誕生日

2010年12月29日

劉暁波氏の言葉・その3/55歳の誕生日に

e593ba66.jpg昨日12月28日は劉暁波氏の55歳の誕生日だった。

彼は今、極寒の遼寧省錦州監獄に繋がれている。
故に、「お誕生日おめでとう」とは言いがたいが、それでも激励のために、届かなくとも「おめでとう!」と言いたい。

このままでは、まだ10年も厳しい獄中生活を送らなければならない。
彼の妻の劉霞さんも軟禁され、外部との通信を一切絶たれたままである。

かつての獄中生活においては、妻の劉霞さんが月に一度監獄を訪れ面会することも許されていたという。
今回は、全くそのようなこともできない。
中国政府はどれほどの無実の人々を、どれほどまでに苦しめれば足ると言うのであろうか!

再度中国政府に対し、直ちに劉暁波氏を無条件で釈放し、劉霞さんの軟禁を解くことを強く要請する。

以下、3回目になるが、日本語で出版されている「天安門事件から『08憲章』へ/藤原書店」の中から劉暁波さんの言葉を抜粋し紹介する。

写真はhttp://www.dw-world.de/dw/article/0,,14740613,00.htmlより。
この中で劉氏の友人である�危雨氏が彼の誕生日を期し、彼との思い出を語っておられる。

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<一人一言の真実が独裁権力を突き崩すーーー言論の自由こそ民主化の出発点>

 言論の自由とは何か
 世界文明の発展史が証明するように言論の自由は、人権保障と社会の進歩にとって普遍的な意義を有するものであり、特に野蛮な社会から文明的な社会への平和的な転換を推進する過程において、言論および報道の自由は、しばしばパイオニア的役割を果たしている。


 中国では、昔から「民の口を防ぐは、川を防ぐよりも甚だし[防民之口、甚干防川]」という古い教訓があり、歴代の王朝は、その多くが専門の「諫官」を設立し、比較的開明的な君主たちも「広く言論発表の道を開く」ようにさせ、かつて漢の文帝の時期には「誹謗妖言の罪」を廃止したこともあった。しかし言論の自由は、剥奪してはならない人権のひとつとして、またある種の政治的原則として中国の伝統に入ったこともなく、言論の自由という制度の構築は、なおさら言うまでもないことであった。


 民主主義に最も重要な言論の自由
 このことからわかるように、洋の東西に関わらず、報道および言論の自由は、いずれも現代文明の重要な成果である。なぜなら人間が人間である以上、これは、重要な印の一つであり、その国家が文明的であるか否かを評価する主要な指標の一つでもあるからだ。野蛮な独裁を固守する政権には言論の自由をおそれないものはなく、まさにこれこそ、人間が人間であるためには言論の自由は少しも欠けてはならないということを証明している。人類の自由の権利の目録において、言論の自由は、しばしば第一の自由と見なされ、言論の自由を失うことは、あらゆる自由を失うことを意味している。まさにアメリカの学者ロジャー・ヒルズマンが、民主制度において「ある種の自由は、必要不可欠のもので、しかも格別に保障しなければならず、それこそが報道の自由である。・・・民主の定義がどのようなものであろうと、報道の自由がなければ、民主そのものが存在し得ないのだ」と指摘しているとおりである。


 毛沢東以後の「民間」の台頭
 特に六四事件の後は、人々を麻痺させる独裁イデオロギーの説教や勧誘の力は、日に日に弱まり、この監獄のモラルの台座は、急速に瓦解し、建物全体にも次第に大きな漏れ穴が生じ、ひたすら経済の高度成長とナショナリズムの幻想という支えを当てにするだけである。このようにして中国共産党による独裁のモラルの合法性は、もはや脆弱になり、虚言のほかには、自分自身を弁護できるものもなくなってしまった。以前は、人々に忠誠を尽くすことを表明することを求めた。甚だしくは、人々が心から信じて賛美するようにさえ要求した。しかし、今では民意を酌みとり、人々のシニカルな態度―――本心は異なるが同意や称賛を見せてくれれば、それで十分なのだ!


