デリー

2010年12月17日

温家宝首相デリー訪問の顛末

デリー、チベット人デモ今日温家宝首相はデリー訪問を終えインドの敵国パキスタンに向かった。
パキスタンは今頃大スポンサーの中国を大歓迎していることであろう。
支援の目玉は核施設建設援助。
見返りは表向きアラビア海への道のみ。
インドは苦々しい思いと供に温さんを見送ったことであろう。

温さんが経済協力強化を全面に出しながら「中印は協力パートナー」といつものにこにこ演技に務める間中、外ではチベット人たちがここぞとばかり中国政府非難の声を張り上げていた。

デリー、チベット人デモこんな時、元気一杯叫び暴れるのがTYC(チベット青年会議)のしきたり。
中国国旗の上で温さん人形に火を付けたりもした。
もちろん暴れ過ぎると見張りのデリー警察に拘束される。
もっとも、デリー警察は中国やネパールと違って彼らを殴ったりはしないし、数日で解放される。
ネパールだと拘束時に逆らえばこん棒で殴られる。
これが本土だとリンチ状態となり、その場でめった打ちにされ血を流し、意識を失う。
拘束後においても、デリー警察は鉄格子の中に1~2日入れとくだけで、もちろんそこで拷問に遭うということはない。
ネパールでも拷問はない。
しかし、本土ではその後何週間も時には何ヶ月もの酷い拷問が待っている。

デリー、チベット人デモ結局この3日間の抗議活動によりTYCのメンバーが26人、SFTのメンバーが5人警察により拘束されたという(計35人との最新情報もあり)。
SFT(Student for Free Tibet)の方はもっぱら目立つ場所に大きなバナーを掲げるという作戦を得意とする。
今回も温さんが会議をしていたビルの反対側にある、建設中のビルの17回に写真のような巨大バナーを掲げた。

チベット亡命政府首相のサムドゥン・リンポチェは「実際、中・印国境というものは存在しない。国境沿いの問題はチベット問題が解決されない限り終わらないであろう」と意味深なことを語った。
さらに「中国はパキスタン・カシミールでパキスタンが進めているミサイル基地建設に手を貸している。これはインド全域への脅威となろう」と語り中国脅威論を煽った。

亡命政府デリー事務所のテンパ・ツェリン代表も、15日にデリーで行われたチベット民間4団体主催の会議で「中国は最近チベットの中に沢山の空港や高速道路、鉄道を建設しているが、そのほとんどは民間用ではない。これらの本当の意味についてインドは考えるべきだ」と中国脅威論をちらつかせた。

デリーにてま、こんな亡命チベット人たちの声がインド政府に届いたというわけではないだろうが、とにかく今回の温さんのインド訪問はお金の話以外には実り多いとは言いがたいものとなった。

最大の変化は共同声明にはこれまで常に中国側の要望に答え入れられていた「一つの中国」という言葉が排除されたことであろう。
この言葉は「台湾とチベットは中国固有の領土である」ということをその国が承認する、という意味を持っている。
この一言を入れるようにという中国側の要求に対し、インド側は「それを入れてほしければ、こちらもカシミールはインドの固有の領土であると中国政府が公式に認めることを求める」と返した。
これを中国は断ったのだ。
実際、中国は最近カシミール地区の住民に対し別個の特別ビザを発給している。

さらに、インドは中国に対し国連の常任理事国入りを支持するよう求めたが、これもやんわり拒否されている。
その他、諸々、結局表面上はにこやかに友好ムードで会談が進んだように見せてはいるが、実は対立は深まるばかりだったのだ。

温さんは400人もの経済使節団と供に飛来し、オバマやサルコジを抜く200億ドル(約1.68兆円)の商談を纏める予定だったが、最終的には纏まった商談は160億ドル程度に留まったようだ。
インドにとって対中貿易は大幅な赤字続き。この改善が十分約束されなかったのが原因と思われる。

