受けた人はその上に「午後食事をしない(一日だけ)」が足される。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaツクラカンで「ソジョン」が終わったころから、法王の住居とツクラカンを巡る、コルラが始まる。

ダラムサラのコルラ道の中間点、法王の住居に一番近い場所は「ラゲリ」と呼ばれる。
ここには、チベットを守るとされる「パルデン・ラモ」と「ネチュン」両護法尊がまつられ、大きな香炉が2基、仏塔が4,5塔ある。
大きなマニ車が二か所にあり、その間には小さなマニ車が続く。
法王の住居にかけて、無数のタルチョがかけられている。

ここはちょっとした広場になっていて、毎朝ここにお経好きのチベット人たちが集まり一緒に一連のお経を上げる。

この日は、議会副議長を始めとする亡命政府の役人や政府外団体の代表などもここに集まり、長いお経を上げていた。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaその後、いよいよ、「ソソ・タン」とか「ラギェ・タン」と呼ばれるツァンパ投げ上げ大会が行われる。
これはおそらく仏教以前のボン教時代から行われていたと思われる儀式で、神々にツァンパで象徴される供養物をさし上げるというものだ。

右手に手のひらいっぱいのツァンパを載せて、全員で声を合せて次のように叫ぶ、

「ソ〜〜〜 ソ〜〜〜〜 ソ〜〜ケケ ソソ ラギャ(ェ)ロ〜〜〜!!!!」

この最後の「ラギャロ〜〜〜」はチベット独特の雄叫びであり、この雄叫びと同時にツァンパを勢いよく宙に放り上げる。

もちろん、その後降って来たツァンパで全身白くなる。
そうなった者同士でその様をみて笑いこけるというわけだ。

敢えてこの掛け声を訳せば「さし上げよう、さし上げよう、さし上げよう、神々よ、うけたまえ、神々よ栄えあれ(神々の勝利を)」のようなものか?

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの日、コルラの沿道にはびっしりインドの乞食が張り付く。

写真は前の日の夕方、コルラのそばで夕食の準備をする自称乞食たち。
家族総出で遠くからこの日のために駆け付けたのだ。
夕食後、そのままそこで寝る。

遠くからわざわざここまで来る甲斐が十分あるのだ。

チベット人たちはこの日に正しい動機のもとに為した善業は何十万倍にもなると信じているので、普段乞食に金を上げない人もこの日には大判振る舞いをする。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa相手を選んで金をやる、と言う人もいるであろうが、普通この日にはすべての乞食に平等に配るという人が断然多い。
だから、数がものをいうので乞食は家族総出で押し掛ける。
一人1ルピー(2.4円)づつ配る人が多いが、中には一人5ルピーとか10ルピー配る人もいる。僧院等がこれをやる。

ラモ・ツォも朝パンを売った後、チュバに着替えてコルラを始めた。
一人1ルピーづつ配っていた。
最後に「何人に配った?」と聞くと、「1500人ぐらいだ」とのこと。

一人10ルピーづつ配った人は15000ルピーの出費だ!
これが、数十万倍されるとすれば、、、、??

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa中には、子供が多いということで、アメを配ってる女性もいた。

この人は、子供にやった金は親に横取りされるであろうと思い、直接子供を少しでも喜ばせたかったのであろう。

















27.5.2010 Dharamsala Sakadawa












27.5.2010 Dharamsala Sakadawa一人1ルピーづつ配るには両替しないといけない。
両替は乞食の許で簡単にできる。









27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの日にはコルラを五体投地しながら回る人も見かけられる。
人によりその回数はまちまちのようだが、夜中から初めて10回以上回る人もいると言う。

一人の若い尼僧がこれを行っていた。





27.5.2010 Dharamsala Sakadawa


























27.5.2010 Dharamsala Sakadawa
























27.5.2010 Dharamsala Sakadawa写真に写ってるタルチョ(の一種)は2008年の夏「東中野のポレポレ座」で一カ月半に渡り続けられた「チベットを知る夏イベント」(ルンタ・プロジェクト主催)の開催中に、有志たちにより作成された「フリー・チベット・タルチョ」の一部だ。

