特使

2010年01月25日

ダライラマ特使が明日中国に到着

8eb6078e.jpg突然の発表です。

今日付けdalailama.comのプレス・リリースに、
http://www.dalailama.com/news/post/484-press-statement

「ダライ・ラマ法王の特使であるLodi G. Gyari とKelsang Gyaltsen は中国政府指導部の代表たちと会談するために明日、中国に到着する。これは第9回目の会談である。2002年に始まったこの一連の会談は、今回15カ月ぶりに行われる。」と発表され、パユルも会談を知らせる以下の記事を載せている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26471&article=Dalai+Lama%e2%80%99s+envoys+to+arrive+in+China+tomorrow+for+ninth+round+of+talks

会談にはあと3人Tenzin P. Atisha, Bhuchung K. Tsering、Jigmey Passang が同行している。彼らはいずれも「会談のための特別作業委員会the Tibetan Task Force for negotiations」のメンバーである。

確かに今月20日から2日間この特別作業委員会が開かれていたことは知っていたし、その中で首相のサムドゥン・リンポチェやロディ・ギャリ・リンポチェが「会談は続けられるであろう」とか「何らかの進展が期待できる」とか言ってはいたが、明日から会談なんて全く想定外でした。

22日には法王の下に首相と2人の特使が赴き、作業委員会の報告と会談への法王の助言を求めたという。

特使たちは来月初めまで中国に滞在する。

追記:
対話は北京で行われ、再開は中国側が呼び掛けたという。

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気が付くと日本の各新聞社もこのニュース伝えてました。例えば、

<チベット問題>ダライ・ラマ側と中国政府の対話再開へ
1月25日21時59分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100125-00000124-mai-cn

 【ニューデリー栗田慎一】インド北部ダラムサラにあるチベット亡命政府関係者は25日、毎日新聞の取材に対し、「チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の代理人と中国政府の非公式協議が26日、北京で再開される」と明らかにした。

 非公式協議は08年11月以来で9回目。前回の協議では、ダライ・ラマ側から出された「高度な自治」案の受け入れを中国が拒否。ダライ・ラマは「チベット側から次回協議を求めることはない」と公言し、協議を中断していた。

 ダライ・ラマの上席秘書チョキヤパ氏は電話取材に対し、「中国側の要請で再開されることになった」と述べた。「中国政府内部に何らかの変化があったのかもしれない。亡命政府側が『高度な自治』を求め続けることに変わりはない。チベット問題を解決する重要なステップとなると信じる」と強調した。





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2009年05月31日

天安門/続・特使ケルサン・ギャルツェン氏の話

87a0f2d4.jpg以下、天安門関係日本の記事二本。
頑張って取材し、書いてくれてると思います。

写真は東京新聞より「片足切断の元塗装工」

東京新聞:天安門事件 20年 今も国から迫害:国際(TOKYO Web)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2009053102000079.html

 中国で学生らの民主化要求運動が弾圧された一九八九年の天安門事件から六月四日で二十年を迎える。共産党政権は当時の運動を「反革命暴乱」と位置付け、「暴徒を鎮圧した」という認識を変えていない。急激な経済発展で国民の生活は豊かになり、事件への関心も薄れつつあるが、当時の被害者らは今も真相解明を求め続けている。 (北京・平岩勇司、写真も)

◆左脚切断の元塗装工『罪認めるまで闘う』

 雨の日は失った左脚の先が痛く感じる。まるで「あの日を忘れるな」と言うように。

 一九八九年春、塗装工をしていた斉志勇さん(53)は「腐敗反対」を訴える学生に共鳴し、運動に参加した。六月四日未明、天安門広場近くで左脚に二発の銃弾を受け、手当てが遅れたため切断した。

 少年期は国中が混乱した文化大革命の最中で、小学三年生までしか学校に通っていない。それでも「共産党は人民を守る」と教えられ、信じてきた。

 「熱愛する祖国の軍隊に撃たれ、信じていたすべてを失った」

 勤務先からは「仕事中の事故とすれば補償金がでる」と労災申請書を渡されたが、拒否した。「世界中に学生運動はあるが、中国だけが軍隊で人を殺した。共産党が罪を認めるまで闘う」

 斉さんはその後、昨年ノーベル平和賞候補となった胡佳氏らと民主化活動を続ける。何度も当局に拘束され、つえをけられて倒される屈辱も受けた。四年前には身元不明の男らが自宅に押し入り、斉さんは肋骨(ろっこつ)を折られた。昨夏の北京五輪中も北京から隔離された。

 パートをする妻の収入に頼る苦しい生活。心の支えは事件後に入信した、中国では非合法の地下キリスト教会。「慈愛の教えは私に新たな生命を与えてくれた」

 事件二十年となる今年の六月四日は「必ず北京にいる」と語っていたが、五月二十五日、警察に拘束され、北京郊外に軟禁された。持病の糖尿病の薬もなく、食事もできない状態だが、関係者に携帯メールを送った。

 「主の教えで私の心は平穏だ。私はくじけない」

◆死者数なお不明 当局、正確な情報公開せず

 天安門事件の死者数をめぐり、当初は数千−数万人の説が流れたが、最近は数百人から千人強との見方が強まっている。

 中国当局は「死者は三百十九人」と説明。当時の現場で取材した新華社通信の元幹部は今月、香港で出版した回顧録で「中国赤十字の幹部が七百二十七人の遺体を確認した」と明かしている。

 また、「天安門広場で死者は一人もいなかった」とする当局に対し、丁子霖さんは広場で殺害された市民がいたことを突き止めている。丁さんは「死者は千人以上」とみる。

 事件直後に北京中心部の病院を回った元学生指導者は「死者の合計は千五百人近かった」と証言。いずれにせよ、当局の情報公開がなければ正確な死者数は不明なままだ。


◆『政権転覆が目的』 党、見直し拒む

 天安門事件の背景にはさまざまな要因があった。最高実力者の〓小平氏が一九七八年に改革・開放政策を導入して十年余、西側の民主思想が一気に流入。学生、知識人に刺激を与えた。開放政策に伴い官僚の腐敗、経済格差も問題となり、市民の不満が高まっていた。改革派指導者の胡耀邦氏の急死が民主化要求運動の発火点となった。

