中国

2011年02月27日

何清漣「偉大なバーチャル作品ー2.20ジャスミン革命」

ジャスミン集会今、中国では再び「ジャスミン集会/両会」の呼びかけ時間が迫っている。

チベットのラサのジョカン前広場も指定された27都市の中に入っている。20日には含まれず、一旦加えられるも外され、また最終的に加えられたという迷っている風な経緯が認められる。

昨日のRFAチベット語版にはこの集会に付いての記事が掲載されているが、ラサが含まれていることについての言及はない。

今日、一体どういう動きになるかはまた後にお知らせする、かもしれないとして、以下に、この中国版「ジャスミン革命」について中国人の有名評論家がVOAのウェブに発表したコラムを紹介する。

これは昨日のツイッター上で@tkucminyaさんが翻訳・掲載して下さっていたものだ。

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何清遊何清漣氏「偉大なバーチャル作品ー2.20ジャスミン革命」

(ジャスミンて国内の民主派なの海外なの、それとも釣りだったの?)この問題についての私の見方は全部ここに書いた。

原文http://bit.ly/gZQISl(22日発表)
翻訳@tkucminyaさん

2月20日のこの日、中国人の未来がどのような形になろうともこの日は、以下に述べるいくつかの点で中国の歴史に記されるべきである。

第一にこの日、中国にこれまでに聞いた事の無い”革命”が発生した。それは”1つのツィットが引き起こしたジャスミン革命”と名付けたい。

中国語ツィット圏の少なからぬ人々がある程度参加者だった。
或はこのニュースを伝え関連した意見を述べるなど、そのマウスがこの”革命”を発酵させる道具となったのである。20日以前にわたしはこれが地下から突然火を噴いた偉大なバーチャルリアリティの作品でパフォーマンス芸術に属するものだ、と言った。

私が調べた最初のニュース源は、@mimitree0 秘密樹穴というツイ友による2月17日のツィットだった。「中国のジャスミン革命第一回記念日は11年2月20日午後二時全国の大都市で。集合地点は前日に博讯新闻ネットで公表する。もし状況によって通知できないときには、各自は街の大広場へ」という内容だった。

このニュースを自由アジア放送局は「中東デモ鎮圧に注目、ネットでは中国ジャスミン革命の日が決定」と報道した。続いて、博讯がこのニュースを流し”中国ジャスミン集合地点”が一日のうち、瞬く間に広まって行った。また無名の作者がジャスミン地図をグーグル地図でつくり、またネットでスローガンが生まれた。それは「我々は飯が食いたい、仕事がしたい、家が欲しい、公正が欲しい、正義が欲しい、一党独裁を終わらせよう、報道の自由を」というものだった。こうして半ば実在半ばバーチャルのジャスミン革命は発酵成熟を遂げて行ったのだった。

フェイスブックとツィッターなどのマイクロブログは、イランの選挙やエジプト革命で巨大な作用を起こしたが、この時世界は「いつ中国の番になるか」を注目していただけにこれを無視するわけにはいかなかった。BBCやVOAも次々にこのニュースを報じ、APもキャリー。2.20ジャスミンの世論準備はかくて一歩一歩、クライマックスに向けて完成されていったのだった。

第二に中共のジャスミンに対する体制防衛は過度のあまり、政府内の極度な弱みをさらけ出してしまった。中国語ツィット圏ではこのニュースにツイ友達が半信半疑で、皆がパフォーマンスだとおもっていたのだが、中国政府が自ら大々的に登場して、このバーチャルパフォーマンス芸術を完成させてしまった。

この十年来、中国では毎年群衆性の事件が10万件以上起きており、民衆の如何なる合理的な要求も「社会不安定要因」として処理されてきた。その費用は五千億元を超える。所謂治安維持警察の殺傷力は軍隊に匹敵し、秩序維持はとっくに「過剰体制防衛」になっている。各地の「不穏要素」つまり、上訴難民、人権派弁護士、関係人士、オピニオンリーダーはすべて公安局の監視下にある。ネット上の噂が20日に全国13都市でジャスミン革命が出現、と伝わったとき、中国各地の秩序安定機関は緊急出動し”お茶に招待”したりして上述の人士を足止めした。また地方教育部門を通じ各高校に学生を外出させるな、と。軍隊にも’ジャスミンテロ’に備えよと連絡したのだった。

20日が来ると、全国の大都市における集会地点はすべて警察、私服、パトカーが占領し、その盛況ぶりはAP、博讯、BBC、VOAなどメディアの報道でもわかった。当局が恐慌を来した事の一例は「防衛」に走った都市は予告された13大都市だけでなく、名簿に無い、例えば青海や西寧などにも及んだのだった。

中国当局は古くからの成語である「草木がみな兵にみえ、水鳥の羽音に脅えた」。またバーチャル予言を現実に変えた。少なくとも海外のメディアはそう認め香港や台湾では「中国ジャスミン支持」の標語も。

第三には、2.20ジャスミン革命は中国当局の極めて脆い面を見せたと同時に、少なからぬ大陸人がそれを信じたいとおもって、’野次馬’になるために現場に赴いたことだ。彼らの言葉によっても現場の状況によってはいつでも野次馬から参加者になる用意があった。この点では外国人記者の見方と私は異なる見方をする。一部の外人記者は北京の街頭では警察と報道陣以外、誰もジャスミンに関心はなかった、と報じたのだ。

最後に、私は「誰がこのジャスミン革命を始めたか」の問題に戻ろう。目下いくつかの考えがある。ひとつは五毛(政府の手先)によって「釣り」の為に、という説。当局がこれで逮捕して威嚇するためにこの芝居を打ちどのぐらいの人が顔を出すか知ろうとした、というもの。

仔細に考えてみたが、目下の火勢をみるに、当局はこのような「のろしを上げて諸候の忠誠度を見る」がごとき火遊びは元手が掛かりすぎるし、かつ危険すぎる、とおもう。

この「元手」というのは「社会安定費」の増加だけでなく、体制内の信用が傷つくことも含み、終日、「安定」に駆り出される部門を無駄に疲れさせる。まして当局がたった一本のツィットの「革命」でこんなに駆け回る様子をみれば、以後、誰だって簡単にやれるわけで、当局がこの芝居をしたとしたら大バカであろう。

これから「俺が革命組織者だった」などという輩が現れても私は信じない。これは一人の人間が完成させられることではないから。

スジの通った解釈としては;北ア中東の革命の第四の波で人々が中国でも、と期待していたとき一人の独創的なツイ友がニュースを流したのが山頂から小石を落としたようなもので、この小石がゴロゴロ転がって落ちて行くときに様々な力が加わって最初に述べたようなことになり、最後にひとつの事件が成立した、と。この事件の中で、革命的な側はネット世界で力を発揮し、革命される側、中共は現実のなかでの主演俳優だった。

あるツイ友が総括;「おもうにこの所謂国内のジャスミン革命はネットが唱え、党中央がそれに応えてリードし、各級の安定部隊が頑張って参加し、群衆が観客となった現代民主主義革命だ」

この度の2.20ジャスミン革命が世にもたらした最大の元気は;人民が政府を怖れるのではなく、政府が人民を怖れている。

中国の大地はいまいつでも火を吹く状態になっており、如何なる一角から突然火が噴き出しても野を焼き尽くす大火になりうるのだ。




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2011年02月22日

続・中国のジャスミン革命

アラブ諸国の革命が広がる中、中国当局の神経質さ、戦々恐々振りはひどくなるばかり。「ジャスミン」の言葉が禁句となり、ネットから抹殺された。
胡錦濤が2006年のケニア訪問の際、中国の歌「茉莉花(ジャスミン)」を歌ったニュース映像が中国中央テレビや新華社通信のネット上で見られなくなるという笑い話まで伝わっている。

ハルピンで日曜日の集会に参加し「中国共産党は腐敗している」などと演説しその場で逮捕された女性について日本語の記事がでていた。
以下まずこれをコピペする。

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<女性拘束、懲役10年も 中国集会で体制批判>
2011.2.22 18:37
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110222/chn11022218450003-n1.htm

河崎真澄撮影:上海市内の人民広場写真:20日午後、上海市内の人民広場近くに集まった若者を連行する公安関係者。上海では少なくとも3人の中国人男性が身柄を拘束された(河崎真澄撮影)

 中国国内で政治改革などを求める集会の開催呼び掛けに応じ、中国黒竜江省ハルビン市で20日、体制批判の演説をした地元女性が拘束され、「国家政権転覆」容疑で勾留されていることが22日、分かった。有罪になれば懲役10年以上が予想されるという。香港の人権団体、中国人権民主化運動ニュースセンターが22日、伝えた。

 20日の集会で拘束された人の処遇などが伝えられるのは初めて。女性が実際に罪に問われる事態になれば、中国への国際的批判があらためて高まるのは必至だ。

 同センターが女性の元夫の話を基に伝えたところでは、女性は梁海怡さん(35)。20日午後、ハルビン市内で群衆に向かって中国共産党は腐敗しているなどと演説、公安当局者に連行された。(共同)

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様々な反応を引き起こした、今回の「中国のジャスミン革命」騒動はこれで、おしまいではないらしい。

今日、この「集会の発起人」という人たちが新たな声明を発表した。
http://www.boxunblog.com/2011/02/blog-post_22.html

この中で発起人たちはこの呼びかけの影響で当局に予備拘束された100名以上の民主活動家、人権擁護弁護士たちの名前を上げ、「この人たちは自分たちとは全く関係がないので、直ちに解放されるべきだ」と述べている。
流石に、自分たちの呼びかけにより、今まで地道に民主化の活動を行って来た人たちに迷惑が及んだことを反省しているようである。
「集団自首を討論したが、結論が付かなかった」とも記されている。