中国はパキスタン、バングラデシュ、ビルマ、ネパール、スリランカに軍事援助や経済援助を行って、いわゆる「真珠の数珠つなぎ」政策と呼ばれるインド包囲網計画を進めている。

このまま、中国がこのような政策や国境・インド洋における領土・覇権争いを強気で進める限り、経済交流がいくら進んでも、中・印間の真の信頼関係構築などは残念ながら相当遠い話と思われる。

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写真はすべてphayul.comより。

参照:
日本語、http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010121602000032.html

英語、http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28767&article=No+mention+of+'one+China+policy'+in+India-China+joint+statement&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28763&article=Protests+at+Wen's+talk+venue+send+30+Tibetans+behind+bars&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28762&article=Senior+leader+of+Congress+snubs+China&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28752&article=Disputes+shadow+China-India+PM+talks&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28750&article=Five+more+arrested+as+protests+continue+against+visiting+Chinese+premier&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28744&article=Exiled+Tibetan+govt%3a+Tibet+central+to+Sino-India+border+dispute&t=1&c=1

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28742&article=7+TYC+activists+arrested+as+Wen+begins+India+visit&t=1&c=1



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2009年12月02日

デリー、ヤムナ川の野鳥

Delhi Yamuna River今回はインドの首都デリーを流れるヤムナ川の野鳥を紹介します。

ダラムサラからデリーに夜行列車で行くと、朝早くオールド・デリー駅に列車が着く。
日本行きのフライトは夜9時半ということで時間が余る。
私はみんなが向かうオールド・デリー駅の正面ゲートとは反対側に向かって歩く。
正面に出るとタクシーやリキシャ・マンがドッと寄って来るので、それを避けるためと向かう先が近いからだ。
デリーで時間があるときにはいつもマジュヌ・カティーラと言うところにあるチベタン・キャンプに行く。

朝早いこともあり、駅裏はひっそりしていた。
タクシーもリキシャも見当たらない。
しばらく先に歩いているとリキシャが来たので止める。
「マジュヌ・カティーラまで幾ら?」と聞くと
「80ルピー」という。(1ルピー=2円)
これはかなり正直な運ちゃんだ。駅の正面に出るとリキシャでも150ルピーと言ってくる。
本当は50ルピーでも行かせることができるが、「ティゲ・ヘー(OK)」と乗り込む。
この時期、朝のデリーは寒い、だからタクシーにしようと思っていたのに、結局また風通しのよいリキシャに乗ってる。貧乏性とはこのことだ。

私はここで車中我慢していたたばこを一服吸おうとする。
しかし、たいていは風が強くてなかなか火をつけることが難しい。
こういうときはライターを持った手を腹の中に通し、服を風よけに顔を服の中に埋めて着火する。

Delhi Yamuna River昼間は大騒ぎのオールド・デリーも早朝は空っぽだ。
オールド・デリーにはかつてのムガール時代の城壁や宮殿が数多く残っており、空っぽ感が相まって何時も私はリキシャに乗りながら、ここでちょっとシュールな気持ちになる。
時代がぐっと数百年は遡ったように感じるのだ。

マジュヌ・カティーラについてはかつて少し解説した覚えがあるが、とにかくちょっと変わった場所だ。
ヤムナ川の河川敷を亡命チベット人たちが勝手に占拠して、というよりその辺の貧しいインド人に見習ってビニールのバラックを建て、住み始めたのだ。
20年前には見渡す限り、大きな黒いビニール小屋が立ち並び、タルチェンの幟ばかりが目立つ、れっきとしたスラムだった。
ほとんどの小屋はチベットの地酒「チャン」をリキシャ・マン中心に飲ませる酒場を兼ねていた。
おかげで、スラム中にこの漉けたチャンのにおいが充満し、敏感な人はすぐに吐き気を催すという場所だった。

