天安門

2010年01月22日

天安門事件リーダー、周勇軍に別件で懲役9年 

周勇軍氏周勇軍氏の写真を持っているのは氏のパートナー C/R REUTERS

産経新聞 2010.1.21

天安門事件リーダー、詐欺未遂で懲役9年 中国で「別件逮捕」急増
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100121/chn1001212049007-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100121/chn1001212049007-n2.htm

【北京=矢板明夫】中国の民主化活動家、1989年6月の天安門事件で学生リーダーを務めた周勇軍氏(42)が、詐欺未遂の罪に問われた裁判で、四川省射洪県人民法院(地裁)は今月中旬、懲役9年の実刑判決を下した。香港などにある複数の民主化支援団体が21日までに明らかにした。最近、中国当局は国際社会の批判をかわすため、反体制活動家を政治犯ではなく、詐欺や窃盗などの刑事犯として逮捕するケースが増えている。

 中国当局が認定した詐欺未遂事件とは、2008年夏、周氏が香港の銀行で偽名を使い、中国政府に非合法団体と指定された気功団体の預金口座から、現金200万香港ドル(約2300万円)を引き出そうとしたが、口座はすでに中国当局に凍結されており、未遂に終わったというもの。周氏は「口座の金は民主化活動の資金であり、偽名を使ったが詐欺ではない」と無罪を主張したが、認められなかった。

 周氏は1989年の民主化活動で、大学生の自治組織、北京市大学生自治連合会の会長として活躍。天安門事件の直後に逮捕され、2度投獄された。93年から米国に移住した以後も中国の民主化運動にかかわり、08年9月、香港から中国入りした際に拘束された。判決を受け、周氏は直ちに控訴したという。

一方、湖南省の地裁では今月中旬、窃盗罪に問われた人権活動家、謝福林氏に対する裁判も開かれた。謝氏は中国共産党の一党独裁体制の終結を求めて発表した声明「08憲章」に署名した一人で、昨年7月に身柄拘束された。逮捕容疑は電力会社に無断で電線を引き、電気を盗んだという内容で、最高懲役10年の判決を受ける可能性もあるという。謝氏は「電力会社の了解を事前に得ている」と主張している。

 中国はこれまで反体制活動家の身柄拘束では「国家転覆罪」などを適用してきたが、そのたびに国際社会から批判を受け、欧米諸国と外交問題に発展することもあった。中国当局はこのため、活動家たちを別件の刑事事件や微罪で逮捕することで政治性を排し、外国からの批判をかわそうとしているのだ。

 香港を拠点とする人権団体の関係者は、「統計上の政治犯の数は減ったかもしれないが、善良な人がぬれぎぬを着せられており、中国の人権状況はますます悪化している」と批判を強めている。


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2009年06月04日

ダライ・ラマ法王・天安門学生民主化運動20周年声明

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http://www.dalailama.com/news.383.htm

2009年6月3日:
天安門学生民主化運動20周年を迎えるにあたり、まず、私は他の中国に関心を抱く人たちと共に、もっと民衆の立場に立ってほしいという、多くの人々の要求を表現したが故に、命を失った人々に敬意を表する。

天安門の運動に参加した学生たちは反共産党主義者でも反社会主義者でもなかった。
彼らは中国憲法で保障された人民の権利について、民主主義について、腐敗について語ったのだが、これらはすべて中国共産党政府の理念に合致するものばかりだ。その時の党書記長趙紫陽氏によっても表明されたものだった。だから、来る中華人民共和国建国60周年は1989年6月4日の出来事を再評価する絶好の機会になるはずだ。

中華人民共和国では1989年以来大きな変化が起こった。今や世界的経済大国となり、いずれは世界の超大国にならんとしている。私は中国の指導者たちがもっと真の平等主義に基付く、様々な意見を寛容に受け入れる心の広い政策を実行する勇気と長期的視野を持って頂きたいと希望する。開放的、現実的政策が国内的信頼と調和への道であり、国際的にも真に偉大な国家となることができる道であるのだ。

ダライ・ラマ














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2009年05月31日

天安門/続・特使ケルサン・ギャルツェン氏の話

87a0f2d4.jpg以下、天安門関係日本の記事二本。
頑張って取材し、書いてくれてると思います。

写真は東京新聞より「片足切断の元塗装工」

東京新聞:天安門事件 20年 今も国から迫害:国際(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009053102000079.html

 中国で学生らの民主化要求運動が弾圧された一九八九年の天安門事件から六月四日で二十年を迎える。共産党政権は当時の運動を「反革命暴乱」と位置付け、「暴徒を鎮圧した」という認識を変えていない。急激な経済発展で国民の生活は豊かになり、事件への関心も薄れつつあるが、当時の被害者らは今も真相解明を求め続けている。 (北京・平岩勇司、写真も)

◆左脚切断の元塗装工『罪認めるまで闘う』

 雨の日は失った左脚の先が痛く感じる。まるで「あの日を忘れるな」と言うように。

 一九八九年春、塗装工をしていた斉志勇さん(53)は「腐敗反対」を訴える学生に共鳴し、運動に参加した。六月四日未明、天安門広場近くで左脚に二発の銃弾を受け、手当てが遅れたため切断した。