何十枚となく描かれた、これらの「フリー・チベット・タルチョ」は今、TCV等の学校やルンタ・レストランに飾られている。


27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの一枚のタルチョは、イベントの実行委員でもあり、最初から終りまで一生懸命に働いて下さった、イラストレーター・絵本作家沢田としき君が描いて下さったものだ。

彼の描いたこのタルチョにはその時の会場の様子が描かれている。
壁には沢山の「チベットの子供たちが描いた絵」が貼り出されている。
これを見るとあの時のことがありありと思い出される。
そして、沢田としき君という、今はもういない、とてもとても優しかった男を思い出す。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa彼は若くして、白血病と戦う長く苦しい闘病生活の末、4月27日帰らぬ人となった。

こんなにいい人が何でこんな目に会わねばならないのか、、、と誰でも思わずにはいられないほど心の清い人だった。

彼はこれまでアフリカの子供たちを助ける活動を中心に行っていた。
でも、2008年からはチベットの子供たちにもやさしい目を向けてくれていた。

このブログをご覧の方は、是非、以下のサイトにアクセスし、としき君の作品や文章を読んで彼のあたたかい世界を味わって見てください。

http://blog.livedoor.jp/pintor_toshiki/


27.5.2010 Dharamsala Sakadawaラモ・ツォもラゲリで五体投地を行った。
パン作りで肩が鍛えられているのか、やたら動きが素早かった。






















27.5.2010 Dharamsala Sakadawa最後におまけ?
(チベット・インド美人コンテスト?)

この日、ツクラカンからマクロードの街に帰ると、路上に人が群がっていた。
何だかな?と思い中を覗くと、そこではインド映画の撮影が行われていた。
と言っても、その時は、ただ何度も女優と思えるインド女性が道を行ったり来たりするだけだった。

写真に写ってるのは映画のヒロインらしいインドの女優さん。
私はボリウッド映画に詳しくないので彼女の名前はわかりません。
誰か詳しい人がいれば教えてください。





ダライ・ラマ法王はアメリカ訪問を終えられ、インドのデリーに一昨日到着された。
昨日はビハール州・州知事の招待を受けデリーからパトナに飛ばれた。
そこで大きな仏塔のある「ブッダ公園」の開園式に臨まれた。

その後、ダラムサラまで飛ばれ、午後4時ごろダラムサラにお帰りになった。

アメリカ帰りの時差ぼけの上に、50度近い猛暑のパトナで式典に参加されるとは、ちょっと普通の人には真似できないでしょう。
法王の随行員もほんとたいへんよね。





































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2009年11月16日

バンガロールの野鳥 その二

Little brown Dove 27cmLittle brown Dove 27cm
野鳥は引き続き南インドは、バンガロールに建設中の「ダライラマ大学(略称)」の敷地内で撮影したものです。

この小型のハトは現場のいたるところにいました。
ダラムサラ辺りでは見かけないハトです。
グラデがかったすべての色が何とも言いようもなく美しい。
首にはチェスボードデザインの襟巻き。
スタイルも抜群です。
鳥に比べると人間などは裸になるとまるで色気がなく、毛も無く、格好が悪い、立って歩くやせ気味のブタにも似た生物です。
(外観だけを相対的に比較すればの話)


昨日からオバマ大統領の中国訪問が始まりました。
東京訪問中には代表事務所が先導して?オバマ大統領に「(中国に行ったら)人権とチベットの事を忘れないように」と、在日チベット人と日本人サポーター約50人が訴えたことがパユルにも記事になって載っていました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25962&article=Japanese+and+Tibetans+Remind+President+Obama+Not+to+Forget+Human+Rights+and+Tibet
この集会に参加された方々ご苦労様でした。

Brahminy Kite 48cmBrahminy Kite 48cm
小型の鳶の一種。上半身が白、下半身と羽根の前方がこげ茶、後ろの方が赤茶色。
この鳶もダラムサラでは見かけないタイプです。

ーーー

オバマ氏の中国訪問を前にして、チベットで新たなデモが発生しないとも限らない、と警戒した中国当局は警備体制を一段と強化しているというニュースが入っています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25964&article=China+tightens+control+on+Tibetans+ahead+of+Obama+visit

アムド、アバ地区からの情報によれば、いたるところに検問所が新たに設けられ、チベット人は全員身分証明書をチェックされ、また、ネットや電話の監視も強化されているそうです。

