ラサ

2011年02月24日

チベットの「冬期厳打キャンペーン」/携帯に「抵抗歌」20人以上拘束



中国当局から「抵抗歌」とされるシェルテンの歌「和合の調べ/The Sound of Unity /མཐུན་སྒྲིལ་རང་སྒྲ་」(英語サブタイトル付き)

後記:この歌の日本語訳が最後にあり!

同じ歌を4人の人気歌手が歌ったバージョン:
http://www.youtube.com/user/MONJYULEMON?feature=mhum

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2月23日付けRFAチベット語版より。
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/lhasa-02232011215142.html

今、ラサでは携帯電話の中に反中的チベットソングをダウンロードしていないかがチェックされている。

チベットでは「冬期厳打キャンペーン」と名付けられた運動が始められて後、弾圧が強まっている。特にラサにおいては携帯電話の中にチベットの歌がダウンロードされていないかが検査され、1月中だけでも20人以上の若者が拘束されたり、罰金を課せられたりしている。

この「冬期厳打キャンペーン」に関する資料をRFAはラサから入手した。それによれば、このキャンペーンは中国の春節、チベットのロサ(正月)及び「チベット平和解放60周年」が平和的環境の下に滞りなく行われる事を目的として行われると記されている。

拘束されたり罰金を課せられた20人以上の若者は当局が中国政府に対する「抵抗歌」と認定する歌を携帯にダウンロードしていたからだという。「抵抗歌」とされる歌の中には「和合の調べ/མཐུན་སྒྲིལ་རང་སྒྲ་」、「私のラマ:太陽、月、星を思いだす/ངའི་བླ་མ་ ཉི་ཟླ་སྐར་གསུམ་དྲན་བྱུང་(歌シェルテン)」等が含まれるという。

もっともこれらの歌が禁止されるのはこれが初めてではない。しかし、またチベット以外の中国本土ではこれらの歌は禁止されていない。当局によればこれらの「抵抗歌」を携帯にダウンロードしてはならないというのは保安法47条によるものだという。

ラサ在住のチベット人の話によれば、「当局が禁止している歌の意味はチベット人はみんな仲良くすべきだと言っているだけで、政府を批判するような意味はどこにもない。それなのに当局は禁止しているのだ」という。

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もう一つの当局指定の「抵抗歌」
「私のラマ:太陽、月、星を思いだす(と思われる)/ངའི་བླ་མ་ ཉི་ཟླ་སྐར་གསུམ་དྲན་བྱུང་(歌シェルテン)」

後記:歌詞の日本語訳が下にあり!

チベット人にとっては太陽=ダライ・ラマ法王、月=パンチェン・ラマ、星=カルマパである。歌ではこの3人の師がチベットから消え、人々は無明に覆われてしまったことを嘆き。苦しみを見守って下さいと祈る。

なお、これらの歌を歌う人気歌手シェルテンが逮捕されたという話はまだ聞かない。


RFAの電話討論の場において、この問題について長い討論が行われている。チベット語が理解できる人は以下も聞いてみてほしい。
http://www.rfa.org/tibetan/tamlenggiletsen/tamlengzhalpar/china-van-tibetan-songs-and-arrested-many-tibetans-02232011161101.html

この討論にはチャンゲンヨンという中国の弁護士も加わっている。
彼によれば、「それぞれの民族を讃えるという歌は漢民族の中にも他の少数民族の中にも沢山ある。これらが禁止されるということはまことにおかしなことであり、憲法でも、各自治州の法律でも、それぞれの民族が固有の文化を守るために歌を歌うことが禁止されているなどということは決してない」と言明している。

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「UNITY」 一つになろう
☆、。・:*:
歌詞: Taglha Gye 音楽: Dubey 歌手: Sherten 翻訳:Sherten日本語翻訳チーム


(若者たち
アムド、カム、ウーツァンの人たちはみんな家族です!運命を一緒に歩みます!

(子供たち
蓮の花のように調和して、皆で一緒に花開きます!

(学生たち
手と手をつないで、さあ調和して前進です!

(各地域の人たち
私たちの国籍の未来を心配するなら、3つの地域が一つとなることが必要です。

(青年たち
アムド、カム、ウーツァンの人たちはみんな家族です!運命を一緒に歩みます!

(子供たち
雪の国チベット人たちは一つになります!

(役者たち
アムド、カム、ウーツァンの人たちはみんな家族です!運命を一緒に歩みます!
手と手をつないで、さあ調和して前進で〜す!

前奏

(シェルテンから
私たちの国籍の幸福と未来を心配するなら、
アムド、カム、ウーツァンの人たちはすべてひとつです!

☆、。・:*:

お〜い!チベット人たち! 一つになろう 一つになろう
あなたの父の顔にうかんだ悲しみを思うなら

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
あなたの母が心の中で流した涙を思うなら

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
雪の国チベット人は一つになろう

私たちは父母を同じくするきょうだい、民族の跡継ぎ 赤い顔のチベット人だ!

☆、。・:*:

お〜い!チベット人たち! 一つになろう 一つになろう
苦楽の混じった年月を思うなら

お〜い!チベット人たち! 一つになろう 一つになろう
チベットの上域、中域、下域の人たちも一つになろう

お〜い!チベット人たち! 一つになろう 一つになろう
雪山の前途を思うなら

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
老いも若きも一つになろう

私たちは上域地方の牧場主、下域谷の畑の主 赤い顔のチベット人だ!

☆、。・:*:

お〜い!チベット人たち! 一つになろう 一つになろう
涙あり笑いありの運命を思うなら

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
三地域の人たちも一つになろう

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
自由な生活の平和と幸せを思うなら

お〜い!チベット人たち!一つになろう 一つになろう
若者、娘たちも一つになろう

私たちは新時代の使者、雪山の未来の主 赤い顔のチベット人だ!

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☆、。・:*:「太陽よ!月よ!星よ!」☆、。・:*:
ニンダカルスムཉི་ཟླ་་སྐར་གསུམ། 歌:sherten


金色に輝く太陽は、別の地の上に昇った
ほら貝のように白い月は、黒雲に覆われた
心の闇を明るくする大きな星が、聖地の山上に現れたが
ほら貝のように白い月は、黒雲に覆われた

太陽よ!月よ!星よ!

有雪国チベットを無明の闇が覆ってしまった
身の無明のせいで、あれこれ正しくないことを行い
口の無明のせいで、でたらめな追従を言い
意の無明のせいで、自分がどの民族かも忘れている

これより悲しい運命がどこにあろう

太陽よ!月よ!星よ!

これより悲しい運命がどこにあろう

中空に太陽と月が昇ったとき
心の闇を明るくする、太陽と月と星を想う
悲しい心でこの歌を口ずさんだ
守護者よ! 慈悲をもって有雪国の苦痛を見てください

太陽よ!月よ!星よ!

守護者! 慈悲をもって有雪国の苦痛を見てください

太陽よ!月よ!星よ!



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2011年02月11日

ウーセル・ブログより「ラサ市民は最も幸福」とCCTVは言う

ウーセルブログより、ラサ以下、2月5日付けウーセルさんのブログ

翻訳:雲南太郎さん
原文:http://woeser.middle-way.net/2011/02/cctv.html

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写真は2010年のラサ――銃口の下の「幸福」。(ラサ人写す)

 最初はある外国メディアの電話取材だった。ラサ市が「市民幸福感最強都市」に選ばれた、どう思うかと私に聞いてきた。新年早々、これほど皮肉に満ちた贈り物を突然受け取り、多くのラサ人がどんな反応を見せるか想像してみた。銃の下で日夜暮らし、ゴンパにお参りに行くにも狙撃手に狙いをつけられ、幸福を感じるとでも言うのか?私はあざ笑ってそう問い返した。

 数日後、このでたらめと言っていいニュースが表に出た。「中央電視台財経チャンネル『CCTV経済生活大調査』の市民幸福感調査の結果が発表され、ラサ市は光栄にも『2010市民幸福感最強都市』の1位を獲得した」

 ラサが「最も幸福」にされたのは初めてではない。ネットで少し検索すると、これは中国最大のメディア公衆調査であり、もう5年続いているとの報道があった。ラサも既に4回、彼らによって「最も幸福」にされていた。毎回、100以上の都市の1位だ。1回だけ1位にならなかったが、それでも3位だ。

ウーセルブログより、ラサ では、その1回は2008年ではないのか?(*1) 誰もが知るように、08年3月に起きた全チベットの抗議はラサから始まった。もしラサに「幸福感」があるなら、どうして抗議するのだろう?仮に08年にラサ市民が「幸福感」最強ではないと感じたとしても、続く09年、10年にはラサ市民の「幸福感」は再び最強になったことになる。これはいささか不思議だ。

 漢人には歴史の教訓を忘れることを批判する「傷跡が消えれば痛みを忘れる」という言葉がある。まさかラサ市民は08年の血の恐怖から、これほど早く幸福感を持って抜け出せたとでもいうのか?それに、08年に「幸福感」最強ではないと感じたとしても、その前の2年間、「幸福感」はずっと最強だったことになる。中国のあれほど多くの都市住民より幸せだというのなら、ラサ市民はなぜ街頭に飛び出したのだろう?
 