 少年期は国中が混乱した文化大革命の最中で、小学三年生までしか学校に通っていない。それでも「共産党は人民を守る」と教えられ、信じてきた。

 「熱愛する祖国の軍隊に撃たれ、信じていたすべてを失った」

 勤務先からは「仕事中の事故とすれば補償金がでる」と労災申請書を渡されたが、拒否した。「世界中に学生運動はあるが、中国だけが軍隊で人を殺した。共産党が罪を認めるまで闘う」

 斉さんはその後、昨年ノーベル平和賞候補となった胡佳氏らと民主化活動を続ける。何度も当局に拘束され、つえをけられて倒される屈辱も受けた。四年前には身元不明の男らが自宅に押し入り、斉さんは肋骨(ろっこつ)を折られた。昨夏の北京五輪中も北京から隔離された。

 パートをする妻の収入に頼る苦しい生活。心の支えは事件後に入信した、中国では非合法の地下キリスト教会。「慈愛の教えは私に新たな生命を与えてくれた」

 事件二十年となる今年の六月四日は「必ず北京にいる」と語っていたが、五月二十五日、警察に拘束され、北京郊外に軟禁された。持病の糖尿病の薬もなく、食事もできない状態だが、関係者に携帯メールを送った。

 「主の教えで私の心は平穏だ。私はくじけない」

◆死者数なお不明 当局、正確な情報公開せず

 天安門事件の死者数をめぐり、当初は数千−数万人の説が流れたが、最近は数百人から千人強との見方が強まっている。

 中国当局は「死者は三百十九人」と説明。当時の現場で取材した新華社通信の元幹部は今月、香港で出版した回顧録で「中国赤十字の幹部が七百二十七人の遺体を確認した」と明かしている。

 また、「天安門広場で死者は一人もいなかった」とする当局に対し、丁子霖さんは広場で殺害された市民がいたことを突き止めている。丁さんは「死者は千人以上」とみる。

 事件直後に北京中心部の病院を回った元学生指導者は「死者の合計は千五百人近かった」と証言。いずれにせよ、当局の情報公開がなければ正確な死者数は不明なままだ。


◆『政権転覆が目的』 党、見直し拒む

 天安門事件の背景にはさまざまな要因があった。最高実力者の〓小平氏が一九七八年に改革・開放政策を導入して十年余、西側の民主思想が一気に流入。学生、知識人に刺激を与えた。開放政策に伴い官僚の腐敗、経済格差も問題となり、市民の不満が高まっていた。改革派指導者の胡耀邦氏の急死が民主化要求運動の発火点となった。

 一方、運動は〓氏ら党長老にとって、大衆運動で無政府状態に陥った文化大革命時代の悪夢を想起させた。折から東欧の社会主義体制が不安定になっていた時期でもあり、〓氏らは「運動の目的は政権転覆」と決めつけ、人民解放軍が人民を殺害する惨劇を起こした。

 胡錦濤氏と温家宝氏が国家主席と首相に就任した七年前、「天安門事件は過ちだったと見直すのでは」という淡い期待があった。胡主席は胡耀邦氏を「師」と仰ぎ、温首相は学生運動に好意的だった胡耀邦、趙紫陽両氏の部下だったためだ。

 だが、見直しの動きはない。弾圧に関与した江沢民前国家主席は今も影響力を残す。胡主席自身も〓氏から指導者に指名された立場。〓氏批判につながる歴史の見直しは難しい。

 天安門事件で失脚した趙氏の軟禁中の発言をまとめた本が今月、米国や香港で出版された。「武力弾圧は誤り」「中国は多党制に変わるべきだ」。衝撃的な内容だが、現指導部に耳を傾ける余裕はない。官僚の腐敗や経済格差は二十年前より悪化し、民衆の抗議行動は年間十万件起きているといわれる。胡主席は天安門事件について「社会主義の正しい道筋を堅持した」との公式見解を維持している。

◆真相求め続ける

 もう何千回、涙を流したのだろう。中国人民大学元助教授の丁子霖さん(72)は、天安門事件で十七歳の息子を失った。彼女は悲しみを力に変え遺族会「天安門の母」を結成、犠牲者の実態を独自調査している。

 熱心な共産党員だった丁さん、夫の〓2培坤・元同大教授(75)は息子の〓2捷連君に「国を愛するように」と説いて育ててきた。

 一九八九年春、捷連君は民主化を求める大学生の支援デモに参加した。高校でトップの成績を収めていた彼は「来年は北京大学に進学したい。あそこは民主の揺りかごだからね」と話していた。

 軍が動き始めた六月三日夜、夫妻は「外出してはだめ」とドアに鍵をかけた。捷連君は「いま大事なのは参加することだよ!」と叫び、丁さんの顔にキスをすると、トイレの窓から抜け出した。自転車で天安門広場へ向かう途中、心臓を撃ち抜かれる。同級生に「当たっちゃったみたいだ」と言って崩れ落ちた。夫妻は二日後、遺体の彼と再会する。