 独裁の維持は、恐怖に依存し、恐怖の維持は、暴力と嘘が互いに支えあうものにすべて頼り、嘘で粉飾していない暴力統治は、維持することもできないのだ。勇気をもって公開された自由な発言で、制度的な嘘と恐怖に反抗する個人が引き続き多くなれば、一人一言の真実によって、どんなに暴虐な制度であろうとも、その効力を失うだろう。嘘を拒否するわずかな積み重ねは、暴政に反抗する民間の大きなうねりとなり、嘘で塗り固めて維持している独裁は、風雨で揺れ動く孤島のように非常に不安定になり、存続は困難になる。したがって、独裁政権の崩壊は、暴力的な方法を取る必要はなく、大規模な街頭での政治運動さえも必要ない。民間の社会で勇気をもって情報の封鎖と言論のタブーを突破することさえできれば、大胆に言論の自由という権利を獲得し、自由な発言の唾だけを頼りに、いかなる独裁政権をも溺れさせることができるのである。


 したがって、民と官とに関わらず、大陸において報道の解放と言論の自由を推進することは、実際には、中国社会の安定的転換という最も重要な目標を推進することなのである。政党結成禁止の緩和について一歩遅れるとしても、言論の禁制を解くことは一刻の猶予もない。言論の禁制が開放されれば、自由な中国は必ずや訪れるのだ!

 二〇〇六年三月二七日、北京の自宅にて







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2010年07月13日

内地のチベット人たちによるダライ・ラマ法王の誕生日を祝うデジタル・セレブレーション

ダライ・ラマ法王の誕生日を祝う内地のポスター7月12日付、SFTオフシャル・サイトによれば、
http://blog.studentsforafreetibet.org/2010/07/a-digital-celebration-of-hhdls-75th-from-tibetans-in-tibet/

7月6日のダライ・ラマ法王75歳の誕生日以降、チベットと中国のネットユーザーは人気の中国語ソシアルサイトにダライ・ラマ法王の写真を沢山掲載したという。

人気のソシアルサイト 51.com and Qzone上には法王の様々な写真やチベット国旗、近況報告などが溢れた。

この溢れかえるチベットの若者を中心とした抵抗の表現は、中国がチベット人の声への弾圧を強めている今起こっている。

写真はネットに掲載された祝賀ポスター
チベット語:「雪山チベットの国に喜びの太陽が早く昇りますように」

上記のサイトに行けば、他にも色んなポスターを見ることができる。

ゴロから祝賀の歌をyoutubeに載せたグループといい、タウで祝賀会を盛大に行ったチベット人たちといい、ネットの若者たちといい、いくら不当に弾圧されてもチベット人は負けないね!

法王への思慕は増すばかりだ。

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2010年07月12日

カム地方タウでダライ・ラマ法王の誕生日を祝う集会が開かれた

2006年 リタンの競馬祭写真左:2006年、リタンで行われた競馬祭(RFA)

7月9日付、RFAチベット語版:
http://www.rfa.org/tibetan/sargyur/tibetans-in-kham-region-celebrated-the-birthday-of-the-dalai-lama-07102010022308.html

ダライ・ラマ法王の誕生日、カム、(カンゼチベット族自治州)タウ(རྟའུ་རྫོང )地区のチベット人僧侶、俗人は集まり、祝典を行なった。

タウの仏塔 H=30m写真左:集会が行われたタウのナムギャル仏塔。高さ30m(旅行人ノートより)。

今月6日、中国政府による厳しい監視にも関わらず、カム、タウ地区ダルギェリン僧院(དར་རྒྱས་གླིང་དགོན་པ)の僧侶400人を中心に、当僧院にチベット人1000人余りが集まった。
そして、僧院から、見るだけで解放されるとされるダライ・ラマ法王の写真を掲げ、2キロほど離れたナムギェル仏塔のお堂まで運び、お堂の玉座の上にその写真を飾った。
その上で集まった僧俗チベット人は全員でマンダラ供養(三回)等の仏教儀式を行なった。

