トレッキング

2010年03月05日

アンナプルナ内院トレッキング・第六日目

今日の朝10時ごろダラムサラに帰ってきた。昨日は嵐だったとか。今日は快晴。雨後の空が青く澄みきり、山は真っ白に輝いている。
やっぱ、ダラムサラが一番と再確認。
法王は三日前から「サンワドゥッパ(秘密集会タントラ)」の教えをされている。

アンナプルナ・ベース・キャンプにてアンナプルナ・トレッキング六日目
ABC(4130m)―――>ドバン(Dobhan 2520m)


ABCに二日いてもいいかなと思っていたが、次の日は朝から曇り空。
夜中に星を見ようと起きた時も曇っていて星は見えなかった。
チメは昨日から頭が痛いと言ってるし、寒いしで、降りることに決めた。

下りは早い、あっという間にMBCを過ぎ、下界への門も通り過ぎ、聖域の山々も視界から消えていった。

行きに泊まったヒマラヤに昼ごろ着いたが、ここの飯はうまくなかったということで昼食は次のドバンで取ることにした。ヒマラヤを出たころから、空は俄かに黒い雲に覆われ、やがて雨が降り始めた。
雨はみぞれとなり、雷が派手に鳴って大きな雹が降り始めた。雹の後は雪となった。
我々3人はだれも雨具を持っておらず、びしょ濡れになりながら、ひたすら次のバッティ(宿)まで駆け下りた。
一時間ほどでドバンに着いた。早速、ずぶ濡れの服を脱いで、着替え、温かいチャイにあり付いてホットする。

イエロー・ポピーの若株写真はイエローポピーの苗。
イエローポピーは去年の夏、ランタン谷に咲いていたのを紹介した。
一メートルほどになり美しい黄色い花が沢山咲く。
この辺りには至る所に群生していた。夏には他の高山植物と共に谷間を彩ることであろう。

ドバンで雪の止むのを待っていたが、中々止まない。今日はこれまでとして、ここに泊まろうかと思い始めていた。
上から何度も同じ宿になったことのあるスランス人グループが雨具完全装備で降りてきた。
YoYoはいかにも金持ちそうなそのフランス人団体さんとは混じりたがらなかった。
「宿を取るなら他のバッティにしよう」と言い始めた。
次に、中国人と思われるグループが下りてきた。
これを見て「Oh! フレンチ、チャイナ、Oh.No!」と叫ぶ。
私も「これでこの宿はバツだね」と同意して、隣の宿に移ることにした。

マチャプチャレ夕方、空はまた晴れ、マチャプチャレのピークだけが真上に浮かび上がっていた。

「マチャプチャレ」とは「魚の尾」の意だが、ここから見るとその名前の由来が納得できる。
右前方の南のピークが7000mに3mだけ足りない6997m、左後ろのピークは6993m。
南と北の岩壁はほぼ垂直に近く、雪が付くこともない。
この山は聖山として地元の人びとに崇められている。聖山であるが故に登山許可は下りない。
本当はどうだか判らないが、未だ誰も登ったことがないことになっている。


マチャプチャレ遅くなったが、宿の話をちょっとしよう。
宿はこの街道1〜2時間ごとにある。たいがい3,4軒かたまってある。
どの宿の仕様もほぼ同様。部屋は木張りで2,3ベッドが標準。宿代はどこも一部屋一泊200ルピー(250円)だった。
宿代は安いが、飯はちょっと高い。私は山に入るとネパール定食の「ダルバート」しか食べない。
外人以外はポーターもガイドもみんなこれしか食べない。何杯でもお変わりできる。みんな驚くほどよく食う。私も行には自分でも驚くほど大食いしたが、帰りには自然にお代りはしなくなっていた。
この値段は上に行くほど高くなる300ルピー以下から始まり、ベースでは400ルピーになる。
実はこの値段にはポーターやガイドの飯代も入っているのだ。ルートにはよるがここではポーターにも50ルピー払わせていた。
一人で食うと高いが、ポーター、ガイドをつれて食うと実際にはそれほど高くないというわけだ。

