デブン僧院

2011年01月03日

一人の僧侶がナイフを自分に刺し自殺した

bc4c1b3a.jpg12月28日付け、Tibet Times チベット語版より。
http://www.tibettimes.net/news.php?showfooter=1&id=3825
<གྲྭ་བ་ཞིག་གིས་སོ་སོར་གྲི་བཙུགས་ཏེ་རང་ཤི་བརྒྱབ་སོང་།>

2008年ラサ蜂起の時、抗議に参加した、カム、ソク・ゾン(སོག་རྫོང་、索県)チャムダ(ལྕམ་མདའ་)郷出身の僧侶トゥプテン・ノルブ(ཐུབ་བསྟན་ནོར་བུ་)
は中国の監獄から開放された後、最近インドに亡命した。

当メディアが彼に会い、ラサ蜂起前後の様子について話を聞いた。
 「2006年、故郷を離れ勉強のためデブン僧院に赴いた。しかし、正式に入学することは当局が許さず、聴講生としてしか認められなかった。ほとんどの僧侶が自分と同じ境遇だった。チュラ(討論集会)に出ることが許されるだけで、儀式には参加できなかった。僧院には約1000人の僧侶がいたが、そのほとんどはカムとアムドから来た僧侶だった。最初の頃はそれほど厳しくはなかったが、次第に当局から自治区と出身地の許可証が無い者は僧院に居てはならないとの命令が出た。」

蜂起の時のデブン僧院の様子について聞く。
 「2008年3月10日から12日までの3日間、我々は抗議デモを行った。14日にはラサで大勢の市民たちがデモを行った。その時、軍隊は殺すべきは殺し、打つべきは打ち、捕まえるべきは捕まえた後、セラ、デブン、ガンデン僧院の僧侶を多数逮捕した。セラの僧侶たちはラサのグル橋གུ་རུ་ཟམ་པ་の近くの監獄に連れて行かれ、デブンの僧侶たちはラサの南西にあるネタン・ドルマ・ラカンསྙེ་ཐང་སྒྲོལ་མ་ལྷ་ཁང་の近くにある軍の駐屯地に連れて行かれた。ラサの監獄はもう一杯だったのでそこに連れて行かれたのだ。そこにはカム、アムド、ウツァンの一般市民も沢山収監されていた。出身地ごとに分けられ、多くは一ヶ月ほどそこに入れられた後、それぞれの出身地の拘置所に送られた。我々はそれからラサのツェルグン・タンཚལ་གུང་ཐང་にある拘置所に8ヶ月ほど入れられていた。その後チャムドの拘置所に送られ、そこに1ヶ月入れられていた。解放後も1週間ごとに地元の警察に出頭しなければならず、自由に人に会う事も、遠くに行くことも許されなかった。また、地域の僧院に行くことも、僧衣を着ることも許されなかった。」

デブン僧院に軍隊が大勢来た時の事を聞く。
 「3月13日の夕方、千人を越える軍隊がデブンにやって来て、僧院を封鎖し、1ヶ月間、様々な弾圧を行った。弾圧のために、それに耐えきれなくなった1人の僧侶が自分でナイフを身体に突き刺し自殺した。僧侶たちも抗議を行った。
僧院から誰も外に出ることができず、食料や水が欠乏し、大変苦しんだ。そうしておいて、1ヶ月後の夜中、僧侶たちが寝入っている時、突然それぞれの僧坊に軍人たちが押し入って部屋をむちゃくちゃにした。逆らうものは逮捕された。顔に銃を突きつけて、『この偽坊主が!』とか怒鳴り、銃を発射する振りをした。その後、頭や背中を何度も足蹴にされた。」