 一方、運動は〓氏ら党長老にとって、大衆運動で無政府状態に陥った文化大革命時代の悪夢を想起させた。折から東欧の社会主義体制が不安定になっていた時期でもあり、〓氏らは「運動の目的は政権転覆」と決めつけ、人民解放軍が人民を殺害する惨劇を起こした。

 胡錦濤氏と温家宝氏が国家主席と首相に就任した七年前、「天安門事件は過ちだったと見直すのでは」という淡い期待があった。胡主席は胡耀邦氏を「師」と仰ぎ、温首相は学生運動に好意的だった胡耀邦、趙紫陽両氏の部下だったためだ。

 だが、見直しの動きはない。弾圧に関与した江沢民前国家主席は今も影響力を残す。胡主席自身も〓氏から指導者に指名された立場。〓氏批判につながる歴史の見直しは難しい。

 天安門事件で失脚した趙氏の軟禁中の発言をまとめた本が今月、米国や香港で出版された。「武力弾圧は誤り」「中国は多党制に変わるべきだ」。衝撃的な内容だが、現指導部に耳を傾ける余裕はない。官僚の腐敗や経済格差は二十年前より悪化し、民衆の抗議行動は年間十万件起きているといわれる。胡主席は天安門事件について「社会主義の正しい道筋を堅持した」との公式見解を維持している。

◆真相求め続ける

 もう何千回、涙を流したのだろう。中国人民大学元助教授の丁子霖さん(72)は、天安門事件で十七歳の息子を失った。彼女は悲しみを力に変え遺族会「天安門の母」を結成、犠牲者の実態を独自調査している。

 熱心な共産党員だった丁さん、夫の〓2培坤・元同大教授(75)は息子の〓2捷連君に「国を愛するように」と説いて育ててきた。

 一九八九年春、捷連君は民主化を求める大学生の支援デモに参加した。高校でトップの成績を収めていた彼は「来年は北京大学に進学したい。あそこは民主の揺りかごだからね」と話していた。

 軍が動き始めた六月三日夜、夫妻は「外出してはだめ」とドアに鍵をかけた。捷連君は「いま大事なのは参加することだよ!」と叫び、丁さんの顔にキスをすると、トイレの窓から抜け出した。自転車で天安門広場へ向かう途中、心臓を撃ち抜かれる。同級生に「当たっちゃったみたいだ」と言って崩れ落ちた。夫妻は二日後、遺体の彼と再会する。

 「息子が一体、何をしたというのか」

 丁さんの闘いはそれから始まる。当局が死傷者の名前も発表しない中、遺族を捜し歩き百九十五人の氏名や死亡時の状況を調べた。死者には九歳の少年もいる。国営新華社通信に雇われて広場の写真を撮影中、射殺された学生もいる。「暴徒」など一体、どこにいるのか。「誰一人として暴力行為をしていない。虐殺事件の罪なき犠牲者だ」

 夫妻は党を除名され大学も追われた。軟禁と監視を受け続けてきたが、他の遺族と連名で責任者を追及する公開書簡を毎年発表してきた。

 丁さんは今も同じ夢を見る。

 「息子がドアを開けて家に帰ってくるの。私は『ああ、やっと会えたわ』と抱きしめる。体の感触があるんですよ! 私が『天国の暮らしはどう?』と一生懸命話しかけると、息子はずっとうなずいてる。そこで目が覚めるんです…」

 涙が止まらなくなる丁さん。白髪が目立ち、病気がちの夫の世話も体力がいる。それでも気力を振り絞る。「私が生きている限り、真相を求め続ける。母の愛の力は、共産党などに負けない」

 自宅には、デモ隊の先頭に立つ鉢巻き姿の捷連君の絵が飾られている。祖国の将来を信じて、十七歳のまま笑顔を浮かべている。

※〓は登におおざと

※〓2は蒋の旧字体

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民主化弾圧事件から20年 「天安門」の真実 香港争鳴 回顧録、告発本…出版相次ぐ / 西日本新聞

http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6567/

(2009年5月31日掲載)

 1989年6月4日、中国当局が民主化運動を武力弾圧した天安門事件から間もなく20年。中国政府は、その後の経済成長を根拠に「解決済みの問題」と位置付け、事件の再評価などを求める民主化運動に対し厳しい言論統制を敷いている。だが、一国二制度の下、香港では、当時の学生運動家らの回顧録や告発本の出版が相次いでいる。学生運動に理解を示し、失脚した故趙紫陽総書記の回顧録「改革の歴程(英語版・国家の囚人)」の出版に尽くした同総書記の元秘書、鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)(ほうとう)氏(76)を北京の自宅に訪ね、出版の狙いを聞いた。
 (北京・椛島滋)
 
 香港の週刊誌、亜州週刊の特集記事「六・四!六・四!」によると、天安門事件20周年を前に香港で出版された関連書籍は計6冊に上る。
 
 「改革の歴程」は、趙氏が約16年間の自宅軟禁中、事件をひそかに回顧した30本の録音テープを英文と中国語でまとめた。この中で、趙氏は「当時の最高実力者、〓(〓は「登」に「おおざと」)小平氏に武力弾圧をやめるよう説得したが、〓(〓は「登」に「おおざと」)氏は軍隊出動を決断した。悲劇は避けられなかった」と振り返っている。
 
 国営通信・新華社の元幹部の回顧録「歴史の大爆発」は、中国当局が319人とする同事件の死者数を727人だったと告発した。このほか当時の学生運動リーダーや元新聞記者たちが、中国当局の監視を逃れ、香港での出版に踏み切っている。
 