 「息子が一体、何をしたというのか」

 丁さんの闘いはそれから始まる。当局が死傷者の名前も発表しない中、遺族を捜し歩き百九十五人の氏名や死亡時の状況を調べた。死者には九歳の少年もいる。国営新華社通信に雇われて広場の写真を撮影中、射殺された学生もいる。「暴徒」など一体、どこにいるのか。「誰一人として暴力行為をしていない。虐殺事件の罪なき犠牲者だ」

 夫妻は党を除名され大学も追われた。軟禁と監視を受け続けてきたが、他の遺族と連名で責任者を追及する公開書簡を毎年発表してきた。

 丁さんは今も同じ夢を見る。

 「息子がドアを開けて家に帰ってくるの。私は『ああ、やっと会えたわ』と抱きしめる。体の感触があるんですよ! 私が『天国の暮らしはどう?』と一生懸命話しかけると、息子はずっとうなずいてる。そこで目が覚めるんです…」

 涙が止まらなくなる丁さん。白髪が目立ち、病気がちの夫の世話も体力がいる。それでも気力を振り絞る。「私が生きている限り、真相を求め続ける。母の愛の力は、共産党などに負けない」

 自宅には、デモ隊の先頭に立つ鉢巻き姿の捷連君の絵が飾られている。祖国の将来を信じて、十七歳のまま笑顔を浮かべている。

※〓は登におおざと

※〓2は蒋の旧字体

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民主化弾圧事件から20年 「天安門」の真実 香港争鳴 回顧録、告発本…出版相次ぐ / 西日本新聞

http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6567/

(2009年5月31日掲載)

 1989年6月4日、中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から間もなく20年。中国政府は、その後の経済成長を根拠に「解決済みの問題」と位置付け、事件の再評価などを求める民主化運動に対し厳しい言論統制を敷いている。だが、一国二制度の下、香港では、当時の学生運動家らの回顧録や告発本の出版が相次いでいる。学生運動に理解を示し、失脚した故趙紫陽総書記の回顧録「改革の歴程(英語版・国家の囚人)」の出版に尽くした同総書記の元秘書、鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)(ほうとう)氏(76)を北京の自宅に訪ね、出版の狙いを聞いた。
 (北京・椛島滋)
 
 香港の週刊誌、亜州週刊の特集記事「六・四!六・四!」によると、天安門事件20周年を前に香港で出版された関連書籍は計6冊に上る。
 
 「改革の歴程」は、趙氏が約16年間の自宅軟禁中、事件をひそかに回顧した30本の録音テープを英文と中国語でまとめた。この中で、趙氏は「当時の最高実力者、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏に武力弾圧をやめるよう説得したが、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏は軍隊出動を決断した。悲劇は避けられなかった」と振り返っている。
 
 国営通信・新華社の元幹部の回顧録「歴史の大爆発」は、中国当局が319人とする同事件の死者数を727人だったと告発した。このほか当時の学生運動リーダーや元新聞記者たちが、中国当局の監視を逃れ、香港での出版に踏み切っている。
 
 だが中国本土では、こうした回顧録の出版や趙氏の録音テープのネット上での公開を報じた香港紙「明報」が、その後、没収される事態が頻発。中国外務省は、週2回の定例会見の質疑応答を同省サイトで公開しているが、天安門事件に関する外国人記者との質疑応答は、会見録からもすべて削除している。
 
 中国本土のメディアは事件の関連報道を一切行っておらず、25日に北京であった1000人規模の人権擁護デモも報じていない。
   

 ●「歴史の暗部を忘れるな」 故趙紫陽総書記の元秘書鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)氏に聞く 中国の現状 批判
 
 −今回の回顧録出版の狙いは。
 
 「中国政府は隣国に対し『歴史を忘れるな』と言うが、私は中国政府に『自分たちの歴史を忘れるな』と言いたかった。日本は軍国主義の教訓を学んだが、中国では当時から共産党の1党独裁が続いている。腐敗による社会矛盾が激化している。そのことに警鐘を鳴らしたいと思った」
 
 −趙紫陽とは、どんな人物だったのか。
 
 「趙紫陽は共産党を分裂させようとしている、と〓(〓は「登」に「おおざと」)小平に批判された。だが、党への愛情は〓(〓は「登」に「おおざと」)に負けていなかった」
 
 「しかし彼は、党は民意に従うべきで、大衆を党の友人とみなし、その意見は党の助けになる、特に提案する人を大切に考えた。逆に〓(〓は「登」に「おおざと」)小平は、党は権力を持ち大衆はそれに従うもの、と考えた。だからあの抗議行動を危険分子、動乱と断定し軍で鎮圧すべきだと考えた。20年前の悲劇は避けられないものだった」
 