デブン僧院の現状について聞く。
 「聞いたところでは、抗議活動の後、現在僧侶の数は100人足らずしかおらず、チュラに参加する僧侶は20人にも満たないという。我々は僧院に行くことを禁止されているし、もし行けば中の者たちにも類が及ぶ。学校に行こうと思っても、出身地の許可証がなければ無理だ。デブンのそばのラモ・キャップལྷ་མོ་འཁྲབ་は今軍隊の駐屯地に変わっている。病院も軍隊の住居になっている。2009年3月14日から再び愛国再教育キャンペーンが始まり、批判に晒されることが多くなった。今年始め、家族には瞑想の為に山に行くと言い残し、ラサに出た。その後ガイドに15000元を払い、ダムを経由してネパールに逃れた。」
(中略)

 「母は子どもの頃亡くなった。父も2007年に亡くなった。仏教の勉強と、チベットのために働きたいという思いしかない。」と。










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2010年12月22日

デブン僧院の受難・高僧に無期懲役

無期懲役を受けたジャンペル・ワンチュックTCHRD<いかなる政治的活動記録もないデブン僧院の指導的学僧に無期等の長期刑>

今回紹介するレポートの一部はすでに以下の過去ブログで報告済みであるが、
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51510375.html
昨日ICT(International Campaign for Tibet)が詳しい関係レポートを発表しhttp://www.savetibet.org/media-center/ict-news-reports/senior-drepung-monk-scholars-“-no-political-record”-sentenced-life-long-sentences-crackdow
これを受けAP(北京)も記事を書いているので
http://asiancorrespondent.com/44168/rights-group-concerned-over-fate-of-tibetan-monks/
主にICTのレポートを使い再び報告する。

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クンチョック・ニマ2008年3月、ラサで始まった、中国政府の政策に抗議するチベット人の蜂起活動は一気にチベット全土に広がった。

3月10日、この一斉蜂起の口火を切ったのはデブン僧院の数百人の僧侶たちであった。
この時にも多くの僧侶が逮捕されたが、当局は4月中に何度もデブン、セラ、ガンデンのラサ三大僧院を襲い、多くの僧侶を拘束した。
デブン僧院からだけでも約600名の僧侶が拘束されたという。
その多くはその後ラサから遠く離れた青海省のゴルムドに列車で送られ、軍刑務所に収監された。
当局は後に「彼らは教育のために」送られたのだとコメントした。

4月11日、デブン僧院から多くの高僧たちが引きずり出され、連れて行かれた。
彼らはデモに参加しておらず、政治的活動に直接関わっていた人たちではなかった。
その中、デブン・ロセリン学堂འབྲས་སྤུངས་བློ་གསལ་གླིང་དགོན་པの戒律師དགེ་སྐོས་であったジャンペル・ワンチュック師འཇམ་དཔལ་དབང་ཕྱུག་(55)には今年の6月、無期懲役の判決が下された。

同じ日、ゴマン学堂འབྲས་སྤུངས་སྒོ་མང་གྲྭ་ཚང་の教師དཔེ་ཁྲིད་དགེ་རྒན་クンチョック・ニマ師དཀོན་མཆོག་ཉི་མ་(43)に懲役20年、
ガクパ学堂སྔགས་པ་གྲྭ་ཚང་の教師ガワン・チュニ師ངག་དབང་ཆོས་ཉིད་(38)には懲役15年が言い渡された。


彼らはデブン僧院内だけでなく、ラサのチベット人たちからも尊敬を集める有名な学僧たちであったという。
彼らの消息は途絶えたままであり、ラサの市民たちは彼らの安否について心配している。
あるラサの人は「当局はこのデモを利用して政治的ではない有力なデブンの僧侶たちを逮捕し、デブン僧院の力をそぐつもりなのだ。3人が今どうされているのかが非常に気がかりだ」と話す。

その日、同時に逮捕されたガワン・チョンキ、ガワン・セルト及びギャッパ(でぶっちょ)と渾名されていた料理人の行方も以後不明のまま。

また、僧ギャルポは2009年8月監獄での拷問により死亡したとTCHRDが報告している。
僧ロプサン・ワンチュックは拷問の末ほぼ視力を失った。
亡命政府の発表によればデブン僧院からだけでもその他42人の僧侶に様々な刑期が言い渡されたという。