その後、歌、踊りの供宴や伝統的馬術競技も行なわれ、その日一日、盛大にダライ・ラマ法王75歳の誕生日を祝ったという。

これらの情報はインドに亡命している同地区出身のゲシェ・ツェワン・チュダックが現地と連絡を取り伝えたものだ。

ダライ・ラマ法王の写真を掲げ仏塔に向かう途中、一行は地区政府庁舎の前を通った。
しかし、当局は全くこれに反応せず、止めることもなかったという。
チベット人が大勢集まっており、これを阻止しようとすれば、大きな騒動に発展すると危惧し、当局が行動を控えたと見られている。

この日、一日中地区のチベット人たちは誕生日の儀式とその後の宴会を楽しみ、ビデオやカメラの撮影会も行なわれていたという。






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2010年07月08日

チベット内地から法王の誕生日を祝う歌がyoutubeに

アムド、ゴロのチベット人が「ダライ・ラマ法王の誕生日を祝う」という歌をyoutubeに載せた。

全員名前を明かしている。
(追記:ゴロ、マユルリンのセンチェン歌舞団制作。
「法王のお誕生日だ、急いで秘密のネットにこの歌を載せよう」と書かれている。


歌い手の女性は、今日RFAの中で「捕まっても悔いはない」と話していた。



二曲歌われている。

以下、歌詞を訳してみた。

女性が歌っている一曲目:

<お誕生日の祝いの歌を歌おう>

顕密の仏法はインドより伝えられ
教えの説と聞はチベットより広まった
その弟子たちは世界を覆う
仏法を広めるための歌を歌おう

尊きラマはアムドの地にお生まれになった
その偉業はインドの地より広まった
その偉名は世界を覆う
あなたの長寿を祈る歌を歌おう

歌い手の私は雪山チベットより歌う
この詩歌は我らの町に響き渡り
吉祥なる雪山の国を覆う
内・外のチベット人を繋ぐ歌を歌おう
吉祥なる雪山の国を覆う
内・外のチベット人を繋ぐ歌を歌おう


男性が歌う二曲目:

<我ら皆、あなたのお誕生日を祝う>

我らの父は菩薩
愛と慈悲の血を引くもの
法と善に努める民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らの母は岩山の精霊
誇りと勇気の血を引くもの
方便と精進を保つ民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らが祖国、雪山の国は豊か
雪山の白き獅子を愛するものたち
世界の頂きを守る民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らを護るはイシンノルブ(如意宝珠、ダライラマ法王)
平和の行ないに通じるものたち
業と縁起を大事とする民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う

我らの父の住まいは赤い宮殿
この雪山の国の第一の統治者
様々な文化を集めた民族
我ら皆、赤ら顔のチベット人
我ら皆であなたのお誕生日を祝う



追記:
歌っているのはゴロ、マユルリンのセンチェン歌舞団の人たち。

「法王のお誕生日だ、急いで秘密のネットにこの歌を載せよう」と書かれている。
中国では、この何でもない行為ーー尊敬する人へ祝いの歌を歌い。それをネットに載せることーーは非常に危険な行為となる。

それなのに、この歌い手たちは何とも静かで落ちつきはらって歌っている。

下の尼さんたちはこれを見て「アツィ(ああ、)、、ニンジェ(憐れ)、、」
と涙を流した。








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2010年07月07日

ダラムサラ、ダライ・ラマ法王、75歳のお誕生日会 

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan昨日はダライ・ラマ法王の75歳のお誕生日だった。
世界中のチベット人やサポーターが祝い、法王の長寿と健康を祈った。

