ティーチング

2009年11月25日

法王のロシアグループ向けダラムサラ・ティーチング

24.11.09 Dharamsala Tsukulakan昨日の午前と午後、今日の午前中法王はみっちり法話を行われました。
全くいつものようで、疲れたご様子もなく、過不足なく、淀みなく、すべてを説明されました。

今日の午後はロシアグループとの質疑応答が行われています。

ここで、ロシア仏教徒グループと呼ぶ人々は正確にはロシア語圏の人々でして、
もちろんモスクワ辺りから来られている人もいますが、主には外モンゴル、ブリアート、カルミックの人が多く、その他トゥバ、アルメニア、カザフスタン、ウズベキスタンからも来られています。
総勢750人とのこと。

これらの国や地域はかつて共産党政権のもとで仏教は程度の差はあれ弾圧され、衰えてしまっていた地域です。
法王はこれを「リバイバルさせるために教えを説くのだ」とおっしゃいました。

最初にロシア語の般若心経がロシア語グループ全員で読み上げられました。
法王は感慨深げにこれを聞いておられました。

これらの地域にはもちろんモンゴル帝国の時代に仏教が広まり、最初はサキャ派の影響が多かったものの、その後今に至るまでデブン僧院系のゲルク派の教えが主に伝わっています。
こんな事もあり、ジェ・ツォンカパのテキストが二つ選ばれたのです。

昨日の午前中はテキストはなく、言わば21世紀の仏教徒の在り方のような話をされました。
面白い話も多かったのですが、、、いつかまた。

午後はジェ・ツォンカパの「テンデル・トゥパ(縁起讃)」を解説されました。
ジェ・ツォンカパもナーガルジュナも法王も仏になぜ帰依し、なぜ讃えるのかといえば「縁起即空、空即縁起」を説かれたが故に、と答えるのです。
二時間以上みっちり空の話でした。

今日の午前中「ラムツォ・ナムスン(悟りへの三つの要点)」を一時間ほど講義され、引き続き明日のヤマーンタカの潅頂の準備に入られました。
最初「十三尊ヤマーンタカ(ヤブユム)」の潅頂と告知されていたのですが、昨日「一尊ヤマーンタカ」に変更されました。

ヤマーンタカは文殊菩薩の憤怒形ということで、この行を行なえば、まずは内外の修行上の障害を取り除き、次に空性理解を大いに促進させるために役立つと言われています。
ゲルク派が特に好むデイティーです。

みんな、赤いお守りをもらい、夢判断のためのクッシャ草を揺らしながら帰って行きました。
モンゴル系の人々は色白で丸顔、太り気味が多い。
民族衣装も似合ってて、クッシャ草を嬉しそうに立てて歩く姿は非常に愛らしいのでした。

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25.11.09昨日のなんちゃって「リビュークラス」を終って、感じたことが一つあります。

復習クラスと言ってもここでは仏教の話と言えば、慈悲と空の話、今日は特に空の話が多かったので、乏しい理解を基に三時間以上も自分では熱心にできるだけ少しでも解ってもらおうと話ました。
中に一人浄土真宗の若いお坊さんがおられました。

そのお坊さん「ビベーカナンダがおっしゃっていましたが仏教もヒンズー教の一部なんですね」
私「そうね、ヒンズーの人たちはそう言いますね。でも仏教徒はそうは言いませんね。今日も法王がおっしゃっていたように哲学的教義が全く違いますしね」

お坊さん「我(アートマン)が凡(ブラフマン)と一体となる(凡我一如)ことが縁起なんじゃないかと考えるんですが」
私「????アートマンとかブラフマンを否定したのが仏教じゃないでしょうかね?
また縁起という言葉は仏教の概念でヒンズー教の実在論からは発想できないものじゃないですか?」

お坊さん「仏はアートマンや神を否定してないんじゃないですか?」
私「明らかに否定したのです。その実体論、永遠論を否定したのです」

お坊さん「実体?」
私「ええ、空は無自性とも言いますが、、、」

ここでお坊さんはその言葉「無自性」を書こうとして間違う。

と、と、と、つまりこのお坊さんは「実体」とか「自性」とかの言葉も聞いたことが無かったという風なのです。
実際このお坊さんは浄土真宗だったので、浄土真宗は「般若心経」も読まないそうだから。空のことなど考えたこともないらしかった。
「自分はヒンズー教に近いように思う」とおっしゃっていましたが、それは普通の人はみんな実体視しかないから、仏教徒でないことは確かでしょう。

チベット仏教も仏教ですから慈悲を中心にした方便の話をします、行の中心です。
ですが仏教を勉強するとなるとその中心は「空」なのです。

ゲルク派の教学システムでは数年間の基礎論理学、知覚論、認識論などを学んだあと5.6年間「般若学」を学びます。空論前期課程のようなものです。
その後本格的に「中観学」を数年学ぶ間に空観の微細な差まで学びつくします。

僧院に行かなくても法王のお話は常に半分は空の話です。

今日は法王「本当には帰依や出離のためにも空の理解がいる」とおっしゃいました。

だから、馬鹿な私でも人に何となく説明できるぐらいには空の事を知っている。
ここでは、仏を讃え帰依するのは仏が縁起・空を説かれたからだと教えられる。
私もそうだ。
(実体的)浄土を作ったりされたからではない(そんなもの(実体的浄土)はもちろんないが)。

教え(の質)が違いすぎる。

日本はインドから遠すぎたのだろうか?
日本に一体仏教が伝わったことがあるのだろうか!?
何て大げさなふざけたこともふと考えたりしました。
もちろん空を深く理解されてる学者の方々も大勢いらっしゃるし、
他の派の僧侶の人々では事情が違うのかもしれません。