ガワン・チュニこのICTのレポートでは、その他2008年以降に無期懲役を求刑されたチベット人3人をリストアップしている。
1、ラサで活動していたHIV/AIDS問題を扱うthe Australian Burnet Instituteで働いていたワンドゥは「スパイ罪」で無期懲役。
詳しくは(以下同様)>http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51142553.html
2、ドルジェ・タシ、彼は有名な資産家、事業家であり、共産党員でもあった。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51492769.html
3、チャムドの爆破事件に関連し、ギュメ僧院の僧ドゥンドゥップと僧ケルサン・ツェリン。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51112492.html
その他、2008年以前において、カムの高僧テンジン・デレック・リンポチェが最初死刑、後に無期懲役に減刑されている。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51305374.html
2001年には僧チュイン・ケドゥップが独立要求のパンフレットを印刷、配布したとして「国家分裂先導罪」で無期懲役になっている。

写真はICTより、1枚目ジャンペル・ワンチュック師、2枚目クンチョック・ニマ師、3枚目ガワン・チュニ師。





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2010年10月08日

デブン僧院僧侶2人に無期と20年の刑

5358c677.jpg写真左:無期懲役を受けたジャンペル・ワンチュック.©TCHRD

以下、TCHRD(チベット人権民主センター)10月7日付けリリース。
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20101007.html

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<デブン僧院僧侶に重刑>

TCHRDが入手した確かな情報によれば、ラサ中級人民法院は今年6月、2008年3月の活動を理由にデブン僧院の僧侶2人に重い刑を言い渡した。
僧ジャンペル・ワンチュックと僧クンチョック・ニマにそれぞれ無期及び20年の懲役刑が下された。

2008年3月10日、約350人のデブン僧院僧侶はラサに向かって抗議の行進を始めた。
警官隊は彼らの行進を阻止した。僧侶たちはその場でハンガーストライキに入った。その後、幾人かの僧侶は拘束され、他の僧侶たちは僧院に引き返した。
警官はアムドやカム出身の僧侶たちをそれぞれの出身地に送り返した。

2008年4月11日、ジャンペル・ワンチュックとクンチョック・ニマはデブン僧院内で逮捕されその後、2人に関する情報は最近まで全く伝えられていなかった。
2010年の6月頃、ラサ中級人民法院はジャンペル・ワンチュックに無期懲役、クンチョック・ニマに20年の懲役刑を言い渡した。
彼らの刑期は明らかにされたが、依然2人がどの刑務所に収監されているかは不明のままである。

ジャンペル・ワンチュック、俗名ツェペル51歳は、ペンボ・ルンドゥップ地区ツォトゥ村の出身。
1982年に僧侶となり、教典を完全に習得していた。逮捕された時彼は僧院の戒律師であった。
クンチョック・ニマ41歳はカム、ゾゲ県ザリ村出身。

2008年の春、多数のデブン僧院の僧侶たちが逮捕され、その内約40名に様々な刑期が言い渡された。
その内、ガワン・チョンキ、ガワン・セルト及びギャッパ(でぶっちょ)と渾名されていた料理人の行方は不明のままだ。
僧ギェルポは2009年中に監獄での拷問により死亡した。

デブン僧院は今も当局の厳しい監視下におかれている。
チベット自治区政府、自治区国家人民議会、人民政治顧問会議の次官級の役人に率先される60人からなる活動チームが行う、政治と法律のクラスに、僧侶たちは毎日出席しなければならない。
さらに、僧院には武装警官隊が消防隊の口実で常駐している。





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2009年09月27日

1987年9月27日ラサ蜂起記念日

1987年9月27日ラサ抗議デモ22年前の今日1987年9月27日、ラサのジョカン寺の前に突如赤い僧衣をなびかせながら、二十数名のデブン僧院の僧侶たちが、チベット国旗を掲げ、チベットの自由を訴えた。これは文革以来中国で始めての政府に対する抗議デモであった。天安門事件の起こる二年前のことである。