Painted Stork  93cmPainted Stork 93cm
この写真だけは現場でなく空港へ行く途中の道路わきの大きな湿地帯で撮ったものです。
ペリカンとも思えた大きなサギが3羽、もう一種の青み掛かったサギが3羽写っています。青い方は判別できません。

ーーー

上のアムドの情報を伝えてくれたのは、ダラムサラのキルティ・ゴンパの僧ツェリンです。彼のところにはアムドにいくつかあるキルティ・ゴンパから情報が集まってくるのです。

今年2月27日、中国政府へ抗議するために焼身自殺を図ったキルティ・ゴンパの僧タペーに関する情報を伝えたもの彼でした。

その後、この僧タペーに関する情報を外国に流したとして僧ジャミヤン・プンツォックが3月3日に逮捕されました。
この時のエントリーは以下
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51195700.html

ツェリンの元に最近そのジャミヤンの家族の話が伝えられてきたという。

話と言っても、家族は「逮捕以来、今まで何の消息もない。もうほとんど望みもないとだろうと思っている」と悲しい話をしただけとのこと。

White-throated Munia 10cmWhite-throated Munia 10cm
小さなスズメ科と思われる「ムニア」のカップル。
鳥類においては、オス・メスの外観がほぼ同じというカップルほど(案外?)末永く仲良くするそうです。
上嘴だけとほっぺが水色なところが特徴です。

ーーー

鳥社会から見れば人間社会はさぞとんでもない社会でありましょう。
鳥同士が戦争して殺し合ったという話は聞いたことがない。
鳥は特に危険な状況に遭遇しても、いつでもすぐに飛び去ることができるので本気で闘うなどということは鼻から考えない。
遊びに追いかけごっこをするぐらいだ。
もっとも鳥も巣を構えているときには戦いもあり得よう。
でも、あくまで個体レベルの戦いだ。

刑務所もなく、
拷問とかもない。
法律が無くても、家が無くても、身一つでちゃんと生きてる間は、
楽しく元気に過ごす。

Red Munia  Male/Female 10cmRed Munia Male/Female 10cm
同じく小型のスズメ科の「赤ムニア」。
両翼以外真っ赤なのがオス。背中がグレーで胸が白というのがメス。
どちらも羽に白い斑点がある。

ーーー

鳥(動物の代表として)から見れば人間社会は嘘で固めた虚妄の世界。
もちろん、鳥などにも現象を実体視するということは本能的感覚レベルにはあるのですが、人間にはこの本能的感覚レベルの上に概念レベルの嘘が二重に加わります。
この根本レベルの嘘も問題ですが、実際には世間では所謂「世俗レベル」の嘘が問題の元になることが普通です。
仏教では真理を「勝義(究極)の真理」と「世俗(仮)の真理」に分けた後、「世俗の真理」をさらに所謂「本当」と「嘘」に分けます。
この基準は簡単に言えば「実証に耐え得るかどうか」ということです。
基本的に現代の実証科学の考え方と同じで、2000年以上前の先取り。

unknownこの子は現場でしばしば見かけたが図鑑には見当たらない。14cmぐらいの小型で丸っこい黒い鳥。
しっぽを上げて白いバックを見せながら踊ります。
顔や羽に白い小さな斑点があります。

ーーー

世俗レベルでは2008年3月のラサ蜂起で中国が「200人殺した」のに、「20人しか死んでない」というのは嘘です。
他国の領土を新しく「盗った・侵略」したことを「いや、そこは昔から自分の国の一部だった」ということも嘘です。
「リンカーン大統領が黒人を解放した」ように「毛沢東がチベット人を解放した」というのも普通の世界では嘘です。

もっともこれらを当たり前に「嘘」だと常識的に思うのはチベット人や普通の西洋人だが、問題はこれらすべてが普通の中国人には本当だということだ。
そう教えられている。
双方ともに、第三者は自分で事実を調べることが許されていないから、実際には反証は難しい。
しかし、こういう場合は一般に調査を妨害する側が「嘘」を言ってると判断される。