Delhi Yamuna River3ところが、チャン屋が密造酒販売所としてインド警察の取り締まりを受け、壊滅した。
変わって今までチャンでこつこつとためた金をもとにホテルや食堂が建ち始めた。
もともとチベット人は移動が好きなところがあるし、ダライラマの法要もインド中で行われる。そのたびにデリーは通過宿泊地となるというので、これが成功し、今ではここには所狭しとホテルが建っている。
デリーにしては安くて(比較的)清潔なので、いつも私はここに来て泊ったり、休んだりする。
狭い路地に出れば必ず数人以上の知り合いに出会うものだ。

と、出会った一人の僧侶を思い出した。
彼は台湾人でまだまだ若い35歳ぐらい?
彼はダラムサラのツェンニー・ダツァン(論理学大学)のクラスメートだった。
もっとも私は中観学の途中までの約6年通っただけで途中脱落したものだ。
彼の近況を聞くと今は南のデブン僧院で勉強しており、もうすぐゲシェの試験を受けると言う。
もう一人クラスには台湾人がいたが彼は今法王の中国語通訳を行っている。
他の同級生も勉強のできたものが5,6人ゲシェになったかならないか位のところだ。

私は落ちこぼれた。習ったことも大方忘れた。
言い訳はいろいろあるが、時に後悔の種になったりする。

デリー 夕方までの部屋に入る。350ルピー。
夜行でたいして眠れなかったので眠ろうとするが、昼寝と車中寝が苦手の私はやはり眠れない。
暑くもないし、カメラを持ってオールド・デリーに写真でも撮りに出かけようか?と思ったこともない事を思う。
カメラを持って外に出ると、タクシーのいる方向ではなく、自然に公園の方に足が向かった。
マジュヌ・カティーラの北側には広大な公園風な森林地帯が広がっている。
ここに来た時に、よく散歩する場所だった。
きっと何か鳥がいるはずだと思ったのだ。
しかし、行って見るとそこは巨大な工事現場と化していた。
高速道路がここを通過するらしく、高架工事が行われたいた。

写真の白いハトは工事現場で見つけた、私としては新種だ。

仕方なく、今度はヤムナ川の方に向かった。
ヤムナ川はこの辺りで川幅500mほどある。
もっとも今は乾季で水はところどころにちょろちょろ程度に流れているだけだ。

デリー ヤムナ川その水は真っ黒でどぶ川の腐臭に満ちている。
湖面は黒光りしている。
河原に立って目を凝らすと、そんな大どぶ川にも沢山鳥がいることが判った。
大きな中州には牛が放牧され、その周りにサギやミーナ鳥が群れている。

もちろんここの主役はインド灰色カラス。
腐肉を野良犬と取り合いながら暮らす。

よくも、こんなどぶ川に漬かりながら病気にならないものだと感心するほど適応力のある野良犬たち。お互いしばしばいがみ合い、噛み合いの喧嘩をする。

喧嘩で追われた一匹のメス犬がどぶから上がってきた。
ほぼ全身真っ黒だ。しばらくすると子犬が沢山寄って来た。
真っ黒いオッパイに飛びつこうとしている。
母犬も子供にミルクを与えるために座り込んだ。
子供たちが病気に罹らずちゃんと育つことを祈る。

デリー ヤムナ川2川には鵜やサギもいたが、この川にまだ魚の類が生息しているとは到底思えなかった。
それほど、川は人々によって見事に汚染されていた。
しばらくいる間にかなり慣れるものだと気付いたが、それでも長くいると頭が痛くなるほどの悪臭だった。

河原にはシバ教徒の小さな祠があって、ここには数人のサドゥ・ババと呼ばれるヒンズー教の行者が暮らしている。
冬でも彼らは腰巻と上掛けの布1枚で暮らしていたりする。
持ち物は原則的に聖水桶のみで誠に無住、無所有の暮らしを楽しんでいる(ようにも見える)。
土間に泥で作られた竈をこしらえ、薪を集め火を焚く。
夕方などここは貧しい家のないリキシャ・マン達のたまり場になったりする。
みんなで金を出し合ってここで食事を作り一緒に食べ、おしゃべりをする。
みんな家族を故郷において出稼ぎに来たか、ただの一人ものだ。
夜はその辺りで布をかぶり眠る。