マチャプチャレ3一人や二人のトレッカーが、よくガイドとポーターを連れて歩いているのを見かけるが、これは如何なものかと思う。一人でも道に迷うようなことはまずない。ポーターを雇うことは、、、これを一度味わうと癖になるほど楽で楽しい。私の荷物は10キロにもならないのでポーターには何でもない。ポーターに一日700ルピー払えば彼にもいい収入になる。それに比べガイドと呼ばれるもの達は荷物も運ばないのにポーターの倍のお金を取る。ポーターはガイドよりも地元の道の事をよく知っており、宿にも案内してくれる。
要は、ガイドは不要だし、見てくれも大名行列みたいでみっともないと言いたいのだ。

ここで、これからこの方面にトレッキングされる人のために、今回同行してくれたタシ・ペルケル・キャンプのチメ氏の携帯番号をお知らせする。チベット語でなくても英語も何とか話せます。ぜひ使ってやってください。彼と行けば、楽で楽しいトレッキングになること間違いなしです。ついでにチベット・キャンプも案内してもらうといいでしょう。
+977−9806501078

アンナプルナ3アンナプルナ掘7555m)

ドバンの宿には後から韓国人グループが入って来た。
彼らの夕食は目立った。国から食材を何でも持ち込み、料理人も特別に雇っていた。
食卓にはまず、韓国製の金属製の箸が並べられる。
その後キムチ、ノリ、漬物が並び、味噌汁と小さなお椀に盛られた白米が出る。
ここで、これらを見ると、日本とほとんど同じだなと思う。
ま、かつて沢山来ていた日本人グループの中には、これと同じようなことしてたグループも多かったかもしれない。

昼間の月、ドバンにてこの日、雨後の月
















ドバンの夜空朝の三時ごろ目が覚めたので、外に出て見ると、狭い谷間の上に輝く帯となって星が瞬いていた。

写真は失敗作だが、大きくしてみると少しは感じが味わえるかも?













rftibet at 17:10|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2010年03月03日

アンナプルナ内院トレッキング・第4&5日目

今日はカトマンドゥ最後の日、明日インドに帰る。
カトマンドゥで良くないことは昼間電気が二時間ほどしか来なくて、その間しか近くのネット屋が開かないのでネットもできないということだ。
それでも今日は一気にアンナプルナ・ベースまでの二日分を載せるつもりだ。
今日のはぜひ写真をクリックして大きくして見てほしいと思う。

内院への谷アンナプルナ内院トレッキング四日目
ヒマラヤ(2900m)―――>マチャプチャレ・ベース・キャンプ(MBC、3700m)
 

ヒマラヤを朝6時半に出発。朝食は次のダウラリで取ることにする。同じ宿にはフランス人グループが大勢いたので、朝食を頼んでいると遅くなると思ったのだ。それと、ダウラリを過ぎると雪道になると聞いていたので、雪がかたいうちに登りたいと思ったのだ。
写真はダウラリ3200m付近。谷の奥に見えるのはガンガプルナ(Ganggapurna 7454m)

ダウラリを過ぎ、間もなく行くと道には丸太が掛けてあり、「この先雪崩危険地帯故迂回せよ」という立て札が立っていた。見上げると左手には千メートル以上の絶壁がそそり立っている。
右手の河原に向けて、雪の上に細い道があった。丸太の橋を渡り雪の積もった河原の道を行く。
道は曲がりくねっており、登り降りも多くて判りにくい。急な坂になると滑りやすい。それでも、私の靴はいつものようにただの運動靴だが、杖一本あるので、問題はなかった。朝早く雪が固まっていたので埋まることも少なかった。

聖域への門4時間ほど聖域の門のような、直腸のような、狭い渓谷を登ると、視界が急に開け内院に入ったことが知覚された。
MBCのロッジが見える。
左手にはマチャプチャレからアンナプルナ靴悗寮變った峰がつづき、右手にはヒウンチュリからアンナプルナ・サウスそして主峰アンナプルナ機複牽娃坑隠蹇砲猟困盻蕕瓩童ることができた。














Hiun chuli 6441mヒウンチュリ北面

MBCには12時過ぎに到着。
この先にある最終目的地のABC=アンナプルナ・ベース・キャンプまでは二時間ほどだ。
南アンナプルナ氷河のサイド・モレーンの雪原をさらに400mほど登れば着く。
しかし、時間も余っていることだし、急に高度を上げれば高山症状を来す可能性もあるということで、この日はMBCに泊まることにした。

バルハチュリ(Bharha Chuli /Fang 7647m)バルハチュリ(Bharha Chuli /Fang 7647m)