 だが中国本土では、こうした回顧録の出版や趙氏の録音テープのネット上での公開を報じた香港紙「明報」が、その後、没収される事態が頻発。中国外務省は、週2回の定例会見の質疑応答を同省サイトで公開しているが、天安門事件に関する外国人記者との質疑応答は、会見録からもすべて削除している。
 
 中国本土のメディアは事件の関連報道を一切行っておらず、25日に北京であった1000人規模の人権擁護デモも報じていない。
   

 ●「歴史の暗部を忘れるな」 故趙紫陽総書記の元秘書鮑〓(〓は「丹」に「さんづくり」)氏に聞く 中国の現状 批判
 
 −今回の回顧録出版の狙いは。
 
 「中国政府は隣国に対し『歴史を忘れるな』と言うが、私は中国政府に『自分たちの歴史を忘れるな』と言いたかった。日本は軍国主義の教訓を学んだが、中国では当時から共産党の1党独裁が続いている。腐敗による社会矛盾が激化している。そのことに警鐘を鳴らしたいと思った」
 
 −趙紫陽とは、どんな人物だったのか。
 
 「趙紫陽は共産党を分裂させようとしている、と〓(〓は「登」に「おおざと」)小平に批判された。だが、党への愛情は〓(〓は「登」に「おおざと」)に負けていなかった」
 
 「しかし彼は、党は民意に従うべきで、大衆を党の友人とみなし、その意見は党の助けになる、特に提案する人を大切に考えた。逆に〓(〓は「登」に「おおざと」)小平は、党は権力を持ち大衆はそれに従うもの、と考えた。だからあの抗議行動を危険分子、動乱と断定し軍で鎮圧すべきだと考えた。20年前の悲劇は避けられないものだった」
 
 −今の中国共産党をどう評価する。
 
 「20年前、学生たちは腐敗打倒と叫んだが、今は誰もできなくなった。当時は酒やたばこを渡すのが腐敗だったが、今は株券や別荘を贈るようになった。大衆が裁判所に訴えようとすると国家転覆罪だとされ、報道しようとしてもダメだ、と止められる。この20年で党の執政能力は大いに高まった。そういう意味で共産党は“改善された”といえるかもしれない。だが、腐敗の上に築かれた一部の権力者の自由、天安門事件によってもたらされた多数の悲しみの上に築かれた自由に、私は興味はない」
 
 −あなたは、中国政府に拘束される心配はないのか。
 
 「懸念はある。しかし怖くはない。回顧録は英語版、中国語版とも海外と香港で出版するだけだ。ただ、大陸でも出版できるなら歓迎するし、そうなれば中国の前途は明るいものになる。ぜひ江沢民元総書記の回顧録と読み比べてほしい」
 
 −今の中国の若者をどう評価するか。
 
 「彼らは中国の歴史の暗部を全く知らない。それが大きな欠点だ。だが利点もある。彼らは今、中国と外国を比較できる。欧米や日本など西洋の制度や観点を知っている。彼らも(今の政治制度について)いずれ選択を迫られる時が来るだろう」


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最後に昨日のケルサン・ギャルツェン氏の話には続きがありました。


【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(下) 15世決定は中国側の幻想 - MSN産経ニュース

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090531/chn0905311301004-n3.htm

2009.5.31 13:00

 −なぜ、中国側はこれほど強硬なのか。

 「これは50年前に中国人民解放軍がチベットを占領して以来の安全保障上の問題のほか、中国によるチベットへの理解の欠如が根底にあると思う。また地政学的な問題もあり、中国内の保守強硬派がチベット独自の宗教や文化、言語などの重要性をまったく理解していないことも大きな要因だろう。今後の対話について、われわれはいつ、いかなる場所でも、中国側との話し合いに応じる用意がある。ボールは中国側にあるのだ」

 −中国のメディアが伝えるところでは、ダライ・ラマ側はチベットがかつて統治していた地域、いわゆる「大チベット区」の復活や中国軍と漢民族(中国人)がチベット自治区から出て行くことを条件に挙げており、これについて中国指導部が警戒しているというが、これは事実か。

 「それは極めて重要な点だが、事実とは違う。大チベット区というのは歴史的なものであり、多分に考古学的なものであり、現状とは相いれない概念だ。これはチベットの独立を意味してしまう。ダライ・ラマが求めているものは、あくまでも自治であり、独立とは違う。よって、われわれが大チベット区を要求しているというのは当たらない。ただ、この概念については、対話の際に、中国側に説明したことはある。それから、軍の撤退だが、これはダライ・ラマがかつてストラスブールで宣言した際に、チベットの非武装化を提案したことがあったことが、条件といてとられているのではないか。これはあくまでも提案であり、条件ではない。3番目は漢族の移住の問題であり、例えば、内モンゴル自治区はモンゴル人の自治区のはずだが、居住しているモンゴル人は全人口のわずか18%にしか過ぎない。これでは、自治区の真の姿ではないのではないか。チベット自治区においても、漢族が多数移住しており、チベット人の自治区の本来の姿でなくなってしまうことも考えられる。しかし、われわれは現在住んでいる漢族を追い出そうという考えはまったくない。われわれは9回の話し合いで、中国各地を訪問した。中国の地方の官吏と話していると、極めてオープンで、寛容で親切な人が多い。しかし、それが徐々にチベット人居住区に近づくにつれて、地方政府の幹部らの態度が硬化するなど、極めて神経質な雰囲気になってきていた。これは明らかにわれわれを警戒しているようだった」