 −今の中国共産党をどう評価する。
 
 「20年前、学生たちは腐敗打倒と叫んだが、今は誰もできなくなった。当時は酒やたばこを渡すのが腐敗だったが、今は株券や別荘を贈るようになった。大衆が裁判所に訴えようとすると国家転覆罪だとされ、報道しようとしてもダメだ、と止められる。この20年で党の執政能力は大いに高まった。そういう意味で共産党は“改善された”といえるかもしれない。だが、腐敗の上に築かれた一部の権力者の自由、天安門事件によってもたらされた多数の悲しみの上に築かれた自由に、私は興味はない」
 
 −あなたは、中国政府に拘束される心配はないのか。
 
 「懸念はある。しかし怖くはない。回顧録は英語版、中国語版とも海外と香港で出版するだけだ。ただ、大陸でも出版できるなら歓迎するし、そうなれば中国の前途は明るいものになる。ぜひ江沢民元総書記の回顧録と読み比べてほしい」
 
 −今の中国の若者をどう評価するか。
 
 「彼らは中国の歴史の暗部を全く知らない。それが大きな欠点だ。だが利点もある。彼らは今、中国と外国を比較できる。欧米や日本など西洋の制度や観点を知っている。彼らも(今の政治制度について)いずれ選択を迫られる時が来るだろう」


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最後に昨日のケルサン・ギャルツェン氏の話には続きがありました。


【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(下) 15世決定は中国側の幻想 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n3.htm

2009.5.31 13:00

 −なぜ、中国側はこれほど強硬なのか。

 「これは50年前に中国人民解放軍がチベットを占領して以来の安全保障上の問題のほか、中国によるチベットへの理解の欠如が根底にあると思う。また地政学的な問題もあり、中国内の保守強硬派がチベット独自の宗教や文化、言語などの重要性をまったく理解していないことも大きな要因だろう。今後の対話について、われわれはいつ、いかなる場所でも、中国側との話し合いに応じる用意がある。ボールは中国側にあるのだ」

 −中国のメディアが伝えるところでは、ダライ・ラマ側はチベットがかつて統治していた地域、いわゆる「大チベット区」の復活や中国軍と漢民族(中国人)がチベット自治区から出て行くことを条件に挙げており、これについて中国指導部が警戒しているというが、これは事実か。

 「それは極めて重要な点だが、事実とは違う。大チベット区というのは歴史的なものであり、多分に考古学的なものであり、現状とは相いれない概念だ。これはチベットの独立を意味してしまう。ダライ・ラマが求めているものは、あくまでも自治であり、独立とは違う。よって、われわれが大チベット区を要求しているというのは当たらない。ただ、この概念については、対話の際に、中国側に説明したことはある。それから、軍の撤退だが、これはダライ・ラマがかつてストラスブールで宣言した際に、チベットの非武装化を提案したことがあったことが、条件といてとられているのではないか。これはあくまでも提案であり、条件ではない。3番目は漢族の移住の問題であり、例えば、内モンゴル自治区はモンゴル人の自治区のはずだが、居住しているモンゴル人は全人口のわずか18%にしか過ぎない。これでは、自治区の真の姿ではないのではないか。チベット自治区においても、漢族が多数移住しており、チベット人の自治区の本来の姿でなくなってしまうことも考えられる。しかし、われわれは現在住んでいる漢族を追い出そうという考えはまったくない。われわれは9回の話し合いで、中国各地を訪問した。中国の地方の官吏と話していると、極めてオープンで、寛容で親切な人が多い。しかし、それが徐々にチベット人居住区に近づくにつれて、地方政府の幹部らの態度が硬化するなど、極めて神経質な雰囲気になってきていた。これは明らかにわれわれを警戒しているようだった」


 −中国側はことあるごとにダライ・ラマを激しく批判しているが…。

 「これまでの対話で、中国側はダライ・ラマについて『チベット自治区などチベット内部の問題について口出しする権利はない』『ダライ・ラマはチベットの状況について論評する権利もない』などと激しく批判していた。さらに、中国側は『チベットの最大の問題点はダライ・ラマ14世にある』として、ダライ・ラマの特権や宗教的な立場、その肩書などは『一切認めない』と主張するなど、ダライ・ラマの宗教的な存在を一切否定しようとしている。このように、中国側の関心はダライ・ラマに集中しているようだ。しかし、ダライ・ラマは交渉に当たって、われわれ特使に対して『私(ダライ・ラマ)の個人的なことは一切交渉をしてはならない』『一切、私個人のことについて話に応じるべきではない』と命じていることから、私たちは対話の場で、ダライ・ラマ本陣が中国に帰還した際の処遇などについて話し合ったことはない。われわれは、あくまでもチベットの宗教や言語などチベット独自の文化の保護などについて話し合いを求めてきたが、中国側はわれわれの提案にまったく応じようとはしなかった。ダライ・ラマの個人のことについて、2002年以降の中国側との対話では話し合ったことはないが、1980年代初めに、当時の胡耀邦・党総書記がチベットの代表団に対して、ダライ・ラマの中国帰還に関して、『(ダライ・ラマが中国を逃亡し、インドに亡命した)1959年以前の肩書をすべて適用したい』と述べていた」