 私は昨年、ラサに3カ月滞在した。見聞きしたラサは明らかに軍事でコントロールされた都市だった。ある日、チベット人が住む東のエリアで、たくさんの赤い旗をつけた宣伝車がゆっくり通り過ぎ、大型スピーカーから御用歌手ツェテン・ドルマの歌声が流れてきた。「チベット族人民よ
どんなにどんなに苦しくても終わりは来る 共産党が来て苦みは甘みに変わった 共産党が来て苦味は甘みに変わった……」

 続いて十数台の車がゆっくり走ってきた。先導するのは警察車両だ。後ろはXZ(XiZang=西蔵)の文字と001~005の通し番号が書かれた5台の装甲車で、4人の狙撃手が機関銃を前方と道の両側に向けていた。顔を隠し、銃を持った軍人で満席になった中型バス5台が続き、最後は通し番号006、007の装甲車だ。

 知識分子で退職幹部でもあるチベット人は私に話した。「この2年、ラサは銃を持った軍人でいっぱいだ。ジョカン周辺の建物の屋上には狙撃手が昼も夜も立っている。彼らが狙うのは抗議者か?明らかに一つの民族を狙ったものだ。民心はもう取り戻せない。チベット人と漢人は二度と団結できないだろう」

 また、私はチベット人の自殺を聞いている。一人はラサ林周県病院の若い医師だ。08年3月の抗議により、相当数の僧侶や市民が捕まり、彼は衝撃と心理的な圧迫を受け、10年のチベット暦新年にラサのホテルで縊死した。もう一人はラサ下密院の僧侶で三十数歳だった。ゴンパで毎日受けさせられる「愛国主義思想教育」に苦しみ、山ごもりを要求したが、工作チームに許可されなかった。10年8月のある日、ラサ河に飛び込み水死した。

 この2件の事例だけでは、ラサ市民が「幸福」ではないと説明するのに十分ではないかもしれない。3・14後の5日目のことを覚えている。ラサの街頭に立った香港フェニックス・テレビの記者は正常な暮らしが戻ったと宣伝したが、彼女が取材した何人かのいわゆる「ラサ市民」はすべて漢人だった。まるでラサは既に和諧の実現した漢人都市のようだった。

 彼女は明らかに選んでいる。ラサで暮らすチベット人はまったく彼女の眼中になく、取材された漢人は逆にラサの本来の住民と見なされた。だから、CCTVが調査した「幸福感最強」の「ラサ市民」は、まったくチベット人ではない可能性が高い。

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*1:実際には2007年
http://jingji.cntv.cn/special/2010ddc/20110112/109316_1.shtml
2008年でさえラサは「中国で一番幸福な町」だったことになる。

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2010年12月15日

ラサ近郊・ダム建設により強制移住

ポド村付近






ポド村周辺(写真はグーグル・アースより)。この風景も水底に消え去る。

<ルンドゥップ・ダム建設のために数千人のチベット人が強制移住させられる>

AsiaNews 12/11/2010
http://www.asianews.it/news-en/Thousands-of-Tibetans-evicted-to-make-way-for-Lhundrub-dam-20230.html

水力発電所計画に基づき、ルンドゥップ県の3つの川がダムで塞き止められ、数千人の農民が家と耕作地を取り上げられる。
誰も今後どのようにして生活して行けば良いか分からない。
チベットの経済開発において、チベット人の権利は無視され続ける。

ラサのすぐ北に位置する、ルンドゥップ県ポドの4千人以上の住人がこの地域に建設されるダムにより家を追われる。
チベットの経済開発は常にチベット人の損失の上に成り立っている。
チベット人への見返りは少なく、中国の他の地域の利益のためにチベットは犠牲になり続ける。

ポド村下流のダム建設現場現地からRFAに寄せられた情報によれば「中国人たちは川を塞き止めるために橋を建設している」「すでに、中国人たちは工事のために兵舎を建設している」という。

ポドの下流に建設されるダムにより、ポドで合流するラデン川、ラチン川、パチュ川が塞き止められ、ポド村を含む少なくとも6つの村が水没する。

いくつかの世帯はすでに移住させられ、すべての世帯が2011年9月までに強制的に移住させられる。
すでに、当局は住民たちに「耕作と灌漑、収穫を禁止した」。

家を失う上に耕作地も失い、彼等の唯一の収入源となる収穫も禁止された。
新たにどのように祖末な家を得るかも知れず、仕事を失う。
このような不安からポドの500世帯の住民は移転に反対したが、聞き入れられず、様々な収容所に移住させられている。

いくつかの世帯は耕作地のないラサに移住させられた。
これらの農民たちは家財を売って生活するしかない。

現地からの情報によれば「夫々の家族は補償金として1万元(12万5千円)を受け取る事になっているが、この金で新しい家を建てるようにと命令された」という。

中国はチベットの分離主義者と戦いながら、チベットに経済的発展と富をもたらしているという。
しかし、チベット人たちは基本的人権である言論の自由もなく、中国は、僧侶や知識人を始め、亡命を強いられたノーベル平和賞受賞者である宗教的指導者ダライ・ラマについて語るすべての人々を弾圧し、文化的ジェノサイドを行っており、経済的発展は、地域で指導権を握る中国人移民に握られているという。
さらに、この種の計画でおいてはチベットの脆弱な環境に対する配慮は皆無で、ダム計画やその他の大規模開発も環境への影響が事前に調査されることは全くないと非難している。

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ポド村このルンドゥップ県ポドはラサの北、直線距離約60キロにある。
ここを流れる川はラサを流れるキチュ川の上流にあたる。
レティン僧院への道沿いでもある。

グーグル・アースで探すと、ポド村のすぐ下の方にこのダムの建設現場と思える写真が掲載されているのを見つけた。

キチュ川の上流、ポドの下流ディグン・ゾンあたりにはすでに一つ大きなダムが建設されている。
これでキチュ川のダムは2基目である。
これらのダムに、もしものことがあればラサは大損害を被る事は間違いない。
ラサにとっても非常に危ないダムとなるわけだ。

それにしても、家と農地を取り上げ、強制移住されておいてたったの1万元とは酷すぎる。

このような開発には反対運動を恐怖で押さえ込むために常に、多量の軍隊が送り込まれる。
開発会社の後ろには軍隊がいる。
逆らうものへの発砲事件がチベットでは何度も起きている。
最近では8月に、ペユルで起きた開発に反対する住民への無差別発砲により3人射殺されている。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51494238.html


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2010年12月01日

ジェ・ツォンカパの命日/灯明祭

自宅のガンデン・ガムチュ(灯明祭)今夜が本当のジェ・リンポチェ(ジェ・ツォンカパ)の命日、灯明祭だった。

「昨日は間違ってすまない」と下のアニラ(尼さん)たち、今夜は色とりどりのキャンドルをもっと沢山灯して、お経を上げていた。

今日は夕食に珍しく肉が入ってた。
私「はは~~、今日はツクラカンでみんな500Rsづつ貰ったからだろう。見たぞ!」
アニラたち「そうよ。ロシア・グループはすごいよ。お経やノートも配られたし。こんなの滅多にないよ。この前の台湾グループはちょっとしかなかった。ベトナムの時はまあまあ多かった」と、やっぱお布施が多いと嬉しいのだ。

この辺の僧侶や尼僧が現金を手にするのはこんな法会の機会しかない。
最近、この辺の僧院や尼僧院はどこも肉なしのベジタリアン食になった。
外に出た時にはやっぱチベット人は肉を食べたいらしい。

1.12.2010ガンデン・ガムチュ(灯明祭)家から見えるキルティ・ゴンパは電気灯明で飾り立てている。

チベット本土では、キャンドルや豆電灯を灯明代わりにする事は決してしないで、ちゃんと本物のヤクバターの灯明を灯すそうだ。




2008年のラサ灯明祭左の写真と下2枚は2008年のラサ灯明祭。
@yuntaitai(雲南太郎)さんが撮影されたものだ。

ジョカン前に恐ろしいほど沢山の保安要員が配備されているのが判る。





2008年のラサ灯明祭2008年ラサの灯明祭/ジョカン前。@yuntaitai
こんな事になっちゃった自分の命日を見たら、ジェ・ツォンカパは何て思う事だろう。








2008年のラサ灯明祭2008年ラサの灯明祭/ジョカン前。@yuntaitai

先ほど、アニラがラサにいる親戚に電話した。
その親戚は、ちょうどその時ジョカンを巡るパルコルを歩いているところだった。

アニラ「パルコルはどんな?」
親戚「ああ、人が一杯でまともに歩けないほどだよ。みんな一周することしか許されない。途中何度も警官に止められるよ」
アニラ「見張りの人は沢山いるの?」
親戚「ああ、いっぱいいるよ。道端の出店もみんなかたづけられた」
アニラ「昨夜は風で灯明が消えてしまったって聞いたけど、今夜はどう?」
親戚「今夜は風もなく、周りの家々の窓ベリに沢山灯明が灯ってて本当に綺麗だよ」


法王ダラムサラのツクラカンでは昨日に引き続き、今日も法王による秘密集会タントラの灌頂が行われた。

写真は昨日撮ったもの。

最近法王の玉座の上にエアコンが取り付けられたらしい。
法王、そのエアコンを調整されていた。



法王





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2010年11月27日

ウーセルさんの最新ラサ・レポート

ウーセル女史ウーセルさんが拘束されそう!
という話が今月初めに世界を駆け巡った。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-11.html?p=2#20101101
その後、しばらく連絡が途絶え、みんなが心配していたが、約一週間後には
当局の監視の目も弛み、外部とも連絡できるようになった。
世界中のチベットサポーターたちは安堵した。

ウーセルさん、その後無事北京の自宅に帰られ、順調にブログやツイッターをされていたが、また最近、当局の悪さにより、ブログ、ツイッター、メールがハックされ、使用不可能に陥った。
今は再びブログは再開され、ツイッターも復活した。
もっとも、今日も「自分のメールを使って、ウイルス拡散の危険あり!」との警報を流されていた。

中国当局のウーセルさんへの嫌がらせは執拗に続いているようだ。

そのウーセルさんのラサ滞在中のレポートが写真付きでブログにアップされていた。

さっそく、その11月25日付けブログの翻訳をいつもの@yuntaitai(雲南太郎)さんに依頼した。

ウーセルさんの目を通して見た、現在のラサの状況を知る事ができる。

原文:http://woeser.middle-way.net/2010/11/blog-post_25.html
写真はすべて2010年10‐11月、ウーセルさん撮影。
太字化tonbani.