そんな日本に一時帰国するため明日潅頂を受けた後、ダラムサラを発ちます。












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2009年11月23日

明日から再び法王のダラムサラ・ティーチング

8987e11e.jpg法王は昨日デリー近郊で行われていた「Hind Swaraj Centenary Commemoration International Conference インド独立運動100周年記念国際会議」に出席されました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26052&article=I+am+a+son+of+India%2c+Dalai+Lama+says+at+Gandhian+event

会議の趣旨は「ガンジーの提唱した非暴力による自治(独立)獲得運動を世界中に推進させる」こと。
会議には18カ国から100人以上が参加者した。

会議中の法王の発言の幾つかを紹介します。

この世界的運動と位置づけられる「ガンジー主義運動」の提唱者の一人になってほしいと要請された時、
法王は「あなた方がリーダーだ。私は単なる弟子だ。インドの学生に過ぎない。あなた方がボスだ」とガンジー主義者の長老を前に話され
「そう、そう、あなた方が素晴らしい仕事をされていることを私は非常に喜んでいる」と続けられた。
また「インドは宗教間の調和を実現している国だ。インドには実に様々な宗教的伝統を実践するコミュニティーが存在する」と指摘され、

「私の身体はチベットだが、心はインドだ」と坊主頭を指さしながら語られ、
「チベットの仏教文化はインドから来た。私はインドの息子だ」

「インドは非暴力を輸出し過ぎたので今のインドにはこれが不足してきたのだ。
それは例えば仏教がビルマ、タイ、スリランカ、日本、韓国、中国にチベットにと輸出されて今ではインドの中ではほとんど消えかかっているようなものだ」
とコメントされたとか。

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ガンジーを生み、称賛するインドと毛沢東を生み、称賛する中国。
これからの21世紀いやでもこの二国が台頭する。
インドに頑張ってもらわないと、との思いは法王ならずとも良識ある人なら誰でもが願うところでしょう。
指食わえ政策まい進中の日本は他力本願の精神に則りインドを応援すべきでしょう。


法王は「現在アメリカ訪問中のインドのマンモハン・シン首相との会談でオバマ氏がチベット問題を必ず議題に載せてくれると信じる」と話された。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26047&article=I+don't+want+to+escalate+tension+between+India%2c+China%3a+Dalai+Lama


で、法王はやっと今日午後1時半ごろダラムサラにお戻りになられました。

明日からのティーチングには変更がでて、なんと二日を三日にするとか!
全く何でそこまでサービスするのか、と言いたくなるのです。

それも、最初の予定では軽く午後だけという話だったのに、今日伝わった話によれば、まずテキストが変更され、アティーシャの「菩提道燈論」からジェ・ツォンカパのこの前日本でも講義された「悟りへの三本柱(三つの要点・ラムツォ・ナムスン)」と同じジェ・ツォンカパの「縁起讃(テンデル・トゥパ)」ということになりました。
潅頂は変わらす、「十三尊ヤマーンタカ」です。



予定は:
24日 9:30〜10:30 一般仏教講義
     13:00〜15:00 上記二本のテキストの講義

25日 午前中 法王自信の潅頂準備(ドゥプシャク)
    午後  ロシアグループとの質疑応答

26日 8:30〜 ドゥプシャクに続き実際の潅頂

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今回は残念ながらマリアはここにいないので、日本語通訳はありません。
ただ、頼まれで私ごときがティーチングの後に「りビュークラス」を開きます。
熱心な方だけ、期待しないで、だまされたつもりで、まずは24日の夕方5時にルンタ・レストランにお越しください。










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2009年10月25日

10月21日、22日の法王ティーチング

21.10.09 ツクラカンでのティーチング写真は「苦しい時の三つの対処法」について指を使って説かれる法王。

先の10月21日と22日に行われた法王のティーチングの続きについて報告しようと思いつつ今日まで機会を逃していました。

簡単な報告とともに、法王のあるお話を紹介します。

21日の午前中は質疑応答でした。

最初の質問は「チベットには主な四つの宗派があるが、どれか一つを選ぶべきか?」

法王は様々な体験を話され、「私は前半生ゲルク派一辺倒であったが、後半生には様々な他の派から教えを得た。どっちがいいと思うか?と言われ、最後に「すべてを学ぶにこしたことはない。すべて役立つ。無宗派が一番と思う」と答えられた。

次に「法話を聞く間に眠くなった時はどうすればよいか?」

法王「Enjoy yourself!(気持ちよく眠ってください)、、、でもいびきはかかないように、、ヒヒヒ、、、」

次「苦しい時にはどうしたらよいか?」

法王はもちろんここで様々な方法を説かれましたが、

要点は3つのレベルで考えよと:

1、問題の原因は自分の過去のカルマによるものと知って、他人を決して非難しないこと。

2、サンサーラの不完全さについて考えよ。生まれて死ぬまで、常に何らかの問題は起こるもので当たり前と知れ。 根本の原因が完全に取り除かれるまでは苦を味わいつづける。

3.自分の問題、苦しみを例に世界中の60億の人々の苦しみを思え。
自分が苦しむことによりすべての有情の苦しみが少しでも軽減されますようにと考えよ。(トン・レンの行)

と説かれた後、以下の話をされました。

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昨年2008年3月10日の午後。
この日は我々チベット人のある記念日だった。
昼食を終えた頃、ラサからの情報が入った。
ラサのある地区で人々がデモのために動き始めたと。
それを聞いて、すぐに私の心は不安に襲われた。
それは1959年の同じ日に味わった不安、無力感、絶望と全く同じものだった。