初めは何事が起ったかと、あっけにとられていた周りのチベット人たちも、やがてその僧侶たちの決死の行動の意味を涙とともに理解し、一人一人その列に加わった。ジョカンを一周した頃にはその数は千人を越えていたという。

もちろんこのときデモを先導した僧侶たちは全員逮捕され、拷問を受け、長期の刑を受けダプチ刑務所に送られた。もっともパンチェン・ラマのお陰で早めに出所できたものも多かった。
彼らの多くはその後インドに亡命した。

このデモはチベットのみならず中国本土にもその後大きな影響を与えた。
ラサでは一週間後に、今度はセラ僧院の僧侶たちが先導する大きなデモがあった。
このとき当局はデモ隊に向かって容赦なく発砲した。今だ、正確な犠牲者の数は解っていない。
翌1988年3月にはガンデン僧院の僧侶たちがモンラム際の最後の日に決起した。
このときには一万人近いチベット人が声を上げた。発砲もあり、犠牲者もでた。

そして、その後5年間ほどの間に数百回のデモが行われた。

その多くは数人のグループで僧侶、尼僧たちが拷問と死を覚悟し、次々とジョカンの前でチベットの自由と法王の帰還のために声を上げ、逮捕されていった。

今日は朝早く6時半からまずダラムサラのラギェリで朝のお経を唱えた後、9−10−3元良心の囚人の会主催の集会が開かれました。
夕方から再びキャンドルライト行進とツクラカン前での集会が行われます。

写真最初の一枚は1987年9月27日ジョカン前。
先頭に立つのがデブンの僧侶たち。

27.9.09 (1987)ダラムサラ、ラギェリ左の写真は今日の朝の読経会。
右端に9−10−3の会、現会長の僧ガワン・ウーパルが映っている。
彼もこのときのデモを先導したデブン僧侶の一人だ。
左端にラモ・ツォの姪ソナム・ワンモの姿も見える。





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2009年01月16日

デブン僧院僧侶42人に実刑。

ca727c8e.JPG昨日の夜バンガロールの現場に到着しました。

TCVの大学計画に関わることになり、このところ数か月から半年に一度、現場視察のために遠く南インドのバンガロールまで足を運んでいるのです。

大学はすでに教育学部の一部が始まっています。学生は今80人、女性生徒60人、男性生徒20人だそうです。

もっとも建設の方はまだまだですが、できたとこから使ってじょじょに学生数を増やす積りでしょう。最終的には2,3千人の大学になる予定です。

TCVのみんながアマ・ラ(お母さん)と呼ぶ法王の妹ジェツン・ペマ女史が数日後に現場に来られます。
そして2月にはダライ・ラマ法王もこの現場に視察に来られるとのこと。
その準備もあって現場は少し緊張気味です。

法王はベナレスの後、ボンディチェリー、チナイ(マドラス)を訪問された
一旦ダラムサラに戻られます。
2月17日、ここを訪問された後南インドのチベット人セトルメントを巡回されセラ僧院でロサ(チベット新年)を祝われ、その後もセラで新しく僧侶、尼僧になる者たち(約千人)への受戒のためそこに3月中旬まで留まられる予定です。

仕事の合間に、ブログ更新です。

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42人のデブン僧院僧侶が刑期を言い渡され、残った者たちの多くも拷問の結果衰弱している。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23628&article=China+Reinforces+Patriotic+Education+in+Drepung+Monastery%3a+Report

亡命政府の発表によれば、昨年3月以降の抵抗運動弾圧により現在までに219人のチベット人が死亡し、1294人負傷、5600人が逮捕、拘束された。現在も1000人以上の者が行方不明のままだ。

中国政府中央統一戦線部副長官ズー・ウェイキンは、デブン僧院の宗教活動は円滑に続けられるべきたが、同時に愛国教育の強化により安定した管理体制を整えるべきことを1月8日に行われたデブン僧院管理委員会との会合の席で強調した。