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ラサで目にした現状/回到拉萨之目睹现状
文/ウーセル


11月25日付け、ウーセルさんのブログより写真1/アムドのアバから五体投地で来た若い男女。向こうにいるのは日夜銃を持って
いる軍人。

10月初め、私は北京からラサに帰って家族を訪ね、1カ月余り滞在した。この間、敏感な日や週、月が来るのに伴い、顕著であれ微妙であれ、ラサの情勢に絶えず変化が起きているのを見聞きした。こうした変化は街のあちこちで見つけられた。

たとえばラサに戻ったばかりの数日で、変化を見つけた。雪新村路の入り口に2年前設置されていた歩哨がいなくなっていた。深夜にバルコルを1周する時には、背中合わせで見張ったり、銃を持って巡視したりする軍人約60人を見た。策墨林(ツェモリン)路から青年路の入り口までに巡視の軍人約30人にぶつかったけれど、3月にあちこちで見た無数の武装軍人は実際かなり少なくなっていた。

11月25日付け、ウーセルさんのブログより写真2/大勢の旅行者が群がって五体投地のチベット人を撮影する。近くの屋上には銃を持った軍人が立っている。


しかし、ラサの空気はすぐにまた緊張してきた。雪新村路の入り口の歩哨が復活しただけでなく、ルカン(ポタラ裏の龍宮公園・魯康)の周りにも軍と警察が隙間なく配置されていた。バルコル一帯やカルマクンサンなどのチベット人居住区は言うまでもない。ラサ人の言葉を借りると、そこはバグダッドだった。

1週間ほど、太陽が昇るころ、数機の軍用ヘリがラサ上空を行き交った。本当に超低空飛行で、轟音を響かせゆっくりとかすめていくのを2階の窓から見ることができた。私たちはこれが威嚇だと知っている。これほど大がかりな行動で抑えつける対象は恐らく少数の人ではなく、明らかに「自分たちと同類ではない」一つの民族全体に向けられたものだ。

ある日の午後、私と(夫の)王力雄は魯固北巷の入り口からバルコルに入り、策墨林路、北京東路、ルカンと歩き、至る所で歩哨に立つ軍と警察、特警、公安、保安、私服を見た。大雑把に見て数千人以上いる。バルコル派出所を通り過ぎる時に中を見ると、数十人の若い武装警察が2列縦隊になり、ボクシングや格闘を訓練していた。「やっつけろ!」という掛け声が響き、頭上には「軍民団結、和諧共建」という真っ赤なスローガンが掲げられていて、かなり風刺が効いている。

その時、たくさんの旅行者が足を止め眺めていて、驚きの表情を浮かべた西洋人もいた。王力雄は「西洋人旅行者がこの情景を見れば、間違いなくチベットは植民地だと思うだろう。でも中国共産党はいま自分を強大だと思っているから、隠す隠さないなんてどうでもいいんだ」と話した。

当然、ポタラ宮から西はまったく違う風景で、ラサ人に「漢区」とからかわれ、レストランは繁盛し、料理の香りが漂っている。徳吉(ドルジェ)路と天海路はラサの有名なグルメ街だ。物価は北京とほとんど同じぐらい高く、公金で飲み食いする恐ろしい腐敗街になっており、食事時間になると路上にモーター・ショーのような名車が集まってくる。

もっと派手な腐敗は隠されている。聞くところによれば、地方や軍の官吏がよく集まるレストランの一つは、ラサ飯店近くの「湘鄂情」で、99%は公金支出だ。有名な高官の味の好みを把握し、好みに合わせて料理を出すことができ、ややもすれば1回の食事が数千元、1万元以上になるとまで服務員は話している。

11月25日付け、ウーセルさんのブログより写真3/9頭の龍を彫った壁と赤い灯籠の背後に見えるポタラ宮。

ラサでの予測できない日々で忘れられないのは、夕暮れ時にツェコル(ポタラ宮ふもとの右遶道)を回ったことだ。昼間に供えられたお香の残り香が漂っていて、あの信仰の香りは人の心をリラックスさせてくれる。ただ惜しいのは、あれだけ大きなルカンが漢族地域の公園のように改造されてしまったことだ。池の上にはもう何重ものタルチョは掛けられておらず、9頭の飛龍を彫った壁が正門に立てられ、漢文化建築の気風が充満している。

どんな角度から見てもこの上なく美しいポタラ宮を眺める。「最も反動的で、最も暗黒で、最も残酷で、最も野蛮」という汚名を着せられた「旧チベット」が築いたのだ。「最も先進的」と自らを誇る中国共産党はチベットを51年統治しても、ポタラ宮に匹敵する建築物をまったく建てていないし、うまく何かをしようとして逆にひどいことをしている。

11月25日付け、ウーセルさんのブログより写真4/ポタラ宮前の石畳はたびたび交換される。

例えば、天安門広場を模倣したポタラ宮広場で今年、まったく余計で豪華な地下道が2本増えた。しかしポタラ宮前の巡礼路では、敷いてから数年の石畳がでこぼこになっていて、役所と民間に大々的な土木工事のチャンスを与えている。この機会に儲けさせてやればいい。心が痛むのは、ポタラ宮に面した何枚かの粗い石畳が無数の信徒の五体投地で平らになり、光っていたことだ。保存するかすぐに記念写真を撮るべきだったのに、もう廃材として持ち去られ、消えてしまった。










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2010年11月22日

RFAより、最近ラサで起こった事件。

4fffb9ca.jpg写真は最近のラサ:ブログ「天葬臺」より。

チベット内地からは最近、大きな衝突のようなニュースは入っていないが、だからといって中国のチベット人に対する弾圧が緩められたという訳ではない。

最近RFAに内地から伝えられた、ニュースをいくつか紹介する。

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<ポタラの裏、コルラの最中に抵抗の声を張り上げたチベット人がめった打の末逮捕される>

最初の話は今月であるが、日付は判っていない。

ラサのポタラをコルラ(右遶)することは、今でも多くの信心深いラサ市民や巡礼者の日課となっている。

ある日の夕方、ポタラの裏あたりをコルラしていた一人の男性が、突然両手を振り上げて、「チベット独立!ダライ・ラマ法王に長寿を!」と声を張り上げたという。

同じくコルラを行っていたチベット人たちはこの姿を見て、驚き、中には涙を流す人もいた。

しかし、数分もしないうちに警官隊が彼を囲み、すぐにみんなの見ている前で彼を滅多打ちにした。
それは凄まじい暴力であり、周りのチベット人たちは声を上げ非難した。

彼は半死状態となり、引きずられて車に乗せられ、どこかに連れ去られたという。

(昨日のRFAチベット語放送より)

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<五体投地の巡礼者を助けるチベット人、排除しようとする警察>

チベットは冬に向かい、農閑期となったカムやアムドの田舎からラサに巡礼に来る人が増えている。

その中でも何ヶ月もかけて五体投地を続けながらラサまでやって来た巡礼者に対して、また、その中でも大地震に見舞われたケグド(ジェクンド 玉樹)からやってきた巡礼者に対し、ラサのチベット人たちは彼等を篤くもてなし、家に泊めたり、食料を与えたり、マニリブ(法王が加持を与えたとされる小さな万能丸薬)を与えたりしているという。

しかし、ラサの公安や警察はこのような巡礼者に対し、分けもなくつらくあたり、ジョカンの周りを五体投地するものを見つけるとすぐに追い出すという。

最近、ジョカンのパルコルでそのような巡礼者を労っていたチベット人を見つけた警官が彼等を乱暴に追い払い、その巡礼者の写真を撮っていた台湾人を捕まえどこか連行していったという。

http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/tibetan-on-annul-pilgrimage-to-central-tibet-being-harrassed-by-chinese-security-11112010155845.html

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<カンゼ出身の3人のチベット人が連行される>

最近、ラサで露天商を営んでいたカム、カンゼ出身の商人2人と僧侶1人が、突然その店に現れた警官に拘束され、連れ去られたという。

それを目撃したチベット人がRFAに伝えたものだが、彼はおそらく彼等はグツァ拘置所に送られていると思う、と話ているが、はっきりとした行方は不明のままだ。
また、なぜ彼等が連行されたのかも判っていない。

http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/china-police-arrested-three-tibetan-without-any-reason-11132010115148.html












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2010年11月02日

ウーセルさんからのメッセージ/ブログ「天葬臺」より「武装警察のラサ――最新のラサの写真」

2701d325.jpgラサの自宅に軟禁状態となっている、ウーセルさんに関する情報は、現時点(現地19時)で2つ。

1)「童靴状况尚好,仅仅只是上不了网,于是,�就索性用阅读与写作打发时光了。」ーー>
「ネットできないだけで、状況はいいです。だからそのまま読書と書き物で時間過ごしてます」

2)「親愛なるツイ友よ、天気予報は雪、雨だったけれど、ラサは青空で太陽がまぶしいです。ネットは「壊れ」ましたが、窓の外の日差しはツイ友の温かさを感じさせてくれます。心から感謝します。感動で涙出そう」
@degewa11月2日16時5分。RT@mynamexu

監視されてるので、外のネット屋に行くとか、こっそりラサを抜け出すとかもできないようだ。
それにしても、ウーセルさんはこんな状況下でもとても明るい!

ウーセルさんはラサに里帰りしていた。弟か妹の家にお母さんと一緒にいると思われる。
1人ではないらしいことは少しこちらの気休めとなる。

ウーセルさんが自ら語った、生い立ち『私のアルバム〜我が家の三代記』がブログ「チベット式」に訳されている。
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/2008/12/post-0fc9.html

ウーセルさんの今いるラサの最近の様子を撮影した写真が友人のブログに掲載されていた。

以下、そのブログを紹介する。
翻訳は@yuntaitai(雲南太郎)さんにお願いした。

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天葬臺
http://sangjey.blogspot.com/2010/11/blog-post_01.html

2010年11月1日星期一

◎武装警察のラサ――最新のラサの写真

 最近、昔の友人に会った。彼女はチベットのラサからダラムサラに戻ってきたばかりで、少しラサの様子を教えてくれた。
彼女の言葉を借りると、「ラサは軍隊の都市」。
中国共産党の役人はチベットの首都ラサに入るすべての西洋人旅行者に「武装警察を撮影するな」と警告しているという。

 幸いにも、ある西側の記者が武装警察の写真を撮っている――確かに武装警察のラサだ。
空中から壁の上まで、屋上から地面まで――あらゆる場所に武装警察がいる。
もちろんこれは確認できるものだけであり、ほかにどれだけ私服警官がいるだろう?
知っているのは共産党だけだ――。

ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサジョカン上空の偵察ヘリ。














ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサお年寄りらは1950年代の爆撃を思い出したかのようだ。













ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ忘れるな――あれはレストランではなく、屋上の歩哨所だ。












ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサジョカン付近の建物の上にある監視カメラ。













ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ屋上のタルチョの下に武装警察がいる。














ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ猫を撮影したようだが――遠くの屋上に武装警察がいる。













ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサジョカン近くの建物の上にいる武装警察。実弾入りの銃を持ち、電話も引いてある。











ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ屋上の警備要員。















ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ地上の武装警察と保安。














ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサラサの保安が恐怖を生み出す。














ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ不満げで恐ろしい武装警察の前をチベットの少女が歩く。













ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサおばあさんは敬虔に祈り、武装警察は銃を見せ付けて通り過ぎる。












ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ銃を持った武装警察がジョカン前を歩く。













ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサ保安と武装警察。















ブログ「天葬台」より・ラサの警察/最近のラサジョカン前の武装警察と僧侶。










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2010年11月01日

ウーセルさんが拘束されそう! 続報あり。

ウーセル女史ラサにいる、ウーセルさんから30分前に緊急通報。
http://woeser.middle-way.net/2010/11/blog-post.html

午前11:11、13989990059という番号から私の携帯に電話が掛かってきた。
彼は拉薩市公安局の者だと名乗り、公安局に即刻出頭するよう私に要求。
理由を尋ねた。
なにか事情があるというならば、私に教える必要があるでしょう。

私は行かないと言った。
行かねばならない理由は無い。

彼は当然理由はある、自分が何をしたか判ってるだろうと言った。
私は自分は違法な事など何もしていないと言った。
私はあなたがたが来たければ来れば良いが、手続が必要だと言った。
彼は、宜しい、手続を持って行く、と言った。

この時からツイッターが使えなくなった。

私のブログを読んで下さっている皆さん、この情報を転送して、ツイッターでも広めて下さい。有難う!