私は意図して瞑想に入った。
分析的瞑想だ。先に説明したように、一方に侵略者、一方にその犠牲者を観想し
意図的にこの問題を作り出したものたちに対し慈悲を喚起した。
そして、トン・レン(送り出し・引き受ける)の行だ。
まず彼らの恐怖心、怒り、無明を自分に引き受ける。
そして、自分の慈悲の心、寛容の心を彼らに送り与える。

もちろんこれはただの観想だ、実際には何の助けにもならない。
しかし、感情レベルでは大いに助けとなる。
心の平安を保つために。

だから、困難、苦しみに出会ったときには
自分のカルマとサンサーラ(輪廻)一般について考えよ。
また同じような苦しみの中にある人のことを考え、その人たちの苦しみが自分の苦しみによって軽くなるようにと願うことだ。

でもここで、知らなければならないことは、寛容や慈悲を敵に適用するということは、彼らの不正な行為に目をつむるということではない。
ここで、区別しないといけないのは行為と行為者だ。
行為者については慈悲の対象になるに十分な理由がある。
行為については、不正な行為があればこれに反対すべきだ。
この不正な行為に反対することは実際彼らを助けていることになるのだ。
クリアー。

もしも、その不正な行為をほっておくならば、その悪事を続けることで彼らは必ずその悪い結果を味わうことになる。
だから、もしも止めさせることができるなら止めさせなければならない。
仏陀の前世譚の中にも例がある。
だから、ある人は慈悲の行とは従属することだというが、前にも言ったように、慈悲の行者は必ずしも「YES MINISTER(イエス・マン)」ではないのだ。
ヒヒヒ、、、前にも言ったろう、、、

これは大事なことだ。
日常生活の中で、あなたの慈悲深さを利用する、ずるい人がいないとも限らない。
そのようなときには、状況を分析せよ。
それが実際に不正な行為なら必要な対策をとるべきだ。
その行為者に対する憎しみの心無しにだ。
行為を憎んで、行為者を憎まずだ。
これが大事な要点だ。


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その他「ラマは一人に決めるのがいいのか?」

法王「資格のある立派なラマなら1000人いたっていい。でも資格のないラマならいない方がいい」

最後の質問「世界平和に仏教はいかに貢献できるか?」

これに対してはもちろん法王は長〜〜い答えをされました。
いつかにします。


午後は「ロジョン」のテキストに入られました。
この「ロジョン」についてはポタラカレッジのゲシェ・ソナム先生が詳しく解説された本が日本語で出版されています。

法王はここで主に大小乗に共通の行である「37菩提行」について解説されました。

次の日22日最終日は午前中だけ。
初めに「文殊菩薩の潅頂」をみんなに授けられ、その後大急ぎで「ロジョン」を終えられた時点で11時を過ぎていた。
最後に残ったジェ・リンポチェの「ラムツォ=〔菩提への〕道の三種の根本要因」をスピードに乗って30分で講義されました。

この「ラムツォ」は10月31日に法王が東京でも講義される予定のテキストです。
「以下にアクセスして福田先生の訳を前もってよく読んで予習しておくように」と石濱先生もおっしゃっています。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/yfukuda/Tibet/lam_gtso_rnam_gsum.html

道の三要素とは「出離、菩提心、空性の正しい理解」。

その内、

「また〔すべての存在が単なる〕現れ〔にすぎないと理解する〕ことによって、唯物論的固執を斥け、
〔すべての存在が〕空である〔と理解する〕ことによって、虚無論的固執を斥け、空性が
原因と結果(=縁起するもの)として現れる様子を知るならば、
一方的に固執する哲学的見解によって捕らわれることはなくなるであろう。」

が理解の要点です。
ここで法王は中観帰謬論証派独自の空性理解について説かれるはずです。
「現れ(にすぎない)ナンワ・ツァム」がキー・ワードです。

もっとも、今回のティーチングではこの部分を読まれた後、「すべてバイバイ!バイバイ!ってことだ。ハハハ、、、」と一言で終られました。















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2009年10月20日

今日から再び法王のティーチング

20.10.09 ダラムサラ、法王ティーチング 1今日から三日間のティーチングはベトナムを中心とする東南アジア諸国のリクエストで行われます。
このケースはおそらく今までに無いことでしょう。

最初にベトナム語での般若心経読経が行われました。
「アムヤ〜〜〜!、、、」と始まり何ともいえぬエキゾチックな節まわしで興味深いものでした。











20.10.09 ダラムサラ、法王ティーチング 5法王は突然、英語で講義を始められた、
曰く「今日の講義をするにあたり、ちょっと言語上の問題が起こった。
シンガポールとホンコンの人たちから英語で講義してほしいとリクエストがあった。
どうも、彼らは私の英語の能力を試験したいみたいだ。
弟子が先生に対し試験をするというのは良くないことだ。ヒヒヒ、、、、

ともあれ、普通の話は英語でも何とかなるが、仏教の哲学的説明になると私の貧しい英語ではおぼつかない。
仏教哲学まで「Poor・貧しい」ものになってしまう。
だからその部分はチベット語でやることになろう」と。

ということで、今日はほぼずっと英語でした。
なぜか、英語になるとぐっと内容が一般初心者向けに解りやすくなる。
ですから、今日以後三日間のティーチングは英語が少しでも解る方は是非ともなれべくすべて聞いていただきたい。
ライブでなくてもいつでも、ダウンロードなどすれば電車の中でだって聞くことができるのです。
http://www.dalailama.com/page.288.htm

実際、なぜネット上に日本語版がないのか少し不思議なぐらいです。
ちゃんとライブで訳されているのです。
どなたかマリア様にリクエストすればいいのではないでしょうか?
ただ、遠慮してるだけと思いますから。