だが、活動は続けるべきとして、引き続き日曜毎の集会を呼びかけている。「一部の都市での集会場所は変更されるが、これは水曜日に発表する」とも書かれている。

この声明に対し、下のコメント欄に様々な意見が寄せられている。
支援を表明する者もあるが、中には「あんたらは本気でこれが成功するなどと思っているのか?」と言った批判文も載せられている。

胡錦濤はネット等を積極的に活用し「世論を正しく誘導すべきだ」と発言している。これを機会に政府擁護を仕事とする五毛党なども活発に活動しているようだ。

Students to salute Party flag/Photo: CFPさっき目にしたGlobal Timesという中国政府系の英字新聞によれば、次の学期から全ての小学校で、毎月3つの旗、つまり中国国旗、共産党青年同盟委員会旗、(共産党)青年先駆者旗に対し愛国心高揚のため敬礼することが義務づけられるという。
http://beijing.globaltimes.cn/society/2011-02/625761.html

ますます、ファッショ化が進む中国である。





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2011年02月21日

中国版ジャスミン革命

13055cc1.jpg最近はとにかく連日アラブ諸国の革命ドミノ関連のニュースが沸き立っていて、東の方の話題は相対的に小さくなりがちだ。アラブ諸国の中では今リビアがもっとも酷い。リビアやイラン、本当に倒されるべき独裁政権は弾圧も激しく、市民蜂起は命がけとなる。以下、同じく恐怖独裁政権が続く中国の話。
ちょっとニュースというには遅過ぎるので気が引けるが、一応報告しておく。

「中国版ジャスミン革命」

土曜日、アメリカにベースを置くニュースサイト・博訊網から「2月20日に中国の各都市で「茉莉花革命」(ジャスミン革命)集会を開こう」という呼びかけが行われた。

以下、少々長いが、その呼びかけ文の日本語訳(訳はYinguoさん)を紹介する。

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2011年2月20日午後2時、各大都市での中国「茉莉花革命」集会場所



(編集者注記:本稿は匿名の投稿。博訊網は以前にも説明しているが、茉莉花に関する活動の通知、ニュース、組織者は本サイトとは連絡をとっていない。本サイトは活動の背景を確認できず、また参加もしていない)



あなたがメラミン汚染粉ミルクによる結石赤ちゃんの保護者だろうが、強制土地収用の対象者だろうが、シェアハウスの住民だろうが、復員軍人・転職軍人だろう が、私立学校の教師だろうが、銀行から一時金をわたされて解雇された従業員だろうが、失業者だろうが、あるいは陳情者だろうがかまわない。



あなたが「銭雲会事件」の結論に不満がある人だろうが、誰かが「僕の父親は李剛だよ!」というのが嫌いだろうが、「社会的公正には理性的に向き合うべき」と要求されるのが嫌いだろうが、あるいは「俳優王」温家宝のショーが嫌いだろうともかまわない。



あなたは零八憲章の署名者だろうが、法輪功の修練者だろうが、共産党員だろうが、民主党派人士だろうが、いやそれどころかあなたがたんなる野次馬であろうともかまわない。



今、あなたもわたしも中国人であり、未来にまだ夢を抱く中国人である限り、自分たちの未来に責任を負わなければならない。私たちの子孫の未来に責任を負わなければならない。

私たちはただ指定された場所に行くだけでいい。遠くから眺め黙々とついていき、もし状況がそうなった時に勇敢にもあなたのスローガンを叫ぶだけでいい。

あるいは、その瞬間から歴史が変わり始める。

一緒に行く者たちはすべて兄弟姉妹だ。お互いに助け合って欲しい。もし集会に参加した人々が、正しくない扱いを受けた時にも最大限の忍耐を発揮して欲しい。 かたわらにいる人はすぐに助けて上げて欲しい。集会が終わった時にはゴミを残さないようにしよう。

中国人は高い素養を持っているのだ。民主と自由を求める 受験を備えているのだ。

もし今回集会が成功しなかった都市では、毎週日曜日の午後2時に訪問を続けよう。継続こそが勝利だ!




統一スローガン:

私たちには糧が必要だ。
私たちには仕事が必要だ。
私たちには住みかが必要だ。

私たちには公平が必要だ。
私たちには正義が必要だ。

個人財産権を保障せよ、
司法の独立を維持せよ、

政治改革を開始せよ、
一党独裁を終わらせよ
、メディア規制を解放せよ
、ニュースの自由を保障せよ

、自由万歳
民主万歳




場所

北京・王府井のマクドナルド入り口

上海・人民広場の映画館・和平影都入り口

天津・鼓楼の下
南京・鼓楼広場のデパート・秀水街百貨入り口

西安・北大街カルフール入り口

成都・天府広場の毛沢東主席像下
長沙・五一広場のデパート・新大新大厦入り口

杭州・武林広場のデパート・杭州百貨大楼入り口

広州・人民公園のスターバックス入り口

瀋陽・南京北街のケンタッキー入り口

長春・文化広場西民主大街のスーパー・快楽購超市入り口

ハルビン・映画館ハルビン電影院入り口

武漢:解放大道世貿広場のマクドナルド入り口


一覧にない都市では、各自都市中央の広場に集まって欲しい。


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なかなか悪くはない呼びかけのように思えるが、とにかく誰が発信したのか分らず、すぐに「本気の呼びかけなのか?」「反対派逮捕のための釣りではないか?」などという憶測がツイッターなどで飛び交った。
それでも、これを察知した中国当局はすぐに、あらゆる手をつくしてネットでこの情報が広がるのを阻止しようとした。ではあるが、これはいつものイタチごっこで情報は瞬く間にかなり広がったようだ。

その内「党内の人間が中国のジャスミン革命集会にアドバイス」と言うのまで現れた。http://yinguo.tumblr.com/post/3379081545 これは面白いのでまだ読んでない人は読んで見てほしい。

日本人の反応を見てると、自称中国通の人たちは概ね「中国ではアラブ諸国のような革命は起こりっこない」というしらけた意見を吐く人がめだった。その他「煽ってる人は中国を支那とか呼んでる人。中国などどうなってもいいと思ってる無責任な人だ」とか言う日本五毛党から、「中国人頑張って革命を起こしてくれ!」と願う(煽る)改革派まで色々。

で、蓋を開けてみると、各都市、とにかく目立ったのは、警察と報道関係者ばかり。
当局は余程、ビビったのか、暇なのか、唯の冗談かも知れない情報に対し、予告のあった都市だけでなくチベット、ウイグルの中小都市まで至る所に大勢の保安要員を出動させた。
それどころか、前もってこれまでに目を付けていた民主活動家などを拘束したり、自宅軟禁状態にした。その数は香港の民主化組織によれば1000人に及ぶという。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110220-OYT1T00495.htm

一番人が集まったのはやはり北京のマクドナルド前だったらしい。
写真:https://picasaweb.google.com/wmr89502270/kkqEpB#

動画でお勧めは以下の「茉莉花革命新聞報導」
http://www.youtube.com/watch?v=PnkbercdUaM&feature=youtu.be&a

この中、人々が集まっている最中に、どこからか空?から白い花束が降り注ぐ場面がある。掃除のおばさんが、これをほうきでかき集め箱に入れた。そこに一人の若いお兄ちゃんが現れ、その箱(ゴミ箱?)から数本の花を拾い、手に持って立ち去ろうとする。これを目ざとく見つけた私服警官が彼を荒々しくどこかに連れて行こうとする。しかし、周りからカメラを持った報道関係者のような人たちが大勢集まったので、警察もまずいと思ったのか、すぐに彼を開放。彼はその後、報道関係者に囲まれ質問を受ける。
彼「何で、花を拾っちゃいけないんだ!ひでえじゃないか!」と(言ったらしい?)
中国じゃ、(この日白い)花を拾っちゃいけなかったのだ。それだけじゃない、ここに近づく人は、「そこに座るな!」とか、「立ち止まるな!」とか言われたそうだ。

その内マクドナルド前には円形上の空間が出現し、人々(警官、報道関係者、野次馬、半分本気の人等)が輪を作って待機状態に。
誰か面白い大道芸をやってくれないかな〜と待ってる風。結局派手に声を上げる人は現れず、次第に解散とあいなった。

ま、今回はこんなもんだろうと予想通りと言う所か?
今回は当局とメディアの反応ぶりがめだったようだ。
警察は様子を見に来ていた日本の総領事館員まで拘束してしまい、後で日本政府に謝りを入れるというハプニングまで起こった。http://www.asahi.com/international/update/0221/TKY201102200553.html?ref=reca

中国に自由がないということは、この日の出来事を見ても明らかな事実。政府だって、いつ市民革命が起こってもおかしくないとちゃんと認識している。胡主席自身、中国では「社会の矛盾が目立ち、(格差など)不均衡が突出している」と指摘するありさま。http://sankei.jp.msn.com/world/news/110219/chn11021921390004-n1.htm

現在中国では1%の富裕世帯に全国の富の40・4%が集中しているという、とんでもない共産主義国歌。
さらに、毎年8万から10万件の当局に反対する群衆事件が起きているのだ。
革命の条件はすでに十分そろっている。

それでも、私はバブルがはじけるまでは本気の全面蜂起は起きないと思っているが、いずれ起きるだろうことは間違いないと、心待ちにしている。

だが、利権を握っている軍隊が民衆に付かない限り、革命は非常な困難を伴うであろう。
参考:http://sankei.jp.msn.com/world/news/110220/chn11022020260008-n1.htm
http://www.epochtimes.jp/jp/2011/02/html/d56243.html

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最後に中国じゃないが、以下の署名に是非ご協力を!
リビアに虐殺を止めることを要請する署名:
国連に救済を求めるon line署名 http://bit.ly/hFA6ka



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2011年01月12日

中国の人権派弁護士高智晟氏が受けた凄惨な拷問・今彼の命が危ない!