 −中国側はことあるごとにダライ・ラマを激しく批判しているが…。

 「これまでの対話で、中国側はダライ・ラマについて『チベット自治区などチベット内部の問題について口出しする権利はない』『ダライ・ラマはチベットの状況について論評する権利もない』などと激しく批判していた。さらに、中国側は『チベットの最大の問題点はダライ・ラマ14世にある』として、ダライ・ラマの特権や宗教的な立場、その肩書などは『一切認めない』と主張するなど、ダライ・ラマの宗教的な存在を一切否定しようとしている。このように、中国側の関心はダライ・ラマに集中しているようだ。しかし、ダライ・ラマは交渉に当たって、われわれ特使に対して『私(ダライ・ラマ)の個人的なことは一切交渉をしてはならない』『一切、私個人のことについて話に応じるべきではない』と命じていることから、私たちは対話の場で、ダライ・ラマ本陣が中国に帰還した際の処遇などについて話し合ったことはない。われわれは、あくまでもチベットの宗教や言語などチベット独自の文化の保護などについて話し合いを求めてきたが、中国側はわれわれの提案にまったく応じようとはしなかった。ダライ・ラマの個人のことについて、2002年以降の中国側との対話では話し合ったことはないが、1980年代初めに、当時の胡耀邦・党総書記がチベットの代表団に対して、ダライ・ラマの中国帰還に関して、『(ダライ・ラマが中国を逃亡し、インドに亡命した)1959年以前の肩書をすべて適用したい』と述べていた」

 −ダライ・ラマ14世の後継者について、中国側は自らが指名しようと動きがあるように伝えられているが…。

 「中国側はダライ・ラマ14世の後継者である15世を決めればすべての問題が解決すると思っているようだが、それは大きな幻想だ。そうなれば、チベット内外のチベット人による大きな抗議行動が展開されるのは火を見るよりも明らかだ。チベット内部では昨年3月以来、小規模なデモが継続的に起きており、チベット内部の反中感情はまったく収まっていない」



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2009年05月30日

特使ケルサン・ギャルツェン氏へのインタビュー

d81fda85.jpgインタビューに応じるケルサン・ギャルツェン氏(都内のホテルで、相馬勝撮影)

先に日本を訪問し講演を行われた法王特使ケルサン・ギェルツェン氏、産経新聞のインタビューに答えられました。

【グローバルインタビュー】
ダライ・ラマ特使のケルサン・ギャルツェン氏(上) ボールは中国側に (1/4ページ)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/090530/chn0905301300000-n1.htm

2009.5.30 13:00

 チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世の特使で、2002年以来中国側との交渉役を務めているケルサン・ギャルツェン氏は都内で産経新聞と会見し、これまでの対話で中国側は、ダライ・ラマの中国訪問や中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問などの提案をすべて拒否したことを明らかにした。また、ダライ・ラマについて「チベット内部の問題に口出しする権利はない」などと激しく批判していたという。対話の具体的な内容が明らかになったのは初めて。(相馬勝)

 −まず、「ダライ・ラマ特使」という肩書について説明していただけますか。

 「特使は私のほかに、もう1人いて、全部で2人。もう1人の特使はロディ・ギャリ氏だ。2002年に、中国との対話が始まった際に、ダライ・ラマ14世によって任命された。われわれのチベット亡命政府は中国との対話に臨むに当たって、約20人の専門家などによるチベット問題に関する特別チームを結成した。このチームに特使の2人も加わり、対話が始まる前には、どのようなことについて中国側と話し合うかを検討し、そのテーマを決定する。これについて、2人の特使がチベット亡命政府の首相と協議し、その結果をダライ・ラマに報告して、最終的に何を話し合うかを決めることになる」

 「中国との対話は、2002年から昨年11月まで、1回の非公式協議(昨年7月)と8回の正式な対話の計9回にわたって行われた。02年と03年は北京の釣魚台迎賓館が会場となった。われわれ特使のカウンターパートは、中国共産党統一戦線部の常務副部長(閣僚級)で、われわれ側は4、5人が参加し、中国側は6人から8人の間だ。主に、統一戦線部のメンバーだ。北京での会場として、統一戦線部の本部も使われた。また、地方では南京市と深●(土ヘンに川)でも行われたが、いずれも立派な迎賓館で、一般市民は立ち入り禁止区域に建設されていた」
−次の対話の予定は決まっているのか。

 「われわれとしては、いつでも、いかなる場所でも話し合いに応じる用意はある。すでに、その旨は中国側に伝えてある。ボールは中国側にある。現段階では最後となった昨年11月の対話で、ダライ・ラマは対話のテーマとして、言語や文化、宗教、環境の保護、およびチベット教育の重要性、天然資源の使用、経済発展並びに商取引のルール、公衆衛生や治安の維持、地域における移民制限の条例の制定、諸外国との文化・教育・科学・宗教的な交流の許可−といった11項目を挙げたほか、ダライ・ラマ側が要求する自治の内容などについて文書にまとめて、中国側に提出した。しかし、悲しいかな、中国側はまったく関心を示さず、何の返答もなかった」

 「この文書を読めば明らかだが、われわれは中国憲法に基づいて、チベットの自治を達成しようというもので、独立を望んでいないことは明白だ。われわれはチベット独自の文化や宗教、言語などを残そうとしているだけであり、これは中国の憲法によっても保障されていることだ。しかし現実は、チベットは直接、中国共産党によって統治されており、これが最大の問題なのだ。いままでのところ、中国側は対話の扉は開け放されていると言っている。われわれはチベット内部の問題を話し合おうとしているのだが、中国側が関心を持っているのはダライ・ラマ14世の肩書である、特権であり、宗教的な立場だ」

−あなた方と中国側の決定的な意見の違いはどこにあるのだろうか。

 「中国側は『チベット内部には何ら問題はないし、すべては順調に進んでいる。チベットに住む人々はすべて幸福である』という立場だ。われわれは、この意見には賛同しない。なぜならば、毎年2000人も3000人も中国から、ダライ・ラマが住むインドに亡命する難民が押し寄せているからだ。彼らは農民であり、僧侶であり、学生であり、学者であり、一般市民もいる。これはチベット内部であらゆる階層に対して、さまざま抑圧が行われていることを物語っている。われわれはチベット内部からさまざまな情報を得ており、現在の状況を把握している。昨年3月にラサなどチベット人居住区で大規模なデモが起きたが、いまでもそれは小規模ながら継続的に発生している。チベット人の怒り、悲しみ、憤り、フラストレーションは限りなく大きいというのが現状だ」