11月1日午前11時40分、ウーセルより

(訳U女史)

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大変なことになった!
どうすればいいのか? 
遠くて無力感。
オーマニペメフーン。
自分の娘が公安に拘束されるぐらい、悲しく、心配だ。

兎に角今は情報を広めるしか無いか。

今、公安は令状を用意しているところか?
2年前にも同様の事がラサであったが。
ラサに行かなければよかったに。

2008年8月にラサで拘束された時の様子はTimesが伝えている。
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article4607454.ece
その日本語訳:
http://banana-cat-cafe.blog.so-net.ne.jp/2008-08-26-3

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ウーセルさん、10月30日撮影、ラサ左の写真はウーセルさんが10月30日ラサで撮影したもの。
「チベット語の運命」と題されたブログに掲載されている。
http://woeser.middle-way.net/2010/10/blog-post_31.html

続報:日本時間20時半、中国時間19時半現在、まだ公安は動いていないらしく、ウーセルさんは連行されず、無事なようだ。


これまでに、3人がウーセルさんに電話連絡した報告がツイッターに流れている。

その1)@yangpigui 許暉さんが15時前(日本時間、以下同様)に電話。
「さっきウーセルさんに電話、いまのところ何もない。1人にならないようにと忠告した。」<「打过电话,暂时无事。嘱�身边随时有人。」


16時頃ウーセルさんから「短信:帰宅。家の前の交差点にずっと停まってる密封された車の側を通り過ぎる時、盛んにフラッシュが光った。私:写真撮ってくれたのかね? ハハハ 彼女:X線かもね〜 ハハハ」
という連絡があったという情報が入ったが、これは何時の事なのか不明。


その2)@kaokaokaokao 福島香織 さんが17時過ごろ電話。
ツイッターに:
「いま、おーせるさんに電話した。いまラサ、午前中に電話でくるといった彼らは来てない。『何もなければ12日に北京に帰るから』『うん、北京でまっている。日本のおかしとか小物とか、お土産もって来てるから!』『じゃあ、ラサのお土産持っていくよ』これだけの会話に泣けてくる」と報告。

その3)同じく @yangpigui: 許暉さんが1時間前に再び電話。

「さきほどオーセル @degewa と電話で話した。今も無事とのこと。どう転ぶのか今は待つだけです。(これまで無事なのは)みなが注目してくれた結果かも。どうせなんなのかよくわからないのだから、しばらくこの件は気にしないことにします、と話していた。」<「仍然安全无事。�说自己就像守株待兔一样。还说会不会是大家关注的结果。反正不知道怎么回事,暂时不理这件事。」

みんなが注目しているということが公安を牽制することに繋がってほしい。

これはただのラサ公安の嫌がらせで、このまま何も無い事を祈る。

ただ、夜中に動くことが得意の公安だ、まだまだ安心できない。

ウーセルさんはその活躍ぶりにより、何時逮捕されてもおかしくない。
ただ、中国ではその有名度が当局の逮捕を免れる要因となることが多い。
北京では拘束されないのに、ラサではこうなる。
ラサの公安はウーセルさんの世界的人気度合いについて認識不足のようだ。

か、或は、もういい加減にしろと、この辺で拘束するつもりか?

もしもの事があれば、世界は黙っていない!

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先ほど(21時半)入った情報:

chinanews21: 翻訳RT @pufei オーセル女史最新情報:オーセル女史自宅のネット回線はすでに切断された。家の外にはパトカーが待機。各界の注目を呼びかける。


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1日の夜遅くに、@ura....さんがウーセルさんと連絡をとる。

ウーセルさん曰く「これが私たちの現実です。今は嵐の前の静けさという感じで、努めて平静を保とうとしています。多くの方に関心を持っていただいて感謝しています」

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今日2日のRFA :http://bit.ly/a2Soc7 
にウーセルさんがRFAのインタビューに答えている。
電話会話は昨日のもの。

ウーセルさんは公安から電話があった後、北京の弁護士と連絡を取った。
公安は北京の中央公安と連絡を取っているらしい。
他の内容はウーセルさんのブログ報告とほぼ同様。

















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2010年10月12日

ラサの監獄の地獄絵を伝える貴重な証言 

f76160fa.jpg再掲・2008年5月19日分

5月19付でTCHRDが貴重な証言を発表した。
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080519.html

ラサ動乱後、数千人のチベット人が逮捕された。
その人たちの詳しい消息は今まで伝えられることがなかった。
以下、一人の青年が経験することになった、耐えがたい監獄の地獄絵の様を彼の証言からお伝えする。


<ラサの一青年の証言>

TCHRD(チベット人権民主センター)は3月のラサ動乱に後逮捕された一人のチベット青年から貴重な証言を得ることができた。
彼は監獄での非情な拷問の様、監獄の回廊に響く呻き叫び声、常に耳に入る悲惨な仲間の話、それでもいつか外の世界から支援が来ると堅く信じ続ける心、そして監獄から解放された後に感じたことについて話した。
以下の証言は証言者が第3者に緒言したものをTCHRDが編集したものである。
文中(*)の箇所は関係者の安全のために名前等の情報を伏せた部分である。


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3月(*)日約100人の軍人が突然自分の家に押し入った。
5か所にあったドアはすべて打ち砕かれ、中に押し入った大勢の軍人がすべてを手当たり次第に床にぶちまけた。
そこにいたみんなを殴りつけた。

まるで強盗に踏み込まれたようだった。
様々な武器を見せながら我々を本当に乱暴に扱った。
私はその場で逮捕された。
後手に両親指を締め上げられた。
余りに強く絞めつけられたのでその時から2,3か月は指に感覚が無くなっていた。
彼らは「いい機会だぜ!」とお互いに話しながら我々を激しく殴りつけるのだった。
始め私は本気で彼らが私を殺すつもりだと思った。
彼らは頭めがけて殴りつけてきた。頭は他の身体の部分と違って壊れやすいはずだ。

監獄に連れて行かれた。
最初の4日間は何の尋問もなかった、ただただそこにほっておかれた。
一日にティンモ(チベット蒸しパン)半切れが配られる。
それは本当に小さい!
みんなのぞを空している。多くの者が自分の小水を飲んでいた。
受刑者に全く水は与えられないのだ。
服もなく、毛布もなく、床にも敷くものは何もない、裸でセメントの床に寝るのだ、それは死ぬほど寒かった。4日間誰も我々を呼び出すこともなく、ただそのような状態に捨て置かれた。

昼間のラサは静だ。
しかし、夜11時過ぎてから、翌朝の5,6時までに毎夜千人近いチベット人が逮捕されて行った。

私が閉じ込められていた部屋では4,5日後に2個の蒸しパンと共に湯が配られた。

そこで色んな酷い話を聞いた。
多くの者たちが腕や足を骨折したり、銃弾で負傷していたが病院に連れて行かれる者は稀だった。
彼らは私たちと同じように監獄にほっておかれた。
それは本当に恐ろしいことだった。
私は自分が今21世紀に生きていることが信じられなかった。

例えば一人の男の子は、銃弾を4回浴びた。
一つは左背中から胸の前心臓近くに向けて貫通した。
一つは左肘の内側から手首にかけて、
一つは右肩口から下に向けて貫通したと。

(拷問により)ある人はろっ骨を折られた。
ある人は右目を強く殴られ、蒼黒くはれ上がっていた。
歯を折られた者は多い。
これらはほんの数例だ。
その他沢山のおぞましいことが行われていた。

何よりの苦しみは飢餓だった。みんな飢えていた。
弱った人はただ倒れる。
同室の男の子が便器の上に倒れた拍子に顎から頬にかけひどく切る怪我をした。

また多くの囚人が精神異常に見舞われる。
そうなったものは倒れやすい。
ツェタン出身の一人の男の子は精神異常を起こし心臓が弱っているようだった。
毎日2,3回は倒れる状態だった。しかし、もちろん監獄側はそんなことは気にも掛けなかった。

ラサには19箇所に監獄がある。最大のものはダプチでチュシュルにも一つある。最悪なことは、この場所はゴンザだがここは普段監獄ではないところだということだ。
中国当局は訪問者に空の監獄を見せ、ほら誰も政治犯などいない、というつもりなのだ。
普段鉄道の駅には監獄はない。
しかし当局はそこの大きな建物を監獄として使っている。
ドュロン デチェンとこのゴンザにもチベット人が収監されている。

夜になると大型バスが大勢の軍人と共にやってくる。
毎日そうやって100人から150人の人がドュロンに連れて行かれた。
彼らは「さあ出発だ。お前らは何も悪いことはしてない。今から家に帰れるんだ」
そう言って彼らは他の二か所に送られて行くのだ」
とにかくむちゃくちゃに者のようにトラックに積み上げられ運ばれるのだ。