75af09e9.jpg中国の人権派弁護士高智晟氏はこの数年、何度も中国当局による激しい拷問を受けている。
彼は去年4月以降行方不明になったままであり、その安否が非常に心配されている。

AP通信は1月10日にそれまで隠していた彼とのインタビューを公表した。
この件に関し、日本の共同通信も短く報じている。
<中国の人権派弁護士「拷問受けた」と告白 警官が交代で殴打?>
http://sankei.jp.msn.com/world/china/110111/chn1101112352008-n1.htm
表題の最後に「?」が付けられているのには笑える!

一般には中国の有名な反体制知識人や弁護士、作家などが激しい拷問を受けるということは稀である。これは彼らには発信能力があるからであり、当局は後に彼らにより拷問の事実などが発表されることを恐れるからだ。
この点、チベット人やウイグルの人の場合には、その発信能力は限られていると思われる事により、激しい拷問も平気でほぼ全ての政治犯に対し行われる。

ただ、高智晟氏の場合は例外的に酷い拷問を確かに受けている。これは彼が法輪功や地下教会を擁護した事に関係すると思われる。

以下に訳したのは、APの発表を受け、RFAが高氏の妻耿和さんにインタビューしたという記事である。

これももちろん読んでほしいが、特にもう一つ読んで欲しいのは最後に参照としてURLを紹介するブログ「思いつくまま」で翻訳されている高氏自身が報告する拷問の事実だ。
これは彼が2007年9月21日から50日間に渡り受けた激しい拷問の記録である。
私はチベット人からこれと同じような話を何度も聞いているので、彼の証言を100%信じることができる。

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<胡錦濤のアメリカ訪問を前に反体制活動家の苦境が雲となる>

1月10日付けRFA英語版:http://www.rfa.org/english/news/china/torture-01102011185955.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter

民衆の利害を擁護する権利弁護士に中国警察は拷問を行ったという報告が発せられた。

夫が警察に拘束されている時、激しい拷問を受けていたという報告が発表されたのを受け、行方不明中の中国の著名な市民権利擁護派弁護士の妻は、夫の窮状を訴えるために胡錦濤がアメリカ訪問中にワシントンに行く事を計画していると語る。

中国内でもっとも迫害を受けやすい人々を擁護し、政治改革を訴えて来た高智晟氏は2009年2月に行方不明となり、2010年3月短期間姿を現し、友人や仲間にその間の事情を短く語ったが、その後再び現在に至まで消息不明のままである。

AP通信社は月曜日(1月10日)、この僅かな解放時期である去年4月に北京で高智晟氏に接触し行ったインタビューを発表した。その中で高智晟氏は中国警察から受けた拷問について語っている。

警官は高氏を裸にし、拳銃で激しく殴った。APは「2日間昼となく夜となく、交代に彼を殴った。彼が口に出せぬような行為を行った」と言う。

「3人の警官は疲れると、彼の手足をビニール袋で縛り上げ床に放り投げた。そうしておいて、自分たちの息の整うのを待って再び始めた」

高氏は彼が再び行方不明になるか、或はアメリカやヨーロッパなどの「安全な場所」に行くことができない限り、この証言を公にしないようにと要請していたという。APは「彼の失踪が長過ぎるので」この証言を公にすること決定したという。

<計画段階>
現在カルフォルニアに子どもたちと一緒に暮らす高氏の妻耿和は、月曜日RFAのインタビューに答え、「胡錦濤が来る18~21日に合わせ
ワシントンに行き、オバマ大統領とホワイトハウスで会見し、政府主催の晩餐会に参加するという計画がある」と語った。

彼女はこれはまだ「計画中」であるとして詳細については明らかにしなかった。

彼女はAPの報告に愕然としたという。報告の中には、拘束者は彼をベルトで縛り上げ16時間不動で立ち続けることを強要し、彼に子どもたちも精神に異常を来しているぞといい、お前を殺して川に沈めてやると脅した、とある。

2009年9月には高氏を苦しめる者は彼に「自分を人間だと思う気持ちを捨てろ。お前は獣だ!」と言ったという。

「48時間の間、私は命の危険に晒されていた。言い表す事ができないくらいの残酷さだった」
「3月に終わった耐え続けた14か月に及ぶ拘束期間中、その暴力が最悪だった」と。

妻の耿和はRFAに対し「詳しく聴いたのはこれが初めてだった。夫は話てくれなかった・・・話せなかったのだろう・・・どんな拷問にあったのかは」と泣きながら話した。

<歪んだ歯>
彼女は2010年4月につかの間解放されたとき発表された、明らかに拷問の跡の残る夫の写真を思い出した。

「写真から彼がひどい拷問を受けた事が分った。電話で話をした時、私は彼に『写真を見ると貴方の歯が曲がっていることが判るわ。歯を見てもらいなさい』と言ったが、彼は何も言わなかった」

「彼が再び消えた後、私は父に高はどうしているのか?と聞いた。父は『色々聞くな。お前は子どもの面倒を見ていればいいのだ。彼が生きて帰って来ただけでも非常に幸運だと思いなさい』と言われた」

耿和は「中国の人権状況は良くなるどころか悪くなっている」と言い、監獄でひどい目に遭い去年12月に死亡した他の活動家力虹(*1)の例を持ち出した。

彼女によれば、高氏は何度も刑務所に送ってくれと当局に頼んだが、それも許されなかったという。

「彼にとって一般の刑務所に行くことは贅沢なことなのだ・・・彼らは夫を秘密の場所に監禁して置きたいのだ。好きなことができるから。本当に心配している。深く心配している」

「私はいつも彼のことを考えている・・・私たちの息子は・・・夜中に泣いて目を覚ます・・・『どうしたの?』と聞くと息子は『お父さんの夢を見た』という。このようにして私たちはいつも父親のことを心配している・・・手を握り合うことができない」

<憂慮を示す>
耿和は高氏の安否を中国政府に質すよう各国政府、国際機関や友人に訴えている。高氏の娘である耿格17歳は去年11月にソウルで行われたG20サミットの期間中に胡錦濤に対し行方不明中である父親高氏の件について質してくれるようにとオバマ大統領に直接訴えた。

「もしも、中国政府が私の父親を殺害したのなら、胡錦濤に対し彼を埋葬する許可を取ってほしいとオバマ大統領に懇願する」と娘はその公開書簡の中に記している。

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*1:本名「张建红」反体制活動家、作家。2007年に6年の刑を受けていたが去年病気を理由に解放。その後、約6ヶ月後の2010年12月31日死亡。刑務所内の拷問が原因と思われている。法輪功関係か?http://t.co/IN4BfgT

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ブログ「思いつくまま」より
<高智晟:中国の「友人」と「パートナー」への呼びかけ (いま彼の命が危ない!)>
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/4ee3e4fde401995b8698c5159a7fc370
必読!(少々長い)

その他2006年アムネスティー報告
<人権擁護活動家=高智晟[こうちせい]さん一家、身の危険・死の脅迫>
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=208


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2010年12月12日

劉暁波氏の最後の陳述「私に敵はいない」、日本語全訳

劉暁波12月10日のノーベル平和賞授賞式で代読された、劉暁波氏の最後の陳述、「私に敵はいない」の日本語全訳を掲載する。

@yuntaitai(雲南太郎)さんが私の依頼を快く受け入れ、原文より翻訳して下さった。

中国語原文は:
http://www.bullogger.com/blogs/stainlessrat/archives/351520.aspx

写真はウーセルさんのブログより。

彼はこの文章を書いた2日後に「国家政権転覆扇動罪」により懲役11年の判決を言い渡された。

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「私に敵はいない 最後の陳述」

 50を過ぎた私の人生で、(天安門事件の起きた)1989年6月は大きな転機だった。

 文革後に復活した大学入試で私は最初の大学生(77年入学)になり、修士課程、博士課程まで学業は順風満帆だった。卒業後は北京師範大学に残って教員を務め、教壇ではとても学生に歓迎される教師だった。同時に公共の知識分子でもあり、大きな反響を呼んだ文章や著作を80年代に発表してきた。頻繁に各地の講演会に呼ばれ、欧米に招かれて客員研究員になった。

 私が自分に求めたのは、人としても作家としても誠実に、責任を負い、尊厳を持って生きることだった。米国から戻り、八九運動(民主化運動)に参加したことで、私は「反革命宣伝扇動罪」で投獄され、愛する教壇を追われ、国内で二度と文筆、講演活動ができなくなった。異なる政治的見解を発表し、平和的な民主化運動に参加しただけで、一人の教師が教育の場を失い、一人の作家が発表の権利を失い、一人の公共の知識人が公開の場で講演する機会を失った。これは私個人にとっても、改革解放から30年が過ぎた中国にとっても、悲しい出来事だ。

 考えてみると、六四(天安門事件)後の劇的な経験は意外にもすべて法廷とかかわっている。公の場で話した2回の機会はいずれも北京市中級法院の法廷が与えてくれた。一つは1991年1月、もう一つは今回だ。この2回の罪名は違っているが、本質は基本的に同じで、ともに言論を理由にしている。

 20年が過ぎても、無実の罪で死んだ六四犠牲者の霊はまだ生き続けている。六四によって異なる政治的見解を持つようになった私は祖国で発言権を失い、外国メディアを通してのみ発言でき、長く監視されてきた。95年5月~96年1月の監視居住、96年10月~99年10月の労働教養、そして現在、再び政権の敵意によって被告席に座らされている。

 しかし、私の自由を奪った政権にまだ言いたい。20年前にハンスト宣言で表明した「私に敵はいない、憎しみの気持ちもない」という信念に変わりはないと。私を監視し、逮捕し、尋問してきた警察、起訴した検察官、判決を下した裁判官はすべて私の敵ではない。監視や逮捕、起訴、判決は受け入れられないが、当局を代表して私を起訴した検察官の張栄革と潘雪晴も含め、あなた達の職業と人格を私は尊重する。12月3日にあった尋問で、私は2人の尊重と誠意を感じることができた。