実際、デブン僧院は3月10日以降閉鎖されており、通常の学習と宗教活動は停止されたままだ。

アムド、カム出身の僧侶は全員追放された。中心的教師であったクンチョック・ニマ氏もアムドに帰された。

ラサ出身のデブン僧侶ロプサン・ワンチュック氏は激しい暴行の末、ほぼ失明状態となったことは知られているが、今どの刑務所にいるのかは不明である。

拘束中のトゥルン出身ガワン・ドンダム氏は拷問の結果今ではお椀を手に持つことさえできない状態だという。

内地からの情報によれば、デブン僧院の僧侶42人が2年から15年の刑期を受けた。
ラサ出身の僧侶ガワン・チュニ氏が15年の刑を受け、その他41人の僧侶は名前が判明しているだけで、刑期の詳細は今だ不明。

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拘束者たちは激しい拷問の末解放される。

1月2日チベット自治区カルゼで昨年3月13日にデモを行った一人のチベット人が衰弱した状態で仮釈放された。

カム、カンゼで昨年3月28日、デモに参加したとして自宅よりグル・ドルジェ49歳は逮捕された。4人の子供を抱えた妻シェラップ・ヤンツォはその後精神不安定となり、死亡した。
グル・ドルジェは3年の刑期を受けたが、拷問により衰弱し、ダルツェドの病院に移された。その後病院からも出されることになったが、家には子供しかいないので、同郷の者を保証人として彼は家に帰された。今も病院に行くことができないほどに衰弱したままだという。

妻は何度も面会を乞うたが許されなかった。グル・ドルジェは解放され妻の死を知り深く苦悶の様を見せたという。


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以下中国関係ですが、

<08憲章第10次集計612人、累計7200人を超える >

http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/19a2f46d643fcf64d73850b18d14750c

<08憲章>に続く共産党政権に対する第2弾の挑戦状。

<国営テレビ視聴ボイコット宣言 「中国政府の宣伝」と若手知識人>
- MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090113/chn0901132213004-n1.htm

2009.1.13 22:11

 【北京=矢板明夫】中国の若手学者、弁護士ら22人が12日、「うそを支持しない」などを理由に、国営中央テレビ(CCTV)の視聴をボイコットする宣言をインターネット上で発表した。国内の多くのサイトに転載され、影響力を拡大している。

 宣言はCCTVのニュースや教養番組の内容について「社会の矛盾の表れである暴動事件などを意図的に隠蔽(いんぺい)している」「歴史の真相を歪曲(わいきょく)している」など7つの理由を挙げ、CCTVの報道は「(政府の)宣伝に過ぎない」と結論づけ、視聴者としての感情が傷つけられたとし、これに抗議するため、「今後は一切CCTVを見ない」と宣言した。

 新浪など大手のポータルサイトに掲載された宣言はすでに削除されたが、個人のブログなどに少なくとも数万件転載されたため、13日夕になってもネットで全文を検索できる。中国ではすべてのメディアは共産党の宣伝部の厳しい管理下にあり、政府の「喉舌」(のどと舌。代弁者という意味)と位置付けられているが、国内でこのように正面から批判されることは珍しく、多くの人の共感を得ているようだ。ネットに「私もボイコットに参加する」などの書き込みが殺到している。

 今回の宣言は昨年末に発表された共産党一党独裁の終結を求める「08憲章」に続き、共産党政権に対する第2弾の挑戦状といえる。「08憲章」に最初に署名した303人は、劉暁波(りゅうぎょうは)氏など当局に監視されている反体制活動家が多かったが、これに対し、今回の22人はメディアなどで論客として活躍している現役の大学教員や弁護士が多く、反体制側の人間はほとんどいないのが特徴だ。批判の矛先も共産党政権ではなく、国営テレビ局のみに向けられているため、一般民衆の支持が得られやすく、ボイコットの動きは広がりそうな雲行きだ。