 −ダライ・ラマ14世の後継者について、中国側は自らが指名しようと動きがあるように伝えられているが…。

 「中国側はダライ・ラマ14世の後継者である15世を決めればすべての問題が解決すると思っているようだが、それは大きな幻想だ。そうなれば、チベット内外のチベット人による大きな抗議行動が展開されるのは火を見るよりも明らかだ。チベット内部では昨年3月以来、小規模なデモが継続的に起きており、チベット内部の反中感情はまったく収まっていない」



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2009年05月24日

天安門The Tank Man /続「私の赤衛兵時代」

まずYou Tubeより。天安門事件記念日を前にしてThe Tank Man 1/8。
8まであります。私はネットが超遅いのでまだ最初のも見てませんが、良いはずです。


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チベットの文革次は、昨日の続きで陳凱歌氏の「私の紅衛兵時代」からもう少しだけ。

氏はこの中国社会の暴力の(伝統の)基因を「恐怖」だ、「人の群れから排除される恐怖」だと言っています。

P107
「磁石から落ちる」恐怖
暴力沙汰は、公的には戦争と言い、隠れてやる場合には謀殺という。支配者は、他に手段が残されている限り、軽々しく戦争を口にしないし、謀殺にしても、他に選択の余地が残っているなら、簡単に殺人を犯すはずはない。それが世間一般の理論だ。しかし、文革時の暴力沙汰は、まったく違っていた。それは戦争ではなかった。何故なら、相手は身に寸鉄も帯びてなかったからだ。また、謀殺でもない。公然と行われたからだ。他のまだ残っていたし、選択の余地も残っていた。しかし、人々はバタバタと倒されていった。

人間の肉体に対するこのような直接攻撃、拷問、侮蔑、虐待、そして殺害は、二十年後の今日でもやはり理解できないことだ。もちろん「暴力は新しい社会の助産婦だ」というマルクスの理論に、答えを求めることはできる。また、「善人が善人を殴るのは誤解だが、善人が悪人を殴るのは当然だ」といった毛夫人紅青らの扇動に、その答えを求めることもできよう。遠くは、憎悪を植え付けてきた長年の教育に応えを求めることも可能だし、近くは目の前の風潮も答えになるだろう。しかし、いずれも満足な回答にならない、なぜなら、何かをやらせようとしても、やるかやらないかは、また別の問題だからだ。

もしも正直に答えてくれるならば、恐らく多くの人が認めるはずだ、他人に暴力をふるうときには、動物的な衝動があったし、その場の雰囲気も影響していたろう。しかし、本物の憎悪が原因となったことはまずないはずだ。また、政治宣伝の扇動も決定的な要因ではない。まして仕方なく手を下したなどというのはありえない。

では、何が彼らを駆りたてたのだろう。それは恐怖だ。

人が人であるかぎり、集団から完全に抜け出すことはできない。文明の発展とは、社会における個体の配列と組み合わせを、より理想に近づけることにすぎない。人間の群れから排除される恐怖は、人類の根源的な恐怖だ。いまだにこのような恐怖が深刻だからこそ、中国ではそれがもっとも根源的な恐怖となってしまう。

一人一人の利益や権利が国家を通してのみ実現される制度とは、要するに、個人のすべてが国家の恩威としか見なされないということだ。就職や住居、移動や教育、そして出産から結婚に至るまでのすべてに、国家が決定権を持っている。そのような社会で恩威を放棄することは、生存そのものを放棄するに等しい。つまり、何が何でもこの社会に残る以外に選択の余地はないのだ。

選択肢が一つしかないとなれば、これはもはや選択ではない。砂鉄は自分の価値を失い、磁石にくっつくことで、初めて砂鉄になれるのだ。磁石から離れれば、ただの砂にすぎない。だから、磁石の上に残ることが、唯一の願いとなる。唯一の恐怖は、磁石から落ちることだ。そこで、磁石がどちらに揺れようと、砂鉄はそれにくっついて踊ることになる。物質ならそれは砂鉄というが、人間ならば、それは愚かな群衆である。

文革とは、恐怖を前提とした愚かな大衆の運動だった。





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2009年05月15日

故趙紫陽・元総書記の回顧録「Prisoner of the State」/スー・チーさん有罪判決確実か

d98c1310.jpg中国もビルマも自宅軟禁にすることとは、第一に口を塞ぐためでしょうが、以下のことは中国政府も想定外の出来事になることでしょう。
この本の影響は少なくないと思います。

先ほどからBBCでも大きく取り上げています。


天安門事件で失脚の趙元総書記、軟禁中の録音が回顧録に
2009年5月15日(金)18:04
http://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/JAPAN-380424.html?C=S

(トムソンロイター)
 [北京 14日 ロイター] 1989年の天安門事件で失脚し、2005年の死去まで軟禁生活を送った中国共産党の故趙紫陽・元総書記の回顧録「Prisoner of the State」が、6月4日に事件から20年を迎えるのに合わせて出版されることが分かった。

 この回顧録は、2005年1月に死去した趙氏の自宅軟禁中にひそかに録音された30時間にわたるテープをまとめたもの。趙氏に近い3人の人物に託されて中国国外に持ち出され、英語版と中国語版が出版される。