ヤムナ川昔、若いころ、インドで「サドゥ・ババごっこ」というのを数週間やったことがある。
これはつまり、なるべく物は持たず、腰巻一つで移動し、食堂にも入らず、宿に泊らず、河原などの屋外に眠るという遊びだ。金がなくなれば誰でも自然にやることではあるが、金がそんなにないわけでもないのにわざと好んでそうするので、「ごっこ」というわけだが、とにかくやたら楽しかったことだけは覚えている。
夕方食事ができるころになるとどこからともなく数人の浮浪者か、ババがすっとよってくて目の前に座ったりしていたものだ。

Delhi Yamuna River5ここで、このサドゥ・ババたちと祠を見るたびに私は急に時代感覚が狂うような気がする。
きっと辺りにまったく建物が見えないせいもあるのかもしてれない。
きっと2500年前のブッダの時代にもこの辺で似たような風景が見られたことであろう。
ブッダ・シャカムニもこのサドゥ・ババのように家を捨て、ボロ布を纏い、何も持たずに遊行したわけだから。

もっとも、その頃にはこのヤムナ川にはそのまま飲めるほどの清流がながれ、川魚がたくさんいて、それを餌にする大型の野鳥類が沢山飛び交っていたことであろう。
川辺りのジャングルにはそれはそれは様々な種類の色とりどりの野鳥がさえずり合い、リスやサルも沢山いたことだろう。

何と変わり果てたことか。
それもたったこの3、40年ほどの間にだ。
処理もしてない下水を川に流し始めたからだ。

Delhi Yamuna River7インドもひどいが、中国やアフリカも似たようなものだろう。世界中の川が下水どぶ川と化している。

このヤムナ川がいつか元のような清流に帰るとは到底思えない。

人は愚かだ。
日本に帰って特に感じるが、人々は本当に物ばかりを追いかけている。
物質的発展にしか興味がない。これは中国ばかりの話ではない。
日本人もとっくの昔に「心が大事」という仏教的考えを捨ててしまっている。
確かに、「まごころ」とか「心使い」とか中国よりは一般的だが、それも商業臭いところが特徴だ。

この人類の人口爆発と物質主義と利己主義のお陰で地球はこんなにも汚され、もう取り返しのつかない状態になろうとしている。

Delhi Yamuna River4法王はオーストラリアでも、「国々はいやでもグローバルに考えないといけないので、そういう意味でも環境について考えることは良いことだ」とおっしゃっています。
「We」の世界を説かれる法王にとっては、国境を超える環境問題は絶好の入り口ともなるのです。

私は正直、このままインドと中国が物質的発展を当然のように追うとすれば、地球環境がこの先まともに維持できるとは到底思えません。























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2009年08月01日

不垢不浄

カリンポンあたりのサルの親子デリーにはマジュヌ・カ・ティラという有名なチベタン・キャンプがある。
昨日(31日)の夕方カリンポンからデリーに飛んでこのキャンプに一泊した。

キャンプと言っても今ではこの狭いオールド・デリーの北のどぶ川の河川敷には所狭しとホテルやレストランが建て込む場所となっている。

20年前には見渡す限り、遊牧民のヤクテントさながらの黒いビニールだけで作られたバラックが続いていた。
無数の汚れたタルチョの幟ばかりが空にたなびいていた。
そこはオールドデリーのリキシャマン(人力車の運ちゃん)の夜のたまり場だった。
そのころ一番安く酔える場所だったからだ。
チベットの地酒チャンがビニール製の大きなコップ一杯1ルピーで飲めた。
キャンプ中にチャンのすけた匂いが充満していた。
難民チベット人は特産の不道徳な酒で生き延びていた。