 憎しみは知恵や良識をむしばみ、敵意は民族精神を害し、生きるか死ぬかの残酷な闘争をあおり、社会の寛容と人間性を破壊し、自由と民主に向かう国家の道のりを阻む。だから私は個人の境遇を超え、国家の発展と社会の変化を見渡し、最大の善意で政権の敵意に向き合い、愛で憎しみを解かしたいと思う。

 誰もが知るように、改革開放は国家の発展と社会の変化をもたらした。私から見れば、改革開放は「階級闘争を要とする」毛沢東時代の執政方針を捨て、経済発展と社会の調和に集中するものだった。「闘争哲学」を捨てる過程もまた、徐々に敵意を弱め、憎しみの感情を消し、人間性にしみ込んだ歪みを取り除く過程だった。

 まさにこの過程で、改革開放のためにゆとりある国内外の環境が整えられた。人と人との愛情を復活させ、異なる利益や価値観を共存させるため、柔軟な人間性の土壌をつくった。これによって、国民の創造力の進歩と愛情の回復が励まされた。外国に対して「反帝国主義・反修正主義」の考えを捨て、国内で「階級闘争」の考えを捨てたことは、中国の改革開放が今まで持続できた大前提だったと言える。経済が市場主義に向かったのも、文化が多元化に向かったのも、秩序が徐々に法治になったのも、みな敵意の弱まりのおかげだ。

 最も進歩が遅い政治の領域であっても、敵意の弱まりによって、政権は社会の多元化に包容力を増すようになった。異なる政治的見解を持つ者への迫害も大幅に減り、八九運動への評価も「動乱」から「政治の風波」に改まった。

 敵意の弱まりは政権にゆっくりと人権の普遍性を受け入れさせ、中国政府は98年、国連の2大国際人権条約への署名を約束し、普遍的な人権の基準を認めることを示した。2004年には、全人代は憲法を改正し、「国家は人権を尊重し、保障する」と初めて明記し、人権が法治の基本的な原則の一つになったと示した。同時に、現政権は「以人為本(人間本位)」「和諧(調和の取れた)社会」を唱え、中国共産党の執政理念の進歩を見せた。

 私はあくまで無罪で、罪を問うのは違憲だと考えているにもかかわらず、自由を失った1年余りの間に2回の拘禁を経験した。4人の警官と3人の検察官、2人の裁判官の事務処理には、こちらを軽視する態度はなく、期限を過ぎず、自白を強制することもなかった。彼らの態度は平和的で理性的で、常に善意を見せていた。私は6月23日に監視居住地から北京市公安局第一看守所(拘置所)、通称「北看」に移された。北看での半年間、私は拘置方法の進歩を見た。

 私は96年に古い北看(北京市宣武区の半歩橋)で過した。十数年前の北看と比べ、現在の北看は施設と管理の両面で大きく改善されていた。特に北看が創始した人間性に基づく管理方法は、入所者の権利と人格の尊重を基礎にしていた。

 柔和になった管理は刑務官の言動や「(構内の)温声放送」、雑誌「悔悟」、食事前や睡眠時間前後の音楽に表れていた。こうした管理は入所者に尊厳と温かさを感じさせ、秩序維持の自覚を持たせた。入所者に人間的な生活環境を与えただけではなく、訴訟環境と心理状態を大きく改善した。私の部屋を管理していた劉崢刑務員とは親身な交わりがあった。彼の入所者への尊重と関心は管理の細部に表れ、言動ににじみ出ており、温かさを感じさせた。誠実で正直で、責任感があり、親切な劉刑務員と知り合ったことは、北看での幸運だったと言っていいだろう。

 これらの信念と体験により、私は中国の政治の進歩は止められないと堅く信じているし、将来の自由な中国の誕生にも楽観的な期待が満ちあふれている。自由へと向かう人間の欲求はどんな力でも止めらないのだから、中国は人権を至上とする法治国家になるだろう。こうした進歩が本件の審理にも表れ、合議制法廷の公正な裁決、歴史の検証に耐えうる裁決が下ると期待している。

 もしこの20年で最も幸せな経験を話すとすれば、妻の劉霞の無私の愛を得たことだ。今日、妻は傍聴できないが、それでも私は言いたい。愛する人よ、あなたの私への愛はいつまでも変わらないだろうと固く信じていると。

 これほどの長い間、自由のない暮らしの中で、私達の愛は外部環境が押し付ける苦渋に満ちていたが、依然として後味を思い返せば際限がない。私は有形の監獄で服役し、あなたは無形の心の獄中で待ち続ける。あなたの愛はまさに高い塀を越え、鉄格子を貫く太陽の光だ。私の肌をなで、細胞を温め、心の平穏と純潔、明晰さを終始保たせ、獄中のすべての時間を意義あるもので満たしてくれる。

 一方、あなたへの私の愛は痛みと苦しさで満ち、時として重さのあまりよろめいてしまう。私は荒野の石ころで、暴風雨に打たれるがままだ。冷たくて誰もあえて触ろうとはしない。しかし、私の愛は堅く鋭く、あらゆる障害を貫くことができる。たとえ粉々に砕かれても、私は灰燼であなたを抱きしることができる。

 愛する人よ、あなたの愛があるからこそ、私は来るべき審判に平然と向き合い、自分の選択を悔やまず、楽観して明日を待つことができる。私は望む。私の国が自由に表現できる場所となり、すべての国民の発言が同等に扱われるようになることを。

 ここでは異なる価値や思想、信仰、政治的見解が互いに競い合い、平和的に共存する。ここでは多数の意見と少数の意見が平等に保障され、特に権力者と異なる政治的見解が十分に尊重され、保護される。ここではあらゆる政治的見解が太陽の下で民衆に選ばれ、すべての国民が何も恐れずに政治的見解を発表し、異なる見解によって政治的な迫害を受けることがない。

 私は望む。私が中国で綿々と続いてきた言論弾圧の最後の被害者になることを。今後、言論で罪に問われる人が二度と現れないことを。表現の自由は人権の基礎で、人間性の根源で、真理の母だ。言論の自由を封殺するのは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ。

 憲法が与える言論の自由を実践するためには、公民としての社会的責任を果たさなければいけない。私がしてきたあらゆる事に罪はない。たとえ罪に問われても、恨みはない。

 皆さんに感謝する!

 2009年12月23日 劉暁波

ノーベル平和賞授賞式、空の椅子

















Free Lui Shaobo /Free Tibet

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2010年12月11日

劉暁波氏の最後の陳述より「妻への愛を語る」

b1bbb221.jpg写真はロイターより。

昨日のノーベル平和賞授賞式における委員長のスピーチは素晴らしかった。
その全文は以下:(英語)
http://nobelprize.org/nobel_prizes/peace/laureates/2010/presentation-speech.html

それよりも、もっと素晴らしかったのは、会場で代読された劉暁波氏自信の「私に敵はいない」と題された最後の陳述。

この最後の部分は昨日のブログでも紹介したが、全文の要旨は日本語に訳されている。
例えば、朝日:
http://www.asahi.com/international/update/1210/TKY201012100579.html
や、毎日:
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20101211ddm007040163000c.html
である。

私は、上記の2つにはほんの少ししか訳されていない、劉暁波氏が妻の劉霞さんに対する愛を語った最後の部分にも感動した。
この部分が朗読されるとき、女優のアン・ハサウェイも会場にいて、涙をぬぐっていた。

そこで、その部分を訳してみた。

中国語原文は:
http://www.bullogger.com/blogs/stainlessrat/archives/351520.aspx
だが、主に英文の
http://www.foreignpolicy.com/articles/2010/10/08/i_have_no_enemies
を基に訳したので、あくまでも2次的試訳である。

これに続く、最後の2節も再掲する。

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もしも、語る事を許されるなら、この20年間でもっとも幸運な経験、それは妻劉霞から受けた無私の愛だ、と私は言いたい。
彼女は今日の裁判を傍聴することができない。
しかし、愛する人よ、君の私への愛はいつまでも変わらないことを堅く信じている。
この間、私の自由は常に阻害され続けてきた。
我々の愛は外的状況により困難を強いられ続けた。
しかし、その後味は無量の味を残す。
刑期を私は有形の獄中で過ごし、君は心という無形の獄中で待ち続ける。
君の愛は高い塀を飛び越える太陽の光だ。
その光は監獄の窓の鉄格子を突き通し、私の肌の至る所を照らし、身体中の細胞を暖め、私の心を常に平和な、開かれた、明晰な状態に保たせてくれ、監獄で過ごすすべての時間を意義あるもので満たす。
一方で、君への愛は悔恨と後悔に満ちたものであり、しばしばその重みに私の足は耐え切れずよろめく。
私は荒野に転がる一つの無感覚な石。
狂った風と暴れる雨にむち打たれ、それはあまりに冷たいので誰もあえて触ろうとはしない。
しかし、私の愛は堅固にして鋭く、如何なる障害をも突き抜けることができる。
たとえ粉々に砕かれようとも、その灰塵をもって君を抱きしめよう。

愛する人よ、君の愛があるので差し迫った裁判にも端然と立ち向かうことができ、私の決断した選択に対しても後悔せず、明日を楽観的に待つことができる。
いつか、この国に、表現の自由が認められ、すべての市民の言動が平等に扱われる大地となる日が来る事を待ち望んでいる。
そこでは、異なった価値、思想、信仰、そして政治的見解が競い合いながらも、平和的に共存することができる。
多数派と少数派の意見が平等に保証され、政権を握っている側とは異なった政治的見解も、完全に尊重され守られる。
そこでは、すべての政治的見解が人々の選択を待つために太陽の下に広く述べられる。
すべての市民は恐れなく政治的意見を述べることができ、そこでは、如何なる人も、如何なる状況の下にも異なる政治的見解を発表したからと言って政治的迫害に苦しむことがない。
私の望みは、私が中国で綿々と続いて来た言論弾圧の最後の犠牲者となり、この後、いかなる者も言論が故に罰せられることがなくなることである。

表現の自由は人権の基礎であり、人間性の源であり、真理の母である。
言論の自由を締め付けることは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ。

中国憲法により保証された言論自由の権利を行使するためには、市民としての社会的責任を果たさなければならない。
如何なる意味においても、私の行った事に罪はない。
しかし、このことで私に罪が掛けられるとしても、恨み言はいわない。

すべての人に感謝する!
(谢谢各位!)