今日の「四つの真理(苦集滅道)」のお話は、繰り返しますが非常に丁寧で解りやすいので内容は各自がアクセスして聞いてください。

法王は何度も「拝んだり、祈願したりばかりが仏教じゃない、本当は批判的態度で仏教を勉強し、分析し、何度も考え、自分の経験に照らし、納得を積み重ねること、これが大事だ。勉強することだ。苦しみは知らないことからおこるのだから」とおっしゃっていました。

20.10.09 ダラムサラ、法王ティーチング 3写真は珍しいルーマニア・グループ。「法王は80人〜90人ルーマニアからさえ来ている」と最初に嬉しそうに指摘されました。


これからしばらくすると法王が日本を訪問されることになっていますが、本当は別に会場に行くことが目的ではないはず。
法王のお顔を拝みに行くことが目的ではないはず。
法王の話の内容を理解することが目的であるはずです。
法王の教えの日本語訳も沢山出ているわけですし、今では英語でよければほぼ年中、雨や嵐のごとくに法王の教えを聞くことができるのです。

「空」とか最初は難しそうに聞こえる部分もあるかもしれませんが、ある程度何度も聞いた後、時間を作って(これが一番難しい!)、よくよく本気に考えてみることです。
はっきり「このことだ」(必ずしも中観帰謬論証派でなくてもいいから)と解るまで少しは努力していただきたい。

もっともその前に「苦」の認識が無いと効果が期待できません。
この方が今の日本人には難しいのかも?

第一、「楽」は「苦」を前提に成り立つ、相対感に基づく「感覚」に過ぎないし、「解放」は「束縛」あっての話だし、「空・ない」も「実体・ある」が認識されないと話にならないというわけです。
だから、もちろん「空も空」です。
すべての現象は「空」だから「空」も「空」の仕事(誤解を消すこと)ができるのです、、、となんだか「控控さん」になってしまっちゃった!

まずは(難しい)密教は後にしてもいいから、というか「空を(体験レベルでなくとも)最低の知的理解さえないものには「密教」も言葉のみだ」と法王が繰り返し説かれるように、本当の仏教徒になりたければ苦しみを解くカギ「空」にまずは興味を持ってほしいと思います。

今日は生意気なことばかり言ってすみません。
日本では(外国と違って)「空」の話は祭り上げられてばかりで、解らなくてもいいものの如くに思われてるように見えます。
小学校から因果律について子供たちに教えるなら、一緒に「空」も教えればいいのにと思ったりします。

実際、チベットに関わっても、法王の教え(仏教)を知らなければ、そのことがその人の幸せのためになるかどうかは疑問ですし。


20.10.09 ダラムサラ、法王ティーチング 4左のボケ写真はティーチングの終わりに退出されるときの最後の一枚。

この時、法王があまりに接近されレンズ上で目が会った。
とっさに私はカメラを外すと法王が目の前でにっこりされ、手を出された、握手をして頬を一撫され、ヒヒヒ、、、と言いながら去って行かれた。

このところ写真を撮ってるので法王の近くにいることが多いのに、レンズの中の姿だけで、いつも直接には祝福の目配せも浴びることなく、残念なことではあると思っていたところでしたが、今日はだから特別、嬉しかった!

積もった欲求があれば一瞬の「雷」の如くの欲求解放もあるわけですが、それもすでに記憶のみ、過去は「夢」のごとしです。

















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2009年10月18日

ダラムサラ・法王ティーチング・その三

15.10.09 ダラムサラ ティーチング今日は台湾チームに対する教えの最後日だったが、実はテキストをすべて終ることができなかった。
これは、法王にしては稀なことだ。

今日「千手観音の潅頂」を授けるということで、昨日は例により「夢判断」のためにクシャ草などが渡された。
私は行かなかったので残念んながらこれを逃した。

もっとも朝、夢判断の終わりに、例により「夢は夢だから気にするな」とおっしゃる。
その後「ロジョン」と「ラムリム」のテキストを説きながら「菩提心」の話を中心にされ、いよいよ潅頂に入った。
目隠ししてマンダラに入り、、、、菩薩戒を受け、、、、と今日もロケット状態で進む。
午前中にすべて終るはずだが、潅頂が終った時点で一時間遅れ。
法王は「ちゃんとテキストは終らないとな、、、ええと、時間がないな、、、」といつになく焦り顔。
それでもテキストに入ったが、しばらくして「ええと、台湾グループの中で今日の午後帰らないといけない者はどれほどいる?手を上げてみろ」
すると、誰も上げない。
「明日はいるのか、明後日からのティーチングに出るものはいるのか?」

全員「いますとも!」

法王「なーんだ、そうか。じゃもう今日はやめよう。続きは明後日だ」

とおっしゃり途中で終ったのでした。

(もっとも、潅頂が終った時点で、これを目当てに家族総出で集まっていたチベット人たちは、腹も減ったしと立ち上がる人が目立ちはじめ、しばらくすると相当のチベット人が消えていた。法王はひょっとしてこの動きを見られて、今日はもうやめたほうがよさそうだ、と思われたのかも知れない? 
何度法王に言われても治らない(テキストの講義より)潅頂好きのチベット人たちです)。

ーーー

以下、昨日の午前の初めの方で、
「金剛般若経」の最後の有名な一節について説明された部分のみ、参考程度に仮に訳してみました(何れ「本ものの訳」というものも本当には無いわけですが)。

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「現象界というものは、
星や、眼の翳、燈し火や、
まぼろしや、露や、水泡や、
夢や、電光や、雲のよう、
そのようなものと、みるがよい。」
(中村元訳)