 −中国側との対話では具体的にどのようなことが協議されていたのか。

 「これまで9回の対話が行われたが、主に相互の信頼醸成を目的に行われた。相互の信頼が形成されれば、中国内外のチベット人への親善のシグナルになるからだ。具体的には、まず現在禁じられている中国内でのダライ・ラマの写真を公開することを提案した。これが実施されれば、チベット人にとって、心理的な極めて重要なメッセージになるからだ。2番目に中国内外のチベット人の親戚(しんせき)訪問の拡大だ。インドにいるチベット人が中国内の親類を訪ねていくほか、中国からインドなど世界各地のチベット人の親類を訪ねるというもので、中国のチベット人居住区の往来の拡大が目的だ。3番目にはチベット問題を話し合うために、ダライ・ラマ側と中国側の学者や有識者などによる専門家チームを結成し、宗教や文化について話し合うこと」

「4番目にはダライ・ラマが中国の宗教的な名所・旧跡を訪ねて、一般の人々と直接触れ合うことを提案した。5番目にこれらの問題について、共同声明を発表して、両者が話し合いに真剣に取り組んでいることを示すというもの。これにより、内外のチベット人のほか、中国の人々や国際社会においても重要なメッセージを発信できるからだ。しかし、残念なことに、中国側はすべての提案を拒絶した。われわれの対話はまったく進展がなく、にっちもさっちもいかない状況になっている」



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2008年11月05日

オバマ氏はチベットの希望?会談終了、 続パッサンの証言等

1397a19f.JPG今日は、世界中がアメリカの大統領に、オバマ氏が当選したことを祝福しているような印象があるのは、半分は、このところBBCの入りが悪く、CNNばかり見てるせいでしょうか?。
それとも希望がほしい経済危機の真っ最中だからでしょうか?
中国は本当のところはこのことについて、どう思っているのでしょうか?

オバマ氏の当選後初のスピーチをライブで聞いていました。
オバマ氏は本当に演説がうまい!内容もいい!
今打ってつけの役者に、うまいシナリオライターがくっついたみたいです。
オバマ氏の人気はこの演説のうまさにあることは嘗てよりよく言われていることですが、今日は私も珍しく人に魅かれ、人に期待してしまいました。


「彼なら少しはこの世をまともに変えさせることができるかも知れない。
(チベットの)状況もこれからひょっとして彼のお陰で良くなるかも知れない?
何しろ彼は黒人だから」
とアフリカの人々のように、単純にこれまで虐げられてきた人たちに、希望を持たせてくれるだけでもすばらしいことでしょう。

元々、ナンシー・ペロジ女史をはじめ民主党内には法王を尊敬し、尊重する議員は多い。オバマ氏が法王の信者?になる日も遠くないことでしょう。

一般のチベット人、特にカムでは、今でもアメリカがいつか助けに来てくれると信じてる人が多いようだ。


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<第8回チベット・中国会談>は昨日の朝から始まり、今日終わった。

今夕にも特使一行はデリーに到着するとのこと。
その後記者会見がダラムサラで行われるのか?デリーで行われるのか?はまだ未定のようです。
サムドゥ・リンポチェは今日デリーに向かわれました。
法王はダラムサラにいらっしゃらないことだし、記者会見があってもおそらくデリーでしょう。

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中国は4日、法王の東京での発言に対し、新華社伝に「引退するような振りをする、下手な芝居をやり、根拠のない<失望>を語っている」とコメントした。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23147&article=China+Hits+Back+at+Dalai+Lama

さらに「白と黒を取り違え、真実を無視している。人目を引くことと、人々の同情を買おうとしている」とも言っている。

<文化的ジェノサイド>とか<死刑宣告された>とかの批難はダライラマの分裂主義的野望の現れだ」と特別きついお言葉です。

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その他内地からのニュースとして、

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23148&article=China+Puts+55+Tibetans+Behind+Bars
チベット自治区裁判所は新たに55人のチベット人に、中国の言う<3月14日暴動>の実行者として刑期を言い渡した。
刑期は3年から無期

罪状は社会の安全を乱した罪、窃盗、器物破損等であり、政治犯は今回も一人もいない。
つまり彼らは<チベットに自由を!>とかを叫ぶためにデモしたのではなく、ただの暴徒だっただけというわけだ

もちろんまともな裁判など一度も開かれたことなどない、ただの宣告式です。

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最後に、昨日の続き、パッサン・ドルジェ氏の証言の後半を載せます。
今までも、今この瞬間にも、これからもパッサンが受けたごとくの拷問がチベット中いたるところで行われたし、行われているし、これからも続くであろう。

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2002年4月1日、パッサンは6年間の刑期を終え、刑務所から釈放された。まずカンゼの人民裁判所へ送られた。そこで彼は再び僧衣をまとうことを禁止すると言い渡された。すなわち、彼は僧院に戻ることができないのだ。
更に、パッサンは度々地区の裁判所に行って自分が村にいることを証明しなければいけなかった。時々なんらかの政治活動をしていないかどうか尋問されることとなった。
遂にある日、父親は彼に家を離れインドへ逃れるように言った。パッサンは僧院から追放され、いかなる会社にも雇ってもらえなかったからだ。彼は、逃げたらチベットの家族に害が及ぶのはわかっていたが、それ以外に選択の余地は無いと思われた。