人は知ってる情報を基に行動する。
その情報が嘘か本当かに関わらず。

Bush Lark 15cmBush Lark 15cm
小型のヒバリ。

最近は自分たちの若いころと違って、「何となく人類の明るい未来」が描けるという時代は終ったようだ。
世界終末破壊映画も流行ってるとか。
結局、金を持った人間どもが、辺りかまわず威張って好き放題にしてきた因果が巡って来るという当たり前の状態を全員が味わうというわけだ。
特に貧しい人々からその犠牲となるのは哀れだ。

温暖化問題も中国がこの体制を維持する限り望み薄だ。

今の中国共産党政権はダライ・ラマ法王のアナチャル訪問を許可したインドに対し「1962年の戦争を忘れたのか?本気にやる気か?」とか、アメリカには「リンカーンのお陰で大統領になれたオバマ氏ならチベットが解放されたことを喜ろこばないはずがない」とか平気で言う政権だ。
温暖化どころかもっと熱い戦争だって想定内と思った方がいい。

unknownスパイダーマンのモデルになったという蝶?

無責任に未来予測、特に暗い予測をすることは好きでないが、このまま中国の経済力、軍事力が自然に増大して行けば、直接的脅威のみにとどまらず、その共産党文化とも化した、利己主義、嘘、悪智慧、残虐性等も世界に益々増大していくと考えられる。
もっともこれはこのまま道徳観0、協調性0の独裁圧政政権が続けばという話だ。

オバマ氏は昨日上海で若者との対話集会を開いたはずだ。
アメリカ側が今回特別にリクエストした集会だ。
アメリカは中国のテレビでこれをライブ放送することをリクエストした。
もちろん中国はこれを断った。
そこでアメリカはネット上でこれをライブ公開したという。
私は残念ながら見てないので、何ともいえませんが、まずはオバマ氏が中国の若者に対し何を話したのかが気になる。
オバマ氏だってそこに参加している若者とかはすべて共産党の政治的チェックを受けた者たちであり、質問はすべて共産党の用意したものであることは承知の上であろう。
そんな、劇を強制された若者を前にオバマ氏は何を語ったのか?
見たかった!

現場のトカゲ爬虫類のある者が「空を飛べたらな〜〜〜」と強く思い始め、何百世代もかかってじょじょに翼を獲得し、ある日、本当に空を飛べるようになった。
すべての行動の前には(実体的)意思がある。
意思の前には(実体的)認識がある。
認識の前には(実体的)感覚がある。
感覚は対象の実体視より起こる。

結果実体のない翼によって空性の空を飛べるようになる。














現場の花南インドの花。

ネット上では、中国の学生がオバマ氏に「カルフォルニア州を何時中国に割譲するつもりか?」と聞くなどして遊んでいるようです。
「台湾も、アナチャルももちろんいただく、時期を待ってるだけだ」というのもある。 
中国の世俗には「本気の嘘」とか「嘘の本気」とかいろいろあって何重にもこんがらった得体のしれない言葉が充満しています。


大学の第一期生チュバを着る彼女たちはこの{ダライ・ラマ大学」の第一期生。
一期生は教育学部のみで全部で80人。
内20人が男子とのこと。

ここの生徒は中国の学生に比べればそれはもう自由です。
近々ここを訪問するカルマパに何を質問しようかと、キャアキャアもので相談していました。







バンガロールの街中でバイクに乗る記者二人バンガロールの街中。プレス・バイクに乗る極めたインド人記者二人。
サングラスの二人が記者で、後ろの二人は歩いているイスラム教徒の女性です。
パーセンテージは知らないがとにかくこの辺にはイスラム教徒が多い。
その数は増える傾向にあるという。

ダラムサラでは先週初めから「チベット亡命政府のオフィシャル・テレビ・チャンネル」が開設されました。

連日法王のかつてのティーチングやら記者会見等が流されるので非常に重宝しています。

ダラムサラ・デリー間を飛ぶプロペラ機ダラムサラ・デリー間を飛ぶキングフィッシャー社のプロペラ機。


そのテレビで昨日法王の3月暴動直後の記者会見が流されました。

法王はその中で、いつものことですが、「中国は真実を見ないといけない。真実を基に話合えば、問題は数時間か数日で片付く」とおっしゃっていました。

世俗においてさえ真実を見るということは、これほど難しいということです。
法王はこの原因の始まりは中国地方政府責任者たちの「恐れと不安」からくる虚言癖にあるという。













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