ところが、15年ほど前にこのチャンをインド政府が密造酒と認定し、その取締をはじめた。
キャンプの人たちはそれまでチャンで稼いだ金でそこにホテルを建て始めた。
これが、当たった。
インド中に散らばったチベット人は盛んに移動する。特に法王の法話や潅頂があると聞くとそのたびに大移動が度々ある。
必ずデリーを通過するので、このホテルとレストラン街は繁盛した。
今ではこうして一大安宿街が出来上がったのだ。
もっとも、もともと不法占拠の土地なので、常に当局から追い出しの脅しがかかるらしい。

ではあるが、キャンプの南半分はまだ貧しさの残る地区だ。

8月1日の朝、連れの二人といっしょにキャンプの中を歩いていた。
ゴンパに参り、その南の狭い路地が迷路のように続く今だ貧しい地区に入った。
世界中を取材で巡った百戦練磨の一人が「しかし、ここは臭いがあまり無いね。大体こういうスラムはどこも独特の臭いにおいがするもんだが、ここにはそれが無いね、、、」
と言った。
「そうですか。今は本当にここもきれいになりましたからね」
と私。

その時、頭になぜか般若心経の中にもある「不垢不浄」という言葉が浮かんだ。

もしも、日本から突然初めてこのデリーのチベットキャンプに来た人は「なんて不潔でハエと蚊の多い、臭いところだこと」
と間違って来てしまったそこから早く逃げ出そうとすることだろう。
でも、そこに長年住み続けてきたチベット人たちはみんな「この街は何てきれいになったことか、これもすべてダライ・ラマ法王のお陰だ」と思っているのだ。

人は誰でも、それなりに少しでも清潔に暮らしたいと思っているものだ。
それぞれのやり方で精いっぱいそのために働いている。

「事物であろう、心であろう浄不浄は各自の相対的感覚によるのみだ。つまり浄も不浄も言葉のみ」と、その時改めて感じたのだ。

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昨日の夕方、ダラムサラに帰って来た。
やっぱ、涼しいダラムサラが一番と、いつもの山をベランダから見上げて一人で落ち着く。

でも後4日ほど、机に付く時間はほとんどなさそうです。





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2008年08月06日

死のハンストは?その他

6c997145.bmp死のハンスト参加者の一人ジャンジュップ・サンポは4日次のように話たという、
「仏様の御加護か?私はここまでひどい渇きも餓えも感じることなく来れた。
我々はチベット人種、その文化、宗教を守るため、また世界平和のために自分たちの命を犠牲にするのだ。
身体の要求する飲食への執着と闘うことができる。
我々のこの努力によりチベット問題に進展が来ることを願う。
チベット人はどんなことにも落胆することなく目的に向かい手を携え一緒に働くべきだ。
もしも、内地チベットの苦しみを少しでも軽減することができるなら、本望だ、ここでの我々の仕事は成就されたことになる」

http://phayul.com/news/article.aspx?id=22255&article=Hunger+Strikers+deemed+critical%3b+Medical+treatment+advised


5/8/08デリー死のハンスト9日目
8月5日の夜

<500人の警官が動員され、死のハンスト9日目にして6人は病院に強制的に収容された>
http://phayul.com/news/article.aspx?id=22258&article=Police+Take+Hunger+Strikers+to+Hospital+for+Medical+Care200人のチベット人が人間の鎖を作り、500人の警官隊に抵抗を試みたが果たせず、87人が逮捕された。

6人は全員最後の力を出し抵抗した。

医師の判断でこれ以上続ければ死人が出るとされ、警察はこれは無視できないと介入したわけだ。

特にその中、ワンドゥ・プンツォック氏の容態は危機的だったという。
彼だけが僧侶ではない。
彼は私も設計で関わったノルブリンカの出身だ、足が元々悪く身体障害者であった。
寡黙だが非常にやさしい人だった、と彼をよく知るT氏の奥さんが心配していた人でもありました。

ソダック31歳は待ち構えていた救急車に無理やり乗せられる途中、ヒンディー語で「自由は甘美だ!
自由がほしい!
みんな自由を愛している、
時が来た!時が来たのだ!
自分たちの番なのだ!」