以下のことは自分が見たことでなく友人から聞いた話だが。
ある日ドゥロンから僧侶たい数名が積み上げられどこかに連れて行かれた。
その後彼らは二度と帰って来なかった。
皆は彼らが処刑されたらしいと思った。

監獄で私は65歳という老人に会った。
彼の両脚は砕かれ、立つことができなかった。
彼は実際死にかけていた。
そこで監獄側は彼を人民病院に連れて行った。
そこでは毎日拷問の末にひとり二人と死んでいく。
そこに連れて行かれる者は、銃弾を浴びたか暴行を受けたもので、そこに行った者たちはまず帰ることはない。そこで死ぬ。

病院に(*)出身のある弟と妹が寝ていた。
突然そこに軍人たちが入ってきて二人を高い階の窓から外に投げ落した。
弟はその場で死んだ。
姉の方は死ぬことはなかったが、横たわることができなくなり座った姿勢しか保てなくなったという。
このことを外の者にしゃべったら容赦しないと脅されているという。
これらはほんの数例だ。
こんな話は幾らでもある。

何もしていないチベット人に対してもいろんな尋問がなされる。
彼らにはただ、我々がチベット人であること自体が罪なのだ。

他の場所から大量の軍隊がラサに集められた。
一方囚人たちは目立つラサから遠くのどこかい運ばれて行った。
(*)僧院の僧侶たち、多くの友人、親戚が行方不明のままだ。

ラサには軍隊は居ないなどと彼らは言う。しかし大勢の私服警官が常にチベット人の身分証明書をチェックしている。

"監獄には多くのソウトの高校生がいた。その中に17歳の男の子がいたが、彼は3月14日のデモには参加していなかった。
彼は全裸にされ両腕を縛られ、失神するまで引き回された。
実に様々な拷問の方法があった。
遂に彼はすべての自分に対する濡れ衣を認めさせられた。
こんなことが沢山の人に対して行われ、全くしてもないことを認めるよう拷問されるのだ。

私自身は監獄で死人を見たことはない。
しかし、毎日のように監房からは<誰それが死んだ!>と監囚人に知らせる叫び声が聞こえてきた。

ゴンゼには9棟の獄舎があった。一棟に11部屋づつ、一部屋に20人から30人の囚人がいた。
逮捕され行方も知れないデブン、セラ、ラモチェ、ジョカンの僧侶達を除いて、おそらくそのころ1万人ほどのチベット人がラサで逮捕されていたであろう。

チベット弾圧私は4月(*)日に釈放された。

(以下は私ではなくY女史が訳してくださいました。)

私は解放される前、ラモチェから来た僧侶に会った。
僧侶達のことが非常に心配だ。
兵士達は僧侶達をひどく扱っているようだった。
なぜなら、デジェ〔おそらくデルゲ郡を指す〕から来た僧侶の一人は指が折られていて〔と、完全に曲がった指を示しながら〕片目が完全に盲目になっており、視力が完全に失われていたから。
彼は私達よりひどく殴られていた……本当に、なぜ彼らが僧侶達にあれほど
怖ろしいことをするのか、まったく理解できない。

私は同じ監獄で*〔郡〕から来た少年に会った。彼はラサに、ラモチェの近くに住んでいた友達が二人いたが、二人とも銃で撃たれたという。
アニチェンコの近くに病院があるが、一人は尼僧院へ連れていかれて、そこで死んだ。
名前は忘れてしまったが、21歳だった。もう一人は20歳で、彼も撃たれて病院へ運ばれたが、おそらく彼も死んでしまうだろう。
ガングッ通りで撃たれたそうだ。

ラサに近いアニシム出身の*という名前の*歳の少年が監獄にいる。
彼の友人二名も撃たれて死んだ。彼と18歳の兄弟はペンポの出身だ。
ゴンゼの監獄にはペンポの人々が大勢入っている。

昼間はとても静かだ。何もかもが夜に起こる……秘密にされていること全てが。
デブン、セラや駅とは電話連絡が途絶えている。
時に連絡をとれることもあるが、大抵は駅まで連絡することはできない。

私はインドに親戚がいる。見聞きしたことをインターネットで送ろうとして、書いた。
少しだけ書いてワードファイルに保存したが、突然それが無くなったので、
非常に怖ろしく感じている。
だから、電子メールも確認していない。
海外に大勢友人がいて、たくさんメールを送ってくれているが、私はそれを開いていない。
(*)

彼ら(当局)は、表向きは人々がすべてうまくやっているように見せかけている。
が、実際は本当にひどい状態だ。彼らは非常に悪いことをして、私達にこういう
問題を起こすよう強制的に仕向けたのだ。

ラモチェの人々は何もしていなかったにも関わらず、数千もの兵士達が僧院やすべての寺院を取り囲み、まるで刑務所のように多くの車両で門を塞いでしまった。
私達はこれ以上耐えられなかった、我慢するべきだったのかもしれないが、もうこれ以上は耐え切れなかった。
人権なんて皆無だ。
実態として文化が虐殺され続けていたこと、それこそが大きな問題だ。

けれども小さい問題もある。
たとえばラサで、ベイジン・ルー〔ルーとは中国語の「通り」の意味〕で、またはゲンシュ・ルーで、そういった表通りで商売をしているチベット人が、果たして何人いるだろうか? 
ここはチベットのラサだ、中国ではない。 
なのに、チベット人は生きていてはいけないというのか?

中国人は大都市で学んできており、才覚がある。彼らは経験も豊かで、
ビジネスをする十分なお金もある。
けれどもチベット人は村の出身で、農民や遊牧民だ。
お金だってない、どうやってラサで働いていけばいいのか?
必要なことは何なのか? 地元の人々がラサで仕事をすること? それとも
中国人がラサで儲けることか? なぜ中国の警察は、チベット人が通りの片側で
仕事をして、もう片側で中国人が商売する……といったことを許してくれないの
か?
その方が公平ではないか? チベット人にも有能で知的な人は大勢いる、だが彼らには十分なお金がない。
中国人は北京や上海に住んでいるので金を持っている。
でも、こうしたことは、どちらかといえば小さな問題だ。

私は多くを目撃してきたが大丈夫だ、まだ何でもできる。
けれども私は大勢のチベット人を、彼らの生活を、そして中国人の暮らしぶりを見ている
……
これがチベットだ。地元の人々は中国人より優れていてはいけない、とされている。
でも、バランスがあっていいはずだ。政府から年金を受け取りながら、
チベット人の悪口を宣伝するような年寄りのチベット人も、中にはいる。
彼らがテレビに出演しているのを見るが、笑うしかない。

欧米にはチベットの人権のために闘ってくれている人々が大勢いる。
そうした人々が闘ってくれているのを、非常にありがたく感じている。
私も家でもっと勉強したいのだが、できない。
テレビを見る度に、何もかもが嘘とわかってしまう。
だから心が痛む〔と言って胸を指す〕、とても悪いことだ。
通りを歩いていると、兵士達が私の身分証明書を確認しにやってくる。
彼らは私のカードを見て詰問する、『生年月日は?』 そこでもし何かほんの少
しでも間違えたら、それでお終いだ。
彼らは写真とあなたの顔を見比べる。
ところが中国人であれば〔身分証明書なしで〕パスする、それで許されるのだ。

(*)昔はここが最高の場所だったが、今は刑務所みたいで、まるでラサらしくない。
刑務所では、チベット人の警官に『ここに跪け!』と命令された。私は両手の親指を背中で結ばれていた。
彼は〔私の前にある椅子に〕座って、その足を私の頭の上に乗せ、私の額を蹴って頭を後ろに押しやり、私の顔を何度も何度も平手で打ち据えた。
この男を見ていて、私はとても悲しかった。彼はチベット人で、今、私は彼を毎日のように見かける。
〔それ以来〕彼に何度も会っている。
大勢の中国人とチベット人が私の背中に飛びかかり、足蹴にし、頭から打ち据えた。
私の顔をねじって、私に顔を見られないようにして。けれども、顔を相手に見せ
ながら、そういった悪を為すこと――それこそが最も忌まわしいことだ。

これは一つの経験に過ぎない。
私はそれから多くを学ぶことができた。
刑務所では時々、食べ物を夢想したり、家で作った食べ物を思い出したりした。
母や姉たちの料理を思い出し、その匂いを感じ、そしてその時、私は本当に、家での食事がどんなに美味しいものであるか、深く感謝した。
ふだん私はあれこれすっかり食べてから『あれはそんなにうまくなかった』などと言ったりしていた。
だが今や、とてもとても美味しいものであることが、よくわかった。

これら(投獄されたこと)は人生でも最悪の出来事だったが、そのおかげで私はいかに良い人間であるべきか、学んだと思う。
時々、私の(*)の子供たちがここにいて、宿題をしなかった時などに、彼らをどなったり叩いたりする。
けれども今は、どなろうとすると、時に苦しみを感じる。
私は実に多くを学んだ。

チベット人の人口が少ないことが気がかりだ。
今日では大勢が亡くなったり、腕や脚を折られて不具になっている。
とてもよくないことだ。そして大勢の人々が、私と同様に、刑務所に入れられている。
私は刑務所に入れられている人々のことを常に考えてしまう、彼らが置かれている恐ろしい状況について。
ずっと泣き叫び続けている、16歳や17歳ぐらいの若者達――本当に悲しくなる。
手足を折られた人々や銃で撃たれた人々を見てきた――彼らの青ざめた顔を
見ることは、それはそれは悲しいことだ。

以上




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2010年09月12日

ラサでチベット初の盲人学校を創設した、全盲のドイツ人サブリエ・テンバーケンさん

ラサの盲学校の子供たち今日横浜の「あーすフェスタかながわ」で多文化共生を紹介する映像の上映会が開かれその中でチベットの盲学校生徒が登山に挑戦するドキュメンタリー映画「ブラインドサイト」が上映されたはずだ。

このドキュメンタリーはサブリエ・テンバーケンさん(Sabriye Tenberken 1970年生まれ)というラサで1998年に盲学校を創設した全盲のドイツ人女性が学校の教え子6人と共にエベレストの北にある7043mのラクパリ峰登頂に挑んだ時の記録。
山頂には達することができなかったが「ゴールは頂上ではない。視界がさえぎられた氷原が目の見えない子供たちの頂上だった」と彼女は言った。