2009年12月23日 劉暁波



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2010年11月20日

中国、「つぶやき」も抑圧 反日デモ皮肉り拘束

47NEWSより。
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112001000156.html

 【ロンドン共同】国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は19日までに、短文投稿サイト「ツイッター」に尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件をめぐる中国の反日デモへの皮肉ともとれる書き込みをした中国人女性が警察に拘束され、「社会秩序かく乱」罪で1年の労働教育処分を受けたことを明らかにした。

 アムネスティは、女性はツイッターでの「つぶやき」で「良心の囚人」となった初の中国市民かもしれないと指摘し、インターネット上での表現の自由の抑圧を批判。当局に釈放を求めた。

 女性は「反日デモで日本製品を壊すなんて何年も前にやった。何の新味もない。刺激がほしいなら、上海万博で日本館を壊せばいい」と、婚約者の男性がツイッターでつぶやいたのを引用。「怒れる若者よ、突撃だ」との題を付け、10月17日に書き込みをした。アムネスティは「(反日デモをあおっているのではなく)明らかな風刺的発言」としている。

 女性はその10日後の結婚式当日に行方不明になり、労働教育の収容所に送られたことが最近分かった。女性はこの数年間、中国の反体制派を支持する書き込みもしていたという。

2010/11/20 09:22 【共同通信】

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今までは中国でもツイッターは安全と思われていたのに、暇人の多い中国、ここまでやるかの話。

雇用対策に監視人と五毛党を増やす事しか考えない国なのか?









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2010年10月04日

中国が禁止するセレブたち

4c905bf6.jpgLos Angeles Timesに世界各国から禁止されているセレブのリストが載せられた。

http://www.latimes.com/entertainment/sns-celebrities-banned,0,5150168.story
写真©BEN STANSALL/AFP/Getty Images

ここで「BAN=禁止」と言われているのは、作品公表及び入国拒否ということであろう。

記事の中には20人のセレブが上げられている。
その内7人が中国で禁止されるセレブ。

その7人とは:
1、 俳優ブラッド・ピット(Brad Pitt)、"7 Years in Tibet"に主演したから。

2、 監督マーティン・スコーセーシィ(Martin Scorsese)、映画"Kundun"を監督・製作したから。

3、 俳優ハリソン・フォード(Harrison Ford)アメリカ議会外交委員会で「チベットの独立」について証言したから。

4、 俳優リチャード・ギア(Richard Gere)、熱心な仏教徒であり、ダライ・ラマ及びチベット独立支持者が故に。

5、 ロック歌手ボブ・ディラン(Bob Dylan)恐るべき反体制文化の象徴的存在だから。

6、 歌手マイリー・サイラス(Miley Cyrus)、ディズニースターである彼女の目が釣り上がった写真に中国外交部が動揺したから?(よくわからない、がディズニーと中国の間でパテント問題等が起こったことに関係すると思われる)

7、 歌手ビョーク(Bjork)、チベットを支援するために"Declare Independence=独立宣言"という歌を作ったから。

その他、コカイン保持容疑で日本への入国を拒否されたパリス・ヒルトン(Paris Hilton)とか、
ビートルズ(The Beatles)もかつて1966年にフィリピンのマルコス大統領の招待を断ったとして、フィリピンでバンされたことがあるらしい。


中国に入国拒否されることは、彼らの勲章代わりみたいなものですな。

しかし、説明の中にやたら「独立」という単語が使われているのは気になるところ。

中国については、この他セレブでない普通に近い人も、気に入らない活動をしているとして、大勢入国拒否に遭っているのも事実。




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2010年10月02日

【石平のChina Watch】「維穏」と「殺人ダニ」 転載

石平さんの記事転載。

【石平のChina Watch】「維穏」と「殺人ダニ」
2010.9.23 08:35
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100923/chn1009230837002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100923/chn1009230837002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100923/chn1009230837002-n3.htm

 中国ではこの数年、「維穏」という官製の言葉が高い頻度で使われている。「社会的安定(穏定)の維持」という意味だが、背景には、暴動や騒乱の多発に象徴されているような社会不安の拡大がある。
 今年6月13日付の『光明日報』の記事によると、2009年以降、各地方政府が中央政府から課せられる「第一責務」は、以前の「経済発展」から「社会安定の維持」、すなわち「維穏」に変わったという。
 それに伴って、「維穏」のための予算はうなぎ上りだ。10年度の国家予算では、「維穏費」とも呼ばれる「公安予算」が8・9%増の5140億元(約6兆5千億円)で、表向きの軍事費にも匹敵するほど巨額である。
 また、中央政府と各級地方政府には今、「社会安定維持弁公室」と称する専門部署が設置されている。そこでは、公安・武装警察や情報統制・宣伝などの総力を結集して日々の「維穏」に取りこんでいるという。
 政権がそれほどの必死さで「維穏」に当たっていることは逆に、中国社会が常に「不穏」であることの証拠だが、今や問題となっているのは当局の「維穏」のために、人民の権利と自由がより一層のひどさで侵されていることである。
 最近明るみに出た河南省の「殺人ダニ騒ぎ」はその一例だ。今月8日、河南省衛生庁は07年5月から10年9月にかけ、同省の商城県内においてダニに刺された557人が発病し、18人が死亡したと発表した。「ダニが人を殺す」とはまさにびっくり仰天の出来事だが、それよりも衝撃的だったのは、07年5月からの3年数カ月にわたって、商城県当局は実態を一切公表せずに、意図的な情報封鎖を行ったことである。
 犯罪行為ともいうべきこの情報隠蔽(いんぺい)の理由について、商城県当局は「公表した際のパニックを考えて、社会的安定の維持のためにそれを伏せた」との説明を行っている。つまり、「維穏」のためなら人の命を犠牲にしても仕方がない、という「弁明」だが、商城県当局に限らず、「維穏は人命よりも重い」というのが政権全体の一貫した考え方だ。
 しかし今回ばかりは、露骨な人命軽視に対して、さすがの中国人民も怒り出した。事件が明るみに出た翌日から、『新京報』という有力地方紙が商城県当局の情報隠蔽を厳しく追及したのを皮切りに、マスコミやネットの世界で非難の嵐が巻き起こった。
 「このような『維穏』は要らない!」「『維穏』は毒虫よりも恐ろしいのか」「『維穏』という美名下の犯罪は許せない!」等々、痛烈な批判があちこちから噴出した。
 そして、批判の声の多くは、その矛先を単なる商城県当局の情報隠蔽にではなく、政権の「維穏政策」そのものに向けている。現体制下で、中央の政策に対する民衆の批判がこれほどの明確さで堂々と展開されるとはまさに前代未聞の出来事だが、この原稿を書いている9月中旬現在、民間による抗議と反発はますますの広がりを見せている様子だ。
 このようにして、当局が「維穏」のために行った情報統制や人権侵害は逆に民衆の不満を招き、さらなる「不穏」の状況を作り出した。いわば「『維穏』が『不穏』を招く」という皮肉な事態である。
 このままでは中国社会全体の安定はいずれ崩れてしまう可能性が大である。民主主義的法治体制の創出こそが社会の安定化につながる究極の「維穏策」であると、今の指導者たちはまだ知らないのだろうか。
                   ◇
【プロフィル】石平
 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

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2010年09月30日

中国人作家・廖亦武氏

中国で服役中の民主活動家、劉暁波氏(54)にノーベル平和賞を授与するようとの働きかけが世界中で行われている。
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092801000047.html

一方、中国政府はノーベル賞委員会とノルウェー政府に対し、彼に平和賞を与えないようにと圧力をかけている。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100928/erp1009282008006-n1.htm

これで彼の受賞の可能性は益々高まったと思われる。

で、今日は興味深い1人の中国人作家を紹介する。

廖亦武氏も1989年に反体制派として逮捕されている。
外国渡航申請15回の後やっと今回ドイツへの渡航が許可されたという。
その彼のドイツ滞在記の記事を個人のブログに訳されていたのを見つけたので、それを転載させて頂く。

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http://www.digi-hound.com/takeuchi/category_5/item_33.html#more
元記事: http://www.canyu.org/n20191c6.aspx

廖亦武(中国の作家 liao yi wu ・リャオ・イウ)ベルリンに。

この一週間、ベルリンとハンブルグに滞在していた 廖亦武に、人々は好意のこもった好奇の眼差しを向けた。まず衣装が人目を引く。浅黄色の詰め襟の上着、革のリック、中には簫の笛と托鉢の鉢。そして剃りあ げた頭。とある中国の女の子は「和尚さんの恰好ね」と言った。彼の作品を読み、その境遇を知っている人は放浪者の恰好をしたヒッピーか、無頼のバガボンド と思うだろう。一見この伝奇作家はちょっと内気な仏像のように厳かな顔におもえるが、一緒に数日過ごすと心の中は悲しみに満ちた、だが原則は決して譲らな い人物だとわかる。