コテージで休んでいると、道中何度か会って話を交わしたフランス人の若者が登って来た。
彼もここに泊まるようだ。彼や私のような一人トレッカーは今では稀のようだった。
かつては自分で自分の荷物を担いで登る個人トレッカーが主流だった。
今は、とにかくフランスと韓国のグループがどこでも目立っていた。
彼は普段はドミを所望するらしいが、あいにくその宿にはドミはなかった。
彼が「あんたとルームシェアーしてもいいか?」と聞いて来た。
私は基本的にルームシェアーしない方針だが、こんな山奥のことだし、まあ、いいか、という気になって「ウイ、、、シブブレ(あんたがそうしたいなら、いいんじゃない)」と答えた。

Machapuchare BCお陰で、この日から三日間、遠い記憶を頼りに錆びついたスランス語をとつとつと繰り出さねばならぬ羽目になった。(それにしても、今さらだが、フランス人はよくしゃべる)
ノルマンディー出のYoYoと名乗る29歳の彼は、全くのボヘミアンでもう何年も世界中で仕事しながら旅を続けているようだった。
昼間は明るくジョークを飛ばすが、夜になると真面目な顔して盛んに何かノートに記しているのだった。


マチャプチャレ北東稜のヒマラヤ襞マチャプチャレ北東稜のヒマラヤ襞










ヒウンチュリ北面ヒウンチュリ(Hiun Chuli 6441m)










マチャプチャレと一番星陽が沈み一番星がマチャプチャレのそばに現れる頃










MBCの夕暮れ、、、、、、


























マチャプチャレから登る朝日アンナプルナ・トレッキング第五日目
MBC(マチャプチャレ・ベース・キャンプ3700m)―――>ABC(アンナプルナ・ベース・キャンプ4130m)


朝7時半、MBCを出る。雪はよく固まっていて歩きやすい。
サクサクといい音がする。固められた踏み後をそれ、誰も歩いていない雪原の道を勝手に行っても埋まることはなかった。これが午後だと、踏み後をそれればすぐにひざ上まで埋まってしまうのだ。

しばらく行くとマチャプチャレの左肩から陽が昇った。
辺りの雪原が一斉に輝き、眩しくて、サングラスをしていても目がいたいほどになった。

つまんない話だが、私はとにかくこれ以上日焼けしたくないという思いがあって、海や山は避けたいと常に思っている。だのに、またもや最悪の状況に陥ったというわけだ。

ABCのタルチョ二時間ほどで今回のトレッキングの最終目的地ABCに到着した。

写真はABCの上方にあるタルチョ塚。右手にベースの建物が見える。
これらのタルチョはシェルパを中心にチベット系のガイドやポーターがここまで持ってきて祈りと共に括りつけたものと思われる。もっとも最近は地元のグルン人の仏教徒化が進み、彼らも祝い事にカタを使ったり、祈りのためにタルチョを使ったりし始めたと聞いた。だから、このタルチョにはグルン人の祈りも込められているかもしれない。

気がつけば、急に思い立ったせいか、私は今回はタルチョもゲダル(チベット国旗)も持ってくるのを忘れていた。

ABCで記念写真右にアンナプルナ・サウス、左にアンナプルナ気鬟丱奪にABCで記念写真
右端がYoYo,真ん中がチメ。
この後YoYoは時間をもてあましたのか、今日はここに泊まらずに下に降りると言う。
それではこれまで、と別れのあいさつをした。
しかし、昼過ぎになって再びABCまで彼は登って来た。
「何で、また帰ってきたの?」と聞くと、「君たちともっといたいと思ったのさ、、、」と可愛いことを言っていた。気が変わりやすい若者なのだろう。それにしてもご苦労なことに、この高地でMBCまでの道を往復するとは、余程元気が有り余っているものと思われた。

アンナプルナ機。牽娃坑隠アンナプルナ(Annapurna 8091m 世界第10位の高峰)

「アンナ」は「穀類」、「プルナ」は「沢山ある」との意。
まとめて「五穀豊穣」をもたらす山という意味と思われる。





ガンダルバ・チュリガンダルバ・チュリ(Gandharwa Chuli 6243m)