彼女は出生時より強い視覚障害を負い、先天的な進行性の網膜退化のため12歳で完全失明した。両親は、彼女を目の見える子供と同じように扱い、急流の中でカヌーを漕がせ、スキーも教えたという。「どんな人でもできないことが必ずある、最も重要なのは自分の能力の限界を発見し、限界まで発揮すること」と両親は彼女に教えた。
盲学校時代にチベットに興味を持ち、ボン大学でチベット学を専攻。1992年チベット語の点字を世界で初めて創作した。その後、このチベット語の点字は盲人用の公式言語となった。
「無国境の点字チベット語」は光に追いつくための足跡と彼女は言った。

サブリエ・テンバーケンさんとポール・クローネンバーグさん1997年1人でチベットに行き、馬等で村々を回りチベットの盲人たちの現状を調査した。チベットでは太陽の輻射が強いため、目の病気の発病率が高く、チベット高原には失明者が多い。盲目の子供たちがベッドに縛られ、人目から隠され、物乞いにだされるのを知って、彼女は盲学校を創ろうと思い立った。「知識に飢え、好奇心にあふれる子供たちを支援して強くしたい」と思い、正しい技術と方法を使えば、自分の前に全世界が開かれることを、同じ目の不自由な彼女はよく知っていたからだ。
そんな子供たちを救おうと、1998年チベットに再び行き、実際にラサでチベット初の盲学校を始めた。

チベット語点字だが、最初彼女は様々な困難に遭遇したという。盲人である彼女を騙そうとする者もいた。
自身が盲目である女性の計画に対し信頼を得ることができず募金活動もうまくいかなかった。
しかし、その時シガツェの赤十字で働いていた同じドイツ人男性ポール・クローネンバーグ(Paul Kronenberg)が計画に合流した。その時から学校は順調に行き始めた。彼は彼女の公私のパートナーとなった。
今までに約100人の生徒がこの盲学校で勉強した。
彼らの盲学校は全く新しいスタイルだったので、このスタイルは他の世界中の地域の人々に参考にされているという。

更に彼女は最近南インドのケララに「国際社会企業家養成学校International Institute for Social Entrepreneurs」を設立し、世界中の盲人学生を集め教育している。

サブリエ・テンバーケンは2005年にはノーベル平和賞候補にノミネートされ、2006年にはマザーテレサ賞を受賞している。
その他、これまでに中国を含め多くの国々から賞を受けている。

私の知り合いの親戚がこの学校にかつて通っていた。その子もこの登山に参加したという。
その子はこの学校に行き始め、非常に明るい子になったということを聞いたことがある。

サブリエ・テンバーケンさんの本の一つは日本語にも翻訳されている。
「ブラインドサイト 小さな登山者たち 」の [DVD] もある。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3/s?ie=UTF8&rh=i%3Advd-actor%2Ck%3A%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3&page=1

彼女の会のホームページ:
http://www.braillewithoutborders.org/ENGLISH/index.html

参考:
http://en.wikipedia.org/wiki/Sabriye_Tenberken
http://japanese.cri.cn/782/2009/11/25/141s150766.htm
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/mixnews/20070819ok01.htm

写真1枚目:サブリエさんとポール。雑誌「ソトコト」2010年5月号86ページより。©Braille Without Borders

2枚目:ラサの盲学校の生徒たち.サブリエ・テンバーケンさんのホームページより。

3枚目:彼女が創作したチベット語点字。同上ホームページより。





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2010年08月12日

8月10日、ラサでショトゥン祭が始まった。

8edb49a7.jpg8月10日、ラサで恒例のショトゥン(ཞོ་སྟོན)祭が始まった。
ショトゥン祭は1週間行われる。

RFA(チベット語版)http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibet-celebrates-the-shoton-festival-08112010225619.html

ショトゥン祭と言えばデブン僧院の巨大タンカ(34mx42m)の御開帳が有名だが、元はその間第1〜4日目まではノルブリンカでラモの踊りを歴代ダライ・ラマに披露したりする、ラサの一大娯楽週間だった。
(ダライ・ラマ法王はいらっしゃらないが、形だけは今も踏襲されているらしい)
この時期ラサには大勢のチベット人が集まり、屋外にテントを張りピクニックを楽しんだという。

「ショཞོ」は「ヨーグルト」、「トゥンསྟོན」は「見世物」の意味。この時期ヤクのヨーグルトがちょうどよくできるというので、ピクニックにはみんなヨーグルトを持参したという。だからショトゥンとは「ヨーグルトを飲みながら、踊りなどの見世物を楽しむ」と言うほどの意味だ。

今年のショトゥン祭には政府の観光局は国内からくる中国人、チベット人と外人の観光客合せて100万人!の人出を期待しているという。
そんなに人来て一体どこ泊るの?と思ってしまう。

それで、2008年に行われたショトゥン祭についてのブログを読み返してみた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51089535.html

その中にはウーセルさんの<ラサは本日“ショトゥン祭”> という詩が載せられていた。
長田さんが自身のブログの中で訳して下さっていたものだ。

以下この彼女の詩を再び掲載させて頂く。

<ラサは本日“ショトゥン祭”>

ラサでは今日“ショトゥン祭”を熱烈に祝ったそうだ。
観光中の友人は、デプン寺に大タンカの開帳を拝みに行った。
午前10時に開帳が始まり、12時に終わったという。

人はたくさんいた? そう尋ねてみた。
チベット人がけっこう大勢いたよ。
タンカを開帳してたのはどんな人たちだった?
とりあえず赤い服を着ていたよ。

もちろん、彼らは、すばらしい役者たちだ。
ラサで“ショトゥン祭”を見事に演じた。

デプン寺、セラ寺、ガンデン寺の僧侶たちは、すでに千人以上が捕まっている。
残された数少ない僧侶たちは“タンカ開帳”に参加しないわけにはいかない。
寺院管理委員会の命令に逆らえる者がいるだろうか?
従わなければ?
従わなければ、武装警察と公安にすぐに取り押さえられ、
ゴルムドの“グァンタナモ”に送られるだろう。

ラモチェ、トムシカン、カルマクンサンといったチベット人が暮らす地域では、
どれほど多くのチベット人が捕まって連れ去られただろう?
チベット人たちは恐怖にふるえながらも“ショトゥン祭”を祝わないわけにはいかない。
居民委員会の命令に逆らえる者がいるだろうか?
祝わなければ?
祝わなければ、年間200元の食糧費の補助金がすぐ取り消されるだろう。

3・14以降、外国のメディアが来訪したときだけは、
退職公務員や現職公務員が寺院に動員され、
参拝する信者を装って、仏像のまわりをぐるぐる回らされた。
行かなければ?
行かなければ、年金は取り消され、職を解かれるだろう。
外国人記者が去るのを待って、寺院は立ち入り禁止となった。
もう一度行ったら?
やはり年金は取り消され、職を解かれるだろう。

はは…
今日、押し合いへしあいデプン寺やセラ寺にタンカを拝みに行った人々も、
ノルブリンカに賑々しく“ラモ”見物に行った人々も、
偽物だよね。
まことしやかな偽物ばかりだと、本物も偽物に見えてしまう。
何もかもが偽物で、心さえ偽物。
ただ涙だけが本物。心の中を流れる涙。


はは…
なんて素早いことか、新華社のニュースがもう流れている。
ラサ人民は“ショトゥン祭をお祝いした”そうだ。
中国西蔵伸息中心の写真も出ている。
去年のタンカ開帳では上演禁止になったチベットオペラが、
今年は不思議なことに上演されている。
あろうことか“伝統儀式”とはまた、あつかましい。
忘れたわけではないだろうな。
では、なぜ去年“伝統”を継承しなかったのかな?

こう言う人がいる。今の中国って…
“小康(そこそこの暮らし)だ小康だっていうのも偽物、
宗教だ宗教だっていうのも偽物、改革だ改革だっていうのも偽物、
開放だ開放だっていうのも偽物、発展だ発展だっていうのも偽物だ”。

私ならこう言おう。今のラサって…
ショトゥン祭だショトゥン祭だっていうのも偽物!
調和だ調和だっていうのも偽物!

2008年8月30日





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2010年08月05日

ラサの企業家に無期懲役/ケグドの地震被災地は今/チベット国旗のトヨタ・レーシングカー

今日もいろいろある。

まず、VOT、RFA、ウーセルさん等が伝えるところによれば、
http://www.vot.org/#

7月26日、ラサ中級人民法院は、ラサ・ヤク・ホテルのオーナーでもあり企業家として有名なドルジェ・タシに無期懲役、その兄ドルジェ・ツェテンに6年の懲役刑を言い渡した。

彼らはすでに2年以上拘束されていた。
その間、誰も彼らと面会できたものはいない。
罪状はまだはっきりしていないようだが、ダライ・ラマ法王の法要に寄付をしたのではないか? 何らかの政治的罪状ではないか?と噂されている。
(この情報をVOTに電話で伝えた人は「罪状は分からない」と言ってる)

それにしても驚くべきは没収されるという彼の財産だ。
その額43億元!(約600億円!)
という。
こうなると、(地方)政府が財産目当てに、この隠れプロ・チベッタンかもしれない企業家を陥れた、のではないかとの疑いが自然に湧く。

ウーセルさんによれば、彼はアムド、サンチュ(甘粛省夏河)の出身。40才頃ラサに出て独学で英語を学び、最初ガイドの仕事をしていた。
次に飲食、娯楽を中心の会社を作って成功。
2005年「神湖集团公司」を創立。
彼の会社はチベットのホテル業と不動産業を牛耳るほどに成長したという。

ラサのヤク・ホテルと言えば誰でも知ってるラサのチベット式ホテルの老舗。
私も泊ったことがあるが、ここに泊ったことのある人は多いことであろう。
やさしいおばさんが多かったことを思い出す。

もっと詳しいことが分かったらまた伝える。

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kegudo<ジェクンド(ケグド、ユシュ、玉樹)の被災地は今>

http://www.vot.org/#

被災地から亡命を果たし、今カトマンドゥにいる、1人のチベット人がRFA,VOT等のインタビューに答えている。

彼は、中国は本当に何もしてくれない。チベット人を救ってるのは他のチベット人だけだ」という。

以下、彼の話の70%ほど。

「軍隊の者たちはちゃんとした宿舎を建てそこに住んでいるが、被災者たちはまだみんなテント暮らしを続けさせられている。雨や強い風に悩まされ、大変だ。テントでなくガレキの中にブリキ板を掛けて暮らしている者たちは、屋根が飛ばされそれで怪我をするものも多い。埃もすごい。」