 この中で、趙氏は事件当時について、「(1989年)6月3日の夜、家族と庭先に座っていると、激しい銃声が聞こえた」と振り返り、「世界を揺るがした悲劇は避けられなかった」と語っている。

 当時、党最高指導者だった趙氏は、学生らの抗議活動を反共主義の陰謀とした中国政府に反論。「デモ隊のほとんどがわたしたちの問題点を是正するよう求めていただけで、政治体制の転覆を企てていたのではない」と主張していた。

 また、天安門事件以降、中国共産党が取った保守的な政策は間違いだったと指摘。さらに、「(国に)活力をもたらすのは西側のような議会制民主主義で、そのゴールを目指さなければ、中国市場経済の異常な状況は解決できない」とも述べ、民主化の必要性を訴えていた。


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アンサンスーチースー・チーさんを訴追 有罪判決確実か
http://www.asahi.com/international/update/0514/TKY200905140327.html?ref=goo
 【バンコク=山本大輔】ミャンマー(ビルマ)の軍事政権は14日、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(63)を刑事訴追した。弁護士によると裁判は18日に行われる見通しで、スー・チーさんは刑務所内の個別施設に勾留(こうりゅう)された。

 軍政下で訴追されたことで、スー・チーさんに有罪判決が出るのはほぼ確実とみられる。03年5月に国内の遊説先で国家防御法違反容疑で拘束されたスー・チーさんは同年9月から自宅軟禁されており、今年中に拘束期限が来るはずだった。総選挙を来年に設定する軍政は、国民に人気があるスー・チーさんの解放を先延ばしすることで、反軍政の民主化運動を封じ込めたまま、選挙を有利に展開する思惑があるとみられる。

 弁護士の話では、スー・チーさんは国家防御法に基づく自宅軟禁下での禁止行為に違反した罪に問われ、有罪となれば禁固3年から5年の刑が科せられる。ヤンゴンの自宅に今月上旬、米国人男性が侵入した際、当局に報告せず男性の滞在を許したことが違法とみなされた。

 この日は法廷で訴追手続きがとられ、裁判日程が決められただけで審理は開かれなかった。外交筋によると18日の審理では弁護士2人がスー・チーさんの弁護に立つことが認められたという。



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天安門にバラの花束を

5ca6c1cc.jpg今日は朝から停電。夕方になりやっと開通しました。

アムネスティは6/4に向けて洒落た署名活動を行っています。
皆さんもすぐにサインしましょう。

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<天安門にバラの花束を>

2009年6月4日は、天安門事件20年周年である。

アムネスティ・インターナショナル日本は、平和的なデモに参加しただけでいまだに拘禁されつづけている人たちの釈放、徹底かつ独立した公正な調査、加害者への法的処罰、犠牲者やその家族への賠償を求めて、署名活動を行っている。

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1989年6月3日の夜から4日にかけて、天安門広場で行なわれていた民主化を求める平和的なデモに対し、激しい弾圧が行なわれました。その結果、市民数百人が死亡し、数千人が負傷しました。

その後、数万人が逮捕され、数十人はいまだに拘禁されていると見られています。中国政府は、事件の真相究明を拒否し、加害者の処罰を行なっていません。それどころか、公の場で天安門事件について議論することを禁止し、「天安門の母たち」など犠牲者遺族に嫌がらせをし、逮捕・拘禁するなど、圧力をかけています。犠牲者の家族は、公の場で亡くなった娘や息子を追悼することができずにいます。

2009年6月4日は天安門事件20周年です。

あの日、平和的なデモに参加しただけでいまだに拘禁されつづけている人たちの釈放、徹底かつ独立した公正な調査、加害者への法的処罰、犠牲者やその家族への賠償を求めて、天安門広場をバラで埋め尽くすアクションに参加してください。


「6月4日のブーケ」って?
事件から数年後、当時デモに参加していた学生が匿名でインターネットにメッセージを投稿しました。彼女はネット上で、毎年事件が起こった6月4日が来ると、犠牲となった人びとを偲んで6本の白いバラと4本の赤いバラのブーケを作っていると告白しました。そして、政府の弾圧を受けることなく天安門広場にブーケを捧げ被害者を追悼できる日がくることを祈っていると語りました。

6本の白いバラは心の清らかさと6月を、4本の赤いバラは民主化を求めた人びとの信念と4日をあらわしています。

現在は「6月4日のブーケ」と呼ばれ、犠牲者のために正義を求める象徴となっています。

ウェブアクション 天安門20周年 赤いバラ署名
http://www.amnesty.or.jp/modules/bmsurvey/survey.php?name=webpetition_Tiannanmen20_red

ウェブアクション 天安門20周年 白いバラ署名
http://www.amnesty.or.jp/modules/bmsurvey/survey.php?name=webpetition_Tiannanmen20_white


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2009年05月12日

ウーセルさんの新書「聴説西蔵」/ウイグル/天安門/ブン川

08a14623.jpg北京のウーセルさんが旦那さんの王力雄さんと共著で新書を出版されました。

「聴説西蔵 Voices of Tibet(チベットの声)」と題されたこの本、題からして
チベットの人々の証言が沢山載っていそうです。

http://woeser.middle-way.net/2009/05/blog-post_11.html

漢字が生まれつき嫌いな私には読めません。

それでもここにコピペします。
どなたか中国語の得意な方、目次だけでも翻訳お願いします!