比喩に「星」というが、
空の「星」は夜になると現れるが、昼間は何もないかのようにその現れを見ることができないものだ。
この譬えは、「もの・ごと(事象、現象)」というものは、「星」が夜には見えても昼間には見えないように、
それを分析しない限りは実際に目の前にあるかのごとく見えるが、昼間の太陽のような真実を照らす空性の智慧の下ではその対象の現れは消え去り、虚空のような一味の(現れのない)現れのみとなる、という意味だ。
すべての「もの」には二つの見方の対象として二つづつの現れがある。
分析智を用いない普通の心に現れる「もの」と、その同じ対象に真理の分析智を用いたのちの(実体視の消えた)現れ、というようにそれぞれの「もの」には、すべてこの二つのレベルの現れが存在するという譬えだ。

それでは、すべての現象には自体がないのに、どうして我々の心に間違って自体があるように現れるのか、といえば、
例えば「目の翳」(チベット語は<ラプリク=眼病ではなく一時的に目にゴミがはいるなどしてはっきり見えない状態>)に侵されていれば、本当の現れを見ることができないであろう。
だからと言って、本当のありようが無いということではない。
ものを見るための「目」自体が何かに冒されているのだ。
このように、すべての存在のありようは「実体を欠いている」にもかかわらず、「無明」の闇に覆われて我々は真実を見ることができないのだ。
チャンドラキルティーの)「入中論」の中で「世俗とは覆い隠されているもの」と言われるように、間違った見方に邪魔されて真実がみえないのだ。
目が何かに覆われて、「本当のありよう」は確かにあるのだがそれをみることができない状態の譬えだ。

「燈し火」(チベット語は<マルメ=灯明>)というは、「現れ」側の話だ。
現象には自体はないが条件が揃うことにより存在を現す。
多くの内外の原因と条件が揃うことにより、ある一つの現象が生じる。
これもこっちからあちらへとイメージや名前を与えただけで、あちら側にその現れがあるわけではない。
しかし、原因と条件が揃うことにより現れた「もの」はちゃんと機能を果たすことができる。
例えば「灯明」という「もの」も、器やバターや燈心があるだけではまだ灯明と言わない、次に火をつけるための条件を揃え火を燈す。
風が無いこととか、バターの具合とかなんとかいろんな条件が要る。
灯明と言っても、それは火だけではない、バターも芯も一体となって働く。
そして、確かに灯明は辺りを照らすという機能を果たすことができる。
様々な条件がそろわないと現れない。
つまり、真実には(灯明は灯明として)「空」だが、ちゃんと機能は果たすことができるということの譬えだ。

つまり最初の三つとは、「星」いう比喩で、真理を分析する智の対象と、世俗の普通の知の対象というすべての現象には二つの面があると説く。
では、「すべての現象の上に真理智の対象である空性があるならば、どうして我々みんなに見えないのか?」と問われれば、それは覆い隠すもの「無知・無明」のせいだと説く。
さらに、「実体がないなら機能をどうやって果たすことができるのか?」と問われれば「機能は果たせる、例えば<灯明>の如しだ」と答える。

と、意味は解ったな?

次に「まぼろしというは、
では、条件が揃った力によって成立しているだけであるならば、それから利得はどのように得られるのか?と言うならば。
ちゃんと利得、楽苦は味わえるという。
例えばマジシャンが様々なテクニックにより観客の目の前に現す「まぼろし」(マジシャン本人にどう現れるかについては諸説あるが)は観客の心に快不快、驚きの感覚を引き起こすことができる。
本物ではないが、ちゃんと快不快の対象となる。
例えば、我々も映画とか見るとき、映画は作りものだとみんな解っているのに笑ったり泣いたりするだろう。
そのことだ。
そこに実体はなく、映像、イメージでしかないのに利害、快不快の働きをなす。

「露」以下は「無常」についての譬えでもある。
「露」は「無常」に特徴がある。
「露」は存在したかと思うとすぐに消えてしまう。
草葉の先の「露」は朝陽の下ですぐに消えてしまうではないか。
現れたかと思うと、すぐに消えてしまう「現象」は「露」の如しだ。
我々も含め、原因と条件によって成立している「現象」は一瞬一瞬変化し、滅していく。

「水泡」とは「苦の性質を持つ」ということの譬え。
「水泡」というものも「水」の一つの現れにすぎない、我々は「快」だ「不快」だというがすべて「苦」の性質をもつ。
「生じる」ときにも「苦」、「滅する」ときにも「苦」、「住する」ときも「苦」の性質をもつというもの。
たとえば「水」から「水泡」が生まれても大きな水泡であろうと小さな水泡であろうと水には変わりがないが如しだ。
業と煩悩の力に操られる限り、行為は汚れたものとなりその結果として苦しみを得るのみだ。

「夢」「雷鳴」「雲」というは、「過去」は「夢」の如く記憶でしかない、「現在」は「雷鳴」の如く一瞬だ、「未来」は「雲」の如しということだ。

ここで「未来」を「雲」と譬えるのは、「雲」が集まって「雨」が降るように、
「未来」は「現在」まだ成立していないが、それにより苦楽を味わうということだ。

「このようにすべての現象を見なければならない」
、、、、、






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2009年10月16日

法王ダラムサラ・ティーチング二日目

16.10.09 ダラムサラ ティーチング以下、まず今日の法王のお話の最初の部分です。

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オーヤータ、、、(さあーてーと、、)

経に曰く:「如何なる悪もなさず、善を増大し、己の心を制御(統治)する」これが仏の教え、と。

仏の教えは、他を害したりせず、他を利益すること。
他を利益する行為を善と呼ぶが、徳不徳(善悪)というものはその結果によって定義されるものだ。
その果が幸である行為を徳(善)と呼ぶ。
その果が苦である行為を不徳(悪)と呼ぶ。
だから、「如何なる悪もなさず、善を増大し、、」と説かれる。