ここダラムサラでは、雨にも関わらず、朝からツクラカンに数千人の人が集まった。

この「めでたい日に雨が降る」と、チベット人はかえって良い印と取ることは前にも話たが、昨日は横にいた、政府のスポークスマン、サンペル氏にこの事を質して見た。
別に政治的なことでないから、彼の答えが正式な話にはならないが、、、
彼曰く「そうだよ、チベットでは祝いの日に雨が降れば、それは雨でなく<花・華>が降ってると言うのだ。ほら、今日はこんなに華が降ってる。
綺麗じゃないか!
例えば、チベットでは旅の最中、どこかの町に入る前に雨が降ると、これも、天が歓迎して華を降らせているとして、吉祥の印と見なすんだよ」

とのことだった。

法王がご自身の誕生日会に出席するということは、これまでにダラムサラでは一度もなかったことだと思う。
毎年、ツクラカンで盛大な祝賀会は行われていたが、法王は恥ずかしいからか?一度もお出ましになったことはなかった。
法王は案外シャイなのだ。

しかし、今回は75歳という節目とも言える年だからか、みんなに引っ張り出されたという格好で、お出でになられた。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanチベット、インド、ネパールの各団体からのプレゼント贈呈式や誰それへの表彰状付与とかのあと、
首相と議会議長が挨拶。

そして、法王の短いスピーチがあった。
法王がご自分の誕生日に話をされるのは初めてと思われる。
短かったが、いつものように内容は感じさせるものもあり良かった。

特に、法王が目の前に張り出された、自身の子供のころからの写真を眺められながら自分の人生を回顧し、「無駄な人生ではなかったと思う」とおっしゃったところなど感動的でさえあった。

法王はアムドのタクツェル村で1935年7月6日にお生まれになった。

法王がこの世に生まれ、自分が同時代人として、この菩薩を間近に眺め、接することができ、言葉を聞くことができることを非常な幸運と感じる。

世界の道徳的権威、希望の星として、これからも世の中に愛と慈悲の心を増やし、社会正義、宗教間対話、環境保護、普遍的責任等を促進するために末永くご活躍されることを願う。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan以下、昨日の法王のスピーチ全文。(中原訳)

今日は、自分が75歳になる日を(周りの者たちが)少し大げさにやりたいということで、こうして皆も集まってくれた。

チベット人は不動の信と決意を持ち続けてくれている。そのようなラマとトゥルク(転生者)たち、政府のみんなもそうだ。
みんなこうして今日集ってくれて、ありがとう。
また、地区の友人、顔見知りのインド人とか、宗教関係の人とかが集まり、先ほど私のために祈祷を上げて下さった。
どうもありがとう。
同じく、私の誕生日を祝うためにわざわざ(オーストラリアから)来て下さった、中国の友人たちには特別に、ありがとうと言いたい。
(中国人たちに拍手)

最も気がかりなのは、チベットに残っているチベット人たちだが、今日は私の誕生日ということで、心の中には強い思いが湧いているかもしれない。
だからと言って、それを外には現すことができないという状況下にある。
そのような中でも、心の中に変わらぬ信と決意を持ち続けてくれている人たち、そのようなみんなに、ありがとうと言いたい。

(拍手)

我々、自由な国にいる者たちは、インドを中心に各地のセトルメントで祝いを行なってくれていると聞く。そのような人たちみんなにも、ありがとう。

私から、今日特に言うことはない。
自分の誕生日に自分をほめても意味ないだろうし、ハハハハハ、、かといって、けなしてもなんだし、、、ハハハ、、、
だから、今日は言うことは何もない。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan










(前に張り出されている写真をご覧になりながら)
写真を見れば、ほんとにまだ自分が幼かったころ、まだクンブンにいた頃のから、ラサに着いたばかりの頃の写真、、、
それから、次々に、ずう〜〜と見て行くと、、、ひとつ、自分は人生を無駄にしては来なかったなあ、と思うのだ。

自分は夢の中であろうと、「私は僧侶なのだ」という自覚を持って暮らしている。
家を捨て僧侶になった時から、仏の教え一般と、特にナーランダ僧院の法統を学んできた。
チベットには実に沢山の論書が翻訳されている。