听说西藏:发自西藏现场的独立声音

Voices from Tibet

作者:唯色、王力雄
出版社:台湾大块文化
出版日期:2009年5月1日
语言:繁体中文 ISBN:9789862131190
装订:平装 400页


内容简介

让中共当局害怕,让全球藏人看见希望的发声──你从未见过或听过的西藏

他们是处于现场的人。身在西藏现场,又敢于把真知说出来,还具有分析和传播能力,这样的人在今日中国不说绝无仅有,也当是凤毛麟角。在西藏资讯被中国官方垄断和遮蔽、外界难以进入西藏现场的今天,他们的作用难能可贵。即使在中国官方媒体傲慢地宣称境外媒体没有记者在西藏──正是因为中国的限制──因而没有发言权时,也不能不承认境内“有两名自由撰稿人”在给外面供稿(见众多中国官方网站刊登的文章“自由亚洲电台为藏独分子做宣传”)。

这本书是从唯色和王力雄为位于华盛顿的“自由亚洲电台”所撰写的数百篇专栏文章中选辑编成。从二○○五年至今,他们每人每周各写一篇文章,再翻译成藏语,用卫藏、安多、康三种语音对藏地进行广播。因此,无论是从哪个角度出发,无论是研究西藏、了解西藏,甚至是旅游西藏,只要想面对真实的西藏,想听到发自西藏现场的独立声音,他们二人就不能不被当作最重要的来源之一。

可以说,这些文章相当于西藏的脚印,一步一个脚印走下来,描绘出西藏在时间中的轨迹,凝聚成西藏现实的缩影。如果仅以他们那些大部头的出版物,只能在知识界产生影响;而这些短小精悍、切中现实、反映藏人民众心声的广播,却使他们在今天藏区各地的普通百姓中享有广泛声誉,无论走到哪里,都会遇到众多知音,挂满表达感激的哈达。

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目录

致 谢

拉萨与“蛰萨”

妓女和圣战
西藏的爱滋病
说说“西藏的新名片”
西藏值多少钱?
是酒店,还是寺院?
人满为患的大昭寺
逐渐消失的拉萨
拉萨林卡的变迁
拉萨与“蛰萨”
政治与性包装的西藏歌手
布达拉宫会不会被踩塌?
兽皮“时尚”是如何产生的
妓女改行当导游
一个汉人的西藏挨宰记
在下密院欺骗游客的是谁?
藏区出现郤匆

大一统的“中国表情”

古城如同大超市
朗色林庄园的命运
大一统的“中国表情”
唐卡是文成公主发明的吗?
住在“社会主义新农村”的藏人
走出大山的藏人少妇
虫草之害
钱多人受苦
重回半世纪前的劳改地
“我们把我们的神灵抛弃了”
草原是有文化的
把整个藏族装进一个城市?

袈裟与警服

活佛死刑与僧房被拆
保佑发财的扎基拉姆寺院香火旺盛
袈裟与警服
摆柜台的松赞林寺
与佛决裂的画家
众生需要“时尚活佛”吗?
“毁我教者是穿我衣服的人”
权力、金钱和宗教的“三角”
上帝不再寂寞?
由耶诞节看基督教在西藏

西藏山河做赌场

从此且把他乡当故乡
不许藏人入内的商场
西藏市场谁输赢
“吃年夜饭一小时”的告示
有无宗教的区别
没有自治,青藏铁路就不是“幸福路”
不再是吉祥八宝的拉萨
在西藏开矿的故事
西藏山河做赌场
谁来“模拟仿真”藏人的命运?
文化帝国主义的广场
谁把编织“松阿”的资格转让了?
鄂款人是如何打西藏牌的?
释迦牟尼法像成了洗脚的广告
爱喝甜茶的拉萨人要小心
拉萨的那些假冒伪劣商品集散地
拉萨也有“结石宝宝”

藏人为何舍命逃印度

全球最年幼的政治犯还是藏人
一个牧民对国家政权的“颠覆”
穿,还是不穿?这成了一个问题
“康巴艺术节”上刺眼的豹皮虎衣
与其迁怒民众,何不清理门户
从一个个禁令中了解传统和历史
一位活佛使用伪造的护照
藏人为何舍命逃印度?
流亡意味着什么?
为什么要从内地往西藏派导游?
西藏历史的空白
记者的尴尬与“回答敏感问题的口径”