2002年10月1日、パッサンはラサに到着し、インドへ逃がしてくれるガイドを雇った。彼に1700元支払った。ところが、10月6日、パッサンとガイドその他チベット人亡命志望者一行はラツェとディンリの間の検問を通過できなかった。パッサンは尋問された時、インドへの巡礼へ向かうところだと答えた。しかしながら、彼は警官に荷物を調べられ、6年間刑務所へ入った後持ち歩いていた書類を見つけられてしまい、警官は速やかに彼をラツェの警察署へ連れていった。そしてパッサンだけが拘置所に拘留され、その後シガツェの刑務所に送られ、そこで105日を過ごし、それからカンゼの公安事務所へ戻された。そこで彼は真実を話すよう警告され、それができない場合はさらに3年拘留を延長するとされた。パッサンは彼らに何を話せばいいのかわからなかったので、彼らの気に入りそうなことを話した。パッサンは既に刑務所で6年の刑期を終えていたので、役人たちは彼を厳しく罰しないこととし、3ヶ月後に釈放された。けれども、地方の裁判所に7ヶ月サインをしに行かなかったことで、彼は6000元の罰金を課せられたのだった。

彼が実家に帰ると父は既に亡くなり、二人の姉妹は貧しい状況であった。彼は姉妹を助けるために留まり、ほぼ一年間実家で働いた。
 
2004年6月1日は子供の祭りの日であった。パッサンがカンゼのお祭りに参加しているとき、市民の格好をした公安の職員が何人か彼を取り囲むように現れ、彼を警察署へと連行した。そこで、この一年間、他の者と組んで、独立運動とか政治活動とかに参加しなかったかどうかを聞かれた。また、2004年5月29日の独立メッセージの配布にかかわったかどうかも問われた。中国人の役人は彼の親指を親指錠でとめ、その親指を床におき(時にはテーブルの上に)尋問の間中ブーツで踏みつけた。それは囚人を拷問する耐え難いほど過酷な新しいテクニックだった。(パッサンによると彼は多くの拷問を経験したが、この新しい方法が一番ひどかった、経験したなかで一番苦痛だった、という。)

彼はそれから7日間眠らせてもらえなかった。その間3時間ごとに、別の尋問者たちに絶え間なく尋問された。中国人の役人がパッサンから罪を問えるような答えを引き出せなかったため、遂に彼を、二人の姉妹を保証人として釈放した。パッサンは、今後全ての政治活動に参加することを禁じられ、政治的活動をしている誰とも接触してはならないと警告された。

彼が尋問を受けている間に警官隊が家に押し入り、家を荒らし、ダライ・ラマ法王の写真が持ち去られていた。彼は姉妹たちから再度インドへ逃げるよう急かされた。2004年8月、再度インドへの逃亡を試みた。そして彼はトゥ・ガリ地域へ到着し、ひどい体調のままそこで3日間を過ごした。拷問が原因の病気は彼の体力を損ない、長く困難な旅でさらに悪化した。旅を続けるほど元気がなかったので、現地の医者に診てもらうことにした。ところが、医者はパッサンの手にフリーチベットの刺青を見ると警察へ電話し、彼を逮捕しに来るよう伝えた。警察が到着し、パッサンは刺青の目的は何か、誰がその刺青をしたのかと尋問された。これといった目的もなく刺青をし、独立運動にかかわり、6年間投獄されたと答えた。また、刑務所に入ることにより学んだので、政治活動は避けることにしたと述べた。

このような返答と保証人となってくれた友人の助けによって、彼はその場から解放された。友人は、自分がネパールまでのガイドを見つけるまで留まるよう忠告した。6日後、パッサンはプランから電話を受け、ガイドに会うためにそこへ向かった。友人は、パッサンをネパールまで連れていくのにガイドに1500元支払った。だが、彼の病気は悪化しあまりに弱っていたため、誰かの助けなしには前に進むことが出来なかった。彼の状態は更に悪くなりガイドは彼を見捨てて逃げて行ってしまった。10日間一人で山の中に取り残されることとなった。運良くもう一度新しいガイドを見つけたが、今度は彼の健康状態があまりに悪いというので、3000元支払わねばならなかった。それからも幾日もの間、パッサンは多くの問題に直面し、血を吐き、食物が喉を通ることはなかった。。

2004年11月15日、パッサンは遂にカトマンズのチベット難民一時収容所へ到達した。そこでチベットでの過去の出来事を語るよう促された。3日後、パッサンはダラムサラへ送られた。11月末、彼は何年もの監禁、逮捕、非常に長い旅路を経て、ようやくダライラマ法王により祝福された地、ダラムサラへ到着したのである。

以上。


















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2008年07月05日

ダライラマ法王特使の記者会見

5.7.08 法王特使記者会見

記者会見は12時半より、チベット亡命政府の食堂ホールで行われた。

ここも大昔おれのやった場所なので、懐かしかった。それにしても安っぽい作りのむさ苦しい場所に、各国のメディアを集めるところが亡命政府らしい。
60〜70人は居ました。日本の主なメディアも勢ぞろいでした。

まず席に座るなりギャリ氏は
皆さんすでにご存じのように、期待されたような内容は何もなくて済みません
と前置き。

とその前に報道官のサンペル氏が特使のステートメントを読み上げた。

少々長いので要約程度に内容を紹介します。

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杜青林(ドゥ・キンリン)とギャリ法王特使1.7.08C/R phayul.com
特使一行5名は6月30日より7月3日まで北京に滞在した。

7月1日には中国人民政治諮問会議副議長兼党統一戦線工作部部長(長い!)の杜青林(ドゥ・キンリン)に初めて会った。
彼は第17回党大会の後このポストに配属された新任だ。

彼は手短に中国の内外の状況を説明し、チベットに対する政策についても語った。
我々はこの機会をとらえ、法王のチベット問題を解決するための基本姿勢を説明するとともに、四川地震の犠牲者への心よりの弔いを表明した。

我々は中国「チベット研究所」を訪れた。所長のラクパ・プンツォク氏と副所長のズー・シアオミンが迎え入れた。様々な研究者がそれぞれの研究を紹介してくれた。
(中国よりの歴史研究ばかり目立ったので)この機会に、各研究者の研究を称賛するとともに、研究者はたとえばチベットの歴史などについても、先入観のない独立した研究、それが違った視点からの見方と理解に貢献するであろう研究を目指すことの大事さを強調した。