「中国はまったく我々の面倒を見ようとしていない。見に来ることもない。今まで生きてこれたのはみな他のチベット人たちのお陰だ。
自分も土の中で生き残った者の1人だ。」

「被災、1日目に地元の僧侶たちが助けに来た。2日目には近くの僧侶たちが駆けつけたくれた。何百人ものチベット人が彼らによって救われた。3日目にやっと中国の軍隊が来た。それからも自分たちを助けてくれたのは600万のチベットの僧俗だ。彼らの助けがなかったら、もっと沢山の人が死んでいたに違いない」

「テントは2500元で買わないといけない。何でも買わねばならないのだ。払えないときは付けとなる。確かに最初の3か月間月300元ずつ政府から貰った。そんな金はすぐ消える。政府に寄付が沢山集まっていることはみんな知ってる。誰の懐に入っているのか、自分たちには全く届かない」

「再建計画が発表されたが、最初の案では町の中心は庁舎や学校が占領することになっていた。これにはみんなが反対した。そして、第2、第3、今第4案が出されようとしている。この新しい案では大方の者が被災前の居住地に再び住むことができるようになるだろうと期待されている」


との事。

ところで、中国政府は先週終りに「玉樹地震の被災地への義援金はすべて中国政府(の出先機関)を通すこと」という通達を出した。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=27907&article=China+wants+Yushu+earthquake+funds+to+be+transferred+to+government+agencies

これで、すべての外国支援団体の金も中国政府に入るか、止まることになる可能性が高い。

亡命政府等を通し、ダラムサラの「ユシュ地震慰安協会」に集められた義援金はどうなるのか?

この前彼らと会った時(2週間前)には「まだ。大使館には言われた書類を提出していない」と言っていた。


今知った中国の発表によれば、
http://news.xinhuanet.com/english2010/china/2010-07/21/c_13408951.htm

中国赤十字は被災地に23億元をつぎ込んで住宅その他インフラ建設につぎ込むという。

全く人々への福祉予算の話はない。

(これとは別に?)3年間に317億元!をつぎ込むとも。

一方、人々はまだテントの中とは!


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toyota racing car最後は楽しい話。

トヨタ自動車が主催するレーシングカーのペインティング・コンテストに
「FREE TIBET」デザイン(もろチベット国旗)の車がエントリー。
 
http://bit.ly/c5C1iG

この車がコンテストに勝ってくれれば、大きなチベット宣伝になる。

投票はネットでオープンされている。
この最高にイケテル車に是非勝って貰おうではないか。

http://www.sponsafier.com/#/gallery/view/356094
にアクセスしてVOTEボタンを押すだけだ。



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2010年07月26日

再び 「HRW報告書」

e61b3c72.jpg一昨日、HRWの報告書について簡単にお伝えしたが、先ほどこのHRWの日本語版ホームページに全部ではないが、導入部と幾つかの証言が翻訳されていたのを発見。
再びアップする。

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中国:チベットでの治安部隊による人権侵害の実態、目撃証言でいま明らかに

残虐行為は大規模かつ重大、求められる国際調査

http://www.hrw.org/ja/news/2010/07/22

July 22, 2010

Related Materials: “I Saw It with My Own Eyes”

多くの目撃者による証言と中国政府自身の情報から、非武装の抗議者らに対し、死をもたらす武力(致死性を有する有形力)を行使する意図が政府側にあったことが明らかになった。 本報告書により、治安部隊が国際基準と国内法に沿って抗議者らを扱ったという中国政府の主張に対し、断固として異議を唱えたい。

ソフィー・リチャードソン、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア政策提言責任者.
(ニューヨーク) - 2008年3月10日からチベットで始まった大規模な抗議行動。抗議行動の最中及び事後に、中国の治安部隊が過剰な武力・有形力を行使し、意図的に残虐行為を行った事実が、目撃者らの証言で裏付けられた、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で述べた。強制失踪、冤罪による処罰と投獄、家族への迫害、抗議運動のシンパとみなしたチベット族を標的とした迫害など、多くの違反行為が今日も続いている。

報告書「チベットにおける中国治安部隊による虐待行為の実態、2008-2010」(全73ページ)は、中国脱出直後のチベット難民やチベットからの旅行者らを対象にした、200件以上の聞き取り調査や、最新かつ未発表の公式情報に基づいて作成された報告書。この報告書は、目撃者の証言を通じ、抗議運動中や事後、抗議をやめさせようと治安部隊が犯した広範囲に及ぶ虐待を詳述。これには、過剰な武力行使、大規模な恣意的逮捕、被拘禁者に対する残忍な扱いや拷問などがある。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア政策提言責任者、ソフィー・リチャードソンは 「多くの目撃者による証言と中国政府自身の情報から、非武装の抗議者らに対し、死をもたらす武力(致死性を有する有形力)を行使する意図が政府側にあったことが明らかになった」と述べた。 「本報告書により、治安部隊が国際基準と国内法に沿って抗議者らを扱ったという中国政府の主張に対し、断固として異議を唱えたい。」

また、中国政府の主張とは異なり、3月14日のラサ市繁華街エリアの件を含む、少なくとも4つの事件で、治安部隊がデモ隊に対し無差別に発砲をしたと、本報告書で指摘した。

中国政府によるチベットにおける治安部隊行動を、外部または独立した機関により見られるのを避けようと、中国当局はチベット高原全土を閉鎖し、チベット族居住地域のすべてに膨大な数の軍隊を派遣。中国当局は、ジャーナリストと外国の関係者を追放、その地域内への移動も規制した。更に、電気通信とインターネットを監視、あるいは遮断し、弾圧を告発する疑いがあるとされた者をだれでも逮捕した。国連人権高等弁務官と国連特別報告者はこのチベット抗議運動で何が起きたかを独立して調査したいと要請したが、政府はすべて拒否している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは治安部隊と同様、チベット族による暴力も非難。中国政府の統計によると、ラサ市だけで、2008年3月14〜15日の間に、21人が殺害され、数百人が負傷した。しかし、国際的な法的基準では、命を守るためあるいは暴力犯罪の加害者を逮捕するために最低限必要な場合だけしか、国家は武力・有形力の行使は認められていない。しかしながら、複数の事件の目撃者たちの証言は、中国政府の主張とは異なり、中国軍は国際法基準に反し、違反行為(過剰な武力行使、拷問、恣意的拘禁、平和的な集会の権利の侵害)に及んでいたことを示す。

デモ当初から、中国政府は一貫して、「法に基づいた」公平な方法で、本抗議関係のすべての事件を処理すると述べた。しかし、本報告書は、全く別の事実を明らかにしている。当局は、何千人ものデモ隊と一般のチベット族を逮捕、正当な法的手続きなしに拘禁した。そして、被拘禁者の所在も全く明らかにしていない。更に、司法制度が中国共産党により政治支配されているため、被告には正当な法的手続きが事実上全く保障されていなかった。

本報告書結果は、一連の抗議とその余波の真実を明らかにするため、中国政府が早急に実態調査を行なう必要性を示すとともに、チベット地域をメディアや(外交官やNGOなどの)海外からのモニターに開放する必要性を浮き彫りにしている。中国当局は、政府の治安部隊の行動についても調査する必要がある。目撃者たちは一貫して、過剰な武力・有形力の行使、抗議に関与したとの疑惑をかけられて拘禁されたチベット族に対する意図的な虐待や不当な取扱いなどについて証言している。また、拘束されたチベット族たちには、逮捕の際の正式な告知(拘束場所、逮捕理由)の欠如など、最低限の適正手続きも保障されていなかった。

前出のリチャードソンは、「チベットの状況を解明する国際調査団は、これまでにも増して必要だ」と述べる。 「中国の治安部隊による人権侵害は、そもそも抗議運動のきっかけとなった、チベット族の長年の不満を鎮めるどころか、更に悪化させる可能性が大いにある。」

背景

2008年3月初旬、ラサ市内外の主な僧院のチベット僧が平和的な抗議デモを実施、それに対して中国治安部隊が弾圧を行った。これが3月14日のチベット自治区首府における騒乱につながった。

これに応じた形で、近隣省に駐屯していた治安部隊がチベット自治区に集結、中国政府は大規模な一斉弾圧を行うと住民に告知。結果、抗議は空前の規模に膨れ上がり、チベット高原全土に広がった。公式文書によると、最初の2週間に150以上の抗議活動がみられ、その後も数カ月にわたって個々の抗議が三々五々続いた。

チベット自治区で過去数十年でも最長・最大の抗議活動となった今回の事件に中国政府は、1989年の天安門事件以来、最も大規模な治安作戦の展開という形で応えた。

しかしながら中国政府は、デモ隊と警察の衝突に至った何十件もの衝突事件の詳細を、明らかにしていない。中国治安部隊がデモ隊にどう対応したのかは未だに闇の中であり、過剰な武力・有形力の行使や、ラサ市の中心部を3月14日に数時間デモ隊や暴徒の手に任せ放置した疑惑なども、未解明のままだ。抗議活動中に逮捕された何百人ものチベット族たちをその後どうしたのか、中国政府は明らかにしていないほか、拘禁されたチベット族の数、有罪判決を言い渡されたチベット族の数、裁判中のチベット族の数、法律に基づかない形で拘禁され続けているチベット族の数についてもまた、現在まで明らかにしていない。

「チベットにおける中国治安部隊による虐待行為の実態、2008-2010」からの証言:

「奴らは人びとに向かって直接発砲していた。江蘇路の方からやってきて、チベット族を見れば発砲って具合だった。たくさんの人が殺された。」
- ペマ・ラキ(仮名)、24歳のラサ市の住民

「彼女は頭に一発の銃弾が命中しました。地元の人びとがトングコル僧院から約5キロ離れた故郷の村に、彼女の遺体を持ち帰ったのです。」
- ソナム・テンジン(仮名)、27歳のトングコル僧院の僧侶