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ダライラマ法王はダラムサラにて昨日から三日間ティーティングに入られています。
今回は韓国グループのリクエストによる特別講義。
アティーシャの<菩提道灯論>を解説されています。

5/8/08ダライラマ法王ダラムサラ

写真はY女史から送られてきた二枚です。
通りすがりに、日本人グループに特別の挨拶をされる法王だそうです。

5/8/08ダライラマ法王ダラムサラ

法王はもちろんTYCから今回のハンストを止めないようにと要請はあったと思う。
しかしこのところ心を痛めておられたはずです。

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昨日は九段会館で行われていた、<2008年中国・アジア民主化支援世界大会>
に途中から見学にいってきました。

http://www.supportdca.net/jp/Press.htm

そうそうたるメンバーが次々にパネラーを務め、特に最後のグループであった89年6月4日を体験した人たちはみんな特に熱い人たちだと感じました。

とったノートここでまとめるのは大変。
最後に牧野先生がまとめた宣言が、、、まだネットに乗ってないようですが、出たら転載します。

それにしてもなぜか傍聴人の少なかったことには驚きました。
こんな大事な会議なのにもっと宣伝してほしかったな、、と思いました。

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久しぶりの北京の福島さんのブログより

http://sankei.jp.msn.com/world/china/080806/chn0808060033002-n2.htm


途中から、

■テロとは何なのか。

これが、日本の秋葉原でおきて、犠牲者が一般市民で犯人がイカれた若者なら、凶悪な無差別殺人。世論はどうしてこんなわけの分からない事件がおきるのか、と怒り悩み、社会や教育に理由をもとめようと議論をかさねる。取材に殺到するメディアには、納得する人もいるが、デリカシーがないと批判する人もいる。


■これが、上海の公安局でおき、犠牲者が警官で、犯人がかつて取り調べ中に受けた屈辱を逆恨みした報復であれば、犯人は犯罪者として裁判で裁かれ死刑になるだろうが、世論は刃物一本に警察にたちむかったと、英雄扱いもする。


■これが地方の農村で発生し、犯人が農民や漢族の大卒無職者で当局の汚職・腐敗の不満が原因だったりすると、「集団事件」とよばれ、メディア統制のもと、隠せる場合は一切報道されない。でも、動画投稿サイトなどで隠し撮り映像などが流れて、ネット世論がもりあがると、独立系メディアが報じて明るみになることも。あまりにもしょっちゅうおきるので、世論も実はおどろかない。


■犯人がウイグル族(あるいはチベット族)の場合、これは政治テロとなる。犯行が独立という政治目的になるからだ。しかし、誰がどこからみても、チベットや新疆が独立する可能性などない。実は、秋葉原の事件だとか、上海の事件だとか、あまたある地方の集団事件と変わらない、社会のひずみや不満や弾圧・迫害への報復など、社会的犯罪に近いものかもしれない。


■ここで、チベット族老コミュニストのプンツォク・ワンギェル氏の言葉を再び思い出す。漢民族地域で何かあれば、それは『騒ぎ』だというが、少数民族地域では『反乱』とされて「鎮圧」される。兵を用いれば、あっさりと乱を治めることができるかもしれないが、その後遺症ははかり知れない。

■殉死された武装警察官には深い哀悼をささげたいし、テロには断固戦わねばならないが、この事件の1年以上前から、五輪にむけた治安維持のために、民間人のウイグル族を巻き添えにした、えげつない「テロ組織」壊滅作戦が実行されてきたこともやはり思い出してしまう。ウイグル族女性の都市部への移住政策と漢族との結婚政策は民族融和といえば聞こえがいいが、これがウイグル族の深い恨みを招いていることもやはり考えねば、本当の平和は来ないのではないだろうか。