我々は7月2日、党統一戦線工作部副部長のズー・ウェイクン及びシタールと会談を行った。

この会談は双方の関係の上で大事な時期に行われた。
最近のチベットの状況はチベット人たちの真実の根深い、中華人民共和国の政策に対する反感、不満の明らかな表明と認識される。

この事態に対し緊急に真剣な努力と勇気あるビジョンを伴った行動が求められていることは、全ての民族の安定、統一、調和を求める中国の利害に明らかに叶ったものでもあるはずだ。

法王でさえチベットの問題は中華人民共和国の枠内で解決されるべきだとおっしゃっている。
事実チベットは今大きな国際問題ともなっている。

このような環境の中、我々は中国指導部に対し、我々の努力に報いる何らかの具体的前進が今回の会談であるのではないかと期待していた。
しかし結果はこのような期待に反し、
中国側の正当性に対する異常な偏見の壁に阻まれ、結果、双方が会談を続けることを約束する共同声明文を作成しようとの我々の要求さえ受け入れられなかった。

会談により中国側は少なくとも最後には、自分たちの法王に対する、最近の騒動を先導しているとか、オリンピックを妨害しようとしているとかの非難は根拠のないものだと解ったようにも見えた。
彼らは今度は、ダライラマ法王に対し暴力、テロ、オリンピックの妨害を支持しないよう要求した。

これに対し、我々は非常に強くはっきりと「誰も我々にそんなことを要求する必要があると思うものはいない。法王とチベット人の戦い方がそのようなものでないことは世界に認識され、称賛さえされているものなのだから」と答えた。

もちろんTYC(チベット青年会議)が法王の中道政策を支持せず、独立を求めていることは事実だ。
しかし中国が彼らを一方的に<暴力的、テロリスト集団>と名付けて非難することについては事実にそぐわないとして反対した。
法王は公的な場において繰り返し、明白にチベットの独立を求めていないことを表明され続けて来られた。

会談の間中、問題は決して法王個人の地位のことでも亡命政府のことでもなく、チベット人の福利の問題であることを強調した。

会談中何度も「もしも貴方達の側からの真剣にこの問題を解決しようとの態度が見られないのなら、もうこうして話を続けることは意味がなく、時間の無駄というものだ」と、率直な感想を言わざるをえないような場面も度々あった。

中国側は会談は生産的なものであった。しかし半世紀にも渡って続く複雑な問題を数年で解決できるはずはない、とも言った。

次回の会談を10月中に行うことを双方確認した。

ダライラマ法王には今日報告に伺った。

我々は中国共産党統一戦線工作部に対しそのもてなしに感謝の意を表する。


2008年7月5日ダラムサラ


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気がつけばほぼ全文訳していました。

実際の記者会見は質問だけでした。
これについてはいったんこれをアップしたのち、
レポートします。





















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特使記者会見の前

3月アムドのプーギェロー!
特使達の記者会見は12時半から情報局で行われます。
まだ、1時間半ある。

最初から相手が下っ端過ぎる。何も決める権限などない者たちばかり。
中央からは「ま、適当に聞いとけ。時間稼ぎ路線に変更はないし」とかなんとか、、
言われてたかな?


以下コピペです。

中国「急進派、統制を」 ダライ・ラマと明確に区別

 【北京=佐藤賢】中国共産党統一戦線工作部の杜青林部長は3日、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の特使と北京で会談し、独立急進派の「チベット青年会議」による暴力活動を抑え込むよう要求した。中国政府がチベット自治区などに適用する「自治制度」を堅持する方針を示し、ダライ・ラマ側が求める自治権拡大に否定的な見解も伝えた。
 中国共産党・政府は3月のチベット騒乱にチベット青年会議が関与したとみており、穏健路線のダライ・ラマ個人と独立急進派を明確に区別した。杜部長はダライ・ラマ側に(1)北京五輪に対する破壊活動(2)暴力行為の扇動(3)チベット独立と祖国分裂活動――への不支持を明確にすることも求めた。一方で、チベット族の生活水準の向上に努める考えを強調した。(07:03)

(日経ネット)

さっきRFAからは青年会議の議長へのインタビューとして、「我々の路線に
変更はない」とのコメント。
もっとも彼らはまだ、石一つ投げてないけど、何を持って「暴力活動」と呼ぶのでしょうか?自分たちの戦車や機関銃は暴力じゃないと言うし、、気違いと話をするのは大変です。


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以下は北京の福島さんの7月4日付のブログ、一部のみここに転載させて頂きます。

http://fukushimak.iza.ne.jp/blog/

■中国では当局発表や当局者の説明より、ネット上の存在しないかもしれない人物のチェーンメールの方が信用される。貴州省の少女の死をきっかけに発生した暴動事件も、当局発表では「少女は暴行死ではなく、水死、自殺」だが、ネット上の書き込みをみると、ほとんどの人が信用していない。そりゃ陝西省林業局の「華南トラ捏造写真」事件など当局ぐるみで、誰がみてもウソなのに真実だと言い続ける厚顔ぶりをみれば、何をいっても信用できなくなるのは当然なのだ。長年、人民を騙すのをなんとも思っていなかった当局側の自業自得というか。


■経済的打撃、官僚汚職への怒り、そして当局への不信感。こういう状況だと、どんな小さなきっかけでも、容易に大事に発展しそうだ。それを防ぐために、目下当局は、統制、規制強化と愛国心宣伝に頼ろうとしている。しかし、復興費用の相当部分が企業・人民からかき集めた義援金なのだとすれば、党の求心力は減少する。「共産党さまが人民のために復興してくださっているのだから、がまんがまん」という具合にはなりにくい。


■統制と規制の強化は、庶民の不満をより大きくしかねず、もしそういう方針で人民を制御しようというなら、いざというときは天安門事件をもう一度行うくらいの覚悟がないとダメだろう。胡錦濤総書記がそういう強権派とは、思えないし、思いたくない。