この山、確かによく見れば、両翼を広げたインド起源の神話上の聖鳥、ガンダルバに似ていなくもない。
「チュリ」は「峰・頂」の意。


















マチャプチャレ北稜からガンダルバチュリ方面マチャプチャレの北からガンダルバ・チュリ方面










内院北写真左手はアンナプルナ気世そこから右手に続く稜線上には7500m級のピークが連続する。
一番奥に見える白いピークはこの辺りで唯一チベット名が付けられているカンサル・カン(Khangsar Kang/Rock Noir 7483m)だ。カンサル・カンは訳せば「新雪山」となる。ちょうどこの山の裏あたりからチベット圏が始まっている。
その右手に突き出た白いピークはシング・チュリ(Singu Chuli 6501m)。
このピークは一番右手に見えるタルプ・チュリ(Tharpu Chuli/Tent Peak 5695m)通称・テントピークとともにABCから数日から一週間の軽い登山で、登ることができる。
もっとも高度があるのでここで高度順応期間が必要だろう。
装備については、何も持ってなくても、このABCでアイゼン、ピッケル、ロープにテントを借り、ガイドやポーターも雇うことができる。
ここまで来ても元気と時間が余っている人は行ってくるがよい。

ヒウンチュリABCの真上に迫るヒウンチュリ(6441m)

装備とは呼べないにしても特に冬のトレッキングには厚手の羽毛スリーピング・バッグとジャケットがいるが、これはカトマンドゥやポカラのトレッキング・ショップでレンタルできる。一日たったの40ルピー(50円)ずつ。リュックは買っても3000円ほど。そのほか何でも日本の10分の1ほどで(コピーだが)手に入る。終わったら誰かにやって帰ればいい。
靴も登山しない限り普通の履きなれた運動靴で十分だ。
連れのチメの靴は底に穴のあいたバスケット・シューズだった。いくらなんでもこれじゃABCへの雪道はきつかろうと思い、「チメはABCには行かないでMBCで待ってればいい」と言ったのだが。「いや。行きたいよ。靴の中にビニール巻くから大丈夫」といってついて来た。
思い出せば、私も昔は雪道を靴にビニール巻いてよく登ったものだった。
ようするに、何も用意してなくてもトレッキングにはすぐに行けるということだ。

雪崩1偶然目撃した雪崩
昼から空は曇り寒くなって来た。ぼぉ〜と外に立っていた時、突然ゴ〜〜という不気味な音が谷間を震わせた。
すぐに辺りを見渡すとアンナプルナ・サウスの東面に雪煙りが見えた。
雪崩だ!と判った。その時カメラを持っていなかった。素早くカメラを取りに部屋に走った。
部屋の前から撮れた時にはすでにかなり下まで崩れ落ちていた。

雪崩2雪崩は相当大きなものだった。長い間ゴ〜〜という怖い音は谷間に反響していた。
あの辺りにもしも人がいれば、助からなかったことは間違いないと思われた。






マチャプチャレ、ガンダルバチュリ、アンナプルナ3右にマチャプチャレ、真ん中がガンダルバ・チュリ、左にアンナプルナ掘7555m)









夕焼けマチャプチャレの上にかかる夕焼け雲










朝焼けのアンナプルナ・サウス朝焼けのアンナプルナ・サウス東面
























アンナプルナ・サウスとアンナプルナ1アンナプルナ・サウスとアンナプルナ気猟










ABCの宿でABCの宿には、ここまで来たことの印を記念として残しておきたいと思うもの達が自分の写真などと共にコメントを付けて壁に貼り付けているのを沢山目にした。
このところ急に中国人も増えているようで漢字のコメントも多かった。
しかし、ここには写っていないが圧倒的に目立つのが韓国人グループのミニ旗だった。
日本人には結局ここまで一人も出会わなかった。
日本人は性格的にここいら辺に来たからと言って記念旗を掲げていく人はいないと思われるが、それにしても少ない。
かつてはネパールの山には日本人トレッカーが溢れていた。
だから、この辺の人は日本語が話せる人が驚くほど多い。
10数年前まで、まだマオイストがこの国を騒がせる前まで日本人は多かった。
しかし、危険許容度の極めて低い日本人たちは、それ以後「ネパールは危ない」との思い込みから山に来る人は激減した。
その間もフランス人はコンスタントにやってきていたと聞く。