「最初は兵士たちが数回、群集を脅そうと空発砲した。でも、皆まさか兵士が実際に発砲するなんて思いもせず、無視して施設内に集まり続けた。その時点で、兵士たちが実際に発砲し始めた。」- テンパ・トリンレ(仮名)、26歳のセダ県の僧侶

「私が最初に見たのは、たくさんの兵士と警察が電気棒で人びとを殴りつけているところ。4、5人の兵士の一団が群集を一人ひとり逮捕して、トラックに押し込んでいた。」- ドルジェ・ツォー(仮名)、55歳の銅仁の住民


「兵士たちは、大学や寮の門やドアを壊して突入してきた。武装して、手斧とハンマー、懐中電灯、手錠、ワイヤロープまで持っていた。僧の部屋に入る時は、まずは携帯電話の有無についてたずねて、携帯を全部没収していた。逮捕の際に手錠を掛けられていた僧が何人もいたし、ワイヤーロープで縛られている僧もいた。兵士は私たちに素早く動けと命令して、その通りにしないと殴っていた。何百人もの僧が連れ去られてしまった。」- チャンパ・ラガ(仮名)、ラサ市在住の元デプン僧院の僧侶

「かの地でとられたあらゆる手段は、憲法で規定されている軍の権利や国際法の範囲内だった。」
- 呉爽張、2008年3月16日当時の人民武装警察部隊高官


「我々はひどく殴られました。警備隊は警棒やなんかで殴るんです。ほとんどが下半身を狙われました。2日間暴行が続いて、その後、ラサ市のグツサ刑務所に連行されました。そこでは警官が丸2日昼夜を問わず、代わる代わるに私たちを殴りながら尋問し続けたんです。」
- リンチェン・ナムギェル(仮名)、33歳のガンデン僧院の僧侶

「最大で30人が3〜4平方メートルの独房内に詰め込まれていました。座る場所もないくらいだから、ずっと立ちっぱなし。トイレもないのに、外に出ることが許されていないから、その場でするしかなかったんです。与えられる食事は、1日1回のご飯か粥だけ。ほとんどの人が暴力をふるわれました。」- パサン・チョーペル(仮名)、アバ出身の元被拘禁者

「ガンジ県チベット自治区中級人民裁判所は、被告ドルジェ・カンドルプの審理を開いた。罪状は、チベット独立を求めるビラの作成と、それをガンジ県の主要道路にまいた行為。臆面もなく国家の分断と統一の破壊を煽動した被告の行動は、国家分離煽動罪に該当する。」
ガンジ県の政治律法委員会による公示 -ドルジェ・カンドルプ被告に対し 6年の刑を言い渡した


「中庭でも殴る蹴るは続きました。人民武装警察部隊の武装警察たちは、ベルトや銃底を使っていました。地べたで彼を蹴りつけて、出血がすごかった。辺りは血の海でした。動かなくなった彼を、兵士はその場に置き去りにしていくのを、私はこの目で見ました。」
- ルンドルプ・ドルジェ(仮名)、ラサ市の住民


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2010年07月24日

I Saw It with My Own Eyes

HLW報告書まずは日本語の記事。

無差別発砲あったと批判 ラサ暴動鎮圧で人権団体

2010.7.23 00:20
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100723/chn1007230020000-n1.htm 

 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(本部ニューヨーク)は22日までに、2008年に中国チベット自治区ラサなどチベット族居住地域で起きた暴動や抗議活動について、目撃者の証言を基にした報告書を発表。暴動鎮圧の際に無差別発砲を行うなど、中国当局による過剰な武力行使があったと批判した。
 報告書は、08年3月14日にラサで起きた大規模暴動での鎮圧を含め、中国当局による無差別発砲が少なくとも4件あったと指摘。ラサ暴動では当局の部隊がデモの参加者らに対し、動かなくなるまで警棒で殴るなどの暴行も加えたとしている。
 中国当局はこれまで、ラサ暴動での当局による発砲の事実を認めていない。四川省アバ県の暴動では警察による発砲を認めたが「自衛のため」と説明している。(共同)

日本のニュースではたったこれだけだが、世界中の主なメディアがこのレポートを詳しく取り上げている。
今回発表されたヒューマン・ライツ・ウオッチの報告書は2008年の中国政府によるチベット人弾圧の詳細を203人に及ぶ証言を基に73ページに及び分析した素晴らしい報告書だ。
何れ全文を東京の代表事務所等が訳して下さることを期待する。

共同さんの記事で気になるのは「中国当局による無差別発砲が少なくとも4件あったと指摘」と書かれていることだ。
これだと「ラサの4か所で発砲があった」或いは「4回だけあった」と誤解して読む人がいるような気がする。
実際にはチベットの4つの地域、ラサ(3月14日)、アバ(3月16日)、ドング(4月4日)、カンゼにおいて当局の発砲により多くの犠牲者が出たと報告書にはある。
それぞれの地域の沢山の証言を取り上げ、詳しく述べられている。

2008 at kanze中国政府は発砲の事実を全く認めず、「デモ隊に対し制御した行動を取った」と今も主張しているが、これに対し、レポートでは「中国の保安部隊はデモを行なったチベット人に対し、無差別発砲を行ない、その他相手が地に倒れ、動かなくなるまで殴る蹴る等の暴力を加えた」と主張する。

また、「抗議する者やそうでない者に対しても、逮捕する時には暴力的拷問を加え、拘置所でも拷問し、食事を与えず、劣悪な衛生環境の中に捨て置いた。今も何百人ものチベット人が数えられることもなく拘束されたままである」という。

ヒューマン・ライト・ウオッチのアジア研究員であるNicholas Bequelin氏は
「この2年間保安部隊は実際の社会秩序への脅威に全く釣り合わない仕方で(抗議者に)対応してきた」と語り、さらに「中国政府はもっと違った対応の仕方ができたはずだ。これはチベットに対する中国の主権の問題などではなく、これは保安部隊が如何に振る舞ったかだ」とコメントする。

3月14日のラサの状況についてはこのブログでも、真っ先に亡命することに成功したソナムの証言
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51058869.html
や子どもたちの証言を何度も2008年に掲載した。
ソナムの証言はNHKにも取材してもらった。

レポートの中にはラサを中心にそれ以外の地域の証言も数多く載せられているが、ここでは
以下、ラサの何人かの証言だけを紹介する。

ペマ・ラキの証言:
「兵士たちはその日(3月14日)の午後までは現れなかった。私たちは好きなだけ、抗議の叫びを上げることができ、気持ちよかった。その後、兵士が現れ、催涙弾を発射し始めた。催涙弾が私の足を直撃し、歩けなくなった。
そして、無差別発砲が始まった。私たちの目の前で2人が撃たれて死んだ。一人はメンツィカン(チベット医学院)の門の前で死んだ。銃弾が彼の右わき腹を直撃した。
私たちはメンツィカンのドアを激しく叩いた。

その日病院はだれも助けてはいけないと命令されていた。もう一人はプダップ・ゾン食堂のドアの前で死んだ。殺された2人はまだ若く25,6歳だった。彼らの服は血だらけになっていた。

(ラサの南側でも)兵士たちは人々に向かって真っすぐ発砲していた。ジャンス・ルの方からやって来て、眼に入るすべてのチベット人に向かって発砲した。沢山の人たちが殺された。」

他のラサの住民:
「私は直接殺された人は見ていないが、友人がリクスン・ゴンポ寺の門の近くで12人が殺されたと言うのを聞いた」

また他の住民:
「突然警察の車が道を下って来た。車の中から発砲していた。同じ建物に住んでいたラクパ・ツェリンが壁に張り付いた時撃たれた。仲間が近くの家の中に彼を引きづり込んだが、その後すぐに彼は死んだ。
警官がすぐ後現れ、両親が拒んだにも関わらず彼の死体を無理やり奪い去って行った」

と、以下沢山の証言が載せられているが、切りが無いのでこれまでとする。

“I Saw It with My Own Eyes”と題されたレポート全文は以下のURLから、
http://www.hrw.org/node/91850



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2010年07月21日

ラサでギャワ・カルマパの写真が禁止となる

1550e20d.jpg昨日のRFAチベット語版によれば、
http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/china-restricted-tibetan-in-lhasa-to-display-karamapa-picture-07212010105204.html

中国政府は今月19日、ラサでギャワ・カルマパの写真を保持している者を厳しく取り締まると発表した。
これは特に、カムやアムドからの出稼ぎや巡礼者がよく泊まる宿のオーナーたちに対し通達されたことと言う。
もしも、宿に泊まる誰かがカルマパの写真を持っていることが発覚した場合には、宿のオーナーも連帯責任を負わされるという。
所持していた者は所持品をすべて没収されるそうだ。

これまでも一応カルマパの写真はダライ・ラマ法王の写真と同様、禁止されてはいたのだか、実際には取り締まりの対象とはされていなかった。
RFAは、この通達が出された理由として、カルマパが最近しばしばチベットの政治、人権状況について発言していることと、カルマパの人気が世界的に高まっていること、等が考えられるとコメントしている。

カルマパは中国共産党が歴史上初めて認定した「活仏」だ。
この時から、この世にも不思議な「共産主義政党による宗教転生者認定」が行なわれるようになった。
今では、共産党が認めない「活仏」は「偽物」とまで公言している。

ところで、カルマパは今月末からアメリカへ2週間訪問する予定だった。
しかし、インド政府はカルマパの出国を拒否した。
今年初めにもカルマパはヨーロッパ9カ国を訪問する予定であったが、これもインド政府により拒否された。
カルマパが外国に行くことが許されたのは2008年のアメリカツアーだけだ。
なぜ、今回インド政府が出国ビザを拒否したのかについては、はっきりしない。
もちろん、中国政府が邪魔をしたということもあるだろうが、その他にも、もう一人のカルマパを擁立し、インド政府内の役人と繋がりの深い、シッキムのシャマール・リンポチェの邪魔も考えられる。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27767&article=Why+was+the+Karmapa's+US+tour+cancelled%3f

何れにせよ。常に法王のそばに座し、人気、実力共に益々影響力が強くなってきたカルマパの活動を抑え込もうとする政治的力が働いていることは確かだ。
2001年初めに衝撃的中国脱出劇を果たしたカルマパだが、自由になれたはずのインドでまた、こうして束縛を受けるという、実に可哀そうな境遇である。











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