■それならやっぱり少々、社会はゆれるかもしれないが、情報の透明化、メディアの自由化、特に外国メディアの取材の自由の範囲を拡大して、人民がさまざまな不満を表明できる機会を増やして、ガス抜きをしつつ、当局の信用を取り戻す方法を模索した方がいいにきまっている。その過程で、共産党幹部が特権を独占する現体制が変わらざるを得ないなら、そうしなければならないだろうが。そのときは、ひょっとして、私腹を肥やした党幹部らは虎の子をもってオーストラリアやカナダに一斉に脱出するのかな?でも、まさか中央の指導部はそんなわけにはいかないだろう。

■腹をくくって改革にあたれば、のちのち世界史に輝かしい名を残すことができるはず。今期は無理でも次期指導者が、金や不動産よりそういう名誉を重んじる器の持ち主であればいいのだが、といつものように、いろいろ妄想してみるのである。まあ、妄想ですから。

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2008年05月10日

続ダライラマ法王中国との対話に関するコメント

ae7e7445.JPG今日5月10日付phayul.comにドイツのメディアが法王に最近独占インタビューした記事が載っていました

英文は以下です。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21170&article=Dalai+Lama+Upbeat+on+China+Talks+Ahead+of+Visit+to+Germany
その中より法王の話されたことのみ書き出してみました。



「対話の雰囲気は攻撃的ではなく、お互いに敬意をもって行われた」

「次回の話合いのための具体的な提案が草起された」

「思うに中国側は3月にチベットで起こった抵抗運動、及び(その反響が)8月のオリンピックの障害になることを恐れて話し合いに応じて来たのであろう」

「私のできることはただ、自由社会が(中国に)圧力をかけ続けることを励ますことだ」

「北京との話し合いは単なる形式的(symbolic)なものではなく、生産的(productive)なものでなければならない」

「同時に透明性が必要だ。閉じられたドアの向こうでの秘密会議は終わらされるべきだ」

「中国はやっと今回初めてチベットに問題があることに同意した」


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以下には法王の5月16日から4日間のドイツ訪問の予定。
その間にどんな政治家に会うのかが報告されています。
どこかの国とは大違いです。
関心のある方は英文へ。





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2008年05月08日

ダライラマ法王特使記者会見

ac8a12a9.JPG先ほど10時から始まり一時間ほど、特使ロディ ギャリ リンポチェの帰還報告記者会見がガンギのDIIR情報省で開かれました。

日本の各メディア揃い踏みの中でした。ですから詳しいことはプロに任せます。
きっと超短い記事にしかならないと思いますがね。

はっきり言って何の特別の話もありませんでした。
お互い言いたいことを大人しく紳士的に言い合って、唯一次回も会おう(See you Later!?)と言えただけが成果とのことでした。
もちろんこれは対話ではないない訳です。
中国が<対話>やったジャン、またやるさ。と言えるための手助けをしてやっただけな訳です。
こんなインドの田舎まで100人近い報道陣が集まるという、皆さんの御苦労まで強いてだ。

フランスのプレスが「今回の話合い?はサコジ首相のいう、オリンピックの開会式に出席するかどうかは、中国がダライラマ法王(側)と話し合うかどうかによる、と言ってる、その対話に当たると思うか?」
ロディ ギャリ リンポチェ曰く「この会議はあくまで非公式のものだからそれには当たらないと思う。現在まで6回継続されてきた会談の7回目が開かれた後には結果によってはそう言えよう」

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もう法王の潅頂が始まるので寺に行きます。

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2008年05月03日

本日ダライラマ特使中国に到着

2cb560e1.JPG5月2日付
法王庁プレスリリース
http://www.dalailama.com/news.246.htm

5月3日、ダライラマ法王特使ロディ ギャルツェン ギャリ氏及びケルサン ギャルツェン氏が中国首脳部代表との非公式会談に臨むために中国に到着する

短期間の訪問ではあるが、特使はチベット地域での現在の危機についてを緊急議題とする。
特使はダライラマ法王が中国政府の状況への対応に深い関心を持ち続けていることを伝えると同時に、地域に平安をもたらす提案を示すことであろう。

中国政府は先にダライラマ法王との対話を続ける意思があると諸外国政府に対し公表した。
特使はチベット問題が相互に満足のおける解決に向けて前進することを目指す。


Chhime R. Chhoekyapa
Secretary to
His Holiness the Dalai Lama

Dated: May 2, 2008


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もう今頃は中国のどこかに到着しているはずの特使二人ではありますが、RFAの伝えるところでは、今現在どこに二人がいるのかが不明なのだそうです。

写真左手が特使ロディ ギャルツェン ギャリ氏(通称ギャリ リンポチェ)現アメリカ特使。右手がケルサン ギャルツェン氏現ヨーロッパ法王事務所代表。

ギャリ リンポチェについては、私には沢山の思い出もあります。
彼が私をこのダラムサラに呼んだ張本人でもありました。
1984年に私は彼が大臣をしていた情報省に呼ばれて、それまでのぼろビルの一角の村役場の一室のようなところを脱出して、ちゃんとした印刷所付きの亡命政府情報省を作る設計計画を任されたのでした。
何度か敷地が変わり数年かかりましたが、今はもう古びた建物になって亡命政庁地区の入口あたりに立っています。

そんなことはどうでもいいのですが、
彼は私がこれまでにあったチベット人政治家のなかでも間違いなく一番のキレ者の一人です。もう長老の域ですが、この前のBBCでアナウンサーの制止にも関わらず熱くチベットの惨状について訴え続けていました
生まれつきの外交官と言ったところです。アメリカ議会のロビーイストとしてもいつも裏で活躍しておられます。
政敵もいなくもないですが、、、は要らぬことでした。

もう一人のケルサンは中堅のこれもキレ者です。

役者はいいのですが、さてたぬき中国キツネ中国相手にどこまで通じるのか不明です。
お二人の奮闘を応援したいと思います。


rftibet at 16:45|PermalinkComments(0)TrackBack(0)