Streaked Rosefinch (Eastern Great Rosefinch)19cm FemaleStreaked Rosefinch (Eastern Great Rosefinch)19cm Female
冬のABCにに居残る野鳥はこの子ぐらいだ。
この高山種の野鳥は肺と心臓が高地仕様になっている。
夏には5000mを超える場所まで行くという。

で、マオイスト騒ぎが一応収まった数年まえからトレッカーは順調にまた増えはじめた。
しかし、日本人はもう帰って来ず、代わって韓国人と中国人が増えた。
最近の日本人の若者はもう外国に行きたがらないとも聞いた。
何でもある日本でゲームなどしている方が楽しいらしい。
結局外向きの好奇心が薄れてきた証拠であろう。
国が興隆する時期には外国への好奇心、冒険心も旺盛だが、それも終わったという訳で、この現象も日本が衰退期に入った一つの証拠なのかもしれないと感じる。



Streaked Rosefinch (Eastern Great Rosefinch)19cm MaleStreaked Rosefinch (Eastern Great Rosefinch)19cm Male

日本は今や「マンガ」と「かわいい文化」で世界に知られる過去の国になったという訳だ。
確かに今の日本には可愛くて女性的な首相がいるしね。

昔は夏になれば海焼けの、冬には雪焼けの男たちをよく見かけたものだが最近はそんな人も見かけないようだ。だから、私は日本に行くと目立って黒いのでいやなのだ。
かつてのテストステロン社会への反動から戦後はエストロゲン社会を目指した結果であろう。
一見平和でいいようだが、周りを見渡すと不安を感じる。

ここまで来て日本を思だすこともないか、、、

今日はひな祭りか、姉の誕生日だ、メールしないと。













































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2010年03月02日

アンナプルナ内院トレッキング・第三日目

チョムロンから、朝焼けのアンナプルナ・サウス第三日目:チョムロン(2170m)ーーー>ヒマラヤ(2900m)
写真は再びアンナプルナ・サウスだが、今度は麓のチョムロンから間近に見た、朝日に映えるやつ。






チョムロンの朝同じくチョムロンの朝の景色。
左からアンナプルナ・サウス7219m、ヒウン・チュリ6441m、マチャプチャレ6997m。








アンナプルナ・サウス東稜アンナプルナ・サウス東稜。
後ろに頭だけ見えているのはサウスの北東に連なる峰7126mと思われる。








サクラソウの一種2この時期道端を彩るのはピンク色のサクラソウばかり。
沢山咲いている。









妖精の森そのサクラソウも2500mを超えた辺りから種類が変わって葉も花弁も大きなタイプになった。この花が深い森の下一面を覆っていた。
まさにフェエリックな道だった。





















女神デビィを祭る祠ヒマラヤの手前にある、この聖域を住所とする女神デビィを祀った小さな祠に捧げられていたのも赤いシャクナゲとピンクのサクラソウだ。







この辺りの動物図鑑この辺りで出会う可能性のある「Colourful Friends of Nature」一覧ポスター







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アンナプルナ内院トレッキング・第二日目

トルカより、夕日に映えるアンナプルナ・サウスアンナプルナ内院トレッキング二日目:トルカ(Tolka1700m)―――>チョムロン(Chhomrong2170m)
一日目はポカラから車で30分ほど走ってカンデ(Kande1770m)という村まで行き、そこから200mほど登ってオーストリア・キャンプと呼ばれる尾根に出た。
そのあとは尾根伝いに2000m前後の森を歩き、最後に急な坂を下りてトルカまできて宿を取った。

写真はその日の夕日に染まったアンナプルナ・サウス7219m。
このアンナプルナ・サウスはアンナプルナ連峰の中でも一番南に位置するので、マチャプチャレと共にポカラからもよく見える。

*ひつこいようだが、写真はクリックすると大きくなる。

トルカの宿の竈夕方厨房に暖を取りに入ると薪の火が燃えていた。久しぶりに目にする薪の炎と真っ赤な熾火に見入っていると、、、今回二カ月いた日本の記憶が遠のいていく気がした。。
これから先では薪の使用は禁止されているとか。
道中ガスボンベを背負うポーターが目に付いた。



名前は分からないが、この時期狂い咲きのラン森の中の木々には沢山の様々なランがへばりついていた。
雨季には一斉に花を咲かせることであろう。
名前は知らない、このランだけが咲いていた。一株だけの狂い咲きと思われる。

