私はいつも言ってる、自分たちは生徒だと。
自分もこれらの論書を学び、常に参照しながらここまで来た。
今、私は75歳だが、時間がある時にはいつも、これらの論書を見ている。
非常に利がある。
自分の行動を正すために、心の目を研ぎ澄ませるために。
それらが条件となり、心楽しむ。
心楽しむから、身も健やかだ。


6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanみんなも経験的に知っている。みんな人として友人だと。
人種、身分、宗教に関わりなく、誰であろうと、人としては一緒だ。
幸せを求めるのも一緒だ。
苦しみを避けたいのも一緒だ。
苦しみを避け、幸せを求める権利があることも一緒だ。


でも、多くの人は、その幸福になる手段として、物質的に豊かになったら、権力を持つなら、それで幸せになるような気になっている。
でも、そうなっているようには見えない。
権力を持ち、金も持っていても、心に苦しみを抱え悩んでいる人を、私は沢山見て来た。

それに引き換え、心が静かで満たされているならば、外に物が無くても、心の底から、リラックスでき、朗らかでいられる。
自分がリラックスし、楽しげであるだけでなく、そのような人は地球上で他人に問題を作るということはない。
お金や権力を持つ者たちは、沢山問題を作り出しているじゃないか?、、フフフ、、

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanだから、心が静かで幸せであるならば、自分も楽しく、周りの人たちも楽しくすることができる。
今生で幸せ、究極的な楽もやってくるというわけだ。
だから、この齢まで、できる限り、仏の教え全般と特にナーランダ僧院の師、ナーガルジュナ父子等の教えは自分の人生の糧のようなものだ。

この教えにより、人に幾らかでも利を与えることができた。
こうして、死ぬまで、仏の一人の弟子として、できる限り他の人を利すことができたらな、、、と思っている。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan「地などの四大や
虚空のように、つねに
無数の有情のために
様々な方法で(彼らの)生きる糧となろう」

(シャーンティデーヴァ入菩薩行論 第三章・菩提心の受持より。中原訳)

と特にナーガルジュナの「宝行王正論」の中にある、
「地、水、火、風、
薬草および樹木を用いるように、
つねに生きとし生けるものが
すべて欲するままに妨げなく(われを)用いる者となりますように。

生きとし生けるものを(自己の)生命のように愛し、
さらに、自己よりも彼らをより以上に愛しますように。
自らに彼らが悪を結果づけても、自らの善はあますところなく、
彼らに報われますように。」

(瓜生津隆真訳)

という節を常に思い出している。

他には言うことはない。
今日は雨が沢山降っている。
今日はみんな、気を付けないと、風邪をひいてしまうぞ。
分かったか、気をつけるんだよ。
それだけだ、タシデレ、トゥクジェチェ!

(拍手、了)

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan昨日は何と30組もの歌と踊りのグループが出演した。
法王は最初の10グループほどまでご覧になり、その後退席された。
最初はインド人やネパール人グループが多かった。

昼食がみんなに配られ、午後も延々、歌と、踊りのショーが続けられた。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanドラマ・スクールの女性陣











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanドラマ・スクールの男性陣











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan法王は踊りを見ながら手で拍子を取っておられた。










6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakanソガ・ロプタ(トランジット・スクール)の舞踏は迫力満点で評価が高い。

そういえば、ネパールでは昨日カトマンドゥで法王の誕生日を祝うために集まろうとしたチベット人100人が一時拘束されたという。
政府は中国政府の圧力により、法王の誕生日を祝うことを禁止したのだ。

6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan











6.7.2010 H.H. Birthday Dharamsala Tsukulhakan今日は七夕だが、ダラムサラは華が降り止まない。
夜のために空を洗ってくれているのであろう。






















1989年 ノルウェーで法王がトナカイの橇に乗る追加のおまけ写真。
法王のお誕生日に合せ、チベットテレビでは1989年、法王がノーベル平和賞を受賞された時の映像が流されている。

法王は授賞式が終わった後、ノルウェーの北へ旅されたようだ。





1989年 ノルウェーで法王がトナカイの橇に乗る写真はその時トナカイの橇に乗って白夜の雪の原を走っておられる法王。
(テレビ画面を写真に撮ったので、写真は雰囲気だけだ)


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2010年04月25日

パンチェン・ラマ11世、21歳の誕生日/ニマ少年の今の顔は?