しかし、これだけでは仏の教えの特徴を表すことはできない。
世界中のほとんどの宗教において「愛・慈悲」は説かれている。
「忍耐」も説く、だから他を傷つけることを諫めている。
他を利益することも教えている。
教えられているだけでなく、みんなも知っているようにキリスト教であろうとイスラム教であろうと社会活動をやっている。
貧しい人を助けるために働いている。
たとえばキリスト教徒たちは人種や地域を選ばず教育や医療の分野で多くの人々を助けている。
素晴らしいことだ。
だから、このことは仏教内外に共通のものと言える。

そのあとの「己の心を制御する」という、この点が仏の教えの特徴と知るべきだ。
これはどういうことかというと、まず心が制御されていないことを認識し、
この制御不能の原因を無くすために対策(対治)を行って、これを取り除くということだ。
心を制御不能にしている原因は煩悩。
煩悩の基は我執。
我執には荒いレベルのものから微細なレベルのものまでいろいろあるがとにかく「我執」だ。
解るか?
だから心が落ち着かない原因は煩悩。
貪瞋痴の煩悩の基は我執だ。

この場合は「人(個人存在・プドガラ)」に対する執着。
これを捨てるために「人無我」を説く。
この「人無我」に慣れ親むこと(瞑想)により心を納めるのだ。

縁起の空、縁起の見解、、、縁起にも粗・微がいろいろあるが、、、
まず粗い縁起の見解により、縁起と無我に慣れ親しむことで、「我」をつかむことから離れていくことにより、じょじょに煩悩を滅して心を制御できるようになる。
これが「己の心を制御する」と言われていることだ。

この「己の心を完全に制御する方法」を「無我(無実体・無自性)を知る智慧」による、とするのは大・小乗に共通だ。

もう一つの方法として「菩提心」に慣れ親しむというものがある。
利他の菩提心に慣れることにより、我が実在するという考えを減少させるという方法だ。

この我が実在すると見ることからくる自己愛により、世の不徳のほとんどがなされる。
例えば十不善もほとんどは自分だけがよければよいという利己心から他人を無視して、その上軽視して、殺し、やり、盗む、そして嘘、中傷、暴言、無駄話、 悪意、害心はもちろんだ悪見にはいろいろあるが、何れ利己心から来るものばかりだ。

我を実体として捉える我執と自分だけを大事にする利己心。
利己心に対するものとして利他心に慣れ、智慧を学んで実体視に対す。
方便として菩提心を学び、一方的に自分のことばかり考えることの対治とするのが大乗の特徴だ

「悪を捨て善に努める」だけでは仏教とは言えない。
特にこの無我を習修することにより「心を制御する」ということが仏教の特徴なのだ。

、、、、、

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15.10.09 ダラムサラ ティーチング7で始まり、午前中はゆっくりと「無自性」について様々に説明されていました。

午後の初めには少し早目に表の空の其々の異名と、その裏に隠された其々の修行道上の要点について解説された。
今日中にこのテキストを終わると午前中に予言されていたのに、2時半の時点でまだ半分も残っていた。
終わるのかな?と自分が心配する必要もないのに心配になりかけたころ。
「さあ、ここからはロケットで行くぞ!(コケット・タン・ギ・イン・ダ」と一言。
3時に終了予定だ。

みんな身構える。
これは法王が最後の方になってどんどんスピードを上げていくことはいつものことだが、今日は時間の割に残りの量が多過ぎると思えたからだ。

普通でも法王のお経を読むスピードについて行くのは簡単ではない。

それからはもう夢のような走馬灯のようなメロディーに乗って。
駿馬は走り続け、、、

最後に:

(中村訳)

「現象界というものは、
星や、眼の翳、燈し火や、
まぼろしや、露や、水泡や、
夢や、電光や、雲のよう、
そのようなものと、みるがよい。」

師はこのように説かれた。スブーティ上座は歓喜し、そして、これらの修行僧や尼僧たち、在家の信者や信女たち、また、これらの求道者たちや、神々や人間やアスラやガンダルヴァたちを含む世界のものどもは、師の説かれたことをたたえたという。

切断するものとしての金剛石、聖なる、尊むべき、智慧の完成、終る。


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法王「ヤー! 丁度3時だな」








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2009年10月15日

ダラムサラ・法王ティーチング第一日目

15.10.09 ダラムサラ ティーチング今日からティーチング。
法王は全くお変わりなく健康そうに見受けられました。
とにかく今回は台湾人グループが1000人以上いるということで、その他大勢は中庭まではみ出しどこもぎっしり状態でした。

参加者はおそらく4000人ほどでしょう。
台湾人以外の外人が500人ほどはいます。















15.10.09 ダラムサラ ティーチング3写真左はベトナム人グループ

今回はとにかく台湾とか、ベトナムとか、シンガポールとか韓国とかが多くて、一瞬ここはどこだろうと思うほどです。
隣の日本人は「何だかチャイナタウンに来たみたいでおもしろいわ」と言ってました。

教えの方は、午前中はテキストに入らず、いつものように「他の宗教の教義と仏教の教義の違いについて」説明されました。
また、「大乗非仏教論」「密教非仏教論」の話もされました。
とにかく論理的分析を第一とし、間違っていれば素直に認めるのが仏教とのこと。

15.10.09 ダラムサラ ティーチング2法王は「たとえばこの<金剛般若経>を読むときも私は常に疑うことを忘れない。
中には<これはどうかな?大げさかな?ま、仏のお言葉はありがたや、、、と思うに留める場所もないわけじゃない」ともおっしゃいました。