 発起人の一人、北京紙「信報」の元副編集長の凌滄洲(りょうそうしゅう)氏(41)は産経新聞の取材に対し、「報道の自由を求める中国の若手知識人の声をより多くの人に知ってもらいたい」と述べた。

 今年は民主化を求める大学生らが弾圧された天安門事件から20周年にあたる節目の年。中国当局は知識人のこうした動きに特に神経をとがらせている。凌氏はすでに北京の公安当局から事情聴取を受けたが、「私たちの行為は憲法で認められている言論の自由の枠を越えていない」と主張したという。







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2008年07月27日

チベットの夏、デブン僧院

昨日のブログはほんまにさぼりで済みませんでした。

昼新宿、夜東中野とトークが続きましたが、野田君と一枝さん、それにチベットの親友のお陰で内容もある良いトークができたと思います。野田君の準備ばんたんな話を聞きながら、自分がいつも話しの前に何も準備してないことを反省しました。

雲南の爆破事件。
犯行声明に「ジハード」の言葉が出たことに少なからず衝撃を受けました。
これに対抗する為に「鳥の巣」付近にミサイルを配備した中国。
こんなオリンピックは前代未聞。

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私の代わりにダラムサラに居てくれてるY女史が
この前のスペインの「チベットジェノサイド裁判」でも証言したバクド氏にインタビューしてくださいました。

以下にアクセス:
http://epea.exblog.jp/

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連帯委員会リリース 2008年7月26日
http://www.stoptibetcrisis.net/pr260708.html
Y女史訳

<デプン僧院、現在も危機的な状況下に>


信頼できる情報筋によると、チベット全域にある僧院――特に最近、平和的なデモに関わったとされる僧院――は、いまだに厳しい統制下に置かれている。
中国当局は現在もそれらの僧院で愛国教育を強制しており、僧侶や尼僧に甚大な精神
的苦痛を与え続けている。

中国政府は「ラサ市内と周辺にある僧院はすべて一般人に公開されている」と述べているが、実際のところ、デプン僧院はまだ閉鎖されており、デプン僧院の下方に位置するネチュン僧院は中国軍に包囲されているため、一般の人々がこれらの僧院の中に入ることはおろか、付近を歩くこともできない。
武装警察は、いかなる通行人も見つけ次第つまみ出している。
加えて、デプンとネチュンの両僧院の僧侶達の行動は厳しく監視・チェックされており、彼らの状況に関する情報を入手することは不可能となっている。

ーーー

6月13日、カム地方テオ郡の中国警察官らが、テオのバルジ・シャンに住むツェワン・リジン(55歳)を逮捕した。
彼はテオ地域での最近の抗議行動に関わり、抗議行動中に写真を撮ったという容疑を追求されている。
ツェワンと同時にもう一人のチベット人が逮捕されているが、彼の名前は明らかになっていない。

最近入ってきたもう一つの情報によると、5月15日、マルカム地域ガルド・シャン出身のチベット人ソギャル(35歳)が平和的なデモを行った。
同地域では6月初旬にも、ギュルメイ・ワンダクというチベット人遊牧民が似たような抗議行動を行っている。2人とも逮捕され、マルカム地域刑務所に収監されていたが、後にチャムド地域刑務所に移送された。


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私の通訳した24日のパルデンさんの講演の内容を名古屋から来られた宇宙人さんがノートを取って発表してくださいました。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=882323346&owner_id=1909245

宇宙人さんいつも大量のチベット、中国関係の情報を集めてくださっていますね。
有難う!
会場でお会いしたかったです。

今日ポレポレ座では昼、夜と二度の映写会が開かれます。




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2008年06月17日

子供たち、共同通信、チベット帰還行進、オリンピックトーチ、法王その他

18c3e34a.jpg昨日、一昨日にお伝えした子供達へのインタビューは実のところ、
某国のX放送局が一緒に付きまとっておりました。
というか私はガイド兼通訳で雇われてたようでもありましたが、、
何しろカメラマンと私だけでしたので、知らない人が見れば私が作ってるみたいにも見えたかも?誰も見てないって、、、