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday左の写真は、21歳になったパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(少年)の今の顔を想像して描かれたもの。

今日、ダラムサラでは朝からツクラカンに人々が集まり、ニマ少年の21歳の誕生日を祝うと共に、彼の一日も早い解放を願う、という集会が行われた。

ニマ少年は1989年4月25日、ナクチュのラリという小さな村で遊牧民の子として生まれた。

1995年5月14日、彼はダライ・ラマ法王により公式にパンチェン・ラマ11世として認められた。
その3日後の5月17日、ニマ少年は両親ともども共産党により拉致された。
その後、現在まで彼らは行方不明のままだ。

詳しくは以下へ、
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/gc_nyima.html

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday生きているのか、もうとっくに殺されてしまったのか、、、
生きているなら、どうしてこれほど全く情報が入らないのか?
生きていても、完全に隔離されていると考えられる。

最近、チベット自治区の誰だったかの役人は、ニマ少年の消息を尋ねた外人記者に対し
「ニマくんはチベットのどこかの大学で勉強している。本人はほっといてほしいと言ってる」と答えたという。

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthdayニマ少年を拉致したことは認めているわけだ。
その上で、このような「拉致して何が悪い」の開き直りで、しゃあしゃあと本人の意思を代弁しているとでも言わんばかりに、得意のでっち上げを披露する。
チベットの人たちはまずは彼の無事を知りたいのだ。
証拠を待っているのだ。

チベットではダライ・ラマとパンチェン・ラマは人々を日夜照らし出す、太陽と月に譬えられる。
沢山の歌の中で、この譬えが使われている。

人々の太陽を追い出し、月を拉致した中国共産党をどうやって好きになれと言うのか?
被災地に1000億円を投じても、感謝され、信頼されることはないであろう。


25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday今日は集会とともにチベット女性協会の主催で「21歳のパンチェン・リンポチェを
想像して絵を描き、詩を綴る」
というイベントが行われた。

ニマ少年の写真は、今までたった一枚あるだけだ。
それは彼が6歳の時の写真。拉致される前の顔写真だ。
それから、生死も知れず15年が立った。
もしも、今彼がみんなの前に現れたら、どんな顔になっているだろうか?

という企画だった。
20数人のチベットの若者たちが、一時間ほどの間にそれぞれ思い浮かべる、彼の今の顔を描いた。

すべての絵を見たい方は以下へ、撮影はわたしで掲載したのは女性協会。
http://picasaweb.google.com/106494767716125150093/PanchenLamaS21stBirthday#

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthdayもう一つのグループは21歳になられたパンチェン・ラマに贈る詩を書くという人たち。
尼僧が多かった。

考え込みながらも、みんな丁寧な字で綴っていた。
チベット人は詩を書くことが好きなのだ。
学校でも、僧院でもみんな詩を書く練習をさせられる。

25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday









25.4.2010 Panchen Lama 21th Birthday

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2008年07月06日

ダライラマ法王お誕生日、 中国の強盗ぶり

c83da8a1.JPG今日は法王のお誕生日!
おめでとうございます。

<法王に長寿を!>
と中の人達もデモの時必ず叫んでいます。
大丈夫100歳は堅いでしょう。

世界中で、日本でも各地、各お店?各家庭?でみんなで祝ったことでしょう。

しかし、このダラムサラの今年のお誕生会は喪中ということで何もありませんでした。
普通なら毎年、朝から晩まで歌え踊れの宴会がツクラカン前庭で繰り広げられていたのでした。
もっとも法王はシャイだから一度もお出ましになったことはありません。
ダラムサラ112日目のチェーンハンガーストライキ6.7.08
雨の中先ほど寺に行ってみました。入口では112日目というチェーンハンガーストライキが続いていました。今日は15人ぐらいでしょうかだいたいが女性でした。
雨の中御苦労さまです。頑張ってください。