ヤギの子供春先の農家の周りにはいろんな家畜の生まれたばかりのベイビーが目立った。
写真はヤギの赤ちゃんだが、その他、かわいいヒツジや水牛、牛のベイビーを沢山見かけた。







織物に励むばあさまのんびり道端で織物を織るばあさま。











チメと吊り橋、ジヌーの下。このルートのトレッキングの難はアップ・ダウンが多いことだ。
一旦2000mに上がった後にこの長いつり橋がかかる1340mまで下り、そのあと一気に再び2170mまで登る。そのあとまたもや1500mまで下がり、2500mまで登るのだ。
この日は温泉のあるジヌーを、帰りに入ろうと通り過ぎ、2170mのチョムロンまで登り、3時ごろ宿に入った。














トレッキング・マップこの辺りの村にはどこにでも掲げてある、トレッキング・マップ。













ジヌーの宿の石垣に花と蝶ジヌーの宿の石垣の間から生えたワサビ状の茎から咲く花とその蜜を漁る蝶




















シャクナゲと野鳥シャクナゲと野鳥(名称不詳)


















Gold-naped Finch 15cmGold-naped Finch 15cm























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2010年03月01日

アンナプルナ内院トレッキング・第一日目

カトマンドゥのホーリーご無沙汰です。
昨日カトマンドゥに帰って来た。
昨日はちょうどホーリー祭の日。ホーリーはヒンドゥーの祭りだが、この日には悪ガキどもが道に繰り出し、通りかかるもの達を囲み色水をかけ、派手な顔料などを顔にぬるのだ。だから外出しないに越したことはない。
ポカラからカトマンドゥまでバスに乗ったが、この走るバス目がけて水フーセンが左右から飛んでくる。
バシッとおおきな音がする。そんなことが続いたが、カトマンドゥに近づいたころ突然ガシャッ!というおおきな音が後ろのほうでした。窓ガラスが派手に割れたのだ。辺りにはガラスが飛び散った。
インドのホーリーは大体午前中に終わるもんだが、ネパールのは夕方まで続いていた。水風船にして投げ合うというのだ流行っているようで、夕方には濡れたカトマンドゥの街角には小さなビニールがこれでもかというほど散らかっていた。

ポカラから見たマチャプチャレ写真はポカラから見た、朝日に染まるマチャプチャレ6993m。
トレッキングはこの山の裏側まで歩くというものだった。
トレッキングは予定より早く8日間で終わっていたのだが、ポカラで三日間ぼお〜としていた。
ポカラにはペワ湖というヒマラヤを映す美しい湖があるが、小さなボートを漕ぎだして湖畔の野鳥を撮ったりしていた。

モモチェンガと少年Xポカラまでは撮影分隊といっしょだったとお知らせした。
左の写真を見て、写ってるおばあさんに見覚えがある方もおられるだろう。
岩佐監督の「モモチェンガ/チベットの満月ばあさん」の主人公、モモチェンガばあさんだ。
ばあさまは今も元気にポカラのチベットキャンプ、タシ・ペルケルに暮らしている。
この日はロサの祝いで赤いテントの下に大勢が集い飲み食い、歌など歌っていた。
ところで、その横にいる少年Xが岩佐監督の新作「チベットの少年(仮題)」の主人公なのだ。
普段はダラムサラのTCVにいるのだが、この時は冬休みでネパールにきていたのだ。
さて、どんな作品に仕上がるのでしょうか?
期待して待っててください。

タシ・ペルケル・キャンプの人々タシ・パルケルのキャンプから私一人、街に行く用があったのでカトマンドゥから乗って来たバンに乗った。
すると後ろの席には15人ほどの便乗組がすでに乗っていた。私は一瞬車を間違えたかと思った。
詰めれば小さなバンも沢山の人を運ぶことができるものだ。
真ん中で一番チベット人らしい顔をして笑っているのはチメ・リクジン。今回私の山行きの仲間となった男だ。