午後からは「金剛般若経」に入られました。







15.10.09 ダラムサラ ティーチング4最初の方の一節を紹介します。
中村 元訳

師はこのように話し出された

「スブーティよ、ここに、求道者の道に向かう者は、次のように心をおこさなければならない。
すなわち、スブーティよ

<およそ生きもののなかまに含まれるかぎりの生きとし生けるもの、卵から生まれたもの、母胎から生まれたもの、湿気から生まれたもの、他から生まれず自ら生まれ出たもの、形のあるもの、形のないもの、表象作用のあるもの、表象作用のないもの、表象作用があるのでもなく無いのでもないもの、その他生きもののなかまとして考えられるかぎり考えられた生きとし生けるものども、それらのありとあらゆるものを、わたしは、{悩みのない永遠の平安}という境地に導き入れなければならない。しかし、このように、無数の生きとし生けるものを永遠の平安に導き入れても、実は誰ひとりとして永遠の平安に導き入れられたものはない。>と。

それはなぜかというと、スブーティよ、もしも求道者が、{生きているものという思い}をおこすとすれば、もはやかれは求道者とは言われないからだ。

それはなぜかというと。スブーティよ、誰でも{自我という思い}をおこしたり、{生きているものという思い}や、{個体という思い}や、{個人という思い}などをおこしたりするものは、もはや求道者とは言われないからだ。


15.10.09 ダラムサラ ティーチング6目の前にあったテレビ画面より












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2009年10月14日

明日から法王のティーチング

金剛般若経 チベット版法王は昨日朝、3週間に渡るアメリカ、カナダ遠征を終えられダラムサラに無事帰還されました。
オバマ大統領には会えなかったものの収穫はごっそり、手ごたえも十分だったと思われます。
ですからもちろん、いつにも増す沿道の歓迎ぶりだったようです(私は出迎えに行ってない)。

帰られたばかりなのに、もう明日から、中一日置いて22日までの正味7日間、
午前、午後とティーチング(18日は観音菩薩の潅頂)をされます。
74歳なのに、本当に本当にごくろうさまです。

明日の15日から18日までは台湾グループのリクエスト。
台湾からこのティーチングのために1000人以上がダラムサラに押し掛けて来られました。お陰でダラムサラのホテルや寺はどこも満杯状態。

20日から22日まではシンガポールを中心とする東南アジアグループのリクエストです。

ちなみに今回の日本人グループの人数はというと25人ほどです!
毎日ヒマラヤ晴れで天気は上々なのにね、、、日本人はとにかく忙しいというわけでしょう。

金剛般若経肝心なティーチングの内容は、台湾グループに対しては
1、 金剛般若経(ドルジェ・チュパ、金剛能断般若波羅密経)
2、 ゲシェ・チェカワ著 「心を統治するための七つの要点(仮題)」(ロジョン・トゥンドゥンマ)
3、 ジェ・ツォンカパ著 「菩提道の三つの要点」(ラム・キ・ツォオ・ナムスン)

東南アジアグループに対しては特別のテキスト指定はなく
「四諦」について解説されるそうです。

この中、「金剛般若経」の解説を法王がされることは稀だと思います。
私個人初めてです。
この「金剛般若経」はクマーラジーヴァ訳、玄奘訳が古くから中国で有名なので、きっと台湾グループが特別にリクエストしたのではないかと考えます。

このお経の成立はAD150~AD200と考えられています。
大乗の最初期の経典で、まだ大乗、小乗という言葉すら使われていないし、全篇「空」について説かれながら「空」という言葉も出てこない。
つまりまだ「空」という言葉が生まれる前のころの経典なのです。

法王は去年も「ダンマパダ」を講義されたしでこのところ古い経典が目立ちます。
どんな解説をされるか興味しんしんです。

次の「ロジョン」はアティーシャの流れをくむカダン派の行の中心になる教えの要約です。
「トンレンの行」とともにゲルク派を中心に後代のチベットの行者に大事に受け継がれてきた「心を清め、コントロールするための戒め(注意事項)」を集めたものです。

三番目「菩提道の三つの要点」(ラム・キ・ツォオ・ナムスン)はジェ・ツォンカパの主著「菩提道次第広論」を数ページに極約したものです。

三つとは「出離」「菩提心」「(空性を理解する)智慧」であります。
法王はこの数ページを請われるなら一カ月分に伸ばしてでも講義できるのです。
最後の「四諦」も同様、数分から数カ月まで伸縮自在です。

いつものように以下でライブのティーチングを聴くことができます。
但しチベット語、英語、中国語だけです。
会場にくればマリア様の日本語訳を聞くことができます。

http://www.dalailama.com/page.128.htm





















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2009年09月18日

法王のティーチング・9月15〜17日

色んな話が重なって、頭がぐちゃぐちゃです。早く出して空っぽにしないと。

ダライ・ラマ/オバマ会談については、オバマ氏が中国を訪問する前に会うことは(もちろん?)無理だが、そのあと11月にでも会いたい、と法王がリクエストされたということです。ITSNが「古参秘書官」の話として「実現される」、と報じたのを見て、私はこの「古参秘書官」はテンジン・ゲチェ氏のことかも?と思い、ティーチングが終わり、法王の後を歩く彼を捕まえ、会談の見込みについて聞いたところ、
「う〜〜ん、おそらく無理だろう、、、」との答えでした。
彼ではなかったようです。