廖亦武は15回もの渡航申請の据え、ようやく9月15日にベルリン文学祭の招請でドイツに来ることが叶った。ベルリンのブライプトロイホテルの文学空間プ ロジェクトを受け、作家として6週間の滞在だ。というのは彼の「中国底辺訪問記」が英語とドイツ語に翻訳され(Corpse Walker,黄文译)和文(Fraeulein Hallo und der Bauenkaiser)、ドイツ社会に大きな反響をまきおこし多くの読者がうまれたからである。来年には「証言」がドイツ語に、「極東の羊飼い」が英語 に翻訳される予定だ。 それに加えて、ドイツの政治家は彼の「出国の権利」についても重大な関心をもっていた。だから廖亦武がベルリンに来ることは、文化界のホットニュースなの だ。記者会見では質問は政治方面に集中しそっちのほうばかり聞きだそうとして、廖亦武が詩人で文学者で音楽芸人だという点はどうでもいい、みたいだった。 「どうして今回出国できたのか?」「帰国は大丈夫なのか?」「改革開放以来、言論の自由は広がったか?」「あなたが出たことによって追随者があらわれると おもうか?」「出国について当局と取引は?」。こうした質問に廖亦武は丁寧にこう答えた。「私の作品は中国の土壌にねざしたもので、自分は出国の権利を粘 り強く堅持したように帰国の権利もそうする、作家は内心の自由がなければならず、それがなければどだい作品など生み出せない」。

廖亦武にとって1989年 が自身の生活と作風に大きな変化が生まれた転換点で、獄中の体験が彼に底辺を知るきっかけになった。作家としてはこれは無尽蔵の宝の山だった。政治的な問 題については廖亦武は「それは審美眼の問題。何が美しく、なにが醜いかは私と役人達では違うみかたをするんだ」と答えた。 ハンブルグ滞在中、廖亦武は文学祭主催者の報道界の人々や、評論家、ノーベル賞受賞者のグラス、芸術家達、社会活動家、あるいは貴族やお姫様とまであって 話を交わし、その印象は彼の頭の中をかけめぐっているだろう。中国最底辺の人々と過ごしてきた廖亦武にとってドイツの上流人士との落差をどう感じたろう か。しかし、そうはいっても人間であることは同じだ。さまざまな人々の精神と暮らしを観察する作家の目には言語や文化、習慣の違いは邪魔にはならない。無 数の握手や抱擁、賛美、集会、食時間、公演、問答を通じて、廖亦武に最も深い印象を残したのはWolf Biermannだった。Biermann氏はかって東ドイツ政府の弾圧をうけ、最後には国から追放されてた。帰国を許されなかった歌手・作家として廖亦 武の境遇と心情を同じくしている。最初の日に友にベルリンで歓談し、翌日もハンブルグで17日夜に開かれた朗読演奏会に出席した。

この会場はガラス屋根造りのハングルグ歴史博物館の大ホールで開かれ、多くの骨董的な彫刻や石碑が置かれているが、みな古いハンブルグの建築から持ってき て保存されている。黄昏時の光がガラスの天井から満員の200席以上の椅子を照らし、黄昏の光が弱まるとスポットライトが舞台を照らし、司会者の紹介で中 国式の服を着た廖亦武が木槌で鉢の縁を摩擦して出す音色が空間を貫き、続いて彼の甲高い歌声が突然会場に響いた。♪黄海の水はまさに尽きようとし、母親達 の乳房も枯れようとしている・・・。歌声は重厚で時に低く、高く響く。これは歌であると同時に彼の叫びだ。続いて女優が彼の「死刑囚が死を語る」を朗読し た。 〜略〜(詩はムズカシすぎて手に負えませぬ(^^;))

つづいて廖亦武は笙を吹いた。これは音楽だが大自然の音ではなく、人間の情感ーやりきれなさ、屈辱、悲しみ、いきどおり、有為転変、しみ通るような優し さ、理解となぐさめが万華鏡のようにつまっている。ホールの聴衆は黙って聞いていたが、突然、雷雨が降ってきてガラスの屋根のドームにビュービュー当たっ て跳ね返り、まるで笙に伴奏するかのよう。会が始まるまでは冗談ばかり飛ばしていたBiermann氏もこのときは真剣な顔でノートを取っていた。女優が 低い声で「遺体化粧師」を朗読。これは廖亦武が命がけで大酒飲みの親方と7度酒を飲んで七転八倒して書き上げた物語だ。

プログラムが終わると会場は一切を打ち消す大拍手に包まれ、廖亦武は舞台上で両手で顔を覆った。是まで受けた一切の屈辱や鬱屈、抑圧、悲しみがきれいさっ ぱり洗い流され、彼の音楽と文学は文化や言語を越えて、人々の心を動かしたのだ。人々は拍手で彼を抱き、慰め、Biermann氏は舞台に走り寄り、しっ かり廖亦武を抱きしめ、涙を流した顔で見つめ泣いたのだった。Biermann氏の顔は涙でいっぱいで、廖亦武は必死に涙をこらえていた。74歳になって も腕白小僧のようなBiermann氏がこのように心情を吐露するのはまことに心打つものであった。

この二人の芸術家は年齢が20歳も違い、会話は通訳を 介してなのだが、互いの精神は直に結ばれ演奏中も互いに対話できるのだった。このあと10月にも共同の音楽会おw開催するがきっと成功することだろう。 会が終わると、聴衆は長蛇の列をつくって7,80人がサインを我慢強く待っていた。一年前に出版された「底辺」を読んでいなかった人々は争うように買い求 め、作者のサインを求めていた。 ベルリンでの朗読・演奏会は大成功で、廖亦武は聴衆の心を捉えただけでなく、中国の昔からの友達と再会し、あらたな華僑の友達と知り合えた。

ベルリンの人 々はこれから数週間、彼が街を散歩して、サインの求めに応じたりする姿をみることだろうし、本を読んだ人は彼が中国からやってきた心と精神の医者であり、 義侠の士で、著作のために監獄にほうりこまれ、殴られ、飢えさせられ、残酷な刑罰に処せられたことを知るだろう。足もパスポートもあるのに出国できるかど うかわからず、中国人なのに祖国や同胞と一瞬にして失うという可能性に何十年も脅かされつづけたことを。だが、廖亦武は個人の利害損得にこだわることな く、心をけがすことなく生き抜いてきたのだ。 作家としてあなたの夢はなんですか?という質問に答え「中国人に自分たちの審美力を取り戻させることです」というのが廖亦武の答だった。 9月15日、ドイツにきて共にすごし19日に分かれるとき、廖亦武は突然「こんなに多くの外国人をみたのは初めてだよ」と言った。英雄の本領は、まさに子 供のような廖亦武氏であった。

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2010年09月11日

【石平のChina Watch】「賠償訴訟大国」に警戒せよ

他人様の記事で恐縮だが、何だか出だし部分が笑えたので紹介。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100909/chn1009090814001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100909/chn1009090814001-n2.htm

2010.9.9 08:12

8月の中国新聞各紙の社会面を眺めていると、奇々怪々な「賠償請求訴訟事件」のニュースが目立つ。

 北京市石景山区で、ある男の愛人となった女性は、男が自分のために購入した化粧品を男の正妻に「掠(かす)められた」として、この正妻に2万元の「損害賠償」を求める訴訟を起こした。湖北省黄石市では、夫が外で遊んでいて家に帰ってこないから夜の独り寝を余儀なくされた妻が、夫を相手に「独り寝損害賠償訴訟」を起こしたことが話題となっている。

浙江省寧波市。女の子が宿泊したホテルで自殺した後、彼女の死に「責任がある」として遺族から賠償請求訴訟を起こされたのは、なんとホテルの方である。

 広東省中山市。車に軽くぶつかった女性が運転手に法外な賠償請求を突きつけたが、その理由は驚くべきことに「処女膜が事故で破損したこと」であった。

 華北部の某都市で、専門学校の生徒が校内で転倒して負傷した後、「校舎の床が滑りやすいから」といって学校に莫大(ばくだい)な賠償を要求した。西南地域の重慶市では、自分で転倒して負傷した老女がバスに乗り込み、乗車中に転倒したふりをして、バス会社に賠償を求めた事件も起きている。

 それらの珍事件の数々を見ていると、今の中国人たちが、賠償請求訴訟を起こすのに、いかに「熱心」であるかがよく分かる。何かある度に、正当な理由があってもなくても、とにかく誰かをつかまえて「賠償をよこせ」と迫るのが一種の流行とさえなっている。愛人が正妻を訴えるこっけいさや、ホテルが宿泊客の自殺で賠償を要求されるような理不尽さもそこから出ている。

 こうした現象はある意味では、中国における社会的進歩の一つである。かつて毛沢東時代には、国民が生命や権利のすべてを奪われても文句の一つも言えなかったのだが、今、国民の一人一人が個人的権利を強く主張してそれを守り通そうとしている。この風潮がいずれ、国民一般の普遍的権利を求める社会運動に発展すれば、民主化への道が開かれる可能性もある。

しかしその半面、自己権利意識の肥大化が現代中国人特有の強欲さと相まって、理不尽な「賠償請求訴訟」の氾濫(はんらん)を招き、徹底的な人間不信の社会を作り上げている。

 2006年11月、南京市内のバス停留所で転倒した老女を助けた彭宇さんという若者が逆に老女から「損害賠償」を求められた事件が発生して以来、街角で誰かが倒れていてもそれを無視して通り過ぎていくというのが中国人の常識となっている。共同体としての中国社会は、すでに崩壊寸前である。

 われわれが警戒すべきなのは、こうした中国流の「賠償請求訴訟」の矛先が日本に向けられてくることである。いわば「慰安婦賠償」や「強制労働賠償」のたぐいもそうであるが、直近の事例でいうと、今年の8月15日、戦時中に日本に連行されたと称する中国の「強制労働者団体」が日本の菅直人首相に書簡を送って「対日賠償訴訟を徹底的に行う」と宣言している。

 この手の訴訟に対して、日本は完全拒否の姿勢を貫くべきであろう。一歩でも譲れば、バスで転げたふりをした重慶の老女と同類の「自称被害者」やその子孫たちが、法外な「賠償」を求めて次から次へと日本に押し寄せてくるような光景が目の前の現実となろう。

 中国との経済的交流・人的交流がますます盛んとなっている今、日本の企業や個人はまた、中国人たちの強欲な「賠償請求」の餌食にならないよう、十分に気をつけるべきであろう。

                   ◇

【プロフィル】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。


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2010年08月19日

中国の大災害は一般人に情報取得の権利がないから

今日はRFAの中国語版より。

http://www.rfa.org/mandarin/yataibaodao/wang-08182010100950.html

王維洛博士「一般人に情報取得の権利があってこそ、更なる大災害は避けられる」
(U女史訳)

2010-08-18

ドイツ在住の環境問題専門家王維洛博士は、中国の舟曲・ブン(さんずいに文)川の土石流被災地区の被災者救援、及び更なる災害発生の回避における最も根本的な問題は、一般人の情報取得の権利、自己の生存に関する情報を理解する自由な権利にあると語る。

ドイツから、RFA特約記者・天溢由記者が伝える。

最近、欧州各地のメディアは中国舟曲、ブン川等で発生した土石流等の災害や、それらに対する中国政府の哀悼、救援等の情報につき重点的に報道している。
この夏及びここ数年、中国で次々と発生し膨大な死傷者を出している自然災害が、欧州の一般人にとって理解を超えるのはなぜなのか?