どうもチベットのことを撮ってくださってありがとうございますです、が
これがいつどのような形ではたしてオンエアーされるかどうかはまだ解りません。
だから草々に勝手に発表してしまったというわけです。

もっとも私はインタビューの最中には話し相手をしてるか、通訳してるので、内容をノートできたのは名前と日付ぐらいです。
つまり記憶だけで書いたので、間違いもあるかも知れません。
詳しい翻訳が上がった時、もしもそれを見ることができるならもっと詳しい話をお伝えします。
X放送局はその他学校の様子、一時収容所で子供の絵の管理人となっているアマアデさんにもインタビューしています。
X放送局は5月初めにも、ラサで3・14日のデモに参加して、ここに逃れてきたソナムにも長いインタビューをしています。
でもまだ出ない!

やはり中国の壁は厚いのか?
でも実際撮ってくれた本人たちは「必ず出します」と言ってくれてます。
頑張ってくださいN放送。

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ついでにこちらは新聞社ですが、こちらに二度に渡り、のべ10日も取材して帰られた共同通信の記事の一つが今日出たはずです。
共同通信は昨日から6回シリーズで

北京五輪企画「五輪の風―世界が見る中国」
という力を入れた取材レポを発表しています。
その中、本日分はラッサン・ツェリン氏の話しでした。


中国チベット自治区などで三月に相次いだ暴動や抗議活動。「抑圧の停止」「自由の拡大」を求める動きは連鎖的に広がった。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世による「暴力犯罪」と決め付ける中国政府に対し、亡命チベット人のカリスマ指導者は「今こそ行動を起こす時だ」と独立要求を掲げ活動を再開。インドなどでの抗議行動を組織した若者たちにも大きな影響力を発揮している。
 監獄に響く拘束者の叫び声、軍人らによる激しい殴打、拷問で骨折した僧侶たち―。非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは中国当局による弾圧を生々しい体験談で伝えている。
 「中国政府は話し合いを必要としていない。(中国の枠組みの中で解決を図る)中道路線は全く非現実的だ」
 チベット亡命政府の拠点、インド北部ダラムサラ。中国政府が敵視する「チベット青年会議」の元議長ラッサン・ツェリン(55)は自営の小さい書店で怒っていた。
 一九七九年、最高実力者の/トウ/小平が「独立要求さえ取り下げればどんな話し合いもできる」と述べたのを機に、ダライ・ラマは自治権拡大を求める中道路線に転換した。だが、当時議長だったラッサンは独立要求を堅持。率直かつ情熱的な語り口で若いチベット人の心をつかみ、カリスマ的存在になった。
 「(中国の)チベット人は、チベット文化存続とダライ・ラマのために死を覚悟で立ち上がった。しかし、ダライ・ラマがそれを暴力と呼べば人々はどうしていいのか分からなくなってしまう」
 ラッサンは数年前、亡命政府が「中道路線は達成可能だ」という声明を発表したのを機に「障害になりたくない」として表舞台から遠ざかった。しかし三月以降、各国のチベット人を対象にした講演を積極的に受けるなど活動を再開。「世界の注目を集めるには北京五輪の今年しかない」。亡命僧侶らと共有する、切羽詰まった思いからだ。
 一方で実際の行動は慎重だ。チベット青年会議は「中国内のチベット人との直接的な接触の禁止」というラッサンの方針を貫く。「五輪後、中国による報復が行われる可能性が高い」と警戒、弾圧下にいる人々をさらなる危険にさらしてしまうことを避けるためだ。
 では、中国内との連携はどうやって築くのか。有効なのが「中国政府による非難」という。「中国政府がわれわれを非難すると、チベット人は真実がその逆にあることを直ちに理解する。中国のチベット人は何をすべきかが分かっており、われわれはそれを支えていく」。国境を超えたチベット人のきずなの深さに対する自信は強い。
 「チベット独立は、インドが中国国境警備などに投入している莫大(ばくだい)な軍事費削減を可能にする」。ラッサンはインド政界との接触にも乗り出し、活動を一段と強化している。(敬称略)(共同)