达赖喇嘛的儿女

你凭什么妖魔化西藏?
谁不愿意达赖喇嘛回来?
谁的感情“被伤害了”?
达赖喇嘛让藏人自豪!
弥漫拉萨的桑烟
西藏流亡埋藏的伏笔
达赖喇嘛的儿女
没有争取,哪来得到?
离开体制的自由
“天杵”拒绝伴唱
发生和发声中的西藏新艺术
过藏历新年:这是一种民族身份的象征
对比深夜的“太阳岛”和帕廓
宗教与直升飞机
藏人还剩下什么?
教育不应是文明的取代
当今西藏妇女现象
西藏旅游的另一种模式

八年前的预言,来年还将重演

三月十四日之前发生了什么?
我为何对玛曲发生的“打砸抢烧”不惊讶
八年前的预言,来年还将重演
原来是宠物与人的关系
给藏人制造“恐怖分子”的证据
当僧侣成为对手
地震为大,但也要为人权呼吁
走过囚牢般的藏地
游客稀落的香格里拉
贴在城镇和乡村的通缉令
抓特务与民族问题
青藏铁路的新用场
那些覆盖藏地的标语和红旗
玛曲人创作的笑话
北京奥运对藏人说“不”
一场不但政治化,而且种族化的奥运会
西藏公安厅加给唯色的罪名
又一场文革悄然席卷藏地寺院
把寺院变成旅游景点的用意
消失在无人知晓的无边酲詢ぁ帖

“丢掉幻想,准备斗争!”

藏人的梦想太多了
达兰萨拉的退步换取不到进步
谈啊谈,白了特使头,空悲切
达赖喇嘛是否可能来中国
“丢掉幻想,准备斗争!”
对西藏未来道路的不同观点
参与和愿景
没有结果的谈判有作用
达赖喇嘛还有什么牌?
西藏的下一次暴动
达赖喇嘛的棋局
西藏独立的条件正在齐备

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次はウイグル人の話です。

対テロか人権か パキスタン、「容疑者」ウイグル人を中国送還

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090512/asi0905120912004-n1.htm
【ワシントン=山本秀也】パキスタンの山岳部族地域で、イスラム原理主義勢力タリバンなど武装組織のメンバーとして拘束されたウイグル人(中国国籍)9人の身柄が、パキスタン側から中国政府に引き渡された。在米ウイグル人組織や人権団体は「処刑や拷問などの危険性が高い」と反発を強めている。だが、頼みの米政府がパキスタン情勢の安定化へ中国との協力を模索している状況にあるだけに、厳しい処遇も予想される。

在米ウイグル人で組織する「ウイグル人権計画」(UHRP)などによると、パキスタンの治安当局は4月末、拘束していた9人を「テロ容疑者」として中国に引き渡した。新疆ウイグル自治区の分離・独立運動を警戒する中国政府は、独立活動家ら少なくとも40人のブラックリストをパキスタンに提示し、身柄の引き渡しを求めていた。

中国から逃れたウイグル人が、滞在していたアフガニスタンからパキスタンに越境後、対テロ掃討作戦で身柄を拘束されるケースがこれまでもあった。このうち、2003年に中国へ引き渡された活動家が07年に処刑されたと伝えられる。

ウイグル出身の人権活動家ラビア・カーディル氏は「パキスタン当局は、ウイグル人の文化・宗教上の自由を抑えるべく中国との協力を強化している」と非難。人権団体フリーダム・ハウスは「パキスタンを含む各国は、中国がテロ容疑を乱用することを拒否し、ウイグル人を迫害から守るべきだ」と訴えた。

一方、米国もキューバのグアンタナモ米海軍基地内に収監されてきたウイグル人17人の処遇問題を抱えており、収容施設の閉鎖を決めたオバマ政権の対応が注目されている。司法レベルでは昨年10月、17人を米国内で釈放するよう命じる判決が出たが、ブッシュ前政権の申し立てで差し止められている。中国政府は、米国にもウイグル人収容者の引き渡しを要求。ブッシュ、オバマ両政権とも要求に応じることには慎重だ。

産経新聞 2009年5月12日


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オマケです。

北京・天安門広場では異例のデモ 
四川大地震1年で被災地にエール

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090512/chn0905121906008-n1.htm
中国四川省ブン川県を震源地とした四川大地震から1年となる12日、北京市の天安門広場では、学生ら数百人が「頑張れ中国」「頑張れ藷縺iブン)川」と被災地応援のシュプレヒコールを上げながらデモ行進を行った。

同広場でのデモは極めて異例で、警官らが遠巻きに見守る中、地震発生時刻約10分前から学生らが集まりシュプレヒコールを開始。黙とう後に約30分間、デモを行った。男子学生の1人は「『愛国』の2文字のために参加した」と興奮気味に話した。(共同)
(ブンはさんずいに文)

産経新聞 2009年5月12日


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そういえば、BBCでは朝から、この「ブン川」が一大観光地になっている様子を伝えています。
町は無残に壊れたままです。
死体が今も沢山埋まっているのは明らかです。

そんな巨大墓場をバックに笑って記念写真を撮ってる中国人が沢山いました。

近いうちに一大地震テーマパークとして生まれ変わるのだそうです。




rftibet at 19:44|PermalinkComments(1)TrackBack(0)