記者はドイツ在住の著名な環境問題専門家・王維洛博士に取材した。
博士は記者に対し、まずこう語った。
「今回の舟曲地区、ブン川地区における災害では、土石流や地滑りで膨大な人的・物的被害が出ており、その原因や救援方法に対する関心が高まっています。
しかし救援の前に重要な前提条件があります。
つまり、自分の住んでいる土地の地理環境や、そもそも自分がどんなところに住んでいるのかについての居住民の理解です」

王博士は解説する。
「例えばドイツに住んでいる人は、本屋へ行けば地形図が手に入ります。
買いたくなければネットで検索することも可能です。
しかし舟曲の災害に関する今回の報道で提供された何点かの(現場)写真や衛星写真から分かるのは、この場所がそもそも地滑り地形で、町を建てるのには適さない場
所だということです。
人の住む町を作るのに適さない地滑り地形の上に発展したのが舟曲の県都なのです。これはブン川も同じで、ブン川で新しく建てられた居住区も、本来川の道筋だった谷に建てられているのです」

なぜこのような、理解に苦しむ事態が起こるのか。
「中国の等高線図は国家機密です。
油井の位置(に関する地形図)を買ったアメリカの地質学者が、中国政府から10年の判決を受けたこともあります。
彼の罪状は中国の機密資料の所持でした。
こうした地形図は、前にも述べたように、他の国では一般市民皆が購入可能なものであり、機密でなどありえません。
こうした地形図を手に入れることすらできなければ、自分の周囲の環境がどうなっているかを把握できず、どこが災害に遭い易いのかを知ることもできないのですから」

博士はこう締めくくった。
「一般人に情報取得の権利が必ず認められるべきです。
中国の地形図が永遠に機密資料であり続け、一般人が入手できなければ、今回は舟曲、前回は玉樹、そして次はどこの人々のために半旗が掲げられることになるのでしょうか」と。

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おまけに超可愛い映像を二つ:
(これもU女史が教えて下さったもの。今日は他力本願のみ)

<五体投地するチベタン・ベイビー>




<チベット難民ベイビールーム>



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2010年08月10日

中国国防大学のトップの発言「政治改革しなければ政権は崩壊」

興味深い記事をコピペ。

「政治改革しなければ政権は崩壊」 中国軍部高官、大胆な発言 
軍内からも異変か


http://www.epochtimes.jp/jp/2010/08/html/d27911.html

【大紀元日本8月10日】
5年に1度開かれる中国共産党全国代表大会の第18回大会(12年9月開催)に向けて、中共指導部が密かに権力闘争を繰り広げている。中国国防大学のトップ、劉亜州中将はこのほど、香港「鳳凰週刊」で、中共は現在の政治体制を改革しなければ、「その政権は必ず崩壊してしまう」と断言した。劉氏の大胆な発言の裏に中共中枢部からの有力支持が存在しているのではないかと、さまざまな憶測が飛び交っている。 

 中国国防大学は、中共軍事委員会直属の軍の最高学府であり、軍事の戦略シンクタンクの最高峰でもある。その国防大学のトップがメディアで政治体制の改革に言及するのは異例で、政界に波紋を起こしている。

 劉氏はインタビューの冒頭から、「金銭があるからといってソフト・パワーの上昇を意味するものではない」とし、中共の「経済強国論」や「金銭外交」を厳しく批判した。そして、「金銭だけでは、国際社会における国益を守ることができないばかりか、国内の安定すら維持することもできない」と指摘する。

 さらに、ソ連の崩壊を例に挙げて、民族の運命を決めるのは、軍事や経済よりその文明方式によるものだとして、中共の政治体制を改革する必然性を述べた。「もし、国家制度が国民に最大限にその創造力を発揮させることができず、自由に呼吸することすらできなければ、そしてもし、国家制度が国民を代表する者を指導者のポストに挙げることができなければ、その政権は必ず崩壊する」と現政権への批判ととれる大胆な発言をした。

 また、同氏は、米国を成功に導いたのは、強い経済や先端技術ではなく、「長期間にわたって実行されている法治と、それを支えている制度である」としている。「中国に欠けているのは真理そのものではなく、真理の存在を容認できる土壌なのである」、そして、「民主思想の伝播は国境や歴史から制限されるべきではない」とし、民主政治の実施こそが中国の難病治療の良薬だとした。

 「今後十年以内に、中共の権威政治から民主政治への転換はもはや避けられず、中国の政局でまもなく偉大な大変革が起こるにちがいない」と予告ともとれる発言をしたという。

 この大胆な発言を繰り広げた劉中将は、元中国国家主席・李先念の娘婿で、中共の要職である中央紀律検査委員会の委員でもある。厳しい言論統制を敷いている中共が彼の発言を許しているのは、中共の権力闘争が激化するなか、劉氏は軍を含め中共中枢部から有力な支持を得ているからだと見られている。

 劉氏の発言以外にも、今年3月、改革派のメディア人が作った月刊誌「炎黄春秋」が、「共産党史についての民主的大考査(対党史的一次民主大評価、著者・郭道輝)」と題する文を掲載。同文は大量の史料に基づき、中国人の今までの認識をくつがえすような、毛沢東に対する客観的再評価を行った。これについて、保守派の習近平・副主席は、党史の工作会議で名指しで批判し、同誌はその後、修正文を掲載するよう迫られた。

 また、最新刊の「炎黄春秋」では、趙紫陽元総書記が四川省トップとして就任していた当時の政治功績を高く評価する記事を掲載した。趙紫陽元総書記の名誉回復を図ったこの記事は、新たな波紋を呼んでいる。

 一方、気骨ある報道で知られ、中国知識人に人気のある「南方週末」は、昨年11月、オバマ大統領が訪中した際に単独インタビューを行った。ところが、その記事の掲載を中国当局に差し止められたため、南方週末はインタビュー内容を掲載する予定の紙面を空白のままにして発売し、無言の抵抗を行った。オバマ大統領はインタビューで、言論の自由の重要性について語ったと言われている。

 軍内やメディアから発せられるさまざまな異変は、中共指導部の権力闘争が激化し、水面下から徐々に表面化してきたシグナルだと見られる。


(翻訳編集・張YH)(10/08/10 09:12)










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2010年08月07日

アフガンのガンダーラ仏教僧院遺跡が中国の企業により爆破されようとしている

<世界平和>

昨日はもちろん、広島の原爆記念日だった。
私も一応被爆二世だ。

その時、学徒出陣で広島の病院で働かされていた亡き母が被爆した。
幸い、宇品という爆心地から少しは離れた場所だったこと、被爆時頑丈な建物の中の窓際ではないところにいたお陰で命は助かった。
でも、長い間、身体にガラスの破片が入ったままだったという。

母はこの日が来ると、その時のことを思い出さずにはおれないらしく、
「ビカドン」後の地獄の日々のことを泣きながら何度も話してくれた。

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アフガニスタンのガンダーラ仏教遺跡今日は、
<アフガニスタンの古代仏教遺跡が中国の鉱山会社によりダイナマイトで爆破されよとしている>という話。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27917&article=Ancient+Buddhist+site+faces+threat+from+mining

タリバンがバーミヤンを爆破したが、今度は中国の会社がアフガン政府承認のもとでガンダーラの僧院を爆破するというのだ。

遺跡はカブールに近く、名は「Mes Aynakの丘」
この丘には何とBC2世紀に仏教僧院が建てられ、その後少なくとも6Cまで僧院は活動し続けており、それ以降も9Cまで人が住み続けていたという。
アフガン・フランス共同考古学調査団は今までに、ここから100体以上の仏像、仏塔、5mに及ぶブッダの横伏(涅槃か休息)像を発見した。

こんな貴重な遺跡をあることが分かっていながら、アフガン政府は遺跡一帯を銅鉱山として中国冶金科工集团公司に売ったのだ。
銅の埋蔵量は3000億円相当程度といわれているらしい。
採掘が始まれば、毎年、政府はここから420億円の利益を得るという。

ま、実際、日本や欧米の企業がこんな大そうな遺跡のある鉱山を買って、遺跡を爆破するなんてことは到底できないであろう。
国内外から強く非難されることは目に見えている。
また、遺跡の価値を知り、道徳も少しは持ち合わせているから。
でも中国ならできる、国内からの非難など皆無だし、外国がどう言おうとお構いなしだ。
遺跡をつぶすことは文革以来の伝統だ。

中国は資源のためなら、少々の非難は何とも思っていない。

フランスの考古学者たちはこの遺跡は「この地域でかつていかに仏教が広まっていたか、イスラム教徒といかに共存していたかについての新しい情報をもたらす、貴重な遺跡」と位置づけ、世界にこの遺跡の保存を訴え続ける、と言ってる。