この記事を書かれた、共同のMさんはすでに子供の絵の話とかも記事にされています。
明日も彼女の取材されたチベットの記事が共同配信各社の新聞に載るはずです。
ダラムサラについては新聞では共同、テレビではX放送が一番詳しく取材してくれてます。


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次は、チベットへの<帰還行進>の話。
3月10日にここダラムサラを出発し、丁度100日目にあたる今日、とうとう国境警備隊に全員逮捕されました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21654&article=50+marchers+arrested+close+to+Indo-Tibet+border+as+China+changes+Tibet+Olympic+torch+relay+routehttp://tibetanuprising.org/2008/06/17/press-release-marchers-arrested-in-border-area/#more-480
昨日のニュースでは
このチベットの行進組を地元のマハラジャが宮殿に招き、「59年以前にはこのチベットへのルートを使って多くのチベット人たちが塩を運び来たったものだった。チベットが一日も早く解放されることを願うよ」とか励まされ、なかなかいい雰囲気だったのでした。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21637&article=Marchers+to+reach+Tibet+border+area+tomorrowしかし今日朝9時半国境の検問を突破しようとした、チベット人50人に対し、200人の警官隊が動員され全員逮捕されました。

TYC代表のツェワン・リクジンは「100日間我々は今も中国の暴力的弾圧のもとで苦しみ続けるチベットの兄弟姉妹との連帯を示すために歩き続けた。チベット国民は今中国に囚われの身だ。中国は今また、我が国の神聖なる首都ラサにオリンピックトーチを持ってこようとしている。傷口に塩を塗るような行為だ。我々は今また新たに、チベットの完全独立を勝ち取る非暴力の闘争を継続する堅い決心をする」
と語りました。

これに先立ち彼を含め、5団体の代表は12日間拘置所に入れられてました。

このマーチについてはジャミヤン・ノルブが何時ものように興味深い記事を寄せています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21648&article=THE+LONG+MARCH+HOME+%e2%80%93+Jamyang+Norbu

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その他デモと言えば今日は朝からこのダラムサラでも久しぶりにしたの町までの長いデモを行いました。<3・10日から100日>と言うことで戦いの心新たにするためです。

ネパールは毎日デモして毎日大勢のチベット人が逮捕されています。
今も外国としては一番はげしいデモ場です。

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オリンピックトーチと言えば今日ウルムチにトーチが来ました。
これに先立ちウイグル人1000人ほどが逮捕されととか。
愛国教育もチベットと同じようにシルクロード全域で行われているようです。
http://phayul.com/news/article.aspx?article=China+clampdown+for+Olympic+torch+in+Xinjiang%3a+residents%2c+exiles&id=21626
今日も民衆はトーチを見に来ることは禁止され、家でテレビをみてろ!窓から顔を出してもいけない!と言われたそうです。これBBCです。
もちろん念いりに選ばれた応援団だけは中国の国旗振り回していますがね。


ラサにトーチが来る日については中国は変更を繰り返し、今も予定は未定のままです。
しかしおそらく今度の土曜日に来るだろうと予測されています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21653&article=Lhasa+Torch+Relay+Tarnishes+Olympic+Movement


最後に法王が台湾メディアのインタビューに応える形で中国人に対するメッセージを伝えている記事を紹介だけ。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21640&article=INTERVIEW%3a+People+of+Taiwan+still+in+thoughts+of+the+Dalai+Lama法王はオーストラリアでは中国人ジャーナリストグループや、民主化を求める中国人グループ、一般の中国人グループと積極的に話し合ったりされました。
今はヨルダンに飛ばれて<ノーベル平和賞受賞者会議>に参加されています。










rftibet at 17:00|PermalinkComments(3)TrackBack(0)