アンナプルナ・トレッキング・マップ地図の上の方に「Annapurna Sanctuary」と書かれているそのすぐ下に「Annapurna Base Camp」がある。
今回のトレッキングの最終地点だ。
日本語では「アンナプルナ内院」と呼ばれることが多い。「Sanctuaryは「聖域」と訳した方が解りやすい。
なぜそこが「聖域」なのか?
地図を見れば、これにはこの地の地勢が関わっているとすぐ理解される。
ここは直線で東西20キロ、南北10キロの巨大な楕円形のすり鉢状地形になっている。
周りをぐるりと囲う稜線には7000m以上の峰が15座、8000mを超えるピークが2つあるのだ。
これほど壮大な聖域は他にない。
そこからは険しい渓谷をなしてモディ・コーラという呼ばれる一筋の川が流れ出ている。
トレッキングはほぼこの川をアンナプルナ氷河まで遡るのだ。
この地を聖域と認めるのはヒンズー教徒であり、デビィ女神の住処とされているそうだ。

もっともヒンズー教徒がここに巡礼に来ることは少なく、ほとんどは外国の異教徒たちが景色を愛でに訪れている。聖域と言うからには何か、心を洗われたり、忘れたいことを忘れたりするために行くにはいいところのはずだ。

オーストリア・キャンプから見たアンナプルナ連峰写真は歩き始めて最初の尾根「オーストリア・キャンプ」と呼ばれる場所からの眺め。
このコースのルートは色々ある。
ガイドブックには9〜10日間のトレッキングということになっているが、強健なら最短で5日で往復することも可能だ。実際最後にやっと出会った唯一の日本人のサラリーマンは10日の休暇を得て、ここにきてコースを6日で往復すると言っていた。
私は行きに長いコースをたどり、最後の方でゆっくりしたので8日かかった。
天気は朝方快晴、午後曇りということが多かった。

ところでこのアンナプルナ連山はよく晴れた日には仏陀の生誕地ルンビニからも見ることができるのだ。
かつてルンビニ近くにある仏陀が出家する以前に王子として過ごしていたカピラバットゥ城の遺跡から以外に大きくこの山塊が望めたことを思い出す。
シャカムニ仏陀も眺めていた山なのだ。


アンナプルナ28000mに少しだけ足りないアンナプルナ2、7937m。
この南面には雪が付くことがない。黒々とした頂きは飛行機から見るときの目印となる。







赤ん坊を背負い直すのを助けるチメシャクナゲに囲まれた気持ちのよい森のなかの道を歩いていると、追い越そうとした赤ん坊を背負った女性が声を掛けて来た。
「一人では寂しく危ないので一緒に歩いてもいいか?」というのだ。
この辺では確かに道中、人に会うことは少なく女性は危ないと感じるのだなと気付いた。
チメはこれは良い道連れを得たとばかりに盛んに世話を焼こうとする。
写真は赤ちゃんを背負い直すのを手伝っているチメだ。

ここで、チメのこれまでの人生に付いて、彼から聞いたところを紹介しよう。
彼は15歳までチベット本土のドォという地方にいた。
母親は彼が5歳のころ他界した。
それからは父と兄とともに畑仕事や放牧を手伝っていた。
15歳の時三人は近くの国境を越えネパールのドルボ地方に入った。
ドルボにしばらく居たのちポカラに降りて来た。
そこで、亡命チベット人たちはインドやネパールのキャンプに分けて送られた。
彼の家族はポカラのタシ・ペルケル・キャンプに落ち着いた。
それから始めて学校というものに行ってみたが、二年でやめ、その後食堂やカーペット工場で働いた。
二十歳過ぎてから、今度はタシ・ペルケル・キャンプにあるニンマ派の僧院い入った。そこで4年間ガァクパの修行をしたという。
もっとも大体は僧院の厨房で働いていたそうだ。
その後、結婚して今は16歳の息子が一人いる。
法要などがあるときには今でも白いニンマのガァクパの衣装をまとうそうだ。
今はキャンプの民生委員のようなことをしているそうだ。
とに角、明るく冗談ばかり言ってる、典型的チベット人だ。彼と二人で今回も道中は問題なく楽しく歩けた。

手動式回転ブランコこの辺の村でよく見かける、手動式回転ブランコ



















孫を学校に送っていくおじいさん孫を学校に送っていくおじいさん。
可愛い孫が自分は行けなかった学校に今通えるようになって、さぞおじいさんも嬉しいことであろう。


 














Scarlet Minivet (Male) 20cmScarlet Minivet (Male) 20cm
ダラムサラでも見かける鳥が多かった。
このミニベットはオスだが黄色いメスと一緒に遊んでいた。

カトマンドゥは相変わらず電気事情がひどくて、中々アップできない、、、





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