「遺跡は巨大で驚くべき遺品が沢山ある。時は迫っている。数か月後にこの遺跡は破壊される。別の方法を考えなくてはならない。さもなければ消え去る」と、アフガニスタン国立考古学協会のNader Rassouli氏は語る。

学者たちは、「鉱山と遺跡は遺跡保護区を作ることで共存できる。何れ観光収入も期待できよう」という。
これを止めるには「カルザイがノーと言えば良いのだ」「これは国際問題だ」ともコメントする。

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ガンダーラ仏私もかつてパキスタンの北のガンダーラ遺跡を訪れたことがある。

ガンダーラ仏に囲まれると何だか不思議な感覚に陥る。
顔や様式がまるでギリシャだ。実際、アレキサンドロス大王に連れられてきたギリシャ人の末裔たちも多かったことであろう。

かつて、大昔、ヨーロッパのアーリアの人々が仏教徒となり、僧侶となり、こんなところで修業していたのだ、と彼らがガンダーラ仏のような衣装を着て歩いている様を想像すると、不思議な感じを覚えるのだ。

以下、仏教を考える上にも、とてもよい参考になる、「仏像の起源」についての情報をWikipediaより。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%83%8F

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「もともと、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。

また、原始仏教は宗教的側面もあったが、四諦や十二因縁という自然の摂理を観ずる哲学的側面の方がより強かったという理由も挙げられる。さらに釈迦は「自灯明・法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)という基本的理念から、釈迦本人は、自身が根本的な信仰対象であるとは考えていなかった。したがって初期仏教においては仏像というものは存在しなかった。

仏足 1世紀 ガンダーラしかし、釈迦が入滅し時代を経ると、仏の教えを伝えるために図画化していくことになる。
仏陀となった偉大な釈迦の姿は、もはや人の手で表現できないと思われていた。そのため人々は釈迦の象徴としてストゥーパ(卒塔婆、釈迦の遺骨を祀ったもの)、法輪(仏の教えが広まる様子を輪で表現したもの))や、仏足石(釈迦の足跡を刻んだ石)、菩提樹などを礼拝していた。インドの初期仏教美術には仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)は多数あるが、釈迦の姿は表されず、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみであった。

仏像が出現したのは釈迦入滅後500年以上経ってからである。最初の仏像がどこでどのようなきっかけで制作されたかは明らかでないが、最初期に仏像の制作が始められたのは西北インド(現パキスタン)のガンダーラと、中インドのマトゥラーの2つの地域であり、おおむね紀元後1世紀頃のこととされている。

マトゥラー仏ガンダーラとマトゥラーのいずれにおいて仏像が先に造られたかについては、長年論争があり、決着を見ていない。しかし、仏像がさかんに造られるようになったのは紀元後1世紀頃からインドを支配したクシャーナ朝の時代であることはほぼ定説となっている。クシャーナ朝のカニシカ王は釈迦の教えに触れて仏教の保護者となった。王は自国の貨幣に釈迦像と仏陀の名を刻印した。また当時の都であったプルシャプラ(現パキスタン、ペシャーワル)の遺跡からはクシャーンの王(カニシカ王とされるが異説もある)の頭上に釈迦が鎮座する図柄の舎利容器なども発見されている。

マトゥラーの仏像がインド的であるのに対し、ガンダーラの仏像がギリシア彫刻のように彫りが深いのは、この地にさまざまな民族が侵入し、西方の文化を持ち込んだためである。紀元前330年頃にアレクサンドロス大王の遠征軍がペルシャを越え北インドまで制圧し、ギリシャ文化を持ち込んだ。その後も紀元前2世紀にはグレコ・バクトリア王国のギリシャ人の支配を受けるなど、西方文化の流入は続いた。つまりガンダーラの仏教美術とは、ギリシャ美術、ペルシャ文化に仏教が融合した結果であった。

ガンダーラ、ブッダ誕生もともと仏陀像は釈迦の像に限られていたが、仏教の展開に応じて、いろいろな像が生まれ、光背はペルシャ文化の影響と見られ、仏教はギリシャ文化の影響からか、偶像崇拝的性格を持つようになった。ガンダーラにおいても銘文から弥勒菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩などであることが明らかな作例が確認されている。

詳しくは高田修『仏像の起源』(岩波書店、初版1967年、復刊1994年ほか)『仏像の誕生』(岩波新書 1987年)、宮治昭『ガンダーラ仏の不思議』(講談社選書メチエ、1996年)」

ガンダーラは初期大乗仏教の拠点でもあった。

仏教は時代とともに変身し続け今に至っている。

思えば遠くに来たものよ。

仏像のなかった時代も懐かしいなあ~















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2010年07月18日

中国共産党は日本軍に感謝すべきか?/中国当局 人権活動家 ブログ遮断

昨日、テレビのチャンネルを回していたとき、ラサTVの画面上に日本国旗が映ったので、しばらく眺めていた。

日本国旗を掲げながら、10名ほどの日本兵が長い銃剣つきの銃を肩に担ぎ、町を歩いている。
道で遊んでいた中国人の子供たちを「邪魔だ」と次々に蹴飛ばす。
兵士が通り過ぎたあと、子供たちは後ろから日本兵に向かって石を投げた。
中に一人青年がいたが、彼も投げた。
日本兵は怒り、一斉に振り向き、銃を水平に構え、まず一人の子供の胸を撃つ。
二人目が撃たれる。

先に路地に逃げていた青年は、自分の弟(或いは子供)が撃たれたのを見て、すぐに
出て助けようとする、がそれを美人のお姉さんが必死で止める。
今出てはお前も殺されるだけだ、というわけだ。
そうしている間にも、日本兵は子供たちをいたぶり、挙句に笑いながら、一人の子供の胸を銃剣で刺し、殺す。
そして立ち去る。

というシーンが流された。

「またか、まだやってる」と思うと同時に、すぐにチベットの事が連想された。
最近も何度もお知らせしているが、チベット人たちが鉱山開発などに反対し抗議の集会を開くと武装警官隊が出動する。
住民が抵抗の印に石を投げることがある。
そうすると、中国側は銃を水平に構え、住民たちに向かって発砲する。
何人も何十人もこうして撃たれ、死亡したものも沢山いる。

中国は日本軍をネタに、自分たちの美しい抵抗の英雄談ドラマを今も作り続けている。
一方で、今、チベットや新疆ウイグルで自分たちが同じような蛮行を行っているのだから、解らないのは中国だ。

もっと解らないのは、中国共産党が日本軍と直接戦闘したわけではないからだ。
共産党はむしろ華北を中心とした解放区を拠点に日本軍との正面衝突は避けて力を温存し、国民党が日本軍とともに消耗するのを待っていた。
そして、大戦で日本軍が負けたのち、ソビエトの援助を得て、国民党との戦いに勝利しただけだ。

つまり、国民党をやっつけてくれ、敗戦してくれた日本軍に共産党は感謝すべきなのだ。
もちろん、日本の嘗ての侵略戦争を正当化する気は毛頭ないが、それが今の共産党が中国を支配するきっかけ、手助けとなったことは間違いない。

もっとも、そんな当り前の歴史的真実も中国では都合のいいように捻じ曲げられ、ドラマ化され、宣伝される。
だからもちろん、中国人のほとんどは日本軍と戦い、中国を救ってくれたのは今の中国共産党だと信じ込んでいる。

中国人だけじゃない、日本人を含めた多くの外人さえ、ナイーブな人たちはそのプロパガンダにまんまと騙され、そう認識している。

この辺のチベット人も、サンジョル(新参者)たちはそう思っている。
世界で一番残酷なのは日本人だと思っている。(中国の軍や武装警官の暴力は相対化される)
だから、チベットでは子供が悪さをすると、親は「やめないと、日本人(軍)を呼ぶよ!」と脅すそうだ。
日頃、テレビで散々日本軍の中国人惨殺シーンを見ている子供たちは震え上がるそうだ。

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以下、今日の東京新聞朝刊

<中国当局 人権活動家 ブログ遮断>

2010年7月18日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010071802000062.html

 【北京=朝田憲祐】中国の大手ポータルサイトが運営するブログのうち、人権活動家ら約百人のブログが今月中旬から、閲覧できなくなったことが分かった。関係者によると、サイトの管理者は「(当局の)主管部門からの指示により、やむを得ず遮断措置を取った」と説明したという。中国当局による言論統制の強化とみられる。

 関係者によると、見られなくなったのは▽共産党の独裁廃止を求めた声明「〇八憲章」の主要執筆者の張祖樺氏▽同憲章に署名した法律学者の賀衛方氏▽民主派弁護士の浦志強氏−らのブログ。十四日ごろから、「管理人により削除されました。ご不便をおかけします」などと表示されるようになった。

 大手ポータルサイト「新浪網」にある張氏のブログでは、「中国にはなぜ市民社会が必要なのか」といった項目は表示されるが、本文を閲覧しようとすると「このページは表示できません」となる。

 一方、サイトの管理者は、一連のブログ遮断は「独自の判断ではない」と強調。指示を出した「主管部門」がどこかについては口を閉ざしたという。ある民主派知識人は、本紙の取材に「当局による大規模なネット言論の弾圧が始まった」と批判した。

 中国当局による情報統制は強まっている。今月一日には、主要都市ごとに発行され独自報道に力を入れる「都市報」と呼ばれる新聞に対し、各地の都市報同士の記事の交換を禁じる通達を出した。自社以外の記事を載せる場合は、新華社の配信だけを使うよう指示した。

 今年の全国人民代表大会(全人代=国会)の直前、国内十三紙が現行の戸籍制度を批判した共同社説を一斉掲載するなど、都市報に広がる独自報道の動きを抑え込む狙いがあるとみられる。これに対し、一部の都市報の幹部は、中国当局の幹部に対し、通達の取り消しを求めたという。








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