■漢族には漢族の意見があろうが、私はウイグル族が、そう遠くない将来、日本のアイヌのような運命をたどってしまうのではないかと、同情の気持ちも禁じ得ない。五輪というのは、本来ならスポーツを通した民族や国境を越えた理解、尊重など調和を考える機会でありたいのに、どんどん本質と離れてゆくイベントになってきて悲しいかぎりである。


■国内の少数民族政策についての問題点や国際社会の意見を自由にかわせる機会を五輪の競技場の外で設ければ、本当はそれが11万人の治安要員の動員よりももっと有効なテロ防止策になったかもしれない。中国が、テロや暴力には一貫して反対しつづけるダライ・ラマ14世やラビア・カーディル女史を開幕式に招待するくらいの懐の深さをみせれば、五輪はもっとよい雰囲気で行えたかもしれない。まあ、あと3日で始まってしまう今は、何をいってもせんないが。五輪が無事におわりますように、心から願っている。


<2008/08/05 13:16>

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今日は広島の<原爆記念日>
被爆者である亡き母が、この日は必ず朝から長いこと仏壇を前に祈っていたことを思い出します。


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2008年07月29日

死のハンガーストライキ

c46e2b5d.jpg予想はしていたがいよいよ<死のハンガーストライキ>がデリーで始まってしまった。

今回の参加者は6人、内5人は僧侶だ。
今回は普通のハンガーストではない。
水も飲まないのだ!!

40度にもなる今のデリーでこれを始めたのだ。
一週間以内に最初の一人が死ぬであろう。

嘗て1990年代の終わりにあった同種のストでは確か58日だったか?
続けた時、インドの警察隊が強制退去を強行した。
それを見た、第二次グループにサインしていたツプテン・ゴドゥップ氏は
このとき多量の石油を浴び、焼身自殺した。

巨大な炎に包まれながらも「法王に長寿を!チベットに自由を!」と叫び走った。
最後は合掌の姿勢をとりつつ崩れ落ちた。

このままでは、オリンピック開始までには全員死亡していることは確実だ。

法王は止めるのか?









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2008年07月14日

移動日

6db4b028.JPG今日はチベットのニュースお伝えすることができないと思われます。
すみません。
今日昼過ぎ、いよいよ離れたくないダラムサラを離れ、デリーに飛び、乗り換えて南インドのバンガロールに行きます。

夜中にはTCV Collegeの建設現場に着くことでしょう。
5日間現場仕事です。

もっとも主な仕事は庭造りなので、石を配置したり、ヤシの木、マンゴー、菩提樹などの木を植えたり、池を作ったりと半分遊んでいるようなものです。

ではありますが、何せ敷地は長さ2キロ幅1,5キロもある広大なものです。
双眼鏡で仕事を確認するぐらいなもので、楽ではないのです。

東京には20日の午前中に到着の予定です。

なお、チベット情報もこれからもできるだけ毎日お知らせします。
私の代わりに東京から来てくださった、Y女史が代わりに情報を集め、知らせてくださる手筈になっております。

私はこれからは余分の雑談係になることでしょう。






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2008年04月17日

デリーのデモの続き

2708422a.JPG先ほどデリーのオリンピックリレーは終わりました。たったの2、3キロを70人がリレーして歩いただけ。何時ものように中国のトーチ護衛隊が目立ちましたが2人しか目立ちませんでした。それでも彼らが仕切ってるみたいでした。チベット人はもちろん近づくことはできません。とにかくインドのメディアはこんな警備は見たことがないと伝え、たとえば一人のチベット人が歩いているところに10人以上の警官が囲んでいるところなど写し、行き過ぎだとのコメントも。
ジャンタールマンタールにいるレポーターはチベット側に同情的な報道ばかりやってました。
インドメディアは一般にチベット側に加担気味であり、何にも大したこともしないチベット人たちに対しあまりに大袈裟な警備だと、警察を皮肉ったりしてました。

色んなグループが独自のチベットトーチを掲げて行進する様も流されていました。
写真はダラムサラを出るTYCの<独立トーチ>です。

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