カム で逮捕された52人 6.7.08
いつもの壁新聞壁の上の大きな垂れ幕が目立ちました。
一面チベット人の顔写真が並んでいます。これは今までに判明してるカム地方で3月10日から6月11日までにデモの後中国当局に逮捕された52人であると書いてありました。
顔写真がなく名前のみの枠もかなりありました。
カムではもちろんカンゼ出身が一番多いようでした。
ダラムサラのダライラマ法王
ツクラカンに上がり一周して本堂に上がります、
入口で半五体倒地を3回、
いつもの法王の玉座に頭を付け仏法の広まることを祈り、
私のお気に入りの千手観音にチベット人の苦しみが早く終わりますようにと祈り、
本尊のサンゲ(ブッダ)に法王の長寿を祈り
再び五体倒地して出ました。

チベット人も沢山来てたけど、インド人の観光客も相当いた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

7月5日付緊急委員会リリースより。

中国はチベットの富と所有物を強奪し続ける

3月以来、中国政府は数え切れないほどの個人の家、僧院及び僧侶の部屋に押し入った。
その際中国の公安部隊、軍隊は非常に貴重で価値のある、高価な物品を無数に強奪していった。

カンゼ、ジタンにあるトンコル僧院に続く道に中国軍が検問所を新しく設置した。
そこを通過するチベット人は全ての金目のものを略奪されるという。

6月11日、アバのセー僧院に突然数百人の軍人が押し入り、各僧侶の部屋がくまなく荒らされたが、その時多量の現金、電気機器、携帯電話が盗まれた。

4月19日夕方、アムド、チディル県ミンタン地区のミンタン僧院も同様の軍隊による強盗に遭い、現金、貴重品、電気機器が盗まれた。

4月18日、レゴン地区のロンポ僧院に軍隊が増強された。19日にはその地区のチベット人が多数逮捕され、その時様々な貴重品が盗まれた。
ロンポ僧院のチュヤン・ギャンツォは23000元の現金が盗まれたと当局を正式に訴えたというが、結果は不明。

4月17日から18日に掛け、ラサのセラ僧院に約40台の大型トラックが武装警官隊と軍隊を満載して押し寄せた。全ての僧房が荒らされ、大勢の僧侶が逮捕され、部屋からすべての貴重品が盗まれた。
同様の逮捕強盗はデブン僧院でもラモチェ僧院でも行われた。

4月16日午前4時半頃、ラサ近郊チュシュル県ネタンにあるタクツァン・ラトゥ僧院に武装警官隊と軍隊が突然押し寄せ、すべての僧侶を僧房より追い出し、強制的に中庭に集めた。
全ての携帯電話は取り上げられ、電気機器は壊された。
そのあと彼らは僧房から隈なく金目のものを盗み出した。
その時電話線は切断されていた。
アムド チェンドック僧院C/R RFA
4月3日、カンゼ、ジタンのトンコル僧院に武装警官隊が現れ、僧院全体を荒らし、僧侶たちからすべてを奪って帰って行った。

3月28日にはアバのキルティ僧院が襲われ700人の僧房が荒らされ、120万元以上の
金銭、物品が強奪された。

3月24日と25日カンゼ、ダクゴ地区で大規模な平和抗議活動が行われたとき、軍隊は100台余りのチベット人のバイクを盗み去った。

3月以降、ラサをはじめカム、アムド、ウツァン3地区に渡り、不法逮捕と同時に僧房や個人の家から金品を強奪されるというケースが後をたたない。
中国の警察や軍隊は多量の現金、電気機器、デジカメ、携帯電話、コンピューターその他をチベット人たちから強奪した。

沢山の僧院ではそのような乱入の際、代々守られ続けてきた貴重な仏像、タンカ等も或いは破壊され、或いは盗み去られた。


http://www.stoptibetcrisis.net/pr050708.html









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