15.9.09法王は昨日12時前に今回のティーチングを終わられました。
最後は「発菩提心(セムケ)」の儀式で、参加者全員(強制じゃない)に「菩薩になるぞ」という誓いを立てさせられました。
ティーチングも終わりダラムサラには菩薩が溢れ、やがて世界中にこの菩薩たちが散らばっていくという、誠に喜ばしい光景が目に浮かびます。

もっとも、日本人の中には「あの、、、今日膝をついて何か唱えたようですが、あれは何だったのでしょうかね、、、?」と聞いてくる人ももちろんいる。
「あれで、君は菩薩になる、菩薩の戒律を守るぞ、と誓ったのだよ。だから、君は今日から半分菩薩というわけだ。嬉しいかな、、?  もっとも意味が分かってない人は受けたことにはならないから、大丈夫だよ、戒律とかもないし、破ったといって地獄にいくこともないしね。まあ、それでいいんじゃない。君が特に何かに苦を認識しているようにも見えないしね」と私は良くそんな人に答える。

内容は空の見解を中心に相当濃いものでした。
いつものように外道、説一切有部、経量部、唯識派、中観派の其々の哲学学派の空に対する見解の差を中程度(各派の細分まで)に詳しく説かれ、されにタントラの空観について説明されました。
四諦により空意を説明され、四仏身により大乗の悟りの内実について説明され、最後に慈悲を説かれ、空・悲不二の行が大乗の行だと宣言されました。


15.9.09以下テキストのほんの一部だけ翻訳します。(マリア様訳参照)
中観派(帰謬論証派)が唯識派の見解を否定した後の偈。

菩提心釈論
第43偈 
要するに仏たちは
(自性を)見られたこともないし、見られることもない
自性を持たないという自性をもつものを
一体どうやって見られるというのか

第44偈 
事物とは概念であり、妄想である
妄想が無いことが空である
妄想が現れるところ
そこにどうして空がありえよう

第45偈
認識されるもの(客体)と認識する者(主体)という(二元の)の現れを持つ心を
如来たちは見ない
主客の存在するところに
菩提(ジャンチュップ・さとり)はない

第46偈
相が無いので、生じることもない
存在するようになるのでもなく、言葉の道を離れている
虚空と菩提心は
不二菩提(空)の相を持つ

第47偈
さとりの精髄に住する
偉大なる仏と
愛情深い者たちは皆、常に
空は虚空のごときものと御存じだ

第48偈
故に、すべての現象の土台である
寂静にして幻に等しい
底の無い輪廻の底を打ち砕く
この空を常に瞑想せよ


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「宝の山に入っても、そこを宝の山とも知らず、何が宝とも知らない者は空手のままそこから降りてくる」、と確か似たようなことが仏典にも書いてあったと思うが、
ダラムサラには確かにいろいろな宝がある、善良なチベット人の心に触れることも宝に触れたことになろう、山や野鳥や花も?チベット問題も、しかし、何と言ってのこのダラムサラを宝(心の病気を癒し、完全な解放を得るための薬)の山にしているのは驟雨の如く降ってくる法王のティーチング(教え)の甘露だと思う。
皆様もできれば法王のティーチングのあるときにダラムサラに来られることを勧めます。今じゃ大抵マリア様の日本語通訳があるし、何と言っても登録代20円だけで参加できるのがいい。










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2009年09月14日

ダラムサラでは明日から法王のティーチング

b49c7374.jpg明日からいよいよダラムサラのツクラカンで法王のティーチングが3日間行われます。
今回は韓国グループが法王にリクエストしたものです。施主は韓国人ということで一番いい席はもちろん彼らが占めます。
今年は年末までに後二回、台湾グループとロシアグループが施主となるティーチングが行われます。
日本人グループが施主となって行われるというティーチングは私の知る限り一度もありません。もちろん外国での話です。潅頂の施主は何度か日本人の方もされているようですが。

私もここに来て以来20数年前よりティーチングには通っていますが、他の国々の参加者は爆発的に増えて言ったのをよそ眼に日本人グループの数はぼちぼちのままです。
もっともきっと今回はその中でも一番参加者は多いと思われます?きっと(最初は)50人を超えることでしょう。
これも去年の犠牲者たちのお陰かな、、、と変な因縁について考えたりもします。
とりあえず、素晴らしいことです。
みんなマリア様の訳をよ〜〜く聴くように、できればノートを取るように、お願いします。
(自分は写真撮ったりしてるけど、)

今回は特別なテキストの発表がありません。
一日目は(チベット)仏教概論だと思われます。
最近のチベット情勢についても話されるかもしれません。
日本におられる方も以下のウエブにアクセスすればほぼライブで聴くことができます。
残念ながら言葉は日本語はなくて、チベット語、英語、韓国語、中国語です。

http://www.dalailama.com/page.128.htm

私も最近は生意気に家でのんびりくつろいで聞いたりしております。
もっとも家で聞いてると、法王の話の内容からいつしかテンポよくメロディアスで耳に心地よいお声の方に集中が向かうと、つい居眠りしてします恐れが大ですがね。


法王は昨日チェコとスロバキア訪問から久しぶりにダラムサラの自宅に帰還されたばかりなのに、本当に本当に御苦労さまです。
今日はダラムサラまでわざわざ来られたオバマ政府の特使たちと大事な会談をされています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=25506&article=Obama+aides+in+Dharamsala%2c+hold+talks+with+Tibetan+PM

明日から午前、午後二時間づつのセッションを行われます。
おそらく三日間のダライ・ラマ(チベット)仏教総論のような内容となることでしょう。誠に有り難いことです。

法王も久しぶりにご覧になったか今日のダラムサラの虹写真は今日の虹、久しぶりに法王もダラムサラの虹をご覧になったであろうか?
ではなくて、法王がお帰りになったから麗しい虹が出現したのかな?













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